【水を触媒を使って、酸素と水素に分解する】
●希望
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遠い昔……といっても、41年前。
1970年のこと。
田丸謙二先生は、自身のチュータールームで、
先生の夢を話してくれた。
「いつか水を、触媒を使って酸素と水素に分解
することができれば、人類は、無尽蔵のクリーン
エネルギーを手にすることができる」と。
夢のような話である。
当時の私は、そう感じた。
が、それから41年。
昨日(2011年4月18日)、日本人研究者の
書いた論文が、世界中を駆け抜けた。
時が時だけに、この論文は、一抹の涼風となって
世界中を駆け抜けた。
同時に、私たちに人類に、未来に向かった夢を希望を
与えてくれた。
『……水から燃料電池で使う水素を作り出すことにつながり、
太陽光の電気エネルギーへの効率的な変換が期待できるという』
(北海道新聞)と。
専門的な話で、わかりにくいが、平たく言えば、こうだ。
水は、水素と酸素で構成されている。
きわめて安定した分子構造で、水を水素と酸素に
分離するのは、容易なことではない。
よく知られた方法に、水の電気分解がある。
しかしこの方法だと、多量の電力を必要とする。
そこで目をつけられたのが、「触媒」。
触媒を使えば、少量のエネルギーでも、化学反応は
一気に加速する。
水を酸素と水素に簡単に分解できる。
もしそれが可能になれば、先にも書いたように、
人類は無尽蔵のクリーンエネルギーを手にする
ことができる。
田丸謙二先生は、その触媒の研究に没頭していた。
私はそのニュースを読んだあと、すかさず田丸謙二
先生に、電話した。
東京大学だけでも、先生の弟子が10~11人も
教授職に就いている。
先生に論文の概略を伝えると、「それは堂免君(東大教授)
のことだよ。今度日本化学賞を取り、おとといその
祝賀会をうちでしたばかりです」
「中にはゲロを吐いた者もいましてね」と。
私は北海道新聞に載った記事を、そのまま
田丸謙二先生に転送した。
北海道……つまり北海道大学と田丸謙二先生との
縁は深い。
田丸謙二先生は、北海道大学の何かの記念会に、
記念講演をしている。
加えて杉野目晴貞先生(北海道大学前学長)を介して、
私と田丸謙二先生はともに、縁があった。
田丸謙二先生の恩師でもあり、私がUNESCO
の交換学生として韓国に渡ったとき、杉野目晴貞
先生が、いっしょに渡韓してくれた。
韓国のあちことをいっしょに旅をしたこともある。
いろいろなサイトでその記事は紹介されていた。
私はあえて北海道新聞に載った記事を選んだ。
北海道の北海道新聞である。
電話でそれを伝えると、田丸謙二先生は、「読みたいから、
すぐ送ってほしい」と言った。
私はその場でパソコンを開き、田丸謙二先生に、
北海道新聞の記事を送った。
+++++++++++++以下、北海道新聞より+++++++++++++++
光合成の最初に起こる反応で、太陽光で水が分解されて電子や水素イオンが作られる際の
触媒となる「膜タンパク質複合体」の詳細な構造を、岡山大の沈建仁教授と大阪市立大の
神谷信夫教授のグループが解明した。成果は17日付の英科学誌ネイチャー電子版に掲載
された。
水から燃料電池で使う水素を作り出すことにつながり、太陽光の電気エネルギーへの効
率的な変換が期待できるという。
膜タンパク質複合体は、光合成をする藻類や植物の葉の中に含まれる。これまで19種
類のタンパク質が水分子と複雑に結合している全体構造は明らかになっていたが、原子レ
ベルでの詳細な構造は不明だった。
光合成の最初に起こる反応で、太陽光で水が分解されて電子や水素イオンが作られる際
の触媒となる「膜タンパク質複合体」の詳細な構造を、岡山大の沈建仁教授と大阪市立大
の神谷信夫教授のグループが解明した。成果は17日付の英科学誌ネイチャー電子版に掲
載された。
水から燃料電池で使う水素を作り出すことにつながり、太陽光の電気エネルギーへの効
率的な変換が期待できるという。
膜タンパク質複合体は、光合成をする藻類や植物の葉の中に含まれる。これまで19種
類のタンパク質が水分子と複雑に結合している全体構造は明らかになっていたが、原子レ
ベルでの詳細な構造は不明だった。
+++++++++++++以上、北海道新聞より+++++++++++++++
●田丸先生からの返事
その夜(18日の夜)、家に帰ると、田丸謙二先生から、
メールが届いていた。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
林様:メール有難うございました。
このメールの話は私がお話した東大教授の堂免一成君の話とは異なります。
堂免君のは水から太陽エネルギーで水素と酸素とを直接作る光触媒作用で、先月、日本化
学会賞を受けた研究です。
勿論太陽電池も一方にあり、水を電気分解すると水素と酸素が得られますが、現在では堂
免君の直接の光触媒作用の方が優れています。
この分野は日本が世界でもトップの国ですが、世界中で多くの人が取り組み始めています。
沢山の人が各種の工夫をしていますので、人類の将来のエネルギー問題の重要な研究分野
になっています。
長い目で見ると矢張り人類は将来太陽エネルギーに頼ることになります。化石燃料も限ら
れた量ですので。
お電話でお伝えしたのは、空気と水と太陽エネルギーに頼って人類はエネルギー問題に取
り組むという話です。
空気から窒素を、水から太陽光を使って水素を、そして水素と窒素からアンモニアを作っ
てそれを燃料として自動車も走るという可能性が言われています。
くれぐれもお元気で。田丸謙二
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●ノーベル賞
もし水を酸素と水素に分解できるようなことが簡単にできれば……。
それはまさにノーベル賞級の研究ということになる。
すでに実際、3年ほど前、田丸謙二先生の研究を発展させたドイツの研究者が、
ノーベル賞を受賞している。
言い忘れたが、田丸謙二先生は、日本化学会会長、日本触媒学会会長、国際
触媒学会会長職を歴任している。
東京大学の元副総長(総長特別補佐)も経験している。
肩書きを並べたら、一枚の紙にはとても収まらない。
昨日の電話で、「ノーベル賞級の話ですね」と言うと、田丸謙二先生は、
うれしそうに笑った。
最近、田丸謙二先生は、『出藍の誉れ』という言葉をよく使う。
先日もらったメールには、孔子の言葉を引用しながら、「よき弟子をもつことが、
最高の道楽」と書いてあった。
堂免一成氏がノーベル賞を受賞するのは、時間の問題……私はそう感じた。
●歴史の生き証人
「歴史の生き証人」というと、少し大げさに感ずる人もいるかもしれない。
しかしいつかすぐ人類は、「水」という無尽蔵のクリーンエネルギーを手にする
ときがやってくる。
田丸謙二先生は、昨日も、41年前と同じように、自分の夢を語ってくれた。
「水から水素を取り出し、空気から窒素を取り出す。
水素と窒素で、アンモニアを合成し、それをエネルギー源にする」と。
水素燃料もあるが、扱い方が難しい。
アンモニアなら、ガソリンのように持ち運べる。
「化石燃料(ガソリン)は、やがて枯渇します。
原子力が危険なものであることは、今回の原発事故でもよくわかったでしょう。
だからアンモニアなのです」と。
私は41年間、田丸謙二先生の「夢」を聞く立場にあった。
その夢が、今、まさに着実に、一歩、一歩、前進している。
昨年(2010年)に会ったときも、田丸謙二先生はこう言った。
「理研(日本理化学研究所)でも、10数名の化学者がチームを作って、研究
していますから、そにうちすぐ成果が出てきますよ」と。
私が「いつ、成果が出てくるのですか?」と聞いたときのことだった。
いつかそのクリーンエネルギーが当たり前のものとなったとき、
それがいつだれによって、またどのようにして生まれたか。
この41年間を通して、私はそれを直接的に、知る立場にあった。
それを今、こうして書きとめることができることを、心から光栄に思う。
●希望
大震災、大津波、そして原発事故……。
しかしその一方で、この日本は、大きな希望が前に向かって進み始めている。
田丸謙二先生が書いているように、この分野では、日本がトップを走っている。
もちろんその原点を作ったのは、田丸謙二先生である。
1970年。
話は脱線するが、そのころに書いた原稿を、ここに添付する。
記事は、中日新聞に連載されたものである。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
【世にも不思議な留学記より】
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page195.html
●処刑になったT君【12】
●日本人にまちがえられたT君
私の一番仲のよかった友人に、T君というのがいた。
マレ-シアン中国人で、経済学部に籍をおいていた。
最初、彼は私とはまったく口をきこうとしなかった。
ずっとあとになって理由を聞くと、「ぼくの祖父は、日本兵に殺されたからだ」と教えてく
れた。
そのT君。
ある日私にこう言った。
「日本は中国の属国だ」と。
そこで私が猛烈に反発すると、「じゃ、お前の名前を、日本語で書いてみろ」と。
私が「林浩司」と漢字で書くと、「それ見ろ、中国語じゃないか」と笑った。
そう、彼はマレーシア国籍をもっていたが、自分では決してマレーシア人とは言わなか
った。
「ぼくは中国人だ」といつも言っていた。マレー語もほとんど話さなかった。
話さないばかりか、マレー人そのものを、どこかで軽蔑していた。
日本人が中国人にまちがえられると、たいていの日本人は怒る。
しかし中国人が日本人にまちがえられると、もっと怒る。
T君は、自分が日本人にまちがえられるのを、何よりも嫌った。
街を歩いているときもそうだった。
「お前も日本人か」と聞かれたとき、T君は、地面を足で蹴飛ばしながら、「ノー(違う)!」
と叫んでいた。
そのT君には一人のガ-ルフレンドがいた。しかし彼は決して、彼女を私に紹介しよう
としなかった。
一度ベッドの中で一緒にいるところを見かけたが、すぐ毛布で顔を隠してしまった。
が、やがて卒業式が近づいてきた。
T君は成績上位者に与えられる、名誉学士号(オナー・ディグリー)を取得していた。
そのT君が、ある日、中華街のレストランで、こう話してくれた。
「ヒロシ、ぼくのジェニ-は……」と。
喉の奥から絞り出すような声だった。
「ジェニ-は四二歳だ。人妻だ。しかも子どもがいる。今、夫から訴えられている」と。
そう言い終わったとき、彼は緊張のあまり、手をブルブルと震わした。
●赤軍に、そして処刑
そのT君と私は、たまたま東大から来ていた田丸謙二教授の部屋で、よく徹夜した。
教授の部屋は広く、それにいつも食べ物が豊富にあった。
田丸教授は、『東大闘争』で疲れたとかで、休暇をもらってメルボルン大学へ来ていた。
教授はその後、東大の総長特別補佐、つまり副総長になられたが、T君がマレ-シアで処刑
されたと聞いたときには、ユネスコの国内委員会の委員もしていた。
この話は確認がとれていないので、もし世界のどこかでT君が生きているとしたら、そ
れはそれですばらしいことだと思う。
しかし私に届いた情報にまちがいがなければ、T君は、マレ-シアで、一九八〇年ごろ処刑
されている。
T君は大学を卒業すると同時に、ジェニ-とクアラルンプ-ルへ駆け落ちし、そこで兄を手
伝ってビジネスを始めた。
しばらくは音信があったが、あるときからプツリと途絶えてしまった。何度か電話をし
てみたが、いつも別の人が出て、英語そのものが通じなかった。
で、これから先は、偶然、見つけた新聞記事によるものだ。
その後、T君は、マレ-シアでは非合法組織である赤軍に身を投じ、逮捕、投獄され、そ
して処刑されてしまった。
遺骨は今、兄の手でシンガポ-ルの墓地に埋葬されているという。
田丸教授にその話をすると、教授は、「私なら(ユネスコを通して)何とかできたのに…
…」と、さかんにくやしがっておられた。
そうそう私は彼にで会ってからというもの、「私は日本人だ」と言うのをやめた。
「私はアジア人だ」と言うようになった。
その心は今も私の心の中で生きている。
(注:田丸謙二先生のHP)
http://ktamaru.ninja-web.net/index.html
Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司
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