2011年1月21日金曜日

*Rationalization of Mind

●BLOGタイトル最前線の子育て論byはやし浩司






【合理化】(合理化という非合理)

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自分の中にある失敗や挫折。
それから生まれる憎しみや怒り。
それを相手のせいにしてしまう。
つまり相手が、自分に対して、
憎しみや怒りをもっているから、
自分もそれに反応しているだけ、と。
これを心理学の世界では、「投影」という。
自分の心を、相手の心にそのまま
投影し、自分の感情を合理化する。

夫婦の間、親子の間、友人や近隣の
人たちの間で起こりやすい。
さらには教師と生徒の間でも、よく見られる。
国際外交の場でも、よく見られる。

が、この投影のこわいところは、
それにとどまらない。
いわば妄想のひとつ。
妄想が強ければ強いほど、ときとばあいに
よっては、それが思わぬ事件へと発展
してしまう。

「あいつが悪いから、オレはこうなった
のだ!」と。
思い込みがはげしければはげしいほど、
敵意と攻撃心も大きくなる。
国際外交の場では、それが戦争につながることも
珍しくない。

その投影についてはたびたび書いてきたので、
ここではその先。
「合理化」について、考えてみたい。

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●合理化

 たとえば買った宝くじの券をなくしたとする。
カバンに入れておいたはずなのに、ない。
どこにもない。
そういうとき心は、それから発する不快感を消すために、たとえばこう言って、
自分をなぐさめる。
「どうせハズレに決まっている。今まででも、当たったためしがない」と。

 こうして(紛失したという失敗)を合理化する。
自分に対する怒りを、収める。
これが心理学でいうところの「合理化」である。

 こうした合理化は、日常生活の中でよく経験する。
で、ここではもう一歩、話を先に進めてみたい。

●子育ての失敗

 こと子育てについては、「失敗」という言葉ほど無意味なものはない。
失敗の連続。
それが子育て。
が、それでも「失敗」と思うようなことがあったとしよう。
そういうとき、親は、こう思う。
「私が子育てで失敗したのは、私の両親(祖父母)が悪いからだ。
私はちゃんとした家庭で育っていない。それが原因だ」と。

 実は、私も、若いころ、よくそう思った。
わかりやすく言えば、よく親を恨んだ。
そしてそれから生まれる敵意や攻撃心を、親(私の両親)に向けた。
「どうして、ちゃんと私を育ててくれなかったのだ」と。

たとえば私の父は、2、3日おきに酒を飲んで暴れた。
それが私には、つらかった。

●私の父

 が、当時は、そういう時代だった。
戦後直後ということもあった。
みな、食べていくだけで、精一杯。
家庭教育の「カ」の字もない時代だった。

 たとえば私などは、家族旅行などといったものは、小学6年生までに、ただの1度
しか経験していない。
(ただの1度だぞ!)
その1度も、父が旅行先(伊勢参り)で酒を飲んでしまい、そのままパー。
私と母は、その夜のうちに実家へ戻ってしまった。

 が、その原因といえば、あの「戦争」だった。
さらに言えば、父が酒に溺れるようになったのも、あの「戦争」だった。
父は、台湾で貫通銃創を受けている。
傷痍(しょうい)軍人として帰国。
今で言う、PTSDになっていたとしても、おかしくない。

が、それ以上に、価値観の変化に、父はついていけなかったのかもしれない。
それまでは、天皇を神と仰いでいた。
その神国日本が敗れ、天皇は「人」に戻った。
今にして思えば、父が受けた落胆感には、相当なものがあったはず。

●合理化の修正

 が、それがわかるようになったのは、私が40歳を過ぎてからのこと。
それまではわからなかった。
わからなかったから、子育てで行き詰まるたびに、私は両親を恨んだ。
恨んで、自分の失敗を、合理化しようとした。

 といっても、その程度のことは、みなしている。
「私の親はすばらしかった」と思っている人は、まず、いない。
みな、どの人も自分の親を踏み台にし、さらにそのつぎの親を目指そうとする。
私だけが特別だったとは、思っていない。

 先に「子育ては失敗の連続」と書いたが、それ以上に、親にはその余裕がない。
毎日の生活に追われる。
仕事に追われる。
家族を支えるだけで、精一杯。
私にしても、そうだった。
それがわかったとき、私の私の親たちに対するものの考え方が変わった。
「私の親たちも、戦後のあの時代の中で、生きていくだけで精一杯だった」と。

●国際社会では

 要するに、人は自分にとって不愉快なものからは、目を遠ざけようとする。
自分にとって都合のよいものだけで、見ようとする。
さらに自分にとって都合の悪いものがあったとしても、それを合理化によって、
自分のつごうのよいものに、作り替えようとする。
こうして人は、自分の「心」を防衛する。

 たとえば視点を大きく広げてみよう。

 現在、アメリカと中国は、(そして日本も)、印刷機をフル回転させて「札」を印刷
している。
すでに世界のあちこちで、(この日本でも)、インフレの兆候が見えだした。
が、こうしたインフレで、そのしわ寄せ的打撃を被るのは、中進国以下の国々。
政情も不安定化する。
アメリカやEU、それに日本のような先進国は、そういうインフレを乗り越える力が
ある。
世界の資金が、ドル、ユーロ、円、ほかに金やプラチナに集約される。

 が、日本は、そういう「事実」を知っていながら、あえて目をつぶる。
知らぬフリをする。
これも合理化といえば、合理化ということになる。
「悪いのは、それだけの努力をしていない、中進国以下の国々」と。

●合理化の恐ろしさ

 合理化がはげしければはげしいほど、人は、自分の姿が見えなくなる。
ばあいによっては、それが妄想を引き起こし、先にも書いたように、敵意や攻撃心に
変化することもある。
実際に行動に移せば、たいていのばあい、取り返しのつかない結果を招く。

 たとえばあの北朝鮮は、韓国に対して軍事攻撃をしかけたのは、韓国の責任と
主張している。
韓国内部にも、そう主張して、北朝鮮を擁護する勢力がある。
「そこまで北朝鮮を追い込んだ、韓国のほうが悪い」と。

 もしこんな論理が正当化されるなら、あらゆる強盗が正当化されてしまう。
「私は強盗などしたくなかった。しかし私に強盗をさせた社会が悪い」と。
合理化の恐ろしさは、ここにある。

●反省

 そこで大切なことは、心が本来的にもつ、そうした弱点というか盲点を、何らかの
形でカバーするということ。
「自分を知る」ためのひとつの方法ということになる。

たとえば何か、自分にとって不都合なことが起きたら、即座に「相手が悪い」と
決めつけてはいけない。
何かを見落としていないかを、反省する。
つまり人は、その瞬間、瞬間に、つねに自分を合理化しながら生きている。
程度の差もあるだろう。
が、つねに合理化しながら生きている。
そういう前提で、そのつど、自分を見直してみる。

 で、最後に一言。

 この合理化が一度進むと、その相手とは、会話ができなくなる。
たとえばあなたの息子(娘)が、「自分が不幸なのは、親のせいだ」と言ったとする。
あなたの息子(娘)は、自分を合理化しているだけ。
が、その合理化には、つねに狂信性がともなう。
先にも書いたように妄想性が強ければ強いほど、そうなる。
つまりその時点で「合理」は「非合理」に変身する。

 一度、そうなったら、夫婦であるにせよ、親子であるにせよ、あるいは近隣の人や
親類の人であるにせよ、遠ざかるのがベスト。
たがいに時間をかけ、頭を冷やす。
相手の非合理性を指摘しても意味がないばかりか、かえって火に油を注ぐことに
なりかねない。

 ご注意!

(注)何とも中途半端な原稿です。
書き足りないところもありますが、後日推敲し直すことにし、ここではそのままBLOG
に載せます。

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という非合理)


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【BW子どもクラブ】(時計の学習・年長児)

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今週は、年長児のクラスでは、時計の学習を
してみました。
途中でカメラのバッテリー切れ。
55分のレッスンでしたが、そのうちの35分
を紹介します。

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