【老人心理】(私流・老後の生き方)
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「老人心理学」というのがある。
幼児には、「幼児心理学」がある。
青年には、「青年心理学」がある。
同じように、老人には、「老人心理学がある」。
しかし自分が、その戸口(doorway)に
立ってみて、ひとつ気がついたことがある。
こうした老人心理学は、若い心理学者たちに
よって書かれたものが、多いのではないかと
いうこと。
つまり老人の心理を、本当にわかっていない。
わかっていて、ものを書いているのではない。
老人の世界を、若い世代の視点から、
言うなれば、「勝手に想像して書いている」。
たとえば「喪失感」がある。
「老人心理」というと、「喪失感」が、ベースに
なっている。
たしかに喪失感は否定しがたい。
それはある。
健康にせよ、知力にせよ、人間関係にせよ、
すべてが不可逆的に、負の方向に向かい始める。
が、それがすべて「喪失感」につながるという
わけではない。
つまりどこか的をはずれている。
もっとストレートに言えば、老人の心理が、
よくわからないまま、「老人だから、喪失感が
あるだろう」という想像だけで、ものを
考えている。
そんな思いから、このエッセーを書き始めた。
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●手持ちぶたさ
「手持ちぶたさ」という言葉がある。
漢字では「手持無沙汰」と書く。
「なすべきこともなくて、退屈なこと。また手あきで、間(ま)の悪いこと」
(EX-Word)とある。
「老人心理」と聞いて、私はまっさきに、この言葉を思い浮かべる。
老人になると、すべてが「手持ちぶたさ」になる。
現実にそうであるかないかということではない。
それから生まれる、「間の悪さ」。
それこそが、老人心理のベースになる。
●統合性の確立
もちろん(なすべきこと)を確立し、その(なすべきこと)に向かって、
つき進んでいる老人もいる。
心理学的に言えば、「統合性を確立した老人」ということになる。
たとえば画家が、ライフワークとして、大作に取り組むなど。
が、そういう老人は、たいへん恵まれた老人ということになる。
むしろ例外。
現実は、きびしい。
(なすべきこと)というのは、いわば、道楽のようなもの。
少なくとも、老後も働きつづけなければならない私には、そう見える。
年金など、もとからアテにしていない。
手にするとしても、2年後。
夫婦2人で、13万円程度。
こんな額で、何ができる?
道楽なんて、夢のまた夢。
●健康問題
老人にとって、最大の問題は、健康問題ということになる。
その健康問題が、つぎからつぎへと起きてくる。
しかも歳を追うごとに、ピッチを速めてくる。
若いころは、年に1、2度だったものが、月に1、2度になったりする。
その上、今までに経験したことのないようなものばかり。
で、当然のことながら、そのつど不安になる。
たとえば体に何か異変が起きたとき、まず最初に考えるのは、「以前にもあったかどうか」
ということ。
以前にも同じような症状を経験していれば、「だいじょうぶ」と自分に言って聞かせる。
が、それがないと、とたん、大きな不安感に襲われる。
●オロオロと狼狽する
両親や兄弟、友の死については、それほど大きなショックはない。
「そういうもの」という覚悟ができている。
「つぎは、私」と。
その覚悟の中で、心を処理し、心を持ちなおすことができる。
しかし自分自身の生活の変化については、そうでない。
たとえば夫や妻の死、さらには大病を患うことによる、自分自身の死の予感。
そうした「変化」については、無力でしかない。
どう立ち向かったらよいのか、その糸口すら、見つからない。
「たぶん、オロオロと狼狽するだけだろうな」と。
そこまで考えたところで、あとは思考がそのまま停止してしまう。
●流れ
これはあくまでも私のばあいだが、私は「流れ」が止まるのが、なによりも
怖い。
たとえば「仕事」。
仕事がほしいわけではない。
しかし仕事から得られる、「流れ」が止まるのが、怖い。
もちろん(お金の流れ)もある。
がそれ以上に重要なのは、それにまつわる(人間関係)。
さらに言えば、(緊張感)。
それが止まるのが、怖い。
●宣伝
そんなこともあって、昨年、私ははじめて、教室の宣伝を、新聞に載せてもらった。
私は今の仕事を始めてからというもの、宣伝なるものをしたことがない。
口コミだけで、仕事を維持してきた。
それに教室経営だけが、私の仕事ではなかった。
が、数年前から、先細り感を覚えるようになった。
少子化、不景気、競争の激化などなど。
加えて、私自身の体力的、気力的な限界も感ずるようになった。
若い母親にしても、ジーチャン先生よりは、若いハツラツとした先生のほうがよい。
生徒数の減少が始まった。
が、これは簡単な一次関数で示される。
負の一次関数である。
「あと3、4年はよいとしても、5年は無理だろうな」と。
そこで昨年から、宣伝を始めた。
●「先」
一方、私は自分の仕事を限定するようになった。
若いころは、何でもした。
その(何でもする)という意欲が、今は、ほとんど、ない。
意味のある仕事と、そうでない仕事を峻別(しゅんべつ)するようになった。
たとえば今、仮にサラリーマン生活をせよと言われても、私にはできない。
その虚(むな)しさを、いやというほど、味わっている。
つまり、「先」がない。
いまさら、どこかの会社の課長や、部長をめざして、何になる?
そういう思いが、自分の進む道をふさいでしまう。
●絶望感
こう書くからといって、私の息子たちを責めるのではない。
私の息子たちは、ひょとしたら、平均的な若者よりも、ずっとやさしい心をもっている。
思いやりも深く、思慮も深い。
で、私は、そういう息子に、少なからず、淡い期待を抱いていた。
「いつか、私の友として、そばにいてくれるようになるだろう」と。
そのために、たとえば学費や生活費は、惜しみなく、与えてきた。
息子たちが請求してくる金額を、減らしたとか、送金を遅らせたことは、一度もない。
が、やがて私は知った。
そんな息子たちでも、将来、私やワイフのめんどうをみる気は、まったくない、と。
それを知ったとき、私ははげしい絶望感を覚えた。
息子たちを責める前に、親バカだった、自分を責めた。
自分のお金は、自分の老後のために、残しておくべきだった!
●孝行論
私たちの時代には、「孝行論」は、常識だった。
それを疑う者はいなかった。
たとえば私は、結婚する前から、収入の約半分は、実家へ仕送りしていた。
私はそれが当然と考えていた。
みな、同じようなことをしていた。
が、その経済的負担感というよりは、社会的重圧感には相当なものがあった。
「子は~~すべき」という、『ベキ論』が、そのつど私を押しつぶした。
一方、親からは、「産んでやった」「育ててやった」「大学まで出してやった」と、
それこそ耳にタコができるほど、聞かされつづけた。
だから……その反動もあったと思うが、私は、自分の息子たちには、そういう
思いをさせたくなかった。
とくに社会的重圧感については、そうだった。
「お前たちの人生は、お前たちのもの」を、常に言ってきかせていた。
しかしこの考え方は、日本という国の現実からは、あまりにもかけ離れていた。
●日本の現状
この先、日本人のうち3~4人に1人が、後期高齢者になる。
1人の老人を、2~3人の働き手(現役労働者)が支えることになる。
しかしそんなことは、実際には、不可能。
推計によれば、私たちの世代は、60%が独居老人となり、孤独死を
迎えることになる。
死後、発見されるまでの平均日数は、1週間。
そこで今、声高に言われるようになったのは、若い世代との同居。
それも無理なら、「呼び寄せ老人は好ましい」と。
つまり何かあったら、息子や娘たちをすぐ呼び寄せられる距離に住む、と。
つまり日本の現状と、私が説く理想論との間には、距離がある。
日本は、まだそこまで成熟していない。
●自己否定
私はときどき、考える。
「私たちの世代は、いったい、何だったのか?」と。
親に取られ、子どもたちに取られ……。
で、感謝されているかといえば、それはない。
親にしても、子どもたちにしても、それは「当然」と考えている。
それ故に私たちの世代を称して、『両取られの世代』という。
今では、子どもの学費どころか、社会へ出るときの支度金、結婚費用、
新居費用などなど、親が負担する。
孫の養育費を負担している親(祖父母)もいる。
さらに息子や娘が、孫を連れて盆暮れに帰ってくるとき、その旅費や費用を負担
している親(祖父母)さえいる。
そういう現実を見せつけられると、「では、いったい、私たちは何だったのか」と、
いうことになる。
が、それを考えることは、恐ろしいことでもある。
そのまま自己否定につながってしまう。
●自己否定
孝行論は、否定すべきもの。
また孝行論で、子どもを縛ってはいけない。
その考え方は、今でも、変わっていない。
しかし日本の現状を考えると、また若者たちの意識を考えると、それを言い切るのは
危険なことでもある。
皮肉なことに、「将来、親のめんどうをみる」と考えている日本人の若者は、アメリカ人
よりも少ない。
それについても原稿を書いたことがある。
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【親バカ論】
●就職率50%
大不況。
目下、進行中。
大卒の就職率も、50~60%とか。
事務所の隣人は、個人でリクルートの会社を経営している。
その隣人が、こう言った。
「実感としては、50%前後ではないですかね?」と。
つまり大卒のうち、2人に1人しか、就職できない。
きびしい!
浜松市といえば、昔から工業都市として知られている。
HONDA、SUZUKI、YAMAHAなどの各社は、この浜松市で生まれた。
その浜松市でも、「50%」!
●親、貧乏盛り
『子ども大学生、親、貧乏盛り』という。
私が考えた諺(ことわざ)である。
それについては、何度も書いてきた。
で、子どもを大学へ送ることは、得か損かという計算をしてみる。
・・・といっても、学部によって、大きく、異なる。
医学部のばあい、勤務医になれば、勤務後2~3年目には、年収は2000万円を超える。
開業医になれば、月収は500万円を超える。
(月収だぞ!)
一方、文科系の学部のばあい、学費も安いが、その分、学歴も、ティシュペーパーのように軽い。
英文学部にしても、高校の教科書より簡単なテキストで勉強しているところは、いくらでもある。
そんな学部を出ても、実際には、何ら、役に立たない。
全体としてみると、それなりの資格のともなった学歴であれば、得。
資格をともなわない、ただの学歴であれば、損。
その結果、就職率50%ということになれば、何のための苦労だったのかということになる。
●3人に1人が、高齢者
3人に1人が、高齢者。
そんな時代が、すぐそこまでやってきている。
現在、40歳以上の人は、老後になっても、満足な介護は受けられないと知るべし。
実際には、不可能。
となると、自分の老後は、自分でみるしかない。
つまりそれだけの蓄(たくわ)えを用意するしかない。
で、たいていの人は、「自分の子どもがめんどうをみてくれる」と考えている。
が、今、あなたが高齢になった親のめんどうをみていないように、あなたの子どもも、またあなたのめんどうをみない。
60%近い若者たちは、「経済的に余裕があれば・・・」という条件をつけている。
「経済的に余裕があれば、親のめんどうをみる」と。
(この数字とて、ほぼ10年前の数字。)
実際には、みな、目一杯の生活をしている。
経済的に余裕のある人など、いない。
若い世代では、さらにいない。
●親バカ
こうして順に考えていくと、子どもに学費をかけることが、いかに無駄かがわかってくる。
あえて言うなら、子どもを遊ばせるために、その遊興費を提供するようなもの。
が、何よりも悲劇なのは、そのためにする親の苦労など、今時の大学生にじゃ通じない。
当たり前。
「電話をかけてくるのは、お金がほしいときだけ」というのは、親たちの共通した認識である。
むしろ逆に、(してくれないこと)を、怒る。
「みなは、毎月20万円、送金してもらっている」
「どうして結婚の支度金を出してくれないのか」と。
保護、依存の関係も行き過ぎると、そうなる。
保護される側(子ども)は、保護されて当然と考える。
一方、保護するほうは、一度、そういう関係ができてしまうと、簡単には、それを崩すわけにはいかない。
罪の意識(?)が先に立ってしまう。
どこか一方的な、つまり否定的な意見に聞こえるかもしれないが、こうして世の親たちは、みな、つぎつぎと親バカになっていく。
●老後の用意
しかし私たちの老後は、さみしい。
蓄(たくわ)えも乏しい。
社会保障制度も、立派なのは、一部の施設だけ。
3人のうちの1人が老人という世界で、手厚い介護など、期待する方がおかしい。
となると、自分の息子や娘たちに、となる。
しかし肝心の息子や娘たちには、その意識はまるでない。
ある友人は、こう言った。
「うちの息子夫婦なんか、結婚して3年目になるが、嫁さんなど、来ても、家事はいっさい手伝わない。いつもお客様だよ」と。
別の友人もこう言った。
その友人の趣味は魚釣り。
そこで釣ってきた魚を、嫁に料理をさせようとしたら、こう言ったという。
「キモ~イ、こんなこと、私にさせるのオ?」と。
この話をワイフにすると、ワイフもこう言った。
「私の友だちのSさんなんかね、長男は、歩いて数分のところに住んでいるだけどね、毎週、実家へ子どもたちを連れて夕食を食べに来るんだってエ」と。
で、私が、「食費はだれが出すの?」と聞くと、「もちろん友だちのSさんよ。長男たちは、それで食費を浮かせようとしているのね」と。
さらに「料理は、だれがするの?」と聞くと、「Sさんよ。嫁さんは、デンと座っているだけだそうよ。たまに食器は洗ってくれるそうよ。でもそれだけ」と。
私が「ヘエ~~」と驚いていると、さらにワイフは、驚くべきことを口にした。
「それでいて、長男は、親のめんどうをみているのは自分と、思いこんでいるみたいね」と。
私「親のめんどう・・・?」
ワ「そうよ。弟夫婦たちが実家へ来ると、兄貴風を吹かして、弟夫婦に、『お前たちも、ときには、親のめんどうをみろ』って言ってるんだってエ」
私「あきれるね」
ワ「そうね。孫の顔を見せるだけでも、ありがたく思えというところかしら」と。
●何かおかしい?
何か、おかしい。
何か、まちがっている。
しかし今は、そういう時代と思って、その上でものを考えるしかない。
子どもたちというより、その上の親たちが、そういう世代になっている。
その親たちに向かって、「子育てとは・・・」と説いても、意味はない。
言うなれば、ドラ息子、ドラ娘になりきった親たちに向かって、ドラ息子論、ドラ娘論を説くようなもの。
意味はない。
言い換えると、私たち自身が、「甘えの構造」から脱却するしかない。
「子どもたちに依存したい」「依存できるかもしれない」「子どもたちが世話をしてくれるかもしれない」と。
そういう(甘え)から、脱却するしかない。
さらに言えば、「私たちの老後には、息子や娘はいない」。
そういう前提で、自分たちの老後を考える。
●私のケース
私の息子たちが特殊というわけではない。
見た目には、ごく平均的な息子たちである。
中身も、ごく平均的な息子たちである。
だからこう書くといって、息子たちを責めているわけではない。
しかしときどき会話をしながら、その中に、「老後の親たちのめんどうをみる」という発想が、まったくないのには、驚く。
まったく、ない。
むしろ逆。
こう言う。
「相手の親(=嫁の親)は、~~してくれた」「どうしてパパ(=私)は、してくれないのか?」と。
「パパは、仕事ばかりして、ぼくたちのことを構ってくれなかった」とも。
息子夫婦にしても、「家族」というのは、自分と自分たちの子どもを中心とした(親子関係)をいう。
目が下ばかり向いている。
が、それはそれでしかたのないこと。
息子たちは息子たちで、自分たちの生活を支えるだけで、精一杯。
私たち夫婦だって、そうだった。
が、それでも、お・か・し・い。
●満62歳にして完成
・・・こうして親は、子離れを成しとげる。
(甘え)を、自分の心の中から、断ち切る。
そして一個の独立した人間として、自分の老後を考える。
というのも、私たちの世代は、まさに「両取られの世代」。
親にむしり取られ、子どもたちにむしり取られる。
最近の若い人たちに、「ぼくたちは、収入の半分を実家に送っていた」と話しても、理解できないだろう。
それが当たり前だった時代に、私たちは、生まれ育った。
が、今は、それが逆転した。
今では子どもの、その子ども(つまり孫)の養育費まで、親(つまり祖父母)が援助する。
それが親(つまり祖父母)ということになっている。
が、そこまでしてはいけない。
このあたりでブレーキをかける。
かけなければ、この日本は、本当に狂ってしまう。
(すでに狂いぱなし、狂っているが・・・。)
少し前も、私は「車がほしい」というから、息子に、現金を渡してしまった。
それで私たちは、H社のハイブリッドカーを買うつもりだった。
それについて、まずオーストラリアの友人が、「渡してはだめだ」と忠告してくれた。
義兄も、「ぜったいに、そんなことをしてはだめだ」と言った。
「息子のほうが、今までのお礼にと、新車を買ってくれるという話ならわかるが、逆だ」と。
私も親バカだった。
息子たちに怒れるというよりは、自分に怒れた。
心底、自分に怒れた。
何日か眠れない日がつづいた。
が、それが終わると、私の心はさっぱりとしていた。
息子たちの姿が、心の中から消えていた。
はやし浩司、満62歳にして、子離れ完成、と。
それをワイフに話すと、ワイフは、こう言って笑った。
「あなたも、やっと気がついたのね」と。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 子離れ 親離れ 依存性 甘えの構造 甘え 子どもへの依存性 老後 はやし浩司 親バカ論)
●親バカにならないための10か条
(1)必要なことはしろ。しかしやり過ぎるな。
(2)求めてきたら、与えろ。先回りして与えるな。
(3)一度は、頭をさげさせろ。「お願いします」と言わせろ。
(4)子どもに期待するな。甘えるな。
(5)親は親で、自分の人生を生きろ。子どもに依存するな。
(6)社会人になったら、現金は、1円も渡すな。
(7)嫁や婿の機嫌を取るな。嫌われて当然と思え。
(8)自分の老後を冷静にみろ。無駄な出費をするな。
(9)遺産は残すな。自分たちで使ってしまえ。
(10)少なくとも子どもが高校生になるころには、子離れを完成させろ。
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●現状
現状をみるなら、都会の大学へ子どもを送り出すことは、できるならやめたほうがよい。
非公式な調査だが、地方の両親のもとに帰ってくる、あるいは「呼び寄せられる距離」に
戻ってくる若者は、まず、いない。
また息子や娘が大学生になるころ、親は、まさに貧乏盛り。
それこそ爪に灯をともすようにして、学費を工面する。
が、やっと送金から解放されたと思ったら、そこに待っているのは、「老後」。
企業年金や共済年金のある人は、まだよい。
しかし私たちのように、国民年金しかない人間は、どうしたらよいのか。
息子や娘たちには負担をかけたくない。
めんどうや迷惑をかけたくない。
その気持ちは、私にもある。
しかしこの(現実)を乗り越え、「死」を迎えるためには、どうしたらよいのか。
いや、お金だけの問題ではない。
老人には、もうひとつ、重大な問題がある。
それが「孤独」との闘いである。
●孤独
孤独の恐ろしさは、あのイエス・キリストも経験している(マザー・テレサ)。
それについての原稿も書いたことがある。
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●真理と孤独
キリストや釈迦は、多くの人を救った。しかしキリストや釈迦自身は、どうだったか? 救われたか? もっと言えば、孤独ではなかったか?※
キリストにも釈迦にも、弟子はいた。しかし師と弟子の関係は、あくまでも師と弟子の関係。
師は、あくまでも智慧(ちえ)を与える人。弟子は、あくまでもその智慧を受け取る人。弟子たちはそれでよいとしても、師であるキリストや釈迦は、どうだったのか? それでよかったのか?
真理の荒野をひとりで歩くことは、それ自体は、スリリングで楽しい。しかし同時に、それは孤独な世界でもある。(私が求めている真理など、真理ではないかもしれないが、それでもそう感ずることがよくある。)とくに、現実の世界に引き戻されたとき、その孤独を強く感ずる。「人生は……」などと考えていたところへ、幼児がやってきて、「先生、ママがいなア~イ」と。
そこで心の調整をしなければならないが、私のばあい、思索の世界から離れたときは、その反動からか、今度は極端に、バカになる。バカになって、心の緊張感を解く。孤独から離れる。もしあなたが、私の近くへやってきて、私を知ったら、私のことを、ひょうきんで、おもしろい男だと思うだろう。私は子どものみならず、おとなに対しても、笑わせ名人で、いつも周囲の人たちをゲラゲラ笑わせている。私のワイフですら、「あんたといると、退屈しない」と言っている。昨夜も寝るまで、ワイフを笑わせてやった。
が、反対に、そういう外での私しか知らない人は、私の作品を読んだりすると、「これ、本当にあなたの文ですか?」と聞いたりする。そこまではっきりと言わないまでも、驚く人は多い。「あの『はやし浩司』って、あなたのことでしたか?」と言った人もいる。
が、キリストや釈迦は、そうではない。あるいはひょっとしたら、ひょうきんで、おもしろい人だったかもしれないが、そういう話は、伝わっていない。……となると、やはり、キリストや釈迦は、どうやって、孤独と戦ったかということになる。ふつうなら……という言い方はしてはいけないのだろうが、しかしふつうなら、何らかの形で自分の心をいやさないと、とても孤独には、耐えられない。
もっともキリストにせよ、釈迦にせよ、私たちをはるかに超越した世界に住んでいたのだから、孤独ということはなかったかもしれない。……となると、また別の問題が生まれてくる。
もし、仮に、だ。もし、あなたが、ある惑星に落とされたとする。そしてその惑星は、サルの惑星で、サルたちが、サルのまま、野蛮な生活をしていたとする。一方、あなたには、知性がある。言葉もある。道徳も、倫理もある。もしあなたがそういう世界に落とされたとしたら、あなたはどうなるだろうか。あなたは神や仏のように祭られるだろう。しかしあなたはその世界がもつ、孤独に耐えられるだろうか。もう少しわかりやすい例で考えてみよう。
幼児教育をしていて、ゆいいつ、つまらないと思うのは、いくら幼児と接しても、私と幼児の間には、人間関係が生まれないということ。この点、大学生や高校生を教える先生は、うらやましい。教えながら、人間対人間の関係になる。そこから人間関係が生まれる。が、幼児教育には、それがない。で、そういう幼児だけの世界にいると、ときどき、言いようのない孤独感に襲われるときがある。私が考えていることの、数千分の一も、子どもたちには伝わらない。説明してあげようと思うときもあるが、あまりの「へだたり」に、呆然(ぼうぜん)とする。
つまり、人は、その世界を超越すればするほど、その分だけ、孤独になる? キリストや釈迦のような「人」であれば、なおさらだ。となると、話は、また振りだしに戻ってしまう。「キリストや釈迦は、多くの人を救った。しかしキリストや釈迦自身は、どうだったか? 救われたか? もっと言えば、孤独ではなかったか?」と。
もちろんキリストや釈迦を、私たちと同列に置くことはできない。本当にそうであったかどうかは、私にはわからないが、彼らは真理に到達した「人」たちである。もしそうなら、その時点で、孤独からは解放され、その時点で、さらに真の自由を手に入れていたことになる。あるいは、キリストや釈迦は、私たちが考えもつかないような世界で、もっと別の考え方をしていたのかもしれない。
考えていくと、この問題は、結局は、私自身の問題ということになる。真理などというのは、簡単に見つかるものではない。恐らく私が、何百年も生き、そして考えつづけたとしても、見つからないだろう。もしそうであるとするなら、私はその真理に到達するまで、つまり死ぬまで、その一方で、この孤独と戦わねばならない。
もちろん、キリストや釈迦のように、真理に到達すれば、あらゆる孤独から解放されるのだろう。が、そうでないとしたら、一生、解放されることはない? しかも、だ。皮肉なことに、真理に近づけば近づくほど、ほかの人たちからの孤立感が大きくなり、そしてその分だけ、孤独感はますます強くなる?
そういう意味で、真理と孤独は、密接に関連している。紙にたとえて言うなら、表と裏の関係といってもよい。世界の賢者たちも、この二つの問題で、頭を悩ました。いくつかをひろってみよう。
●この世の中で、いちばん強い人間とは、孤独で、ただひとり立つ者なのだ。(イプセン「民衆の敵」)
●われは孤独である。われは自由である。わらは、われ自らの王である。(カント「断片」)
●つれづれわぶる人は、いかなる心ならむ。まぎるる方なく、ただ一人(ひとり)あるのみこそよけれ。(吉田兼好「徒然草」)
●孤独はすぐれた精神の持ち主の運命である。(ショーペンハウエル「幸福のための警句」)
●人はひとりぼっちで死ぬ。だから、ひとりぼっちであるかのごとく行為すべき。(パスカル「パンセ」)
簡単に「孤独」と言うが、孤独がもつ問題は、そういう意味でも、かぎりなく大きい。人生における最大のテーマと言ってもよい。そうそうあの佐藤春夫(一八九二~一九六四、詩人・作家)は、こう書いている。『神は人間に孤独を与へた。然も同時に人間に孤独ではゐられない性質も与へた』と。この言葉のもつ意味は、重い。
※マザーテレサの言葉より……
●孤独論
孤独は、あらゆる人が共通してもつ、人生、最大の問題といってよい。だからもしあなたが今、孤独だからといって、それを恥じることはない。隠すこともない。大切なことは、その孤独と、いかにうまく共存するかということ。さあ、あなたも声を出して叫んでみよう。「私はさみしい」と。マザーテレサは、つぎのように語っている。
訳はかなりラフにつけたので、必要な方は、原文をもとに、自分で訳してほしい。
When Christ said: "I was hungry and you fed me," he didn't mean only the hunger for bread and for food; he also meant the hunger to be loved. Jesus himself experienced this
loneliness. He came amongst his own and his own received him not, and it hurt himthen and it has kept on hurting him. The same hunger, the same loneliness, the same having no one to be accepted by and to be loved and wanted by. Every human being in that case resembles Christ in his loneliness; and that is the hardest part, that's real hunger.
キリストが言った。「私は空腹だった。あなたが食事を与えてくれた」と。彼は、ただ食物としてのパンを求める空腹を意味したのではなかった。彼は、愛されることの空腹を意味した。キリスト自身も、孤独を経験している。つまりだれにも受け入れられず、だれにも愛されず、だれにも求められないという、孤独を、である。彼自身も、孤独になった。そしてそのことが彼をキズつけ、それからもキズつけつづけた。どんな人も孤独という点では、キリストに似ている。孤独は、もっともきびしい、つまりは、真の空腹ということになる。
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●運と確率
老後は、この孤独との闘いといっても過言ではない。
病気になれば、なおさら。
今では通りを歩いていて、半身不随になった老人を見かけるのは、珍しくない。
「明日は我が身」。
そういう老人を見かけるたびに、胸がつまる。
「自分は歩けるから、よかった」などとは、思わない。
遅かれ早かれ、私もああなる。
あなたもああなる。
時間の問題。
運と確率の問題。
健康であっても、孤独との闘いはつらい。
いわんや、病気になったら……。
孤独感は、倍加する。
で、自らに問う。
「私には、それと闘う力はあるか?」と。
答は、「NO!」。
●先細り感
で、老後の最大の「敵」は、「先細り感」ということになる。
よりどころのない、「孤独感」といってもよい。
たまたま先週、過労が重なって、私は一過性の(?)、難聴になってしまった。
右耳は、もとから聞こえない。
そのときは、左耳が、聞こえなくなった。
ほとんど聞こえなくなってしまった。
そのとき私が感じた孤独感には、相当なものがある。
すぐ床に入ったが、胸騒ぎがはげしく、なかなか寝つかれなかった。
もちろん助けは、ない。
まただれかに助けてもらえるような話でもない。
ひとり、ただひとり、じっとそれに耐えるしかなかった。
ゆいいつ、ワイフの言葉だけが、私を救った。
「これからは私があなたの耳になってあげるから」と。
それを聞いて、私はワイフの胸の中で、涙を流した。
しかしこうした先細り感は、この先、ふえることはあっても、なくなることはない。
それが「老後」ということになる。
●気力
よく誤解されるが、また「まったくの誤解」と断言してよいが、老人になれば、
「死」を受け入れるようになるというのは、ウソ!
まったくのウソ!
むしろ「死」が近い分だけ、「死」を恐れるようになる。
また老人は、「生きたい」という気力が弱くなると考えている人もいる。
が、これもウソ。
最後の最後では、死を受容することになる。
そのときは、そうかもしれない。
しかしそれまでは、まさに気力との闘い。
その気力は、負の一次関数的に減少していくのではない。
私の想像では、(つまり今までに、いろいろな人の死を見てきた範囲では)、
気力は、ある日突然、ガクンと音をたてて消える。
つまりそれまでは、気力はある。
気力がある以上、「生きたい」という気持ちは消えない。
10代や20代の人が、「生きたい」と思う程度、あるいはそれ以上に、
「生きたい」と思う。
●喪失感
冒頭で、喪失感について書いた。
しかし「喪失感」というのは、私はまだ経験していない。
何かにつけ、自信がなくなってきた部分はある。
電話番号にせよ、一度では覚えられないときがある。
また聞いても、不安になるから、ものに書き留める。
ミスも多くなった。
しかしそれは喪失感ではない。
さらに肉体についてもそうだ。
温泉などに行って、自分の肉体を鏡に映してみる。
そういうとき、自分のジジイ体型に、ときとしてゾッとするときがある。
が、だからといって、若い人の体型に戻りたいとは思わない。
たいへんぜいたくな話に聞こえるかもしれないが、もし神様か何かが、
私にこう言ったとする。
「もう一度、若い時代に戻してやろうか?」と。
たぶん、今の私なら、それを断わるだろう。
「人生は一度で、たくさん」と。
あるいは、また振り出しから、人生を歩めと言われても、それは私にはできない。
肉体というより、今、私がもっている(思想)を、そのまま若い時代に持ち込める
なら、若い時代に戻りたい。
しかし未熟で未経験で、かつ無知であるなら、肉体だけ若くしてもらっても、
うれしくない。
ただ誤解してほしくないのは、私たちは、一方的にものを失っていくのでは
ないということ。
得るものも、ある。
そのひとつが、生きていることのすばらしさ。
それがわかるようになる。
目が見える。
音が聞こえる。
歩ける。
話ができる。
そういったささいなひとつずつのことが、そのまま喜びとなって返ってくる。
●死の受容段階論
それよりも今は、「時間がない」という焦燥感のほうが、強い。
いつか書いたように、大病で、「余命は1年」と言われたような状態。
「1年」であろうが、「15年」であろうが、それほど、ちがわない。
(私はもうすぐ63歳だから、平均寿命まで、残り15年ということになる。)
以前、キューブラー・ロスの『死の受容段階論』について書いた。
その段階論を老人論にからめて書いた。
++++++++++++++++++
その原稿をさがしてみる。
日付は20018年の10月になっている。
この原稿を書いたときは、まだ私は若かった。
今、読みなおしてみると、それがよくわかる。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●キューブラー・ロスの『死の受容段階論』
キューブラー・ロスの「死の受容段階論」は、
よく知られている。
「死」を受容する過程で、人はさまざまな反応を
示すが、それをキューブラー・ロスは段階論として
それを示した。
しかしこの「死の受容段階論」は、そのまま
「老人段階論」にあてはめることができる。
+++++++++++++++++++++
●キューブラー・ロスの「死の受容段階論」(「発達心理学」山下冨美代著、ナツメ社より)
キューブラー・ロスの「死の受容段階論」について。
ロスは、死に至る過程について、つぎの5期に分けて考えた。
(第1期) 否認……病気であることを告知され、大きなショックを受けたのち、自分の病気は死ぬほど重いものではないと否認しようとする。
(第2期) 怒り……否認の段階を経て、怒りの反応が現れる。その対象は、神や周囲の健康な人、家族で、医療スタッフに対する不平不満としても生ずる。
(第3期) 取り引き……回復の見込みが薄いことを自覚すると、神や医者、家族と取り引きを試みる。祈ることでの延命や、死の代償として、何かを望む。
(第4期) 抑うつ……死期が近づくと、この世と別れる悲しみで、抑うつ状態になる。
(第5期) 受容……最後は平静な境地に至という。運命に身を任せ、運命に従い、生命の終わりを静かに受け入れる。(以上、同書より)
●私の母のばあい
私の母のばあい、ひざに故障が起きて、歩くのもままならなくなったとき、
ひどく医者をうらんだ時期があった。
「どうして治らない」「どうして治せない」と。
つぎに自分が老いていくことを許せなかった時期もあった。
たとえば温泉に行くことについても、「恥ずかしいからいやだ」と、かたくなに、
それを拒んだりした。
つぎに自分が動けなくなったことに腹をたて、私の兄に、八つ当りをしたこともある。
兄をののしり、兄を理由もなく、叱ったりした。
が、それも一巡すると、(あるいはその前後から)、ちぎり絵に没頭するようになった。
一日中、部屋にこもって、ちぎり絵をしていた。
さらにこれは、私にも信じられないことだったが、私の家に来てからは、まるで別人の
ように、静かで、おとなしくなった。
ざっと、母の様子を振り返ってみた。
が、それ以前の母はというと、ふつうの女性以上に、勝気で虚栄心が強く、わがまま
だった。
こうした母の変化を順に並べてみると、キューブラー・ロスの「死の受容段階論」に、
恐ろしいほどまでに、当てはまるのがわかる。
(第1期) 否認……病気であることを告知され、大きなショックを受けたのち、自分の病気は死ぬほど重いものではないと否認しようとする。
母は、毎日のように治療に専念するようになった。
病院通いのほか、知人、友人の勧めに応じて、いろいろな治療法を試みた。
(第2期) 怒り……否認の段階を経て、怒りの反応が現れる。その対象は、神や周囲の健康な人、家族で、医療スタッフに対する不平不満としても生ずる。
が、治療の効果がないとわかると、一転、「どうして治らない!」と、周囲の人たちに当たり散らすようになった。
(第3期) 取り引き……回復の見込みが薄いことを自覚すると、神や医者、家族と取り引きを試みる。祈ることでの延命や、死の代償として、何かを望む。
もともと信心深い人だったが、ますます信仰にのめりこんでいった。
(第4期) 抑うつ……死期が近づくと、この世と別れる悲しみで、抑うつ状態になる。
一日中、部屋にこもって、ちぎり絵に没頭するようになった。
(第5期) 受容……最後は平静な境地に至という。運命に身を任せ、運命に従い、生命の終わりを静かに受け入れる。
私の家に来てからは、すべてを観念したかのように、静かに、おとなしくなった。
デイサービスなど、一度とて、それを拒否したことはない。
センター(特別養護老人ホーム)へ入居するときも、すなおに入居した。
母だけの例で、すべての老人もそうであると考えるのは、もちろん正しくない。
しかしほかの老人たちの話を聞いても、それほど、ちがっていない。
つまりキューブラー・ロスの「死の受容段階論」は、そのまま、これから先の私たち自身の老後の姿と考えてよい。
(第1期) 否認……老人であることを否定する。「私は、まだ若い」と主張する。
(第2期) 怒り……老人扱いする周囲に怒りを覚える。「老人を大切にしない」と怒る。
(第3期) 取り引き……若い人に妥協したり、媚びを売ったりする。
(第4期) 抑うつ……身体的な症状が顕著になってくると、うつ状態になる。
(第5期) 受容……老人であることを受け入れ、死に対する心の準備を始める。
この段階論で、自己分析を試みると、私は、現在(第1期)~(第2期)ということになる。
しかしこれも心の持ち方で、かなり変化する。
というのも、「老人というのは、自ら老人になるのではなく、周囲の人たちによって、老人につくられていくから」である。
定年という制度も、そのひとつ。
同じ満60歳といっても、健康状態は、みなちがう。
肉体年齢や精神年齢にしても、そうだ。
そういう人たちを、ひとまとめにして、「定年」と決めるほうが、おかしい。
まちがっている。
55歳でヨボヨボの人もいれば、70歳でテニスのコーチをしている人もいる。
私も「あなたも定年の年齢になりましたね」と言われることくらい、不愉快なことはなかった。
定年であるかどうか、もっと言えば、老人であるかどうかは、自分で決めること。
しかし世間全体が、大きな(波)の中で動いている。
私ひとりが、それに抵抗しても、その力は、弱い。
私もいつしか、……と書きたいが、実際には、このところ逆のパワーが強くなってきた。
「生きて、生きて、生き抜いてやる」というパワーが、大きく作用するようになった。
と、同時に、「私は老人である」という考えが、どんどんと薄れていった。
コツがある。
(1) 過去を振り返らない。
(2) 未来だけを見ていく。
(3) 他人に遠慮しない。
あえて(第1期)の否認や、(第2期)の怒りを、経験する必要はない。
身体的な不調がないわけではないが、それについては、運動で克服する。
これは私の経験だが、加齢とともに、運動量をふやすことは、とても重要なことである。
歳をとったから、運動量を減らすなどいうことをすれば、かえって老化を早めてしまう。
また「健康」といっても、3つある。
肉体の健康、精神の健康、それに脳みその健康である。
肉体の健康は、運動で。
精神の健康は、人と接することで。とくに子どもたちと接するのがよい。
また脳みその健康は、脳みそを刺激することで、それぞれ維持する。
具体的には、私夫婦は、つぎのように目標をかかげている。
(1) 1日、2単位の運動をする。
(2) 月に2回は、日帰りの旅行をする。
(3) 週に1度は、劇場で映画を見る。
「人(子ども)と接する」ことについては、私の仕事を利用させてもらっている。
最近は、ワイフも、いっしょに仕事をすることも多くなった。
さらに私のばあい、月に4~5回の講演活動をしているが、これはたいへん脳みその刺激によい。
会場で1~2時間、大声でしゃべりつづけるだけでも、ボケ防止になるのでは(?)。
要するに、何もあわてて老人になることはない。
年齢という(数字)に影響を受ける必要もない。
またそんなものを気にしてはいけない。
「私は私」。
キューブラー・ロスの「死の受容段階論」は、あくまでも一般論。
何も、それに従う必要はない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi Hamamatsu 林浩司 林 浩司 教育評論家 キューブラー ロス 死の受容段階論 死の受忍 死の受容 死を受け入れる 老後段階論)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●終わりに
つまり、今、私はそのキューブラー・ロスの段階論の過程の中にいる。
どの段階かということは言いにくい。
ばくぜんとしている。
あえて言うなら、(第1期)~(第3期)を経て、(第4期)にさしかかっている
ということか。
で、最後に一言。
また私はこうして否定的なことばかり書いてきたが、実際には、闘志が消えた
わけではない。
「70歳まで現役」を心に決めた。
またそのために、「今」どうあるべきかを、考えている。
健康、精神、そして経済。
この3つの柱をどう組み立てていくか。
それぞれが大きな課題だが、私には選択の余地はない。
闘うしかない。
闘って、闘い抜くしかない。
そのあとのことは、私にもわからない。
あるいはその過程で、何があるか、私にもわからない。
「老後を生きる」というのは、私にとっては、そういうことになる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 老後論 老後を生きる 老後の生き方)
Hiroshi Hayashi+教育評論++June.2010++幼児教育+はやし浩司
2010年6月28日月曜日
*Dyslexia & Alexia
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彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
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q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
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凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
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子育て最前線の育児論byはやし浩司 6月 28日号
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●読み・書きのできない子どもたちと、その診断
+++++++++++++++++
日本人の5%前後、アメリカ人の
10~15%が、難読症もしくは
失読症と言われている。
+++++++++++++++++
【識字障害・文献資料】(「Brain -Mind Com.、アメリカの文献より)
http://brainmind.com/Dyslexia43.html
Dyslexia & Alexia
From: Neuropsychiatry, Neuropsychology, Clinical Neuroscience (Williams & Wilkins,
1996)
by Rhawn Joseph, Ph.D.
Dyslexia(難読症) & Alexia(失読症)
The Inability to Read (読むことができない人たち)
Dyslexia is a disturbances in the ability to read, whereas alexia refers to a complete loss
of reading ability. In general, whereas dyslexia is primarily a congenital disturbance,
alexia is an acquired disorder and is due to a neurological injury generally in the
vicinity of the temporal, occipital, parietal lobe. ALEXIA
難読症というのは、読解力が混乱した状態をいう。
失読症というのは、読解力が完全に欠落した状態をいう。
There are a variety of theories which purport to explain the mechanisms involved in
reading and the comprehension of written language. Reading, of course, requires
activation of the visual areas in the occipital and temporal lobes, so that the symbolic
form of the letter or word is perceived, which in turn enables the viewer to determine
that the form is a letter or a series of letters making up a word.
However, not only must letters or groups of letters be recognized and their temporal
order ascertained (referred to as "orthographic" processing); but there must be semantic
processing. That is, the letters and words are perceived and then the relation of a series
of letters or words to each other are recognized so that the meaning of the word or
sentence can be derived.
Words are not only seen and thus read, but the sound of the written word, as it is read
(or written) may "be heared" within the privacy of one's head. This is referred to as the
"phonological" aspect of reading.
The phonological stages of reading and linguistic analysis involves activation of
Wernicke's receptive speech area (in the temporal lobe) and Broca's expressive speech
area (in the frontal lobe). In some cases, individuals will move their lips as they read,
which is due to activation and participation of Broca's area which programs the oral
musculature for the purposes of speech.
Yet another region of the brain that contributes significantly to reading ability is the
inferior parietal lobe (IPL). The IPL becomes highly active when reading, as
demonstrated by functional imaging (Demonet, et al., 1994; Paulesu, et al., 1993; Price,
1997).
Different regions of the brain, therefore, interact during various stages of reading, such
that in consequence, abnormalities of or lesions to different areas can result in different
types of reading abnormalities.
For example, a small lesion to one area of the brain, may result in an inability to
recognize sentences or long words, whereas the ability to recognize letters and short
words remains intact. With damage to yet another brain area, the patient may suffer
fraom an inability to derive semantic meaning from words once they are read.
In some cases,the patient may lose the ability to read, but retains the ability to write,
and can spell and write the very words he cannot read. (Coltheart, 1998; Miceli et al.,
1999; Miozzo & Caramazza, 1998; Goodglass & Kaplan, 2000).
For example, injuries the left IPL can disrupt the ability to read and spell. This is
because the IPL matches auditory images to visual images and associates both so as to
form multimodal concepts including those necessary for reading and the comprehension
of written language. However, this disorder is due not only to IPL damage, but to
disconnection from the occipital and temporal lobes which perform visual and auditory
functions.
Damage to the IPL or to the superior temporal lobe, can also disrupt the ability to spell
by sound and to engage in phonological processing, such that patients can no longer
hear (in their head) the sound of the words they are reading, nor can they match the
sounds they hear to the visual-motor components of reading (the generation and
comprehension of visual symbols, i.e. words and letters).
The Loss of the ability to engage in phonological processing or to spell by sound is a
common feature of dyslexia and alexia (Brady & Shankweiler, 1991; Miceli et al., 1999)
and is common with middle temporal lobe injuries.
Injuries to Wernicke's area (and thus the left superior temporal lobe) also disrupts
reading, writing, and all aspects of linguistic comprehension. Not only is reading
compromised but patients may lose the ability to comprehend spoken language.
Individuals diagnosed as suffering from developmental dyslexia have frequently been
found to have abnormalities in temporal lobe and IPL , 1997) as well as in the IPL and
left superior temporal lobe (Denays et al., 1989; Galaburda et al., 1985); Rumsey et al.,
1992; Tzourio et al.,1994). The IPL and the temporal lobe thus appear to be the primary
structures involved in reading.
The IPL, middle temporal lobe, and Wernicke's area are richly interconnected, and in
some respects coextensive. These areas are also linked to Broca's Expressive speech
area and the frontal motor areas, which is why some people move their lips when they
read.
THE NEUROLOGY OF READING.
(神経病学からの考察)
From a neurodynamic perspective the process of reading involves the perception and
analysis of visual impulses in the primary and association visual receiving areas (in the
occipital lobes). This information is next transferred to the visual association cortex
where higher level information processing is carried out and visual associations formed.
These visual associations are next transmitted to a variety of areas (Haxby, et al., 1991;
Peterson, et al., 1988, 1990; Price, 1997; Zeki, 1997) including Broca's and Wernicke's
area, the inferior and middle temporal lobe and the IPL. It is in these latter cortical
regions where multimodal and linguistic assimilation take place so that the auditory
equivalent of the visual stimulus may be retrieved. That is, via these interactions visual
grapheme clusters become translated into phonological sound images. In this manner
we know what a written word looks and sounds like. It is also possible, however, to
bypass this phonological transcoding phase so that word meanings can be directly
accessed (i.e. lexical reading).
THE DEVELOPMENT OF READING.
(読解力の発達)
It is generally believed, in learning to read, that visual symbols are recognized as
graphemes (letters) and that these graphemes are decoded and then converted to
phonemes (via the IPL which performs an auditory matching function), i.e. phonological
analysis. In this manner, the child learns to associate written symbols with spoken
words.
This requires that written (and verbal) language also be broken down into syllables and
phonemes so that auditory-visual associations can be made; i.e. "phonological
awareness." The sound of the word is matched with its visual image.
The greater a child's phonological awareness, the greater is their reading ability (Brady
& Shankweiler, 1991).
Presumably, it is only after the child develops their phonological awareness, and after
increased experience with reading, that they are able to bypass the phonological
transcoding phase and engage in lexical reading. Thus, as the childs ages and learns to
read, phonological processing becomes subsumed and employed only secondarily when
confronted with unfamiliar words.
THE NEUROLOGY OF READING
Although it is likely that most individuals utilize both lexical and phonological
strategies when reading, in either case the temporal-parietal-occipital lobes are all
implicated. These structures all participate, to varying degrees in phonological and
lexical processing. Indeed, as demonstrated through functional imaging, reading
activates Wernicke's area and the left posterior temporal lobe (Bookheimer, et al., 1995;
Howard et al., 199), including the supramarginal gyrus (Bookheimer, et al., 1995), and
angular gyrus (Price, 1997), the latter structures comprising the inferior parietal lobe.
Conversely lesions to these different areas produce alexic disturbances.
SUBTYPES OF ALEXIA AND DYSLEXIA DEPEND ON LESION SITE
(障害部位の違いによる、別の種類の難読症、失読症)
With lesions of the angular gyrus, or when damage occurs between the fiber pathways
linking the left inferior parietal lobule with the visual cortex (i.e. disconnection),
patients may suffer from Pure Word Blindness--also referred to as Pure Alexia
(Coltheart 1998; Miozzo & Caramazza, 1998). Patients can see without difficulty, but
are unable to recognize written language. Written words evoke no meaning.
However, because the left posterior basal temporal lobe is a convergence zone for visual,
auditory, and tactile information, and becomes activated during a variety of language
tasks, including reading and object and letter naming (Buchel et al., 1998; Price, 1997),
if injured, patients may suffer from reading and naming deficits (Rapcsak, et al., 1987);
a condition referred to as phonological alexia. Moreover, patients with developmental
dyslexia have been found to have abnormalities in this latter area (Rumsey et al., 1997).
Thus there are several subtypes of reading disturbances which may occur with left
cerebral damage or congenital disturbances involving these tissues (Coltheart 1998;
Miceli et al., 1999; Miozzo & Caramazza, 1998). These include literal, verbal, and global
alexia, and alexia for sentences, as well as developmental dyslexia. In addition, alexia
can sometimes result from right hemisphere lesions, a condition referred to as Spatial
Alexia. All these disorders, however, are acquired and should be distinguished from
developmental dyslexia which is present since childhood (see Njiokiktjien, 1988).
DEVELOPMENTAL DYSLEXIA
Developmental dyslexia is one of the most common of all learning disabilities, effecting
up to 8% of the school aged population. There is an obvious genetic foundation to this
disorder, as is evident from the high familial risk rates that range from 35% to 45%
(Smith et al., 1990) and many of these children suffered from even more profound
language disorders during their preschool years, e.g. developmental dysphasia.
Developmental dysphasias affect from 8% to 15% of all preschool children and most of
these children, even as they acquire language, continue to suffer severe disturbances in
reading and spelling (Aram et al. 1984); a function, in part, of not only brain
abnormalities, but persisting deficits in phonological processing.
Congenital disturbances involving these tissues (dysplasia, ectopias), including the
middle temporal lobes, the perisylvian regions and the planum temporal, are associated
with developmental dyslexia (Galaburda et al., 1985). Using functional imaging,
Rumsey et al. (1992) and Tzourio et al., (1994) found that dyslexic children failed to
activate the left temporal-parietal cortex when engaged in word tasks, whereas Denays
et al. (1989) found hypoperfusion in this same area.
PURE WORD BLINDESS. ALEXIA WITHOUT AGRAPHA
(文字表出能力障害を伴わない、失読症)
Pure alexia, or alexia without agraphia (due to the preservation of the ability to write) is
a condition where patients are unable to read written words, or even recognize single
letters (Coltheart 1998; Miozzo & Caramazza, 1998). However, if words are spelled out
loud, they have little difficulty with comprehension (due to intact pathways from
Wernicke's to the angular gyrus). Moreover, they are able to speak, spell as well as write
without difficulty. Nevertheless, although able to write, they are unable to read what
they have written.
In general, the lesion appears to be between the left angular gyrus and the occipital lobe
(in the arterial distribution of the left posterior cerebral artery), and extends to within
the splenium of the corpus callosum (Benson, 1979; Vignolo, 1983) which prevents right
hemisphere visual input from being transferred to the inferior parietal lobe of the left
half of the brain. Sometimes this condition is due to a tumor or following a head injury
accompanied by a hemotoma involving the white matter underlying the inferior parietal
lobule (Greenblatt, 1983) and or the temporal-parietal cortex (Rumsey et al. 1992). In
these instances the left angular gyrus is unable to receive visual input from the left and
right visual cortex and visual input cannot be linguistically translated. The patient
cannot gain access to the auditory equivalent of a written word.
Although unable to read written language, this syndrome is not always accompanied by
a visual field defect (hemianopsia). Moreover, objects may be named correctly (Hecaen &
Kremimin, 1977). However, patients may suffer from color agnosia (Benson &
Geschwind, 1969), i.e. an inability to correctly name colors. There is often (but not
always) an inability to copy written material (because of disconnection from the visual
areas) and many patients have difficulty performing math problems. In some cases the
patient suffers not only pure word blindness but blindness for numbers as well.
This condition has been described as Global Alexia by some authors. However, global
alexia is a more pervasive disorder in which the ability to write (agraphia) and name
objects is also compromised.
ALEXIA FOR SENTENCES
(長い文章の失読症)
Patients suffering from alexia for sentences are able to read letters and single words but
are unable to comprehend sentences. However, patients may have difficulty with
unfamiliar or particularly long words whereas more familiar material is easily
understood. Lesions are usually localized within the dominant occipital lobe but may
extend into the inferior parietal area.
VERBAL ALEXIA
When patienta are able to read and recognize letters but are unable to comprehend or
recognize whole words they are said to be suffering from verbal alexia. However, if
presented with short words their reading ability improves. Hence, the longer the word
the greater the difficulty reading (Hecaen & Albert, 1978). Verbal alexia usually results
from lesion involving the dominant medial occipital lobe (Hecaen & ALbert, 1978;
Hecaen & Kremin, 1977).
LITERAL/FRONTAL ALEXIA
When the patient is unable to recognize or read letters this is referred to as Pure Letter
Blindness. Pateints are usually unable to read by spelling a word out loud, and the
abilty to read numbers and even musical notion is often disturbed. Some authors have
attributed literal alexia to left inferior occipital lesions (Hecaen & Kremin, 1977).
This disorder has also been referred to as Frontal Alexia. This is because individuals
with Broca's aphasia or lesions involving the left frontal convexity have difficulty
reading aloud, and have the most difficulty with single letters rather than whole words
(Benson, 1977).
SPATIAL ALEXIA
Spatial alexia is associated predominantly with right hemisphere lesions. In part this
disorder is due to visual-spatial abnormalities including neglect and inattention. That
is,
with right cerebral lesions the patient may fail to read the left half of words or
sentences,
and may in fact fail to perceive or respond to the entire left half of a written page.
Right posterior injuries may also give rise to spatial disorientation such that the patient
is unable to properly visually track and keep place, their eyes darting half hazzardly
across the page. For example, they may skip to the wrong line. Spatial alexia may also
result from left cerebral injuries in which case it is the right half of letters, words and
sentences which are ignored (Marshall & Newcomb, 1973). Indeed, patients not only
ignore words, but sometimes the left half of the bodies and the entire left half of visual
space. Hence if they are presented with the words "help me"they may only see help. Of if
they read: "toothbrush" they may only see the word "tooth." However, if they were
presented only with the word "tooth" they would see only "too." This latter form of
spatial alexia is thus really a subtype of generalized left sided neglect and is common
with right cerebral injuries.
【識字障害の診断基準】(ウィキペディア百科事典・英語版より)
Pre-school age children(就学前幼児)
It is difficult to obtain a certain diagnosis of dyslexia before a child begins school, but
many dyslexic individuals have a history of difficulties that began well before
kindergarten. Children who exhibit these symptoms have a higher risk of being
diagnosed as dyslexic than other children. Some of these symptoms are:
就学前の子どもについて、難読症(dyslexia)の一定の診断をくだすのは、むずかしい。
しかし多くの難読症の子どもは、幼稚園へ入園する前に、何らかの問題を示すことがある。
以下の兆候を示す子どもは、他の子どもと比べて、将来、難読症と診断される可能性が高い。
その兆候について。
【幼児期】
Delays in speech
言葉の発達の遅れ。
Learns new words slowly
新しい言葉を学ぶのが遅い。
Has difficulty rhyming words, as in nursery rhymes
話す言葉がどこかぎこちない。ぎこちなさを感ずる。
Low letter knowledge
文字について能力が遅れる。
Letter reversal, ex: e b f p (normal)
鏡文字を書く。
【学童期】
Early primary school-age children(小学低学年児)
Difficulty learning the alphabet or in order
アルファベットを学ぶのが困難。
Difficulty with associating sounds with the letters that represent them
(sound-symbol correspondence)
その音を示す、文字と音を組み合わせるのが困難。
Difficulty identifying or generating rhyming words, or counting syllables in
words (phonological awareness)
文字を認識し、なめらかに文字を読むのが困難、あるいは単語の中の音節を数える
のが困難。
Difficulty segmenting words into individual sounds, or blending sounds to make
words (phonemic awareness)
単語をそれぞれの音に分離するのが困難。あるいは単語を作るため、音を混ぜるが
困難。
Difficulty with word retrieval or naming problems
言葉の訂正が困難、あるいはものと名前の結びつけるのが困難。
Difficulty learning to decode written words
表記文字を理解するのが困難。
Difficulty distinguishing between similar sounds in words; mixing up sounds in
multisyllable words (auditory discrimination) (for example, "aminal" for animal,
"bisghetti" for spaghetti)
単語の中の同じような音を区別するのが困難;たとえば「動物(どうぶつ)」を、「ど
うふづ」、「スパゲッティ」を「ビスゲッティ」と読むように、音節の多い単語の音
を混ぜてしまう。
【後期学童期】(小学、高学年児)
Older primary school children
Slow or inaccurate reading, although these individuals can read to an extent.
ある程度は読むことができるが、読むのが遅く、不正確。
Very poor spelling
綴りが苦手。
Difficulty reading out loud, reads word in the wrong order, skips words and
sometimes says a word similar to another word (auditory processing disorder)
大きな声で読むのが困難。前後の単語を入れ替えて読む、単語を飛ばす、あるいは
ほかの似たような単語に置き換えて文章を読む。
Difficulty associating individual words with their correct meanings
それぞれの単語を、正しい意味と結びつけるのが困難。
Difficulty with time keeping and concept of time, when doing a certain task
何かの作業をしているとき、時間を守るのが困難。時間の概念がない。
Difficulty with organization skills (working memory)
系統立てて作業するのが困難。
Children with dyslexia may fail to see (and occasionally to hear) similarities and
differences in letters and words, may not recognize the spacing that organizes
letters into separate words, and may be unable to sound out the pronunciation of
an unfamiliar word. (auditory processing disorder)
難読症の子どもは、文や単語の中の類似性や相違性を判断することができない。文
章の中の単語がスペース(空白)で区切られていることを認識することができない。
新しく出会った単語のようなばあい、それを発音することができない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 失読症 難読症 識字障害 文字表出能力障害 Dyslexia Alexia
ディスレクシア アレクシア)
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
休みます。
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●雑感・あれこれ
●日本経済
書店で、何冊か、経済誌を立ち読みした。
どれも共通して説いているのは、日本経済の破綻は、すでに可能性の問題ではないという
こと。
時間の問題。
現在、日本経済は、薄い氷の上を恐る恐る歩いているようなもの。
何かのきっかけがあれば、そのまま奈落の底へ・・・。
朝鮮半島で何か起これば、あぶない。
韓国や中国の住宅バブルがはじければ、あぶない。
アメリカ経済がつまずけば、あぶない。
EUの経済破綻については、現在進行中!
その前兆として、日本円が海外へ逃避し始める。
円売りが加速し、円安になったときが、あぶない。
それをきっかけに雪崩(なだれ)をうったように、円は暴落する。
同時に日本を、ハイパーインフレが襲う。
どうやらそういうシナリオで進むらしい。
頼みの綱は政治だが、その政治は、ご覧のとおり。
鳩山内閣は、すでに政権担当能力を喪失している。
(昨日、辞職した。)
こうなれば、わが身は自分で守るしかない。
・・・ということで、考えることはみな、同じ。
金(ゴールド)価格は、目下、暴騰中。
ニッケルやアルミなど、金属価格がこの数か月低迷している。
それを勘案すると、金価格の暴騰は、尋常ではない。
まさに金バブル。
ここで金(ゴールド)に手を出せば、ババを引くことにもなりかねない。
要するに現在、世界経済は、メチャメチャ。
収拾のつかない泥沼に向かって、まっしぐら。
10分の1、あるいはそれ以下になることを覚悟で、タンス預金をつづけるか。
それとも危険な外債に手を出して、ハラハラしながら、毎日を過ごすか。
まさに八方ふさがり。
Hiroshi Hayashi+教育評論++June.2010++幼児教育+はやし浩司
●5月の総括
++++++++++++++++++
5月・・・頭の活動は、低調だった。
新しい発見も、ほとんどなかった。
ただひとつ、こんなことに気づいた。
その土地、地域、地方の人たちは、
ともに似たような言いまわしの仕方、
似たような考え方をするということ。
+++++++++++++++++
●郷里
たとえば私は岐阜県の田舎町で生まれ育った。
恐らくというより、ぜったい、その町に生まれ育った人は、それに気づかないだろう。
しかし一歩離れた、この浜松という地方から見ると、それがよくわかる。
あの町の人たちは、似たような言い回しをする。
似たようなものの考え方をする。
つまり「独特」。
たとえば何か、ものを送ったとする。
盆暮れのつけ届けでもよい。
するとたいていみな、こう言う。
「大事に使わしてもらうで・・・」と。
「大切に使わせていただきますので・・・」
という意味である。
「悪いねエ・・・」と、言葉を濁す人も多い。
一方、この浜松では、「ありがとう」と言う。
それで終わる。
●「大事に使わしてもらうで・・・」
「悪いねエ・・・」にしてもそうだが、
この浜松で、「大切に使わせていただきますので・・・」
と言われると、言われたほうは、返答に困ってしまう。
「大切に使わせていただきますので、もっとほしい」
という意味にも、解釈できる。
(これは私の考えすぎか?)
「悪いねエ・・・」と言われると、やはり言われたほうは、返答に困ってしまう。
まさか「悪くないですよ」とは、言えない。
●アメリカ人は、ストレート
こうしたちがいは、アメリカ人とくらべてみると、よくわかる。
彼らは、何かにつけて、ストレート。
「遠慮」という言葉の意味すら、知らない。
ほとんどのばあい、「サンキュー」で終わってしまう。
わかりすぎるほど、わかりやすい。
つまり私の印象では、浜松の人たちは、岐阜の郷里の人たちと、アメリカ人の中間、も
しくは郷里の人たちに近い方の、中間にいるということになる。
●本音と建前
岐阜の郷里の人たちは、それだけ(奥ゆかしい)ということになる。
が、その分だけ、心が読みにくい。
ときに何を考えているか、さっぱりわからなくなるときがある。
たとえば本音と建前を、そのつど、実にうまく使い分ける。
もっと言えば、裏で悪口を言いながら、表では平気でつきあう。
そういうことが、みな、平気でできる。
またそれができないと、あの町では生きていくことがむずかしい。
●視点を広める
で、さらに視点を外国に置いてみたらどうか。
私は今、浜松という町から、岐阜の郷里を見ている。
しかし外国という世界から、日本を見たら、どうか。
やはり同じように、そこに「日本人」が浮かび上がって
くるにちがいない。
さらに、視点を宇宙に置いてみたらどうか。
宇宙人の目で、地球人を見てみる。
やはりおなじように、そこに「地球人」が浮かび上がってくるにちがいない。
●ウソ
視野を広めるというのは、そういうことをいう。
(1)と(2)の関係を知ったら、それを(2)から(3)への関係へと、
視野を移動していく。
外国と比較してみるのもよい。
ここで私は、アメリカ人と比較してみたが、それはたいへん重要なことでもある。
先に私は本音と建前について触れた。
しかしアメリカ人には、それは通用しない。
彼らはそれを「ウソ」ととらえる。
欧米人がいかにウソにきびしいかは、今さらここに改めて書くまでもない。
ふつう一度ウソを言ったら、人間関係は、それで終わる。
●悪口
話を戻す。
私はこうしてものを書いているが、いろいろな鉄則を守っている。
そのひとつが、悪口を書いた人ととは、つきあわない。
つきあっている人の悪口は、書かない。
当然のことだが、郷里のあの町では、それが通用しない。
みなというわけではない。
私の周辺の人たちだけかもしれない。
が、私が知るかぎり、ほとんどの人は、平気でそれができる。
つまり裏で悪口を言いながら、表では平気でつきあう。
●原点は邑(むら)意識
岐阜の郷里の町は、それだけ日本的ということになる。
たとえばさらに一歩、山奥の部落に入ると、こんな会話が今でも、残っている。
通りでだれかに出会ったとすると、こう言って声をかける。
「オーイ、昼飯でも食っていかんけエ」と。
しかしこれは、ただのあいさつ。
そう言われたほうは、腹が減っていても、こう答える。
「おう、今、食ってきたところでノウ」と。
ウソにはウソで答える。
そういった日常的な会話が、ジグソーパズルのように寄り集まって、あの地域の文化を作
り上げている。
それを総称して、「邑(むら)意識」という。
(ちょっと意味がちがうかな?)
現在では死語になってしまったが、亡霊のようなものは、あちこちに残っている。
それがあの独特の言い回しということになる。
●依存性
「邑(むら)」の中では、みながみな、たがいに依存しあいながら、生きている。
受け入れてしまえば、それは居心地のよい世界である。
が、一度それに反目すると、そのまま外の世界へ、はじき飛ばされてしまう。
『村八分』という言葉もある。
村に住む人にとっては、これほど恐ろしい言葉はない。
依存できないだけではない。
依存できない分だけ、自分で生きていかねばならない。
しかしそういう訓練を受けていない。
邑社会そのものがもつシステムが、それを許さない。
ただ誤解がないように一言。
どちらがよくて、どちらが悪いかということは、私にはわからない。
人、それぞれ。
郷里の人たちには、郷里のほうが、住みやすい。
浜松の人たちには、浜松のほうが、住みやすい。
どうであれ、その人が「住みやすければ」、それでよい。
Hiroshi Hayashi+教育評論++June.2010++幼児教育+はやし浩司
●嫉妬、攻撃、恐怖
+++++++++++++++
乳幼児期の大敵。
タブー。
その3つが、嫉妬、攻撃、恐怖。
+++++++++++++++
嫉妬は原始的な感情であるがゆえに、
扱い方をまちがえると、確実に
子どもの心をゆがめる。
「原始的」というのは、他の哺乳動物に
共通する感情のひとつであるということ。
攻撃というのは、はげしい闘争心を
呼び起こすような感情をいう。
結果として言動が攻撃的になる。
またはげしい家庭内騒動、夫婦喧嘩など、
恐怖体験は、子どもの心をゆがめる。
「ゆがめる」というのは、ばあいによっては
精神障害につながる、重篤なケースを含む。
乳幼児期の母子関係の不全が、後々の
うつ病の「種」となるという説もある(九州大学Y)。
みなさん、気をつけましょう。
Hiroshi Hayashi+++++++May. 2010++++++はやし浩司
●こわばり
++++++++++++++++++++
このところ体のこわばりが、気になる。
筋肉が、そのまま固まってしまう。
しばらく同じ姿勢を保つ。
そのあと、体が、思うように動かなくなる。
最初に気がついたのは、今から5、6年ほど前のこと。
どこかの会場で、和室に案内された。
何人かの人たちと、正座したまま話をした。
時間にすれば、20~30分ほどだっただろうか。
そのあとのこと。
立ち上がろうとしたが、立ち上がれなくなってしまった。
足がこわばったまま、動かなくなってしまった。
ヨロヨロ……という感じではなく、ギコンギコンという
感じだった。
以来、正座するのを、できるだけ避けている。
が、足だけではない。
腕にせよ、首にせよ、なにかにつけ、体がこわばり
やすくなった。
が、この(こわばり)を軽くみてはいけない……そうだ。
ネットで調べてみると、重篤な病名がズラリと並ぶ。
とくにこわいのが、首から肩にかけての、こわばり。
脳梗塞の前兆ということも、あるそうだ。
+++++++++++++++++++++
●相談
こういうときは、5、6歳、あるいは10歳くらい年上の人に相談するとよい。
私が経験するようなことは、たいていみな、経験している。
「私もそうです」というような回答をもらって、それで解決する。
で、最近、50代の人と話すたびに、私はこう言う。
「老人研究をしたらいいですよ」と。
私のばあい、とくに老人の歩き方が気になった。
80歳を過ぎても、スタスタと歩ける人もいる。
70歳になったばかりというのに、ヨタヨタと歩く人もいる。
そんなとき、「どうしてこの人は、こんなふうに歩けるのだろう?」
「どうしてこの人は、歩けないのだろう?」と、考えるようになった。
以来、10年。
この分野では、私はかなり詳しくなった。
「老人研究」といっても、もちろん歩き方だけがテーマではない。
最終的には、人生観そのものも、テーマとなる。
●老後の人生観
「老人の人生観」というよりは、「老後の人生観」。
「どう生きるか」に併せて、「どう死ぬか」。
この2つを並行して考える。
それが老後の人生観ということになる。
つまり若いときは、生きることだけを考えればよかった。
しかし老後になると、それに(死に方)が加わるようになった。
それにはいろいろな意味が含まれる。
+++++++++++++++
09年の1月に書いた原稿を、
再掲載します。
+++++++++++++++
●統合性の確立
++++++++++++++++++++++++
今日の成果。
私とワイフは、ずっとトップランナーだった。
諏訪湖の湖畔を歩くとき、いつもうしろを見ながら歩いた。
こんなところで順位を競っても意味はない。
わかっているが、私たちは、それを目標にしている。
週に2、3度、10キロ近く歩いているのも、そのため。
それぞれの人には、それぞれの目的がある。
観光を楽しみたい人。
友だちとおしゃべりを楽しみたい人。
ほかにも、いろいろあるだろう。
しかし私たちは、運動のため。
そのためには、タラタラと歩いていたのでは、意味がない。
サクサクと歩く。
汗をかく。
有酸素運動をする。
そのために歩く。
目標は、トップ。
目的地、一番乗り。
++++++++++++++++++++++++++++
●帰りのバスの中で
それをワイフに話すと、ワイフは、こう言った。
「あなたの人生の縮図みたいね」と。
いつもトップだったというわけではないが、しかしその緊張感は
忘れなかった。
先手、先手で、人の前に立つ。
それは私のように一匹狼で生きていく人間にとっては、鉄則のようなもの。
二番手になったとたん、押しつぶされてしまう。
が、目的地に着いたら、そこで遊ぶ。
時間にも余裕がある。
その周辺の店をのぞいたりする。
これもワイフに言わせると、私の人生の縮図みたいということになる。
私はいつも、まず(すべきこと)を先にする。
それが終わったら、自分の(したいこと)をする。
その余裕がないときは、がまんする。
つまり(すべきこと)が残っているときは、(したいこと)をがまんする。
いつもこの鉄則を守っているというわけではないが……。
●60歳の統合性
(やるべきこと)と、(したいこと)は、基本的にちがう。
(やるべきこと)には、常に、ある種の苦痛がともなう。
できるなら、やらないですまそうとする。
そういうブレーキも働く。
人間は本来、怠けもの。
が、その(苦痛)を乗りこえなければ、(やるべきこと)は、できない。
エリクソンは、人生の正午と言われる満40歳前後から、(やるべきこと)の
基礎を作れというようなことを説いている。
(やるべきこと)を見つけ、その基礎固めをしていく。
それが5年とか10年とかいう年月を経て、その人の中で熟成していく。
何度も書くが、「60歳になりました。明日からゴビの砂漠でヤナギの木を
植える」というわけにはいかない。
そんな取って付けたようなことをしても、身につかない。
(やるべきこと)を見つけ、現実にそれを実行していく。
それを「統合性の確立」という。
●統合性の失敗
私も含めてということになるかもしれないが、こうした統合性の確立に
失敗している人は、多い。
60歳という、年齢の節目に立ってみると、それがよくわかる。
明日は今日と同じ。
来月は今月と同じ。
来年は今年と同じ、と。
家ですることといえば、テレビを見て、雑誌を読んで、あとは眠るだけ。
たまの休みには、野球中継。
雨の日は、パチンコ。
読むのは、スポーツ新聞だけ。
体のためと称して、畑を借りて家庭菜園。
ときどき旅行をしたり、孫の世話をする。
楽しむことイコール、老後のあるべき姿と考えている人も多い。
しかしそれこそ、まさに死の待合室に入ったようなもの。
1か月を1日にして、生きるだけ。
1年を、1か月にして生きるだけ。
そんな人生に、どれほどの意味があるというのか(失礼!)。
●今、40歳前後の方へ、
エリクソンは40歳と言ったが、40歳では遅いかもしれない。
30歳でもよい。
20歳でもよい。
将来に向けて、統合性の確立のため、今からその下地を作っていく。
それは何も老後のためだけではない。
いつか「私は自分の人生を生きた」という実感を、
自分のものにするため。
もしこの統合性の確立に失敗すると、老後そのものがみじめになるだけではない。
自分が生きてきたという証(あかし)、さらには足跡まで、無駄になってしまう。
人生も晩年になって、「私は何をしてきたのだ」と思うことほど、苦しいことは
ない。
(今の私もそうだが……。)
自分の人生を振り返っても、そこには何もない。
いや、いつの間にか、自分に替わって、別の人間が、それをしている。
私がしたことをしている。
私より、ずっとじょうずにしている。
それはそのまま自己否定へとつながってしまう。
●無私無欲
(やるべきこと)は、無私無欲でなければならない。
金銭的な利益、名誉や地位のためというのであれば、それは(やるべきこと)
ではない。
損得勘定をしない。
仮にその結果として、金銭的な利益を得たり、名誉や地位がもたらされた
としても、それはあくまでも結果。
結果であるから、一喜一憂することもない。
淡々とそれを迎える。
仕事で忙しい人もいるだろう。
家事で忙しい人もいるだろう。
子育てで忙しい人もいるだろう。
しかしそういう間でも、統合性のための基礎づくりを忘れてはいけない。
それは長くて苦しい道かもしれない。
先にも書いたように、できればやりたくないことかもしれない。
しかしそれでもつづける。
それがここでいう統合性につながる。
●燃える
一方、70歳を過ぎても若々しい人というのは、たしかにいる。
私の義兄もその1人。
先週訪ねたら、そこにピカピカのベンツが置いてあった。
義兄のベンツは、たしか中古だったはず。
しかし、ピカピカ。
「どうしたの?」と聞いたら、「塗装しなおした」と。
「メッキは磨きなおした。パッチ(ゴム部)は、新品に取り替えた。
シートは、張り替えてもらった」と。
そして先月(08年12月)は、長野県の奥まで、奥さん(=ワイフの
姉)とドライブしてきた、と。
生き様が前向きというか、若々しい。
ゴルフのクラブにしても、自分で設計して、それを業者に作らせたり
している。
趣味はバイクだが、40年前、50年前のバイクを拾ってきては、
それを修理して走らせたりしている。
「夢は、いつかバイクの展示場をかねた喫茶店を開くこと」と。
年齢は、正確には、今年76歳になる。
そういう義兄と話していると、こちらまで若返る。
話がはずむ。
●あなたの未来
あなたの未来を知りたかったら、あなたの両親を見ることだ。
遺伝子学的にも、満20歳くらいまでは、親子といっても、様子は大きくちがう。
が、20歳まで。
満20歳を過ぎると、親子は急速に似てくる。
似てくるというよりは、実際には、同一化する。
子どもが親に似るわけではない。
同一化する。
子どもである(あなたは)は、「私は親とはちがう」「親のようにはならない」と
思っているかもしれない。
が、それは甘い。
世の中には、「進化論」というものもあるが、それは100代とか、1000代
単位で起こることであって、あなたの代の1代や2代くらいでは、起こるはずも
ない。
40代を過ぎれば、あなたもあなたの両親も同じ。
50代を過ぎれば、さらにあなたもあなたの両親も同じ。
こんな例がある。
●反面教師は、未来のあなた
ある女性は若いころから、自分の母親を批判していた。
「私の母は、ずるい」「私の母は、世間体ばかり気にしている」と。
しかしその母親がなくなってしばらくすると、今度はその女性が
母親そっくりの人間になっていた。
こういう例は、いくらでもある。
こうした世代連鎖は、どうすれば防ぐことができるか。
そこで登場するのが、「精進(しょうじん)」ということになる。
日々の絶え間ない研さんのみによって、こうした世代連鎖を断ち切ることができる。
たとえばあなたの父親が、インチキな人だったとしよう。
女遊びは、当たり前。
親戚中から借金を重ね、そのつどそれを踏み倒す。
親をだます子はいるが、あなたの父親は、あなたという子をだます。
あなたはそういう父親を批判する。
父親を反面教師にしながら、自分はそうしないと心に誓う。
「私は父親とはちがう」と言う。
しかし反面教師のこわいところは、ここから始まる。
反面教師とするのは勝手でも、別のところで別の人格を作りあげないと、
結局は、今度はあなたがその反面教師そっくりの人間になる。
理由は明白。
あなたはその反面教師しか、知らないからである。
親子のばあいは、さらによく似る。
自分ではそれはわからないが、他人から見ると、それがわかる。
●私のほうが、マシ?
しかしこんなことも言える
たぶんに自己弁解がましいが、悩んだり苦しんだりするところに、
実は価値があるのだ、と。
統合性の一致にしても、ほとんどの人は、それが何であるかもわからず、
悶々とした日々を送っている。
しかしその(悶々とすること)自体に価値がある。
というのも、少し前、そういうことをまったく考えない人に出会った。
そのとき私が感じた(落差)というか、(驚き)には、格別なものがあった。
私とて、統合性の確立ができたわけではない。
いまだに、悶々としている。
懸命にさがそうとしている。
が、その男性は、ノー天気というか、統合性の「ト」の字も考えていなかった。
のんき?
無神経?
無頓着?
楽天的?
享楽的?
せつな的?
しばらくいっしょに話したが、打ち返ってくるものが、何もない。
同じように、人生を60年近く生きてきたはずなのに、何もない。
本当に、何もない。
そこで私が、「退職後は何をしているの?」と聞くと、「家でブラブラしている」と。
ブラブラしていることが悪いというのではない。
で、「どんなことをしているの?」と聞くと、先に書いたような答が返ってきた。
「野球中継があるときは、テレビでそれを見て過ごす」
「休みには魚釣り。雨が降ればパチンコ」と。
本は読まない。
読むのはスポーツ新聞だけ。
音楽は聴かない。
映画も見ない。
あとは孫ができたとかで、ときどき孫の世話をしている、と。
統合性の確立どころか、その入り口にも立っていない(失礼!)。
だからこう思った。
まだ、私のほうが、マシ、と。
●やってくる老後
老後は、確実にやってくる。
あっという間にやってくる。
しかも老後というのは、意外に長い。
60歳から始まったとしても、20年近くある。
幼児が成人するまでの年月に等しい。
しかしこれは、「どう過ごすか」という問題ではない。
「やるべきことをやらないと、死ぬこともできない」という問題である。
現実に私もその年齢になり、老後の入り口に立って、その恐ろしさを
実感しつつある。
仕事がなくなる恐怖。
役目がなくなる恐怖。
だれにも相手にされなくなる恐怖。
こうした恐怖は、そのまま自分をどんどんと小さくしていく。
そんな状態で、この先、20年を、どうやって生きていったらよいのか。
またそんな状態で、生きていかれるはずもない。
まず手始めに、仕事を失ってはいけない。
どんな小さな仕事でも、それにしがみついていく。
それに町内の仕事にしても、それができるなら、どんどんとしていく。
みなの役に立つ。
みなから、役に立つ人間として評価される。
●私の経験
これは私の経験だが、私は今にしてみると、1円もお金をもらわなかったのが、
うれしい。
40代~55歳くらいまでは、電話相談に明け暮れた。
それ以後は、無料でマガジンを出したり、無料で相談に応じている。
そのときは、「どうしてこんなバカなことをしているのだ」という思いとの
闘いでもあった。
しかしそれが今、少しずつだが、光り始めている。
もしあのとき、そして今、お金を受け取っていたら、私のささやかな
統合性は、その時点で霧散していただろう。
もちろん今していることが、(私のすべきこと)とは、思っていない。
しかし私が今、住んでいる世界では、それしか思いつかない。
それこそ「では、これからゴビの砂漠に行って、ヤナギの木を植えてきます」と
いうようなことは、私にはできない。
だいたい、その下地がない。
だから、やるしかない。
その先に何があるかわからないが、ともかくも、やるしかない。
●最後に……
むずかしい話はさておき、朝起きたとき、(やるべきこと)がそこにあるだけでも、
うれしい。
感謝しなければならない。
その(やるべきこと)が、あなたには、あるだろうか。
あればよし。
そうでなければ、あとは自分の心と体に、ムチを打つしかない。
「楽をしたい」という思いはだれにでもある。
が、その(思い)に敗れたとたん、あなたは一気に、孤独の世界へと落ちていく。
……ということで、明日からまた新しい週が始まる。
「がんばるぞ」と自分に掛け声をかけて、この話は、おしまい。
どうであるにせよ、私は生きていかねばならない。
今までもそうして生きてきたし、今も生きている。
これからもそうして生きていくだろう。
(2009年1月記)
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
老後の生きがい 老後の統合性 統合性の一致 やるべきこと 老後にやるべきこと 老
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子育て最前線の育児論byはやし浩司 6月 28日号
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●読み・書きのできない子どもたちと、その診断
+++++++++++++++++
日本人の5%前後、アメリカ人の
10~15%が、難読症もしくは
失読症と言われている。
+++++++++++++++++
【識字障害・文献資料】(「Brain -Mind Com.、アメリカの文献より)
http://brainmind.com/Dyslexia43.html
Dyslexia & Alexia
From: Neuropsychiatry, Neuropsychology, Clinical Neuroscience (Williams & Wilkins,
1996)
by Rhawn Joseph, Ph.D.
Dyslexia(難読症) & Alexia(失読症)
The Inability to Read (読むことができない人たち)
Dyslexia is a disturbances in the ability to read, whereas alexia refers to a complete loss
of reading ability. In general, whereas dyslexia is primarily a congenital disturbance,
alexia is an acquired disorder and is due to a neurological injury generally in the
vicinity of the temporal, occipital, parietal lobe. ALEXIA
難読症というのは、読解力が混乱した状態をいう。
失読症というのは、読解力が完全に欠落した状態をいう。
There are a variety of theories which purport to explain the mechanisms involved in
reading and the comprehension of written language. Reading, of course, requires
activation of the visual areas in the occipital and temporal lobes, so that the symbolic
form of the letter or word is perceived, which in turn enables the viewer to determine
that the form is a letter or a series of letters making up a word.
However, not only must letters or groups of letters be recognized and their temporal
order ascertained (referred to as "orthographic" processing); but there must be semantic
processing. That is, the letters and words are perceived and then the relation of a series
of letters or words to each other are recognized so that the meaning of the word or
sentence can be derived.
Words are not only seen and thus read, but the sound of the written word, as it is read
(or written) may "be heared" within the privacy of one's head. This is referred to as the
"phonological" aspect of reading.
The phonological stages of reading and linguistic analysis involves activation of
Wernicke's receptive speech area (in the temporal lobe) and Broca's expressive speech
area (in the frontal lobe). In some cases, individuals will move their lips as they read,
which is due to activation and participation of Broca's area which programs the oral
musculature for the purposes of speech.
Yet another region of the brain that contributes significantly to reading ability is the
inferior parietal lobe (IPL). The IPL becomes highly active when reading, as
demonstrated by functional imaging (Demonet, et al., 1994; Paulesu, et al., 1993; Price,
1997).
Different regions of the brain, therefore, interact during various stages of reading, such
that in consequence, abnormalities of or lesions to different areas can result in different
types of reading abnormalities.
For example, a small lesion to one area of the brain, may result in an inability to
recognize sentences or long words, whereas the ability to recognize letters and short
words remains intact. With damage to yet another brain area, the patient may suffer
fraom an inability to derive semantic meaning from words once they are read.
In some cases,the patient may lose the ability to read, but retains the ability to write,
and can spell and write the very words he cannot read. (Coltheart, 1998; Miceli et al.,
1999; Miozzo & Caramazza, 1998; Goodglass & Kaplan, 2000).
For example, injuries the left IPL can disrupt the ability to read and spell. This is
because the IPL matches auditory images to visual images and associates both so as to
form multimodal concepts including those necessary for reading and the comprehension
of written language. However, this disorder is due not only to IPL damage, but to
disconnection from the occipital and temporal lobes which perform visual and auditory
functions.
Damage to the IPL or to the superior temporal lobe, can also disrupt the ability to spell
by sound and to engage in phonological processing, such that patients can no longer
hear (in their head) the sound of the words they are reading, nor can they match the
sounds they hear to the visual-motor components of reading (the generation and
comprehension of visual symbols, i.e. words and letters).
The Loss of the ability to engage in phonological processing or to spell by sound is a
common feature of dyslexia and alexia (Brady & Shankweiler, 1991; Miceli et al., 1999)
and is common with middle temporal lobe injuries.
Injuries to Wernicke's area (and thus the left superior temporal lobe) also disrupts
reading, writing, and all aspects of linguistic comprehension. Not only is reading
compromised but patients may lose the ability to comprehend spoken language.
Individuals diagnosed as suffering from developmental dyslexia have frequently been
found to have abnormalities in temporal lobe and IPL , 1997) as well as in the IPL and
left superior temporal lobe (Denays et al., 1989; Galaburda et al., 1985); Rumsey et al.,
1992; Tzourio et al.,1994). The IPL and the temporal lobe thus appear to be the primary
structures involved in reading.
The IPL, middle temporal lobe, and Wernicke's area are richly interconnected, and in
some respects coextensive. These areas are also linked to Broca's Expressive speech
area and the frontal motor areas, which is why some people move their lips when they
read.
THE NEUROLOGY OF READING.
(神経病学からの考察)
From a neurodynamic perspective the process of reading involves the perception and
analysis of visual impulses in the primary and association visual receiving areas (in the
occipital lobes). This information is next transferred to the visual association cortex
where higher level information processing is carried out and visual associations formed.
These visual associations are next transmitted to a variety of areas (Haxby, et al., 1991;
Peterson, et al., 1988, 1990; Price, 1997; Zeki, 1997) including Broca's and Wernicke's
area, the inferior and middle temporal lobe and the IPL. It is in these latter cortical
regions where multimodal and linguistic assimilation take place so that the auditory
equivalent of the visual stimulus may be retrieved. That is, via these interactions visual
grapheme clusters become translated into phonological sound images. In this manner
we know what a written word looks and sounds like. It is also possible, however, to
bypass this phonological transcoding phase so that word meanings can be directly
accessed (i.e. lexical reading).
THE DEVELOPMENT OF READING.
(読解力の発達)
It is generally believed, in learning to read, that visual symbols are recognized as
graphemes (letters) and that these graphemes are decoded and then converted to
phonemes (via the IPL which performs an auditory matching function), i.e. phonological
analysis. In this manner, the child learns to associate written symbols with spoken
words.
This requires that written (and verbal) language also be broken down into syllables and
phonemes so that auditory-visual associations can be made; i.e. "phonological
awareness." The sound of the word is matched with its visual image.
The greater a child's phonological awareness, the greater is their reading ability (Brady
& Shankweiler, 1991).
Presumably, it is only after the child develops their phonological awareness, and after
increased experience with reading, that they are able to bypass the phonological
transcoding phase and engage in lexical reading. Thus, as the childs ages and learns to
read, phonological processing becomes subsumed and employed only secondarily when
confronted with unfamiliar words.
THE NEUROLOGY OF READING
Although it is likely that most individuals utilize both lexical and phonological
strategies when reading, in either case the temporal-parietal-occipital lobes are all
implicated. These structures all participate, to varying degrees in phonological and
lexical processing. Indeed, as demonstrated through functional imaging, reading
activates Wernicke's area and the left posterior temporal lobe (Bookheimer, et al., 1995;
Howard et al., 199), including the supramarginal gyrus (Bookheimer, et al., 1995), and
angular gyrus (Price, 1997), the latter structures comprising the inferior parietal lobe.
Conversely lesions to these different areas produce alexic disturbances.
SUBTYPES OF ALEXIA AND DYSLEXIA DEPEND ON LESION SITE
(障害部位の違いによる、別の種類の難読症、失読症)
With lesions of the angular gyrus, or when damage occurs between the fiber pathways
linking the left inferior parietal lobule with the visual cortex (i.e. disconnection),
patients may suffer from Pure Word Blindness--also referred to as Pure Alexia
(Coltheart 1998; Miozzo & Caramazza, 1998). Patients can see without difficulty, but
are unable to recognize written language. Written words evoke no meaning.
However, because the left posterior basal temporal lobe is a convergence zone for visual,
auditory, and tactile information, and becomes activated during a variety of language
tasks, including reading and object and letter naming (Buchel et al., 1998; Price, 1997),
if injured, patients may suffer from reading and naming deficits (Rapcsak, et al., 1987);
a condition referred to as phonological alexia. Moreover, patients with developmental
dyslexia have been found to have abnormalities in this latter area (Rumsey et al., 1997).
Thus there are several subtypes of reading disturbances which may occur with left
cerebral damage or congenital disturbances involving these tissues (Coltheart 1998;
Miceli et al., 1999; Miozzo & Caramazza, 1998). These include literal, verbal, and global
alexia, and alexia for sentences, as well as developmental dyslexia. In addition, alexia
can sometimes result from right hemisphere lesions, a condition referred to as Spatial
Alexia. All these disorders, however, are acquired and should be distinguished from
developmental dyslexia which is present since childhood (see Njiokiktjien, 1988).
DEVELOPMENTAL DYSLEXIA
Developmental dyslexia is one of the most common of all learning disabilities, effecting
up to 8% of the school aged population. There is an obvious genetic foundation to this
disorder, as is evident from the high familial risk rates that range from 35% to 45%
(Smith et al., 1990) and many of these children suffered from even more profound
language disorders during their preschool years, e.g. developmental dysphasia.
Developmental dysphasias affect from 8% to 15% of all preschool children and most of
these children, even as they acquire language, continue to suffer severe disturbances in
reading and spelling (Aram et al. 1984); a function, in part, of not only brain
abnormalities, but persisting deficits in phonological processing.
Congenital disturbances involving these tissues (dysplasia, ectopias), including the
middle temporal lobes, the perisylvian regions and the planum temporal, are associated
with developmental dyslexia (Galaburda et al., 1985). Using functional imaging,
Rumsey et al. (1992) and Tzourio et al., (1994) found that dyslexic children failed to
activate the left temporal-parietal cortex when engaged in word tasks, whereas Denays
et al. (1989) found hypoperfusion in this same area.
PURE WORD BLINDESS. ALEXIA WITHOUT AGRAPHA
(文字表出能力障害を伴わない、失読症)
Pure alexia, or alexia without agraphia (due to the preservation of the ability to write) is
a condition where patients are unable to read written words, or even recognize single
letters (Coltheart 1998; Miozzo & Caramazza, 1998). However, if words are spelled out
loud, they have little difficulty with comprehension (due to intact pathways from
Wernicke's to the angular gyrus). Moreover, they are able to speak, spell as well as write
without difficulty. Nevertheless, although able to write, they are unable to read what
they have written.
In general, the lesion appears to be between the left angular gyrus and the occipital lobe
(in the arterial distribution of the left posterior cerebral artery), and extends to within
the splenium of the corpus callosum (Benson, 1979; Vignolo, 1983) which prevents right
hemisphere visual input from being transferred to the inferior parietal lobe of the left
half of the brain. Sometimes this condition is due to a tumor or following a head injury
accompanied by a hemotoma involving the white matter underlying the inferior parietal
lobule (Greenblatt, 1983) and or the temporal-parietal cortex (Rumsey et al. 1992). In
these instances the left angular gyrus is unable to receive visual input from the left and
right visual cortex and visual input cannot be linguistically translated. The patient
cannot gain access to the auditory equivalent of a written word.
Although unable to read written language, this syndrome is not always accompanied by
a visual field defect (hemianopsia). Moreover, objects may be named correctly (Hecaen &
Kremimin, 1977). However, patients may suffer from color agnosia (Benson &
Geschwind, 1969), i.e. an inability to correctly name colors. There is often (but not
always) an inability to copy written material (because of disconnection from the visual
areas) and many patients have difficulty performing math problems. In some cases the
patient suffers not only pure word blindness but blindness for numbers as well.
This condition has been described as Global Alexia by some authors. However, global
alexia is a more pervasive disorder in which the ability to write (agraphia) and name
objects is also compromised.
ALEXIA FOR SENTENCES
(長い文章の失読症)
Patients suffering from alexia for sentences are able to read letters and single words but
are unable to comprehend sentences. However, patients may have difficulty with
unfamiliar or particularly long words whereas more familiar material is easily
understood. Lesions are usually localized within the dominant occipital lobe but may
extend into the inferior parietal area.
VERBAL ALEXIA
When patienta are able to read and recognize letters but are unable to comprehend or
recognize whole words they are said to be suffering from verbal alexia. However, if
presented with short words their reading ability improves. Hence, the longer the word
the greater the difficulty reading (Hecaen & Albert, 1978). Verbal alexia usually results
from lesion involving the dominant medial occipital lobe (Hecaen & ALbert, 1978;
Hecaen & Kremin, 1977).
LITERAL/FRONTAL ALEXIA
When the patient is unable to recognize or read letters this is referred to as Pure Letter
Blindness. Pateints are usually unable to read by spelling a word out loud, and the
abilty to read numbers and even musical notion is often disturbed. Some authors have
attributed literal alexia to left inferior occipital lesions (Hecaen & Kremin, 1977).
This disorder has also been referred to as Frontal Alexia. This is because individuals
with Broca's aphasia or lesions involving the left frontal convexity have difficulty
reading aloud, and have the most difficulty with single letters rather than whole words
(Benson, 1977).
SPATIAL ALEXIA
Spatial alexia is associated predominantly with right hemisphere lesions. In part this
disorder is due to visual-spatial abnormalities including neglect and inattention. That
is,
with right cerebral lesions the patient may fail to read the left half of words or
sentences,
and may in fact fail to perceive or respond to the entire left half of a written page.
Right posterior injuries may also give rise to spatial disorientation such that the patient
is unable to properly visually track and keep place, their eyes darting half hazzardly
across the page. For example, they may skip to the wrong line. Spatial alexia may also
result from left cerebral injuries in which case it is the right half of letters, words and
sentences which are ignored (Marshall & Newcomb, 1973). Indeed, patients not only
ignore words, but sometimes the left half of the bodies and the entire left half of visual
space. Hence if they are presented with the words "help me"they may only see help. Of if
they read: "toothbrush" they may only see the word "tooth." However, if they were
presented only with the word "tooth" they would see only "too." This latter form of
spatial alexia is thus really a subtype of generalized left sided neglect and is common
with right cerebral injuries.
【識字障害の診断基準】(ウィキペディア百科事典・英語版より)
Pre-school age children(就学前幼児)
It is difficult to obtain a certain diagnosis of dyslexia before a child begins school, but
many dyslexic individuals have a history of difficulties that began well before
kindergarten. Children who exhibit these symptoms have a higher risk of being
diagnosed as dyslexic than other children. Some of these symptoms are:
就学前の子どもについて、難読症(dyslexia)の一定の診断をくだすのは、むずかしい。
しかし多くの難読症の子どもは、幼稚園へ入園する前に、何らかの問題を示すことがある。
以下の兆候を示す子どもは、他の子どもと比べて、将来、難読症と診断される可能性が高い。
その兆候について。
【幼児期】
Delays in speech
言葉の発達の遅れ。
Learns new words slowly
新しい言葉を学ぶのが遅い。
Has difficulty rhyming words, as in nursery rhymes
話す言葉がどこかぎこちない。ぎこちなさを感ずる。
Low letter knowledge
文字について能力が遅れる。
Letter reversal, ex: e b f p (normal)
鏡文字を書く。
【学童期】
Early primary school-age children(小学低学年児)
Difficulty learning the alphabet or in order
アルファベットを学ぶのが困難。
Difficulty with associating sounds with the letters that represent them
(sound-symbol correspondence)
その音を示す、文字と音を組み合わせるのが困難。
Difficulty identifying or generating rhyming words, or counting syllables in
words (phonological awareness)
文字を認識し、なめらかに文字を読むのが困難、あるいは単語の中の音節を数える
のが困難。
Difficulty segmenting words into individual sounds, or blending sounds to make
words (phonemic awareness)
単語をそれぞれの音に分離するのが困難。あるいは単語を作るため、音を混ぜるが
困難。
Difficulty with word retrieval or naming problems
言葉の訂正が困難、あるいはものと名前の結びつけるのが困難。
Difficulty learning to decode written words
表記文字を理解するのが困難。
Difficulty distinguishing between similar sounds in words; mixing up sounds in
multisyllable words (auditory discrimination) (for example, "aminal" for animal,
"bisghetti" for spaghetti)
単語の中の同じような音を区別するのが困難;たとえば「動物(どうぶつ)」を、「ど
うふづ」、「スパゲッティ」を「ビスゲッティ」と読むように、音節の多い単語の音
を混ぜてしまう。
【後期学童期】(小学、高学年児)
Older primary school children
Slow or inaccurate reading, although these individuals can read to an extent.
ある程度は読むことができるが、読むのが遅く、不正確。
Very poor spelling
綴りが苦手。
Difficulty reading out loud, reads word in the wrong order, skips words and
sometimes says a word similar to another word (auditory processing disorder)
大きな声で読むのが困難。前後の単語を入れ替えて読む、単語を飛ばす、あるいは
ほかの似たような単語に置き換えて文章を読む。
Difficulty associating individual words with their correct meanings
それぞれの単語を、正しい意味と結びつけるのが困難。
Difficulty with time keeping and concept of time, when doing a certain task
何かの作業をしているとき、時間を守るのが困難。時間の概念がない。
Difficulty with organization skills (working memory)
系統立てて作業するのが困難。
Children with dyslexia may fail to see (and occasionally to hear) similarities and
differences in letters and words, may not recognize the spacing that organizes
letters into separate words, and may be unable to sound out the pronunciation of
an unfamiliar word. (auditory processing disorder)
難読症の子どもは、文や単語の中の類似性や相違性を判断することができない。文
章の中の単語がスペース(空白)で区切られていることを認識することができない。
新しく出会った単語のようなばあい、それを発音することができない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 失読症 難読症 識字障害 文字表出能力障害 Dyslexia Alexia
ディスレクシア アレクシア)
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
休みます。
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●雑感・あれこれ
●日本経済
書店で、何冊か、経済誌を立ち読みした。
どれも共通して説いているのは、日本経済の破綻は、すでに可能性の問題ではないという
こと。
時間の問題。
現在、日本経済は、薄い氷の上を恐る恐る歩いているようなもの。
何かのきっかけがあれば、そのまま奈落の底へ・・・。
朝鮮半島で何か起これば、あぶない。
韓国や中国の住宅バブルがはじければ、あぶない。
アメリカ経済がつまずけば、あぶない。
EUの経済破綻については、現在進行中!
その前兆として、日本円が海外へ逃避し始める。
円売りが加速し、円安になったときが、あぶない。
それをきっかけに雪崩(なだれ)をうったように、円は暴落する。
同時に日本を、ハイパーインフレが襲う。
どうやらそういうシナリオで進むらしい。
頼みの綱は政治だが、その政治は、ご覧のとおり。
鳩山内閣は、すでに政権担当能力を喪失している。
(昨日、辞職した。)
こうなれば、わが身は自分で守るしかない。
・・・ということで、考えることはみな、同じ。
金(ゴールド)価格は、目下、暴騰中。
ニッケルやアルミなど、金属価格がこの数か月低迷している。
それを勘案すると、金価格の暴騰は、尋常ではない。
まさに金バブル。
ここで金(ゴールド)に手を出せば、ババを引くことにもなりかねない。
要するに現在、世界経済は、メチャメチャ。
収拾のつかない泥沼に向かって、まっしぐら。
10分の1、あるいはそれ以下になることを覚悟で、タンス預金をつづけるか。
それとも危険な外債に手を出して、ハラハラしながら、毎日を過ごすか。
まさに八方ふさがり。
Hiroshi Hayashi+教育評論++June.2010++幼児教育+はやし浩司
●5月の総括
++++++++++++++++++
5月・・・頭の活動は、低調だった。
新しい発見も、ほとんどなかった。
ただひとつ、こんなことに気づいた。
その土地、地域、地方の人たちは、
ともに似たような言いまわしの仕方、
似たような考え方をするということ。
+++++++++++++++++
●郷里
たとえば私は岐阜県の田舎町で生まれ育った。
恐らくというより、ぜったい、その町に生まれ育った人は、それに気づかないだろう。
しかし一歩離れた、この浜松という地方から見ると、それがよくわかる。
あの町の人たちは、似たような言い回しをする。
似たようなものの考え方をする。
つまり「独特」。
たとえば何か、ものを送ったとする。
盆暮れのつけ届けでもよい。
するとたいていみな、こう言う。
「大事に使わしてもらうで・・・」と。
「大切に使わせていただきますので・・・」
という意味である。
「悪いねエ・・・」と、言葉を濁す人も多い。
一方、この浜松では、「ありがとう」と言う。
それで終わる。
●「大事に使わしてもらうで・・・」
「悪いねエ・・・」にしてもそうだが、
この浜松で、「大切に使わせていただきますので・・・」
と言われると、言われたほうは、返答に困ってしまう。
「大切に使わせていただきますので、もっとほしい」
という意味にも、解釈できる。
(これは私の考えすぎか?)
「悪いねエ・・・」と言われると、やはり言われたほうは、返答に困ってしまう。
まさか「悪くないですよ」とは、言えない。
●アメリカ人は、ストレート
こうしたちがいは、アメリカ人とくらべてみると、よくわかる。
彼らは、何かにつけて、ストレート。
「遠慮」という言葉の意味すら、知らない。
ほとんどのばあい、「サンキュー」で終わってしまう。
わかりすぎるほど、わかりやすい。
つまり私の印象では、浜松の人たちは、岐阜の郷里の人たちと、アメリカ人の中間、も
しくは郷里の人たちに近い方の、中間にいるということになる。
●本音と建前
岐阜の郷里の人たちは、それだけ(奥ゆかしい)ということになる。
が、その分だけ、心が読みにくい。
ときに何を考えているか、さっぱりわからなくなるときがある。
たとえば本音と建前を、そのつど、実にうまく使い分ける。
もっと言えば、裏で悪口を言いながら、表では平気でつきあう。
そういうことが、みな、平気でできる。
またそれができないと、あの町では生きていくことがむずかしい。
●視点を広める
で、さらに視点を外国に置いてみたらどうか。
私は今、浜松という町から、岐阜の郷里を見ている。
しかし外国という世界から、日本を見たら、どうか。
やはり同じように、そこに「日本人」が浮かび上がって
くるにちがいない。
さらに、視点を宇宙に置いてみたらどうか。
宇宙人の目で、地球人を見てみる。
やはりおなじように、そこに「地球人」が浮かび上がってくるにちがいない。
●ウソ
視野を広めるというのは、そういうことをいう。
(1)と(2)の関係を知ったら、それを(2)から(3)への関係へと、
視野を移動していく。
外国と比較してみるのもよい。
ここで私は、アメリカ人と比較してみたが、それはたいへん重要なことでもある。
先に私は本音と建前について触れた。
しかしアメリカ人には、それは通用しない。
彼らはそれを「ウソ」ととらえる。
欧米人がいかにウソにきびしいかは、今さらここに改めて書くまでもない。
ふつう一度ウソを言ったら、人間関係は、それで終わる。
●悪口
話を戻す。
私はこうしてものを書いているが、いろいろな鉄則を守っている。
そのひとつが、悪口を書いた人ととは、つきあわない。
つきあっている人の悪口は、書かない。
当然のことだが、郷里のあの町では、それが通用しない。
みなというわけではない。
私の周辺の人たちだけかもしれない。
が、私が知るかぎり、ほとんどの人は、平気でそれができる。
つまり裏で悪口を言いながら、表では平気でつきあう。
●原点は邑(むら)意識
岐阜の郷里の町は、それだけ日本的ということになる。
たとえばさらに一歩、山奥の部落に入ると、こんな会話が今でも、残っている。
通りでだれかに出会ったとすると、こう言って声をかける。
「オーイ、昼飯でも食っていかんけエ」と。
しかしこれは、ただのあいさつ。
そう言われたほうは、腹が減っていても、こう答える。
「おう、今、食ってきたところでノウ」と。
ウソにはウソで答える。
そういった日常的な会話が、ジグソーパズルのように寄り集まって、あの地域の文化を作
り上げている。
それを総称して、「邑(むら)意識」という。
(ちょっと意味がちがうかな?)
現在では死語になってしまったが、亡霊のようなものは、あちこちに残っている。
それがあの独特の言い回しということになる。
●依存性
「邑(むら)」の中では、みながみな、たがいに依存しあいながら、生きている。
受け入れてしまえば、それは居心地のよい世界である。
が、一度それに反目すると、そのまま外の世界へ、はじき飛ばされてしまう。
『村八分』という言葉もある。
村に住む人にとっては、これほど恐ろしい言葉はない。
依存できないだけではない。
依存できない分だけ、自分で生きていかねばならない。
しかしそういう訓練を受けていない。
邑社会そのものがもつシステムが、それを許さない。
ただ誤解がないように一言。
どちらがよくて、どちらが悪いかということは、私にはわからない。
人、それぞれ。
郷里の人たちには、郷里のほうが、住みやすい。
浜松の人たちには、浜松のほうが、住みやすい。
どうであれ、その人が「住みやすければ」、それでよい。
Hiroshi Hayashi+教育評論++June.2010++幼児教育+はやし浩司
●嫉妬、攻撃、恐怖
+++++++++++++++
乳幼児期の大敵。
タブー。
その3つが、嫉妬、攻撃、恐怖。
+++++++++++++++
嫉妬は原始的な感情であるがゆえに、
扱い方をまちがえると、確実に
子どもの心をゆがめる。
「原始的」というのは、他の哺乳動物に
共通する感情のひとつであるということ。
攻撃というのは、はげしい闘争心を
呼び起こすような感情をいう。
結果として言動が攻撃的になる。
またはげしい家庭内騒動、夫婦喧嘩など、
恐怖体験は、子どもの心をゆがめる。
「ゆがめる」というのは、ばあいによっては
精神障害につながる、重篤なケースを含む。
乳幼児期の母子関係の不全が、後々の
うつ病の「種」となるという説もある(九州大学Y)。
みなさん、気をつけましょう。
Hiroshi Hayashi+++++++May. 2010++++++はやし浩司
●こわばり
++++++++++++++++++++
このところ体のこわばりが、気になる。
筋肉が、そのまま固まってしまう。
しばらく同じ姿勢を保つ。
そのあと、体が、思うように動かなくなる。
最初に気がついたのは、今から5、6年ほど前のこと。
どこかの会場で、和室に案内された。
何人かの人たちと、正座したまま話をした。
時間にすれば、20~30分ほどだっただろうか。
そのあとのこと。
立ち上がろうとしたが、立ち上がれなくなってしまった。
足がこわばったまま、動かなくなってしまった。
ヨロヨロ……という感じではなく、ギコンギコンという
感じだった。
以来、正座するのを、できるだけ避けている。
が、足だけではない。
腕にせよ、首にせよ、なにかにつけ、体がこわばり
やすくなった。
が、この(こわばり)を軽くみてはいけない……そうだ。
ネットで調べてみると、重篤な病名がズラリと並ぶ。
とくにこわいのが、首から肩にかけての、こわばり。
脳梗塞の前兆ということも、あるそうだ。
+++++++++++++++++++++
●相談
こういうときは、5、6歳、あるいは10歳くらい年上の人に相談するとよい。
私が経験するようなことは、たいていみな、経験している。
「私もそうです」というような回答をもらって、それで解決する。
で、最近、50代の人と話すたびに、私はこう言う。
「老人研究をしたらいいですよ」と。
私のばあい、とくに老人の歩き方が気になった。
80歳を過ぎても、スタスタと歩ける人もいる。
70歳になったばかりというのに、ヨタヨタと歩く人もいる。
そんなとき、「どうしてこの人は、こんなふうに歩けるのだろう?」
「どうしてこの人は、歩けないのだろう?」と、考えるようになった。
以来、10年。
この分野では、私はかなり詳しくなった。
「老人研究」といっても、もちろん歩き方だけがテーマではない。
最終的には、人生観そのものも、テーマとなる。
●老後の人生観
「老人の人生観」というよりは、「老後の人生観」。
「どう生きるか」に併せて、「どう死ぬか」。
この2つを並行して考える。
それが老後の人生観ということになる。
つまり若いときは、生きることだけを考えればよかった。
しかし老後になると、それに(死に方)が加わるようになった。
それにはいろいろな意味が含まれる。
+++++++++++++++
09年の1月に書いた原稿を、
再掲載します。
+++++++++++++++
●統合性の確立
++++++++++++++++++++++++
今日の成果。
私とワイフは、ずっとトップランナーだった。
諏訪湖の湖畔を歩くとき、いつもうしろを見ながら歩いた。
こんなところで順位を競っても意味はない。
わかっているが、私たちは、それを目標にしている。
週に2、3度、10キロ近く歩いているのも、そのため。
それぞれの人には、それぞれの目的がある。
観光を楽しみたい人。
友だちとおしゃべりを楽しみたい人。
ほかにも、いろいろあるだろう。
しかし私たちは、運動のため。
そのためには、タラタラと歩いていたのでは、意味がない。
サクサクと歩く。
汗をかく。
有酸素運動をする。
そのために歩く。
目標は、トップ。
目的地、一番乗り。
++++++++++++++++++++++++++++
●帰りのバスの中で
それをワイフに話すと、ワイフは、こう言った。
「あなたの人生の縮図みたいね」と。
いつもトップだったというわけではないが、しかしその緊張感は
忘れなかった。
先手、先手で、人の前に立つ。
それは私のように一匹狼で生きていく人間にとっては、鉄則のようなもの。
二番手になったとたん、押しつぶされてしまう。
が、目的地に着いたら、そこで遊ぶ。
時間にも余裕がある。
その周辺の店をのぞいたりする。
これもワイフに言わせると、私の人生の縮図みたいということになる。
私はいつも、まず(すべきこと)を先にする。
それが終わったら、自分の(したいこと)をする。
その余裕がないときは、がまんする。
つまり(すべきこと)が残っているときは、(したいこと)をがまんする。
いつもこの鉄則を守っているというわけではないが……。
●60歳の統合性
(やるべきこと)と、(したいこと)は、基本的にちがう。
(やるべきこと)には、常に、ある種の苦痛がともなう。
できるなら、やらないですまそうとする。
そういうブレーキも働く。
人間は本来、怠けもの。
が、その(苦痛)を乗りこえなければ、(やるべきこと)は、できない。
エリクソンは、人生の正午と言われる満40歳前後から、(やるべきこと)の
基礎を作れというようなことを説いている。
(やるべきこと)を見つけ、その基礎固めをしていく。
それが5年とか10年とかいう年月を経て、その人の中で熟成していく。
何度も書くが、「60歳になりました。明日からゴビの砂漠でヤナギの木を
植える」というわけにはいかない。
そんな取って付けたようなことをしても、身につかない。
(やるべきこと)を見つけ、現実にそれを実行していく。
それを「統合性の確立」という。
●統合性の失敗
私も含めてということになるかもしれないが、こうした統合性の確立に
失敗している人は、多い。
60歳という、年齢の節目に立ってみると、それがよくわかる。
明日は今日と同じ。
来月は今月と同じ。
来年は今年と同じ、と。
家ですることといえば、テレビを見て、雑誌を読んで、あとは眠るだけ。
たまの休みには、野球中継。
雨の日は、パチンコ。
読むのは、スポーツ新聞だけ。
体のためと称して、畑を借りて家庭菜園。
ときどき旅行をしたり、孫の世話をする。
楽しむことイコール、老後のあるべき姿と考えている人も多い。
しかしそれこそ、まさに死の待合室に入ったようなもの。
1か月を1日にして、生きるだけ。
1年を、1か月にして生きるだけ。
そんな人生に、どれほどの意味があるというのか(失礼!)。
●今、40歳前後の方へ、
エリクソンは40歳と言ったが、40歳では遅いかもしれない。
30歳でもよい。
20歳でもよい。
将来に向けて、統合性の確立のため、今からその下地を作っていく。
それは何も老後のためだけではない。
いつか「私は自分の人生を生きた」という実感を、
自分のものにするため。
もしこの統合性の確立に失敗すると、老後そのものがみじめになるだけではない。
自分が生きてきたという証(あかし)、さらには足跡まで、無駄になってしまう。
人生も晩年になって、「私は何をしてきたのだ」と思うことほど、苦しいことは
ない。
(今の私もそうだが……。)
自分の人生を振り返っても、そこには何もない。
いや、いつの間にか、自分に替わって、別の人間が、それをしている。
私がしたことをしている。
私より、ずっとじょうずにしている。
それはそのまま自己否定へとつながってしまう。
●無私無欲
(やるべきこと)は、無私無欲でなければならない。
金銭的な利益、名誉や地位のためというのであれば、それは(やるべきこと)
ではない。
損得勘定をしない。
仮にその結果として、金銭的な利益を得たり、名誉や地位がもたらされた
としても、それはあくまでも結果。
結果であるから、一喜一憂することもない。
淡々とそれを迎える。
仕事で忙しい人もいるだろう。
家事で忙しい人もいるだろう。
子育てで忙しい人もいるだろう。
しかしそういう間でも、統合性のための基礎づくりを忘れてはいけない。
それは長くて苦しい道かもしれない。
先にも書いたように、できればやりたくないことかもしれない。
しかしそれでもつづける。
それがここでいう統合性につながる。
●燃える
一方、70歳を過ぎても若々しい人というのは、たしかにいる。
私の義兄もその1人。
先週訪ねたら、そこにピカピカのベンツが置いてあった。
義兄のベンツは、たしか中古だったはず。
しかし、ピカピカ。
「どうしたの?」と聞いたら、「塗装しなおした」と。
「メッキは磨きなおした。パッチ(ゴム部)は、新品に取り替えた。
シートは、張り替えてもらった」と。
そして先月(08年12月)は、長野県の奥まで、奥さん(=ワイフの
姉)とドライブしてきた、と。
生き様が前向きというか、若々しい。
ゴルフのクラブにしても、自分で設計して、それを業者に作らせたり
している。
趣味はバイクだが、40年前、50年前のバイクを拾ってきては、
それを修理して走らせたりしている。
「夢は、いつかバイクの展示場をかねた喫茶店を開くこと」と。
年齢は、正確には、今年76歳になる。
そういう義兄と話していると、こちらまで若返る。
話がはずむ。
●あなたの未来
あなたの未来を知りたかったら、あなたの両親を見ることだ。
遺伝子学的にも、満20歳くらいまでは、親子といっても、様子は大きくちがう。
が、20歳まで。
満20歳を過ぎると、親子は急速に似てくる。
似てくるというよりは、実際には、同一化する。
子どもが親に似るわけではない。
同一化する。
子どもである(あなたは)は、「私は親とはちがう」「親のようにはならない」と
思っているかもしれない。
が、それは甘い。
世の中には、「進化論」というものもあるが、それは100代とか、1000代
単位で起こることであって、あなたの代の1代や2代くらいでは、起こるはずも
ない。
40代を過ぎれば、あなたもあなたの両親も同じ。
50代を過ぎれば、さらにあなたもあなたの両親も同じ。
こんな例がある。
●反面教師は、未来のあなた
ある女性は若いころから、自分の母親を批判していた。
「私の母は、ずるい」「私の母は、世間体ばかり気にしている」と。
しかしその母親がなくなってしばらくすると、今度はその女性が
母親そっくりの人間になっていた。
こういう例は、いくらでもある。
こうした世代連鎖は、どうすれば防ぐことができるか。
そこで登場するのが、「精進(しょうじん)」ということになる。
日々の絶え間ない研さんのみによって、こうした世代連鎖を断ち切ることができる。
たとえばあなたの父親が、インチキな人だったとしよう。
女遊びは、当たり前。
親戚中から借金を重ね、そのつどそれを踏み倒す。
親をだます子はいるが、あなたの父親は、あなたという子をだます。
あなたはそういう父親を批判する。
父親を反面教師にしながら、自分はそうしないと心に誓う。
「私は父親とはちがう」と言う。
しかし反面教師のこわいところは、ここから始まる。
反面教師とするのは勝手でも、別のところで別の人格を作りあげないと、
結局は、今度はあなたがその反面教師そっくりの人間になる。
理由は明白。
あなたはその反面教師しか、知らないからである。
親子のばあいは、さらによく似る。
自分ではそれはわからないが、他人から見ると、それがわかる。
●私のほうが、マシ?
しかしこんなことも言える
たぶんに自己弁解がましいが、悩んだり苦しんだりするところに、
実は価値があるのだ、と。
統合性の一致にしても、ほとんどの人は、それが何であるかもわからず、
悶々とした日々を送っている。
しかしその(悶々とすること)自体に価値がある。
というのも、少し前、そういうことをまったく考えない人に出会った。
そのとき私が感じた(落差)というか、(驚き)には、格別なものがあった。
私とて、統合性の確立ができたわけではない。
いまだに、悶々としている。
懸命にさがそうとしている。
が、その男性は、ノー天気というか、統合性の「ト」の字も考えていなかった。
のんき?
無神経?
無頓着?
楽天的?
享楽的?
せつな的?
しばらくいっしょに話したが、打ち返ってくるものが、何もない。
同じように、人生を60年近く生きてきたはずなのに、何もない。
本当に、何もない。
そこで私が、「退職後は何をしているの?」と聞くと、「家でブラブラしている」と。
ブラブラしていることが悪いというのではない。
で、「どんなことをしているの?」と聞くと、先に書いたような答が返ってきた。
「野球中継があるときは、テレビでそれを見て過ごす」
「休みには魚釣り。雨が降ればパチンコ」と。
本は読まない。
読むのはスポーツ新聞だけ。
音楽は聴かない。
映画も見ない。
あとは孫ができたとかで、ときどき孫の世話をしている、と。
統合性の確立どころか、その入り口にも立っていない(失礼!)。
だからこう思った。
まだ、私のほうが、マシ、と。
●やってくる老後
老後は、確実にやってくる。
あっという間にやってくる。
しかも老後というのは、意外に長い。
60歳から始まったとしても、20年近くある。
幼児が成人するまでの年月に等しい。
しかしこれは、「どう過ごすか」という問題ではない。
「やるべきことをやらないと、死ぬこともできない」という問題である。
現実に私もその年齢になり、老後の入り口に立って、その恐ろしさを
実感しつつある。
仕事がなくなる恐怖。
役目がなくなる恐怖。
だれにも相手にされなくなる恐怖。
こうした恐怖は、そのまま自分をどんどんと小さくしていく。
そんな状態で、この先、20年を、どうやって生きていったらよいのか。
またそんな状態で、生きていかれるはずもない。
まず手始めに、仕事を失ってはいけない。
どんな小さな仕事でも、それにしがみついていく。
それに町内の仕事にしても、それができるなら、どんどんとしていく。
みなの役に立つ。
みなから、役に立つ人間として評価される。
●私の経験
これは私の経験だが、私は今にしてみると、1円もお金をもらわなかったのが、
うれしい。
40代~55歳くらいまでは、電話相談に明け暮れた。
それ以後は、無料でマガジンを出したり、無料で相談に応じている。
そのときは、「どうしてこんなバカなことをしているのだ」という思いとの
闘いでもあった。
しかしそれが今、少しずつだが、光り始めている。
もしあのとき、そして今、お金を受け取っていたら、私のささやかな
統合性は、その時点で霧散していただろう。
もちろん今していることが、(私のすべきこと)とは、思っていない。
しかし私が今、住んでいる世界では、それしか思いつかない。
それこそ「では、これからゴビの砂漠に行って、ヤナギの木を植えてきます」と
いうようなことは、私にはできない。
だいたい、その下地がない。
だから、やるしかない。
その先に何があるかわからないが、ともかくも、やるしかない。
●最後に……
むずかしい話はさておき、朝起きたとき、(やるべきこと)がそこにあるだけでも、
うれしい。
感謝しなければならない。
その(やるべきこと)が、あなたには、あるだろうか。
あればよし。
そうでなければ、あとは自分の心と体に、ムチを打つしかない。
「楽をしたい」という思いはだれにでもある。
が、その(思い)に敗れたとたん、あなたは一気に、孤独の世界へと落ちていく。
……ということで、明日からまた新しい週が始まる。
「がんばるぞ」と自分に掛け声をかけて、この話は、おしまい。
どうであるにせよ、私は生きていかねばならない。
今までもそうして生きてきたし、今も生きている。
これからもそうして生きていくだろう。
(2009年1月記)
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2010年6月27日日曜日
*Magazine July 23rd
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子育て最前線の育児論byはやし浩司 10年 7月 23日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●病気は、うしろからやってくる
++++++++++++++++++
病気は、前からやってこない。
うしろからやってくる。
うしろから、ある日突然やってきて、
あなたの肩を叩く。
先日、Oさん(60歳、現在
血液のがんで闘病中)が、そう
教えてくれた。
++++++++++++++++++
●無理
昨日は、忙しかった。
目が回るほど、忙しかった。
で、そのままの状態で、K町まで。
K町で講演をした。
調子はよくなかった。
ときどき自分で話していることが、宙を舞った。
口だけが勝手に動くという状態になった。
で、そのまま浜松へ戻ってきた。
2つの教室をこなした。
が、2つとも、親たちが参観に来ていた。
●参観
慣れたとはいえ、参観レッスンは、疲れる。
親の視線を感ずるから、疲れるのではない。
子どもたちの、(でき・ふでき)を隠すために、神経をすり減らす。
小さな教室である。
子どもたちの、(でき・ふでき)が、そのまま親たちにわかってしまう。
つまりプライバシーが、筒抜けになってしまう。
それが神経をすり減らす。
中には、参観レッスンがいやで、教室への入会を断わってきたり、
またやめていく親もいる。
ふつうは、こうした学習性の強い教室では、親の参観を許可していない。
とくに幼児教室はそうで、参観を許している教室は、私が知るかぎり、ない。
ここにも書いたように、子どものプライバシーが守れない。
親たちは、いつも他人の子どもと比較しながら、自分の子どもを見る。
「あの子はできる」「この子はできない」と。
●夕食
遅い夕食を、ワイフと食べた。
レストランで食べた。
本来なら、そのころ、睡魔が襲ってくるはず。
事実、講演からの帰りの電車の中では、眠っていた。
が、そのレストランで、濃いお茶を、2杯飲んだのがよくなかった。
睡魔を押し殺し、脳みそが覚醒状態になってしまった。
その状態は、夜10時ごろまでつづいた。
私は、日本対デンマーク戦の録画放送を観ていた。
W杯で、日本は、そのデンマーク戦に、3対1で勝った。
やや興奮した。
で、そのとき古い印刷機が気になった。
重さが30~40キロもある大型のものである。
その印刷機を現在、解体している。
●虚血性難聴
ワイフに、「解体しようか?」と声をかけた。
ワイフは、さっそくドライバーをさがし始めた。
そのときのこと。
今の座卓から立ち上がったとたん、軽いめまいがした。
同時に、耳がポンと塞がったような感じになった。
自分でもそれがわかったとたん、耳が聞こえなくなった。
ぞっとするような恐怖感と不安感。
その2つが同時に、私を襲った。
「耳が聞こえない……」と言うと、ワイフの顔からも血の気が引いていくのが、
わかった。
私は左耳の聴力を失っている。
突発性難聴というのになって、もう20年以上になる。
もし右耳が……。
その右耳が、聞こえなかった。
●薬
印刷機の解体は、ネジを10本ほど抜いたところで、やめた。
やめて居間へ行き、耳鼻科で以前くれた薬をのんだ。
血流促進剤と神経増進剤。
風邪かもしれないということで、葛根湯とビタミンC(アスコルビン酸の粉末)も、
たてつづけにのんだ。
そのまますぐ布団の中に。
扇風機の風が、かえって不愉快。
扇風機を止めた。
止めて、枕元にあった、精神安定剤と睡眠促進剤をのんだ。
不安感と動悸
眠れそうになかった。
ワイフは、私をやさしく抱いてくれた。
こう言った。
「私があなたの代わりに耳になってあげるから……」と。
私はワイフの胸に顔を埋めた。
うれしかった。
涙が一筋、流れた。
●音
このところ、講演つづきで、あちこちを回っている。
つづく翌日、つまり今日も、愛知県のC市で、講演をすることになっている。
朝、起きたとき、まず自分の声を出してみた。
つづいて掛け時計の音に、耳を澄ましてみた。
聞こえた!
うれしかった!
そう言えば、義兄もこのところ、ときどき視野が消えてしまうことがあるという。
突然、目が見えなくなるという。
義兄は、今年77歳。
軽い脳梗塞も経験している。
「一過性……」とか、「虚血性……」とか言っていた。
目と耳のちがい。
症状からすると、よく似ている。
私のも、一過性の虚血性難聴だったかもしれない。
そんな病名があるのかあと考えているうちに、眠ってしまった。
そう、昨日は、忙しかった。
忙しいだけならともかくも、神経をつかった。
ストレスも重なった。
それが災いした(?)。
●病気はうしろから
「病気は、前からやってこない。
うしろからやってくる。
うしろからある日突然やってきて、あなたの肩を叩く」と。
先日、Oさん(60歳、現在血液のがんで闘病中)が、そう教えてくれた。
そう、まさにそのとおり。
前からやってくれば、それを避けることもできる。
が、うしろから襲われたら、避けようがない。
つまりこの問題は、「油断」の問題。
これからは、その油断ができない。
無茶ができない。
よい経験をしたとは思わない。
しかしこれからは、そういう「敵」にも、注意しなければならない。
「こうして人は、少しずつ、死に向かって行くんだね」とワイフに話した。
ワイフは、黙ったまま、私を胸に抱いてくれた。
その温もりが、今も私の体を包んでいる。
今日は、注意しよう。
無理をしないでおこう。
……これからC市まで行ってくる。
時刻は、朝、6時半。
幸い、冷気を感ずるほど、今朝は涼しい。
これなら何とか、今日は、やりこなせそう……。
みなさん、おはようございます。
どうか、お体を大切に!
2010年6月26日
(父母の方へ)
これからは、待合い的な参観は、できるだけ、お断りすることにしました。
お子さんに何か問題があって、その問題を解決するための参観は、よいのですが、
そうでない参観……つまりここでいう「待合い的な参観」については、お断り
することにしました。
レッスンの様子は、YOUTUBEで公開しています。
どうかそちらのほうで、ご覧になってください。
とうとうというか、ついに、私も、無理ができない年齢になってしまいました。
よろしくご理解ください。
はやし浩司
Hiroshi Hayashi+教育評論++June.2010++幼児教育+はやし浩司
●腐る心(Rotten Mind)
++++++++++++++
平凡は美徳だが、平凡が
よどむと、心が腐る。
腐って、平常心や常識を見失う。
偏(かたよ)った、ものの考え方を
するようになる。
ひどいばあいには、何かの
精神病を病むこともある。
それを防ぐには、社会や人との
かかわりを切らないこと。
生活に緊張感をもちこみ、
適度なストレスを楽しむこと。
++++++++++++++
●環境と心
若いころ、オーストラリアの大牧場に住んでいるような知人が、
うつ病になったと聞いた。
私はそれを知って、心底、驚いた。
「ああした大平原に住んでいるような人が、どうして?」と。
最近でも、オーストラリアの友人がこう話してくれた。
「今、牧場主の自殺がふえている」と。
これについても、「どうして?」と考えたところで、思考が停止して
しまう。
都会の雑踏の中に住んでいる人が、心を病んだり、自殺に追い込まれる
という話なら、まだ理解できる。
常識的に考えても、そのほうが、筋道が立つ。
しかし実際には、……というより、環境とその人の心の問題とは、
関係ない。
●内発的ストレス
ストレスにも、2種類ある。
外圧的ストレスと、内発的ストレスである。
(ふつうは、善玉ストレスと、悪玉ストレスに分ける。
私は、外圧的ストレスと、内発的ストレスに分ける。)
外圧的ストレスというのは、たとえば仕事などに追われる
ことによって、外の世界から自分に加えられるストレスをいう。
これに対して内発的ストレスというのは、心に何か問題があって、
心の内部から発せられるストレスをいう。
たとえば「こだわり」。
こだわりが強くなると、ささいな問題を気にして、悶々とそれについて
悩んだりする。
それがストレッサーとなって、その人を内側から、苦しめる。
取り越し苦労や、ヌカ喜び。
それを繰り返しながら、徐々に、心が腐っていく。
要は心の持ち方しだいということになる。
が、それをうまく処理できれば、それでよし。
そうでなければ、いくらすばらしい環境に身を置いていても、うつ病に
なる。
なる人は、なる。
●老後
たいへんよく誤解されるが、年金生活は、けっして理想の生活ではない。
「悠々自適の年金生活」という言葉も、よく聞く。
「老後は、孫のめんどうと、庭いじり」と。
しかし「遊べ」「遊べ」と言われても、そう遊べるものではない。
私の年齢になると、遊べば遊ぶほど、そのあとに空しさが残る。
「だからそれがどうしたの?」と。
そこで適度な緊張感ということになる。
そういう意味では、善玉ストレスは、生活に緊張感を与える。
が、その緊張感こそが、重要。
人間の心は、ゴムのようなもの。
一度緩(ゆる)んでしまうと、元に戻すのは、たいへん難しい。
若いころなら、気力で、元に戻すことができるが、歳を取ると、
それがむずかしい。
元に戻そうとする気力そのものが、弱る。
実際、定年退職後、ほんの半年~1年、ブランクができただけで、
仕事に復帰できないまま、一生を終える少なくない。
●非常識
で、心が腐ると、~~病という病名こそつかなくても、とんでもない
ことをし始める。
そういう人は、少なくない。
ある男性(75歳)くらいは、隣の家に放火するようなことまでしている。
もっとも本気で放火したというよりは、放火したところで、あわてて火を
消した。
あるいはパチンコを買ってきて、近所の家の窓ガラスに穴をあけた
男性(80歳くらい)もいた。
で、その男性のばあい、自分が疑われるのを避けるため、自分の家の
窓ガラスにも、穴をあけた。
さらに陰湿なことをする男性(75歳くらい)もいた。
その男性は、自宅の裏で、マムシを飼っていた。
古いバスタブをどこかでもらってきて、その中で飼っていた。
餌は生きたカエル。
そのため、その近所では、ときどきマムシが出る。
開けた団地で、水気のほとんどないところである。
その近所の人たちは、その男性がマムシをばらまいているらしいと
うわさしている。
そういうことが平気でできる人のことを、「心の腐った人」という。
●粗大ゴミ
退職というのは、読んで字のごとく、「仕事から退く」ことをいう。
が、仕事というより、中身。
つまり「生きがい」。
その「生きがい」から遠ざかる。
しかしその時点で、退職の仕方をまちがえると、そのまま心を腐らせて
しまう。
本人はそれでよいとしても、それによって、周囲の人たちが、迷惑する。
ある妻は、こう言った。
「夫が退職してからというもの、私は毎日、家を出ています」と。
夫とは、いっしょに暮らせないということらしい。
「夫は、毎日、家の中でゴロゴロしています。
そんな夫を見ていると、息が詰まります」と。
粗大ごみとなるか。
粗大ごみとなって、家族に疎(うと)んじられるか。
それでもよければ、話は別。
しかしそれによって本当につらい思いをするのは、本人。
●私のばあい
私のばあいも、正月など、10日間も休みがつづいたりすると、
心が腐っていくのが、自分でもよくわかる。
あるいは休みが終わって、仕事に復帰するとき、心を調整するのに、
かなり苦労する。
もちろん体も鈍(なま)る。
いつもなら自転車でスイスイと登れる坂も、登れなくなったりする。
文章にしても、1週間も書かないでいたりすると、勘が鈍ってしまう。
だからいつもこう思う。
「休みは、2日でじゅうぶん」と。
それに一日中、ワイフと顔をつきあわせていると、ささいなことで
口論になったりする。
ワイフにしても、そういう私を、疎ましく思うかもしれない。
●流水は腐らず
心は、言うなれば、流れる水のようなもの。
東洋医学でも、『流水は腐らず』という。
これは肉体の健康法を言ったものだが、心の健康法としても、正しい。
(東洋医学では、肉体の健康と心の健康を区別しない。
両者は一体したものと、とらえる。)
そこで重要なことは、どう生活の中で、その「流水」を作るかという
こと。
それが冒頭に書いた、社会や人とのかかわりを切らないこと、
生活に緊張感をもちこみ、適度なストレスを楽しむことということになる。
●幼児との接触
実は、心を腐らせないための、もうひとつの方法がある。
たぶんに手前味噌的で申し訳ないが、幼児と接すること。
幼児のもつ、あの純粋なエネルギーに接すること。
このことは、自分の心が腐り始めたとき、幼児に接してみると、
よくわかる。
幼児に接したとたん、不純物がそのままきれいに洗い流されてしまう。
私はそういう経験を、毎日のようにしている。
(だからといって、私が純粋というわけではないが……。)
一方、おとなの世界にはおとなの世界独特の腐臭が漂っている。
その世界だけにいる人には、それがわからないかもしれない。
「腐臭」である。
もう10年ほど前のことだが、山荘の隣に住んでいる女性(当時
50歳くらい)が、こう言った。
そのとき何かの用事で、浜松市内のホテルに泊まったらしい。
それについて、「臭くて、眠れませんでした」と。
町には町の独特の「臭い」があるらしい。
それが臭くて、眠れなかった、と。
つまり私には、その「腐臭」がわかる。
が、わからない人には、それがわからない。
●今日も始まった(2010年6月27日)
心も腐る。
野菜や果物のように、腐る。
腐って、腐臭を放つようになる。
心というのは、そういうもの。
またそういう前提で、心を考える。
それを防ぐためには、キリスト教徒や仏教徒の人たちがしているように、
教会や勤行に通うという方法もある。
しかしそれ以上に大切なことは、やはり「日々の精進」あるのみ。
いつも前向きに、チャレンジしていく。
つまり自分自身を、「流れ」の中に置く。
健康法と同じで、立ち止まったとたん、そこを頂点に、あとは下り坂に向かう。
……ということで、今日も始まった。
で、とりあえず、すべきこと。
(1)マガジン7月号の発行(13回分)。
(2)総原稿集の編集。
(3)インターネットストーレッジへのUPLOAD。
(4)7月号のマガジンを、同じく、インターネットストーレッジにUPLOAD。
午後からは、山荘周辺の草刈り。
が、これは天気しだい。
みなさん、おはようございます。
昨夜は、午後8時ごろ就寝。
11時間、たっぷりと睡眠時間をとった。
おかげで、今朝は、気分爽快!
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
休みます。
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●明日もがんばろう!
●ウォーキング・マシン
今朝は8時ごろまで眠った。
よく眠った。
夢を見ていたが、目を覚ますと同時に、忘れた。
どんな夢だったか?
……どうしても思い出せない……。
で、このところ起き上がった直後、足がもたつくようになった。
自分の意思どおりに、動かない。
足腰が、しばらくかたまったような状態になる。
足の裏が痛いときもある。
居間へ入ると、そのままウォーキング・マシンへ。
電源を入れて、マシンを回す。
血圧が低いこともあって、脳みそはまだ半分眠ったまま。
ハンドルを握りながら、モタモタと足を動かす。
●眠気
今週は、雨つづき。
運動不足。
昨日、近くの温泉で体重を量ったら、63キロ。
2キロ、オーバー。
ウォーキング・マシンの上で歩く程度では、有酸素運動にはならない。
20分ほど歩いて、やっと眠気が取れるかなという程度。
その前に足の裏が熱くなる。
熱くなって、やめる。
で、今朝も20分。
そのあと今度は、乗馬マシン。
その上でユラユラと揺られていると、また眠気が襲ってくる。
よく眠った朝ほど、眠気が残る。
これはどうしたことか。
●ホームページ
先週は、突然、HPのアップロードができなくなってしまった。
少なからず、あわてた。
サーバーが、突然、「これからはFTP送信を暗号化する」と言い出した。
が、その方法がわからない。
「ディレクトリーの作成」とか、「キューの処理」とか、意味不明の言葉が並ぶ。
「html」と「htm」のちがいすら、私にはわからない。
わからないまま、悪戦苦闘。
現在、ガンブラーという名前のコンピューター・ウィルスが、猛威を振るっている。
このウィルスは、他人のHPの中に侵入し、そのHPを見ただけで、
見た人のパソコンの中に侵入する。
見た人のパソコンの中から、パスワードや個人情報を盗む。
きわめて悪質なウィルスである。
●ウィルス対策
……ということで、現在、1つずつ、サーバーを乗り換えている。
新しいサーバーをさがし、そこへ移動している。
この作業は今のところ順調に進んでいる。
つまりこういうこともあるという前提で、パソコンとはつきあう。
ウィルスだけではない。
HPサービスはもちろん、BLOGにしても、いつなんどき、閉鎖される
か、わからない。
電子マガジンにしても、そうだ。
ある日突然、「つごうにより……」という理由だけで、閉鎖される。
で、私のばあい、つぎのように対処している。
(1)ウィルス対策は当然だが、パソコンそのものを使い分けている。
HP用のパソコン、メール用のパソコン、と。
とくにHP用のパソコンは、3重、4重のガードを施している。
もちろんあやしげなHPは、のぞかない。
だからといって、「私のHPは、だいじょうぶ」とは、断言できない。
断言できないが、この10年間、事故は一度も起きていない。
(2)HPはもちろん、BLOGや電子マガジンにしても、単数ではなく、
いつも複数か所から発行している。
「閉鎖します」という連絡が入ったら、即、別のBLOGや電子マガジンに
切り替える。
そういう準備だけは、いつもしておく。
●印刷機
今度、教室用の印刷機を買い換えることにした。
今までは、R社の輪転機型の印刷機を使っていた。
この印刷機は、大量印刷には向いているが、10~30枚程度の印刷には
向いていない。
かえってコスト高になってしまう。
それに印刷機そのものの価格が高い。
1台、60~80万円もする。
その印刷機について、R社の社員がこう言った。
「もう6年も使っていますね。もうすぐ部品の製造がなくなります。
買い換えませんか?」と。
それでR社の印刷機とは、決別することにした。
R社は、いつもこうしてユーザーを脅し、買い替えを求めてくる。
が、今回は、やめた。
今では、カラーのレザープリンターでさえ、6~8万円も出せば買える。
印刷速度も、格段に速くなった。
「あと何年もできる仕事ではないから、古い機械を使えばいい」という
思いもないわけではない。
しかしそれは、私の生き方ではない。
●生きがい
仕事が大切か、収入が大切か。
今、そう問われたら、私は、迷わず、「仕事」と答える。
つまり赤字になっても、仕事はつづける。
赤字になれば、貯金を取り崩せばよい。
しかし仕事がなくなったら、私の人生そのものが、終わる。
そうなれば、お金など、いくらあっても、しかたない。
(お金がないのも、困るが……。)
亡くなる1年前、私の母は、こう言った。
「お金では、命は買えん(=買えない)」と。
私が、「今でも、お金がほしいか?」と聞いたときのことだった。
あれほどまでお金に執着していた母でさえ、晩年は、そう言うようになった。
今の私の心境は、それに近い。
「お金で、生きがいは買えない」。
だから新しい印刷機を買う。
あと何年できるかわからない仕事だが、最後の最後まで、現役のまま、仕事を
つづける。
HPにしても、そうだ。
今、ここであきらめるわけにはいかない。
「更新ができなくなりました。だからHPを閉鎖します」というわけには
いかない。
負けを認めるのは、死ぬときだけでよい。
●不景気
ここまで書いて思い出したが、今、旅館業はどこも青息吐息。
不景気にあわせて、旅行する人の数そのものが、減っている。
そのためかバブル経済のころ(20年近くも前)には、1泊4~5万円
もしたような旅館が、今は、1万2000~5000円前後で泊まれる。
ばあいによっては、税サ込みで、1万円以下というところも珍しくない。
私たち利用者にはありがたいが、しかしその料金で泊まると、
どうも居心地がよくない。
泊まっていても、申し訳ない気持ちになる。
その旅館業と、私の心境は、よく似ている。
従業員を遊ばせておくよりは、利益がなくても、客を入れたほうがよい。
旅館にとって何よりも大切なのは、「活気」。
活気が呼び水となって、ほかの客もつられて泊まるようになる。
反対に、そうでなければ、そうでない。
●不景気
不景気といえば、自転車屋。
「自転車業界」と「自転車屋業界」は、別。
エコブームの中で、自転車全体の販売数はふえている。
電動アシスト車の販売も好調。
が、全体としての売上高は、それほど、ふえていない。
自転車の価格が、さがりつづけている(自転車産業振興協会調べ)。
そういう中で、自転車屋、とくに街の自転車屋も、これまた青息吐息。
日々のパンク修理だけで、食いつないでいる店も少なくない。
業況DI((景気が好転すると回答した販売店)ー(景気が後退すると回答した
販売店の%))も、ここ1、2年、マイナス30%前後を推移している(同協会)。
数日前も、S町にあった自転車店が、1店、閉店した。
間口が、8~10間もある大きな自転車店だった。
2階も、全面ガラスで、以前はぎっしりと自転車が並べられていた。
が、今は、ガラスウィンドウの前に、どこかの不動産屋の看板がかけてある。
そういうのを見ると、ギューッと胸がしめつけられる。
私が生まれ育った実家は、その自転車店だった。
最近では、大型ショッピングセンターでも、自転車を売る。
修理もする。
年中無休で、夜も9時前後まで、営業している。
個人の自転車屋に、勝ち目はない。
●緊張感
客は来なくても、また赤字でも、店を閉めるわけにはいかない。
旅館も、自転車屋も、そしてこの私も、心境は同じ。
大切なのは、「生きがい」。
「日々の緊張感」。
この緊張感がなくなったら、どうやって生きていけばよいのか。
よく「悠々自適の年金生活」という言葉を使う人がいる。
しかしそんな生活をつづけても、心の隙間は、かえって大きくなるだけ。
空しくなるだけ。
心だって、腐る。
「今日中に、これをしなくては……」「来週中に、あれをしなくては……」
という思いが、自分を奮い立たせる。
●どう死ぬか?
少し暗い話になる。
「老後」について、誤解を招くかもしれないが、しかしこれは本音だから、
そのまま書く。
若いころは、みな、「どう生きるか」を考える。
しかし老後になると、みな、「どう死ぬか」を考えるようになる。
今、病気と闘っている人には、たいへん失礼な言い方になるかもしれない。
しかし本音を言えば、「生きるのもたいへん。しかし死ぬのも、これまた
たいへん」。
私のばあい、今日でも明日でもよいが、ポックリと死ねるなら、
それはそれでよいことではないかと、思い始めている。
だからその準備だけは、しておく。
つまりいつ死んでもよいように、その準備だけは、しっかりとしておく。
それが私流の「死に方」ということになる。
だから……というわけでもないが、結論は、ひとつ。
「仕事が大切か、収入が大切か。
今、そう問われたら、私は、迷わず、『仕事』と答える」と。
●体力
この週末には、2か所で講演をすることになっている。
愛知県のC市と、静岡県のK市。
だらけた体では、講演はできない。
眠った脳みそでは、講演はできない。
それにヨタヨタと壇上にあがるのは、つらい。
スタスタと歩き、テキパキと話をしたい。
明日は、朝、ランニングをする。
天気もよさそう。
4キロは走ってみたい。
がんばろう。
とにかく、がんばろう。
がんばるしかない。
どこまでできるかはわからないが、その私ももうすぐ63歳。
(6月23日夜、記)
(付記)
昨夜心に決めたように、今朝は、約50分、距離にすれば、8~9キロ
を走った。
途中でワイフに車で拾ってもらったときには、全身、汗でびっしょり。
午後にもう一度、サイクリングを、もう1単位(=40分)するつもり。
(6月24日朝、記)
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子育て最前線の育児論byはやし浩司 10年 7月 23日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●病気は、うしろからやってくる
++++++++++++++++++
病気は、前からやってこない。
うしろからやってくる。
うしろから、ある日突然やってきて、
あなたの肩を叩く。
先日、Oさん(60歳、現在
血液のがんで闘病中)が、そう
教えてくれた。
++++++++++++++++++
●無理
昨日は、忙しかった。
目が回るほど、忙しかった。
で、そのままの状態で、K町まで。
K町で講演をした。
調子はよくなかった。
ときどき自分で話していることが、宙を舞った。
口だけが勝手に動くという状態になった。
で、そのまま浜松へ戻ってきた。
2つの教室をこなした。
が、2つとも、親たちが参観に来ていた。
●参観
慣れたとはいえ、参観レッスンは、疲れる。
親の視線を感ずるから、疲れるのではない。
子どもたちの、(でき・ふでき)を隠すために、神経をすり減らす。
小さな教室である。
子どもたちの、(でき・ふでき)が、そのまま親たちにわかってしまう。
つまりプライバシーが、筒抜けになってしまう。
それが神経をすり減らす。
中には、参観レッスンがいやで、教室への入会を断わってきたり、
またやめていく親もいる。
ふつうは、こうした学習性の強い教室では、親の参観を許可していない。
とくに幼児教室はそうで、参観を許している教室は、私が知るかぎり、ない。
ここにも書いたように、子どものプライバシーが守れない。
親たちは、いつも他人の子どもと比較しながら、自分の子どもを見る。
「あの子はできる」「この子はできない」と。
●夕食
遅い夕食を、ワイフと食べた。
レストランで食べた。
本来なら、そのころ、睡魔が襲ってくるはず。
事実、講演からの帰りの電車の中では、眠っていた。
が、そのレストランで、濃いお茶を、2杯飲んだのがよくなかった。
睡魔を押し殺し、脳みそが覚醒状態になってしまった。
その状態は、夜10時ごろまでつづいた。
私は、日本対デンマーク戦の録画放送を観ていた。
W杯で、日本は、そのデンマーク戦に、3対1で勝った。
やや興奮した。
で、そのとき古い印刷機が気になった。
重さが30~40キロもある大型のものである。
その印刷機を現在、解体している。
●虚血性難聴
ワイフに、「解体しようか?」と声をかけた。
ワイフは、さっそくドライバーをさがし始めた。
そのときのこと。
今の座卓から立ち上がったとたん、軽いめまいがした。
同時に、耳がポンと塞がったような感じになった。
自分でもそれがわかったとたん、耳が聞こえなくなった。
ぞっとするような恐怖感と不安感。
その2つが同時に、私を襲った。
「耳が聞こえない……」と言うと、ワイフの顔からも血の気が引いていくのが、
わかった。
私は左耳の聴力を失っている。
突発性難聴というのになって、もう20年以上になる。
もし右耳が……。
その右耳が、聞こえなかった。
●薬
印刷機の解体は、ネジを10本ほど抜いたところで、やめた。
やめて居間へ行き、耳鼻科で以前くれた薬をのんだ。
血流促進剤と神経増進剤。
風邪かもしれないということで、葛根湯とビタミンC(アスコルビン酸の粉末)も、
たてつづけにのんだ。
そのまますぐ布団の中に。
扇風機の風が、かえって不愉快。
扇風機を止めた。
止めて、枕元にあった、精神安定剤と睡眠促進剤をのんだ。
不安感と動悸
眠れそうになかった。
ワイフは、私をやさしく抱いてくれた。
こう言った。
「私があなたの代わりに耳になってあげるから……」と。
私はワイフの胸に顔を埋めた。
うれしかった。
涙が一筋、流れた。
●音
このところ、講演つづきで、あちこちを回っている。
つづく翌日、つまり今日も、愛知県のC市で、講演をすることになっている。
朝、起きたとき、まず自分の声を出してみた。
つづいて掛け時計の音に、耳を澄ましてみた。
聞こえた!
うれしかった!
そう言えば、義兄もこのところ、ときどき視野が消えてしまうことがあるという。
突然、目が見えなくなるという。
義兄は、今年77歳。
軽い脳梗塞も経験している。
「一過性……」とか、「虚血性……」とか言っていた。
目と耳のちがい。
症状からすると、よく似ている。
私のも、一過性の虚血性難聴だったかもしれない。
そんな病名があるのかあと考えているうちに、眠ってしまった。
そう、昨日は、忙しかった。
忙しいだけならともかくも、神経をつかった。
ストレスも重なった。
それが災いした(?)。
●病気はうしろから
「病気は、前からやってこない。
うしろからやってくる。
うしろからある日突然やってきて、あなたの肩を叩く」と。
先日、Oさん(60歳、現在血液のがんで闘病中)が、そう教えてくれた。
そう、まさにそのとおり。
前からやってくれば、それを避けることもできる。
が、うしろから襲われたら、避けようがない。
つまりこの問題は、「油断」の問題。
これからは、その油断ができない。
無茶ができない。
よい経験をしたとは思わない。
しかしこれからは、そういう「敵」にも、注意しなければならない。
「こうして人は、少しずつ、死に向かって行くんだね」とワイフに話した。
ワイフは、黙ったまま、私を胸に抱いてくれた。
その温もりが、今も私の体を包んでいる。
今日は、注意しよう。
無理をしないでおこう。
……これからC市まで行ってくる。
時刻は、朝、6時半。
幸い、冷気を感ずるほど、今朝は涼しい。
これなら何とか、今日は、やりこなせそう……。
みなさん、おはようございます。
どうか、お体を大切に!
2010年6月26日
(父母の方へ)
これからは、待合い的な参観は、できるだけ、お断りすることにしました。
お子さんに何か問題があって、その問題を解決するための参観は、よいのですが、
そうでない参観……つまりここでいう「待合い的な参観」については、お断り
することにしました。
レッスンの様子は、YOUTUBEで公開しています。
どうかそちらのほうで、ご覧になってください。
とうとうというか、ついに、私も、無理ができない年齢になってしまいました。
よろしくご理解ください。
はやし浩司
Hiroshi Hayashi+教育評論++June.2010++幼児教育+はやし浩司
●腐る心(Rotten Mind)
++++++++++++++
平凡は美徳だが、平凡が
よどむと、心が腐る。
腐って、平常心や常識を見失う。
偏(かたよ)った、ものの考え方を
するようになる。
ひどいばあいには、何かの
精神病を病むこともある。
それを防ぐには、社会や人との
かかわりを切らないこと。
生活に緊張感をもちこみ、
適度なストレスを楽しむこと。
++++++++++++++
●環境と心
若いころ、オーストラリアの大牧場に住んでいるような知人が、
うつ病になったと聞いた。
私はそれを知って、心底、驚いた。
「ああした大平原に住んでいるような人が、どうして?」と。
最近でも、オーストラリアの友人がこう話してくれた。
「今、牧場主の自殺がふえている」と。
これについても、「どうして?」と考えたところで、思考が停止して
しまう。
都会の雑踏の中に住んでいる人が、心を病んだり、自殺に追い込まれる
という話なら、まだ理解できる。
常識的に考えても、そのほうが、筋道が立つ。
しかし実際には、……というより、環境とその人の心の問題とは、
関係ない。
●内発的ストレス
ストレスにも、2種類ある。
外圧的ストレスと、内発的ストレスである。
(ふつうは、善玉ストレスと、悪玉ストレスに分ける。
私は、外圧的ストレスと、内発的ストレスに分ける。)
外圧的ストレスというのは、たとえば仕事などに追われる
ことによって、外の世界から自分に加えられるストレスをいう。
これに対して内発的ストレスというのは、心に何か問題があって、
心の内部から発せられるストレスをいう。
たとえば「こだわり」。
こだわりが強くなると、ささいな問題を気にして、悶々とそれについて
悩んだりする。
それがストレッサーとなって、その人を内側から、苦しめる。
取り越し苦労や、ヌカ喜び。
それを繰り返しながら、徐々に、心が腐っていく。
要は心の持ち方しだいということになる。
が、それをうまく処理できれば、それでよし。
そうでなければ、いくらすばらしい環境に身を置いていても、うつ病に
なる。
なる人は、なる。
●老後
たいへんよく誤解されるが、年金生活は、けっして理想の生活ではない。
「悠々自適の年金生活」という言葉も、よく聞く。
「老後は、孫のめんどうと、庭いじり」と。
しかし「遊べ」「遊べ」と言われても、そう遊べるものではない。
私の年齢になると、遊べば遊ぶほど、そのあとに空しさが残る。
「だからそれがどうしたの?」と。
そこで適度な緊張感ということになる。
そういう意味では、善玉ストレスは、生活に緊張感を与える。
が、その緊張感こそが、重要。
人間の心は、ゴムのようなもの。
一度緩(ゆる)んでしまうと、元に戻すのは、たいへん難しい。
若いころなら、気力で、元に戻すことができるが、歳を取ると、
それがむずかしい。
元に戻そうとする気力そのものが、弱る。
実際、定年退職後、ほんの半年~1年、ブランクができただけで、
仕事に復帰できないまま、一生を終える少なくない。
●非常識
で、心が腐ると、~~病という病名こそつかなくても、とんでもない
ことをし始める。
そういう人は、少なくない。
ある男性(75歳)くらいは、隣の家に放火するようなことまでしている。
もっとも本気で放火したというよりは、放火したところで、あわてて火を
消した。
あるいはパチンコを買ってきて、近所の家の窓ガラスに穴をあけた
男性(80歳くらい)もいた。
で、その男性のばあい、自分が疑われるのを避けるため、自分の家の
窓ガラスにも、穴をあけた。
さらに陰湿なことをする男性(75歳くらい)もいた。
その男性は、自宅の裏で、マムシを飼っていた。
古いバスタブをどこかでもらってきて、その中で飼っていた。
餌は生きたカエル。
そのため、その近所では、ときどきマムシが出る。
開けた団地で、水気のほとんどないところである。
その近所の人たちは、その男性がマムシをばらまいているらしいと
うわさしている。
そういうことが平気でできる人のことを、「心の腐った人」という。
●粗大ゴミ
退職というのは、読んで字のごとく、「仕事から退く」ことをいう。
が、仕事というより、中身。
つまり「生きがい」。
その「生きがい」から遠ざかる。
しかしその時点で、退職の仕方をまちがえると、そのまま心を腐らせて
しまう。
本人はそれでよいとしても、それによって、周囲の人たちが、迷惑する。
ある妻は、こう言った。
「夫が退職してからというもの、私は毎日、家を出ています」と。
夫とは、いっしょに暮らせないということらしい。
「夫は、毎日、家の中でゴロゴロしています。
そんな夫を見ていると、息が詰まります」と。
粗大ごみとなるか。
粗大ごみとなって、家族に疎(うと)んじられるか。
それでもよければ、話は別。
しかしそれによって本当につらい思いをするのは、本人。
●私のばあい
私のばあいも、正月など、10日間も休みがつづいたりすると、
心が腐っていくのが、自分でもよくわかる。
あるいは休みが終わって、仕事に復帰するとき、心を調整するのに、
かなり苦労する。
もちろん体も鈍(なま)る。
いつもなら自転車でスイスイと登れる坂も、登れなくなったりする。
文章にしても、1週間も書かないでいたりすると、勘が鈍ってしまう。
だからいつもこう思う。
「休みは、2日でじゅうぶん」と。
それに一日中、ワイフと顔をつきあわせていると、ささいなことで
口論になったりする。
ワイフにしても、そういう私を、疎ましく思うかもしれない。
●流水は腐らず
心は、言うなれば、流れる水のようなもの。
東洋医学でも、『流水は腐らず』という。
これは肉体の健康法を言ったものだが、心の健康法としても、正しい。
(東洋医学では、肉体の健康と心の健康を区別しない。
両者は一体したものと、とらえる。)
そこで重要なことは、どう生活の中で、その「流水」を作るかという
こと。
それが冒頭に書いた、社会や人とのかかわりを切らないこと、
生活に緊張感をもちこみ、適度なストレスを楽しむことということになる。
●幼児との接触
実は、心を腐らせないための、もうひとつの方法がある。
たぶんに手前味噌的で申し訳ないが、幼児と接すること。
幼児のもつ、あの純粋なエネルギーに接すること。
このことは、自分の心が腐り始めたとき、幼児に接してみると、
よくわかる。
幼児に接したとたん、不純物がそのままきれいに洗い流されてしまう。
私はそういう経験を、毎日のようにしている。
(だからといって、私が純粋というわけではないが……。)
一方、おとなの世界にはおとなの世界独特の腐臭が漂っている。
その世界だけにいる人には、それがわからないかもしれない。
「腐臭」である。
もう10年ほど前のことだが、山荘の隣に住んでいる女性(当時
50歳くらい)が、こう言った。
そのとき何かの用事で、浜松市内のホテルに泊まったらしい。
それについて、「臭くて、眠れませんでした」と。
町には町の独特の「臭い」があるらしい。
それが臭くて、眠れなかった、と。
つまり私には、その「腐臭」がわかる。
が、わからない人には、それがわからない。
●今日も始まった(2010年6月27日)
心も腐る。
野菜や果物のように、腐る。
腐って、腐臭を放つようになる。
心というのは、そういうもの。
またそういう前提で、心を考える。
それを防ぐためには、キリスト教徒や仏教徒の人たちがしているように、
教会や勤行に通うという方法もある。
しかしそれ以上に大切なことは、やはり「日々の精進」あるのみ。
いつも前向きに、チャレンジしていく。
つまり自分自身を、「流れ」の中に置く。
健康法と同じで、立ち止まったとたん、そこを頂点に、あとは下り坂に向かう。
……ということで、今日も始まった。
で、とりあえず、すべきこと。
(1)マガジン7月号の発行(13回分)。
(2)総原稿集の編集。
(3)インターネットストーレッジへのUPLOAD。
(4)7月号のマガジンを、同じく、インターネットストーレッジにUPLOAD。
午後からは、山荘周辺の草刈り。
が、これは天気しだい。
みなさん、おはようございます。
昨夜は、午後8時ごろ就寝。
11時間、たっぷりと睡眠時間をとった。
おかげで、今朝は、気分爽快!
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
休みます。
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●明日もがんばろう!
●ウォーキング・マシン
今朝は8時ごろまで眠った。
よく眠った。
夢を見ていたが、目を覚ますと同時に、忘れた。
どんな夢だったか?
……どうしても思い出せない……。
で、このところ起き上がった直後、足がもたつくようになった。
自分の意思どおりに、動かない。
足腰が、しばらくかたまったような状態になる。
足の裏が痛いときもある。
居間へ入ると、そのままウォーキング・マシンへ。
電源を入れて、マシンを回す。
血圧が低いこともあって、脳みそはまだ半分眠ったまま。
ハンドルを握りながら、モタモタと足を動かす。
●眠気
今週は、雨つづき。
運動不足。
昨日、近くの温泉で体重を量ったら、63キロ。
2キロ、オーバー。
ウォーキング・マシンの上で歩く程度では、有酸素運動にはならない。
20分ほど歩いて、やっと眠気が取れるかなという程度。
その前に足の裏が熱くなる。
熱くなって、やめる。
で、今朝も20分。
そのあと今度は、乗馬マシン。
その上でユラユラと揺られていると、また眠気が襲ってくる。
よく眠った朝ほど、眠気が残る。
これはどうしたことか。
●ホームページ
先週は、突然、HPのアップロードができなくなってしまった。
少なからず、あわてた。
サーバーが、突然、「これからはFTP送信を暗号化する」と言い出した。
が、その方法がわからない。
「ディレクトリーの作成」とか、「キューの処理」とか、意味不明の言葉が並ぶ。
「html」と「htm」のちがいすら、私にはわからない。
わからないまま、悪戦苦闘。
現在、ガンブラーという名前のコンピューター・ウィルスが、猛威を振るっている。
このウィルスは、他人のHPの中に侵入し、そのHPを見ただけで、
見た人のパソコンの中に侵入する。
見た人のパソコンの中から、パスワードや個人情報を盗む。
きわめて悪質なウィルスである。
●ウィルス対策
……ということで、現在、1つずつ、サーバーを乗り換えている。
新しいサーバーをさがし、そこへ移動している。
この作業は今のところ順調に進んでいる。
つまりこういうこともあるという前提で、パソコンとはつきあう。
ウィルスだけではない。
HPサービスはもちろん、BLOGにしても、いつなんどき、閉鎖される
か、わからない。
電子マガジンにしても、そうだ。
ある日突然、「つごうにより……」という理由だけで、閉鎖される。
で、私のばあい、つぎのように対処している。
(1)ウィルス対策は当然だが、パソコンそのものを使い分けている。
HP用のパソコン、メール用のパソコン、と。
とくにHP用のパソコンは、3重、4重のガードを施している。
もちろんあやしげなHPは、のぞかない。
だからといって、「私のHPは、だいじょうぶ」とは、断言できない。
断言できないが、この10年間、事故は一度も起きていない。
(2)HPはもちろん、BLOGや電子マガジンにしても、単数ではなく、
いつも複数か所から発行している。
「閉鎖します」という連絡が入ったら、即、別のBLOGや電子マガジンに
切り替える。
そういう準備だけは、いつもしておく。
●印刷機
今度、教室用の印刷機を買い換えることにした。
今までは、R社の輪転機型の印刷機を使っていた。
この印刷機は、大量印刷には向いているが、10~30枚程度の印刷には
向いていない。
かえってコスト高になってしまう。
それに印刷機そのものの価格が高い。
1台、60~80万円もする。
その印刷機について、R社の社員がこう言った。
「もう6年も使っていますね。もうすぐ部品の製造がなくなります。
買い換えませんか?」と。
それでR社の印刷機とは、決別することにした。
R社は、いつもこうしてユーザーを脅し、買い替えを求めてくる。
が、今回は、やめた。
今では、カラーのレザープリンターでさえ、6~8万円も出せば買える。
印刷速度も、格段に速くなった。
「あと何年もできる仕事ではないから、古い機械を使えばいい」という
思いもないわけではない。
しかしそれは、私の生き方ではない。
●生きがい
仕事が大切か、収入が大切か。
今、そう問われたら、私は、迷わず、「仕事」と答える。
つまり赤字になっても、仕事はつづける。
赤字になれば、貯金を取り崩せばよい。
しかし仕事がなくなったら、私の人生そのものが、終わる。
そうなれば、お金など、いくらあっても、しかたない。
(お金がないのも、困るが……。)
亡くなる1年前、私の母は、こう言った。
「お金では、命は買えん(=買えない)」と。
私が、「今でも、お金がほしいか?」と聞いたときのことだった。
あれほどまでお金に執着していた母でさえ、晩年は、そう言うようになった。
今の私の心境は、それに近い。
「お金で、生きがいは買えない」。
だから新しい印刷機を買う。
あと何年できるかわからない仕事だが、最後の最後まで、現役のまま、仕事を
つづける。
HPにしても、そうだ。
今、ここであきらめるわけにはいかない。
「更新ができなくなりました。だからHPを閉鎖します」というわけには
いかない。
負けを認めるのは、死ぬときだけでよい。
●不景気
ここまで書いて思い出したが、今、旅館業はどこも青息吐息。
不景気にあわせて、旅行する人の数そのものが、減っている。
そのためかバブル経済のころ(20年近くも前)には、1泊4~5万円
もしたような旅館が、今は、1万2000~5000円前後で泊まれる。
ばあいによっては、税サ込みで、1万円以下というところも珍しくない。
私たち利用者にはありがたいが、しかしその料金で泊まると、
どうも居心地がよくない。
泊まっていても、申し訳ない気持ちになる。
その旅館業と、私の心境は、よく似ている。
従業員を遊ばせておくよりは、利益がなくても、客を入れたほうがよい。
旅館にとって何よりも大切なのは、「活気」。
活気が呼び水となって、ほかの客もつられて泊まるようになる。
反対に、そうでなければ、そうでない。
●不景気
不景気といえば、自転車屋。
「自転車業界」と「自転車屋業界」は、別。
エコブームの中で、自転車全体の販売数はふえている。
電動アシスト車の販売も好調。
が、全体としての売上高は、それほど、ふえていない。
自転車の価格が、さがりつづけている(自転車産業振興協会調べ)。
そういう中で、自転車屋、とくに街の自転車屋も、これまた青息吐息。
日々のパンク修理だけで、食いつないでいる店も少なくない。
業況DI((景気が好転すると回答した販売店)ー(景気が後退すると回答した
販売店の%))も、ここ1、2年、マイナス30%前後を推移している(同協会)。
数日前も、S町にあった自転車店が、1店、閉店した。
間口が、8~10間もある大きな自転車店だった。
2階も、全面ガラスで、以前はぎっしりと自転車が並べられていた。
が、今は、ガラスウィンドウの前に、どこかの不動産屋の看板がかけてある。
そういうのを見ると、ギューッと胸がしめつけられる。
私が生まれ育った実家は、その自転車店だった。
最近では、大型ショッピングセンターでも、自転車を売る。
修理もする。
年中無休で、夜も9時前後まで、営業している。
個人の自転車屋に、勝ち目はない。
●緊張感
客は来なくても、また赤字でも、店を閉めるわけにはいかない。
旅館も、自転車屋も、そしてこの私も、心境は同じ。
大切なのは、「生きがい」。
「日々の緊張感」。
この緊張感がなくなったら、どうやって生きていけばよいのか。
よく「悠々自適の年金生活」という言葉を使う人がいる。
しかしそんな生活をつづけても、心の隙間は、かえって大きくなるだけ。
空しくなるだけ。
心だって、腐る。
「今日中に、これをしなくては……」「来週中に、あれをしなくては……」
という思いが、自分を奮い立たせる。
●どう死ぬか?
少し暗い話になる。
「老後」について、誤解を招くかもしれないが、しかしこれは本音だから、
そのまま書く。
若いころは、みな、「どう生きるか」を考える。
しかし老後になると、みな、「どう死ぬか」を考えるようになる。
今、病気と闘っている人には、たいへん失礼な言い方になるかもしれない。
しかし本音を言えば、「生きるのもたいへん。しかし死ぬのも、これまた
たいへん」。
私のばあい、今日でも明日でもよいが、ポックリと死ねるなら、
それはそれでよいことではないかと、思い始めている。
だからその準備だけは、しておく。
つまりいつ死んでもよいように、その準備だけは、しっかりとしておく。
それが私流の「死に方」ということになる。
だから……というわけでもないが、結論は、ひとつ。
「仕事が大切か、収入が大切か。
今、そう問われたら、私は、迷わず、『仕事』と答える」と。
●体力
この週末には、2か所で講演をすることになっている。
愛知県のC市と、静岡県のK市。
だらけた体では、講演はできない。
眠った脳みそでは、講演はできない。
それにヨタヨタと壇上にあがるのは、つらい。
スタスタと歩き、テキパキと話をしたい。
明日は、朝、ランニングをする。
天気もよさそう。
4キロは走ってみたい。
がんばろう。
とにかく、がんばろう。
がんばるしかない。
どこまでできるかはわからないが、その私ももうすぐ63歳。
(6月23日夜、記)
(付記)
昨夜心に決めたように、今朝は、約50分、距離にすれば、8~9キロ
を走った。
途中でワイフに車で拾ってもらったときには、全身、汗でびっしょり。
午後にもう一度、サイクリングを、もう1単位(=40分)するつもり。
(6月24日朝、記)
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●反動形成
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子育て最前線の育児論byはやし浩司 10年 7月 21日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●親のウソvs子のウソ(反動形成について)
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昔から、こう言う。
「No news is a good news.」と。
つまり「便りのないのは、よい知らせ」と。
が、この格言を裏から読むと、その反対に、
「便りがあるのは、悪い知らせ」とも、解釈できる。
たとえば結婚した息子や娘から、
「仲よくやっています」という便りが
届いたとする。
友人のA氏のもとに、昨年結婚した娘夫婦から、
そんな便りが届いたという。
そういうとき親は安心(?)する。
「仲よくやっていれば、いいこと」と。
A氏も、「何とかうまくやっているようです」と
喜んでいた。
しかし本当に安心してよいものか?
そういう言葉を、そのまま信じてよいものか?
人は、時として、自分の弱点(=ウソ)を隠すため、
またそれを気にするあまり、その反対の
自分を演ずることがある。
心理学でいう「反動形成」のひとつ。
たとえばよくある例として、こんなのがある。
「私は放任主義で、子どもを育ててきました」
「私は、子どもの進学校はどこでもかまいません。
子どもの能力に任せています」
「子どもは伸びやかなのが、いちばんいいです。
家では子どもの好きにさせています」と。
こうした言葉は、そのほとんどがウソと考えてよい。
・・・というより、ウソ。
そうことを言う親にかぎって、子どもに対して、過干渉、
過関心を繰り返している。
子どもの進学にかかりっきりになっている。
あるいは、子どもへの威圧が日常化しているため、
それを「威圧」とも思っていない。
つまりそういう自分を隠すため、その反対の
ことを口にする。
++++++++++++++++++++
●恋人たちの会話
もっとわかりやすい例が、若い恋人たちの会話。
たとえば1人の女性が、1人の男性に向かって、こう言ったとする。
「私を信じて!」と。
あるいは「あなたを信じているわ!」でもよい。
こういうケースのばあい、相手の男性を疑っているから、そういう言葉を
口にする。
つまり「私を信じて」というのは、相手に「ぼくを信じてほしい」と
言ってもらいため。
つまり不安だから。
また「あなたと信じているわ」というのは、相手を疑っているから。
本当に信じていたら、そういう言葉そのものが、口から出てこない。
わかりやすく言えば、自分がもっている心配や不安を打ち消すために、その
反対のことを言う。
冒頭にあげた「仲よくやっています」というのも、それ。
だれも「仲よくやっていない」と、思っていない。
息子にせよ、娘にせよ、新婚早々であれば、仲がよいのが当たり前。
ラブラブ、アツアツ・・・。
親の方から、「仲よくやっているか?」という手紙でも書いて、その
返事でそう書くなら、わかる。
しかし親の方から何も聞いていないうちに、「仲よくやっています」は、ない。
つまり仲よくやっていない・・・?
●反動形成
反動形成は、いろいろな場面で経験する。
よく知られた例として、長男、長女が見せる反動形成がある。
長男や長女は、下の子(弟や妹)に嫉妬しやすい。
親は、「兄も弟も、平等にかわいがっています」と言う。
しかし上の子ども(長男や長女)にしてみれば、その「平等」であることが不満。
それまで100%自分のものだった親の愛情が、半分に減った。
そこで上の子どもは、赤ちゃんぽい自分を演出して、もう一度親の愛情を、100%、
自分のものとして取り返そうとする。
「赤ちゃん返り」というのは、そうして起こる。
本能的な部分で起こるので、叱ってなおるような問題ではない。
またそれが高じて、反対に、ときとして下の子どもに、攻撃的になることもある。
嫉妬がからんでいるだけに、陰湿かつ動物的。
下の子どもを、「殺す」ということもしかねない。
が、それでは自分の立場がなくなる。
「あなたはお兄ちゃんでしょ(お姉ちゃんでしょ)!」と言われる。
そういう言葉で、抑圧される。
あるいは自らを抑圧する。
そこで上の子どもは、よい兄やよい姉を演ずるようになる。
「ぼくは弟(妹)が好き」などと、平然と言ったりする。
本当は弟(妹)が憎くてならないのだが、やさしくめんどうをみのよい兄(姉)を
演ずるようになる。
先にも書いたように、本能的な部分に根ざしているため、親はそれが仮面であることに気
づくことはない。
外面だけを見て、こう判断する。
「うちの子は、いい子」と。
これが「反動形成」である。
ほかに聖職者(牧師や僧侶、教師)と呼ばれる人たちの反動形成も
よく知られている。
みなにあがめられている間に、そういう人間を、自ら作っていってしまう。
たとえばだれかが、性的な話や卑猥な話をしたりすると、ことさらそれを嫌って
見せたりする、など。
これが「反動形成」である。
それはそれだが、そういった状態が長く続くと、仮面をかぶるようになる。
高徳者を演じているあまり、本当の自分を見失ってしまう。
が、本当の自分が消えるわけではない。
本当の自分は、心の奥に抑圧され、押し込まれる。・・・あるいは、自分を
押し込む。
本当に自分が、別のところで、別の人格となって現れることもある。
欧米では、聖職者による少年や少女に対する暴行や虐待が、問題になら
ない日がないほど、多い。
そういう形で、つまり別の形で、抑圧された自分が外に出てくる。
「反動形成」のこわいところは、ここにある。
●心を隠す
では、本当にうまくいっている夫婦のばあいは、どうか。
どういう手紙を書くか。
そういう夫婦のばあいは、心に余裕が生まれるため、相手をねぎらうようになる。
冒頭に書いた夫婦のばあいだと、「仲よくやっています(から、心配しないでくれ)
ではなく、「お父さん、お母さん、お元気ですか?」となる。
余裕がないから、自分たちの状態を見透かれないように、先手を打つ。
それが「ぼくたちは、仲よくやっています」という言葉になって、表れる。
さらに中には、こちらが聞きもしないうちから、「私の夫(妻)は、すばらしい」
とほめちぎる人がいる。
「私は夫(妻)を愛しています」と、平然と言う人がいる。
それも日ごろの、夫(妻)への不満が、裏返して出てきたものと考えてよい。
本当に自分の夫(妻)がすばらしいと思っている人は、そういうことは言わない。
自分の夫(妻)を本当に愛している人も、そうだ。
そんなことは当たり前のことであり、またあまりにも当たり前のことだから、言わない。
先に書いた、「私を信じて」「あなたを信じているわ」という言葉にしても、そうだ。
本当に自分が信じられるに値する人間なら、そういうことは言わない。
相手を信じているなら、言わない。
疑っているから、言う。
●詐欺
私も長い人生の中で、いろいろな経験をした。
詐欺にあったこともある。
ひどい男だった。
人をだますという意識もないまま、人をだます。
そのときも、私がその相手を疑い始めると、その相手から、年賀状が届いた。
それには、こうあった。
「私を信じろ」「他人を信じるな」と。
この男性のばあいも、先に書いた恋人同士の心理状態と同じと考えてよい。
自分が信じられるに値する人間でないことを、彼自身がいちばんよく知っている。
「私を信じろ」というのは、「私を詐欺罪で訴えるな」という意味。
「他人を信じるな」というのは、「お前を信じていない」という意味。
つまり自分がかかえる心配や不安を隠すために、その反対の言葉を口にする。
そうそうその詐欺をした男だが、こんなエピソードもある。
私にお金を仮に来たのだが、そのときも、見たこともないような立派な(?)
借用書を前もって用意してきた。
それには返済期日と、返済額が、ズラリと表になっていた。
ずるい男は、そういうことが、平気でできる。
●結論
で、このエッセーの結論。
二男は、先日、日本へ帰国したとき、私にこう言った。
「ぼくたち(夫婦)は、いつも喧嘩ばかりしているよ」と。
そこで嫁(アメリカ人)に、別のところで、「そうなのか?」と、聞くと、
あっさりと、「Yes!」と言って笑った。
が、私はそれを聞いて、むしろ安心した。
というのも、実は、私たち夫婦も、そうだからである。
私も他人に話すときは、「ぼくたちは毎月のように離婚話をしている」と言う。
あるいは、「夫婦の愛なんて、とっくの昔に消えてしまったよ」とも言う。
「信じろ」「信じているわ」などという言葉は、この30年間、使ったことが
ない。
で、もし今、私の親が健在で、手紙を書くとしたら、きっとこう書くだろう。
「いつか離婚してやろうと考えながら、40年近くいっしょに暮らしましたが、
その勇気も度胸もなく、離婚もできませんでした。
あとは死ぬまで、このまま惰性で生きていきます」と。
自分を飾るのも疲れた。
偽るのは、いや。
だからありのままの自分で生きたい。
残りの人生も、短いことだし・・・。
最後に私のワイフも、こう言った。
「Aさんとこの、娘夫婦は、うまくいってないのよ」と。
「そうだろうね」と、私は答えた。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 反動形成 うそ 虚言 抑圧)
++++++++++++++++++++
反動形成について書いた原稿を
添付します。
(09年6月6日の原稿より)
++++++++++++++++++++
●もう1人の自分(反動形成)(Another Man in Me)
自分にとって、受けいれがたい、もう1人の自分を感じたとき、その自分を抑圧するた
めに、人は、それとは正反対の自分を演ずることがある。
これを「反動形成」という。
その中でも、とくによく知られているのが、牧師や教師による、反動形成。
たとえば、牧師や教師の中には、ことさら、セックスの話や、露骨な話を嫌ってみせる人
がいる。
特徴は、「ことさら」、つまり、不自然なほど、大げさな様子を見せること。
信者や生徒が、「セックス」という言葉を口にしただけで、「オー、NO!」と大声で、
叫んでみせたりする。
これは自分の職業観とは相容れない、許しがたい欲望を、自分の中で、抑圧しようとし
て起きる現象である。
ほかに幼児の世界で、よく知られている反動形成の例に、弟(妹)思いの、よい兄(姉)
がいる。本当の自分は、弟や妹を、殺したいほど憎んでいるのかもしれない。
しかしそんな感情を表に出せば、自分の立場がなくなってしまう。
そこでその兄や姉は、ことさら、人前で、よい兄や姉を演じてみせたりする。
しかしこれは意識的な行為というよりは、無意識下でする行為と考えてよい。本人に、そ
の自覚はない。
さらに、その醜い本心を偽るために、仏様のように(できた人)を演ずる人もいる。
老人に多い。
自分自身の醜い素性を、隠すためである。このタイプの人は、何十年もかけて(ニセの自
分)をみがきあげているので、ちょっとやそっとでは、他人には、それを見抜くことがで
きない。
何十年も近くで住んでいる親類にすら、「仏様」と思いこませてしまう。
反動形成であるかどうかは、先にも書いたように、「ことさらおおげさな」様子を見せ
るかどうかで判断する。
反動形成による行為は、どこか様子が不自然で、ぎこちない。ときにサービス過剰になっ
たりする。
本当はその客の来訪を嫌っているにもかかわらず、満面に笑顔を浮かべ、愛想よくして
みせる、など。
こうして人は、本当の自分を抑圧するために、その反対側の自分を演ずることがよくあ
る。
たとえば力のない政治家が、わざとふんぞりかえって歩いて見せるなど。
あるいは体の弱い子どもが、みなの前で、かえって乱暴に振る舞ったりするのも、それ。
ほかにもいろいろな反動形成がある。
本当は、たいへんケチな人が、豪快に、人に太っ腹なところを見せる。
心の中では憎しみを感じている社員が、その上司に、必要以上にへつらう。
自分に自信のない人が、わざと大型の馬力の大きな車に乗ってみせる、など。
もう少し、その反動形成を、自分なりに、整理してみる。
(嫉妬、ねたみ)→(見えすいた親切、やさしさ)
(欲望、願望)→(見えすいた禁欲者、謙虚さ)
(悪魔性、邪悪な心)→(見えすいた善人、道徳者)
(闘争心、野心)→(見えすいた謙虚さ、温厚さ)
(ケチ、独占欲)→(見えすいた寛大さ、おおらかさ)
(劣等感、コンプレックス)→(見えすいた傲慢さ、大物)
(だらしない性格)→(見えすいた完ぺき主義者、潔癖主義)など。
この表をわかりやすく説明すると、こうなる。
たとえば嫉妬深く、ねたみやすい人は、反対にその反動として、人前では見えすいた親切
心を発揮したり、妙に他人にやさしくしてみせたりする、など。
わかりやすく言えば、反動形成というのは、自分の心を偽ることをいう。中には、夫を
心の中で憎みながら、その反動として、つつしみ深く、できのよい妻を演ずることもある
そうだ。(私のワイフなどは、その1人かもしれない? ゾーッ!)
あなたの中には、はたしてその反動形成による部分は、ないか? それを知るのも、ま
た別の自分を発見することにつながるのではないかと思う。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW BW教室 はやし浩司 反動形成 仮面 ペルソナ)
(補足)
たまたま今日、年長児のクラスで、おっぱいの話になった。
そのときのこと。
私が子どもたちに、「君たちは、おっぱいが好きか?」と聞くと、みな、おおげさな言い
方で、「嫌いだヨ~」と叫んだ。
これも反動形成の一つと考えてよい。このころになると、子どもは「恥ずかしい」とい
う言葉の意味がわかるようになる。たとえば、赤ちゃんに見られることは、恥ずかしいこ
とと考える。だから(おっぱいが好き)イコール、(赤ちゃん)と考えて、それをあえて
おおげさに否定してみせたりする。
しかしおっぱいが嫌いな子どもは、いない。とくに男児においては、そうだ。
が、中に、正直な子どもがいたりして、私が、「ウソをついてはダメだ」と、強くたしな
めると、小声で、しかも少し顔を赤らめながら、「好きだよ……」と言う子どももいるに
はいる。
しかしそういう子どもは、例外と考えてよい。
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
休みます。
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●野球賭博(ギャンブル)(Gambling)
++++++++++++++++++
相撲界が揺れた。
野球賭博が蔓延していて、そのため何人かの
力士が逮捕された。
その中には親方と呼ばれる人もいた。
しかし……。
++++++++++++++++++
●野球賭博
野球賭博は、昔からあった。
私がそれをはじめて知ったのは、3、4歳くらいのときのこと。
そのころ、私はいくつかの会社の社内報を書いていた。
そのひとつの会社が、会社ぐるみで、野球賭博をしていた。
従業員が30人ほどの会社だった。
その会社の社長が、大の野球好きだった。
社長自身が、野球賭博を主宰していた。
こういうケースは例外としても、仲間同士の野球賭博となると、していない人はいない。
そう断言してよいほど、多い?
小さなスナックや酒場でもしている。
仲間内でも、している。
大学の学生たちだってしている。
が、野球賭博が「悪」と決めつけてはいけない。
サッカーにしても、あの文科省が堂々とサッカー賭博を主宰しているではないか。
「宝くじ」にしても、立派な賭博。
オートレースもボートレースも、立派な賭博。
私は知らないが、相撲賭博というのも、あるのでは?
それでも「ダメ」というのなら、サッカーと同じように、野球にも公的な賭博組織を作れ
ばよい。
が、なぜか野球賭博だけが、問題になる。
なぜか?
もし賭博が道徳的に不健全というのなら、サッカー賭博はどうなのか。
つまりこの問題は、「道徳」の問題ではない。
あえて言うなら、暴力団の資金源になっているからということか。
しかしそれこそ、一部。
本音を言えば、財務省としては、動きの把握できないマネーが右から左へ、動くのがおも
しろくないということらしい。
マネーの管理ができないから、「悪」?
これについて、「それは考えすぎ」と思う人もいるかもしれない。
しかしそう思うのは、少し待ってほしい。
●FX取引
賭博といえば、FX取引(外国為替証拠金取引)というのがある。
1998年の外為法(がいためほう)の改正により、個人でも自由に為替の売買ができる
ようになった。
この取り引きのことを、FX取引という。
方法は2つある。
(買いから入る方法)
1ドルが90円のとき、1万ドルを買う。
そのドルが、円安になり、1ドルが100円になったら売る。
1ドルにつき、10円の儲けだから、10万円、儲かったことになる。
(売りから入る方法)
1ドルが100円のとき、1万ドルを売る。
そのドルが、円高になり、1ドルが90円になったら買う。
1ドルにつき、10円の儲けだから、10万円、儲かったことになる。
●レバレッジ
レバレッジというのは、もともとは「てこの原理」という意味。
「投資などの際、手持ち資金よりも多くの資金を動かして、利益率を高めること。
またはその税率を高めること」(時事用語)。
株の売買でも、「信用取引」というのが、ある。
それと同じに考えてよい。
このレバレッジを使えば、100万円の資金で、1000万円分の取り引きをすることも
できる。
このとき、「レバレッジ倍率は、10倍」という言い方をする。
思惑通り為替が動けば、利益は10倍になる。
しかしそうでなければ、損も10倍になる。
ふつうはマイナス100万円になったところで、証拠金は、没収される。
賭博と言えば、これほど恐ろしい賭博はない。
しかもケタがちがう。
こうした賭博が、なぜ堂々となされているのか。
一介の主婦で、数年間に、1億円とか10億円とか儲けた人もいる。
反対に、私の身近には、退職金をすべて失ってしまった人もいる。
道徳性(=射倖心、つまりギャンブル性)を問題にするなら、FX取り引きほど、半道徳
的なものはない。
しかしFX取引は、OK!
なぜか?
財務省の管理下にあるからと考えてよい。
つまり税金源になっている。
●中毒性
賭博が賭博として、本当にこわいのは、中毒性があるから。
脳の線条体に受容体ができると、あとは条件反射的に、賭博にのめりこんでいく。
アルコール中毒、ニコチン中毒と、メカニズム的には同じ。
こうした中毒性を、法律の世界では、「射倖心」という。
「射倖心をあおるから、賭博は悪」と。
しかしここにも書いたように、何も野球賭博だけが、賭博ではない。
サッカー賭博や宝くじ、さらにはFX取引にのめりこんでいる人となると、ゴマンといる。
だからといって、野球賭博をしてよいとか、野放しにしておいてよいというのではない。
今のサッカー賭博が話題になったころ、私は、連日、それに対して反対の原稿を書いた。
しかもそれを、時の文部省が主宰するという。
「スポーツ振興の財源にする」とか、何とか、言っていた。
しかしこんなのは、ただの口実。
言い訳。
だからといって、文部省(当時)が、賭博に手を貸すことはない。
……いろいろ書きたいことはある。
見方を変えると、現在の相撲界も、その程度(?)。
日本の国技を守っているという自負心など、どこにもない。
「土俵の中には、金(マネー)が埋まっている」と公言した、親方すらいた。
つまりそのレベル。
今回の騒動で、問題なのは、むしろそちらのほうではないのか。
今の相撲界は、あまりにもマネーに毒されすぎている。
そのひとつが、野球賭博と考えてよい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 相撲賭博 ギャンプル 射倖心 賭博の中毒性)
Hiroshi Hayashi+教育評論++June.2010++幼児教育+はやし浩司
●映画『ザ・ウォーカー』(The Book of Eli)
+++++++++++++++++
昨夜、映画『ザ・ウォーカー』を見てきた。
デンゼル・ワシントン主演。
荒廃したアメリカの大地を、1人の男が
一冊の本をもって、西へ、西へと歩く……。
映画は、星3つの、★★★。
デンゼル・ワシントンもこの映画の中で、55歳に
なったという。
私は彼の出る映画は、すべて観ている。
55歳を感じさせないアクションに、感動した。
が、予告編で、何度か見るうちに、「その本」と
いうのは、「聖書」であるということが、わかって
しまった。
見終わってから、ワイフに、「なっ、聖書
だったろ?」と言うと、「私もそう思ってた」と。
なお英語のほうでは何度か、「キング・ジェイムズ
版の聖書」という言葉が出てきた。
字幕の方では、ただ「聖書」と訳していた。
私は「キング・ジェイムズ版」という言葉を
聞くたびに、私がもっているキング・ジェイムズ
版の聖書のことを頭に思い浮かべた。
読みにくい聖書だった。
そこでそのことを二男の嫁に話すと、すぐ、別の
聖書を送ってきてくれた。
Ryrie版の聖書だった。
それは平易な英語で書かれていた。
また金文字で、「Hiroshi Hayashi]
と印字してあった。
私の名前である。
「うちへ帰ったら、久しぶりに読んでみる」と言うと、
ワイフもうれしそうに笑った。
で、映画そのものよりも、いくつかのセリフが気になった。
悪党の1人が、こう言う。
「聖書があれば、それを利用して、この世界を
支配できる」(記憶による)と。
つまり神の言葉を語れば、人心を思うがまま、
操ることができる、と。
遠い昔、日本に仏教が入ってきたのも、
そういう理由による。
ときの為政者たちは、仏教という宗教の力を
借りて、人心をひとつにまとめようとした。
つまり宗教には、そういう力がある。
が、これはもちろん両刃の剣。
善人に利用されるのはよいとしても、
悪人に利用されたら、たいへんなことになる。
映画を観ながら、私は別の心で、そんなことを
考えた。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 King James Ryrie 聖書 キングジェイムズ版 キング・ジェイムズ
版)
+++++++++++++++++++++
●聖書
1 THE CREATION OF THE WORLD
世界の創造
A The begining of Creation
創造の始まり
In the begining God created the heavens and the earth.
最初に神は、天と地を創造した。
Now the earth was formless and empty, darkness was over the surface of the deep, and
the Spirit of God was hovering over the water.
そのとき大地は、形がなく、空だった。
暗闇が深淵の表面をおおい、神の霊が、水の上をただよっていた。
B The Days of Creation
創造の日々
And God said, "Let there be light", and there was light.
そして神はこう言った。「光よ、あれ」と。すると光が現われた。
God saw that the light was good, and he separated the light from the darkness.
神は光がよいことを知った。そこで神は、光を暗闇から分けた。
God called the light "day", and the darkness he called "night".
神は光を、「昼」と呼び、暗闇を「夜」と呼んだ。
And there was evening, and there was morning-the first day.
そして夕方と朝があった。それが第1日目だった。
●Ryrie版聖書
映画の最後のシーンで、デンゼル・ワシントンが、これらの言葉を、口述する。
が、たったこれだけでも、1ページの10分の1以下。
Ryrie版の聖書は、このあと2200ページ(MOODY出版)もつづく。
……このあと神は、地上のもろもろのものを創造し、第6日目に、「自分に似せて、人間
を創造する」(So God created man in his own image, in the image of God he created him;
male and female he created them.)
独特のリズム、独特の言葉、それに加えて、平易な英語。
読んでいて、心地よい。
乾いた大地に水がしみこんでいくように、聖書の言葉が、頭の中に入ってくる。
学生時代、友人のだれかがこう言った。
「ヒロシ、この世界で、もっともすばらしい本は、聖書だよ」と。
「聖書の中には、すべてが書かれている」とも。
60歳を過ぎて、やっと彼の言った言葉の意味がわかるようになった。
当時の私は、「キリスト教を信仰している人は、そういうふうに思うだろうな」程度にしか、
考えていなかった。
どうであれ、一度は読んでみる。
最初から最後まで読んでみる。
その結果、私がどう判断するか。
どうなるか。
それは私にもわからない。
しかし一度は、読んでみる。
今、そう心に決めた。
もしどこかで『ザ・ウォーカー』という映画を観たら、「はやし浩司は、そんなことを考
えたのだなあ」と思ってほしい。
そういう形で、「心」を共有できたら、すばらしいことだと思う。
2010/06/21
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●親のウソvs子のウソ(反動形成について)
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昔から、こう言う。
「No news is a good news.」と。
つまり「便りのないのは、よい知らせ」と。
が、この格言を裏から読むと、その反対に、
「便りがあるのは、悪い知らせ」とも、解釈できる。
たとえば結婚した息子や娘から、
「仲よくやっています」という便りが
届いたとする。
友人のA氏のもとに、昨年結婚した娘夫婦から、
そんな便りが届いたという。
そういうとき親は安心(?)する。
「仲よくやっていれば、いいこと」と。
A氏も、「何とかうまくやっているようです」と
喜んでいた。
しかし本当に安心してよいものか?
そういう言葉を、そのまま信じてよいものか?
人は、時として、自分の弱点(=ウソ)を隠すため、
またそれを気にするあまり、その反対の
自分を演ずることがある。
心理学でいう「反動形成」のひとつ。
たとえばよくある例として、こんなのがある。
「私は放任主義で、子どもを育ててきました」
「私は、子どもの進学校はどこでもかまいません。
子どもの能力に任せています」
「子どもは伸びやかなのが、いちばんいいです。
家では子どもの好きにさせています」と。
こうした言葉は、そのほとんどがウソと考えてよい。
・・・というより、ウソ。
そうことを言う親にかぎって、子どもに対して、過干渉、
過関心を繰り返している。
子どもの進学にかかりっきりになっている。
あるいは、子どもへの威圧が日常化しているため、
それを「威圧」とも思っていない。
つまりそういう自分を隠すため、その反対の
ことを口にする。
++++++++++++++++++++
●恋人たちの会話
もっとわかりやすい例が、若い恋人たちの会話。
たとえば1人の女性が、1人の男性に向かって、こう言ったとする。
「私を信じて!」と。
あるいは「あなたを信じているわ!」でもよい。
こういうケースのばあい、相手の男性を疑っているから、そういう言葉を
口にする。
つまり「私を信じて」というのは、相手に「ぼくを信じてほしい」と
言ってもらいため。
つまり不安だから。
また「あなたと信じているわ」というのは、相手を疑っているから。
本当に信じていたら、そういう言葉そのものが、口から出てこない。
わかりやすく言えば、自分がもっている心配や不安を打ち消すために、その
反対のことを言う。
冒頭にあげた「仲よくやっています」というのも、それ。
だれも「仲よくやっていない」と、思っていない。
息子にせよ、娘にせよ、新婚早々であれば、仲がよいのが当たり前。
ラブラブ、アツアツ・・・。
親の方から、「仲よくやっているか?」という手紙でも書いて、その
返事でそう書くなら、わかる。
しかし親の方から何も聞いていないうちに、「仲よくやっています」は、ない。
つまり仲よくやっていない・・・?
●反動形成
反動形成は、いろいろな場面で経験する。
よく知られた例として、長男、長女が見せる反動形成がある。
長男や長女は、下の子(弟や妹)に嫉妬しやすい。
親は、「兄も弟も、平等にかわいがっています」と言う。
しかし上の子ども(長男や長女)にしてみれば、その「平等」であることが不満。
それまで100%自分のものだった親の愛情が、半分に減った。
そこで上の子どもは、赤ちゃんぽい自分を演出して、もう一度親の愛情を、100%、
自分のものとして取り返そうとする。
「赤ちゃん返り」というのは、そうして起こる。
本能的な部分で起こるので、叱ってなおるような問題ではない。
またそれが高じて、反対に、ときとして下の子どもに、攻撃的になることもある。
嫉妬がからんでいるだけに、陰湿かつ動物的。
下の子どもを、「殺す」ということもしかねない。
が、それでは自分の立場がなくなる。
「あなたはお兄ちゃんでしょ(お姉ちゃんでしょ)!」と言われる。
そういう言葉で、抑圧される。
あるいは自らを抑圧する。
そこで上の子どもは、よい兄やよい姉を演ずるようになる。
「ぼくは弟(妹)が好き」などと、平然と言ったりする。
本当は弟(妹)が憎くてならないのだが、やさしくめんどうをみのよい兄(姉)を
演ずるようになる。
先にも書いたように、本能的な部分に根ざしているため、親はそれが仮面であることに気
づくことはない。
外面だけを見て、こう判断する。
「うちの子は、いい子」と。
これが「反動形成」である。
ほかに聖職者(牧師や僧侶、教師)と呼ばれる人たちの反動形成も
よく知られている。
みなにあがめられている間に、そういう人間を、自ら作っていってしまう。
たとえばだれかが、性的な話や卑猥な話をしたりすると、ことさらそれを嫌って
見せたりする、など。
これが「反動形成」である。
それはそれだが、そういった状態が長く続くと、仮面をかぶるようになる。
高徳者を演じているあまり、本当の自分を見失ってしまう。
が、本当の自分が消えるわけではない。
本当の自分は、心の奥に抑圧され、押し込まれる。・・・あるいは、自分を
押し込む。
本当に自分が、別のところで、別の人格となって現れることもある。
欧米では、聖職者による少年や少女に対する暴行や虐待が、問題になら
ない日がないほど、多い。
そういう形で、つまり別の形で、抑圧された自分が外に出てくる。
「反動形成」のこわいところは、ここにある。
●心を隠す
では、本当にうまくいっている夫婦のばあいは、どうか。
どういう手紙を書くか。
そういう夫婦のばあいは、心に余裕が生まれるため、相手をねぎらうようになる。
冒頭に書いた夫婦のばあいだと、「仲よくやっています(から、心配しないでくれ)
ではなく、「お父さん、お母さん、お元気ですか?」となる。
余裕がないから、自分たちの状態を見透かれないように、先手を打つ。
それが「ぼくたちは、仲よくやっています」という言葉になって、表れる。
さらに中には、こちらが聞きもしないうちから、「私の夫(妻)は、すばらしい」
とほめちぎる人がいる。
「私は夫(妻)を愛しています」と、平然と言う人がいる。
それも日ごろの、夫(妻)への不満が、裏返して出てきたものと考えてよい。
本当に自分の夫(妻)がすばらしいと思っている人は、そういうことは言わない。
自分の夫(妻)を本当に愛している人も、そうだ。
そんなことは当たり前のことであり、またあまりにも当たり前のことだから、言わない。
先に書いた、「私を信じて」「あなたを信じているわ」という言葉にしても、そうだ。
本当に自分が信じられるに値する人間なら、そういうことは言わない。
相手を信じているなら、言わない。
疑っているから、言う。
●詐欺
私も長い人生の中で、いろいろな経験をした。
詐欺にあったこともある。
ひどい男だった。
人をだますという意識もないまま、人をだます。
そのときも、私がその相手を疑い始めると、その相手から、年賀状が届いた。
それには、こうあった。
「私を信じろ」「他人を信じるな」と。
この男性のばあいも、先に書いた恋人同士の心理状態と同じと考えてよい。
自分が信じられるに値する人間でないことを、彼自身がいちばんよく知っている。
「私を信じろ」というのは、「私を詐欺罪で訴えるな」という意味。
「他人を信じるな」というのは、「お前を信じていない」という意味。
つまり自分がかかえる心配や不安を隠すために、その反対の言葉を口にする。
そうそうその詐欺をした男だが、こんなエピソードもある。
私にお金を仮に来たのだが、そのときも、見たこともないような立派な(?)
借用書を前もって用意してきた。
それには返済期日と、返済額が、ズラリと表になっていた。
ずるい男は、そういうことが、平気でできる。
●結論
で、このエッセーの結論。
二男は、先日、日本へ帰国したとき、私にこう言った。
「ぼくたち(夫婦)は、いつも喧嘩ばかりしているよ」と。
そこで嫁(アメリカ人)に、別のところで、「そうなのか?」と、聞くと、
あっさりと、「Yes!」と言って笑った。
が、私はそれを聞いて、むしろ安心した。
というのも、実は、私たち夫婦も、そうだからである。
私も他人に話すときは、「ぼくたちは毎月のように離婚話をしている」と言う。
あるいは、「夫婦の愛なんて、とっくの昔に消えてしまったよ」とも言う。
「信じろ」「信じているわ」などという言葉は、この30年間、使ったことが
ない。
で、もし今、私の親が健在で、手紙を書くとしたら、きっとこう書くだろう。
「いつか離婚してやろうと考えながら、40年近くいっしょに暮らしましたが、
その勇気も度胸もなく、離婚もできませんでした。
あとは死ぬまで、このまま惰性で生きていきます」と。
自分を飾るのも疲れた。
偽るのは、いや。
だからありのままの自分で生きたい。
残りの人生も、短いことだし・・・。
最後に私のワイフも、こう言った。
「Aさんとこの、娘夫婦は、うまくいってないのよ」と。
「そうだろうね」と、私は答えた。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 反動形成 うそ 虚言 抑圧)
++++++++++++++++++++
反動形成について書いた原稿を
添付します。
(09年6月6日の原稿より)
++++++++++++++++++++
●もう1人の自分(反動形成)(Another Man in Me)
自分にとって、受けいれがたい、もう1人の自分を感じたとき、その自分を抑圧するた
めに、人は、それとは正反対の自分を演ずることがある。
これを「反動形成」という。
その中でも、とくによく知られているのが、牧師や教師による、反動形成。
たとえば、牧師や教師の中には、ことさら、セックスの話や、露骨な話を嫌ってみせる人
がいる。
特徴は、「ことさら」、つまり、不自然なほど、大げさな様子を見せること。
信者や生徒が、「セックス」という言葉を口にしただけで、「オー、NO!」と大声で、
叫んでみせたりする。
これは自分の職業観とは相容れない、許しがたい欲望を、自分の中で、抑圧しようとし
て起きる現象である。
ほかに幼児の世界で、よく知られている反動形成の例に、弟(妹)思いの、よい兄(姉)
がいる。本当の自分は、弟や妹を、殺したいほど憎んでいるのかもしれない。
しかしそんな感情を表に出せば、自分の立場がなくなってしまう。
そこでその兄や姉は、ことさら、人前で、よい兄や姉を演じてみせたりする。
しかしこれは意識的な行為というよりは、無意識下でする行為と考えてよい。本人に、そ
の自覚はない。
さらに、その醜い本心を偽るために、仏様のように(できた人)を演ずる人もいる。
老人に多い。
自分自身の醜い素性を、隠すためである。このタイプの人は、何十年もかけて(ニセの自
分)をみがきあげているので、ちょっとやそっとでは、他人には、それを見抜くことがで
きない。
何十年も近くで住んでいる親類にすら、「仏様」と思いこませてしまう。
反動形成であるかどうかは、先にも書いたように、「ことさらおおげさな」様子を見せ
るかどうかで判断する。
反動形成による行為は、どこか様子が不自然で、ぎこちない。ときにサービス過剰になっ
たりする。
本当はその客の来訪を嫌っているにもかかわらず、満面に笑顔を浮かべ、愛想よくして
みせる、など。
こうして人は、本当の自分を抑圧するために、その反対側の自分を演ずることがよくあ
る。
たとえば力のない政治家が、わざとふんぞりかえって歩いて見せるなど。
あるいは体の弱い子どもが、みなの前で、かえって乱暴に振る舞ったりするのも、それ。
ほかにもいろいろな反動形成がある。
本当は、たいへんケチな人が、豪快に、人に太っ腹なところを見せる。
心の中では憎しみを感じている社員が、その上司に、必要以上にへつらう。
自分に自信のない人が、わざと大型の馬力の大きな車に乗ってみせる、など。
もう少し、その反動形成を、自分なりに、整理してみる。
(嫉妬、ねたみ)→(見えすいた親切、やさしさ)
(欲望、願望)→(見えすいた禁欲者、謙虚さ)
(悪魔性、邪悪な心)→(見えすいた善人、道徳者)
(闘争心、野心)→(見えすいた謙虚さ、温厚さ)
(ケチ、独占欲)→(見えすいた寛大さ、おおらかさ)
(劣等感、コンプレックス)→(見えすいた傲慢さ、大物)
(だらしない性格)→(見えすいた完ぺき主義者、潔癖主義)など。
この表をわかりやすく説明すると、こうなる。
たとえば嫉妬深く、ねたみやすい人は、反対にその反動として、人前では見えすいた親切
心を発揮したり、妙に他人にやさしくしてみせたりする、など。
わかりやすく言えば、反動形成というのは、自分の心を偽ることをいう。中には、夫を
心の中で憎みながら、その反動として、つつしみ深く、できのよい妻を演ずることもある
そうだ。(私のワイフなどは、その1人かもしれない? ゾーッ!)
あなたの中には、はたしてその反動形成による部分は、ないか? それを知るのも、ま
た別の自分を発見することにつながるのではないかと思う。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW BW教室 はやし浩司 反動形成 仮面 ペルソナ)
(補足)
たまたま今日、年長児のクラスで、おっぱいの話になった。
そのときのこと。
私が子どもたちに、「君たちは、おっぱいが好きか?」と聞くと、みな、おおげさな言い
方で、「嫌いだヨ~」と叫んだ。
これも反動形成の一つと考えてよい。このころになると、子どもは「恥ずかしい」とい
う言葉の意味がわかるようになる。たとえば、赤ちゃんに見られることは、恥ずかしいこ
とと考える。だから(おっぱいが好き)イコール、(赤ちゃん)と考えて、それをあえて
おおげさに否定してみせたりする。
しかしおっぱいが嫌いな子どもは、いない。とくに男児においては、そうだ。
が、中に、正直な子どもがいたりして、私が、「ウソをついてはダメだ」と、強くたしな
めると、小声で、しかも少し顔を赤らめながら、「好きだよ……」と言う子どももいるに
はいる。
しかしそういう子どもは、例外と考えてよい。
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
休みます。
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●野球賭博(ギャンブル)(Gambling)
++++++++++++++++++
相撲界が揺れた。
野球賭博が蔓延していて、そのため何人かの
力士が逮捕された。
その中には親方と呼ばれる人もいた。
しかし……。
++++++++++++++++++
●野球賭博
野球賭博は、昔からあった。
私がそれをはじめて知ったのは、3、4歳くらいのときのこと。
そのころ、私はいくつかの会社の社内報を書いていた。
そのひとつの会社が、会社ぐるみで、野球賭博をしていた。
従業員が30人ほどの会社だった。
その会社の社長が、大の野球好きだった。
社長自身が、野球賭博を主宰していた。
こういうケースは例外としても、仲間同士の野球賭博となると、していない人はいない。
そう断言してよいほど、多い?
小さなスナックや酒場でもしている。
仲間内でも、している。
大学の学生たちだってしている。
が、野球賭博が「悪」と決めつけてはいけない。
サッカーにしても、あの文科省が堂々とサッカー賭博を主宰しているではないか。
「宝くじ」にしても、立派な賭博。
オートレースもボートレースも、立派な賭博。
私は知らないが、相撲賭博というのも、あるのでは?
それでも「ダメ」というのなら、サッカーと同じように、野球にも公的な賭博組織を作れ
ばよい。
が、なぜか野球賭博だけが、問題になる。
なぜか?
もし賭博が道徳的に不健全というのなら、サッカー賭博はどうなのか。
つまりこの問題は、「道徳」の問題ではない。
あえて言うなら、暴力団の資金源になっているからということか。
しかしそれこそ、一部。
本音を言えば、財務省としては、動きの把握できないマネーが右から左へ、動くのがおも
しろくないということらしい。
マネーの管理ができないから、「悪」?
これについて、「それは考えすぎ」と思う人もいるかもしれない。
しかしそう思うのは、少し待ってほしい。
●FX取引
賭博といえば、FX取引(外国為替証拠金取引)というのがある。
1998年の外為法(がいためほう)の改正により、個人でも自由に為替の売買ができる
ようになった。
この取り引きのことを、FX取引という。
方法は2つある。
(買いから入る方法)
1ドルが90円のとき、1万ドルを買う。
そのドルが、円安になり、1ドルが100円になったら売る。
1ドルにつき、10円の儲けだから、10万円、儲かったことになる。
(売りから入る方法)
1ドルが100円のとき、1万ドルを売る。
そのドルが、円高になり、1ドルが90円になったら買う。
1ドルにつき、10円の儲けだから、10万円、儲かったことになる。
●レバレッジ
レバレッジというのは、もともとは「てこの原理」という意味。
「投資などの際、手持ち資金よりも多くの資金を動かして、利益率を高めること。
またはその税率を高めること」(時事用語)。
株の売買でも、「信用取引」というのが、ある。
それと同じに考えてよい。
このレバレッジを使えば、100万円の資金で、1000万円分の取り引きをすることも
できる。
このとき、「レバレッジ倍率は、10倍」という言い方をする。
思惑通り為替が動けば、利益は10倍になる。
しかしそうでなければ、損も10倍になる。
ふつうはマイナス100万円になったところで、証拠金は、没収される。
賭博と言えば、これほど恐ろしい賭博はない。
しかもケタがちがう。
こうした賭博が、なぜ堂々となされているのか。
一介の主婦で、数年間に、1億円とか10億円とか儲けた人もいる。
反対に、私の身近には、退職金をすべて失ってしまった人もいる。
道徳性(=射倖心、つまりギャンブル性)を問題にするなら、FX取り引きほど、半道徳
的なものはない。
しかしFX取引は、OK!
なぜか?
財務省の管理下にあるからと考えてよい。
つまり税金源になっている。
●中毒性
賭博が賭博として、本当にこわいのは、中毒性があるから。
脳の線条体に受容体ができると、あとは条件反射的に、賭博にのめりこんでいく。
アルコール中毒、ニコチン中毒と、メカニズム的には同じ。
こうした中毒性を、法律の世界では、「射倖心」という。
「射倖心をあおるから、賭博は悪」と。
しかしここにも書いたように、何も野球賭博だけが、賭博ではない。
サッカー賭博や宝くじ、さらにはFX取引にのめりこんでいる人となると、ゴマンといる。
だからといって、野球賭博をしてよいとか、野放しにしておいてよいというのではない。
今のサッカー賭博が話題になったころ、私は、連日、それに対して反対の原稿を書いた。
しかもそれを、時の文部省が主宰するという。
「スポーツ振興の財源にする」とか、何とか、言っていた。
しかしこんなのは、ただの口実。
言い訳。
だからといって、文部省(当時)が、賭博に手を貸すことはない。
……いろいろ書きたいことはある。
見方を変えると、現在の相撲界も、その程度(?)。
日本の国技を守っているという自負心など、どこにもない。
「土俵の中には、金(マネー)が埋まっている」と公言した、親方すらいた。
つまりそのレベル。
今回の騒動で、問題なのは、むしろそちらのほうではないのか。
今の相撲界は、あまりにもマネーに毒されすぎている。
そのひとつが、野球賭博と考えてよい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 相撲賭博 ギャンプル 射倖心 賭博の中毒性)
Hiroshi Hayashi+教育評論++June.2010++幼児教育+はやし浩司
●映画『ザ・ウォーカー』(The Book of Eli)
+++++++++++++++++
昨夜、映画『ザ・ウォーカー』を見てきた。
デンゼル・ワシントン主演。
荒廃したアメリカの大地を、1人の男が
一冊の本をもって、西へ、西へと歩く……。
映画は、星3つの、★★★。
デンゼル・ワシントンもこの映画の中で、55歳に
なったという。
私は彼の出る映画は、すべて観ている。
55歳を感じさせないアクションに、感動した。
が、予告編で、何度か見るうちに、「その本」と
いうのは、「聖書」であるということが、わかって
しまった。
見終わってから、ワイフに、「なっ、聖書
だったろ?」と言うと、「私もそう思ってた」と。
なお英語のほうでは何度か、「キング・ジェイムズ
版の聖書」という言葉が出てきた。
字幕の方では、ただ「聖書」と訳していた。
私は「キング・ジェイムズ版」という言葉を
聞くたびに、私がもっているキング・ジェイムズ
版の聖書のことを頭に思い浮かべた。
読みにくい聖書だった。
そこでそのことを二男の嫁に話すと、すぐ、別の
聖書を送ってきてくれた。
Ryrie版の聖書だった。
それは平易な英語で書かれていた。
また金文字で、「Hiroshi Hayashi]
と印字してあった。
私の名前である。
「うちへ帰ったら、久しぶりに読んでみる」と言うと、
ワイフもうれしそうに笑った。
で、映画そのものよりも、いくつかのセリフが気になった。
悪党の1人が、こう言う。
「聖書があれば、それを利用して、この世界を
支配できる」(記憶による)と。
つまり神の言葉を語れば、人心を思うがまま、
操ることができる、と。
遠い昔、日本に仏教が入ってきたのも、
そういう理由による。
ときの為政者たちは、仏教という宗教の力を
借りて、人心をひとつにまとめようとした。
つまり宗教には、そういう力がある。
が、これはもちろん両刃の剣。
善人に利用されるのはよいとしても、
悪人に利用されたら、たいへんなことになる。
映画を観ながら、私は別の心で、そんなことを
考えた。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 King James Ryrie 聖書 キングジェイムズ版 キング・ジェイムズ
版)
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●聖書
1 THE CREATION OF THE WORLD
世界の創造
A The begining of Creation
創造の始まり
In the begining God created the heavens and the earth.
最初に神は、天と地を創造した。
Now the earth was formless and empty, darkness was over the surface of the deep, and
the Spirit of God was hovering over the water.
そのとき大地は、形がなく、空だった。
暗闇が深淵の表面をおおい、神の霊が、水の上をただよっていた。
B The Days of Creation
創造の日々
And God said, "Let there be light", and there was light.
そして神はこう言った。「光よ、あれ」と。すると光が現われた。
God saw that the light was good, and he separated the light from the darkness.
神は光がよいことを知った。そこで神は、光を暗闇から分けた。
God called the light "day", and the darkness he called "night".
神は光を、「昼」と呼び、暗闇を「夜」と呼んだ。
And there was evening, and there was morning-the first day.
そして夕方と朝があった。それが第1日目だった。
●Ryrie版聖書
映画の最後のシーンで、デンゼル・ワシントンが、これらの言葉を、口述する。
が、たったこれだけでも、1ページの10分の1以下。
Ryrie版の聖書は、このあと2200ページ(MOODY出版)もつづく。
……このあと神は、地上のもろもろのものを創造し、第6日目に、「自分に似せて、人間
を創造する」(So God created man in his own image, in the image of God he created him;
male and female he created them.)
独特のリズム、独特の言葉、それに加えて、平易な英語。
読んでいて、心地よい。
乾いた大地に水がしみこんでいくように、聖書の言葉が、頭の中に入ってくる。
学生時代、友人のだれかがこう言った。
「ヒロシ、この世界で、もっともすばらしい本は、聖書だよ」と。
「聖書の中には、すべてが書かれている」とも。
60歳を過ぎて、やっと彼の言った言葉の意味がわかるようになった。
当時の私は、「キリスト教を信仰している人は、そういうふうに思うだろうな」程度にしか、
考えていなかった。
どうであれ、一度は読んでみる。
最初から最後まで読んでみる。
その結果、私がどう判断するか。
どうなるか。
それは私にもわからない。
しかし一度は、読んでみる。
今、そう心に決めた。
もしどこかで『ザ・ウォーカー』という映画を観たら、「はやし浩司は、そんなことを考
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【ある母親からの相談】(先生の誤解で、自分の子どもが叱られた)
++++++++++++++++++
息子が先生に叱られた。
それに納得できないという、母親からの
相談が届いた。
そのまま紹介させてもらう(一部、変更)。
【Aさんよりはやし浩司へ】(掲示板より)
[投稿者] 小6の母
こんばんは。先生のご意見が聞きたくてメールしました。
先ほど息子が2泊3日の修学旅行から帰ってきました。
さぞ楽しんできたのだろうとバスの到着を待っていると何とも不機嫌そうにバスから息子
が下りてきました。
解散の合図が出ないうちにさっさと帰ろうとしたので私は息子に勝手なことをしたらいけ
ないと注意をしました。その時の息子の目つきが鋭く、私を不安にさせました。
車に乗り込み2人になってから「修学旅行楽しかった?」と声をかけました。
ムッスとした声で「別に」・・・「叱られた」と答えました。
少しずつ重い口が開いてきました。
2日目の旅館で大浴場で入浴をしたそうです。
15人の生徒に男の先生が1人で一緒に入りました。
お風呂からあがるとその後夕食になり、大広間に集まったとき
息子ともう1人の生徒Aくんがみんなの前で呼ばれ、「入浴はルールを守りなさい」と注意
されました。息子はなぜ自分が注意されているのかわからず「なんのことですか?」「僕で
はない」とみんなの前で言ったそうです。ルールとは洗いおけで水の掛け合いをしたとい
うのです。
でも先生たちには信じてもらえず「自分がしてしまったことをどうして認めないのか?」
と逆にまた叱られたのだそうです。素直ではないように見えたのだと思います。A君はす
みませんと謝りました。
いやな気分のまま翌日を迎え帰りのバスの中で、今度は担任の女教師が近づいてきて「自
分のしたことを反省して、これからリベンジしなさい」と話しました。
息子はカチンと来たまま帰ってきたからあんな態度をしたのだと思いました。
息子を信じてあげたいけれど一緒に入浴していた先生がおっしゃるのだから、なにかしら
ない間に友達に水をかけてしまったのではないのか?と息子に聞きました。
本当にやっていないならどうして最後まで「自分ではない」と言い張らなかったの?とも言
いました。
というと余計に息子は無口になり、「誰も信じてくれない」「どうして」・・・
それから一言も話さなくなりました。
私はA君のお母さんに電話をして聞いてみました。
A君はすぐに電話口で答えてくれました。
「水の掛け合いはしたけれど相手はB君だよ。」と。
A君のお母さんはA君に対して「どうして●●君が一緒に叱られたときに人違いだと言って
あげられなかったの?」と話してくれました。
息子もA君も同じことを言うのですが「とてもそんな雰囲気ではなかった」というのです。
口を挿むすきがなかったというのです。
息子にとってみんなの前で叱られたこと、旅館の人たちもみんな見ていたと話します。
旅館のおばさんたちはそんな事何とも思っていないよ。と言って聞かせましたがて聞かせ
ましたが本人にとってはすごく恥ずかしかったのだそうです・
まるで口答えをしたように息子は見られたのでしょう。
私は月曜日に学校に行ってこようかと今思っています。でも心の片隅でこんなことで親が
出ていくことだはないだろうとも思います。息子が納得できる解決法ってあるのでしょう
か?
このまま修学旅行が嫌な思い出になってしまわないようにできる方法ってあるのでしょう
か。
私が学校に行って話をすることは間違っていますか?
【はやし浩司より、Aさんへ】
この種のトラブルは、日常茶飯事。
よくあることです。
お子さんの気持ちもよくわかりますが、どうか、ここはがまんしてください。
つまり子どもは、こうした経験を通して、たくましくなっていきます。
社会のありかたや、その中での生き方を学んでいきます。
お母さんとしては、つらいでしょうが、『負けるが勝ち』。
もしどうしても納得できないなら、子ども自身が、先生に抗議する形で、自分でするよう、
しむけます。
一度子ども自身と話し合ってみてはどうですか。
「私が先生のところへ行こうか?」とです。
おそらく子どもは、「放っておいてほしい」と言うはずです。
つまりこんな程度の問題で、親は出ない!
小学6年生という年齢からして、親が出なければならないような問題ではありません。
修学旅行に行って、その先の風呂で、お湯をかけあってふざけた。
それを先生が叱った。
そのとき、まちがえて、自分の子どもが叱られた……。
それだけのことではありませんか。
私なら、笑ってすませます。
で、あなたは……
(1)不機嫌そうな顔を見て、親のほうから、理由を問いただした。
(2)仲間の親に電話をかけて、内容を確かめた。
(3)あたかも自分が恥をかかされたかのように、それを問題視する。
(4)先生に抗議しようと考える。
こうした一連の行為から想像できるあなたの育児姿勢は、やりすぎ。
過干渉、過関心+溺愛ということになります。
あるいは心配先行型の過保護?
先生に抗議して、得られるものは何ですか?
むしろやり方をまちがえると、先生との信頼関係を破壊することにも、なりかねません。
信頼関係が破壊されれば、教育そのものが成り立たなくなります。
少し先生の立場で、ものを考えてみましょう。
もしあなたが30人近い子どもを連れて、修学旅行に行ったとします。
家族旅行でもよいでしょう。
(2人や3人ではない。30人ですよ!)
おそらく目が回るほど、あなた(=先生)は、忙しいはずです。
児童たちが床に就いたあとは、反省会。
翌日の予定の確認などなど。
それがいかに重労働であるかは、経験した人なら、みな、知っています。
そういう中で、人まちがいで、あなたの子どもが叱られた。
……といっても、先生は、本気で叱ったわけではないと思いますよ。
(本気で叱るような話でもありませんし……。)
修学旅行先で、子どもがハメをはずした。
それを叱った。
いちいちそんなことで、本気で叱っていたら、先生だって、神経がもちません。
先生にしても、つぎつぎと類似の問題が起きたはずですから、もう覚えては
いないでしょう。
あるいは仮に問題であったとしても、時間が解決してくれます。
それよりも疑問なのは、(1)あなたの子どもが、なぜ自分で、そのとき、「ぼくでは
ない!」と言えなかったのか、ということ。
(2)風呂場でのトラブルが、どうして家に帰ってくるまで、尾を引いたかということ。
このあたりに、もっと別の基本的な問題があるように思います。
もともとそれほど、おおげさな問題ではないのですから……。
で、それはそれとして、結論は、同じ。
「この程度の問題で、親はカリカリしない」です。
繰り返しになりますが、「うちの息子が、人まちがいで叱られた。水をかけあって
遊んでいたのは、うちの子どもではない」と主張して、その結果、何が、どうなる
というのでしょうか。
次回、どこかで先生に会ったようなとき、「修学旅行ではすみませんでした。
いろいろあったようですね。ハハハ」と、笑えばよいのです。
またそれですませます。
こんなこまかいことで、それをおおげさにとらえて、(名誉)だの(誤解)だの、
さらには(信ずる・信じない)だのと、言っていたら、この先、あなた自身の神経が
参ってしまいますよ。
(私は、先生のほうにむしろ同情してしまいます。ごめん!)
子どもはすでに親離れを完成させています。
(年齢的にはそうです。
もし親離れしていないとするなら、やはりあなたの育児姿勢のほうに問題がある
ということになります。)
で、今は、あなた自身が、子離れをするときです。
あなたはあなたで、好き勝手なことをすればよいのです。
子育てから離れて、あなたは1人の人間として、別の生き様を確立する。
子どもの方から、相談でもあれば、話は別ですが、そうでなければ、静かに、暖かく
無視します。
「暖かく無視する
」です。
子どもというのは、最後の最後で、1人でも、自分を信じてくれる人がいれば、それで
安心します。
その重役を担うのは、(あなた)です。
その(あなた)が、この程度の問題で、動揺してはいけません。
「お母さんは、あなたを信じているからね」と言えば、それでよいのです。
またあなたの子どもは、すでに思春期前夜から思春期に入っています。
すでにあなたの手の届かないところに、入りつつあるということです。
なお「リベンジ」というのは、「復讐」という意味です。
何かのまちがいかと思います。
+++++++++++++++++
『負けるが勝ち』
これは子育ての鉄則です。
以前書いた原稿をさがしてみます。
(あなた)や(あなたの子ども)が
そうだと言うのではありません。
あくまでも参考のため、です。
大切なことは、子どもが楽しく
学校へ通うことです。
そのために、負けるところは
負け、引き下がります。
もちろん重大な問題のときは
そうでありません。
子どもの方から、相談でもあれば、
話は別です。
しかしたかが(失礼!)、風呂場の
水のかけあいではないですか。
そんなことで、親は出ない。
私も中学生のとき、旅館で
枕のぶつけあいをして、先生に叱られ
ました。
小学生のときは、廊下で騒いでいて
叱られました。
その程度のことは、みな、しています。
+++++++++++++++++
●負けるが勝ち
この世界、子どもをはさんだ親同士のトラブルは、日常茶飯事。言った、言わないがこ
じれて、転校ざた、さらには裁判ざたになるケースも珍しくない。ほかのことならともか
くも、間に子どもが入るため、親も妥協しない。が、いくつかの鉄則がある。
まず親同士のつきあいは、「如水淡交」。水のように淡く交際するのがよい。この世界、「教
育」「教育」と言いながら、その底辺ではドス黒い親の欲望が渦巻いている。それに皆が皆、
まともな人とは限らない。情緒的に不安定な人もいれば、精神的に問題のある人もいる。
さらには、アルツハイマーの初期のそのまた初期症状の人も、40歳前後で、20人に1
人はいる。このタイプの人は、自己中心性が強く、がんこで、それにズケズケとものをい
う。そういうまともでない人(失礼!)に巻き込まれると、それこそたいへんなことにな
る。
つぎに「負けるが勝ち」。子どもをはさんで何かトラブルが起きたら、まず頭をさげる。
相手が先生ならなおさら、親でも頭をさげる。「すみません、うちの子のできが悪くて……」
とか何とか言えばよい。あなたに言い分もあるだろう。相手が悪いと思うときもあるだろ
う。しかしそれでも頭をさげる。あなたががんばればがんばるほど、結局はそのシワよせ
は、子どものところに集まる。
しかしあなたが最初に頭をさげてしまえば、相手も「いいんですよ、うちも悪いですから
……」となる。そうなればあとはスムーズにことが流れ始める。要するに、負けるが勝ち。
……と書くと、「それでは子どもがかわいそう」と言う人がいる。しかしわかっているよ
うでわからないのが、自分の子ども。あなたが見ている姿が、子どものすべてではない。
すべてではないことは、実はあなた自身が一番よく知っている。あなたは子どものころ、
あなたの親は、あなたのすべてを知っていただろうか。
それに相手が先生であるにせよ、親であるにせよ、そういった苦情が耳に届くということ
は、よほどのことと考えてよい。そういう意味でも、「負けるが勝ち」。これは親同士のつ
きあいの大鉄則と考えてよい。
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
【親の欲目】
●親の欲目
「己の子どもを知るは賢い父親だ」と言ったのはシェークスピア(「ベニスの商人」)だ
が、それくらい自分の子どものことを知るのは難しい。
親というのは、どうしても自分の子どもを欲目で見る。あるいは悪い部分を見ない。「人、
その子の悪を知ることなし」(「大学」)というのがそれだが、こうした親の目は、えてして
子どもの本当の姿を見誤る。いろいろなことがあった。
●やってここまで
ある子ども(小6男児)が、祭で酒を飲んでいて補導された。親は「誘われただけ」と、
がんばっていたが、調べてみると、その子どもが主犯格だった。またある夜1人の父親が、
A君(中1)の家に怒鳴り込んできた。「お宅の子どものせいで、うちの子が不登校児にな
ってしまった」と。A君の父親は、「そんなはずはない」とがんばったが、A君は学校でも
いじめグループの中心にいた、などなど。こうした例は、本当に多い。子どもの姿を正し
くとらえることは難しいが、子どもの学力となると、さらに難しい。
たいていの親は、「うちの子はやればできるはず」と思っている。たとえ成績が悪くても、
「勉強の量が少なかっただけ」とか、「調子が悪かっただけ」と。そう思いたい気持ちはよ
くわかるが、しかしそう思ったら、「やってここまで」と思いなおす。子どものばあい、(や
る・やらない)も力のうち。子どもを疑えというわけではないが、親の過剰期待ほど、子
どもを苦しめるものはない。そこで子どもの学力は、つぎのようにして判断する。
●子どもを受け入れる
子どもの学校生活には、ほとんど心配しない。いつも安心して子どもに任せているとい
うのであれば、あなたの子どもはかなり優秀な子どもとみてよい。しかしいつも何か心配
で、不安がつきまとうというのであれば、あなたの子どもは、その程度の子ども(失礼!)
とみる。そしてもし後者のようであれば、できるだけ子どもの力を認め、それを受け入れ
る。早ければ早いほどよい。
そうでないと、(無理を強いる)→(ますます学力がさがる)の悪循環の中で、子どもの成
績はますますさがる。要するに「あきらめる」ということだが、不思議なことにあきらめ
ると、それまで見えていなかった子どもの姿が見えるようになる。シェークスピアがいう
「賢い父親」というのは、そういう父親をいう。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
【Aさんへ】
かなりきびしい意見を書きましたが、この問題は、もう忘れなさい!
おいしいものでも食べて……。
あとは時間が解決してくれますよ。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 先生の誤解 負けるが勝ち 濡れ衣 子どもの名誉)
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
休みます。
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●ある悲喜劇
+++++++++++++++
これを悲喜劇、つまり知っては
苦笑し、知っては、哀れむ……。
悲喜劇と言わずして、何という。
+++++++++++++++
●鍋工場
数年前、首都P市で、日本でいう「産業展示会」のようなものがあった。
産業展示会なら産業展示会でよい。
本当の名称は知らない。
各地域にある工場が、それぞれ自慢の品をもちよって、自慢しあう会のようなもの。
その産業展示会に、ある地方の、ある工場が、中国から輸入した鍋を、「我が工場の製品」
と偽って、それを出展した。
あの国では、よくあることである。
(ついでに、中国にしても、よくあることである。)
それを見て、独裁者である金xxは、たいへん喜んだ。
「我が国でも、こんな製品ができるようになった!」と。
●視察!
ここまではよくある話で、その工場長にしても、大満足だった。
たぶん、日本でいう「金賞」でも受賞したのだろう。
が、ここからが、悲喜劇。
それを聞いて、当の工場長は、真っ青になったにちがいない。
あろうことか、何と、金xxが、その工場を視察すると言いだしたのだ。
これに驚いたのが、当の工場長。
その工場で作っている鍋など、どこをさがしてもない。
ウソがバレれば、公開処刑(?)。
そこでその工場長は、当日の視察には、中国から大量に仕入れた鍋類の製品を、工場内に
並べた。
そしてにわか仕立ての従業員を並べ、あたかも鍋を製造しているかのようにしてみせた。
当日の工場長のあわてぶりが目に浮かんでくるが、似たような話は、相変わらずつづい
ているらしい。
今朝の中央N報に、こんなニュースが載っていた。
+++++++++++++以下、中央N報(一部)+++++++++++++++
……K国の後継構築作業が本格化する中、金xx国防委員長(68)の権力掌握力が大
きく低下していると、政府消息筋が6月18日明らかにした。特に経済の実情について虚
偽報告が増え、金正日が実態を正しく把握できない現象も生じている。
消息筋は「08年夏に脳卒中で倒れて後遺症が残る金xxの健康に配慮するという口実で、
権力層が好ましい内容だけを選別して報告している」とし「後継者に内定したキム・ジョ
ンウン(27)が自分が掌握する軍や、保衛部など公安機関の報告を先に受けた後、金x
xに伝える内容を指定したりもする」と伝えた。
側近からこうした問題点の報告を受けた金xxは最近、報告体系を書記室(秘書室)に一
元化することを指示したという。消息筋によると、金正日が最近、経済成果を強調してい
るため、問責を恐れた一線の幹部が生産実績を誇張しているという。
3月初めに金xxが群衆大会に出席して生産を促した咸興(ハムフン)2・8ビナロン連
合企業所は竣工式を前後して半月ほど稼働し、現在、操業を中断していることが確認され
た。1月末の金正日の平壌(ピョンヤン)小麦粉工場訪問当時は、視察時間が予想より長
くなり、準備された材料がすべてなくなると、幹部らがこっそりと完成品をまた生産ライ
ンに投じたりもした。
また金正日が平安北道(ピョンアンブクド)鶏工場を訪問した昨年10月、平安北道(ピ
ョンアンブクド)党の指示で周辺地域の鶏をすべて集め、住民に鶏肉を正常供給している
ように金xxを欺いたりもした。三日浦(サムイルポ)特産物工場を訪問した昨年4月、
金正日が道別に特産物工場を建設するよう指示すると、すでに建設された工場の設備を取
り壊し、特産物工場を設立したりもしたと、消息筋は紹介した。
政府当局者は「最近、労働新聞が金xxの経済現場訪問写真を大量に掲載し、経済成果を
宣伝しているが、実情は違うようだ」と話した。(以上、中央N報)
+++++++++++++以上、中央N報(一部)+++++++++++++++
●ステルス携帯電話?
さらに今日、こんなニュースも配信されている(朝鮮N報)。
この記事を読んで、驚かない人はいない。
何でも金xxが、ステルス携帯電話を使って、南アフリカにいるW杯監督に、直接指示を
出しているというのだ。
+++++++++++++以下、朝鮮N報(一部)+++++++++++++++
「金xx指導者が、肉眼では見えないステルス携帯電話で作戦を指示している」。
サッカー・ワールドカップ(W杯)に出場している北朝鮮代表を率いるキム・ジョンフ
ン監督について、スポーツ専門チャネルのESPNが「金総書記から直接、チームの作戦に
関するアドバイスを受けている」と報じた。
キム監督は試合のたびに、通常は「目に見えない」携帯電話で金総書記から直接アドバ
イスを受けているとのことだ。ESPNが17日報じたところによると、キム監督はこの新型
ステルス電話について、「金総書記が直接開発した」と発言しているという。
(以上朝鮮N報)
+++++++++++++以下、朝鮮N報(一部)+++++++++++++++
もし本当にこんな携帯電話があれば、世界中で話題になるだろう。
「肉眼では見えない、ステルス携帯電話」?
が、あの国の中では、それが信じられてしまう。
私たちがもっている常識とは、別の常識が働く。
はっきり言えば、ふつうの常識が、通用しない。
言い替えると、そういうことも知った上で、あの国を理解し、あの国の行動を予想しなけ
ればならない。
外交問題を考えなければならない。
たとえばこんなこともあった。
(1)今年(2010年)のはじめごろだったと思う。
金xxが、あるホテルに泊まった。
が、そのホテルには暖房がなく、たいへん寒かった。
それを知った金xxが、激怒。
ホテルや住民に、電気を回すように指示した。
が、とたん、周辺の工場の操業が停止してしまった。
(2)また別の工場では、衣服を縫製していた。
それを見て、金xxが、500ウォンで住民に配給するように指示した。
しかし原材料費は、800ウォン。
つまり800ウォンで布を仕入れ、工賃を払って縫製し、500ウォンで売る(?)
採算があうわけがない。
ないが、そういう非常識がそのままあの国では通ってしまう。
(上記、(1)と(2)の話は、私の記憶によるものなので、内容は、不正確。)
先の中央N報が配信したニュースの中に出てくる「ビナロン」は、よく知られた話であ
る。
「画期的な新繊維」ということだそうだ。
もともとは日本で開発された繊維だが、電力をたいへんたくさん使う。
それでビナロンは、金日成時代に、生産中止となってしまった。
それを今回、金xxは、再生産を命じたということになる。
が、肝心の電力がない!
……ということで、「……半月ほど稼働し、現在、操業を中断していることが確認された」
(中央N報)ということらしい。
(が、その前に私が聞いた話では、当のビナロン工場は、機械類はとっくの昔に、従業員
たちによって持ち出され、闇市で、鉄くずとして売られてしまったという。)
●余談
冒頭に書いた、中国製の鍋を並べた工場長について、こんな余談も伝わってきている。
先にも書いたように、工場長は、あわてて中国から鍋を大量に仕入れた。
それを工場の中に、並べて見せた。
で、何とかその視察をやりすごしたわけだが、その鍋類は、金xxに同行してやってきた
軍人たちが、みな、持ち去ってしまったという。
その後、その工場長がどんな気持ちだったかは、容易に察しがつく。
繰り返す。
これを悲喜劇と言わずして、何と言う?
Hiroshi Hayashi+教育評論++June.2010++幼児教育+はやし浩司
●ワールドカップ(サッカーW杯)
●勝てば官軍?
「勝てば官軍」。
「負ければボロクソ」。
サッカーほど、それがはげしいスポーツもない?
数日前、日本は、対カメルーン戦で勝った。
それに対して、日本中が狂喜した。
それは、わかる。
わかるが、スポーツはスポーツ。
どこかで一線を引かないと、スポーツがスポーツでなくなってしまう。
反対に負けたばあいのことを、想像してみればよい。
そういうことは、過去にも、何度もあった。
逆に、ボロクソに叩かれる。
●狂喜とボロクソ
つまり「狂喜する」のも、「ボロクソに叩く」のも、同じではないかということ。
サポーターやファンはそれでよいとしても、監督や選手にとっては、そうでない。
勝っている間は、サポーターやファンは、心強い味方。
しかし負ければ、こわい。
敵になる。
つまりサポーターやファンの身勝手に振り回されてしまう。
いつだったか、日本代表が負け戦を重ねて帰国したとき、空港には、だれも出迎えなかっ
た。
が、本来、そういうことは、あってはいけない。
●心の一線
同じように、仮に勝ったとしても、それはそれ。
どこかで一線を引く。
我を忘れるほどまで、狂喜してはいけない?
仮に負けても、よい試合であったら、監督や選手たちをほめる。
ねぎらう。
(もちろん勝てば、称えるが……。)
そういう冷静さを失ってはいけない。
つまり今のサッカーには、(日本だけではないが)、そういう冷静さが欠けている。
こんなことを書くと、ファンの人たちに袋叩きにあう。
それはよく知っている。
しかしたかが「ボールの奪い合い」(ごめん!)。
その試合のときは狂喜したり、激怒したりするのは、かまわない。
当然のこと。
しかしそれはそれ。
●子どもの受験
子どもの受験でも、同じようなことが言える。
親たちは、自分の子どもが合格することだけを考える。
そのための準備をする。
しかしそれ以上に大切なことは、不合格になったときの準備も、しっかりとしておくとい
うこと。
不合格になっても、動揺しない。
子どもの健闘を称える。
そのためにも、「受験」くらいのことで、おおげさに一喜一憂しない。
それが結局は、子どもの心を守ることにつながる。
●監督の気持ち
同じように、サッカーにしても、勝つ、負けるは、時の運。
みなは、勝つことしか考えていない。
しかしそれ以上に大切なことは、負けたとき、それをどう受け入れるか。
その心の準備ををしておくこと。
それが結局は、監督や選手の心を守ることになる。
それがわからなければ、あなたも一度、監督や選手の気持ちになって、ものを考えてみた
らよい。
勝てば狂喜してくれるサポーターやファン。
だが、それと同じエネルギーで、負ければ、今度は何をされるかわからない。
ばあいによっては、殺されるかもしれない。
(実際、殺された選手もいる!)
その(こわさ)を、監督や選手は、よく知っている。
が、そんな気持ちでは、よい試合などできるはずがない。
●結局は、自分のため
子どもだって、そうだ。
自分が合格すれば、親は狂喜する。
それがわかっていると、落ち着いて勉強できない。
不合格になったら、親は、今度は同じエネルギーを、逆に向ける。
そのエネルギーが、どんな形で現われてくるか、わかったものではない。
子どもにしてみれば、それがこわい。
不安になる。
それでも勉強するとしたら、もう自分のためでしかない。
自分のために、勉強する。
そう「自分のためにする」。
だれのためでもない、自分のためにする。
●プレッシャー
……ということで、現在の監督や選手の気持ちは、これに近いものではないか。
少なくともサポーターやファンが大騒ぎするほど、監督や選手は、私たちのことなど眼中
にない。
相手にしていない。
その孤独感というか、孤立感には、相当なものがある、……はず。
ワールドカップという、世界最大のスポーツの「場」であるだけに、私たちの想像もつか
ないようなプレッシャーもある。
監督や選手は、そのプレッシャーとも闘わねばならない。
私たちが見るべきものがあるとすれば、むしろそちらのほうではないか。
●独特の風格
名前を出して恐縮だが、私の教室に、かつて藤田選手(元ワールドカップ正規選手)や、
鈴木選手(同じく前ワールドカップ正規選手)の子どもたちが、生徒として、通ってくれ
た。
どちらも、2~3年、通ってくれた。
そのこともあって、こうした選手たちと、個人的に何度か話す機会がった。
が、そういう世界で活躍した選手には、独特の風格というか、すごみがある。
「背中の向こうには、日本がある」。
そんな(風格)である。
話していても、こちらのほうがどんどんと小さくなっていくのがわかる。
そういう(すごみ)である。
つまりそういう経験をした人は、私たち凡人を、はるかに超越している。
●今夜は、対オランダ戦
今夜は、日本の第二戦。
相手は、オランダ。
ここ40~50回、対外試合で負けたことがないという。
すべて勝つか、引き分け。
そんなオランダを相手にして、日本は戦う。
もちろん私は応援する。
ぜったいに応援する。
が、これだけは心に決めている。
我を忘れて応援するのは、試合中だけ。
勝ったからといって、狂喜するようなことはしない。
負けたからといって、ボロクソに叩くようなことはしない。
どちらであるにせよ、試合のあとは、静かな気持ちで、彼らの健闘ぶりを称えたい。
がんばれ、日本!
力を出し切れ、日本!
試合まで、あと4時間!
(追記)
結果は、0-1で、オランダに負けた。
とても惜しい試合だった。
しかし日本は、よく戦った。
すばらしかった。
感動した。
まだどこか消沈した気分だが、一言。
よくやった!
ありがとう!
Hiroshi Hayashi+教育評論++June.2010++幼児教育+はやし浩司
●敗北感
敗北感。
なんとも言えない、敗北感。
それがぼんやりと、心の中で漂っている。
今は、そんな感じ。
少し前、私が2年近く使っていた、HPのサーバーが、
全面的に暗号化ソフトを導入すると言い出した。
この16日から、それが実行された。
悪質なウィルスが、蔓延している。
その対策措置として、その会社は、そうした。
つまりこれからは、編集したHPは、そのつど暗号化した上で、
FTP送信をかけなければならない。
そこまでは、私にもできた。
つまり「FTP送信」までは、私にもできた。
しかしいくら「送信済み」の表示が出ても、
肝心の画面に、変化、なし。
悪戦苦闘の結果、つぎのことがわかった。
サーバーのほうに、「html」のデータ(キャッシュ)が
残っているため、いくら上書きしても、
その残っている方が、優先して表示されてしまう、と。
そこで悪戦苦闘。
冷や汗をタラタラと流しながら、徹夜で作業をつづけた。
で、やっとたどりついた結論がこれ。
一度、サーバーの「html」のデータを削除し、
改めて「htm」データをUPLOADする、と。
そこまではわかったが、ではどうやってそれをすればよいか。
どうやれば、「html」のデータが削除できるのか!
その方法がわからない。
で、サーバーに問い合わせると、つぎのような
返事(回答)が届いた。
「使っているホームページ作成ソフトによって、
方法は、みなちがう。
ソフトの販売会社のほうへ問い合わせてみてほしい」と。
しかし私が現在使っているソフト会社は、とっくの
昔に、どこかの会社に吸収され、今は、ない。
つまり、お手上げ!
もう一度、最初からweb言語を勉強しなおすことも考えた。
とりあえず「html」と「htm」のちがいくらいは、知りたい。
が、今の私には、そんな時間は、ない。
余裕もない。
そんなこともあって、昨日は、この2年間で、BLOGの更新をはじめてサボった。
時間がなかった。
では、どうするか?
方法はひとつ。
現在、15前後のサービスを利用している。
それをひとつずつ、こまめに別のサーバーに乗り換えていくしかない。
めんどうな作業がつづくが、しかたない。
それにしても、いやな敗北感。
パソコンに、負けた。
若い人たちに、負けた。
新しい技術に負けた。
……このまま私は、インターネットの世界から、はじき飛ばされていくのか?
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子育て最前線の育児論byはやし浩司 10年 7月 19日【祭日】
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選ばれました!
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【ある母親からの相談】(先生の誤解で、自分の子どもが叱られた)
++++++++++++++++++
息子が先生に叱られた。
それに納得できないという、母親からの
相談が届いた。
そのまま紹介させてもらう(一部、変更)。
【Aさんよりはやし浩司へ】(掲示板より)
[投稿者] 小6の母
こんばんは。先生のご意見が聞きたくてメールしました。
先ほど息子が2泊3日の修学旅行から帰ってきました。
さぞ楽しんできたのだろうとバスの到着を待っていると何とも不機嫌そうにバスから息子
が下りてきました。
解散の合図が出ないうちにさっさと帰ろうとしたので私は息子に勝手なことをしたらいけ
ないと注意をしました。その時の息子の目つきが鋭く、私を不安にさせました。
車に乗り込み2人になってから「修学旅行楽しかった?」と声をかけました。
ムッスとした声で「別に」・・・「叱られた」と答えました。
少しずつ重い口が開いてきました。
2日目の旅館で大浴場で入浴をしたそうです。
15人の生徒に男の先生が1人で一緒に入りました。
お風呂からあがるとその後夕食になり、大広間に集まったとき
息子ともう1人の生徒Aくんがみんなの前で呼ばれ、「入浴はルールを守りなさい」と注意
されました。息子はなぜ自分が注意されているのかわからず「なんのことですか?」「僕で
はない」とみんなの前で言ったそうです。ルールとは洗いおけで水の掛け合いをしたとい
うのです。
でも先生たちには信じてもらえず「自分がしてしまったことをどうして認めないのか?」
と逆にまた叱られたのだそうです。素直ではないように見えたのだと思います。A君はす
みませんと謝りました。
いやな気分のまま翌日を迎え帰りのバスの中で、今度は担任の女教師が近づいてきて「自
分のしたことを反省して、これからリベンジしなさい」と話しました。
息子はカチンと来たまま帰ってきたからあんな態度をしたのだと思いました。
息子を信じてあげたいけれど一緒に入浴していた先生がおっしゃるのだから、なにかしら
ない間に友達に水をかけてしまったのではないのか?と息子に聞きました。
本当にやっていないならどうして最後まで「自分ではない」と言い張らなかったの?とも言
いました。
というと余計に息子は無口になり、「誰も信じてくれない」「どうして」・・・
それから一言も話さなくなりました。
私はA君のお母さんに電話をして聞いてみました。
A君はすぐに電話口で答えてくれました。
「水の掛け合いはしたけれど相手はB君だよ。」と。
A君のお母さんはA君に対して「どうして●●君が一緒に叱られたときに人違いだと言って
あげられなかったの?」と話してくれました。
息子もA君も同じことを言うのですが「とてもそんな雰囲気ではなかった」というのです。
口を挿むすきがなかったというのです。
息子にとってみんなの前で叱られたこと、旅館の人たちもみんな見ていたと話します。
旅館のおばさんたちはそんな事何とも思っていないよ。と言って聞かせましたがて聞かせ
ましたが本人にとってはすごく恥ずかしかったのだそうです・
まるで口答えをしたように息子は見られたのでしょう。
私は月曜日に学校に行ってこようかと今思っています。でも心の片隅でこんなことで親が
出ていくことだはないだろうとも思います。息子が納得できる解決法ってあるのでしょう
か?
このまま修学旅行が嫌な思い出になってしまわないようにできる方法ってあるのでしょう
か。
私が学校に行って話をすることは間違っていますか?
【はやし浩司より、Aさんへ】
この種のトラブルは、日常茶飯事。
よくあることです。
お子さんの気持ちもよくわかりますが、どうか、ここはがまんしてください。
つまり子どもは、こうした経験を通して、たくましくなっていきます。
社会のありかたや、その中での生き方を学んでいきます。
お母さんとしては、つらいでしょうが、『負けるが勝ち』。
もしどうしても納得できないなら、子ども自身が、先生に抗議する形で、自分でするよう、
しむけます。
一度子ども自身と話し合ってみてはどうですか。
「私が先生のところへ行こうか?」とです。
おそらく子どもは、「放っておいてほしい」と言うはずです。
つまりこんな程度の問題で、親は出ない!
小学6年生という年齢からして、親が出なければならないような問題ではありません。
修学旅行に行って、その先の風呂で、お湯をかけあってふざけた。
それを先生が叱った。
そのとき、まちがえて、自分の子どもが叱られた……。
それだけのことではありませんか。
私なら、笑ってすませます。
で、あなたは……
(1)不機嫌そうな顔を見て、親のほうから、理由を問いただした。
(2)仲間の親に電話をかけて、内容を確かめた。
(3)あたかも自分が恥をかかされたかのように、それを問題視する。
(4)先生に抗議しようと考える。
こうした一連の行為から想像できるあなたの育児姿勢は、やりすぎ。
過干渉、過関心+溺愛ということになります。
あるいは心配先行型の過保護?
先生に抗議して、得られるものは何ですか?
むしろやり方をまちがえると、先生との信頼関係を破壊することにも、なりかねません。
信頼関係が破壊されれば、教育そのものが成り立たなくなります。
少し先生の立場で、ものを考えてみましょう。
もしあなたが30人近い子どもを連れて、修学旅行に行ったとします。
家族旅行でもよいでしょう。
(2人や3人ではない。30人ですよ!)
おそらく目が回るほど、あなた(=先生)は、忙しいはずです。
児童たちが床に就いたあとは、反省会。
翌日の予定の確認などなど。
それがいかに重労働であるかは、経験した人なら、みな、知っています。
そういう中で、人まちがいで、あなたの子どもが叱られた。
……といっても、先生は、本気で叱ったわけではないと思いますよ。
(本気で叱るような話でもありませんし……。)
修学旅行先で、子どもがハメをはずした。
それを叱った。
いちいちそんなことで、本気で叱っていたら、先生だって、神経がもちません。
先生にしても、つぎつぎと類似の問題が起きたはずですから、もう覚えては
いないでしょう。
あるいは仮に問題であったとしても、時間が解決してくれます。
それよりも疑問なのは、(1)あなたの子どもが、なぜ自分で、そのとき、「ぼくでは
ない!」と言えなかったのか、ということ。
(2)風呂場でのトラブルが、どうして家に帰ってくるまで、尾を引いたかということ。
このあたりに、もっと別の基本的な問題があるように思います。
もともとそれほど、おおげさな問題ではないのですから……。
で、それはそれとして、結論は、同じ。
「この程度の問題で、親はカリカリしない」です。
繰り返しになりますが、「うちの息子が、人まちがいで叱られた。水をかけあって
遊んでいたのは、うちの子どもではない」と主張して、その結果、何が、どうなる
というのでしょうか。
次回、どこかで先生に会ったようなとき、「修学旅行ではすみませんでした。
いろいろあったようですね。ハハハ」と、笑えばよいのです。
またそれですませます。
こんなこまかいことで、それをおおげさにとらえて、(名誉)だの(誤解)だの、
さらには(信ずる・信じない)だのと、言っていたら、この先、あなた自身の神経が
参ってしまいますよ。
(私は、先生のほうにむしろ同情してしまいます。ごめん!)
子どもはすでに親離れを完成させています。
(年齢的にはそうです。
もし親離れしていないとするなら、やはりあなたの育児姿勢のほうに問題がある
ということになります。)
で、今は、あなた自身が、子離れをするときです。
あなたはあなたで、好き勝手なことをすればよいのです。
子育てから離れて、あなたは1人の人間として、別の生き様を確立する。
子どもの方から、相談でもあれば、話は別ですが、そうでなければ、静かに、暖かく
無視します。
「暖かく無視する
」です。
子どもというのは、最後の最後で、1人でも、自分を信じてくれる人がいれば、それで
安心します。
その重役を担うのは、(あなた)です。
その(あなた)が、この程度の問題で、動揺してはいけません。
「お母さんは、あなたを信じているからね」と言えば、それでよいのです。
またあなたの子どもは、すでに思春期前夜から思春期に入っています。
すでにあなたの手の届かないところに、入りつつあるということです。
なお「リベンジ」というのは、「復讐」という意味です。
何かのまちがいかと思います。
+++++++++++++++++
『負けるが勝ち』
これは子育ての鉄則です。
以前書いた原稿をさがしてみます。
(あなた)や(あなたの子ども)が
そうだと言うのではありません。
あくまでも参考のため、です。
大切なことは、子どもが楽しく
学校へ通うことです。
そのために、負けるところは
負け、引き下がります。
もちろん重大な問題のときは
そうでありません。
子どもの方から、相談でもあれば、
話は別です。
しかしたかが(失礼!)、風呂場の
水のかけあいではないですか。
そんなことで、親は出ない。
私も中学生のとき、旅館で
枕のぶつけあいをして、先生に叱られ
ました。
小学生のときは、廊下で騒いでいて
叱られました。
その程度のことは、みな、しています。
+++++++++++++++++
●負けるが勝ち
この世界、子どもをはさんだ親同士のトラブルは、日常茶飯事。言った、言わないがこ
じれて、転校ざた、さらには裁判ざたになるケースも珍しくない。ほかのことならともか
くも、間に子どもが入るため、親も妥協しない。が、いくつかの鉄則がある。
まず親同士のつきあいは、「如水淡交」。水のように淡く交際するのがよい。この世界、「教
育」「教育」と言いながら、その底辺ではドス黒い親の欲望が渦巻いている。それに皆が皆、
まともな人とは限らない。情緒的に不安定な人もいれば、精神的に問題のある人もいる。
さらには、アルツハイマーの初期のそのまた初期症状の人も、40歳前後で、20人に1
人はいる。このタイプの人は、自己中心性が強く、がんこで、それにズケズケとものをい
う。そういうまともでない人(失礼!)に巻き込まれると、それこそたいへんなことにな
る。
つぎに「負けるが勝ち」。子どもをはさんで何かトラブルが起きたら、まず頭をさげる。
相手が先生ならなおさら、親でも頭をさげる。「すみません、うちの子のできが悪くて……」
とか何とか言えばよい。あなたに言い分もあるだろう。相手が悪いと思うときもあるだろ
う。しかしそれでも頭をさげる。あなたががんばればがんばるほど、結局はそのシワよせ
は、子どものところに集まる。
しかしあなたが最初に頭をさげてしまえば、相手も「いいんですよ、うちも悪いですから
……」となる。そうなればあとはスムーズにことが流れ始める。要するに、負けるが勝ち。
……と書くと、「それでは子どもがかわいそう」と言う人がいる。しかしわかっているよ
うでわからないのが、自分の子ども。あなたが見ている姿が、子どものすべてではない。
すべてではないことは、実はあなた自身が一番よく知っている。あなたは子どものころ、
あなたの親は、あなたのすべてを知っていただろうか。
それに相手が先生であるにせよ、親であるにせよ、そういった苦情が耳に届くということ
は、よほどのことと考えてよい。そういう意味でも、「負けるが勝ち」。これは親同士のつ
きあいの大鉄則と考えてよい。
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
【親の欲目】
●親の欲目
「己の子どもを知るは賢い父親だ」と言ったのはシェークスピア(「ベニスの商人」)だ
が、それくらい自分の子どものことを知るのは難しい。
親というのは、どうしても自分の子どもを欲目で見る。あるいは悪い部分を見ない。「人、
その子の悪を知ることなし」(「大学」)というのがそれだが、こうした親の目は、えてして
子どもの本当の姿を見誤る。いろいろなことがあった。
●やってここまで
ある子ども(小6男児)が、祭で酒を飲んでいて補導された。親は「誘われただけ」と、
がんばっていたが、調べてみると、その子どもが主犯格だった。またある夜1人の父親が、
A君(中1)の家に怒鳴り込んできた。「お宅の子どものせいで、うちの子が不登校児にな
ってしまった」と。A君の父親は、「そんなはずはない」とがんばったが、A君は学校でも
いじめグループの中心にいた、などなど。こうした例は、本当に多い。子どもの姿を正し
くとらえることは難しいが、子どもの学力となると、さらに難しい。
たいていの親は、「うちの子はやればできるはず」と思っている。たとえ成績が悪くても、
「勉強の量が少なかっただけ」とか、「調子が悪かっただけ」と。そう思いたい気持ちはよ
くわかるが、しかしそう思ったら、「やってここまで」と思いなおす。子どものばあい、(や
る・やらない)も力のうち。子どもを疑えというわけではないが、親の過剰期待ほど、子
どもを苦しめるものはない。そこで子どもの学力は、つぎのようにして判断する。
●子どもを受け入れる
子どもの学校生活には、ほとんど心配しない。いつも安心して子どもに任せているとい
うのであれば、あなたの子どもはかなり優秀な子どもとみてよい。しかしいつも何か心配
で、不安がつきまとうというのであれば、あなたの子どもは、その程度の子ども(失礼!)
とみる。そしてもし後者のようであれば、できるだけ子どもの力を認め、それを受け入れ
る。早ければ早いほどよい。
そうでないと、(無理を強いる)→(ますます学力がさがる)の悪循環の中で、子どもの成
績はますますさがる。要するに「あきらめる」ということだが、不思議なことにあきらめ
ると、それまで見えていなかった子どもの姿が見えるようになる。シェークスピアがいう
「賢い父親」というのは、そういう父親をいう。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
【Aさんへ】
かなりきびしい意見を書きましたが、この問題は、もう忘れなさい!
おいしいものでも食べて……。
あとは時間が解決してくれますよ。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 先生の誤解 負けるが勝ち 濡れ衣 子どもの名誉)
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
休みます。
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●ある悲喜劇
+++++++++++++++
これを悲喜劇、つまり知っては
苦笑し、知っては、哀れむ……。
悲喜劇と言わずして、何という。
+++++++++++++++
●鍋工場
数年前、首都P市で、日本でいう「産業展示会」のようなものがあった。
産業展示会なら産業展示会でよい。
本当の名称は知らない。
各地域にある工場が、それぞれ自慢の品をもちよって、自慢しあう会のようなもの。
その産業展示会に、ある地方の、ある工場が、中国から輸入した鍋を、「我が工場の製品」
と偽って、それを出展した。
あの国では、よくあることである。
(ついでに、中国にしても、よくあることである。)
それを見て、独裁者である金xxは、たいへん喜んだ。
「我が国でも、こんな製品ができるようになった!」と。
●視察!
ここまではよくある話で、その工場長にしても、大満足だった。
たぶん、日本でいう「金賞」でも受賞したのだろう。
が、ここからが、悲喜劇。
それを聞いて、当の工場長は、真っ青になったにちがいない。
あろうことか、何と、金xxが、その工場を視察すると言いだしたのだ。
これに驚いたのが、当の工場長。
その工場で作っている鍋など、どこをさがしてもない。
ウソがバレれば、公開処刑(?)。
そこでその工場長は、当日の視察には、中国から大量に仕入れた鍋類の製品を、工場内に
並べた。
そしてにわか仕立ての従業員を並べ、あたかも鍋を製造しているかのようにしてみせた。
当日の工場長のあわてぶりが目に浮かんでくるが、似たような話は、相変わらずつづい
ているらしい。
今朝の中央N報に、こんなニュースが載っていた。
+++++++++++++以下、中央N報(一部)+++++++++++++++
……K国の後継構築作業が本格化する中、金xx国防委員長(68)の権力掌握力が大
きく低下していると、政府消息筋が6月18日明らかにした。特に経済の実情について虚
偽報告が増え、金正日が実態を正しく把握できない現象も生じている。
消息筋は「08年夏に脳卒中で倒れて後遺症が残る金xxの健康に配慮するという口実で、
権力層が好ましい内容だけを選別して報告している」とし「後継者に内定したキム・ジョ
ンウン(27)が自分が掌握する軍や、保衛部など公安機関の報告を先に受けた後、金x
xに伝える内容を指定したりもする」と伝えた。
側近からこうした問題点の報告を受けた金xxは最近、報告体系を書記室(秘書室)に一
元化することを指示したという。消息筋によると、金正日が最近、経済成果を強調してい
るため、問責を恐れた一線の幹部が生産実績を誇張しているという。
3月初めに金xxが群衆大会に出席して生産を促した咸興(ハムフン)2・8ビナロン連
合企業所は竣工式を前後して半月ほど稼働し、現在、操業を中断していることが確認され
た。1月末の金正日の平壌(ピョンヤン)小麦粉工場訪問当時は、視察時間が予想より長
くなり、準備された材料がすべてなくなると、幹部らがこっそりと完成品をまた生産ライ
ンに投じたりもした。
また金正日が平安北道(ピョンアンブクド)鶏工場を訪問した昨年10月、平安北道(ピ
ョンアンブクド)党の指示で周辺地域の鶏をすべて集め、住民に鶏肉を正常供給している
ように金xxを欺いたりもした。三日浦(サムイルポ)特産物工場を訪問した昨年4月、
金正日が道別に特産物工場を建設するよう指示すると、すでに建設された工場の設備を取
り壊し、特産物工場を設立したりもしたと、消息筋は紹介した。
政府当局者は「最近、労働新聞が金xxの経済現場訪問写真を大量に掲載し、経済成果を
宣伝しているが、実情は違うようだ」と話した。(以上、中央N報)
+++++++++++++以上、中央N報(一部)+++++++++++++++
●ステルス携帯電話?
さらに今日、こんなニュースも配信されている(朝鮮N報)。
この記事を読んで、驚かない人はいない。
何でも金xxが、ステルス携帯電話を使って、南アフリカにいるW杯監督に、直接指示を
出しているというのだ。
+++++++++++++以下、朝鮮N報(一部)+++++++++++++++
「金xx指導者が、肉眼では見えないステルス携帯電話で作戦を指示している」。
サッカー・ワールドカップ(W杯)に出場している北朝鮮代表を率いるキム・ジョンフ
ン監督について、スポーツ専門チャネルのESPNが「金総書記から直接、チームの作戦に
関するアドバイスを受けている」と報じた。
キム監督は試合のたびに、通常は「目に見えない」携帯電話で金総書記から直接アドバ
イスを受けているとのことだ。ESPNが17日報じたところによると、キム監督はこの新型
ステルス電話について、「金総書記が直接開発した」と発言しているという。
(以上朝鮮N報)
+++++++++++++以下、朝鮮N報(一部)+++++++++++++++
もし本当にこんな携帯電話があれば、世界中で話題になるだろう。
「肉眼では見えない、ステルス携帯電話」?
が、あの国の中では、それが信じられてしまう。
私たちがもっている常識とは、別の常識が働く。
はっきり言えば、ふつうの常識が、通用しない。
言い替えると、そういうことも知った上で、あの国を理解し、あの国の行動を予想しなけ
ればならない。
外交問題を考えなければならない。
たとえばこんなこともあった。
(1)今年(2010年)のはじめごろだったと思う。
金xxが、あるホテルに泊まった。
が、そのホテルには暖房がなく、たいへん寒かった。
それを知った金xxが、激怒。
ホテルや住民に、電気を回すように指示した。
が、とたん、周辺の工場の操業が停止してしまった。
(2)また別の工場では、衣服を縫製していた。
それを見て、金xxが、500ウォンで住民に配給するように指示した。
しかし原材料費は、800ウォン。
つまり800ウォンで布を仕入れ、工賃を払って縫製し、500ウォンで売る(?)
採算があうわけがない。
ないが、そういう非常識がそのままあの国では通ってしまう。
(上記、(1)と(2)の話は、私の記憶によるものなので、内容は、不正確。)
先の中央N報が配信したニュースの中に出てくる「ビナロン」は、よく知られた話であ
る。
「画期的な新繊維」ということだそうだ。
もともとは日本で開発された繊維だが、電力をたいへんたくさん使う。
それでビナロンは、金日成時代に、生産中止となってしまった。
それを今回、金xxは、再生産を命じたということになる。
が、肝心の電力がない!
……ということで、「……半月ほど稼働し、現在、操業を中断していることが確認された」
(中央N報)ということらしい。
(が、その前に私が聞いた話では、当のビナロン工場は、機械類はとっくの昔に、従業員
たちによって持ち出され、闇市で、鉄くずとして売られてしまったという。)
●余談
冒頭に書いた、中国製の鍋を並べた工場長について、こんな余談も伝わってきている。
先にも書いたように、工場長は、あわてて中国から鍋を大量に仕入れた。
それを工場の中に、並べて見せた。
で、何とかその視察をやりすごしたわけだが、その鍋類は、金xxに同行してやってきた
軍人たちが、みな、持ち去ってしまったという。
その後、その工場長がどんな気持ちだったかは、容易に察しがつく。
繰り返す。
これを悲喜劇と言わずして、何と言う?
Hiroshi Hayashi+教育評論++June.2010++幼児教育+はやし浩司
●ワールドカップ(サッカーW杯)
●勝てば官軍?
「勝てば官軍」。
「負ければボロクソ」。
サッカーほど、それがはげしいスポーツもない?
数日前、日本は、対カメルーン戦で勝った。
それに対して、日本中が狂喜した。
それは、わかる。
わかるが、スポーツはスポーツ。
どこかで一線を引かないと、スポーツがスポーツでなくなってしまう。
反対に負けたばあいのことを、想像してみればよい。
そういうことは、過去にも、何度もあった。
逆に、ボロクソに叩かれる。
●狂喜とボロクソ
つまり「狂喜する」のも、「ボロクソに叩く」のも、同じではないかということ。
サポーターやファンはそれでよいとしても、監督や選手にとっては、そうでない。
勝っている間は、サポーターやファンは、心強い味方。
しかし負ければ、こわい。
敵になる。
つまりサポーターやファンの身勝手に振り回されてしまう。
いつだったか、日本代表が負け戦を重ねて帰国したとき、空港には、だれも出迎えなかっ
た。
が、本来、そういうことは、あってはいけない。
●心の一線
同じように、仮に勝ったとしても、それはそれ。
どこかで一線を引く。
我を忘れるほどまで、狂喜してはいけない?
仮に負けても、よい試合であったら、監督や選手たちをほめる。
ねぎらう。
(もちろん勝てば、称えるが……。)
そういう冷静さを失ってはいけない。
つまり今のサッカーには、(日本だけではないが)、そういう冷静さが欠けている。
こんなことを書くと、ファンの人たちに袋叩きにあう。
それはよく知っている。
しかしたかが「ボールの奪い合い」(ごめん!)。
その試合のときは狂喜したり、激怒したりするのは、かまわない。
当然のこと。
しかしそれはそれ。
●子どもの受験
子どもの受験でも、同じようなことが言える。
親たちは、自分の子どもが合格することだけを考える。
そのための準備をする。
しかしそれ以上に大切なことは、不合格になったときの準備も、しっかりとしておくとい
うこと。
不合格になっても、動揺しない。
子どもの健闘を称える。
そのためにも、「受験」くらいのことで、おおげさに一喜一憂しない。
それが結局は、子どもの心を守ることにつながる。
●監督の気持ち
同じように、サッカーにしても、勝つ、負けるは、時の運。
みなは、勝つことしか考えていない。
しかしそれ以上に大切なことは、負けたとき、それをどう受け入れるか。
その心の準備ををしておくこと。
それが結局は、監督や選手の心を守ることになる。
それがわからなければ、あなたも一度、監督や選手の気持ちになって、ものを考えてみた
らよい。
勝てば狂喜してくれるサポーターやファン。
だが、それと同じエネルギーで、負ければ、今度は何をされるかわからない。
ばあいによっては、殺されるかもしれない。
(実際、殺された選手もいる!)
その(こわさ)を、監督や選手は、よく知っている。
が、そんな気持ちでは、よい試合などできるはずがない。
●結局は、自分のため
子どもだって、そうだ。
自分が合格すれば、親は狂喜する。
それがわかっていると、落ち着いて勉強できない。
不合格になったら、親は、今度は同じエネルギーを、逆に向ける。
そのエネルギーが、どんな形で現われてくるか、わかったものではない。
子どもにしてみれば、それがこわい。
不安になる。
それでも勉強するとしたら、もう自分のためでしかない。
自分のために、勉強する。
そう「自分のためにする」。
だれのためでもない、自分のためにする。
●プレッシャー
……ということで、現在の監督や選手の気持ちは、これに近いものではないか。
少なくともサポーターやファンが大騒ぎするほど、監督や選手は、私たちのことなど眼中
にない。
相手にしていない。
その孤独感というか、孤立感には、相当なものがある、……はず。
ワールドカップという、世界最大のスポーツの「場」であるだけに、私たちの想像もつか
ないようなプレッシャーもある。
監督や選手は、そのプレッシャーとも闘わねばならない。
私たちが見るべきものがあるとすれば、むしろそちらのほうではないか。
●独特の風格
名前を出して恐縮だが、私の教室に、かつて藤田選手(元ワールドカップ正規選手)や、
鈴木選手(同じく前ワールドカップ正規選手)の子どもたちが、生徒として、通ってくれ
た。
どちらも、2~3年、通ってくれた。
そのこともあって、こうした選手たちと、個人的に何度か話す機会がった。
が、そういう世界で活躍した選手には、独特の風格というか、すごみがある。
「背中の向こうには、日本がある」。
そんな(風格)である。
話していても、こちらのほうがどんどんと小さくなっていくのがわかる。
そういう(すごみ)である。
つまりそういう経験をした人は、私たち凡人を、はるかに超越している。
●今夜は、対オランダ戦
今夜は、日本の第二戦。
相手は、オランダ。
ここ40~50回、対外試合で負けたことがないという。
すべて勝つか、引き分け。
そんなオランダを相手にして、日本は戦う。
もちろん私は応援する。
ぜったいに応援する。
が、これだけは心に決めている。
我を忘れて応援するのは、試合中だけ。
勝ったからといって、狂喜するようなことはしない。
負けたからといって、ボロクソに叩くようなことはしない。
どちらであるにせよ、試合のあとは、静かな気持ちで、彼らの健闘ぶりを称えたい。
がんばれ、日本!
力を出し切れ、日本!
試合まで、あと4時間!
(追記)
結果は、0-1で、オランダに負けた。
とても惜しい試合だった。
しかし日本は、よく戦った。
すばらしかった。
感動した。
まだどこか消沈した気分だが、一言。
よくやった!
ありがとう!
Hiroshi Hayashi+教育評論++June.2010++幼児教育+はやし浩司
●敗北感
敗北感。
なんとも言えない、敗北感。
それがぼんやりと、心の中で漂っている。
今は、そんな感じ。
少し前、私が2年近く使っていた、HPのサーバーが、
全面的に暗号化ソフトを導入すると言い出した。
この16日から、それが実行された。
悪質なウィルスが、蔓延している。
その対策措置として、その会社は、そうした。
つまりこれからは、編集したHPは、そのつど暗号化した上で、
FTP送信をかけなければならない。
そこまでは、私にもできた。
つまり「FTP送信」までは、私にもできた。
しかしいくら「送信済み」の表示が出ても、
肝心の画面に、変化、なし。
悪戦苦闘の結果、つぎのことがわかった。
サーバーのほうに、「html」のデータ(キャッシュ)が
残っているため、いくら上書きしても、
その残っている方が、優先して表示されてしまう、と。
そこで悪戦苦闘。
冷や汗をタラタラと流しながら、徹夜で作業をつづけた。
で、やっとたどりついた結論がこれ。
一度、サーバーの「html」のデータを削除し、
改めて「htm」データをUPLOADする、と。
そこまではわかったが、ではどうやってそれをすればよいか。
どうやれば、「html」のデータが削除できるのか!
その方法がわからない。
で、サーバーに問い合わせると、つぎのような
返事(回答)が届いた。
「使っているホームページ作成ソフトによって、
方法は、みなちがう。
ソフトの販売会社のほうへ問い合わせてみてほしい」と。
しかし私が現在使っているソフト会社は、とっくの
昔に、どこかの会社に吸収され、今は、ない。
つまり、お手上げ!
もう一度、最初からweb言語を勉強しなおすことも考えた。
とりあえず「html」と「htm」のちがいくらいは、知りたい。
が、今の私には、そんな時間は、ない。
余裕もない。
そんなこともあって、昨日は、この2年間で、BLOGの更新をはじめてサボった。
時間がなかった。
では、どうするか?
方法はひとつ。
現在、15前後のサービスを利用している。
それをひとつずつ、こまめに別のサーバーに乗り換えていくしかない。
めんどうな作業がつづくが、しかたない。
それにしても、いやな敗北感。
パソコンに、負けた。
若い人たちに、負けた。
新しい技術に負けた。
……このまま私は、インターネットの世界から、はじき飛ばされていくのか?
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