2012年4月28日土曜日

Life is full of dramas

☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……  
.QQ ∩ ∩ QQ         
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ    
.  /~~~\  ⌒ ⌒     
. みなさん、   o o β       
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
.        =∞=  // 
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 5月 7日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★ ★★HTML版★★★
HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
************************

http://bwhayashi2.fc2web.com/page005.html

メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●複合症状

 子どもを見るときむずかしいのは、症状が複合しているばあい。
あるいはひとつの症状であっても、その症状が、こじれているばあいもある。
たとえばAD・HD児。

 親が早い段階でそれに気づき、適切に対応していればよい。
が、実際には、無理に無理を重ね、症状を悪化させてしまうケースが少なくない。
中には、はげしい暴力、威圧、虐待を加える親もいる。
そうなると、同じAD・HD児でも、ちょうど複雑骨折のように、骨がどこでどう折れているかさえ、わからなくなる。

 さらにAD・HD児に、別の問題、たとえば、かんしゃく発作、さらには、てんかん症が加わることもある。
こうして子どもの見せる症状は、ますます複雑になる。
症状が複合化するので、「複合症状」(はやし浩司)という。

●いろいろな例

 ほかにもいろいろある。

 たとえば同じかん黙児でも、それに親の情緒不安や精神不安が加わることもある。
親が、それを気にしすぎるあまり、子どもに手をかけ過ぎてしまう。
たいていはベタベタに溺愛する。

 このタイプの子どもは、たいてい、手がつけられないほどの、ドラ息子、ドラ娘になる。
外の世界で、自分を発散できない分だけ、内の世界(=家庭)で、粗放化する。
何か気にくわないことがあると、そのつど母親に包丁(包丁だぞ!)を、投げつけていた女児(年長児)もいた。

 あるいはLD児。
タイプはいろいろある。
文字を読むことはできても、意味を把握することができない子ども。
漢字を覚えたり、単語を暗記するのが、極端に苦手な子ども。
脳の機能障害説が常識になっているが、それだけに無理をしても、意味がない。
が、親には、それがわからない。
わからないから、子どもを叱る。
「どうして、あなたはこんなことができないの!」と。

 そうでなくても、勉強は苦手。
その上、勉強に、恐怖心まで、もってしまう。
小学校の入学までに、一度、そういった症状を見せるようになると、以後、勉強が好きになるということは、まず、ない。
(できない)→(逃げる)の悪循環の中で、ますます勉強から遠ざかっていく。

●知らぬフリ

 複合症状を見分けるのは、それほど、むずかしいことではない。
たとえばアスペルガー児が、本来のアスペルガー児特有の症状以外の症状を、併せもつことがある。
そういうときは、アスペルガー児特有の症状を、その子どもから削ってみればよい。
残ったのが、複合された部分の症状ということになる。

 が、問題は、どうすれば、それを親に、わからせることができるかということ。
私の立場では、症状名やその内容まで、話すのは、タブー。
あくまでも知らぬフリをして、指導に当たる。
たとえば親の強圧的、かつ威圧的な育児姿勢が、子どもの心をゆがめることがある。
アスペルガー児は、そういう点では、たいへん傷つきやすい。
殻に閉じこもり、がんこになる。
それを親が、はげしく叱る。
だからそれとなく、私は、こう言う。

「もう少し、お子さんを信じ、お子さんの立場で、ものを考えたらいいですよ」と。

 が、母親にはそれがわからない。
「うちの子ががんこなのは、根性が曲がっているから」と。
こうして症状は、ますます複合化する。
つまり複雑になる。

●10%のニヒリズム

 本来、子どものそばにいて、子どもを伸ばす立場の親が、子どもの伸びる芽を、かえってつぶしてしまう。
こういうケースは、多い。
「私は学校の先生より、子どものことはよく知っている」「私のしていることが、いちばん正しい」と豪語する親ほど、あぶない。
風通しが悪い分だけ、他人の話に耳を傾けない。
独断と独善の世界で、自己流の子育てを繰り返してしまう。

 が、私には、それがよくわかる。
手に取るように、よくわかる。
それだけではない。
その子どもの未来まで、ざっとわかる。
会った瞬間に、それがわかる。

若い親たちから見れば、私はバカに見えるかもしれない。
そういう目で私を見ていることさえ、私には、よくわかる。
「この親は、私をただの教師と思っている」と。
わかるが、私は、さらにバカなフリをする。 

 というのも、この世界には、「内政不干渉」という大原則がある。
親の方が、具体的に問題を提起し、それについて意見を求めてきたときだけ、それに答える。
この世界では、不用意に言った、ささいな言葉が、大問題になるということは、よくある。
だからこそ、わかっていても、何も言わない。
これを「10%のニヒリズム」という。
(「10%」でなくても、「20%」でもよいが……。)

 つまり切るべきところは切り、あとは親に任す。
もともと「親」というのは、そういうもの。
自分で失敗してみて、はじめて気がつく。
それまでは、聞く耳すら、ない。

●「私は無知」

 では、どうするか。
 
 これについては、何度も書いてきた。
要するに、自分たちを取り巻く「殻」を取り除き、風通しのよい家庭環境を作る。
さらに言えば、「私は無知」を前提に、謙虚になる。

 指導する側でいちばん困るのが、子どものことで何かを告げようとしたとき、すぐ反発してくる親。

私「最近、元気がありませんが……」
親「家では、ふつうです」
私「愛情不足ということはありませんか」
親「いえ、子どもたちは、みな、平等にかわいがっています」
私「学習面で、無理をしているようなことはありませんか」
親「ありません」と。

 とくに学校の先生には、謙虚になったほうがよい。
教育のプロということはもちろん、先生は、いつも多人数の子どもたちの間で、比較しながら、あなたの子どもを見ている。
その(比較)が、大切。
つまり客観的に、その子どもを見ることができる。
が、親には、その比較ができない。

 そのためには、聞き上手になること。
もう一歩、話を進めれば、自分の子どもでも、他人と思うこと。
距離を置けば、自分の子どもでも、客観的に見ることができるようになる。

 そんなわけで、「私は無知」を恥じてはいけない。
親は、みな、無知。
無知であるのが、当たり前。
学校でも、育児について学ぶ時間というのは、ほとんどない。
(最近は、それを教えるようになったが……。)
が、そんな程度で、育児がかかえるさまざまな問題に対処できるようになるということは、ありえない。

 だから結論は、どうしても、こうなる。
「謙虚になりなさい!」と。

●対処法

 「複合症状」という言葉は、私が考えた。
が、その「複合」といっても、2つとか、3つ程度の複合は、当たり前。
中には、さらに4つとか、5つも複合することがある。

 組み合わせ論的に考えるなら、それこそ、子どもが見せる症状は、千差万別ということになる。
が、ていねいに分析していけば、やがて混乱したコードをほぐすように、やがて症状を分離し、類型化することができる。
と、同時に、千差万別に見える子どもも、単純な組み合わせでそうなっていることがわかる。

 そこで私がすることは、類型化した「型」に優劣をつけ、また直しやすい部分から、直していく。
一方、簡単には直らない部分もある。
脳の機能や器質にかかわるような問題は、簡単にはなおらない。
ゆいいつできることがあるとすれば、「それ以上、症状を悪化させない」ということ。
消極的な対処法だが、あとは「時」を待つ。
どんな子どもにも、成長とともに、自分を正していくという能力が備わっている。
それを信じ、それを引き出す。
冒頭にあげたAD・HD児にしても、症状さえこじらさなければ、成長とともに、やがて落ち着いてくる。
見た目の騒々しさなどは残ることはあるが、それとてその子どものコントロール下に置かれるようになる。
つまり自分で自分をコントロールすることができるようになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 複合症状 複雑化する子どもの症状)


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【生きる意味・高校生との会話】(はやし浩司 2012-03-23)

●今日は雨

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 朝起きると、野鳥たちが、私を待っていた。
庭を取り囲んでいた。
近くの木々や、隣の屋根の上にいた。
スズメ、ヒョドリ、ムクドリ……。
最近は、カラスまで来るようになった。
ついでに、どこかの飼い猫とリスまで来るようになった。

 「まだ6時ごろかな……」と思って起きたら、8時半!
外は雨だった。
重い雲が低く垂れ、春雨というよりは、梅雨時のような雨。
かなりはげしい雨だった。

腹をすかせているのだろう。
野鳥たちは、私を見ても、逃げようともしなかった。
そのあたりを飛び回っていた。
それを知り、私は、小走りに、あちこちに餌をまいた。

居間に戻ると、ランニング・マシンを庭に向けた。
野鳥たちが餌を食べるのを見ながら、まず30分。
ほどよい汗をかく。

今日も、こうして始まった!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●原稿

 書斎に入ると、すぐ原稿のチェック。
F雑誌社からのものと、J工業会(機関誌)からのもの。
J工業会からのものは、44行分、削除してくれというものだった。
が、こういう作業が、いちばん、つらい。

「ふやせ」というのは、楽。
「減らせ」というのは、つらい。
原稿全体がもっている、バランスを崩してしまう。
原稿というのは、そういうもの。

 あとは昨日撮った、教室の動画を1本、YOUTUBEにUPする。
が、それだけで午前中の大半が、終わってしまった。

●ドーパミン

 ドーパミン(脳内ホルモン)が、かなり低下しているらしい。
もろもろの欲望が、わいてこない。
というか、気力がわいてこない。
……しぼんでしまっている。

こういうときは、何らかの方法で、(欲望)を刺激するのがよい。
もっとも簡単な方法は、物欲。
物欲を刺激する。

私のばあい、複雑な電子製品が効果的。
分厚い取り扱い説明書を見ただけで、ゾクゾクする。
これは、私の病気のようなもの。

 買い物依存症の人の、それと同じ。
そういう受容体が、線条体にできてしまっている。
わかりやすく言えば、ニコチン中毒や、アルコール中毒の人と同じ。
脳の中で、条件反射が起きる。
メカニズム的には、同じ。

●刺激

 が、今は、欲しいもの自体が、思い浮かばない。
これといって、欲しいものがない。
が、あえて言えば、パソコンということになる。
超・高性能のパソコン。
が、もうすぐWINDOW8マシンが売り出される。
それまで、がまん。

 ほかに……私は持ち物には、ほとんど興味がない。
車にも、ない。
あるとすれば、カメラか時計ということになる。
が、どれも家の中にゴロゴロしている。

 ワイフは、「旅行がいい」と、さかんに言う。
しかしそれも、少し疲れた。
旅先での睡眠調整に苦労する。
よいホテルや旅館になると、湿度も調整できるようになっている。
枕もいろいろなタイプのものが用意してある。
そうでないと、そうでない。
エアコンだけだと、空気がカラカラになる。
枕がちがうと、安眠できない。
それでいつも、夜中に目が覚める。

 で、来週は、講演を兼ね、伊勢志摩に行くことになっている。
そのあと、今度は方向を北に向け、飛騨の高山に行くことになっている。

 旅行に出かける前は、いつもこう思う。
「旅行をやめて、家でのんびりしていたい」と。

 しかし出かけてみると、「来てよかった」と。
意識が180度、ひっくり返る。
だから旅行に、行く。
それが脳の刺激になる。
そう、我ら老人組は、常に自らを刺激する。
刺激しながら、ボケを防止する。

●教室で

 教室へ入ると、ワイフが、缶ジュースを2本、買ってきた。
が、そのうち1本が、ゼリー・ジュース。
「よく振ってから、お飲みください」という注意書きがあった。
このタイプのジュースは、最初によく振り、中のゼリーを粉々にしてから飲む。
ワイフは、それを読まなかった。

だからプルタブを抜いてからが、一苦労。
箸でつつきながら、チビチビと飲み始めた。

 そういうワイフを見ながら、私はこう話してやった。

「B起したPニスを、昔、ブルブルと振った男がいてね。それで中の海綿体がバラバラになってしまったそうだ。そのあとその男のPニスは、使い物にならなくなってしまっというよ」と。

(B=勃、P=ペ。Blogには使用禁止用語というのがある。)

 ワイフは、一度は「ウソッ!」と言ったが、どこか本気にしたような雰囲気。
そのまま何やら深刻な顔つきになってしまった。

「60歳を過ぎたバーさんが、そんなことも知らなのか」と思ったが、それは言わなかった。 

●夢と失望

 昨夜、高校生たちと、こんな議論をした。
東大の入試問題(英文)を訳させていたときのこと。
こんな英文があった。

『……夢も失望も、幻想。年を取ると、それがよくわかる。夢にうつつを抜かすこともなくなるが、一方で、失望したからといって、それで傷つくこともない……』と。

 すかさずNさんが、こう言った。
「夢をもつことは、幻想ということ?」と。
私も、すかさず、こう答えてやった。
「いいや、夢をもつことは重要。夢がその人を動かす原動力となる。が、人は、その夢と失望を何度も繰り返したあと、こう気がつく。それが幻想であった、とね。が、それは、それ。だから今は、迷わず、あなたはあなたの夢を追求したらいい。」と。

 まず、何ごともやってみる。
懸命にやってみる。
失敗を恐れてはいけない。
バカだ、アホだと言われても、まず、やってみる。
たとえそれが無駄とわかっても、失敗ということにはならない。
大切なのは、そのプロセス。
ドラマ。
そのドラマに、価値がある。
生きる価値がある。
あのトルストイも、そう言っている※。

 で、その結果として、夢や失望が、幻想であったことを知る。
が、誤解してはいけない。
だからといって、その人の人生が無駄だったということにはならない。
幻想とわかったとき、人は、はじめて、なぜ今、ここに生きているか、その意味を知る。

 最初から、何もしない人には、それがわからない。
懸命に生きたことがない人には、それがわからない。
わからないまま、ただの凡人として、この世から去っていく。

 その問題は、そのあたりまで読み込まないと、設問には答えられない。
「さすが、東大の入試問題」と、私は感心した。

(注※)(中日新聞に発表した原稿より)

『……生のむなしさを感ずるあまり、現実から逃避し、結局は滅びるアンドレイ公爵。
一方、人生の目的は生きることそのものにあるとして、人生を前向きにとらえ、最終的には幸福になるピエール。
そのピエールはこう言う。『(人間の最高の幸福を手に入れるためには)、ただひたすら進むこと。生きること。愛すること。信ずること』(第五編四節)と。

つまり懸命に生きること自体に意味がある、と。
もっと言えば、人生の意味などというものは、生きてみなければわからない。
映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレストの母は、こう言っている。
『人生はチョコレートの箱のようなもの。
食べてみるまで、(その味は)わからないのよ』と。

●高校の同窓会

 高校の同窓会の案内が届いた。
それはそれとして、こんなことを考えた。
「もし、あの美濃町に居を構えるとしたら、どこがいいか?」と。

 その前に、美濃町について。
(正式には、「美濃市」だが、私は「美濃町」と呼ぶほうが、好き。
牧歌的な温もりを覚える。)

 美濃町は、昔から美濃和紙の集散地として知られている。
ミニチュア京都と呼ばれるほど、古い町。
北側に、長良川が流れ、三方を山に囲まれている。
私の実家は、その美濃町の旧市街、その西のはずれにあった。

 で、私が好きなのは、南の山のふもと。
松森山という小さな山がある。
その手前。
現在の美濃第一中学校のあるあたり。
なだらかな丘陵地帯になっていて、そこからは美濃町の町が、一望できる。

 今度、同窓会に出たら、帰りにでも、あのあたりで、土地をさがしてみる。
終(つい)の棲家(すみか)というほど、大げさなものではない。
が、晩年のうち、何年かでも、そこに住めたら、うれしい。
今、ふと、そんなことを考えた。

 ……いつもは、美濃町へ行くたびに、長良川沿いにある、緑風荘という旅館に泊まる。
昔は高級旅館だった。
その面影は、今でもしっかりと残している。
が、今は、1泊、1万円前後で泊まれる。
その気軽さが、うれしい。

 ……と書くと、同窓会に出席、ということになるが、今のところ未定。
4月に入ると、毎年、講演の依頼が、入る。
その成り行きをみてから、決める。

そんなわけで、ハガキには、一応、(出席)に丸をつけたが、まだ投函していない。

●満光寺

 たった今、こんなメールが、入った。

山荘の近くに、満光寺(まんこうじ)という寺がある。
徳川家康の命を救ったこともあるという、由緒ある寺である。
その寺で撮った写真について、愛知県観光協会発行の「旬感観光あいち」編集部より、写真転載の申し込みがあった。
「5月号の表紙に使わせてもらえないか」と。
私のHPに載せている写真である。
「その写真を、使っていいか」と。
こんな依頼は、はじめての経験。

すかさず、「はやし浩司のクレジットを、どこかに入れてくれるならOK」という条件で、許可した。
私にとっても、たいへん光栄なことである。

……と同時に、その写真に見入る。
ワイフと2人で、その寺へ行ったとき、撮った写真である。
観光スポットとしては、ほとんど知られていない寺である。
もう何回か行ったことがあるが、いつもガランとしている。

庭園のすばらしさは、この写真の通り。
右横に座っているのは、私のワイフ。
その近くにある龍潭寺に勝るとも劣らない、庭園を、無料で、楽しむことができる。
 
img392 

●さて、仕事

 午後は、パン2切れに、ジャムをつけて食べた。
それだけ。
2週間で、やっと2キロの減量。
……と油断していたら、また1キロ、太っていた。

 たいしたものは食べていない。
しかし太る。
食べたら、食べた分だけ、太る。
それが私の体質。

プラス、このところ運動をサボっている。
1日、30分のウォーキングだけ。

 寒い日は、何をやるにも、おっくうになる。
それがいけない。

 では、今日も1日、がんばる。
春休みも近い。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【付記】(中日新聞の記事より)

【高校野球】(トルストイの言葉)

●高校野球に学ぶこと

 懸命に生きるから、人は美しい。
輝く。
その価値があるかないかの判断は、あとからすればよい。
生きる意味や目的も、そのあとに考えればよい。
たとえば高校野球。

私たちがなぜあの高校野球に感動するかといえば、そこに子どもたちの懸命さを感ずるからではないのか。
たかがボールのゲームと笑ってはいけない。
私たちがしている「仕事」だって、意味があるようで、それほどない。
「私のしていることは、ボールのゲームとは違う」と自信をもって言える人は、この世の中に一体、どれだけいるだろうか。

●人はなぜ生まれ、そして死ぬのか

 私は学生時代、シドニーのキングスクロスで、ミュージカルの『ヘアー』を見た。
幻想的なミュージカルだった。
あの中で主人公のクロードが、こんな歌を歌う。
「♪私たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか、(それを知るために)どこへ行けばいいのか」と。

それから三〇年あまり。
私もこの問題について、ずっと考えてきた。
そしてその結果というわけではないが、トルストイの『戦争と平和』の中に、私はその答のヒントを見いだした。

 生のむなしさを感ずるあまり、現実から逃避し、結局は滅びるアンドレイ公爵。
一方、人生の目的は生きることそのものにあるとして、人生を前向きにとらえ、最終的には幸福になるピエール。
そのピエールはこう言う。『(人間の最高の幸福を手に入れるためには)、ただひたすら進むこと。生きること。
愛すること。
信ずること』(第五編四節)と。

つまり懸命に生きること自体に意味がある、と。
もっと言えば、人生の意味などというものは、生きてみなければわからない。
映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレストの母は、こう言っている。
『人生はチョコレートの箱のようなもの。
食べてみるまで、(その味は)わからないのよ』と。

●懸命に生きることに価値がある

 そこでもう一度、高校野球にもどる。
一球一球に全神経を集中させる。
投げるピッチャーも、それを迎え撃つバッターも真剣だ。
応援団は狂ったように、声援を繰り返す。
みんな必死だ。
命がけだ。
ピッチャーの顔が汗でキラリと光ったその瞬間、ボールが投げられ、そしてそれが宙を飛ぶ。

その直後、カキーンという澄んだ音が、場内にこだまする。
一瞬時間が止まる。
が、そのあと喜びの歓声と悲しみの絶叫が、同時に場内を埋めつくす……。

 私はそれが人生だと思う。
そして無数の人たちの懸命な人生が、これまた複雑にからみあって、人間の社会をつくる。
つまりそこに人間の生きる意味がある。

いや、あえて言うなら、懸命に生きるからこそ、人生は光を放つ。
生きる価値をもつ。
言いかえると、そうでない人に、人生の意味はわからない。
夢も希望もない。
情熱も闘志もない。
毎日、ただ流されるまま、その日その日を、無難に過ごしている人には、人生の意味はわからない。

さらに言いかえると、「私たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか」と、子どもたちに問われたとき、私たちが子どもたちに教えることがあるとするなら、懸命に生きる、その生きざまでしかない。
あの高校野球で、もし、選手たちが雑談をし、菓子をほおばりながら、適当に試合をしていたら、高校野球としての意味はない。
感動もない。見るほうも、つまらない。
そういうものはいくら繰り返しても、ただのヒマつぶし。
人生もそれと同じ。

そういう人生からは、結局は何も生まれない。
高校野球は、それを私たちに教えてくれる。
(中日新聞・発表済み)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●複合症状

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

昨夜、寝る前に、濃いお茶を飲んだ。
それがよくなかった。
床に入ってから、……それまではかなり眠かったのだが、頭が冴えてしまった。
で、1~2時間、がんばったが、ギブアップ。
そのまま起きて、書斎へ。
時計を見たら、午前1時半だった。

やることもないので、雑誌(「週刊・ダイアモンド)に目を通す。
眠られぬ夜は、経済誌がいちばんよい。
10人の識者がいれば、10色の意見が出てくる。
それがおもしろい。

で、目を通しながら、パソコンを立ちあげ、Bloombergを開く。
開いたとたん、思わず、お茶をプーッと吹きだしてしまった。

「ギリシャの新国債の金利、20%を超える!」と。

少し前、80%近い、借金の棒引きをしたばかり。
「これでギリシャ問題は、何とかなった」と喜んでいた矢先の、20%!
(金利が、20%だぞ! そんな借金、返せるわけがない!)

わかりやすく言えば、元の木阿弥。
ギリシャの金融危機問題は、何も解決していない。
が、そこへもってきて、今度は、ポルトガルがおかしくなり始めた。

だれかが得をすれば、だれかが、損をする。
経済の世界は、そういうもの。
が、おかしなことに、損をした人が意外と少ない?
それもそのはず、世界の国々は、目下、札の印刷競争をしている。
札をばらまいている。
EUも、アメリカも、そしてアジア各国も。

足下の日本も、例外ではない。
現在、日本の株価は、バブル状態。
1万円の大台を越えたと、はしゃいでいるが、中身はガタガタ。
不気味なのは、海外の投資家が、日本の国債を買い始めていること。
そういった連中は、いったんことあれば、平気で今度は売り手に回る。
そのときが、こわい。

結局、再び床に入ったのが、午前4時ごろ。
起きたのが、8時半ごろ。
先ほどまでランニングマシーンの上で、一汗かいた。
そのあと軽い朝食をとり、そのまま書斎へ。
今日の予定は、とくになし。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●高校の同窓会

今度、高校の同窓会がある。
前回、出席させてもらってから、もう15年近くになる。
15年!
年数を計算し、改めて、驚く。

 現在、年賀状を交換しているのは、同窓生の中でも、宮崎K君と森H君だけ。
その森君が、岐阜県でももっとも権威ある賞の、その大賞を受賞したとか。
宮崎君から、その祝賀会をかね、同窓会を開こうという連絡が入った。
私にとっては、何としても出席しなければならない同窓会である。

 ……森君といえば、まっさきに思い浮かぶのが、プラモデル。
小学生のころのことだと思う。
彼の2階の、道路に面した部屋で、大きなプラモデルを見せてくれた。
それが私には、たいへんうらやましかった。
どうしてだろう?
どうしてそんなことを真っ先に思い出すのだろう。

 宮崎君というと、柔道を思い出す。
宮崎君の叔父にあたる人だったと思う。
中学生のとき、3年間、その男性に、柔道を習った。
ただ宮崎君本人は、道場には来ていなかったと思う。

 みんな元気なのだろうか?
この浜松に住んでいると、情報は、まったくといってよいほど、入ってこない。
1人、こまめに連絡してくれた友人がいたが、彼はこの10年間、病院に入ったままという。
家族、つまり彼の母親とは、ときどき電話で話す。
それ以前は、奥さんと話していたが、現在は、その電話番号は使われていない。
数年前、中学の同窓会があった。
そこでそれとなく聞いた話では、離婚しているらしいとのこと。

 興味があるのは、女性軍(失礼!)。
私たちのクラスには、美しい人がそろっていた。
もっともそれに気づいたのは、高校を卒業してから。
それまでは気がつかなかった。
そういう人たちは、どうなったのだろう。
今でも、みんな昔のままなのだろうか。
不謹慎な意味で、(本当に不謹慎だが……)、たいへん興味がある。

●夫婦同伴

 日本では、パーティというと、(同窓会も含めてだが)、単独出席が当たり前。
一方、欧米では、夫婦同伴が、当たり前。
欧米のほうがよいというわけではない。
しかし夫婦同伴というパーティがあっても、よいのではないか。
あるいは、みなで簡単な旅行をする、とか。
バスを借り切って、どこかへ行く……。
いいね!

 飲んで、食べて、カラオケを歌って……。
あとはワイワイと騒ぐ。
同窓会というと、そんなイメージというか、「型」が決まっている。
親戚が集まる、親類会、いとこ会、OB会……。
みな、そうだ。

●人間関係

 同窓会のよい点といえば、上下関係がないこと。

ふつう人間関係は、(1)対立関係(けんか状態)、(2)調和関係(仲良し関係)、(3)専制関係(上下関係)、(4)分離関係(心の通わないバラバラ関係)に分類される。

 もちろん高校生だった当時には、こうした関係が、色濃くあった。
が、それから40数年。
今さら、「関係」もあったものではない。
そこに「死」がまっている。
それに、私も含め、みな、おおかたの人生を終えている。
今、こうして生きているだけでも、御の字。
上下関係がどうのこうのと言っている方が、おかしい。
みな、平等。
その平等感がよい。

 ……帰りには、岐阜市の旅館に一泊するつもり。
長良川沿いには、よい旅館やホテルが並んでいる。

●女性

 そう言えば、女性というのは、30歳くらいを境に、顔が変わってしまう。
35歳を過ぎると、20歳前後の面影が、完全にと言ってよいほど、消えてしまう。
本来なら、こういうことはありえないはず。
遺伝子はそのまま。
どうしてだろう?

 一方、男性というのは、あまり変わらない。
街で会っても、その人と、すぐわかる。
20歳前後の面影を、しっかりと残している。
どうしてだろう?

 ……先ほども、近所の家の中へ、1人の女性が入っていった。
ワイフに、「あの人は、だれ?」と聞くと、「娘さんよ」と。
「わからなかったよ」と言うと、「あの娘さんも、年を取ったからね」と。

 若いころの娘さんの印象は、残っている。
ほっそりとした、かわいい女性だった。
その女性も、今では、まったくのオバサン姿。
ズングリとした体型。
ポッテリとした顔。
目の周りだけが、昔の面影を残していた。

 もし別の場所で会ったら、その人と、私にはぜったいわからないだろう。

私「女性は、どうしてああまで変わるのかな?」
ワ「そんなことないわよ。男性だって変わるわよ」
私「そうかなあ……。いくら年をとっても、ぼくには、わかるよ」
ワ「それまでの生活によるんじゃ、ないの?」と。

●脳

 その点、脳細胞は、再生しない。
死滅する。
その一方。
だから、脳細胞は、昔のままを保つことができる。
性格も性質も、昔のまま。

 もし脳細胞が、再生するようなことがあれば、性格や性質が変わってしまうかもしれない。
情報の伝達が、そこまで正確になされるとはかぎらない。
言い換えると、だからこそ、10年たっても、20年たっても、私たちは昔のままで、たがいに会うことができる。

 ただし、死滅する分だけ、バカになる。
「バカ」という言葉に語弊があるなら、ボケる。
そのボケるのが、心配。

 大学の同窓会でも、まず最初の会話がこれ。
「あいつ、だいじょうぶか?」と。

 「だいじょうぶ?」というのは、脳のほうのことをいう。
少し様子がおかしいと、まず、それを聞く。
こういうことを調べるのは、不謹慎きわまりない。
しかし興味があるので、調べてみる。
年齢別、ボケ老人の割合。

●年齢別、ボケ老人の割合

 平成4年の老計第29号によれば、つぎのようになっている。

(認知症患者の出現割合)

65~69歳……1・5%
70~74歳……3・4%
75~79歳……7・1%
80~84歳……14・6%
85歳以上 ……27・3%

 なおここでいう認知症患者というのは、介護が必要な患者をいう。
つまりかなり重症ということ。
私や私のワイフ程度のボケ老人まで含めたら、その数は、10倍以上になるのでは?

 恐ろしいことに、この10年間だけでも、ボケ老人の割合は、減るどころか増えているという。
別のサイトには、そうあった。

●自覚

 認知症の怖ろしいところは、それを的確に自覚できないこと。
エーザイ(製薬)HPには、つぎのようなチェックテスト項目が並んでいる。

●同じことを何度も言ったり、聞いたりする
●慣れているところで、道に迷った
●財布を盗まれたと言ってさわぐ
●以前よりだらしなくなった
●夜中に起き出して騒いだ
●置き忘れや、しまい忘れが目立った
●計算の間違いが多くなった
●ものの名前が出てこなくなった
●水道の蛇口やガス栓の締め忘れが目立つ
●ささいなことで怒りっぽくなった
●時間や日付が不確かになった
●日課をしなくなった
●以前はあった関心や興味が失われた
●以前よりもひどく疑い深くなった
●薬の管理ができなくなった
●テレビドラマの内容が理解できない

 しかしこんなテストをしても、意味がない。
仮にこのテストで「あやしい?」と思っても、それは「自覚」とはちがう。
(もちろん自分以外の人のことを、診断するのには、役に立つ。
「うちのバーチャン、最近おかしいわね」と。)

 どうすれば、自分のボケ度を自覚できるか。

●ボケの自覚

 私のばあい、つぎのようにして、自覚するときがある。

 たとえばこうして毎日、原稿を書いていると、ときどき以前、書いたのと同じテーマで、書くときがある。
そこでネットで検索をかけてみる。
(検索しやすいように、私のばあい、原稿の末尾に、検索キーワードを並べることにしている。)

 すると、10年前に書いた原稿が出てきたりする。
タイトルも同じ……ということは、よくある。

 そこでその原稿を開き、現在書いている原稿と、読み比べてみる。
それでボケの進行度を、自分で知ることができる。

 あるいは、そのつど新語に出会う。
英語の単語でもよい。
そういった新語や単語については、その場で脳の中に叩き込む。
これを「記銘」という。

 が、50歳を過ぎてから覚えた言葉や単語というのは、あっという間に忘れてしまう。
その期間とか、割合で、自分のボケ度を自覚することができる。

 それによれば、私の脳みそも、かなりあぶない。
65歳を過ぎると、1・5%程度の人が、介護が必要なほどまでにボケる。
そこで予防ということになる。

●運動と予防

 が、最近、本当に最近、私はこんなことに気がついた。

 私は暇があれば、テレビのニュースを見ながらでも、ウォーキングマシンの上で歩いている。
そんなときのこと。

運動をし、一汗かいてから、キーボードを叩くのと、運動をしないまま、キーボードを叩くのでは、調子がまるでちがう。
運動をしたあとだと、パラパラとキーボードを叩くことができる。
運動をしていないと、モタモタ……という感じになる。
打ちミスもおおくなる。
微妙なちがいなのだろうが、その(ちがい)が、よくわかるようになった。

 ボケ防止のためには、脳みその運動のみならず、肉体の運動も重要である。

●脳梗塞

 が、認知症もさることながら、直近では、血栓性脳梗塞、あるいは微細脳梗塞も心配である。
総じてみれば、大酒飲みやヘビースモーカーの人には、頭の活動が鈍い人が多い。
50歳を過ぎるころから、「?」と思うようになり、60歳を過ぎるころから、それがはっきりとしてくる。
だれにでもそれとわかるようになる。
たとえば……。

●反応が鈍くなる
●話し方がかったるくなる
●繊細な会話ができなくなる
●内容が通俗的になってくる
●「ア~」「ウ~」という間投詞(擬声語)が多くなる
●ささいなジョークに、ことさら大げさに反応する、など。
(以上、はやし浩司)

 最近の研究によっても、飲酒が脳そのものを委縮させる、またスモーキングは、感情の抑揚を平坦化させるということがわかっている。
脳みその健康を保つのも、楽ではない。……ということらしい。

●回顧主義(懐古主義)

 できれば、こう願う。
 
 同窓会といっても、回顧主義的なものであってほしくない。
会って話をしたい人がいるとすれば、現役でまだがんばっている人。
そういう人たちと、情報を交換したい。
健康法なり、日常の過ごし方、など。

 「あのときは、こうだった」式の話には、興味はないし、そんなことならいくら話しあっても、意味はない。
まだ、この先人生は、長~~~~~~~~~~~~~~~い。
どうせ生きるなら、前向きに、生きた~~~~~~~~~~~~~~い。

 ということで、同窓会の話は、ここまで!

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 同窓会 武義校同窓会 武義高校同窓会 はやし浩司 同窓会論 高校の同窓会 同窓生 はやし浩司 2012ー03-25)


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                      
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m~= ○
.       ○ ~~~\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。