●過剰行動児
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
【突然、キーキー声を張りあげる子どもについて】
【N先生より、はやし浩司へ】
お久しぶりです。先生、お元気でしょうか。
うだるような暑さの中でも子どもたちは
元気に遊んでいます。
今日は、保育園の園児のご相談をしたいと
思います。
興奮したりすると、「キー」とまるで猿のように
叫ぶ子がいて、とても気になります。
一人そんなことをすると、まねをする子が出ます。
友達と遊んでいて、喜んでいる時かと思いますが、
本当によく響き渡る声です。
この子は、5歳児ですが、サ行やタ行がうまく
言えません。でも、友達とはおしゃべりが盛んです。
実習生やボランティアの方などが保育園に
みえると、おんぶや抱っこをせがんだり、べったり
甘えたりして積極的に行動します。
家庭では、母親にほとんど甘えたがる様子は見せない
ということです。
単に、そんな声を出して楽しんでいるのか、それとも
何か彼の心のなかを表現しているのでしょうか。
子どもですから、キャッキャと騒ぐのは慣れているのですが
この子の声はとても気になります。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●問題点
問題点は、つぎの3つある。
それぞれを別に考える。
が、ここでは(1)の過剰行動性について考える。
(1)キーキー声を張り上げる。
(2)発語障害
(3)母子関係の不全(マターナルデブリベーション)
【はやし浩司より、N先生へ】
●樹香庵
暑いですね。
冗談のような話ですが、おとといの夜は、浜北区の森の家にある、樹香庵に一泊しました。
すばらしい一軒家旅館です。
そこでのこと。
風呂上がりに体重計に乗ったら、何と72キロ!
ギョーッ!
少し腹が出てきたかなと思っていましたが、7~8キロもオーバーです。
で、そのショックといったら、たいへんなものでした。
とたん意気消沈。
ガックリときました。
で、しばらくしてから、ワイフにも体重を測らせました。
そのワイフも、いつもより6キロもオーバー。
……ということで、体重計が壊れていることを知りました。
ホーッとしましたが、そんなこともあり、昨日と今日は、運動+ダイエット。
サイクリングを2単位(40分x2)、プラス、カロリーメイトと軽食のみ。
昨日、1キロ減量。
今日、500グラム減量。
現在、66キロ。
それでも標準より、4~5キロ、オーバー。
しばらく苦しいダイエットがつづきそうです。
●キーキー・ボイスについて
幼児のキーキー・ボイス(突発的で、耳をつんざくようなキーキー声)は、第一に、過剰行動性を疑います。
もう30年ほど前から、アメリカでは問題になっています。
「過剰行動児」と訳されていますが、日本では一般的ではありません。
原因は、低血糖です。
日常的に、糖分の多い食生活(ジュースやアイスクリームなど)を摂取していると、血糖値があがります。
その血糖値をさげようと、インシュリンが分泌されます。
で、血糖値はさがりますが、血中に残ったインシュリンが、さらに血糖値をさげつづけます。
結果として、低血糖児になるわけです。
低血糖になると、脳の抑制命令がきかなくなり、行動に過剰性がみられるようになります。
以前書いた原稿をこのあとに添付しますが、砂糖断ち(白砂糖)をすれば、1週間ほどで、ウソのように静かになりますから、一度、試してみてください。
つまり原因は、食生活と考えます。
(かんしゃく発作、あるいはてんかん症も疑われますが……。)
付随的な症状としては、(1)体の緊張感が保てず、ダラダラとした様子になる(カルシウムイオン不足)、(2)集中力がつづかない、(3)興奮性が強くなる、などがあります。
あわせて海産物の多い食生活に切り替えます。
海産物には、K、Mg、Caが多く含まれています。
イギリスでは昔から、「カルシウムは紳士を作る」と言われています。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●過剰行動児(2007年に書いた原稿)
●砂糖は白い麻薬
++++++++++++
甘い食品になれた子どもから、
甘い食品を取りあげると、
禁断症状に似た症状が観察される。
私はこのことを、すでに30年前
に発見した。雑紙にも、そう書いた。
それが最近、科学的に、証明され
つつある。
++++++++++++
●禁断症状
アメリカの国立薬物乱用研究所の、N・D・ボルコフ(女性研究者)は、つぎのような論文を発表している。
「……過食症ラットのばあい、砂糖を多く含むエサを与えたあとに、ナロキソンというオピオイド拮抗剤(脳内快楽物質の働きを妨げる薬)を投与すると、禁断症状が起こる。
モルヒネを注射したあとに、ナロキソンを投与したのと同じく、禁断症状が生ずるのだ。この結果から、糖分の多いエサを食べつづけることによって、身体的な依存が生じていたことがわかる。人間でも同じ反応が起こるなら、禁断症状を緩和する処置が、ダイエットに役立つかもしれない」(日経・サイエンス・07・12月号・P55)と。
これはラットについての実験だから、そのまま人間に当てはまるとはかぎらない。しかし一歩、近づいた! つまり白砂糖でも、麻薬に似た禁断症状が起こる!
その30年前に書いた原稿をさがしてみたが、見あたらなかった。そのかわり、当時の原稿をもとに、書き直した原稿が見つかった。中日新聞に、8年前に発表した原稿である。この中に書いた、U君というのは、今でもよく覚えている。
++++++++++++++
●砂糖は白い麻薬
●独特の動き
キレるタイプの子どもは、独特の動作をすることが知られている。動作が鋭敏になり、突発的にカミソリでものを切るようにスパスパとした動きになるのがその一つ。
原因についてはいろいろ言われているが、脳の抑制命令が変調したためにそうなると考えるとわかりやすい。そしてその変調を起こす原因の一つが、白砂糖(精製された砂糖)だそうだ(アメリカ小児栄養学・ヒューパワーズ博士)。
つまり一時的にせよ白砂糖を多く含んだ甘い食品を大量に摂取すると、インスリンが大量に分泌され、そのインスリンが脳間伝達物質であるセロトニンの大量分泌をうながし、それが脳の抑制命令を阻害する、と。
●U君(年長児)のケース
U君の母親から相談があったのは、4月のはじめ。U君がちょうど年長児になったときのことだった。母親はこう言った。「部屋の中がクモの巣みたいです。どうしてでしょう?」と。
U君は突発的に金きり声をあげて興奮状態になるなどの、いわゆる過剰行動性が強くみられた。このタイプの子どもは、まず砂糖づけの生活を疑ってみる。聞くと母親はこう言った。
「おばあちゃんの趣味がジャムづくりで、毎週そのジャムを届けてくれます。それで残したらもったいないと思い、パンにつけたり、紅茶に入れたりしています」と。そこで計算してみるとU君は1日、100~120グラムの砂糖を摂取していることがわかった。かなりの量である。そこで私はまず砂糖断ちをしてみることをすすめた。が、それからがたいへんだった。
●禁断症状と愚鈍性
U君は幼稚園から帰ってくると、冷蔵庫を足で蹴飛ばしながら、「ビスケットをくれ、ビスケットをくれ!」と叫ぶようになったという。急激に砂糖断ちをすると、麻薬を断ったときに出る禁断症状のようなものがあらわれることがある。U君のもそれだった。
夜中に母親から電話があったので、「そのまま砂糖断ちをつづけるように」と私は指示した。が、その1週間後、私はU君の姿を見て驚いた。U君がまるで別人のように、ヌボーッとしたまま、まったく反応がなくなってしまったのだ。
何かを問いかけても、口を半開きにしたまま、うつろな目つきで私をぼんやりと私を見つめるだけ。母親もそれに気づいてこう言った。「やはり砂糖を与えたほうがいいのでしょうか」と。
●砂糖は白い麻薬
これから先は長い話になるので省略するが、要するに子どもに与える食品は、砂糖のないものを選ぶ。今ではあらゆる食品に砂糖は含まれているので、砂糖を意識しなくても、子どもの必要量は確保できる。ちなみに幼児の一日の必要摂取量は、約10~15グラム。この量はイチゴジャム大さじ一杯分程度。
もしあなたの子どもが、興奮性が強く、突発的に暴れたり、凶暴になったり、あるいはキーキーと声をはりあげて手がつけられないという状態を繰り返すようなら、一度、カルシウム、マグネシウムの多い食生活に心がけながら、砂糖断ちをしてみるとよい。効果がなくてもダメもと。砂糖は白い麻薬と考える学者もいる。子どもによっては一週間程度でみちがえるほど静かに落ち着く。
●リン酸食品
なお、この砂糖断ちと合わせて注意しなければならないのが、リン酸である。リン酸食品を与えると、せっかく摂取したカルシウム分を、リン酸カルシウムとして体外へ排出してしまう。
とは言っても、今ではリン酸(塩)はあらゆる食品に含まれている。たとえば、ハム、ソーセージ(弾力性を出し、歯ごたえをよくするため)、アイスクリーム(ねっとりとした粘り気を出し、溶けても流れず、味にまる味をつけるため)、インスタントラーメン(やわらかくした上、グニャグニャせず、歯ごたえをよくするため)、プリン(味にまる味をつけ、色を保つため)、コーラ飲料(風味をおだやかにし、特有の味を出すため)、粉末飲料(お湯や水で溶いたりこねたりするとき、水によく溶けるようにするため)など(以上、川島四郎氏)。かなり本腰を入れて対処しないと、リン酸食品を遠ざけることはできない。
●こわいジャンクフード
ついでながら、W・ダフティという学者はこう言っている。「自然が必要にして十分な食物を生み出しているのだから、われわれの食物をすべて人工的に調合しようなどということは、不必要なことである」と。
つまりフード・ビジネスが、精製された砂糖や炭水化物にさまざまな添加物を加えた食品(ジャンク・フード)をつくりあげ、それが人間を台なしにしているというのだ。「(ジャンクフードは)疲労、神経のイライラ、抑うつ、不安、甘いものへの依存性、アルコール処理不能、アレルギーなどの原因になっている」とも。
●U君の後日談
砂糖漬けの生活から抜けでたとき、そのままふつう児にもどる子どもと、U君のように愚鈍性が残る子どもがいる。それまでの生活にもよるが、当然のことながら砂糖の量が多く、その期間が長ければ長いほど、後遺症が残る。
U君のケースでは、それから小学校へ入学するまで、愚鈍性は残ったままだった。白砂糖はカルシウム不足を引き起こし、その結果、「脳の発育が不良になる。先天性の脳水腫をおこす。脳神経細胞の興奮性を亢進する。痴呆、低脳をおこしやすい。精神疲労しやすく、回復がおそい。神経衰弱、精神病にかかりやすい。一般に内分泌腺の発育は不良、機能が低下する」(片瀬淡氏「カルシウムの医学」)という説もある。
子どもの食生活を安易に考えてはいけない。
+++++++++++++
30年前の当時、『白砂糖は麻薬』と、私は書いた。U君の禁断症状(ほんとうは、麻薬による禁断症状というのは、知らなかったが)、その禁断症状を目(ま)の当たりに見せつけられて、私は、そう書いた。
U君は、幼稚園から帰るとすぐ、冷蔵庫を足で蹴りながら、「ビスケット!」「ビスケット!」と叫んだという。そのあまりの異常な様子に母親があわてて、私に相談してきた。
が、当時、『白砂糖が麻薬』と考える人は、だれもいなかった。私の意見は無視された。おかしなことに、当時は、「砂糖は、滋養要素」と考えられ、「甘いものを断つと、かえって子どもの情緒は不安定になる」と主張する学者さえいた。
私はN・D・ボルコフ(女性研究者)の論文を読んだとき、「やはりそうだった」と、確信を得た。まだラットでの実験段階だから、先にも書いたように、人間にそのまま当てはめて考えることはできない。先に、「あと、一歩!」と書いた私の気持ちを理解してもらえれば、うれしい。
●お母さんたちへ
ショッピングセンターなどの飲食コーナーなどへ行くと、よく、子どもの頭よりも大きなソフトクリームや、ジュースを、食べたり、飲んでいる子どもを見かけますね。
それがいかに危険なものであるかを知るためには、あなた自身が、一度、自分の頭より大きなソフトクリームや、ジュースを、食べたり、飲んでみることです。
量は、体重で計算します。体重、15キロの子どもが、ソフトクリーム1個を食べるということは、体重60キロのおとなが、4個食べる量に等しいということです。
いくらおとなでも、4個は食べられませんね。食べたら、気分(=頭)がおかしくなります。それだけではありません。一時的な血糖値の急上昇が、その直後に、低血糖を引き起こすことも、よく知られています。「甘いものを食べて、どうして低血糖?」と思われる人もいるかもしれません。理由は簡単です。血中に大量のインシュリンだけが残り、必要以上に血糖値をさげてしまうからです。
突発的に衝動的な行動に移る子どもは、この低血糖を疑ってみます。わかりやすく言えば、突発的に、キーッとか、キャッキャッと、甲高い声を張り上げて、(たいていは耳をつんざくような金きり声で)、騒ぐようでしたら、まずこの低血糖を疑ってみます。
『砂糖は、白い麻薬』です。もしどうしても、甘い食品……ということでしたら、精製していない、黒砂糖をお勧めします。黒砂糖には、CA、MG、Kなどの天然のミネラル分がバランスよく含まれていますから、ここでいうような(突発的な行動)は起こりません。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 ボルコフ 過食症ラット 禁断症状)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●インシュリンの分泌について
ついおととい、こんな論文がネット上に、ニュースとして流れました。
「ペットボトル症候群」というのが、それです。
「ペットボトル症候群」という言葉は、もう10年以上も前からあります。
毎年、夏になると、話題になります。
ウィキペディア百科事典には、つぎのようにあります。
『ペットボトル症候群(ペットボトルしょうこうぐん、PET bottle syndrome)とはスポーツドリンク、清涼飲料水などを大量に飲み続けることによっておこる急性の糖尿病である。糖尿病性ケトアシドーシスの症状となった若い人達の多くがペットボトルで清涼飲料水を飲んでいたことから「ペットボトル症候群(清涼飲料水ケトアシドーシス)」と名付けられた。1992年5月に、聖マリアンナ医科大学の研究グループが報告した』(ウィキペディア百科事典)と。
このばあいは、一度に多量の糖分を摂取することにより、インシュリンの分泌が停止してしまうということになります。
その結果、急性の糖尿病が起るというわけです。
ひどいばあいは、そのまま昏睡状態に陥ってしまうこともあるといいます。
(こわいですね!)
どうであるにせよ、糖分の過剰摂取は、子どもの脳の発育には、よい影響を与えないということになります。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●キレる子ども(感情、行動に抑制のきかない子ども)
キレる子ども(突発的に錯乱状態になって、暴れる、興奮する)についても、ひとつの原因として、白砂糖の過剰摂取が疑われています。
一部、原稿がダブるかもしれないが、それについて書いた原稿をさがしてみます。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
【栄養学の分野からの考察】
●過剰行動性のある子ども
もう二〇年以上も前だが、アメリカで「過剰行動性のある子ども」(ヒュー・パワーズ・小児栄養学)が、話題になったことがある。ささいなことがきっかけで、突発的に過剰な行動に出るタイプの子どもである。
日本では、このタイプの子どもはほとんど話題にならなかったが、中学生によるナイフの殺傷事件が続いたとき、その原因の一つとして、マスコミでこの過剰行動性が取りあげられたことがある(九八年)。日本でも岩手大学の大沢博名誉教授や大分大学の飯野節夫教授らが、この分野の研究者として知られている。
●砂糖づけのH君(年中児)
私の印象に残っている男児にH君(年中児)という子どもがいた。最初、Hさん(母親)は私にこう相談してきた。「(息子の)部屋の中がクモの巣のようです。どうしたらいいでしょうか」と。
話を聞くと、息子のH君の部屋がごちゃごちゃというより、足の踏み場もないほど散乱していて、その様子がふつうではないというのだ。が、それだけならまだしも、それを母親が注意すると、H君は突発的に暴れたり、泣き叫んだりするという。始終、こきざみに動き回るという多動性も気になると母親は言った。私の教室でも突発的に、耳をつんざくような金切り声をあげ、興奮状態になることも珍しくなかった。そして一度そういう状態になると、手がつけられなくなった。私はその異常な興奮性から、H君は過剰行動児と判断した。
ただ申し添えるなら、教育の現場では、それが学校であろうが塾であろうが、子どもを診断したり、診断名をくだすことはありえない。第一に診断基準が確立していないし、治療や治療方法を用意しないまま診断したり、診断名をくだしたりすることは許されない。仮にその子どもが過剰行動児をわかったところで、それは教える側の内心の問題であり、親から質問されてもそれを口にすることは許されない。
診断については、診断基準や治療方法、あるいは指導施設が確立しているケース(たとえば自閉症児やかん黙児)では、専門のドクターを紹介することはあっても、その段階で止める。この過剰行動児についてもそうで、内心では過剰行動児を疑っても、親に向かって、「あなたの子どもは過剰行動児です」と告げることは、実際にはありえない。教師としてすべきことは、知っていても知らぬフリをしながら、その次の段階の「指導」を開始することである。
●原因は食生活?
ヒュー・パワーズは、「脳内の血糖値の変動がはげしいと、神経機能が乱れ、情緒不安になり、ホルモン機能にも影響し、ひいては子どもの健康、学習、行動に障害があらわれる」という。メカニズムは、こうだ。ゆっくりと血糖値があがる場合には、それに応じてインスリンが徐々に分泌される。しかし一時的に多量の砂糖(特に精製された白砂糖)をとると、多量の、つまり必要とされる量以上の量のインスリンが分泌され、結果として、子どもを低血糖児の状態にしてしまうという(大沢)。
そして(1)イライラする。機嫌がいいかと思うと、突然怒りだす、(2)無気力、(3)疲れやすい、(4)(体が)震える、(5)頭痛など低血糖児特有の症状が出てくるという(朝日新聞九八年2・12)。これらの症状は、たとえば小児糖尿病で砂糖断ちをしている子どもにも共通してみられる症状でもある。私も一度、ある子ども(小児糖尿病患者)を病院に見舞ったとき、看護婦からそういう報告を受けたことがある。
こうした突発的な行動については、次のように説明されている。つまり脳からは常に相反する二つの命令が出ている。行動命令と抑制命令である。たとえば手でものをつかむとき、「つかめ」という行動命令と、「つかむな」という抑制命令が同時に出る。
この二つの命令がバランスよく調和して、人間はスムーズな動きをすることができる。しかし低血糖になると、このうちの抑制命令のほうが阻害され、動きがカミソリでスパスパとものを切るような動きになる。先のH君の場合は、こまかい作業をさせると、震えるというよりは、手が勝手に小刻みに動いてしまい、それができなかった。また抑制命令が阻害されると、感情のコントロールもできなくなり、一度激怒すると、際限なく怒りが増幅される。そして結果として、それがキレる状態になる。
●恐ろしいカルシウム不足
砂糖のとり過ぎは、子どもの心と体に深刻な影響を与えるが、それだけではない。砂糖をとり過ぎると、カルシウム不足を引き起こす。
糖分の摂取が、体内のカルシウムを奪い、虫歯の原因になることはよく知られている。体内のブドウ糖は炭酸ガスと水に分解され、その炭酸ガスが、血液に酸性にする。その酸性化した血液を中和しようと、骨の中のカルシウムが、溶け出るためと考えるとわかりやすい。
体内のカルシウムの98%は、骨に蓄積されている。そのカルシウムが不足すると、「(1)脳の発育が不良になったり、(2)脳神経細胞の興奮性を亢進したり、(3)精神疲労をしやすくまた回復が遅くなるなどの症状が現われる」(片瀬淡氏「カルシウムの医学」)という。わかりやすく言えば、カルシウムが不足すると、知恵の発達が遅れ、興奮しやすく、また精神疲労を起こしやすいというのだ。甘い食品を大量に摂取していると、このカルシウム不足を引き起こす。
++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
●生化学者ミラー博士らの実験
精製されてない白砂糖を、日常的に多量に摂取すると、インスリンの分泌が、脳間伝達物質であるセロトニンの分泌をうながし、それが子どもの異常行動を引き起こすという。アメリカの生化学者のミラーは、次のように説召している。
「脳内のセロトニンという(脳間伝達)ニューロンから脳細胞に情報を伝達するという、神経中枢に重要な役割をはたしているが、セロトニンが多すぎると、逆に毒性をもつ」(「マザーリング」八一年(7)号)と。日本でも、自閉症や子どもの暴力、無気力などさまざまな子どもによる問題行動が、食物と関係しているという研究がなされている。ちなみに、食品に含まれている白砂糖の量は、次のようになっている。
製品名 一個分の量 糖分の量
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ヨーグルト 【森永乳業】 90ml 9・6g
伊達巻き 【紀文】 39g 11・8g
ミートボール 【石井食品】 1パック120g 9・0g
いちごジャム 【雪印食品】 大さじ30g 19・7g
オレンジエード【キリンビール】 250ml 9・2g
コカコーラ 250ml 24・1g
ショートケーキ 【市販】 一個100g 28・6g
アイス 【雪印乳業】 一個170ml 7・2g
オレンジムース 【カルピス】 38g 8・7g
プリン 【協同乳業】 一個100g 14・2g
グリコキャラメル【江崎グリコ】 4粒20g 8・1g
どら焼き 【市販】 一個70g 25g
クリームソーダ 【外食】 一杯 26g
ホットケーキ 【外食】 一個 27g
フルーツヨーグルト【協同乳業】 100g 10・9g
みかんの缶詰 【雪印食品】 118g 15・3g
お好み焼き 【永谷園食品】 一箱240g 15・0g
セルシーチョコ 【江崎グリコ】 3粒14g 5・5g
練りようかん 【市販】 一切れ56g 30・8g
チョコパフェ 【市販】 一杯 24・0g
●砂糖は白い麻薬
H君の母親はこう言った。「祖母(父親の実母)の趣味が、ジャムづくりで、毎週ビンに入ったジャムを届けてくれます。うちでは、それを食べなければもったいないということで、パンや紅茶など、あらゆるものにつけて食べています」と。
私はH君の食生活が、かなりゆがんだものと知り、とりあえず「砂糖断ち」をするよう進言した。が、異変はその直後から起きた。幼稚園から帰ったH君が、冷蔵庫を足げりにしながら、「ビスケットがほしい、ビスケットがほしい」と泣き叫んだというのだ。母親は「麻薬患者の禁断症状のようで、恐ろしかった」と話してくれた。が、それから数日後。今度はH君が一転、無気力状態になってしまったという。私がH君に会ったのは、ちょうど一週間後のことだったが、H君はまるで別人のようになっていた。ボーッとして、反応がまるでなかった。母親はそういうH君を横目で見ながら、「もう一度、ジャムを食べさせましょうか」と言ったが、私はそれに反対した。
●カルシウムは紳士をつくる
戦前までは、カルシウムは、精神安定剤として使われていた。こういう事実もあって、イギリスでは、「カルシウムは紳士をつくる」と言われている。子どもの落ち着きなさをどこかで感じたら、砂糖断ちをする一方、カルシウムやマグネシウムなど、ミネラル分の多い食生活にこころがける。私の経験では、幼児の場合、それだけで、しかも一週間という短期間で、ほとんどの子どもが見違えるほど落ち着くのがわかっている。
川島四郎氏(桜美林大学元教授)も、「ヒステリーやノイローゼ患者の場合、カルシウムを投与するだけでなおる」(「マザーリング」八一年(7)号)と述べている。効果がなくても、ダメもと。そうでなくても、缶ジュース一本を子どもに買い与えて、「うちの子は小食で困ります」は、ない。体重15キロ前後の子どもに、缶ジュースを一本与えるということは、体重60キロの人が、4本飲む量に等しい。おとなでも缶ジュースを四本は飲めないし、飲めば飲んだで、腹の中がガボガボになってしまう。
なお問題となるのは、精製された白砂糖をいう。どうしても甘味料ということであれば、精製されていない黒砂糖をすすめる。黒砂糖には、天然のミネラル分がほどよく配合されていて、ここでいう弊害はない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 過剰行動児 セロトニン悪玉説 キレる子供の原因 キレる子どもの原因 切れる子供 原因 キレる子ども 原因 原因物質)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●N先生へ
その子どもには、砂糖断ちを勧めてみたらよいでしょう。
しかしこれは食生活の問題というよりは、母親の買い物癖の問題です。
一時的に母親が気をつけても、また数か月もすると、元に戻ってしまいます。
母親の買い物癖が、また始まるからです。
ショッピングに行っても、甘い食品を選んで買う、など。
ですから母親自身が、かなり心を鬼にして、つまり覚悟をして治そうという意識がないかぎり、子どもの過剰行動性は、治らないということです。
そこで私は、「冷蔵庫をカラにせよ」という提言をしています。
それについて書いた原稿もあるはずです。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●買い物グセ
夏場になると、がぜん多くなるのが、体をクネクネ、ダラダラさせる子ども。原因は、いろいろある。
クーラーなどによる、冷房のかけすぎ。睡眠不足。それに、甘いものの食べすぎ。
この時期、どうしても、アイスやかき氷が多くなる。ジュースや、清涼飲料水などなど。糖分のとりすぎが遠因となって、カルシウム、マグネシウム、カリウムなどの不足を引き起こす。
だいたいにおいて、世の母親たちよ、ものごとは、常識で考えてみようではないか。
体重12キロの子どもに、缶ジュース一本を与えるということは、体重60キロのおとなが、5本飲む量に等しい。それだけ多量のジュースを一方で、与えておきながら、「どうしてうちの子は、小食なのでしょうか」は、ない!
……というような話をすると、ほとんどの親は、自分の愚行(失礼!)に気づく。そして、こう言う。「では、今日から、改めます」と。
しかし、問題は、この先。
しばらくの間は、母親も注意する。しかし数週間から1か月、2か月もすると、また、もとにもどってしまう。もとの食生活にもどって、また子どもに、甘い食べ物を与えてしまう。
思考回路がそうできているからである。つまり、この思考回路、それにもとづく行動パターンを変えるのは、容易なことではない。
買いものに行くと、また同じ、ジュースだのアイスを買い始めてしまう……。
では、どうするか。
こうした思考回路を変えるためには、ショックを与えなければならない。「ショック」である。
話は、かなり脱線するが、昔は、チンドン屋というのがいた。新しい店ができると、そこの経営者がチンドン屋を雇い、そのチンドン屋が、そのあたりをぐるぐると回った。
私たち子どもは、それがおもしろくて、いつまでも、そのチンドン屋について歩いた。
つまりそうすることで、もちろんその店の宣伝にもなるが、そのあたりに住む人たちの、行動パターンを変えることができる。たとえば人というのは、一度、ある店に行き始めると、その行動パターンを変えるのは、容易なことではない。
「お酒……」といえば、「A酒屋」と。
「お米……」といえば、「B米屋」と。
そこで新しくできた店は、そのあたりの人たちがもつ、そういう意識、つまり行動パターンを変えなければならない。それがチンドン屋というわけである。
たしかにあのチンドン屋は、ショックを与えるという意味では、効果がある。派手な服装に、派手な鳴り物。それに踊り。チンチン、ドンドンと音に合わせて、踊りながら回る。そのあたりの人たちは、それを見て、自分の行動パターンを変える……。
では、どうするか?
あなたには、あなたの買い物グセがある。その買い物グセをなおすには、どうするか。
もうおわかりかと思うが、その行動パターンを変えるためには、自らにショックを与えればよいということになる。ショックを与えて、自分の行動パターンを変える。
【一つの方法】
今すぐ、冷蔵庫の中にある、甘い食品(アイス、ジュース、プリンなど)を、すべて袋につめて、捨てる。「もったいない」と思ったら、なおさら、心を鬼にして、捨てる。
この「もったいない」という思いが、ショックとなって、あなたの意識、行動パターンが変わる。
こういうとき、「つぎから、買うのをひかえればいい」とか、「もったいないから、食べてしまおう」と考えてはいけない。そういうケチな根性をもつと、またすぐ、もとの買い物グセにもどってしまう。
●マターナル・デブリベーション
ついでに母子関係の不全についての原稿をさがしてみます。
どうか参考になさってください。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●マターナル・デブリベーション(Maternal Deprivation、母子関係不全症候群)
+++++++++++++++++++
乳幼児期の母子関係の不全。
それが後々、さまざまな症状の遠因となることがある。
とくに母子関係の欠如を、「マターナル・デブリベーション」
という。
子どもというのは、心豊かな家庭環境、とくに心豊かな母子関係の
中で、心をはぐくむ。
が、母親側に何かの問題があり、本来あるべき母子関係が
築けなくなることがある。
育児拒否、ネグレクト、育児放棄、母性愛の欠落、虐待、暴行など。
また自分の子どもであっても、子どもを愛せない母親は、
8~10%いる。
こうした母親側の育児姿勢が日常化すると、子どもには独特の
症状が現れるようになる。
ホスピタリズム(施設病)に似た症状を示すと説く学者もいる(後述)。
その第一が、他者との共鳴性の欠落。
わかりやすく言えば、心の温もりを失い、心の冷たい子どもになる。
他人の心の痛みが理解できない。
相手の立場に立って、ものを考えることができない、など。
そのため年齢を重ねるについれて、自分より弱い者をいじめたり、
自分より弱い立場にある動物を、虐待したりするようになる。
さらに成人してから、心の病気となって発現することもある。
ネットを使って、そうではないかと思われる症状をもった人を、
参考までに拾ってみた(2チャンネルより)。
もちろんここにあげた人たちの症例が、マターナル・デブリベイション
が原因というわけではない。
その疑いがあると、私が思うだけの話である。
++++++++++++++++++
●心の葛藤
母子関係に悩み、葛藤している人は多い。
「親子だから……」「母親だから……」という『ダカラ論』ほど、あてにならないものはない。
またそういう前提で、この問題を考えてはいけない。
現在、人知れず、母親との関係に苦しんでいる人は多い。
++++++以下、2チャンネル投稿記事より転載+++++++
●症状(1)
【主訴、症状】自分が無価値、無意味だと思う。
漠然と怖い。
超泣く。所構わず突発的に。
睡眠障害(眠剤入れても3時間で目覚める)
母親が死ぬほど怖いし憎い(毒親で現在距離置き中)
【その他質問、追加事項】
抑うつ(っぽいと言われましたが病名はまだ)、過食嘔吐です。
大学に入るまでずっと抑圧された優等生でいざるをえなくて、それでも母親に否定され続けた。
反抗期も持てなく、完璧でないと思っている。
結婚したいヒトがいると言ったら、「これ以上親を不幸にするな」と言われ、
そこらへんくらいから将来を考えると不安になる(ネガティブな未来ばかりを想像して)ようになり 年末に仕事を失敗してから、仕事を拠り所にしていたことだろうことから(カウンセラーの言葉)自分の存在が0になったと思い全く身動きが取れなくなりました。
●症状(2)
【主訴、症状】引き篭もり。対人恐怖症。大声や物音に敏感で、緊張・恐怖・混乱・不安等を感じます。電話に出たり一人で外出できません。
母親からのモラハラと肉体的暴力、学校での虐め、母親の再婚先での連れ子虐待等から立ち直れません。フラッシュバックがよく起きます。
常に焦燥感があります。落ち着きや集中力や記憶力がなく頻繁に苛々しやすい。無心で喋り続ける妙な癖のようなものがある。
「死にたい」というよりも、寧ろ母親が憎くて殺したいと思っています。母親が死ねば解放されると信じていたりして自分でもマズイと思ってます。
普通の悪夢もありますが、憎い人間を殺す夢を見ることが多いです。
中学生の頃より酷くはないですが、フラッシュバックで気持ちが悪くなり、泣き喚いたりヒスっぽい奇声を発することもあります。これはごく稀です。
++++++以上、2チャンネル投稿記事より転載(原文のまま)+++++++
●母子関係の重要性
乳幼児期における母子関係の重要性については、何度も書いてきた。
その子どもの基本は、この時期に構築される。
基本的信頼関係もそのひとつ。
基本的信頼関係は、その後の、その人の人間関係に大きな影響を与える。
わかりやすく言えば、基本的信頼関係がしっかりと構築できた子ども(人)は、他人に対して、心が開くことができる。
そうでない子ども(人)は、心が開けなくなる。
(詳しくは、「はやし浩司 基本的信頼関係」で検索。)
が、それだけではない。この時期をのがすと、人間性そのものが欠落した子どもになる。
インドで見つかった、タマラ、アマラの2人のオオカミ少女を、例にあげるまでもない。
これについても、何度も書いてきた。
(詳しくは、「はやし浩司 野生児」で検索。)
さらに最近の研究によれば、人間にも鳥類に似た、刷り込みがあることがわかってきた。
卵からふ化したあと、すぐ二足歩行する鳥類は、最初に見たもの、耳にしたものを、親と思いこむ習性がある。
それを刷り込み(インプリンティング)という。
人間にも、同じような刷り込みがあるという。
0歳から生後7か月くらいまでの間の期間をいう。
この期間を、発達心理学の世界では、「敏感期」と呼んでいる。
が、不幸にして不幸な家庭に育った子どもは、こうした一連の母子関係の構築に失敗する。
●ホスピタリズム(施設病)
生後直後から、何らかの理由で母親の手元を離れ、施設などで育てられた子どもには、独特の症状が現れることは、よく知られている。
こうした一連の症候群をまとめて、「ホスピタリズム(施設病)」という。
(ただしこの言葉は、私が幼児教育の世界に入った、40年前にはすでにあった。
施設、たとえば保育園などに入ったからといって、みながみな、施設病になるわけではない。
当時と現在とでは、保育に対する考え方も大きく変わり、また乳児への接し方も、変わってきた。
ホスピタリズムについても、そういうことがないよう、細心の注意が払われるようになっている。)
ホスピタリズムの具体的な症状としては、「感情の動きが平坦になる、心が冷たい、知育の発達が遅れがちになる、貧乏ゆすりなどのクセがつきやすい」(長畑正道氏)など。
ほかにも、動作がのろい(緩慢行動)、感情表出が不安定、表情が乏しいなどの症状を示す。
これについては、以前、どこかの学校でもたれたシンポジウム用に書いた原稿があるので、それを末尾に添付しておく。
マターナル・デブリエイションでも、似たような症状を示す。
が、もっとも警戒すべき症状としては、人間性の喪失。
冒頭にも書いたように、他者との共鳴性の欠落が第一にあげられる。
わかりやすく言えば、心の温もりを失い、心の冷たい子どもになる。
他人の心の痛みが理解できない。
相手の立場に立って、ものを考えることができない、など。
そのため年齢を重ねるについれて、他人をいじめたり、自分より弱い立場にある人や動物を、虐待したりするようになる。
さらに最近の研究によれば、こうした人間性の獲得にも、「臨界期」があることがわかってきた。
先のオオカミ少女にしても、その後インド政府によって、手厚く保護され、教育をほどこされたが、最後まで、人間らしい心を取り戻すことはなかったという
つまり臨界期を過ぎてしまうと、それ以後、(取り返し)が、たいへん難しいということ。
このことからも乳幼児期における母子関係が、いかに重要なものであるかがわかる。
●いじめの問題
このマターナル・デプリベイションとは、直接関係ないかもしれないが、(いじめ)について、少し書いてみる。
先に、「年齢を重ねるについれて、他人をいじめたり、自分より弱い立場にある人や動物を、虐待したりするようになる」と書いた。
このことは、たとえば年中児~年長児(4~6歳児)に、ぬいぐるみを見せてみるとわかる。
心の温もりがじゅうぶん育っている子どもは、そうしたぬいぐるみを見せると、どこかうっとりとした表情を示す。
全体の7~8割が、そうである。
が、その一方で、ぬいぐるみを見せても反応しないか、反対にキックを入れたりする子どももいる。
(キックするからといって、心の冷たい子どもということには、ならない。誤解のないように!)
しかしこの時期までに、基本的な母性愛、父性愛の基本形は決まると考えてよい。
この時期に、おだやかでやさしい心をもった子どもは、その後も、そうした温もりを維持することができる。
もちろんこれだけで、(いじめの問題)がすべて説明できるわけではない。
またこの問題を解決すれば、(いじめの問題)がなくなるわけではない。
しかし(いじめの問題)を考えるときには、こうした問題もあるということを、頭に入れておく必要がある。
その子どもにすべての責任をかぶせるのは、かえって危険なことでもある。
反対に、たとえば極端なケースかもしれないが、溺愛児とか過保護児と呼ばれている子どもがいる。
このタイプの子どもは、よい意味において、母親の愛情をたっぷりと受けているから、いつも満足げでおっとりした様子を示す。
人格の核(コア)形成が遅れるというマイナス面はあるが、こと(いじめ)ということに関していえば、いじめの対象になることはあっても、いじめる側に回ることはまず、ない。
●「私」はどうか?
こうした問題を考えていると、いつも「では、私はどうなのか?」という問題がついて回る。
「マターナル・デプリベイベーションという問題があるのは、わかった。では、私はどうなのか?」と。
この文章を読んでいる人の中にも、心の温かい人もいる。
一方、心の冷たい人もいる。
が、この問題は、脳のCPU(中央演算装置)の問題だから、自分でそれを自覚するのは難しい。
心のやさしい人は、みなもそうだと思いやすい。
反対に心の冷たい人は、みなもそうだと思いやすい。
人は、いつも(自分の心)を基準として、他人をみる。
言い換えると、とくに心の冷たい人は、自分の心の冷たさに気づくことはない。
うすうす感ずることはあっても、いつもどこかでブレーキが働いてしまう。
あるいは上辺だけは、心の温かい人を演ずることもある。
だれかの不幸話を聞いたようなとき、さも同情したかのようなフリをしてみせる。
しかしそれ以上に、相手の心の中に踏み込んでいくことができない……。
そこで「私」を知る。
つまり「私自身は、どうなのか?」と。
私という人間は、心の温かい人間なのか。
それとも心の冷たい人間なのか、と。
そのひとつの基準が、(いじめ)ということになる。
今、善人ぶっているあなただって、ひょっとしたら学生時代、いじめを繰り返していたかもしれない。
そこにいじめられている人がいても、見て見ぬフリをして、通り過ぎてきたかもしれない。
あるいは、あなたが自身が先頭に立って、いじめを繰り返していたかもしれない。
そういうあなたは、じつはあなたの意思というよりは、あなたの育てられ方に原因があって、そうしていただけにすぎないということになる。
……と、短絡的に結びつけて考えることはできないが、その可能性も高いという意味で、この「マターナル・デブリベーション」の問題を考えてみたらよい。
そこでもう一度、あなた自身に問いただしてみる。
「あなたという人間は、子どものころいつも、(いじめ)とは無縁の世界にいただろうか」、
それとも「いつも(いじめ)の中心にいただろうか」と。
もし(いじめ)の中心にいたとするなら、あなたはかなり心の冷たい人間である可能性が高い。
さらに言えば、乳幼児期に、不幸にして不幸な家庭環境に育った可能性が高い。
で、その(冷たさ)ゆえに、失っているものも多いはず。
孤独で、みじめで、さみしい毎日を送っているはず。
損か得かということになれば、損に決まっている。
●では、どうするか
心の冷たい人が、温かい人になるということは、ありえるのだろうか。
乳幼児期にできあがった(心)を、おとなになってから、作り替えることは可能なのだろうか。
私は、それはたいへんむずかしいと思う。
人格の核(コア)というのは、そういうもの。
本能に近い部分にまで刻み込まれるため、それを訂正したり、修正したりするのは、容易なことではない。
そうした変化を自分のものにする前に、人生そのものが先に終わってしまってしまうということもある。
自分を作り変えるとしても、時間がかかる。
10年単位、20年単位の時間がかかる。
が、何よりも難しいのは、そうした自分に気がつくこと。
この問題は、先にも書いたように、脳のCPUの問題がからんでいる。
さらに加齢とともに、(心)は、あなた自身の性格や性質として、定着してしまう。
これを「性格の固定化」と、私は呼んでいる。
そうなると、自分を変えるのは、ますます難しくなる。
では、どうすればよいか。
ひとつの方法として、これは前にも書いたが、「感動する」という方法がある。
「感動する」ことによって、「他者との共鳴性」を育てる。
わかりやすく言えば、相手の心と波長を合わせる。
絵画、音楽、文学、演劇、映画、ドラマ・・・。
何でもよい。
そこに感動するものがあれば、それに感動する。
そういう場を自ら、求めていく。
つまり感動しながら、自分の心のワクを広げていく。
さらに最近の大脳生理学によれば、脳の中の辺縁系にある扁桃核(扁桃体)が、心の温もりに関しているという説もある。
心のやさしい人は、大脳皮質部からの信号を受けると、扁桃核が、モルヒネ様のホルモン(エンドロフィン、エンケファリン系)の分泌を促す。
それが心地よい陶酔感を引き起こす。
心の冷たい人は、そういう脳内のメカニズムそのものが、機能しないのかもしれない。
(これは私の推察。)
●まず「私」を知る
が、それとて、まずその前に「私」を知らなければならない。
「私は冷たい人間」ということを、自覚しなければならない。
繰り返すが、この問題は脳のCPUの問題だから、自分でそれに気づくだけでもたいへん。
特別な経験をしないかぎり、不可能とさえ言える。
そのひとつの基準として、先に、(いじめ)を取り上げてみた。
ほかにも、いろいろある。
たとえばホームレスの人が路上で寝ていたする。
冷たい冬の風が、吹き荒れている。
そういう人を見て、心を痛める人がいる。
反対に街のゴミのように思う人もいる。
たとえば近親の中で、事業に失敗した人がいたとする。
そういうとき、何とか援助する方法はないものかと、あれこれ気をもむ人もいる。
反対に、「ザマーミロ」と笑ってすます人もいる。
いろいろな場面を通して、「私」を評価してみたらよい。
「私という人間は、どういう人間なのか」と。
それが好ましい人間性であれば、それでよし。
もしそうでなければ、つぎに「どうしてそういう私になったか」を、考えてみればよい。
「マターナル・デプリベーション」というと、子どもの問題と考えがちである。
しかしこの問題は、その子どもがおとなになってからも、つづく。
つまり(あなた)自身の問題ということになる。
(あなた)も、かつてはその(子ども)だった。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
日付は、2008年7月となっています。
古い原稿ですが、そのまま掲載します。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
(参考原稿)【自立と自律】(分科会、レジュメ)
●自立と依存
++++++++++++++++
自立と依存は、相克(そうこく)関係にある。
「相克」というのは、「相対立した」という意味。
自立性の強い子どもは、依存性が弱い。
自立性の弱い子どもは、依存性が強い。
一方依存性には、相互作用がある。
たとえば子どもの依存性と、親の依存性の間には、
相互作用がある。
一方的に子どもが依存性をもつようになるわけではない。
子どもの依存性に甘い環境が、子どもの依存性を強くする。
わかりやすく言えば、子どもの依存性は、親で決まるということ。
たとえばよく「うちの子は、甘えん坊で……」とこぼす親がいる。
が、実は、そういうふうに甘えさせているのは、親自身ということになる。
たいていのばあい、親自身も、依存性が強い。
++++++++++++++++
たとえばM氏夫婦を見てみよう。
M氏が、ある日、こんな話をしてくれた。
「私の妻は、病気になったりすると、自分でさっさと病院へ行き、診察を受けたりしています。
私に病気のことを、相談することは、めったにありません。
しかし私は、病院が好きではありません。
かなり症状が悪くならないと、病院へは行きません。
だから病気へ行くときは、妻にせかされて行きます。
そんなわけで、たいていいつも妻がついてきてくれます」と。
ひとりで病院へ行く、M氏の妻。
たいへん自立心の強い女性ということになる。
一方、ひとりでは病院へ行けない夫。
たいへん自立心が弱い男性ということになる。
M氏は、こうも言った。
「妻は、6人兄弟の真ん中くらいでした。
子どものころから、何でも自分でしていたのですね。
が、私はひとり息子。
祖父母、両親に溺愛されて育ちました」と。
が、ここで誤解してはいけないのは、だからといって、M氏が依存性の強い男性と考えてはいけない。
(えてして、「自立心が弱い」というと、どこかナヨナヨして、ハキのない人を想像しがちだが……。)
M氏は、現在、小さいながらも、コンピュータを使ったデザイン事務所を経営している。
これは夫婦のばあいだが、親子となると、少し事情が変わってくる。
親子のばあい、依存性というのは相互的なもので、親の依存性が強いと、子どももまた依存性が強くなる。
たとえば「うちの子は、甘えん坊で困ります」とこぼす母親がいる。
しかしそういうふうに甘えん坊にしているのは、実は、母親自身ということになる。
母親自身も、依存性が強く、その分だけ、どうしても子どもの依存性に甘くなる。
「うちの子は、甘えん坊で困ります」と一方でこぼしながら、実は、子どもが「ママ、ママ」と自分に甘えてくるのを、その母親は喜んでいる。
あるいは(家庭の基準)そのものが、ちがうときがある。
ある家庭では、子ども(幼稚園児)に、生活のほとんどを任せている。
そればかりか、父親がサラリーマン、母親が商店を経営しているため、スーパーでの買い物など、雑務のほとんどは、その子どもの仕事ということになっている。
が、母親はいつも、こうこぼしている。
「うちの子は、何もしてくれないのですよ」と。
一方、ベタベタの親子関係を作りながら、それが「ふつう」と思っている親もいる。
T君は、現在小学6年生だが、母親といっしょに床で寝ている。
一度父親のほうから、「(そういう関係は)おかしいから、先生のほうから何とか言ってください」という相談を受けたことがある。
が、母親は、そういう関係を、(理想的な親子関係)と思っている。
だから子どもの自立を考えるときは、その基準がどこにあるかを、まず知らなければならない。
さらに言えば、こと依存性の強い子どものばあい、子どもだけを問題にしても、意味はない。
ほとんどのばあい、親自身も、依存性が強い。
そんなわけで、子どもの自立を考えたら、まず、親自身がその手本を見せるという意味で、親自身が自立する。
その結果として、子どもは、自立心の旺盛な子どもになる。
さらに言えば、この自立と依存性の問題には、民族性がからんでくることがある。
一般的には、日本人のように農耕文化圏の民族は相互依存性が強く、欧米人のように牧畜文化圏の民族は、自立心が旺盛と考えてよい。
ただ誤解していけないのは、自立心は旺盛であればあるほどよいかというと、そうでもないようだ。
オーストラリアの友人(M大教授)が、こんな話をしてくれた。
「オーストラリアの学校では、子どもの自立を第一に考えて教育する。
それはそれでよいのかもしれないが、それがオーストラリアでは、大企業が育たない理由のひとつになっている」と。
●自立と自律
自立は常に、依存性と対比して考えられるのに対して、自律は、あくまでもその人個人の、セルフ・コントロールの問題ということになる。
さらに自律心は、人格の完成度(ピーター・サロベイ、「EQ論」)を知るための、ひとつの大切なバロメーターにもなっている。
自律心の強い子どもは、それだけ人格の完成度が高いということになる。
そうでない子どもは、それだけ人格の完成度が低いということになる。
ものの考え方が、享楽的で、刹那的。
誘惑にも弱い。
その自律をコントロールするのが、脳の中でも、前頭前野ということが、最近の研究でわかってきた。
自分の思考や行動を律するための、高度な知的判断は、この前頭前野でなされる。
(反対に、この部分が、何らかの損傷を受けたりすると、人は自分を律することができなくなると言われている。)
さらに言えば、この自律心は、0歳から始まる乳児期に決定されると考えてよい。
私はこのことを、2匹の犬を飼ってみて、知った。
++++++++++++++++
それについて書いた原稿が
ありますので、紹介します。
2002年11月に書いた原稿です。
++++++++++++++++
●教育を通して自分を知る
教育のおもしろさ。それは子どもを通して、自分自身を知るところにある。たとえば、私の家には二匹の犬がいる。一匹は捨て犬で、保健所で処分される寸前のものをもらってきた。これをA犬とする。もう一匹は愛犬家のもとで、ていねいに育てられた。生後二か月くらいしてからもらってきた。これをB犬とする。
まずA犬。静かでおとなしい。いつも人の顔色ばかりうかがっている。私の家に来て、一二年にもなろうというのに、いまだに私たちの見ているところでは、餌を食べない。愛想はいいが、決して心を許さない。その上、ずる賢く、庭の門をあけておこうものなら、すぐ遊びに行ってしまう。そして腹が減るまで、戻ってこない。もちろん番犬にはならない。見知らぬ人が庭の中に入ってきても、シッポを振ってそれを喜ぶ。
一方B犬は、態度が大きい。寝そべっているところに近づいても、知らぬフリをして、そのまま寝そべっている。庭で放し飼いにしているのだが、一日中、悪さばかりしている。おかげで植木鉢は全滅。小さな木はことごとく、根こそぎ抜かれてしまった。しかしその割には、人間には忠実で、門をあけておいても、外へは出ていかない。見知らぬ人が入ってこようものなら、けたたましく吠える。
●人間も犬も同じ
……と書いて、実は人間も犬と同じと言ったらよいのか、あるいは犬も人間と同じと言ったらよいのか、どちらにせよ同じようなことが、人間の子どもにも言える。いろいろ誤解を生ずるので、ここでは詳しく書けないが、性格というのは、一度できあがると、それ以後、なかなか変わらないということ。A犬は、人間にたとえるなら、育児拒否、無視、親の冷淡を経験した犬。心に大きなキズを負っている。
一方B犬は、愛情豊かな家庭で、ふつうに育った犬。一見、愛想は悪いが、人間に心を許すことを知っている。だから人間に甘えるときは、心底うれしそうな様子でそうする。つまり人間を信頼している。幸福か不幸かということになれば、A犬は不幸な犬だし、B犬は幸福な犬だ。人間の子どもにも同じようなことが言える。
●施設で育てられた子ども
たとえば施設児と呼ばれる子どもがいる。生後まもなくから施設などに預けられた子どもをいう。このタイプの子どもは愛情不足が原因で、独特の症状を示すことが知られている。感情の動きが平坦になる、心が冷たい、知育の発達が遅れがちになる、貧乏ゆすりなどのクセがつきやすい(長畑正道氏)など。
が、何といっても最大の特徴は、愛想がよくなるということ。相手にへつらう、相手に合わせて自分の心を偽る、相手の顔色をうかがって行動する、など。一見、表情は明るく快活だが、そのくせ相手に心を許さない。許さない分だけ、心はさみしい。あるいは「いい人」という仮面をかぶり、無理をする。そのため精神的に疲れやすい。
●施設児的な私
実はこの私も、結構、人に愛想がよい。「あなたは商人の子どもだから」とよく言われるが、どうもそれだけではなさそうだ。相手の心に取り入るのがうまい。相手が喜ぶように、自分をごまかす。茶化す。そのくせ誰かに裏切られそうになると、先に自分のほうから離れてしまう。
つまり私は、かなり不幸な幼児期を過ごしている。当時は戦後の混乱期で、皆、そうだったと言えばそうだった。親は親で、食べていくだけで精一杯。教育の「キ」の字もない時代だった。……と書いて、ここに教育のおもしろさがある。他人の子どもを分析していくと、自分の姿が見えてくる。「私」という人間が、いつどうして今のような私になったか、それがわかってくる。私が私であって、私でない部分だ。私は施設児の問題を考えているとき、それはそのまま私自身の問題であることに気づいた。
●まず自分に気づく
読者の皆さんの中には、不幸にして不幸な家庭に育った人も多いはずだ。家庭崩壊、家庭不和、育児拒否、親の暴力に虐待、冷淡に無視、放任、親との離別など。しかしそれが問題ではない。問題はそういう不幸な家庭で育ちながら、自分自身の心のキズに気づかないことだ。たいていの人はそれに気づかないまま、自分の中の自分でない部分に振り回されてしまう。そして同じ失敗を繰り返す。それだけではない。同じキズを今度はあなたから、あなたの子どもへと伝えてしまう。心のキズというのはそういうもので、世代から世代へと伝播しやすい。
が、しかしこの問題だけは、それに気づくだけでも、大半は解決する。私のばあいも、ゆがんだ自分自身を、別の目で客観的に見ることによって、自分をコントロールすることができるようになった。「ああ、これは本当の自分ではないぞ」「私は今、無理をしているぞ」「仮面をかぶっているぞ」「もっと相手に心を許そう」と。そのつどいろいろ考える。つまり子どもを指導しながら、結局は自分を指導する。そこに教育の本当のおもしろさがある。あなたも一度自分の心の中を旅してみるとよい。
(02-11-7)
● いつも同じパターンで、同じような失敗を繰り返すというのであれば、勇気を出して、自分の過去をのぞいてみよう。何かがあるはずである。問題はそういう過去があるということではなく、そういう過去があることに気づかないまま、それに引き回されることである。またこの問題は、それに気づくだけでも、問題のほとんどは解決したとみる。あとは時間の問題。
++++++++++++++++
心理学の世界には、「基本的信頼関係」という言葉がある。
この「基本的信頼関係」の中には、「基本的自律心」という意味も含まれる。
心豊かで、愛情をたっぷりと受けて育てられた子どもは、それだけ自律心が、強いということになる。
(はやし浩司 Maternal Deprivation マターナル デプリベイション マターナル デプリベーション 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 自立 自律 子どもの自立
子供の自律 (はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 マターナルデプリベイション マターナル 母子関係 母性愛の欠落 ホスピタリズム 長畑 施設病 人間性の欠落 臨界期 敏感期 刷り込み 保護と依存 子どもの依存性 幼児期前期 自律期 幼児期後期 自立期)
Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。