●子育てに自信がなくなった母親
【SRさんより、はやし浩司へ】
[題名] 自分の育て方に自信がもてなくなりました。
[投稿者]SR
小4男児の母です。
息子が2才の時に離婚しました。
父親はいません。
3年から、スポ少に入りました。
スポ少も初めは頑張って行っていましたが、最近は行きたがらなくなりました。
本人は『身体はやりたいけど、いざ行くときになると脳が行きたくないと言う』などと言っています。
祖父母と一緒に暮らしています。
行かないと、周りの皆に迷惑かかる、と、私や祖父母は言っています。
そのせいかどうかわかりませんが、最近は小遣いが足りないといっては、財布からお金を取ったりします。
学校も行きたくないとか、こんな家族要らないから、『死ね!』と言ったりします。
何か、信頼関係が無くなってしまったようにも感じます。
これから先、どう接して行ったらいいか分からなくなってきました。
父親が必要なのでしょうか。
家のみんなは敵、……みたいな感じに思っているのでしょうか。
どうか、アドバイスお願いします。
【はやし浩司より、SRさんへ】
文面からすると、息子さんは、かなり自分勝手で、わがまま。
いわゆるドラ息子症候群による症状が、いくつか出ています。
しかしこのことと、離婚、もしくは母子家庭と結びつけないほうがよいでしょう。
原因は、甘やかしと、きびしさ。
どこかでアンバランスな生活が日常化しているとみます。
たとえば、子どもの言いなりになる一方で、ときにガミガミと強く叱るなど。
また子どもは小3~4前後で、親離れを始めます。
思春期前夜にかかり、情緒も不安定になります。
幼児に戻ったり、おとなぶってみたりを繰り返しながら、徐々に、つぎの思春期を迎えます。
私はこれを「揺り戻し」と呼んでいます。
親としては、どう接したらよいのか、たいへんわかりにくくなる時期です。
で、今の状況では、(1)信頼関係を取り戻そうなどとは、思わないこと。
(子どもは親の愛情を試すようなことを繰り返すようになります。
いちいちそれに引き回されないこと。
親は親で、つまり堂々としています。
「嫌われても構わない!」という態度を示します。)
(2)あなたはあなたで、やるべきことをし、それですまします。
子どもの機嫌を取らないこと。
淡々と、親としてやるべきことをやる、です。
(3)信頼関係は作るものではなく、日々の生活の結果として、(できる)ものです。
それには10年単位の時間が必要です。
感情的な子育てになっていませんか。
短気な子育てをしていませんか。
もしそうなら、子どもの問題ではなく、あなた自身の問題ということになります。
コツは、(1)今以上に、状態を悪くしないことだけを考えなら、子どもの様子をみます。
半年単位で、少しでもよくなれば、御の字。
(2)こうした子どもの非行(盗みなど)は、「まだ以前のほうがよかった……」ということを繰り返しながら、2番底、3番底へと落ちていきます。
親があせればあせるほど、そうなります。
だから性急に、「直そう」などとは、思ってはいけません。
親がドタバタすればするほど、子育ては泥沼に入ってしまいます。
盗みについては、お金の管理を徹底するという方法で、対処します。
たとえばここであせれば、(たとえば子どもの側からみて、愛情に不安感を覚えたりするほどまでに強く叱ったりすると)、夜遊び、外泊、家出……と進んでいく可能性もあるということです。
(それが2番底、3番底という意味です。)
スポーツ少年団については、子どもの判断に任せたらよいでしょう。
ひょっとしたら、やがてスポーツ少年団をやめる程度のことでは、すまなくなります。
信頼関係がなくなった……ではなく、あなた自身が、子どものことをまったく信じていない。
短い文面だけでは、よくわかりませんが、私には、そんな感じがします。
以上が、私がここでアドバイスできることです。
情報が不足しているので、何とも言えません。
なお「父親が必要でしょうか」という心配ですが、祖父母が近くにいるということですから、今は、考えなくてもよいでしょう。
年齢的にも、父親がいればそれで問題が解決するというような問題ではないように、思います。
新しい父親(?)を連れてきても、かえって失敗します。
(私は成功例を知りません。)
あなたはあなたで、(すべきこと)、たとえば仕事でも家事でも、すべきことをします。
仮に20歳くらいまで、子どもの心があなたから離れたとしても、それはそれ。
やがてそれを子どもの側が理解するときがやってきます。
もう少し長い目で、子育てを見つめてみてください。
最近、「ファミリス」という雑誌に、「筋(すじ)と限度」という原稿を書きました。
参考までに、ここに掲載しておきます。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
【愛と甘やかし】
●「許して忘れる」
(愛)ほど、ばく然とした概念はないですね。
が、尺度がないわけではないわけではありません。
「許して、忘れる」。
英語では、「For/give & For/get」といいます。
この英文を注意深く読むと、「子どもに愛を与えるために許し、子どもに愛を与えるために忘れる」とも読めますね。
その度量の深さで、親の愛は決まる……と考えてください。
が、「許して忘れる」と言っても、もちろん子どもに、好き勝手なことをさせろという意味ではありません。
親は子どものできの悪さを見せつけられるたびに、悩み、苦しみ、ときには、袋小路へと叩き落とされます。
子どもにかぎらず、人を愛するということは、それほどまでに、つらいこと。
ときに身を引き裂かれるような思いをすることもあります。
ホレホレと子どもを抱いたり、頬ずりするのは、愛でも何でもありません。
そんなことなら、そこらのイヌやネコでもしていますよ。
●誤解
が、この日本には、大きな誤解があります。
子どもに楽しい思いをさせること、楽をさせること、それが「親の愛」と。
また「それによって、親子の絆は太くなる」と。
が、実際には、逆効果。
一度、保護、依存の関係ができると、それを断ち切るのは容易なことではありません。
「親がうるさいから、大学へ行ってやる」と言った高校生がいました。
結婚式の費用について、親が、「半分くらいなら……」と言ったら、それに対して激怒。
「親なら、親らしく責任を取れ。結婚式の費用ぐらい出せ」と迫った、息子もいました。
規範のない、盲目的なでき愛を、(愛)と誤解している人は多いですね。
俗にいう、子どもを甘やかしながら、甘やかしていること自体に気がついていない。
結果、子どもは、ドラ息子、ドラ娘になります。
今や1億、総ドラ息子、ドラ娘と言ってよいほど、このタイプの子どもは多いですよ。
自分勝手で、わがまま。
自己中心的で、利己的。
生活への耐性も失われます。
ある女の子(小4)は、突然、タクシーで家まで帰ってきました。
「どうして?」と話しを聞くと、こう答えたそうです。
「おばちゃんの家のトイレは汚れていて、気持ち悪かったから」と。
ドラ息子、ドラ娘になればなったで、苦労するのは、結局は子ども自身ということになります。
●筋(すじ)
それがどういうものであれ、子育てには、一本の(筋)が必要。
わかりやすく言えば、(一貫性)。
具体的には、YES/NOをはっきり伝え、筋を通す。その筋がなくなったとき、親の心にスキが生まれ、子どもはそのスキをついて、ドラ息子、ドラ娘になります。
その筋のないことを、「甘やかし」といいます。
親の愛とは、基本的には、まったく異質のものと考えてください。
あのバートランド・ラッセル※は、こう書き残しています。
『親として、必要なことはする。しかし決してその限度を超えてはいけません。そんな親のみが、真の家族の喜びを与えられます』と。
(限度)をわきまえている親を、賢い親といいます。
親になるのは、簡単なこと。
しかし賢い親になるのは、本当にむずかしい。
一生のテーマと考えてよいほど、むずかしい。
安易に、節度のない愛に溺れてはいけません。
※…イギリス・ノーベル文学賞受賞者、哲学者)
2012/03/16
Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【親の愛情と発達障害】(橋下徹大阪市長の「発達障害がい、愛情欠如説」について)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
橋下大阪市長が、とうとうというか、ついに、「発達障害」という言葉を使った。
いわく「発達障がいの主因は親の愛情欠如」と。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●発達障害
最近では、公文書などでは、「発達障がい」と、「害」を「がい」と表記するようになった。
が、この方法は、かえって「害」を強調することになるのでは?
「ボケ」を「認知症」と言い換え、さらに最近ではまた「ボケ」と言うようになった。
その反対の例が、「馬鹿」。
「ホース&ディア(馬と鹿)」と言われて怒る、外人はいない。
が、日本では、「馬鹿」と言えば、さげすみ語になっている。
つまり言葉というのは、漢字の問題ではないということ。
だったら「発達障外」などと表記すればよい。
「発達問題」でもよい。
表記方法はいくらでもある。
●MSN(産経ニュース)より
『……橋下徹大阪市長率いる「大阪維新の会」大阪市議団が議会提出する方針の条例案の発達障害をめぐる規定に当事者らから反発の声があがり、橋下市長が3日から4日にかけ短文投稿サイト「ツイッター」で「発達障がいの主因を親の愛情欠如と位置付け、愛情さえ注げば発達障がいを防ぐことができるというのは科学的ではない」などとコメント。
事態の収拾を図ろうとしている』(以上、MSNより)と。
●発達障害・遺伝説
今では発達障害・遺伝説が常識化している。
「親の育て方にも問題がある」などと書いたりすると、抗議の嵐にさらされる。
BLOGなどへの辛らつな書き込みもふえる。
中には、「死ね!」というのもあった。
しかし発達障害の「種」は、どんな子どもにもある、と私は見る。
程度の差もあるだろう。
たとえば、親がはげしく叱ったため、1人2役の独り言を言うようになった女児の例を私は知っている。
それまでは、ごくふつうの子どもだった。
そのとき、その女児は、2歳だった。
母親はこう言った。
「2役といっても、まったくの別人格。
気味が悪いです」と。
さらに4歳のとき、風呂の水を出しっぱなしにして遊んでいた男児がいた。
そのため2階から1階まで、水浸し。
(その子どもの家では、風呂は2階にあった。)
それを見た祖父が、尋常でない叱り方をした。
とたん、その子どもは、様子がおかしくなった。
空を見つめ、ブツブツと、訳のわからないことを口にするようになった。
病院へ連れていくと、「自閉症」と診断された。
その男児も、それまでは、ごくふつうの子どもだった。
これら2例は、私がまだ30代のはじめ、経験した話である。
すべてを遺伝で考えることはできない。
仮にそういう遺伝的要素があっても、発達障害児にならないケースもあるのでは?
一方、仮にそれまで遺伝的症状がなくても、ある事件をきっかけに、症状が出るということもある。
ただし、兄弟姉妹、さらには、親子、親類縁者に、似たような症状を示す人が多いことも、事実。
そういう点では、私も「遺伝説」を支持する。
●育て方
が、意伝説を支持するにしても、つぎの2つのことに注意したらよい。
(1)引き金を引かない
(2)症状をこじらせない
先にも書いたように、生まれながらにして症状を示すケースもないわけではない。
しかし生まれながら(=生後直後)に、それを診断できるケースは、これまた常識で考えても、ありえない。
(あの新生児を見て、~~障害と判断できる専門家はいない。
ただし脳の器質障害については、脳波の測定などにより可能かもしれない。)
ただ生後まもなくの段階で、親が様子のおかしさに気づき、無理をするケースがある。
たとえば夜泣きがはげしかったりすると、強く叱ったりする、など。
が、強く叱れば叱るほど、子どもの心は(ゆがむ)。
どう(ゆがむ)かは、ケースバイケースだが、ともかくも、その後、何らかの症状となって現れる。
さらによくあるケースは、たとえばかん黙児や、AD・HD児のばあい。
3~4歳児になると、症状が現れてくる。
が、その段階で、親は、そういった「障害」をもっていることに気づかず、無理に無理を重ねる。
はげしく叱ったり、さらには暴力を加えたりすることもある。
これが症状を複雑化する。
こじらせる。
放っておいても、小学3~4年生(10歳前後)で、こうした症状は快方に向かう。
子ども自身がもつ、自己管理能力が発達するためである。
脳には、自らを正常化するという機能が、備わっている。
要するに脳の機能障害というのは、そういうもの。
それを薬物などで治そうとするから、かえって症状が長引いたり、悪化したりする。
「リタリン」を例にあげるまでもない。
つまり遺伝説は遺伝説として、後天的に、引き金を引いたり、さらに不適切な指導、対処によって、症状を悪化させたり、こじらせるということもあるということ。
すべての症状が遺伝的に、つまり生まれながらにプログラム化されているわけではない。
●愛情欠如?
橋下市長は、「愛情欠如」という言葉を使った。
これに対して、当事者らから反発の声があがったという。
当然である。
発達障害は、愛情の問題ではない。
愛情がなければ問題だが、愛情があっても、発達障害を示す子どもは、いる。
LD児などは、その一例ということになる。
一方で、愛情がなくても、健常児に育つ子どもも、これまたいくらでもいる。
つまり(愛情)と(発達障害)の間には、因果関係はない。
が、あるとすれば、先にも書いたように、後天的に(引き金を引いたり)、(無知が原因で、症状をこじらせる)というケースである。
これは遺伝ではない。
どこかで親の愛情に結びついている。
「親の愛情がもう少し深ければ、こうまで症状はこじれなかっただろうな」というケースは、少なくない。
だから橋下氏の意見には、一理あるということになる。
が、あくまでも「一理」。
●暴走
橋下氏は、若い。
経験不足。
認識不足。
そういった面は、多々見られる。
それがときとして、暴走する。
今回の「愛情欠如説」も、そのひとつ。
まあ、率直に言えば、危なっかしいが、それが橋下氏の魅力でもある。
ふつうの人なら、これだけで気が滅入ってしまうだろう。
もの書きなら、ツィッターを閉鎖し、筆を折ってしまうかもしれない。
が、橋下氏は、へこたれない。
その強靱さに、私は別の魅力を感ずる。
……というように、橋下氏を擁護し、この話は、ここまで。
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子育て最前線の育児論byはやし浩司 2012年 5月 18日
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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【焼津・Hotel Ambia 松風閣にて】
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
午後になり、少し昼寝。
起きたのが、1時半。
「2時に行こう」と私。
目的地は焼津(やいづ)。
焼津の市内で、夕食。
そのまま近くのホテルで1泊。
Hotel・Ambia・松風閣。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●北朝鮮の人工衛星(光明星1号)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
今日、北朝鮮の人工衛星について書いた。
アクセス数が多かったこともあるが、
書き足りなかった点もあるので、改めて
書き足してみる。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
ここ数日、週刊現代誌に載っていた、北朝鮮の人工衛星なる模型が気になってしかたない。
現在、ピョンヤンの「電子工業館」に展示してある模型は、前回、北朝鮮が打ち上げた人工衛星、「光明星1号」の模型という。
模型だから、本物ではない。
しかしまったくの、創造物とは言い難い。
もちろん、おもちゃではない。
こうした展示館で模型を飾るときは、常識として、できるだけ本物に近いものを並べる。
たいていは、予備に作った本物を並べる。
古今東西、どこの展示館でも、そうしている。
だから週刊現代誌で紹介されている人工衛星は、かぎりなく本物(?)に近いものと考えてよい。
しかし疑問がいくつかある。
●スプートニック1号、2号
北朝鮮の人工衛星を見て、まず気がつくのは、その形状。
一見して、旧ソ連が打ち上げた、スプートニック1号および2号にそっくり。
球形で、アンテナが斜め後方に4本、伸びている。
スプートニック1号および2号の写真と、北朝鮮の人工衛星の写真を並べて、紹介する。
なおスプートニック1号、2号というのは、スプートニク計画により、1950年代後半に旧ソ連によって地球を回る軌道上に打ち上げられた、人類初の無人人工衛星をいう。
(1950年代だぞ!)
(スプートニック1号)
(スプートニック2号)
(北朝鮮の人工衛星)
この3枚の写真を見比べただけでも、北朝鮮の人工衛星がいかに「おもちゃ風」であるかがわかる。
おもちゃでなければ、サッカーボール。
あるいはクラブやディスコの天井につり下げてある、ミラーボール。
週刊現代誌は、「おもちゃイムニダ」と皮肉っている。
●疑問(1)アンテナ
アンテナを見たとき、最初にこう思った。
「これはラジカセのアンテナ?」と。
よく見ると、1本のアンテナが3段に分かれている。
携帯用のアンテナなら、伸縮できるように、3段にしたりする。
しかし人工衛星では、それは必要ではない。
仮に必要であるとしても、いったい、だれがどのようにして伸したり、縮めたりするのか。
が、さらに詳しく見ると、3段になったアンテナが、その接続部で、溶接らしきものがほどこしてあるのがわかる。
写真でも見ても、それぞれの部分が、不揃いにふくらんでいる。
(北朝鮮の人工衛星・3段になったアンテナ)
(北朝鮮の人工衛星・アンテナ付け根部分)
仮にこれが人工衛星であるとしても、数百億円もかけて宇宙へ飛ばす価値があるのだろうか。
反対に、数百億円もかけて飛ばすくらいなら、もう少しその価値のあるものを打ち上げるのではないだろうか。
この矛盾を、どう考えたらよいのか。
●着色の謎
謎はまだつづく。
宇宙では、温度の差が問題となる。
たとえば月面では、昼は+120℃、夜はー150℃になる。
月は自転をしているので、昼の蓄熱と夜の冷却が繰り返され、まだ温度差は小さい。
では、宇宙ではどうか。
回転していなければ、太陽の光の当たる表面は、限界温度、裏はー270℃近くになる。
そのため人工衛星は、温度を平均化するため、回転するようにできている。
とくに人間が居住するような人工衛星は、そうである。
が、もし機器を積んだだけの人工衛星であれば、「熱」だけを考えればよい。
電子機器は、「冷え」には強いが、「熱」には弱い。
そこで人工衛星は、スプートニック1号、2号のように、熱を反射するため、ピカピカに磨かれる。
ところが、である。
北朝鮮の人工衛星は、ピカピカどころか、着色してある。
わざわざ着色した理由は何なのか。
つまりここが不自然。
●本物と模型
私は子どものころから、プラモデルを作るのが趣味だった。
そのプラモデル。
よくできたプラモデルほど、本物に近い。
たとえば飛行機にしても、それぞれの部品には意味がある。
意味のない部品は、ない。
「こんなところに、こんなものがついている。何だろう……」と考えていくと、かならず、その答がある。
とくに戦闘機のばあいは、無駄がない。
もちろん飾りもない。
(塗装は別だが……。)
一方、たとえばガンダムのようなプラモデルは、言うなれば、「ウソの塊(かたまり)」。
もっともらしい部品は無数についているが、みんなウソ。
そこにある部品の意味を考えても意味は、ない。
すべてが作者の想像力から生まれた、「飾り」である。
つまり本物をもとにしたプラモデルと創作をもとにしたプラモデルのちがいは、ここにある。
で、人工衛星のばあいは、どうか。
……とあえて問題を提起するまでもなく、無駄なものは、いっさい、ない。
飾りも、いっさい、ない。
戦闘機のような塗装も、ない。
そんな必要もないし、そんなことをすれば、重くなるだけ。
その人工衛星に着色がしてある?
タイルごとに、2色が使われている?
しかも人工衛星の本体は、球形ではなく、多面体。
昔見た、ウルトラマンの映画にも、こんな人工衛星は出てこない。
●つづく疑問
もう一度、スプートニック2号の写真を見てほしい。
スプートニック2号は、ロケット本体に、きちんと格納してある。
つまりこの状態で宇宙へ飛んでいく。
つまり宇宙へ届いたら、カプセルが開き、人工衛星は外へ放たれる。
が、問題は、そのとき。
人工衛星が宇宙へ放たれると同時に、当然、アンテナは、傘を開くように開かれる。
そこでスプートニック1号の写真をよく見てほしい。
アンテナの付け根部分である。
たぶんバネ式になっていて、アンテナが開く構造になっているのがわかる。
かなり複雑な構造をしている。
一方北朝鮮の光明星1号は、見るからにラジカセのアンテナ風。
自動的に開くとか、そういった構造になっていないことがわかる。
「どうやって宇宙で開くのだろう」と考えるだけ、ヤボ。
このアンテナでは、宇宙で、開くことはできない。
が、展示してある光明星1号のそれは、ちゃんと開いている。
●結論
北朝鮮の人工衛星は、どう見ても人工衛星ではない。
アンテナひとつとりあげても……というか、私たちの家にあるラジカセのアンテナと見比べてみればよい。
取りつけ方、形状ともに、そっくり!
恐らく今回打ち上げるミサイルにしても、似たようなものが積んであるのだろう。
重さは、100キロという。
北朝鮮は、世界に公開すると言っている。
だったら、その衛星本体を見せればよい。
ちがうかな?
●夢
北朝鮮の人工衛星の話はひとまず、ここでやめ、つぎの話。
昼寝をしたとき、こんな夢を見た。
おもしろい夢だったので、ここに記録する。
……私は、どこかの山道を歩いていた。
その先には、幾重も、低い山が連なっていた。
私は、どこかの町、……たぶん浜松市をめざして歩いていた。
が、ふとこんなことを考えた。
こんな山なら、エンジン付きのパラグライダーで飛び越えてやろう、と。
もちろん私は、パラグライダーなるものには、乗ったことがない。
見たことはある。
山荘の空の上を、よく飛んでいる。
が、いくら飛び立とうとしても、空を、木々の枝が覆っていて、飛び立てない。
木々の枝が、電線のようになり、それをじゃました。
そこで私はこう考えた。
棒高跳びで使うような棒を用意し、それでひとっ飛びに山を乗り越えてやろう、と。
幸い棒はすぐ見つかった。
丸くて長い棒だった。
私はその棒をよじ上り始めた。
が、しばらく上っていくと、下から何人かの男たちも、いっしょに上ってくるのがわかった。
1人は、私のすぐ下にいた。
気にはなったが、私は上を見、そのまま上りつづけた。
あとはそのまま向こう側へ倒れればよい。
それでこの深い山を、抜け出ることができるはず……。
というようなことを、心のどこかで考えていた。
私は棒を上った。
かなり高いところまで上った。
雲が、はるか下に見えた。
が、やがて棒の先端に。
その先端には、小さな看板が打ちつけられていた。
見ると、それには、「神」と書いてあった。
それを見て、私は、「ああ、ここは天国」と思った。
で、その看板をつかもうとすると、その看板は、スーッと消えた。
手をよけると、その看板が現れた。
で、もう一度、その看板をつかもうとした。
やはり、同じように、その看板は、スーッと消えた。
……そこで目が覚めた。
●夢判断
支離滅裂な夢だった。
が、意味がないわけではない。
自分なりに夢分析をしてみる。
++++++++++++++
山の中にいた……私の閉ざされた世界を、象徴している。閉塞感。
「抜け出たい」という思い……生への葛藤。あるいは束縛からの解放。
空を覆う木々の枝……生きることにまつわる障害の数々。
丸い棒……男の象徴。ジャックと豆の木の話に出てくる、豆の木。
棒を上る……どこか芥川龍之介の『蜘蛛の糸』様。
後からついてくる男……不安の象徴。強迫観念。
「神」と書いた看板……頂点をめざしたいという欲求。願望。
看板が消える……天国に到達できないという限界。それにまつわる、はがゆさ。葛藤。
++++++++++++++
●リビドー
空を飛ぶという夢は、ときどき見る。
が、思うように飛べないときのほうが、多い。
あるいは飛んでも、うまくコントロールできない。
「夢判断」なるものによれば、いろいろに解釈できる。
が、ジークムント・フロイトなら、こう言うだろう。
「抑圧されたリビドー(性的エネルギー)の解放を求めて葛藤している」と。
そう、このところ不完全燃焼感が強い。
何をやっても、中途半端。
達成感や満足感がない。
何かをしなければと思うが、その何かが、何であるかさえわからない。
そこにあるはずなのに、手が届かない。
このはがゆさ。
それが先に書いた夢の中に、凝縮されている。
が、精神科医なら、たぶん、こう判断するだろう。
「この男は、かなり強い強迫感をもっている」と。
●強迫性障害
ウィキペディア百科事典では、つぎのように定義している。
『強迫症状とは強迫性障害の症状で、強迫観念と強迫行為からなる。
両方が存在しない場合は強迫性障害とは診断されない。
強迫症状はストレスにより悪化する傾向にある。
(1)強迫観念(きょうはくかんねん)とは、本人の意志と無関係に頭に浮かぶ、不快感や不安感を生じさせる観念を指す。
強迫観念の内容の多くは普通の人にも見られるものだが、普通の人がそれを大して気にせずにいられるのに対し、強迫性障害の患者の場合は、これが強く感じられたり長く続くために強い苦痛を感じている。
ただし、単語や数字のようにそれ自体にはあまり意味の無いものが執拗に浮かぶ場合もある。
(2)強迫行為(きょうはくこうい)とは、不快な存在である強迫観念を打ち消したり、振り払うための行為で、強迫観念同様に不合理なものだが、それをやめると不安や不快感が伴うためになかなか止めることができない。
その行動は患者や場合によって異なるが、いくつかに分類が可能で、周囲から見て全く理解不能な行動でも、患者自身には何らかの意味付けが生じている場合が多い』(以上、ウィキペディア百科事典より)と。
強迫性障害(患者数)と診断される日本人は、100万人とされる(ウィキペディア百科事典)。
人口の約2%(世界共通)だそうだ。
この数を多いとみるとか、少ないとみるか……。
が、内容は、一様ではない。
ウィキペディア百科事典では、つぎのように分類している。
『(1)不潔強迫……潔癖症とも言われている。手の汚れが気になり、手や体などを何度も洗わないと気がすまない。
体の汚れが気になるためにシャワーや風呂に何度も入る患者によっては電車のつり革を触ることが気持ち悪くて手袋をはめて触ったり、お金やカード類も外出して穢れた、汚れたという感覚を持つため帰宅の度に洗う場合もある。
(ただし、本人にとって不潔とされるものを触ることが強い苦痛となるため、逆に身体や居室に触れたり清掃することができずに、かえって不衛生な状態に発展する場合もある。手の洗いすぎから手湿疹を発症する場合もある)など。
(2)確認行為
確認強迫とも言う。外出や就寝の際に、家の鍵やガスの元栓、窓を閉めたか等が気になり、何度も戻ってきては執拗に確認する。
電化製品のスイッチを切ったか度を越して気にするなど。
(3)加害恐怖
自分の不注意などによって他人に危害を加える事態を異常に恐れる。
例えば、車の運転をしていて、気が付かないうちに人を轢いてしまったのではないかと不安に苛まれて確認に戻るなどの行為。
赤ん坊を抱いている女性を見て、突如としてその子供を掴んで投げてしまったり、落としたりするのではないかというような、常軌を逸した行為をするのではないかという恐怖も含まれる。
(4)被害恐怖
自分が自分自身に危害を加えること、あるいは自分以外のものによって自分に危害が及ぶことを異常に恐れる。
例えば、自分で自分の目を傷つけてしまうのではないかなどの不安に苛まれ、鋭利なものを異常に遠ざけるなど。
(5)自殺恐怖
自分が自殺してしまうのではないかと異常に恐れる。
(6)疾病恐怖
または疾病恐怖症など。
自分が重大な病や、いわゆる不治の病などにかかってしまうのではないか、もしくは、かかってしまったのではないかと恐れるもの。
HIVウイルスへの感染を心配し、血液などを異常に恐れたりするものも含まれる。
(7)縁起恐怖
縁起強迫ともいう。
自分が宗教的、もしくは社会的に不道徳な行いをしてしまうのではないか、もしくは、してしまったのではないかと恐れるもの。
信仰の対象に対して冒涜的な事を考えたり、言ってしまうのではないかと恐れ、恥や罪悪の意識を持つ。
例えば、神社仏閣や教会において不信心な事を考えてしまうのではないか、聖典などを毀損してしまうのではないか、というもの。
ある特定の行為を行わないと病気や不幸などの悪い事柄が起きるという強迫観念に苛まれる場合もあり、靴を履く時は右足から、などジンクスのような行動が極端になっているものも見られる。
(8)不完全恐怖
不完全強迫ともいう。物を秩序だって順序よく並べたり、対称性を保ったり、本人にとってきちんとした位置に収めないと気がすまず、うまくいかないと不安を感じるもの。
例えば、家具や机の上にある物が自分の定めた特定の形になっていないと不安になり、これを常に確認したり直そうとする等の症状。
物事を進めるにあたって、特定の順序を守らないと不安になり、うまくいかないと最初から何度もやり直したりするものもある。
郵便物を出す際のあて先や、書類などに誤りがないかと執拗にとらわれる場合もあるため、結果として確認行為を繰り返す場合もある。
(9)保存強迫
自分が大切な物を誤って捨ててしまうのではないかという恐れから、不要品を家に貯めこんでしまうもの。
本人は不要なものだとわかっている場合が大半のため、自分の行動の矛盾に思い悩む場合がある。
(10)数唱強迫
不吉な数やこだわりの数があり、その数を避けたり、その回数をくり返したりしてしまう。
数字の4は「死」を連想するため、日常生活でこの数字に関連する事柄を避ける、などの行為。
(11)恐怖強迫
ある恐怖あるいはことば、事件のことを口にできない。
そのことを口にすると恐ろしいことが起こると思うため口にできない。
この他、些細であったり、つまらない事柄、気にしても仕方の無い事柄を自他共に認める状態にあっても、これにとらわれ(強迫観念)、その苦痛を避けるために生活に支障が出るほど過度に確認や詮索を行う(強迫行為)』(以上、ウィキペディア百科事典より。詳しくは……、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B7%E8%BF%AB%E6%80%A7%E9%9A%9C%E5%AE%B3
●私のばあい
私のばあい、(1)~(11)のどれにも当てはまらない。
「そういうことも、たまにはあるな」という程度。
……ということで、ウィキペディア百科事典を読み、少し安心する。
(自分でそう思っているだけかもしれないが……。)
と、同時に、「あの人が、そうだ」「この人も、そうだ」と、いろいろな人が頭の中に思い浮かぶ。
が、ここで誤解してはいけない。
だれにも、ここに書いたような傾向はある。
ない人はいない。
あとは軽重の問題。
それが重くなり、通常の社会生活がむずかしくなった状態を、「強迫性障害」と呼ぶ。
ここに書いてあることがあてはまるからといって、「障害者」ということにはならない。
(あてはまらないから、強迫性障害でないということにもならないが……。)
●出版の世界
私はこうしていつもものを書いている。
が、けっして、何かに追い立てられて書いているのではない。
むしろ逆。
それが楽しいから、書いている。
本を読むのが好きな人がいるように、私は、ものを書くのが好き。
書いているときだけ、私は私でいられる。
反対に書かないでいると、頭の中が、すぐパンクしそうになる。
で、それを書いて、吐き出す。
その爽快感がたまらない。
前にも書いたが、ひどい便秘症の人が、BENを、ドサッと出したときの気分に似ているのでは……?
だから書く。
で、たまたま今日も、田丸謙二先生から、メールが届いた。
「だったら、本を書きなさい」と。
実のところ、もう本には興味はない。
どうでもよい。
それよりも、時間が欲しい。
時間が足りない。
書きたいことがつぎつぎと出てきて、ときに自分でも収拾がつかなくなるときがある。
それに本といっても、私のほんの一部。
一部を切り売りしても、意味はない。
満足感は得られない。
田丸謙二先生は、知らないが、この10年間だけでも、私は、10万枚(40字x36行)以上の原稿を、書いている。
平均すれば、1日28枚前後。
これらをすべて本にすれば、130枚前後で1冊の本になるので、770冊(単行本)。
もちろんそのほとんどは、本にする価値もない駄文。
が、どんな駄文でも、それは「私」。
「これは駄文でないから、本にする」「これは駄文だから、本にしない」というのであれば、最初から本にしてもらわなくても、結構。
……というか、本当は、私は出版社に、相手にされていない。
相手から見れば、私など、どこかのただの(馬の骨)。
出版社を責めているのではない。
私自身も、若いころ、出版社の立場で、本や教材の編集を手伝っていたことがあるから、そのあたりの事情は、よく知っている。
本といっても、商品。
出版社は、まず売れる本かどうかを判断する。
販売部、もしくは営業部が、それを判断する。
編集部が動くのは、そのあと。
逆に編集部が動いたとしても、販売部が「NO」と言えば、その企画は流れる。
もちろん買い取り部数がしっかりと確約されているばあいは別。
たとえば宗教団体の多くは、こうした手法で本を出す。
「○○万部は、うちで買いますから……」と。
ほかに自費出版という方法もある。
が、私には経験がない。
本になるかならないかは、知名度と時代性で決まる。
もちろん私には、そんな力はない。
知名度、ゼロ。
……これ以上書くと、グチになるから、この話はここまで。
●不完全燃焼感
要するに、先ほど見た夢は、私の不完全燃焼感を、そのまま象徴化している。
「何かをしなければと思うが、その何かが、何であるかさえわからない。
そこにあるはずなのに、手が届かない」と。
何だろう?
どうすればいいのだろう?
列車は、先ほど、掛川を通り過ぎた。
書き忘れたが、今、私はこの原稿を、焼津に向かう列車の中で書いている。
●DSM-IV
再び、強迫性障害について。
DSM-IVの診断基準によれば、(1)強迫観念と、(2)強迫行為の2つがあって、はじめて強迫性障害と診断されるそうだ。
で、この中で興味深いのは、(7)の縁起恐怖。
先にも書いたように、「あの人がそうだ」「この人もそうだ」という人が、つぎつぎと浮かんでくる。
「縁起恐怖」というより、「迷信恐怖」。
この迷信という代物は、実にやっかい。
一度取りつかれると、それから逃れるのは、容易なことではない。
前にも書いたが、こんな人がいた。
原稿をさがしてみる。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
2008年11月に書いた原稿、ほか1作
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●迷信
迷信のはじまり……仏壇屋のおやじが、こんなおもしろい話をしてくれた。
「たとえばね、何かの法事をしなかったとしますね。
そのあと、何かの事故が起きたりすると、『やっぱり、これは先祖様を供養しなかったためだ』とかなんとか、人は思ったりするものです。
反対にね、もし法事をしたあと、何かいいことがあったとしますね。
すると『やはり、先祖様を大切にすることはいいことだ』と、人は思ったりするものです。
つまりね、林さん、こうして迷信というのが生まれてくるんですよ。その人の中に……」と。
仏壇屋という職業を通して、そのおやじは、人の生死を見つめてきた。
私は仏壇屋のおやじらしからぬ話を聞きながら、そのつど、感心した。
「この人は、ただの人ではないぞ」と。
つまりそのおやじは、人間が根源的にもっている(弱さ)を見抜いている!
「そんなことを言ったら、仏壇が売れなくなりますよ」と私は言いかけたが、それは言わなかった。
●私の母
私の母は、若いころから迷信深い人だった。
「迷信のかたまり」とさえ思ったことがある。
一貫性がなく、そのつど、迷信に振り回されていた。
もっとも母はそれでよいとしても、それによって振り回される私たちは、たまったものではない。
たとえば靴一足を買うにしても、時間が指定された。
「夕方から遅い時間に買ってはだめ」とか、「買うなら、朝にしなさい」とかなど。
ほかに、「表(=玄関)で脱いだ靴は、裏(=勝手場)のほうで、はいてはだめ」というのもあった。
ときには、靴を買う日まで、指定されたこともある。
「今日は、日が悪いので、買ってはだめ。あさってにしなさい」と。
一事が万事。
ありとあらゆることに、その迷信が、入り込んでいた。
学校へ行くときも、裏口から出て行こうとすると、そこで呼び止められ、叱られた。
「表(=玄関)から出て行きなさい!」と。
幼いころの私はそれに従ったが、小学3、4年生にもなるころには、息苦しさを覚えるようになった。
私は、そのつど母に反発したが、母は母で、自分の主張を曲げなかった。
そういう話を、寺や神社で聞いてきて、いつも私にこう言った。
「そういうことを言うと、バチが当たる!」と。
●されど迷信
迷信、ただの迷信、されど迷信。
その迷信と戦うにも、かなりの勇気が必要。
ゆいいつの武器は、知性と理性、それに知識である。
何かのことで「おかしい?」と感じたら、そのことについて、徹底的に自分で調べるのがよい。
けっして不可思議なものに心をゆだね、その虜(とりこ)になってはいけない。
できればはじめから、近づかないこと。
こうした迷信というのは、一度気にすると、心の内側にペタリと張りつく。
取れなくなる。
取れなくなるばかりか、ときに自分が自分でなくなってしまう。
このことは、子どもの世界を見ているとわかる。
10年ほど前、それについて調べたことがあるが、小学生にしても、大半が、まじないや、占いを信じている。
「霊」の存在を信じている子どもも、多い。
大切なことは、自分で考えること。
仮に納得がいかないことがあったとしても、それを不可思議な「力」のせいにしてはいけない。
こんなことがあった。
ある家庭に、3人の子どもがいた。
上から、長男、長女、それに二女。
長男、長女は、中学時代から札付きの番長に。
高校へは進学しなかった。
二女は、だれの子ともわからない子どもを妊娠、そして出産。
長女が、17歳のときのことだった。
それについて、迷信深い叔父が近くにいて、「これは何かのたたり」と言って騒いだ。
そこでその両親は近くの神社を訪れ、「お祓(はら)い」なるものをしてもらった。
が、原因は、母親自身にあった。
親意識が強く、権威主義。
口もうるさかった。
その上わがままで、思いこみもはげしかった。
子どもの心など、最初から、どこにもなかった。
父親はいたが、週に1、2度赴任先の会社から帰ってくる程度。
母親は自分が感ずるストレスを、そのまま子どもたちにぶつけていた。
子どもたちにすれば、さぞかし居心地の悪い家庭だっただろうと思う。
その結果は、先に書いたとおりである。
つまりほんの少しだけでも、その母親に(考える力)があれば、こうした事態は防げたはず。
が、その母親には、その力さえなかった。
もっとも今は、3人ともそれぞれが結婚し、家庭をもち、それなりに幸福に暮しているから、とくに問題はない。
またその後のことは聞いていないが、あの母親のことだから、今ごろは、きっとこう言っているにちがいない。
「何かあったら、あのX神社でお祓いをしてもらうといいですよ」と。
(以上、2008年11月記)
Hiroshi Hayashi++++++++Nov. 08++++++++++はやし浩司
●迷信について(もう1作)
信仰は、あくまでも教えに従ってするもの。
迷信や狂信、さらには、妄信は、人の心を狂わす。
かえって危険ですら、ある。
S市に住む、Aさん(女性、妻)から、以前、こんなメールをもらった。「私が、夫の宗教を批判するたびに、夫は、『お前がそういうことを言うと、ぼくたちは、地獄へ落ちる』と言って、体をガクガクと震わせます」と。
最初、そのメールを読んだとき、「冗談か?」と思った。
その夫というのは、国立大学の工学部を卒業したような、エリート(?)である。
そんな人でも、一つの宗教を妄信すると、そうなる。
もし、仮に、人間に、そういったバチを与える宗教があるとするなら、それはもう信仰ではない。
少なくとも、神や仏の所作(しょさ)ではない。
悪魔の所作である。
だいたいにおいて、神や仏が、いちいち人間のそうした行動に、関与するはずがない。
たとえば私の家の庭には、無数のアリの巣がある※。アリから見れば、私は、彼らの神か仏のようなもの。
私はその気にさえなれば、彼らを全滅させることもできる。
だからアリたちも、ひょっとしたら、そう思っているかもしれない。
「あの林は、我々の神様だ」と。
そのアリの中の一匹が、私(=はやし浩司)の悪口を言ったとしても、私は気にしない。
私を否定しても、私は記にしない。
もともと相手にしていないからだ。いわんや、バチを与えているようなヒマなど、ない。
人間社会を、はるかに超越しているから、神といい、仏という。
もし神や仏がいるとするなら、宇宙的な視野で、かつそれこそ11次元的な視野で、人間社会を見つめているにちがいない。
そういう神や仏が、いちいち人間に、バチなど与えるはずがない。
ものごとは、もっと常識で考えたらよい。
信仰には、たしかにすばらしい面がある。
しかしそれは、教えによるもの。
あの釈迦も、法句経の中で、『法』という言葉を使って、それを説明している。
※アリの大きさを、〇・五センチ。人間の大きさを、一七〇センチとすると、その面積比は、1:115600となる。
私の家の庭は、約五〇坪(165平方メートル)だから、この五〇坪の庭は、そこに住むアリにとっては、人間の住む広さに換算すると、165x115600/1000000=19(平方キロメートル)の広さということになる。
人間の社会で、一辺が約四キロメートル四方の社会が、この庭の中で、アリたちによって営まれていることになる。
私が住んでいるI町(町内)だけでも、約一万世帯。
約三万人の人が住んでいる。
大きさも、約四キロメートル四方だから、私の庭は、アリにとっては、私が住む町内と、同じ広さということになる。
多分、この庭に住んでいるアリも、約三万匹はいるのでは……?
初春の陽光をあびて、青い草が、さわさわと風に揺れている。
その庭を見ながら、ふと、今、そんな計算をしてみた。
(しかし、この計算は、どこかおかしい? 人間なら、四キロ歩くのに、約一時間かかる。
しかしアリが、この庭を端から端まで横切るのに、一時間はかからない。
一〇分くらいで行ってしまうのでは?
あるいは、アリは、歩く速度が、速いのか。
今、ふと、そんな疑問が、心をふさいだ。
ヒマな方は、電卓を片手に、一度、計算しなおしてみてほしい。)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●Hotel Ambia 松風閣(焼津)
「ホテル・アンビア」という。
地元の人は、「松風閣」という。
海岸の絶壁に建つ、絶景第一のホテル。
いろいろなホテルに泊まったが、まさに絶景。
断崖絶壁の上に建つ、絶景のホテル。
部屋へ入ったとき、思わず、ウォーッと声をあげてしまった。
まるで空中の楼閣のよう。
眼下というより、真下に海岸線が見える。
たまたま今日は、「爆弾低気圧」が発生したとか。
四国のどこかでは、秒速42メートルの突風を記録している。
そのせいか、5~6メートルもあるような大波が、真下で絶壁に打ち上げ、白いしぶきをあげていた。
ハイクラスの、やる気度120%の、豪華ホテル。
浜松周辺では、このホテルと比較できるホテルといえば、伊良湖岬にある、伊良湖ビューホテル。
しかしこのホテルのほうが、上品。
ビューホテルのほうは、客層があまり、よくない(失礼!)。
部屋へ入ると、若い女性が、館内の説明をしながら、お茶を立ててくれた。
●夕食
夕食は、ここへ来る前、焼津さかなセンターで食べた。
さかなセンターの中には、いくつかの食堂がある。
その中の1つで、食べた。
なお焼津さかなセンターで売られている魚介類は、ショッピングセンターのそれと比べて、2~3割は安い。
が、食堂の料理は、「安い」という印象は、もたなかった。
で、夕食は、抜き。
が、その間に入浴すれば、がらがらのはず。
案の定、その時間をねらって大浴場へ行くと、客は私、1人だけ。
ゴーゴーと吹きすさぶ黒い雲を見ながら、露天風呂につかる。
まさに、絶景かな、絶景かな。
大満足!
明日は窓から富士山がながめるとか。
天気予報を調べると、「晴れ、ときどき曇り」とか。
ラッキー!
窓の外を見ながら、ワイフがこう言った。
「いつか、こういうときが懐かしくなるかもね」と。
それに答えて、私はこう言った。
「まだまだ序の口。これから遊んで、遊んで、遊びまくる」と。
●今東光
昔、今東光という作家がいた。
政治家でもあり、天台宗の大僧正でもあった。
一度、平泉の中尊寺で、法主(ほっす)として、法要をいとなんでいるのを見たことがある。
11PM(日テレ)で企画を書いているとき親しくなり、それが縁で、今東光ががんに侵されたとき、ときどき見舞いに行った。
今東光は、2度、東京築地のがんセンターに入院している。
最初の1回目は、まったく元気だった。
医師に止められていたにもかかわらず、私を、センターの前にある焼肉屋で連れて行ってくれた。
今東光の病名は、直腸がんだった。
だから私のほうが心配して、「いいんですか?」と聞くと、「いいべえ」と。
そんなある日。
また別の日に見舞うと、突然、こう言った。
「女を買いに行くべえ」と。
当時、今東光は、女性のヌード画を描いていた。
体や性格にまったく不釣り合いな、細い線のヌード画だった。
今東光が前もって電話をすると、画廊のほうで、モデルを用意し、待っていてくれた。
その今東光がこう教えてくれた。
「俺はな、若いころ、修行、修行で、女遊びができなかった。
病気も、もらったがな。
だから今でも、それを思うと、悔しくて、女を買いに行く」と。
たしかそのとき「19歳から23歳まで、修行した」と言った。
そのとき聞いた年齢は記憶によるものなので、不正確。
……今、そのときの今東光の気持ちが、よくわかる。
私も、若いころは、仕事、仕事で、遊ぶことを知らなかった。
暇さえあれば、仕事をしていた。
それが今になってみると、悔しい。
だから、遊ぶ。
今、遊ぶ。
私「あきるほど、遊ぼう」
ワ「そうね」と。
今では、今東光の名前を知る人も、少ない。
なお2度目に入院したときには、今東光は、ベッドの上で身動きが取れない状態だった。
丸いテント様のおおいに覆われ、顔だけ外に出していた。
それでも今東光は、原稿を書いていた。
いつ、どのようにして書いたかは知らないが、原稿を書いていた。
その原稿が、入り口のデスクの上に、きちんと並んでいた。
それが私に強烈な印象を与えた。
●ロビーにて
ワイフが売店へ行こうと誘った。
応じた。
今、ワイフは、売店で、何やら買っている。
クラブの仲間へのみやげらしい。
私は、それを背中に、こうしてパソコンのキーボードを叩く。
……少し前、エレベーターで、9階から下りてきた。
そのとき焼津の夜景が、宝石のように美しく輝いていた。
嵐は去ったよう。
……だれかがエレベーターの中でこう言った。
「明日の日の出は、5時29分ね」と。
運がよければ、またそのとき目を覚ましていれば、私も日の出を見ることができるはず。
楽しみ。
富士山を右手に、美しい写真を撮れるはず。
●春休み
春休みということもあって、どこへ行っても、子どもの声がする。
今も背中側の通路で、子どもたちが騒いでいる。
聞きなれた声だが、うるさいものは、うるさい。
大声で、騒いでいる。
走り回っている。
ロビーの前は、広い日本庭園になっている。
白い砂利が、ロビーの明かりを受け、白く光っている。
そのガラス窓に、ワイフの姿が映った。
何かを買ったらしい。
それを手にもち、ぶらぶらと歩いている。
●小沢系29人(民主党)辞表
ワイフが朝日新聞の朝刊をもってきた。
1面の下の方に、「小沢系29人、辞表」とあった。
小沢系といえば、50人近くいたはず。
つまり20人以上が、小沢一郎から離反したことになる。
「そういうものかなあ」と思ってみたり、「どうしてだろう」と思ってみたりする。
政治の世界は、一寸先が闇。
一枚下も、これまた闇。
そこは権力と欲望が、醜く渦巻く世界。
「いやな世界だろうな」と思ってみたり、「よくやるなあ」と思ってみたりする。
そう言えば、以前、「平成の忠臣蔵」というタイトルで、エッセーを書いたことがある。
野田政権が誕生したとき、小沢派議員の忠僕性を皮肉ったものである。
探してみる。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●民主党
野田首相が生まれた。
その話をしながら、昨夜も参観に来ていた父親と、こんな話をした。
「どうして管さん(=管直人首相)では、だめなんですかねエ?」と。
するとすかさずその父親も、こう言った。
「私も、そう思います」と。
わかりやすく言えば、みなが寄ってたかって、管直人前首相の足を引っ張った。
官僚、ゼネコン、そして同族の一派。
この日本では、行政改革(=脱官僚政治)を訴えただけで、その政治家は干される。
ゼネコン(=原発建設業者)を叩いただけで、経済界からはじき飛ばされる。
民主党といっても、中身は、派閥政治。
「数」と「金(マネー)」がものをいう、派閥政治。
野党時代は、あれほど自民党の派閥政治を批判していたにもかかわらず、政権与党になっ
たとたん、この体たらく。
もちろんその原点は、忠臣蔵。
私たちが若いころは、毎年12月になるたびに、忠臣蔵がテレビで放映されていた。
恒例番組にもなっていた。
それがそのまま日本人の精神的バックボーンになっている。
政治の世界でも、そうだ。
・・・というのは、考えすぎかもしれない。
しかし今の民主党、とくに小沢一派の議員の動きを見ていると、忠臣蔵そのもの。
称して「平成の忠臣蔵」。
権力を背負っているだけに、暴力団より始末が悪い。
日本人は、あの封建時代の遺物を、いまだに色濃く引きずっている。
●武士道
・・・もし江戸時代の武士道なるものが、どういうものかを知りたかったら、現在の「ヤクザ(暴力団ではない)の世界」を見ればよい。
皮肉なことに、ヤクザの世界は、封建時代における武士の世界そのものといってよい。
忠実に過去を踏襲している。
いまだにその武士道なるものを礼賛する人は多い。
「武士道こそ、日本が世界に誇るべき精神的バックボーン」と説く学者もいる。
しかし封建時代がもつ「負の遺産」に目を当てることもなく、一方的に礼賛するのもどうか?
5%にも満たない武士が日本の社会を牛耳り、95%の日本人が、その暴政に苦しんだ。
江戸時代という時代にしても、世界に類を見ないほど、暗黒かつ恐怖政治の時代だった。
が、何よりも忘れていけないことは、私たちの先祖は、その95%の農民であったという事実。
(工民、商人は、数がぐんと少なかった。)
もしあのまま今でも封建時代がつづいていたら、私たちはまちがいなく、農民だった。
その農民が、武士のまねごとを説いて、どうなる?
どうする?
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●タクシーの中で
今では、どこへ行っても、原発事故と、地震や津波の話。
今日も、そうだった。
JR焼津駅からタクシーに乗ると、運転手がこう言った。
「どちらから?」と。
「浜松から」と答えると、「浜松は、だいじょうぶですか?」と。
運転手は、こう言った。
「焼津の人たちの中にもね、藤枝の方へ引っ越す人がふえていますよ」と。
浜松市内でも、遠州浜沿いに住んでいる人たちの引っ越しが始まっている。
少し前までは、新幹線の北側は安心と言っていた。
が、震度7、津波の高さ21メートル。
3つのプレートが同時に動くと、それくらいの地震になるそうだ。
で、もしそうなら、新幹線の線路でも、防ぎようがない。
地震で地盤の液状化も起こるだろう。
そこへ21メートルの津波!
海抜10メートル前後の下町は、全滅。
3・11大震災前なら、そんな話はだれも信じなかっただろう。
私も信じなかった。
が、今は、ちがう。
「今すぐ……」というわけではないが、いつかは起こる。
かならず、起こる。
そういう前提で、この先を見る。
数日前も、義兄がこう言った。
「下町の人たちが、山の手のほうへ、移動しているよ」と。
義兄は、大地主で、自分の土地の管理もかね、不動産屋を営んでいる。
いやな世の中になったものだ。
今、この瞬間にも、大地震が起こるかもしれない。
●浜岡原子力発電所
ときどき、ワイフとこんなふうに話しあう。
もし大地震が起きたら、すぐ逃げよう、と。
近くには、浜岡原子力発電所がある。
防災は万全と言っているが、だれも信用していない。
私も、信用していない。
あの3・11大震災から数か月後のこと。
浜岡原子力発電所でも、配管に穴が開いているのが見つかった。
放射性物質が、海へ垂れ流されているのがわかった。
で、その前後、「大規模な」(報道)、防災訓練がなされた。
が、その防災訓練が、へん!
消防自動車がやってきて、原子炉に水をかけていた。
原子炉に水だぞ!
私はそれをテレビのニュースで見て、笑ってしまった。
つまり日本の防災意識も、その程度。
北朝鮮では、がんでも、赤チンをつけて治すそうだ。
何かの本で、そう読んだことがある。
それと同じ。
……こういう話は、やめよう。
せっかくの旅行。
考えれば考えるほど、憂うつになる。
●4月4日
明けて、今日は4月4日。
目覚ましを、午前5時15分にセットしておいた。
目覚ましと同時に、目を覚ますと、窓全面に、青い空がまぶしいほどに光っていた。
同時にワイフも目を覚ました。
このホテルには、一度、皇族方全員が宿泊している。
言うなれば家族旅行。
そのときはじめて、私は納得した。
「この景色なら、その価値がある」と。
浜松からは、鈍行列車で来ても、50分。
車で来れば、もっと早い。
愛知県の西浦温泉などよりは、ずっと近い。
こんな近くに、こんなよい温泉旅館があるとは!
星は、文句なしの、5つ星。
すばらしい。
今、時刻は午前8時07分。
大波が右上から左下に、行く筋もの山を作り、その間で、糸のように細い小波が揺れている。
プラチナ色の海。
それを取り囲むように、淡いコバルト色の海。
たった今、デジタルカメラを構えて何枚か写真を撮った。
まぶしくて、液晶画面が見えなかった。
その方向にカメラを向け、勘で撮った。
さあ、このまま帰る。
シャトルバスは、8時30分に出る。
はやし浩司 2012-04-04 焼津・ホテルアンビア・松風閣にて
(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司)
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【北朝鮮問題vs私たち日本人の問題】
●迎撃ミサイル発射、反対!
●人工衛星
「週刊現代」(今週号)を読んだ。
グラビアの中で、北朝鮮の人工衛星を紹介していた。
前回発射したとき、ミサイルに搭載したものという。
それを評して、週刊現在誌は、「おもちゃイムニダ」と書いていた。
たしかに、「おもちゃ」。
「おもちゃ」以下の「おもちゃ」。
サッカーボール、あるいはミラーボールのような球体に、アンテナが4本ついていた。
それだけ。
アンテナといっても、明らかにラジカセのアンテナ様(?)。
よく見ると、そのアンテナも、途中で、伸縮できるようになっている。
いったいだれが、どのようにして伸ばしたり、縮めたりするのか?
本体は球形だが、太陽電池らしいものはない。
電波を地上へ送るにも、かなり強力なバッテリーが必要なはず。
バッテリーは、どうするのか。
さらに制御装置らしきものものない。
素人の私が見ても、チャチ。
チャチすぎて、話にならない。
その前のページでは、日本の宇宙ステーションの製造現場を紹介していた。
それと比較しても、一目瞭然。
あれは「おもちゃイムニダ」。
北朝鮮の人たちは、あんなおもちゃを見せつけられ、それが本当に人工衛星と思い込んでいるのだろうか。
週刊現代誌を買い、BLOGの中でその写真を紹介しようと思ったが、やめた。
紹介するまでもない。
それほどまでにチャチな人工衛星だった。
●赤恥
で、私は確信した。
北朝鮮は、ミサイルなど発射しない。
……できない。
その技術もさることながら、仮に発射したとしても、宇宙には届かない。
太平洋上のどこかに墜落する。
が、そこでは、世界中の艦船が、待ち構えている。
うようよと待ち構えている。
そのあたりは、深度40メートル前後という。
当然、人工衛星(?)なるものは、回収される。
そのとき人工衛星がハリボテであるとわかったとしたら……。
北朝鮮は、赤恥をかく程度ではすまない。
今までのウソが全部、バレてしまう。
(といっても、北朝鮮も、そこまでバカではないだろう。
回収されても困らないように、自爆装置くらいはつけているだろう。
自爆装置といっても、爆薬を詰めておけば、それでよい。)
さらに一言。
今回の人工衛星は、気象衛星という。
もしそうなら、飛行制御装置はもちろん、姿勢制御装置は、どうなのか。
地上から、どうやってそれを制御するのか。
宇宙から届く電波を、どうやって受信するのか。
少なくとも地上を撮影するカメラくらいは、ついているだろう※。
だから私は、北朝鮮にこう忠告する。
「今回のミサイル発射実験は、やめたほうがいい。赤恥をさらすだけ」と。
(注※……韓国の報道)
『韓国政府関係者は「観測衛星は通常、先進国の技術でも1500キロを超え、100キロの大きさでは『実用』からほど遠い。核弾頭の小型化を見越した『模擬弾』の意味合いが強い」』(MSNニュース)と。
●アメリカの反応
それを熟知しているのか、アメリカは北朝鮮の代表に、こんな提案をしている。
「人工衛星なら、中国やロシアに打ち上げてもらってはどうか?」と。
が、北朝鮮が「YES」と言うわけがない。
それがわかっていながら、アメリカは、そう提案した。
Yahooニュースは、こう伝えている。
『……北朝鮮外務省・李根米州局長とアメリカ政府の元高官らが先月31日と今月1日、ドイツ東部で非公式の協議を行った。
しかし、双方の溝は埋まらなかったもよう。
セミナーを主催した民間団体の関係者によると、アメリカ側は「人工衛星の打ち上げであれば、中国やロシアに依頼すればよい」と提案したが、北朝鮮側はそれを受け入れなかった』(以上、Yahooニュース)と。
●周囲科学
ひとつの科学が進歩するためには、それを支える周囲科学が必要である。
同じように、人工衛星を作るには、周囲技術が必要である。
部品1個作るのにも、必要である。
いわんや、人工衛星。
少し前まで、乾電池すら自前で作ることができなかった国である。
(恐らく、今も、できないだろう。)
そんな国が、人工衛星など、作れるわけがない。
いわんや、それを宇宙に飛ばすとは……?
もしそれができるとすれば、イランから技術とロケット本体を手に入れたと考えるのが妥当。
イランはすでに人工衛星を軌道に乗せることに成功している。
しかし仮にそうであったとしても、今回のミサイル発射実験には、いくつかの無理がある。
その第一。
発射場への鉄道線路は、つい昨年末(2011)に完成したばかりという(報道)。
一事が万事というか、であるなら、それまでの資材などは、どうやって運んでいたのか。
しかも発射場に立っているクレーンは、ビル建設用のクレーンという。
発射台すら、ない。
知れば知るほど、お粗末。
そんな機材で、本当にロケットなど、打ち上げることができるのだろうか。
報道によれば、発射場にしても、一部、未完成という※。
……ということを考えていくと、今回のミサイルの発射実験は、無理。
で、今ごろ、内部では、こんな相談をしているにちがいない。
幹部A「とにかく、ある程度、飛べばいい」
幹部B「衛星が回収されたら、どうしますか」
幹部C「……発射方向を変えることはできないか?」
幹部D「それもひとつの手だな」
幹部E「いいか、ウソがバレたら、俺たちみな、公開処刑だぞ」
幹部F「……そうなったら、ただちに脱北しよう」と。
(注※……中央日報紙より)
『……中央日報は2日、北朝鮮が長距離弾道ミサイル発射実験とみられる「衛星」打ち上げを予告している平安北道東倉里の発射施設について、一部未完成とみられると報じた。
真偽は不明。施設の衛星写真を見た韓国政府高官の話としている。
それによると、衛星の運搬ロケット「銀河3号」を発射台に据えるため設置される「発射整備台」が見当たらず、発射施設にタワークレーンが置かれているという。
高官は、発射整備台の設置工事が遅れ、クレーンで代用するとみられると指摘したという』(共同)と。
●戯言(たわごと)
こうしたことを書くと、こう反論する人がいるかもしれない。
「貧しい国が、精一杯、背伸びをし、がんばっている。
そういう国を笑ってはいけない」と。
しかしそれは北朝鮮の現状を知らない人が口にする、「戯言(たわごと)」。
独裁政権を維持するために、おびただしい数の人たちが、処刑されたり、収容所へ送られたりしている。
現在の今ですら、その数は、20万人とも、それ以上とも言われている。
つい先日は、軍の高官らが、迫撃砲で、処刑されたという。
「髪の毛一本、残すな」という、金正恩の命令によるものだという。
なお一度収容所へ送られたら最後、生きて帰ってくる人は、ほとんどいないという。
●反面教師
この先のことはわからない。
ミサイル発射実験につづいて、核実験も用意しているという報道もある※(韓国紙)。
やることなすこと、私たちの常識では理解できない。
狂っている。
が、どうであれ、私たちは今を生きる、生き証人として、北朝鮮の現実を、しっかりと記憶しておく必要がある。
歴史は繰り返す。
過去にも同じようなことがあったし、未来にも、同じようなことはある。
そういうときのために、しっかりと記憶しておく。
そして二度と、現在の北朝鮮がしているようなことを、私たちは繰り返してはいけない。
私たちがいつか、同じように狂わないという保証は、どこにもない。
北朝鮮を非難したり、笑ったりするのは簡単なこと。
しかし私たち日本人だって、ほんの70~80年前には、同じようなことをしていた。
それを思うなら、もう少し謙虚になってもよいのでは。
時代が変われば、記憶も薄れ、結局はまた、私たちは、同じことを繰り返す。
それを北朝鮮を通し、私たちは学ぶ。
今、学ぶ。
北朝鮮は、まさにその反面教師ということになる。
(注※……TBS)
『韓国の国防省は、北朝鮮がミサイル発射実験とみられる「衛星」を打ち上げた場合、あわせて核実験も行う可能性があるとの見方を示しました。
「北朝鮮がミサイルを発射した後、短期間のうちに核実験を行う素地があり、状況によっては追加の軍事挑発も憂慮されます」(韓国国防省スポークスマンの会見)』(以上、TBS)と。
●維新の会
そのひとつというわけでもないが、私個人は、「維新の会」なるものに、あってはならない(危険なもの)を感ずる。
「大躍進」というのは、結構なことだが、政治の一貫性ということを考えるなら、けっして望ましいことではない。
自民党がだめだったから、民主党が大躍進した。
が、今度は、民主党がだめだから、維新の会?
維新の会が危険というのではない。
日本人がもつ、短絡性というか、後先を考えない激情性に、危険なものを感ずる。
つまり極端すぎる。
ひとつまちがえば、この日本は、たいへんなことになる。
「維新の会」については、どういう方向性を持っているか、もう少し冷静に、見てみる必要があるのではないだろうか。
支持するのは、それからでも遅くない。
現に今、国歌だの何のと、橋下氏は、かなり右翼的な色彩の濃い発言を繰り返している。
あとになって、私たちは判断を誤りました、ではすまない。
金正恩も若い。
橋下 徹も若い。
ムードだけに酔いしれていると、それこそ、たいへんなことになる。
●TK先生へ
TK先生から、たった今、メールが届いた。
現在TK先生は、自宅を改築中。
その間だけということで、現在、近くの有料老人ホームに入居している。
その返事。
『TK先生へ
近くにいれば、毎晩でも話に行けるのに残念です。
私は実際には、祖父母の手によって育てられました。
また晩年の母は、2年間、私が世話をしました。
ワイフにはさせませんでした。
老人の世話には、慣れています。
そこらの介護士より、老人の扱い方がうまいのは、そのためです。
まったく気になりません。
実兄も、最後はボケ、いろいろありましたが、弟のように感じました。
だから先生の世話など、何でもありません。
多分先生のことだから、そういうところで、自分の近未来を見、ショックを受けられたのだろうと思います。
気持ちはよくわかります。
私も、もし自分に経験がなければ、ショックを受けただろうと思います。
しかしね、楽しめばよいのです。
私はいつも特養へ母を見舞いに行くたびに、周囲の老人たちとバカ話ばかりしていました。
が、ワイフはだめです。
老人と同居した経験がありません。
老人の世話をした経験もありません。
母が家にいる間中、「食事はどうの?」「運動はどうの?」と、そんな心配ばかりしていました。
老人には老人の世界がありますから、そっとしたいようにさせておくのがいちばんよいのです。
ただ、事故が3度つづき、それでこわくなって、特養へ入れました。
どれも、あわや……というような事故でした。
(母は昼間は眠り、夜中に動きまわりましたから……。
それにたとえ事故死であっても、不審死ということで、警察が介入してくると言われました。)
で、ケアマネに相談すると、「24時間、ついていてください」「夜は添い寝をしてください」と。
それでGIVE UP!、です。
私はその間、ただの一度も、ほかの息子や娘たちのように、グチを言ったことはありません。
つまりそういうことが、さらっとできるのです。
いつも祖父母のふとんに潜り込んで寝ていましたから……。
寒い夜は……。
中学生くらいになっても、です。
でもね、先生、こんなことを発見しました。
私も、この2年間で、2度、倒れました。
(軽いのを含めると、3度です。)
一度は、気を失い、大きなガラス窓を割ってしまいました。
そのときのことです。
死ぬことは、まったくこわくないということを知りました。
実に、穏やかで、安らいだ世界です。
「ああ、これで死ねる」とさえ、思いました。
でね、私はこう発見したのです。
脳には、そのときのために、すでにそのようなプログラムがすでにインプットされている、とです。
前脳と後脳の中間部あたりに、そういう部分があるそうです。
このことは逆に、最近、わかってきたのですが、あの新生児(赤ん坊)にも、そういう脳の機能があるのだそうです。
あの新生児が、親の愛をひきつけようと、無意識の部分で、行動しているということがわかってきました。
驚きでしょ!
つまり人間の脳のもつ、多様性というか、生まれてから死ぬまで、それぞれの段階で、プログラムがちゃんとインプットされているというわけです。
だから死ぬのはこわいですが、死の瞬間は、みな、穏やかで、安らいだ気分になる。
それを発見しました。
……やがてすぐ、私も先生のあとを追いかけます。
さみしいというより、楽しみです。
だからいっしょに、残された有意義に過ごしましょう。
先生も、ジジ臭いことを言わないで。
何かとたいへんでしょうが、先生は、けっして独りではないし……。
また何かあれば、連絡してください。
パソコンの分野でしか力になれませんが、よろしく!!!!!
はやし浩司』
●160万人
話を戻す。
北朝鮮は、早晩、かならず崩壊する。
が、日本にとっての問題は、それから。
韓国主導になるか、中国主導になるかは別として、日本は改めて戦争責任を問われることになる。
すでに北朝鮮は、中国を介し、補償金を打診してきている。
その額、何と100兆円!
もちろんそれで問題が解決するわけではない。
日本のすぐ隣に、巨大な反日国家が誕生することになる。
陸軍だけで、計160万人。
それこそその気にさえなれば、日本は、ほんの数日で、占領されてしまう。
仮に占領されないにしても、それ以後、日本は、今以上にその圧力を感じることになる。
ビクビクしながら、生きることになる。
日本は、はたして、そのストレスに耐えることができるだろうか。
が、問題は、さらにつづく。
●日本が蒔いた種
元はと言えば、日本が蒔いた種。
それゆえに、最近の若い人たちは、こう言っている。
「ジジババの責任」と。
それが反世代闘争(=老人への反感)の原動力となっている。
今ではジジババ・ゴミ論がさらに進み、ジジババ害悪論まで、飛び出している。
つまりこの先、私たちジジババに対する風当たりが強くなることはあっても、和らぐことはない。
団塊の世代以上の人たちにとっては、たいへん住みにくい世界が、そこで待ち構えている。
……とまあ、そこまで考える必要はないかもしれない。
しかし北朝鮮の問題は、回り回って、やがてそのあたりまでやってくる。
経済が落ち目になったら、なおさら。
少なくとも、「お爺ちゃん、お婆ちゃん、ありがとうございました」「お爺ちゃん、お婆ちゃん、ゆっくりと休んでいてください」という時代には、ならない。
その覚悟だけは、今からしておいたほうがよい。
●迎撃ミサイル発射、反対!
以上のような理由から、私は迎撃ミサイル発射については、明確に反対する。
北朝鮮のミサイルに当たっても、はずれても、「発射した」という事実は、この先、大きな傷として、残る。
北朝鮮に、日本攻撃の口実を与えることになるかもしれない。
北朝鮮の立場で、それを考えてみると、よくわかる。
北朝鮮にとって、戦争という突破口をいちばん名分化しやすいのは、この日本である。
アメリカや韓国ではない。
この日本である。
ならば「日本にはアメリカがついている」と考えている人は多い。
しかしそれは日本という国が、民主党政権になったときに、すでに日米安保条約は、形骸化した。
欧米では、「反米主義の左翼政権誕生」と、大々的に報じられた。
事実、民主党政権が最初にしたことは、中国詣で。
アメリカ詣でではなく、中国詣で。
あの小沢一郎は、300人近い国会議員や随行者を連れ、イのいちばんに、中国詣でをしている。
さらに民主党政権は鳩山氏を東南アジアに送り、アメリカ抜きの「東アジア共同体構想」をぶちあげた(2009年9月)※。
欧州連合(EU)をモデルにしたものだが、これがいかにアメリカを怒らせたかは、想像するに難(かた)くない。
現在、極東アジア情勢は、完全に日本をはずしてことが進んでいる。
米韓主導。
結論から先に言えば、戦後、日本は、今、最大の危機的状況の中に置かれている。
……だからここは慎重に!、……ということで、迎撃ミサイルの発射には、慎重の上に慎重であるべき。
つまり反対!
迎撃の構えは見せても、迎撃してはいけない。
形はミサイルでも、中身はハリボテ。
そんなミサイルを本気で迎撃する必要はない。
その費用、1兆円以上!
が、それだけではない。
へたに迎撃すれば、中国を利するだけ。
中国はそれを見て、日本ならびにアメリカの迎撃システムや能力を知ることになる。
(注※……東アジア共同体構想、Yahooキーワードより)
『東アジア各国が政治、経済、安全保障などで連携し共存と繁栄を目指す構想。
民主党は衆院選マニフェスト(政権公約)でアジア外交強化の取り組みとして明記。
アジア諸国と信頼関係を築き通商や金融、エネルギー、環境、災害救援、感染症対策などの分野で協力体制を確立するとした。
参加国には、中韓両国や東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国を想定。
米国、インド、オーストラリア、ニュージーランドなどの扱いが焦点となる』(以上、Yahooキーワード)と。
●茶番劇
最後に一言。
今回の北朝鮮によるミサイル発射実験も、結局はアメリカvs中国という、2大国家のはざまで起きる茶番劇に過ぎない。
アメリカにしてみれば、北朝鮮の核兵器、およびミサイルなど、痛くもかゆくもない。
(テロ集団に拡散することは恐れているが……。)
アメリカにしてみれば、中国こそが、最大の脅威。
一方、中国にしても、事情は同じ。
北朝鮮の核兵器、およびミサイルなど、痛くもかゆくもない。
中国にしてみれば、アメリカこそが、最大の脅威。
だからその水面下では、たがいに謀略につづく謀略を繰り返しているはず。
おぼっちゃま然としている日本には、それがわからない。
日本が立ち入るスキなど、どこにもない。
ただ心配なのは、今、日本はその存在感(?)を示そうと、焦っていること。
その(焦り)が、日本を暴走させる。
野田首相は、厳に、慎重であってほしい。
●TK先生より
メールを開くと、TK先生から、返事が届いていた。
『林様:ご親切なメール有難うございました。
大変に心を打たれるメールでした。
御元気そのもののように見えた貴君が、二度もお倒れになったと聞いて驚きました。
これからはお互い様歳をとる一方です。
くれぐれもご注意して下さい。
大切な人ですから。
私にとってお迎えが来るということは亡くなった「マミ」(=奥様)や、娘が待っていて久しぶりに会え、一緒になれる期待が感じられます。
なるようにしかならないこれからですが、お互いに頑張りましょう。
くれぐれもお大事に。
TKより』
(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 北朝鮮問題 はやし浩司 2012-04-02)
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2012年5月5日土曜日
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