●借りた10円(生涯において2度目の借金)
今夜、山荘へ来る途中、
近くのKR派出所に寄った。
数日前、散歩の途中、そこで電話を借りた。
そのとき「あとで電話代をもって
きますから」と約束した。
一方的な約束だった。
しかし私には、生涯において、
2度目の借金。
私は子どものころから、人にモノを
借りるのがいやだった。
・・・というか、借りたことがない。
「借りるのが、いやな性分(しょうぶん)」。
私が生まれ育った地方では、「性分」という
言葉を使った。
そういう性分だった。
10円玉を袋に入れ、私の書いた本を
一冊、添えた。
で、派出所の中へ。
時刻は午後8時半を過ぎていた。
だれもいなかった。
入り口のデスクの上に、「御用の方は、
電話してほしい」とあった。
私は受話器をあげた。
とたん、「本署です」という声が返ってきた。
「あのう、たいしたことじゃないんですが、
先日、電話を借りたので、10円、返しに
来ました」と。
すると電話の警察官は、こう言った。
「すぐ署員を回しますから」と。
私「わざわざ回していただかなくても、
お金はデスクの上に置いておきますから」
署「それが困るんです。金額の問題では
ないのです」
私「・・・? どういうことですか?」
署「だから金額の問題ではないのです。
そういうことをしてもらっては、困るんです。
すぐ署員を回しますから、そこで待って
いてください」
私「・・・ハア・・・」と。
私は受話器を置いて、外に出た。
車に乗った。
ワイフが「どうだったの?」と。
「それがね、おおげさなことになってしまってね。
お巡りさんが戻ってくるまで、待っていろと、
そういうことになってしまった」と。
しばらく私たちは、車の中で待った。
10分、20分、30分・・・。
かなりの時間、車の中で過ごした。
「時間を無駄にした」と、何度か思った。
するとそのとき小型のパトカーがやってきた。
ワイフが「あれよ」と言った。
その言葉が終わらないうちに、私は外に出た。
パトカーの中には、3人の警察官がいた。
私は思わず、敬礼してしまった。
「おおげさなことになってすみません。
実は、先日、電話を借りたので、10円
返しに来ました」と。
警察官は、「遅くなってすみません」と。
何度も頭をさげた。
さげながら、いちばん年配格の警察官が、
困った表情をしてみせた。
「困るんですねえ。そういうことは・・・。
どう処理していいか・・・困るんですよ」と。
私「電話代ですが・・・」
警「それがね、たとえ10円でも、処理のしようがないのです」
私「そうですかア・・・?」
警「電話代はいいですよ」
私「そうですかア・・・」と。
そのとき1人の警察官が、私のことを
思い出した。
「ああ、あのときの人ですね」と。
私はそのとき27キロの道を歩くつもりでいた。
しかしKR交番あたりまで来たとき、こむら返しが
起きてしまった。
家まで、あと2、3キロというところだった。
それでワイフに電話した。
私「そうです。引佐町(いなさちょう・浜松市の
北区)から歩いてきた者です」
警「よかったんですよ、電話代は」
私「そういうわけにはいきません」と。
3人の警察官は、それぞれに「どうしようか」
というような表情をしてみせた。
私は、警察官の気持ちが理解できた。
「じゃあ、お言葉に甘えて、10円は
もらったことにします。
そのかわり私が書いた本を置いておきますので、
よかったら読んでください」と。
私は何か、悪いことをしたような気分になった。
あいさつをすますと、そそくさと、その場を離れた。
私は10円玉を返すつもりだけだった。
簡単にお金を返せば、それですむと考えていた。
が、警察署には、警察署の内部規約のようなものが
あるらしい。
電話に出た本署の警察官の言葉が、頭の中を横切った。
「金額の問題ではないのです」と。
10円でも、1億円でも、現金を受け取ること自体、
許されない。
どうもそういうことらしい。
車が走り出すと、私はワイフにこう言った。
「だまって置いてくればよかった」と。
しかし私には、生涯において、2度目の借金。
一度は、同じように、勤め先の幼稚園で借りた。
そのときも電話代の10円だった。
翌日、菓子箱を添えて、10円を返しに行った。
相手は驚いたが、私には、許せない10円だった。
少なくとも学生時代から、はじめての経験だった。
10円でも、100万円でも、同じ。
金額の問題ではない。
他人にお金を借りたのは、そのときが、最初だった。
また最後にするつもりだった。
私「ぼくにとっては、2度目の借金だった」
ワ「そうねエ」
私「2度とお金を借りるつもりはなかった。
が、借りてしまった」と。
しばらく走ると、小さいが後悔の念が
心の隅から出てきた。
「返しに行かなかったほうがよかったかな」と。
私の小さな行為が、3人の警察官を
呼び戻してしまった。
パトカーによる夜回りを、中断させてしまった。
何か悪いことをしたような気分になった。
で、そのあとのこと。
つまり電話をしたあとのこと。
しばらく休んでいると、また歩けるようになった。
で、KB交番から、1キロほど歩いたところで、
ワイフが待っていてくれた。
留守番電話の声を聞いてくれた。
しかし交番でお金を借りた話は、しなかった。
ワ「よく歩いたわね・・・」
私「3時間半くらいかな」と。
Hiroshi Hayashi++++++Feb 2011++++++はやし浩司(林浩司)
●映画『ウォール・ストリート』(カーク・ダグラス主演)
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昨日は土曜日ということで、午後になって
映画館で映画を観てきた。
『ウォール・ストリート』。
カーク・ダグラス主演。
星は2つか3つの、★★。
あまりおもしろくなかった。
・・・というか、よくわからなかった。
字幕の翻訳がよくなかった。
英語のほうでは、ちゃんと主語を入れて
話している。
が、字幕のほうでは、だれがそう言ったか。
それが、よくわからない。
そんな初歩的な稚拙さが目立った。
それにあの映画を理解するためには、
かなりの経済知識が必要。
「レバレッジ」を「てこ入れ」と訳していた。
レバレッジは、レバレッジのままでいいのではないか。
が、それ以上に、私はあの映画を観ていて、
大きな疑問を覚えた。
20代後半の若者が、1億ドル単位のマネーを、
ゲーム感覚で動かす。
その異常さに、どうしてもついていけなかった。
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●狂った世界
まだギャング映画のほうが、わかりやすい。
善玉、悪玉がはっきりしている。
そのギャング映画と、それほどちがわない。
やっていることは、同じ。
が、ウォール・ストリートのほうでは、「リーガル(=合法)」となる。
映画の中でも、「合法的な欲望」というような言葉が出てきた。
つまり合法であれば、何をしてもよい、と。
が、やはり、おかしい。
最終的にカーク・ダグラスが演ずるトレーダーは、1億ドルを11倍にする。
11億ドル。
日本円で、約1000億円!
ハッピーエンドで終わる映画だが、どうしてハッピーエンドなのか?
ギャング映画なら、その範囲の、それなりの悪玉どうしの抗争で終わる。
しかしウォール・ストリートでは、ちがう。
現にあのリーマンショック(2008・9月)では、世界中が、大きな影響を受けた。
映画の中でも、実名こそ出てこなかったが、それが大きなひとつの節目になっていた。
つまり善良かつまじめな庶民まで、大きな巻き添えを食らった。
●資本主義
念のために、申し添えておく。
私は共産主義者ではない。
ことマルクスについては、「マ」の字も知らない。
社会主義者でもない。
政党については、私は浮動票層の1人。
選挙のたびに、支持政党が変わる。
そんな私でも、あの映画を観ていて、「狂っている」と感じた。
「資本主義社会は狂っている」と。
どうしてたった1、2年で、1人の男が、1億ドルを11億ドルに
することができるのか。
当然そうして得たお金は、だれかの犠牲の上に成り立っている。
わかりやすく言えば、「搾取」したもの。
私のお金かもしれないし、あなたのお金かもしれない。
映画を観終わったあと、少なからず、私はこう感じた。
「まじめに働くのが、いやになった」と。
「まじめにコツコツ働いている自分が、バカみたい」とも。
●感情移入
本来なら映画の主人公に感情移入し、「よかった!」で終わるはずの映画。
それが最後の最後まで、その感情移入ができなかった。
若い夫婦が、1億ドルを手にする。
1歳になった息子のパーティに、100~200人の人が集まる。
ふつうのパーティではない。
豪華なパーティ。
まさにハッピーエンドだが、バカ臭ささえ覚えた。
金(マネー)の亡者たちが、金の使い道に困って開いたパーティ。
超ドラ娘とドラ息子が、また別のドラ息子を育てている。
そんな印象をもった。
シンデレラとか白雪姫の話なら、まだよい。
おとぎ話。
現代という舞台で、現実にそういうことをしている人たちがいる。
そこに大きな違和感を覚えた。
●アメリカ
ご存知ない人も多いかと思う。
現在、外貨準備高のいちばん高い国は中国であり、日本であり、そして
中東の産油国である。
が、世界中で、ただ一か国、外貨準備高ゼロの国がある。
それがアメリカ。
アメリカだけは、外貨を準備する必要がない。
外貨、つまりドルが必要になったら、印刷機を回せばよい。
それですむ。
一方、この日本は、それだけの外貨をもちながら、自由に換金することさえ
許されていない。
あの橋本政権は、外貨を5%(たったの5%だぞ)、ほかの通貨に換金すると
言っただけで、クビが吹っ飛んでしまった。
時のアメリカ大統領の逆鱗に触れた。
つまり日本という国は、アメリカのドルを買い支えているだけ。
そういう存在。
また外貨をたくさんもっているからといって、意味がない。
もともと外貨などというものは、通貨の換金のために用意しておくもの。
言うなればタンス預金。
それと同じ。
必要以上にためても、意味がない。
つまり外貨というのは、投資してはじめて生きる。
が、この日本のばあい、その投資もできない。
つまり塩漬け。
そういう世界の国々を犠牲に、アメリカは好き勝手なことをしている。
その中心部が、ウォール・ストリート。
ニューヨークのウォール・ストリート。
映画『ウォール・ストリート』は、その一端を、はからずも私たちに
のぞかせてくれた。
●結論
で、結論。
現実的な映画であるだけに、疑問ばかり覚えた。
同時進行の形で進んでいくラブ・ストーリーなど、どうでもよくなってしまった。
苦労を知らないドラ娘とドラ息子。
生意気なセリフばかりを口にする。
あの映画は、言うなれば、アメリカ製の反米助長映画。
イランやアフガニスタンの反米勢力が、反米教育のために使う映画としては最適。
私なら、そうする。
「みなさん、アメリカという国は、ここまで狂っている!
この映画を観れば、それがわかる!」と。
ワイフもこう言った。
「よく、あんな映画を作ったわね」と。
「隣の金持ちが、いかに自分たちが金を浪費し、ぜいたく三昧な生活をしているか、
それを世界に公開したようなものね」とも。
(付記)もうひとつの違和感
あの映画『ウォール・ストリート』を制作した制作者は、若い人だと思う。
年齢はわからない。
たぶん30代か、40代?。
少なくとも60代以上の人ではない。
そういう「年齢」は、映画に出てくる老人の扱い方を見ればわかる。
たとえば息子が義理の父親に、向かって、「あなたは(心の)さみしい人ですね」
と言うシーンがある。
(「かわいそうな人」だったかもしれない。英語では、「a sad man」と言っていた。)
金の亡者のような父親を、批判して言った言葉である。
その父親を擁護するつもりはないが、私はそのセリフを聞いたとき、
「何、言ってやがる!」と、強い反発を覚えた。
「親の苦労も知らないくせに!」と。
その息子にしても、「1億ドル」というマネーに心を躍らせ、スイスまで、
それを受け取りに行ったではないか。
(映画の中では、「クリーン・エネルギー産業への投資のため」と、正当化していたが)。
平たく言えば、善玉の若者が、悪玉の老人を攻撃した。
しかし善玉、悪玉といっても、相対的なもの。
同じムジナ。
いくらそうであっても、義理の父親に向かって、「あなたはさみしい人ですね」は、ない。
言い過ぎ。
生意気。
で、息子は、胎内で動く孫の超音波断層映像を、父親に見せる。
父親はそれを見て、やがて生き様を変える。
つまり、で・き・す・ぎ。
で、最終的に、父親のほうが娘夫婦に許しを乞いにやってくる。
家庭を顧みず、仕事ばかりしていた自分を恥じる。
わびる。
1億ドルという、みやげ持参で・・・。
娘はそれを見て、父親の体の中に、静かに身を寄せる。
このシーンだけを見ても、その映画は、若い制作者によって作られた
ことがよくわかる。
(私なら、娘夫婦のことは忘れ、自分の人生を生きる。
許してもらうとか、そういうことは考えない。
うらみ、つらみも、なし。
考えるだけで、疲れる。)
そう言えば、先日観た『グリーン・ホーネット』という映画もそうだった。
自分(息子)は、親の稼いだ金を自由奔放に浪費しながら、その一方で、
その親を徹底的に否定する。
父親の銅像を破壊する。
まさに現代の若者を象徴しているかのような映画だった。
私はこう言いたい。
親だって、1人の人間だぞ。
懸命に生きているんだぞ。
ぜいたくを言うな。
それをそこらの若者に、善人だの悪人だのと、判断されてたまるか、と。
・・・ハハハ、これは老人のグチ?
が、今はわからないかもしれない。
しかしあなたも、私の年齢になれば、私の気持ちが理解できるはず。
子育てで苦労し、幾多の山を越え、谷を越えれば、わかるはず。
世の中は、そんなに甘くない。
「家庭が大切」というのは、よくわかる。
しかしその家庭を支えるためには、収入がなければならない。
ドラ娘やドラ息子には、そのきびしさがわからない。
Hiroshi Hayashi++++++Feb 2011++++++はやし浩司(林浩司)
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