2010年9月24日金曜日

*Sisters raised by wolves in India

●世界景気 

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日本政府はどうとらえているか、知らない。
しかし現実の景気は、最悪。
体感景気は、さらに最悪。
全国的にみて、浜松の景気はまだよいほうと
言われている。
大企業がひしめく(?)、工業都市。
その浜松でも、このところ、店という店が、
暗く沈んでいる。
通りを歩く人たちも、どこか元気がない。

いったいどうなってしまったのか。
この浜松!
この日本!

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●経済成長率

 経済成長率という言葉がある。
が、成長しているから、どうやらそれでよいということでもなさそうだ。
たとえば、A、B、C、D、Jの5つの国があるとする。
5番目の「J」は、日本。

 その中のA、B、C、Dの4つの国の成長率が10%。
J、つまり日本の成長率が、1%。
こういうとき、「少なくとも日本は、貧乏にはなっていない」と考える。
「今年は去年より、1%だけだが、よくなっている」と。
 
 が、実際にはどうか?
こんなケースで考えてみよう。

Aさんは、毎月のように家を改築している。
今月は光ファイバーを導入した。
先月は、それまでの太陽熱温水器から、太陽光発電に取り替えた。
来月は、家中を無線LANでつなぎ、外出先からも、家の中を
モニターできるようにした。

成長率が10%という国は、そういう形で発展している。
 
一方、Jさんは、現状維持が精一杯。
電話機も10年前の固定電話機のまま。
駐車場の屋根に取り付けた太陽熱温水器も、このところ故障つづき。
床の間には、古い置物がいくつか並んでいる。
先祖から伝わっているものというが、骨董的価値はほとんどない。
Jさんは、いつもこう言っている。
「何とか、やっていければ、それでいいです」と。

●社会のダイナミズム 

 こうした状態が10年もつづけば、どうなるか。
「差」は、一目りょう然。
経済成長率という数字にだまされてはいけない。
大切なのは、「社会のダイナミズム」。
国全体がもっている前向きな緊張感。
こうした「差」は、個々の家でも感ずることができる。
組織ともなれば、さらにはっきりと感ずることができる。

 同じ寿司屋でも、威勢のよい掛け声が飛び交っている寿司屋がある。
その一方で、店の主人が奥のほうに座り、いつ来るともわからない客をぼんやりと
待っている寿司屋もある。
節約のためか、電気のいくつかは消したまま。

 ゼロ成長、さらにマイナス成長になればなおさら。
その国の社会から、ダイナミズムが消える。
つまりその分だけ、より経済成長率の高い国に、ダイナミズムが奪われていく。
あとは、相乗効果で、そうした国はますます伸びていく。
一方、経済成長率の低い国は、悪循環の中でますます伸び悩んでいく。
今の日本は、まさにそういう国ということになる。

 ものの考え方が後ろ向き。
内へ内へと、ものの考え方が保守的になる。

●超・管理国家

 オーストラリアの友人(大学教授)がこう言った。
「オーストラリアも、ビュオクラチック(官僚主義的)になりつつある」と。
しかし程度が知れている。
この日本は、世界に名だたる官僚主義国家。
超の上に、超がつく官僚主義国家。
何をするにも、管理、管理、また管理。

 たとえば仕事にしても、今、資格、認可、許可なしでできる仕事は、ほとんどない。
あるとすれば、政治家くらいなもの。
あるいはタレント業。
それを頂点で管理するのが、官僚ということになる。

 オーストラリアでは、(それが好ましいことかどうかは別として)、若者たちはみな、
高校を卒業すると、自動車1台、電話1本で仕事を始める。
町中を、車のボデーを看板にした車が、無数に走っている。
「清掃します」
「パイプの詰まりを直します」
「電気工事します」
「屋根修理専門」などなど。

 言うまでもなく、社会が管理されればされるほど、社会からダイナミズムが消える。
人々はおとなしく、丸くなる。
小さくなる。
そしてそれと反比例する形で、役所が肥大化する。

●落ち葉はゴミ?

 最近では、「落ち葉はゴミ」と考える人がふえている。
そのため街路樹が枯れ葉を落とすころになると、市の苦情係のデスクには、苦情の
電話が殺到するという。
「落ち葉を何とかしろ!」と。

 街路樹の世話が市の仕事とするなら、落ち葉の始末も市の責任というわけである。
しかしこの考え方は、基本的な部分でまちがっている。
まちがっていることは、私は山荘生活をしてみて、はじめて知った。

 山荘周辺では、道路管理、水管理、土手の雑草管理などなど、すべてそこに住む
人たちの仕事である。
とくに「水」は、500メートルほど離れた山中から、引いている。
そのため水源の清掃、管理は欠かせない。
蛇口をひねれば水が出る……という生活に慣れきってしまった人には、それがわからない。
つまり水のありがたさが、わからない。
こうした「甘え」が、官僚主義国家をますます肥大化させる。
遠まわしな言い方になったが、こうした超・管理国家にしたその責任の半分は、
私たち日本人にもある。
この意識を変えないかぎり、この先、さらに管理、管理の超・管理社会は進む。

●内向きな若者たち

 誤解しないでほしいのは、官僚主義イコール、悪ということではないということ。
それが効率よく、かつ機能的に作用しているときは、それなりにうまくいく。
戦争直後の日本がそうだった。
しかしそれが逆転したとき、(現在がそうだが……)、官僚主義は反対に社会の
ダイナミズムを奪う原因となってしまう。

 不完全でもよい、失敗してもよい、……だからとにかくやってみよう!
それがダイナミズムの原点である。
たとえば教育の世界でも、電子黒板の導入、iPod型の電子ブック(教科書)の
導入が本格的に検討され始めた。
しかしこのニュースに対するコメントには、(大半が若者たちのものだが)、驚いた。
そこには10件ほどのコメントが並んでいたが、どれも否定的なものばかり。
「教師に楽をさせるだけ」
「ノートをとるから、勉強になる」
「そんなことに金をかけるなら、~~に金をかけろ」
「毎日予備校の通信講座を流したらいい」とかなど。

 コンピューターのもつ無限の可能性すら、若者たち自身が否定する。
その先、何ができるようになるか、それすらわかっていない。

●不公平感

 あの北朝鮮では、優良な(?)市民だけが、首都P市に住めるという。
あとの国民は、国民にあらず(?)。
しかしそういう国を見て、だれが笑うことができるだろうか。
この日本だって、同じことをしている。
私も63歳になって、はじめて、それがよくわかった。

 国民年金組は、いまだに年金はゼロ。
一方、元役人組は、すでに優雅な隠居生活を始めている。
私の自宅の周辺には、満55歳で退職したあと、ほぼ30年間遊んで暮らして
いる人たちが、たくさんいる。
そのほとんどが、元役人、もしくは旧国鉄労働者。
どの人も、30~40万円(月額)の年金を手にしている。
で、皮肉なことに、プライドが高いせいもあるが、地域の活動に参加している
人は、ほとんどいない。
中には朝から晩まで、庭の手入れと、小さな畑仕事だけで、毎日を過ごしている
人もいる。

 ごく一部の人たちが、(実際には、現職の公務員、準公務員とその家族だけでも、
この日本には600~700万人もいるが)、こうした恵まれた環境にいる。
その一方で、明日の生活に不安を抱きながら、「とにかくがんばるしかない」と
考えている人も多い。
私もその1人。
この不公平感には相当なものがある。
そしてその不公平感は、加齢とともに増大することはあっても、縮小することはない。

●失敗を許す社会

 忘れてはいけない。
成功はいつも失敗を土台として生まれる。
失敗を恐れていたら、成功など、おぼつかない。
つまりその失敗を許す寛容さこそが、成功への土台となる。
わかりやすく言えば、社会の不完全さ。
それこそが社会のダイナミズムを生む、原動力となる。

 「不完全にせよ」というのではない。
不完全であることに寛容であれと言っている。
「何もかも完ぺきに……」と考えれば考えるほど、官僚世界を肥大化させる。
そしてその分だけ、社会のみならず、国家経済すらも硬直化させる。
ある経済学者の試算によれば、公務員の人件費(給料を含めた、総人件費)
だけでも、38兆円。
国家税収が40兆円前後だから、これはもうメチャメチャな額といってもよい。
そのため、赤字国債につづく赤字国債。
国の借金だけでも、軽く1000兆円を超えている!
(政府が発表している700兆円うんぬんという額は、ウソ!)

 行政改革(官僚制度の是正)が叫ばれるようになって、もう20年。
一向にその成果が現われないばかりか、かえってこの日本は後退している。
これでは社会のダイナミズムなど、求めようがない。
つまり日本の発展もここまで!
とても残念なことだが。


Hiroshi Hayashi++++++Sep 2010++++++はやし浩司

●パソコン

「週刊アスキー」の今週号(10-26)の付録に、トランプカード
がついていた。
図柄に、歴代の・・・というか、1977年当時からのパソコンが
印刷されていた。
いちばん古いのが、1977年のAPPLE II。
この機種は、私がPET2001を買った直後に発売になったもので、
よく覚えている。
たしかモニターなしで、40万円前後ではなかったか。
(当時の価格で40万円だぞ!)
アップル社のあのカラフルなロゴが、ググーッと購買欲をそそった。

つづいて紹介されているのが、SharpのMZ-80K(1978)。
この機種も買わなかったが、よく覚えている。
浜松にさえパソコンショップが、まだ1~2店しかない時代だった。
「ムーンベース」という店があって、そこでそれをよくいじらせてもらった。

 そのあと、NECのPC8000の時代へと突入する。
以後、私は毎年、2~3台は新しいパソコンを購入した。
当時はパソコン1台が、40~50万円もした。

懐かしいというより、そこに時代の流れを感ずる。
私はいつも新しいパソコンが発売になると、それを見に行った。
買いたくても買えなかったパソコン。
買っても、すぐあきてしまったパソコン。
中には使い物にならなかったのもある。
NECのUシリーズも、そのひとつ。
当時はやり始めた「パソコン通信」をやりたかったが、カタカナ表示のみ。
どうすれば漢字表示ができるか、あれこれ試してみたが、結局、できな
かった。
数か月使っただけで、お蔵入り!

●1977年 

 APPLEのAPPLEIIが、発売になったのは、1977年となっている。
しかしそんなはずはない?
その数年前には、TOSHIBAのTK-BSが発売になっている。
今でいう電卓を複雑したようなパソコンで、マシン語でカチカチと
命令を打ち込んでいく。
たとえば(A+B)xCという命令を先にプログラムする。
そのあとA、B、Cの値を入力すると、その答えが、表示された。

その直後、PET2001が、発売になっている。
APPLEIIが、発売になったのは、ほぼ同時期だった(?)。
私はその斬新なデザインに驚いた。
1977年より、少し前ではなかったか?
「1977年と言えば、私が満30歳になったとき」と。
今は、そんなことを思い出しながら、そのトランプカードを見つめている。

 ・・・といっても、現代のパソコンとは、大違い。
ベーシック言語でプログラムを組むと、二次曲線のグラフを、ポツポツと
点で描いてみせてくれた。
私はそれをジーッと見つめていた。
それが楽しかった。

●無念

 で、ここからがジジ臭い話になるが、ごめん。

こういう(流れ)を見ていると、その(流れ)を見届けられない(はがゆさ)と
いうか、無念さを覚える。
この先も、パソコンの世界はどんどんと進んでいくだろう。
10年後にはどんなパソコンが発売になるのだろう。
20年後には・・・。
そのころには、私は生きていないかもしれない。
生きていても、脳みそが使いものにならないだろう。
今でさえ、あぶない!

●骨董的価値

 で、最近は、こう考える。
「新しいパソコンを買うのは、未来への投資のようなもの」と。
できるだけ最新型を買う。
歴史を可能なかぎり、先取りする。

 また現在、骨董品が、ほとんど価値を失っている。
骨董品だけではない。
コインも切手も、価値を失っている。
たとえば東京オリンピックのとき、1000円銀貨が発売になった。
その銀貨にしても、現在、実勢の交換価格は、1100円程度。
切手については、いくら古くても、表示価格でしか売ることができない。
モノがあふれ、モノに対する感覚そのものが、変わった。
言い忘れたが、あのPET2001(当時、33万円前後)にしても、今、
オークションに出しても、2000円前後の価値しかないという。

 だったら、捨てるしかない。
とくにパソコンは、磨いて床の間に飾っておくようなものではない。
ボロボロになるまで、使って使って使いまくる。
そのあと捨てて、また新しいのを買う。
たった2~3年前のパソコンでも、価値はゼロ。
処分するにも、引き取り料が取られる。

●ワープロ機として

 が、ゲーム機として使うパソコンは別として、私のようにワープロ
専用機として使う人には、それほど高性能のパソコンは必要ない。
5~6年前の機種でも、何ら問題ない。
となると、ワープロ機としてパソコンは、どうあるべきか?
3つほど、希望を並べてみる。

(1)文章の安全性・・・書いた文章を、そのつど即座にSAVEする。
保存した文章は、そのつど別ドライブにも保存できるようにする。
WINDOW7でも、そのつど別ドライブに保存できるようになっているが、
イマイチ使い勝手が悪い・・・。
あっという間に、1テラバイトのハードディスクが満杯になってしまう!
 
(2)言葉の検索・・・ワードならワード文書全体から、つまりすべての
ファイルの中から、あいまい検索ができるようにする。
「~~年~~月ごろ書いた、~~についての原稿」というような検索が
できるようにする。

(3)性能の問題・・・現在、私の書いた原稿は3~4万ページ近くに
なっている。
このファイルに、別の文章を追加すると、それだけでも10分ほど時間が
かかる。
最新のi-7、3GHz~、64ビットのマシンを使っても、それくらい時間がかかる。
もっとすばやくできないものか?

●未来像

 なお、こんなソフトを作ってほしい。
称して「話し相手ソフト」。

 たとえば先にも書いたように、この10年間で書いた原稿が、3~4万ページ
にもなる。
そういう原稿の中から、適当に検索をしながら、私の会話に、言葉として
応じてくれるソフトである。

「今日は、何日だった?」
「9月21日だよ」
「ピーターサロベイって、知っているか?」
「ああ、データがあるから、画面に表示しようか」
「頼むよ・・・」とか、など。

 想像するだけでも、楽しくなる。


Hiroshi Hayashi++++++Sep 2010++++++はやし浩司

●野生児(タマラとアマラ)

 ひとつの情報に出会い、つぎに同じような情報に出会うのは、
こちら側が求めてそうするばあいをのぞき、めったにない。
たとえば最近、私はタマラとアマラに関する文献を目にすることが
できた。
偶然だった。
もしその偶然がなかったら、私は自分がもつ知識を修正することは
なかっただろう。

俗に言う、『オオカミ少女』と呼ばれる2人の少女である。
そののち、心理学の本でもたびたび取りあげられている。
「野生児」という言葉も、そこから生まれた。

要点をまとめると、こうだ(「オオカミ少女はいなかった」鈴木光太郎
(新曜社))。

(1) オオカミの乳は、人間には飲めない。……だから少女たちがオオカミの
乳で育つはずがない。
(2) オオカミは、人間の子どもを連れ歩くのは不可能……オオカミはどうやって
赤子を運んだのか。
(3) ウィリアム・オグバーンというアメリカの社会学者が、
1951年に現地に入った。
が、オオカミ姉妹が発見されたという「ゴダムリ」という村は存在しなかった。
(4) 現地に新聞が残っていて、「少女たちが見つかったのは、トラの
穴」と記述されていた。
(5) 少女たちを発見したのは、シング牧師ではなく、サンタル族の住民
だった。
(6) 写真を詳しく調べてみたが、推定年齢(カマラは8歳半、アマラは
1歳半)が合わない。

 私はたびたびオオカミ姉妹(少女)について書いてきた。
この本だけで、すべてを否定するものではないが、しかし大きな疑念が
生まれたのは事実。
さらにその本は、シング牧師夫妻が寄付金集めのためにしくんだ作り話の
可能性があると説く。
実際、現在の今でも、欧米ではこの手の詐欺が後を絶たない。
(ついでに書き添えると、欧米では、孤児院経営を看板に、この種の詐欺が
日常化している。
じゅうぶん、注意したらよい。)

 で、結論としては、「自閉症か何かの障害をもった姉妹が、親に捨てられた。
その姉妹が、何年かあとに見つかった。村人たちは世話に困り、シング牧師の
ところへ連れていった」ということらしい。

 ・・・となると、私が今まで引用してきた話は、すべて訂正しなければ
ならない。
野生児の話は、ウソだったのか?

が、ここで注意したいのは、だからといって子育て論の本筋、たとえば
人間性と臨界期の問題、言語発達と臨界期の問題まで否定されるというのでは
ない。
人間はそれぞれの成長期に、それぞれの適切な環境で、適切に育てられなけば
ならない。
人間性にしても、言葉にしても、さらにたとえば音感やもろもろの美的感覚
にしても、その時期を逃すと、その後、修復がたいへんむずかしくなる。
たとえオオカミ少女の話がウソであったとしても、その重要性は変わらない。
またまったくのデタラメだったとしたら、こうまで長く、多くの心理学者や
精神学者、さらには哲学者たちの支持は受けなかっただろう。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 オオカミ少女の謎 オオカミ姉妹の謎 野生児への疑問 オオカミ少女は存在しなかった はやし浩司 タマラ アマラ シング牧師 疑惑 野生児疑惑 オオカミ少女疑惑 オオカミ姉妹疑惑)


●山荘を手放す

 今日、山荘から帰るとき、ワイフとこんなことを話しあった。
「あと、2、3年したら、山荘を売ろう」と。
さみしい決断だった。
このところ山荘を利用する回数が、ぐんと減った。
「利用する」というよりは、「利用しなければ」と、何かせかされている
ような気分になることが多くなった。

 それに率直に言えば、私もワイフも、同じように歳を取った。
車の運転も、これからはあぶなくなる。
つい先日も、ワイフは、車をバックさせているとき、車の後部を
電柱にぶつけてしまった。
注意力も散漫になってきている。

 が、そのとたん、よき友を失ったようなさみしさを覚えた。
息子たちが巣立っていったときのようなさみしさだった。
土地作りに6年もかかった。
家は、建築会社に建ててもらったが、そのあといろいろな工事は自分たちでした。
家の周囲に砂利を敷いたのも、私たちだった。
そんな無数の思い出が、どっと脳裏を満たした。

私「さみしいね」
ワ「そうね」と。

 しかしいつまでももっているわけにはいかない。
これから先、雑草の管理すら、ままならなくなる。

私「しかしどうせ譲るなら、大切にしてくれる人にしよう」
ワ「そうね」と。

 ・・・ということで、新しいHPを立ち上げることにした。
『山荘を譲ります』というタイトルのHPである。
まだUPLOADしていないが、ここ1~2か月のうちには、
完成させたい。
私のメインのHPから、入れるようにする。
興味のある人は、見てほしい。

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
より。

今すぐ・・・ということは考えていない。
現在私は62歳。
もうすぐ63歳。
ワイフは60歳。
希望としては、65歳前後にだれかに譲渡できればと願っている。


●離婚

 結局、私たちは離婚するのをやめた。
喧嘩するたびに、「離婚だ」「離婚しましょう」となる。
が、今回も、またやめた。

 どうあがいても、私の人生も残り10年。
ワイフの人生も残り10年。
こういうとき人は1つの選択に迫られる。

「残り10年だから、今までの人生を完成させよう」、
あるいは、
「残り10年だから、やり直せるものなら、やり直そう」、と。

 つまり離婚しないで、残りの人生を共に力を合わせて生きるか、
それとも離婚して、人生をゼロからやり直すか、と。

 が、2人の間には、共通の思い出が山のようにある。
私の思い出イコール、ワイフの思い出。
ワイフの思い出イコール、私の思い出。
一体性が、あまりにも強すぎる。
平たく言えば、2人で1つの人生を生きてきた。
離婚などあえてしなくても、そのうち「死」が私たちを分かつ。

 では、私たちが定期的に繰り返す離婚騒動とは、いったい、何なのか。
祭り?
習慣?
あえて言えば、倦怠感を吹き飛ばすための定例儀式。
2、3日もすると、「やめよう」「やめましょう」と言う。
仲直りする。
そしていつもどおりの日々が、再び流れ始める。

 義兄に話すと、「だからこそ、夫婦でいられるのだよ」と。
つまり夫婦も会話が途切れたら、おしまい。
喧嘩もしなくなったら、おしまい。
言い争うから、夫婦。
・・・ということらしい。

 で、今は、今度2人で、昼神温泉へいっしょに行こうと話しあっている。
浜松から直通バスが出る。
往復6000円弱。

私「お前さあ、ぼくのことを本当は嫌っているんだよ」
ワ「そんなことないわよ。勝手に決めつけないでよ」
私「いいのか、ぼくで?」
ワ「あなたしかいないのよ。よくても悪くても・・・」
私「そうだよなあ。ぼくにも、おまえしかいないし・・・」と。

 かくして今は、平穏+平和な日々がつづいている。

(補記)

 同時に今、ワイフとの間で、こんな会話をよくする。
「2人でオーストラリアへ移住しよう」と。
このときも同じような選択に迫られる。
「残り少ない人生だから、好き勝手なことをしよう」、
「やり残した感じはあるが、無難な余生を送って過ごそう」と。

 こうした(やり残し感)は、どうやらだれにでもあるものらしい。
つまり人生は、そのつど選択の連続。
その選択をしながら、もう一方の選択肢に未練を残す。
こうして私たちはトボトボと、(トボトボと、だ)、自分の道を歩く。


Hiroshi Hayashi++++++Sep 2010++++++はやし浩司

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