2010年1月19日火曜日

*There left onlu us.

●BLOGタイトル最前線の子育て論byはやし浩司

【老化と健康】

+++++++++++++++++

今日、市内のKホテルで、昔の知人が
講演をすることになっていた。
若いころ、同じ私塾連盟で活躍していた
知人である。
ちょうど時間があいていたので、足を
運んでみた。
そのときのこと。
講演の前の立ち話だったが、昔の知人
たちの消息を聞くことができた。
「Kさんは・・・」「Sさんは・・・」と。
いろいろ話してくれた。

話を聞いて、時代の流れというか、
(あのころ)が、遠い昔に消えてしまった
ように感じた。

+++++++++++++++++

●「私だけは・・・」

 この年齢(満62歳)になってみると、それがよくわかる。
それが幻想だったということが、よくわかる。
つまり若いときは、みな、こう考える。
「私だけは、だいじょうぶ」と。
しかしそれは幻想。
ただの幻想。
今、この文章を読んでいる若い人たちが、もし「私だけは、だいじょうぶ」と思っているとしたら、それは幻想でしかない。
あなたも確実に老齢期を迎える。
あなたも確実に、あちこちの体の不調を訴えるようになる。

●「G研」

 「G研」という、私塾連盟があった。
現在は休眠状態になっているらしいが、しかし当時は、先端的な活動をしていた。
「日本の教育は、私たちが背負っている」という、燃えるような、(けっして大げさなことを書いているのではない)、そういった自負心もあった。
毎月のように定例会を開き、会場も、東京を周辺とした、ホテルや旅館が選ばれた。

 私もときどき、そういった会に顔を出させてもらった。
今にして思うと、すばらしい連盟だった。
会員も、200名を超えていた。
はげしい議論もした。
喧嘩もした。

 が、今日、知人に話を聞くと、主だったメンバーは、たいはんが引退したという。
A氏は、腰を痛めて、歩くこともままならない。
Bさんは、脳梗塞を起こしてしまった。
C氏は高血圧で、動けなくなってしまった、と。

●血気盛ん

 もし当時の・・・、今から20年前後前のことだが、当時の私たちを知っている人がいたら、こう思うだろう。
「この人たちに、老後などあるのだろうか?」と。

 もっともだれも老後のことは考えていなかった。
テーマにも、ならなかった。
みな、血気盛んで、やる気満々だった。
そこにあるのは、明日という未来だけ。
で、みな、内心では、こう思っていたにちがいない。
「オレたちは、70歳になっても、80歳になっても、今のまま」と。
中に、「オレたちには、定年退職などというものはない。それがうれしい」と言った人もいた。

●斜陽産業

 が、この世界にも、冬の空風(からかぜ)が吹くようになった。
大手進学塾による寡占化と、チェーン店(あえて「店」と書く)が始まり、弱小塾は、つぎつぎと閉鎖に追い込まれた。
それから10年を待たずして、つまり今から10年前後を境にして、知人たちは、つぎつぎと塾を閉じ始めた。
少子化と不況が、さらに追い討ちをかけた。

 その結果が、今。
今度は、老齢という問題がそれに加わった。

●ボケる頭

 肉体が不可逆的に老化するように、脳みそも、不可逆的に老化する。
これはどうあがいても、避けようがない。
それがわからなければ、あなたの周囲の老人たちを見ればよい。

 「私だけは、だいじょうぶ」と思っている(あなた)にしても、50歳になれば、ああなる。
60歳になれば、ああなる。
70歳になれば、ああなる。
それは可能性の問題ではない。
確実性の問題である。

●ある日突然

 「老化」は、徐々にやってくるのではない。
段階的に、ストン、ストンとやってくる。
しかも体というのは、まったく予想外のところから、崩れ始める。
ある日突然、通風になった。
ある日突然、腰が回らなくなった。
ある日突然、顔面の神経が切れた、と。

 そしてそれがきっかけで、それが持病化する。
慢性化する。
運が悪ければ、重病を患うこともある。

●希望

 が、希望がないわけではない。
ときどき私の周囲にも、こんな人がいる。
80歳をすぎても、かくしゃくとし、元気に飛び回っている人たちだ。
先日もテレビを見ていたら、外国人だったが、84歳にもなって、年末の第九を指揮していた人がいた。
そういう人たちを見ると、「私も・・・」と思う。
またそれが明日への希望へと、つながる。
「私もがんばれば、80歳を過ぎても、仕事がつづけられる」と。

 しかしそれはちょうどヘビースモーカーの人が、たまたま別のヘビースモーカーの人を見て、希望を抱くのに似ている。
「あの人はヘビースモーカーだが、70歳を過ぎても元気だ。だから私もだいじょうぶ」と。
が、実際には、ヘビースモーカーの人たちの末路は、例外なく、きびしい。
60歳を過ぎるころになると、つぎからつぎへと病気を併発するようになる。
明らかに脳みその働きも悪くなる。
かったるい話し方をするようになる。

 つまりここでいう(希望)もまた、ただの(幻想)でしかない。

●孤立感

 ところで先日、私は、突然聴力を失うという病気になった。
幸い、その翌日には、かなり回復した。
が、元通りになったわけではない。
薬をのんでいるときは、たしかによく聞こえる。
しかし今は、その反作用というか、その反動というか、薬の効きがなくなった分だけ、聴力はたしかに低下したように感ずる。

 私はひょっとしたら、このまま聾唖者になってしまうかもしれない・・・。

 そういった不安がないわけではない。
もう少し正確に表現すれば、「将来への不安」。
が、それだけではない。
その不安が、別のところで「孤立感」を生み出す。
自分の中にあって、だれとも共有できない部分。
それが孤立感となって、上から私にのしかかってくる。

●健康づくり

 実のところ、私も若いころは、・・・たった5~10年前まで、そうだったが、「私だけは、だいじょうぶ」と考えていた。
そのころのエッセーでも、よくこう書いていた。
「私は75歳まで働く」と。

 もちろんその前提として、「健康であれば・・・」という条件がついた。
が、今は、それが変わりつつある。
自信が薄らいできた。
「私は75歳まで働く」が、「できるかぎり、つづけたい」と。
「健康であれば・・・」が、「病気にならなければ・・・」と。

 こう書くと、「だからはやし浩司(=私)は、何が言いたいのか?」と思う人もいるかもしれない。
そう、その通り。
私は、何かを言いたいために、このエッセーを書いているのではない。
どのみち、私も、ああなる。
この文章を読んでいる(あなた)も、ああなる。
不可逆的に、ああなる。

 道路をトボトボとあるいている老人、にである。
この問題だけは、どうしようもない。

 だからあえて余計な節介をする。
今からでも遅くないから、もしこの文章を読んでいるあなたが若いなら、健康づくりを始めたらよい。
その(ありがたさ)は、今は、わからないかもしれない。
しかしその年齢になると、それがわかる。

●健康づくりは、習慣の問題

 が、ここで誤解してはいけないことがある。
「健康」というのは、「習慣」の問題ということ。
習慣で決まる。
その習慣があれば、それでよし。
が、その習慣がなければ、あなたはかなり早い時期に、ああなる。

 で、習慣とは何か?

 毎日、1~2時間は歩いている。
毎週、コースを回っている。
毎月、歩こう会に参加している、など。

通勤のとき、毎度、自転車に乗るというのも、そのひとつ。
そういった習慣があれば、よし。
そうでなければ、そうでない。
つまりその習慣が、健康を維持する。

●青い空

 青春時代の青い空も、「青い空」。
私がこの年齢になって見る、青い空も、「青い空」。

 たぶんこの文章を読んでいる、(あなた)は、私たちが見る青い空は、ずいぶんとくすんだ色の空にちがいないと思うかもしれない。
しかし年齢という(数字)ほど、いいかげんなものはない。
数字で、その人を見てはいけない。

 今の私にとっても、青い空は、「青い空」。
若いころ見た青い空と同じ、「青い空」。
つまり私の今の状態は、20年前、30年前の私。
言い換えると、あなたの20年後、30年後は、今のまま。
その今のままで、20年後、30年後を、想像してみてほしい。
あなたは今のまま、年齢だけは、60歳。
70歳でもよい。

●80歳になっても、変わらない

 つまり老後という未来は、けっして遠い未来のことではない。
まさに「今」が、その「老後」と考える。
またそう考えることによって、自分の老後への見方を変えることができる。
「ジジババになって、病気になるのはしかたない」とか、「ジジババになったら、私はサッサと死ぬからいい」とか、そんなふうに考えてはいけない。
私のワイフも、ときどき、新聞の(お悔やみ欄)を見ながら、こう言う。
「この人は、95歳だって。しかたないわね」と。
しかしこれほど、残酷な言い方はない。

 今のあなたが、「病気になるのはしかたない」とか、「サッサと死ぬからいい」とか、そんなふうに考えられないのと同じように、私たちも、そうは考えられない。
この状態は、私が70歳になっても、80歳になっても変わらないだろう。
青い空は、やはり青い空。
朝起きてみると、そこにある。

今は、まだ若いから、それがわからないかもしれない。
しかしあなたも、いつかそれがわかる。
「私の考え方は、まちがっていた」と。

●維持

 健康とは、維持するもの。
同じように、命というのは、維持するもの。
作るものでもなければ、守るものでもない。
維持するもの。

 もし今、あなたが健康なら、それを維持することだけを考えればよい。
あるいはどうすれば維持できるか、それだけを考えればよい。
作るなんて、とんでもない。
守ろうとして、守れるものでもない。
私たちができることといえば、せいぜい、それを維持すること。
消極的な言い方かもしれないが、健康とは、もともとそういうもの。
命というのは、そういうもの。
青年期の絶頂期を頂点とするなら、あとはそこから否応なしに、衰退していく。

●励み

 もちろん私も、いつまでも健康でいたい。
できれば長生きもしたい。
が、本当のことを言うと、先にも書いたように、その自信が薄らいできた。
しかし、こうも考える。
できるかぎりがんばって生きてみよう、と。

 それは自分のためというよりは、できるだけ多くの人に、希望を与えるためと考えている。
同年齢の人たちの中には、今の私のようにがんばっている人も多い。
そういう人たちが、心のどこかで共鳴しあい、それが励みになればよい。
あるいは若い人たちのための、励みになればよい。
ともかくも、私はがんばって、生きてみる。
どこまで生きられるかわからないが、がんばって生きてみる。
(こう書きながらも、明日あたりに、ポックリと死ぬかもしれないが・・・。)

●最後に・・・

 知人との会話は、ほんの数分の、立ち話程度のものでしかなかった。
しかしその知人の言う、一言一句が、ズシン、ズシンと、私の胸の奥に響いた。
最後に、かつての恩師のIK先生の話を聞こうと思ったが、知人は、足早に講演会場へと消えていった。

 私は、それを静かに見送った。
そう、言い忘れたが、その知人も、以前の面影だけはどこかに残していたが、すっかりジーさん顔になっていた。
まちがいなく、その知人も、私の顔を見て、そう思ったことだろう。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 老人と健康 健康論 健康法 老人の心理 老人心理)


Hiroshi Hayashi++++++++Jan.2010+++++++++はやし浩司

●パソコン快調

 WINDOW7が、きわめて快調に動作している。
ハードディスクも、高性能のものに取り替えた。
言うことなし!

 こういうときというのは、どんな作業をしていても、気持ちよい。
楽しい。
サクサクと仕事が、はかどる。
つまり私とパソコンとの信頼関係が、できあがった。
少し前のように、突然、ファイルがどこかへ消えてしまうようなことはない。
またハードディスクを高速なものに換えたこともある。
ショップの人は、「体感速度はそれほど変わりませんよ」と言った。
しかしそれでも、高速になったように感ずる。
とくにファイルの読み出しや保存のときに、それを感ずる。

(プロセッサ、メモリー、グラフィックスのパフォーマンス評価は、7・7~7・9。
しかしハードディスクだけは、5・9。
だから、サブスコアは、5・9のまま。)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●2人ぼっち(30年後の息子たちへ)

気がついたら、お前がそこにいた。
お前しか、そこにいなかった。
それを言うと、ワイフは、こう言った。
「そうね、あなたには私しかいないわね」と。
ぼくは、すなおにそれを認めた。

父親というのはそういう存在なのかもしれない。
ぼくだけが、そうというのでもないだろう。
ぼくも、自分の父親が嫌いだった。
いやだった。
そうした男子の心理を、あのフロイトも、「血統空想」という言葉を使って、説明している。
父と子の関係のむずかしさを、説いている。

ぼくは父親と言いながら、心の中では息子たちに依存していた。
心のより所にしていた。
しかし息子たちの心は、ぼくからとっくの昔に離れていた。
が、ぼくはその幻想を捨てることができなかった。
「まだ何とかなる」という希望だけは、捨てなかった。
しかし、ぼくも、その幻想を捨てるときがやってきた。
それをワイフに話すと、ワイフはこう言った。

「あなたは、いつもやり過ぎるのよ。
だからキズつくのよ」と。

きびしい言い方をするかもしれない。
しかし息子たちは息子たちで、生きていけばよい。
苦労すればよい。
もうぼくの知ったことではない。
このクールさ。
ニヒリズム。
ぼくに欠けていたのは、まさにそれだった。

嫌われているとわかっていても、息子たちにすり寄っていった。
それが息子たちには、かえって苦痛だった。
わかってはいたが、ぼくには、どうしようもなかった。
ぼくは、昔からさみしがり屋。
ひとりでは生きていかれない。
自分でそう思いこんでいた。

が、最後の望みも断たれた。
切れた。
何という絶望感。
空虚感。

つい数か月前も、息子の1人が車がほしいと言った。
ぼくたちは、そのとき、H社のハイブリッド車に買い換えるつもりだった。
が、そのお金を、息子に渡した。
その話を義兄に告げると、義兄はカラカラと笑って、こう言った。

「浩司さん、あんたも親バカだね。
感謝なんか、されないよ。
あんたの家を出るとき、息子さんは、『ヤッター!』と言って、歓声をあげたはず。
あのね、もう一円も出してはだめ。
息子さんを、かえってダメにしてしまうよ」と。

オーストラリアの友人も、同じころ、同じように言っていた。
「ヒロシ、息子に金を渡してはだめだ」と。
ぼくは、その親バカだった。
「ぼくだけは・・・」、
「ぼくの息子たちだけは・・・」と、その幻想にしがみついてきた。

気がついてみたら、そこにワイフがいた。
ワイフしかいなかった。
「これからは、ぼくたちはぼくたちで、楽しくやろうね」と。
そう言うと、あのワイフが、うれしそうに笑った。

「お前は、ぼくを裏切らないよね」と言うと、さらにうれしそうに笑った。

これはぼくだけの問題ではない。
「父親」と呼ばれる人たちが、総じて経験する人生の悲哀と断言してもよい。
母子関係はともかくも、良好な父子関係を築いている親子など、さがしても、いない。
子どもが小さいうちならまだしも、子どもが思春期を過ぎると、みなそうなる。
言い換えると、そういう前提で、親子関係を考える。
またそのほうが、好ましい。

子どもは常に父親を乗り越えて、成長していく。
とくに男子は、そうだ。
一方、父親はそういう息子を見ながら、さみしくも、そこに喜びを覚える。

が、いつか、そのときがやってくる。
これは30年後のぼくの息子たちへのメッセージということになる。

いつかお前たちも、ぼくが今感じているのと同じ孤立感を覚えるときがやってくる。
かならず、やってくる。
そのときひょっとしたらはじめて、今のぼくの気持ちが理解できるだろう。
なぜ私という「父親」が、お前たちにとって、ぼくのような父親だったかを、だ。
それまではわからない。

お前たちは、いつもこう言っていた。
「パパは、仕事ばかりしていて、ぼくたちのことをかまってくれなかった」と。
が、ぼくはいつもそのつど、心の中で、こう思った。
「ぼくは生きていくだけで、精一杯なんだ」と。

許すとか、許さないとか、そういうことではない。
ぼくは、最初から、お前たちを許してきたし、今も許している。
ただこの(怒り)だけは、忘れないでほしい。
お前たちに対する(怒り)というよりは、自分に対する(怒り)である。
ぼくは、本当にバカな父親だった。

私「いつかは、息子たちがぼくの苦労を理解してくれるはずと、ぼくは信じていた」
ワ「あなたは、いつもやり過ぎたのよ。だから私はいつも、よしなさいと言ったのよ。私の言うことを聞かないからよ」
私「今、それがわかった」
ワ「だからもう息子たちのことは、忘れなさいよ」
私「わかった」と。

 ワイフは、息子たちから、とっくの昔に子離れしていた。
「無私の愛」というのは、むしろそういうのを言うのだろう。
最初から、何も求めないで、子育てをしてきた。
だから見返りも求めない。
キズつくこともない。
が、ぼくは、できなかった。
ずるずると幻想を、引きずっていた。
それが今になって、深い悔恨の念となって、ぼくを襲う。

 夕方、長男が、こたつの中で、横に座った。
「お前だろ、YOUTUBEで、いつも5つ星の評価を入れてくれるのは?」と。
長男は、低い声で、こう言った。
「そうだよ」と。

 私がUPLOADしているYOUTUBEの動画は、UPLOADするとすぐ、いつも5つ星の評価が入る。
「多分、長男のしわざだろう」とは思っていたが、うれしかった。
そのとき、ほっと、心が慰められるのを知った。
(2010年1月18日)


Hiroshi Hayashi++++++++Dec. 09+++++++++はやし浩司

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。