2010年7月15日木曜日

*Kira Kanko Hotel (Kirakan)

●吉良温泉、「きらかん」(吉良観光ホテル)

【吉良上野介(きたこうずのすけ)】



●YOUTUBEへは

http://www.youtube.com/watch?v=Q3Utf1s_9Ho

+++++++++++++++++

今日は、愛知県吉良吉田町にある温泉に一泊。
ホテルの名前は、『吉良観光ホテル』。
「きらかん」というのが、正式のホテル名らしい。
このあたりでは老舗(しにせ)旅館。
部屋は10畳から12畳。
間取りは広い。
何といっても特徴は、あのケーブルカー。
山の上の露天風呂までは、ケーブルカーであがる。
その風情というか、遊び心が楽しい。

旅館のエレベーターの中に、こんな文字が見えた。
「吉良上野介うんぬん」と。
「まさか!」と思ってフロントに電話をかけ確かめる。
「ここに吉良上野介の菩提寺があります」と。
ギョッ!
知らなかった!

吉良上野介の領地はあちこちにあった。
その中でも当領地が一番大きかったということで、
菩提寺は、ここに定められたとのこと。
吉良家とは、何やら深い縁がありそう(?)。

が、窓の外は、あいにくの雨。
対岸の知多半島は霧で煙っていた。
雨が嫌いというわけではない。
晴天も悪くないが、雨模様のほうが、旅をする者
にとっては、心が休まる。
落ち着く。

露天風呂の湯は少し熱かった。
その熱気が、小雨の粒で調和され、心地よかった。
シーズンオフということもあって、入浴客は
私と長男だけ。
近くの木々や湯を打つ雨の音が、心をなごませる。

「きらかん」……吉良観光ホテルは、料理よし、
風呂よし、サービスよし、星は4つの★★★★。
交通の便はあまりよくないが、それがかえって
この温泉郷を、穴場に仕立てている。
(アクセスは、名鉄電車で吉良吉田下車。
送迎サービスがあり。)

眼下には、海水浴場も見える。
夏場は、にぎわうはず。

雲間に飛びかうトンビを、のんびりとながめる。
過ぎ行く時間を、しばし忘れる。

「きらかん」(吉良観光ホテル)……三河湾国定公園、吉良温泉内。
電話……0563-32-1181

++++++++++++++++++++

●午後7時

 午後7時というのに、外はまだ明るい。
雨もあがり、遠くに細く長く、知多半島が見える。
先月はその先端にある、伊良湖ビューホテルに泊まった。
それを思い出しながら、伊良湖岬の先端をさがす。

 ところで夕食のとき、右足のひざの下あたりに、1円玉大の赤い斑点を見つけた。
中央がやや盛り上がっていた。
何かの虫に刺されたらしい。
周辺部がやや黒ずんでいるところをみると、刺されてからかなり時間がたっているらしい。
気がつかなかった。
ダニでもない。
蚊でもない。
が、ハチだったら、こんな大きさではすまない。
痛くもかゆくもない。
なんだろう?

 ふと「がんだったら……」と思った。
皮膚がんについての知識を、懸命に頭の中からさがす。

 形が不定形。
出血がある。
乳首のようにでこぼこしている、など。
皮膚がんにもいろいろある。
そんなことを考えながら、「これからは何があってもおかしくないな」と思う。
が、不思議なことに、恐怖感はあまりない。
「あと10年、体がもてばいい」とか、そんなふうに考える。
そのころ私の健康寿命は終わり、そのあとは、死に向かって病気を繰り返す。

●体調

 実のところ、この数日間、体調は最悪だった。
自分を支えるのもつらいほど、体をだるく感じた。
原因も理由もわからなかった。
ほかに症状もなかった。
たぶんに季節的なものとは思うが、今までにないだるさだった。

 時間があればふとんの上で体を横たえた。
が、それで疲れが取れたわけではない。
そのままいつまでも眠っていたい……そのつどそう思った。

その私が今日は、吉良温泉へ。
が、人間の体というのは不思議なものだ。
動き出せば動き出すもの。
「ええい、ままよ!」と動き出したとたん、疲れを忘れてしまった。
足(大腿部)が痛いのも、足の裏がだるいのも、みな、忘れてしまった。
旅行にはいつも小型のバッグをもって歩くが、その重さも忘れてしまった。
「気力」というのは、そういうもの。
もう少し正確には、自律神経というのは、そういうもの。

 夕食を食べるころには、体のだるさも取れ、頭の中もすっきりとしてきた。
熱い風呂にがまんして入ったのが、よかったかも?

●ためしてガッテン

 夕食後、また露天風呂に入ってきた。
客は、4人組みの女性客と、私たち3人だけらしい。
ホテルには申し訳ないが、私たちは貸し切り気分を楽しんだ。

 今、時刻は午後9時になるところ。
テレビではローカルニュースを放送している。
少し前、「ためしてガッテン」(NHK)という番組を見ていた。
登山と下山の仕方を話していた。
私はいつも下山するとき、足を痛める。
その番組を見て、その理由が、はじめてわかった。

 結論から先に言えば、下山するときは、大またで歩かないこと。
小またで歩くこと。
心拍数があがらないため、どうしても大またで歩いてしまう。
そのため大腿筋がズタズタに切れてしまう。

 この世の中には、私が知らないことがまだ、山のようにある。
山どころではない。
私が知っているのは、山の一部の、そのまた一部に過ぎない。
その番組を見ながら、そんなことを考えた。

●風呂

 露天風呂には、不思議な魅力がある。
たとえば私は、結婚して以来このかた、ワイフといつもいっしょに入浴している。
そのため今では、ワイフを「女」と見ることは、まず、ない。
ワイフも私の前では、平気。
私を「男」と意識することはない。

 しかし露天風呂の中のワイフは、まるで別人のよう。
別人のように色っぽく見える。
美しく見える。
これはどうした心理的作用によるものなのか。
(ただしワイフは、私に対して特別な変化を感ずることはないようだ……。)

 つまり「男」には、それぞれ特有の性癖のようなものがある。
女性の下着に興味をもつ人もいれば、スカートの下に興味をもつ人もいる。
太った女性がよいという人もいれば、汗臭い女性がよいという人もいる。
私のばあいは、入浴中、あるいは入浴後の女性に、色気を覚える。
若いころは、風呂あがりの、あの独特の石鹸ににおいをかいだだけで、ムラムラと
した。

 こうした性癖は、いつどのようにして作られるのか。
私が正常というわけではない。
私以外の人がそうでないというわけでもない。
人、それぞれ。
が、正直に、本当に正直に書くが、私にはマゾ趣味、サド趣味はない。
男としても「濃い男」で、同性愛には、まったく関心がない。
スカートの下など、頼まれても、のぞきたくない。
「便臭」などは、その臭いがしただけで、性欲が消えてしまう。
が、入浴中の女性にはぞっとするような美しさを感ずる。
エドガー・ドガの描いた絵に、『浴盤(たらいで湯浴みする女)』
というのがある。
あの絵などは、私が大好きな絵の一枚である。

 幼いころ、そういう受容体が、心のどこかにできたせいだろう。
思い当たるのは、銭湯で女湯を垣間見るのが好きだったこと。
番台に料金を払うときに、横目でチラリと女湯のほうをのぞく。
それが楽しみで、銭湯に通った。

●正常vs異常

 となると、正常、異常とは何かということになる。
あるいはそういうことを論ずること自体、無駄ということになる。
こと「性」に関して言うなら、正常もなければ、異常もない。
どんな行為も、一定のワクの中に収まる。
ワクの中に収まる以上、どんな行為も正常ということになる。

 ただこの問題は、(相手)をともなう。
相手が納得するなら、それでよし。
どんな行為も、そのワクの中でなら許される。
そうでないなら、そうでない。
「スカートの下をのぞきたい」と思うのは、その人の勝手。
しかしのぞかれた人が不愉快に思うなら、それは反社会的行為となる。
つまり「犯罪」。

●ドーパミン

 肉体は刺激を受けると、その信号は、脳の中の「脳幹」に伝わる。
その脳幹は刺激を受けて、ドーパミンを分泌するよう指令を出す。
ドーパミンは、欲望と快楽を司る脳内ホルモンの一種である。
覚せい剤と分子構造がたいへんよく似ている。

 そのドーパミンが、大脳辺縁系を興奮させる。
甘い陶酔感で満たす。
これが性的な快感へとつながっていく。

 で、問題は、その「刺激」。
男性と女性とでは、メカニズムがかなりちがう。……らしい。
男性は視覚的な刺激を受けて、脳幹はドーパミンを分泌するよう刺激を出す。
一方、女性は、全身が性感帯。
その分だけ刺激も強烈。
それを証明するのが、シータ波という脳波である。
女性のばあいも、オルガスムスを感じたときシータ波が出現するが、その強さは、
男性のそれの10倍前後と言われている。
(10倍だぞ!)
しかも時間が長い。

 よけいなことを書いてしまったが、先に書いた「ワクの範囲」というのは、それをいう。
つまり私たちが正常、異常と言っているものは、その「ワクの範囲」の中の反応でしか
ないということ。
もっと言えば、私やあなたを超えたところにある、「脳みその問題」ということ。

●午前4時40分

 長男がトイレに起きたのをきっかけに、目が覚めてしまった。
時計を見ると、午前4時40分。
昨夜は冷房がききすぎていたせいか、よく眠られなかった。
朝、起きたら、ワイフにしがみついて寝ていた。
私は血圧が低い。
それもあって、寒さには弱い。
とくに足の先が冷えると、目を覚ましてしまう。

 窓の外は、ぼんやりと明るかった。
ぼんやりと橙色の雲も見える。
昨夜、仲居さんが、朝日は山に隠れて見えませんと言った。
しかし……?
何とか、期待できそう。

●キラカン
 
 この部屋は12畳もある。
303号室。
玄関をあがると、1間半くらいの廊下がつづき、その先に部屋がある。
廊下の材木は、無垢(むく)のケヤキ。
老舗の旅館ということが、そういうところからもわかる。
空調の音も、ほとんど聞こえない。

 こうした旅行では、私たちはいつも早朝に食事をすませ、そのまま帰宅する。
早く帰れば、朝の日課に間に合う。
……といっても、私の仕事は、いつも午後から。
原稿を書いたり、ネットにそれをUPLOADするのが、私の日課。
お金にはならないが、だからこそ、楽しい。
お金に追われて仕事をするのは、それだけでストレスがたまる。

●雨雲

 雨は降っていない。
が、雨雲が低く、遠くの山々すれすれのところにまでおりている。
トンビの鳴く声。
カラスの鳴く声。
耳を澄ませば、波の音も聞こえる。

 そう言えば、数日前、知人の1人が狭心痛の発作(?)で、市内の病院に入院した。
一度、同じような症状が出て、そのときは簡単な手術で退院した。
「夜中に、自分で車で連れていきました」と、息子氏は言っていた。
年齢は78歳。
大柄の太った人だった。
「……だった」と書くと、もう亡くなってしまったかのように思う人がいるかもしれない。
ここ10~15年ほど、会っていない。
それで「……だった」と書いた。

 心筋梗塞と脳梗塞は、ペアで襲ってくる。
ともに血栓性の病気。
無事であればよいが……。

●童心

 外はかなり明るくなってきた。
鉛色の空、鉛色の海、その間にあって白くかすんだ島々。
近くには小さな島も見える。
深い緑に包まれ、じっとそこにたたずんでいる。
その右端には、船の航路灯があって、時折赤い光を点滅している。

 6時になったら、もう一度、露天風呂に入ってみるつもり。
あのケーブルカーが気に入った。
ケーブルカーに乗って、山の上の露天風呂に行く。
「キラカン」だけの特別サービスである。
乗ったとたん、私は童心に返った。

 そのあとの食事は、7時半からとか。
窓の外を見ると、さらにいっそう、景色が明るくなっていた。
その景色を、黒いカラスが、鳴きながら真一文字に横切っていった。

●デジャブ

 思考力が低下した?
ほんの少し前までは、こうしてものを書いていると、つぎからつぎへと、
いろいろなことが頭の中に浮かんでは消えた。
が、今は、それはない。
ぼんやりとカーテンがゆらめくのを見たり、ベランダに散った私物をながめたりする。

 ……子どものころ、町内の遠足で、この蒲郡(がまごおり)には、ときどき来た。
海水浴のためである。
だからというわけでもないが、この景色には、どこか見覚えがある。
来たことはないはずなのに、どこか見覚えがある。
こういうのを「デジャブ」、つまり「既視感」と言う。
わかりやすく言えば、「偽記憶」。

 「デジャブ」というのは、はじめて来た場所なのに、以前に一度来たような錯覚に
とらわれることをいう。
どこか霊的なパワーのなせるワザのように思う人もいるが、偽記憶は偽記憶。
記憶というのは、底なしに広い。
その中の一部が、目の前の景色とダブる。
改めて「吉良吉田へは、今日、はじめて来た」と、自分に言って聞かせる。

●記憶

 デジャブと逆の現象は、夢の中で経験する。
来たことがある場所なのに、それがどこかを思い出せない。
私のばあい、まったく見たこともない家なのに、自分の家と思い込むこともある。
記憶というのは、いいかげんなもの。

一説によると、たとえばどこかの旅館に泊まったとする。
そのとき、旅館の名前、場所、雰囲気、料理、風呂などの記憶は、脳の別々のところに
格納されるそうだ。
どこかにまとまって格納されれば、もう少し記憶を取り出しやすくなるかもしれない。
バラバラの格納されるから、思い出すときに苦労する。
コンピューターでいうような、「最適化」はできないものか。
 
 だから前回泊まったような旅館のようなばあい、とくに関連性のあることについては、
覚えている。
旅館とその風呂とか、旅館とその料理とか……。
しかしそれ以外の付随したことについては、どこの旅館のことだったのか、それがよく
思い出せない。
「あのみやげを買ったのは、どの旅館だったかな?」と。

●同窓会

 話がバラバラになってきた。
昨夜は、性欲について書いた。
今朝は、記憶について書いている。
が、これでは旅行記にならない。

 そう言えば、今度金沢で大学の同窓会がある。
数日前、連絡の手紙が届いた。
どこかの旅館を借りて、するという。
一泊、1名、2万5000円。
夫婦2名で、5万円。
かなりの大名旅行ということになる。
というのも、往復の旅費を入れると、10万円を超える。
この2月に同窓会があったばかりだから、今回は失礼するつもり。
……というより、同窓会に出てこられる人は、健康的にも恵まれた人たちばかり。
金沢周辺に住んでいる人も多いが、半数以上は石川県外に住んでいる。
今、ふと「脳梗塞にでもなったら、どうするんだろう?」と思った。
「車椅子に乗っていくしかないな」とも思った。

 やはり健康が許すなら、同窓会には出るべきなのか。
出られるうちは、出るべきなのか。
そのうち出たくても、出られなくなるかもしれない。
「失礼するつもり」と書いたが、迷いが生じてきた。
健康であることを喜びあう同窓会なら、10万円など、安いもの。
金額で考えるほうが、おかしい。

●再び……

 水平線はさらに明るくなったが、視界はかえって悪くなった。
見えるはずの対岸の渥美半島の島々が見えない。
空はすっかり雨模様。
で、時刻はもうすぐ6時。

 これから露天風呂へ。
楽しみ!

●やる気と性欲

 やる気と性欲は密接に関連しあっている。
やる気を司る中枢も、性欲中枢も、視床下部にある。
視床下部からの信号を得て、やる気(生的エネルギー)が生まれる。
性欲中枢、それに食欲中枢も、その視床下部にある。
一説によると、男性の性欲中枢を司る中枢部は、女性のそれの2倍ほどの大きさが
あるという。
(だから男性は、その分だけ、攻撃的ということになるのだそうだ。)
また女性の性欲中枢は、食欲中枢と隣接しているという。
そのため女性のばあい、食欲が満たされると、性欲が増大するという説もある。
(反対に男性のばあいは、飢餓状態になると、かえって性欲が増大するという。)

 ともあれ、やる気と性欲は、密接に関連しあっている。
あれほどやる気に苦しんでいた私が、こうして旅行に来て、温泉につかっただけで、
気分が変わった。
ただの肉塊にしか思っていなかった(ごめん!)ワイフが、色っぽく見えた。
性欲を感じた。
とたん、やる気が出てきた。
頭の中もすっきりしてきた。

 ……何度も、「これは私の思い過ごしか?」と自問してみたが、どうも、そうではない
らしい。
たしかに浜松を出るときと今とでは、気分がちがう。
やはり転地療法というのは、してみるものだ。

●記憶

 もうひとつのテーマ。
記憶。
 
 こうしてときどき旅行する。
しかし1、2か月もすると、旅行の記憶は、たいはんが消えてなくなる。
そこで私のばあい、できるだけ写真を撮ったり、ビデオに動画を収めたりするようにして
いる。
だれのためでもない。
私のため。

 若いときは未来に向かって、思い出を残した。
今はちがう。
今を忘れないために、思い出を残す。
さらに言えば、それは私自身との闘いでもある。
すでに私の脳みその底には、穴があいている。
その穴から、知識や経験、それに思い出がどんどんと流れ落ちていく。
そういう自分との闘いでもある。

 ……少し大げさかな?
旅行なんだから、もう少し気楽に考えればよい。
忘れたら忘れたとき。
そのときはまた別の旅行を楽しめばよい。

●帰りの電車の中で……

 今、この文章を、帰りの電車の中で書いている。
窓の外には、三河湾が断続的に見える。
たった今停まった駅が「子どもの国」。
駅の名前が「子どもの国」。
あたりを見回してみたが、それらしい建物は見えない。
深々とした緑のヤブと、古い寺。
しばらく行くと砂浜が見え、その向こうに小さな半島が見える。
あとは日本なら、どこにでも見られるような、雑然とした民家。

 「子どもの国」というくらいなら、ディズニーランドのような入り口でもあれば
よい。
つぎの駅に着いたときには、そう考えていた。

 ……こうして私の旅行記は終わる。
2010年7月15日。
愛知県、蒲郡にて。
楽しかった!

来月は、ちょっとリッチに、藤枝にある超有名な旅館に泊まる。
お楽しみに!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 きらかん 吉良観光ホテル 吉良温泉 愛知県吉良温泉)

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。