2012年5月6日日曜日
ジジババ有害論
【ブラック・ビジネス】(はやし浩司 2012-05-06)
●宝島社
昨夜、床に入ってから、1冊の本を読んだ。
宝島社の『ブラックビジネス』。
表紙には、「知らずにハマる、ブラックビジネス」とある。
宝島社といえば、若いころ、よく足を運んだ。
そのころから、こうした告発本を、多く出版していた。
それもあってか、玄関が、ふつうの出版社とはちがっていた。
どこかの暴力団の襲撃を受けたこともあった。
閉鎖的というか、外部の人が、すぐには中に入れないしくみになっていた。
が、社員の方は、たいへん親切だった。
私が持ち込んだ企画を見ながら、いろいろアドバイスをしてくれた。
出版先を探し、紹介してくれたこともある。
だから……というわけでもないが、今でも「宝島社」という社名を見ると、すぐ手が伸びる。
奥付の住所を見ると、「千代田区1番町25」とある。
それを見ながら、「ああ、あそこが千代田区だったのか」と思う。
道路の反対側に、大火災を起こしたホテルが、当時はまだそのまま残っていた。
また帰るときは、いつも、地下鉄は、「四谷」というところで、乗った。
(たった今、グーグル・アースを使い、会社の場所を調べてみた。
が、当時とは、会社の場所がちがうように思う。
会社が大きくなって、現在の位置に移転したのか。
さらにウィキペディア百科事典を使って調べてみると、1980年代当時は、『赤坂の(株)宝島社、発行は飯田橋の(株)JICC出版局、と別会社になっていた』とある。
私が知っているのは、その「赤坂」のほうだった。
また火災事故を起こしたのは、ホテル・ニュー・ジャパン(千代田区永田町)。
1982年に火災とあるから、私が宝島社に通っていたのは、その前後ということになる。)
話はそれたが、『ブラックビジネス』。
読んで、こう思った。
「よくもまあ、ここまで金に毒された人たちがいるものだ」と。
まさに、あの手この手を使い、人をだます。
しかもこの本のすごいのは、(宝島社という会社はそういう出版社だが)、堂々と実名公を表しているところ。
たとえば「高島易断」。
「インチキすぎる荒稼ぎのトリック」(P41)とある。
●ブラックビジネス
目次を並べてみる。
(1)最新振り込め詐欺事情
(2)悪徳マルチ商法は人生崩壊ゲーム
(3)高齢者をしゃぶりつくす、未公開株詐欺・通貨詐欺・押し売り
(4)”悪徳詐欺師系”占い師が語るスピリチュアル商法の闇
(5)詐欺ビジネスに変化が起きている。
(6)最新の「押し買い」事情
(7)二極化する新興の「闇金融」
(8)危険な罠だらけの競馬情報
(9)「海外投資」欲望のトラップ!
(10)催眠商法の底なし沼
(11)迷惑メール、真の目的とは
(12)被害者増加中! 民間資格商法
(13)問題山積みの開業支援ビジネス
(14)偽造サプリで今のうちに大儲け
(15)でっちあげ募金! 通称「犬詐欺」
(16)要求はどんどん過激に! 「チャイルド・ポルノ」
(17)ママサークルが、怪しい商売の温床に!?
(18)ギャル詐欺、騙されて覚える大人の世界
(19)不動産業界にはびこる、抵抗不能の搾取構造
(20)共犯ヘルパーが増殖中
(21)俺ならこの家狙って、空き巣に入る!
(22)リフォーム業界は”ウソの匠”だらけ
どれも私たちの生活と直結している。
●リフォーム業界
読めば読むほど、まさに人間不信になる。
「リフォーム業界」については、「悪徳業者以外を探すのが難しい」(P111)とある。
私も「リフォーム」をと考えていたので、これは参考になった。
そのリフォーム会社。
リフォーム会社というのは、「建築業」ではないそうだ。
「解体屋」とか「産廃業者」とかが組んで、リフォーム会社を開業しているとか。
正式の図面は引けないから、客にはイラストを示して工事にかかるという。
が、自分では、しない。
工事は、それなりの仕事ができる大工に丸なげ。
たとえば1700万円のリフォームだと、1000万円分くらいが、丸々、会社の取り分。
残りの700万円が、大工に渡される実費。
リフォーム会社にしてみれば、「これほどうまい、儲け話はない」(本書)となる。
●スピチュアル商法
「ブラックビジネス」は、11Pもさいて、「スピリチュアル商法」を解説している。
「数百円の石ころが、数万円の商品に化けるカラクリ」というのもある。
「ただの石を問屋から買い、パワーストーンとして売る」(P47)と。
少し前、A・チャンというタレントが使った商法が、これである。
当の本人は、「事務所の人が勝手にして、私は知らなかった」と弁解しているが、それを信ずる人はいない。
A・チャンは、「A大学」という架空の大学まで設立し、資格商法にまで手を染めている。
ともあれ、騙す方も騙す方だが、ことこのスピリチュアル商法に関して言えば、騙される方も、騙される方。
どうしてこういう馬鹿なものを信ずるのかと言いたいが、それぞれの人には、それぞれの事情というものがある。
本のなかには、占い師に手相をみてもらっている男性の写真も載っていた。
占いといえば、若い女性の趣味のようなものかと思っていたが、どうもそうでもないようだ。
事業に行き詰まった人は、それこそ「藁(わら)にもすがる」。
●若い女性
こうしたブラックビジネスに共通しているのは、「若い女性」。
若い女性が、まず電話口に出る。
客と応対する。
「日本人は、若い女性は安心と、脳の奥まで、刷り込みがなされている」(本書)と
「若い女性が、人を騙すはずがない」と信じている人も多い。
つまりブラックビジネスを展開する、ブラック企業は、若い女性を巧みに利用する。
客(カモ)を、安心させる。
無知ということもある。
(実際、無知だが……。)
それゆえに若い女性は、確信犯的に行動する。
「私はちゃんとしたビジネスをしている」と、信じ切っている。
だから客の方は、騙される。
言いかえると、あやしくない会社ほど、あやしいということ。
若い女性が、ソフトな言い方で電話口に出たら、まず疑ってかかる
それくらいの警戒心は必要。
……そう言えば、銀行にせよ、証券会社にせよ、ブラック企業に含めてもよいのではないか。
やっていることは、まさにブラックビジネス。
現金(マネー)は、神に近いか、悪魔に近いかと問われれば、悪魔のほうに、はるかに近い。
その悪の権現(ごんげん・化身)が、銀行であり、証券会社ということになる。
●老人組みよ、警戒しよう!
ともあれ、我ら、老人組みは、警戒する。
この先、この種のブラックビジネスは、ふえることはあっても、減ることはない。
たとえば闇金融にしても、今では「ソフト闇金融」というのまで横行しているそうだ。
それがどういうものかは、宝島社の「ブラックビジネス」を読んでみたらよい。
それにしてもまあ、よくもここまで考えるものだと、感心する。
……ということで、今朝は、かなり人間不信に陥っている。
ズルイ人間は、どこまでもズルイ。
だから……。
どう生きるか。
どう死ぬか。
もうひとつ加えれば、どう自分を守るか。
老後を生きる、これが3本の柱ということになる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 ブラックビジネス ブラック企業 老人組みの生き方)
Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
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子育て最前線の育児論byはやし浩司 2012年 5月 21日
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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【団塊の世代(バブル世代)は、若者の敵?】
●ジジババ老害論
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
少し前、こんな記事を書いた。
「最近、団塊の世代~に対する、若い人たちからの風当たりが強くなってきているのを感じます。
「敵」とか、そんなふうに位置づけられているようです。
(若い人たちは、私たちのことを、「バブル世代」と呼び、経済の繁栄をつぶした世代と考えているようです。)
そんな中、1人の老人(77歳)が、赤信号で横断した男性を注意し、殴り殺されるという事件が起きました」(以上、はやし浩司)と。
私は当然、殴り倒した男性のほうが非難されるべきと思っていた。
が、若者たちの意見は、逆。
「注意した方の老人のほうが悪い」と。
これには驚いた。
驚いて、自分の意見を書いた。
団塊の世代は、若者の敵?。
それについて、多くの人から、(大半が若い人たちからだが)、コメントが届いた。
その中の1つを、そのまま紹介させてもらう。
(ほかにも多くのコメントが届いたが、感情的な意見であったり、あるいは文章として体(てい)をなしていないので、その中の1つを、そのまま紹介させてもらう。)
+++++++++++++++++
(東京・KS氏より)
団塊世代は、年上という理由のみで、偉そうにしています。
若者を見下している!!
注意することは良いことです。
しかし、注意の仕方が悪いです。
団塊世代は敬語を使えないのかね?
「バブル世代は、経済の繁栄をつぶした世代」。
当然でしょう。
事実を認めず、それを若者にぶつける貴方みたいな人がいるから、バブル世代、団塊世代は敵に回されるんです。
勿論全てのバブル、団塊世代の人ではありませんが・・・
また、東京に「大井川」駅は存在しません。
恐らく「大井町」駅の間違いですね。(以上、東京・KS氏より)
++++++++++++++++
●ジジババ老害論
ここに紹介したKS氏の意見は、けっして一部の若者の意見ではない。
おおかたの若者たちが、そう考えている。
60~70%の若者たちが、同じように考えていると理解してよい。
称して、「ジジババ老害論」。
そのときに書いた原稿を、もう一度、再掲載する。
KS氏が言うように、私たち団塊の世代も、反省すべき点があるなら、謙虚に反省する。
私には、そういう視点が欠けているのかもしれない。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
つぎの原稿の日付は、2012年1月20日になっている。
今日は、4月06日だから、3か月前の原稿ということになる。
団塊の世代、および老人組と呼ばれる人たちは、一度、私の原稿をじっくりと読んでみてほしい。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
(以下、2012年1月20日に書いた原稿より)
【ジジ・ババ・ゴミ論】はやし浩司 2012-01-20
(六趣輪廻の因縁で、闇路に迷う愚痴人間)
Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2012++++++はやし浩司・林浩司
●ゴミ?
少し前、「ジジ・ババ・ゴミ論」について書いた。
私が「ゴミ」という言葉を使っているのではない。
若い人たちの書くBLOGに、そう書いてある。
最近の若い人たちの老人論には、辛らつなものが多い。
「老害論」から「ゴミ論」へ。
まさかと思う人がいたら、一度、若い人たちのBLOGに目を通してみるとよい。
それについては、もう何度か書いてきた。
ここでは「なぜ?」について、書いてみたい。
なぜ、私たちはゴミなのか?
●「将来、親のめんどうをみる」
「将来、どんなことをしてでも、親のめんどうをみる」と答える、日本の若い人たちは、世界でも最下位。
総理府、それにつづく内閣府が、数年おきに、同じ調査をしている。
「青少年の意識調査」というのが、それである。
それによれば、つぎのようになっている。
(第8回青年意識調査:内閣府、平成21(2009)年3月)
+++++++++++++++++++++++++++++++++
●年老いた親を養うことについてどう思うか
「どんなことをしてでも親を養う」
イギリス66.0%、
アメリカ63.5%、
フランス50.8%、
韓国35.2%、
日本28.3%
(平成9年、総理府の同調査では、19%。)
日本の若い人たちの意識は、28・3%!
アメリカ人の約半分。
「親孝行は教育の要である。日本人がもつ美徳である」と信じている人は多い。
しかし現実は、かなりきびしい。
今どき、「親孝行」という言葉を使う、若い人は、いない!
●「自分の子どもに老後の面倒をみてもらいたい」と思うか
『そう思う』:
イギリス70.1%、
アメリカ67.5%、
フランス62.3%、
日本47.2%、
韓国41.2%
+++++++++++++++++++++++++++++++++
平たく言えば、現代の若い人たちは、「経済的に余裕があれば、親のめんどうをみる」と考えている。
しかし「経済的に余裕のある若い人」は、ほとんど、いない。
どの人も、目一杯の生活をしている。
結婚当初から、車や家具一式は、当たり前。
中には、(実際、そういう夫婦は多いが)、結婚してからも親からの援助を受けている夫婦もいる。
金融広報中央委員会の調査によれば、現在、貯蓄ゼロ世帯は、23%。
全国約4000万世帯の、23%。
4世帯につき、約1世帯。
さらに生活保護を受ける世帯が、2011年度、最高を記録した。
その数、150万世帯。
++++++++++++++++++++++++++++++
金融広報中央委員会の「家計の金融資産に関する世論調査(2006年)」によれば、
つぎのようになっている。
20代は171万円、
30代は455万円、
40代は812万円、
50代は1154万円、
60代が1601万円、
70歳以上が1432万円。
この調査は「20歳-79歳代の男女10,080人」を対象に調べたもので、
このうち貯蓄を持っているのは全体の、77・1%。
残りの22.9%は貯蓄ゼロ。
貯蓄ゼロの家庭は、年収が300~500万円未満でも21.1%。
500~750万円未満の家庭でも16.2%。
+++++++++++++++++++++++++++++
なお、団塊の世代についてみると、8・1%の世帯が、貯蓄ゼロとなっている(「格差脱出研究所」調べ)。
ただしここに載っている数字にしても、あくまでも、「平均」。
70歳以上だけをみても、中に数億円以上もの金融資産を保有している人たちがいる。
大多数の人は、400~500万円程度と言われている(某経済誌)。
「親のめんどうをみる」と答える、若い人たちの減少。
それと反比例する形で、「ジジ・ババ・ゴミ論」がある。
両者を関連付けるのは、危険なことかもしれない。
しかし無関係とは、これまた言えない。
●祖父母と同居
私自身は、3世代同居家族の中で、生まれ育った。
生まれたときから、祖父母と同居していた。
と言っても、当時は、それがごく平均的な家族であった。
「核家族」という言葉が生まれ、それが主流になってきたのは、1970年以後のこと。
夫婦と、その子どもだけの、「小さな家族」を「核家族」と言った。
当時はそれが珍しかったが、今では、それが主流。
若い人たちが「家族」というときには、そこには、祖父母の姿はない。
現在、祖父母と同居している家族の割合は、つぎのようになっている。
(第8回青年意識調査:内閣府、平成21(2009)年3月)
●「祖父または祖母と同居している」
日本(20.6%)、
韓国(5.8%)、
アメリカ(3.1%)、
フランス(1.5%)、
イギリス(1.1%)
これらの数字を並べて解釈すると、こうなる。
(1) 日本人は、親と同居している家族が、比較的多い(20・6%)。
子どもが生まれれば、3世代同居家族となる。
ただしこれには地域差が大きい。
地方の農村部では、多く、都市部では、少ない。
(2) 老親は、子どもに老後のめんどうをみてもらいたいと考えている(47・2%)。
が、若い人たちには、その意識は薄い。
世界でも、最低レベルとなっている(28・3%)。
(3)「核家族」という家族形態は、欧米化の1態ということが、この数字を見てもわかる。
つまり、家族の欧米化が、現在、急速に進んでいる。
ただし欧米では、各地に「老人村」があるなど、老人対策が充実している。
一方、この日本では、老人対策がなおざりにされたまま、欧米化が進んでしまった。
その結果が、独居老人、さらには孤独死、無縁死の問題ということになる。
●「団塊の世代は敵」?
先日紹介したBLOGの中に、「団塊の世代は敵」と書いてあるのが、あった。
これには驚いた。
私たち団塊の世代は、感謝されこそすれ、「敵」と思われるようなことは、何もしていない。
そのつもりでがんばったわけではないが、現在の日本の繁栄の基礎を作ったのは、私たち。
そういう自負心も、どこかにある。
その私たち団塊の世代が、敵?
こうした感覚を理解するためには、視点を一度、若い人たちの中に置いてみる必要がある。
なぜか?
その理由の第一が、現在の若い人たちは、「貧しさ」を知らない。
生まれたときから、「豊かな生活」がそこにあるのが当たり前……という前提で、育っている。
それは私たちの視点を、逆に、80代、90代の人たちの中に置いてみるとよくわかる。
●「敵」
戦争を体験した人たちは、みな、こう言う。
「日本を守ったのは、俺たち」と。
結果的に日本は敗北し、(守った)という意識は、粉々に破壊された。
しかし「命をかけて」という部分までは、破壊されていない。
が、結果がどうであれ、戦争を体験した人たちが、「命がけで戦った」のは、事実。
で、そういう人たちに、私たち戦後の世代が感謝しているかといえば、それはない。
中には、「自業自得」と、辛らつな言葉を、浴びせかける人もいる。
「勝手に戦争を起こし、ひどいめにあった」と。
もう少し具体的には、こんな事実もある。
私の二男が、アメリカ人の女性と結婚することになったときのこと。
私はこう思った。
「親父(おやじ=私の実父)が、生きていなくてよかった」と。
もし父が生きていたら、その結婚には、猛烈に反対しただろう。
私の父は、そういう人だった。
まじめで、がんこで、純粋だった。
本気で天皇を崇拝し、神国日本を信じていた。
ある日のこと、こんなことがあった。
私が小学3年生のときのことである。
私が「天皇」と呼び捨てにすると、一度も私に対して怒ったことがない父が、私を殴った。
「陛下と言え!」と。
父はその足で小学校へ怒鳴り込んでいった。
「貴様ら、息子に何を教えているかア」と。
そのときの担任が、N先生。
だから小学3年生のときのことだったということを、よく覚えている。
が、そんな父をだれが批判できるだろうか。
現に今、私たち団塊の世代を評して、「敵」という。
同じように、そういう若い人たちを、私たちはどうして批判できるだろうか。
私たちはいつも、過去を踏み台にして、現在を生きている。
その現在に視点を置き、「自己中心的な、現在中心論」で、ものを考える。
そういう視点で見ると、私たち団塊の世代は、この日本の繁栄を、ぶち壊してしまった。
少なくとも、若い人たちは、そういう目で、私たち、団塊の世代をながめている。
●ゴミ
私たちは、否応なしに、ゴミになりつつある。
またそういうふうに扱われても、抵抗できない。
体力も気力も、とぼしくなってきた。
若い人たちから見ると、私たちの世代は、毎日、遊んでばかりいるように見える。
昔、……といっても、もう30年以上も前のことだが、こう言った高校生がいた。
「老人は、役立たず」と。
当時の私は、この言葉に猛烈に反発した。
……そう言えば、それについて書いた原稿がどこかにあるはず。
探してみる。
日付は2010年2月になっている。
当時、私はひとつの理由として、「受験競争」をあげた。
受験競争を経験した子どもは、総じて、心が冷たくなる。
私はそれを実感として、現場で、今も強く感じている。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 ジジ・ババ・ゴミ 総理府 内閣府 青年に意識調査 親の面倒 親のめんどう 老後の介護 はやし浩司 団塊の世代 受験と虐待)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
特集【介護と子どもの意識】(2010年2月の原稿より)
●介護と子どもの意識
+++++++++++++++++
介護問題に隠れて、表に出てこないが、
その裏には、子どもたちの意識の変化
がある。
現在、ほとんどの子どもたちは、「経済的に
余裕があれば、親のめんどうをみる」と
考えている(日本)。
しかし経済的に余裕のある人は、いない。
みな、それぞれが精いっぱいの生活を
している。
つまりこの調査結果を裏から読むと、
「めんどうはみない」となる。
が、ことはさらに深刻である。
(めんどう)どころか、(老人への虐待)が、
深刻化している。
10年ほど前に書いた原稿をさがしてみる。
(10年前ですら、そうだったということを
わかってほしい。)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●ジジ・ババ受難の時代
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
年々、ジジ・ババへの風当たりが
強くなってきている(?)。
これから先、私たち高齢者予備軍は、
どのように社会とかかわりあって
いったらよいのか。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
私は感じている。ひょっとしたら、あなたも感じている。このところ、年を追うごとに、ジジ・ババへの風当たりが強くなってきている。
若者たちが書くBLOGにしても、「ジジイ」とか「ババア」という言葉を使って、年配者をののしる表現が、最近、目につくようになってきた。
ある交通事故の相談を専門に受けつけるBLOGには、こんな書きこみすらあった。
「先日、枯れ葉マークのジジイの車に追突された。
おかげで、こちらは2週間も入院。そのジジイが、2、3日ごとに見舞いにくるから、たまらねえ。
あんなジジイに、何度も見舞いに来られて、うるさくてしかたねえ。
こっちは、迷惑している」と。
その若者は、バイクに乗っているところを、車で追突されたらしい。
つまりこのところ、老齢者が、ますます、「粗大ゴミ」になってきた。
そんな感じがする。
老人医療費用、介護費用の増大が、若者の目にも、それが「負担」とわかるようになってきた。
加えて、日本では、世代間における価値観の相違が、ますます顕著になってきた。
若者たちは、程度の差こそあれ、上の世代の犠牲になっているという意識をもっている。
これに対して、たとえば私たち団塊の世代は、こう反論する。
「現在の日本の繁栄を築きあげたのは、私たちの世代だ」と。
しかしこれは、ウソ。
団塊の世代の私が、そう言うのだから、まちがいない。
たしかに結果的には、そうなった。
つまりこうした論理は、結果論を正当化するための、身勝手な論理にすぎない。
私も含めて、だれが、「日本のため……」などと思って、がんばってきただろうか。
私たちは私たちで、今までの時代を、「自分のために」、がんばってきた。
結果として日本は繁栄したが、それはあくまでも結果論。
そういう私たちを、若い世代は、鋭く見抜いている。
しかしこれは深刻な問題でもある。
これから先、高齢者はもっとふえる。
やがてすぐ、人口の3分の1以上が、満65歳以上になるとも言われている。
そうなったとき、若者たちは、私たち老齢者を、どういう目で見るだろうか。
そのヒントが、先のBLOGに隠されているように思う。
ジジ・ババは、ゴミ。
ジジ・ババは、臭い。
ジジ・ババは、ムダな人間、と。
そういう意識を若者たちが共通してもつようになったら、私たち高齢者にとって、この日本は、たいへん住みにくい国ということになる。
そのうち老人虐待や老人虐殺が、日常的に起こるようになるかもしれない。
では、どうすればよいのか。
……というより、高齢者のめんどうを、第一にみなければならないのは、実の子どもということになる。
が、その子どもが成人になるころには、たいていの親子関係は、破壊されている。
親たちは気がついていないが、「そら、受験だ」「そら、成績だ」「そら、順位だ」などと言っているうちに、そうなる。
中学生になる前に、ゾッとするほど、心が冷たくなってしまう子どもとなると、ゴマンといる。
反対に、できが悪く(?)、受験とは無縁の世界で育った子どもほど、心が暖かく、親思いになる。
ウソだと思うなら、あなたの周囲を見回してみればよい。あるいはあなた自身のことを考えてみればよい。
「親のめんどうなどみない」と宣言している若者もいる。
「親の恩も遺産次第」と考えている若者は、もっと多い。
たいはんの若者は、「経済的に余裕があれば、親のめんどうをみる」と答えている。
つまり「余裕がなければ、みない」※と。
数年置きに、総理府(内閣府)が調査しているので、そのうち、これについての全国的な調査結果も出てくると思うが、これが現状と考えてよい。
私はこのところ、近くの老人ケア・センターへ行く機会がふえた。
そこでは、30~40人の老人を相手に、4、5人の若い男女が、忙しそうにあれこれと世話をしている。
見た目には、のどかで、のんびりとした世界だが、こんな世界も、いつまでつづくかわからない。
すでに各自治体では、予算不足のため、老人介護のハードルをあげ始めている。
補助金を削減し始めている。
10年後には、もっと、きびしくなる。20年後には、さらにきびしくなる。
単純に計算しても、今は30~40人だが、それが90~120人になる。
そうなったとき、そのときの若者たちは、私たち高齢者を、どのような目で見るだろうか。
またどのように考えるだろうか。
老齢になるまま、その老齢に負け、老人になってはいけない。
ケア・センターでは、老
人たちが、幼稚園の年長児でもしないような簡単なゲームをしたり、手細工をしたりしている。ああいうのを見ていると、「本当に、これでいいのか」と思う。
高齢者は、人生の大先輩なはず。人生経験者のはず。
そういう人たちが、手をたたいて、カラオケで童謡を歌っている!
つまりこれでは、「粗大ゴミ」と呼ばれても、文句は言えない。
また、そうであっては、いけない。
わかりやすく言えば、高齢者は、高齢者としての(存在感)をつくらねばならない。
社会とかかわりをもちながら、その中で、役に立つ高齢者でなければならない。
そういうかかわりあいというか、若者たちとの(かみあい)ができたとき、私たち高齢者は、それなりにの(人間)として認められるようになる。
「私たちが、この日本を繁栄させたのだ」とか、「だれのおかげで、日本がここまで繁栄
できたか、それがわかっているか」とか、そういう高慢な気持ちは、さらさらもっていは
いけない。
私たち高齢者(実際には、高齢者予備軍)は、どこまでも、謙虚に!
姿勢を低くして、若者や社会に対して、自分たちの人生を、還元していく。
その努力を今から、怠ってはいけない。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
古い原稿を再掲載します。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●本末転倒の世界
「老人のような役立たずは、はやく死んでしまえばいい」と言った、高校生がいた。
そこで私が、「君だって、老人になるんだよ」と言うと、「ぼくは、人に迷惑をかけない。
それにそれまでにうんと、お金を稼いでおくからいい」と。
そこでさらに私が、「君は、親のめんどうをみないのか」と聞くと、こう言った。
「それだけのお金を残してくれるなら、めんどうをみる」と。
親の恩も遺産次第というわけだが、今、こういう若者がふえている。
97年、総理府が成人式を迎えた青年を対象に、こんな意識調査をした。
「親の老後のめんどうを、あなたはみるか」と。
それに対して、「どんなことをしてでも、みる」と答えた若者は、たったの19%!
この数字がいかに低いかは、たとえばアメリカ人の若者の、60数%。
さらに東南アジアの若者たちの、80~90%という数字と比較してみるとわかる。
しかもこの数字は、その3年前(94年)の数字より、4ポイントもさがっている。
このことからもわかるように、若者たちの「絆の希薄化」は、ますます進行している。
一方、日本では少子化の波を受けて、親たちはますます子どもに手をかけるようになった。
金もかける。
今、東京などの都会へ大学生を一人、出すと、毎月の仕送り額だけでも、平均27万円。
この額は、平均的サラリーマンの年収(1005万円)の、3割強。
だからどこの家でも、子どもが大学へ行くようになると、母親はパートに出て働く。
それこそ爪に灯をともすような生活を強いられる。
が、肝心の大学生は、大学生とは名ばかり。
大学という巨大な遊園地で、遊びまくっている!
先日も京都に住む自分の息子の生活を、見て驚いた母親がいた。
春先だったというが、一日中、電気ストーブはつけっぱなし。
毎月の電話代だけでも、数万円も使っていたという。
もちろん子どもたちにも言い分は、ある。
「幼児のときから、勉強、勉強と言われてきた。
何をいまさら」ということになる。
「親のために、大学へ行ってやる」と豪語する子どもすらいる。
今、行きたい大学で、したい勉強のできる高校生は、10%もいないのではないか。
大半の高校生は、「行ける大学」の「行ける学部」という視点で、大学を選ぶ。
あるいは
ブランドだけで、大学を選ぶ。
だからますます遊ぶ。年に数日、講義に出ただけで卒業できたという学生もいる(新聞の投書)。
こういう話を、幼児をもつ親たちに懇談会の席でしたら、ある母親はこう言った。
「先生、私たち夫婦が、そのドラ息子ドラ娘なんです。
どうしたらよいでしょうか」と。
私の話は、すでに一世代前の話、というわけである。
私があきれていると、その母親は、さらにこう言った。
「今でも、毎月実家から、生活費の援助を受けています。子どものおけいこ塾の費用だけでも、月に4万円もかかります」と。
しかし……。今、こういう親を、誰が笑うことができるだろうか。
(親から大学生への支出額は、平均で年、319万円。
月平均になおすと、約26・6万円。
毎月の仕送り額が、平均約12万円。
そのうち生活費が6万5000円。大学生をかかえる親の平均年収は1005万円。
自宅外通学のばあい、親の27%が借金をし、平均借金額は、182万円。
99年、東京地区私立大学教職員組合連合調査。)
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 親の支出額 学費)
+++++++++++++++
つづいて03年(7年前)に書いた
原稿を添付します。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●高齢者への虐待
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
やはり高齢者への虐待が
ふえているという。
これはこれからの世界を
生きる私たちにとっては、
深刻な問題である。
+++++++++++++
医療経済研究機構が、厚生省の委託を受けて調査したところ、全国1万6800か所の介護サービス、病院で、1991事例もの、『高齢者虐待』の実態が、明るみになったという(03年11月~04年1月期)。
わかりやすく言えば、氷山の一角とはいえ、10か所の施設につき、約1例の老人虐待があったということになる。
この調査によると、虐待された高齢者の平均年齢は、81・6歳。うち76%は、女性。
虐待する加害者は、息子で、32%。息子の配偶者が、21%。娘、16%とつづく。
夫が虐待するケースもある(12%)。
息子が虐待する背景には、息子の未婚化、リストラなどによる経済的負担があるという。
これもわかりやすく言えば、息子が、実の母親を虐待するケースが、突出して多いということになる。
で、その虐待にも、いろいろある。
(1)殴る蹴るなどの、身体的虐待
(2)ののしる、無視するなどの、心理的虐待
(3)食事を与えない、介護や世話をしないなどの、放棄、放任
(4)財産を勝手に使うなどの、経済的虐待など。
何ともすさまじい親子関係が思い浮かんでくるが、決して、他人ごとではない。
こうし
た虐待は、これから先、ふえることはあっても、減ることは決してない。
最近の若者のうち、「将来親のめんどうをみる」と考えている人は、5人に1人もいない(総理府、内閣府の調査)。
しかし考えてみれば、おかしなことではないか。
今の若者たちほど、恵まれた環境の中で育っている世代はいない。
飽食とぜいたく、まさにそれらをほしいがままにしている。
本来なら、親に感謝して、何らおかしくない世代である。
が、どこかでその歯車が、狂う。
狂って、それがやがて高齢者虐待へと進む。
私は、その原因の一つとして、子どもの受験競争をあげる。
話はぐんと生々しくなるが、親は子どもに向かって、「勉強しなさい」「成績はどうだったの」「こんなことでは、A高校にはいれないでしょう」と叱る。
しかしその言葉は、まさに「虐待」以外の何ものでもない。
言葉の虐待である。
親は、子どものためと思ってそう言う(本当は、自分の不安や心配を解消するためにそう言うのだが……。)
子どもの側で考えてみれば、それがわかる。
子どもは、学校で苦しんで家へ帰ってくる。
しかしその家は、決して安住と、やすらぎの場ではない。
心もいやされない。むしろ、家にいると、不安や心配が、増幅される。
これはもう、立派な虐待以外のなにものでもない。
しかし親には、その自覚がない。ここにも書いたように、「子どものため」という確信をいだいている。
それはもう、狂信的とさえ言ってもよい。
子どもの心は、その受験期をさかいに、急速に親から離れていく。
しかも決定的と言えるほどまでに、離れていく。
その結果だが……。
あなたの身のまわりを、ゆっくりと見回してみてほしい。
あなたの周辺には、心の暖かい人もいれば、そうでない人もいる。
概してみれば、子どものころ、受験競争と無縁でいた人ほど、今、心の暖かい人であることを、あなたは知るはず。
一方、ガリガリの受験勉強に追われた人ほど、そうでないことを知るはず。
私も、一時期、約20年に渡って、幼稚園の年中児から大学受験をめざした高校3年生まで、連続して教えたことがある。
そういう子どもたちを通してみたとき、子どもの心がその受験期にまたがって、大きく変化するのを、まさに肌で感じることができた。
この時期、つまり受験期を迎えると、子どもの心は急速に変化する。ものの考え方が、ドライで、合理的になる。
はっきり言えば、冷たくなる。まさに「親の恩も、遺産次第」というような考え方を、平気でするようになる。
こうした受験競争がすべての原因だとは思わないが、しかし無縁であるとは、もっと言えない。
つまり高齢者虐待の原因として、じゅうぶん考えてよい原因の一つと考えてよい。
さて、みなさんは、どうか。それでも、あなたは子どもに向かって、「勉強しなさい」と言うだろうか。……言うことができるだろうか。
あなた自身の老後も念頭に置きながら、もう少し長い目で、あなたの子育てをみてみてほしい。
(はやし浩司 老人虐待 高齢者虐待)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
少し古い原稿ですが、以前、中日新聞に
こんな原稿を載せてもらったことがあり
ます。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●抑圧は悪魔を生む
イギリスの諺(ことわざ)に、『抑圧は悪魔を生む』というのがある。
心の抑圧状態が続くと、ものの考え方が悪魔的になることを言ったものだが、この諺ほど、子どもの心にあてはまる諺はない。
きびしい勉強の強要など、子どもの能力をこえた過負担が続くと、子どものものの考え方は、まさに悪魔的になる。こんな子ども(小4男児)がいた。
その子どもは静かで、穏やかな子どもだった。
人の目をたいへん気にする子どもで、いつも他人の顔色をうかがっているようなところは、あるにはあった。
しかしそれを除けば、ごくふつうの子どもだった。
が、ある日私はその子どものノートを見て、びっくりした。
何とそこには、血が飛び散ってもがき苦しむ人間の姿が、いっぱい描かれていた!
「命」とか、「殺」とかいう文字もあった。
しかも描かれた顔はどれも、口が大きく裂け、そこからは血がタラタラと流れていた。
ほかに首のない死体や爆弾など。
原因は父親だった。
神経質な人で、毎日、2時間以上の学習を、その子どもに義務づけていた。
そしてその日のノルマになっているワークブックがしていないと、夜中でもその子どもをベッドの中から引きずり出して、それをさせていた。
神戸で起きた「淳君殺害事件」は、まだ記憶に新しいが、しかしそれを思わせるような
残虐事件は、現場ではいくらでもある。
その直後のことだが、浜松市内のある小学校で、こんな事件があった。
一人の子ども(小二男児)が、飼っていたウサギを、すべり台の上から落として殺してしまったというのだ。
この事件は時期が時期だけに、先生たちの間ではもちろんのこと、親たちの間でも大きな問題になった。
ほかに先生の湯飲み茶碗に、スプレーの殺虫剤を入れた子ども(中学生)もいた。
牛乳ビンに虫を入れ、それを投げつけて遊んでいた子ども(中学生)もいた。
ネコやウサギをおもしろ半分に殺す子どもとなると、いくらでもいる。
ほかに、つかまえた虫の頭をもぎとって遊んでいた子ども(幼児)や、飼っていたハトに花火をつけて、殺してしまった子ども(小3男児)もいた。
親のきびしい過負担や過干渉が日常的に続くと、子どもは自分で考えるという力をなくし、いわゆる常識はずれの子どもになりやすい。
異常な自尊心や嫉妬心をもつこともある。
そういう症状の子どもが皆、過負担や過干渉でそうなったとは言えない。
しかし過負担や過干渉が原因でないとは、もっと言えない。
子どもは自分の中にたまった欲求不満を何らかの形で発散させようとする。
いじめや家庭内暴力の原因も、結局は、これによって説明できる。
一般論として、はげしい受験勉強を通り抜けた子どもほど心が冷たくなることは、よく知られている。合理的で打算的になる。
ウソだと思うなら、あなたの周囲を見回してみればよい。
あなたの周囲には、心が温かい人もいれば、そうでない人もいる。
しかし学歴とは無縁の世界に生きている人ほど、心が温かいということを、あなたは知っている。
子どもに「勉強しろ」と怒鳴りつけるのはしかたないとしても、それから生ずる抑圧感が一方で、子どもの心をゆがめる。
それを忘れてはならない。
【追記】
受験競争は、たしかに子どもの心を破壊する。
それは事実だが、破壊された子ども、あるいはそのままおとなになった(おとな)が、それに気づくことは、まず、ない。
この問題は、脳のCPU(中央演算装置)にからむ問題だからである。
が、本当の問題は、実は、受験競争にあるのではない。
本当の問題は、「では、なぜ、親たちは、子どもの受験競争に狂奔するか」にある。
なぜか? 理由など、もう改めて言うまでもない。
日本は、明治以後、日本独特の学歴社会をつくりあげた。
学歴のある人は、とことん得をし、そうでない人は、とことん損をした。
こうした不公平を、親たちは、自分たちの日常生活を通して、いやというほど、思い知らされている。だから親たちは、こう言う。
「何だ、かんだと言ってもですねえ……(学歴は、必要です)」と。
つまり子どもの受験競争に狂奔する親とて、その犠牲者にすぎない。
しかし、こんな愚劣な社会は、もう私たちの世代で、終わりにしよう。
意識を変え、制度を変え、そして子どもたちを包む社会を変えよう。
決してむずかしいことではない。おかしいものは、おかしいと思う。
おかしいことは、「おかしい」と言う。
そういう日常的な常識で、ものを考え、行動していけばよい。それで日本は、変る。
少し頭が熱くなったので、この話は、また別の機会に考えてみたい。
しかしこれだけは言える。
あなたが老人になって、いよいよというとき、あなたの息子や娘に虐待されてからでは、
遅いということ。
そのとき、気づいたのでは、遅いということ。
今ここで、心豊かな親子関係とは、どんな関係をいうのか、それを改めて、考えなおしてみよう。
●受験競争の弊害
++++++++++++++++
受験競争の弊害をあげたら、キリがない。
問題は、しかし、受験競争そのものではなく、
それがわかっていても、なお、親たちは
子どもの受験競争に狂奔するか、である。
そのあたりまでメスを入れないと、
この問題がもつ本質的な意味を
理解することはできない。
+++++++++++++++++
精神の完成度は、内面化の充実度で決まる。わかりやすく言えば、いかに、他人の立場で、他人の心情でものを考えられるかということ。
つまり他人への、協調性、共鳴性、同調性、調和性などによって決まる。
言いかえると、「利己」から、「利他」への度合によって決まるということになる。
そういう意味では、依存性の強い人、自分勝手な人、自己中心的な人というのは、それ
だけ精神の完成度が、低いということになる。
さらに言いかえると、このあたりを正確に知ることにより、その人の精神の完成度を知ることができる。
子どもも、同じに考えてよい。
子どもは、成長とともに、肉体的な完成を遂げる。これを「外面化」という。
しかしこれは遺伝子と、発育環境の問題。
それに対して、ここでいう「内面化」というのは、まさに教育の問題ということになる。
が、ここでいくつかの問題にぶつかる。
一つは、内面化を阻害する要因。わかりやすく言えば、精神の完成を、かえってはばんでしまう要因があること。
二つ目に、この内面化に重要な働きをするのが親ということになるが、その親に、内面化の自覚がないこと。
内面化をはばむ要因に、たとえば受験競争がある。
この受験競争は、どこまでも個人的なものであるという点で、「利己的」なものと考えてよい。
子どもにかぎらず、利己的であればあるほど、当然、「利他」から離れる。
そしてその結果として、その子どもの内面化が遅れる。
ばあいによっては、「私」から「私」が離れてしまう、非個性化が始まることがある。
……と決めてかかるのも、危険なことかもしれないが、子どもの受験競争には、そうい
う側面がある。
ないとは、絶対に、言えない。たまに、自己開発、自己鍛錬のために、受験競争をする子どももいるのはいる。
しかしそういう子どもは、例外。
(よく受験塾のパンフなどには、受験競争を美化したり、賛歌したりする言葉が書かれている。
『受験によってみがかれる、君の知性』『栄光への道』『努力こそが、勝利者に、君を導く』など。
それはここでいう例外的な子どもに焦点をあて、受験競争のもつ悪弊を、自己正当化しているだけ。
その証拠に、それだけのきびしさを求める受験塾の経営者や講師が、それだけ人格的に高邁な人たちかというと、それは疑わしい。
疑わしいことは、あなた自身が一番、よく知っている。
こうした受験競争を賛美する美辞麗句に、決して、だまされてはいけない。)
実際、受験競争を経験すると、子どもの心は、大きく変化する。
(1)利己的になる。(「自分さえよければ」というふうに、考える。)
(2)打算的になる。(点数だけで、ものを見るようになる。)
(3)功利的、合理的になる。(ものの考え方が、ドライになる。)
(4)独善的になる。(学んだことが、すべて正しく、それ以外は、無価値と考える。)
(5)追従的、迎合的になる。(よい点を取るには、どうすればよいかだけを考える。)
(6)見栄え、外面を気にする。(中身ではなく、ブランドを求めるようになる。)
(7)人間性の喪失。(弱者、敗者を、劣者として位置づける。)
こうして弊害をあげたら、キリがない。
が、最大の悲劇は、子どもを受験競争にかりたてながら、親に、その自覚がないこと。
親自身が、子どものころ、受験競争をするとことを、絶対的な善であると、徹底的にたたきこまれている。
それ以外の考え方をしたこともなしい、そのため、それ以外の考え方をすることができない。
もっと言えば、親自身が、利己的、打算的、功利的、合理的。さらに独善的、追従的、迎合的。
そういう意味では、日本人の精神的骨格は、きわめて未熟で、未完成であるとみてよい。
いや、ひょっとしたら、昔の日本人のほうが、まだ、完成度が高かったのかもしれない。
今でも、農村地域へ行くと、牧歌的なぬくもりを、人の心の中に感ずることができる。
一方、はげしい受験競争を経験したような、都会に住むエリートと呼ばれる人たちは、どこか心が冷たい。
いつも、他人を利用することだけしか、考えていない? またそうでないと、都会では、生きていかれない?
これも、こう決めてかかるのは、危険なことかもしれない。
しかしこうした印象をもつのは、私だけではない。私のワイフも含め、みな、そう言っている。
子どもを受験競争にかりたてるのは、この日本では、しかたのないこと。
避けてはとおれないこと。
それに今の日本から、受験競争を取りのぞいたら、教育のそのものが、崩壊してしまう。
しかし心のどこかで、こうした弊害を知りながら、かりたてるのと、そうでないとのとでは、大きな違いが出てくる。
一度、私がいう「弊害」を、あなた自身の問題として、あなたの心に問いかけてみてほ
しい。
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
●ある母親からの相談(2010年1月7日)
たまたま今朝、こんな相談が届いていた。
埼玉県K市に住んでいる、MSさんという方からの
相談である。
一部を変えて、そのまま紹介させてもらう。
【MSさんからはやし浩司へ】
はじめまして。
毎日先生のブログを読んでいる者です。
私の子供はもう19才と17才になり、子育てという年齢ではなくなっていますが、それでも、何かと心に思うことがあり、子育てのブログを読ませていただいております。
今回、長女の成人式の問題と次女の大学受験のことで、私の気持ちがいっぱいになってし
まい、自分を見失ってしまいそうなので、ご相談しました。
先ず、長女の成人式ですが、着物は娘の好みに合わせレンタルしました。
今時のレンタルは早めの申し込みで、記念写真の撮影は昨年3月に済ませており、夫と私の親にはすでにアルバムを渡しております。
この写真撮影の時、着物を着て帰りましたので、双方の祖父母宅に寄り、振袖姿を披露しました。
ですが、もうすぐ成人式というのに、長女は成人式には出ないと言い出しました。
その時の私のショックは言葉に出来ません。
長女は大学2年で、学費で精一杯の家計ですが、せっかくの成人式なので好きな着物を選ばせ、トータル20万円もしました。
今、思い起こせば、着物を選ぶ時も、写真撮影の時も、娘はずっと不機嫌でした。
私は娘の様子を見ているだけで吐き気がするほど、気分が悪くなってしまいました。
これも、私がそう育ててしまったのだから・・・
しっかりものの長女のこと、何か出席したくないよっぽどの理由があるはず、もうすでに振袖姿は見たし、祖父母にも披露し、アルバムも撮影済み。
何が問題なのか? 長女の成人式だもの、本人の好きにすればいい・・・ と自分に言い聞かせる毎日ですが、なかなか私の気持ちに折り合いが付きません。
これも、許して忘れる・・・でいいのでしょうか?
加えて、次女の大学受験で彼女のストレスが私に向けられ、毎日眼が回りそうです。
不安で不安で仕方ないようです。
私が高卒で、ずっと学歴にコンプレックスを持ち、子供には大学に行ってもらいたいと、小さい頃から学歴が大事と間違って育ててしまったのがいけないのでしょうね。
夫はいうと、我関せずとばかりに、遠巻きにしております。
こんなことで・・・と笑われてしまいそうですが、中学生の時に、長女、次女とも本当に大変な時期があり、頭の固い私が変わらざるを得ない事態となりました。
それから、子育てに自身がなくなり、これは共依存なのか?、と思うようになりました。
何かにつけ、私のしていることに自信がないのです。
何か良いアドバイスがありましたら、よろしくお願いいたします。
【はやし浩司よりMSさんへ】
まず先の「介護と子どもの意識」を読んでみてください。
今のあなたの考え方も、少しは変ると思います。
簡単に言えば、親の私たちは、子どもに対して(幻想)をもちやすいということ。
その幻想を信じ、その幻想にしがみつく。
「私たち親子だけは、だいじょうぶ」と。
しかし実際には、子どもたちの心は、親の私たちから、とっくの昔に離れてしまっているのですね。
親は子どもの将来を心配し、「何とか学歴だけは・・・」と思うかもしれない。
しかし当の本人たちにとっては、それが(ありがた迷惑)というわけです。
いまどき、親に感謝しながら大学へ通っている子どもなど、まずいないと考えてよいでしょう。
それよりも今、大切なのは、自分たちの老後の資金を切り崩さないこと。
あなたにかなりの余裕があれば、話は別ですが・・・。
お嬢さんたちもその年齢ですから、今度は、あなた自身の年齢を振り返ってみてください。
そこにあるのは、(老後)ですよ。
今は、まだ(下)ばかり見ているから、まだ気がついていないかもしれませんが、あと5~10年もすると、あなたも老人の仲間入りです。
では、どうするか。
つい先日、オーストラリアの友人が、メールでこう書いてきました。
「子どもたちには、やりすぎてはいけない。社会人になったら、お(現金)をぜったいに渡してはいけない」と。
同感です。
私もずいぶんとバカなことをしましたが、それで私の子どもたちが、私に感謝しているかというと、まったくそういう(念)はないです。
息子たちを責めているのではありません。
現在、ほとんどの青年、若者たちは、同じような意識をもっています。
だから私の結論は、こうです。
「よしなさい!」です。
娘の晴れ着など、娘が着たくないと言ったら、「あら、そう」ですまし、そんなバカげた儀式のために20万円も浪費しないこと。
親の見栄、メンツのために、20万円も浪費しないこと。
それよりもそのお金は、自分の老後のためにとっておきなさい。
子どもというのはおかしな存在で、そうしてめんどう(?)をみればみるほど、子どもの心は離れていきます。
それを当然と考えます。
20年ほど前になるでしょうか。
ある父親が事業に失敗し、高校3年生の娘に、「大学への進学をあきらめてくれ」と頼んだときのこと。
その娘は、父親にこう言ったそうです。
「借金でも何でもよいからして、責任を取れ!」と。
そこで私がその娘さんに直接話したところ、娘さんはこう言いました。
「今まで、さんざん勉強しろ、勉強しろと言っておきながら、今度は、あきらめろ、と。
私の親は、勝手すぎる」と。
率直に言えば、これは「共依存」の問題ではありません。
あなたはまだ「子離れ」できていない。
つまりは精神的に未熟。
それが問題です。
あなたは子離れし、自分は自分で、好きなことをしなさい。
自分で自分で、自分の人生を見つけるのです。
つまりあなたはあなたで前向きに生きていく・・・。
その点、あなたを(遠巻きにして)見ている、あなたの夫のほうが、正解かもしれません。
ずいぶんときびしいことを書きましたが、そのためにも、前段で書いた部分を、どうか読んでみてください。
私たち自身の老後をどうするか?
お金の使い方も、そこから考えます。
二女の方の学費にしても、子どものほうから頭をさげて頼みに来るまで、待ったらよいでしょう・・・といっても、今さら、手遅れかもしれませんが。
本人に勉強する気がないなら、放っておきなさい。
今のあなたには、それこそ重大な決意を要することかもしれませんが、そこまで割り切らないと、あなた自身が苦しむだけです。
どうせ大学へ入っても、勉強など、しませんよ。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●介護問題と子どもの意識
介護保険は、すでにパンク状態。
政府は税金をあげることだけを考えている。
しかしそれよりも重要なのは、子どもの・・・というよりは、日本人の意識を変えていくこと。
今のままでは、日本の介護制度は、その根底部分から崩れる。
「心」がない。
心がない介護制度など、またそれによってできる施設など、刑務所のようなもの。
「死の待合室」と表現した人もいる。
そんな施設に入れられて、だれがそれを「快適」と思うだろうか。
どうして日本人の心は、こうまで冷たくなってしまったのか?
脳のCPUの問題だから、冷たくなったことにすら、気づいていない。
みな、自分は、(ふつう)と思い込んでいる。
またそれが(あるべき本来の姿)と思い込んでいる。
このおかしさ。
この悲しさ。
ここに転載させてもらった、MSさんのケースは、けっして他人ごとではない。
私たち自身、あなた自身の問題と考えてよい。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
最後にもう一作。
ある母親の嘆きを、掲載します。
10年ほど前、中日新聞に掲載してもらった
原稿です。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●親が子育てで行きづまるとき
●私の子育ては何だったの?
ある月刊雑誌(Mom)に、こんな投書が載っていた。
『思春期の二人の子どもをかかえ、毎日悪戦苦闘しています。幼児期から生き物を愛し、大切にするということを体験を通して教えようと、犬、モルモット、カメ、ザリガニを飼育してきました。
庭に果樹や野菜、花もたくさん植え、収穫の喜びも伝えてきました。毎日必ず机に向かい、読み書きする姿も見せてきました。
リサイクルして、手作り品や料理もまめにつくって、食卓も部屋も飾ってきました。
なのにどうして子どもたちは自己中心的で、頭や体を使うことをめんどうがり、努力もせず、マイペースなのでしょう。
旅行好きの私が国内外をまめに連れ歩いても、当の子どもたちは地理が苦手。
息子は出不精。
娘は繁華街通いの上、流行を追っかけ、浪費ばかり。
二人とも『自然』になんて、まるで興味なし。
しつけにはきびしい我が家の子育てに反して、マナーは悪くなるばかり。
私の子育ては一体、何だったの?
私はどうしたらいいの?
最近は互いのコミュニケーションもとれない状態。
子どもたちとどう接したらいいの?』(K県・五〇歳の女性)と。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 私の子育ては何だったの 私の子育てはなんだったの 親子の断絶 はやし浩司 親子の絆が切れるとき)
●親のエゴに振り回される子どもたち
多くの親は子育てをしながら、結局は自分のエゴを子どもに押しつけているだけ。
こんな相談があった。
ある母親からのものだが、こう言った。
「うちの子(小三男児)は毎日、通信講座のプリントを三枚学習することにしていますが、二枚までなら何とかやります。
が、三枚目になると、時間ばかりかかって、先へ進もうとしません。
どうしたらいいでしょうか」と。
もう少し深刻な例だと、こんなのがある。
これは不登校児をもつ、ある母親からのものだが、こう言った。「昨日は何とか、二時間だ
け授業を受けました。
が、そのまま保健室へ。何とか給食の時間まで皆と一緒に授業を受けさせたいのですが、どうしたらいいでしょうか」と。
こうしたケースでは、私は「プリントは二枚で終わればいい」「二時間だけ授業を受けて、今日はがんばったねと子どもをほめて、家へ帰ればいい」と答えるようにしている。
仮にこれらの子どもが、プリントを三枚したり、給食まで食べるようになれば、親は、「四枚やらせたい」「午後の授業も受けさせたい」と言うようになる。こういう相談も多い。
「何とか、うちの子をC中学へ。それが無理なら、D中学へ」と。
そしてその子どもがC中学に合格しそうだとわかってくると、今度は、「何とかB中学へ……」と。要するに親のエゴには際限がないということ。
そしてそのつど、子どもはそのエゴに、限りなく振り回される……。
●投書の母親へのアドバイス
冒頭の投書に話をもどす。「私の子育ては、一体何だったの?」という言葉に、この私も一瞬ドキッとした。
しかし考えてみれば、この母親が子どもにしたことは、すべて親のエゴ。
もっとはっきり言えば、ひとりよがりな子育てを押しつけただけ。
そのつど子どもの
意思や希望を確かめた形跡がどこにもない。
親の独善と独断だけが目立つ。
「生き物を愛し、大切にするということを体験を通して教えようと、犬、モルモット、カメ、ザリガニを飼育してきました」「旅行好きの私が国内外をまめに連れ歩いても、当の子どもたちは地理が苦手。息子は出不精」と。
この母親のしたことは、何とかプリントを三枚させようとしたあの母親と、どこも違いはしない。
あるいはどこが違うというのか。
●親の役目
親には三つの役目がある。(1)よきガイドとしての親、
(2)よき保護者としての親、
そして(3)よき友としての親の三つの役目である。
この母親はすばらしいガイドであり、保護者だったかもしれないが、(3)の「よき友」としての視点がどこにもない。
とくに気になるのは、「しつけにはきびしい我が家の子育て」というところ。
この母親が見せた「我が家」と、子どもたちが感じたであろう「我が家」の間には、大きなギャップを感ずる。
はたしてその「我が家」は、子どもたちにとって、居心地のよい「我が家」であったのかどうか。
あるいは子どもたちはそういう「我が家」を望んでいたのかどうか。
結局はこの一点に、問題のすべてが集約される。
が、もう一つ問題が残る。それはこの段階になっても、その母親自身が、まだ自分のエゴに気づいていないということ。
いまだに「私は正しいことをした」という幻想にしがみついている! 「私の子育ては、一体何だったの?」という言葉が、それを表している。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hay
ashi 林浩司 BW はやし浩司 介護問題 子どもの意識 子離れ 子離れできな
い親 私の子育ては何だったの 私の人生は何だったの 私の子育ては、何だったの 親
の悔悟 介護問題 はやし浩司 親のめんどう 親の介護 親の介護問題 内閣府調査 はやし浩司 受験という虐待)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●終わりに(2012年1月20日記)
ジジ・ババ・ゴミ論と、家族意識の変化。
さらには子どもを取り巻く環境と、家族意識の変化。
こうした問題が混然一体となり、この先、ジジ・ババを取り巻く環境は、さらに過酷なものとなる。
それには例外はない。
「社会の大勢」というのは、そういうもの。
いかにあなたが部分的に努力したとしても、子どもたちはやがてその「大勢」に呑み込まれていく。
むしろ、「うちはだいじょうぶ」「うちの子にかぎって」と、高をくくっている親、家族ほど、あぶない。
そういう親ほど、子どもの心の変化に気づいていない。
●では、どうするか
最近の私の結論。
「そういう時流と思い、あきらめ、納得し、受け入れる」。
独居老人、しかたない。
孤独死、無縁死、これまたしかたない。
それ以上に、息子や娘たちには、期待しない。
期待しなければ、失望もない。
だったら、「限度をわきまえる」※。
繰り返しになるが、子どもたちに向かって、「勉強しなさい」と言ってはいけない。
言えば言うほど、責任を取らされる。
その言葉自体が、虐待でもある。
今、親に感謝しながら高校へ通っている子どもは、いない。
ゼロ!
大学生でも、いない。
社会人になってからも、親に車を買わせている子ども(若夫婦)となると、いくらでもいる。
さらには結婚式の費用から、子ども(孫)のおけいこ代まで払わせている子ども(若夫婦)までいる。
が、当の子ども(夫婦)は、感謝などしていない。
「生活が苦しい」と言うことはあっても、感謝などしていない。
だから限度をわきまえる。
(してやること)と(してはいけないこと)の間に、明確な一線を引く。
その一線を引くことに失敗すると、親子関係はバラバラになる。
それが全体として大勢を作り、ここに書いた「ジジ・ババ・ゴミ論」が生まれる。
そう、私たちは、ゴミ。
今は、そういう前提で、自分たちの(現在)、そして(未来)を考えたらよい。
その上で、私たちはどうあるべきか。
若い世代とどうつきあっていくか。
それを考える。
(注※)限度論……バートランド・ラッセル(イギリスのノーベル文学賞受賞者)。
家族崩壊を、とうの昔に経験したイギリスの哲学者である。
いわく、『子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要な訓練は施すけれども、けっして程度を越えないことを知っている両親たちのみが家族の真の喜びを与えられる』と。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 ジジ・ババ受難時代 ゴミ論 はやし浩司 孤独死 独居老人 無縁老人 日本の子育て 育児論 はやし浩司 子育て限度論)
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●春休みも、もうすぐ終わり(はやし浩司 2012-04ー05夜記)
午後になって、畑の畝を2つ、ふやした。
トウモロコシと、インゲンの種を蒔(ま)いた。
ついでにネギが伸び始めたので、化成肥料を撒(ま)いた。
それが終わり、一息ついたころ、ワイフが、「映画を見たい」と言った。
インターネットで調べると、『ドライブ』が、ちょうどよい時刻に始まるのがわかった。
話題作ではないが、おもしろそう。
そそくさと用意し、そのまま車に飛び乗る。
映画館には、10分前に、着いた。
間にあった。
チケットを買い、中に入る。
観客は、15人ほど。
うしろから2列目に座った。
が、これがまずかった。
最後列の男たちは、靴を脱ぎ、足を前の席……つまり私たちの席に足をかけた。
これが、臭いの何のといったら……。
映画が始まるとすぐ、私たちは2列ほど、前の席に移動。
ほっとした。
ポップコーンをほうばった。
しかしそれにしても、臭い足だった!
靴を脱いで足を前の席にかけるという行為そのものが、マナー違反。
臭いとあれば、なおさら。
●3D映画
前回、『スターウォーズ』をみてから、もう10日以上になる。
3D版だった。
途中で目が痛くなった。
はじめての経験だった。
それもあって、以後、映画館へ行くのを控えていた。
私の年齢以上の人は、ああした動きが速い3D版は、見ないほうがよい。
目に悪い。
……ということで、これからは3D版は見ない。
心に決めた。
2D版を選んで見る
動きの速くない映画を見る。
●映画『ドライブ』
映画『ドライブ』は、殺伐とした映画だった。
ロバート・デニーロの『タクシー・ドライバー』を彷彿(ほうふつ)させるような映画だった。
意味のない、殺しあいの映画。
ま、あえて言うなら、扁桃核(へんとうかく)に傷ついた人たちの映画。
幼児期から少年期にかけ、扁桃核に傷がつくと、人間的な温かい心を失うという※。
「すべての精神疾患は、脳内の扁桃核に生ずる傷によって起きる」と説く学者もいる。
最近の脳科学は、そんなことまで説明するようになった。
さらにそれが進むと、いわゆる「サイコパス」※。
「サイコパシー」と言うのが正しい。
日本では、「サイコパス」という。
もしこの世に地獄があるとするなら、ああした世界を「地獄」というのだろう。
最後に若い男が、1人の女性のために命を落とすことになる。
一応、「愛」がテーマになっている?
が、愛といっても、地獄に咲いた花のようなもの。
どうしてアメリカ人は、ああまで肉欲的な「愛」を美化したがるのだろう。
「恋愛」というときの「愛」と、キリスト教で教える「愛」とは、まったく異質のもの。
同じ「LOVE(愛)」という言葉を使うから、話がおかしくなる。
映画の評価は、星1つか2つの、★。
たぶん、1~2週間後には、内容すら忘れてしまうだろう。
印象の薄い映画だった。
(注※……扁桃核、以前書いた原稿より)
『東北大学名誉教授の松沢大樹(80)氏によれば、「すべての精神疾患は、脳内の扁桃核に生ずる傷によって起きる」と結論づけている。
松沢氏によれば、「深刻ないじめによっても、子どもたちの扁桃核に傷は生じている」というのである。
傷といっても、本物の傷。最近は、脳の奥深くを、MRI(磁気共鳴断層撮影)や、PET(ポジトロン断層撮影)などで、映像化して調べることができる。
実際、その(傷)が、こうした機器を使って、撮影されている。
中日新聞の記事をそのまま紹介する(07年3月18日)。
『扁桃核に傷がつくと、愛が憎しみに変わる。
さらに記憶認識系、意志行動系など、およそ心身のあらゆることに影響を与える。
……松沢氏は、念を押すように繰りかえした。
『いじめは、脳を壊す。だからいじめは犯罪行為、れっきとした傷害罪なんです』と。
今、(心)そのものが、大脳生理学の分野で解明されようよしている』と。
(注※……サイコパス、以前書いた原稿より)
『「●サイコパス……私たちはどんな悪人も、少しくらいは良心を持っているだろうと信じていると思います。
しかし、世の中にはそんな考え方が全く通用しない「サイコパス」と呼ばれる人間が存在しているのです」(ここまで「サイコパスとは何か」サイトより転載)と。
この一文が、サイコパスのすべてを語っている。
診断基準として、同サイトは、つぎの7つをあげている。
(1)口達者で、一見、魅力的。
(2)同情を引こうとする。
(3)無責任で問題行動が目立つ。
(4)責められると逆ギレする。
(5)非常によくウソをつく。
(6)感情が浅く、思いやりがない。
(7)衝動的に行動する。
「ウソがうまく、泣いても空涙」。
「言葉はよく知っていても、心に響かない」などが、大きな特徴としてあげられている(同サイト)。
詳しくは、http://www.psy-nd.info/で。
またウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。
++++++++++以下、ウィキペディア百科事典より++++++++++++
三省堂の大辞林によると「性格が逸脱し、そのために社会を困らせたり自らが悩むもの。
性格異常」とある。
連続強姦殺人犯、シリアルキラー(連続殺人者)や、重度のストーカー、常習的詐欺師・放火魔、カルトの指導者の多くがサイコパスに属すると考えられている。
さらに、窃盗/万引き、ドメスティックバイオレンス、幼児虐待、非行少年グループ、資格を剥奪された弁護士・検察官や医師、テロリスト、組織犯罪の構成員、金のためならなんでもやる人間、悪徳実業家なども当てはまることがある。
サイコパスは社会の捕食者(プレデター)であり、生涯を通じて他人を魅了し、操り、情け容赦なく我が道だけをいき、心を引き裂かれた人や期待を打ち砕かれた人、財産を奪われ尽くした人を後に残して行く。
良心や他人に対する思いやりに全く欠けており、罪悪感も後悔の念もなく社会の規範を犯し、人の期待を裏切り、自分勝手に欲しいものを取り、好きなように振る舞う。
その多くは刑務所内にいるが、社会に出ている者もまた多い。
その大部分は殺人を犯すことなく自分たちの業を押しつけてくる。
北米には少なくとも200万人、ニューヨークだけでも10万人のサイコパスがいると、犯罪心理学者ロバート・D・ヘア(en:Robert D. Hareは統計的に見積っている。
++++++++++以上、ウィキペディア百科事典より++++++++++++
ついでに「はてなキーワード」の説明文も、掲載する。
『精神病質者の意。
現在サイコパスという言葉は無く、反社会性人格障害(APD)と変更されている。
サイコパスの特徴は極端に自己中心的で、慢性的な嘘つきで後悔や罪悪感が無く、冷淡で共感が無い。
加えて自分の行動に責任が取れない。
多くは脳の前頭葉に問題がある可能性が高く、ホルモン異常と考えられる。
それに加えて幼少時の虐待・生育環境の劣悪が重なり、サイコパスとなる可能性が高い。
8~9割のサイコパスは言語能力を司る認知機能に障害があり、通常左脳で行われる言語処理が右脳で行われている。
一般的にサイコパスとサイコは同じ意味で捉えられている』(以上「はてな・キーワード」より)』と。
●Mr.PC(05月号)
少し前、「Mr.PC」(パソコン雑誌)5月号を買った。
毎号、付録のソフトが、楽しみ。
で、今回はその中の、3Dロゴに挑戦してみた。
意外と簡単にできた。
さっそく、2、3個作ってみた。
あとで、あちこちのページを、その3Dロゴで飾ってみたい。
……といっても、最近、脳みその働きが鈍くなってきたように感ずる。
ミスも多くなった。
つまりパソコンで何かの作業をしていても、ミスが多くなった。
それに新しいソフトが使いこなせるようになるまでに、時間がかかるようになった。
プラス、やっと使いこなせるようになっても、1、2週間もすると、使い方を忘れてしまう。
さらに、最近、こんなことを発見した。
たとえば、30分間、ウォーキングマシンの上で運動をしてからキーボードを叩くのと、何も運動をしないままキーボードを叩くのとでは、感じがまるでちがう。
運動をしてからだと、指先が軽快に動く。
運動をしてないと、ミスタイピングが多くなる。
が、それだけではない。
運動をしてからだと、言葉がスラスラと出てくる。
運動をしてないと、「エ~ト、何だったかな?」というように、迷うことが多い。
若いころは、こんなことは、気にもしなかった。
……だからというわけではないが、今日は、午前中に30分、午後に30分、ウォーキングマシンの上で、汗をかいた。
加えて乗馬マシンの上で15分に運動+畑仕事。
肉体の健康も大切だが、精神の健康も大切。
さらに脳みその健康も大切。
肉体+精神+脳みその健康。
この3つがそろって初めて、「健康」ということになる。
そのカギを握るのが、運動ということになる。
●北朝鮮の人工衛星、光明星1号
まずは、写真を見てほしい。
左から、スプートニック1号(旧ソ連時代のもの)、北朝鮮の光明星1号、それに私のもっているラジオのアンテナ。
その取りつけ部を、拡大し、並べてみた。
で、この写真を見てもわかるように、光明星1号のそれは、衛星のアンテナというよりは、ラジカセのアンテナ。
宇宙で開くような構造にはなっていない。
(スプートニック1号のほうは、複雑なバネ仕掛け(?)になっているのがわかる。)
人工衛星自体もお粗末だが、こういう人工衛星でもって、宇宙開発というところが、おかしい。
恐らく今回予定されている人工衛星も、似たようなものなのだろう。
「カメラは積んでいるかもしれないが……」(韓国紙)、重量が100キロというのは、常識で考えてもおかしい。
最低でも、500キロほどの重さが必要という。
ともあれ、何からなにまで、「?」マークがつくのが、北朝鮮。
が、笑ってはいけない。
あなどってはいけない。
北朝鮮は、すでに5~6個の核兵器をもっているという。
その気にさえなれば、日本の主要都市を全滅させることもできる。
で、私が危惧するシナリオ……。
(1)北朝鮮が、ミサイルを発射する。
(2)軌道をはずれ、失敗する。
(3)日本が、迎撃ミサイルを発射する。
(4)それを口実に、北朝鮮が、日本にミサイルを撃ち込む。
ふつうの常識のある国なら、そんなことはしない。
が、北朝鮮には、そのふつうの常識が通じない。
通じないことは、「光明星1号」の写真を見ても、わかるはず。
こんなおもちゃのような(「週刊現代誌」)人工衛星でもって、「宇宙開発」という。
なお先ほどの朝鮮N報の記事によれば、北朝鮮の潜水艦が、どうやら何かの作戦行動を始めたらしい。
ミサイルも警戒しなければならないが、北朝鮮の動きも、全体として注視する必要がある。
もしどこかの原子力発電所に、ミサイルでなくても、迫撃砲が1発撃ち込まれただけでも、今度こそ日本も、万事休す。
日本は、本当に、終わってしまう。
原子力発電所周辺の、防衛態勢は、万全なのか?
あとになって、「想定外の攻撃でした」などと、言うな!
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 サイコパス 扁桃体 はやし浩司 扁桃核の傷 精神疾患 扁桃核の傷)2012/04/05夜記
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