●下楠昌哉著『妖精のアイルランド』(平凡社新書)
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一度、読んだ。
それから数年。
再び、今日、読んだ。
下楠昌哉著、『妖精のアイルランド』(平凡社新書)。
といっても、下楠昌哉氏のその本は、新書版ながら、
1日や2日で読みきれるものではない。
密度が濃いというか、アイルランド文学に造詣(ぞうけい)
の深い人でないと、垣間見る文学史に振り回されてしまう。
しかし読みこなすほどに、おもしろさが伝わってくる。
不謹慎なたとえかもしれないが、おいしいスルメを
かんでいるような心地。
そんな感じになる。
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●日本とアイルランド
日本とアイルランドは、地勢的に、正反対の位置にある。
日本があるあたりを、「極東」と呼ぶ。
同じように考えると、アイルランドのあるあたりは、「極西」ということになる。
極東と極西。
しかし下楠昌哉(以下、下楠氏と略)のこの本を読む限り、「極東」というときの辺鄙(へんぴ)さを、アイルランドについて感じないのは、なぜか。
たとえば私が若いころ、この日本は、「奇異なる国」と呼ばれていた。
もちろん西洋的視点から見た印象だが、その「奇異さ」は、日本から一歩外に出てみると、よくわかった。
が、アイルランドを、「奇異なる国」と呼ぶ人はいない。
●アイルランド人
一方、私たち日本人の視点から見ると、イギリス(ブリィテン)も、アイルランドも同じ・・・に見える。
しかし実際には、イギリスとアイルランドは、言葉も文化もちがう。
風俗、習慣もちがう。
家の構え方もちがう。
アイルランドの流れを汲む民族的一派(ケルト人)は、フランスを含めて、大西洋の西岸で、独特の文化圏を作り上げている。
今でもそれぞれの地で、その国の言語(ゲール語)を話している。
私の印象では、イギリス人とアイルランド人は、日本人と朝鮮人ほど、あるいはそれ以上にちがう。
アメリカでもオーストラリアでも、アイルランド人というよりは、アイルランド系の人は、簡単に見分けられる。
(もちろん混血の人も多いが、それでもアイルランド系の人たちは、アイルランド系の人たちどうしで、集まる傾向が強い。)
●アイルランド人
オーストラリアへ渡ったとき、最初にできた友人は、ドイツ系の学生だった。
「ベア君(Beare)」という名字で、それがわかった。
つぎに仲良くなったのは、「キシア君(Kishere)」だった。
彼はイギリスでも名門の出で、イギリスで発行されている名士辞典には、彼の祖先の名前が載っている。
が、だれよりも私に大きな影響を与えたのは、ガールフレンドの、Jだった。
その彼女が、アイルランド出身だった。
独特の、あの訛(なま)りのある英語を話した。
●ドリンキング・ソング
アイルランドには、民謡として、「ドリンキング・ソング」というのがある。
酒場などで、酒を飲んだようなときに歌う、あの歌である。
めちゃめちゃ陽気な歌である。
オーストラリアのフォークソングは、そのドリンキング・ソングの影響を強く受けている。
明らかに替え歌というのも、多い。
が、ここで誤解してはいけないことがある。
こうしたドリンキング・ソングにせよ、フォークソングにせよ、底なしに明るいからといって、彼らの性格もそのまま明るいということにはならない。
むしろ事実は逆。
うつ病タイプの人が、ときとして陽気にはしゃぐのに似ている。
悲しみやさみしさ、つらさを吹き飛ばすために、彼らはドリンキング・ソングを歌う。
・・・歌った。
私は、そのドリンキング・ソングが大好き。
今でも、そのいくつかを、正確なアイルランド訛りで、歌うことができる。
Jがよく歌って、教えてくれた。
●妖精
下楠氏の『妖精のアイルランド』を読んで、興味深いのが、「妖精」のイメージ。
日本で「妖精」というと、かわいい女の子、あるいはどこかいたずらっぽい女の子を連想する。
ピーターパンに出てくる、ティンカーベルも、その1人。
しかし実際には、恐ろしい。
アイルランドの妖精は、恐ろしい。
日本的に言えば、「怨念をもった幽霊」に近い。
「妖精信仰」という言葉もある。
下楠氏は、ラフカディオ・ハーン(日本名:小泉八雲)の次のような言葉を引用している。
「妖精信仰は、実に恐ろしげで陰鬱なものである。
そこにはユーモアなどない。
極度の恐怖が主題なのである」と。
ここまで読んで、鋭い読者の方なら、もうお気づきのことと思う。
ラフカディオ・ハーンはやがて日本の地を踏み、そののち、あの『怪談』を著す。
あの『怪談』に出てくる陰鬱さこそが、実は、アイルランドの妖精信仰とその底流でつながっているもの。
ハーンの父親は、そのアイルランド人だった。
・・・というより、下楠氏の『妖精のアイルランド』によれば、「その血筋の一端を、アイルランドに有しているのである」ということである。
ラフカディオ・ハーンは、かなり複雑な幼少期を過ごしている。
●下楠氏
下楠氏の本を読みながら、実は、私はまったく別のことを考えていた。
実は、下楠氏と私は、2人の娘さんを通して、知己(ちき)の間柄だった。
私は2人の娘さんを、4~5年、教えさせてもらった。
たいへんというか、きわめて知的レベルの高い子どもたちで、その後、京都でも有数の進学校に入学したと聞いている。
昨年の夏に、突然、私の教室を訪問してくれた。
下楠氏とは、そのたびに、私の教室で顔を合わせている。
当時、下楠氏は、静岡文化芸術大学助教授の地位にあった。
『妖精のアイルランド』の奥付の著者欄には、「上智大学大学院博士後期課程終了。文学博士」とある。
その下楠氏と別れて、もう数年がたつ。
「早いものだ」と思ってみたり、「二度と会うことはないだろう」と思ってみたりする。
遠い人になってしまったが、本を手にとったとたん、そこに下楠氏がいるような気がした。
人の出会い、別れ、そしてその人への(思い)というのは、そういうものか。
改めて、『アイルランドの妖精』のもつ重みを、ズシリと感ずる。
1968年生まれというから、下楠氏が生まれたのは、私がUNESCOの交換学生として、韓国に渡った年である。
年齢的には、私より21歳若いということになる。
(私は1947年生まれ。)
が、私には、逆立ちしても、こんなすばらしい本は書けない。
1ページ読むごとに、そう感じた。
それだから・・・というわけでもないが、下楠氏には、ある種の罪悪感すら覚える。
これといって失礼なことをした覚えはないのだが、ともに人生の一部を共有しながら、その(共有)を、私は生かすことができなかった。
そのときは、「さようなら。お元気」だけで終わってしまった。
「もっといろいろなことを教えてもらえばよかった」という後悔の念がそれを包む。
先に書いた、ガールフレンドだったJは、その後白血病になり、兄の住むドイツに渡った。
そこでギリシャ人と出会い、結婚。
最後の手紙は、ギリシャの小さな町からのもので、そこで音信は途絶えた。
あのJも、アイルランドの妖精だったかもしれない。
下楠氏の本を読みながら、そんなことも考えた。
Jのことは、『世にも不思議な留学記』の中に書いた。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page195.html
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 下楠昌哉 下楠昌哉著、『妖精のアイルランド』(平凡社新書)
Hiroshi Hayashi++++++June 2010++++++はやし浩司
2010年6月15日火曜日
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