2012年3月13日火曜日

●オーストラリアの教育レベル

【日本の教育レベル&オーストラリアの教育レベル】

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●オーストラリアの教育レベル

 オーストラリアの教育レベルについて、最新の情報が届いた。

The average 15-year-old maths student in Australia is now performing at least two years behind their counterpart in Asia’s leading countries; in reading and writing they are at least one year behind, according to your new report for the Gratten Institute. Is this gap widening?

平均的なオーストラリアの学生のばあい、他のアジアの先進国と比べたばあい、数学において、少なくとも2年は遅れている。
読み書きにおいては、少なくとも、1年は遅れている。
(オーストラリア・Gratten研究所)

このギャップは、広がりつつあるのか?

Yes, it is. Australia was one of only four countries in the OECD’s group of 34 members countries in the OECD) between 2000 and 2009 to see a fall in maths, reading and writing results. Whereas Australian students fell by 15 percentage points, the top students in countries like South Korea jumpted 15 points.

はい、その通り。
オーストラリアは34か国からなるOECDの中において、2000年から2009年に間で、数学、読み書きの調査結果で、学力の低下をみた、4か国の中の1か国である。
オーストラリアの学生は、韓国が15ポイントも上昇したのに対して、15ポイントも低くなった。

(以下省略)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●オーストラリアのレベル

 1970年のこと。
私がオーストラリアの大学で、こんな経験をした。

 理学部(Science)の学生と親しくなった。
で、部屋へ遊びに行くと、三角関数の微分の問題を解いていた。
かなり苦労をしていた。
それでそれを私が解いてみせた。
それを見て、その学生はたいへん驚いた。
「君は、法学生(law student)だろ。どうしてその君が、この問題を解けるのか?」と。

 私はこう言った。
「日本では、それを高校3年のときに、習う」と。

 が、それだけではない。
友人の家に遊びに行ったときも、そうだった。
中学1年生になった友人の妹は、2けた掛ける、2桁の掛け算を勉強していた。
日本では、当時は、小学3年生レベルで、それを学習していた。
私は、オーストラリアの教育レベルの低さ(?)に驚いた。

●誤解

 が、私が受けた印象は、まちがっていた。
こと数学(算数)に関しては、そうかもしれない。
しかし数学だけが、教科ではない。
以前、メルボルン市内のグラマースクール(全寮制の中高一貫校)について、電話で調べたことがある。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●オーストラリアの現状

……が、文部科学省の教育改革は、すべて後手後手。
南オーストラリア州にしても、すでに10年以上も前から、(実際には20年以上も前から、2012年記)、小学3年生からコンピュータの授業をしている。

メルボルン市にある、ほとんどのグラマースクールでは、中学1年で、中国語、フランス語、ドイツ語、インドネシア語、日本語の中から、1科目選択できるようになっている。

もちろん数学、英語、科学、地理、歴史などの科目もあるが、ほかに宗教、体育、芸術、コンピュータの科目もある。
芸術は、ドラマ、音楽、写真、美術の各科目に分かれ、さらに環境保護の科目もある。

 もう一つ「キャンプ」という科目があったので、電話で問い合わせると、それも必須科目の一つとのこと(メルボルン・ウェズリー・グラマースクール)。 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

日本の常識は、世界の常識ではない。
……ということを、書いたのが、つぎの記事。
中日新聞で、発表済み。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●日本の常識vs世界の常識

『釣りバカ日誌』の中で、浜ちゃんとスーさんは、よく魚釣りに行く。
見慣れたシーンだが、欧米ではああいうことは、ありえない。
たいてい妻を同伴する。
向こうでは家族ぐるみの交際がふつうで、夫だけが単独で外で飲み食いしたり、休暇を過ごすということは、まず、ない。
そんなことをすれば、それだけで離婚事由になる。

 困るのは『忠臣蔵』。
ボスが罪を犯して、死刑になった。
そこまでは彼らにも理解できる。
しかし問題はそのあとだ。
彼らはこう質問する。
「なぜ家来たちが、相手のボスに復讐をするのか」と。
欧米の論理では、「家来たちの職場を台なしにした、自分たちのボスにこそ責任がある」ということになる。
しかも「マフィアの縄張り争いなら、いざ知らず、自分や自分の家族に危害を加えられたわけではないのだから、復讐するというのもおかしい」と。

 まだある。
あのNHKの大河ドラマだ。
日本では、いまだに封建時代の圧制暴君たちが、あたかも英雄のように扱われている。
すべての富と権力が、一部の暴君に集中する一方、一般の庶民たちは、極貧の生活を強いられた。
もしオーストラリアあたりで、英国総督府時代の暴君を美化したドラマを流そうものなら、それだけで袋叩きにあう。

 要するに国が違えば、ものの考え方も違うということ。
教育についてみても、日本では、伝統的に学究的なことを教えるのが、教育ということになっている。
欧米では、実用的なことを教えるのが、教育ということになっている。
しかもなぜ勉強するかといえば、日本では学歴を身につけるため。
欧米では、その道のプロになるため。
日本の教育は能率主義。欧米の教育は能力主義。

 日本では、子どもを学校へ送り出すとき、「先生の話をよく聞くのですよ」と言うが、アメリカ(特にユダヤ系)では、「先生によく質問するのですよ」と言う。
日本では、静かで従順な生徒がよい生徒ということになっているが、欧米では、よく発言し、質問する生徒がよい生徒ということになっている。
日本では「教え育てる」が教育の基本になっているが、欧米では、educe(エデュケーションの語源)、つまり「引き出す」が基本になっている、などなど。

同じ「教育」といっても、その考え方において、日本と欧米では、何かにつけて、天と地ほどの開きがある。
私が「日本では、進学率の高い学校が、よい学校ということになっている」と説明したら、友人のオーストラリア人は、「バカげている」と言って笑った。
そこで「では、オーストラリアではどういう学校がよい学校か」と質問すると、こう教えてくれた。

 「メルボルンの南に、ジーロン・グラマースクールという学校がある。
チャールズ皇太子も学んだことのある由緒ある学校だが、そこでは、生徒一人一人に合わせて、カリキュラムを学校が組んでくれる。
たとえば水泳が得意な子どもは、毎日水泳ができるように、と。
そういう学校をよい学校という」と。

 日本の常識は、決して世界の標準ではない。
教育とて例外ではない。
それを知ってもらいたかったら、あえてここで日本と欧米を比較してみた。 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●掛け算の九九

 オーストラリアは、本当に「ラッキーな国」だ。
資源が豊富。
お金がなくなったら、砂漠に穴を掘ればよい。

 が、日本は、そういうわけにはいかない。
資源といえば、「人的資源」だけ。
それだけ。
つまり「教育」しかない。
オーストラリアのように、「2年は、遅れている」「1年は、遅れている」と、言っているわけにはいかない。
もしこの日本が、アジアの国々と同じレベルの教育をしていたとしたら、この日本に未来は、ない。

 が、今では、分数の計算ができない大学生など、珍しくも何ともない。
さらに最近の調査によれば、平均値の出し方のわからない大学生もいるとか。
中学生も、掛け算の九九のわからない学生がいる。
25年ほど前のことだが、中学1年生で、九九ができない学生が、20%近くもいたという。
塾連の人たちが、それを調べた。
(九九は暗記していても、5・7(ゴシチ)と聞かれて、瞬時に答えられない学生をいう。)
今は、もっと多いはず。

 世の親たちは、そして教師たちは、「一度、教えたから覚えているはず」「一度学んだから、覚えているはず」と考えやすい。
しかしどんな学習内容でも、しばらく使っていなければ、忘れる。
忘れるものは、忘れる。

●凋落(ちょうらく)する日本

 冒頭のレポートは、韓国を取りあげている。
「韓国は、15%、伸びた(jumped 15 points)」と。
日本ではない。
韓国である。
 
 またこのレポートでは、日本のことはわからない。
そこで私なりに調べてみた。

 OECDによる学力調査による、つぎのようになっている(2006年)。

(1) 数学的リテラシー
台湾→フィンランド→香港→韓国→オランダ→スイス→カナダ→マカオ→リヒテンシュタイン→日本(10位)→、だそうだ。

 ちなみにオーストラリアは、13位。

 が、気になるのは、日本の凋落ぶり。
「科学リテラシー」についての調査だが、つぎのように順位を落としている。

2000年、韓国に次いで、2位。
2003年、フィンランドに次いで、2位。
2006年、6位。

 読解力は、8位から15位、
日本にとってよい数字は、ほとんど出てこない。

●オーストラリアの友人へ

 資料を送ってくれた友人は、Gratten研究所と連絡を取るように勧めてくれた。
私は友人には、こう書いた。

「……学力といっても、授業時間数に大きく影響を受ける。
日本では、相対的に、数学にあてる時間が多い。
オーストラリアでは、科目数そのものが多い。
その分だけ、数学を学ぶ時間が少なくなる。
だからオーストラリアの子どもたちの、数学の能力が、他の国々より低いと聞いても驚かない。
問題は、日本である。
メジャー・コンパルサリー・サブジェクト(主要教科)であるにもかかわらず、学力が低下している。
日本人の子どもたちの学力低下は、かなり深刻なレベルにある」と。

 が、Gratten研究所とは、連絡を取らなかった。
率直に言えば、もうどうでもよくなってしまった。
疲れた。
……というふうに書いてはいけない。
私が書かなければ、だれが書く?
……ということで、気力をふりしぼる。

 が、こうなることは、すでに10年以上も前から、わかっていた。
わかっていたが、日本の教育は、何も動かない。
変わらない。
100年一律の教育を繰り返している。
またそれでよしと、その上で、あぐらをかいてしまっている。

 唯一の希望(?)は、私がYOUTUBEにUPしている動画が、世界中のポータルサイトが、コーナーを作って紹介していてくれること。
ウソだと思うなら、「はやし浩司」で検索。
1~10ページ近くまでを、順に見てほしい。
10ページだけでも、世界の6近いポータルサイトが、私のYOUTUBEを紹介している。
そのうち私の指導法が、ロシアや中国から、日本へ逆輸入されるかもしれない。

http://www.veengle.com/s/%E5%B9%BC%E5%85%90%E3%81%AE%E5%AD%A6%E7%BF%92%E6%8C%87%E5%B0%8Eby%E3%81%AF%E3%82%84%E3%81%97%E6%B5%A9%E5%8F%B8.html

http://videos.drole.ch/%E3%81%AF%E3%82%84%E3%81%97%E6%B5%A9%E5%8F%B8/

http://pktube.onepakistan.com/%E3%81%AF%E3%82%84%E3%81%97%E6%B5%A9%E5%8F%B8/

http://sellhome.konyubyubwebdesign.com/%E3%81%AF%E3%82%84%E3%81%97%E6%B5%A9%E5%8F%B8.html

http://www.remusicas.org/videos/-;PDlnxgONCRg.html

http://www.oguiadacidade.com.br/guiavideo/%E3%81%AF%E3%82%84%E3%81%97%E6%B5%A9%E5%8F%B8/
(以上、ヤフー検索、10Pまで)

●終わりに……

 オーストラリアの友人が送ってくれた資料について、今朝は考えてみた。
たいへん悲観的なエッセーになってしまったが、次回は、何とか明るいテーマについて考えてみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 学力 国際学力比較 リテラシー はやし浩司 オーストラリアの学力 Gratten Institute of Education Australia)

Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●3月13日

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

このところ毎晩、寝る前に、「マヤの~~」とかいう本を読んでいる。
結構、それが楽しい。
若いころ、シュメール人に興味をもったこともある。
東洋医学の勉強をしていて、興味をもった。

が、もうひとつ忘れてはならない民族がいる。
仰韶(ヤンシャオ)人である。
この民族も、シュメール人やマヤ人と同じくらい、大きな謎に包まれている。
黄河流域で生活していた。
調べれば調べるほど、不思議な民族。
その仰韶(ヤンシャオ)へ、一度は行ってみたい。
西安の近くである。
私たちが現在「漢方」と呼んでいる東洋医学の原点は、仰韶(ヤンシャオ)人にある。
……と私は判断している。

現存する「黄帝内経」は、後の学者たちに、ズタズタに改変され、医学書(?)になってしまった。
が、元はといえば、天文学に関する本。
『五運行大論篇』を例にあげるまでもない。
しかも皮肉なことに、世界太古の『黄帝内経』は、中国にではなく、この日本に残っている。
京都の仁和寺(にんなじ)に、である。

東洋医学に関する本は、3冊、書いた。
うち1冊は、現在でも、全国の医学部や鍼灸学校で、教科書として使ってもらっている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●年中児+3歳児に、かけ算と平行を教える

 昨日(3月12日)は、年中児(ほとんどが5歳児)と、3歳児(見学の女児)に、かけ算と平行を教えた。
うまく指導できた。



 その様子は、ここに紹介する。
こうした教育を否定する人も多い。
しかしそういう人にこそ、この動画を見てほしい。
幼児のもつ可能性に気づいてほしい。
同時に、現在の幼児教育なるものが、いかに幼児の「人権」を無視したものであるか、それに気づいてほしい。

 特別養護老人ホームで指導者がしているような指導でもって、それが幼児教育と思い込んでいる。
最悪なのが、NHKの幼児向け番組。
「♪お手々を、ブーラブ-ラ……」と。
ああいうのを見ていると、この私まで、恥ずかしくなる
私がもっている「幼児観」とは、まったく異質のもの。
幼児というのは、未熟で未完成という先入観でもって番組を作ると、ああいう番組になる。

 で、ときどき私は幼児たちにこう聞く。

「君たちさあ、ああいうのを見て、自分がバカにされていると思わないか?」と。

 すると、みな、こう答える。
「そうだ、そうだ」と。
年中児(4&5歳)の子どもたちだって、そう言う。
それくらいの意識はもっている!

●サナトス

 再び、マヤ。
何でもそうした本によれば、5月の金環食が、「終わりの始まり」だそうだ。
つまりその日から、世界中で異変が始まり、12月22日に、世界は終末を迎える(?)。
ウソか本当か……といえば、ウソに決まっている。
が、それがおもしろい。

 フロイトが言っているように、人間には、破滅願望というものがあるそうだ。
その原動力になっているのが、「サナトス」。
つまりフロイトは、どんな精神活動にも、表裏の二面性があると説く。
「生きたいという創造的な欲望」(リビドー)があれば、同時に「死にたいという破滅的な欲望」(サナトス)もある、と。

 おおざっぱに言えば、そういうこと。

 で、「マヤの~~」を読んでいると、心の内部に潜む「サナトス」を感ずる。
もちろん、それを望んでいるわけではない。
が、あえて言うなら、戦争映画か、破壊映画を見るような楽しさ。
たとえば近く、『バトルシップ(Battleship)』という映画が、公開される。
海の中から、動物の風体をした巨大なUFOが現れる。
地球のあらゆるものを破壊する。
ああいう映画は、ストレス解消には、たいへんよい。
私はそういう映画が好き。
いつもハハハと笑いながら、映画館から出てくる。

 「マヤの~~」とかも、ハハハと笑って終わるはず。
12月22日(日本時間では、12月23日)が、楽しみ。
大声で、ハハハと笑ってやる。

●不気味な話

 一方、こんな話もある。

 昨日、週刊朝日を買ってきた。
今週号である。
その中に、こんな記事があった(P21、「福島第一原発事故は収束していない」)。
こちらは、ハハハと笑ってすませない話。

「……(アーニー・ガンダーセンの)著書では、「4号機のプールで火災が起きたら、日本を脱出せよ」と警告していますね。

(ガンダーセン、アメリカ原子力技術者)「4号機の核燃料プールは、今も日本列島を物理的に分断するほどの力をもっています。
震災時、このプールには炉心数個分もの使用済み核燃料が入っていたのです。
大気圏内で行われた過去の核実験で放出された総量に匹敵するほどの、放射性セシウムが眠っています」と。

 4号機には、毒性がきわめて強い、プルトニウムが使われていた。
(ウラニウムは灯油、プルトニウムはガソリンに、よくたとえられる。)
そのプールには、そのほか、使用済み核燃料が入っていた。
そこまでは私も知っていた。

 が、その危険性までは、知らなかった。
「プールに収まっているから、だいじょうぶ」と聞かされていた。
が、これがとんでもない、まちがい。

 ガンダーセンによると、プールにヒビでも入って、水が抜けたら、日本は万事休すということらしい。
北は北海道から、南は静岡県、あるいは日本列島全体が、放射性物質でおおわれる。
週刊朝日には、「過去の核実験で放出された総量に匹敵するほどの」とある。

 さらに恐ろしいのは、仮にそういう状態になったら、近辺の原子力発電所も、制御不能になるという。
管理する人がいない。
つぎつぎと放棄され、爆発を繰り返す。

 そうならないことを願うばかりだが、この先、30~40年も、ハラハラ、ヒヤヒヤしながら暮らすのもどうかと思う。
(もっともそれまで、私は生きてはいないが……。)

 さらに恐ろしいのは、「被害」が現れるのは、これから。
がんによる死亡者が、100万人単位でふえるという!

 昨日の新聞によれば、千葉県からですら、人口の流出がつづいているという。
一方、この静岡県の人ですら、千葉県には行きたがらない。
実家が千葉県にあるMさん(生徒の親)も、こう言っていた。
「実家へはひとりで帰ります。子どもは連れて行きません」と。

 福島原発事故は、何も収束していない。
安全宣言など、もってのほか。
こうした事故は、緊張感のゆるんだときが、恐ろしい。
そのとき第二、第三の事故が重なる。

 ……とまあ、またまた暗い話で、ごめん。

 ともかくも、今日も始まった。
寒い朝だ。
がんばろう。
がんばるしかない。


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

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