2012年3月28日水曜日

*In Nanking, what happened there?




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 子育て最前線の育児論byはやし浩司   12年 4月 2日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【はやし浩司 2012-02-21朝記】(南京虐殺事件について)

●新しい話し方?(最近の若い女性の話し方)

●フガフガ・ジャパニーズ

 12年ほど前から(=2000年ごろから)、若い女性の間で、少し変わった話し方をする人が目立ち始めた。
当初は、東京を中心とする、都会の人たちの話し方と思っていた。
それがこの浜松にも、伝染してきた。

私が最初に気がついたのは、クリスマスのときのことだった。
どこかのコンビニで、何かを買ったときのこと。
その女性は、「メリークリスマス」を、「フンムリー・クルスモ~ス」と言った。

 子どもの世界には、発語障害という言葉がある。
いろいろな障害に分類されている。
数も多く、そののち自然に治っていくのが、サ行障害児(サカナ→シャカナ)、
治りにくいのが、カ行障害児(カギ→タチ)など。
ほかにダミ声、吃音(きつおん)などもある。

が、この新しい言い方は、それらのどれにも属さない。
鼻から大半の空気が漏れるように、出ていく。
口をほとんど動かさない。
のどの奥の方から、声を出す。
そのためフガフガした言い方になる。
たとえば、

「いらしゃいませ」は、「ヒィラッシャイモ~セ」となる。
「ありがとうございました」は、「ハリガトウ・グザイモシタ」となる。
特徴は、声が内側にこもる。
「アイウエオ」に応じて、口が正しく(?)動かない。
鼻から息が漏れる。
子音だけの話し方をする。

若い女性に多いことから、後天的に、そういう話し方になると考えられる。
が、驚いたことに、最近では、男性でも、そういう話し方をする人が目立ち始めた。
数日前には、あるコンビニで、40歳代の男性がそういう話し方をしているのを知った。

 私は中学生のときから、10年間ほど、合唱団に属していた。
そういう経験から言うと、こうした発声の仕方では、合唱は無理。
今はどうなっているか知らないが、40年前だったら、そのまま合唱団からつまみ出されてしまっただろう。
さらに言えば、この発声方法では、英会話は無理。
中国語の発音となると、さらに無理。

 ともあれ、言葉にせよ、発音の仕方にせよ、そのときどきの時代の人たちが決めていく。
「こういう話し方はおかしい」と断言することは、控えたい。
が、あえて言えば、……つまり私の意見としては、お・か・し・い。

 なお発声方法は、習慣によって決まる。
そういう発声をしていると、そういう発声方法になる。
たとえば幼児でも、ふざけてダミ声を出していると、その声がそのままその子どもの、ふつうの話し方になってしまう。
ダミ声になってしまう。

(そういう意味では、クレヨンしんちゃんの話し方は、子どもにはまねをさせないほうがよい。)

幼児期は、正しい発音で発声させる。
これは幼児教育の基本のひとつ。

●映画『タイム』

 昨夜、映画『タイム』を見てきた。
星は2つの、★★。
あえて劇場まで足を運んで……という映画ではない。
が、発想は面白かった。
25歳を過ぎると、人は、時間を買いながら生きる。
自分のもち時間がなくなると、自動的に体は機能を停止し、その人は死ぬ。

 私はその映画を見ながら、「時間」イコール「クレジットカード」のことかな、と思った。
つまり、「金の切れ目が、縁の切れ目、命の切れ目」と。
現実に、この世界は、そうなっている。
クレジットカード(=全財産)の残高がゼロになれば、生きていくのさえ、むずかしい。
それをわかりやすくしたのが、『タイム』。

 ……その中に、こんな気になるセリフがあった。
「労働者には、1日働いたら、1日分の給料しか与えない」(記憶)と。
つまり労働者は、1日働くと、「24時間」という給料を与えられる。
その給料で、つぎの1日を、生き延びることができる。
言い換えると、労働者は、毎日、働かざるをえない。
社会はそういうしくみになっている。

 が、これとて、現実そのもの。
現代社会そのものが、そうなっている。
お金がなければ、何一つ、行動に移すことができない。
極端な言い方をすれば、人がお金(マネー)を使うのではない。
人が、お金(マネー)に使われている。
平たく言えば、人が、お金の奴隷になっている。

 映画『タイム』は、それをたいへんわかりやすい形で、映画化した。
そういう点では、評価できる。

●家の売却

 オーストラリアの友人が、自宅を売却した。
奥さんは、5、6年前に他界。
2人の娘も、結婚。
今は、大きな家に、ひとりで住んでいる。
それで、その家を売った。

 いろいろ話してくれるが、その売り方が、おもしろい。
日本のそれとは、かなりシステムがちがう。
そのシステムが、おもしろい。

まず「land Valuer(土地価値査定人)」というのがやってきて、土地と家の評価をする。
(税金も、それで決まる。)
その価格で、不動産屋に、期間限定で売りに出す。
それまでに買いたい人は、不動産屋に、オークション形式で希望価格を提示する。
期限がくると、それを開示。
いちばん高い価格を示した人と、売主は、売買の交渉に入る。

「日本のほうがわかりやすいな」と思ってみたり、反対に、「日本もまねをすればいいのに」と思ったりする。

 この先、オーストラリアで家を買ったり、売ったりすることはないだろう。
だから話としては、興味本位。
「おもしろいな」と思ったところで、思考停止。

●ハナの死

 ハナが死んで、もう1か月になる。
今でも、ときどき庭を見たとき、こう思う。
「どうしてハナはいないのだろう?」と。
が、すぐ我に返り、「ハナは死んだんだ」と、自分に言って聞かせる。

 ハナの餌が、大きな箱いっぱい、まだ残っている。
今は、その餌を、毎日、庭にまいている。
それをヒヨドリや、ムクドリ、さらにカラスまで食べにくる。
スズメも食べる。
それを見て、また涙が、ホロリ。

 毎日、一日も欠かさず、私を迎えてくれた。
最期の最期の日まで、私を迎えてくれた。
ヨタヨタとした足どりで、私を迎えてくれた。
目も、ほとんど見えなかったはず。
それでも迎えてくれた。
そんなハナが、今は、もういない。

 最期は、ふとんの中で息を引き取った。
午後11時40分ごろのことだった。
その少し前のこと。
ハナに、「また元気になったら、海へ行こうな」と声をかけた。
「海」と言っただけで、元気なころは、興奮状態になってしまった。
が、そのときもそうだった。
私が「海」と言ったら、懸命に体を動かそうとした。
顔を動かし、私の方を見つめた。
ひとみが左右に大きく動いたのが、よくわかった。

 ハナのいない庭を、今、ぼんやりとながめている。
畑の上では、スズメたちが、餌を食べている。
ムクドリも来ている。
庭の景色だけは、そのまま。
が、光は消えた。
殺風景な、どうしようもないほど殺風景な景色。
冬の冷たい風が、キンモクセイの木々を、小刻みに揺らしている。

●大和ミュージアム

 息子が、TAMIYAの戦艦大和を完成させた。
350分の1の巨大な模型である。
その祝いをかね、x日、広島県の呉市にある大和ミュージアムに行くことにした。
ホテルの予約も済んだ。
あとは切符だけ。

 3人分で、往復9万円(新幹線)、プラス、ホテル代。

 息子というより、私の方が楽しみにしている。
私が生まれたころには、まだ戦艦大和は、人々の記憶にしっかりと残っていた。
話もよく聞いた。
当時の私は、子どもながらに、こう思った。

「戦艦大和といっしょに死ねるなら、本望」と。

 それくらい戦艦大和には、あこがれた。
その夢が、近く、かなう。

●南京事件

 名古屋市の河村市長が、「南京事件はなかった」と発言したとか。
ときどき、こういうバカなことを発言する首長が現れる。

いわく、『河村たかし名古屋市長は20日、同市役所を表敬訪問した中国共産党南京市委員会の劉志偉常務委員らとの会談で、旧日本軍による「南京大虐殺」について「通常の戦闘行為はあったが、南京事件はなかったのではないか」(ロイター伝)と発言した。

 ロイターが伝えているとことろから、すでにこのニュースは、中国本土にも広がっているはず。

 が、南京事件、南京虐殺事件はあった。
かりにそれが小さな事件であったとしても、どうしてそのとき、その場に、日本兵がいたのか。
日本人は、そのあたりから、自らを反省しなければならない。
南京虐殺事件はなかったと主張する人たちは、かならず、その数字をあげる。
「30万人というのは、ウソ」と。

 3万人でもよい。
3000人でもよい。
300人でもよい。
300人でも殺したというのが、問題。

 それについては、何度も書いてきた。
原稿をさがしてみる。
日付は、2005年5月11日になっている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●南京虐殺事件

 日華事変の最中、1937年(昭和12年)の12月12~15日。
当時のK内閣は、南京攻略に対して、三光作戦を発令した。

 三光作戦というのは、(殺しつくし、奪いつくし、焼きつくす)という作戦をいう。

 その結果、日本軍は、中国全土で、強姦、虐殺、略奪をほしいままにした(エドガー・スノー「アジアの戦争」)。
その「アジアの戦争」によれば、南京だけで、4万2000人以上、また南京への進撃途中で、30万人以上が、日本軍に殺されたという。

 うち、そのほとんどが、「無抵抗の婦人、子どもであった」(同書)という。

 どうやら、このあたりが、最大公約数的な事実のようである。

 で、ここで注意しなければならないのは、日本側は「南京では、30万人も殺していない」と主張しているのに対して、スノーは、「日本軍は南京に向って、南京を攻略する過程で、30万人殺している」「南京では、4万2000人」と書いている点である。

 ここに時間的錯誤がある。
また、「三光作戦」というのは、現存したし、それに基づいて、日本軍は、中国人(中国軍ではなく、中国人)を、(殺しつくし、奪いつくし、焼きつくした)というのは、動かしがたい事実である。

 これに対して、こんな記事(04年11月)を書いたことがある。改めて、ここに掲載する。

+++++++++++++++++

10年ほど前のことだが、こんなことを言ってきた女性(当時、35歳くらい)がいた。

 「先生、どうして中国人は、ああまで日本を悪く言うのですか! 私は許せません。日本軍が南京で殺したのは、30万人ではありません。せいぜい、3万人です!」と。

 そこで私が、「3万人でも、問題でしょう。3000人でも、300人でも問題でしょう。どうしてそのとき、日本軍が中国にいて、三光作戦を展開したのですか」と。

 あれこれ議論をしたあと、最後に、その女性は、こう叫んだ。
「あんたは、それでも、日本人か!」「即刻、教育者をやめろ!」と。

 もちろん南京虐殺事件だけではない。
中国全土はもちろん、東南アジア(マレーシア、シンガポール)でも、日本軍は同じようなことをしている。
しかし日本は、一度だって、アジアの人たちに向って、その戦争責任を認めたことはない。
ナーナーですませてしまった。

 戦争責任ということになれば、その責任は、天皇まで行ってしまう。
天皇を最高権威として、つまり日本国憲法の象徴としていだく日本としては、これは、まことに、まずい。

 が、しかし、ものごとは、逆の立場で考えてみようではないか。

 あるとき、平和に暮らしていた日本に、となりの軍事大国K国が、侵略してきた。強大な軍事力をもつ、K国である。

 そしてそのK国が、K国の言葉を強要し、金XX神社参拝を強要し、それに従わない日本人を、容赦なく処罰した。
三光作戦とやらで、大阪の人たちが、30万人近く、殺された。(3万人でもよい。)そのほとんどが、婦人や子どもたちである。

 ……という私のような意見を、現在の文部科学省大臣は、「自虐的史観」と言うらしい。
「日本人が、どうして日本を悪く言うのか」と。

 しかしどう冷静に考えても、私はK首相の言っていることのほうが、おかしいと思う。
わかりやすく言えば、ドイツのシュレーダー首相が、ヒットラーの墓参りをするようなことを繰りかえしながら、「不戦の誓いを新たにするものだ」とは!

 そんな詭弁(きべん)が、はたして、世界で通るのだろうか。
(少なくとも、韓国、中国の人たちは、そう見ている。)

 だいたいにおいて、私の姉夫婦ですら、父親がY神社に、A級戦犯として、祭られている。
にもかかわらず、一度も、Y神社を参詣していない。
むしろ、無実の罪で、処刑させられたことを、うらんでいる! それを「不戦の誓い」とは……!?

 むしろ、K首相の行為は、中国人や韓国人の逆鱗に触れ、戦争の火種にすら、なりかねない。

 日本軍による大陸侵略戦争を、肯定する人は、いまだに多い。
「日本が、道路や鉄道を敷いてやった。学校や公共施設を作ってやった」「日本のおかげで、中国や韓国は発展したではないか」と。

 しかしもし、こんな論理がまかり通るなら、日本よ、日本人よ、逆に、その反対のことをされても、文句を言わないことだ。
あの中国にしても、5500年の歴史がある。
韓国にしても、2000年以上の歴史がある。

 私たちが使っている言葉は、韓国を経由して日本へ入ってきた。漢字は、まさに中国語。その漢字から、ひらがなが生まれ、カタカナが生まれた。
文化の優位性ということを言うなら、日本は、中国や韓国に、もとから、かないっこないのである。

 ……私は、今、かなり過激な意見を書いている。
自分でも、それがよくわかっている。

 しかしこれだけは、よく覚えておくとよい。

 もしこれだけの警告にもかかわらず、K首相が、Y神社を参拝するようなことがあれば、日中関係や日韓関係はおろか、アジアの国々からも、日本は、総スカンを食らうだろうということ。
いや、総スカンどころでは、すまないかもしれない。先にも書いたように、「戦争の火種」にすら、なりかねない。
K国に、日本攻撃の口実を与えることになるかもしれない。

韓国のN大統領ですら、公式の場で、K首相のY神社参拝に触れ、「日本人よ、いい気になるな」(04年春)と、K首相を口汚くののしっている。

つまり、この問題は、それくらいデリケートな問題だ、ということ。

 日本の首相がすることだから、あなたや私も、その責任を負うことになる。
「私には関係ない」ではすまされない。

 最後に一言。
K首相は、「心ならずも戦場で倒れた人への慰霊の気持ち」と述べている。
だったら、なぜ、「心ならずも日本人に殺された人への慰霊の気持ち」と言わないのか。
たしかに300万人もの日本人が、あの戦争で死んでいる。

 それは事実だが、しかしその日本人は、同じく300万人もの外国人を殺している。
しかも、日本の外で!

 先週も、韓国の新聞は、慰安婦問題についての最高裁判決、日本の文部科学大臣の、「(教科書から日本批判の記事が減って)、よかった」発言などを、トップで紹介している。
が、日本では、それを知る人すら、少ない。

 それでもK首相が、Y神社参拝をつづけるというのなら、どうぞ、ご勝手に。
私は、もう知らない! 
知ったことではない! 

 ついでに、もう一言。H元首相の1億円政治献金問題がある。日本S医師連盟から、旧H派への1億円の小切手が渡された。
だれがどう見てもワイロなのだが、H元首相は、「記憶にないが、事実なんだろう」(041130)と逃げてしまった。

 そういう政治家を見るたびに、私は愛国心とは何だろうと、考えてしまう。
いざ、戦争ともなれば、若者たちを戦場に立たせ、自分たちは、イの一番に、その戦場から逃げてしまう。
H元首相の、ニンマリと笑った顔を見ていると、そんな感じがする。

そういう政治家の大の仲間が、「正義」だとか、「不戦の誓い」だとか言うから、おかしい。
本当に、おかしい。
(04年12月1日記)

(補記)

 しかし……。この無力感は、いったい、どこから来るのか? 
「もう、考えるのも、いやになった」という思いすら、ある。

 何も「不戦の誓い」くらいなら、Y神社へ行かなくても、できるはず。
だいたいにおいて、「不戦の誓い」とは、何か? 
相手を怒らせ、敵意をかきたてるようなことをしながら、「不戦の誓い」とじゃ? 
私には、K首相が、まったく、理解できない。

(補記)

 日本S医師会(日歯)側から自民党旧H派への1億円ヤミ献金事件で、政治資金規正法違反(不記載)の罪に問われた同派政治団体「HS研究会」(平成研)の元会計責任者・TT被告(55)の判決が12月3日、東京地裁であった(04年)。
OD裁判長は禁固10月、執行猶予4年(求刑・禁固10月)を言い渡した。

++++++++++++++++++++

 話を石原S氏にもどす。

 石原氏は、「なぜ中国の教科書に、文革の記述がないのか」と、中国を批判している。
「(文革で)2000万人の同胞を殺した記述がないのは、おかしい」(97P)と。

 しかしそれこそ、いらぬお節介。
つまり石原氏は、中国だって、国内でひどいことをしているではないか。
だったら、日本軍がしたことなど、問題にするなと言いたいのだろう。
あるいは、日本人が、日本の教科書に何を書こうが、日本人の自由だ、と。

 そして結論的に、「日本には経済力がある。中国など、問題ではない」という趣旨の文章がつづく。

 また「尖閣諸島に自衛隊を常駐させろ」と説き、もし中国軍が攻撃してきたら、日米安保条約が発動されて、アメリカ軍が応戦してくれるなどと、説く。
「尖閣諸島は、日米同盟の試金石になる」とも。

 きわめて自己中心的な国家論である。
平和論である。忘れてならないのは、古今東西、「戦争」というのは、こうした政治家によって始められているということ。

 あのネール(インド元首相)は、こう書いている。

 『ある国の平和も、他国がまた平和でなければ、保障されない。この狭い相互に結合した世界では、戦争も自由も平和も、すべて連帯している』(「一つの世界を目指して」)と。

 それについて書いたのが、つぎの原稿である。

●平和教育

 人格の完成度は、その人が、いかに「利他」的であるかによって決まる。
「利己」と「利他」を比較してみたばあい、利他の割合のより大きい人を、より人格のすぐれた人とみる。

 同じように国家としての完成度は、いかに相手の国の立場でものを考えることができるかで決まる。
経済しかり、文化しかり、そして平和しかり。

 自国の平和を唱えるなら、相手国の平和を保障してこそ、はじめてその国は、真の平和を達成することができる。
もし子どもたちの世界に、平和教育というものがあるとするなら、いかにすれば、相手国の平和を守ることができるか。
それを考えられる子どもにすることが、真の平和教育ということになる。

 私たちは過去において、相手の国の人たちに脅威を与えていなかったか。
 私たちは現在において、相手の国の人たちに脅威を与えていないか。
 私たちは将来において、相手の国の人たちに脅威を与えるようなことはないか。

 つまるところ、平和教育というのは、反省の教育ということになる。
反省に始まり、反省に終わる。
とくにこの日本は、戦前、アジアの国々に対して、好き勝手なことをしてきた。
満州の植民地政策、真珠湾の奇襲攻撃、それにアジア各国への侵略戦争など。

 もともと自らを反省して、責任をとるのが苦手な民族である。
それはわかるが、日本人のこの無責任体質は、いったい、どうしたものか。

 たまたま先週と今週、2週にわたって、「歴史はxxxx動いた」(NHK)という番組を見た。
日露戦争を特集していた。
その特集の中でも、「どうやって○○高地を占領したか」「どうやってロシア艦隊を撃滅したか」という話は出てくるが、現地の人たちに、どう迷惑をかけたかという話は、いっさい、出てこなかった。
中国の人たちにしてみれば、まさに天から降ってきたような災難である。

 私は、その番組を見ながら、ふと、こう考えた。

 「もし、今のK国が、日本を、ロシアと取りあって、戦争をしたら、どうなるのか」と。

「K国は、50万人の兵隊を、関東地方に進めた。それを迎え撃つロシア軍は、10万人。K国は箱根から小田原を占領し、ロシア軍が船を休める横須賀へと迫った……」と。

 そしてそのときの模様を、いつか、50年後なら50年後でもよいが、K国の国営放送局の司会者が、『そのとき歴史は変わりました』と、ニンマリと笑いながら、得意げに言ったとしたら、どうなるのか。
日本人は、そういう番組を、K国の人たちといっしょに、楽しむことができるだろうか」と。

 日露戦争にしても、まったく、ムダな戦争だった。
意味のない戦争だった。
死んだのは、何十万人という日本人、ロシア人、それに中国人たちだ。
そういうムダな戦争をしながら、いまだに「勝った」だの、「負けた」だのと言っている。
この日本人のオメデタサは、いったい、どこからくるのか。

 日本は、歴史の中で、外国にしいたげられた経験がない。
それはそれで幸運なことだったと思うが、だからこそ、しいたげられた人の立場で、ものを考えることができない。
そもそも、そういう人の立場を、理解することさえできない。

 そういう意味でも、日本人がもつ平和論というのは、実に不安定なものである。
中には、「日本の朝鮮併合は正しかった。
日本は、鉄道を敷き、道路を建設してやった」と説く人さえいる。

 もしこんな論理がまかりとおるなら、逆に、K国に反対のことをされても、日本人は、文句を言わないことだ。
ある日突然、K国の大軍が押し寄せてきて、日本を占領しても、文句を言わないことだ。

 ……という視点を、相手の国において考える。
それが私がここでいう、平和教育の原点ということになる。
「日本の平和さえ守られれば、それでいい」という考え方は、平和論でもなんでもない。
またそんな視点に立った平和論など、いくら説いても意味はない。

 日本の平和を守るためには、日本が相手の国に対して、何をしたか。何をしているか。
そして何をするだろうか。
それをまず反省しなければならない。
そして相手の国の立場で、何をすべきか。
そして何をしてはいけないかを、考える。

 あのネール(インド元首相)は、こう書いている。

 『ある国の平和も、他国がまた平和でなければ、保障されない。この狭い相互に結合した世界では、戦争も自由も平和も、すべて連帯している』(「一つの世界を目指して」)と。

 考えてみれば、「平和」の概念ほど、漠然(ばくぜん)とした概念はない。
どういう状態を平和というか、それすら、よくわからない。
が、今、平穏だから、平和というのなら、それはまちがっている。
今、身のまわりで、戦争が起きていないから、平和というのなら、それもまちがっている。

こうした平和というのは、つぎの戦争のための準備期間でしかない。
休息期間でしかない。
私たちが、恵まれた社会で、安穏としたとたん、世界の別のところでは、別のだれかによって、つぎの戦争が画策されている。

 過去において、相手の国の人たちが、自分たちについて、どう考えていたか。
 今、相手の国の人たちが、自分たちについて、どう考えているか。
 さらの将来、相手の国の人たちが、自分たちについて、どう考えるだろうか。

 そういうことをいつも、前向きに考えていく。またそれを子どもたちに教えていく。それが平和教育である。

++++++++++++++++++

【母親のみなさんへ……】

 勇ましい好戦論にだまされてはいけない。
振り回されてはいけない。
それがわからなければ、あなたの子どもが、戦場に行く姿を想像してみればよい。
あなたは子どもの安否が心配で、夜も眠られなくなるだろう。

 で、石原氏は、「日本の尖閣諸島が中国に攻撃されたら、日米安保条約は発動されるべき。
アメリカは、当然、中国に反撃すべき」という論法で記事を書いたのち、こうつづけている。

 「ニューヨークタイムズの記者が、当時のモンデール駐日米国大使に、『尖閣諸島で、扮装がさらにエスカレートしたら、日米安保条約は発動するのか』と質問したところ、大使は、言下に、『NO』と答えた。

 国会議員を辞職したばかりの私は、(この言葉に)、驚きと同時に怒りを感じましたが、なぜか日本政府も、国会も、それを問題としなかった」(99P)と。

 ならばあえて言おう。

 私の息子の嫁は、アメリカ人。
孫もアメリカ人。
今度生まれてくる二人目の孫も、アメリカ人。

 その孫たちが、日本の尖閣諸島を守るために、極東のアジアへやってきて、中国軍と一戦を交えると言ったら、私は、こう言うだろう。

 「来なくていい。来るな。こんなところで、命を落すことはない。ぼくたちで、何とかするから」と。

 石原氏の論文には、そういう原点的なものの視点が、欠けている。
記事の中には、「お国のために……」という表現すら、ある。私たち1人ひとりの命を、まるで、モノのように考えている感じすら覚える。

 ……と書いても、私のような意見は、この日本では、少数派。
たいていの人は、石原S氏のような人の意見に耳を傾け、それに同調する。
しかし念のために申し添えるが、私は、だからといって、左翼ではない。
もちろん社会主義者でも、共産主義者でもない。
ただおかしいものは、「おかしい」と言っているにすぎない。

 あとの判断は、読者のみなさんに任せる。
みなが、それでよいというのなら、それでよい。私も、それに従う。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 南京事件 南京虐殺事件 はやし浩司 三光作戦 はやし浩司 平和論 平和主義 はやし浩司 平和とは はやし浩司 平和について はやし浩司 ネール首相 はやし浩司 ネール元首相 ●关于南京大屠杀 我们正在努力,以反映与谦卑。)
2012-02-21日記

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【広島県・呉市まで】(はやし浩司 2012-02-22)

●大和ミュージアムを見学(呉市、大和ミュージアム・旅行記)
   by はやし浩司・晃子・周市

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司



●サイト

http://youtu.be/kRfFIEcy9w


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

一度は……と思っていた。
大和ミュージアム。
長さ26メートルの戦艦大和の模型が、飾ってあるという。
一度は、見てみたかった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●新幹線の中で

 午前7時10分発の、新大阪行きに乗る。
途中、名古屋で乗り換え、広島まで。
目的地は、沖縄……ではなく、広島県、呉市(くれし)。
呉市にある、大和ミュージアム。
「大和」とは、「戦艦大和」のこと。
今日は、そこで10分の1大の、戦艦大和の模型を見る。
全長、26メートル。

 特攻作戦……戦艦大和は、沖縄への特攻作戦の途中で海に沈んだ。
無謀な作戦だった。
が、命令により死んでいった若い人たちに、責任があるわけではない。
当時は、そういう時代だった。
が、その数、3000人あまり(記憶)。
どんな気持ちだったのだろう。
子どものころから、私は、ずっとそんなことを考えていた。

●プラモデル

 動機は2つある。
ひとつは、友人のBT氏が、「一度は行く価値がある」と言ったこと。
「林さん(=私)、一度は、行ってみなさいよ」と。

もうひとつは、息子が、TAMIYAの戦艦大和を完成させたこと。
350分の1サイズ。
巨大なプラモデル。
超精密なプラモデルで、見応(ごた)えがある。
ながめているだけで、ググーッと熱いものがこみあげてくる。

 私は子どものころ、プラモデルをよく作って遊んだ。
飛行機のプラモデルだった。
マルサンという会社から、マッチ箱大のプラモデルが、売りに出されていた。
価格は30円前後だったように記憶している。
今から思うと簡単なものだった。
それを作り、手で持ちながら走り回るのが、たいへん楽しかった。
自分がパイロットになったかのように感じた。

 以来、おとなになるまで、プラモデルとは縁が切れなかった。

●夢

 今朝は、午前6時に起きた。
目覚まし時計が鳴ったとき、私は、ぐっすりと眠っていた。
夢を見ていた。
長い坂があった。
山の頂上から、ふもとまで一直線につづく坂だった。
その坂を、車でおりていく。
そんな夢だった。
ちょうど秋のころで、坂に沿って並んだ街路樹が、美しかった。

 そこで、目覚まし時計が鳴った。
瞬間、「どうして?」と思った。
旅行のことは、忘れていた。

●10分遅れ

 朝、起きるとすぐ、書斎に入った。
昨夜やり残した作業を、簡単にすませた。
が、パソコンが相手だと、簡単な作業でも、いったん始めると20~30分はかかる。
その20~30分が過ぎたところで、ワイフが呼びにきた。

 そそくさとパソコンを閉じ、居間に行く。
ワイフと息子がそこに、待っていた。
予定より10分遅れで、家を出た。
6時40分。

 車で大通りに出た。
深いオレンジ色の朝日が、ちぎれた雲の間から顔を出していた。

●ニュース

 ニュースサイトに目を通す。
このところ真っ先に見るのが、ロイター。
つぎにBloomberg。
この2つは、速報性にすぐれている。

 新聞社が提供しているニュースサイトは、どれも不親切。
新聞記事より新しい記事は、めったに載せない。
気持ちはよくわかるが、ときに、それを意地悪に感ずることがある。

ほかにもいろいろなところから、ニュースを配信している。
TBSや、楽天、それにYahooなど。
が、イマイチ、本気度が足りない。
……ということで、今は、ロイター。

 そのロイターは、ギリシャ問題について、懐疑的な記事を書いている。
数日前の記事では、「時間延ばしにすぎない」と。

 そうでなくてもギリシャ経済は、壊滅的状況。
そこへもってきて、緊縮予算を組めば、どうなるか。
私のような素人にも、容易に想像がつく。

 日本の神奈川県、もしくは埼玉県程度の経済規模しかないギリシャ。
そのギリシャの救済だけで、これほどまでの時間がかかる。
仲間同士で救うことができない。

EUは、たしかに弱体化している。
ギリシャが崩壊すれば、ポルトガル→スペイン→イタリアがおかしくなる。
とりあえずギリシャを防波堤にし、何とか時間稼ぎをしている。

●ポルトガル

 そのポルトガル。
こんなことを言い出した。
「うちにも、同じようにしてくれ」と。

 現在ポルトガルの国債(2年もの)利回りは、13・5%に上昇※。
ギリシャの救済策を横目で見ながら、そう言い出した。
それもそのはず。
借金を、75%近くも棒引きにしてもらえるなら、こんなおいしい話はない。

ポル「いいなあ、ギリシャは……。うちも苦しいよ」
EU「お前のところは、自力でがんばれよ」
ポル「そんなこと言わないで、うちも借金を棒引きにしてよ」
EU「あのなア……」と。

 ギリシャ問題は、ギリシャだけで、終わらない。
今度は、ポルトガルに飛び火しそうな雰囲気になってきた。

 ……悲観的な見方で、申し訳ない。

(注※……ポルトガル、ロイター)

『ラボバンクのストラテジストは「ポルトガルでは、欧州連合(EU)の支援パッケージ条件の再交渉を政府に要請する向きが多い。
これは、ギリシャ債務再編が1度限りのことではないという可能性を示している」と述べた。

 ポルトガルの10年物国債利回りPT10YT=TWEBは18ベーシスポイント(bp)上昇し12.66%。
2年債利回りPT2YT=TWEBは24bp上昇し13.47%となっている』(以上、ロイター)と。

●名古屋

 名古屋で、のぞみ号(700系)に乗り換える。
自由席は、3号車まで。
ほぼ満席。

 その中にあって、計8席も、先取りしている女性がいた。
「ここは?」と聞くと、「来ます」と。
「ここは?」「来ます」、
「ここは?」「来ます」と。
そんな会話を、2、3回繰り返した。

 で、最後に、「いったい、何人、来るのですか?」と私が聞くと、一瞬迷った様子。
明らかにその女性は、ウソを言っていた。
案の定、そのあとやってきたのは、4人だけ(うち2人は子ども)。

 「空きましたから座ってください」と。
その女性はそう言った。
どこかバツの悪そうな言い方だった。

●米原

 米原あたりは、一面の雪景色だった。
ワイフにうながされて窓の外を見た。
美しいというより、寒々とした景色だった。

●悪性リンパ腫

 実は、昨日、行きつけの医院へ行ってきた。
運動のたびに、左わき下が痛む。
数年前からときどきそういう痛みはあったが、おとといは、それがひどかった。
ネットで調べると、「悪性リンパ腫」?

 同じがんの中でも、死亡率はきわめて高い。
で、行きつけの医院へ行った。
長いつきあいになる。
もう40年になる。
会うと、TH医師は、私にこう言った。
「お元気ですか?」と。

 「元気なわけがないだろ」と思ったが、それは言わなかった。
症状を告げると、あれこれと触診をしてくれた。
「リンパ腺は何ともないですなあ」と。

 で、悪性リンパ腫の名前を口にすると、こう言った。
「悪性リンパ腫なら、のどに症状が出ます。すぐわかります。それではありません」と。

 結局、薬ももらえず、そのまま帰宅。

軽くマッサージをすると、痛みはそのまま消える。
動脈瘤のようなものか?
それが腫れて、周囲の血管を刺激する。
……というのが、私の素人診断。

 「今日は、全快祝い」と言って、そのままワイフとレストランへ。

●68歳

 今朝も、近所の人の訃報が、回覧されてきた。
ワイフが「68歳の人よ……」と言って、それを私に渡した。
男性。
喪主が妻になっていた。

 「68歳かア……」と。

 それ以上、言葉がつづかなかった。

●旧約聖書の予言

 旧約聖書には、予言めいたことが、あちこちに書いてある。
それが今、その世界では、話題になっている。
アルマゲドンがどうのこうの、降臨がどうのこうの、と。
数日前も、それを読んでいた。

 が、私は、ふとこんなことに気づいた。
「旧約聖書に書いてあるのは、予言書ではなく、歴史書ではないか」と。
それならば、納得がいく。
つまりこういうこと。

 ……遠い昔、どこかの惑星が、滅びた。
火星なら火星でもよい。
温暖化と、それに伴う水や食料の奪いあい。
戦争につづく、戦争。
大気は汚れ、その結果、火星は、現在の火星になった。

その「記録」が、「予言」と名を変え、地球人に伝えられた。
「お前たちも、教えを守らないと、こうなるぞ」と。
そういうことなら、納得がいく。
つまり「予言」ではなく、「警告」。

 そこで問題なのは、降臨があるのは、前か後かということ。
つまりアルマゲドンの、前か後かということ。
神がやってきて、敬虔(けいけん)な信仰者を救うのは、いつか。
聖職者たちは、聖書の一言一句をこまかく分析し、それを論じあっている。

 が、前でも後でも、どちらでもよい。
降臨したときが、降臨したとき。
アルマゲドンによって、どのみち、ほとんどの人は、それで死ぬ。
私も死ぬ。
あなたも死ぬ。

残念ながら、私はキリスト教徒ではない。
ユダヤ教徒でもない。
神がいても、私など、相手にしないだろう。

●アルマゲドン

 アルマゲドン……もっとも可能性が高いのが、隕石の落下。
惑星との衝突も考えられる。
何でも「(そのとき)、天から、炎が雨のように降ってくる」(旧約聖書)そうだ。
となると、やはり隕石?

 直径10キロの隕石でも、人間も含め、地上のほとんどの生き物は死滅するという。
100キロを超えると、地球は、粉々?
地表という地表がめくりあがり、地上は、蒸発した岩石で覆われるという。
「蒸気岩」というらしい。
(あの岩石が、熱で、蒸気化するのだぞ!)

ハルマゲドン……可能性としては、ありえない話ではない。
が、今すぐという話でもなさそう。

●タイム・ジャンプ

 今、時刻は、午後7時14分。
広島で新幹線を降りたのが、午前10時ごろ。
9時間近くも、時間が、ジャンプしたことになる。
そこで今日の記録。

 呉阪急ホテル。
JR呉駅から、歩いて1分……というより、呉駅の真正面。
ホテルに着いたのが、11時半ごろ。
荷物を預けて、そのまま駅裏のレストランへ。

 広島と言えば、広島焼きそば……ということで、昼食は焼きそば。
「さすが本場」と思いながら、食べた。
おいしかった。
で、それが終わると、そのまま「大和ミュージアム」へ。

 本気度120%!
「すごい」の一言。
BT氏の言葉に、偽りはなかった。

●撮影

 デジタルカメラで、写真を撮りまくった。
それには、理由がある。

 こうした写真は、YOUTUBEにそのままUPすることにしている。
簡単なアルバムがそれでできてしまう。
が、今まで、YOUTUBEには、限度があった。
ビデオ撮影のばあい、15分。
静止画をつづけてUPすると、約350枚前後で、15分になる。

 が、今週から、その限度が、なくなった。
理由はわからない。
「15分以上、UPLOADできるようになりました」と。

 そこで試しに、先日、1時間近い動画を、UPしてみた。
無事、できた。
そこで今度は、静止画でそれを試してみたい。
……ということで、静止画を撮った。
撮ったというより、撮りまくった。
その数、520枚!

 それを明日、YOUTUBEにUPしてみたい。
はたして、無事、UPできるかどうか? 
無事UPできれば、そのままこの原稿に貼りつけることができる。

●海上自衛隊「くじら館」

 大和ミュージアムのあと、隣接する「くじら館」に足を運んだ。
「くじら」というのは、潜水艦のこと。
「くじら館」というのは、海上自衛隊の展示館。
浜松市には、航空自衛隊の展示館がある。
その海上自衛隊版が、「くじら館」。

順路に沿って歩いていくと、最後は、その潜水艦の内部へ入ることができる。
現役を退いたとはいえ、本物の潜水艦。
迫力がちがう。

 私はこの年齢になって、はじめて、本物の潜水艦の内部に入った。
私は閉所恐怖症。
兵隊になったとしても、潜水艦だけはごめん。
いつもそう言っている。
そのくせ、潜水艦モノの映画は、大好き。
ひとつとして、欠かしたものはない。
潜水艦に関係した映画は、すべてみてきた。
この矛盾を、どう考えたらよいのか。

 その潜水艦の内部に、今日、入った。
大型の飛行機のようで、息苦しさはまったくなかった。
が、当然のことながら、窓は、まったくなかった。
ドキドキしながら、内部を見て回った。

●4時間

 ホテルへ戻ったのが、午後3時過ぎ。
4時間近く、歩きつづけたことになる。
……ということで、チェックインをすますと、そのままベッドへ。
バタンと倒れ、そのままひと眠り。
目を覚ますと、ワイフも、横で寝ていた。

 そのあと、風呂に入り、夕食。

●夕食

 夕食はバイキング。
1人、2500円。
500円の割引券つき。
1人、2000円。
呉阪急ホテル1階のレストラン。

 ……この呉へ来てみて、気がついた。
「物価が安い!」と。
言い換えると、浜松の物価は、高い!

●くどい

 今、時刻は、午後7時40分。
ワイフはベッドの上で、本を読んでいる。
私は、こうしてパソコンのキーボードを叩いている。

 疲れているせいか、文章がうまく出てこない。
「出てこない」というのは、「適切な言葉が浮かんでこない」という意味。
それに疲れていると、文章が、どうしても回りくどくなる。

 たとえばこう……。

 「呉市も御多分に漏れず、あまり元気がない」と書き始めたとする。
が、そこで文章が途切れてしまう。
調子のよいときだと、なぜそう感じたのか、その理由を並べることができる。
が、今夜は、それができない。
そこで何とか文章をつなげようと、無理をする。
その無理をした分だけ、回りくどくなる。

 私はいつもこんなことに心がけている。
短い文章で、適切な言葉で表現する。
調子が悪いと、それがうまくできない。

 ……ということで、「うまく文章が書けない」と、ここだけでも、4、5回も繰り返した。
「うまく出てこない」「浮かんでこない」「途切れてしまう」「うまくできない」と。

 それを私は「くどい」という。
学生の作文だったら、赤字で、こう書き込むだろう。
「もっと簡潔に、要領よく、文章をまとめること」と。

●文章教室

 文章には、好き嫌いがある。
当然である。
が、誤解してはいけない。
(じょうずな文章)イコール、(好きな文章)ということではない。
いくら(じょうずな文章)でも、嫌いなものは、嫌い。
そこでふと、考える。

 ときどき「文章教室」という看板をかかげている教室を見かける。
「絵画教室」があるから、「文章教室」なるものがあっても、何もおかしくない。
講師の先生は、子どもから大学生や、社会人まで、教えているという。
が、そういう看板を見ると、いつも「?」と感じてしまう。

絵画は、感性の世界。
文章は、論理の世界。
私はその論理性を感じない文章は、好きではない。

……というか、私自身がもつ論理性と、一致しない文章は、好きではない。
たとえば細木何某(なにがし)という女性は、星占いの本を書いている。
江原何某という男性は、スピリチュアル(霊)の本を書いている。
いくら名文でも、私は、そういう人たちの書いた本には、目を通さない。
本を開く前に、拒絶反応を起こしてしまう。

 つまり文章のじょうず・へたは、指導になじまない。
いくらその講師の先生に、天才的な文才があったとしても、だ。
文章のじょうず・へたは、そのワクを超えた、別の世界で決まる。
だからよくこう思う。

「何を、どのように指導しているのだろう?」と。

 さしずめ、私の文章などは、その講師の先生からみたら、超へたくそ。
何度も書きなおしさせられるだろう。

●文章論

 では、文章とは何か?

 私たちは言葉を通して、相手に何かを訴える。
大切なのは、その中身。
真剣度。
その「言葉」が、象形化したものが、「文章」。

 もちろん訴えながら、相手に自分のことをもっと理解してほしいと願う。
正確に理解してほしいと願う。
どうすれば、相手は、自分のことをわかってくれるだろうかと考える。
それを組み立てるのが、論理性ということになる。

わかりやすく言えば、「考える」。
「考えながら、書く」。
それが重要。

●Nさん

 話題を変える。

 広島へは、高校の修学旅行で来た。
岩国なども回った。
当時は、私の記憶にまちがいがなければ、夜行列車で来た。
朝早く、広島の駅に着いたのを、覚えている。
「楽しかった」という思いよりも、「そんなことがあったのかな?」という程度。
記憶そのものが、ぼんやりとしている。
が、懐かしい。

 その懐かしさの中心部にいるのが、Nさん。
畏敬の念をこめ、「女性」と呼ぶ。
私が好意を寄せていた女性である。
その女性が、観光バスの一番奥のほうで、ほかの友だちと、カラカラと笑っていた。
その姿だけが、今でも、脳裏に焼きついている。
 
 すてきな女性だった。
が、心を打ち明けることもなく、そのまま終わってしまった。
どこか切なく、どこかほろ苦い。
プラス、歯がゆい。
それが高校の、あの修学旅行だった。

 私は今、その広島に来ている。
……というか、この広島へは、そのあと数度、来ているはず。
そのつど外人を案内し、ここへ来た。
が、そうした思い出は、ほとんど消えてしまっている。
広島と言えば、やはりNさん。

 ……あのころの私は、自分の心を素直に打ち明けることができなかった。
気が小さく、臆病だった。
(今でも、そうだが……。)
それが今ごろになって、悔やまれる。

 「好きだ。つきあってくれ。いっしょにホテルへ行こう」と。
(当時はまだラブホテルのようなものは、なかったが……。)
どうして言えなかったのだろう?
ア~ア!

●呉阪急ホテル

 呉阪急ホテルは、「阪急」という名前があることからもわかるように、一流ホテル。
昔の帝国ホテル(東京)を思わせる風格を漂わせている。
設備類はやや古いかな……と思わせるが、調度品にはどれも、重厚感がある。
どっしりとした重みを感ずる。

 温泉こそないが、バスルームも広い。
バスタブも広い。
男性用に整髪料なども、一式そろっている。
ビジネスホテルにありがちな、窮屈さはない。
料金はそれなりに高いが、割安感はある。
サービスもよい。

 が、「二度と来ることはないだろうな」と、思う。
それに今回来てみて、こんなことを考えた。
大和ミュージアムと、くじら館だけなら、浜松からでも日帰りコース。
1泊するなら、呉市内ではなく、近くの離島にある旅館のほうがよいのでは、と。
夏場だったら、船に乗って、あたりを周遊することもできる。

 大和ミュージアムとくじら館だけを見て、こうしたホテルに一泊するのもどうか。
ぜいたくというより、もったいない?
団塊の世代は、すぐそういうものの考え方をする。
旅行を楽しむ前に、その(楽しみ)すらも、金銭的な価値に置き換えてしまう。
あるいは、これは私だけのさみしい根性によるものなのか。

●BLOG

 この原稿は、2月23日のBLOG用。
が、今日は、ほとんど原稿を書くことができなかった。
BLOGには、毎回、10枚の原稿を発表するようにしている。
現在、ここで、13枚。
(1枚)=(40字x36行)。

 これだけの旅行をしたのだから、「戦艦大和論」でも、書いてみたかった。
「広島論」でもよい。
が、今の私は、ほどよい疲れと満腹感で、脳みそは半眠状態。
(それとも、ボケがいよいよ始まったのか?)

 人は、負の一次関数的にボケていく。
脳の神経細胞は、日次的に死滅していく。
脳の神経細胞だけは、再生しない。
だから負の一次関数的。

1日、約10~20万個の神経細胞が死滅していくと言われている。
10~20万個だぞ!

が、それほど心配しなくてもよいという説もある。
脳細胞は、全体で、1500億個もあると言われている。
仮に100年生きたとしても、失われるのは、そのうちの2~4%。

 が、こわいのは、微細脳梗塞や脳卒中など。
気がつかないところで、何百万、何千万単位の神経細胞が死滅している可能性もある。

 どうであれ脳みそは、不可逆的に、小さくなっていく。
今がそのときか?

●脳の神経細胞

 脳の神経細胞は、再生しないと書いた。
死滅したら、死滅したまま。
反対に、再生したら、たいへんなことになる。
ばあいによっては、5~10年単位で、人格そのものが変わってしまう。

 私たちは10年前の人でも、20年前の人でも、同じようにつきあうことができる。
50年前の人でもよい。
それができるのも、脳の神経細胞がそのまま残っているから。

(人格の維持)か、それとも(脳の神経細胞の再生)か。
どちらかを選べと言われたら、(人格の維持)のほうがよい。
……ということで、長い進化の過程を経て、そうなったらしい?

●刺激

 どこかのニュースサイト※に、こんな記事があった。

 マウスの実験によるものだが、遊具の多い環境で育てると、判断力がますという。
そうでなければ、そうでない。
たとえば遊具の多い環境で育ったマウスは、迷路などでも、よい成績を示すという。

 人間の子どもについても、同じ。
昔から、こう言う。
『転勤族の子どもは、頭がいい』と。

 これは幼児教育の常識。
40年前に、そう言っている先生がいた。
つまり「転勤」という環境の変化が、子どもの脳の発達に、よい刺激を与える。
まずいのは、変化にとぼしい、刺激のない生活。
子どもは、(その世界)でしか、生きられなくなる。

 よくても悪くても、子どもには刺激が重要。
その刺激が、子どもを伸ばす。

(注※……マウスの実験、毎日新聞より転載)

『……チームは、刺激の多い環境の典型とされるはしごなど数種類の道具のある箱に15匹のマウスを入れて4週間飼育した。
同時に、刺激の乏しい環境として、遊び道具のない箱で3匹のマウスを同期間、飼育した。
その後、学習や記憶力の推移、両機能をつかさどる海馬の神経細胞の状態やたんぱく質の働きを調べた。

 刺激の多かったマウスは、刺激の乏しいマウスに比べ、迷路でゴールにたどりつくまでの時間が回を重ねるごとに短縮されることが確認された。
さらにグルタミン酸などの神経伝達物質を運ぶ「KIF1A」、神経細胞の成長を促す「BDNF」の2種類のたんぱく質の働きがいずれも刺激の乏しいマウスの約1.7倍に活発化していた』(以上、毎日新聞)と。

●過保護

 このマウスの実験と直接つながるのが、「過保護」。

 過保護児の最大の特徴は、社会性の欠落。
たとえばブランコを横取りされても、それに抗議することができない。
「悪」に対する抵抗力にも乏しいから、心はもろく、いじけやすい。
怒りを内へためるから、心もゆがみやすい。

 子どもは傷まるけになりながら、成長し、たくましくなる。
そういう意味で、刺激が重要。

 では、私たち老人組は、どうか?
「今さら……」と思う部分もないわけではないが、刺激はたしかにボケ防止になる。
そのことは、こうしてものを書いていると、よくわかる。
たとえば10日間の休みがあったとする。
とたん、育児論が書けなくなる。

 こと育児論に関していえば、毎日子どもの顔を見ていなければ、書けない。
「刺激」というのは、それをいう。

●積極的不登校児

 最近、ときどき耳にするのが、積極的不登校児。
それなりの理由があるのだろう。
それは別として、親が、積極的に、自分の子どもを不登校児にする。
「学校へは行かせない」と。
 
 多くはいじめが、原因。
が、中には、「いじめられるから」という理由で、前もって不登校児にしてしまう。
親は、子どもを守っているつもりかもしれない。
しかし子どもというのは、先にも書いたように、傷まるけになりながら、成長する。
完璧な環境などといったものは、存在しない。
親がいくらがんばっても、そこには限界がある。

経済的に余裕があれば、「家庭教師をつけて……」ということもできる。
あるいはアメリカのように、ホームスクール制度が整っていればよい。
が、この日本では、そういうわけにはいかない。
親がいくらがんばっても、「学校」に代わることは、むずかしい。
仮に子ども時代はそれでよいとしても、おとなになったらどうする?

つまりそれが、ここでいう「限界」。

 さらに一歩進んで、親、とくに母親側に、心の問題があることもある。
近くの保育園にも、こんな母親がいる。

 毎日、子ども(年長女児)といっしょに、保育園へやってくる。
一日中、見え隠れしながら、塀の外から、子どもの様子をうかがっている。
で、園の先生が、「だいじょうぶですよ」と声をかける。
いったんは、家に帰る様子をしてみせるが、今度は木の陰に隠れて、子どもを見ている。

 園の園長に、「どうしたらいいですか」という相談を受けた。
で、私はこう答えた。
「思い切って、園の補助員をしてもらってはどうですか」と。
が、園長はそれを冗談ととらえた。
ハハハとたがいに笑って、(失礼!)、それですんでしまった。
 
●就寝

 こうして2012年02月22日は、終わりに近づいた。
忙しい1日だった。
プラス、疲れた。

 これはいつも思うこと。
旅先で、見知らぬ人と話すたびに、こう思う。
「こんなところにも、人がいて、みな、懸命に生きている」と。
ときとして、それが不思議でならない。
この呉市でも、そうだった。

発音が、浜松のそれと、かなりちがう。
たとえば、「呉(クレ)」も、ここ呉市では、「ク・レ」と、「レ」にアクセントをつける。
(浜松では、「ク」のほうに、アクセントを置き、「レ」を尻下がりに言う。)

 それぞれの人が、それぞれの生活をもち、それぞれに生きている。
私やあなたのように。
どこもちがわない。

私も彼らと同じと思うと同時に、彼らも、私と同じと思う。
ときとして、それが不思議でならない。

 こうして私は、戦艦大和を見ることができた。
本物ではなかったが、これで子どものころの夢がかなった。
そのつど、私はワイフにこう言う。
「冥土のみやげができた」と。

 たしかに若いころの私は、仕事ばかりしていた。
遊ぶことを知らなかった。
命に限りがあるなどとは、考えたこともなかった。
いつでもその気になれば、遊べると信じていた。

が、今はちがう。
そこに見えるものに、焦点をあて、じっとその奥まで見入る。
脳裏に叩き込む。
「二度と、見ることはないだろうな」と。

どこか暗いが、私自身は、「暗い」などとは思っていない。
若いときには見えなかったものが、今は、しっかりと見ることができる。
家々の窓にしても、それは景色ではない。
その窓の中にある生活まで、見える。……見えてくる。

 ワイフは、すでに就寝モード。
先ほどまで読んでいた本も、閉じられている。
あくびが何度か、つづけて出た。
私も、そろそろ就寝モード。

 では、みなさん、おやすみなさい。

 2012年02月23日、午後10時30分。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 大和ミュージアム 広島県 呉市 くじら館 呉阪急ホテル 戦艦大和 はやし浩司 大和)


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