●離婚が悲劇になるとき(10%のニヒリズム)
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離婚というと、夫婦だけの問題と
考える人は多い。
しかしけっして、夫婦だけの問題ではない。
その夫婦を包む、家族の問題でもある。
こんな話を聞いた。
その老夫婦(ともに65歳)には、2人の
息子がいる。
その2人の息子が、相次いでこの数年間の
うちに離婚してしまった。
それぞれに3人ずつの子ども(孫)がいた。
つまり息子たちの離婚によって、その夫婦は
一度に6人の孫を失ったことになる。
こういうケースのばあい、いくら離婚しても、
元夫には、面会権のようなものが残る。
家事調停の場で、そのような取り決めもできる。
「養育費を支払うかわりに、月に1度は元夫と面会
させる」と。
が、家事調停らしい調停もしないまま、
つまり妻の方が、一方的に家を出てしまった。
また2人の息子にしても、この不況下。
養育費を支払う能力はなかった。
こうなると、本当に「失った」という状態になる。
それまでは毎年のように行き来していた家族だったが、
離婚と同時に、縁は切れた。
たがいに相手を罵倒しあうような状態になってしまった。
……この話を聞いたとき、私は、「孫も考えもの」と
思うようになった。
というのも、私にも3人の息子がいる。
うち2人は結婚している。
で、もし離婚ということになれば、孫たちは
元妻側に引き取られることになる。
そうなったとき、ショックは、大きい。
事実、ここに書いた老夫婦は、それ以後、一度に
10年は老(ふ)けてしまったという。
息子たちとの関係も切れてしまったという。
一度は、家族全体(老夫婦+息子たち+孫)の写真を、
誇らしげに年賀状に載せたこともある。
が、それも一時の夢で終わってしまった。
これを悲劇と言わずして、何と言う?
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●10%のニヒリズム
こういう話を聞くたびに、「10%のニヒリズム」という言葉を思い出す。
どこかの塾の教師が教えてくれた。
つまりいくら全力投球しても、最後の10%だけは、自分のためにとっておけ、と。
100%投球してしまうと、万が一のとき、そのあとがない。
夫婦はともかくも、親子、親戚、近所づきあいなどなど。
とくに教育の世界では、そうかもしれない。
傷つくのは、いつも一方的に、こちら側だけということになる。
事実、私のばあいも、その子どもに全力投球しながらも、別の心で、つまり10%の
部分で、「この子も、いつか去っていく」と考える。
心の準備を怠らない。
またそれがあるからこそ、「さようなら」「元気でね」と、さわやかに別れることができる。
一見、ニヒリズムに見えるかもしれない。
しかしこれはこの複雑な社会を楽しく生き延びるためのコツということになる。
Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司
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