【日中経済戦争】(1)
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まず敵を知る。
敵の内情を知る。
それが戦争のイロハ。
情報なくして、戦争はできない。
そこで今、中国経済がどうなっているか。
それを知る。
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●『VOICE』(以下V誌)
V誌の「中国経済・墜落に備えよ」(10月号)は、読み応えがあった。
それを読むと、中国経済は、かなりあぶない。
「墜落」という言葉も、そこから生まれた。
6人の識者が寄稿している。
(1)ビル・エモット氏……中国経済のキーポイントは、「インフレ」と説く。
(2)三橋貴明氏……異常な「投資依存経済」に、問題があると説く。
(3)岩本沙弓氏……バブル経済に問題があると説く。
(4)富坂聡氏……不動産バブルをどう始末するか、それで命運が決まると説く。
(5)片山修氏……中国の社会制度、商習慣に問題があると説く。
(6)何清連氏……上昇しつづける労務コストと、続発するストに問題があると説く。
つい数日前、中国のジニ係数が、実際には5・0を超えているのでは……という記事を
どこかで読んだ。
ジニ係数……「ジニ指数」ともいう。
イタリアのコッラド・ジニによって考案された「所得分配の不公平さ」を測る指標。
これによって富の偏在性や、エネルギー消費における不平等さなどに応用される
(ウィキペディア百科事典)。
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以前、ジニ係数について書いた
ことがある。
その原稿を掲載する。
日付は2008年となっている。
少し遠回りをするが、許してほしい。
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【豊かさとは何か】
●相対的貧困層
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貧困かどうかということは、
相対的な満足度によって決まる。
家と車と家電製品をもっていても、
貧しい人は、貧しい。
その日、その日を生きていくだけで、
精一杯という人も、少なくない。
そこで最近では、国の豊かさを
測る尺度として、「相対的貧困率」
という言葉を使う。
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生活の豊かさは、「モノ」では決まらない。いくら家と車と家電製品をもっていても、貧しい人は、貧しい。その日、その日を生きていくだけで、精一杯という人も少なくない。
そこで最近では、国の豊かさを測る尺度として、「相対的貧困率」という言葉を使う。わかりやすく言えば、生活に対する満足度ということになる。
それによれば、
メキシコ ……20・3
アメリカ ……17・1
トルコ ……15・9
アイルランド……15・4
【日本】 ……15・3
ポルトガル ……13・7
……
……
スウェーデン…… 5・3
チェコ …… 4・3
デンマーク …… 4・3、だ、そうだ。
(OECD24か国平均……10・4)(2005年)
日本は相対的貧困率でみるかぎり、貧しい国としては、上位5位ということになる。実際、「ワーキングプア」という言葉があることからもわかるように、この日本には、「働いても、働いても楽になれない」という人たちが、「全体の4分の1、400万世帯もある」(朝日新聞「キーワード」)そうだ。
これらの人たちは、最低賃金や、生活保護以下の収入しか得られない人たちという。つまりその分だけ、所得格差が進んでいる。ジニ係数(ジニ指数ともいう)でみても、日本は、OECD25か国中、第10位ということになっている。ジニ係数は、所得のかたよりを測る指数と考えてよい。
たとえば高所得者の4分の1の世帯が、全所得の4分の3を占め、残りの4分の3の人たちが、残った4分の1の所得を分けあう状態で、ジニ係数は、0・5となる。日本は、0・314(2005年)である。
……そういう意味では、この日本は、たしかに住みにくい国になりつつある。何をするにも、お金がかかる。どこへ行っても、お金がついて回る。まさに、マネー、マネー、マネーの国。お金がないと、それこそ、身動きができない。
そこで知恵をしぼって、たとえば休日でも、できるだけお金を使わないですまそうとする。お弁当を用意して、無料の公園を散策したり、山歩きをしたりする。が、それでもお金がかかる。どういうわけだか、かかる。そういうしくみが、できあがってしまっている。
言いかえると、お金を使わないですまそうと思ったら、家の中で、ゴロゴロしているしかない。しかしそういう生活を、だれも、豊かな生活とは言わない。つまり今、日本人の多くが感じている貧困感は、そういうところから生まれている(?)。
では、どうすれば、豊かに生きられるのか? 「豊か」というより、「心豊か」と言いかえたほうがよい。
私なりの実践法を並べてみる。
(1)家族が円満であること。これは心豊かに生きるための、第一条件。
(2)みなが、健康であること。これも心豊かに生きるための、第一条件。かりにだれかが病気であっても、それを前向きに受け入れてしまう。
(3)収入の範囲で、ほどほどの生活をする。できれば、常に最低限の生活を心がける。
(4)価値観を、(お金)から、(心)と(知恵)に移す。心の豊かさ、知恵の豊かさをもって、「豊か」と判断する。
(5)「私は私」という生き方を貫く。世間体、見栄、体裁は無視。冠婚葬祭を含めて、儀礼を廃する。
私はとくに(4)が大切だと思う。心や知恵は、みがけばみがくほど、そうでない人が、そうでなく見えてくる。他人に対して優越感をもつことは、好ましいことではないが、しかしそのうち、愚かな人たちを相手にしなくなる。「私は私」という生きざまを貫きやすくなる。
……ともかくも、相対的貧困率が高いということは、けっして望ましいことではない。社会がそれだけ不安定化することになる。また国の豊かさというのは、いかに弱者にやさしいかで決まる。弱者にきびしい国というのは、それだけ未熟な国ということになる。
【付記】
●拡大する貧富の差とこれからの受験勉強
この日本の社会では、静かに、密かに、しかし確実に、ジワジワと、貧富の差が拡大しつつある。
このことは、工場労働者の構成を見ればわかる。
近くのX自動車の下請けメーカーの中堅社員が、こんなことを話してくれた。
「社員といっても、何種類もいる。正社員のほか、パート社員、期間社員、アルバイト、人材派遣会社からの派遣社員などなど。
さらに最近では、一応社員なのだが、独立した仕事だけをして帰る社員もいる」と。
「どういう仕事ですか?」と聞くと、「たとえば会社で出す、人材募集のチラシを作ったり、社内報を作ったりする社員です。しかしこの社員は、社員というよりは、独立したアルバイトといった感じです。社会保険にも入れず、もちろんいっさいの保証はありません」と。
手厚く保護される正社員。しかしその一方で、冷遇されるそれ以外の社員(?)たち。年俸にしても、数百万円以上もの差がある。が、「安い」だけではない。労働条件は、かえってきびしい。少しでもヘマをすると、即、クビという状態だそうだ。
この日本では、今、確実に、貧富の差が、広がりつつある。やがてそのうち、社会問題化するのも時間の問題といってよい。数字を見てみよう。
厚生労働省が04年6月に発表した、ジニ指数(世帯ごとの所得格差を示す)は、調査を始めた84年から、7年連続で、拡大をつづけている。
昨年(04年)は、そのジニ指数が、0・498と、かぎりなく0・5に近づきつつある。
0・5という数字は、高所得者の4分の1の世帯が、全所得の4分の3を占めることを意味する。残りの4分の3の人たちは、残った4分の1の所得を分けあうことになる。
しかしこの数字を、深刻に考えている政治家は、少ない。……いない。経済界にいたっては、なおさらで、むしろ、こうした格差を歓迎しているふうですら、ある。理由がある。
「こうした差こそが、やる気のある人にやる気を出させ、経済を活性化させる」と。
つまり力があり、やる気のある人がいい生活をして、そうでない人が、そうでない生活をするのは、当然ではないか、と。そういう冷徹な論理である。が、どうもそれだけではないようだ。
「この世の中では、支配階級と、だまってそれに従う階級がなければ、そもそもマネー社会(=マネー資本主義)は成りたたない」という論理がある。みなが平等になり、中産階級になってしまえば、社会の活力そのものが、停止してしまうという。例がないわけではない。
かつて私が留学していたころのオーストラリアが、そうだった(1960~70年代)。
当時のオーストラリアでは、年俸が、確か2万2000ドル(この数字は正確ではない)を超えると、とたんに、所得税率が極端にあがるしくみになっていた。だから、みな、2万ドル分までは働くが、それ以上に働いても意味がないというように考えるようになった。
こうして「レイジー・オージー(怠け者のオーストラリア人)」が生まれたわけだが、この制度は、オーストラリアの活力そのものまで奪ってしまった。(もともと、土地を掘れば、鉱物資源が無尽蔵に出てくるという、ラッキーな国であったことも事実である。)
だから経済界あたりでは、むしろ、貧富の差を助長することこそ、重要であるというような考え方をする。はっきり言えば、マスター(ご主人様)がいて、それに従順に従う、スレイブ(奴隷)がいたほうが、経済の活性化のためには、つごうがよいということになる。
だから、官僚たちは、恥ずかしげもなく、こう言う。「林さん、労働者には、金(マネー)をもたせてはいけないのですよ。金をもったとたん、働かなくなりますから。万博でも何でもいい。そういうのを開いて、労働者に金を使わせる。貯金させてはいけないのですよ」と。
これはある官僚から、私が直接聞いた言葉である。だから万博に反対というわけではない。経済界の論理というのは、そういうもの。
それを知ってか、知らずか、地方の貧しい人たちが、バスに乗って、万博を見にくる。マンモスの像を見て、「マンモスだ」「マンモスだ」と、喜んでみせる。そこにある種の悲しさを覚えるのは、はたして私だけであろうか。
話がそれたが、この貧富の差が大きくなればなるほど、またまた受験競争が燃えあがる。だれしも勝ち組に入りたいと願っている。「せめて、自分の子どもだけは……」と願っている。それが子どもの受験競争に拍車をかける。
1995年~2000年にかけて下火になってきた、いわゆる受験産業が、このところまた息を吹きかえしつつ。そんな事情の背景には、こんな事実が隠されている。
悲しいかな、今、この日本で、「受験」に背を向けて生きられる人(子ども)は、ほとんど、いない。そしてその傾向は、これから10年、さらにはげしくなる。貧富の差がはげしくなればなるほど、なおさらである。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 ジニ指数 ジニ係数 貧富の差 受験競争 ジニ指数)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●ジニ係数
話を戻す。
「係数の範囲は0から1で、係数の値が0に近いほど格差が少ない状態で、1に近いほど格差が大きい状態であることを意味する。ちなみに、0のときには完全な「平等」、つまり皆同じ所得を得ている状態を示す」(ウィキペディア百科事典)と。
ジニ係数の計算方法については、「日本共産党」のHPに載っていたので、そのまま転載させてもらう。
**********以下、日本共産党のHPより***********
《ジニ係数の算出方法》
ジニ係数の算出方法は、次の手順をふんで計算します。
(1)対象となる集団に含まれるすべての数値間の差の絶対値を合計して、平均する(これを「平均差」という)。
(2)全体の平均値を計算する。
(3)平均差を全体の平均値の2倍で割る(2倍で割るのは、ジニ係数を0と1の間に収めるため)。この結果がジニ係数です。
たとえば(245万円、362万円、826万円)のジニ係数は次のようになります。
(1)(―245-362―+―245-826―+―362-245―+―362-826―+―826-245―+―826-362―)/6
=2324/6=387.3(平均差)
(2)(245+362+826)/3=1433/3=477.7(平均値)
(3)387.3/(2×477.7)=0.4054
よって、ジニ係数は、0.4054
(注・― ―は絶対値記号)
**********以上、日本共産党のHPより***********
●ジニ係数、0・5
中国のジニ係数も、0・5を超えているのではないかと言われている。
先にも書いたように、0・5というのは、おおざっぱに言えば、高所得者の4分の1の世帯が、全所得の4分の3を占めることを意味する。
残りの4分の3の人たちは、残った4分の1の所得を分けあうことになる。
たとえば10世帯の人が、1億円を稼いだとする。
ジニ係数0・5の社会では、2・5人が、7500万円を自分のものにする。
平均所得は、3000万円となる。
残りの2500万円を、7・5人の人が分け合う。
平均所得は、333万円となる。
3000万円と333万円。
その格差は、約10倍となる。
つまりジニ係数が0・5を超えるほどになると、不公平感が増大し、社会そのものが、不安定化する。
今の日本もあぶないが、中国は、もっとあぶない。
つまりこのジニ係数には、ひとつの盲点がある。
●ジニ係数の盲点
ウィキペディア百科事典は、こんな例をあげている。
そのまま紹介させてもらう。
『……例えば、ある高級住宅地に年収10億円の人が99人、年収1兆円の大富豪が1人いるとする。そこでこの高級住宅地に住む100人を対象にジニ係数を計算すると約0.91となり、非常に格差が大きいが、年収10億円でもかなりの高収入であり、この状態が悪いとは一概に言えない』と。
つまり日本でいう「0・5」と、中国でいう「0・5」には、本質的なちがいがある。
不平等は不平等だが、年収333万円でも、何とかそれなりの生活を維持することができる。
年収3000万円の人を、ときに「うらやましい」と思うことはあるが、「まあ、そんなものかな」と、たいていは黙って見過ごすことができる。
しかし中国のような発展途上にある国では、そうでない。
1人当たりの国民所得が全体的に低い国では、不平等感は相乗的に大きくなる。
今日の食費もままならない家庭が大半を占める一方で、外国製の大型車を乗り回す家庭が、その隣にある。
中国政府がもっとも恐れている部分は、実はここにある。
アキレス腱といってもよい。
不公平感が、いつその矛先を中国共産党に向けてくるか。
ハラハラドキドキ!
あの天安門事件にしても、その不公平感が引き金となったことは、よく知られている。
●三橋貴明氏の卓見
三橋貴明氏は、『異常な「投資依存経済」に、問題がある』と説く。
V誌の記事を読み比べたとき、氏の記事がいちばん核心をついている。
中国政府は、外国からの投資を呼び込むことで、自国の発展をつづけてきた。
(このこと自体は、すでに10年以上も前から常識だったが……。)
一方外国は、日本のような国から金(マネー)を借り、それをいったん売り(=円安になる)、ドルに交換したあと(=ドル高になる)、中国に投資してきた。
現在、中国向けの最大投資国が、この日本であることも忘れてはいけない。
三橋氏の意見を要約してみる。
(1)中国政府(共産党)は、「保八」(=経済成長率を8%に保つ)に固執している。
(2)が、世界経済は縮小傾向にある。
(3)そこで中国政府は、外資を呼び込むことで、8%成長率を維持しようとした。
(結果、2009年の中国のGDPにおける「投資(民間投資+公共投資)」が占める割合は、45%以上になっている。)
(4)が、国内では、そうした外資を使うとことがない。
(5)そこで中国政府は、「融資指示」という形で、銀行に各方面に融資をすように指示した。
(6)が、それを受けた銀行は、設備投資ではなく、その半分近くを、株式と不動産市場に流した。
(7)中国バブルは、こうして発生した。
(8)結果、人の住まない住宅やマンションが続出。今やその状態が、狂乱化している。
(9)が、本来ならその一方で、個人消費が伸びなければならない。
(10)しかし中国人は、本来、守銭奴(私の言葉)傾向が強い。拝金主義もその背景にある。対GDP比における個人消費率は、35・6%(09年)。欧米先進国は、約60%前後。つまり得たお金を、消費に回さず、貯蓄に回している。
以上の結果「……こうなると、またまた政府支出(公共投資)に頼り、中国共産党政府はGDPの下支えをせざるをえなくなるだろう。
結局のところ、極端な投資(および輸出)依存で成長をつづけている中国は、先進諸国のような大衆消費社会を築くこともなく、成長の袋小路に突き当たる可能性がきわめて高い」(三橋貴明氏)と。
●具体的に……
こうした経済論は、一家の家計にたとえてみると、理解しやすい。
(私はいつもそうしているが……。)
あなたはバリバリの亭主関白。
一家の独裁者。
見栄っ張りで虚栄心が強い。
だから近所でもいつも大物ぶっている。
が、それを支えているのは、金(マネー)。
収入。
あなたはいつも豪語している。
「オレの家は、繁盛している。どうだい!」と。
が、近所はみな、景気が悪い。
思うように仕事が入ってこない。
家には7人もの子どもがいる。
みな、腹をすかせている。
しかしここで弱みを見せるわけにはいかない。
そこであなたは、隣町(=外国)から借金を重ねる。
「私に金を貸せば、儲かるあるヨ」と。
そこで金を借り、家族に渡すが、女房がこれまた稀に見る拝金主義者。
札束を仏壇にあげたまま、使おうともしない。
子どもたちが腹をすかせ、ギャーギャーと泣いていても、知らぬ顔。
あとは離れを増築したり、通路を大理石で覆ったり……。
が、元高にすることもできない。
元高にしたとたん、売り上げが減ってしまう。
外資も引き上げてしまう。
そこであなたは何とか、その不満を、外に向けさせなければならない。
そこであなたは近所の人たちに、いちゃもんをつけることにした。
通りを歩いていたら、どこかのんきな日高さん(=日本)が歩いていた。
その日高さんにわざと自分から体当たりし、こう言って怒鳴る。
「よくもテメエ、オレにぶつかりやがったな! ただですまさないあるぞ!」と。
それを家の中で見ていた7人の子どもたちが、手を叩いて喜ぶ。
「父ちゃん、かっこいいあるね!」と。
……とまあ、今回の一連の事件の流れを大きく見ると、そういうことになる。
●日中経済戦争
かくして日中経済戦争は始まった。
ルールなし。
「ない」というより、相手にはルールは通用しない。
では、どうするか。
中国の強引さには、目に余るものがある。
しかし中国のアキレス腱をうまくつつけば、中国は明日にでも崩壊する。
たとえば現在、円高ということもあって、中国は日本への借金返済に苦しんでいる。
へたをすれば、不渡りを出しかねない。
そうでなくてもバブル経済は崩壊中。
この6月(2010年)を頂点に、住宅販売価格も下落し始めた!
あぶないのは、日本ではない。
中国である。
その中身を、これからも検証していきたい。
負けるな、日本!
がんばれ、日本!
ついでに一言。
がんばれ、管さん!
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 日中経済戦争 住宅販売価格の下落)
(注)推敲しないまま、BLOGに掲載。誤字、脱字を許してほしい。
2010/09/27記
Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2010++++++はやし浩司
2010年9月27日月曜日
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