2010年1月15日金曜日

*Lost Hearing Ability

●平均寿命まで、あと15年(少し暗い話)

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今年、私は満63歳になる。
男性の平均寿命は、78歳前後ということだから、
その78歳まで、あと15年。

「平均寿命」という言葉に併せて、
最近では、「健康寿命」という言葉を使う。
「健康でいられる年齢」という意味である。
ふつう(平均寿命)-10年で、計算する。
それでいくと、健康寿命は、68歳。
そのばあい私の健康寿命は、あと5年。
78歳になったとたん、ポクリと死ねるという
わけではない。
68歳以後は、いろいろな病気との闘いという
ことになる。

ましてや80歳を過ぎて、健康でいられるなどとは、
考えていない。
どこかのホームで寝たきりという状態になるかもしれない。

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●密度

 (時間)は同じとしても、与えられた時間をどう生きるか。
それで、時間の長さは変わる。
要は、密度の問題。
仮に平均的な人より、2倍の密度の人生を送れば、残りの15年を、30年にすることができる。
反対に、2分の1の人生を送れば、残りの15年は、7年半になってしまう。
が、実際には、加齢とともに、脳のCPU(中央演算装置)の働きは、鈍くなる。
どんなにがんばったところで、若いときのようなわけにはいかない。
20代のころの10年と、60代になってからの10年は、明らかにちがう。
中身がちがう。
密度がちがう。
脳にも周波数のようなものがある。
脳の中心部にある視床下部の先端から出る信号も、そのひとつ。
その周波数そのものが、少なくなる。

 このことは、幼児や子どもと接していると、わかる。
彼らのもつ周波数は、私たちの世代がもつ周波数とは、明らかにちがう。
テンポやリズムがちがう。

 つまり「長生きをする」というのは、時間の問題ではない。
密度の問題ということ。

●忘れて消える情報

 このところ少し心境に変化がみられるようになった。
たとえばDVDを観ていても、「つまらない」と感じたとたん、同時に「時間を無駄にした」と思うようになった。
楽しむといっても、そのあと、「だから、それがどうしたの?」という部分がないときには、それを楽しむことができない。
やはり「時間を無駄にした」と思ってしまう。

 たとえば今夜も、1時間ほど、BS放送を観た。
そこはまさに情報の世界。
洪水のように、ドドーッ、ドドーッと、情報が飛び込んでくる。
たまたまNHKでは、ニュージーランドの山脈を、紹介していた。
美しい山々だった。
しかしそのあと、すぐ私は、こう思ってしまった。
「だから、それがどうしたの?」と。

 むしろガイドへ払う、ガイド料が、日本円で1万5000円~2万円というテロップに、驚いた。
1名分の料金である。
10名も連れていけば、15万円~20万円ということになる。

 明らかに円安である。
日本の(円)の価値が、さがりすぎている。
現在(1・13日)、1ニュージーランドドルは、68円前後。
「1ドルは、半分の34円でもいい」と。

 ・・・とまあ、そんな美しい景色を見ながら、そんなことを考えてしまった。

●還元

 再び、健康論。

 この健康論には、もうひとつ重大な問題が隠されている。
「だから、どうなの?」という問題である。
つまり健康というのは、いわば、(道具)のようなもの。
たとえて言うなら、パソコン。
いくら高性能のパソコンをもっていたとしても、使い方を知らないのであれば、宝の持ち腐れ。

 恩師の池田英雄先生(鵠沼在住)は、いつもこう言っている。
「若い人たちに還元すること」と。
「老後の命や健康は、若い人たちに還元するために使うべき」と。
すばらしい言葉である。

 もし残された人生を、自分のためだけに使うのであれば、・・・これは私が今、実感しつつあることだが、空しいだけ。
この年齢になると、遊べば遊ぶほど、そのあとに空しさが襲ってくる。
その空しさを紛らわせるために、同じように空しさを味わっている人たちと、慰めあう。
酒を飲む。
うさ晴らしをする。
愚痴を言い合う。
そんな人生になってしまう。

●余談

 ところで今朝、起きたときに、こう考えた。
ここまで書いたことと、まったく関係ない。
ないが、一度は、書いておきたい。

 よく歳を取ると、もの忘れがひどくなる、という。
しかしこの考え方は、正しくない。

 (記憶)というのは、(記銘=脳に記憶を刻む)→(保持=脳の中に保つ)→(想起=思い出す)という、3つのプロセスを経て、(記憶)となる。

 老人になると、第一に記銘力が弱くなる。
・・・というより、その努力をしなくなる。
ちょっとだけ聞いて、それで覚えたような気になる。
これがいけない。
本当に記銘したければ、何度も復唱する。
数分、あついは1、2時間たったあと、もう一度、復唱する。
自分の脳みそを過信してはいけない。

 保持力については、その脳細胞が死滅しないかぎり、若い人たちとは、それほど、変わらない。

 問題は想起力。

 記憶のメカニズムは複雑で、それぞれの記憶は、そのつど、てんでばらばらな部位に記憶される。
言うなれば、本が散乱した書庫のようなもの。
歳を取ると、それがますますひどくなる。
けっして、想起力そのものが、弱くなるわけではない。

 たとえば1年前にどんな映画を観たかを忘れてしまっていても、同じ映画の一部を観ただけで、その映画を思い出したりする。
何かのきっかけがあれば、思い出す。
つまり「想起力」というのは、「想起法」の問題ということになる。

 たとえば子どもの名前を覚えるときは、私は、その子どもの名前と、友人の名前と結びつけたりする。
近所の知り合いの人の名前でもよい。
また忘れたときは、心の中で、「ア・・・、イ・・・、ウ・・・」と順に探していく。

 こうして考えていくと、「老人になると、もの忘れがひどくなる」と、記憶をひとまとめにして考えるのは、正しくないということになる。

 が、ひとつだけ、気になることがある。

 たとえばこうして書斎の中で、パソコンに向かって文字を叩いている。
叩いていると、居間でしなければならない仕事が、3つとか4つ、頭の中に浮かんでくる。
「あれと、あれは、しなければいけない」「あれは、カバンの中にあるから、あとで書斎にもってこよう」とか、など。

 ところが実際、居間へおりていくと、1つや2つは、覚えているが、残りは忘れてしまう。
そして再び、書斎に戻ったとき、「しまった、あれを忘れてた!」となる。

 こういう現象を、どう理解したらよいのか。
「拡散思考」という言葉があるのかどうかは、知らないが、その拡散思考力は、たしかに低下する。
ひとつのことを考えていると、そのことだけで頭の中がいっぱいになってしまう。
そのため、ほかのことを忘れてしまう。

 このことも子どもたちと比較してみると、よくわかる。

 子どもたちは、何かひとつのことをしながらも、いつもそのつど、別のことを考えている。
結局はそれが脳の柔軟性ということになる。
その柔軟性が、なくなる。

●寿命

 話を戻す。

 「がんで余命は、1年」と言われれば、ショック。
しかし「平均寿命まで、あと15年」と言われれば、そういったショックはない。
「ひょっとしたら、あと20年は生きられるかもしれない」という望みがある。

 が、まったくショックがないかと言われると、そうでもない。
このところ温泉につかっていても、その老人の年齢が、よく気になる。
「あの人は、何歳くらいだろうか」
「自分もやがて、ああなるのか」と。

 こればかりは、DNAの問題だから、どうしようもない。
仮に今、健康でも、私たちは確実に老人になる。
ヨボヨボになる。
避けようがない。

 で、私は最近、よくこう考える。
「これからの15年間が勝負だな」と。
つまり緊張感。
その緊張感が、日増しに強くなってきた。

 だからこう思う。
「しまった!」と。

 つまらないことで時間を無駄にしたようなとき、だ。
・・・話は、最初に戻ったので、このエッセーは、ここまで。
みなさん、おはようございます。

2010年1月15日(金曜日)。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 老人の心理 記憶力 池田英雄 還元 平均寿命 
健康寿命)


Hiroshi Hayashi++++++++Jan.2010+++++++++はやし浩司

●失聴

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1月13日、朝。
目が覚めたら、音が聞こえなくなっていた。
もともと左耳は、32、3歳ごろ、聴力を
失っている。
そのときは焼けるようなはげしい痛みがあった。
たまたま年末で、すぐ行ける医院もなかった。
それで氷で患部を冷やしてすませた。
その痛みが取れたとき、聴力は消えていた。

が、今回は、右耳。
自分の声が小さく、海の底から聞こえてくるような
感じ。
キンキンと高い音だけが聞こえる。
まわりをすませても、いつもなら聞こえるはずの
風の音も聞こえない。
窓の外では、栗の木の葉が、はげしくゆれていた。

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●不安感

 起きるとすぐ、ワイフに話しかけた。
ワイフは、洗面所で化粧をしていた。
「耳が聞こえない」と言うと、何やら言った。
「よく聞こえない」と言うと、今度は大きな声で、「どうしたの?」と。

私「わからない。昨夜、1時ごろまでは何ともなかった」
ワ「どんなふうに聞こえないの?」
私「ほとんどだ・・・」と。

 「おかしい?」という思いが一巡すると、今度は不安感が私を襲った。

●失聴

 ワイフと話している間に、耳が聞こえなくなっているのを、確信した。
口は動くが、部分的な高い音以外は、聞こえない。
私はいつものように、ウォーキングマシンの上で、10分ほど運動をこなした。
いつものような足音も、モーターの音も、聞こえなかった。

 ときおりワイフが何やら話しかけてくるが、それも聞こえない。
耳の中が、ボンと詰まったような感じ。
朝起きたとき、軽いめまいがあったのも気になる。
三半規管がやられると、そうなる。
中耳なら、まだ治療法はある。
三半規管だと、深刻。

 ワイフは「耳鼻科へ行ったら」と声をかけてくれた。

●耳鼻科

 耳鼻科には、不信感が強い。
ちょうど30年前になるが、今でいう偏頭痛で、頭を割られそうになったことがある。
当時はまだ偏頭痛の診断法も、治療法も確立されていなかった。
それもあって、医師は、子どものころの慢性中耳炎だけをみて、悪性腫瘍と誤解したらしい。
あとでわかったことだが、私の左耳の奥には、真珠腫と呼ばれるかたまりがあった。

 医師は、「左耳が聞こえなくなったのは、それが原因」と断定した。(・・・らしい。)

 が、そのつぎの日、別の病院で診断してもらうと、今度は反対に、「風邪でしょう」ということになった。
たまたま近くで、大学の先輩が勤務医をしていた。
その人の紹介ということもあって、その病院では、3時間あまりかけて診察してくれた。
で、風邪薬をもらって飲むと、2日後には、頭痛も消えていた。
が、左耳の聴力は以後、もどっていない。
おそらくあのとき、耳と脳をつなぐ神経が焼き切れてしまったためではないか。

 しかしそれが今でもトラウマになっている。
耳鼻科に対する不信感も、そのとき生まれた。
もっとも今から30年近くも前のこと。
当時はまだ、医療水準も、その程度だったのかもしれない。

●W医院

 かかりつけの内科医院へ行くと、医師は話を聞くやいなや、「耳鼻咽喉科へ行きなさい」と言った。
「突発性難聴だったら、早く治療を始めたほうがいい」と。

 私はそのまま、知り合いのW耳鼻咽喉科へ向かった。
私のHPでは、世話になっている。
W耳鼻咽喉科には、私のマガジンの申込用紙を置いてもらっている。
たがいに無料で、宣伝しあっている。

 しかしドクターとゆっくり話すのは、今回が、はじめて。
が、そんな心の余裕はなかった。

 ていねいに話を聞いてくれたあと、ドクターは、6種類の薬を処方してくれた。
「突発性難聴の薬も入っています」と。

●不安

 本当の不安が、私を襲ったのは、医院を出たあとのことだった。
「仕事はどうしよう」と考えたとたん、奈落の底にたたき落とされたようなショックを覚えた。
「子どもたちの声が聞こえなければ、子どもの指導もできない」と。

 ワイフはそういう私の横にいて、「1週間、休みましょうか」とか、「補聴器をつければ何とかなるわよ」とか、言った。
そのつど、「そんな簡単な問題でもないのだがなあ」と思ったが、それは言わなかった。
反論する気力もなかった。

●健康

 健康というのは、いつもそうだが、それを失ってみて、そのありがたさがわかる。
それまでは、わからない。
そこにあるのが、当たり前。
私もそのときまで、耳のことは考えていなかった。
左耳が聞こえないから・・・ということで、右耳は大切にしてきた。
しかし今度は、前兆症状は、まったくなかった。

 ドクターに、「突発性難聴には、前駆症状がありますか」と聞くと、ドクターは、「自覚症状がないまま難聴になる人が多いです」と教えてくれた。
「左耳のときは、焼けるように痛かったです」と言うと、「そのときは風邪か何かで、そうなったのでしょう」と。

●症状

 「75歳まで現役でがんばるぞ!」と宣言した矢先のこと。
出鼻をくじかれたような感じだった。
「こんな調子なら、65歳どころか、ぼくの仕事も今月まで」と。

 仕事の段取りが、クルクルと頭の中で回転した。
回転するだけで、まとまらない。
さみしかった。
つらかった。
家に帰って、横になった。
少し眠れば、症状もやわらぐと思った。
しかし朝のときと、それほど、変わらなかった。
耳鳴りだけが、ジンジンと響いた。
それ以外は、無音の世界だった。

●水がたまる

 「そう言えば・・・」ということで、一度、こんなことがあったのを思い出した。
20年近く前のこと。
そのときも何かしら、耳がふさがったような感じがした。
そこで佐鳴湖の近くの医院へ行くと、すぐ鼓膜切開をしてくれた。
中にたまった水を吸い出してくれた。
とたん、症状が軽くなった。

 「それかもしれない」と思った。
だから午後、再び医院へ向かった。
仕事はすべてキャンセルした。

 ドクターは、「そういう薬も入っていますから、まず炎症を抑えることです。水も少しはあるかもしれませんが、炎症が収まれば、水もなくなります」と。

●8000種類以上

 病気というのは、ある日、突然、やってくる。
しかもまったく予期せぬところから、やってくる。
一度、家庭医学書を見て、驚いたことがある。
800ページ近い医学書だったが、病名だけで、その10倍以上。
簡単に計算しても、8000種類。
言うなれば、8000本のポールをよけながら、車を運転するようなもの。
毎日、ひとつずつ病気を経験しても、20年以上かかる。
「8000種類」というのは、そういう数字である。

 生きていることも奇跡だが、病気でないということも、これまた奇跡。
8001本の中から、1本だけの当たりくじを引くようなもの。

●加齢とともに

 もっとも加齢とともに、こうした病気は多くなっていく。
みなが、みな、ある日突然、ポックリと死ぬわけではない。
徐々に、徐々に、少しずつ、健康を害していく。
私もこの半年だけで、いろいろな病気を経験した。

 最近では、腰痛。
これは重い机を持ちあげたため。
原因はわかっていたが、そのつど、「このまま一生つづいたら、どうしよう」と心配した。
そのころ、同時に、EDになった。
「ぼくも、そろそろバイアグラの世話に・・・」と思った。
腰痛とEDは、どこかで関係しているらしい。
(これは私の素人判断。)
ほかに寝ていて頭を急に持ちあげたようなとき、後頭部の神経が束になって、ギクッと痛いときがある、などなど。
そんなわけで今年の年賀状には、こう書いた。
「今のところ、かろうじて健康ですが・・・」と。

●不安の中身

 「仕事をどうするか」という不安。
が、仕事が、問題ではない。
仕事にまつわる(生きがい)。
その(生きがい)をどうするか。
もし今の私の前から、子どもたちの姿が消えたら、思考は停止状態になってしまう。
そういう点では、「教育」というのは、ほかの世界とは、ちがう。
そこに子どもがいての「教育」。
子どもがいての「教師」。
よい例が、退職した教師たち。

 ほとんどの教師たちは、退職すると同時に、みな、異口同音にこう言う。
「教育なんて、もうこりごり」と。
たいていの人は、そのまま、教育の世界から、遠ざかってしまう。

 実は私もその1人かもしれない。
今は現役で、何とか(子どもたちの世界)にしがみついている。
が、もし子どもたちの姿が私の前から消えたら、私もこう言い出すだろう。
「教育なんて、もうこりごり」と。
が、このあとが、問題。
「こりごり」と言って去るのは、簡単。
しかしそのまま心にポッカリと穴があいてしまう。
その穴が、こわい。

●不安の連鎖

 さらに若いときとちがって、絶壁に追いやられたような恐怖感も覚える。
後がない!
若いときなら、仮に数か月、病気で休んでも、取り返しがつく。
未来に、行き止まりはない。
しかし歳を取ると、そこにDNAの問題がからんでくる。
どんなにがんばっても、(老い)と闘うことはできない。
いつも一方的な、負け戦(いくさ)。
それから生まれる閉塞感は、何ともしがたい。

 それに私は今まで、「元気で働ける」ということを前提に、自分の老後を組み立ててきた。
こうした病気になるということは、その前提が崩れることを意味する。

●究極の選択?

 もし難聴から、・・・すでに難聴ぎみだが・・・、聾唖者になってしまったら・・・。
2年ほど前のことだが、過労から、緑内障を引き起こし、右目の視野を50~60%、失ってしまった友人がいた。
その友人に私の耳のことを話すと、友人は、こう言った。
「まだ目ならいいけど、耳だと、たいへんだなあ」と。
そのとき私はちょうど反対のことを考えていた。
「耳ならいいけど、目だと、たいへんだなあ」と。

 どちらがよいとか悪いとかいう問題ではない。
両方とも健康なのが、よいに決まっている。
しかしこれだけは言える。

 まだ半分だけも残っているなら、幸せ、と。
もし両目、あるいは両耳の機能を同時に失ってしまったら・・・。
そのときは、もう、目だとか、耳だとかは言っておられない。

●涙

 夕方、ひとりで布団の中で横になっていると、ポロリと涙がこぼれた。
幻想でも何でもよい。
それにしがみついて生きている間は、まだ幸福なほう。
その幻想さえもつぶされてしまったら、人は、どうやって生きていけばよいのか。

というのも、幻想であるかないかということは、あくまでもその人、個人の問題。
「金儲けこそが、私を幸福にする」というにであれば、その人は金儲けだけをすればよい。
他人がそれに対して、とやかく言う必要はない。

 同じように、私は「思考こそが、私を幸福にする」と考えている。
別の人は、そういう私を見て、笑うかもしれない。
「考えてばかりいると、気が変になりますよ」と忠告してくれる人は、多い。
しかし今の私には、それが楽しい。
生きがいにもなっている。

●変化

 夜になって少し変化が見られた。
「慣れたせいかもしれない」と思った。
自分の声が少しずつ、戻ってきた。
あの水面下でキンキンするような声は、消えていた。
が、聴力はそのままだった。

 その夜は、布団乾燥機をつけたまま、また枕元には、電気ストーブをつけたまま、眠った。
睡眠導入剤をのんだこともあり、朝までぐっすりと眠った。

●朝

 目をあけると、カーテンの向こうから白い朝の日差しが見えた。
庭の木々がシルエットとなって、そこに映っていた。
耳をすました。
カサカサ、サーッ、と。
聞こえた。
つづいて自分で話してみた。
「テスティング、ワン、ツー、スリー」と。

 自分の声に戻っていた。
うれしかった。
ほっとした。
が、いつもなら聞こえるはずの、掛け時計のカチカチという音は聞こえない。
手に耳をあてて聞く。
かすかだが、聞こえた。

 昨日は、耳全体がポンとして感じだった。
が、今朝は、つばを飲み込むと、ゴクリと耳の奥で鳴った。

●今・・・

 今、ゴーンゴーンという、今までになかった耳鳴りを経験している。
おそらく耳の機能が、過剰に亢進しているせではないか。
現在、6種類の薬をのんでいるが、そのひとつに、「心臓の働きをよくして・・・」というのも含まれている。

 これも今の病気が治れば、消えるだろう。
あとは安静にしていればよい。

 ・・・ということで、改めて健康の大切さ、健康であることのむずかしさを知った。
同時に、こうも思った。
万が一のときのための準備も、怠ってはいけない、と。

 何があるかわからない。
それが「健康」ということになる。

 W耳鼻咽喉科の先生、ありがとうございました。
また昨年(09年)末、退職したという、MTさん、ありがとうございました。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 ある朝突然 難聴 耳が聞こえない 突発性難聴 健康論)


Hiroshi Hayashi++++++++Jan.2010+++++++++はやし浩司

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