【放射能は安全説?】byはやし浩司(『疑わしきは罰する』)
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今朝は、九州大学大学院工学研究院エネルギー量子工学部のHPを読むことから、始まった。
それには前置きとして、「デマに惑わされず、適切に判断するための科学情報」とある。
そうだ!
デマに惑わされてはいけないのだ!
……ということで、読み始めたが、どうもへん?
●放射線による人体への影響についての基礎知識
●福島県産及び茨城県産食品から検出された放射能
汚染された牛乳やほうれん草についても、つぎのように結論づけている。
『……以上より、福島、茨城で検出された放射能濃度は通常よりも高い値ですが、この食品を食べたとしてもただちに健康被害が出るものではありません。
風評被害を避けることが肝心です。
また、ヨウ素ー131の半減期は8日で、8日毎に半分に減少していきますので、注意するのは最初の1ー2ヶ月までです。セシウムー137の半減期は30年なので、なかなか無くなりません。カリウムー40の半減期は13億年です。
また、カリウムー40はもともと自然界にあり食品内部に入っているため洗っても落ちませんが、ヨウ素、セシウムが表面についている場合は洗い落とすことができます』と。
この中に出てくる、「ただちに健康被害が出るものではありません」という文言。
私はこの文言を読んだとき、脳内で拒絶反応が起きたのがわかった。
「ただちに……」でなければ、いつなのか?
全体を読んでいると、今、福島第一原発周辺で起きていることは、すべて「風評」という印象を受けてしまう。
「意識」というのは、そういう点で、おもしろい。
それらしいことを、数字を並べて説明されると、「そうかなあ」と思ってしまう。
それを受け入れてしまう。
たとえば、こうある。
http://www.qpn.kyushu-u.ac.jp/message/info01/radiation.html
●人は身の回りの自然環境から常に放射線を受けて生活しています。
●受ける放射線の量は地域により異なりますが、世界平均で年間2・4ミリシーベルト(2400マイクロシーベルト)です。 (単位に注意:1ミリシーベルト=1000マイクロシーベルト)
●ブラジルのカラバリ地域の人々は年間平均10ミリシーベルトの放射線を受けています。
●東京-ニューヨーク間を飛行機で往復したときに宇宙線等によって受ける放射線の量は0・19ミリシーベルト (190マイクロシーベルト) です。
●胸部X線CTではわずか数秒間に6・9ミリシーベルトの放射線を受けます。
●高度約400kmの軌道の国際宇宙ステーションに滞在する宇宙飛行士は1日当たり約1ミリシーベルト (1000マイクロシーベルト) の放射線を受けます。国際宇宙ステーションに約4ヶ月間の長期間滞在した場合は100ミリシーベルト以上の放射線を受けたことになります。(以上、同九州大学HPより)
こうした数字を具体的に並べながら、こう結論づけている。
注意深く読んでみてほしい。
『……(2011年、事故翌日の)3月12日の午後、福島原子力発電所正門付近で測定された空間線量率の値が1015マイクロシーベルト (1・015ミリシーベルト) であったと報道されています。
この値は、その場所に1時間じっとしていたときに全身に受ける放射線の量で、上で述べたように健康への影響はありません』と。
●一般人の常識
簡単に言えば、胸部X線CTでは、わずか数秒かに、6・9ミリシーベルトの放射線を受ける。
だから正門付近で測定された、1015マイクロシーベルト(1・015ミリシーベルト)程度の放射線など、何でもない。
つまり「ただちに健康被害が出るものではありません」と。
私など、こういう事実(?)を突きつけられると、逆にこう読んでしまう。
「胸部X線CTというのは、そんなに恐ろしいものであったのか。2度と受けないぞ」と。
またそういう読み方をするのが、一般の人の常識ではないだろうか。
ともかくも今、放射線に関する情報が複雑に交錯している。
きわめて大ざっぱに言えば、危険説を唱える京都大学派。
「心配ない」説を唱える九州大学派。
過小評価説を流しつづける、文部科学省派。
やや大げさに危険説を唱えつづける「週刊現代」(週刊誌)派。
が、これだけは忘れてはいけない。
放射線被害が出てくるのは、これから。
10~20年をかけて、ゆっくりと出てくる。
●紫斑が出た子どもたち
実際、すでに福島第一原発の周辺の子どもで、体中に紫斑を発症した子どもの例が報告されている。
いわく『福島では子どもたちに下痢、鼻血、紫斑などの「急性症状」が出ているという。常識的には考えられないが、化学物質過敏症のように「放射線過敏症」があっても不思議はない。県外の小児科医による子どもたちの健康相談がもうすぐはじまる。その結果を注目したい』(名古屋大学・高野雅夫准教授)と。
紫斑は、放射線病の初期症状と言われている。
もし子どもたちの症状が放射線病によるものなら、「心配ない」説など、吹っ飛んでしまう。
さらに今朝の中日新聞によれば、「福島原発周辺の子どもの45%に、甲状腺微量被爆」(1面トップ)とある。
信憑(ぴょう)性はぐんと落ちるが、「女性自身」(週刊誌)は、「郡山市で急増、謎の体調不良に苦しむ子どもたち」という記事を特集している(今週号)。
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●意識
放射線が危険か、危険でないか。
それは私たち個人が、情報を集めて判断すべきこと。
つまり、それはそれ。
ここでは「意識」について、もう少し深く考えてみたい。
つまり私たちが「正しい」と思っている意識ほど、アテにならないものはないということ。
意識というのは、情報によって、いくらでも作り変えられる。
脳内ホルモンの働きによっても、変化する。
たとえば男性のばあい、(女性もそうかもしれないが)、射S(禁止用語)の前とあとでは、女性の肉T(禁止用語)の見方が、180度変わる。
これは、射Sによって、(欲望)が吐き出されたのではなく、射Sと同時に、脳内でフィードバックが起こるためと、私は考える。
つまり逆作用のあるホルモンが分泌され、S欲を中和する。
(BLOGによっては、禁止用語を使用すると、掲載不可になる。
「S」=「精」「性」のこと。「T」=「体」のこと。)
S欲と意識をそのまま結びつけることは正しくないかもしれないが、私自身も、自分の中で意識の変化を、たびたび経験している。
よい例が、(子離れする前の子どもの見方)と、(子離れしてからの子どもの見方)。
●子離れ
人間(=私)について書くのは、ここでは遠慮する。
私にも3人の息子がいる。
が、ドバトについて、書くのであれば、問題ないと思う。
私の家の裏庭の栗の木の上では、毎年、ドバトが営巣し、雛を育てる。
そのドバトを見ていると、おもしろいことに気づく。
雛を育てているときは、まさに命がけ。
この部分は、人間の子育てと似ている。
が、ひとたび巣立ち、雛が親鳥とほぼ同等格になってくると、今度は、親鳥が子鳥のドバトを追い払うようになる。
さらにそれが進むと、縄張り争いをするようになる。
傍から見ていると、親鳥と子鳥が、他人以上の他人になったように感ずる。
人間のばあいも、そこまでひどくはないにしても、似たようなケースは、いくらでもある。
民族性もあるのかもしれない。
家庭環境もあるのかもしれない。
その人の性格や哲学も、大きく影響する。
しかし概してみると、(子離れする前の意識)と(子離れしたあとの意識)は、大きくちがう。
子どもにしても、そうで、(親離れする前の意識)と(親離れしたあとの意識)は大きくちがう。
●死生観→人生観
言い換えると、今、あなたがどんな意識をもっているにせよ、それが絶対的なものとか、正しいものとか、さらには普遍的なものと考えてはいけない。
意識というのは、変わる。
またそういう前提で、自分の意識をながめる。
たとえば私は、ごく最近まで、孤独死、無縁死という言葉を耳にすると、ドキッとした。
私自身が、孤独死、無縁死をする確率がぐんと高くなったこともある。
それを防ぐには、どうしたらよいか、それについて真剣に悩んだ。
が、それが60%以上の人の死に方であるとわかったとき、意識は変わった。
「孤独死、無縁死、恐れるに足りず」「それもしかたのないこと」と。
とたん息子たちへの期待感は、ゼロになった。
息子たちへの思いも、変わった。
つまり意識が変わった。
墓地や墓についての意識にしても、そうだ。
が、何よりも変化したのは、死生観。
平均余命で計算すると、私の人生は、よくて残り16年。
運がよければ、それより長くなるが、私のような無年金族は、長生きをすればするほど、みなに迷惑をかける。
自分で歩けなくなったら、あとはできるだけ早く、あの世へ行く。
ついでに人生観も変わった。
つまり、今が「命」。
今のうちにすべきことを、し、完全燃焼させておく。
そういう人生観に変わった。
●再び放射線
本当のところ、私自身は、もうどうなってもよい。
雨のように放射線がこのあたりに降り注いでも、それはそれで結構。
まさに自業自得。
政治が悪いという説もあるが、その政治を許してきたのは、私たち自身。
この日本(=世界)、何もかもおかしい。
狂っている。
少し前も、あの『ハリーポッター』の邦訳版について、誤訳が問題になった。
たしかに誤訳だらけ。
しかしそのときも、こう思った。
「もともとデタラメな本。そんなデタラメな本を誤訳したからといって、それがどうした?」と。
今の心境もそれに似ている。
「それがどうした?」と。
が、こと子どもたちのこと、日本の将来のこととなると、話は一変する。
私が福島第一原発事故について心配するのは、結局は、そこに行き着く。
そういう視点で書くなら、こうなる。
『疑わしきは、罰する』。
法律の世界では、『疑わしきは、罰せず』という。
しかし子どもの世界では、『疑わしきは、罰する』。
またそれに徹する。
「心配ない」説は、とんでもない意見ということになる。
もしそうなら、自分も自分の子どもを連れて、福島へ行けばよい。
現地の牛乳を飲ませ、ほうれん草を食べさせればよい。
暴論に聞こえるかもしれないが、そこまでしたら、私も「心配ない」説を信ずる。
九州という、東北からもっとも遠く離れた場所にある大学だから、好き勝手な論理を振り回すことができる。
京都大学は、それに比べて、ぐんと東北に近い。
「週刊現代」を発行する講談社は、まさにスーパー・ホットスポット内(東京)にある。
で、このエッセーの結論は、こうなる。
日本では、今、チェルノブイリ事故以上の深刻な事故が起きている。
もしここで今、再度、大地震が起きたり、水素爆発、もしくは水蒸気爆発が起きたら、万事休す。
作業員すら近づけなくなる。
だから万事休す。
難民として、外国へ逃げるしか、生き延びる方法はない。
みなさんには、その覚悟ができているだろうか?
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 意識論)
平成23年7月5日(火)記
Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司
2011年7月5日火曜日
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