2011年4月15日金曜日

*Magazine April 15th

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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      4月   15日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【場面かん黙児】(改)

●場面かん黙児

+++++++++++++++++

家の中では、ふつうに話したり、
騒いだりすることができる。
しかし家を一歩出ると、場面に応じて、
かん黙(緘黙)してしまう。
たとえば幼稚園や、おけいこ塾などでは
貝殻を閉ざしたかのように、まったく
話さない、など。
体が固くなるタイプの子どもと、柔和な、
意味のわからない笑みを浮かべるタイプの
子どもに分けて考えることができる。

このタイプの子どもを、「かん黙児」
「場面かん黙児」という。
少し経験のある教師なら、簡単に
見分けることができる。

もちろん診断名を口にするのは、
タブー中のタブー。
できることと言えば、「一度、専門の先生に
相談してみてはどうですか?」と提案する程度の
ことでしかない。

が、このかん黙児の指導でむずかしいのは、
本人の問題よりも、家族、とくに
母親に、その理解がないこと。
家の中ではふつうに話すため、それに
気づかない。
気づかないばかりか、「先生が悪い」
「ほかの子どもに圧倒される」などと言って、
他人の責任にしてしまう。
中には、「お前がうちの子を萎縮させて
しまった!」と、先生に抗議していく
親もいる。

さらに……。
本来なら、発症直後、つまり乳幼児の
ときに適切な指導をし、そうした症状
から子どもを、取り出してあげねば
ならない。

(「取り出す」という表現は、私が考えた。
「取り出す」「引き出す」という言い方の
ほうが、「治す」「直す」という言い方より、
事実に近い。)

もっとも簡単な方法は、ほかの子どもたち
といっしょに、ドッと笑わせる。
私はこの方法で、かん黙児(もちろん
親や子どもには、診断名を告げることは
ない)を、なおしている。

が、それすらも理解できない。
親は「話せて当たり前」と考える。
そしてよくしゃべる子どもを、「騒がしい
子ども」として、遠ざけてしまう。
あるいは「できの悪い子ども」として、
遠ざけてしまう。
子どもを見る基準そのものがちがう。

さらにこんなことも……。
せっかく本人が話しても、(最初の
ころは、蚊の鳴くような小さな声だが)、
子どもに向かって、「どうして、あなたは
大きな声で話せないの!」と叱ったりする。

この一撃が、ますます症状を重くする。
が、話はさらに先につづく。

先にも書いたように、乳幼児期に
それに気づき、適切な指導をすれば、
症状は、ほかの子どもと区別ができないほど
まで、改善する。
が、その乳幼児期に、無理をしたりする
ことによって、症状がこじれてしまう。
複合的な症状となってしまう。

が、そのときでも親はそれに気づかない。
そこで私がそれとなく問題点を指摘すると、
たいていの親は、こう言う。

「わかっていたら、どうしてもっと
早く教えてくれなかったのですか!」と。

が、こんな逆の例もある。
A子さん(年長児)はかん黙児だった。
半年くらい、教室では何も話さなかった。
が、それを過ぎると、やっと少し声が
出るようになった。
そのときのこと。
母親がレッスンのあと、私にこう言った。

母「うちの子は、ああいう子でしょ」
私「はあ……」
母「先生、かん黙症って、ご存知ですか?」
私「はあ……」
母「来週、就学前検診があります。
そのとき、どうすれば、ああいう子という
ことがわからないですむでしょうか?」
私「はあ……」と。

教える側は、いつも親の身勝手に(=無知)に
振り回される。
そのたびに、大きな挫折感を覚える。

もちろん親自身がそれに気づいていればよい。
そこから指導が始まる。

+++++++++++++++++

【場面かん黙児】


●恐怖症は心の発熱

 先日私は、交通事故で、危うく死にかけた。九死に一生とは、まさにあのこと。今、こ
うして文を書いているのが、不思議なくらいだ。が、それはそれとして、そのあと、妙な
現象が現れた。夜、自転車に乗っていたのだが、すれ違う自動車が、すべて私に向かって
走ってくるように感じたのだ。私は少し走っては自転車からおり、少し走ってはまた、自
転車からおりた。こわかった……。恐怖症である。

子どもはふとしたきっかけで、この恐怖症になりやすい。たとえば以前、「学校の怪談」と
いうドラマがはやったことがある。そのとき「小学校へ行きたくない」と言う園児が続出
した。これは単なる恐怖心だが、それが高じて、精神面、身体面に影響が出ることがある。
それが恐怖症だが、この恐怖症は子どもの場合、何に対して恐怖心をだくかによって、ふ
つう、次の三つに分けて考える。

 【対人(集団)恐怖症】子ども、特に幼児のばあい、新しい人の出会いや環境に、ある
程度の警戒心を持つことは、むしろ正常な反応とみる。知恵の発達がおくれぎみの子ども
や、注意力が欠如している子どもほど、周囲に対して、無警戒、無とんちゃくで、はじめ
て行ったような場所でも、我が物顔で騒いだりする。が、反対にその警戒心が、一定の限
度を超えると、人前に出ると、声が出なくなる(失語症)、顔が赤くなる(赤面症)、冷や
汗をかく、幼稚園や学校がこわくて行けなくなる(不登校)などの症状が現れる。

 【場面恐怖症】その場面になると、極度の緊張状態になることをいう。エレベーターに
乗れない(閉所恐怖症)、鉄棒に登れない(高所恐怖症)などがある。私も子どものころ、
暗いトイレがこわくて、用を足すことができなかった。そのせいかどうかは知らないが、
今でもトンネルなどに入ったりすると、ぞっとするような恐怖感を覚える。

 【そのほかの恐怖症】動物や虫をこわがる(動物恐怖症)、手の汚れやにおいを嫌う(疑
惑症)、先のとがったものをこわがる(先端恐怖症)などもある。ペットの死をきっかけに
死を極端にこわがるようになった子ども(年長男児)もいた。

 子ども自身の力でコントロールできないから、恐怖症という。そのため説教したり、し
かっても意味がない。一般に「心」の問題は、一年単位、二年単位で考える。子どもの立
場で、子どもの視点で、子どもの心を考える。無理な誘動や強引な押し付けは、タブー。
無理をすればするほど、逆効果。ますます子どもは物事をこわがるようになる。いわば心
が熱を出したと思い、できるだけそのことを忘れさせるような環境を用意する。

症状だけをみると、神経症と区別がつきにくい。私の場合も、その事故から数日間は、車
の速度が五十キロ前後を超えると、目が回るような状態になってしまった。「気のせいだ」
とは分かっていても、あとで見ると、手のひらがびっしょりと汗をかいていた。恐怖症と
いうのはそういうもので、自分の理性や道理ではどうにもならない。そういう前提で、子
どもの恐怖症に対処する。

++++++++++++++++++++

●子どもの心

●茨城県のWさんより……

 茨城県のWさん(現在四〇歳、母親)から、娘のかん黙についての、相談をもらった。
それについて、考えてみたい。

「現在八月で満六歳になった、一人娘のいる四〇歳の主婦です。

数年前、私の母の介護のため 娘(当時、三歳)を保育園に入園させました。
三か月間泣き、四か月間給食を、一切食べませんでした。

そのうち嫌がらず行けるようになりましたが、約半年後くらいから、あまりにも
嫌がるので休ませようとしましたが、園の方は、「必ず連れて来るように」とのこと。
で、一か月間、泣いているのを抱えて連れて行きました。

そのうち様子がおかしくなり(長くなるので内容は省略します)、 
そのあと、保育園から幼稚園に、転園しました。

ここでも三日目から嫌がり 休ませ 小児精神科に連れて行くと、「場面かん黙」との診断。
その時から、各週に箱庭療法と、二か月に一度カウンセリングを受けています。

ドクターは、私と娘との三人のカウンセリングでは 「娘の話す内容、態度を見る限
り、私との適度な距離がとれているので、私から離れられない、幼稚園に行けないと
は考えられない」と言っています。

昨年は休園させましたが、幼稚園の先生の協力と理解のもと、行事など、本人
の興味のある時だけ、私と一緒に参加させてもらい、今年の四月に、年長組になったの
をきっかけに、本人が「毎日行く」と言って、登園するようになりました。
(ほかの子どもたちとは一切話さず、関わりも、なかなかもてないようです)

お弁当は持っていけず、基本的には昼までに、降園していますが、出席シールだけ
貼って帰ったりと、その日に応じて臨機応変にしています。
最近は、部屋の前の靴箱から、なかなか教室に入れません。

私は本人の納得するまで、つまり子どもが、
帰っていいよと言うまで、その場で待っています。
時には降園までそこで待つときもあります。 
私はこれでいいと思っていますが、これでいいのでしょうか?
昨年と比べると、別人のように良い方向に変わっています。

今一番困っているのが、田舎なので年配の方との関わりが多く、なかなか理解されず
「この子は、おかしな子やな」、と娘に聞こえるように言われます。
その時の対処法に困っています。

かばうようなことを言うと私が責められ、それを見て、娘は大泣きします。
こっそり、「何にも悪いことはないよ。今で充分ですよ」と言っても大泣き。
かといって、知らぬ顔で済ますと、傷ついてしまうようで、それも心配です。

みなにからかわれることもあるようです。

絵日記を見ると、 

『いちりんしゃにのれるようになったよ 
いっしょうけんめいれんしゅうして 
のれるようになったよ 
でも どうして あのこはのれないんだろう』

と書いていました。

そんな、心のやさしい子です。
何かアドバイス頂ければ幸いです。

    茨城県M町、Wより」

●Wさんの問題

 一〇年ほど前までは、「学校へ行けない」というのが、大きな問題だった。が、今では、
「幼稚園へ行けない」というのが、問題になり始めている。それも、三歳や四歳の子ども
が、である。

Wさんの問題を考える前に、「どうして三歳や四歳の子どもが、幼稚園へ行かねばならない
のか」「行く必要があるのか」「行かなければ、何が問題なのか」ということを、考えなけ
ればならない。

あるいはあと二〇年もすると、二歳や三歳の子どもについて、同じような相談をもらうよ
うになるのかもしれない。「どうしてうちの子は、保育園へ行けないのでしょうか」と。

 Wさん自身が、「保育園は、行かねばならないところ」「幼稚園は、行かねばならないと
ころ」という、固定観念をもちすぎているところが、気になる。

 私は正直に告白するが、幼稚園にせよ、保育園にせよ、行くとしても、適当に行けばよ
いと考えている。「適当」という言い方には、語弊があるかもしれないが、この時期は、あ
くまでも、家庭教育が主体であること。それを忘れてはならない。

 ずいぶんと昔のことだが、ある幼稚園の先生方の研究発表会に、顔を出したことがある。
全員、女性。男は、私一人だけだった。

 一人の女性教師が、誇らしげに、包丁の使い方を教えているという報告をしていた。「私
は、ダイコンを切るとき、本物の包丁を使わせています」と。

 で、そのあと、意見を求められた。が、私は、思わず、こう言ってしまった。「そんなこ
とは、家庭で、母親が教えればいいことです」と。

 会場が、シーンとなってしまったのを覚えている。

●小学校の問題が、幼稚園で 

 Wさんは、こう書いている。「あまりにも嫌がるので休ませようとしましたが、園の方は、
「必ず連れて来るように」とのこと。で、一か月間、泣いているのを抱えて連れて行きま
した」と。

 当時、その子どもは、三歳である。たったの三歳である。あるいは、あなたは三歳の子
どもが、どういう子どもであるか、知っているだろうか?

 いくら保育園の先生が、「必ず連れてくるように」と言っても、一か月もの間、泣いてい
る子どもを抱えて連れていってよいものだろうか。Wさんには悪いが、私はこのメールを
読んで、この部分で、いたたまれない気持になった。

 もちろんだからといって、Wさんを、責めているのではない。Wさんも書いているよう
に、「母の介護」という、やむにやまれぬ事情があった。それにWさんは、それが子どもの
ために、よかれと思って、そうした。そういうWさんを、だれも責めることはできない。

 私が問題としたいことは、Wさんをそのように動かした、背景というか、社会的な常識
である。

 私がこの世界に入ったときは、幼稚園教育も、二年、もしくは一年がふつうだった。浜
松市内でも、幼稚園(保育園)へ行かないまま、小学校へ入学する子どもも、五%はいた。

 それが三年保育となり、さらに保育園自身も、「預かる保育」から、「教える保育」へと
変身している。

 こういう流れの中で、三〇年前には、小学校で起きていた現象が、幼稚園でも起きるよ
うになった。たとえば今では、不登校ならぬ、不登園の問題が、あちこちの幼稚園で起き
ている。Wさんの問題は、まさにその一つということになる。

●もっと、おおらかに! 
 
 はっきり言えば、子どもが、そこまで嫌がるなら、幼稚園や保育園へ、行く必要はない。
まったく、ない。

 少し前まで、(今でも、そう言う先生はいるが……)、幼稚園を休んだりすると、「遅れま
す」とか、「甘やかしてはダメです」と、親を叱る先生がいた。

 しかしいったい、何から、子どもが遅れるのか? 心が風邪をひいて、病んでいる子ど
もを、保護して、どうして、甘やかしたことになるのか?

 乳幼児期は、家庭教育が基本である。これは、動かしがたい事実である。この時期、子
どもは、「家庭」について学ぶ。学ぶというより、それを体にしみこませる。

 夫婦とは何か。父親や母親とは何か。そして家族とは、何か、と。家族が助けあい、守
りあい、励ましあい、教えあう姿を、子どもは、体の中にしみこませる。このしみこみが
あってはじめて、自分がつぎに親になったとき、自然な形で、子育てができる。

 それにかわるものを、幼稚園や保育園で、どうやって教えることができるというのか。
ものごとは、常識で考えてほしい。

 だからといって、幼児教育を否定しているのではない。しかし幼児教育には、幼児教育
として、すべきことが山のようにある。包丁の使い方をい教えるのが、幼児教育ではない。
ダイコンの切り方を教えるのが、幼児教育ではない。

 現にオーストラリアでは、週三日制の幼稚園もある。少し都会から離れた地域では、週
一回のスクーリングだけというところもある。あるいは、アメリカでは、親同士が、交互
に子どもを預かりあいながら、保育をしているところもある。

 幼児教育は、幼稚園、あるいは保育園で、と、構えるほうが、おかしい。今、この「お
かしさ」がわからないほどまで、日本人の心は、道からはずれてしまっている。

● かん黙児?

Wさんの子どもを、ドクターが、どのようにみて診断したのか、私は知らない。しかしそ
の前提として、かん黙児の診断は、しばらく子どもを指導してみないと、できない。

 ドクターの前で、黙ったからといって、すぐかん黙児ということにはならない。ただ単
に緊張していただけかもしれないし、あるいは対人恐怖症、もしくは、集団恐怖症だった
かもしれない。

 私は診断名をつけて、診断をくだすことはできないが、しかしかん黙児かどうかを判断
することくらいなら、できる。が、そのときでも、数日間にわたって、子どもを指導、観
察してみて、はじめてわかることであって、一、二度、対面したくらいで、わかるような
ことではない。そのドクターは、どうやって、「場面かん黙」と判断したのだろうか。

 このWさんのメールを読むかぎり、無理な隔離が原因で起きた、妄想性をともなった、
集団恐怖症ではないかと思う。……思うだけで、何ともいえないが、それがさらにこじれ
て、学校恐怖症(幼稚園恐怖症)になったのではないかと思う。

 もっとも恐怖症がこじれて、カラにこもるということは、子どものばあい、よくある。
かん黙も、何かの恐怖体験がきっかけで起こることは、よく知られている。かん黙するこ
とにより、自分がキズつくのを防ごうとする。これを心理学の世界では、防衛機制という。

 しかしもしそうなら、なおさら、無理をしてはいけない。無理をすればするほど、症状
がこじれ、立ちなおりが遅れる。子どもの立場で、子どもの心をていねいにみながら、対
処する。

 保育園の先生が、「必ず連れてくるように」と言ったというが、私には、とんでもない暴
言に聞こえる。あるいは別に何か、先生には先生なりの、理由があったのかもしれない。
この点については、よくわからない。

 なお場面かん黙については、つぎのようなポイントを見て判断するとよい。

●かん黙児

(1) ふとしたこと、あるいは、特定の場面になると、貝殻を閉ざしたかのように、口を
閉じ、黙ってしまう。集団教育の場に入れられたようなとき、そのショックからかん黙す
ることが多い。防衛規制のひとつと考えられている。

(2) 気が許せる人(限られた親や兄弟、友人など)と、気が許せる場所(家)では、ご
くふつうに会話をすることができる。むしろ多弁であることが多い。


(3) かん黙している間、心と表情が遊離したかのようになり、何を考えているか、わか
らなくなる。柔和な意味のわからない笑みを浮かべて、ニンマリとしつづけることもある。
反対に「話してごらん」と促すと、体をこわばらせてしまう子どももいる。

(4) かん黙しているとき、心は緊張状態にある。表情に、だまされてはいけない。ささ
いなことで興奮したり、激怒したり、取り乱したりする。私は、(親の了解を得た上で)、
そっと抱いてみることにしている。心を許さない分だけ、体をこわばらせる。炊き心地が
悪い。反対に抱かれるようだと、症状も軽く、立ちなおりは、早い。

 詳しくは、「はやし浩司のサイト」の「かん黙児」を参照してほしい。

 で、こうした症状がみられたら、軽重もあるが、とにかく、無理をしないこと。そうい
う子どもと認めた上で、半年単位で、症状の推移をみる。一度、かん黙症と診断されると、
その症状は、数年単位でつづく。が、小学校に入学するころから、症状は、軽減し、ほと
んどの子どもは、小学三、四年生くらいを境に、何ごともなかったかのように、立ちなお
っていく。

 ある子ども(幼稚園児)は、毎朝、幼稚園の先生が、歩いて迎えにきたが、三年間、た
だの一度もあいさつをしなかった。その子どものばあいは、先生と、視線を合わせようと
すらしなかった。視線をそらすという、横視現象は、このタイプの子どもによく見られる
症状の一つである。(あるいはじっと相手の視線をのぞきこんだまま、緘黙する。)

 しかしかん黙症の子どもの、本当の問題は、親にある。家の中では、何も問題がないた
め、幼稚園や保育園での様子を見て、「指導が悪い」「先生が、うちの子を、そういう子ど
もにした」などと言う。私も、何度か、経験している。

 子ども自身では、どうにもならない問題と考える。いわんや、子どもを説教したり、叱
っても意味はない。

 子どもが自分で自分を客観的に判断できるようになるのは、小学三年生以上とみる。こ
の時期を過ぎると、自己意識が急速に発達して、自分で自分の姿を見ることができるよう
になる。そして自分で自分を、コントロールするようになる。

 かん黙児は、かん黙するというだけで、脳の働きは、ふつうか、あるいはそれ以上であ
ることが多い。もともと繊細な感覚をもっている。だから静かに黙っているからといって、
脳の活動が停止していると考えるのは、まちがいである。

 反応が少ないというだけで、ほかに問題は、ない。だから教えるべきことは教えながら、
あとは「よくやったね」とほめて、しあげる。先にも書いたように、この問題は、本人自
身では、どうにもならない問題なのである。
 
●Wさんへ

 メールによれば、「昨年と比べると、別人のように良い方向に変わっています」とのこと。
私は、まず、ここを重要視すべきではないかと思います。

 いただいたメールの範囲によれば、かん黙症状があるにせよ、対人恐怖か、集団恐怖が、
入りまざった症状ではないかと思います。一つの参考的意見として、お考えくだされば、
うれしいです。

 ふつうこの年齢では、かん黙症については、「別人のように……」という変化は、ありま
せん。その点からも、かん黙症ではなく、やはり何らかの妄想性をともなった、恐怖症が
疑われます。もし恐怖症であれば、少しずつ、環境にならしていくという方法で対処しま
す。

 私自身も、いくつかの恐怖症をもっています。閉所恐怖症。高所恐怖症など。最近では、
スピード恐怖症になったこともあります。恐怖症というのはそういうもので、中味があれ
これと変わることはあります。つまり「恐怖症」という入れ物ができ、そのつど、その中
味が、「閉所」になったり、「高所」になったりするというわけです。

 下のお子さん(弟か妹)のことは書いてありませんが、もしいるなら、分離不安がこじ
れた症状も考えられます。

 どちらであるにせよ、「別人のように……」ということなら、私は、もう問題はほとんど
解決しているのではないかと思います。

●最後に……

 心に深いキズを負った人は、二つのタイプに分かれます。

 そのまま他人の心のキズが理解できるようになる人。もう一つは、心のキズに鈍感にな
り、今度は、他人をキズつける側に回る人です。よく最悪のどん底を経験した人が、その
あと、善人と悪人に分かれるのに、似ています。

 ほかにたとえば、はげしいいじめにあった子どもが、他人にやさしくなるタイプと、今
度は、自分も、いじめる側に回るタイプに分かれるのにも、似ています。

 今、Wさんのお嬢さんは、何かときびしい状況におかれていることは、「大泣き」という
言葉からも、よくわかります。Wさんが、かばうと、また大泣きということですが、遠慮
せず、かばってあげてください。無神経で、無理解な人たちに負けてはいけません。お嬢
さん自身は、何も、悪いことはしていないのです。またどこも悪くはないのです。

 お嬢さんは、日記からもわかるように、たいへん心のやさしいお嬢さんです。回りの人
に、そういう目で見られながらも、自分をもちなおしています。理由は、簡単です。あな
たという親の愛情と理解を、たっぷりと受けているからです。つまりここでいう善人の道
を、すでに選んでいるわけです。

 事実、『愛は万能』です。親の愛がしっかりしていれば、子どもの心がゆがむということ
は、ありえません。最後の最後まで、その愛をつらぬきます。具体的には、最後の最後ま
で、「許して、忘れます」。その度量の広さで、親の愛情の深さが決まります。

 長いトンネルに見えたかもしれませんが、もう出口は、すぐそこではないでしょうか。
いろいろつらいこともあったでしょうが、そのつらさが、今のあなたを大きく成長させた
はずです。このことは、もう少し先にならないとわからないかもしれませんが、やがてあ
なたも、いつか、それに気づくはずです。

 幸運にも、Wさんは、たいへん気が長い方のように思います。よい母親の第一の条件を、
もっておられるようです。「(子どもが私に)、帰っていいよと言うまで、(いつまでも)、そ
の場で待っています」などということは、なかなかできるものではありません。尊敬しま
す。

 結論を言えば、今のまま、前向きに進むしかないのではないかと思います。まわりの人
を理解させるのも、あるいはその流れを変えるのも、容易ではないと思います。それ以上
に、ここにも書いたように、もう出口に近いと思われます。あと少しのがまんではないか
と思います。いかがでしょうか?

 仮に、かん黙症であっても、率直に言えば、箱庭療法程度の療法で、その症状が改善す
るとは、とても思われません。かん黙症について言えば、半年単位で、その症状を見守り
ます。

 で、このとき大切なことは、無理をして、今の症状をこじらせないこと、です。時期が
くれば、大半のかん黙症は、なおっていきます。

 「時期」というのは、ここにも書いたように、小学三、四年生前後をいいます。それま
でにこじらせると、かえって恐怖心をいだかせたり、自信をなくさせたりします。「あなた
は、あなたですよ」という、暖かい理解が、今、大切です。子ども自身には、自分が(ふ
つうでない)という意識は、まったくないのですから。

 最近、「暖かい無視」という言葉が、よく使われています。お嬢さんを、暖かい愛情で包
みながら、そうした症状については、無視するのが一番かと思います。だいたいにおいて、
問題のない子どもなど、いないのですから、そういう視点でも、一度、おおらかに見てあ
げてください。

 なお、「幼稚園とは、行かねばならないところ」と考えるのは、バカげていますから、も
しそのようにお考えなら、そういう考え方は、改めてください。決して、無理をしないこ
と。「適当に行けばいいのよ」「行きたいときに行けばいいのよ」と、です。

 ただこれから先、ふとしたきっかけで、学校などへ行きたがらないことも起こるかもし
れません。それについては、私の「学校恐怖症」(はやし浩司のサイト、症状別相談)を参
考にしてください。そういう兆候が見られたら、むしろ親のあなたのほうから、「今日は、
学校を休んで、動物園へでも行ってみる?」と、声をかけてみてください。そういうおお
らかさが、子どもの心に、風穴をあけます。

 つぎにスキンシップです。このスキンシップには、魔法の、つまりはまだ解明されてい
ない、不思議な力があります。子どもがそれを求めてきたら、おっくうがらず、ていねい
に、それに答えてあげてください。

 あとは、CA、MGの多い食生活にこころがけます。海産物を中心とした、食生活をい
います。

 またかん黙症であるにせよ、恐怖症であるにせよ、できるだけそういう状態から遠ざか
るのが、賢明です。要するに、思い出させないようにするのが、コツです。あとは、その
期間を、少しずつ、できるだけ長くしていきます。

 最後に、子育ては、楽しいですよ。すばらしいですよ。いろいろなことがありますが、
どうかそれを前向きにとらえてください。仮にあなたのお嬢さんが、かん黙症であっても、
そんなのは、何でもない問題です。先にも書きましたが、それぞれの人が、いろいろな問
題をかかえています。が、こと、かん黙症については、時期がくれば、消えていく、つま
りは、マイナーな問題だということです。どうか、私の言葉を信じてください。

 ついでに、できれば、私の電子マガジンをご購読ください。きっと、参考になると思い
ます。無料です。
(031017)(2011ー02ー27改変)

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 かん黙児 緘黙症 かん黙症 情緒の問題 情緒障害児 心に障害を
もった子ども)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子育て疲労・診断テスト

++++++++++++++++++

千葉県I市の中学校で、私の記事が、
役に立った。
先ほど、担当の先生から、礼のメール
が届いていた。

使ってもらった資料が、メールに添付
されていた。
それをそのまま紹介。

なお診断結果は、HPのほうで、読んで
ほしい。

++++++++++++++++++

“はやし浩司” 先生の
子育て疲労度診断

1 あなたは自分の子育てを総合的にみるとどのように感じていますか。
   4 いつもどこかぎこちなく、不自然で「これでいいのか」と思うことが多い。
   2 上手でもないが下手でもない。平均的な親ではないかと思っている。
   0 自然な子育てが気負いなくできる。自分の子育てには自信を持っている。

2 あなたは子育てをしながら、親としてどの程度「親意識」を感じていますか。
   4 子育てをしていると親の義務を感じ、時にそれを重圧に思うことがある。
   2 子育てを負担に思うことがあるが、それはそれとして割り切ることができる。
   0 子どもは勝手に大きくなっていくと思う。親はそれを手助けするだけ。

3 日常の習慣について、あなたはどの程度、子どもに守らせていますか。
   4 毎日の手洗い、うがい、歯磨きなども含めて、ほぼ例外なくやらせている。
   2 ときどきうるさく言ったり注意するが子どもに任すことが多い。
   0 万事適当に・・というようなところがあり、あまり気にしない。子ども次第。

4 あなたから見た子どもの能力についてあなたはどのように思っていますか。
   4 「やればできるはず」と思うことが多く、親の期待にこたえてくれない。
   2 「まあ、こんなものだ」と思うことが多く、期待半分あきらめ半分。
   0 期待には十分こたえてくれていると思う。将来を楽しみにしている。

5 あなたの子どもは、学校であったことを、あなたにどのように話しますか。
   4 ほとんど話さない、聞いても言葉をごまかして逃げようとする。
   2 聞けばいろいろ話してくれるが、自分からあれこれ話してくれることはない。
   0 子どものほうからあったことを面白おかしく話してくれることが多い。

6 一緒に公園へ行きました。子どもが遊具で遊んでいるとき、あなたは・・・。
   4 かなり強い忍耐力が必要で、心もどこかでじっと我慢をしているようだ。
   2 じっと待つことができる。時間がくれば適当に帰り支度をして、帰る。
   0 いつまでも子どもと一緒に、時を過ごすことができる。苦痛に感じない。

7 他人が、あなたの子どもに話しかけてきました。あなたはその会話を聞きながら・・。
   4 すぐ会話に割り込みああ言いなさい、こう言いなさいと、干渉する。
   2 ときどき間に割りこむことはあるが、子どもの会話を横で聞くことができる。
   0 その人と子どもの会話をそばで安心して聞くことができる。口をはさまない。
                   -1-
8 今の子育てを静かに振り返ってみたとき、あなたは子どもを産んだことを・・・。
   4 産むべきでなかったと思うことがある。望まれない子どもだったのでは。
   2 特にどうとは思わない。子どもは子どもで、勝手に生まれてきたという感じ。
   0 子どもを産んでよかった。子どもは私に生きる喜びと力を与えてくれる。

9 結婚前のあなたと、今のあなたを比べてみてください。あなたはどう変化しましたか。
   4 結婚前はまだ夢や希望があり、今より日々明るく輝いていたように感じる。
   2 結婚前と今とでは大きな変化は感じない。今は今で結構楽しんでいる。
   0 子育てをしながら結婚前にはなかった充実感を感じている。毎日が楽しい。

10 あなたは子育てをしながら、親として自分はどういう存在だと思っていますか。
   4 親として結局は子育てで、自分の人生を消耗し、子どものために犠牲になる存
在だ。
   2 親がある程度犠牲になるのは仕方のないことだ。あきらめるしかない。
   0 子育ては生きがいだから、自分の人生を犠牲にしているとは考えられない。

11 子どもの勉強を横で見ているとき、あなたは
   4 イライラ、何かにつけ怒りがわいてくる。子どもをしかることもしばしば。
   2 子どもをしかることもあるが、それなりに楽しく会話をしながらできる。
   0 子どものそばにいるのは楽しい。子どもも好んで私のそばにいる。

12 子どもを叱るときあなたの様子を思い浮かべてください。そのとき・・・。
   4 カッとなると、「あんたさえいなければ」式の叱り方をすることが多い。
   2 叱ることは叱るが、憎く思ったりすることはない。節度を守ることができる。
   0 叱ることはほとんどないし、いつも子どものことをいとおしく思っている。

13 あなた自身の性格(情緒)について、あなたはどのように感じていますか。
   4 思い悩んだり、沈んだりしやすい。クヨクヨと悩みやすく、大変不安定。
   2 不安な面はあるが、感情のコントロールはできる。取り乱すことはない。
   0 大変楽天的で。おおらか。感情をむき出しにするということはまずない。

14 あなたは自分の将来や家族の将来について、日ごろどのように考えていますが。
   4 将来を思うと不安でならない。特に、子どもの未来は、暗いと思う。
   2 いろいろあるが、何とかやっていくだろうと思う。心配はしてない。
   0 子どもの未来は明るいと思っている。大きな心配や悩み事はない



                   -2-
15 妊娠時から今まであなたの子育てを振り返ってみると、あなたの子どもは・・・。
   4 いつも何らかの問題を抱えていた。毎日それと格闘してきたように思う。
   2 いろいろあり楽ではなかったが、大きな問題もなく今までやってこられた。
   0 問題はあったが、旅を楽しむように、楽しみながら子育てをしてきたようだ。

16 日ごろの生活の中であなたはどの程度子どものことを気にしていますか。
   4 子どもがいても、いなくても気になってしょうがない。気が休まらない。
   2 子どもが近くにいるときは気になるが、そうでないときは忘れる。
   0 近くにいても、気にしないでマイペースで自分のことができる。

17 子育てをしながら、あなたはどの程度孤立感を覚えていますか。あなたの家族は・・。
   4 皆、自分勝手で、私にすべてを押しつけていると感じる。家族の助けがほしい。
   2 夫(妻)はそれなりに助けてくれるので、やはりそれなりに助かっている。
   0 家族が皆、子育てを助けてくれているので、一人ぼっちという孤立感はない。

18 一日が終わり、あなたの子どもは床について眠りました。そういうときあなたは・・。
   4 疲れがどっと出てくる。毎日戦争のようで、あわただしく過ぎていく。
   2 ホッとすることが多い。やり残した家事を、それなりにてきぱきとできる。
   0 子どもの安らかな寝顔や寝息を聞いていると心が休まり、満足感を覚える。

19 近所や同じクラスの子どもの、良いうわさを耳にしたとき、どのように感じますか。
   4 対抗心やライバル心がわいてくる。大変気になり落ち着かなくなる。
   2 気になるが、他人は他人というように、自分とは切り離して考えられる。
   0 ほとんど気にしない。参考にはするがあくまでもうわさとして処理する。

20 今あなたは、子育てのほかに何かやりたいこと、あるいはしていることがあります
か。
   4 子育てで精いっぱいで他に何もできない。したいという気力もわかない。
   2 適当に自分のしたいことをしている。が、中途半端で終わることが多い。
   0 自分なりに時間を見つけて、いろいろなことをしたいし、実際にしている。

21 あなたの前で、子どもはいつもどんな表情を(態度・様子)をしていますか。
   4 表情が暗く、憂鬱そうだ。グズグズしていて、はっきりしない。
   2 会話は少ないが、互いにマイペース。暗くはないが明るくはない。
   0 楽しそうにはしゃぐことが多く、あれこれいろいろと話しかけてくる。



                  -3-
22 学校から帰ってきたとき、あなたの子どもはどのようにして気を休めますか。
   4 あなたのいないところを求める。あなたがいるとその場から逃げていく。
   2 あなたのことを気にしているが、あなたがそばにいても、平気なようだ。
   0 好んであなたのそばにいたがる。あなたがそばにいると、気が休まるようだ。

23 あなたが子どもに何か注意をしたとき、あなたの子どもはどんな様子を見せますか。
   4 黙ってしたがう。親の前ではいい子ぶる。反論したり、反発することはまずな
い。
   2 ぶつぶつ不平を言ったり、反論することはあるが、その程度。
   0 ワーワーと反論したり、自分の意見を言ったりする。うるさく感じることもあ
る。

24 学校でのあなたの子どもはどうですか。参観日での様子を思い出すと。
   4 問題のある子どもだと思っている。このままではいけないと思うことが多い。
   2 あれ、これ気になることはあるが、子どもというのはそういうものだと思う。
   0 明るく伸びやかで、子どもらしく思う。先生にも好かれていると思う。

25 あなたは日ごろ、子どもに対してどのように思っていますか。他人の目で見ると・・。
   4 年齢に比して幼く見えるようで、どうも自分の子どもに自信がない。
   2 うちの子どもは、何かにつけてふつうで、かつ標準的だと思う。
   0 同年齢の子どもより、しっかりしていると思うし、集団の中でも目立つ。
 


以上です。 


【診断結果】

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page008.html
をご覧ください。


                   -4-

Hiroshi Hayashi+++++++March. 2011++++++はやし浩司・林浩司

(はやし浩司 2011-03-03)

●今朝は7時起き

 一度、夜中に目が覚めた。
時刻はわからない。
トイレに行き、そのまま、またふとんの中に。
再び目を覚ましたら、午前7時。
2時間のロス!
あわてて起きて、ウォーキングマシンへ。
寒い朝だったが、30分もすると、ポタポタと汗が落ちてきた。
で、そのまま書斎へ。

 友人たちから何通か、メールが届いていた。
返事を書く。
そのあとは日課。

●Eマガの読者のみなさんへ

 Eマガ社から連絡が入っていた。
それによると、近く、Eマガが廃刊になるかもしれないとのこと。
10年以上、世話になってきた。
残念。

時代が変わった。
そのあとBLOGの全盛期。
さらに最近は、FACEBOOKとか、TWITTERに。
BLOG自体も、HP化している。
本家のHPの時代も、終わりに近づきつつある(?)。
このことはアクセス数の変化を見れば、わかる。

 電子マガジンの読者数は、この1~2年、ほとんどふえていない。
BLOGへのアクセス数は、毎日、数万件。
どんどんふえている。
HPへのアクセス数は、ふえてはいるものの、BLOGほどではない。
FACEBOOKとTWITTERについては、少しかじってみた。
が、私向きではない。
それがわかった。
私は長い文章が好き。
短文でポンポンと言い合うのは、私の書き方ではない。
だから、今は、休眠状態。

 で、Eマガを読んでくれている人は、メルマガ(無料版)か、マグプレ(有料版)
へ、乗り換えてほしい。
ともに私のHPのトップページからできるようになっている。

●老夫婦

 昨日、浜松でいくつか事件があった。
ひとつは、バス乗っ取り事件。
もうひとつは、老夫婦の焼死事件。
その焼死事件の記事を読んで、ワイフがこう言った。
「私たち、もう老夫婦?」と。

 焼死した女性の年齢が63歳。
ワイフは、それを言った。
「63歳でも、老夫婦?」と。

 何か、もっと別の言い方はないのか。
あるいは「老夫婦」は、やめてほしい。
せめて「男女」。

 統計的には、自分が「老人」と認める年齢は、75歳以上だそうだ。
そのころになると、自分を老人と認める。
しかし63歳では、無理。
私自身も、自分を「老人」と思っていない。
認めていない。
私は、その63歳。

 で、火事は事故によるものなのか。
それとも心中か。
たいへん気になった。

●FLASHとFLUSH

 数日前に書いた原稿の中で、「FLASH」と「FLUSH」を間違えた。
「トイレの水を流せ」は、「FLUSH AFTER EACH USE」。
「FLASH AFTER EACH USE」はまちがい。

 オーストラリアの友人が、それを指摘してくれた。
……というか、私の英語力も、かなりサビついてきた。

 で、昨夜遅く、映画『英国王のスピーチ』というのを観てきた。
私はあまり気が進まなかったが、ワイフがどうしても観たいと言った。
それで観てきた。
何でもアカデミー賞を受賞したとか。(候補にあがっているということか?)

 星は3つの、★★★。

 イギリス人なら、星を5つつけるだろう。
アメリカ人なら、4つつけるだろう。
が、日本人の私には、やや「距離感」がある。
それで星は、3つ。

 その映画を観ながら、私は英会話の訓練。
俳優のセリフを頭の中で、何度も繰り返した。
ゆっくりとした英語だった。
だから、それができた。

 で、英国王のstammer(吃音障害)の矯正を指導したのが、オーストラリア人。
オーストラリア英語というのは、もともと、イギリスの下町英語をベースにしている。
映画『マイ・フェア・レイディ』の中に、その下町英語が出てくる。
クィーンズ英語とオーストラリア英語。
そうした訛(なま)のちがいも、映画の中では注意深く表現されていた。

 今月は、ほかに新作が2作、公開される。
楽しみ!

(補記)ところで、たった今も、「stummer」なのか、「stammer」なのか、
迷った。
正しくは「stammer」。
辞書を使って、確認した。

 今日は、忙しいので、朝の原稿は、ここまで。
みなさん、おはようございます。


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●3月2日

●不正入試事件

 「京都大などの入試問題が、試験時間中にインターネットの質問サイト、(ヤフー知恵袋)
に投稿された」(Yahoo News)という。

 が、こうした不正入試方法は、今に始まったことではないのではないか。
すでに10年ほど前から話題にはなっていた。

 方法はいろいろ考えられる。

 もっとも簡単な方法は、たがいにモールス信号のようなもので、解答を送受信するというもの。
マークシート方式の試験問題なら、この方法が、もっとも簡単でわかりやすい。
順番に、正解の番号のみを、トンツーで送受信すればよい。
私はよく冗談交じりに、こう話したことがある。
「長い髪の毛で、イヤホンを隠せば、簡単にできる」と。
それがさらに高度に進化したのが、今回の方法ということになる。

 で、今回の事件を聞いて、私はこう思った。
「日本も、やっと気づいたか!」と。

隣の韓国では、数年前から、携帯端末や電子機器を使った不正入試事件が続発し、社会問
題にもなっている。
日本ではそういうことは起きないと考えるのは、オメデタイというか、バカげている。
どうしてもっと真剣に、対策を練らなかったのか。

不正入試事件を起こした受験生も悪だが、対策を取らなかった大学側も悪。
現在の入試方法は、まるで現金を台座に乗せて、町中を運ぶようなもの。
あまりにも無防備すぎる。

●入学試験

 「入学試験ほど、いいかげんなものはない」。
私は小・中・高・大学と、この40年間、その入学試験を傍から見つづけてきた。
その結論が、これ。
最悪だったのは、80年代から90年代の中ごろまで。
勉強しかしない、勉強しかできない、どこか頭のおかしな高校生ほど、スイスイと一流大
学の一流学部へ入学していった。

 今でも一般論として、よくこんなことが言われる。
「進学校と呼ばれる中学、高校ほど、いじめ問題が深刻」と。
あるいは「進学校と呼ばれる中学、高校ほど、学校の周辺にゴミが散乱している」とも。
不正というなら、これほどの「不正」はない。

 で、それではよくないということで、AO入試というのが始まった。
2000年に入ってからである。
が、そこは「敵も然(サル)もの……」。
即座に進学予備校では、対策講座が始まった。
結果、今では、AO入試すら、骨抜きにされてしまっている。

●「不正」とは何か

 そこで改めて考えてみる。
「不正とは、何か」と。
考えてみれば、この世の中、不正だらけ。
上は政府与党や日本相撲協会に始まり、下は子どもの世界まで。
総合商社にしても、まともな方法で稼ぐ利益よりも、不正な方法で稼ぐ利益のほうが多い
と言われている。
つい先月には、こんな事件もあった。

 インドネシアの経済使節団が韓国を訪問した。
その宿泊先のホテルに、韓国政府直属の経済スパイが侵入。
情報を盗み出そうとして、失敗。
「あまりにも稚拙な方法だった」と、韓国紙も認めるほど、お粗末な事件だった。
さらにその上を行くのが、スパイ衛星、などなど。

 もしこの世で、「私は不正なことはしません」などと言おうものなら、その人は生きてい
かれない。
そのことは、あなた自身を冷静に見つめてみればわかるはず。
卑近な例をあげれば、信号無視、走行中の携帯電話……。
みな、スキさえあれば、不正なことを、平気でしている。

 私たちは常に、犯罪ではないが、その一歩手前のギリギリのところで生きている。
そんな私たちが、どうして子どもたちに、「不正はいけません」と言うことができるだろう
か。
さらに一言付け加えるなら、これほどまでに不公平感が社会に充満してくると、「何が、不
正だ!」とも言いたくなる。
まじめに生きるのが、バカバカしくなる。

●不作為の悪

 だからといって、不正入試方法を是認せよというのではない。
日本の社会にあって、唯一の聖域。
それが「受験」ということになる。
もしその受験の世界にまで不正がはびこるようになったら、日本はおしまい。
そういう意味で、先に「対策を取らなかった大学側も悪」と書いた。
つまり大学側は、あたかも被害者であるかのような立場を取り繕っているが、これはおか
しい。
言うなれば、「不作為の悪」。

 ということで、この先も、いたちごっこはつづく。
この世に不公平感があるかぎり、いたちごっこはつづく。
またその不公平感があるかぎり、犯罪者の犯罪意識を薄める。
方法もさらに巧妙になる。
そのうちメガネに仕込んだカメラで、入試問題を撮影し、瞬時にその解答が、メガネに映
し出される、そんな装置も開発されるようになるかもしれない。
つまりそういうことも考えに入れ、大学側は対策を練る必要がある。

 最後に一言。

 「学生から携帯電話を取りあげるのは、不可能」という意見が目立つ。
「携帯電話は必携品」とか、「携帯電話で親と迎えの場所を打ち合わせている」とか、など。
「数千台の携帯電話を、入り口で預かるのは不可能」という意見もあった。
が、これもおかしい。

 私たちの時代には、携帯電話なるものは、まったくなかった。
20年前にも、なかった。
しかし何も困らなかった。
が、どうして今は、困るのか?
どうも釈然としない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 不正入試事件 不正入試)


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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