Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司
●長男の家庭内暴力
【兵庫県にお住まいの、KWさんより、はやし浩司へ】
はじめまして、高校1年の長男の事で悩んでおり、メールしました。
私、夫、長男、中学の長女と小学生の二男の5人と夫の母と父がおります。
同居しています。
今は家の近所のアパートに私と妹と弟は寝泊まりし、食事作りや洗濯は家で行っています。
朝は、祖父母の家に娘たちを呼んで朝食を食べさせ登校させてます。
家を離れる決断は、1年前の8月、長男が高校受験の年に決めました。
長男から長女への執拗な攻撃がひどくなり、このままでは長女が人間らしい生活ができないと思い決心しました。
長女への暴力は長年あり、最後には息もできない状態で自由を奪い小声でしか話せなくなりました。
長女が祖父母宅に居れば、目でどこか行けと指示したり、長男が妹達の勉強部屋にこっそり来て、暴力や物を破壊したりと、長女は言葉を発することは少なくひそひそ声で話しておりました。
また、長男が中学2年ごろには長女に家の裏側へ来るように二女に命令し難癖をつけ、しばしば暴力を奮っていたようです。
長女への暴力は長男が小学校のころからあり、私がいない時にやっていました。顕著に家庭内暴力と言えるきっかけは2点あります。
長男が中2の時、私の親が事故にあい、私1人で親の面倒をみるようになり、子供のことを振り向けず実家の事に精一杯でいた時、長男が部活でレギュラーから落とされたと後になって分かりました。
そのまま中3を迎え、一番なりたくない先生が担任になり、1学期の担任との面談で本人と私の前でずるいだのと全否定する言葉をなげつけられ、その日をきっかけに私への暴力は始まりました。
中学時代はその担任が主導して、弱い子に暴力をふるったり、いやみや、罰与えが日常茶飯事の学年でした。
1度長男も中1の時その担任に、お腹を訳もなく殴られました。
絶対に家に帰って、いやな事や恥ずかしいことは言わない子です。
長男は中学に入る時から高校入試の事を非常に意識しており、レベルも高いところを志望しておりました。内申が思うようにつけてもらえず悩んでいたと思います。
高校受験の頃には長男の緊張は更に高まってきました。
結局受験は失敗し、行きたくなかった高校ですが、進学校であり優秀な生徒も多い高校に行くことになりました。
入学後、頑張ろうとしましたが、ついていけず2度目の挫折を味わうことになりました。高1の春先には急性胃腸炎で4日休み、今までの失敗で自信も持てないところへ、全体でも下の成績になり本人もショックなのでしょうが、まだ、勉強は諦めていないようです。
何とかしたいけど分からず、もがいて、参考書や文房具を沢山買い、塾へも2ケ月位行きました。塾の参考書がほしいかったのだと思います。
今年のお正月には激しい暴力を私に振るわないと気が済まないようで、妹を近づけるにはすごく危険な状態でした。
私への暴力の原因は、冬休み前の面談で先生がなんとか赤点はあるが留年にならないレベルと言われた事と、他の子は私立に行かせてもらってるっていう気持ちで親に感謝して頑張っている子が多いという事を聞き、私が「よくこれでやってるね。」と言ってしまい、その言葉が暴力へ引き金となった様に思います。
そのあとすぐ、塾も辞め何もかもやる気もなくなったようにも見えます。
暴力の内容は、思いっきり側頭部や太ももや腕をたたいたり、けったりします。
髪の毛をわしづかみにして私を家から追い出します。
お正月には、長男が弟と遊びたくて、凧揚げしたかったらしいです。
長男が弟を呼んでも妹は怖いから行かないし、電話をかけて出なかったりで長男の怒りが高まってしまいました。
数日後、長男が弟と家で逢った時、弟を髪の毛を引っ張って“何で俺の言う事が聞けなかったのか“と、蹴ったりもして私が帰宅し止めたこともありました。
急に激こうしたり、自分では加減しているところもあるのかもしれませんが、危険に見え、妹への暴力が放っておけず私が間に入り、それがまた長男は憎い様です。
昨日は長女と家の前で出くわし、お腹を思いっきり叩いて塾へ入るよう命令し、最後に背中を足蹴りし長女は家の柵に胸を打ちつけました。
長女はそのままアパートへ帰り部屋で閉じこもっておりました。
長女は2度とあんな家に行かないし、家の前も通らないと言ってました。
何度かこういう事が、離れてから起きています。
塾へ行かせたいのは、中学の塾の参考書が欲しいのが目的です。
自分も中学の時その塾に通っております。
ここ数日は長男は常に怒り状態で危険な顔つきをしております。
また、高校の友達は学校の中だけで一切付き合いがありません。
長男の生育史は、小学校へあがるまでは、今と違う町におり3歳までは私とべったりの生活でしたが、妹が生まれてからは保育園に入り急につき放された状態でした。
私も3歳以降、余裕もなくスキンシップはほとんどなかったと思います。
やんちゃで、聞かん気も強く友達には意地悪はできず、そのストレスは家に持ち帰るタイプの子で、長男が妹に手を出すと私が間に入って、長男に仕返しをしてしまいました。主人も夜遅く帰り、その分土日だけは長男に関わってくれました。
長男の年長の終わりに風邪をこじらせてから、朝お腹が痛いを言うようになり、登園が難しくなりだしました。
小学校入学を機に今の家を建てましたが、やはり 簡単に登校拒否の状態は治らず、小1の2学期途中に全く行かなくなり、3学期を迎えた頃、急に登校しました。
お腹の痛い症状はときどきありましたが、小3の頃にはスポーツ少年団に入ったりと小学校時代は輝いていました。
幼児期には、ダメダメ言って完ぺき主義に育て、感情的に長男へ当たり、言葉の暴力と叩いたりもして、抑圧して言う事を聞かせていました。
甘えたい時期に妹達が生まれ、甘える事が出来ず、長女との仲裁に私が入った事が憎しみなっていると思います。
私の状況としては、結婚当初から、姑舅と近くに住んでいる義姉との関係に悩み、いやな思いはありその気持ちは主人には分かってもらえず、子供たちも気づいていました。
当時は主人に分かってもらえないのが悲しかったです。
息子が小3になり、私も家にいるのが見張られているようなので少しづつアルバイトを始め現在はフルタイムでなく常勤の事務パートをしております。
やはり、家族がバラバラで父親と2人は寂しく、父親は平日10時過ぎに帰宅するので、長男1人でいる時間が夜は長く、孤食で冷めたご飯を食べたりの状態です。
暴力を受けた長女は、長男と正反対の性格ですが、かなりトラウマがあり、暴力の話はしたくない様で心の底に溜まっていると思います。
長男を憎んでいます。
長男の憎しみと、恨みはどの様に解決していけるか分かりません、心を見せないし今の生活で戻ると妹への攻撃が爆発すると思うし、離れていると私への甘えが未解決のままです。
過去の確執はありますがおじいちゃん、おばあちゃんも心配しており、一緒に長男と話し合いをしたいと思いますが良いのでしょうか?
このような状況になっている事が、あの時あんなだったと笑って言える日が来るようにしたいです。
また、これからの夏休みをどう過ごせばよいのかなどの不安もあります。どうか、今できる事はどういうことなのか、最優先することは何かアドバイスを頂ければと思います。 よろしくお願いします。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●反動形成
長男(以後、K君とする)の家庭内暴力の遠因は、すでにこのメールの中に書かれている。
溺愛と過干渉、そして突然の愛情変化。
幼児期にいじってはならない2つの感情がある。
嫉妬と攻撃(残虐)性。
その「嫉妬」をいじってしまった。
嫉妬をいじると、相手が弟であれ、妹であれ、兄(姉)は、その相手を殺すところまでする。
いじめるとか、暴力を振るうとかいうレベルではない。
「殺す」ところまでする。
嫉妬というのは、そういう感情をいう。
ある兄(6歳児)は、弟を家の隅に連れて行き、いつもその弟を逆さづりにして、頭から落としていた。
別の兄は、弟に向かって、全力で自転車で体当たりしていた。
それを見ていた近所の人が、「ギャーッ!」と声を張り上げたほど、残酷なシーンだったという。
が、こういうケースのばあい、上の子は、両親の前では、別人のようによい兄(姉)を演じたりする。
心理学の世界では、「反動形成」という言葉を使って、それを説明する。
K君は、下の妹が生まれたことで、はげしい疎外感を味わった。
それが嫉妬に転化し、動物的な攻撃性となって、それが現れた。
●混乱期
思春期前夜(10歳前後)から、子どもの心は不安定期に入る。
脳の中で、はげしい変化が起き始める。
それは自分であって、自分でない変化ということになる。
心が満たされないことによる、葛藤感。
未来への不安と心配。
わがままと自己中心性。
不平、不満。
が、何よりも(自分の将来を定められない渇望感)。
それに(自分は嫌われているという焦燥感)。
こういったものが混然一体となって、この時期の子どもを襲う。
それは恐ろしいほどのケイオス(大混乱)と言ってよい。
火事と地震、それに台風。
それらが同時に起きたような状態ということになる。
K君はやりようのない自分を、そのまま身近にいる妹や母親に、ぶつけている。
「そんなことをすれば、ますますみなの心は離れてしまう」。
それを知りつつ、その自分をどうすることもできない。
それほどまでに、K君の心の中で起きている変化は、大きい。
が、ひとつだけ忘れてはいけない。
母親も苦しいかもしれない。
しかしそれ以上に、K君自身も、苦しんでいる。
心の緊張感から、逃れることもできず、もがいている。
ただその処理方法が、わからない。
●心の別室
心療医学の世界では、「うつ」ということになる。
突発的に発生する錯乱状態。
ささいなキーワードが引き金になることが多い。
ある女の子(6歳児)は、母親が「ピアノのレッスンをしましょうね」と声をかけただけで、錯乱状態になり、母親に包丁を投げつけたりした。
K君のばあい、外の世界では仮面(ペルソナ)をかぶる分だけ、その不平、不満を内的世界に抑圧しやすい。
私は「心の別室」と呼んでいる。
この心の別室には、時効(時間がたてば忘れる)や、上書き(よい思い出がそのあとあっても、上書きされることはない)がない。
ときと場合に触れて、「あのとき、お前は!」となる。
それこそ、50歳になっても、60歳になっても、出てくる。
ある老夫婦は、喧嘩になるたびに、40~50年前の話を持ち出して喧嘩していた。
「心の別室」を軽く考えてはいけない。
K君は、恐らくはげしい嫉妬心から、幼児期にその(心の別室)を作ってしまった。
で、これはあくまでも程度の問題だが、心の別室が、それほど大きなものでなければ、「それに触れない」という形で接する。
心の別室は、だれにでもある。
が、それが程度を越えれば、それは「教育」の問題ではなく、(もちろん心理学の問題でもないが)、「医療」の問題ということになる。
今では(こだわり)を取る薬にしても、たいへんよい薬がある。
精神安定剤にしても、よい薬がある。
私自身も、もともと情緒が不安定な人間なので、市販のハーブ系安定剤、漢方薬を、それぞれうまく利用している。
海産物の多い食生活に心がけるだけでも、突発的な錯乱状態の多くを防ぐことができる。
イギリスでは昔から、『カルシウムは紳士を作る』という。
K君は、日常的に、甘い食品を多食していないか?
ジュースやアイスなど。
そのあたりも、一度、反省してみたらよい。
●愛情飢餓
が、最大の原因は、「愛情飢餓」と考える。
一義的には、母親に対する愛情飢餓ということになる。
が、年齢的に、たとえば母親の胸に触りたくても、それができない。
その葛藤が、母親に対する不平、不満となって転化していく。
本来なら、性のはけ口として、ガールフレンドにそれを求めていくという方法もある。
しかしそれについても、自分の中に残るマザコン(マザーコンプレックス)が、じゃまをする。
KWさん自身も書いているように、「完ぺき主義=過干渉」と、その一方で祖父母を含めた溺愛が、K君の周りを包んでいた。
人格の完成期(コア形成期)を、いわゆる「人形子」(イプセン)で、通り過ぎてしまった。
同年齢の女子を、異性として(=性のはけ口として)、接する技術も身につけなかった。
が、言い換えると、ガールフレンドができると、家庭内暴力は急速に収まる。
愛情飢餓感が、薄められるためと考えられる。
●では、どうするか
家庭内暴力については、たびたび書いてきた。
が、同じ青年期の「うつ」でも、家の中に引きこもってしまう子どもをマイナス型とするなら、暴力を振るうプラス型は、予後がよい。
その時期さえ通り過ぎ、また子ども自身が家を離れ、自活するようになれば、ウソのように症状が氷解する。
むしろ常識豊かな人間に成長することのほうが多い。
(一方、引きこもりは、10年単位の静養期間が必要となる。)
ほかにも、攻撃型、依存型、服従型、同情型などがあるが、K君のばあいは、攻撃型ということになる。
またこの時期、暴力といっても、それは「スレスレの暴力」であること。
子ども自身が、どこが「スレスレ」であるかをよく知っている。
それ以上のこともしない。
それこそ家族がメチャメチャになってしまう。
先ほど「殺す」という言葉を使ったが、家庭内暴力のばあいは、その心配はない。
どこかで理性のブレーキを働かせる。
だからあまり深刻に心配しないように!
が、それ以下でもない。
それでは暴力を振るう意味がない。
だからそのスレスレのところでする。
はげしい家庭内暴力であり、当事者のKWさんにしてみれば、地獄のような毎日。
しかしここでK君を抑え込んでしまえば、この問題にも二番底、三番底がある。
さらに症状は悪化する。
が、先にも書いたように、「道」が見えてくれば、K君は別人のように落ちついてくる。
今まで何10例と家庭内暴力を起こした子どもを観てきたが、例外なく、そうなる。
(もっとはげしい家庭内暴力を、私は直接見聞きしてきた。
家中のガラスというガラスを板やプラスチックにしてしまった家、子どもの前ではいつも両手を床にすえ、はって移動しなければならなかった親、など。)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(家庭内暴力)
それについて書いた原稿を添付します。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(家庭内暴力)
●壮絶な家庭内暴力
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家庭内暴力を繰りかえす子どもは、
外の世界では、信じられないほど、
(いい子)であることが多い。
T君も、そんな子どもだった……。
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T君は私の教え子だった。
両親は共に中学校の教師をしていた。
私は七、八年ぶりにそのT君(中二)のうわさを耳にした。
たまたまその隣家の人が、私の生徒の父母だったからだ。
いわく、「家の中の戸や、ガラスはすべてはずしてあります」「お父さんもお母さんも、廊下を通るときは、はって通るのだそうです」「お母さんは、中学校の教師を退職しました」と。
私は壮絶な家庭内暴力を、頭の中に思い浮かべた。
T君はものわかりのよい「よい子(?)」だった。
砂場でスコップを横取りされても、そのまま渡してしまうような子どもで、やさしく、いつも柔和な笑みを浮かべていた。
しかし私は、T君の心に、いつもモヤのような膜がかかっているのが気になっていた。
よく誤解されるが、幼児教育の世界で「すなおな子ども」というときは、自分の思っていることや考えていることを,ストレートに表現できる子どものことをいう。
従順で、ものわかりのよい子どもを、すなおな子どもとは、決して言わない。
むしろこのタイプの子どもは、心に受けるストレスを内へ内へとためこんでしまうため、心をゆがめやすい。
T君はまさに、そんなタイプの子どもだった。
症状は正反対だが、しかしこの家庭内暴力と同列に置いて考えるのが、引きこもりである。
家の中に引きこもるという症状に合わせて、夜と昼の逆転現象、無感動、無表情などの症状が現われてくる。
しかし心はいつも緊張状態にあるため、ふとしたきっかけで爆発的に怒ったり、暴れたりする。
少年期に発症すると、そのまま学校へ行かなくなってしまうことが多い。
このタイプの子どもも、やはり外の世界では、信じられないほど「よい子」を演ずる。
そのT君について、こんな思い出がある。私がT君の心のゆがみを、母親に告げようとしたときのことである。
いや、その前に一度、こんなことがあった。私が幼稚園の別の教室で授業をしていると、T君はいつもこっそりと自分の教室を抜け出し、私の教室へきて、学習していた。
T君の担任が、よく連れ戻しにきた。
そこである日、私はT君の母親に電話をした。
「私の教室へよこしませんか」と。
それに答えてT君の母親は猛烈に怒って、「勝手に誘わないでほしい。うちにはうちの教育方針というものがあるから!」と。
しかしT君はそれからしばらくして、私の教室へ来るようになった。
家でT君が、「行きたい」と、せがんだからだと思う。
以後私は、半年の間、T君を教えた。
で、その「ゆがみ」を告げようとしたときのこと。
母親はこう言った。
「あんたは、私たちがお願いしていることだけをしてくれればいい」と。つまり「よけいなお節介だ」と。
子どもの心のゆがみは、できるだけ早い時期に知り、そして対処するのがよい。
しかし現実にはそれは不可能に近い。
指摘する私たちにしても、「もしまちがっていたら……」という迷いがある。
「このまま何とかやり過ごそう」という、ことなかれ主義も働く。
が、何と言っても、親自身にその自覚がない。
知識もない。どの人も、行きつくところまで行って、自分で気づくしかない。
教育にはどうしても、そういう面がつきまとう。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●再びK君について
今、K君は、幼児期、児童期に逃げなかった「殻」を懸命に脱ごうとしている。
母親の溺愛、過干渉からの脱皮、自己の確立、思春期の不安などなど。
自分を抑圧するものへの抵抗。
それは想像を絶する葛藤と言ってもよい。
が、これにも時期がある。
けっして希望的観測を書いているのではない。
K君の家庭内暴力が終わるのも、そろそろ時間の問題ではないか。
「行き着くところまで行き着きつつある」と。
が、それにはきわめてひとつ重要な条件がある。
『愛情の糸を切らないこと』。
運命とはそういうもの。
「こわい」「こわい」と思って逃げて回っていると、運命は、キバをむいて、あなたに襲いかかってくる。
しかし運命を受け入れてしまえば、悪魔は向こうから、シッポを巻いて逃げていく。
「暴れたければ、暴れろ」「殺したければ、殺せ」、しかし「私はどんなことがあっても、あなたを愛していますからね」と。
その気持ちがK君に伝わったとき、K君の心は平和を取り戻す。
KWさんも、落ち着く。
具体的には、(1)まず食生活の改善(白砂糖は麻薬と心得ること。「はやし浩司 白砂糖は麻薬」で検索してほしい)。
(2)心療内科のドクターに相談する。
(3)K君に疎外感を覚えさせないようにし、ここに書いたように、「愛情の糸」を、最後の最後まで、一本だけは残しておく。
(4)K君が自分の進路を見出せば、この問題は解決する。
(K君自身には、自分は悪いことをしているという意識はないので注意すること。
自分は正当なことを、しているだけという意識しかない。
説教しても、ほとんど効果がないのも、そのため。)
(5)あとは『暖かい無視』と『求めてきたときが与えどき』と心得る。
食事の世話にしても、K君が食べても食べなくても、きちんと用意する。
それが暖かい無視。
あなたに向かって暴力を振るったときも、怒った顔はせず、悲しそうな顔をして、K君の顔を見つめる。
「殺したければ殺していいのよ」と。
そこまで覚悟を決めれば、こわいものは、ないはず。
またそこまで覚悟しなさい。
逃げないこと。
それが暖かい無視。
また何か助けを求めてきたら、間をおかず、すかさず提供する。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(家庭内暴力)
5年前に書いた原稿を添付します(2006年)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(家庭内暴力)
【家庭内暴力】
●壮絶な家庭内暴力
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東京都に住んでいる、Eさんという
母親が、長男の家庭内暴力に
苦しんでいる。
父親と、二男とは、そのため別居。
疲れきったEさんは、「死んでしまいたい」
とまで思うようになったという。
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E様へ
拝復
パソコン上で原稿を書くと、どこかに記録が残ってしまいます。それがいつか、思わぬところで、表に出てきてしまうことがあります。それでここでは、「E様」とします。お許しください。
また、同じような問題をかかえている、ほかの多くの親たちの参考と励みになるよう、一部、E様からいただいた相談内容を、引用させていただきますが、どうか、ご了解の上、お許しください。
E様からのメールを、要約させていただきます。
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【Eより、はやし浩司へ】
2年前に相談したことがある、東京都のEです。
現在、兄は、高校1年生、弟は、中学2年生です。以前は、父親と私、子ども2人で、生活していました。
その兄、つまり長男のことです。
中学3年になるころから、暴力がはげしくなり、「こんな俺にしたのは、お前だ」と、私を殴ったり、蹴ったりします。タバコを吸い始め、髪の毛も茶色に染め始めました。3年の中ごろから、学校へも、ほとんど行かなくなりました。
学校の先生から、「排除」という言葉が出てきたのも、そのころです。長男を、学校から排除するというのです。それで長男の荒れは、ますますひどくなりました。
そこで父親(私の夫)と、二男は、近くにアパートを借りて、別居。現在は、私と、長男だけが、いっしょに暮らしています。食事は、私が作り、毎日、父親と二男に届けています。
長男の暴力はひどいですが、一線だけは守ってくれているようです。今のところ、指の骨折程度ですんでいます。
一応、単位制の通信高校に通っていますが、ほとんど学校へは行っていません。昼夜が逆転し、夜中に起きてきて、私に、「食事を作れ」「こうなったのは、お前のせいだ」「弟は、お前と別れて、よくなっただろ」「お前は、この家から出て行け」と、蹴ったりします。
私の精神はボロボロで、自殺願望も生まれてきました。
『許して、忘れる』という先生から教えてもらった言葉を口ずさみながら、何とか、それに耐えていますが、本当にこれでいいのでしょうか。一言、アドバイスをしてください。
(東京都・Eより)
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Eさんの転載許可がいただけましたので、
Eさんからのメールを、ほぼそのまま、
ここに紹介します。
上記の内容とダブりますが、お許しください。
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【Eより、はやし浩司へ】
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転載許可がいただけましたので、Eさんからのメールを、
そのまま紹介させていただきます。(6・21)
Eさん、ありがとうございました。
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【Eより、はやし浩司へ】
2年ほど前、当時小学6年生だった。次男の不登校のことでご相談した事がある者です。
長男は、当時、中学2年生でした。
その長男が中3になり、中1とし、弟は同じ中学校に入学してきましたが、そのときもまだ、弟の学校恐怖症がつづき、学校へは、行けない状況にありました。
そのことで長男は友達から、弟のことで、いろいろとつらいことがあったようです。
家でゴロゴロと寝ている弟をみて登校していく長男でしたが、6月の運動会が終わったあたりから、変わってきました。
タバコを、学校帰りに、友達と吸ったり、不良なんだとわざと見せるような行動をとるようになりました。
深夜徘徊をしたり、学校から排除されるようなことを先生に言われたりし、しのともあって、友達も、みんな長男から、引いてしまったようです。孤立してしまいました。
2学期からはほとんど学校へは行かず、受験も拒否。
髪は茶髪、金髪、弟へのプロレスごっこと称しての暴力もはじまり、それを止めないといって弟は、容赦ない暴力を私へ向けてきました。
去年の12月に主人と次男は隣町のマンションへ、出て行きました。
次男は中学も変わり、中1の3月までは不登校でしたが、中2になり4月からはまだ1日も休むことなく楽しく登校できているようです。
長男は卒業式にも出席することなく、一応単位制の通信高校に入学はしましたが、ほとんど登校していません。
昼夜が逆転し、夕方ぐらいに起きてきて、夜中にわたしを起こし、飯を作れとか、耳元で、わざと、うるさい音楽を流したりと、嫌がらせがつづいています。
『お前がこんなにしたんだ、お前が出て行けば俺はよくなる! ○○(次男)もお前から離れたからよくなっただろう』と、蹴ったり殴ったりします。
それでも手加減はしてくれているようで、いままで病院へ行ったのは右手小指の骨折だけです。
私も学校へ行けだとか、昼夜が逆転していることを、なおしなさいとか、言わないようにしています。
次男へは毎日夕食を運んでいます。
自分を高めなければ精神がボロボロになってしまって、自殺願望が強くなるばかりです。
許して、許して忘れるの先生のお言葉を毎日、念仏のように口ずさみ、耐えています。
やがて時間が解決してくださると・・・
先生、それでいいのでしょうか、何も言わず、待つことがいちばんなんですよね。
もし、それでよけでば、それでよしとお答えくだされば、とても強い力になります。
孤独に閉鎖された中で戦う私に、後押ししてくださいませんでしょうか。
どうか、よろしくお願いします。
((はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 家庭内暴力 親への暴力)
【追伸、Eより、はやし浩司へ】
長男のことについての相談のお返事、ありがとうございました。
ブログへの掲載はかまいません。
昨日も、長男が、弟は、おたくっぽくてかっこ悪いというので、そんなことないよ、かっこいいよといったことに腹を立て、殴ったり、ものをこわしたり、網戸を破ってそれにライターで火をつけようとしました。
私はそれに驚き、集合住宅でもあるし、火を出したら大変だと、脅す大河をそれだけはいけないと叫びました。
私が嫌がる事はわざとやるので、ソファーも火をつけたり、(すぐ消える程度)していたので、私がまず、家を出なければと急いで家を出ました。
そして一晩帰宅しませんでした。
長男へはメールで、「火をつけたり、暴力が続くとお互い傷つくし、自分も他人も取り返しのつかないことになったら大変だから、暴力が治まるまで帰りません。何がそんなに哀しいのかな・・・みんな、大河を愛しているよ、それはいつまでも変わりません。」
と送りました。
警察の少年サポートセンターの方が暴力からは逃げてください、受けたそのときに家を出てください、毎日連絡は入れてください、と指導されました。
私も、どうしていいやら家を出て実家に帰ったものの、心配でなりません。
今は荷物を取りに帰宅しています。
次男へ食事も運べませんし、夫がコンビニの弁当を買ってきているようです。
2~3日したら帰宅しようとは思いますが、どうなんでしょうか。
火をつけたり、そんなまねごとでも危険な事は、許すわけにはいきません。
私は内科でデパスとメイラックスという、不安を取り除くお薬を処方してもらい、寝る前に飲んでいます。
メイラックスと言う薬は次男も、G大病院思春期外来で処方され、飲んでいました。
長男に、飲ませてはどうでしょうか。
とても、病院に一緒に行ってくれる状態ではありません。
長男が苦しんでいるのはわかります。
だから、強がって仮面をかぶって外に出るのもわかります。
不良になりたがるのも、よくわかります。
私も、そんな格好を非難する言葉や、世間体が悪いだとか、罵るような事を言ってしまいました。
反省しています。
それなのに、今からでも大丈夫でしょうか、母と子の関係を修復できるでしょうか。
今回はご返答ありがとうございました。
私は「許して忘れて、諦める」を念頭に、がんばって母親をやっていきます。
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
【はやし浩司より、Eさんへ】
家庭内暴力の背景には、つぎのような素因があると考えてください。ざっと、急いで書きあげたので、不備があるかもしれません。
(1) 子ども自身の、うつ病。(心の病気)
(2) 子ども自身の人間関係調整機能の喪失。(基本的信頼関係の構築の失敗)
(3) 子ども自身の自己管理能力の欠落。(幼児性の持続。わがまま)
(4) 子ども自身の二重人格性。(自分とは別の自分による暴力行為)
(5) 子ども自身の欲求不満。(性的欲求不満も含まれる。)
(6) 子ども自身の生育上の問題。(乳幼児期に「いい子」で通ってしまった。)
(7) 下の弟との関係。(「兄」であることから受ける重圧感。欲求不満)
が、何よりも大きな素因は、(8)自己嫌悪から発生する、自暴自棄的自虐性です。
このタイプの子どもは、自分の中にある、(自己嫌悪感)を解消したくても、それができないジレンマに陥っていることが多いです。自己管理能力のしっかりしている子ども(人)は、それを、うまく処理できるのですが、それができません。
それで弱い母親に対して、「こんなオレにしたのは……!」という言葉が出てきます。つまり自分で、自分を嫌っているわけです。(嫌う)というよりも、みなに嫌われているもどかしさ、本当の自分を認めてもらえないつらさ、それを(暴力)にかえていると思ってください。
だから本当に、母親であるあなたを嫌っているというわけではありません。形こそ、少しいびつですが、暴力的な(甘え)と理解すれば、よいかもしれません。
もちろんその(甘え)の中には、さまざまな要因がつまっています。
ここにあげた(人間関係調整機能の喪失)も、そのひとつです。つまり人間関係がじょうずに調整できない子どもは、依存的になったり、服従的になったり、同情的になったりしますが、他者に対して攻撃的になったりします。
お子さんは、最後の攻撃型タイプということになります。(攻撃型タイプも、他者に対して攻撃的になるタイプと、自分に対して自虐的になるタイプがあります。)
が、心理状態は、いつも、孤独で、心の中に空虚感を覚えていると理解してください。つまり心の中は、さみしいのです。そのさみしさを、埋めるために、あなたに対して暴力を振るっているのです。
……と書くと、どうして?、と思われるかもしれませんね。
実は、あなたはお子さんのことを思ったり、心配してはいますが、そのつど、同時に、お子さんを、突き放すような言動をしているからだと考えてください。これは無意識のうちに、そうしているのがふつうです。
子どもの心というのは、そういう意味では、たいへん敏感です。あなたのささいな言動から、それをさぐり当ててしまいます。
そこであなたのお子さんは、ギリギリのところまでしながら、あなたの心を試そうとします。ギリギリのところです。
家庭内暴力を起こす子どもは、いつもその限界の内側で暴れます。あなたが言う(自制)という言葉は、それを言います。「これ以上のことをしたら、おしまい」という、その一歩手前で、暴力を止めます。
これはお子さんの中に、もう一人の別のお子さんがいて、それを制御しているためと考えれば、わかっていただけると思います。つまりそのつど、もう一人のお子さんが、「もう、やめておけ」「そのへんで、ストップしろ」と命令をくだしているわけです。
それで「指の骨折程度」ですんでいるわけです。
つまりあなたのお子さんがしていることは、典型的な、「家庭内暴力」ということになります。ですから、今は、つらいかもしれませんが、(お気持ちは察しますが)、問題としては、とくに変わった問題ではないということです。
少なくとも、まったく同じような状況で、引きこもりを起こす子どもよりは、立ちなおるのがずっと楽ですし、立ちなおったあと、むしろ、かえって常識豊かな人間になります。
私はそういう子どもの例を、何十例も見てきました。ですから、決して希望を捨てず、あきらめず、短気を起こさず、前に向かって進んでください。必ず、一過性のもので終わります。そしてみな、なにごともなく、終わっていきます。
『許して、忘れる』……これは何も、まちがっていません。今こそ、あなたの愛というよりも、深い人間性が、子どもによって確かめられているのです。わかりますか?
親が子どもを育てるのではありません。親は、子育てで苦しみながら、子どもによって育てられるのです。
そこでつぎのことに注意してみてください。
(1)突き放すようなことは言わない。
一方でお子さんのことを心配しながら、他方で、お子さんを突き放すようなことを言ったり、したりしていませんか? たとえば、「ごめん、ごめん」と口で言いながら、少し、お子さんの機嫌がよくなると、「もう、あなたなんかイヤ」とか言う、など。
これは究極の状態ということになりますが、「私はもう殺されてもいい。それでも、私はあなたを見捨てませんからね」という状態になったとき、あなたのお子さんは、はじめて、あなたに安心感を覚えるようになります。
あなたにその覚悟はできていますか。が、あなたには、その覚悟は、まだできていない。「殺されるのはいやだ」「世間体が悪い」「子育ては、もうこりごり」と。
あなたのお子さんは、そのスキをついて、家の中で暴れます。満たされない愛への欲求不満を、あなたにぶつけてきます。ですから、あなたはつぎの言葉だけを、子どもの前では、繰りかえします。
「ごめんなさい。お母さんが、悪かった」「どんなことがあっても、私はあなたを愛しつづけます」と。何があっても、最後の最後まで、その言葉を繰りかえします。これはまさに、壮絶な根くらべです。
(2)子どもも苦しんでいる。
あなたには想像できないかもしれませんが、あなたのお子さんも、そういうあなたを見ながら、苦しんでいます。あなたが苦しんでいる以上に、お子さんも苦しんでいるということです。(今のあなたには、想像できないかもしれませんが……。)
あなたは、お子さんにとって、最後の(心の拠り所)です。砦(とりで)です。その拠り所を、自分で破壊しながら、お子さん自身は、自分でそれをよしとはしていないのです。愛する人(=あなた)をキズつけながら、それをしている、自分が苦しいのです。
自己嫌悪から自暴自棄になるのは、そのためと考えてください。
しかも自分に関することが、すべてうまくいかない。中学校の友人たちには嫌われる。高校へも進めなかった。何をしてよいのかわからない。何をしたいのかもわからない。家族もバラバラになってしまった。(現実の自分)と、(自分が頭の中に描く自分)が、一致せず、混乱している。
それは思春期のお子さんにしてみれば、たいへんな苦しみということになります。
今のお子さんの心理状態は、そういう状態であると考えてください。つまりあなたが、それをまず、理解します。その上で、「あなたも苦しんでいるのね」と、子どもを暖かく包んであげます。
(3)心の病気と考えてください。
できれば、一度、心療内科を訪れてみてください。今ではすぐれた薬も開発されていて、お子さんの(突発的なキレ)(異常なこだわり)(うつ症状)などにも、すぐれた効果があります。
心の病気といっても、脳の機能的な障害ですから、おおげさに考えないこと。決してお子さんが、このまま人格障害者になるとか、そういうことではありません。いわば、一過性の、はげしい熱病のようなものです。
しかも、確実になおる見込みのある熱病です。今までの私の経験からしても、今が山で、18歳ごろまでには、ウソのように落ち着いてきます。先にも書きましたが、引きこもりを起こすタイプよりは、ずっと回復も早く、予後(その後の経過)もいいです。
(家庭内暴力を起こすタイプを、「プラス型」というなら、引きこもりを起こすタイプは、「マイナス型」ということになります。まったく正反対の症状ですが、原因も、対処の仕方も、同じです。)
ですから、薬で落ち着かせる部分については、薬に頼ります。あなた自身が、カプセルの中に入ってしまわないで、他人に任すところは、任せます。
私はドクターではありませんが、心療内科のドクターも、「うつ病」に準じて、治療を開始するはずです。
ただこのときも、注意しなければならないことは、たとえ心療内科へ連れていくとしても、(突き放すような言動)は、タブーだということです。施設へ入れるとか、入院させるとか、そういう話は子どもの前では、ぜったいに、してはいけません。
少し前、子どもの立場で、自分の心の状態を語ってくれた青年がいました。(私のBLOGなどに書いておきましたが、ご覧になってくださいましたか? マガジンでも取りあげたことがあります。)
このBLOGの中で、「じじさん」というのは、その青年を批判した男性のことをいいます。内容はわからいませんが、多分、その男性は、その青年を、「引きこもりは、怠け病だ」とでも言ったのではないかと思います。それでその青年が、反発しました。
+++++++++++++++++
【宮沢KさんのBLOGより転載、転載許可済み】
● 引きこもりは、病気だ!
お気楽にやっていきたいのに、今日もシビアになっちまう。
「引きこもり者更生支援施設内で暴行か、引きこもり男性死亡」って事件の話。
不条理日記さんのIMスクールについて、KMさんという人のコメント。
「このケースは、言ってみれば、自信過剰の民間療法の素人が、
癌の治療に手を出したようなものでしょう。
引きこもりの一部は精神科の病気、
それもとても治療の難しい病気なのだという対応が必要です。」
この人が正しい。タイコバン!
それに対して管理人のじじさんが
「引きこもりが病気!?
そのように病気病気言うから病気に甘えて
薬に甘えて医者、病院にあまえて何もできなくなってしまうから
それがひきこもりって、そのまんまの名前の病気になってしまうんではないでは? 」
じじさん、あんたねえ、
KMさんも「引きこもりの一部は」って、言ってるでしょ。
引きこもりには怠けもんも多いけど
正しい? 病気の人も多いの。
世間一般、じじさんと同じように思ってるだろうけど、
メラトニンやコルチゾールの分泌異常とか
前頭葉領域の血流低下とかアセチルコリンの消費量増大とか、
あとはPTSDとか親の共依存とか
かなり脳科学や臨床心理学で解明されてきてる。
やる気だって、脳内の化学物質の反応なんだよ。
無知だよなあ、世間のやつらは。
++++++++++++++++++
●引きこもり者更生支援施設依存症の親
IMスクールの事件じゃ、どうやら家庭内暴力で疲れ果てた家族が
施設に引き渡したらしいね。
精神科の世界で誰にもわからないから閉じ込めるしかない
今の医学ではそんなもの。
本人が一番辛かったはず、「なんでおれは暴れちまうんだろう」ってね。
原因はあるんだろうが、わたしにはもちろんわからない
引きこもりに正面から向き合うこともなく、
病理的な勉強も怠り、
甘えだとかやる気がないとかほかの子はちゃんとやってるのに
とか言ってる大人たちが、こんな、社会やこんな子供を作った。
あんたらこそ、やる気だしてみろよ
薬打って中毒になってみろよ
病気で足を切断されて足の大切さがわかり、
元通りにならない事をはじめて認める。
どうにもならない事って、その状況にならないとわからない事って、
あるだろう。
自分が正常でございと思ってるすべての連中、
あんたらは
感性が擦り切れて、何も感じられないからこんな世の中で平気でいられるだけだ。
宮沢Kの感性の爪の垢でも飲みやがれ!
この施設がどういう人たちがやってて、
どういうことが行われたかはわからない。
事故だったのかなんだったのかはわからない。
引きこもりにはそれなりの意義があるんだけど
わかってないんだろうな、こんな施設つくるくらいだから
(引きこもりの人生の意義の話は、またこんどね)
親が、子どもの暴力に耐えかねて
預かってくれる施設があると聞いて喜んで拉致させた。
親がこの施設に依存した。
親と子がいっしょに戦うことをあきらめた。
その結果、子どもは死んだ。
これだけだ。
臭いものにはフタか?
わが子は臭いものか?
誰かにまるごと頼みます、であとは平穏な暮らしが戻るのか?
(暴力で苦しんでる家庭では、
いっぺん親だけでも精神科や心療内科に相談に行くといい。
ハロペリドールなどの精神安定剤の処方で、おおかた静まる。
それからゆっくり時間をかけて話をしていってほしい。
相談するなら素人じゃなく専門家にしないとね。
ただ精神科くらい、医者の当たり外れの大きいところもないから
気に入る医者に出会うまで何人も回ること。
わたしは5つくらい、病院、回って奇跡的にいいドクターに会えて
やっと回復できた。
どうしてこんな無知で精神科の医者やってんの?というのが多い。
答えは「精神科は楽に儲かるから」。
(点数がいろいろ有利なのは事実)
+++++++++++++++++++++
★今日は最後に怠け者へ一言★
じじさんの言ってた、
たんなる「怠け者」の引きこもりやニート、不登校のあんたらに言っておく。
怠け者の末路は悲惨だよ。
生活保護って制度もいつまであるかわかんない。
バス代さえなくて何キロも歩いて病院にきてるおばさん、
家族から見放されて無縁墓地にはいるのを待って
光の入らない4畳半に住んでるおじさん。。。
やっぱ、施設とか、病院って、世の中にすごく必要。
こういう同病者をまじかにみれるもの。
自分の明日が見れるし
いっしょに抜け出そうとする仲間に出会えるもの。
ただし、自分から入りたい、と覚悟するまでが、時間、かかるのね。
これから医学はもっともっと進むよ。
病気かそうでないかは、かんたんに見破られるから
病気のフリもできない。
怠け者にはじじさんだけじゃなく、私も世間も、やさしくないよ。
【宮沢Kさんへ】
たいへん参考になりました。あなたのような体験をもった人たちが、もっと声をあげれば、IMスクールのような、おかしな更生支援施設(?)は、なくなると思います。
++++++++++++++++++++
【再び、Eさんへ……】
ここで宮沢Kさんが、書いていることは、何かの参考になると思います。宮沢KさんのBLOGは、今のあなたのお子さんの立場で、自分の過去の経験を語っています。あとでそのBLOGのアドレスを添付しておきますので、一度、あなたも、のぞいてみられたらよいかと思います。
ともかくも、『許して、忘れる』ですよ。
あなたがこれを乗り切ったとき、あなたはすばらしいものを手にするはずです。つまり(真の愛)がどういうものであるかを、知るはずです。今は、その試練のとき。あなたのお子さんは、あなたにそれを教えるために、今、そこにいます。
決して短気を起こさず、決してあきらめず!
そうそうあなたの自殺願望ですが、これは育児にかぎらず、介護に疲れた人も、みな覚えるものです。あなた自身も、一度、心療内科で、精神安定剤を処方してもらうとよいかもしれません。
私も、姉に教えられて以来、女性用の精神安定剤をのんでいますが、よくききます。
なお、あなたからのメールを、こちらで一度手なおしして、私のマガジンに掲載したいのですが、その許可をいただけませんか。あなたであることは、ぜったいわからないように、書き改めます。
よろしくお願いします。
【宮沢Kの風・BLOG】
ここに書いた宮沢KさんのBLOGです。子どもの立場がよくわかり、Eさんの参考になると思います。
http://kenjinokaze.livedoor.biz/archives/50669992.html
どうか、めげないで、がんばってください。必ず解決する問題ですから。約束します。
(つづきは、Eマガのほうで。7月26日号、掲載予定)
Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司
●子どもの家庭内暴力で苦しんでいるEさんへ、
基本的には、心の病気と考えますが、この(病気)にいたるまでに、さまざまな原因や理由が、そこにからんでいると考えてください。
糸が複雑にからむようにからんでいるため、それを解きほぐすのは、容易なことではありません。それこそ、乳幼児期からの糸がからんでいることもあります。
ついでながら、乳幼児期から、(いい子)で通ってきた子どもほど、思春期を迎えるころから、この家庭内暴力も含めて、さまざまな問題行動を起こすことがわかっています。
(そういう点でも、子どものころから、(何を考えているかわからない子ども)ほど、心配な子どもということになりますね。)
で、その家庭内暴力を起こす子どもの行動には、一定のパターンがあります。
(1)限界状況の把握
家庭内暴力を繰りかえす子どもの最大の特徴は、自ら、無意識のうちにも、限界状況を設定するということです。つまり子どもは、「これ以上のことをしたら、おしまい」という、その限界ギリギリのことまではします。が、しかしそれ以上のことはしません。
(自分に対する怒り)を、(家族)にぶつけているだけだからです。つまり本当に相手(あなたという親や兄弟)を憎んでいるから、暴力行為を繰りかえしているのでないということです。(自分でも、自分をどうしたらいいかわからない)という思いを、(怒り)に変えているだけなのです。
そういう点では、わがままな子、あるいは、俗な言い方をすれば、「甘ったれた子」ということになります。それだけ、人格の核形成(コア・アイデンティティ)の遅れた子どもということになります。
(2)自虐的な愛の確認
家庭内暴力を起こす子どもは、完ぺきな愛を、家族、なかんずく母親に求めようとします。完ぺきな愛です。「どんなことをしても、自分は許されるのだ」「愛で包んでもらえるのだ」という愛、です。
その点、マザーコンタイプの子どもの心理に似ています。で、その完ぺきな愛を確認するために、暴力行為を繰りかえします。
が、暴力行為を加えられるほうは、たまったものではありません。当然のことながら、(子どもを愛したい)という気持ちと、(子どもから離れたい)という気持ちの間で、はげしく葛藤します。
その葛藤の間げきをついて、子どもは暴れます。たとえば親が、「病院へ一度、行ってみようか?」「そんなに私(=母親)が嫌いなら、私は、この家から出て行こうか?」「ひとりでアパートに住んでみる?」などという言葉を口にすると、突然暴れ出す子どもが多いのは、そのためです。
子どもは、その一言に、大きな不安を覚えることになります。
(3)二面性
家庭内暴力を起こす子どもについて、多くの親たちが、「どうして?」と悩んでしまうのが、二面性の問題です。
はげしく暴れながらも、それが収まったようなときには、別人のようにやさしくなったり、親をいたわったりします。
実はそうした二面性は、暴力行為を繰りかえしている最中でも、それがあります。ある男性は、こう言いました。彼は高校時代から青年期にかけて、その家庭内暴力を繰りかえしました。
「親を殴りつけている間も、もう1人の、別のぼくが自分の中にいて、『やめろ』『止めろ』と叫んでいた」と。
そこで私が、「では、どうしてそのとき、暴力をやめなかったのだ?」と聞くと、その男性は、こう言いました。
「やめようと思っても、もう1人の自分が、どんどんと勝手に怒ってしまった」「途中でやめると、かえって、自分がへんな人間に見られるようで、できなかった」「自分でも、どうしようもなかった」と。
で、その男性のばあい、家庭内暴力をやめるきっかけになった事件があったそうです。
ある夜のこと。その男性は、いつものように自分の母親を殴ったり、蹴ったりしました。で、そのあとのこと。その男性が、いつものように家を出ようとしたところ、(本当は出るつもりではなく、庭先にあるガレージの二階に行こうとしたのですが)、母親がその男性を追いかけてきて、「出て行かないで」「どこへも行かないで」と、泣きながら懇願したそうです。
それを見て、その男性は、自分にそんなことまでされて、なおかつ、「出て行かないで」と泣き叫んだ母親に、自分が求めていたものが、それだったと気がついたというのです。以後、その男性は、それまでの男性とは別人のように、穏やかになっていったそうです(母親談)。
(4)緊張状態
子どもが暴れるメカニズムは、つぎのようです。
基本的に、子どもの心は、極度の緊張状態にあると考えます。この緊張状態が、日常的に悶々とつづいています。
この緊張状態の中に、不安(将来への不安、現実への不安、孤独への不安など)、心配(将来への心配)などが入りきんでくると、それを解消しようと、心の緊張状態が、一気に倍加します。
それが突発的な暴力行為へと発展します。
ですから、このタイプの子どもについては、(1)緊張状態の緩和を心がける、(2)不安や心配ごとを持ちこまないということになりますが、ふと言った言葉が、キーワードになり、それが子どもを激怒させるということも、少なくありません。
これはある年長児の女の子の例ですが、母親が、「ピアノのレッスンをしようね」と声をかけただけで、激変し、あるときは、母親に向かって、包丁まで投げつけたといいます。
そこで対処のし方ということになります。
今ではすぐれた薬もあり、またこうした心の病気に対する理解も深まってきましたから、決して、ひとりでは、悩まないこと。本人は、なかなか行きたがらないかもしれませんが、よく説得して、一度、心療内科の医院を訪問してみることが、第一です。
つぎに子どもが暴れだしたら、説教したり、自分の意見を述べたりするのは、タブーと心得ます。かえって火に油を注ぐようなことになりかねません。ですから、「ごめんなさい」とだけ言い、それを、どんなことがあっても、繰りかえします。子どもが意見を求めてきたようなときでも、「ごめんなさい」とだけ言って、それですまします。
「子どもが暴力行為を始めたら、家から出て、逃げろ」と教える指導員もいるようですが、私は、反対です。
そのときはそれですむかもしれませんが、つぎのとき、それが理由で、また暴力が始まることが多いからです。「この前の夜は、ぼくを捨てて、家を出て行ったではないかア!」「どうして、オレを捨てたア!」とです。
Eさんの息子さんが、ソファにライターで火をつける行為も、「火をつけて家を燃やしたい」からではなく、「オレをひとりにしておくと、オレはたいへんなことをするぞ」「だからオレをひとりにするな」ということを、あなたに伝えたいからです。またそう解釈すると、あなたのお子さんの心理が、より理解できるのではないでしょうか。
この問題の根底には、根深い、相互の不信関係(基本的不信関係)がからんでいます。そしてそれは、どこかにも書きましたが、子どもが、乳幼児期に始まります。
本来なら、子どもは、親に向かって、言いたいことを言い、したいことをしながら、そのつど自分を発散しながら成長するのが、好ましいのですが、それができなかった。それが回りまわって、子どもの心を、ゆがめてしまった。それが今、はげしい暴力行為となって、家庭の中で起きている。現状を解説すれば、そういうことになります。
で、家庭内暴力を経験した子ども(おとな)は、みな、こう言います。
「あんなことをしたのに、親は、自分を見捨てなかった」「それが自分を立ちなおらせるきっかけになった」と。
反対に、そうでないケースも、少なくありません。親のほうが、根をあげてしまい、子どもを施設へ送ったりするようなケースです。それぞれの親には、それぞれの、やむにやまれない事情もあるのでしょう。が、それをするのは、最後の最後。またそれをしたからといって、この問題は、解決しません。
さらに二番底、三番底へと、子どもは、落ちていきます。
しかし心の病気と考えれば、気も楽になるはずです。しかも、この病気だけは、必ず、なおります。そういう病気です。ですから、どうか、短気だけは起こさないでください。ただ家庭内暴力にかぎらず、どんな(心の病気)もそうですが、1年単位の時間はかかります。それは覚悟しておいてください。
許して、忘れる。
その度量の深さによって、あなたのお子さんへの愛情の深さが決まります。子どもを投げ出したとき、あなたは、親として、はげしい敗北感を味わいます。ですから、決して、投げ出さないこと。
谷が深ければ深いほど、そのあと、あなたと息子さんは、すばらしい親子関係を築くことができます。それを信じて、前に進んでください。
Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司
【アルバムの効用】
子育てをしていて、苦しいことや悲しいことがあったら、アルバムをのぞくとよいですよ。あるいは、アルバムを、家の中心に置いてみてください。
アルバムには、私たちが想像する以上の力があります。理由は簡単です。そこには、楽しかったとき、うれしかったときが、凝縮されているからです。
ぜひ、Eさんも、一度、ためしてみてください。それだけで、心が軽くなるはずです。お子さんへの、愛情も、それで取りもどせるはずです。ひょっとしたら、お子さん自身も、です。
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原稿を一作、添付します。
(中日新聞掲載済み)
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● 子どもの心をはぐくむ法(アルバムをそばに置け!)
子どもがアルバムに自分の未来を見るとき
● 成長する喜びを知る
おとなは過去をなつかしむためにアルバムを見る。しかし子どもは、アルバムを見ながら、成長していく喜びを知る。それだけではない。
子どもはアルバムを通して、過去と、そして未来を学ぶ。
ある子ども(年中男児)は、父親の子ども時代の写真を見て、「これはパパではない。お兄ちゃんだ」と言い張った。子どもにしてみれば、父親は父親であり、生まれながらにして父親なのだ。
一方、自分の赤ん坊時代の写真を見て、「これはぼくではない」と言い張った子ども(年長男児)もいた。ちなみに年長児で、自分が哺乳ビンを使っていたことを覚えている子どもは、まずいない。
哺乳ビンを見せながら、「こういうのを使ったことがある人はいますか?」と聞いても、たいてい「知らない」とか、「ぼくは使わなかった」と答える。
記憶が記憶として残り始めるのは、満4・5歳前後からとみてよい(※)。このころを境にして、子どもは、急速に過去と未来の概念がわかるようになる。それまでは、すべて「昨日」であり、「明日」である。「昨日の前の日が、おととい」「明日の次の日が、あさって」という概念は、年長児にならないとわからない。
が、一度それがわかるようになると、あとは飛躍的に「時間の世界」を広める。その概念を理解するのに役立つのが、アルバムということになる。話はそれたが、このアルバムには、不思議な力がある。
●アルバムの不思議な力
ある子ども(小五男児)は、学校でいやなことがあったりすると、こっそりとアルバムを見ていた。また別の子ども(小三男児)は、寝る前にいつも、絵本がわりにアルバムを見ていた。
つまりアルバムには、心をいやす作用がある。それもそのはずだ。悲しいときやつらいときを、写真にとって残す人は、まずいない。アルバムは、楽しい思い出がつまった、まさに宝の本。が、それだけではない。
冒頭に書いたように、子どもはアルバムを見ながら、そこに自分の未来を見る。さらに父親や母親の子ども時代を知るようになると、そこに自分自身をのせて見るようになる。それは子どもにとっては恐ろしく衝撃的なことだ。いや、実はそう感じたのは私自身だが、私はあのとき感じたショックを、いまだに忘れることができない。母の少女時代の写真を見たときのことだ。「これがぼくの、母ちゃんか!」と。あれは私が、小学三年生ぐらいのときのことだったと思う。
●アルバムをそばに置く
学生時代の恩師の家を訪問したときこと。広い居間の中心に、そのアルバムが置いてあった。小さな移動式の書庫のようになっていて、そこには一〇〇冊近いアルバムが並んでいた。
それを見て、私も、息子たちがいつも手の届くところにアルバムを置いてみた。最初は、恩師のまねをしただけだったが、やがて気がつくと、私の息子たちがそのつど、アルバムを見入っているのを知った。
ときどきだが、何かを思い出して、ひとりでフッフッと笑っていることもあった。そしてそのあと、つまりアルバムを見終わったあと、息子たちが、実にすがすがしい表情をしているのに、私は気がついた。そんなわけで、もし機会があれば、子どものそばにアルバムを置いてみるとよい。あなたもアルバムのもつ不思議な力を発見するはずである。
※……「乳幼児にも記憶がある」と題して、こんな興味ある報告がなされている(ニューズウィーク誌二〇〇〇年一二月)。
「以前は、乳幼児期の記憶が消滅するのは、記憶が植えつけられていないためと考えられていた。だが、今では、記憶はされているが、取り出せなくなっただけと考えられている」(ワシントン大学、A・メルツォフ、発達心理学者)と。
これまでは記憶は脳の中の海馬という組織に大きく関係し、乳幼児はその海馬が未発達なため記憶は残らないとされてきた。現在でも、比較的短い間の記憶は海馬が担当し、長期にわたる記憶は、大脳連合野に蓄えられると考えられている(新井康允氏ほか)。しかしメルツォフらの研究によれば、海馬でも記憶されるが、その記憶は外に取り出せないだけということになる。
現象的にはメルツォフの説には、妥当性がある。たとえば幼児期に親に連れられて行った場所に、再び立ったようなとき、「どこかで見たような景色だ」と思うようなことはよくある。これは記憶として取り出すことはできないが、心のどこかが覚えているために起きる現象と考えるとわかりやすい。
Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司
親の口グセが子どもを伸ばすとき
●相変わらずワルだったが……
子どもというのは、自分を信じてくれる人の前では、よい面を見せようとする。そういう性質を利用して、子どもを伸ばす。こんなことがあった。
昔、私が勤めていた幼稚園にどうしようもないワルの子ども(年中男児)がいた。友だちを泣かす、けがをさせるは、日常茶飯事。それを注意する先生にも、キックしたり、カバンを投げつけたりしていた。どの先生も手を焼いていた。
が、ある日、ふと見ると、その子どもが友だちにクレヨンを貸しているのが目にとまった。私はすかさずその子どもをほめた。「君は、やさしい子だね」と。数日後もまた目が合ったので、私はまたほめた。「君は、やさしい子だね」と。それからもその子どもはワルはワルのままだったが、しかしどういうわけか、私の姿を見ると、パッとそのワルをやめた。そしてニコニコと笑いながら、「センセー」と手を振ったりした。
●子どもの心はカガミ
しかしウソはいけない。子どもとて心はおとな。信ずるときには本気で信ずる。「あなたはよい子だ」という「思い」が、まっすぐ伝わったとき、その子どももまた、まっすぐ伸び始める。
正直に告白する。私が幼稚園で教え始めたころ、年に何人かの子どもは、私をこわがって幼稚園へ来なくなってしまった。そういう子どもというのは、初対面のとき、私が「いやな子ども」と思った子どもだった。つまりそういう思いが、いつの間にか子どもに伝わってしまっていた。人間関係というのは、そういうものだ。
イギリスの格言にも、『相手は、あなたが相手を思うように、あなたを思う』というのがある。つまりあなたが相手をよい人だと思っていると、相手も、あなたをよい人だと思うようになる。いやな人だと思っていると、相手も、あなたをいやな人だと思うようになる。
一週間や二週間なら、何とかごまかしてつきあうということもできるが、一か月、二か月となると、そうはいかない。いわんや半年、一年をや。思いというのは、長い時間をかけて、必ず相手に伝わってしまう。では、どうするか。
相手が子どもなら、こちらが先に折れるしかない。私のばあいは、「どうせこれから一年もつきあうのだから、楽しくやろう」ということで、折れるようにした。それは自分の職場を楽しくするためにも、必要だった。もっともそれが自然な形でできるようになったのは、三〇歳も過ぎてからだったが、それからは子どもたちの表情が、年々、みちがえるほど明るくなっていったのを覚えている。そこで家庭では、こんなことを注意したらよい。
●前向きな暗示が心を変える
まず「あなたはよい子」「あなたはどんどんよくなる」「あなたはすばらしい人になる」を口グセにする。子どもが幼児であればあるほど、そう言う。もしあなたが「うちの子は、だめな子」と思っているなら、なおさらそうする。
最初はウソでもよい。そうしてまず自分の心を作りかえる。人間関係というのは、不思議なものだ。日ごろの口グセどおりの関係になる。互いの心がそういう方向に向いていくからだ。が、それだけではない。相手は相手で、あなたの期待に答えようとする。相手が子どものときはなおさらで、そういう思いが、子どもを伸ばす。こんなことがあった。
その家には四人の男ばかりの兄弟がいたのだが、下の子が上の子の「おさがり」のズボンや服をもらうたびに、下の子がそれを喜んで、「見て、見て!」と、私たちに見せにくるのだ。ふつう下の子は上の子のおさがりをいやがるものだとばかり思っていた私には、意外だった。そこで調べてみると、その秘訣は母親の言葉にあることがわかった。
母親は下の子に兄のおさがりを着せるたびに、こう言っていた。「ほら、あんたもお兄ちゃんのものがはけるようになったわね。すごいわね!」と。母親はそれを心底、喜んでみせていた。そこでテスト。
あなたの子どもは、何か新しいことができるようになるたびに、あるいは何かよいニュースがあるたびに、「見て、見て!」「聞いて、聞いて!」と、あなたに報告にくるだろうか。もしそうなら、それでよし。そうでないなら、親子のあり方を少し反省してみたほうがよい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 前向きな働きかけ 強化の原理 子どもを伸ばす 伸びやかな子供)
Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司
親が過去を再現するとき
●親は子育てをしながら過去を再現する
親は、子どもを育てながら、自分の過去を再現する。そのよい例が、受験時代。それまではそうでなくても、子どもが、受験期にさしかかると、たいていの親は言いようのない不安に襲われる。受験勉強で苦しんだ親ほどそうだが、原因は、「受験勉強」ではない。受験にまつわる、「将来への不安」「選別されるという恐怖」が、その根底にある。
それらが、たとえば子どもが受験期にさしかかったとき、親の心の中で再現される。つい先日も、中学一年生をもつ父母が、二人、私の自宅にやってきた。そしてこう言った。「一学期の期末試験で、数学が二一点だった。英語は二五点だった。クラスでも四〇人中、二〇番前後だと思う。こんなことでは、とてもS高校へは入れない。何とかしてほしい」と。二人とも、表面的には穏やかな笑みを浮かべていたが、口元は緊張で小刻みに震えていた。
●「自由」の二つの意味
この静岡県では、高校入試が人間選別の重要な関門になっている。その中でもS高校は、最難関の進学高校ということになっている。私はその父母がS高校という名前を出したのに驚いた。「私は受験指導はしません……」と言いながら、心の奥で、「この父母が自分に気がつくのは、一体、いつのことだろう」と思った。
ところで「自由」には、二つの意味がある。行動の自由と魂の自由である。行動の自由はともかくも、問題は魂の自由である。実はこの私も受験期の悪夢に、長い間、悩まされた。たいていはこんな夢だ。……どこかの試験会場に出向く。が、自分の教室がわからない。やっと教室に入ったと思ったら、もう時間がほとんどない。問題を見ても、できないものばかり。鉛筆が動かない。頭が働かない。時間だけが刻々と過ぎていく……。
●親と子の意識のズレ
親が不安になるのは、親の勝手だが、中にはその不安を子どもにぶつけてしまう親がいる。「こんなことでどうするの!」と。そういう親に向かって、「今はそういう時代ではない」と言ってもムダ。脳のCPU(中央処理装置)そのものが、ズレている。
親は親で、「すべては子どものため」と、確信している。こうしたズレは、内閣府の調査でもわかる。内閣府の調査(二〇〇一年)によれば、中学生で、いやなことがあったとき、「家族に話す」と答えた子どもは、三九・一%しかいなかった。これに対して、「(子どもはいやなことがあったとき)家族に話すはず」と答えた親が、七八・四%。子どもの意識と親の意識が、ここで逆転しているのがわかる。つまり「親が思うほど、子どもは親をアテにしていない」(毎日新聞)ということ。が、それではすまない。
「勉強」という言葉が、人間関係そのものを破壊することもある。同じ調査だが、「先生に話す」はもっと少なく、たったの六・八%! 本来なら子どものそばにいて、よき相談相手でなければならない先生が、たったの六・八%とは! 先生が「テストだ、成績だ、進学だ」と追えば追うほど、子どもの心は離れていく。親子関係も、同じ。親が「勉強しろ、勉強しろ」と追えば追うほど、子どもの心は離れていく……。
さて、私がその悪夢から解放されたのは、夢の中で、その悪夢と戦うようになってからだ。試験会場で、「こんなのできなくてもいいや」と居なおるようになった。あるいは皆と、違った方向に歩くようになった。どこかのコマーシャルソングではないが、「♪のんびり行こうよ、オレたちは。あせってみたとて、同じこと」と。夢の中でも歌えるようになった。……とたん、少しおおげさな言い方だが、私の魂は解放された!
●一度、自分を冷静に見つめてみる
たいていの親は、自分の過去を再現しながら、「再現している」という事実に気づかない。気づかないまま、その過去に振り回される。子どもに勉強を強いる。先の父母もそうだ。それまでの二人を私はよく知っているが、実におだやかな人たちだった。が、子どもが中学生になったとたん、雰囲気が変わった。そこで……。
あなた自身はどうだろうか。あなた自身は自分の過去を再現するようなことをしていないだろうか。今、受験生をもっているなら、あなた自身に静かに問いかけてみてほしい。あなたは今、冷静か、と。そしてそうでないなら、あなたは一度、自分の過去を振り返ってみるとよい。これはあなたのためでもあるし、あなたの子どものためでもある。あなたと子どもの親子関係を破壊しないためでもある。
受験時代に、いやな思いをした人ほど、一度自分を、冷静に見つめてみるとよい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 受験の再現)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(家庭内暴力)
もう1作、添付します。
「家族」の重みについて書いた原稿です。
あくまでも参考のために。
(2009年3月に書いた原稿より)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(家庭内暴力)
ある母親からの相談(A letter from a mother)
A mother who lives in Hiroshima, wrote to me as follows about her families, her half-
divorced husband, a boy who uses violence against her and another boy who has refused to
go to school for three years. She has old-aged parents but they are about to get divorced
soon. She does not know what to do but she sometimes thinks herself she doesn't care to
be killed by her boy. The circumstance where she is put is sad.
+++++++++++++++
広島県のEさんから、こんな
相談が届いています。
掲載許可をいただけましたので、
みなさんと、いっしょに、
Kさんの問題を考えてみたいと
思います。
どうか、力、ご意見を、お寄せく
ださい。
+++++++++++++++
(家族関係)
Eさんの実の両親は、現在、80歳を過ぎて、別居状態。
夫の父親は、すでに他界。夫の母親は、現在、ひとり暮らし。
Eさんには、2人の息子がいる。
長男は、はげしい家庭内暴力を繰りかえしている。
そのため、夫は、次男を連れて、家出。
次男は、3年間、不登校を繰りかえし、現在は転校し、その中学校に通っている。
まわりの人たちは、2人の子どもが、今のような状態になったのは、Eさんのせいだと、Eさんを責めている。
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【Eさんより、はやし浩司へ】
次男は3年間の不登校をつづけ、今年の4月から、転校して登校しはじめました。
現在、次男は、中学3年生です。
次男の住民票を、私の実家に移し、それで転校できました。
住民票は実家に移しましたが、実際は、自宅から中学校へ通っています。学校までは、車で10分くらいの距離ですが、バスを使うと30分以上かかります。
はじめはバスで通学していました。学校では、私の実家に住んでいるということにしています。
中学校の友だちには、そう言ってます。
学校から帰るときは、一度、実家に寄ることにしています。そこへ友達も遊びにくるようになったからです。で、そういうこともあり、結局、この6月ごろから、私が車で、実家にいる次男を迎えにいくことになりました。
現在、私は父親と絶縁しております。
その実家には、母親しか住んでいません。
去年、父は家裁に離婚調停を起こし、母と現在別居しています。
父も、母も、現在、80歳を過ぎています。
調停員は、80歳をすぎた老夫婦の離婚調停は、はじめてだと言いました。
父の職業は、大工でした。
父の少年時代は戦時中で、兄弟も多く、生活も苦しく、長男の父は高校をやめて、大工の修行をしたそうです。
現在の母と結婚して、自分で工務店をはじめました。
母はバリバリの男気のある女性で、お金の工面や銀行関係一切を、とりしきっていました。
父はひたすらトラックに乗り、家を建てるという分業でやっていました。
当然、私は、かなり、放ったらかしで育てらました。親たちも、仕事が忙しく、とても子育てどころでは、なかったようです。
ちょうど時代は高度成長期のころです。田中角栄が日本列島改造論を唄い、イケイケドンドンという時代です。その勢いを小学校低学年の私も、肌で感じるほどでした。
建売住宅が全盛期で、土地を買い、小さな一戸建てを何件も並んで建てる、そして売り出し、それに買い手がつくというやり方で、当時の家業は、結構成功していたようでした。
やくざに騙されて、ドカーンと大損をすることもありました。
父は全くの無知で、人はいいので騙されやすく、常識知らないところがあります。全くの職人です。 母が経理をしていなかったら、借金まみれの状態で、一家離散していたかもしれません。
母は横暴な女性で、そういう父をこき使っていました。私は当時の父を知っていますから、それを思い出すと、父のことを、かわいそうに思うことがあります。
そういうわけで、そのころのままだったら、今でも、アパートや貸し店舗の家賃収入で、老後はのんびり暮らせるはずだったのです。
が、しかし・・・私の次男が不登校になり、その1年後には長男が非行に走り、私の家庭の雰囲気が一変してしまいました。
父は、私の夫を尊敬していました。
夫が、どちらかというと、父を尊敬させていたようです。
無知で非常識なあの父を尊敬させるようにすることは、簡単です。
父は私の夫の言うことは何でも聞き入れました。近所にある夫の実家にも顔を出し、ボロ家の修繕をやったりしていました。
主人の父親は他界し、現在、母(姑)一人で、そこに住んでいます。同じ町内です。
父は、孫のことで、姑や夫と、私には内緒で話をすることが多くなり、姑と夫は、子供がこうなったのは、私の育て方が悪かったからだと、陰では言っています。ときどき父はそのことで、私を責めたりします。
私は、「子どもたちの問題は、今日明日になおることじゃないから、黙って見守ってくれ」と何度も頼みました。が、長男がどこへ行くか、そのあとをつけたり、引きこもった次男を無理やり連れ出そうとしたりしました。
私から見れば、いらぬ節介で、余計に症状が、こじれることばかりしています。
姑は、私に責任があるとか、私が悪いとか、一点張りです。夫も責任逃れのためか、そういうことにしておきたいらしく、夫婦の仲も、今は破綻状態です。
そのうち長男の家庭内暴力も始まり、夫は次男を連れて、隣町のマンションへ引っ越していきました。
父はそのうち、姑に恋心を抱くようになり、毎晩、姑のところに通うようになっていました。
そして私が悪いとか、私を産んだ母が悪いとか、と、3人で私を責めます。さらに挙句の果てには、私の夫は、私の父に、「あなたは奴隷のような夫だ。そんな夫婦なのだから財産を分けて、離婚したらいい」と、勧めました。
私の夫は、父に、調停を起こすことなどの知恵をつけ、結局別居ということになりました。父はアパートを借り、実家を出て行きました。
居所は、私たちには、絶対に教えませんでした。
でも、夫のマンション近くに住んでいることを、私は知りました。
そのころの私は、恨みや憎しみで、心は満タン状態でした。
長男の暴力にも逃げることもできず、「早く殺してほしい」と、死を願うだけの毎日がつづきました。
実家の母は、父から調停を起こされ、別居することにしました。夫や姑へのうらみもあるようですが、今は、ひとりで、気ままにやっています。
そんなわけで、今、いちばん惨めなのは、私の父です。
結局、毎月生活費を、母のほうから振り込んでもらっています。財産もありません。夫や姑からも疎遠にされ、よぼよぼと、たまに実家に立ち寄ることもあるそうです。
今まで通院していた病院に行くためです。
保険証が母と同じになっているため、その保険証を取りに、実家へ戻ってくるのです。
そんな父の姿を見ると、私のせいだな・・・全部私のせいなんだと、果てしない海のような自己否定で、身動きができなくなってしまいます。
こんな状態になっているにもかかわらず、なぜ引き起こした夫となぜ離婚しないのかと思われるかもしれません。
私は離婚するつもりでいます。
子供が自立するまでです。 自立したら、離婚します。
それに今の私には、離婚するだけのパワーやらエネルギーはありません。
今はもう、くたくたなんです。
自分の精神が病まないように、自分を責めないようにと、精一杯、心を操るだけで、精一杯です。
いいかげんで、無責任で、冷酷人間になれるように、がんばっています。そうでもしないと、今の私は、ボロボロになってしまいます。
息子も息子の人生ではないか、父も自分が蒔いた種ではないか、姑の葬式にだって出ない、
恨みが湧き出るあいだは、恨み倒してやると、そんなことばかりを、毎日、考えています。
夫よ、あんたの働いた金で、老後は、のんびり生活する、と。
そういう過激な反発をばねにしながら、時が過ぎて、今の状態が、過去になり、記憶から薄れていくであろう自分を待つ状態です。
それから、息子2人がこうなったのは、私のせい・・これは否定しません。
その責任は、感じます。
過干渉で負担をかけ、心をゆがめてしまったのでしょう。
やり方がまずかった。それはおおいに反省しています。
だから、今は夫婦や姑、父との問題にはフタをして、息子達の立なおりを、見守りたいのです。
父は、私や母をまだ憎んでいるようで、先日も夫に、長男の携帯の電話番号を聞き、長男に、「私と母に家を追い出され、惨めな暮らしをしている」と泣きごとを言ったようです。
そのため長男から、「何でそんなことするんだ」と、私を責めたメールが届きます。
でもやっぱり、もうこれ以上、波風は立てたくないから、私の事情を長男に話すことはできません。
だから、長男が何か言うたびに、「ごめん、ごめん」と謝っています。
父よ、あなたは、もう元の父には戻らないよね。
認知症も進んでいるしね。
病気のせいだと思っておくよ。
今の私には、あなたに、優しい言葉もかけられないよ。
私たちは、困った親子になったもんだね。
なんだか、支離滅裂な文章で思いついたまま書いてしまいました。意味不明なところは、適当に読んでください。
この宙ぶらりんな私の立場が、自分でも、なんとも情けなく、落ちこんでいます。
で、相談というのは、長男はこのままほっとくつもりですが、バイトもせずに、親のすねばかりかじっています。
しばらくは放っておいて、いいのでしょうか・・。
さほど、無駄使いをするというふうでも、ありません。
今までの悪仲間とは縁を切ったようです。
今は一人ぼっちで孤独そうですが、これも試練だと思っています。
精神的に不安定で、ぐらついているので、また悪い仲間を作らないかと心配しています。
何かやらせる事、本人に伝えた方がいいことなどがあれば、教えてください。
次男は高校生になったら、私といっしょに住ませたいのですが、どうでしょうか。
夫は私との関係もあって、それについては、乗り気ではないようです。
長くて申し訳ありません。
よろしく御願いします。
(広島県、Eさんより)
+++++++++++++++++
【はやし浩司より、Eさんへ】
Eさんは、いわゆる家族自我群による、「幻惑」に苦しんでいます。わかりやすく言えば、家族であるが故の絆(きずな)による、重圧感、束縛感に苦しんでいるということです。ふつうの重圧感、束縛感ではありません。
悶々と、いつ晴れるともわからない重圧感、束縛感です。本能に近い部分にまで、それが刷り込まれているため、それと闘うのも、容易なことではなりません。
家族というのは、助け合い、守り合い、教え合い、支え合う存在ですが、そのリズムが一度狂うと、今度は、その家族が、家族どうしを苦しめる責具となってしまいます。Eさんは、こう書いています。
「いいかげんで、無責任で、冷酷人間になれるように、がんばっています」と。つまりEさんは、今、そこまで追い込まれています。私はここまで読んだとき、涙で目がうるんで、その先が読めなくなりました。
そう思うEさんを、だれが責めることができるでしょうか。
無責任になればよいのです。冷酷な人間であることを、恥じることはありません。Eさんが、今、いちばんしたいこと。それはこうした(幻惑)から解放され、ひとりで大空を飛び回ることです。
が、それができない。実の両親とのからみ、2人の子どもたちとのからみ、夫の母親や夫とのからみ。そういったものが、がんじがらめに、Eさんの体を縛りつけています。本来なら、いちばん近くにいて、Eさんを助けなければならない夫までが、責任をEさんに押しつけて、逃げてしまっている!
Eさんは、孤独です。孤立無援の状態で、長男の家庭内暴力にも耐えている。しかも実の両親は、80歳を過ぎて、離婚! そんな両親でも、「親は親」という世俗的な常識にしばられて、見放すこともできない。
どうして私たちは、親に、「産んでやった」「育ててやった」と言われなければならないのでしょうか。どうして私たちは、子どもに向かって、「私は親として、もうじゅうぶんなことをしてやった」「出ていけ」ということが言えないのでしょうか。
親の呪縛からも解かれ、子どもが自ら巣立ってしまえば、こんな楽なことはありません。しかしそれができない……。Eさんの苦しみの原因は、すべてこの一点に集約されます。
が、ここが正念場。
私が、今のEさんに言えることは、(1)まず、運命を受け入れてしまいなさい、ということです。
運命というのはおかしなもので、それを嫌えば嫌うほど、悪魔となって、あなたに襲いかかってくる。しかしそれを受け入れてしまえば、向こうのほうから、シッポを巻いて、逃げていく。
今の状況で言えば、両親のことは両親に任せてしまう。「死んだら、葬式くらいには、出てやる」と考える。
夫については、離婚あるのみ。Eさんが言っているように、子どもたちが自立すれば、離婚。あとは、ケセラセラ(なるようになれ)。親孝行など、くそ食らえ、です。夫のことは、忘れなさい。
ただ2人の子どもについては、(2)裏切られても、裏切られても、ただひたすら信じ、「許して、忘れる」です。その度量の深さが、あなたの(愛)の深さということになります。またそれがこの先、どういう結末になろうとも、Eさんの人生を、うるおい豊かで、美しいものにします。
もし、その(愛)すらも、Eさんが切ってしまったら、Eさんは、何のために、今、生きているのかということになってしまいます。また何のために、生まれてきたのかということになってしまいます。
Eさんは、まだ気がついていないのかもしれませんが、Eさん以上に、家族自我群による(幻惑)で苦しんでいるのが、実は、Eさんの長男なのです。安らぎを得たくても、得ることができない。「お母さん、ぼくは楽になりたい」と願っても、その思いが、届かない。その(根)は深いと思います。「仕事もしたい」「一人前になりたい」、しかしそれができない。どういうわけか、できない。
それが家庭内暴力へつながっていると考えてください。わかりますか? 今、あなた以上に苦しんでいるのが、長男なのです。
ただそういう自分をコントロールすることができない。悶々とつづく被害妄想の中で、自分を見失ってしまっている。「こんなオレにしたのは、お前だ」と、Eさんを責めつづけている。
愛するものどうしが、たがいにキズつけあっている。これを悲劇と言わずして、何と言うのでしょうか。
繰りかえしますが、今、ここで2人の子どもを見放してしまえば、今度は、今、Eさんがかかえている(運命)を、2人の子どもが、引き継ぐだけです。いつか、同じような立場に立たされ、子どもたちが、もがき、苦しむのです。
何があっても、「許して、忘れる」。この言葉だけを、どうか心の中で念じてみてください。この言葉を繰りかえしていると、ときに、あふれ出る涙を、どうすることもできなくなるときがくるかもしれません。そのときはそのときで、思いっきり、泣けばよいのです。
そう、相手が子どもであれ、人を愛することは、それほどまでに、切なく、悲しく、そして美しいものです。自分の子どもを、どうかしようと考えるのではなくて、あなたが惜しみなく、愛を与えていくのです。裏切られても、行き詰まっても、殴られても、蹴られても、愛を与えていくのです。
「どうなるか?」と心配するのではなく、「明日は、かならずよくなる」と信じて、愛を与えていきます。この世界では、取り越し苦労と、ぬか喜びは、禁物です。あなたはあなたで、マイペースで、子どもを信じ、愛するのです。許して、忘れるのです。そしてあなたは、あなたで、したいことをすればよいのです。
いまどき、非行など、何でもない問題です。不登校にいたっては、さらに何でもない問題です。
大切なことは、今、あなたが、ここに生きているということ。息をしているということ。体を動かし、見て、聞いて、ものを話しているということ。
大切なことは、今、あなたの子どもがここにいて、息をしているということ。体を動かし、見て、聞いて、ものを話しているということ。
その(価値)に比べたら、非行など、何でもない問題です。不登校など、さらに、何でもない問題です。
いいですか、私たちは、今、ここに生きているのです。それを忘れてはいけません。大切なことは、その(価値)を実感することです。
Eさんの年齢はわかりませんが、私よりずっと若い方です。ですから今の私のように考えろというほうが、無理かもしれません。しかしこの年齢になると、時の流れが、まるで砂時計の砂のように思えてきます。
サラサラと時が流れていく。その切なさ。いとおしさ……。
運命を受け入れ、それを楽しむのです。運命から逃げないで、それを楽しむのです。「あなたたちは、あなたたちで、したいように生きなさい」「私は私で、がんばるから」と。
とたん、心の荷物が軽くなるはずです。悪魔は、向こうから退散していきます。
あとは、成り行きに任せなさい。水が自然と、流れる場所を求めて流れていくように、雲が自然と、流れる場所を求めて流れていくように、今の問題は、やがて解決していきます。バカでアホな、両親や夫のことは忘れなさい。
私も、実の母親とはいろいろありましたが、その母は、今は、ボケてしまって、アホになってしまいました。そんな姿を見るにつけ、本気で相手にしていた、自分のほうが、アホだったことを知ります。
いいですか、Eさん。あなたが今、かかえているような問題は、みながかかえていますよ。表からではわかりませんが、例外はありません。ですから、「私だけが……」とか、「どうしてうちの子だけが……」とかは、思わないこと。また、自分を責めないこと。
まだまだ、あなたには未来があります。子どもたちには、もっと大きな未来があります。それを信じて、恐れず、前に進んでください。
相手が子どもであれ、人を愛することは、すばらしいことですよ。人生は、美しいですよ。
今度、私のHPに、「音楽と私」というコーナーをもうけました。一度、おいでになってみてください。楽しいですよ。
では、今日は、これで失礼します。
この返事をEさんに送ったあと、BLOGのほうにも、載せておきます。どうか、お許しください。
多くの人たちに、Eさんの経験が、おおきな励みになると思います。みんな、同じような問題をかかえていますから……ね。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(家庭内暴力)
●KWさんへ
まだまだお伝えしたいことがありますが、今日はここで失礼します。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 家庭内暴力)
Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司
2011年7月19日火曜日
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