2012年5月10日木曜日
Akiko & I stayed at Sun Hills Mikawa-wan Hotel
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彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
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子育て最前線の育児論byはやし浩司 2012年 6月 1日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【サンヒルズ三河湾にて1泊(2月1日)】
●2月1日(2012年)、愛知県三谷町のサンヒルズ三河湾に一泊しました。
最高のホテルでした。
招待してくださった、KUさん、ほかのみなさん、ありがとうございました。
生涯で、最高のホテルでした。
http://youtu.be/ogBqrcLcVt8
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 サンヒルズ三河湾 ホテル 蒲郡 三谷町 サンヒルズ はやし浩司 2012-02-01)
iroshi Hayashi+++++++Feb. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【サンヒルズ三河湾に一泊】(はやし浩司 2012-02-01)
http://youtu.be/ogBqrcLcVt8
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今日は、サンヒルズ三河湾に一泊。
今まで、数々の旅館やホテルに泊まってきた。
どこかに講演に招かれるたびに、その土地の旅館やホテルに泊まってきた。
私たちの趣味にもなっている。
が、その中でも、最高。
最高級ホテル(旅館)。
特別室。
202号室。
室内に露天風呂があり、三河湾を眼下に、右手には三谷町が一望できる。
沖縄では、ロワジールホテルに泊まった。
そのホテルが、今までに泊まった中では、最高と思っていた。
が、そのホテルを超えた。
(ロワジールホテルは、超近代的なホテル。
ここ、サンヒルズ三河湾は、設備などは、ロワジールホテルよりは、やや古いという感じ。)
ワイフは、何度も、「すごいわね」と、ため息を漏らした。
本当にすごい。
ロビーにしても、全面、大理石で、ピカピカに磨かれていた。
私の言葉を疑う人は、一度、宿泊してみたらよい。
場所は、三谷温泉・サンヒルズ三河湾。
とにかく、本気度、120%。
「ここまでやるか!」と思わせるようなホテル。
トイレのトイレットペーパーを覆う金属板まで、ピカピカに磨かれていた。
今度、オーストラリアの友人の娘さんが、結婚する。
ハネムーンに、日本へ来るという。
宿泊先として、私は、このホテルを推薦する。
とにかく、すばらしい!
お世辞抜きに、すばらしい!
+++++++++++++++++++++++
●本気度
部屋は入る前から、暖房されていた。
風呂(露天風呂)も、適温に調整されていた。
一事が万事。
先ほど、地下一階の大浴場をのぞいてみた。
場違いなほど、大きく、すばらしかった。
満足を通り越して、大感激。
こうした接客業は、本気度で決まる。
その本気度を肌で感じたとき、客は満足する。
●雪景色
先ほどからワイフが、窓ガラスの前に立ち、眼下の三河湾を見下ろしている。
外はすっかり冬景色。
近くの大木が、風で大きく揺れている。
それを見ながら、「あら、雪が降ってきたわ」と。
声につられ、私も、外を見た。
細かい雪が、風にのって、フワフワと横に流れていた。
●三谷町
三谷町に入る手前で、ワイフとこんな会話をした。
「いろいろあったね」と、私。
「そうね」と、ワイフ。
私「ぼくはね、とにかくピンコロで逝(い)きたい」
ワ「私も、病気になってから、長生きしたくないわ」
私「そうだな。ぼくは限界の、そのまた限界まで働き、その翌朝、コロリと死にたい。仕事中でもいい」
ワ「私も、そうだわ」と。
そんな会話をしていると、ふと、目頭が熱くなった。
●模擬死体験
「臨死体験」という言葉がある。
その臨死体験とは、ちがう。
「死」そのものを、模擬的に体験する。
「ああ、このまま死ぬのか」と。
私もここ数年で、2回、それを経験した。
そのときのこと。
どのばあいも、私は、いつも穏やかで、安らいだ気分になった。
あれほど死を恐れていたはずなのに、その場になると、そうでない。
恐怖心はまったく、ない。
静かだった。
本当に静かだった。
一度は、こう思った。
「やっと死ねる」と。
だから今はもう、死ぬことは怖くない。
今すぐ……とは考えていないが、そのときになったら、素直にそれを受け入れる。
その自信は、できた。
私は、ラッキーだった。
この年齢になるまで、無事、仕事ができた。
大きな病気も経験しなかった。
病院のベッドで寝たことは、一度もない。
お金に困ったこともない。
それだけでも、感謝。
感謝、感謝、感謝。
たいしたことはできなかったが、今は、毎日が楽しい。
朝起きたときから、やりたいことが、どっと襲ってくる。
それができる。
思う存分、できる。
それを「幸福」と言わず、何と言う。
これ以上のぜいたくが、あるだろうか。
●バカ話
こういうことを書いていると、誤解する人もいるかもしれない。
基本的には、ワイフは、人前では別人のように静か。
しかし私とは、その別人とは別人のように、よくしゃべる。
うるさいほど、よくしゃべる。
内容は、いつも、バカ話。
いつも深刻な話をしているわけではない。
卑猥(ひわい)な話も多い。
話は前後するが、車の中で、こんな会話もした。
ワ「男は、『沈没』※というでしょ。じゃあ、女性は、何と言えばいいの?」
私「『閉幕』というのは、どうか?」
ワ「そんなもの、とっくの昔にないわよ」
私「……そうだなあ……。『落盤』というのは、どうかな?
トンネルが、落石か何かで、詰まったとか……」
ワ「詰まることはないわよ」
私「そうだなあ……。じゃあ、やっぱり枯れススキ。枯れススキがいい」
ワ「……枯れススキ……ねえ……」と。
ワイフの会話の特徴は、突然、いつも横ヤリが入ること。
真剣に(?)その話をしていると、突然、話題を変える。
「あら、あんなところに、ポリタンクがある!」と。
昔、2人で、山荘を造成しているとき、そのポリタンクを探した。
が、探しているときというのは、どこにあるかわからない。
手に入れるのに、苦労した。
あちこちを探しまくった。
ワイフはそれを思い出したらしい。
私「探しているときは、なかなか見つからないのにね」
ワ「あんなところで売っているなんて……」と。
豊橋へ入る国道1号線沿いの店で、そのポリタンクが、山のようにして売られていた。
(注※……男として、役に立たなくなることを、「チン没」という。
●三河湾
鉛色の三河湾。
両側から半島が、左寄りに突き出ている。
薄い紺色。
それが幾重にも重なり、無数の横筋を作っている。
美しい。
気が遠くなるほど、美しい。
詩人なら、もう少しまともな表現ができるだろう。
が、私はただ一言。
美しい!
●眼下の建物
ワイフが眼下の建物を見ながら、こう言った。
「魚市場かなア?」と。
私は、ボートレース場ではないかと思っている。
駐車場のような幅の広い建物が見える。
その向こうは、観客席のようにも見える。
この蒲郡(がまごおり)市には、ボートレース場がある※。
何だろう?
その右手には、先にも書いた三谷町の街並みが見える。
ひとつ、ひとつ、またひとつ。
小さな明かりが灯り始めた。
ホテルの案内には、こうあった。
「露天風呂からは、三谷町の夜景が一望できます」(記憶)と。
夜を待たなくても、その夜景が目に浮かぶ。
(注※……眼下の明かりは、スーパーとパチンコ店、その向こうは、漁港だそうだ。
フロントの女性が、そう教えてくれた。)
●支えあう
人はそれぞれ、たがいに支えあって生きている。
それを強く感じたのは、中日ショッパーという、宣伝紙で、だった。
今から、5、6年前のこと。
一度、広告を出したのがきっかけだった。
以後、ときどき無料で、私の教室を紹介してくれるようになった。
お金の計算にはうるさい私だが、こと原稿に関しては、無私無欲。
損得を考えず、自分の原稿をすべて無料で、公開している。
それを編集部のT氏が応援してくれた。
うれしかった。
個人の幼児教室は、すべて姿を消した。
(もう1か所、北部のK区にあると、聞いている。
個性的なよい教育をしているという評判を聞いたことがある。
先生も、やる気度120%とか。)
25年前には、10教室程度あった学習塾も、すべて閉鎖に追い込まれた。
そんな中で、おかげで……というか、中で、私の教室だけが、今も生き残っている。
ワイフは、「ふんばったおかげよ」と言うが、それだけにきびしい仕事だった。
中に、無神経な人がいて、こう言う。
「はやしさん(=私)は、自由でいいですね」と。
そういうとき、私はいつもフンと鼻で笑って、こう思う。
「そう思うなら、自分でやってみれば」と。
が、この4月からのことはわからない。
わからないが、少しずつ、動き出した。
基本的には、口コミ。
OBや現役の親たちが、案内書を配ってくれる。
生徒を呼んできてくれる。
事実、今、来ている生徒の、6~7割が、OBの子どもたち。
9割以上の生徒は、口コミで入ってくる。
●2度目の入浴
たった今、2度目の入浴をすまし、部屋に戻った。
大浴場。
そこも貸し切り状態だった。
入ったとき、男性が1人いたが、すぐ出て行った。
部屋に戻ると、そこはすっかり夜景色。
無数のライトが、キラキラと宝石のように輝いていた。
●不吉な想像
このところ悪い癖ができてしまった。
こうした海岸沿いの町を見るたびに、こう思う。
「だいじょうぶだろうか?」と。
3・11大震災のときは、沿岸の町々が、大きな被害を受けた。
が、今度は、東南海大地震が予想される。
3・11大震災並みの津波が、襲ってくる可能性もあるという。
もしそうなら、この三谷町の町も、ひとたまりもないはず。
と、同時に、こうも考える。
こんな町々が、東北地方にもあったのだなあ、と。
そういう町々が、津波に飲み込まれ、あとかたもなく、消えてしまった。
この非現実感。
どう心の中で、処理したらよいのか。
●自転車屋
どこの町も、市内の商店街は、商売不振に苦しんでいる。
郊外に大型店ができた。
客を奪われた。
そのため古い町ほど、多くの商店街が、店を閉めてしまった。
地域によっては、「シャッター街」と呼ばれている。
実は、私の実家もそうだった。
小さな自転車屋だったから、ひとたまりも、なかった。
が、その苦しみや悲しみは、そういった商店街に住んだことのある者でないと、わからない。
10年単位、20年単位で、それがつづく。
そこにあるのは、淡い期待だけ。
「明日は、今日よりよくなるだろう」
「来年は、今年よりよくなるだろう」と。
その期待に希望をつないで、その日を何とか生きていく。
家計など、あってないようなもの。
が、客には、背一杯、明るい笑顔をしてみせる。
で、近所の商店は、つぎつぎと店をたたんだ。
私の実家にしても、1日に、1~2人、客があるかないかという状態になった。
晩年の実兄は、それを不安に思ったらしい。
数日ごとに電話をかけてきて、こう言った。
「お客さんが、ござらん(来ない)……」と。
その言い方、声が、今でも、私の耳に焼きついている。
だから……。
つまりその民宿に泊まったとき、私はそのままそこに実兄と母を思い浮かべた。
実兄も、母も、同じような状況で、もがいた。
●実兄
実兄は、私より9歳、年上だった。
が、私が30歳のころには、上下が逆転していた。
実兄が、私の弟のような存在になった。
一方、実兄は、何かにつけ、私に甘えてきた。
「冷蔵庫が、故障して困っている(だから、新しいのを買ってほしい)」
「ステレオが壊れた(だから、新しいのを買ってほしい)」と。
私は、そのつど、実兄に、いろいろなものを買い与えた。
実兄は、子どものころから、体が弱かった。
ちょうど戦時中に生まれた。
そのころの人は、みな、栄養失調だったという。
実兄も、その1人だった。
●口癖
今日、食事のとき、ワイフとその話になった。
「もっとJちゃん(兄)に、いろいろしてやればよかった」と。
兄が入院したときは、私は100万円を、届けた。
すべて1000円札にして、届けた。
「お金を見れば、元気になるだろう」と。
ほかにも、いろいろある。
しかし私は、そうしたくて、したわけではない。
いつも追い込まれて、そうした。
それが私には、苦痛だった。
が、兄は兄。
いつも母は、口癖のように、私にこう言った。
「お前が大学へ行けたのは、Jちゃんのおかげだ」と。
私はその言葉が、嫌いだった。
恩着せがましかった。
その言い方が、嫌いだった。
そのたびに、母と大喧嘩になったのを、覚えている。
●「何とかしてほしい」
が、今、……つまり実兄が他界して4年になるが、その実兄が懐かしくてならない。
会いたい。
会って、思いっきり、抱きしめてやりたい。
手元にある小遣いを、すべて渡してやりたい。
実兄は、死ぬ1、2年前まで、私に会うと、顔を見ただけで涙をポロポロとこぼした。
つらそうな涙だった。
「何とか、してほしい」と。
●兄のちょっかい
歯がゆかった。
が、私は、卑怯にも、実兄から逃げた。
理由がなかったわけではない。
実兄は、私のワイフに、何かとちょっかいを出してきた。
私の目を盗んで、ワイフに抱きついたこともある。
私は実兄を強く叱った。
が、晩年の実兄は、そういう道理すら理解できるような状態ではなかった。
私はともかくも、ワイフのことを考えると、いっしょに住むわけにはいかなかった。
が、方法がなかったわけではない。
別棟の家は、すでに当時、あった。
そこへ住まわせることも、不可能ではなかった。
が、私はワイフへのちょっかいを、誇大に問題にし、それから逃げた。
今、それが私の心を重く、塞ぐ。
●慰め
ワイフは、こう言って、私を慰めてくれた。
「あなたはじゅうぶん、したわよ」と。
じゅうぶん?
私にはその実感は、ない。
結婚前から、収入の半分は、実家へ送った。
が、送ったのは、お金だけ。
心は、送らなかった。
「お金さえ送っておけば、実兄や母や、それで喜ぶはず」と。
こんなたとえは、よくないかもしれない。
しかしこんなたとえのほうが、当時の私の気持ちを正確に表している。
当時の私は、冷酷な飼い主のようなもの。
餌だけを与え、それで満足していた。
まるで、厄介な犬や猫に、餌を与えるように……。
●実家を売る
母のちょうど一周忌に、実家を売った。
捨て値のような値段で、売った。
私は、早く、実家から解放されたかった。
それでそうした。
が、その当日の夜だったか、翌日の朝だったか?
私は実兄の夢を見た。
私と実兄は、実家の前の坂を、下からあがってくるところだった。
実兄は、私の腕に手を回していた。
そして実家の前まで来た。
そのときのこと。
私が「やっとこの家から解放されたね※」と言うと、実兄は子どものように顔をすくめた。
すくめて笑った。
(注※……この部分は、言葉ではなかったように記憶している。
私がそう思っただけかもしれない。
なお母は最期の2年間を私の家で過ごした。
実兄は、3か月いたあと、郷里のグループホームに1年近く入居し、そのあと数か月後に、T市の病院で息を引き取った。
「恵まれなかった兄」ということで、葬儀だけは、人一倍、派手な葬儀をした。)
●午後10時30分
一度、ベッドに入ったが、寝損ねてしまった。
エアコンの風が、気になった。
で、起きた。
時刻は、午後10時33分。
少し前まで、今日書いた原稿を読みなおしていた。
読みなおしながら、「ここまで書いていいのかなあ」と思った。
私小説もよいところ。
が、同時に、こうも思う。
「はやし浩司」、ここにあり、と。
やがて私も、灰となり、宙に舞う。
そのとき残るのは、こうして書いている文章だけ。
読者を意識することは、もうない。
ワイフですら、このところ、私の原稿を読まなくなった。
「飽きたのか?」と聞くと、「いつもまとめて読んでいるから」と。
ネットの世界は、そういう点では、不思議な世界だ。
相手の顔が、まったく見えない。
こうして書いていても、あたかも無の世界に向かって書いているような錯覚にとらわれる。
「書いている」というよりは、「叫んでいる」。
が、その声は、そのままどこかへ消えてしまう。
だから、こうした文章を読み、こう思う人もいるかもしれない。
「はやし(=私)って、バカだなあ」、
「ここまで私生活を暴露することはないのに」と。
が、そう思いたければ思えばよい。
私自身も、すでに「私」を超えている。
1人の人間として、書いている。
「これも1人の人間」と。
●同窓会
今夜は、名古屋で同窓会があった。
が、ドタキャンさせてもらった。
そしてこのホテルへ、やってきた。
講演会で知りあった、KUさんが、招待状をくれた。
「いつでもいいですから、使ってください」と。
で、急きょ、それを使わせてもらうことにした。
幸い、すぐ部屋が取れた。
私はもともと、混雑したところが苦手。
回避性障害?
対人恐怖症?
……というより、私は若いころから、集団行動よりは、単独行動を好んだ。
人に、あれこれ指図されるのが、嫌いだった。
が、それ以上に、今、名古屋は、インフルエンザの猛威にさらされている。
今週から、重要な講演がつづく。
健康には注意しなければならない。
●ワイフ
静かな夜だ。
ワイフは、先ほどすでに寝息をたてていた。
すっかりバーさん顔になった。
そういう顔を見ると、申し訳なく思う。
私がワイフを、バーさんにしてしまった。
罪の意識を覚えることもある。
がんこ。
超がんこ。
一度、自分の意見を述べたら、とことんそれにしがみつく。
若いときから、そうだった。
あだ名は、「石部金子」。
石部金吉をもじった。
私が、名づけた。
まじめ。
クソまじめ。
融通がきかない。
冗談が通じない。
だからよく喧嘩した。
衝突した。
が、今は、そんなワイフも、いとおしい。
●惜しい
明日は午後イチバンから仕事。
「早く寝なければ……」と思う。
同時に、今の、この時間が、惜しい。
いつまでも、こうしてパソコンのキーボードを叩いていたい。
今夜あたり、何か新しいことを発見できるかもしれない。
宝探しのような感じ。
「徳川の埋蔵金探し」?
そこに何かあるかもしれないという期待感が、私をぐんぐんと引っ張っていく。
だから、自分にこう言って聞かせる。
「人間、1日や2日、寝なくても、どうということはないのです」と。
ホテルのフロントの横で買った、せんべいをパクパクと食べる。
このあたりは、せんべいの産地。
「産地」というのもおかしいが、名物になっている。
ここへ来るとき、パーキングエリアで、休息した。
このあたりでは、どのパーキングエリアでも、そのせんべいを売っている。
ああ、この満足感。
充実感。
これがあるから、書くのをやめられない。
●死骸
今、海老せんべいを食べたところ。
ひからびた海老が、化石のように張りついていた。
人間も、残酷な生き物。
生き物の死骸を、平気で食べている。
骨と皮だけになった死骸を、平気で食べている。
●就寝
あくびが連続して、出てきた。
就寝タイム。
……しかしどうして私は、こうまで貧乏性なのか。
精神医学的には、強迫観念症という(?)。
いつも何かに追い立てられている。
何かをしていないと、気がすまない。
が、それが苦痛というのではない。
むしろ何もしないでいると、頭の中が爆発しそうになる。
だから吐き出す。
パソコンに向かって、文章を叩きだす。
今も、そうだ。
頭の中がモヤモヤしている。
●宇宙船
やはり眠ることにする。
で、私の就眠儀式。
床に入ると、いつも巨大な宇宙船を、想像する。
直径が20~30キロは、ある。
円形の宇宙船。
毎晩、少しずつ、その宇宙船の各部を設計する。
それを考えていると、いつの間にか眠ってしまう。
今夜は、研究室を設計してみよう。
世界からやってきた科学者たちが、さまざまな研究をする。
そんな研究室。
つまり頭の中で、眠る前に、場所を決め、それを設計する。
それが私の就眠儀式。
この1~2年、眠るときは、いつもそうしている。
「羊が1匹、羊が2匹……」と数える人もいるそうだ。
が、私には効果がない。
かえって頭が冴(さ)えてしまう。
では、おやすみなさい。
はやし浩司 2012-02-01夜記
ほんとうにここは、すばらしいホテルです。
招待してくれた、KUさん、ありがとうございます。
●2月2日(はやし浩司 2012-02-02)
朝、起きる。
外を見ると、一面、うっすらと雪景色。
三谷町の家々の屋根が、白いペンキを塗ったようになっている。
すぐ下の森も、ところどころ白髪のように白くなっている。
昨夜、テレビのニュースでは、大雪の報道を繰り返していた。
多いところでは、5メートルを超える積雪になったとか。
橋が落ちたところもあるという。
今度の大雪は、ふつうではない。
が、その一方で、アメリカでは、暖冬とか。
アメリカに住む息子が、こう書いてきた。
「こちらは、4月上旬の気候です」と。
窓を少し開け、外の様子をビデオに収める。
●帰り支度
これから帰り支度。
では、今回の旅日記は、ここまで。
サンヒルズ三河湾、本当にすばらしいホテルでした。
三河湾国定公園内
三谷町温泉
サンヒルズ三河湾
Sunhills Mikawawan
http://www.sunhills-m.com
Tel: 0533-68-4696
E-mail: miya@sunhills-m.com
(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 サンヒルズ三河湾 はやし浩司 シャッター街 シャッター通り 実兄 はやし浩司 シャッター通りの悲しみ サンヒルズにて はやし浩司 2012-02-01)
Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
映画『ドラゴン・タツーの女』(はやし浩司 2012-02-11)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
今日は、怠惰な1日だった。
起きたのが、午前9時。
そのあとすぐ30分の運動。
あとはルーティーン(日課)。
一息ついたのが、午後1時ごろ。
そのあと居間で居眠り。
3時ごろになって、ワイフが映画に行こうと誘った。
昨日公開された、『ドラゴン・タツーの女』。
それを聞いて、「『チンチン・タツーの男』のほうがいい」と、私。
……ということで、映画館へ。
今、時刻は午後11時10分。
山荘へやってきた。
途中、幸楽苑で、ラーメンを食べた。
いつも1人前を、2人で分けて食べている。
それでも量は多いほど。
満腹感で、腹の中が今も、ゴボゴボしている。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●浪曲
今、私は浪曲の練習をしている。
子どものころは、毎日のように聞いていた。
祖父が、好きだった。
祖父は、自分では歌わなかったが、町に歌手がやってくると、かならず聞きに行った。
私もついていった。
それが今でも、耳に残っている。
「♪旅ゆけば、駿河の道に、茶の香り」と。
「♪駿河の国に」と歌う人も多いが、初代広沢虎造も、二代目虎造も、「♪駿河の道に」と歌っている。
そのほかの歌詞は、そのときどきの録音によって、微妙に異なっている。
理由はいろいろ考えられる。
たとえばもともと決まった歌詞などなかった。
そのときの気分で、歌詞を変えた。
当時は、そういう時代だった、など。
今では、YOUTUBEで、広沢虎造の浪曲を、自由に聞くことができる。
初代虎造のは少ないが、二代目虎造の録音になると、いろいろな時代の歌い方を楽しむことができる。
それを聞いていると、心はそのまま子ども時代に、タイムスリップする。
祖父が、そこに立っているような気分になる。
●韓国語
ところでその浪曲を練習しながら、こんなことに気づいた。
最初の部分で、こう歌うところがある。
「♪海道いちの親分は~エ」と。
最後の部分に「エ(e)」という発音が入る。
なぜだろう。
民謡の中にも、ときどき似たような「エ」が入ることがある。
ご存知の方も多いと思うが、「エ」は、韓国語の「は」に相当する。
「私は、浩司です」の「は(wa)」である。
日本語と韓国語は、兄弟言語。
こういうとことに「エ」が入っても、おかしくはない。
しかし、本当にそう考えてよいのか。
つまりほんの100年ほど前までは、日本語の中に、韓国語がまざっていた、と。
こういった話は言語学者の分野。
私にはここまでしかわからない。
気にはなったので、ついでにここに書きとめておくことにする。
●テンポ
浪曲の歌い方は、現代の私たちから見ると、かったるい。
テンポが遅いというより、のろい。
が、当時はそのようには、思わなかった。
浪曲がのろいとは、思わなかった。
生活のすべてが、浪曲のテンポで動いていた。
違和感は、まったくなかった。
時間にも余裕があった。
居間にいると、息子がやってきたので、少し歌ってみせた。
あきれたような顔をして、私の顔をながめた。
で、私はこう言った。
「昔はね、自転車屋でもね、客がいても、親父なんか将棋を指していたよ」、
「ときには客も、その将棋に加わることがあったよ」と。
当時は、今より、はるかにゆっくりと時間が流れていた。
テレビで見る歌舞伎も、相撲も、落語も、みな、そうだった。
浪曲はそういう時代の歌だった。
当時の私は、ふつう以上に活発な子どもだったが、それでも、それを「のろい」と思ったことはない。
●密度
こう考えてみると、時間とは何か。
改めて考える。
今までの私の理論によれば、密度を2倍にすれば、時間も2倍になる。
反対に、密度が2倍薄くなれば、時間も2分の1になる。
そういうふうになる。
が、もしそうなら、昔の人たちは、同じ50年でも、現代の私たちより短い50年を生きていたことになる。
情報量にしても、比較にならない。
「多い」というより、今、私たちは情報の洪水の中で生きている。
しかし、本当にそう考えてよいのか。
つまりその分だけ、反対に、私たちは昔の人たちより、長く生きていると考えてよいのか。
そこで問題は、「密度の内容」ということになる。
「情報の質」も、無視できない。
いくら密度が2倍といっても、つまらないことで濃くしても、意味はない。
くだらない情報に振り回されても、意味はない。
●感動
「情報」については、わかりやすい。
良質な情報と、粗悪な情報がある。
その区別なら、そこらの高校生でもできる。
問題は「密度」。
10時間を、20時間にして生きたからといって、「密度が濃い」ということにはならない。
寝食も惜しんで、パチンコをする、とか。
となると、何が密度を決めるのか。
密度は何によって、決まるのか。
私は、そのひとつが、「感動」と考える。
感動の質と量が、密度を決める、と。
私も自分の人生の中で、1日を1年のように長く感じたことがある。
オーストラリアの大学に留学していたときのこと。
けっして大げさな言い方をしているのではない。
本当に、そう感じた。
毎日が驚きと感動の連続。
だからある夜、こう思った。
ちょうど3か月目の、ある夜のことだった。
ヘトヘトになった体をベッドに横たえた。
その瞬間、「まだこんな毎日が、9か月もつづくのか!」と。
私はそれを思ったとき、心底、自分が誇らしかった。
うれしさが、ドッと腹の底からわいてきた。
●人生を長く生きる
言い換えると、人生を長く生きるためには、2つのことに気をつける。
(1) 情報の選択
(2) 感動の創造
情報の選択を誤ると、時間を、無駄にする。
くだらない情報に引き回されるだけ。
また感動のない生活は、生活そのものをマンネリ化する。
それこそ10年を1年のようにして生きるようになる。
あとは、そのときどきの各論ということになる。
つまり生き方の問題。
……とは書きつつ、このところ感動が少なくなってきた。
自分でも、それがよくわかる。
そこで「創造」。
自ら創りだす。
●悠々自適?
その感動は、つねに緊張感を伴う。
緊張感の中から、感動が生まれる。
言い換えると、いかにして生活の中に緊張感を創るかということ。
その緊張感がないと、人生は、そのままだらしなくなる。
反対の視点に自分を置いてみると、それがよくわかる。
老後は孫の世話と庭いじり。
悠々自適の年金生活。
が、そんな生活からは、感動は生まれない。
10年を1年どころか、1日にして生きるだけ。
●緊張感
となると感動は、日々の緊張感の中から生まれる。
前向きに生きていくという緊張感の中から、生まれる。
新しいことに興味をもち、新しいことに挑戦していく。
新しい人々との出会いをいとわず、その人たちのために生きていく。
が、このときひとつの大きな条件が生まれる。
「無私無欲」という条件である。
功利、打算が混入したとたん、感動は霧散する。
もちろん生きていくためには、収入が必要。
仮に収入のためではあっても、収入を、極力意識しない。
脇へ追いやる。
その努力は怠らない。
もしそれができれば、ゆるやかな時間であっても、密度の濃い人生ということになる。
そうでなければ、そうでない。
わかりやすく言えば、東海道を歩いていっても、それで時間を無駄にしたことにはならない。
新幹線で行っても、それで時間を有効に使ったことにはならない。
●夢
話題を変える。
今朝、ハナ(犬)の夢を見た。
先月、他界した。
どこかの家で、大きな鳥かごを見ていたときのこと。
足元に、ハナがやってきた。
まだ中型くらいの大きさだった。
いつものように頭をさげ、私の体に、自分の体をこすりつけてきた。
が、見ると、横に、白と黒のブチの犬がいた。
丸々とした雑種の犬で、私が「ボーイフレンドか?」と声をかけると、うれしそうに尻尾を振った。
私は両方のハナとその犬と、交互にさすってやった。
涙があふれた。
そこで目が覚めた。
●ハナ
ハナのボーイフレンドを考えなかったわけではない。
ときどきワイフと、「どうしようか」と話し合った。
しかしいつも私たちの年齢を考えた。
犬といっても、20年は生きる。
そのつど、自分の年齢に20歳を加え、こう思った。
「20年後に、めんどうをみられるだろうか」と。
だからハナは、ずっとひとりぼっちだった。
それが、今になって、私を責める。
自分たちのつごうで、ハナにつらい思いをさせてしまった。
●マムシ
もっとも晩年のハナは、息子といつもいっしょだった。
息子が庭へ出ると、かたときも、息子のそばを離れなかった。
ハナも、さみしかったのかもしれない。
今にして思うと、ハナの気持ちがよくわかる。
ハナは、庭先の、ヤマモモの木の下に埋葬した。
墓も立てた。
その墓に息子とワイフは、毎日、線香をたて、供養している。
私も祈っている。
……いつだったか、私が庭の畑で作業をしているときのこと。
ハナがけたたましく吠えた。
見ると足元にあった枯草の下で、マムシがとぐろを巻いていた。
もしあのときハナが吠えてくれていなかったら、私はマムシにかまれていた。
「命の恩人」と思うようになったのは、そのときからだった。
そのハナは、もういない。
が、ハナの墓に参るたびに、こう祈る。
「もうすぐ、ぼくも、そちらへ行くからな」と。
西洋では、飼っていた犬が、天国で私やあなたを案内してくれるという。
ほかの犬のことは知らない。
しかしハナなら待っていてくれるはず。
仕事に出かけるときは、どこかいいかげんだった。
しかし仕事から帰ってくると、一日も欠かさず、私を裏口で迎えてくれた。
律儀な、どこまでも律儀な犬だった。
おかしなものだ。
死んだ父や母より、遠くに住む息子たちより、ハナのほうが恋しい。
ハナに会いたい。
私には、かぎりなく、よき友だった。
●映画『ドラゴン・タツーの女』
「ドラゴン・タツー」というのは、少し大げさ。
タツー(刺青)が、とくに意味をもつわけではない。
それに謎解きといっても、それほど奥があるわけではない。
言うなれば、「つじつま合わせ」。
それにその「女」にしても、まさにスーパーレディ。
ハイテク機器を自由に使いこなす。
その女は、意味ありげな雰囲気で登場し、最後は、ふつうの女で終わる。
星は、3つの★★★。
少し甘いかな?
ダニエル・クレイグ主演ということで、かなり期待して行った。
期待が大きかった分だけ、がっかり。
先にも書いたように、「意味ありげ」で始まり、「ふつうの映画」で終わった。
が、あまり「意味のない」映画。
やはり「チンチン・タツーの男」のほうが、よかった。
●2月12日(日曜日)(2012)
日は替わって、12日。
昔はこんなことはしなかった。
が、今は、(2012)と年号を書き入れる。
でないと、あとで、いつの原稿だったか、それが、わからなくなる。
このところ、そういうことが多い。
たとえば古い原稿を探したようなとき、日付はわかっても、何年に書いた原稿かがわからない。
その前後をスクロールしながら、書いた年数を知る。
その手間に、けっこう時間がかかる。
これもネット時代の特徴のひとつかもしれない。
ネットで検索すると、1年単位、10年単位の原稿が、どっと見つかる。
原稿が、大きな塊(かたまり)となって、画面に現れる。
「時間」の概念が、ネット上では、かなりちがう。
この世界では、「1年前」「10年前」という数字は、あまり意味をもたない。
逆に考えれば、こんなことも言える。
……たとえば、そんな人がいるかどうかは、わからない。
が、10年後、あるいは20年後、「はやし浩司」で検索し、私の書いた原稿を読む人がいたとする。
そのとき、その人は、時空を超え、パソコンのモニターをはさんで、私と対峙する。
そこには、時間はない。
距離もない。
「私」と、直に対峙する。
……ボロボロになった本を、遠くから買い寄せて読む。
時間をかけて読む。
が、それは昔の話。
その反対が、ネットの世界ということになる。
だから、最近は、年数を、できるだけこまめに、書き込むようにしている。
その数字だけが、過去になった「今日」を示す。
●W・ヒューストンの死
たった今、ネットに、こんなニュースが流れた。
W・ヒューストンが亡くなった、と。
48歳だったという。
48歳!
若すぎる。
死因その他は、「不明」とのこと。
芸能界は、しばらくW・ヒューストン一色になるだろう。
それにしても、なぜ?
グラミー賞受賞式の前日だったという。
賞と何か、関係があるのだろうか?
●貧乏の怖さ
私の息子たちも含めての話。
最近の若い人たちは、貧乏の怖さを知らない。
知らないから、家族第一主義に、安易に走りやすい。
「仕事より、家族が大切」と。
それはそれで結構なことだが、「仕事あっての家族」。
たしかにお金(マネー)では、幸福は買えない。
しかしお金(マネー)がなければ、不幸になる。
とは言っても、一時的な貧乏なら、まだ何とかなる。
気力や体力で、乗り越えることができる。
怖いのは、ジワジワと、長い年月を経てつづく貧乏。
精神はもちろん、肉体をもむしばむ。
それが怖い。
私は経験している。
家中が、暗く、よどんだ空気に満たされる。
「明日は今日より、よくなる……」と。
そんな淡い期待も、その翌日には、こなごなに破壊される。
それが来る日も来る日も、繰り返される。
当然、ものの考え方も、影響を受ける。
卑屈になる。
ゆがむ。
いじける。
……この不況下。
どこへ行っても、暗い話ばかり。
そういう話を聞くたびに、私は自分の少年時代を思い出す。
いやな時代だった。
本当にいやな時代だった。
●ボットン便所
だから私はがんばった……と書けば、意図は見え見え。
しかし総じて言えば、団塊の世代は、それゆえに、がんばった。
が、その結果が今。
若い人たちは、飽食とぜいたくの世界で、自分を見失ってしまった。
今のこの日本の繁栄にしても、いつまでもつづくものと思っている。
が、私たちはそうでない。
現在の日本経済は、薄氷の上を、恐る恐る歩いているようなもの。
その下には、あのボットン便所が待っている。
そうなったとき、つまり日本経済が崩壊したとき、今の若い人たちは、それに耐える力はあるだろうか。
そのときになっても、「仕事より家族が大切」と言っていられるだろうか。
●帰り支度
ワイフが帰り支度を始めた。
窓の外には、紺色の青い空が広がっている。
気温は、3度前後。
朝風呂に入った。
ほどよい気(け)だるさが、心地よい。
このままコタツの中で眠りたい。
……そう帰りには、久しぶりに、パソコンショップへ寄ってみよう。
もう何か月も行っていない。
東名高速道路のインター近くにある、「N」というパソコンショップ。
パソコン関連グッズのほとんどは、私は、その店で買っている。
(補記)
●プリンターのインク
ところで今度、別の会社から、プリンターのインクが販売されることになった。
プリンターといえば、エプソン、キャノン、ブラザーの各社が製品として出している。
が、インクが高価。
エプソンのインクでも、6色セットで、5000~6000円もする。
それを、1セットあたり、たったの1600円前後。
販売しているのは、福岡市に本社をおく、「ジーストリーム」。
電話:092-402-7360
さっそく「楽天ホビナビ」を通し、2セット買ってみた。
価格は3333円プラス代引き手数料。
1セットで、3333円かと思ったら、2セットでこの価格。
この価格なら、この先、インク代は心配せず、プリンターを使うことができる。
問い合わせ先は、「インクナビ」本店へ。
http://www.inknavi.com/
(注意)エプソン用のインクはそのまま使えるが、キャノン用のインクは、ICチップを張り替えなければならない。
また相性については、Yellowだけ使ってみたが、まったく問題なくセットできた(エプソンEP902A)。
「どうしてインクは、こんなに高いのか!」と、日ごろ不満に思っている人は、一度、使ってみたらよい。
(はやし浩司 2012-02-12 はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 貧乏の恐怖 貧乏の恐ろしさ はやし浩司 貧乏の怖ろしさ 映画「ドラゴンタツーの女」 はやし浩司 プリンターのインク インクナビ はやし浩司 浪曲 旅行けば 駿河の道に茶の香り)
Hiroshi Hayashi+++++++April. 2012++++++はやし浩司・林浩司
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はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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