2012年5月31日木曜日

Japanese in Japan

【日本企業は、留学経験者を避ける】はやし浩司 2012ー05-31

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

韓国の朝鮮日報は、こんな記事を紹介している。
「日本企業は、留学経験者を嫌う」と。
アメリカのニューヨーク・タイムズ紙をベースにした記事である。
鋭いというか、アメリカ人でも、日本をここまで正確に分析している!
2012/05/31

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●休息を求めて疲れる

 たいへん興味深い内容である。
というのも、私自身が、それを経験している。
日本企業が求める社員と、留学経験者との間には、大きな壁がある。
朝鮮日報はそれを指摘し、「このままでは、日本は国際競争で立ち遅れてしまう」と結んでいる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

++++++++++以下、朝鮮日報紙の記事+++++++++++

●留学経験者の採用を避ける日本企業

 米国の大学に在学している韓国人留学生は昨年基準で7万3350人、日本人留学生は2万1290人だった。
日本は韓国の2.5倍の人口を抱えているが、米国の留学生数は3分の1に満たない。
日本では外国の大学出身者の就職が難しく、学生たちが留学したがらないためだ。

 米紙ニューヨーク・タイムズは29日付で、日本の企業は依然として留学経験者の採用を避けている、と報じた。
日本の企業には、組織に忠実で、組織から浮かない人材が適しており、外国の大学の出身者は合わないという考え方が根付いていることが、その理由だという。
グローバルな人材を採用しない傾向は、グローバルマインドが求められる金融・文化・サービスなどの業界で、日本が苦戦している状況と無関係ではない、と同紙は伝えている。

 同紙によると、日本企業は「外国の大学の卒業生は他人に勝とうという気持ちが強すぎ、同僚たちとうまく付き合えず、離職率が高い」と信じ込んでいるという。
東京三菱銀行の人事部関係者は「私たちが求める新入社員は、会社に長く尽くし、一貫性を持って働ける人。
短期的な利益ばかりを求める人は望まない」と語った。
同行が1年間に採用する社員1200人のうち、外国の大学の卒業生は20人にも満たない。
日本企業の人事担当者1000人を対象にしたアンケートでも、外国の大学の卒業生を採用する意向があると答えた担当者は25%以下だった。

 日本企業はまた、留学経験者が上下関係の厳しい日本の組織文化にそぐわないという偏見も持っている。
英国のオックスフォード大学を卒業したある留学生は、日本企業の面接にはきはきした態度で臨んだところ、面接官から「どうしてそんなにはきはきしているのか」ととがめられた。
また、米エール大学出身の留学生は、日本企業でインターンシップをしていたとき、上司の前で腕組みをしたとの理由で注意された。
留学生たちは「日本がグローバル人材を受け入れる準備ができているのか、疑わしい」と口をそろえる。

 こうした状況のため、就職活動中の大学生の中には、留学や語学研修経験をアピールすべきかどうか悩む人もいる。
米国で1年間語学研修を受けたある学生は「英語力を自慢すれば、面接官にうぬぼれていると思われるため、つらい外国生活をどう乗り切ったのかに焦点を当てて紹介した」と話した。
日本のある教育委員会の委員は、日本が留学生を「家を出た子ども」のように見なしているとし、「このままでは、日本は国際競争で立ち遅れてしまう」と危機感を募らせた。

++++++++++以上、朝鮮日報紙の記事+++++++++++

●企業型人間

 この記事を裏から読むと、こうなる。
日本企業が求める社員像というのは……

(1)他人に勝とうという気持ちが弱い人。
(2)同僚たちとうまく付きあえる人。
(3)会社に長く尽くし、一貫性を持って働ける人。
(4)短期的な利益ばかりを求めない人。
(5)はきはきせず、あいまいな返事をする人。
(6)腕組みをしたりして話さない人。
(7)英語が話せるなどと、うぬぼれた様子を見せない人。

●ポケット

 若いころ、某テレビ局の某番組に出たことがある。
そこで本番直前、ディレクターから、いきなりこう注意された。
「ポケットから手を出せ」と。
私は片手を、ズボンのポケットに手を入れていた。
無意識下の行為である。

 が、当時も今も、欧米人の多くは、ポケットに手を入れて話す。
大学の教授でも、ポケットに手を入れて話す。
何でもない行為である。
が、「それはまずい!」と。

 ここに書いた、(6)「腕組みをしたりして話さない人」というのは、それをいう。
マナーの問題というより、バカげている。
つまりそんなことを問題にすること自体、バカげている。
が、この日本では、問題?

●和をもって、貴しとなす

 要するに集団の中で、静かに、おとなしく、『和をもって、貴(とうとし)しとなす』式に仕事をする人のほうが、好ましい、と。
そういうこと。

 が、これは日本の基準であって、世界の基準ではない。
つまりこれだけグローバル化が叫ばれながら、しかも戦後65年にもなろうとしているのに、日本の社会は、ほとんど変わっていない。
私はこの記事を読んだとき、「1970代の話か」と思った。
1970年代には、たしかにそうだった。

 言い換えると、私たち日本人の体質には、骨のズイまで、封建主義思想が刷り込まれている。
「私はちがう」と思っている人にしても、そうだ。
そう思っているのは、あなただけ。
We are Japanese!

●変わった男

 こうして日本人は日本人に作られ、企業戦士となり、企業で一生を終える。
それがどういう人間かは、その人にはわからないだろう。
少し前、大学の同窓会に出たときのこと。
あとでYOUTUBEを再生してみて気がついたが、だれか※が私にこう言った。

「林(=私)は、昔から変わった男だと思っていたが、今でも変わらんな」と。

 興味のある人は、つぎのYOUTUBEを見てほしい。
前半部(2分57秒部)に、その声が入っている。

http://youtu.be/1iAyFSKXeqI



しかし本当に変わっているのは、どちらなのか?
……といっても、日本的な基準から見れば、私はたしかに変わっている。
自分でもそれはよくわかっている。
その友人は、それを指摘した。

●名刺
 
 今でもそうだ。
この日本では、どこかの組織に属していないと、とかく生きにくい。
相手も安心しない。
こちらも居心地が悪い。

 私が名刺を渡すと、みな、かならずと言ってよいほど、裏まで見る。
表には、「はやし浩司」と住所しか書いてない。
裏は、もちろん白紙。
つづいて、みな、一瞬、けげんそうな表情を浮かべる。

 これが日本。
私たちの国、日本。
しかし「このままでは、日本は国際競争で立ち遅れてしまう」。
(すでに、そうなりつつあるが……。)

●その結果

 皮肉なことに、その結果が、60代になると、はっきりとわかるようになる。
退職後も、退職前の会社を大切にしている人は多い。
退職前の肩書きや地位を引きずっている人も多い。
が、この(こだわり)こそが、問題。

……と私は思うが、そうでない人には、そうでない。
意識というのはそういうもの。
相対的なもの。
私のほうが、問題ということになる。

 が、私は率直にこう思う。
「みんな、会社という組織のために、犠牲になった人たちだな」と。
一度しかない人生を、会社という組織を守るために、棒に振ってしまった。
……というのは、書き過ぎかもしれないが、事実は事実。
「自分のために、自分で生きる」という原点そのものが、最初から、ない。
気がついてみたら、自分の人生は終わっていた(?)。

 ……昔書いた、『休息を求めて疲れる』という原稿を思い出した。
それを探してみる。
休息を求め、私たちは働きつづけてきたが、やっと休息を手に入れたと思ったとたん、人生は終わっていた……。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

休息を求めて疲れる

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「休息を求めて疲れる」。

 イギリスの格言である。愚かな生き方の代名詞にもなっている格言でもある。
「いつか楽になろう、なろうと思っているうちに、歳をとってしまい、結局は何もできなくなる」という意味である。
「やっと楽になったと思ったら、人生も終わっていた」と。

 ところでこんな人がいる。
もうすぐ定年退職なのだが、退職をしたらひとりで、四国八八か所を巡礼をしてみたい、と。
そういう話を聞くと、私はすぐこう思う。
「ならば、なぜ今、しないのか?」と。

私はこの世界に入ってからずっと、したいことはすぐしたし、したくないことはしなかった。
名誉や地位、それに肩書きとは無縁の世界だったが、そんなものにどれほどの意味があるというのか。
私たちは生きるために稼ぐ。稼ぐために働く。
これが原点だ。

だから○○部長の名前で稼いだ100万円も、幼稚園の講師で稼いだ100万円も、100万円は100万円。
問題は、そのお金でどう生きるか、だ。
サラリーマンの人には悪いが、どうしてそうまで会社という組織に、義理立てをしなければならないのか。

未来のためにいつも「今」を犠牲にする。
そういう生き方をしていると、いつまでたっても自分の時間をつかめない。
たとえばそれは子どもの世界を見ればわかる。

幼稚園は小学校の入学のため、小学校は中学校や高校への進学のため、またその先の大学は就職のため……と。社会へ出てからも、そうだ。
子どものときからそういう生活のパターンになっているから、それを途中で変えることはできない。
いつまでたっても「今」をつかめない。つかめないまま、人生を終わる。

 あえて言えば、私にもこんな経験がある。

学生時代、テスト週間になるとよくこう思った。「試験が終わったら、ひとりで映画を見に行こう」と。
しかし実際そのテストが終わると、その気力も消えてしまった。
どこか抑圧された緊張感の中では、「あれをしたい、これをしたい」という願望が生まれるものだが、それから解放されたとたん、その願望も消える。

先の「四国八八か所を巡礼してみたい」と言った人には悪いが、退職後本当にそれをしたら、その人はよほど意思の強い人とみてよい。
私の経験では、多分、その人は四国八八か所めぐりはしないと思う。
退職したとたん、その気力は消えうせる……?

 大切なことは、「今」をどう生きるか、だ。
「今」というときをいかに充実させるか、だ。
明日という結果は明日になればやってくる。
そのためにも、「休息を求めて疲れる」ような生き方だけはしてはいけない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司



 だからといって、どちらが正しいとか、そうでないとか、そういうことを書いているのではない。
人、それぞれ。
企業戦士になりながらも、自分をしっかりともっている人もいる。
私のようにフリーになっても、失敗に失敗を重ね、貧乏のどん底を這っている人もいる。

 が、どうであれ、日本も変わらなければならない。
変わって、世界の標準に自らを合わせなければならない。
が、その前に一度、あの封建時代を、精算しなければならない。
それをしないかぎり、つまりいつまでもNHKの大河ドラマばかり見ていたのでは、日本には明日はない。

 このニュース記事を読んだとき、そう感じた。

(注※)「だれか」……大手I商社で、定年まで勤めた友人

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Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

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