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子育て最前線の育児論byはやし浩司 2012年 3月 21日
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★ ★★HTML版★★★
HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【年中児、4&5歳児に、足し算・引き算を教える】
●今回は、オーソドックスな方法で、年中児に、足し算と引き算を教えてみました。
また今回は、3歳のOさんが見学に入りましたので、全体にテンポを遅くしました。
途中、ぐずりの泣き声は、Oさんの妹さんたち(2歳児)です。
(1)
(2)
(3)
(4)
Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【メタ認知能力】byはやし浩司 2012-02-07日編
●私を知るために
+++++++++++++++++++++
今朝は、午前4時に目が覚めた。
しばらくそのまま目を閉じていた。
が、そのうち、GIVE UP!
起きるとすぐランニングマシンに。
30分の運動。
ほどよい汗が、全身を濡らした。
で、そのまま書斎に。
肌で感ずる生暖かい風。
時おり屋根を打つ、はげしい雨。
今日も始まった。
2月07日。
午前5時。
++++++++++++++++++++
●活動開始
昨日、大きな講演会の申し込みが、ひとつあった。
8月x日。
8月!
こういう寒い日々がつづくと、8月の、あの暑さが恋しい。
本当に、今年も夏が来るのだろうか。
そんな思いが、ふと、心の中を横切る。
……というか、それまで無事、生きているだろうか。
そんな心配も、同時に心の中を横切る。
が、今、こう決めた。
「どんなことがあっても、8月まで、生きていよう」と。
(少し悲観的すぎるかな?)
その日に合わせ、体力と気力を整える。
毎日の運動と精進(=もの書き)を怠らない。
その講演を目標とし、前に向かって進む。
●恋愛
先日、恋愛について、エッセーを書いた。
その中で、こう書いた。
同じ「愛」という言葉を使うが、若い人がする恋愛は、「愛」ではない。
愛と思い込んでいるだけ。
辛らつな言い方をすれば、「ベッドの上で、裸になってからみあう」、
それを若い人たちは、「愛」と錯覚している、と。
が、そんなことなら、そこらのイヌやネコでも、している。
そこらのイヌやネコでもしていることをしながら、「愛」と。
バカバカしい……。
(だからといって、恋愛を否定しているわけではない。誤解のないように!)
●子育て
子育てについても、同じ。
若い父親や母親は、それが一大事とばかり、子育てをしている。
(一大事には、ちがいないが……。)
しかしその中身と言えば、本能に操られているだけ。
(だからといって、子育てを否定しているわけではない。誤解のないように!)
最近の脳科学によれば、こういうこと。
あの赤ん坊ですら、無意識のうちに、親ごころを誘導しているということがわかってきた。
あの赤ん坊が、だぞ!
(もちろん無意識だろうが……。)
自分をかわいく見せ、親ごころを自分にひきつける。
乳児が見せる「エンゼルスマイル」もそのひとつと言われている。
言い換えると、親はその赤ん坊に操られる。
操られるまま、「かわいい」と思う。
頬ずりする。
同時に自分の中に潜む、本能に操られる。
操られるまま、「かわいい」と言っては、子どもを抱く。
さらに……。
このとき母親の脳内では、何かの麻薬を服用したときのような反応が起きるという。
つまり甘い陶酔感に襲われる。
そういう相互作用があり、親は子育てをする。
子どもは、親に育てられる。
子孫が後世に残される。
●メタ認知能力
が、本能は本能。
だからといって、ブレーキをかける必要はない。
赤ん坊をかわいいと思いたければ、思えばよい。
子育てをすればよい。
(それがまちがっているというのではない。誤解のないように。)
ただ人間というのは、そのつど、本能に操られて生きている。
無意識の世界からの命令だけに、本人がそれに気づくということは、まずない。
ないが、それに気づくかどうかによって、「私」の見方が大きく変わってくる。
つまりこういう自分を超えた視点に自分を置き、自分をより高次な立場で見る。
これを「メタ認知」というが、この地球上では、人間だけがそれをできる。
その能力を、「メタ認知能力」という。
「メタ」というのは、「高次な」という意味※。
「メタ認知」は、英語では、「Metacognitive」という。
ウィキペディア百科事典には、こうある。
『メタ認知(メタにんち)とは認知を認知すること。
人間が自分自身を認識する場合において、
自分の思考や行動そのものを対象として、
客観的に把握し認識すること。
それをおこなう能力をメタ認知能力という』と。
ウィキペディア百科事典にケチをつけるのも気が引ける。
が、少し意味がちがうのではないか。
「メタ認知」というのは、「無意識下における自分の思考や行動を、客観的に知ること」。
私はそういうふうに、解釈している。
またそういうふうに解釈すると、意味がよくわかる。
(注※……「meta…英語の meta- は、後から(after)、超えて(beyond)、共に(with)、変化(change)などのニュアンスを持つ接頭語です。
「それまでの機能に加えて、後から機能を追加するためのもの」といった意味でしょうか」(Yahoo辞書))より。
●知的能力
メタ認知能力は、学習と訓練によって養われる。
もちろんそれを身につけるためには、それなりの知識と、知的能力が必要である。
理性や知性が、大きく影響する。
言い換えると、本能に溺れるまま行動している人には、自分の姿が見えない。
私は私と思いながら、私でない部分に振り回される。
先に書いた、若い人たちの恋愛にしても、そうだ。
若い父親や母親の子育てにしても、そうだ。
(だからといって、それがまちがっていると言っているのではない。誤解のないように!)
が、自分の中に潜む本能を客観的に知るだけでも、「私」に対する見方が大きく変わる。
同時に「私」が何であるかが、よくわかるようになる。
●妄想性人格障害者(パラノイア)
たとえば私には、妄想性人格障害的な傾向がある。
「パラノイア」ともいう。
ものの考え方が、どこか独裁者的?
あくまでも自己診断だが、私は、そう判断している。
(この自己診断が正しいかどうかということは、問題ではない。
「そういう傾向がある」というだけ。
またそのようにして、あれこれと自分を疑ってみることは悪いことではない。
そのつど、私は私をよりよく知ることができる。)
たとえば、私はひとつのことにこだわり始めると、脳内が一気に、不安定になる。
妄想が充満する。
不安や心配が、どっと大きくふくらみ、自分でも収拾がつかなくなる。
他人を信用しない。
疑り深くなる。
「パニック障害」とちがうのは、身体的症状を伴わないこと。
精神状態だけが、きわめて不安定になる。
もちろん症状にも軽重がある。
まただれにも、そういった症状はある。
だからといって、「おかしい」とか、「欠陥人間」と決めつけてはいけない。
(私も、私のことを、そのように思っていない。誤解のないように。)
が、それが私の弱点でもあり、欠点でもある。
パニック状態になると、大声で叫んだり、わめいたりする。
が、そんなときでもメタ認知能力があれば、自分を客観的に判断することができる。
「ああ、今の私はおかしい」と。
そういう点では、メタ認知能力は、役にたつ。
自分をそのつど客観的に見ることができる。
それによって、自分をコントロールすることができる。
まずいのは、そういう「私」に気づかず、同じ失敗を繰り返すこと。
そこでこんなことを診断してみるとよい。
(1) いつも同じ失敗(トラブル)を繰り返す。
(2) そのつど、「二度としない」と心に誓う。
(3) が、時間がたつと、また同じ失敗(トラブル)を繰り返す。
相手が配偶者であろうが、友人であろうが、知人であろうが、それは問題ではない。
ほとんどの人は、私であって私でない部分に、大きく操られている。
その原因がわかるだけでも、こうした失敗(トラブル)を未然に防ぐことができる。
「すぐに……」というわけにはいかない。
しかし時間が解決してくれる。
そのためにも、つまり「私」を知るためにも、心理学は、たいへん役に立つ。
(注※……『妄想性人格障害』について、ウィキペディア百科事典には、以下のようにある。
「この症状は、拒絶・憤慨・不信に対して過剰な感受性を示すとともに、経験した物事を歪曲して受け止める傾向に特徴がある。
普通で友好的な他人の行動であっても、しばしば敵対的や軽蔑的なものと誤って解釈されてしまう。
本人の権利が理解されていないという信念に加えて、パートナーの貞操や貞節に関する根拠の無い疑いであっても、頑固に理屈っぽく執着する。
そのような人物は、過剰な自信や自己指示を誇大にする傾向がある。
なお、この文脈で『偏執病』(パラノイア)という用語が意味するのは、単なる妄想や精神病の存在ではなく、人々に対する猜疑心や不信が理由もなく進行中であることを意味している」(以上、ウィキペディア百科事典より)。
●性Yからの解放
もう何度も同じことを書いて、申し訳ない。
また同じことを書く。
……私は55歳前後に、「男の更年期」なるものを、経験した。
男性にも更年期があるかどうかという議論もある。
そうした議論は別として、そのころ私は、性YOKUから解放された。
(BLOGによっては、「禁止用語」というのがある。
ここでは「性YOKU」と書く。
「YOKU」というのは、「欲」のこと。
以下「性Y」と表記する。)
最初にそれに気がついたのは、どこかのレストランで、雑誌を読んでいたときのこと。
巻末に、女性の裸の写真が載っていた。
かなりきわどい写真だった。
そのときのこと。
いつもなら、じっと見入るはずの私だったが、そのときは、ちがった。
その女性が、脂肪の塊(かたまり)のように見えた。
言葉はきついが、「ラード(脂身)」の塊ように感じた。
同時に、こうも思った。
「どうして今まで、こんな写真を見たがっていたのだろう」と。
性Yからの解放というのは、それをいう。
とたん、脳の中を実にさわやかな風が流れるのを覚えた。
●性的エネルギー
あのフロイトは、たいへんおもしろいことを言っている。
「人間を原点で動かしているのは、性的エネルギーである」と。
この言葉は、若いころから知っていた。
が、それを実感したのは、そのときだった。
恐らくフロイトも、ある年齢で、私と同じ経験をしたにちがいない。
伝説によれば、フロイトはかなりの好色漢だったという。
それだけに、よけいに大きな落差を感じたにちがいない。
そして気がついた。
「今まで私を動かしていたのは、性的エネルギーである」と。
これは私の勝手な解釈によるものだが、それがそのとき、よくわかった。
はっきりとした輪郭(りんかく)をともなって、よくわかった。
●講演の感想
話題を変える。
こんなメールが届いていた。
それを紹介するのは、どこか自慢たらしい。
よくわかっている。
が、うれしかったので、原文のまま、紹介する。
『本日の教育講演会、ありがとうございました。
本校の教頭が、授業で講演会に出られなかった先生方に
自慢のように先生の話をしていました。
担任はなかなか時間がとれないのでつらいところでありますが、
大目的である保護者の方には充分に時間を取ることができました。
あんなに保護者の方々が大きな声で笑ったり、うなずいたり、
自分を振り返ったりする姿は初めて見ました。
楽しい時間、すばらしい時間ほどあっという間に過ぎてしまいます。
私も本日お聞きしたことを、今とこれからの子どもたちにぶつけて
いきたいと思います。
今後とも、よろしくお願いします。
本日は本当にありがとうございました』(K市O小学校、主幹S先生より)と。
●ハゲタカ!
もうひとつ、話題を変える。
「ヘッジファンド」と呼ばれる、訳の分からない組織がある。
平たく言えば、マネー(現金)そのものを売買する組織。
モノ(商品)を売買するように、彼らはマネーを売買する。
おかしな組織だが、その組織が、世界の表舞台を今、堂々と渡り歩いている。
今度のギリシャの金融危機に際しても、大量のギリシャ国債を買い入れている。
ならば、ギリシャがデフォルト(債務超過=国家破綻)すれば、損をするはず。
……と、だれしも考える。
が、ヘッジファンドは、損をしない。
デフォルトも予想しながら、ちゃんと保険をかけている。
「クレジット・デフォルト・スワップ」(CDS)というのが、それ。
万が一、ギリシャがデフォルトしても、元本は保証される。
金融派生商品のひとつ。
わかりやすく言えば、ギリシャ国債を購入するに際し、購入先の銀行から同時に、CDSを購入する。
だから今度のギリシャの金融危機でも、ヘッジファンドだけは、涼しい顔をしている。
前例がないわけではない。
10年ほど前、アルゼンチンがデファルトしたとき、ヘッジファンドだけは、大儲けした。
つまりハゲタカ!
が、その分だけ、CDSを販売した銀行団が、大損を被(こうむ)ることになる。
大損を被った分だけ、ヘッジファンドは儲ける。
が、問題は、それだけではない。
各国がいくら会議を重ねても、ヘッジファンドだけは、それを拒否している。
EU「ギリシャの借金を、7割棒引きにしてやってくださいよ」
ヘッジ「いやだね」
EU「そんなこと言えば、ギリシャが破綻してしまいます」
ヘッジ「ハハハ、私は構いませんよ」と。
ここでへたに救済策に加担すれば、それこそ利益が吹き飛んでしまう。
ヘッジファンドにしてみれば、ギリシャをデフォルトさせ、その分、銀行団から、保証金を得たほうが得。
だから、ハゲタカ!
が、これは日本の近未来像でもある。
すでに世界のヘッジファンドは、この日本を標的にし、動き出している。
「つぎは日本!」と。
が、こんな連中が、堂々と渡り歩いているところが、へん。
異常。
資本主義体制の矛盾が、ここに集約されている。
コツコツとまじめに働いている人たちがいる。
わずかな給料で、何とか生き延びている人たちがいる。
が、その一方で、パソコンの画面をながめながら、一国の破綻を、今か、今かと楽しみにしている連中がいる。
扱う金額も、ハンパではない。
今や、1兆円単位!
こんなことが許されてよいのか?
……ということで、話を戻す。
●依存性による魔力
最近、こんなことをよく考える。
題して、「依存性による魔力」。
もう少しよいネーミングがつけられないものかと思うが、私は苦手。
たとえば横文字で、「サイコパシー」という言葉がある。
(簡単に言えば、親切な人に出会ったりすると、その人を金儲けのカモととらえる。
心のゆがんだ人のことを、「サイコパシー」という※。)
そういうようなネーミングができたらよい。
そのサイコパシーと、ここでいう「依存性による悪魔」は、どこか共通している。
こういう例で、説明してみよう。
(注※……精神病質のひとつ。反社会性をもつことで、よく知られている。)
●線条体
その前に、欲望論について。
「欲望」は、線条体に受容体と作りやすい。
その受容体ができると、条件反射的に、欲望を満たしたくなる。
よく知られた例に、アルコール中毒やニコチン中毒がある。
これらの人たちは、ビールのコマーシャルを見ただけで、ぐいとビールが飲みたくなる。
どこかでタバコのにおいを嗅いだだけで、タバコを吸いたくなる。
受容体は、子どもほど、できやすい。
たとえば、買い物依存症。
このタイプの人(子ども)は、それが必要だから、それを買うのではない。
「買いたい」という衝動が先に起き、そのものを買う。
ゲーム中毒の子どもが、新しいゲーム機やソフトを、狂ったようにほしがることがある。
それが、その1例ということになる。
……だから、子どもには、安易にものを買い与えないほうがよい。
買い与えることで、子どもの中に中毒性が生まれる。
……という話は、この世界では、常識。
ここではもう一歩、この話を先に進めてみる。
●お人好しの祖母
一度、この受容体ができると、常識的な感覚が通用しなくなる。
たとえば、こんな例で考えてみよう。
どこかにお人好しの祖母がいたとする。
(祖父母というのは、たいていお人好しだが……。)
その祖母が、孫の子どもに、数万円もするゲーム機器を買い与えたとする。
(よくあることだが……。)
こういうとき、買ってやった祖母は、こう思う。
高価なものを買ってやったのだから、孫は感謝しているはず、と。
またそれによって、たがいの絆(きずな)も太くなったはず、と。
ふつうの常識で考えれば、その祖母の思いは正しい。
しかしそのとき、孫である子どもに、受容体ができていると、そうはいかない。
高価なゲーム機器を買ってもらった子ども(孫)は、こう思う。
「しめしめ、うまくいった。
このバーちゃん、甘いぜ。
うまくだませば、もっと高価なものを買ってもらえる」と。
依存性がベース(基本)になっているから、「買ってもらって当然」と考える。
もちろん感謝などしない。
それで絆が太くなるということもない。
これが、私がいう、「依存性による魔力」である。
●ドラ息子
依存性というのは、そういうもの。
一度、保護、依存の関係ができると、それを断ち切るのは、容易なことではない。
それがその人の常識になる。
先日も、私が書いたBLOGにこんなコメントが付いた。
「……親が、息子(娘)に老後のめんどうをみてもらいたかったら、息子(娘)に、そう頼めばいい」
「私は自分の子どもは、親のめんどうのことで、束縛したくない」(千葉県、E.H.氏より)と。
若い父親らしいが、少なくとも私のもっている常識とは、180度ちがう。
それに驚いた。
その第一。
「親が、息子(娘)に頼め」という部分。
ドラ息子、この一言に、極まれり。
その第二。
子どもが親のめんどうをみることを、この父親は、『束縛』ととらえている。
親は子どものめんどうをみる。
しかし子どもに、親のめんどうをみさせることは、束縛、と。
もう一度、繰り返す。
ドラ息子、この一言に、極まれり。
こんな息子(娘)に、自分の老後のめんどうをみてもらいたい思う親は、い・な・い。
そう言えば、昔、こんな高校生がいた。
「老人のような役立たずは、早く死ねばいい」と。
そこで私が、「君だって、いつかは、その老人になるんだよ」と話すと、その高校生はこう言った。
「ぼくは、それまでにうんとお金を稼いでおくからいい。
みんなに、迷惑をかけないからいい」と。
●「結婚式をやってやる」
問題は、そういう子どもがいるということではない。
どうしてそういう子どもになるか、だ。
その理由の第一が、先に書いた、「依存性による魔力」である。
保護、依存の関係が常態化すると、常識が狂う。
保護してもらうのが当たり前、依存するのが当たり前という、ものの考え方をする。
ある息子氏は、親にこう言った。
「地元で結婚式をやってやるから、結婚費用を出せ」と。
「地元で結婚式をやってやるから、感謝せよ」と。
(息子が親に、感謝せよと言ったんだぞ!)
また20年ほど前のこと。
こう言った高校生がいた。
「親がうるさいから、大学へ行ってやる」と。
私はその言葉に驚いた。
驚いて、当時書いた本の中で、それについて書いた。
が、当時は、このタイプの子どもは、まだ少数派だった。
が、今は、逆転した。
むしろここに書いたような若い人たちのほうが、多い。
●修復は不可能
が、問題は、さらにつづく。
一度、こうした親子関係(人間関係)になると、それを修復するのは、ほぼ不可能。
親の方は、「肉親だから……」という幻想をもちやすい。
「そうは言っても、親子だから……」と。
が、息子(娘)のほうは、そうでない。
むしろ、逆。
親が死んでからも、してもらわなかったことを、恨む。
こう言った女性(当時、40歳くらい)がいた。
「私は結婚するとき、親から1円も出してもらえなかった。
どうしてそんな親の墓参りをしなければならないのか」と。
●殺伐とした人間関係
殺伐とした人間関係。
現在の親子関係を、一言で表現すればそうなる。
子どもたち自身が、ドラ息子、ドラ娘になりながら、それに気づいていない。
ちょうどバブル経済が、華(はな)やかりしころ。
その時代に、今の若い人たちは生まれた。
生まれると同時に、「蝶よ、花よ」ともてはやされた。
飽食とぜいたくの中で、幼児期から少年少女期を過ごした。
苦労を知らない。
「ひもじい」という言葉の意味すら、知らない。
食べ物にしても、それがあるという前提で、生きている。
●団塊の世代
さらにショッキングな事実がつづく。
私は、昭和22年生まれの団塊の世代。
強く意識したわけではないが、(……というもの、あくまでも結果論にすぎないので)、私たちの世代は、みなこう思っている。
「日本の繁栄を築いたのは、私たちの世代」と。
しかし現実は、ちがう。
現在の若い人たちは、そうは思っていない。
むしろ、逆。
「日本の繁栄を破壊したのは、団塊の世代」と。
こうした意識も、私たちの意識とは、180度、ちがう。
現在の若い人たちは、(繁栄)を前提として、生まれ、育った。
つまりこの日本は、奈良時代の昔から、(江戸時代でもよいが)、リッチだった。
それをつぶしたのが、団塊の世代、と。
●意識調査
こうした事実を、如実に表しているのが、内閣府(総理府)による、意識調査である。
何度も取りあげているが、もう一度、ここに掲載する。
(2012年1月記)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●ゴミ?
少し前、「ジジ・ババ・ゴミ論」について書いた。
私が「ゴミ」という言葉を使っているのではない。
若い人たちの書くBLOGに、そう書いてある。
最近の若い人たちの老人論には、辛らつなものが多い。
「老害論」から「ゴミ論」へ。
まさかと思う人がいたら、一度、若い人たちのBLOGに目を通してみるとよい。
それについては、もう何度か書いてきた。
ここでは「なぜ?」について、書いてみたい。
なぜ、私たちはゴミなのか?
●「将来、親のめんどうをみる」
「将来、どんなことをしてでも、親のめんどうをみる」と答える、日本の若い人たちは、世界でも最下位。
総理府、それにつづく内閣府が、数年おきに、同じ調査をしている。
「青少年の意識調査」というのが、それである。
それによれば、つぎのようになっている。
(第8回青年意識調査:内閣府、平成21(2009)年3月)
+++++++++++++++++++++++++++++++++
●年老いた親を養うことについてどう思うか
「どんなことをしてでも親を養う」
イギリス66.0%、
アメリカ63.5%、
フランス50.8%、
韓国35.2%、
日本28.3%
(平成9年、総理府の同調査では、19%。)
日本の若い人たちの意識は、28・3%!
アメリカ人の約半分。
「親孝行は教育の要である。日本人がもつ美徳である」と信じている人は多い。
しかし現実は、かなりちがうようだ。
今どき、「親孝行」という言葉を使う、若い人は、いない!
●「自分の子どもに老後の面倒をみてもらいたい」と思うか
『そう思う』:
イギリス70.1%、
アメリカ67.5%、
フランス62.3%、
日本47.2%、
韓国41.2%
+++++++++++++++++++++++++++++++++
平たく言えば、現代の若い人たちは、「経済的に余裕があれば、親のめんどうをみる」と考えている。
しかし「経済的に余裕のある若い人」は、ほとんど、いない。
どの人も、目一杯の生活をしている。
結婚当初から、車や家具一式は、当たり前。
中には、(実際、そういう夫婦は多いが)、結婚してからも親からの援助を受けている夫婦もいる。
金融広報中央委員会の調査によれば、現在、貯蓄ゼロ世帯は、23%。
全国約4000万世帯の、23%。
4世帯につき、約1世帯。
さらに生活保護を受ける世帯が、2011年度、最高数を記録した。
その数、150万世帯!
++++++++++++++++++++++++++++++
金融広報中央委員会の「家計の金融資産に関する世論調査(2006年)」によれば、
つぎのようになっている。
20代は171万円、
30代は455万円、
40代は812万円、
50代は1154万円、
60代が1601万円、
70歳以上が1432万円。
この調査は「20歳-79歳代の男女10,080人」を対象に調べたもので、
このうち貯蓄を持っているのは全体の、77・1%。
残りの22.9%は貯蓄ゼロ。
貯蓄ゼロの家庭は、年収が300~500万円未満でも21.1%。
500~750万円未満の家庭でも16.2%。
+++++++++++++++++++++++++++++
なお、団塊の世代についてみると、8・1%の世帯が、貯蓄ゼロとなっている(「格差脱出研究所」調べ)。
ただしここに載っている数字にしても、あくまでも、「平均」。
70歳以上だけをみても、中に数億円以上もの金融資産を保有している人たちがいる。
大多数の人は、400~500万円程度と言われている(某経済誌)。
「親のめんどうをみる」と答える、若い人たちの減少。
それと反比例する形での、「ジジ・ババ・ゴミ論」。
両者を関連付けるのは、危険なことかもしれない。
しかし無関係とは、これまた言えない。
●それまでにあの世行き
今さら、社会改革などというのは、不可能。
若い人たちの意識を変えていくというのも、不可能。
意識というのは、そういうもの。
10年単位、20年単位の年月がかかる。
それまで待っていたら、間に合わない。
(つまりそれまでに、私たちは、あの世行き!)
だったら、私たちは私たちで、(つまり老人組は老人組で)、それを前提として生きる。
老後の生活を組み立てる。
その上で、よき息子、よき娘、よき孫に恵まれれば、もうけもの。
そう考えればよい。
期待が大きければ大きいほど、落胆する度合いも大きい。
だから期待しない。
●38年後
悲観的な意見ばかり書いてきた。
これを読んでいる人たちも、暗い気分になったはず。
が、これは何も、私たちだけの近未来像ではない。
2050年には、この状況は、さらに悪化する。
今から、38年後。
つまりあなたの年齢に、38歳を足してみればよい。
そうすればあなた自身も、それがあなたの近未来像ということがわかるはず。
そのころこの日本がどうなっているか。
経済誌を少しでも読んだことがある人なら、それがわかるはず。
が、経済はそうなってもしかたないが、もうこれ以上、心まで破壊してはいけない。
ただ私は、こんな時代はいつまでもつづかないと思う。
つまり繰り返す。
悪い時代も繰り返すが、一方、よい時代も繰り返す。
それを望むわけではないが、日本もやがてドン底に叩き落とされる。
トイレもボットン便所になるかもしれない。
そこにたまった便で、野菜を育てるようになるかもしれない。
が、そのとき、再び、日本は再生の道を歩き始める。
ドラ息子、ドラ娘……結局は苦労するのは、彼ら自身ということになる。
(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 親の面倒 親のめんどう 総理府 内閣府 青年の意識調査 サイコパシー サイコパス 依存性という悪魔 ドラ息子 ドラ娘 はやし浩司 千葉県 E.H.EH 団塊の世代)
Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【私とは?】(What is "Me"?)
At last I have come to an conclusion or I just feel it that I have come. Here is what I have
found in these ten years.
●いよいよ核心?
++++++++++++++++++
「私」の中には、(私であって、私でない部分)と、
(私であって、私である部分)がある。
大半の「私」は、(私であって、私でない部分)と
考えてよい。
食事をするのも、眠るのも、仕事をするのも、
また恋をして、結婚して、子どもをもうけるのも、
結局は、視床下部の奥深くから発せられる、強力な
シグナルによって、そう操作されているだけ。
それを「本能」と呼ぶなら、本能という名称でも、
構わない。
では、(私であって、私である部分)は、どこに
あるのか。
実は、こうしたシグナルに逆らうところに、
「私」がある。
こんな例で考えてみよう。
毎年、その時期になると、私の家の庭には、2羽の
ドバトがやってくる。
巣をつくり、雛(ひな)をかえす。
そのときのこと。
ドバトは、たいてい2羽の雛をかえす。
が、そのうち雛が大きくなると、
より強い雛が、より弱い雛を、巣から押し出して、
下へ落としてしまう。
つまり1羽だけが、生き残る。
(たまに2羽とも生き残ることがあるが……。)
雛は、雛なりに、生存をかけて、もう一羽の
雛を、巣から落とす。
が、それはその雛自身の意思というよりは、
雛自身の、生まれもった、本能によるものと
考えるのが正しい。
もしその雛が、人間と会話ができるなら、
きっとこんなふうに言うにちがいない。
私「君は、どうして、もう一羽の雛を、巣から
落としたのだ?」
雛「親が、エサをじゅうぶんにくれないからだ」
私「君の意思で、そうしたのか?」
雛「もちろん。やむをえず、私は、そうした」と。
が、雛は、自分の意思で、そうしたのではない。
もう少し正確には、これはあくまでも私の
仮説だが、こうなる。
「生きたい」という強力なシグナルが、雛の
視床下部から発せられる。
そのシグナルは、雛の辺縁系と呼ばれる部分で、
「形」のあるシグナルに変換される。
このばあい、「嫉妬」という感情に変換される。
つまりそこで2羽の雛は、たがいに嫉妬し、
巣の中で、闘争を開始する。
「出て行け!」「お前こそ、出て行け!」と。
結果的に、より力の強い雛が、弱い雛を、巣から
追い出して、落とす。
落とされた雛は、野犬などに襲われて、そのまま死ぬ。
わかりやすく言えば、雛は、こうした一連の行為を
しながら、(私であって、私でない部分)に操られた
だけということになる。
では、その雛が、(私であって私である部分)をつかむ
ためには、どうすればよいのか。
ここから先は、人間を例にあげて考えてみよう。
2人の人がいる。
砂漠かどこか、それに近いところを歩いていた。
2人も、もう数日間、何も食べていない。
空腹である。
で、2人が歩いていると、目の前に、パンが一個、
落ちていた。
1人分の空腹感を満たすにも足りない量である。
もしそのとき、2人が、一個のパンを取りあって、
喧嘩を始めれば、それはドバトの雛のした行為と
同じということになる。
基本的には、視床下部から発せられたシグナルに
操られただけ、ということになる。
が、2人の人は、こう話しあった。
「仲よく、分けて食べよう」
「いや、ぼくはいいから、君のほうが、食べろよ」
「そんなわけにはいかない。君のほうが、体も細いし、
元気がない……」と。
もう、おわかりのことと思う。
(私であって、私である部分)というのは、
(私であって、私でない部分)を、否定した
部分にあるということ。
もっとわかりやすく言えば、先に書いた、「本能」を
否定したところに、「私」がある。
さらに言えば、一度(私であって、私でない部分)から、
抜けでたところに、「私」がある。
その究極的なものは何かと問われれば、それが「愛」
であり、「慈悲」ということになる!
「愛」の深さは、「どこまで、相手を許し、忘れるか」、その
度量の深さで、決まる。
「慈悲」については、英語で、「as you like」と訳した
人がいる。
けだし名訳! 「あなたのいいように」という意味である。
つまり「慈悲」の深さは、どこまで相手の立場で、「相手に
いいようにしてやる」か、その度量の深さで、決まる。
たとえば殺したいほど、憎い相手が、そこにいる。
しかしそこで相手を殺してしまえば、あなたは、
視床下部から発せられるシグナルに操られただけ、
ということになる。
が、そこであなたは、あなた自身の(私であって、
私でない部分)と闘う。闘って、その相手を、
許して忘れたとする。
相手の安穏を第一に考えて、行動したとする。
つまりその相手を、愛や慈悲で包んだとする。
そのときあなたは、(私であって、私である部分)を、
手にしたことになる!
「私」とは何か?
つまるところ、(私であって、私でない部分)を否定し、
その反対のことをするのが、「私」ということになる。
もちろん、人間は生きていかねばならない。
視床下部から発せられるシグナルを、すべて否定したのでは
生きていかれない。
しかし、そのシグナルの奴隷になってはいけない。
シグナルの命ずるまま、行動してはいけない。
闘って、闘って、闘いぬく。
その闘うところに、「私」がある。
そのあとに残るのが、「私」ということになる。
繰りかえすが、その究極的なものが、「愛」であり、
「慈悲」ということになる!
さらに言えば、「私」とは、「愛」であり、「慈悲」
ということになる。
言いかえると、「愛」や「慈悲」の中に、(私であって、
私である部分)が存在する、ということになる!
+++++++++++++++++
【補記】
ここに書いたのは、私の仮説に基づいた、ひとつの意見のすぎない。
しかし、おぼろげならも、やっと私は、「私」にたどりついた。
「私」とは何か、その糸口をつかんだ。
長い道のりだった。
遠い道のりだった。
書いた原稿は、数万枚!
ここまでたどりつくために、ほぼ10年の月日を費やした。
(10年だぞ!)
先ほど、ドライブをしながら、ワイフにこの仮説について説明した。
ワイフは、そのつど、私の仮説に同意してくれた。
で、それを説明し終えたとき、私の口から、長い、ため息が出た。
ホ~~~~~ッ、と。
うれしかった。
涙がこぼれた。
この先は、私の仮説を、もう少し、心理学、大脳生理学、教育論の
3つの分野から、同時に掘りさげ、補強してみたい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 私とは 私論 愛 慈悲 愛論 慈悲論 仮説 視床下部 辺縁系 はやし浩司の私論 はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 視床下部 免疫機構)
Hiroshi Hayashi++++++++MAR.08++++++++++はやし浩司
●ストレス→神経症→「私」論
あちこちから自分の原稿を集めているうちに、話が、(あちこち)に飛んでしまった。
最終的には、何と「私論」まで、飛躍してしまった。
要するに、ストレスはよくない。
東洋医学でも、『病は気から』という。
「気持ち」のもちようが、その人の健康に重大な影響をもたらす。
ここ数日、たしかに私の精神状態はよくなかった。
それが低体温症……つまり芯から体が冷えるという症状をもたらした。
肩こりも、そのせいらしい。
……ということで、今日(2012年2月4日土曜日)は、午前10時起き。
寒気も取れ、肩こりも取れた。
よかった。
みなさん、おはようございます。
Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2012++++++はやし浩司・林浩司
●子どもとゲーム(Children & their TV Games)
TV games apparently affect children badly. The English Government has submitted a report,
regarding TV games and its possible dangerousness to children.)
+++++++++++++++++
「ゲームは安全だ」と、がんばっている、愚か者どもよ、
少しは、世界に目を開き、世界の人の意見を聞け!
イギリス政府は、つぎのような報告書を提出した。
まず、それをそのまま紹介する。
+++++++++++++++++
【ロンドン27日・時事通信】
イギリス政府は3月27日(2008)、ビデオゲームやインターネットが、子どもに及ぼす影響に関する報告書を公表、産業界や家庭と協力して対策に取り組む方針を明らかにした。
ゲームのパッケージに「子どもの健康を害する恐れがある」といった警告文が印刷される可能性もありそうだ。
報告書は政府の委託を受けた臨床心理学者が作成。
ゲームによって子供は暴力に対して鈍感になるなどと結論づけた。
また、英国では性と極端な暴力描写を含むゲームについてのみ、年齢制限が設けられているが、制限の拡大を求めた。(ヤフー・ニュースより抜粋)
+++++++++++++++++
この日本でも、「ゲーム脳」という言葉を使って、その危険性を説いた教授がいた。
が、その直後から、その教授のところには、抗議の嵐!
どうして?
一方、「ゲーム脳というのは、ない」「安全です」と説く教授も現れた。
こちらの教授は、ゲームの世界では、今、神様のような存在になっている。
どうして?
危険か、危険でないか、そんなことは、ゲームに夢中になっている子どもを見れば、わかる。
(もちろんゲームの内容にもよるが……。)
明らかに、どこかヘン。
おかしい。
様子もおかしいが、目つきもおかしい。
そうなる。
あるいはあなた自身が、あのテレビゲームをしてみればよい。
数分もしないうちに、頭の中がクラクラしてくるはず。
「殺せ!」「やっつけろ!」と騒ぐ子どもは、まだよいほう。
ほとんどは、無表情のまま。
無表情のまま、うつろな目つきで、指先だけを動かしている。
隣の韓国では、その中毒性が問題になり、各学校に、カウンセラーまで配置される状況になっている。
(知っているか?)
が、この日本では、野放し! まったくの野放し!
私が書いた「ポケモン・カルト」(三一書房)にしても、書いてから9年にもなるのに、いまだに、抗議の書き込みがあとを絶たない。
どうして?
いったい、この日本は、どうなっているのだ!
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist ゲーム脳 子どもとゲーム 子供とゲーム ゲームの問題性 テレビゲーム はやし浩司 ゲームの危険性 子どもの脳 ポケモンカルト はやし浩司 ポケモン・カルト)
Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●ダイワロイネットホテル(浜松)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
今夜は、ダイワロイネットホテルに一泊。
浜松市内の駅前。
東宝シネマ劇場からも、歩いて1分。
「寒空を歩いて帰るのも……」ということで、
ダイワロイネットホテル(浜松)に1泊。
1泊1名、3700円前後。
先月、三島市のドーミーインホテルに一泊した。
そのときもハイテク機能に驚いた。
が、ここダイワロイネットホテルも、それに負けずハイテク。
エレベーターも、カードがないと、作動しない。
で、さっそく、会員に……。
その場でのこと。
住所、名前、生年月日、電話番号など、詳しく聞かれた。
で、私が、「こんなホテルから何か連絡が届くと、離婚されてしまうよ」と一言。
それを言うと、フロントの女性が笑ってこう答えた。
「いえ、何も送りませんから、ご安心ください」と。
それを聞いて、横に立っていたワイフが笑った。
フロントに立っていた、ほかの2人の従業員も、声を殺して、笑った。
私も笑った。
それにしても、ホテルも日進月歩。
驚いた。
これから近くのレストランで夕食。
そのあと映画を見る。
タイトルは、『ペントハウス』。
……窓の外には、アクトタワーが見える。
それを見てワイフがこう言った。
「いつか、あそこに泊まりたいわ」と。
若いころは、デートはしたくても、できなかった。
お金がなかった。
暇がなかった。
やっと今、それができる。
ワーイ!
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●戦艦大和(TAMIYA 350分の1)
息子が、TAMIYAの「戦艦大和」を作っている。
プラモデル。
350分の1。
巨大!
その模型を見ながら、毎晩のように会話がはずむ。
戦艦大和については、私も詳しい。
息子も詳しい。
……ということで、近く、広島県呉市にある、「大和ミュージアム」※に行くことにした。
新幹線で行けば、3時間半。
(注※……呉市宝町5-20、呉市海事歴史科学館)
●美し過ぎる
戦艦大和は沖縄への特攻作戦のため、出動した。
その途中で、アメリカ軍の猛攻撃を受け、沈没した。
息子が今作っている戦艦大和は、その「特攻仕様」。
それを見ながら、こう思った。
「美し過ぎる」と。
●土嚢(どのう)
こんな評論を書いた人間はいない。
日本でも、私が、最初と思う。
つまり戦艦大和は、美し過ぎる。
こういうこと。
戦艦大和は、「特攻」を目的として出撃した。
当然、アメリカ軍の攻撃を予想していた。
だったら、どうしてもっと泥臭い仕様にしなかったのか?
私なら、甲板に、土嚢を山のように積み上げる。
塹壕のように、それを並べる。
その間に、所狭しと、機銃を並べる。
土嚢を積めば、(あくまでも結果論だが)、直撃弾を避けることもできたはず。
戦艦大和は、その直撃弾が、爆弾倉庫に落ち、爆発、沈没した。
が、戦艦大和は、美し過ぎるほど、美しい。
並べられた機銃も、規格通りのものばかり。
●官僚主義
こういうのを官僚主義という。
たとえば学校の校舎にしても、美し過ぎる。
整然と並んだ校舎。
規格通りの校舎。
きれいに舗装された通路。
運動場、などなど。
昔、私が知っていたような泥臭さが、どこにもない。
「人間臭さ」と書き換えてもよい。
つまり(でき過ぎ)。
こんな話がある。
英語教育の講師としてやってきた、オーストラリア人が、こう話してくれた。
ある日、子どもたちを連れて、近くの公園へ行こうとした。
オーストラリアの学校なら、みな、そうしている。
が、それを止めたのが、その学校の校長。
校長がやってきて、それは、だめ、と。
理由を聞いても、だめと言うだけで、何も話してくれなかった、と。
そこで私に、「どうして?」と。
みなさんなら、この答はわかるはず。
●特攻作戦
いいか、特攻作戦だぞ。
殺し合いだぞ。
そんな修羅場に、化粧してでかける戦艦があるか!
私ならなりふり構わず、戦闘態勢で出かける。
それが先に書いた、「土嚢」である。
●豆腐型人間
総じて言えば、今、この日本から、その泥臭さが消えてしまった。
みながみな、美し過ぎる。
管理、管理、また管理。
何をするにも、管理、管理、また管理。
その結果、日本人全体が、キバを抜かれた子犬のようになってしまった。
私は「豆腐型人間」と呼んでいる。
野生臭さがなく、おとなしい。
もちろん子どもの世界とて、例外ではない。
昔風の(わんぱく少年)が消えて、もう30年になる。
(ガキ大将)が消えて、もう40年になる。
だいたい学校の先生ですら、みな、おとなしすぎる。(失礼!)。
●日韓経済戦争
野生臭の復活。
それがこの日本を再生させるゆいいつの方法。
たとえば……。
今朝の報道によれば、あのパナソニックですら、7000億円の赤字という。
他の電気メーカーも、似たような状況。
テレビ事業からの撤退が、大きく響いた。
敵は言わずと知れた、「韓国」。
だったら、日本は、なぜ戦争をしないのか?
経済戦争という戦争である。
いい子ぶって、何もしない。
お人好しを繰り返しているだけで、何もしない。
その韓国は、東京で日本円を借り、それを資金に、事業をどんどんと拡大している。
私が日本の総理大臣なら、ウォン高に誘導し、資金の貸し出しを規制する。
表だって、それができないなら、裏で、すればよい。
陰謀と策略で、それをすればよい。
それが「泥臭さ」。
国際政治。
それともこの日本は、韓国の、するがままに任せ、それでよいのか。
指をくわえて、それを見ているだけでよいのか。
が、本当の勝者は、アメリカ。
韓国の銀行は、そのほとんどがアメリカの資本下にある※。
つまりアメリカは韓国を操り人形にし、この日本から利益を吸い上げている。
……というようなことは、12年も前から書いてきた。
うそだと思うなら、「はやし浩司 日韓経済戦争」で検索をかけてみればよい。
【注※……韓国の銀行の外資比率
大手7行の株主保有構造(外資比率:1997年末→2005年末,主要株主)
・国民銀行★
外資比率:41.2%→85.68% 主要株主:Bank of New York(15.21%)
・ウリィ銀行
外資比率: 8.6%→11.10% 主要株主:ウリィフィナンシャルグループ(韓国預金保険公社)(77.97%)
・ハナ銀行★
外資比率:21.3%→72.27% 主要株主:ゴールドマンサックス(9.34%)
・新韓銀行
外資比率:23.4%→57.05% 主要株主:新韓フィナンシャルグループ(100%)
・韓国外韓銀行★
外資比率: 2.7%→74.16% 主要株主:ローンスター(50.53%)
・韓美銀行★
外資比率:29.4%→99.90% 主要株主:シティグループ(99.91%)
・第一銀行★
外資比率: 0.1%→100.0% 主要株主:スタンダード・チャータード(100%)
(ソース:信金中金月報 2006年10月第12号)
以上、この中で、韓国の銀行のほとんどが、アメリカの資本下にあることに注目。
表中(★)でそれを示しておいた。
つまりヒュンダイ(自動車)にしても、サムスン物産にしても、アメリカの会社。
そう思っても、まちがいない。】
●殺し合い
再び、戦艦大和。
沖縄特攻作戦。
が、中身は、殺し合い。
だったら、どんな卑怯な手を使ってもよかったはず。
(1) 長いひもをつけた気球を無数に、あげる……上空からの飛行機による攻撃を避ける。
(2) 周囲の駆逐艦に、煙幕をもうもうとあげさせる……敵の飛行機の視界をさえぎる。
(3) ダミーの木造戦艦を並べる……敵の攻撃を分散させる。
ほかにもいろいろあるだろう。
どこかマンガぽい発想だが、知れば知るほど、あの特攻作戦は、美し過ぎる。
まさかとは思いたいが、これも「武士の美学」なのか?
そう言えば、先日見た映画、『山本五十六』の中にも、こんなセリフがあった。
山本五十六が、こう言う。
「たとえ寝込みを襲うにしても、武士たるもの、枕を蹴り、相手を起こしてから切る」と。
(記憶によるものなので、不正確。)
そのときは、なかなかかっこいいことを言うと感心した。
しかしそれはどうか。
はじめから戦争するつもりなら、こんなきれいごとは、通用しない。
真珠湾攻撃にしても、そうだ。
奇襲作戦で、襲う。
飛行機の日の丸は、すべて消す。
あとになってそれが問題になったら、日本は、「知らぬ、存ぜぬ」で通せばよい。
つまり本気で戦争をしかける。
●甘え
何かにつけ、日本人は、甘い。
「これだけのことをしてやったのだから、相手も……」と、甘える。
心のどこかで甘える。
反対のことも、言える。
「そこまではしなかったから、相手も手加減をしてくれるだろう」と、甘える。
心のどこかで甘える。
が、こんな甘えは、日本を一歩出れば、通用しない。
やるなら、やる。
徹底してやる。
やらないなら、やらない。
徹底して、やらない。
息子の戦艦大和の模型を見ながら、そんなことを考えた。
●南北戦争
ところでここにきて、韓国と北朝鮮の関係が、にわかにキナ臭くなってきた。
ずっとニュースを追いかけているが、今回は、どうもおかしい。
雰囲気がおかしい。
2月16日は、故金正日の誕生日。
が、北朝鮮のカレンダーには、2月9日と2月23日にも、赤い印がついているという※。
あの国の情宣活動はふつうではないが、それがこのところさらに過激になってきている。
常識で考えれば、この2月9日から23日の間に、何かある。
最悪のケースを予想するなら、2月9日は、開戦日。
2月23日は、戦争勝利宣言日ということになる。
北朝鮮は、かねてから2週間で朝鮮半島を征服すると宣言している。
また現在の陸軍の力をもってすれば、それも不可能ではない。
一度、北朝鮮の兵隊が韓国になだれ込めば、あとは内戦状態になる。
アメリカ軍でも、手が出せなくなる。
最初の1週間が勝負。
1週間を過ぎると、韓国とアメリカ軍が、態勢を整え、反撃に出る。
……とまあ、私ごときが「?」と思うくらいだから、みなも同じ。
韓国もアメリカ軍も、当然その上で、今ごろ臨戦態勢を敷いているはず。
(注※……この赤印は、2月5日になって、消されているのがわかったという。)
●映画『ペントハウス』
たった今、劇場から戻ってきた。
ワイフは、風呂を浴びている。
私は備えつけのデスクで、お湯を飲んでいる。
映画『ペントハウス』は、予想通り、星は2つ程度の★★。
そこそこの映画。
まあまあの映画。
●野生臭の復活
書き忘れたが、野生臭を復活させるためには、こうする。
資格、認可、許可、届け出、登録など、規制を弱める。
規制緩和。
規制緩和あるのみ。
日本人を「自己責任」の世界に置きなおす。
たとえば小学校の国語教育。
毛筆など、だれも使わない。
どこにもない。
ないにもかかわらず、トメ、ハネ、ハライ?
その上、書き順まである。
驚いたことに、鉛筆の持ち方まで、うるさく言っている学校がある。
矯正器具まで子どもに渡し、「ちゃんと正しく鉛筆を持てるようになりなさい」と。
左利きについては、少しおおらかになってきた。
……と思っていた、その矢先の話。
鉛筆の持ち方まで、統一する?
どうして日本という国は、国民をこうまで「型」に押しこめたがるのだろうか。
下は小学生から、上は大学生まで。
が、これでは子どもたちがもつ本来の野生臭まで、つぶしてしまう。
●自己責任
「自己責任」という言葉を使った。
もし子どもたちに教えるべきことがあるとするなら、「自己責任」。
たとえばオーストラリアの学校には、「camping(野営活動)」という科目がある。
ある学校(メルボルン市内のグラマー・スクール)に電話をかけて確かめてみた。
「必須科目(コンパルサリー)ですか?」と。
答は、「YES」だった。
「ひとりでも、アウトバック(野生地)でも生きていかれるように」と。
しかしそれは同時に、オーストラリア人の生き様にもなっている。
繰り返す。
日本国内では、それでよいとしても、日本の外では通用しない。
ルールなど、ない。
反則が当たり前。
そんな世界で、ルールや規則を説いても、意味はない。
かえって「バカ」と思われるだけ。
●ひとりで生きる
私も、ひとりで生きてみた。
あえてひとりで生きてみた。
肩書や地位とは、無縁の世界で生きてみた。
その結果として、一言。
この日本では、ひとりで生きていくのは、たいへんむずかしい。
ほぼ不可能とさえ断言してもよい。
この日本で生きていくためには、どこかの組織に入る。
どこかの「公的機関」や、「団体」にぶらさがる。
仲間で会社を作る。
資格や許認可に守られて仕事をする。
それもだめなら、安い給料で、貧乏のドン底を、はうようにして、生きていく。
それ以外に、この日本では、生きていくのは、ここにも書いたように、ほぼ不可能。
事実、1970代、私と同じような立場で仕事を始めた仲間が10人、いた。
が、それから10年を待たずして、生き残ったのは、私1人だけだった。
●自由
一方、オーストラリアでは、事情は逆。
高校を卒業すると、若者たちは、車1台と、電話1本で仕事を始める。
車に派手な宣伝文句を書き並べ、市内を走り回る。
業種はさまざま。
「詰まった配管修理」「太陽熱発電専門」「電気修理」「話し相手業」などなど。
友人のK君にしても、そうだ。
喫茶店経営→宝石商→自動車販売→レーサー→……と、さまざまな仕事を渡り歩いた。
そういう自由が、オーストラリア人の生き様の原点になっている。
●未来像
残念ながら、この先、日本は、たいへん困難な時代を迎える。
迎えるだけならまだしも、生活全体が下り坂になる。
私たちの時代は、ボットン便所から始まった。
しかしこれからの人は、そういう時代に耐えられるだろうか。
叩かれるまま。
殴られるまま。
それをやり返すこともできない。
ジクジクと、内へひっこむだけ。
私には、そんな未来像しか、見えてこない。
……悲観論ばかりで申し訳ない。
何かパワーのある原稿を書きたい。
しかし考えれば考えるほど、日本の未来は、暗い。
●愛
話題を変えよう。
今、横のテレビで、若い人たちが討論をしている。
テーマは、恋愛。
若い男女は、どうすれば、恋愛できるか、と。
が、内容は、???。
同じ「愛」という文字を使うが、若い人たちが使う「愛」は、「愛」ではない。
「好いた、惚れた」というだけ。
もっとわかりやすく言えば、「肉体を求めている」だけ。
そのための儀式が、恋愛。
もっとわかりやすく言えば、欲望の満たしあい。
それが恋愛。
だから私は、こう思う。
若い人たちの使う「恋愛」と、仏教でいう「慈悲」、論語でいう「仁」は、異質なもの。
区別する。
が、アメリカ(欧米)では、同じ「LOVE」という言葉を、使う。
若い人たちがする恋愛も「愛」なら、神が示す愛も、「愛」。
それがまちがいの元。
だから日本の若い人たちは、恋愛をしながら、こう錯覚する。
「すばらしいことをしている」と。
そこらのイヌやネコと同じことをしながら、「すばらしいことをしている」と。
こういう感覚を、私は「恋愛第一主義」と呼んでいる。
苦労を知らないだけに、やっかい。
好いた、惚れたが、欲望のおもむくまま、そのまま結婚へと突っ走ってしまう。
だから離婚率も、うなぎのぼり。
離婚届数を婚姻届数で、単純に割ってみると、30%前後になる。
(だから離婚率が、30%前後というわけではないが……。)
いくたの苦労を乗り越え、その結果として、「愛」が生まれる。
そこらの若い人たちに、愛がどういうものか、わかるはずもない。
わかるはずもないのに、「愛」を口にする。
……たった今、若い男性がこう言った。
「彼女がね、私を愛しているなら、毎晩、500字のラブレターを書いてってね。
そんなこと言うんです。
毎日、500字ですよ!
たいへんです」(記憶・テレビ番組)と。
繰り返す。
あの映画『タイタニック』の中で、ジャックとローズがしてみせたのは、愛ではない。
あの映画は、「好いた、惚れた」という、欲望劇。
ただの動物的な欲望劇。
「欲望」イコール、「愛」ではない。
……というのは、書き過ぎだが、しかし今、そんなこともわからなくなってきている。
愛というのは、古い寺の縁側を流れる風のように、静かなもの。
味もそっけもない。
色も香りもない。
ワイフと、そのあとこんな話をした。
●母の介護
私「ぼくね、お前が寝たきりになったら、便の始末をしてあげるよ」
ワ「そうね。あなたがあそこまでするとは、思っていなかった」と。
他界する前の2年間、母は私の家で過ごした。
最初の1年間は、私が自宅で世話をした。
が、便の始末だけは、1、2度をのぞいて、すべて私がした。
おむつの取り換えはもちろん、大便や小便の始末など。
一度も、だれかに不平や不満を漏らしたことはない。
それをワイフは言った。
私「1年間、訓練したからね。お前の便など、何でもない」
ワ「ふつう、そういう世話は、女性がするものよ」
私「最初から、お前にはさせないと心に決めていた」
ワ「……よくやったわね……」と。
いつだったか、母もそう言った。
「お前(=私)に、こんなことをしてもらうようになるとは、思ってもみなかった」と。
今にして思うと、それが「愛」だった。
だからこう言う。
「そこらの若い人たちに、愛が何であるか、わかってたまるか!」と。
●就寝
窓の外には、アクトタワーがちょうど全景、すっぽりと見える。
エレベーターが、上ったり下りたりしているのが、よくわかる。
時刻は11時を回っている。
最後にそれを見届け、パソコンの電源を落とすことにした。
はやし浩司 2012-02-04夜記
浜松市内 ダイワロイネットホテルにて。
(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 ダイワロイネットホテル 愛について 戦艦大和 TAMIYA 戦艦大和 プラモデル はやし浩司 映画 ペントハウス はやし浩司 韓国銀行 外資比率)
Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2012++++++はやし浩司・林浩司
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はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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