2010年9月4日土曜日

*Global Warming

【第三の選択】

●猛暑

暑い!
本当に暑い!
今日は昼寝をしただけで、気分が悪くなってしまった。
軽い熱中症にかかったらしい。
軽い頭痛と吐き気。

 私は子どものころは、暑さには強かった。
というより、夏の暑さが好きだった。
夏が近づいてくると、それだけでワクワクした。
そんな私だったが、今年の夏は、身にこたえる。
8月の気温にしても、平年より2~3度高かったという。
その暑さが今日もつづいている。

が、その前にみなさん、「平年」という言葉にだまされてはいけない。
平年というのは、過去30年間の平均気温をいう。
10年ごとに過去30年間の平均をとり、それを「平年」という。
だからたとえば、50年ごとに平均気温が10度ずつあがっても、
「平年より2~3度高い」で終わってしまうこともある。
仮にこの先、同じような夏が30年もつづけば、それが「平年並み」となる。

だから地球温暖化(火星化)にしても、50年前と比べてどうなのか。
100年前と比べてどうなのか。
そういう比較をしてみて、はじめてわかること。
たとえば私の子ども時代。
ちょうど50年前。
昨年は「冷夏」だったという。
しかしそれでも、私が子どものころの夏よりは、暑かった。
気温が30度を超えるのは、毎年梅雨が明けてから。
7月15~20日前後。
それに当時の夏は短かった。
8月15日の盆を過ぎるころには、冷気を含んだ秋風が吹き始めた。
川の水は冷たく、足を入れることもできなかった。
私たちは土手の上から、どこかものほしげに川面(かわも)をながめた。
それが夏の終わりだった。

●たった10年で!

 どうなるのか?
この先、地球は、どうなるのか?
それを考えると、ときどき足元をすくわれるような不安感に襲われる。
私たちのことはよい。
もうじゅうぶんに人生を楽しんだ。
それに……。
地球が火星化するころには、私たちはこの世にいない。

 が、子どもたちは、そうでない。
現在、5歳、6歳の子どもたちが、今の私の年齢になるころには、地球温暖化の
問題は、さらに深刻化しているはず。
忘れてならないのは、たった10年前には、科学者たちはこう言っていた。
「2100年ごろには、地球の気温は、3~4度上昇するだろう」と。
が、すでに瞬間的ではあるにせよ、2~3度も上昇している。
たった10年で!

 子どもたちを見ながら、申し訳ない気持ちになるのは、私だけだろうか。
今の今も、無力感を覚えながら、日々を何となくごまかして生きている。
そこにいる大罪から、わざと目をそむけながら、生きている。
「これではいけない」と思いつつ、結局は何もできない。
できることもない。
そのかわりデスクの横にある、カタログに目を通しながら、「つぎはどんな
パソコンを買おうか」などと考える。

 この無責任。
無感覚。
危機意識のなさ。
あるいは人間というのは、それを繰り返しながら、ますます鈍感になっていく
ものなのか。
つまり日々の日常性の中に身を隠し、脱力感とあきらめを繰り返しながら、
鈍感になっていく。

●第三の選択

 若いころ、『第三の選択』※という本を読んだ。
実際には、テレビを見て『第三の選択』という言葉を知り、そのあとあわてて、
その本を書店で求めて読んだ。

 恐ろしい本だった。
人類を救済するための方法が書かれていた。
核兵器で大気に穴をあけるとか(第一の選択)、地下に生活基盤を移すとか(第二の選択)、そんなようなことが書いてあった。
が、結局は一部の人類だけを救済し、あとは自滅するのを待つというような内容の
本だった。
それが第三番目の選択とか。
あとになって、ただのSF小説と知ったが、それを読んだときには、あまりのリアルさに、
身が震えた。
が、それが今、可能性を超えて現実の選択になりつつある。
60億以上の人々を救うことは、不可能。
人間が生来的にもつ欲望をコントロールするのは、不可能。
それをキリスト教で「原罪」というのかどうかは知らないが、もし人間が生まれながらに
してもつ「罪」があるとするなら、欲望こそが、「原罪」ということになる。

 だったら、一部の人間だけを救い、残りの私たちはいさぎよく「死」を選択する。
人類が全滅するよりはよい。
一部の人たちが、私たち人間が生きたという証(あかし)を、未来へ残してくれる。
もしその希望すら失ってしまったら、それこそ人間は何のために生きているのかという
ことになる。

●阿鼻地獄

 が、私が本当に恐れるのは、地球の火星化ではない。
その火星化に至るプロセスの中で、人間が地獄を経験すること。
それはまさに人間を人間の燃える火で焼く、阿鼻地獄。
どんなに想像力が豊かな人でも、その阿鼻地獄までは想像できないだろう。
人間が心の内部から破壊される。
そのとき人間は悪魔と化し、人肉をむさぼるようになる。
先に書いた「原罪」には、それほどまでに恐ろしい力がある。

 ……私たちにはそれに耐える力があるか?
それを乗り越えるだけの道徳や倫理、哲学を構築することができるか?
またそれまでに間に合うか?
「絶望」という言葉に敗れてはいけない。
最期の最期まで、人間は人間らしく生きる。
それは果たして可能なのか?

●火星

 20万年前。
一説によると、火星にも豊かな海があったという。
どうやら陸もあったらしい。
川が流れた痕跡もあちこちに残っている。

 が、それがこれまた一説によると、現在の地球温暖化と同じようなことが起き、
火星は今に見るような火星になったという。
地球より小さな惑星だったこともあり、温暖化は一気に進んでしまったらしい。
原因は何であれ、地球も今、同じような運命をたどりつつある。
恐ろしいのは、その変化が、だれの目にもわかるほど、速いということ。
ジワジワ……とか、徐々に……というのではない。
世界のあちこちで、ドカン、ドカンと起きている。
まだ散発的だからよい。
こうした変化がやがて連続性を帯びたときがこわい。
ひとつのドカンが終わる前に、つぎのドカンが起きる。
それがこわい。
不測の事態が不測の事態を呼び起こし、そのとき地球は、一気に破滅へと向かう。

 よく誤解されるが、地球温暖化は、2100年に終わるわけではない。
もしここで化石燃料の使用をいっせいにやめたとしても、「温室効果」はそのまま
残る。
つまり地球の温暖化は、そのあともつづく。
2100年は何とか通り抜けることはできても、2200年にはわからない。
2200年は何とか通り抜けることはできても、2300年にはわからない。
一説によれば、そのころ地球の気温は、400度近くまで上昇するだろうと言われて
いる。
400度だぞ!

●おバカ博士

 今夜も暗い話を書いてしまった。
「今夜こそ、明るい話題を」と思ったが、やはり書いてしまった。
できれば日々の日常性の中に身を隠し、「我、関せず」と、のんびりと生きたい。
またそういうテーマにしぼって、ものを書きたい。
それにこんなことを書いても、かえって読者の皆さんを不安にするだけ。
解決方法もない。

 そう、どこかのおバカ博士のように、パワーストーンでも売って、気休めを
したほうがよいのかもしれない。
「このブレスレットを腕に巻いていれば、悪魔は退散する」とか、何とか言って。
値段は、4万5000円。
もとは中国から仕入れた、安物の宝石。
5色の宝石。

 バカバカしい……。
バカバカしいが、人間は一方で、それ以上にバカなことを毎日している。
私もしている。
あなたもしている。
その結果が、今に見る、「地球温暖化」ということになる。
だれがあのおバカ博士を、どうして笑うことができるだろうか? 

 ……ということで、兎にも角にも、「精進」あるのみ。
日々に研鑽あるのみ。

 そうそう数日前、ある従兄弟とこんな会話をした。
私の母の三回忌をどうするかと聞いてきたので、「考えていない」と答えると、
「親の三回忌をしないで、どうする!」と。
今年の夏の暑さを考えたら、三回忌どころではない。
ないが、私はこう答えた。

「近く、寺へ行って、供養してもらってきます」と。

 そう答えた自分が、限りなくバカに思えた。
情けないほど、バカに思えた。
そう、もし第4の選択肢があるとするなら、みんなバカになって、バカのまま
死ぬこと。
ひょっとしたら、そのほうがよいかもしれない……とまあ、とんでもないことを
書き始めたので、この話はここまで。

とりあえず明日は土曜日だから、「原罪」について考えてみたい。
人間が生来的にもつ「欲望」について、考えてみたい。

 では、おやすみなさい!
ワイフは、すでに床に入って寝息をたてている。

(2010年9月3日、午後11時45分。
まこの時刻になっても、首下を流れる汗がまだ止まらない!)

●不眠

 時刻は今、午前2時30分。
2時間半も、寝床でもがいていたことになる。
原因は、寝る前に飲んだ、ウーロン茶(?)。
近くのコンビニで買ってきた。
濃厚なウーロン茶だった。
それを約1リットルも飲んだ。
それで頭が冴えてしまった。

 最近は少なくなったが、ときどきこういうことがある。
眠るタイミングをはずすと、そのまま寝損ねてしまう。
今がそうだ。
「早く眠らなければ……」と思えば思うほど、頭が冴えてしまう。

 で、思い切って起きてしまった。
床から出て、居間へ。
電気をつけて、このパソコンに電源を入れた。
どうせ明日は土曜日。
……というか、すでに土曜日。
こういうときは、なるように身を任せるのがよい。
眠くなったら寝る。

●週刊誌

 そのコンビニで、ワイフが買い物をしている間、いくつかの週刊誌を
立ち読みした。
その中のひとつの週刊文春。
「世界恐慌が近い」という記事が載っていた。
現在の世界経済は、あの世界恐慌の前の状況にたいへん似ているとか。
それに民主党の党首選挙。
「小沢一郎は、強制訴追を避けるため、党首選挙に打って出た」と。
総理大臣になれば、強制訴追されないですむ。

 ……いろいろな説が交錯している。
たしかに世界の経済はおかしい。
民主党もおかしい。
どちらもつかみどころがないほど、混乱している。
ドロドロというか、グチャグチャ。
まさに一寸先は闇。
明日、何が起きてもおかしくない。

●眠くなってきた

 少し眠くなってきた。
先ほど精神安定剤を半錠と、睡眠導入薬をひとかけら口に入れた。
風はぐんと涼しくなった。
よかった。

 一説によると、人間は、2、3日くらいなら、眠らなくてもだいじょうぶだそうだ。
それよりも気をつけなければならないのは、ストレス。
「眠らなければならない」と自分を追い込むと、それがかえってストレッサーに
なってしまう。
心身によくない。
だからここは自然体で臨むのがよい。

 ウム……。
かなり眠くなってきた。
まぶたが重くなってきた。

 明日は、(といっても、今日だが……)、近くのパソコンショップへ行ってくる。
2テラバイトのハードディスクが、9000円弱で売りに出されるとか。
買うかどうか、まだ決めていない。
が、ほしい!
2テラバイトというのは、つまり2000ギガバイト!
「すごい!」の一言。
それにしてもハードディスクも安くなったものだ。
たった10年前には、10ギガのハードディスクに驚いた。
それが今では、2000ギガ!
そのチラシを見ていれば、たぶん、眠ってしまうはず。

 では、みなさん、今度こそ、本当に、おやすみなさい!

 そうそう先ほど床の中で、母の三周忌は簡素にすますと決めた。
「地蔵十王経」(=日本でできた偽経※)の言いなりにはなりたくない。
あんなのは迷信以上の迷信。
(私は自分でちゃんと調べたぞ!)
形式的な儀式をすれば、それでよいというものでもない。
それで死者を悼むことができるというのは、どう考えても納得できない。
「墓参りだけは……」とは思うが、この暑さではどうにもならない。
もう少し涼しくなったら、考えよう。

 ……ということで、私には私なりの生き様がある。
これからはその生き様を、もっと明確な形で貫きたい。
残りの人生も少なくなってきた。
親類がどう言おうと、私の知ったことではない。
自分の生き様を確立できないような人は、世間に迎合して生きればよい。
好きなように私を批判すればよい。
 
(注※「第3の選択」Infoseek HPより)

『……米ソの間の秘密協定が疑われる中、ガーシュタイン博士はとうとう第3の選択の内容を明らかにする。それは環境の悪化によって住めなくなる地球を捨て、人類の選ばれた一部だけでも火星で生き延びさせるという驚くべき内容であった。(ちなみに第1は核兵器で大気の層に穴をあけ熱を逃がす。第2は地下に生活基盤を移す。もちろん選ばれし人々のみ)』(以上、「Infoseek HP」より。)

(注※「地蔵十王経」)

【堂々たる迷信】(初七日、四十九日の法要)

●地蔵十王経

「地蔵十王経」の由来については、ウィキペディア百科事典が、詳しく書いている。
難解な文章がつづくが、そのまま紹介させてもらう。

+++++++++++以下、ウィキペディア百科事典より++++++++++

仏教が中国に渡り、当地の道教と習合していく過程で偽経の『閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経』(略称として『預修十王生七経』)が作られ、晩唐の時期に十王信仰は成立した。また道教経典の中にも、『元始天尊説鄷都滅罪経』、『地府十王抜度儀』、『太上救苦天尊説消愆滅罪経』という同名で同順の十王を説く経典が存在する。
『預修十王生七経』が、一般的な漢訳仏典と際立って異なっている点は、その巻首に「成都府大聖慈寺沙門蔵川述」と記している点である。漢訳仏典という用語の通り、たとえ偽経であったとしても、建て前として「○○代翻経三蔵△△訳」のように記すのが、漢訳仏典の常識である。

しかし、こと「十王経」に限っては、この当たり前の点を無視しているのである。この点が、「十王経」類の特徴である。と言うのは、後述の日本で撰せられたと考えられる『地蔵十王経』の巻首にも、同様の記述がある。それ故、中国で撰述されたものと、長く信じられてきたという経緯がある。ただ、これは、『地蔵十王経』の撰者が、自作の経典の権威づけをしようとして、先達の『預修十王生七経』の撰述者に仮託したものと考えられている。また、訳経の体裁を借りなかった点に関しては、本来の本経が、経典の体裁をとっておらず、はじめ、礼讃文や儀軌の類として制作された経緯に拠るものと考えられている。

+++++++++++以上、ウィキペディア百科事典より++++++++++

要するに、「地蔵十王経」というのは、中国でできた偽経の上に、さらに日本でできた偽経ということ。
が、この「地蔵十王経」が、日本の葬式仏教の基本になっているから、無視できない。
たとえば私たちが葬儀のあとにする、初七日以下、四十九日の儀式など、この「地蔵十王経」が原点になっている。

+++++++++++以下、ウィキペディア百科事典より++++++++++

死者の審理は通常七回行われる。没して後、七日ごとにそれぞれ秦広王(初七日)・初江王(十四日)・宋帝王(二十一日)・五官王(二十八日)・閻魔王(三十五日)・変成王(四十二日)・泰山王(四十九日)の順番で一回ずつ審理を担当する。

ただし、各審理で問題が無いと判断された場合は次の審理に回る事は無く、抜けて転生していく事になるため、七回すべてやるわけではない。一般には、五七日の閻魔王が最終審判となり、ここで死者の行方が決定される。これを引導(引接)と呼び、「引導を渡す」という慣用句の語源となった。

七回の審理で決まらない場合も考慮されており、追加の審理が三回、平等王(百ヶ日忌)・都市王(一周忌)・五道転輪王(三回忌)となる。ただし、七回で決まらない場合でも六道のいずれかに行く事になっており、追加の審理は実質救済処置である。もしも地獄道・餓鬼道・畜生道の三悪道に落ちていたとしても助け、修羅道・人道・天道に居たならば徳が積まれる仕組みとなっている。

なお、仏事の法要は大抵七日ごとに七回あるのは、審理のたびに十王に対し死者への減罪の嘆願を行うためであり、追加の審理の三回についての追善法要は救い損ないを無くすための受け皿として機能していたようだ。

現在では簡略化され通夜・告別式・初七日の後は四十九日まで法要はしない事が通例化している。

+++++++++++以上、ウィキペディア百科事典より++++++++++

つまり人は死ぬと、7回の裁判を受けるという。
死後、七日ごとにそれぞれ、

(1)秦広王(初七日)
(2)初江王 (十四日)
(3)宋帝王(二十一日)
(4)五官王(二十八日)
(5)閻魔王(三十五日)
(6)変成王(四十二日)
(7)泰山王(四十九日)の順番で一回ずつ審理がされるという。

ただし、各審理で問題が無いと判断された場ばあいは、つぎの審理に回ることはなく、
抜けて転生していくことになるため、七回すべてやるわけではないという。

一般には、五十七日の閻魔王が最終審判となり、ここで死者の行方が決定される。これを引導(引接)と呼び、「引導を渡す」という慣用句の語源となったという(参考、引用、ウィキペディア百科事典より)。

わかりやすく言えば、最終的には、五十七目に、閻魔王が、その死者を極楽へ送るか、地獄へ送るかを決めるという。

私たちも子どものころ、「ウソをつくと、閻魔様に、舌を抜かれるぞ」とよく、脅された。
しかしこんなのは、まさに迷信。
霊感商法でも、ここまでは言わない。
もちろん釈迦自身も、そんなことは一度も述べていない。
いないばかりか、そのルーツは、中国の道教。
道教が混在して、こうした迷信が生まれた。
極楽も地獄も、ない。
あるわけがない。
死んだ人が7回も裁きを受けるという話に至っては、迷信というより、コミック漫画的ですらある。

法の裁きが不備であった昔ならいざ知らず、現在の今、迷信が迷信とも理解されず、葬儀というその人最後の、もっとも重要な儀式の中で、堂々とまかり通っている。
このおかしさに、まず私たち日本人自身が気づべきである。

「法の裁きが不備であった昔」というのは、当時の人たちなら、「悪いことをしたら地獄へ落ちる」と脅されただけで、悪事をやめたかもしれない。
そういう時代をいう。
「死」というのは、どこまでも厳粛なものである。
そういう「死」が、ウソとインチキの上で、儀式化され、僧侶たちの金儲けの道具になっているとしたら、これは問題である。
このおかしさ。
そして悲しさ。

仏教を信ずるなら信ずるで、もう一度、私たちは仏教の原点に立ち戻ってみるべきではないだろうか。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 地蔵十王経 初七日 四十九日 法要 偽経 第3の選択 第三の選択 地球温暖化 地球火星化)


Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2010++++++はやし浩司

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