●西浦温泉・銀波荘(ぎんぱそう)(2010年1月5日記)
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正月の5日、西浦温泉にやってきた。
愛知県JR蒲郡(がまごうり)から名鉄電車に乗り換えて、10分。
そこから送迎バスで、10分。
家族とともにやってきた。
ワイフと長男、それに私。
泊まった旅館は、「銀波荘」。
「ぎんぱそう」と読む。
3人1部屋で、1人1泊、1万3000円弱。
料金の割には、ちゃんとした旅館。
「ちゃんとした」というのは、一流の旅館という意味。
部屋には、足袋(たび)まで用意してあった。
このあたりりでは、イチオシの旅館とか。
インターネットの某案内コーナーにも、そう書いてあった。
別注料理もあるらしいが、私たちにはどこも、量が多すぎる。
「食べたら損(そこ)ねる」を合言葉に、50~70%程度食べて、
あとは残す。
だから定額料金のみでの宿泊。
それでじゅうぶん。
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●気分転換
旅に出ることは、とても大切。
一日中、家の中にこもっていると、ときとして、気がヘンになる。
妄想が妄想を呼び、収拾がつかなくなるときがある。
そういうときというのは、何を書いても、暗くなる。
憂うつになる。
パソコンだけを相手に、部屋に閉じこもっていると、ときどき、そうなる。
●窓の外
窓の外には渥美半島が横たわっている。
風は強いが、波は静か。
部屋は4階の412号室。
時刻はちょうど夕暮れ時で、西の空に日が沈みかけている。
薄水色の空に、幾重にも重なった紫色の雲が見える。
その下に、低くてなだらかな山が、紺色の影となって連なっている。
長男が、海を行き交う船を見つけた。
「変わった形の船だ」と言った。
仲居さんの話では、近くにTOYOTAの工場があるという。
その工場から車を運ぶ船らしい。
●展望風呂
部屋の中は、暑いほど。
こういう日は、ありがたい。
外は身が縮むほど、寒い。
寒いというより、冷たい。
「温泉に入ってこようか」と声をかけると、ワイフが「うん」と言った。
・・・ということで、旅行記は、ここでいったん、中断。
(中略)
たった今、3階にある展望風呂から帰ってきた。
4階の私たちの部屋からは、歩いて30秒もかからない。
和風の、すばらしい展望風呂だった。
(旅館の実名を出して書いているため、悪口は書けない。)
露天風呂も、サウナもあった。
正月ということで、多少混んでいたが、それでものんびりできた。
●サービス
夕食は、午後6時15分に、お願いした。
この分なら、食事も悪くなさそう。
というのも、一事が万事。
というか、1か所だけ手を抜くということはできない。
雰囲気よし、風呂よし、(今のところ)、サービスよし。
風呂を出たところでは、茶のサービスもあった。
女性がそこに立っていて、「お茶はいかがですか?」と声をかけてくれた。
こういう心遣いがうれしい。
●「来てよかった」
ワイフと長男は何やらボソボソと話しあいながら、真っ暗になった海を見ている。
遠くに、港の灯りが見える。
目をこらせば、船も見える。
静かな海だが、波の音が聞こえてくる。
「来てよかった」と思った。
正月3日間は、最悪(?)だった。
原因は、三男。
しかしそれについては、ここには書けない。
書きたくもない。
考えたくもない。
私より長男のほうが、キレた。
「オレが電話で怒鳴りつけてやる!」と、何度も電話機に向かった。
が、ここへ来て、そのいやな気分が吹き飛んだ。
ワイフも、そういう私を見て、うれしそう。
●銀波荘
手元にマッチがある。
それには、ローマ字で、「Hotel Ginpaso」とある。
反対側には、「三河湾国定公園西浦温泉」とある。
電話は、0533-57-3101。
もっとも今は、電話の時代ではない。
ネットで調べて、ネットで申し込む。
側面に、東京営業所と大阪営業所の電話番号が書いてある。
かなり本気で経営しているらしい。
その本気さが、客の私にも、そうわかる。
伝わってくる。
正月3が日の間は、年越しそばの振る舞い、おとその振る舞い、奉納太鼓、餅つき、三河万歳などの、1階ロビーで披露されるという。
(残念! ・・・今日は、1月5日!)
●うつ状態
うつ状態になると、脳みその中で、いつもとはちがう、別の脳みそが機能し始める。
自分の中に、もう1人、別の自分がいるような感じになる。
それが本来の自分と、たがいに干渉しあうようになる。
本来の自分が、「早く気分をなおせ」と命令する。
が、もう1人の自分が、それに抵抗する。
そういう自分が、たがいに行ったり来たりする。
「悶々とした気分」というのは、そういった状態をいう。
そしてここが重要だが、うつ状態になると、グーグルマップで、どんどんと地図を拡大していくかのように、問題が大きく膨らんでくる。
ものごとを悪いほうへ、悪いほうへと考える。
ふだんなら笑ってすませるような話でも、「許せない!」となる。
だからこうして今日、私たちは温泉はやってきた。
●現実的なものの考え方
環境を変える・・・それだけのことで、気分は大きく変わる。
前からそういうことはわかっていたが、今回、改めて、それを確認した。
たしかに20年先を考えると、憂うつになる。
しかし20年なんて、遠い未来。
まずつぎの10年を、考える。
さらに今年1年を、考える。
現実を、考える。
ものの考え方を、現実的にする。
気分が変わると、そうなる。
つまりそういう考え方ができるようになる。
●喜び
で、ものの考え方が現実的になると、今度は反対に、ささいなことの中に、喜びを感ずるようになる。
たとえば今朝、私のメインHPのトップ・ページを少し変えた。
そのあとのこと。
今までだと、保存するだけで、2時間弱もかかった。
2、3年前に買った、ビスタ・マシンである。
当時としては、最先端のパソコンだった。
が、今回、WINDOW7(i7、64マシン)で保存してみたら、約半分の1時間で、できた。
そんなことでも、うれしい。
今、それを思い出しながら、ワイフに、「今度のパソコンはすごいよ」と話しかける。
で、さらに性能をよくするため、今度、高速のハードディスクに取り替えてみようと思う。
もっと速くなるかもしれない・・・。
「現実的に生きる」というのは、そういうことをいう(?)。
●新しい挑戦
さらに今日、電車に乗る前に、パソコン雑誌を買った。
それには、(1)ファイル転送サービス、(2)ウェブアルバム、(3)オンライン・ストーレッジの記事が載っていた。
今では、無料で、高機能のサービスを利用することができるようになった。
何でもないことかもしれない。
とくにパソコンと縁のない人には、理由もわからないだろう。
しかしそういうことでも、喜びにつながる。
「家に帰ったら、さっそく試してみよう」と。
たとえば現在、画像保存サービスとして、「FLickr」と、「フォト蔵」を使っている。
ともに無料サービス。
それを使って、写真などを、そこへ保存している。
HP(ウェブサイト)などの直接写真を張り付けると、あっという間に、HPが重くなってしまう。
そこでHPやBLOGなどでは、一度、こうしたサービスに、写真を保存しておき、そこから呼び出すようにする。
それぞれのサービスによって、内容が大きく異なる。
が、雑誌によれば、「Zooomr」(画像保存サービス)というのもあるらしい。
なかなかおもしろそう。
●夕食
仲居さんが入ってきて、夕食の準備にかかり始めた。
私はパソコンをもって、縁側(?)のソファに移動した。
「縁側」?
「縁側」と言うのもおかしいから、仲居さんに、「こういう部屋を何と呼ぶのですか?」と声をかけてみた。
「ベランダ?」「テラス?」。
仲居さんも、「エ~と、何と呼ぶのでしょうね」と言って笑った。
だから私が勝手に、「縁側」とした。
その縁側からは、遠くに、一直線になった橙色の灯りが見える。
それが波に揺れるかのように、チラチラと細かく揺れる。
目の前の長男は、じっと窓の外に目を凝らしている。
静かなとき。
穏やかなとき。
仲居さんが食器を並べる音、それに私のキーボードを叩く音。
それだけが、部屋の中を行ったり来たりする。
●決意
2010年になって、ひとつ決意したことがある。
「虚勢を張らない」ということ。
ありのままをさらけ出す。
もちろんありのままを書く。
さみしい正月だったら、「さみしい正月」と書く。
飾ることはない。
偉ぶることもない。
どうであれ、私は私。
その正月。
さみしい正月だった。
だれも来てくれなかった。
電話もなかった。
年賀状も、例年の3分の1以下。
昨年は喪中で、1枚も書かなかった。
そのこともあって、今年はぐんと減った。
が、年賀状をくれた人には、全員、返事を書いた。
「今年の友は、一生の友」。
●自己開示
しかしこれは私にとっては、重大な問題。
自己開示の問題と、直接絡んでくる。
「どこまでありのままを書くべきか」と。
読者というのは、この文章を読んでいる(あなた)を含めて、不特定多数。
大半の人は好意的に読んでくれていると思う。
しかし中には、そうでない人もいるはず。
そういう人に向かって、プライバシーをさらけ出すのは、危険なことでもある。
が、ウソは書きたくない。
自分を飾った文章は書きたくない。
そういう文章は、あとで読み返しても、不愉快。
そんなわけで、こう決意した。
「すべてを書くわけではない。しかしウソは書かない」と。
●食事
・・・ということで、今日になってやっと調子が戻ってきた。
こうして文章が書けるようになった。
思ったことが、そのままパソコンの画面上で、文章になっていく。
よかった・・・。
プラス、それが楽しい。
旅行記をもう少しつづける。
夕食は、よかった。
おいしかった。
調理人が本気で作っている・・・。
というより、真剣?
そんな感じがした。
ふつう、寿司は玉子焼きで、会席料理はそば料理で、評価が決まる。
玉子焼きのおいしい寿司屋の寿司は、おいしい。
同じように、会席料理では、そば料理で決まる。
寿司屋のばあい、調理人の「味」と「腕」が試されるのは、玉子焼き。
一方、会席料理では、一番手抜きになりやすいのが、そば料理。
そのそば(日本そば)が、おいしかった。
●2時間
夕食に、2時間もかかった。
のんびりと食べた。
で、今は、ワイフと長男は、テーブルの反対側でDVDを観ている。
私は、こうしてパソコンのキーボードを叩いている。
ときどきワイフと長男の笑い声が、フフフと聞こえてくる。
タイトルは、『人生は、奇跡の詩』。
イタリア映画らしい。
・・・というか、私は、かなり眠い。
食後はいつも眠くなる。
胃袋のほうに血が回ってしまう。
もともと低血圧ぎみ。
それで眠くなる。
しかしこうしてキーボードを叩いているほうが、私にとっては、楽しい。
●初夢
ふと今、初夢のことを思い出した。
昔から、(もちろん迷信だが)、1月2日の朝に見る夢を、「初夢」という。
その夢が、その年の運勢を暗示するそうだ。
(しかしどうして1月2日なのだろう?)
で、私はすごい夢を見た。
今となっては、よく覚えていない。
が、すごい夢だったことは、たしか。
目を覚ましたとき、「すごい夢だった」と思った。
で、その直後は、内容を覚えていた。
が、どういうわけか、今は、覚えていない。
うっすらと覚えているのは、ハハハ・・・。
私がハリウッド映画に出てくるような、大富豪になった夢だったということ。
こういうありえない夢を見るから、人生もまた楽しい。
あるいは何かの映画のつづきだったかもしれない。
その映画の中に、私が俳優として、登場した(?)。
しかしどうしてそんな夢を見たのだろう。
●今年(2010年)の予想
ついでに少し暗い話も。
今年の国際情勢を語るとき、不安な要素が、3つある。
(1) 中国のバブルが、再びはじけるのではないかという不安。
(2) 中東(イランvsイスラエル)が、火を噴(ふ)くのではないかという不安。
それにもうひとつ。
(3) アメリカの経済の底が抜けるのではないかという不安。
中国のバブルがはじければ、日本の株価は、大暴落。
中東で戦争が始まっても、同じ。
中国のバブルが再びはじければ、(円)は一気に円高に向かう。
注目すべきは、上海B株。
この半年近く、上海B株は直線的に上昇しつづけている。
しかしこんな上昇がいつまでも、つづくわけがない。
もうひとつ目が離せないのは、中東情勢。
イラン。
イスラエル、もしくはアメリカが、イランに対して軍事制裁、軍事行動に出たら最後。
原油価格は高騰し、米ドルは暴騰し、(円)は一気に円安に向かう。
こちらのほうは、「直撃」というよりは、ジワジワと日本経済に影響を与える。
「ジワジワ」といっても、1、2か月単位。
さらにアメリカの経済の底が抜けたら、どうなる?
07年のあのリーマンショック、あるいはそれ以上の大波が、日本を直撃することになる。
・・・ということで、朝、パソコンを開いたら、私はまずこの3つの動きを、ニュースで追いかける。
中国→イラン→アメリカ、と。
現在の状況からすると、これら3つが、同時に起きる可能性すらある。
が、もしそうなったら、2年前のリーマンショックなど、そよ風のようなもの。
想像するのも、恐ろしい。
今は世界中が、薄い氷の上を、恐る恐る歩いているようなもの。
●隕石衝突
ついでにもうひとつ。
恐ろしいといえば、こんな恐ろしい話はない。
何と、巨大な隕石が地球をめざして、こちらに向かっているという。
直径は、350メートル前後とか?
地球に激突すれば、フランス1国分の土地が、焦土と化すという。
日本の内陸部に落ちれば、本州は2分、3分されるかもしれない。
そのまま日本全体が、日本海溝の底へと沈んでしまう可能性さえある。
しかし心配無用。
我らには、ブルース・ウィリスという強い味方がいる。
映画『ハルマゲドン』で活躍したブルース・ウィリス。
彼が、何とかしてくれるはず。
・・・というのは、もちろん冗談。
●さびれた田舎町
旅の話に戻る。
今日は、先にも書いたように、蒲郡(がまごうり)で名鉄電車に乗り換えて、この西浦までやってきた。
蒲郡もそうだったが、西浦も、さびれた田舎町(失礼!)。
活気がないというよりは、どの店もシャッターをおろしたまま。
西浦からの送迎バスの中から見たとき、こう思った。
「これはとんでもない所へ来てしまったぞ!」と。
が、銀波荘へ一歩、足を踏み入れたとたん、様相は変わった。
ビンビンとした活気を感じた。
そこで一考。
どこの温泉街でも、メインの温泉旅館以外は、元気がない。
とくに周辺の商店街は、元気がない。
西浦温泉街のばあいも、ここに書いたように、ほとんどの店が、シャッターをおろしている。
客がいないというよりは、客の趣向が変わった。
歩いて商店街を回る客は、いない。
みやげは、旅館やホテルの中で、買う。
旅館やホテルを抜け出て、遊びに行く人もいない。
まっすぐ目的の旅館やホテルへやってくる。
帰るときも、まっすぐそのまま帰る。
●批評
しかしほめてばかりいては、いけない。
評論にならない。
いくつか注文というか、要望を書いてみる。
(1) 無線LANを使えるようにしてほしい。
(2) 持ち込みのDVDを、観られるようにしてほしい。
(3) 和式部屋にも、ダブルサイズのふとんを用意してほしい。
今どき、無線LANは常識。・・・と思う。
ちょっとぜいたくかな?
・・・ということで、西浦温泉旅行記はおしまい。
やっと調子がもどってきた!
(補記)
寝る前にもう一度、展望風呂に入ってきた。
体重計に乗ったら、何と2キロオーバーの、62・5キロ!
昨日の朝は、60・5キロだったはず。
ギョッ!
明日の朝は、どうやら食事抜きになりそう。
今夜の食事は、たしかにおいしかった!
また来ます、銀波荘さん!
(西浦温泉の写真、ビデオは、私のマガジンと、YOUTUBEのほうで紹介しておきます。)
(はやし浩司 育児 子育て 評論 育児論 子育て論 教育 教育論 教育評論 はやし浩司 最前線の子育て論 子供 子ども 子どもの問題 育児評論 はやし浩司 旅行記 西浦温泉)
(付記)
本気かどうかということは、たとえば、(1)浴場の中で、小鳥のさえずるBGMが流れていたとか、(2)頼んだ夕食や朝食の時間について、1分単位で正確だったことをいう。
その(本気さ)が、旅館のサービスの質を決める。
Hiroshi Hayashi++++++++Jan.2010++++++++はやし浩司
【老後の喪失感】
●喪失感
老後というのは、喪失感との闘いと言ってもよい。
(喪失すること)に敏感になる。
(喪失すること)を恐れる。
健康、時間、金銭など。
同時に人間関係も。
だから喪失感と闘う。
その喪失感が、ときとして被害妄想につながる。
さらにひどくなると、精神そのものを病む。
これがこわい。
こういうとき人は、何か理由をこじつけて、他人に怒りをぶつけたりする。
「だれだれが、~~したから、こうなったア!」と。
しかし本当の理由は、自分自身の中にある。
自分自身の遺伝子の中にある。
それを、自分以外の人にぶつける。
こういうのを心理学の世界でも、「転移」と呼んでいる。
わかりやすく言えば、「八つ当たり」。
●過去における喪失感
この喪失感には、2種類、ある。
(1) 未来に対する喪失感。
(2) 過去に対する喪失感。
わかりやすい例で、考えてみよう。
「やがてぼくも、ヨボヨボになるのか」と心配するのが、未来に対する喪失感。
一方、「あのとき、あいつがああいうことをしたから、ぼくは、損をした」と考えるのが、過去に対する喪失感。
若いときには、いろいろな取引で、毎月のように、100万円単位で、損をしたり、得をしたりしていた。
だから数百万円の損失など、何でもなかった。
が、今は、そうでない。
損をしたことに敏感になる。
そればかりか、それが心の中で、勝手に膨(ふく)らんでくる。
「あいつのおかげで、ぼくは、xxx万円も損した」と。
もう少しわかりやすい例では、こんなことがある。
ある女性は、あるとき夫にこう言って、泣き叫んだという。
「私の人生は何だったのよ!」「私の人生を返して!」と。
これもここでいう過去における喪失感ということになる。
●母のばあい
さらに晩年の母は、温泉へ入るのをいやがったという。
姉からそういう話を聞いたことがある。
理由をたずねると、「自分の体(=肉体)が、みすぼらしいから(=恥ずかしいから)」と。
また毎週のように、ひざの治療のため、病院に通っていた。
が、一向にひざは、よくならなかった。
それについて母は、「どうして治らない!」と、医者に向かって怒っていたという。
これは当時80歳を過ぎていた、母の話である。
しかし私たちもすでに同じようなことを、し始めている。
それがここでいう喪失感との闘いということになる。
●敗北感
この先、私たちは、どんどんと、失っていく。
いやおうなしに、失っていく。
どんどんと失って、最終的には、ゼロになる。
煙となって、この世から消える。
私の母にしても、あれほどまでに、モノとお金に執着した人だったが、死ぬときは、数枚の浴衣と身の回りの道具しかなかった。
それがすべてだった。
だれでもそうなる・・・というよりは、私たちはみな、その過程の中にいる。
が、それを認め、納得し、受け入れるのは、たいへんむずかしい。
「負け」を認めることに等しい。
あるいはときにそれは、そのまま自己否定につながる。
「いったい、私は何のために生きてきたのか?」と。
さらには、「私の人生は、無駄だったのか?」と。
●闘い
だから闘う。
闘うしかない。
それは若い女性が、年齢を気にしながら、化粧に精を出す姿に似ている。
若さを保つとしても、本当のことを言えば、化粧して、ごまかしているだけ。
30歳の人は、25歳に見られることを喜ぶ。
が、同じ人でも、35歳になれば、30歳に見られることを喜ぶ。
「だったらはじめから、30歳らしく、あるいは35歳らしく生きればいい」と私は思う。
むなしい闘いだが、本人は、そうは思っていない。
懸命に(?)、年齢と闘っている。
かく言う私だって、そうだ。
もっとも私は、年齢は気にしない。
何歳に見られようが、どうということはない。
しかし健康、気力、脳みそ、などなど。
それは気になる。
が、今さら「増進」ということは無理。
それはよくわかっている。
だから「維持」ということになる。
「できるだけ、今の状態を保ちたい」。
そのための闘いということになる。
●郵便番号
ところで今、恐ろしいこと(?)が起きた。
自宅のある入野町の郵便番号が、即座に頭の中に出てこなかった。
???。
ド忘れ?
それともボケの始まり?
一瞬、ゾーッとした。
もっともここ数年、頭の中は数字だらけ。
パソコンを相手にしていると、パスワードに始まって、IDナンバーなどなど。
それが20ページもあるファイルに、ぎっしりと書き込まれている。
そこであれこれほかの数字を思い浮かべてみる。
携帯電話の番号、3本の電話番号などなど。
ついでに銀行の口座番号、証券会社のパスワードなどなど。
これらは覚えているが、郵便番号の432-806xの、「x」が、わからない。
「4」だったか?
「2」だったか?
「1」だったか?
これはどうしたことか?
・・・というような闘いを、日常的に繰り返すようになる。
●財産
が、財産については、結論が出ている。
数年前から、ワイフとこう話しあっている。
「死ぬまでに、ぼくらの財産は、ぼくらで使い切ろう」と。
たとえば土地と家は、それまでに売って、どこかの施設に入るときの資金にする、とかとか。
考えてみれば、私の人生は、一方的に(取られるだけの人生)だった。
親に取られ、親類に取られ、そして息子たちに取られ・・・。
「息子に取られる」という言い方は、適切ではないかもしれない。
しかし私たちの時代に生きた者は、親に貢(みつ)ぐことを当然と考えていた。
が、今の若い人たちには、そういう発想は、みじんもない。
結婚式の費用はもちろん、そのあとの生活費まで、親に援助してもらっている。
中には、子どもの養育費まで、親(=祖父母)に援助してもらっている人さえいる。
だから、つまり一方的なままだから、「取られる」という発想につながる。
もちろん私の息子たちにしても、そういう発想は、みじんもない。
「老後の親のめんどうをみる」という発想すら、ない。
たがいに会話をしていても、それがよくわかる。
だからここは私たち自身が、クールになるしかない。
それが先に書いた、「使い切る」という結論に結びついている。
●脳みその健康
残るは健康ということになる。
ただ誤解しないでほしいのは、こう書くからといって、「長生きをしたい」ということではない。
死ぬのはこわい。
が、だからといって長生きをしたいわけではない。
またそのために健康を維持するのでもない。
『ただの人』(ハイデッガー)のまま、老後を生きながらえたとしても、それにどういう意味があるのか?
「生きる」ことは、「息(いき)る」ことではない。
息(いき)ているだけの人生なら、早く死んだほうが、まし。
となると、やはり、脳みそということになる。
脳みその健康ということになる。
これについては何度も書いてきたが、2つの意味がある。
(1) 思考力の維持。
(2) 脳みその健康の維持。
思考力の維持はわかりやすい。
つまり考える力のこと。
ボケるのは、いやだ。
が、本当にこわいのは、「脳みその健康」。
とくに私のばあい、うつ病の心配がある。
今のところまだ、医者の世話にこそなっていないが、それも時間の問題。
どうすれば脳みその健康を維持できるか。
晴れ晴れとした気分で、毎日を楽しく、愉快に過ごすことができるか。
「それが問題」(That is a question)。
●432-8061
今、思い出した。
郵便番号は、「432-8061」だ。
が、どうして先ほど、その数字が、頭の中に出てこなかったのだろう?
???
その部分を格納していた神経細胞が、たまたま死滅したのかもしれない。
何しろ、毎日20万個前後の神経細胞が、死滅している。
あるいは微細脳梗塞が起きている可能性もある。
ときどき寝ていて、寝返りをうったようなとき、ギリギリとはげしい神経痛が走ることがある。
今朝も一度、あった。
そういうとき、同時に脳の中のこまかい血管が破れているのかもしれない。
(これは私の勝手な憶測。)
あまりにも当たり前な数字だから、そのようにしか考えていなかった。
ワープロの中では、辞書として登録してある。
「じゅうしょ」と打ち込むと、自動的に、郵便番号+住所が表記される。
一方、携帯電話の番号は、ゴロ合わせを使って覚えている。
だから忘れない。
しかしそれにしても、ゾッとした。
●認め、納得し、受け入れる
この先、喪失感との闘いは、ますますはげしくなる。・・・なっていくだろう。
同時に、先にも書いたように、それを認め、納得し、受け入れていく。
そういう心理的操作も必要となってくる。
当然、自分がキズつくことも多くなってくる。
だまされたり、裏切られたり・・・。
(そういう点では、私は、ボロボロ?)
が、キズつかないように生きる・・・つまりケチな生き方をするというのは、私流ではない。
大切なことは、キズに対して免疫性をもつこと。
もっとはっきり言えば、私のワイフがいつも言っているように、「相手に期待しないこと」。
へたに期待するから、キズつく。
考えてみれば、老後を生きるということは、そういうことかもしれない。
つまり「認め、納得し、受け入れる」ということは、ボロボロになること。
ボロボロになることを、恐れないということ。
それが老後の喪失感と闘う、ゆいいつの方法ということになる。
(はやし浩司 育児 子育て 評論 育児論 子育て論 教育 教育論 教育評論 はやし浩司 最前線の子育て論 子供 子ども 老後の喪失感 はやし浩司 老後論 老後の生き方 ボロボロの人生 西浦温泉 銀波荘にて)
Hiroshi Hayashi++++++++Jan.2010++++++++はやし浩司
●親のニヒリズム
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「子どもなんか、産むもんじゃない」と言った人がいた。
実はそう言ったのは、私の母だった。
私が遠く(?)、郷里のM町を離れて住むようになったことについて、
そう言った。
「息子を、浜松の嫁に取られた」とも言った。
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●ニヒリズム
世の中には、いろいろな親がいる。
それぞれの親は、それぞれにいろいろな思いや考え方をもっている。
たとえば、「息子や息子には、(学)をつけさせない」とがんばっている親もいる。
「へたに(学)をつけさせると、遠くへ行ってしまうから」と。
だからその親は、自分の息子や娘には、勉強をさせない。
「学校は、地元の高校だけでじゅうぶん」と。
この話は、本当の話。
本当に私が、その親から、そう聞いた。
また「子どもに学費を出すのは、もったいない」と考えている親もいる。
「大学まで出してやるのは、長男だけ」と。
長男を家の跡取りと考えているから、そう言った。
だから私が、「二男はアメリカに住んでいます」などと言うと、こう言う。
「そんなもったいないこと、よくできますね」と。
●感謝
私は息子たちを育てているときは、そういうことは、まったく考えていなかった。
息子たちを伸ばすことだけを、懸命に考えていた。
損得の計算をしたことがない。
こと学費については、惜しみなく提供してきた。
「惜しみなく」というのは、「何も言わないで」という意味。
が、その息子たちが、そういった私に感謝しているかということになると、たいへん疑わしい。
それがあまりにも当たり前の生活だったから、息子たちは、当たり前と考えている。
いつだったか、私が息子の1人に、こう愚痴を言ったことがある。
「ぼくらが子どものころには、腹いっぱい、飯を食べることさえできなかった」と。
すると息子は、こう言った。
「そんなのは、バカな戦争をしたパパたちの責任」と。
つまり自業自得、と。
大学へ通う学費にしても、そうだ。
へたに「学費を稼ぐのに、苦労した」などと言おうものなら、(言ったことはないが
・・・)、「頼んだ覚えはない」と言われそう。
反対にこう言われたこともある。
「パパは仕事ばかりしていて、ぼくたちのことをかまってくれなかった」と。
●父親という存在
そういう自分を振り返りながら、「父親というのは、さみしい存在」と感ずる。
私のばあい、貧乏が何よりもこわかった。
だれからの援助も、受けることができなかった。
がむしゃらに働くしかなかった。
戦後のあの時代、それにつづく高度経済成長の時代というのは、そういう時代だった。
が、それについても、息子たちだけではない、今の若い人たちは、「自業自得」という言葉を、平気で使う。
そうそうこんなこともあった。
息子の1人がアメリカ人の女性と結婚することになったときのこと。
それまでそんなことを考えたこともなかったが、こんな思いが、胸をついた。
「私の父は、台湾でアメリカ兵と接近戦になり、貫通銃創を受けている」と。
つまりアメリカという敵国の、その国の女性と結婚をする(?)。
今の若い人たちに、こんな話をしても、理解されないだろう。
しかし私には、私なりの思いがあった。
が、息子にしても、そういった話を、「過去の話」と、簡単に片づけてしまう。
あまりにも、簡単に、だ。
そういう若い人、つまり自分の息子たちを見ていると、あのニヒリズムがムラムラと沸きあがってくる。
「私は何のために、苦労をしたのだ」と。
●今はわかる
だから今は、わかる。
「子どもなんか、産むもんじゃない」「息子を、浜松の嫁に取られた」と言った、母の気持ち。
「息子や息子には、(学)をつけさせない」「学校は、地元の高校だけでじゅうぶん」といった人の気持ち。
わかるが、そこまで。
一方で、それを懸命に打ち消そうという心が働く。
「今まで、楽しかったではないか」と。
息子たちがいたからこそ、ここまでがんばることができた。
もしいなかったら、ここまではがんばらなかっただろう。
金銭的な意味で、損か得かということになれば、損に決まっている。
しかし「金銭的な価値」など、「生きることの価値」に比べたら、何でもない。
無価値とまでは言わないが、「生きる」ことを犠牲にするほどの価値はない。
ニヒリズムと慰め。
この2つが交互に心の中に現れては消える。
これも私という親の、偽らざる心境ということになる。
(はやし浩司 育児 子育て 評論 育児論 子育て論 教育 教育論 教育評論 はやし浩司 最前線の子育て論 子供 子ども 子どもへのニヒリズム ニヒリズム 子育て損得論)
Hiroshi Hayashi++++++++Jan.2010++++++++はやし浩司
2010年1月6日水曜日
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