2012年4月21日土曜日

Spiritual Boom in Japan





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 子育て最前線の育児論byはやし浩司     4月 30日号(祭日)
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【本物の人vsニセモノの人】byはやし浩司 2012-03-16

●本物の人

 一言、二言、言葉を交わしただけで、それがわかる。
本物の人というのは、そういう人。
知性や理性が、バチバチと光る。
先日会った、村松秀太郎画伯も、そうだった。
思わず私は、こう聞いてしまった。
「あなたは、いったい、何者ですか」と。

 ずいぶんと乱暴な聞き方をしてしまった。
が、村松秀太郎画伯は、やさしそうに笑いながら、こう言った。
「日本画を書いていますよ」と。

●本物と偽物

 一方、ニセモノの人は、ニセモノと、これまたよくわかる(失礼!)。
同じく、その温泉で、別の男性に出会った。
名古屋市から来ているという人だった。
が、その男性のばあい、同じく一言、二言、言葉を交わしただけで、その男性の「底」が見えてしまった。

 こうした(ちがい)は、どうして生まれるのか。
見た目には同じでも、中身がちがう。
その(中身)が、そのまま外に出てくる。
 
 が、誤解してはいけない。
中身のある人ほど、一見、ヘラヘラとした印象を受ける。
けっして、いかめしい顔つきをしているのではない。
やさしそうな、それこそ、どこにでもいるような人に見える。
が、一言、二言、言葉を交わしただけで、火花を飛び散る。
バチバチというか、ビリビリというか……。

 村松秀太郎画伯にしても、最初から、そういう人と知っていたわけではない。
が、言葉を交わした瞬間、「この人は、ただ者ではない」とわかった。

●精神の完成度

 絶え間ない心の鍛錬こそが、その人を光らせる。
あのパスカルも、そう書き残している。
釈迦も、「精進」という言葉を使った。
私は今まで、こう書いてきた。

 「精神の鍛錬法は、肉体の鍛錬法と似ている。
究極の鍛錬法というのはない。
1日でもサボったら、その日から健康は下り坂に向かう。
同じように精神も、1日でもサボったら、その日から精神は下り坂に向かう」と。

 が、肉体の鍛錬については、外から見ても、わかりやすい。
それなりに健康的で、たくましい体つきをしている。
が、精神の鍛錬については、外から見ただけでは、わからない。
ワイフは、「オーラ」という言葉を使う。
「それなりの人には、オーラが出ている」と。
しかし私は、オーラなるものを、信じない。

(1973、4年ごろ、ロシアのある科学者が、京都大学へやってきた。
そこでオーラの実験をしてみせた。
薄暗い部屋で、10人ほどの研究者が集まっていた。
当時は、「キルリアン」と呼んでいた。
オーラとキルリアンとは、同じものなのか。
あとで詳しく調べてみるが、かなりインチキ臭いものだった。
以来、私は、オーラなるものを信じない。
またそんなものがあるはずもない。)

 やはり、言葉である。
言葉のやり取りを通して、その人の精神の完成度を知ることができる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

真・善・美の追求。
学者は真を追求する。
宗教家は善を追求する。
芸術家は美を追求する。

私はものを書くことによって、何を追求しているのか。
ただの道楽なのか。
私はものを書きながら、いつも「私」を追求する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●私とは何か

 「私」というのは、昔から、哲学の世界では、大きなテーマだった。
スパルタの七賢人の一人のターレスも、『汝自身を知れ』と言っている。
自分を知ることが、哲学の究極の目的というわけだ。
ほかに調べてみると、たとえばパスカル(フランスの哲学者、1623~62)も、『パンセ』の中で、こう書いている。

 「人間は不断に学ぶ、唯一の存在である」と。
別のところでは、「思考が人間の偉大さをなす」ともある。

 この言葉を裏から読むと、「不断に学ぶからこそ、人間」ということになる。
この言葉は、釈迦が説いた、「精進」という言葉に共通する。
精進というのは、「一心に仏道に修行すること。
ひたすら努力すること」(講談社「日本語大辞典」)という意味である。
釈迦は「死ぬまで精進しろ。それが仏の道だ」(「ダンマパダ」)というようなことを言い残している。

となると、答は出たようなものか。
つまり「私」というのは、その「考える部分」といことになる。
もう少しわかりやすい例で考えてみよう。

 あなたが今、政治家であったとする。
そんなある日、一人の事業家がやってきて、あなたの目の前に大金を積んで、こう言ったとする。
「今度の工事のことで、私に便宜(べんぎ)をはかってほしい」と。

 このとき、考えない人間は、エサに飛びつく魚のように、その大金を手にしながら、こ
う言うにちがいない。
「わかりました。私にまかせておきなさい」と。

 しかしこれでは、脳のOS(基本ソフト)の範囲内での行動である。
そこであなたという政治家が、人間であるためには、考えなければならない。
考えて、脳のOSの外に出なくてはいけない。
そしてあれこれ考えながら、「私はそういうまちがったことはできない」と言って、そのお金をつき返したら、そのとき、その部分が「私」ということになる。

 これはほんの一例だが、こうした場面は、私たちの日常生活の中では、茶飯事的に起こる。
そのとき、何も考えないで、同じようなことをしていれば、その人には、「私」はないことになる。
しかしそのつど考え、そしてその考えに従って行動すれば、その人には「私」があることになる。

 そこで私にとって「私」は何かということになる。
考えるといっても、あまりにも漠然(ばくぜん)としている。
つかみどころがない。
考えというのは、方法をまちがえると、ループ状態に入ってしまう。
同じことを繰り返し考えたりする。
いくら考えても、同じことを繰り返し考えるというのであれば、それは何も考えていないのと同じである。

 そこで私は、「考えることは、書くことである」という、一つの方法を導いた。
そのヒントとなったのが、モンテーニュ(フランスの哲学者、1533-92)の『随想録』である。
彼は、こう書いている。

 「私は『考える』という言葉を聞くが、私は何かを書いているときのほか、考えたことがない」と。

 思想は言葉によるものだから、それを考えるには、言葉しかない。
そのために「書く」ということか。
私はいつしか、こうしてものを書くことで、「考える」ようになった。
もちろんこれは私の方法であり、それぞれの人には、それぞれの方法があって、少しもおかしくない。
しかしあえて言うなら、書くことによって、人ははじめてものごとを論理的に考えることができる。
書くことイコール、考えることと言ってもよい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

ついでに、「キルリアン」について書いた原稿をさがしてみる。
なおキルリアンについて、ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。

『キルリアン写真(キルリアンしゃしん、Kirlian photography)とは、対象物に高周波・高電圧を掛けて発生させたコロナ放電による発光現象を撮影した写真のこと。
撮影時には、周波数 3 kHz 前後・電圧 30 kV 以上が用いられる。
対象物から発散する水蒸気の電離・発光現象を撮影するため、撮影対象物は水分を帯びた物体であれば生体・非生体を問わない(握り締めることにより、僅かな汗を帯びたコインでも像を得られる)。
また、真空中では水蒸気が速やかに拡散するため、像を得ることが出来ない』と。

 私が何人かの科学者たちと、京都大学で見た実験は、ここに書いたようなものだった。
半信半疑で、「ヘエ~~?」というような雰囲気で見ていたので、記憶の内容は、きわめてあいまいである。
現在「オーラの写真」として公表されているものは、この「キルリアン現象」によるものと考えてよい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「スピリチュアル」というインチキ(Spiritual Boom in Japan)

More and more people believe in Spirits, a kind of uncertain superstition in Japan. They believe the former existence or life after death. But where are they? Does it really exist? Books written by E-bara, a founder of this spiritual boom in Japan has succeeded in having sold more than 7 million copies of his books. I would rather say here that it is very dangerous to believe in such and such the existence of Spirits, since it is closely connected with Cult or Sect, a very radical religions. We have to be more careful about them.

かつての「霊」ブームが、「スピリチュアル」ブームに変わった。
インチキもインチキ、どうしてそういったインチキが、こうまで堂々と、この世の中で、大手を振って歩くのか。歩くことができるのか。

「前世」だの、「オーラ」※だの、はては、「守護霊」だのと、科学性はゼロ。
ただの迷信。「守護霊」という言葉にしても、ほんの30~40年前に、この日本に現れた。
何かのオカルト・ブームがきっかけだった。

雑誌などを読むと、「スピリチュアルと、宗教とは、ちがう」と説く人は多い。
「スピリチュアルは、宗教ではない」「だから危険性はない」と。

当然ではないか。

宗教には、まだ哲学がある。スピリチュアルには、それがない。
ないから、迷信。ただ、それだけに、ヘタなカルトより、タチが悪い。

思考性を他人に預けてしまうことの恐ろしさを、なたは、知っているか?
他人ならまだしも、わけのわからないものに預けてしまう恐ろしさを、あなたは、知っているか?

「あなたはキツネの生まれ変わり」だの、「ヘビの生まれ変わり」だの、はては、「あなたの先祖は、人を殺している。そのタタリ」だのと、とんでもないことを言われ、それを真に受けてしまう。

そのおかしさ、バカらしさ、まず、それに私たちは、気づくべきではないか。

……と書いても、私がひとりで叫んでも、意味はない。大河の中にクイを一本打つ程度の効果しかない。

スピリチュアル・ブームの火付け役となった、E原氏の本は、総発行部数で、700万部を超えているという(「日本の論点」2008)。
Aテレビ系列の彼の番組では、毎回、2けた台の視聴率を稼いでいるという。

700万部だぞ! 私のBLOGやHPへのアクセス件数は、累計で、先月、月間ベースで、やっと10万件を超えた。
が、それでも、70分の1! テレビの視聴率と比べたら、かないっこない。

単純に計算しても、10%の視聴率としても、それだけで、1200万人。
そういう人たちが、インチキをインチキとも気がつかず、テレビという巨大マスメディアに、言いように操られている。
いったい、日本の良識は、どこへ消えた!

だから私は、あえて叫んでやる! 

こんなインチキを野放しにしておいたら、やがて日本は再び、たいへんなことになるぞ!

スピリチュアル・ブームくらいなら、まだよい。
思考力を失った人間がどうなるか? 
あのO真理教によるサリン事件を思い出してみればよい。
あるいは、現在のK国でもよい。さらには戦前の日本でもよい。

共通してそこにいるのは、思考力を失った人間たちだ。
さらに言えば、思考力を失った、若者たちだ。子どもたちだ。

……実は、今、私も、こうした迷信との戦いに直面している。

実家の仏壇を、私の家に移そうと考えているのだが、それについて、親類縁者の人たちから、「ショウ抜きをしなさい」「ショウ入れをしなさい」と言われている。

「ショウ」って、何? どんな漢字をあてるの?

つまり仏壇といっても、ただの箱。
そこで所属宗派の僧侶に来てもらい、「魂」を抜いたり、入れたりしてもらえということらしい。

バカげた迷信だが、それを口にしている人たちは、本気らしい。
「ショウを抜かないで仏壇を移動すると、バチが当たる」とか、「ショウ入れをしないと、位牌をまつっても意味がない」とか、さらには「故人が成仏できない」とか言う。

結構なご意見だが、そういう人たちは、一度、YOU TUBEで、世界の音楽なり、民族舞踊なりを見てみたらよい。
つまり一度、世界から日本を見てみることだ。そして日本人のほかに、どこのバカがそんなことを口にしているか、一度、調べてみたらよい。

釈迦だって、そんなことは、一度も言っていないぞ! 
バカヤロー!

さらにあえて言うなら、日本の仏教も、そんなことばかりしているから、若い人たちに、ソッポを向かれる。
「葬式仏教」と揶揄(やゆ)される理由も、そこにある。
結局は、スピリチュアルと中身は、同じ。

話をもどす。

「考えること」には、ある種の苦痛がともなう。
難解な数学の問題を前にしたときのことを、思い浮かべてみればよい。

そのとき横にいた人が、そっと、解答の出ている用紙を見せてくれたら、あなたはどう感ずるだろうか。あなたは、ある種の陶酔感すら覚えるかもしれない。

だからほとんどの人は、できるだけ考えることから、遠ざかろうとする。
避けようとする。考えたところで、答が出てこないかもしれないという不安があるなら、なおさらだ。

スピリチュアル・ブームは、そういう人たちの上に乗っている。
だから私は、「危険である」という。

前世も来世もない。この100年は、何とかもちこたえるとしても、200年、300年後には、人類はもちろん、あらゆる生物が、この地球上から消える。
このままでは、そうなる。

そういう(現実)を前にして、「前世」だの、「来世」だのと、それを口にする、おかしさ。
そのおかしさに、まず気づいたらよい。

大切なことは、自分の脳みそで考えて、自分で行動することだ。
不完全で未熟かもしれないが、そこに人間が生きる意味そのものが、隠されている。

だから1人でも多くの人が、私と声を合わせて、こう言ってほしい。
「あんなのは、インチキだよ」と。その一声が、私たちの良識となって若者たちや、子どもたちの未来を明るくする。

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(注※)
私が「オーラ」(?)なるものに出会ったのは、1970年のはじめごろのことだった。

(今、計算してみたら、1974、5年ごろのことだった。その記録は京都大学理学部のほうには、残っているはず。)

京都大学に、ソ連のある科学者(?)がやってきて、それを実演してみせてくれた。
その科学者は、科学的にオーラを光の映像にすることに成功したということだった。
私は、何人かの医師と連れだって、それを見るために、わざわざ京都大学まで出かけていった。

(たしか当時、鍼灸の世界ではよく知られていた、良導絡研究所の研究所の人が、声をかけてくれたように記憶している。
経絡とは何か。
その研究の過程で、だれかに呼ばれて、そこへ行った。)

そのときの実験は、こういうものだった。

(細部は記憶によるものなので、正確ではない。)

たとえば内臓のどこかに病変があると、その人が発するオーラの色が変わるというものだった。
たとえば健康な人のオーラは、美しいxx色をしている。
しかし肝臓が悪くなったりすると、その色がxx色に変化する、と。

(色が変化するだけではなく、オーラの形や現れ方まで変化するという。)

体のあちこちに電極をつけていた。今から思うと、静電界か、電磁場を人工的につくり、それを暗室で、発光させることによって、オーラ(?)を観察するというものではなかったか。

もちろん、そのあと、それは手品に近い、インチキと証明された。
人間にオーラなど、ない。
あっても、見ることも感ずることもできないはず。
ものごとは、常識で考えたらよい。

(注:ここで、キルリアンとオーラを同一視しているが、ひょっとしたら別物かもしれない。念のため。)

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 キルリアン オーラ 京都大学での実験 パスカル 思考 はやし浩司 パスカル)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●言葉

 話を戻す。

 私はやはり「言葉」と思う。
あるいは、研究者であれば、論文、芸術家であれば、作品、さらに宗教家であれば、「言葉」ということになる。
生き様でもよい。
とにかく、「見た目」では、わからない。
(わかることもあるが……。)

 私は、その人を判断するときは、その人の書いた文章を読む。
また文章を読まないと、落ち着かない。
たとえば簡単な例では、講演の依頼がある。

そういった依頼を電話で受け取っても、不安でならない。
日時、場所、など。
私自身の脳みその老化の問題もある。
電話で日時、場所を聞いても、すぐ忘れてしまう。
メモも、そのため、アテにならない。
が、こういう仕事のばあい、記憶違いは、許されない。
そこであえて先方には、こうお願いする。

「一度、FAXででもいいですから、依頼書を書いていただけると、ありがたいのですが」と。

 が、やはり直接的には、「言葉」ということになる。
言葉が、その人の内面世界を、直接表わす。
「先に書いた、一言、二言……」というのは、そういう意味である。

しかし私はそれでよいとしても、言葉には、2極性がある。
私が相手を判断するということは、相手もまた、私を判断していることになる。
私のほうは、相手を、「ただ者ではない」と判断する。
しかし相手は、どうなのか。
そういう私の「底」を見てしまうのか。
言い換えると、私は、そういった人たちには、どういう人物に映るのか。
残念ながら、私自身は、私をそういう「眼」で見たことがないので、わからない。

 さらに言えば、本物であっても、またそうでなくても、それはその人、個人の問題。
つまり「結果」。
ただこういうことは、言える。

 本物の人に出会うというのは、本当に楽しい。
同時に、うれしい。
自分がそうであるというわけではないが、仲間に出会ったような喜びさえ覚える。
まじめに、ただまじめに、ひたすら懸命に何かを追い求めてきた。
そういう人には、そういう人独特の(はね返ってくる言葉)がある。
雰囲気がある。
それを知るのは、本当に楽しい。
孤独感そのものが、癒される。

 ……ということで、今朝は、ここまで。

 先ほど、ある雑誌社から、原稿依頼をもらった。
その見本原稿を書いた。
おまけとして、それをここに添付する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【愛と甘やかし】


●「許して忘れる」


 (愛)ほど、ばく然とした概念はないですね。が、尺度がないわけではないわけではありません。
「許して、忘れる」。英語では、「For/give & For/get」といいます。
この英文を注意深く読むと、「子どもに愛を与えるために許し、子どもに愛を与えるために忘れる」とも読めますね。
その度量の深さで、親の愛は決まる……と考えてください。


が、「許して忘れる」と言っても、もちろん子どもに、好き勝手なことをさせろという意味ではありません。
親は子どものできの悪さを見せつけられるたびに、悩み、苦しみ、ときには、袋小路へと叩き落とされます。
子どもにかぎらず、人を愛するということは、それほどまでに、つらいこと。
ときに身を引き裂かれるような思いをすることもあります。
ホレホレと子どもを抱いたり、頬ずりするのは、愛でも何でもありません。
そんなことなら、そこらのイヌやネコでもしていますよ。


●誤解


 が、この日本には、大きな誤解があります。
子どもに楽しい思いをさせること、楽をさせること、それが「親の愛」と。
また「それによって、親子の絆は太くなる」と。
が、実際には、逆効果。
一度、保護、依存の関係ができると、それを断ち切るのは容易なことではありません。
「親がうるさいから、大学へ行ってやる」と言った高校生がいました。
結婚式の費用について、親が、「半分くらいなら……」と言ったら、それに対して激怒。
「親なら、親らしく責任を取れ。結婚式の費用ぐらい出せ」と迫った、息子もいました。

規範のない、盲目的なでき愛を、(愛)と誤解している人は多いですね。
俗にいう、子どもを甘やかしながら、甘やかしていること自体に気がついていない。
結果、子どもは、ドラ息子、ドラ娘になります。
今や1億、総ドラ息子、ドラ娘と言ってよいほど、このタイプの子どもは多いですよ。

 自分勝手で、わがまま。
自己中心的で、利己的。
生活への耐性も失われます。
ある女の子(小4)は、突然、タクシーで家まで帰ってきました。
「どうして?」と話しを聞くと、こう答えたそうです。
「おばちゃんの家のトイレは汚れていて、気持ち悪かったから」と。
ドラ息子、ドラ娘になればなったで、苦労するのは、結局は子ども自身ということになります。


●筋(すじ)


 それがどういうものであれ、子育てには、一本の(筋)が必要。
わかりやすく言えば、(一貫性)。
具体的には、YES/NOをはっきり伝え、筋を通す。その筋がなくなったとき、親の心にスキが生まれ、子どもはそのスキをついて、ドラ息子、ドラ娘になります。
その筋のないことを、「甘やかし」といいます。
親の愛とは、基本的には、まったく異質のものと考えてください。


 あのバートランド・ラッセル※は、こう書き残しています。


『親として、必要なことはする。しかし決してその限度を超えてはいけません。そんな親のみが、真の家族の喜びを与えられます』と。


 (限度)をわきまえている親を、賢い親といいます。
親になるのは、簡単なこと。
しかし賢い親になるのは、本当にむずかしい。
一生のテーマと考えてよいほど、むずかしい。
安易に、節度のない愛に溺れてはいけません。

※…イギリス・ノーベル文学賞受賞者、哲学者)

では、今日も、がんばります。
2012/03/16


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【北朝鮮のミサイル発射実験】

●北朝鮮の裏切り

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

もともとアメリカの単独行動。
日本を無視しての、単独行動。
だいたい10年近くも、もめにもめた米朝会談が、
たった1回だけの会談で、「合意」に達するほうが、おかしい。

アメリカ側の代表は、「うまくいった」と喜んで帰ったが、そうは問屋がおろさない。
北朝鮮側は、たった17日目にして、合意時効を、反故(ほご)にした。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●合意事項

先の米朝会談で、北朝鮮側は、つぎの3つを約束したとされる(2012年2月)。

(1) 寧辺(ニョンビョン)のウラン濃縮活動や核実験、
(2) 長距離弾道ミサイル発射実験を一時停止し、
(3) 国際原子力機関(IAEA)の監視要員の復帰にも応じる、と。

 が、その舌の根も乾かない今日、北朝鮮は、突然、ミサイル実験をすると、発表した(3月16日)。
まだ1か月もたっていない!
たったの17日目。

西日本新聞は、つぎのように伝える。

『北朝鮮は、来月の故キム・イルソン主席の誕生100年に合わせ、「衛星」を打ち上げると発表しました。

 これは「朝鮮宇宙空間技術委員会」のスポークスマンの発表として北朝鮮のメディアが報じたものです。
故キム・イルソン主席の誕生100年を迎える来月12日から16日の間に地球観測衛星を打ち上げるとしています』(以上、TBS-i・ニュース)。

『2月下旬に行われた米国と北朝鮮の高官協議の合意内容が公表された。

 北朝鮮は寧辺(ニョンビョン)のウラン濃縮活動や核実験、長距離弾道ミサイル発射実験を一時停止し、国際原子力機関(IAEA)の監視要員の復帰にも応じる▽見返りに、米国は北朝鮮に食糧支援として24万トンの栄養補助食品を提供、追加支援についても協議する-というのが主な内容だ。

……(中略)……

 新指導部が一時的とはいえウラン濃縮や核実験・ミサイル実験の停止を受け入れたことは、朝鮮半島の緊張を緩和する動きとして、一定の評価ができる。
2008年12月以来、中断している6カ国協議の再開につながる可能性もある』(以上、西日本新聞:2012年3月2日)。

●アメリカ側の勇み足

「長距離弾道ミサイル発射実験、一時停止」を、本当に、北朝鮮側は、約束したのだろうか。
それについては、Yahoo Newsは、つぎのように報道している。
(ただしこれはアメリカ側の発表。)

『……アメリカ国務省のヌーランド報道官は3月16日、北朝鮮のミサイル発射予告について「非常に挑発的だ」と述べた。
 また、ミサイル発射予告は米朝合意に「反する」と指摘し、国際的な義務の順守を要求した』と。

 が、2012年3月に入ってからの、記事をあちこち読み返してみるが、「ミサイル」の文字は、どこにも見えない。
聯合ニュースの一部を紹介する。

『……ウラン濃縮活動の中断に関しては、国際原子力機関(IAEA)と北朝鮮が間もなく協議に入るとされる。
その場合、ウラン濃縮活動中断を前後して訪朝するIAEA査察官の規模や装備搬入、査察官の立ち入り範囲、訪朝時期などが懸案になりそうだ。

 米朝は、文化・教育・スポーツ分野の人的交流拡大に関する合意についても、近く取り組みを始める見通しだ。
米州に居住する朝鮮半島出身の離散家族の再会や、多様な文化交流が実現する可能性が高まった』(以上、聯合ニュース、3月2日)。

 これらの記事を並べて読んでいたとき、私は、あのクリストファー・ヒルを思い出した。
あの男も、打ちあげたのは、花火ばかり。
中身が何も伴わなかった。
で、この記事をよく読めばわかるが、北朝鮮にしてみれば、「ミサイルの話は、何もしなかった」ということになる。
つまりアメリカ側の、勇み足?

●相互連絡事務所?

 こうした一連の米朝会談の中にあって、気になるのが、「米朝相互連絡事務所」の設置。
先の会談直後から、北朝鮮側は、さかんに、その設置を求めている※。
が、この米朝相互連絡事務所は、アメリカにとっても、またこの日本にとっても、死活的な問題を含む。

 アメリカ側にとっては、まさにその事務所が、いったん事あれば、「人質事務所」になる。
北朝鮮に住むアメリカ人は、そのまま「人質」に。

 また日本としては、警戒すべきは、「米朝友好条約」。
仮に「米朝友好条約」が締結されるようなことになれば、その時点から、日米安保条約は死文化する。
アメリカ本土が攻撃されないかぎり、アメリカは北朝鮮を攻撃できなくなる。
つまり、北朝鮮は、日本に対して、やりたい放題のことができるようになる。

(注※)『北朝鮮の核問題を巡る6か国協議の北朝鮮首席代表を務めるリヨンホ外務次官が10日、ニューヨークで開かれた非公開セミナーで、最高指導者のキムジョンの意思として、米国と北朝鮮の連絡事務所をそれぞれの首都に年内に開設することを米側に求めたことがわかった。

 核問題を巡る米朝合意を契機にした、北朝鮮の外交攻勢の一環といえる。

 関係筋によると、李次官は同セミナーで米側出席者の元米外交官や専門家らに対し、米国は北朝鮮への敵視政策を転換すべきだと要求したうえで、「今年中に双方の首都に連絡事務所を開設したい。これはトップの意思だ」と述べた』(YOMIURI ONLINE 3月12日)。

●なし崩し

 一方的にワーワーと騒ぎ、ものごとをなし崩し的に既成事実化する。
こうした思考回路は、朝鮮民族独特のもので、それには北朝鮮も韓国もない。
竹島問題しかり、日本海の呼称問題しかり……。
……ということは、2つのことが考えられる。

(1)「ミサイル発射実験の凍結」は、アメリカ側の思い込み。
一方的にそういう話を、しただけ。

(2)米朝相互連絡事務所設置については、北朝鮮側の思い込み。
一方的にそういう話を、しただけ。

 少なくともたがいに、「そうですね」「それも考えましょう」程度のことは言ったかもしれない。
しかし文書化はしなかった(?)。

 相手がふつうの、(まともな)国なら、あいまいな合意事項でも、良識に従い、前向きに育てていく。
雑談ではあっても、相手の意をくみ、たがいによいように実現させていく。

 が、相手は北朝鮮。
あの北朝鮮。
まともな論理の通ずる相手ではない。
ないことは、あのクリストファー・ヒルの一連の米朝交渉を見ればわかるはず。
またしても、アメリカは、北朝鮮の手玉に取られた。

●ミサイル発射実験

 北朝鮮側はしかし、「ミサイル」とは言っていない。
「観測衛星」(報道)と主張している。
が、それを信ずる国は、どこにもない。
午後になって、つぎのような記事が配信された。

『……玄葉光一郎外相は、ただちに報収集を行うとともに、米韓をはじめとする関係国と連携して対応するよう(事務方に)指示した』
『さらに、人工衛星の打ち上げが行われた場合、対北朝鮮制裁を定めた国連安全保障理事会の決議に違反する可能性があるとの見方を示した』(以上、 Yahoo/News)。

●すべては振り出しに

 結局すべては、振り出しにもどった。
1997年の、あの当時に戻った。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

「97年の愚」と題したエッセーを、書いたことがある。
それをそのままここに紹介する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●97年の愚

 「97年の愚」というのは、1997年、韓国がデフォルト(=債務不履行=国家破綻)に陥ったとき、日本政府が、韓国政府から頼まれもしないうちから、IMF、世界銀行、アジア開発銀行などを総動員して、総額で500~600億ドルかき集めて、韓国を救済したことをいう※。
しかもアメリカの反対を押し切ってまで! 

その少しあと、日本政府は、120万トン※という穀物援助(主に米)を、北朝鮮に対してしている。
時のK外務大臣は、「これで(朝鮮半島が)動かなければ、責任と取る」と明言したが、結局、何も動かなかった。
動かなかったばかりか、かえって反日運動が激化した。
竹島問題を例にあげるまでもない。
もちろんそのあと、K外務大臣が責任を取ったという話もない。
さらに最近に至っては、「借金は返しから、問題はない」(=日本に頭をさげる必要はない)と、韓国政府は居直っている。

注※……ご存知のように、1997年、韓国は、国家破綻(デフォルト)した。
その年も終わろうとしていた、11月21日、時のイム・チャン・ヨル副首相は、こう宣言した。

「今の難局を乗り切るには、IMFの誘導調整資金の援助を受けるしかない」と。

 そのときから、韓国の国家経済は、IMFの管理下に入ることになった。

 そのとき資金援助したのが、IMFに並んで、世界銀行と日本。それぞれが100億ドルを援助した。
そのほかにアメリカが、50億ドル。アジア開発銀行が、40億ドルなど。
総計で、550億ドル!

 その結果、それまで33行あった主要銀行は、最終的には、3行になった。
翌年には、失業者は150万人を超え、韓国ウォンは、1ドルが、1000ウォンまで、下落した。

 ただ不幸中の幸いだったことは、韓国経済の規模がそれほど大きくなかったこと。
今の日本円になおせば、わずか5~6兆円。
それで、救済できたこと。

(日本のばあい、あのN銀行救済のためだけに、4兆円も、お金をドブに捨てている。
C総連系列のC銀には、1兆円!)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●河野洋平元外務大臣

 お人好し、日本!
おバカ、日本!
この「97年の愚」を読んだだけでも、それがわかるはず。
ここに書いた「K外務大臣」というのは、「河野洋平外務大臣」のこと。
なおウィキペディア百科事典には、「2000年(平成12年)、外務大臣として北朝鮮への50万トンのコメ支援を決定した」とある。

 私の当時の記憶によれば、「120万トン」。
どちらが正しいのか?
(売国奴サイト)によれば、つぎのようにある。
(本当に、そういうサイトがある。
事実だけを転載させてもらう。)

『2000年、外務大臣として北朝鮮への50万トンのコメ支援を決定した。
「自分が全責任を取る」と見得を切ったが、この支援量は国連の世界食糧計画が要請した19万5000トンの要請を遙かに上回る援助であり(金額にして1200億円)、およそ戦略性のないものとして「なんのためにしたのかわからないコメ支援」(田中明彦)などと批判された。
また、供与したコメの一部が軍の備蓄に回されたことへの批判も強い』(同、サイト)と。

 まさに「売国奴的行為」と呼ばれてもしかたのないような援助である。

 ……遠い昔、私が代筆した本に、河野洋平氏は推薦文を寄せてくれた。
その恩義があるから、今まで、「K外務大臣」と伏字にしてきた。
しかし今回から、「河野洋平氏」、実名表示にする。

(注※……120万トンについて。
私は当時、この数字を、確信をもって、記憶した。
50万トンというのは、米だけの数字ではないのか。
米以外の穀物を含めると、120万トン?
あるいは数年をかけ、120万トンの援助をしたのかもしれない。
当時の記録をさがしてみたが、それが見つからない。
どうであるにせよ、「50万トン」という量だけでも、たいへんな量である。)

●国益第一

 日本はもっと、国益第一に、クールな外交を展開すべき。
こんなことは、世界の常識。
北朝鮮については、韓国や中国が、いかにいやがっても、自然崩壊にもっていくべきであった。
その方法としては、人権問題一本に絞り、北朝鮮を締めあげる。
徹底してそれを繰り返すべきであった。

 が、今やその人権問題にしても、なし崩し的に、どこかへかすんでしまった。
自然崩壊といっても、いまさら、どうにもならない。
中国が強力な後ろ盾となり、北朝鮮を守っている。
韓国も、そういった日本の意図を、すでに深読みしている。
「日本を結果的に利するようなことは、しない」と。
韓国は、北朝鮮が自然崩壊し、そのまま中国に組み込まれることを、何よりも心配している。
つまり手遅れ。

 では、どうするか?

●崩壊寸前?

 北朝鮮を、徹底的に無視する。
国際法違反と人権問題だけを中心に据え、それだけを世界に向け、訴えていく。
あんな国を、まともに相手にしてはいけない。
相手にする価値もない。
日本は、それに徹する。

 が、見方を変えると、こうも言える。
北朝鮮の豹変ぶりというか、平気で約束を破る姿勢には、ただただ驚くばかり。
が、つまりそれだけ内部的に、北朝鮮は、今、追いつめられている。
崩壊寸前。
「アメリカとの約束どころではない……」と。

 実際、そうなのかもしれない。
漏れ伝わってきているネット情報によれば、民衆の離反が始まっているという。
今回(2月)の米朝会談にしても、私は、「なぜ、今?」と。
「なぜ、今、食料援助をするのか?」と。
そんなふうに考えていた。
が、崩壊寸前ということであれば、納得できる。
北朝鮮も、今、死にもの狂い。

 なお、別の情報によれば、中国は北朝鮮に、米、穀物など、20万トンの援助を申し出ているという(3月16日)。
もしそうなら、北朝鮮にしてみれば、「アメリカなど、もう用はない」ということか。

 ……とまあ、いろいろな憶測が飛んでいるが、わかりやすく言えば、この繰り返し。
北朝鮮は、周りの国々を脅迫する。
それに応じて、それぞれの国は、適当な援助を差し出す。
そのつど北朝鮮は、(振り子外交)を繰り返す。
中国→アメリカ→ロシア→韓国……、と。

 北朝鮮という独裁国家にとって、核兵器というのは、いわば(本尊)。
1回や2回程度の会談で、その本尊を手放すわけがない。
ワシントンに住んでいるアメリカ人には、それが理解できないかもしれないが……。

(願わくは、北朝鮮のミサイル発射実験が、失敗すること。
北朝鮮という独裁国家が、国際社会を前に、赤恥をかくこと。)

Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【注視! 日本国債の動きが、おかしいぞ!】

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

とうとう国債が、下落し始めたぞ!
わかっているのか。
その深刻さが、わかっているのか。

消費税法案で、モタモタしているばあいではない。
足の引っ張りあいをしているばあいではない。
ここで何か起これば、日本は万事休す。

とうとう始まった、国債の下落。
Bloombergも、ロイターも、一斉にそれをトップ記事で、報道している。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●国債の続落

『債券は大幅続落

 債券相場は大幅続落。米国景気の回復期待から前日の米債相場が大幅下落した流れを引き継いで売りが先行。
 午後発表の20年債入札結果を受けていったんは戻したものの、中期ゾーンの現物債売りなどをきっかけに相場は下げ幅を拡大した。
 東京先物市場で、中心限月6月物は前日比62銭安の141円31銭で開始し、直後に141円29銭まで下げた。
 午後の20年入札結果発表後には141円59銭までやや戻したものの、再び売りが優勢になると水準を切り下げ、結局は85銭安い141円08銭と、中心限月で昨年7月11日以来の安値で引けた』(以上、Bloomberg)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 つづいて、こんな記事もある。

『海外ファンド主導で国債相場が急落、一時停止措置寸前に

 『日本国債の先物相場が急落した背景にあるのは海外ファンド勢の動きだ。
米金利急騰で商品投資顧問業者(CTA)が買い持ちを解消したほか、マクロ系と呼ばれる海外ファンドは新たに売り持ちを構築し始めたという』(以上、ロイター)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●一刻の猶予もない

 今、日本の経済は、崖っぷちに立たされている。
ここで国債が、そのまま暴落したら、この日本はどうなる?
国家破綻だぞ!
が、それとて楽観論。
もしここで、何かのイベントリスクが発生すれば、どうなる?
地震、それとも原発事故……。
何かが引き金になり、そのまま日本は奈落の底に。

そんなことは、素人の私にもわかる。
が、国会は、何をやっている?
ゴタゴタつづき。
こういったことは、先手、先手で勝負。
後手、後手どころか、その後手も定まらない。

 今や、一刻の猶予もない。

●国債
 
 幸いなことに(?)、国債をもっているのは、金融機関と、それにジーちゃん、バーちゃんたち。
金融機関は、日銀の統制下にある。
あまりある現金で、国債を買いつづけている。
またジーちゃん、バーちゃんたちは、インターネットをしていない。
情報の外で生きている。
が、老人たちだって、そうはバカではない。
「どこか、おかしいぞ」と感じたときが、最後。
国債は、売りに出され、同時に暴落する。

 書き忘れたが、「国債」というのは、「国の借金」。
つまり借用証書。

●中学生の数学

 こんな数学の問題を考えてみた。

+++++++++++++++

Q:ある国が、額面100万円の国債を、利息2%をつけて、売り出した。
が、その国の経済が不安定になり、額面が割れ、80万円に下落した。
実質金利は、何%、上昇することになるか。

+++++++++++++++

 相場がさがれば、金利は自動的に上昇する。
なぜか。
この数学の問題が、それである。

 つまり仮に相場が、100万円から80万円にさがっても、その国は、100万円に対して、2%の金利、つまり「2万円」を支払わねばならない。

 が、その国債は、実際には、80万円で売買される。
額面の100万円では売買されない。
つまり2万円という金利は、80万円に対しての金利ということになる。
これで計算すると、
2÷80=2・5%となる。

 つまり金利は、2%から2・5%に上昇したことになる。
さらに相場が、50万円にさがったら、どうなるか。
「日本の国債は、額面の半分の価値しかない」と、みなが判断したらどうなるか。

 そのときは、2÷50=4%となる。
仮にそうなったとすると、つぎに新規に国債を発行するときには、4%の利息を保証しなければ、その国債は、だれも買わなくなる。

 そこで額面100万円の国債を、4%の利息をつけて売りに出す。
で、当初は、そこそこに売れる。
が、再び、経済不安。

 その国債も、額面を割り、相場で80万円にまでさがった。
こうなると再び、先の計算。

4÷80=5%となる。

 金利は5%に上昇することになる。

 ……これを繰り返すうちに、その国は、やがて破綻する。

●楽観論

 が、おかしな楽観論が、市場を支配している。

その1。
日本よりあぶない国がいくつかあるから、まずそちらが破綻するはず。
日本は、そのあと。
だから日本は、だいじょうぶ。

その2。
日本は、大きすぎる。
日本が破綻したら、世界中がパニックになる。
だから日本が破綻する前に、世界が何とかしてくれる。

 その1については、ありえない話ではない。
というのも、日本の金融機関が大きな損失をこうむれば、金融機関は、外国から資金を引き上げる。
そのとき真っ先の困るのが、それぞれの国。
そういった国のほうが、先に破綻する。

 その2にしても、大きいだけに、その分だけ、日本は奈落の底の、そのまた下にある地獄の底に叩き落とされる。
結果、日本という「国」が消えてしまうかもしれない。

 だから……。

●引き延ばし

 今、世界は日本の政治を注視している。
「日本よ、ことの深刻さがわかっているのか?」と。

 残念ながら、世界の人の目に映る日本は、まことにもって、情けない。
あきれている人も、多いのではないか。
公務員数の20~30%カットは、当たり前。
給料の、20~30%カットは、これまた当たり前。
無駄な新幹線の建設や、道路建設は停止。
その上で、消費税率のUP。

 「そんなことをすれば、日本経済は成長性を失う」と説く人もいる。
しかし日本経済は、とっくの昔に破滅している。
それを無理に引き延ばせば延ばすほど、被害は大きくなる。

 ……というのは、乱暴な意見だが、しかし不気味は不気味。
それが冒頭にあげた、各記事。
国債の値動きが、このところ急にガタガタし始めた。
「注視!」。

 国債や現金を、タンスの中にしまっている人は、国債の動きにじゅうぶん注意したらよい。
いらぬ節介かもしれないが……。


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【日誌・はやし浩司 2012-03-17】

●『マーガレット・サッチャー、鉄の女の涙』(以下、『マーガレット・サッチャー』)

 夜、8時過ぎ、月末の事務処理が終わった。
5月からの講演用のレジュメも完成させた。
そのとき、たまたま書斎にワイフが、お茶を届けてくれた。
「映画にでも行こうか?」と声をかけた。
ネットで調べると、9:30PMから、『マーガレット・サッチャー』が見られるのがわかった。
「いいわ」と、ワイフ。
それを確認したあと、すぐネットで、ビジネスホテルを予約する。
市内田町にある、クレタケ・イン・セントラル浜松。
「キャンセルがありましたから」と、すぐ部屋を用意してくれた。

 9時10分前に、家を出る。
今夜も深夜劇場。
我ら不良老人に、時刻はない。
「これからイギリスへ飛ぶぞ」と言うと、ワイフは笑った。
「映画を利用して、世界旅行!」と。

……。

 少し前、劇場から戻ったところ。
今、時刻は、12:12AM!
ワイフは、風呂に入っている。
私は、こうして今日の日記(?)を書いている。

 で、『マーガレット・サッチャー』。
評判通りの、すごい映画だった。
映画というより、メリル・ストリープの演技が、すごかった。
星は、もちろん5つ星の、★★★★★。
映画を見ながら、いろいろ考えた。
あの時代の、あのころを思い出した。
そのたびに、ズシリズシリと、重いものが胸に響いた。

 ……『マーガレット・サッチャー』の中で語られる英語は、もちろんクイーンズ英語。
一言、一言が格調高く、気品があった。
ウィット(機知)にも富んでいた。
ああいう言い回しが、日常的にできる英語が、うらやましい。
(もちろん下品な英語もあるが……。)

 つぎは、『スターウォーズ』、『長靴を履いた猫』……とつづく。
『Battleship』も楽しみ。


●友人

 話は前後する。
 
今日の昼、2週間ぶりに、友人に電話を入れた。
先月、呉(広島県)にある大和ミュージアムに行ったときのみやげを届けたのが、最後。
「どう?」と電話を入れると、意外な返事。

「女房は、胆のう摘出手術を受けてね。ぼくもヘルニアで動けなくなってしまった」と。
で、「林君、悪いが、昼飯を買ってきてくれんかなア」と。
元気のない声だった。

 異変を察知し、そのままワイフと車に飛び乗った。
途中のショッピングセンターで、3箱分の食料と飲料水を買う。
そのまま友人宅へ。
そこで2時間ほどを過ごした。
友人と奥さんは、それぞれ自分の病状を、詳しく説明してくれた。

 が、そういう話を聞くと、私は、すぐ「明日は我が身」と考えてしまう。
楽しいというよりは、(いつもは楽しいが)、しんみりとしてしまう。
私の年齢になると、いつ、何が起こるかわからない。
とんでもない伏兵が現れ、うしろから、ズバッとヤリで刺してくる。
油断できない。

 友人にしても、私よりはるかに健康に気をつかっている。
奥さんにしても、この4か月で、4キロやせたと自慢していた。
その矢先。
そんな友人夫婦にも、突然、病気が襲う。

 これから2、3日おきに、何かの食事を届けることにしよう。

●クレタケ・インにて

 ワイフは、今、チューハイを飲んでいる。
私は茶をわかし、それを飲んでいる。
日中は、あれほど眠かったのに、夜になると元気が出てくる。
そう、私は「夜男」。
血圧が低いこともあって、朝が苦手。

 こういう夜は、いつまでもこうして起きていたい。
いつまでも、文を叩いていたい。

●心配事

 今度、金環食が見られるという。
この5月21日(月曜日)に、地球と月と太陽が、一直線に並ぶ。

 その金環食が、この遠州地方でも見られるという※。
浜松市から静岡市にかけての一帯を、このあたりでは、「遠州地方」と呼ぶ。
が、金環食が見られる観測地点を知って、驚いた。
近く、東南海地震※が予想されている。
その場所と、ぴったりと一致する。

 月と太陽の引力。
その2つが重なって、この遠州地方を縦断することになる。
つまりそのとき、地球が受ける引力で、地震を引き起こす心配は、ないのか?
東南海地震は、目下、たいへん微妙な段階に入っている。
ほんの一押しで、大地震につながる。
そんなとき、地球と月と太陽が一直線に並んだら、どうなるのか。
そういう例は、今までにも、なかったわけではない。

 惑星や彗星が大接近するたびに、(もちろん偶然ということもあるが)、世界各地で、大地震が起きている。
もしそうだとするなら、その日、この遠州地方を大地震が襲うかもしれない。
その確率は、ゼロとは言えない。

 とりあえず私とワイフは、その日に備えて、準備をすることにした。
「食料を買いだめし、山地へ避難しよう」と。
「金環食だ!」「きれい!」と浮かれている最中に、大地震が起きるかもしれない。

(注※……金環食)
『……いよいよ今年。2012年5月21日の朝。
九州・トカラ列島から福島県南東部にかけた日本の太平洋側の広い地域で、太陽がリング状に欠けて見える珍しい天文現象 金環食(金環日食)が観測できます。
……(中略)……
今回の日食では東京・大阪・名古屋の三大都市圏が金環食帯に入っている上、中心食線(日食帯の中心線)が南関東・静岡・紀伊半島南部などの多数の都市・観光地を通ります。
図鑑で見るような真円のリングが国内で観測できる、またとないチャンス!』(金環食ホームページ)と。

 この浜松市と静岡市、それに東京都を結ぶ線上を、金環食の中心食線が通るという!
なお、静岡市では、午前7時32分13秒に通過とか。
太陽や月の引力の力を、けっして過小評価してはいけない。

(注※……東南海地震)
『紀伊半島沖から遠州灘にかけての海域(南海 トラフの東側)で周期的に発生する海溝型地震。規模は毎回 M8・0 前後に達する巨大 地震で、約100年から150年周期で発生している』
『政府の地震調査研究推進本部の予測によると、2010年1月1日からの発生確率は30年以内で 60~70 % 、50年以内で 90 % 程度以上とされている』(ウィキペディア百科事典)と。

 東南海地震は、約100年から150年周期で起きているという。
前回は、1944年12月7日。

●夜中に目が覚める

 夜中に、息苦しくなった。
目が覚めた。
一応、ダブルベッドルームということにはなっているが、狭い!
縦と横の幅は、1・5間(約2メートル半)程度しかない。
ほぼ正方形の部屋+通路が、半畳程度。
換気扇はついているはず。
暖房も22度と、低め。
それでも夜中に胸苦しくなり、目が覚めた。
軽い頭痛もあった。
時刻は、午前4時半。

 窓を開ける。
新鮮な空気を、取り込む。
一息つく。

 「まさか……?」とは思いたいが、こんな狭い部屋で、2人の宿泊は無理。
こんな部屋に2人で泊まったら、酸素欠乏で、朝までに死んでしまう。
クレタケ・インには、そのつどしばしば泊まらせてもらっているが、こんなことははじめて。
次回は、慎重に部屋を選んでもらおう。

(注)
 チェックアウトのとき、それをフロントの男性に告げると、こう説明してくれた。
そのまま書く。

(1)部屋には、換気扇はない。
(2)洗面所(+風呂、トイレ)には、換気扇がついている。
(3)だから洗面所のドアを半開きにし、電気をつければ、換気ができる、と。

 しかし洗面所のスイッチは、1つ。
電気(天井灯)と換気扇のスイッチは別々になっていない。
つまりこの方法だと、電気をつけたまま、眠らなければならない。
が、私たち夫婦のように、真っ暗にしないと眠られない人も多いはず。
そういう人は、どうすればよいのか。

 説明を聞き、「不便だなあ」と一言。

●鏡

 テーブルの前に、50センチ四方大の鏡がある。
私の顔がまともに映っている。
その顔を、しばし、ながめる。
……というのも、私はめったに鏡を見ない。
見るとしても、1日の生活の中でも、数秒程度。

 その顔を見ながら、こう思う。
「ジジイだなあ」と。

 白髪がふえた。
今では、60%前後が、白髪。
顔のシワは少ない方だが、それは顔が、少しむくんでいるせいではないか。
どうしてだろう?
「今日、床屋へ行ってこよう」と、今、そう思った。
髪の毛はボサボサ。
口髭も、てんでばらばらな方向を向いている。
そう思ったところで、鏡から目をそらした。

●ネット中毒

 私もその仲間かもしれない。
が、隣りの韓国では、ネット中毒者が社会問題になっている。
正確には、「ネット」ではなく、ネット・ゲームと書くべきか。
一晩中、パソコン相手にゲームをする、など。
が、この日本では、話題にもならない。

 どうしてだろう?

 韓国では、一定の基準を定め、それ以上だと、ネット・ゲーム中毒と断定している。
が、この日本には、その基準すら、ない。
どうしてだろう?

 が、数値的な基準、たとえば1日、何時間以上、ゲームに没頭しているからどうのこうのという尺度は、あまり意味がないのでは?
問題は、中身。
ゲームに没頭するあまり、自らを社会から遮断してしまう。
あるいはそのつど、ゲームの中の世界と、自分を1対1の関係に置いてしまう。
つまり自分とゲームの間に、距離を置かない。
バーチャルな世界に、ハマり、そこを現実社会と混同してしまう。

(「1対1」というのは、自分とネットの世界を、1対1と思い込んでしまうことをいう。
本当は、自分対、無数の相手なのだが、ゲームにハマると、それがわからなくなる。)

 で、子育ての世界には、「カプセル家族」という言葉がある。
自分たち家族を、風通しの悪いカプセルの中に、置いてしまう。
他人の意見を聞かなくなる。
自分たちだけが、ぜったい正しいと思い込んでしまう。
そのため同じ過保護でも、極端化しやすい。
過干渉や過関心にしても、極端化しやすい。
もちろんその先には、虐待もある。

 同じように、ネットを相手に、自らを社会から遮断してしまうと、ものの考え方が極端化しやすい。
心に何かの病気をもっている人なら、なおさら。
まさにそこは仮想現実の世界。
その仮想現実の世界に、ハマってしまう。

 そのため、もしあなたがネット中毒者(?)なら、またその疑いがあるなら、努めて現実世界との接点をもったほうがよい。
外出するとか、人に会うとか、など。
運動をするのもよし、映画を見るのもよし。

●私

 私はいつもパソコンと、こうして向かい合っているが、ネットをする時間は、かぎられている。
パソコンと向かい合っている時間の99%は、こうして文章を叩いている。
つまりパソコンを、ワープロとして利用している。
残り1%で、Eメールを読んだり、あちこちを検索したりしている。
ゲームといっても、将棋と囲碁だけ。
ほかのゲームは、しない。

が、だからといって、安全というわけではない。
ときにささいなことが気になり、それが妄想につながるときがある。
そういうときは、精神がイラついてくる。
それで、それとわかる。
「あぶないぞ!」と。
ときどき「NO・パソコン・デー」をもうけているのは、そのため。
毎週水曜日前後を、その日と決めている。

 たとえば……ときどき「2チャンネル」をのぞくことがある。
若い人たちの意見が、そこには赤裸々な形で表現されている。
が、明らかに論理的に、「?」と思われるものも、少なくない。

「ジジイは、社会のゴミ。1匹くらい死んでも、害はない」とか、など。

どうしてそういうものの考え方をするのかということを、論じても、意味はない。
先に書いた「極端化」という現象と考えると、理解しやすい。

 ネット中毒かどうかは、何かのメンタル・テストをしてみてはじめてわかること。
たとえば子どものばあい、ゲームにハマっている子どもは、顔つきや表情、それに様子まで、おかしくなる。
突発的に興奮状態になったり、キレやすくなったりする。
ゲームをしていないときは、(あるいはゲーム機が近くにないときもそうだが)、明らかにイライラした様子を見せたりする。
(反対に、正気が失せたかのように、ヌボーッとする子どももいる。)

 何時間以上しているから、「中毒」とか、それ以下だから、「中毒ではない」とかいう判断は、しても、あまり意味はない。
診断のひとつの基準にはなるだろうが……。

●眠気

 再び、睡魔が襲ってきた。
眠くなってきた。
外では、カラスが鳴き始めた。
朝が近いよう。

 再び、自分の顔を見る。
小さな目だが、その目が、さらに小さく見える。
ショボショボしている。

 朝になったら、早くここを出る。
自宅で、もう一度、眠りなおす。

今日は、日曜日。
畑作を予定している。
10坪足らずの畑だが、ほぼ半分は、ほかの野菜で埋まった。
あとは、ナス、トマト、キュウリなどの定番野菜。
それを今日中に、すませたい。

……エ~ト、ほかに、山荘へ行き、M氏に会わなければならない。
ときどき山荘周辺の草を刈ってもらっている。
その礼のあいさつをしなければならない。

 あとは薬局へ行き、目薬を買う。
いつも書斎に、3本ほど置いてあったのだが、今はゼロ。
このところ目の疲れを、よく感ずる。
気をつけよう。

 では、今朝のエッセーは、ここまで。
みなさん、おはようございます。
雨もあがり、生暖かい、春の陽気。
バンザ~イ!

2012年3月18日


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司※

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