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子育て最前線の育児論byはやし浩司 4月 4日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●勉強嫌いな子ども
++++++++++++++++++
勉強嫌いな子どもには、大きく分けて
2つのタイプがある。
(1)意識的に「嫌う」子ども
(2)無意識のまま、「嫌う」子ども。
意識的に嫌う子どものばあいには、まだ
指導ができる。
その(意識)をつかむことができる。
ああでもない、こうでもないと声に出して
抵抗する。
このタイプの子どもは、まだ指導が可能。
しかし無意識の世界から、原発的に
嫌う子どももいる。
このタイプの子どものばあいには、指導は
たいへんむずかしい。
子ども自身の意思の力でも、どうにも
ならない。
自覚を促すのは、不可能とさえ言ってよい。
もっと奥深いところから、子どもを操る。
「嫌い」という思いが、心の奥で固まって
しまっている。
それを溶かすのは、容易ではない。
……というより、不可能。
+++++++++++++++++
●SE君(小3)のケース
SE君(小3男児)は、幼児期から多動性があった。
静かな落ち着きがなく、騒々しかった。
少し油断すると、周囲を巻き込んでは騒ぎ、時にはレッスンそのものを破壊した。
瞬時に気分が変化し、ものの考え方も、直情的、直感的。
SE君が、AD・HD児であったかはどうかということはさておき、そのSE君は、
学年を追うごとに、ますます勉強嫌いになっていった。
そのSE君が、大きく変化したのは、小学3年生になったときのことだった。
学校で、担任の先生が替わった。
神経質できびしい先生だった(母親談)。
明らかに無理な学習、強制的なしつけ、あるいは強圧的な叱り方が、日常化していた。
母親はこう言った。
「学校では、うちの子には居場所がないみたいです」と。
つまりみなから、邪魔者扱いをされている、と。
SE君が、勉強から逃げるようになったのは、そのころからである。
ただ嫌いというのではない。
「さあ、この問題を考えてみよう」と言っただけで、表情が暗くなってしまう。
体中から骨が抜けたように、姿勢が崩れてしまう。
マンツーマンで教えても、まったく効果はない。
いたずら繰り返し、時間をつぶす。
きつく指示しても、そのつどぐずぐず言い、勉強にとりかからない。
その様子を見ていると、自分の意思で拒否しているというよりは、SE君自身が、
自分をもてあましているといったふう。
そんな印象をもつ。
つまりSE君は、心のもっと奥深いところで、勉強に対して拒絶反応を示している。
こういうとき「原発的」という言葉が正しいかどうかはわからないが、心の奥深く
で反応しているという点で「原発的」という言葉を使う。
SE君自身の意思が感じられない。
俗な言い方をすれば、同じ勉強嫌いでも、「根が深い」。
●症状をこじらせる
一般論として、AD・HD児の指導が困難なのは、その子どもがAD・HD児だから
ではない。
それまでの無理なしつけが、症状をこじらせてしまう。
指導を困難にする。
本来なら、小学3年生くらいを境に、自己評価力、自己管理力、自己認識力が育って
くる。
そのころになると、自分で自分をコントロールする力が育ってくる。
見た目には、生活態度全体が落ち着いてくる。
が、中には、症状をこじらせてしまうケースがある。
とくにSE君のように、境界線上にいる子どもは、そうである。
先生も親も、「何とかなる」と考え、無理をする。
はげしく叱ったり、きびしく指導したりする。
その無理が、症状をこじらせる。
大切なことは、幼児期にいろいろな問題が生じたとしても、あせらないこと。
(もちろん適切な指導は、必要。)
「直そう」とか「治そう」と考え、あせればあせるほど、症状がこじれる。
あとあとの立ち直りを、むずかしくする。
●あきらめは悟りの境地
小学3、4年生までに、こうしたこじれた症状がでてくると、それ以後、
勉強が好きになるということは、まずない。
(おくれる)→(逃げる)→(ますます嫌いになる)の悪循環の中で、あとは行き着く
ところまで行く。
では、どうするか。
今は時代も変わった。
(学歴)よりも(一芸)。
おとなになる道はひとつではない。
そう考えて、別の道を用意する。
勉強で追いつめれば追いつめるほど、ますます症状をこじらせてしまう。
さらに言えば、『あきらめは、悟りの境地』。
あきらめるべきものは、あきらめる。
子どもの心というのは、不思議なもの。
親ががんばればれば、がんばるほど、逆効果。
「まだ、何とかなる」「こんなはずはない」と、思えば思うほど、逆効果。
が、あきらめ、子どもを受け入れてしまうと、子どもも気が楽になるのか、そのときから、
伸び始める。
ただし表面的な「あきらめ」ではいけない。
心底、あきらめる。
「うちの子は、こんなもの」と。
それが子どもの心に風穴をあける。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 原発的な勉強嫌い 勉強を嫌う子ども こじれる症状 ADHD児
AD・HD児 無理なしつけ はやし浩司 無理な学習指導)
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●日本危機論(「個」の主張をめざして)
(注意)間に数日置いて書いた原稿です。
まとまりのない、支離滅裂な原稿になって
しまいました。
こういうときは、食材を料理するように、
いくつかに分散して、それぞれをひとつの
原稿にまとめるという手法を使いますが、
今回は、そのまま掲載します。
あらかじめ、ご承知おきください。
++++++++++++++++++++
日本では、「個」の教育がなされていない。
「個」を生かす社会も、不十分。
が、それはまさに社会の責任。
私たちはただひたすら、(もの言わぬ従順な民)で
よいのか。
しかしそれこそ、まさに亡国への序曲。
日本の一歩外に出れば、そこは海千山千の世界。
ギャングの世界。
どうやってそういう連中を相手に、この先、
この日本は闘っていくというのか。
++++++++++++++++++++
●意識のちがい
国によって、また時代によって、たとえば職業観というのは、ちがう。
たとえば子どもたちに、「どんな仕事がいいか?」と聞くと、今では、「タレント」とか、
「お笑いタレント」とか、答える子どもが多い。
もちろん「サッカー選手」とか、答える子どもも多い。
その時代ごとに作られる……というよりは、その時代の価値観をそのまま反映する。
日本でも戦時中は、軍人だった。
軍人の地位も高かった。
それが戦後は、大企業の社員になった。
私たちの時代には、そうだった。
「兵士」は、そのまま「企業戦士」になった。
「愛国心」は、そのまま「愛社心」になった。
「一社懸命」という言葉もあった。
戦前は、「立派な国民」という言葉がもてはやされた。
戦後は、「立派な社会人」という言葉がもてはやされた。
戦前の言葉なのだろうが、私たちが子どものころには、まだこんな言葉が残っていた。
「末は大臣か、博士か」と。
出世主義が、この日本では、当たり前のようにもてはやされた。
地位と肩書き。
それでその人の価値が決まった。
が、何といっても、身分制度というのは、恐ろしい。
江戸時代の身分制度が、明治以後、学歴主義に置き換わった。
たとえば私がこの浜松に住むようになったころのこと。
この浜松では、出身高校で、「身分?」が判断されているのを知って驚いた。
「あの人は、B高校なんですってねえ」とか、「あの人がS高校!」とか。
同窓生意識も、強い。……強かった。
今でも、古い世代を中心に、そういう意識のままの人は多い。
●大切なのは、中身
人は裸で生まれる。
死ぬときも裸。
だから生きるのも、裸。
称して「裸論」。
が、裸で生きるのはむずかしい。
とくにこの日本では、むずかしい。
どの世界にも、組織があって、どこかの組織に属さないと、生きていくのもむずかしい。
反対に、組織に属すると、生きるのも楽。
大きければ大きいほど、よい。
日本は、まさに組織社会。
が、そのため、個人が犠牲になる。
個人というより、「個」が犠牲になる。
が、これも意識の問題。
「私」という「個」を犠牲にしながら、「個」を犠牲にしているという意識そのものが
ない人も多い。
「個」というものが、どういうものであるかさえ、わかっていない。
平たく言えば、子どものころから「個」の教育を受けていない。
集団隷属型というか、金太郎飴的というか、それが日本の教育の基本になっている。
が、その殻(から)から抜け出すのは、容易なことではない。
●「個」の教育
最近、私は自分の幼児教室で、いろいろな実験を繰り返している。
たとえば幼児に、「正負の数」を教えてみた。
「分数」も「小数」も教えてみた。
今週は、「かけ算」を教えている。
どれも大成功……というか、子どもたち(年長児・年中児)は、それを理解した。
その様子は、YOUTUBEで公開している。
私のHPから、「BW公開教室」へと進んでみてほしい。
賛否両論もあるだろうが、そこに聞こえる、子どもたちの笑い声を聞いてほしい。
それがこうした教え方の、「答え」ということになる。
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こうして公開する目的は、2つある。
ひとつは、私のしていることを、もっと多くの人たちに利用してもらいたいということ。
もうひとつは、幼児のもつ可能性を、もっと多くの人たちに知ってほしいということ。
「幼児だから、ここまで」という『ダカラ論』ほど、意味のないものはない。
またそういう制限を加える必要はない。
加えてはいけない。
反対に、どうして幼児に「正負の数」を教えてはいけないのか。
もしこんな論理がまかり通るなら、この日本からは、ベートーベンもモーツアルトも
生まれないということになる。
つまりそこそこの子どもは生まれるが、それ以上の子どもは、生まれない。
……と書くのは、言い過ぎ。
それはよくわかっている。
が、みなが、もっと自由に子どもを教育すればよい。
それが結果として、「個」を育てる。
●就職難?
今年、大卒の就職率は、さらにさがった。
そして今朝の新聞(C新聞)によれば、就職したあとも、離職者がふえているという。
「こんなハズではなかった」と、会社を去っていく若者がふえているという。
理由はいろいろあるだろう。
が、もう10年ほど前になるが、京都にあるP出版社の編集長が、こんな話をしてくれた。
「最近の新入社員たちは、おかしい。
入社すると同時に、マンションで、豪勢な生活ができると思いこんでいる。
最近のトレンディ・ドラマの影響だろうが、世の中、そんなに甘くない。
そういう現実が、まるでわかっていない」と。
つまり最近の新入社員(大卒)は、入社と同時に、会社の命運を決めるような仕事が
できると思いこんでいる、と。
世間の見方が、総じて、甘い。
それもそのはず。
子どものときから、「苦労」というものを、していない。
「苦労」といっても、自分のための苦労。
他人のための苦労をしていない。
たとえばゲームソフトを手に入れるための苦労はしている。
しかし家族のために掃除をするとか、そういう苦労はしていない。
あるいは受験勉強では苦労をした。
しかし学費は、天から降ってくるものと思っている。
アルバイトはするが、すべて遊興費。
それもそのはず。
子どものころから、「個」で生きるという訓練を受けていない。
「みなと同じことをしていれば、安泰」。
その結果、景気が右に流れれば、自分も右に流れる。
左に流れれば、自分も左に流れる。
だから、就職難?
仕事がなかったら、自分で作ればよい。
そういう発想が、ない。
仕事が気に入らなかったら、自分で作ればよい。
そういう発想が、ない。
●逆転現象
話が脱線したが、要するに「たくましさ」ということになる。
その追求こそが、「個」の教育ということになる。
が、現状は、不可逆的に、悪化している。
幼児の世界を見ても、そのたくましい子どもが、どんどんと減っている。
とくに男児。
男児の女性化が始まって、もう30年になる。
今では「男」と「女」が逆転している。
平等なら、まだよい。
逆転している。
小学校の低学年をみても、いじめられて泣くのは、たいてい男児。
いじめて泣かせるのは、たいてい女児。
こういう現状を、いったい、どれだけの人が知っているのか。
反対に、今では、わんぱくで、ガキ大将のような男児が、むしろ「できの悪い子」
というラベルを張られ、排斥される。
またそういう男児が、10人に1人もいない。
残りの9人は、ナヨナヨしている。
ものを横取りされても、それを取り返すことさえ、できない。
が、もちろん、これは子どもの責任ではない。
そういう子どもを育てた親の責任でもない。
社会の責任である。
●まず私たちが……
社会を変えようとするなら、まず私たちおとなが、「個」の世界で生きてみる。
その「個」を主張する。
遠慮することはない。
が、今の今ですら、私を叩いてくる人は、跡を絶たない。
「同じ原稿を複数のBLOGに載せるな」と言ってきた人(日本人)がいた。
「YOUTUBEに、多数の動画をUPするな」と言ってきた人(日本人)もいた。
まさに『出る釘は叩く』の発想。
それこそがまさに日本的。
そういう現実が、まったくわかっていない。
(私は「日本」というより、「世界」に向けて、情報を発信している。
いいか、世界は、日本の何百倍も広いのだぞ!)
だからこの日本では、民主主義が育たない。
ヘタクソな政治でも、文句ひとつ言わない。
……言えない。
卑近な例だが、私の住む団地にしても、角ごとに、5~6本前後の道路標識が
立っている。
中には「いたわりゾーン」とかいう、訳の分からないものまである。
どこかの交通安全協会が立てたものだが、1本立てるのに、120万円前後の
お金がかかるとか。
何かの週刊誌で、そう読んだことがある。
それも10年以上も前に!
こうしたゆがんだ政治が、日本全国、津々浦々、どこでも野放しになっている。
が、だれも文句を言わない。
みな、ただひたすら、おとなしく、静か。
もの言わぬ従順な民。
こんな社会で、子どもの「個」など、育つわけがない。
●組織
私は、M物産での商社マン時代をのぞき、そのあと人生の大半を、ひとりで生きてきた。
そういう人生を総括してみると、こう言える。
「この日本では、『個』で生きることは、たいへんむずかしい」と。
「むずかしい」というより、損の連続。
言い換えると、組織に属していれば、得。
苦労に苦労を重ねても、生活が苦しい人はいくらでもいる。
その一方で、さしたる苦労をしなくても、生活が楽な人もいくらでもいる。
不公平社会、ここに極まれりということになるが、それを決めるのが、「組織」。
組織……それも大きければ大きいほどよいが、その組織に属している人は、得。
そうでない人は、損。
そういう社会ができあがってしまっている。
だからますます「個」が、脇へ追いやられる。
もちろん教育の世界とて、例外ではない。
●声をあげよう!
みんな、もっともっと、声をあげよう。
おかしいものは、おかしいと言おう。
とくに退職した人たち。
けっして内向きな生き方をしてはいけない。
「自分さえよければ、それでいい」と、考えてはいけない。
それこそ、まさに悪魔の所作。
それが積み重なると、ものの考え方すべてが、悪魔的になる。
あなた1人の力は小さくても、みながみな、そう考えるようになったら、それこそ
この日本は、おしまい。
そうでなくても、社会の私たちを見る目は、ますます冷たくなってきている。
「粗大ゴミ」どころか、「社会悪」と考える人もふえてきている。
そのうちこの日本では、「老人排斥運動」さえ始まるようになるかもしれない。
また排斥されてもしかたないようなことを、している。
あるいはすべきことをしないまま、のうのうと生きている。
だから私たちは、自分の命を、社会に還元する。
藤沢市に住む恩師が教えてくれた言葉である。
「還元」。
わかりやすく言えば、「返礼」「お返し」「恩返し」。
私たちが黙っていたら、道路の角に立つ立て札は、一方的にふえるだけ。
だから声をあげる。
●支離滅裂
「個」の話から、「老人」。
さらに「還元」の話になってしまった。
最後は、「声をあげよう」?
まさに支離滅裂。
最初に「個の教育をめざして」と書いた。
が、書いていくうちに、「このままではいけない」と、そのつど考えた。
それでこういう原稿になってしまった。
かなり弁解がましいが、どうか許してほしい。
最後に一言。
「日本はこのままでは、ますます低落していく」。
そういう危機感だけは、どうか私と共有してほしい。
Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司
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【年中児に、かけ算を教えてみる】(BW実験教室byはやし浩司)
●年中児(4,5歳児)にかけ算を教えてみました。
結果は、どうかご自身でご覧ください。
同時に、幼児のもつ可能性を、どうか再認識してください。
「幼児だから、脳の構造も幼稚」と考えるのは、明らかにまちがっています。
(1)
(2)
(3)
(4)
Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●世界情勢(どう私たちは自衛すべきか)
++++++++++++++++++
アメリカが、あれだけドルをたれ流せば、
影響が出ないはずがない。
正確な数字はわからないが、100兆円
とも、あるいはそれ以上とも言われている。
結果、世界の穀物価格は、平均して、この
1年間で、30%弱も上昇。
たとえば大豆価格……08年比で、2・6倍
小麦価格……08年比で、2・3倍
とうもろこし価格……08年比で、3・1倍。
(農林水産省調べ・MMF・2010)
農林水産省のHPには、こうある(以下、農林水産省HPより)。
○穀物等の国際価格は、輸出国の輸出規制等により高騰した2008年夏以降一旦落ち着いた
ものの、2010年7月以降再び上昇。現在は、2006年秋頃に比べ2.3~3.1倍の水準。
○2010年7月以降、ロシアの干ばつ等により、小麦を中心に上昇。8月下旬以降、小麦か
らの需要のシフトや米国の生産量見込みの大幅な下方修正等により、とうもろこしを中心
に上昇。11月下旬以降、とうもろこし、大豆はアルゼンチンの降雨不足等により、小麦は、
豪州東部の洪水、米国大平原の土壌水分不足等により上昇(以上、農林水産省HPより)。
こういう世界情勢の中で、世界各国は
政情不安に揺れている。
エジプトは、その第一幕に過ぎない。
順に思いつくまま、私たちはどう自衛すべきか、
今朝のニュースを読みながら、思いついたまま、
ここに書いてみる。
++++++++++++++++++
●先進国
仮に月収が100万円あったとする。
そういう人たちにとっては、食料品価格が、2倍になったところで、それほど
影響はない。
毎月の食料費が、10万円から20万円になっても、なんとかしのげる。
しかし貧しい人たちにとっては、そうでない。
仮に月収が20万円しかなかったとする。
そういう人たちは今の今でさえ、食料費を切り詰めて生活している。
毎月の食料費が、5万円が10万円になったら、生活そのものができなくなる。
もう少し正確には、エンゲル係数という係数を使って判断する。
●エンゲル係数
エンゲル係数は、消費支出に占める食料費の割合をいう。
「使ったお金のうち、食料費は何%」(All・About・マネーサイトより)で決まる。
総務省家計調査によれば、
年収~442万円の人で、平均24・3%、
年収944万円以上の人で、平均19・6%、
全世帯の平均は、21・6%、となっている(2005年、2人以上の世帯調べ)。
が、これは日本という、まだ恵まれた国での数字。
世界には、まだ1日、1~2ドルで生活している人がいる。
昨今の報道によれば、この1年間で、そういった最貧困層の人たちが、4000万人も
ふえたという(11年2月)。
そういった人たちにとっては、エンゲル係数という係数そのものが、成り立たない。
●シワ寄せは貧しい国々へ
世界規模でみるなら、そういったシワ寄せは、最後には貧しい国々に集まる。
ここ1か月のニュースを見るまでもない。
まずエジプト。
つぎにリビア、バーレーン、クゥエート……。
表向きは独裁政治への反発ということになっている。
しかしその引き金となったのが、高い失業率と貧困。
こうした政情不安は、現在、世界中に飛び火しようとしている。
が、こうなることは、アメリカが狂ったようにドルを印刷し始めたときから、
予想されていた。
2010年の初頭から、アメリカは、ドル防衛のため、なりふり構わず、
ドルを世界中にたれ流し始めた。
が、この日本とて、無罪というわけにはいかない。
アメリカが、清水の次郎長なら、日本は、森の石松。
●アメリカの好景気
今朝の日経新聞によれば、アメリカでは物価高にもかかわらず、株価が上昇して
いるという。
(日本は、株価は低迷したまま。)
つまりアメリカでは、ありえないことが起きている。
その(ありえないこと)の理由のひとつが、先に書いた(しわ寄せ)ということになる。
つまりアメリカだけの、ひとり勝ち。
(「勝ち」というより、「得」。)
それもそのはず。
いくらアメリカがドルを増刷しても、世界中の人たちは、そのドルをほしがる。
ドルに代わる通貨そのものが、ない。
ユーロにしても、元にしても、また円にしても、アメリカ・ドルほどの力はない。
だから「もつべきものは、やはり、ドル」ということになる。
(それをよいことに、アメリカはドルを印刷しているのだが……。)
●不安
こんなことをしていたら、世界はメチャメチャになってしまう。
現にメチャメチャになり始めている。
アメリカはそれでよいかもしれないが、政情不安が、さらなる政情不安を引き出す。
先に書いた、エジプトは、その第一幕にすぎない。
そのためアメリカだって、安泰というわけにはいかない。
やがてそのツケは、結局は、アメリカにも回ってくる。
当然、日本にも回ってくる。
すでにイランが、今回のエジプト動乱を機に、中東での勢力拡大に乗り出した。
軍艦がスエズ運河を越え、地中海に入った。
……などなど。
この先、こうした動きがこのまま落ち着くとは、だれも思っていない。
こうした不安を見越して、今、世界のマネーは、現物資産、たとえば金やプラチナに
向かい始めている。
今日の金価格(ゴールド・田中貴金属)は、1グラム、4000円弱。
ニューヨーク・先物価格では、1オンス、1400ドル弱。
●日本は……
その日本はといえば、まあ、あきれるというか、バカげているというか……?
小沢一郎という、たった1人の政治家に振り回され、右往左往。
国政の「体(てい)」そのものが、バラバラ。
こういうのをさして、「何という体たらく!」と言う。
「天下、国家プラス、世界の一大事に、何をしているのか」と叫びたくなるほど、
だらしない。
そうでなくても今の日本に必要なのは、超強力な政府。
官僚の抵抗など、一喝して吹き飛ばせるほど、超強力な内閣。
今、ここで行政改革を断行しなかったら、この日本はどうなる?
それこそ想像するだけでも恐ろしいことが、つぎに待っている。
日本の国家破綻は、すでに可能性の問題ではない。
時間の問題。
この3月期を乗り越えることができるのか?
10月期を乗り越えることができるのか?
へたをすれば、総選挙をやっている、その最中に、この日本は破綻するかもしれない。
つまりこれだけ国際情勢が混沌としてきたにもかかわらず、この日本は、何も
できないでいる。
国際会議を開くこともできないでいる。
わかりやすく言えば、家の中がゴタゴタしているため、家の外のことなど、とても、
とてもといった状態。
●自衛
こうして考えていくと、私たちは私たちで、自衛するしかない。
政府は、まったくアテにならない。
(1)資産の退避……1ドルが1000円になるのも覚悟する。
最低でも2年分の資産の確保。
「金1キロで、1年分の生活費」(貴金属商主人談)と言われている。
(2)仕事、食料の確保……仕事と収入があれば、何とかなる。
不況時代にも必要な仕事というのはある。
耕作地があれば、作物を作る。
大根一本、1万円。
やがてそうなる。
(3)超節約生活……今から、節約生活に慣れておく。
目一杯の生活から、余裕のある生活に転換する。
(4)健康の維持……運動量をふやす。ストレスをためない。
運動する習慣を、しっかりと生活の中に組みこむ。
以上は、私というド素人の考えた自衛策ということになる。
あくまでも参考の範囲で利用してほしい。
なお土地については、現在、ミニバブル進行中。
バブルがはじければ、再び暴落する。
投資先としては、向かないのではないか。
ただし土地をもっている人は、今すぐ現金が必要でないなら、手放さない方がよい。
●最後に……
最後にもう一度、農林水産省が公表した、世界の穀物価格の数字を並べてみる。
大豆価格……08年比で、2・6倍
小麦価格……08年比で、2・3倍
とうもろこし価格……08年比で、3・1倍
(農林水産省調べ・MMF・2010)
たまたま日本は、円高にブレたから、こうした価格の上昇分を、円高で吸収する
ことができた。
しかし国によっては、3倍どころか、10倍、20倍になった国もある。
(あの北朝鮮では、50倍だぞ!
この1年間だけでも、50倍だぞ!)
今、世界は、たいへんな状況になりつつある。
今朝のニュースを読みながら、そう思った。
2011/02/19朝記
Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司
●あの世論(映画『ヒア・アフター(hereafter)』を観て……)
++++++++++++++++++++++
今日から、映画『ヒア・アフター』が、公開された。
主演は、マッド・デイモンとセシル・ドゥ・フランス。
早速、ワイフと観てきた。
『ヒア・アフター』、つまり「あの世」。
字幕の中でも、そう翻訳していた。
私は、実は、この英語を知らなかった。
「hereafter(あの世)」ではなく、
「hear after(あとから聞く)」かと思っていた。
だから、「ヒア・アフターねエ?」と。
++++++++++++++++++++++
●臨死体験
映画『ヒア・アフター』の中では、1人の霊能者を主人公(ジョージ)にしながら、
それと並行し、臨死体験がひとつのテーマになっていた。
人は死線をさ迷うと、臨死状態を体験をするという。
その臨死体験。
臨死体験でたいへん興味深いのは、東洋のこの日本でも、また西洋の欧米でも、
同じような状況に置かれると、みな、似たような体験をするということ。
日本では、「三途の川」という。
西洋では、「湖」とか「海」とか、そういうふうに表現する人が多い。
もちろん「川」と表現する人もいる。
三途の川を渡ろうとしたら、うしろから声が聞こえてきた。
その声を聞いて、渡るのをためらっていたら、もとの世界に戻ってきた、とか。
映画『ヒア・アフター』の中でも、主人公の女性(マリー)は、みなといっしょに歩いて
いこうとしていた
この「みんなといっしょに歩いていた」という部分が、臨死体験。
が、何かのことで突然うしろに引かれ、そのまま生き返るという展開になっている。
水の流れる川と、花が咲き乱れる美しい野原。
ただし映画『ヒアアフター』の中では、そういった景色は表現されていなかった。
「360度、すべての世界が一度に見えた」というようなことを、その女性は
言っていた。
が、だからといって、スピリチュアル(霊的)な世界を肯定するのは、早い。
それをもって、「あの世がある」と言い切るのは、早い。
脳の一部には、どうもそういう機能が、もともとあるらしい。
(以下、記憶によるものなので、不正確。)
死ぬ寸前、つまり脳が機能を停止する直前、脳の一部のみが機能し、
人にそのような「夢」を見させるという(記憶による)。
前頭と側頭の間の溝(みぞ)に、その「一部」があるという(記憶による)。
その部分を電気的に刺激すると、先に書いたような水の流れる川と、
花が咲き乱れる美しい野原を、人は幻視として見るという(記憶による)。
何かの薬草を服用しても、同じような現象を引き起こすことができるという
(記憶による)。
南アメリカにはその薬草を使って、幻覚を起こさせるという原住民もいるという。
まじないや病気の治療に使っているらしい(記憶による)。
以上、「記憶による」というのは、何かの本で、そう読んだことがあるという意味。
何の本だったかは、忘れた。
以前、それについて書いた原稿があるはず。
(家に帰ってからさがしてみるが、見つからなかったら、ごめん!)
で、そのときも、こんなふうに書いた。
「長い進化の過程を経て、人間の脳の中には、そういう機能まで用意されている」と。
つまり死に際して、人は、最期の最期で、そういう夢を見るようになっている、と。
それには東洋人も、西洋人もない。
それが臨死体験ということになる。……ということではないか。
その本だけで、こう判断するのも危険なことだが、今の私には、そのほうが合理的に
聞こえる。
私は、スピリチュアルな意味での、「あの世」の存在を、信じていない。
では、死んだら、私たちはどうなるか。
それについても、映画の中で、こう言っていた男がいた。
「電気を消すのと同じ。そのまま真っ暗になって、おしまい」(記憶による)と。
私はこちらの意見のほうを、支持する。
●あの世論
が、実のところ、私にもわからない。
本当にあの世があるのか。
それともないのか。
そういう議論はさておき、今の私は、一応「ない」という前提で生きている。
死んでみて、あの世があれば、もうけもの。
また死んでから、それを知っても、遅くはない。
が、宗教の中には、「信仰の厚かったものだけが、天国へ行ける」などと教えて
いるのがある。
しかしこの考え方は、おかしい。
あるとも、ないともわからない状態で、それを信じろというほうが、おかしい。
まちがっている。
もし天国が本当にあるのなら、それを先に見せてくれればよい。
そうすれば、私のような無神論者でも、有神論者になる。
スピリチュアルな世界を信じ、天国を信ずようになる。
……というようなことは、すでに何度も書いてきた。
だからここでは、その先を考えてみたい。
●生体検査
2週間ほど前、私は胃がんを疑われた。
そのときのこと。
表面的にはともかくも、心の中は、最悪。
不安と心配。
それが同時に、繰り返し心をふさいだ。
食欲も減退。
結果を知るまで、1週間で、2~3キロもやせた。
私は何度か、こう思った。
「私のような無神論者は、不幸だ。こういうとき、すがる相手がいない」と。
信仰者なら、神や仏に、助けを求めただろう。
助けというか、やすらぎ。
それを求めただろう。
しかし私には、その神も仏もいない。
そこにポツンといるのは、私。
ひとりぼっちの私。
ワイフはそういう私を心配し、あれこれと慰めてくれた。
が、間にある隔離感は、どうしようもなかった。
すきま風は、どうしようもなかった。
私は孤独のどん底へ、叩き落された。
●やすらぎ
映画『ヒア・アフター』は、しかし、よい映画だった。
途中、何度か、涙を流した。
あとに残された人たちの切なさが、そのつどジンジンと胸にしみた。
あの世があるとか、ないとか、そういう議論はさておき、「あの世」を必要とする
人たちも多い。
「あの世はある」と信ずることのみによって、救われる。
そういう人たちに向かって、「臨死体験は脳の活動の一部です」とか、「あの世は
ありません」とか、どうしてそんなことが言えるだろうか。
どうしてそんな残酷なことが言えるだろうか。
その人がそれを信じ、やすらぎを得ているとしたら、そっとしておいてやること
こそ重要。
先にも書いたように、あの世があるのか、ないのか、本当のところ、私にもわからない。
●映画『ヒア・アフター』
映画としては、期待したほどではなかった。
あえて星をつけるとしたら、星は3つの★★★。
『シクス・センス』『マトリックス』から始まり、『ミラーズ』『インセプション』ときて、
この『ヒア・アフター』。
ほかの映画を、星5つとするなら、この映画は、やはり星は3つ。
ややインパクトに欠ける。
……というか、冒頭の津波のシーンだけが、場違いなほど、大げさ。
臨死状態を経験するなら、あれほどの津波でなくても、よかったはず。
最後は、運命的な出会いにより、ハッピーエンドで終わるが、その部分も弱い。
「だったら、今までの流れは何だったのか?」と思ったところで、映画は終わってしまう。
ともかくも、西洋人の死生観が、この映画を通して、少し理解できた。
「西洋人」というよりは、監督のクリント・イーストウッドの死生観と書くべきか。
私なら、先日も書いたように、(あの世)と(この世)を逆転した描き方をする。
「この世」と思っている、この現世が、実はあの世。
「あの世」と思っている、死後の世界が、実はこの世。
私たちは、「あの世」と呼んでいる本来の世界から、「この世」と呼んでいるスピリチュ
アルな世界へやってきた。
今、その世界で生きている(?)。
そのほうが、つじつまが合う。
私たちが「この世」と呼んでいるこの世界には、天国もあれば、地獄もある。
それに「この世」での命は、まりにも短い。
長く生きても、100年。
一方、「あの世」では、永遠。
母体(マトリックス)はどちらかというと、私たちが「あの世」と呼んでいる世界の
ほうこそ、母体。
●あの世の話
もっとも私もあと16年足らずで、(それも運がよければの話だが)、この世を去る。
16年というが、そんな年数など、あっという間。
自分の過去を振り返ってみると、それがよくわかる。
今の年齢から16年を引くと、63-16=47歳。
47歳から今まで、あっという間に過ぎた。
だからこれからの16年間も、あっという間に過ぎていくだろう。
あるいはもっと早いかもしれない。
で、その夜、床の中で、私はワイフにこう約束した。
胃がんの疑いがかけられた夜のことである。
「もしぼくが死んだら、その夜だけは、ぼくのそばにいてよ。
その夜、ぼくはかならず戻ってきて、あの世の話をしてあげるから」と。
ワイフには暗闇で見えなかったかもしれない。
が、私はその話をしているとき、ポロポロと涙をこぼした。
その涙こそが、クリント・イーストウッドの描きたかった涙ではなかったのか。
そう言えば、マッド・デイモンの新作が、予告編で紹介されていた。
「運命」をテーマにした映画のようだ。
(タイトルは忘れた。)
こちらもおもしろそう。
楽しみ。
かならず観にいく。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
05年ごろ書いた原稿です。
しかしここに出てくる、三日酔いというのは、
私が45歳ごろ経験したものです。
ずいぶんと古い原稿だと思いますが、
ここに掲載します。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●臨死体験
++++++++++++++++++
それにしても、ひどい三日酔いだった。
風邪の症状も、それに加わった。
そのときのこと。
私は二日酔いの症状のひとつである、
厭世(えんせい)気分というのを味わった。
これはたぶんに、脳内の脳間伝達物質の
変調によるものだと思う。
感情の鈍麻(愛犬がただの犬に見えた)、
空虚感(何をしても根気がつづかず、空しく感じた)、
思考力の低下(何も考えることができなかった)、そして、
厭世気分(何ごとも、どうでもよくなってしまった)。
私は布団の中で、暗い天井を見上げながら、
ふと「死ぬときはこんな気分だろうな」と思った。
「いつ死んでも構わない」という気分にもなった。
しかし、おかしなことに、たいへんおかしなことに、
死ぬことがこわいという思いは、ほとんどなかった。
「思う存分生きてきたではないか」
「これ以上、何ができる」と。
おかしな満足感だった。
つまりこれはまったく私が予想していなかったことである。
私はいつも、こう思っていた。
「私のような往生際(おうじょうぎわ)の悪い
人間は、いざ死ぬというときになると、ギャーギャーと
大騒ぎするだろうな」と。
そのこともあって、死ぬということが、こわい。
……こわかった。
「生きることは、死の恐怖と闘うことである」などと
書いたこともある。
しかしそのときは、ちがった。
「このまま死ねるなら、それはそれで構わない」とさえ、
思った。
言いかえると、「生きたい」という思いも、
「死にたい」という思いも、私でない(私)によって
操作された結果として生まれる(思い)ということになる。
「死にたくない」という思いも、「死ぬのがこわい」という
思いも、同様に考えてよいのでは(?)。
で、私は最終的にはこう思った。
「意外と、そのときはそのときで、死を受容し、
気楽に死ねるのではないか」と。
こういうのは「臨死体験」とは言わないが、
しかし私は、そのとき、死の心理体験をしたことになる。
+++++++++++++++++++
若いころ、恩師の松下哲子(のりこ)先生に、こう聞いたことがある。
先生はそのとき80数歳を過ぎていた。
長い廊下になった縁側に座り、先生に、ふとこう聞いたときのこと。
「先生、人間というのは、歳をとると、死ぬことがこわくなくなるものですか?」と。
松下先生は、縁側で丸い背をかがめながら、こう言った。
「林さん、人間というのは、いくつになっても、死ぬのはこわいもんですよ」と。
私はこの言葉に驚いた。
松下先生は、若いときから幼児教育に情熱を燃やし、それをやり尽くした人である。
そのときも新しい園舎の建築もすませ、まさに円熟の境地に達していたはず。
松下先生の銅像も完成していた。
「松下先生の立場なら、いつ死んでもよいという覚悟ができていてもおかしくないはず」
と、私は考えた。
が、先生は、率直に、「こわい」と言った。
そこでたぶん、こういう会話をしたと思う。
「そういうものですか?」「そういうもんです」と。
だから私は自分に自信がもてなくなってしまった。
松下先生のような人物ですら、そう言った。
私より、何倍も、密度の濃い人生を送った人である。
しかも当時の松下先生は、80歳を過ぎていた。
で、私はそのあとこう思った。
私にも、いつかその日がやってくる。
しかしその日まで、私は死をこわがりながら生きる。
それしかない、と。
(死の克服)というのは、それほどまでにむずかしいことだ、と。
が、それがあっさりと、ひっくり返ってしまった。
たしかに私は厭世気分というのを味わった。
そして死への恐怖感が、一時的であるにせよ、薄らいだ。
薄らいだというより、消えた。
だから少しおかしな言い方に聞こえるかもしれないが、私はこう思った。
「これなら、いけるぞ」と。
つまり、そのときがきたら、意外とあっさりと死ねるのではないか、と。
が、それには条件がある。
そのときまで、生きて生きて、生きまくる。
精一杯、自分を燃焼させる。
「やるだけのことは、やった」という思いが、そのとき、「もう死んでも構わない」
という思いにつながる(?)。
まだここでは(?マーク)をつけたままにしておくが、どうも、そういうことでは
ないだろうか。
……いや、ちがう!
ここまで自分の書いた文章を読みなおしてみて、こう思った。
「生きたい」「死にたくない」という思いは、最近の研究によれば、どうやら
脳下垂体にある視床下部あたりから生まれていることがわかってきた。
そこから強力なシグナルが発せられ、それが「生きたい」という人間のもつ、
根源的な生命力の原泉につながっていく。
フロイトが説いた「性的エネルギー」、あるいはユングが説いた「生的エネルギー」
と同じに考えてよい。
人間にかぎらない。
あらゆる動物も同じと考えてよいが、ともかくも、そのシグナルが弱くなれば、
当然、「生きたい」という意欲も、弱くなってくる。……はず。
私が経験した厭世気分というのは、そのシグナルが変調、もしくは、弱くなった状態と
考えられないだろうか。
で、もしそうなら、何も、それまで生きて、生きて、生きまくるなどと気張らなくても、
だれしも、そのときがきたら、気楽に死の受容ができるということになる。
何もあえて、マズローの死の受容段階論など、とりあげる必要はない。
みな、ゆくゆくは、自ら、死を受容するようになる。
で、「生きたい」という思いが、実は(作られた意識)であるとするなら、
「死にたい」という思いもまた、(作られる意思)ということになる。
要するに、そのときは、そのとき。
そのときがくるまで、とにかく、生きる。
それでよい。
あとは脳のほうが勝手に意思を作ってくれる。
「死にたい」あるいは、「死んでもいい」という意思を勝手に作ってくれる。
そしてそのときは、そのときで、静かに死ねる。
今から、「死ぬのはこわい」などと、クヨクヨと悩む必要はない。
また悩んでも、無駄。
それを私は、この正月にまなんだ。
そしてそれがこのエッセーの結論ということになる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
死の受容 厭世気分 その時 臨死体験 死を受け入れる はやし浩司 マズロー)
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はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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