2010年6月19日土曜日

I am defeated

●ワールドカップ(サッカーW杯)

●勝てば官軍?

「勝てば官軍」。
「負ければボロクソ」。
サッカーほど、それがはげしいスポーツもない?
数日前、日本は、対カメルーン戦で勝った。
それに対して、日本中が狂喜した。
それは、わかる。
わかるが、スポーツはスポーツ。
どこかで一線を引かないと、スポーツがスポーツでなくなってしまう。
反対に負けたばあいのことを、想像してみればよい。
そういうことは、過去にも、何度もあった。
逆に、ボロクソに叩かれる。

●狂喜とボロクソ

つまり「狂喜する」のも、「ボロクソに叩く」のも、同じではないかということ。
サポーターやファンはそれでよいとしても、監督や選手にとっては、そうでない。
勝っている間は、サポーターやファンは、心強い味方。
しかし負ければ、こわい。
敵になる。
つまりサポーターやファンの身勝手に振り回されてしまう。
いつだったか、日本代表が負け戦を重ねて帰国したとき、空港には、だれも出迎えなかった。
が、本来、そういうことは、あってはいけない。

●心の一線

同じように、仮に勝ったとしても、それはそれ。
どこかで一線を引く。
我を忘れるほどまで、狂喜してはいけない?

仮に負けても、よい試合であったら、監督や選手たちをほめる。
ねぎらう。
(もちろん勝てば、称えるが……。)

そういう冷静さを失ってはいけない。
つまり今のサッカーには、(日本だけではないが)、そういう冷静さが欠けている。
こんなことを書くと、ファンの人たちに袋叩きにあう。
それはよく知っている。
しかしたかが「ボールの奪い合い」(ごめん!)。
その試合のときは狂喜したり、激怒したりするのは、かまわない。
当然のこと。
しかしそれはそれ。

●子どもの受験

子どもの受験でも、同じようなことが言える。
親たちは、自分の子どもが合格することだけを考える。
そのための準備をする。
しかしそれ以上に大切なことは、不合格になったときの準備も、しっかりとしておくということ。
不合格になっても、動揺しない。
子どもの健闘を称える。
そのためにも、「受験」くらいのことで、おおげさに一喜一憂しない。
それが結局は、子どもの心を守ることにつながる。

●監督の気持ち

同じように、サッカーにしても、勝つ、負けるは、時の運。
みなは、勝つことしか考えていない。
しかしそれ以上に大切なことは、負けたとき、それをどう受け入れるか。
その心の準備ををしておくこと。
それが結局は、監督や選手の心を守ることになる。
それがわからなければ、あなたも一度、監督や選手の気持ちになって、ものを考えてみたらよい。

勝てば狂喜してくれるサポーターやファン。
だが、それと同じエネルギーで、負ければ、今度は何をされるかわからない。
ばあいによっては、殺されるかもしれない。
(実際、殺された選手もいる!)
その(こわさ)を、監督や選手は、よく知っている。
が、そんな気持ちでは、よい試合などできるはずがない。

●結局は、自分のため

子どもだって、そうだ。
自分が合格すれば、親は狂喜する。
それがわかっていると、落ち着いて勉強できない。
不合格になったら、親は、今度は同じエネルギーを、逆に向ける。
そのエネルギーが、どんな形で現われてくるか、わかったものではない。
子どもにしてみれば、それがこわい。
不安になる。

それでも勉強するとしたら、もう自分のためでしかない。
自分のために、勉強する。

そう「自分のためにする」。
だれのためでもない、自分のためにする。

●プレッシャー

……ということで、現在の監督や選手の気持ちは、これに近いものではないか。
少なくともサポーターやファンが大騒ぎするほど、監督や選手は、私たちのことなど眼中にない。
相手にしていない。
その孤独感というか、孤立感には、相当なものがある、……はず。
ワールドカップという、世界最大のスポーツの「場」であるだけに、私たちの想像もつかないようなプレッシャーもある。
監督や選手は、そのプレッシャーとも闘わねばならない。
私たちが見るべきものがあるとすれば、むしろそちらのほうではないか。

●独特の風格

 名前を出して恐縮だが、私の教室に、かつて藤田選手(元ワールドカップ正規選手)や、鈴木選手(同じく前ワールドカップ正規選手)の子どもたちが、生徒として、通ってくれた。
どちらも、2~3年、通ってくれた。
そのこともあって、こうした選手たちと、個人的に何度か話す機会がった。
が、そういう世界で活躍した選手には、独特の風格というか、すごみがある。

「背中の向こうには、日本がある」。
そんな(風格)である。
話していても、こちらのほうがどんどんと小さくなっていくのがわかる。
そういう(すごみ)である。
 
つまりそういう経験をした人は、私たち凡人を、はるかに超越している。

●今夜は、対オランダ戦

今夜は、日本の第二戦。
相手は、オランダ。
ここ40~50回、対外試合で負けたことがないという。
すべて勝つか、引き分け。
そんなオランダを相手にして、日本は戦う。

もちろん私は応援する。
ぜったいに応援する。
が、これだけは心に決めている。
我を忘れて応援するのは、試合中だけ。
勝ったからといって、狂喜するようなことはしない。
負けたからといって、ボロクソに叩くようなことはしない。
どちらであるにせよ、試合のあとは、静かな気持ちで、彼らの健闘ぶりを称えたい。

がんばれ、日本!
力を出し切れ、日本!
試合まで、あと4時間!

(追記)

結果は、0-1で、オランダに負けた。
とても惜しい試合だった。

しかし日本は、よく戦った。
すばらしかった。
感動した。
まだどこか消沈した気分だが、一言。
よくやった!
ありがとう!


Hiroshi Hayashi+教育評論++June.2010++幼児教育+はやし浩司

●敗北感

敗北感。
なんとも言えない、敗北感。
それがぼんやりと、心の中で漂っている。
今は、そんな感じ。

少し前、私が2年近く使っていた、HPのサーバーが、
全面的に暗号化ソフトを導入すると言い出した。
この16日から、それが実行された。

悪質なウィルスが、蔓延している。
その対策措置として、その会社は、そうした。
つまりこれからは、編集したHPは、そのつど暗号化した上で、
FTP送信をかけなければならない。

そこまでは、私にもできた。
つまり「FTP送信」までは、私にもできた。
しかしいくら「送信済み」の表示が出ても、
肝心の画面に、変化、なし。
悪戦苦闘の結果、つぎのことがわかった。

サーバーのほうに、「html」のデータ(キャッシュ)が
残っているため、いくら上書きしても、
その残っている方が、優先して表示されてしまう、と。

そこで悪戦苦闘。
冷や汗をタラタラと流しながら、徹夜で作業をつづけた。
で、やっとたどりついた結論がこれ。

一度、サーバーの「html」のデータを削除し、
改めて「htm」データをUPLOADする、と。
そこまではわかったが、ではどうやってそれをすればよいか。
どうやれば、「html」のデータが削除できるのか!
その方法がわからない。

で、サーバーに問い合わせると、つぎのような
返事(回答)が届いた。

「使っているホームページ作成ソフトによって、
方法は、みなちがう。
ソフトの販売会社のほうへ問い合わせてみてほしい」と。

しかし私が現在使っているソフト会社は、とっくの
昔に、どこかの会社に吸収され、今は、ない。
つまり、お手上げ!

もう一度、最初からweb言語を勉強しなおすことも考えた。
とりあえず「html」と「htm」のちがいくらいは、知りたい。
が、今の私には、そんな時間は、ない。
余裕もない。
そんなこともあって、昨日は、この2年間で、BLOGの更新をはじめてサボった。
時間がなかった。

では、どうするか?

方法はひとつ。
現在、15前後のサービスを利用している。
それをひとつずつ、こまめに別のサーバーに乗り換えていくしかない。
めんどうな作業がつづくが、しかたない。

それにしても、いやな敗北感。
パソコンに、負けた。
若い人たちに、負けた。
新しい技術に負けた。
……このまま私は、インターネットの世界から、はじき飛ばされていくのか?


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