2010年2月10日水曜日

*E-Magazine Feb 10th

*********************************
 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
 ===○=======○====================
 子育て最前線の育児論byはやし浩司      2月   10日号
 ================================  
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━¬¬¬¬¬――――――――――――――
★★★★★★★★★★HTML版★★★★★★★★★★★
マガジンを、カラー版でお楽しみください。(↓)をクリック!

http://bwhayashi2.fc2web.com/page020.html
メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●西浦温泉・銀波荘(ぎんぱそう)(2010年1月5日記)

+++++++++++++++++

正月の5日、西浦温泉にやってきた。
愛知県JR蒲郡(がまごうり)から名鉄電車に乗り換えて、10分。
そこから送迎バスで、10分。
家族とともにやってきた。
ワイフと長男、それに私。
泊まった旅館は、「銀波荘」。
「ぎんぱそう」と読む。

3人1部屋で、1人1泊、1万3000円弱。
料金の割には、ちゃんとした旅館。
「ちゃんとした」というのは、一流の旅館という意味。
部屋には、足袋(たび)まで用意してあった。
このあたりりでは、イチオシの旅館とか。
インターネットの某案内コーナーにも、そう書いてあった。
別注料理もあるらしいが、私たちにはどこも、量が多すぎる。
「食べたら損(そこ)ねる」を合言葉に、50~70%程度食べて、
あとは残す。
だから定額料金のみでの宿泊。
それでじゅうぶん。

++++++++++++++++++

●気分転換

 旅に出ることは、とても大切。
一日中、家の中にこもっていると、ときとして、気がヘンになる。
妄想が妄想を呼び、収拾がつかなくなるときがある。
そういうときというのは、何を書いても、暗くなる。
憂うつになる。
パソコンだけを相手に、部屋に閉じこもっていると、ときどき、そうなる。

●窓の外

 窓の外には渥美半島が横たわっている。
風は強いが、波は静か。
部屋は4階の412号室。
時刻はちょうど夕暮れ時で、西の空に日が沈みかけている。
薄水色の空に、幾重にも重なった紫色の雲が見える。
その下に、低くてなだらかな山が、紺色の影となって連なっている。
長男が、海を行き交う船を見つけた。
「変わった形の船だ」と言った。

 仲居さんの話では、近くにTOYOTAの工場があるという。
その工場から車を運ぶ船らしい。

●展望風呂

 部屋の中は、暑いほど。
こういう日は、ありがたい。
外は身が縮むほど、寒い。
寒いというより、冷たい。
「温泉に入ってこようか」と声をかけると、ワイフが「うん」と言った。

 ・・・ということで、旅行記は、ここでいったん、中断。

(中略)

 たった今、3階にある展望風呂から帰ってきた。
4階の私たちの部屋からは、歩いて30秒もかからない。
和風の、すばらしい展望風呂だった。
(旅館の実名を出して書いているため、悪口は書けない。)
露天風呂も、サウナもあった。
正月ということで、多少混んでいたが、それでものんびりできた。

●サービス

 夕食は、午後6時15分に、お願いした。
この分なら、食事も悪くなさそう。
というのも、一事が万事。
というか、1か所だけ手を抜くということはできない。
雰囲気よし、風呂よし、(今のところ)、サービスよし。
風呂を出たところでは、茶のサービスもあった。
女性がそこに立っていて、「お茶はいかがですか?」と声をかけてくれた。
こういう心遣いがうれしい。

●「来てよかった」

 ワイフと長男は何やらボソボソと話しあいながら、真っ暗になった海を見ている。
遠くに、港の灯りが見える。
目をこらせば、船も見える。
静かな海だが、波の音が聞こえてくる。

「来てよかった」と思った。

 正月3日間は、最悪(?)だった。
原因は、三男。
しかしそれについては、ここには書けない。
書きたくもない。
考えたくもない。
私より長男のほうが、キレた。
「オレが電話で怒鳴りつけてやる!」と、何度も電話機に向かった。

が、ここへ来て、そのいやな気分が吹き飛んだ。
ワイフも、そういう私を見て、うれしそう。

●銀波荘

 手元にマッチがある。
それには、ローマ字で、「Hotel Ginpaso」とある。
反対側には、「三河湾国定公園西浦温泉」とある。
電話は、0533-57-3101。
もっとも今は、電話の時代ではない。
ネットで調べて、ネットで申し込む。
側面に、東京営業所と大阪営業所の電話番号が書いてある。
かなり本気で経営しているらしい。
その本気さが、客の私にも、そうわかる。
伝わってくる。

 正月3が日の間は、年越しそばの振る舞い、おとその振る舞い、奉納太鼓、餅つき、三
河万歳などの、1階ロビーで披露されるという。
(残念! ・・・今日は、1月5日!)

●うつ状態

 うつ状態になると、脳みその中で、いつもとはちがう、別の脳みそが機能し始める。

自分の中に、もう1人、別の自分がいるような感じになる。
それが本来の自分と、たがいに干渉しあうようになる。
本来の自分が、「早く気分をなおせ」と命令する。
が、もう1人の自分が、それに抵抗する。
そういう自分が、たがいに行ったり来たりする。
「悶々とした気分」というのは、そういった状態をいう。

 そしてここが重要だが、うつ状態になると、グーグルマップで、どんどんと地図を拡大
していくかのように、問題が大きく膨らんでくる。
ものごとを悪いほうへ、悪いほうへと考える。
ふだんなら笑ってすませるような話でも、「許せない!」となる。

 だからこうして今日、私たちは温泉はやってきた。

●現実的なものの考え方

 環境を変える・・・それだけのことで、気分は大きく変わる。
前からそういうことはわかっていたが、今回、改めて、それを確認した。
たしかに20年先を考えると、憂うつになる。
しかし20年なんて、遠い未来。
まずつぎの10年を、考える。
さらに今年1年を、考える。
現実を、考える。
ものの考え方を、現実的にする。
気分が変わると、そうなる。
つまりそういう考え方ができるようになる。

●喜び

 で、ものの考え方が現実的になると、今度は反対に、ささいなことの中に、喜びを感ず
るようになる。
たとえば今朝、私のメインHPのトップ・ページを少し変えた。
そのあとのこと。
今までだと、保存するだけで、2時間弱もかかった。
2、3年前に買った、ビスタ・マシンである。
当時としては、最先端のパソコンだった。
が、今回、WINDOW7(i7、64マシン)で保存してみたら、約半分の1時間で、
できた。
そんなことでも、うれしい。
今、それを思い出しながら、ワイフに、「今度のパソコンはすごいよ」と話しかける。

 で、さらに性能をよくするため、今度、高速のハードディスクに取り替えてみようと思
う。
もっと速くなるかもしれない・・・。
「現実的に生きる」というのは、そういうことをいう(?)。

●新しい挑戦

 さらに今日、電車に乗る前に、パソコン雑誌を買った。
それには、(1)ファイル転送サービス、(2)ウェブアルバム、(3)オンライン・ストー
レッジの記事が載っていた。
今では、無料で、高機能のサービスを利用することができるようになった。
何でもないことかもしれない。
とくにパソコンと縁のない人には、理由もわからないだろう。
しかしそういうことでも、喜びにつながる。
「家に帰ったら、さっそく試してみよう」と。

 たとえば現在、画像保存サービスとして、「FLickr」と、「フォト蔵」を使ってい
る。
ともに無料サービス。
それを使って、写真などを、そこへ保存している。
HP(ウェブサイト)などの直接写真を張り付けると、あっという間に、HPが重くなっ
てしまう。
そこでHPやBLOGなどでは、一度、こうしたサービスに、写真を保存しておき、そこ
から呼び出すようにする。
それぞれのサービスによって、内容が大きく異なる。

が、雑誌によれば、「Zooomr」(画像保存サービス)というのもあるらしい。
なかなかおもしろそう。

●夕食

 仲居さんが入ってきて、夕食の準備にかかり始めた。
私はパソコンをもって、縁側(?)のソファに移動した。
「縁側」?
「縁側」と言うのもおかしいから、仲居さんに、「こういう部屋を何と呼ぶのですか?」と
声をかけてみた。
「ベランダ?」「テラス?」。
仲居さんも、「エ~と、何と呼ぶのでしょうね」と言って笑った。
だから私が勝手に、「縁側」とした。

 その縁側からは、遠くに、一直線になった橙色の灯りが見える。
それが波に揺れるかのように、チラチラと細かく揺れる。
目の前の長男は、じっと窓の外に目を凝らしている。
静かなとき。
穏やかなとき。
仲居さんが食器を並べる音、それに私のキーボードを叩く音。
それだけが、部屋の中を行ったり来たりする。

●決意

 2010年になって、ひとつ決意したことがある。
「虚勢を張らない」ということ。
ありのままをさらけ出す。
もちろんありのままを書く。
さみしい正月だったら、「さみしい正月」と書く。
飾ることはない。
偉ぶることもない。
どうであれ、私は私。
その正月。
さみしい正月だった。
だれも来てくれなかった。
電話もなかった。

 年賀状も、例年の3分の1以下。
昨年は喪中で、1枚も書かなかった。
そのこともあって、今年はぐんと減った。
が、年賀状をくれた人には、全員、返事を書いた。
「今年の友は、一生の友」。

●自己開示

 しかしこれは私にとっては、重大な問題。
自己開示の問題と、直接絡んでくる。
「どこまでありのままを書くべきか」と。

 読者というのは、この文章を読んでいる(あなた)を含めて、不特定多数。
大半の人は好意的に読んでくれていると思う。
しかし中には、そうでない人もいるはず。
そういう人に向かって、プライバシーをさらけ出すのは、危険なことでもある。
が、ウソは書きたくない。
自分を飾った文章は書きたくない。
そういう文章は、あとで読み返しても、不愉快。

 そんなわけで、こう決意した。
「すべてを書くわけではない。しかしウソは書かない」と。

●食事

 ・・・ということで、今日になってやっと調子が戻ってきた。
こうして文章が書けるようになった。
思ったことが、そのままパソコンの画面上で、文章になっていく。
よかった・・・。
プラス、それが楽しい。

 旅行記をもう少しつづける。

 夕食は、よかった。
おいしかった。
調理人が本気で作っている・・・。
というより、真剣?
そんな感じがした。

ふつう、寿司は玉子焼きで、会席料理はそば料理で、評価が決まる。
玉子焼きのおいしい寿司屋の寿司は、おいしい。
同じように、会席料理では、そば料理で決まる。

 寿司屋のばあい、調理人の「味」と「腕」が試されるのは、玉子焼き。
一方、会席料理では、一番手抜きになりやすいのが、そば料理。
そのそば(日本そば)が、おいしかった。

●2時間

 夕食に、2時間もかかった。
のんびりと食べた。
で、今は、ワイフと長男は、テーブルの反対側でDVDを観ている。
私は、こうしてパソコンのキーボードを叩いている。
ときどきワイフと長男の笑い声が、フフフと聞こえてくる。
タイトルは、『人生は、奇跡の詩』。
イタリア映画らしい。

 ・・・というか、私は、かなり眠い。
食後はいつも眠くなる。
胃袋のほうに血が回ってしまう。
もともと低血圧ぎみ。
それで眠くなる。
しかしこうしてキーボードを叩いているほうが、私にとっては、楽しい。

●初夢

 ふと今、初夢のことを思い出した。

昔から、(もちろん迷信だが)、1月2日の朝に見る夢を、「初夢」という。
その夢が、その年の運勢を暗示するそうだ。

(しかしどうして1月2日なのだろう?)

で、私はすごい夢を見た。
今となっては、よく覚えていない。
が、すごい夢だったことは、たしか。
目を覚ましたとき、「すごい夢だった」と思った。
で、その直後は、内容を覚えていた。
が、どういうわけか、今は、覚えていない。
うっすらと覚えているのは、ハハハ・・・。
私がハリウッド映画に出てくるような、大富豪になった夢だったということ。

こういうありえない夢を見るから、人生もまた楽しい。
あるいは何かの映画のつづきだったかもしれない。
その映画の中に、私が俳優として、登場した(?)。
しかしどうしてそんな夢を見たのだろう。

●今年(2010年)の予想

 ついでに少し暗い話も。
今年の国際情勢を語るとき、不安な要素が、3つある。

(1)中国のバブルが、再びはじけるのではないかという不安。
(2)中東(イランvsイスラエル)が、火を噴(ふ)くのではないかという不安。
それにもうひとつ。
(3)アメリカの経済の底が抜けるのではないかという不安。

 中国のバブルがはじければ、日本の株価は、大暴落。
中東で戦争が始まっても、同じ。
中国のバブルが再びはじければ、(円)は一気に円高に向かう。
注目すべきは、上海B株。
この半年近く、上海B株は直線的に上昇しつづけている。
しかしこんな上昇がいつまでも、つづくわけがない。

 もうひとつ目が離せないのは、中東情勢。
イラン。
イスラエル、もしくはアメリカが、イランに対して軍事制裁、軍事行動に出たら最後。
原油価格は高騰し、米ドルは暴騰し、(円)は一気に円安に向かう。
こちらのほうは、「直撃」というよりは、ジワジワと日本経済に影響を与える。
「ジワジワ」といっても、1、2か月単位。

 さらにアメリカの経済の底が抜けたら、どうなる?
07年のあのリーマンショック、あるいはそれ以上の大波が、日本を直撃することになる。

 ・・・ということで、朝、パソコンを開いたら、私はまずこの3つの動きを、ニュース
で追いかける。
中国→イラン→アメリカ、と。

 現在の状況からすると、これら3つが、同時に起きる可能性すらある。
が、もしそうなったら、2年前のリーマンショックなど、そよ風のようなもの。
想像するのも、恐ろしい。
今は世界中が、薄い氷の上を、恐る恐る歩いているようなもの。

●隕石衝突

 ついでにもうひとつ。
 恐ろしいといえば、こんな恐ろしい話はない。
何と、巨大な隕石が地球をめざして、こちらに向かっているという。
直径は、350メートル前後とか?
地球に激突すれば、フランス1国分の土地が、焦土と化すという。
日本の内陸部に落ちれば、本州は2分、3分されるかもしれない。
そのまま日本全体が、日本海溝の底へと沈んでしまう可能性さえある。

 しかし心配無用。
我らには、ブルース・ウィリスという強い味方がいる。
映画『ハルマゲドン』で活躍したブルース・ウィリス。
彼が、何とかしてくれるはず。
・・・というのは、もちろん冗談。

●さびれた田舎町

 旅の話に戻る。

 今日は、先にも書いたように、蒲郡(がまごうり)で名鉄電車に乗り換えて、この西浦
までやってきた。
蒲郡もそうだったが、西浦も、さびれた田舎町(失礼!)。
活気がないというよりは、どの店もシャッターをおろしたまま。
西浦からの送迎バスの中から見たとき、こう思った。
「これはとんでもない所へ来てしまったぞ!」と。

 が、銀波荘へ一歩、足を踏み入れたとたん、様相は変わった。
ビンビンとした活気を感じた。
そこで一考。
どこの温泉街でも、メインの温泉旅館以外は、元気がない。
とくに周辺の商店街は、元気がない。
西浦温泉街のばあいも、ここに書いたように、ほとんどの店が、シャッターをおろしてい
る。
客がいないというよりは、客の趣向が変わった。
歩いて商店街を回る客は、いない。
みやげは、旅館やホテルの中で、買う。
旅館やホテルを抜け出て、遊びに行く人もいない。
まっすぐ目的の旅館やホテルへやってくる。
帰るときも、まっすぐそのまま帰る。

●批評

 しかしほめてばかりいては、いけない。
評論にならない。
いくつか注文というか、要望を書いてみる。

(1)無線LANを使えるようにしてほしい。
(2)持ち込みのDVDを、観られるようにしてほしい。
(3)和式部屋にも、ダブルサイズのふとんを用意してほしい。
 
 今どき、無線LANは常識。・・・と思う。
ちょっとぜいたくかな?

・・・ということで、西浦温泉旅行記はおしまい。 
やっと調子がもどってきた!

(補記)

 寝る前にもう一度、展望風呂に入ってきた。
体重計に乗ったら、何と2キロオーバーの、62・5キロ!
昨日の朝は、60・5キロだったはず。
ギョッ!

 明日の朝は、どうやら食事抜きになりそう。
今夜の食事は、たしかにおいしかった!

 また来ます、銀波荘さん!

(西浦温泉の写真、ビデオは、私のマガジンと、YOUTUBEのほうで紹介しておきま
す。)

(はやし浩司 育児 子育て 評論 育児論 子育て論 教育 教育論 教育評論 はや
し浩司 最前線の子育て論 子供 子ども 子どもの問題 育児評論 はやし浩司 旅行
記 西浦温泉)

(付記)
 本気かどうかということは、たとえば、(1)浴場の中で、小鳥のさえずるBGMが流れ
ていたとか、(2)頼んだ夕食や朝食の時間について、1分単位で正確だったことをいう。
その(本気さ)が、旅館のサービスの質を決める。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【老後の喪失感】

●喪失感

 老後というのは、喪失感との闘いと言ってもよい。
(喪失すること)に敏感になる。
(喪失すること)を恐れる。
健康、時間、金銭など。
同時に人間関係も。
だから喪失感と闘う。

 その喪失感が、ときとして被害妄想につながる。
さらにひどくなると、精神そのものを病む。
これがこわい。
こういうとき人は、何か理由をこじつけて、他人に怒りをぶつけたりする。
「だれだれが、~~したから、こうなったア!」と。

 しかし本当の理由は、自分自身の中にある。
自分自身の遺伝子の中にある。
それを、自分以外の人にぶつける。
こういうのを心理学の世界でも、「転移」と呼んでいる。
わかりやすく言えば、「八つ当たり」。

●過去における喪失感

 この喪失感には、2種類、ある。
(1)未来に対する喪失感。
(2)過去に対する喪失感。

 わかりやすい例で、考えてみよう。

 「やがてぼくも、ヨボヨボになるのか」と心配するのが、未来に対する喪失感。
一方、「あのとき、あいつがああいうことをしたから、ぼくは、損をした」と考えるのが、
過去に対する喪失感。

 若いときには、いろいろな取引で、毎月のように、100万円単位で、損をしたり、得
をしたりしていた。
だから数百万円の損失など、何でもなかった。
が、今は、そうでない。
損をしたことに敏感になる。
そればかりか、それが心の中で、勝手に膨(ふく)らんでくる。
「あいつのおかげで、ぼくは、xxx万円も損した」と。

 もう少しわかりやすい例では、こんなことがある。 
ある女性は、あるとき夫にこう言って、泣き叫んだという。
「私の人生は何だったのよ!」「私の人生を返して!」と。
これもここでいう過去における喪失感ということになる。

●母のばあい

 さらに晩年の母は、温泉へ入るのをいやがったという。
姉からそういう話を聞いたことがある。
理由をたずねると、「自分の体(=肉体)が、みすぼらしいから(=恥ずかしいから)」と。

 また毎週のように、ひざの治療のため、病院に通っていた。
が、一向にひざは、よくならなかった。
それについて母は、「どうして治らない!」と、医者に向かって怒っていたという。

 これは当時80歳を過ぎていた、母の話である。
しかし私たちもすでに同じようなことを、し始めている。
それがここでいう喪失感との闘いということになる。

●敗北感

 この先、私たちは、どんどんと、失っていく。
いやおうなしに、失っていく。
どんどんと失って、最終的には、ゼロになる。
煙となって、この世から消える。
私の母にしても、あれほどまでに、モノとお金に執着した人だったが、死ぬときは、数枚
の浴衣と身の回りの道具しかなかった。
それがすべてだった。

 だれでもそうなる・・・というよりは、私たちはみな、その過程の中にいる。
が、それを認め、納得し、受け入れるのは、たいへんむずかしい。
「負け」を認めることに等しい。
あるいはときにそれは、そのまま自己否定につながる。
「いったい、私は何のために生きてきたのか?」と。
さらには、「私の人生は、無駄だったのか?」と。

●闘い

 だから闘う。
闘うしかない。
それは若い女性が、年齢を気にしながら、化粧に精を出す姿に似ている。
若さを保つとしても、本当のことを言えば、化粧して、ごまかしているだけ。
30歳の人は、25歳に見られることを喜ぶ。
が、同じ人でも、35歳になれば、30歳に見られることを喜ぶ。
「だったらはじめから、30歳らしく、あるいは35歳らしく生きればいい」と私は思う。
むなしい闘いだが、本人は、そうは思っていない。
懸命に(?)、年齢と闘っている。

 かく言う私だって、そうだ。

 もっとも私は、年齢は気にしない。
何歳に見られようが、どうということはない。
しかし健康、気力、脳みそ、などなど。
それは気になる。
が、今さら「増進」ということは無理。
それはよくわかっている。
だから「維持」ということになる。
「できるだけ、今の状態を保ちたい」。
そのための闘いということになる。

●郵便番号
 
 ところで今、恐ろしいこと(?)が起きた。
自宅のある入野町の郵便番号が、即座に頭の中に出てこなかった。
???。
ド忘れ?
それともボケの始まり?
一瞬、ゾーッとした。

 もっともここ数年、頭の中は数字だらけ。
パソコンを相手にしていると、パスワードに始まって、IDナンバーなどなど。
それが20ページもあるファイルに、ぎっしりと書き込まれている。
そこであれこれほかの数字を思い浮かべてみる。
携帯電話の番号、3本の電話番号などなど。
ついでに銀行の口座番号、証券会社のパスワードなどなど。
これらは覚えているが、郵便番号の432-806xの、「x」が、わからない。
「4」だったか?
「2」だったか?
「1」だったか?
これはどうしたことか?

 ・・・というような闘いを、日常的に繰り返すようになる。

●財産

 が、財産については、結論が出ている。
数年前から、ワイフとこう話しあっている。
「死ぬまでに、ぼくらの財産は、ぼくらで使い切ろう」と。

 たとえば土地と家は、それまでに売って、どこかの施設に入るときの資金にする、とか
とか。
考えてみれば、私の人生は、一方的に(取られるだけの人生)だった。
親に取られ、親類に取られ、そして息子たちに取られ・・・。

「息子に取られる」という言い方は、適切ではないかもしれない。
しかし私たちの時代に生きた者は、親に貢(みつ)ぐことを当然と考えていた。
が、今の若い人たちには、そういう発想は、みじんもない。
結婚式の費用はもちろん、そのあとの生活費まで、親に援助してもらっている。
中には、子どもの養育費まで、親(=祖父母)に援助してもらっている人さえいる。
だから、つまり一方的なままだから、「取られる」という発想につながる。

 もちろん私の息子たちにしても、そういう発想は、みじんもない。
「老後の親のめんどうをみる」という発想すら、ない。
たがいに会話をしていても、それがよくわかる。

 だからここは私たち自身が、クールになるしかない。
それが先に書いた、「使い切る」という結論に結びついていく。

●脳みその健康

 残るは健康ということになる。
ただ誤解しないでほしいのは、こう書くからといって、「長生きをしたい」ということでは
ない。
死ぬのはこわい。
が、だからといって長生きをしたいわけではない。
またそのために健康を維持するのでもない。

 『ただの人』(ハイデッガー)のまま、老後を生きながらえたとしても、それにどういう
意味があるというのか?
「生きる」ことは、「息(いき)る」ことではない。
息(いき)ているだけの人生なら、早く死んだほうが、まし。
となると、やはり、脳みそということになる。
脳みその健康ということになる。

 これについては何度も書いてきたが、2つの意味がある。
(1)思考力の維持。
(2)脳みその健康の維持。

 思考力の維持はわかりやすい。
つまり考える力のこと。
ボケるのは、いやだ。
が、本当にこわいのは、「脳みその健康」。

とくに私のばあい、うつ病の心配がある。
今のところまだ、医者の世話にこそなっていないが、それも時間の問題。
どうすれば脳みその健康を維持できるか。
晴れ晴れとした気分で、毎日を楽しく、愉快に過ごすことができるか。
「それが問題」(That is a question)。

●432-8061

 今、思い出した。
郵便番号は、「432-8061」だ。
が、どうして先ほど、その数字が、頭の中に出てこなかったのだろう?
???
その部分を格納していた神経細胞が、たまたま死滅したのかもしれない。
何しろ、毎日20万個前後の神経細胞が、死滅している。
あるいは微細脳梗塞が起きている可能性もある。
ときどき寝ていて、寝返りをうったようなとき、ギリギリとはげしい神経痛が走ることが
ある。
今朝も一度、あった。
そういうとき、同時に脳の中のこまかい血管が破れているのかもしれない。
(これは私の勝手な憶測。)

 あまりにも当たり前な数字だから、そのようにしか考えていなかった。
ワープロの中では、辞書として登録してある。
「じゅうしょ」と打ち込むと、自動的に、郵便番号+住所が表記される。
一方、携帯電話の番号は、ゴロ合わせを使って覚えている。
だから忘れない。

 しかしそれにしても、ゾッとした。

●認め、納得し、受け入れる

 この先、喪失感との闘いは、ますますはげしくなる。・・・なっていくだろう。
同時に、先にも書いたように、それを認め、納得し、受け入れていく。
そういう心理的操作も必要となってくる。

 当然、自分がキズつくことも多くなってくる。
だまされたり、裏切られたり・・・。
(そういう点では、私は、ボロボロ?)
が、キズつかないように生きる・・・つまりケチな生き方をするというのは、私流ではな
い。
大切なことは、キズに対して免疫性をもつこと。
もっとはっきり言えば、私のワイフがいつも言っているように、「相手に期待しないこと」。
へたに期待するから、キズつく。

 考えてみれば、老後を生きるということは、そういうことかもしれない。
つまり「認め、納得し、受け入れる」ということは、ボロボロになること。
ボロボロになることを、恐れないということ。

 それが老後の喪失感と闘う、ゆいいつの方法ということになる。

(はやし浩司 育児 子育て 評論 育児論 子育て論 教育 教育論 教育評論 はや
し浩司 最前線の子育て論 子供 子ども 老後の喪失感 はやし浩司 老後論 老後の
生き方 ボロボロの人生 西浦温泉 銀波荘にて)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●冬休み(報告)My Winter Holidays

++++++++++++++++

12月29日から、1月6日まで、
冬休みをもらった。
その間、いろいろなことがあった。
いろいろなことを考えた。

++++++++++++++++

●暇(ひま)

 学生のころ、こんなことがよくあった。
定期テスト期間中になると、いつも、こう考えた。
「定期テストが終わったら、映画を観に行こう」
「定期テストが終わったら、旅行に行こう」と。

 しかし実際、定期テストが終わってみると、そこにあるのは、疲労感。
それがそこにドカッと居座っている。
映画を観に行く気力もなければ、旅行に行く気力もない。
(もちろんそのお金もなかったが・・・。)

 同じように、冬休みになる前から、私はこう考えた。
「思う存分、文章を書いてやろう」
「新しいパソコンを使いこなしてやろう」
「映画をたくさん観てやろう」と。

 しかし実際、冬休みになると、心の中にポカリと穴があいてしまう。
何をしてよいか、わからなくなる。
しかしこの「穴」は、いったい、何なのか?

●自責

 私はワーカホリック(=働き中毒者、workaholic)。
そんな人間に、休みは、つらい。
休みになったとたん、どう自分を調整したらよいか、わからなくなる。
生活の中から緊張感が消える。
消えたとき、邪念、雑念、それに妄想がわいてくる。
「何をしてもいい」と考えれば考えるほど、ぼんやりとした時間だけが過ぎていく。
が、その一方で、「これではいけない」と、別の私がせきたてる。

 それが私をイライラさせる。
ささいなことで、ピリピリとする。
同時に、自分が用なしになってしまったかのような、さみしさを覚える。
だれにも相手にされない。
だれにも気にされない。
私は価値のない人間、と。

●12月31日

 今年の正月は、さみしい正月だった。
ワイフと長男と私だけ。
この3人だけで正月を迎えた。

 二男はアメリカ。
三男は嫁さんの家で年越し。
私の家に嫁さんがあいさつに来るのではなく、息子が嫁さんの家にあいさつ、だぞ!
(こういうことは私の常識では考えられない。)

 が、ワイフは、「あなたは古い」とか、「あなたは期待しすぎるのよ」とか言って、私を
責める。
私は古いのか?
私は期待しすぎるのか?
「みんな養子に行ったようなものだなあ」とこぼすと、それを聞いて、長男がキレた。
「俺が、E(三男)に、電話で怒鳴りつけてやる!」と。

 それを2度、3度、私が止めた。
「あんなヤツ、ほっとけ!」と。

 ・・・ということで、12月31日は、我が家は大揺れに揺れた。
その余波もあって、1月1日も、憂うつ。
午後になってやっと、行動する気力が生まれた。
・・・というか、午後まで、寝正月。

●重い天井

 用なしなら、用なしで、構わない。
それ以上にこわいのは、用なしを感じたとたん、その先に老後が見えてくること。
老後といっても、もちろん、ロマンチックな老後ではない。
特別養護老人ホームで過ごすような老後。
ひとり住まいで、ヨボヨボと生活するような老後。
そういう老後に、自分の未来像がダブる。

 暗くて重い天井が、上のほうからズシリとおりてくる。
いや~な老後。
仕事をしているときは、そういう天井は感じない。
感じても、それを忘れることができる。
が、暇になったとたん、このザマ。

 そんな状態で、休暇を楽しめと言われても困る。
そういう私を横で見ながら、ワイフは何度も、こう言った。

「あなたはあなたで、息子たちのことは忘れて、やりたいことをやればいいのよ」と。

●パソコン

 そんなわけで、正月にしたことと言えば、パソコンをいじっただけ。
新型のパソコンも、順調に動き出した。
あとは、新型のプリンターを備え付けるだけ。
それはもうすぐ届くはず。

 肝心の原稿のほうは、ほとんど書いていない。
書いていないというか、書けなかった。
何かと気分が悪かった。
(今も、晴れ晴れとした気分ではないが・・・。)
そんなわけで、今年はまだ年始のあいさつに、どこへも行っていない。
・・・というか、心はかなり回避性障害に陥っている。
人に会うのがわずらわしい。
めんどう。
苦痛。

 ふだんならこういうときは、生徒たちの声を聞けば治る。
仕事をすれば治る。
が、その声がない。
だからよけいに気が滅入る。

●退職

 定年退職した人は、こういうときどうやって、自分をコントロールしているのだろう。
ふと、そんなことを考える。
冬休みどころか、そのまま死の待合室に入ってしまう。
精神も肉体も、それに脳みそも、不可逆的に悪くなる一方。
鍛えれば多少は改善するようだが、それとて、下り階段の踊り場で、足踏みをするような
もの。
よけいなことだが、退職した友人たちが気になる。
1人、「今年の3月で、仕事をやめる」と年賀状に書いてきた人がいた。
それだけしか書いてなかったから、気持ちはわからない。
彼はそれを喜んでいるのだろうか。
それともさみしく思っているのだろうか。

 どうであるにせよ、私はそれを読んで、こう思った。
「仕事をやめてはいけない!」と。
「仕事をやめたら、今の私のような状態になってしまう!」と。

 もっともそう書いてきた友人は、大手の機械会社に勤めていたから、年金もじゅうぶん
ある。
生活の不安は、ないらしい。
しかし・・・?

●お金の流れ

 私たちは、(私だけかもしれないが・・・)、仕事がなくなるのがこわいのではない。
(お金の流れ)が止まることがこわい。
額の問題ではない。
お金が動いている間は、そこから活力が生まれる。
仮に今月赤字になっても、「来月、がんばればいい」とか、「来月の支出を減らせばいい」
とか、そんなふうに考えることができる。

 言うなれば、川の水のようなもの。
仕事がなくなれば、川の水が止まる。
止まったとたん、そこでよどむ。
腐る。
それがこわい。

 だから毎月~~万円の年金があるから、それでよいという問題ではない。
私たちが望むのは、生きがい。
夢と希望。
それに目的。
 
 生きる目的を失ったら、・・・それこそ、そこは死の待合室!

●プリンター

 で、今日は1月の4日。
先に書いたように、もうすぐ新型のプリンターが届くことになっている。
パソコンとモニターを取り換えたので、ついでにプリンターも取り換えることにした。
エプソンのオート・フィーダー(自動原稿送り装置付き)のにした。
このプリンターを使えば、いままで1枚ずつスキャンしていた原稿を、まとめてスキャン
できるようになる。
作業が楽になる。

 私のばあい、プリンターとして使うことよりも、スキャナーとして使うことのほうが多
い。
だからそういう機能はありがたい。
本当はカラーのレザープリンターにしようかとも迷ったが、レザープリンターには、スキ
ャナー装置がついていない。
それで複合プリンターにした。

 またプリンターは、エプソンと決めている。
C社のも、何台か使ったことがあるが、当初、故障がつづいた。
それでいつの間にか、エプソンになった。
使い勝手も一貫性があって、使いやすい。

●温泉

 とにかくやるしかない。
生きていくしかない。
死ぬこともできない。
だから生きていくしかない。
がむしゃらに生きていくしかない。

 ああ、それにしても、休みはいやなもの。
気が滅入る。
調子が狂う。
何を考えても、憂うつになる。

 そう言えば、ワイフが昨夜、こう言った。
「X日に、近くの温泉へ行ってみない?」と。
以前行ったことのある、山の中の温泉である。
「今からでも、予約は取れるだろうか」と話すと、「仕事が始まれば、旅館もすいてくるわ
よ」と。

 あとで調べてみよう。

●ふまじめの勧め

 要するに、私はまじめすぎる。
それが自分でもよくわかっている。
まじめすぎるから、ものごとを、ガチガチに考えてしまう。
憂うつになる。
だからこう考えた。
決心した。

「もっと、ふまじめになってやろう」と。

 休暇というのは、ふまじめになること。
ふまじめにならなければ、休暇など、過ごせない。
休暇の意味や目的を考えても、どうしようもない。
やりたいことをそのつど見つけ、チャランポランに生きていく。
しかしそう気がつくころには、休暇は終わっている。

 何とまあ、皮肉なことよ!

・・・ということで、冬休みの報告、おしまい。
これから朝食をとり、プリンターが届くのを待つ。

 ところで疑問。
プリンターが3万4000円というのは、わかる。
しかしどうしてインクが6色セットで、6000円弱もするのか?
インクが高すぎる!
何とかならないものか!

(1月4日記)


Hiroshi Hayashi++++++++Jan.2010+++++++++はやし浩司

●大脳新皮質でも、新たな神経細胞(09・12月)

+++++++++++++++++++++++

『高度な脳機能をつかさどる大脳新皮質で、
おとなになっても新たな神経細胞が生み出される
ことがわかった」(中日新聞)という。

発表したのは、藤田保健衛生大(愛知県豊明町)の
研究チーム。

こういう話を聞くと、それがどういうものであれ、
希望がわく。
神経細胞は、数が決まっていて、加齢とともにその
数が減少していくというのが、今までの定説だった。
またそうであるからこそ、私たちの人格、性格、性質は、
生まれてから死ぬまで、一貫性を保つことができる。
が、もし新たなる神経細胞が生み出されるということに
なると、今までの常識が、ここでひっくり返ることになる。

ウ~~ン!

+++++++++++++++++++++++

●少しは生まれる?

 新聞記事をそのまま紹介させてもらう。

『・・・脳はいったんできあがると、新たな神経細胞ができにくくなる。記憶の形成にかかわ
る海馬(かいば)では、おとなになっても、神経細胞がつくられることが知られているが、
意識や思考をつかさどる大脳新皮質で神経細胞がつくられているかどうかは、議論がつづ
いていた』と。

 が、今度の発見では、『神経細胞を生み出す神経前駆細胞が、大脳新皮質部にあることが』
見つかったという。
もっともこれだけで、「年をとっても、新たな神経細胞がどんどんと生まれる」ということ
にはならない。
「少しは生まれる」ということか。

●生まれればよいということでもない

 新しい神経細胞が生まれるということは、よいことばかりではない。
仮にどんどんと新しい神経細胞が生まれたとすると、しばらくするうちに、脳の中は満杯
になってしまう。
頭蓋骨の大きさには、限界がある。
ということは、古い神経細胞は、余儀なく、棄て去られるということになる。
もしそうなったら、新しい神経細胞に、新しい記憶や知識が詰め込まれるのはよいとして
も、古い神経細胞が蓄えていた、古い記憶や知識まで、どんどんと棄て去られることにな
ってしまう。

 そうなると、記憶や知識だけではなく、その人の人格、性格、性質まで、変化するとい
うこともありえる。
たとえばAという犯罪者がいたとする。
人を何人も殺した凶悪犯である。
が、そのAにしても、数年後に、脳みその中が入れ替わってしまったとしたら・・・。
はたして私たちは、そのAを法的に罰することができるだろうか・・・ということになる。

 が、新しい神経細胞は、生まれない。
だからこそ、20年前、30年前に知り合った人と話をするときも、昔のままの状態で、
話をすることができる。

●毎日、20万個!

 そこでこう考えたら、どうだろう。
神経細胞は、毎日20万個単位で減少しているという。

 『・・・人間の大脳皮質に含まれる神経細胞数は約140億個といわれています。それが、
20歳をすぎると毎日20万個ずつ壊れて、減少していくといわれています。

1年間で約7000万個、10年間で7億個、100年間70億個・・・すなわち、健康でも
120歳になると大脳の神経細胞数は半分の70億個になるわけです』(こころのクリニッ
ク・HPより)と。

だったら、新しい神経細胞で、それを補うことはできないか、と。
さらにアルツハイマー病の患者のように、神経細胞そのものが、極端に減っていくような
人の治療にも、応用できるかもしれない。

●使い方の問題

 ところが、である。
日常生活の中で、実際に使われている神経細胞というのは、少ない。
たとえば今、この文章を読んでいるあなたにしても、(また書いている私にしても)、実際、
使っている神経細胞は、何万分の1とか、何十万分の1でしかない。
残りの何十万倍もの神経細胞は、いわゆる休止状態にある。
(「休止」といっても、脳の裏方で活動しているので、まったくの休止状態というわけでは
ない。)

 つまり仮に神経細胞が半分になったとしても、残った神経細胞をうまく使えば、それま
でどおりの生活は、維持できるかもしれない。
このあたりのことを大脳生理学者たちは、どう考えているのか。
つまり「量」ではなく、「使い方」の問題。
興味がどんどんとふくらんでくる。 

●神経細胞の移植

 そこでまたまたふと、こんなことを考える。
もしX氏の神経細胞を、少し切り取って、Y氏に移植したら、どうなるか、と。
そのときX氏の神経細胞が、Y氏の他の神経細胞とうまく融合して、Y氏の神経細胞とし
て機能すればよし。
しかし理屈で考えるなら、そういうことはありえない。
Y氏の脳の中に入ったX氏の神経細胞は、X氏の記憶や知識、ついでに性格や性質をも保
持したままになるはず。
となると、Y氏は、自分の脳の中に、別の人格をもった別の人間といっしょに暮らすこと
になる。
移植した量が多ければ多いほど、そうなる。

 ・・・と考えていくと、やはり、神経細胞の移植は、ありえないということになる。
つまり新しい神経細胞を作り出すということには、そういう問題も含まれる。

 ボケたままでも、元の人間のほうがよい・・・ということになる。

 研究チームの大平耕司助教は、こう述べている。
『てんかんや統合失調症などの新治療法の確立にもつながる』と。
まずはそのあたりからスタートということになりそうである。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hay
ashi 林浩司 BW はやし浩司 神経細胞 ニューロン 毎日20万個 大脳新皮
質 海馬 思考と意識)


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                      
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m~= ○
.       ○ ~~~\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。