2011年2月28日月曜日

*In order to know your children




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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      2月   28日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●1月8日(仕事初め)

+++++++++++++++++

今日から「仕事初め」。
「始め」とも書く。
どちらでもよいが、私は「仕事始め」と
書くのが好き。
「今日から始まったぞ」という意味。

で、気合いを入れて、スタート。
まずまずの出来。
子どもを連れて帰る母親たちの様子を
見て、そう判断する。
親たちの満足そうな表情(?)が、うれしい。

+++++++++++++++++

●ネチネチした話し方

 ある母親から、今日、こんな相談があった。
その子どもは中学生になる。
が、いまだに、赤ちゃんぽい話し方をする。
ネチネチとした、甘えるような言い方である。
構音障害が、とくにあるというのでもない。
私も気にはなっていたが、しかし相手が中学生のばあい、指導が難しい。
本人に自覚があれば、まだ何とかなる。
自覚がないと、指導が難しい。

 言い忘れたが、その子どもは女子。
上に姉がいる。
姉が赤ちゃん返りを起こすことはあるが、妹が赤ちゃん返りを起こすのは珍しい。
たとえば、こんな話し方をする。

「キニョウ~ウ(昨日)~、ウマウマ(=ママ)と、ショッピング、シェンター(=セン
ター)へ、行ってキィタア(=来た)ノウ~」と。
 
 よく「メリ-・クリスマス」を、「ウメリー・クリスモ~ス」と発音する女性がいる。
コンビニやレストランで、よくそういう話し方を耳にする。
が、それともちがう。

 デレーとした言い方で、思わず、私ですらこう言いたくなるときがある。
「君ねえ、中学生にもなったのだから、きちんとした話し方はできないの?」と。

●原因?

 原因はよくわからない。
先にも書いたように、赤ちゃん返りを起こした子どもの話し方によく似ている。
しかしその子どもは、妹。
(赤ちゃん返りは、ふつう下の子が生まれたことが原因で、上の子に症状が現れる。)

依存性がたいへん強く、情緒的に不安定、もしくは精神的に未発達な子どもによく
見られる。
人格の完成度は、きわめて低い。
善悪の判断の(けじめ)が、あいまい。
自分で考えて行動するというよりは、いつも他人のあとを追いかける。
知恵の発達も全体にみると、遅れている。
が、それでいて、行動派。
動きも活発で、すばやい。
俗に言う「甘えん坊」ということになる。

 が、本人にその自覚があるかというと、疑わしい。
それがその子どもの言い方として、定着してしまっている。
またそういう言い方をするのが、「かわいい言い方」と誤解している(?)。

●相談

 母親の話では、父親がその子どもを溺愛したという。
ベタベタの関係だったという。
仕事がら、父親とその子どもがいっしょにいる時間が長かった。
その間中、父親は、片時もその子どもを放さなかった。
中学生になった今でも、いつもいっしょに入浴しているという。

 こういうケースのばあい、子どものほうより、父親のほうに原因があるとみる。
子離れできない父親。
子どもが代償的過保護の道具になっている。
つまり自分の心の隙間を埋めるための道具になっている。
が、私はその父親を、よく知っている。
ときどき参観に来て、うしろで見ている。

 顔つきはいかめしく、チャンパラ映画に出てくる侍のような風格すらある。
が、母親にせよ、父親にせよ、外からの様子だけで判断してはいけない。
むしろ外の世界では、まったく反対の「我」を演ずることが多い。
これを「反動形成」という。

 が、こういうケースのばあい、もうひとつの問題がある。
この世界には、「内政不干渉」という大原則がある。
言い方をまちがえると、家庭騒動の原因となる。
それは私のすべきことではない。
わかっていても、知らぬフリ。
また言ったところで、どうにもならない。
それぞれの家庭には、それぞれの事情があり、歴史がある。
それに触れることは、タブー。
タブー中のタブー。

●結論

 結局は「話し方がおかしい」だけ。
またそのレベルの問題。
「かわいい」と言えば、「かわいい」。
私に話しかけるときも、デレーっと、体をよじらせてくる。
最近の女子は、みな、男っぽい。
そういう中では、目立つ。

しかしそれが好ましい人間像かどうかというと、そうとは言えない。
人格の完成度と、話し方は連動している。
人格の完成度の高い女性(男性でもそうだが……)は、それなりの話し方をする。
キリッとした、メリハリのある話し方をする。

 もう1人、私の知り合いにそういう話し方をする女性(40歳くらい)がいる。
今度会ったとき、その女性の心を観察してみる。
このつづきは、またそのあとに書いてみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 ネチネチとした言い方をする女性 デレーッとした話し方をする 甘
えん坊 話し方と人格の完成度)

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●子どもを知る心理学(1)

【子どもを知る心理学】 by はやし浩司


●心の別室

 子どもというのは、(おとなもそうだが)、何かいやなことがあると、それを心の中に別
室を作り、そこに押し込むことによって、その場をやり過ごそうとする。こうした現象を
心理学の世界では、「抑圧」という言葉を使って説明する。が、この抑圧された不満や不平、
うっぷんは、時と場合に応じて、爆発する。「オレがこうなったのは、お前のせいだ!」と。
心の別室には、時間という概念が働かない。また楽しい思い出によって、上書きされると
いうこともない。だから20年、30年を経ても、そのときの自分がよみがえる。それこ
そ70歳を過ぎた老人夫婦が、若い日のことを理由に、喧嘩することも珍しくない。要す
るに、子どもには心の別室を作らせないこと。そのつど適当なガス抜きをする。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「偉い」を廃語に

 何をもって、「偉い」というのか。「偉い人」とは、どういう人を言うのか。地位か、名
誉か、財力か。英語では「respected man」という。「尊敬される人」という意味である。
が、そのときは、地位や名誉、財力は関係ない。マザーテレサをひきあいに出すまでもな
い。が、この日本ではいまだに、「偉い」という言葉が、のさばっている。とくに政治の世
界では、のさばっている。今では少なくなったが、大臣という肩書きをもった瞬間から、
胸を張り、ふんぞり返って歩く政治家は少なくない。傍から見るとバカげている。悪しき
封建主義時代の亡霊そのもの。が、当の本人はそうは思っていない。「偉い」という言葉を
廃語にしよう。そして子どもたちには、こう言おう。「人に尊敬される人になりなさい」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●摂取理論

 初対面での印象が、いかに大切なものであるか。それについて、今さら、書くまでもな
い。

 幼児のばあいは、とくにそうで、そのときその幼児がもった第一印象で、そのあとのそ
の子どもの、伸び方が、まったくちがうということは、よくある。

 よい例として、集団恐怖症、対人恐怖症、さらには、かん黙症などがある。

 こうした症状は、はじめて保育園なり、幼稚園へつれていったその日をきっかけとして、
発症することが多い。そして一度、発症すると、無理をすればするほど、逆効果。かえっ
て症状をこじらせてしまう。

 幼児の心は、そういう意味では、きわめてデリケートにできている。親や教師は、「集団
生活になれていないだけ」とか、「しばらく集団生活をすれば、なおるはず」と、安易に考
えるが、そんな簡単な問題ではない。

 集団のもつ威圧力というか、恐怖感というのは、相当なもの。私もよく経験している。
今でも、ときどき仕事などで東京へ行く機会があるが、あの東京駅の雑踏には、いまだに
なれることができない。自分の歩くスピードで歩くことすら、許されない。おまけにあの
ラッシュアワー!

 私は昔、M物産という会社に勤めていたが、その会社をやめる直接のきっかけになった
のが、あのラッシュアワーである。

 私は、毎朝、H電鉄の満員電車で、伊丹から、塚本へ出て、大阪の中ノ島にある会社に
通勤した。たまたまオーストラリアから帰ってきたばかりで、どうにもこうにも、あのラ
ッシュアワーには、がまんならなかった。それはもう、男どうしが、顔をすりあわせるよ
うな混雑ぶりだった。
 
 もちろん、子どもにもよるが、つまり集団の中にすぐ溶けこめる子どももいるし、そう
でない子どももいるが、あくまでもその子どもの視点で、ものを考えること。

 たとえば入園する前には、あらかじめ、その場所を見学させたり、子どもに見せておい
たりするとよい。そのとき、あらかじめ、集団に対する、心構えを話しておく。いわば病
気の予防接種のように、子どもの心の中に、免疫力をつけておく。こうしておくと、子ど
もは、いきなり集団を見せつけられたときよりは、そのショックをやわらげることができ
る。

こうした一連の心理作用は、「接種理論」という理論で、説明される。

 また子どもが悪い印象をもったときも、大人の一方的な意見を押しつけてはいけない。
「そうだよね」「あなたの気持ちよくわかる」「お母さんも、そう思う」と、子どもの立場
で、子どもの心になりきって、考える。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●パブリック・コミットメント

 まず外の世界に向かって、宣言する。宣言することによって、自分を縛る。これを「パ
ブリック・コミットメント」という。たとえば禁酒、禁煙。「酒をやめました」「タバコを
ためました」と、みなに言う。できるだけ大声で、多くの人に言う。そうすることによっ
て、自分の行動を厳格化する。多くの人に伝わっているから、簡単に約束を破るわけには
いかない。子どもの世界について言うなら、子どもにそれを言わせる。言わせることによ
って、子どもが自らを縛るように仕向ける。ただし無理強いはいけない。当然のことであ
る。あるいは子どもの名前が載った新聞や本などを、大切に切り抜いて張る。そしてこう
宣言する。「あなたはすばらしい子」と。これもパブリック・コミットメントのひとつとい
うことになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●プラトー

 子どもに英語を教えてみると、ある程度までは、ぐんぐんと伸びる。が、やがてそれが
停滞する時期にやってくる。この「停滞期」を「プラトー」と呼ぶ。子どもの発達段階に
おいては、よく見られる現象である。たとえば単語にしても、教えても教えても、先に教
えたことを忘れてしまう。進歩が止まってしまう、など。こういうとき親も教師もあせり
がちになるが、けっしてあせってはいけない。こういう時期がしばらくつづいたあと、(英
語のばあい、1~3年)、時間数をふやしたりすると、殻を破ったようにまた伸び始める。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●気負い

 不幸にして不幸な家庭に育った親ほど、「いい親になろう」「いい家庭を作ろう」という
気負いが強くなる。この気負いが子育てをゆがめる。どこかぎこちなくなる。極端にきび
しい親、極端に甘い親などは、たいていこのタイプの親と考えてよい。一方、心豊かで愛
情にあふれた家庭で育った親は、自然な形で子育てができる。自然な形での「親像」が身
についているからである。だから子育てをするときは、子育てをしながら、その子どもの
中で、「親像」がどのように育っているかを観察しながらするとよい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ピーターパン・シンドローム

 おとなになりきれないおとな。そうした人がもつ症状を総称して、ピーターパン・シン
ドローム(症候群)と呼ぶ。退行的なものの考え方(幼児性の持続)、人格の未完成など。
強圧的な環境、たとえば親の過関心、過干渉が日常的につづくと、子どもは自ら考えて行
動することができず、ここでいうピーターパン・シンドロームに陥りやすい。行動や言動
が、その年齢に比して、子どもぽくなる一方、善悪の判断がうとくなり、とんでもないこ
と、たとえばコンセントに粘土をつめたりするなどの常識外れなことをする。近所のおと
なの人に、通りすがり、「大きな鼻の穴!」と叫んだ子ども(小2男児)もいた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●子どもの「顔」

 子どもは何らかの形で、自分の「顔」をもちたがる。思春期においては、なおさら。た
てば勉強のできない子どもは、スポーツで。スポーツのできない子どもは、たとえばツッ
パリで、と。だから暴力的な子どもに、「あなたがそんなことをすれば、みんなに嫌われる
のよ」と諭しても、意味はない。それがその子どもの「顔」ということになる。ありはひ
ょうきんなことを言ったりしたりして、ほかの子どもたちを笑わせる子どももいる。わざ
と失敗したり、ヘマをしたりする子どももいる。それぞれの子どもには、それぞれの顔が
ある。その「顔」をつぶしてはいけない。子どもは糸の切れた凧のようになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●共依存

 酒に酔って暴れる夫。殴られても蹴られても、そういう夫に尽くす妻。典型的な共依存
関係である。妻に依存することで、自分の立場を確保する夫。依存されることで、自分の
立場を確保する妻。妻を殴ったり蹴ったりすることで、妻の従順性を確かめる夫。殴られ
たり蹴られたりすることに耐えながら、夫への従順性を証明しようとする妻。たがいに依
存しあいながら、自分を支える。傍から見ると何とも痛ましい夫婦関係だが、親子の間で
もときとして、同じことが起きることもある。家庭内暴力を繰り返す息子と親の関係。ニ
ートとなり家の中に引きこもる子どもと親の関係。子どもを突き放すことができない。親
自身も、無意識のうちに子どもに依存しているからである。

(補記)

●共依存

依存症にも、いろいろある。よく知られているのが、アルコール依存症や、パチンコ依存
症など。

もちろん、人間が人間に依存することもある。さしずめ、私などは、「ワイフ依存症」(?)。

しかしその依存関係が、ふつうでなくなるときがある。それを「共依存」という。典型的
な例としては、つぎのようなものがある。

夫は、酒グセが悪く、妻に暴力を振るう。仕事はしない。何かいやなことがあると、妻に
怒鳴り散らす。しかし決定的なところまでは、しない。妻の寛容度の限界をよく知ってい
て、その寸前でやめる。(それ以上すれば、本当に、妻は家を出ていってしまう。)

それに、いつも、暴力を振るっているのではない。日ごろは、やさしい夫といった感じ。
サービス精神も旺盛。ときに、「オレも、悪い男だ。お前のようないい女房をもちながら、
苦労ばかりかけている」と、謝ったりする。

一方妻は、妻で、「この人は、私なしでは生きていかれない。私は、この人には必要なのだ。
だからこの人のめんどうをみるのは、私の努め」と、夫の世話をする。

こうして夫は、妻にめんどうをかけることで、依存し、妻は、そういう夫のめんどうをみ
ることで、依存する。

ある妻は、夫が働かないから、朝早くに家を出る。そして夜、遅く帰ってくる。子どもは
いない。その妻が、毎朝、夫の昼食まで用意して家を出かけるという。そして仕事から帰
ってくるときは、必ず、夕食の材料を買って帰るという。

それを知った知人が、「そこまでする必要はないわよ」「ほっておきなさいよ」とアドバイ
スした。しかしその妻には、聞く耳がなかった。そうすることが、妻の努めと思いこんで
いるようなところがあった。

つまり、その妻は、自分の苦労を、自分でつくっていたことになる。本来なら、夫に、依
存性をもたせないように、少しずつ手を抜くとか、自分でできることは、夫にさせるとい
ったことが必要だった。当然、離婚し、独立を考えてもよいような状態だった。

が、もし、夫が、自分で何でもするようになってしまったら……。夫は、自分から離れて
いってしまうかもしれない。そんな不安感があった。だから無意識のうちにも、妻は、夫
に、依存心をもたせ、自分の立場を守っていた。

ところで一般論として、乳幼児期に、はげしい夫婦げんかを見て育った子どもは、心に大
きなキズを負うことが知られている。「子どもらしい子ども時代を過ごせなかったというこ
とで、アダルト・チェルドレンになる可能性が高くなるという」(松原達哉「臨床心理学」
ナツメ社)。

「(夫婦げんかの多い家庭で育った子どもは)、子どもの人格形成に大きな影響を与えます。
このような家庭環境で育った子どもは、自分の評価が著しく低い上、見捨てられるのでは
ないかという不安感が強く、強迫行動や、親と同じような依存症に陥るという特徴があり
ます。

子ども時代の自由を、じゅうぶんに味わえずに成長し、早くおとなのようなものわかりの
よさを見につけてしまい、自分の存在を他者の評価の中に見いだそうとする人を、『アダル
ト・チェルドレン』と呼んでいます」(稲富正治「臨床心理学」日本文芸社)と。

ここでいう共依存の基本には、たがいにおとなになりきれない、アダルト・チェルドレン
依存症とも考えられなくはない。もちろん夫婦喧嘩だけで、アダルト・チェルドレンにな
るわけではない。ほかにも、育児拒否、家庭崩壊、親の冷淡、無視、育児放棄などによっ
ても、ここでいうような症状は現れる。

で、「見捨てられるのではないかという不安感」が強い夫が、なぜ妻に暴力を振るうのか……
という疑問をもつ人がいるかもしれない。

理由は、簡単。このタイプの夫は、妻に暴力を振るいながら、妻の自分への忠誠心、犠牲
心、貢献心、服従性を、そのつど、確認しているのである。

一方、妻は妻で、自分が頼られることによって、自分の存在感を、作り出そうとしている。
世間的にも、献身的なすばらしい妻と評価されることが多い。だからますます、夫に依存
するようになる。

こうして、人間どうしが、たがいに依存しあうという関係が生まれる。これが「共依存」
であるが、しかしもちろん、この関係は、夫婦だけにはかぎらない。

親子、兄弟の間でも、生まれやすい。他人との関係においても、生まれやすい。

生活力もなく、遊びつづける親。それを心配して、めんどうをみつづける子ども(娘、息
子)。親子のケースでは、親側が、たくみに子どもの心をあやつるということが多い。わざ
と、弱々しい母親を演じてみせるなど。

娘が心配して、実家の母に電話をすると、「心配しなくてもいい。お母さん(=私)は、先
週買ってきた、イモを食べているから……」と。

その母親は、「心配するな」と言いつつ、その一方で、娘に心配をかけることで、娘に依存
していたことになる。こういう例は多い。

息子や娘のいる前では、わざとヨロヨロと歩いてみせたり、元気なさそうに、伏せってみ
せたりするなど。前にも書いたが、ある女性は、ある日、駅の構内で、友人たちとスタス
タと歩いている自分の母親を見て、自分の目を疑ってしまったという。

その前日、実家で母親を訪れると、その女性の母親は、壁につくられた手すりにつかまり
ながら、今にも倒れそうな様子で歩いていたからである。その同じ母親が、その翌日には、
友人たちとスタスタと歩いていた!

その女性は、つぎのようなメールをくれた。

「母は、わざと、私に心配をかけさせるために、そういうふうに、歩いていたのですね」
と。

いわゆる自立できない親は、そこまでする。「自立」の問題は、何も、子どもだけの問題で
はない。言いかえると、今の今でも、精神的にも、自立できていない親は、ゴマンといる。
決して珍しくない。


で、その先は……。

今度は息子や娘側の問題ということになるが、依存性の強い親をもつと、たいていは、子
ども自身も、依存性の強い子どもになる。マザコンと呼ばれる子どもが、その一例である。

そのマザコンという言葉を聞くと、たいていの人は、男児、もしくは男性のマザコンを想
像するが、実際には、女児、女性のマザコンもすくなくない。むしろ、女児、女性のマザ
コンのほうが、男性のそれより、強烈であることが知られている。

女性どうしであるため、目立たないだけ、ということになる。母と成人した息子がいっし
ょに風呂に入れば、話題になるが、母と成人した娘がいっしょに風呂に入っても、それほ
ど、話題にはならない。

こうして親子の間にも、「共依存」が生まれる。

このつづきは、また別の機会に考えてみたい。
(はやし浩司 共依存 アダルトチェルドレン アダルト チェルドレン 依存性 マザ
コン 女性のマザコン 自立 自立できない子供 相互依存 はやし浩司 DV 夫の暴
力 ドメスティックバイオレンス 家庭内暴力 夫の暴力行為)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●心の反射運動

 1970年のころの話。オーストラリアでは、レストランでもどこでも、あとにつづく
人がいると、その人はその人のためにドアを開けて待つ。それが当時の常識だったし、ど
こでもみなが、した。こういうのを「心の反射運動」という。つまりさりげない行為が、
相手の心をとらえたり、心を和ませたりする。またそれができる人(親)ほど、よい人(親)
ということになる。自己中心的な人ほど、心の反射運動が鈍いということになる。反対に
いつも相手の立場でものを考えたり、行動する人ほど、心の反射運動がすぐれた人という
ことになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●権威主義

 親の権威主義は、百害あって一利なし。が、遠く、江戸時代の昔には、「家制度」もあり、
そのため家父長の権威が何よりも、重んじられた。親は問答無用式に子どもに向かって、
親に従うよう求められた。が、時代が変わった。それに応じて、親子の平等意識、さらに
は対等意識が芽生えた。「親だから……」とか、「子だから……」という『ダカラ論』が通
用しなくなった。また最近の若い人たちに向かって、ダカラ論を振りかざしても、意味は
ない。反発を受けるか、さもなければ、親子の間に大きな亀裂を入れることになる。権威
主義の親ほど、子育てで失敗しやすい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●親の優位性

 親の優位性を押しつけすぎると、子どもは未来像を描けなくなり、自分の将来に大きな
不安を抱くようになる。思春期において、自我の確立に失敗することもある。赤ちゃん返
りならぬ、幼児返りを起こすこともある。これは子どもにとって、たいへん不幸なことと
考えてよい。おとなは、(もちろん教師も)、ときには子どもにわざと負けてみる。それに
よって、つまり子どもはおとなの優位性を破ったことによって、自信をもつ。私もときど
き幼児を相手にプロレスをする。わざと負けてみせる。とたん、その子どもの表情や様子
が大きく変わる。そういう方法で、子どもに自信をつけさせる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ライナスの毛布

 私は幼児のころ(小学1、2年生ごろまで)、貝殻を指先でいじっているのが好きだった。
とくに眠りにつくときにそうだった。こうした子ども特有の現象を、「ライナスの毛布」と
呼ぶ。毛布の端を口でなめたり、指先でいじる子どもは多い。子どもは自分の心を落ち着
かせるため、指先の刺激を求める。それによって脳の中である種の反応を引き起こす。モ
ルヒネ系(エンドロフィン、エンケファリン)の分泌を促すという説もある。さらにこの
方法は、老人のボケ防止にも役立つという説もある。ともかくも、子どもがある特定のモ
ノ(毛布や貝殻、やや大きくなって、ぬいぐるみなど)にこだわっても、それを「おかし
な行為」と決めつけ、禁止してはいけない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●代償的愛(代償的過保護)

 過保護には、その背景に「愛」がある。その愛の欠落した過保護を、「代償的過保護」と
いう。子どものことを愛しているのではない。子どもを自分の支配下において、自分の思
い通りにしたいだけ。その代償的過保護の原点になっているのが、代償的愛。いわば「愛
もどきの愛」。自分勝手で、わがままな愛。この愛の特徴は、(1)親はそれでもって、親
の深い愛と誤解しているということ。(2)何かのことでつまずくと、一転して、「憎悪」
の念に変わりやすいということ。真の愛というのは、無私の愛をいう。「息子(娘)に裏切
られた」と騒いでいる親は、一度、この代償的愛を疑ってみるとよい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●上下関係

 日本語には、上下関係を作る言葉が多い。「兄・弟」「姉・妹」というのが、それ。「長男・
二男・三男」というのもある。親はこうして無意識のうちにも、子どもたちの世界に序列
をもちこむ。そしてその上下関係に従って、「あなたはお兄ちゃんだから……」とか、「あ
なたはお姉ちゃんだから……」とか言って、『ダカラ論』で子どもを縛る。が、ダカラ論に
は根拠がないばかりか、その子どもにとって重荷になり、その子どもを苦しめることにも
なりかねない。なお、兄弟姉妹の間で、名前(序列ではなく、名前)で呼び合っている兄
弟姉妹は、そうでない兄弟姉妹より仲がよい。「お兄ちゃん」ではなく、「ミキ君」、「お姉
さん」ではなく、「光ちゃん」と呼ぶなど。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ツァイガルニック効果

 ほっとした瞬間、自分のすべきことを忘れてしまう。これを『ツアィガルニック効果』
と呼ぶ。記憶を持続(保持)するためには、ある程度の緊張感が必要である。(メモによっ
て残すという方法もあるが……。)その緊張感がゆるみ、「何だったけ?」となる。このこ
とはよく将棋を指しているときに、経験する。「もう勝った」と思った瞬間、へんなところ
から「角」が飛び出してきて、飛車を取られたりする。「勝った」と思った瞬間、心の中に
スキができる。そのため、そういうヘマが多くなる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●子育て愛憎劇

 自分の娘に、「死んでも、お前をのろってやる」と言った母親がいた。「墓場で、お前が
不幸になるのを楽しみにしている」とも。これはワイフの友人の話である。で、昔から愛
と憎しみは、紙一重という。愛が深ければ深いほど(?)、それが転ずると、今度は憎しみ
に変わる。が、それにはたいへんなエネルギーを消耗する。ある賢人は、こう言った。『人
を憎むのは、ネズミを追い出すのに、家に火をつけるようなもの』と。そのため愛にせよ、
憎しみにせよ、それほど長くつづくと、心身が疲れきってしまう。まさに底なしの消耗戦。
時に人間性まで狂う。だから「家に火をつけるようなもの」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●幸福論

 賢い人は、そのものの価値を失う前に気づき、そうでない人は、失ってから気づく。健
康しかり、青春時代しかり、そして子どものよさ、またしかり。子どもの問題であれこれ
悩む前に、その子どものもつ「良さ」に気づき、ほどほどのところで満足する。「もっと…」
とか、「さらに…」と思っていると、子どもも疲れるが、あなたも疲れる。同じように、幸
福にしても、そんなに遠くにあるわけではない。あなたのすぐそばにある。すぐそばにあ
って、あなたに見つけてもらうのを、じっと待っている。「私は不幸だ」と思っている人は、
一度、静かに自分の身の回りを見直してみるとよい。「今、ここに生きている」ということ
が、どんなにすばらしいことか、あなたにも、それがわかるはず。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●コンフリクト(葛藤)

 人は常に葛藤しながら、生きている。葛藤のない人生はない。たとえばいろいろなケー
スがある。(1)一等賞が当たった。自転車かパン製造機がもらえる。そういうときは、ど
ちらをもらおうかで、悩む(++)。(2)あるいは高原へ旅行に行きたいが、花粉症が心
配と、悩むこともある(+-)。(3)さらに罰ゲームで、みなの前で歌を歌うか、それと
も顔に墨を塗られるかを迫られることもある(――)。(4)またこういうのもある。険し
いイバラ道を渡らなければ、食物にあるつけないようなケース(-+)。人は常にこのコン
フリクトを繰り返しながら、生きている。詳しくは、「はやし浩司 コンフリクト」で検索
をかけてみてほしい。

(補記)

●コンフリクト(葛藤)

+++++++++++++++

人はいつも、心の中で葛藤(コンフリクト)を
繰りかえしながら、生きている。

+++++++++++++++

 二つのことがらから、一つの選択を迫られたようなとき、心の中では、葛藤(コンフリ
クト)が起きる。これがストレスの原因(ストレッサー)になる。

 コンフリクトには、(1)接近型、(2)回避型、(3)接近・回避型の3つがあるとされ
る。

 たとえば、旅行クーポン券が、手に入った。一枚は、3泊4日のグアム旅行。もう一枚
は、2泊3日のカナダ旅行。どちらも行きたい。しかし日が重なってしまった。どうした
らいいか。

 このばあい、グアム旅行も、カナダ旅行も、その人にとっては、正の方向から、ひきつ
けていることになる。そのため、葛藤(コンフリクト)する。これを(1)の接近型とい
う。

 反対に、借金がたまってしまった。取立て屋に追われている。取立て屋に追われるのも
いやだが、さりとて、自己破産の宣告もしたくない。どうしたらいいか。

 このばあいは、取り立て屋の恐怖も、自己破産も、その人にとっては、負の方向から、
ひきつける。そのため、葛藤(コンフリクト)する。これを(2)の逃避型という。

 また、グアム旅行のクーポン券が手に入ったが、このところ、体の調子がよくない。行
けば、さらに体の調子が悪くなるかもしれない。どうしたらいいのか……と悩むのが、(3)
の接近・回避型ということになる。「ステーキは食べたい」「しかし食べると、コレステロ
ール値があがってしまう」と悩むのも、接近・回避型ということになる。

 正の方からと、負の方からの、両方から、その人を、ひきつける。そのため、葛藤(コ
ンフリクト)する。

 ……というような話は、心理学の本にも書いてある。

 では、実際には、どうか?

 たとえば私は、最近、こんな経験をした。

 ある人から、本の代筆を頼まれた。その人は、「私の人生論をまとめたい」と言った。知
らない人ではなかったので、最初は、安易な気持ちで、それを引き受けた。

 が、実際、書き始めると、たいへんな苦痛に、襲われた。代筆といっても、どうしても、
そこに私の思想が、混入してしまう。文体も、私のものである。私はその人の原稿をまと
めながら、何かしら、娼婦になったような気分になった。

 お金のために体を売る、あの娼婦である。

 そのとき、私は、(3)の接近・逃避型のコンフリクトを経験したことになる。お金はほ
しい。しかし魂は、売りたくない、と。が、実際には、コンフリクトと言うような、たや
すいものではなかった。心がバラバラになるような恐怖感に近かった。心というより、頭
の中が、バラバラになるような感じがした。

 あたかも自分の中に、別々の2人の人間がいて、けんかしあうような状態である。

 それはたいへんなストレスで、結局、その仕事は、途中でやめてしまった。つまりここ
でいうコンフリクト(葛藤)というのは、そういうものをいう。

 ほかにも、いろいろある。

 たとえば講演などをしていると、私の話など聞かないで、ペチャペチャと、おしゃべり
している人がいる。

 本人たちは、私がそれに気づかないと思っているかもしれないが、講師からは、それが
実によくわかる。本当に、よくわかる。

 そういうとき、「そのまま話しつづければいい」という思いと、「気になってしかたない」
という思いが、頭の中で、衝突する。とたん、ものすごく神経をつかうようになる。実際、
そういう講演会が終わると、そうでないときよりも、何倍も強く、どっと疲れが、襲って
くる。

 自分でもそれがよくわかっているから、ますます、気になる。

 そこで、私のばあい、そういうふうにペチャペチャとおしゃべりする人がいたら、その
場で、やさしく、ニンマリと、注意することにしている。「すみませんが、おしゃべりをひ
かえてくださいね」と。

 そうすることで、講演会のあとの疲労感を軽減するようにしている。これはあくまでも、
余談だが……。

【補記】

 ストレスの原因(ストレッサー)を感じたら、あまりがまんしないで、ありのままを、
すなおに言ったらよい。そのほうが、自分のためにもなるし、相手のためにもなる。

 ここに書いたように、最近は、公演中にペチャペチャと話している人を見たら、私は、
できるだけ早く、注意するようにしている。本当は、「さっさと、出て行け!」と叫びたい
が、そこまでは言わない。

 で、おもしろいと思うのは、もともと私の話など、聞いていないから、数度、注意して
も、知らぬ顔をして、ペチャペチャと話しつづけている。そこで私も、その人たちが気が
つくまで、数度、あるいは何度も、注意する。が、それでも気がつかない。

 すると、まわりの人たちが、そのおしゃべりをしている人のほうを、にらむ。おしゃべ
りしている人は、どうして自分たちがにらまれているかわからないといった表情を見せる。

 このとき私は、改めて、言う。「すみませんが、少し、静かにしていてくださいね」と。

 しかし、本音を一言。だれかの講演に行って、私語をつづけるようなら、外に出たらよ
い。迷惑といえば、迷惑。失礼といえば、失礼。これは講演を聞きに来た人の、最低限、
守るべき、マナーのように思う。

 もっとも、私の講演のように、つまらない講演なら、しかたないが……。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 コンフリクト 葛藤 葛藤の中身 親子の葛藤 夫婦の葛藤)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司



【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【家族とは何か?】(ネバネバ社会の復活)

++++++++++++++++++

今日も始まった。
がんばろう。
今夜は、弁天島にあるK旅館で会食会。
それ以外は、とくに予定なし。

++++++++++++++++++

●パサパサ家族vsネチネチ家族

 少し前、パサパサ家族について書いた。
パサパサになったパンのような家族を、「パサパサ家族」という。
手で持った先から、パサパサの粉のようになって、飛び散る。
粘着性が、まるでない。
だから「パサパサ家族」。

 これに対して、家族の絆が濃密で、ネチネチした家族を、「ネチネチ家族」という。
私が生まれ育った家族が、そうだった。
何かにつけ、ネチネチしていた。
息苦しいほど、ネチネチしていた。

が、今は、パサパサ。
夫婦関係も、パサパサ。
親子関係も、パサパサ。

 が、この「パサパサ」「ネチネチ」は、地域社会、さらには国にも当てはまる。
パサパサ社会vsネチネチ社会。
パサパサ国家vsネチネチ国家。

 ネチネチ家族で生まれ育った私には、パサパサ家族というのが、どういものか、
それがよくわかる。
しかしパサパサ家族の人には、それがわからない。
パサパサ家族しか知らない。

●恋愛ごっこから結婚ごっこ

 最近の若い人たちを見ていると、「恋愛こそ、すべて」という考え方をしているのが、
よくわかる。
まるで一生の大事ごとのように考えている。

 私たちの時代にも、恋愛ごっこというのは、あるにはあった。
しかしいざ結婚となると、大きなブレーキが働いた。
両親や親戚との関係。
仕事や収入との関係。
年齢も大きな問題となった。
そういった関係や問題の中で、自分の恋愛にブレーキをかけた。
私も、大学時代の恋人とは、それが理由で別れた。
が、今は、それがない。

 恋愛ごっこは、そのまま結婚ごっこになり、ついで子育てごっこになっていく。
生活感がない。
昔風に言えば、地に足がついていない。
後先のことを考えず、(ごっこ)に走ってしまう。

●幻想

 が、口では偉そうなことを言う。
苦労を知らない。
貧乏を知らない。
貧乏の恐ろしさを、知らない。
今に見る富と繁栄は、天から降ってきたものと思う。
だからこう言う。
「仕事より、家族の方が大切」と。

 これについては、私は反論しない。
私もそう思っている。
しかしそれはあくまでも、仕事第一主義への反省として、そう思っているだけ。
私たちの世代は、仕事を第一に考える余り、家族を犠牲にした。
犠牲にしすぎた。
その反動として、私も「家族主義」を唱えた。
が、それが今は、行きすぎてしまった(?)。

 つまり今の若い人たちからは、(仕事)という部分が欠けてしまっている。
それがわからなければ、自分の年齢に、30とか40を足してみたらよい。
そのとき自分がどうなっているか、ほんの少しだけ、頭の中で想像してみればよい。
中には「私たちの親子関係は絶対」「死ぬまで良好な親子関係をつづける」と
思っている人もいる。
しかしそれは幻想。
まったくの幻想。

●勝ち組vs負け組

 現在、老人社会は、大きく2つのグループに分かれる。
勝ち組と負け組である。
「日本の論点・2011」(文藝春秋社刊)によれば、(1)元公務員、(2)蓄財に成功
した老人を、「勝ち組(既得権益者)」と言うそうだ。
そうでない人は、負け組。

 勝ち組の人たちは、リッチで豊かな老後を、何不自由なく暮らすことができる。
負け組の人たちは……?
この部分については、あまり書きたくない。
書けば書くほど、さみしくなる。

 ともあれ、自分の将来がどうなっているか、ほんの少しだけ、頭の中で想像してみたら
よい。
あなたは勝ち組となって残るのか、それとも負け組となって残るのか。
それを分けるのが、「仕事」ということになる。

 で、私は数多くの「勝ち組」という人たちを見てきた。
私のまわりにも、そういう人たちがいる。
そういう人たちは、(公務員をのぞいて)、すでに30歳くらいのとき、勝敗を決めている。
少なくとも40歳を過ぎて、勝ち組になる人はいない。
50歳を過ぎて、勝ち組になる人は、さらにいない。
30歳になった今、「明日も今日と同じ」という人生を歩んでいる人が、勝ち組に残る
確率は、きわめて低い。

 これは健康論に似ている。

●健康論

 健康であるかどうかは、運動する習慣をもっているかどうかで決まる。
30歳前後までに、その習慣を作りあげた人は、60歳を過ぎても健康。
そうでない人は、そうでない。

 たとえばA氏は、20代のはじめから夕方ジョギングをしている。
B氏は、週に2回、道場に通い、柔道をしている。
Cさんは、テニスの大会に毎年、出場している。

 つまりそうした習慣をもっている人は、60歳を過ぎても健康。
そしてそれは30歳前後のその人の生活姿勢を見れば、わかる。
つまりこの時期、その人の方向性が決まる。
若いことをよいことに、のんべんダラリの生活をしていれば、60歳はない。

 言い添えると、タバコは害にこそなれ、よいことは何もない。
中にヘビースモーカーの人でも、健康(?)な人はいるには、いる。
しかし60歳を過ぎて、健康な人はほとんどいない。
がんや脳疾患、心臓疾患で亡くなった仲間の大半は、そのヘビースモーカーだった。

 話が脱線したが、勝ち組になるか、負け組になるか。
それも30歳くらいまでに決まる。
その方向性を作った人は、勝ち組。
そうでない人は、負け組。
「明日こそ、何とかなるだろう」「明日があるさ」と慰めながら生きている人に、
明日はない。

●幸福はお金では買えないが……

 何度も書くが、たしかに幸福はお金では買えない。
しかしお金がなければ、その人は確実に不幸になる。
心も貧しくなる。
それが「現実」。
「ごっこ」には、その現実感がない。
つまり「生活感」がない。

 そうでなくても、世界中の人たちが、そのパイを取り合って競争している。
熾烈な競争である。
今の世の中、10年単位で変わっていく。

 「仕事より家族の方が大切」と説くのは結構なこと。
しかしそれはある程度、……というか、方向性をしっかりと作った人が使う言葉。
少ない収入で、生活費を切り詰め、ピーピーと言っている人が使う言葉ではない。
それこそ、「何を偉そうに!」となる。

 で、最後の頼みの綱が、「家族の絆(きずな)」ということになる。
この絆さえあれば、まだ何とかなる。
しかしその絆さえ、このところ、音をたてて崩れ始めている。

●パサパサになる人間関係

 いくらあなたが「私の子どもたちはだいじょうぶ」と思っていても、それは幻想。
「私たちの親子関係は安泰」と思っていても、それは幻想。
子どもを包む環境を「海」にたとえるなら、あなたの親子関係は「川」程度の意味
しかない。

 やがて子どもたちは巣立っていく。
そのとき海へ解き放たれる。
とたん、海のもつ「力」にそのまま染まっていく。
ひとつの例をあげて考えてみよう。

 10年ほど前、私の家の近くに、静岡県でも最大級とも言われるショッピングセンター
がオープンした。
そのあと1~2年は何とか持ちこたえたが、近隣の商店街はつぎつぎと、シャッターを
下ろしていった。
私自身は、田舎町の商店街で生まれ育ったから、そういった商店街のもつ粘着性をよく
知っている。
ネチネチというか、ベタベタ。
私の父にしても、自転車屋を経営していたが、自分で縄張りを決め、その外での仕事を
自粛していた。
そういう(温もり)が、まだ随所に残っていた。

 が、今はちがう。
パサパサというか、サラサラ。
人間関係も希薄になった。
そういう世界、つまり「海」に染まるうちに、当然、ものの考え方も影響を受ける。
現在のあなた自身を見れば、それがわかるはず。
平たく言えば、「親の恩も遺産次第」となる。

 ……というのは書き過ぎとしても、今では『子、大学生、親貧乏盛り』という。
爪に灯をともしながら、親は子どもの学費を工面する。
老後の資金を食いつぶす。
が、子どもはどうかというと、社会人になったとたん、ハイ、さようなら!

●これからの老後

 貧困の時代から、高度成長期へ。
バブル経済期から、衰退期へ。
この日本は大きく激動した。
が、意識というのは、そうは簡単には変わらない。
アインシュタインも言っているように、ほとんどの人は18歳くらいまでに、その
意識(常識)を完成させる。
その意識を死ぬまで、もちつづける。
多少の修正はあるだろうが、あくまでも「修正」。

 が、それぞれの世代のもつ意識は、10年単位で変わっていく。
ついていくのは不可能。
理解するのさえ、難しい。
今では親子関係ですら、パサパサと切っていく若い人は、珍しくない。
「ON/OFF人間」というのは、そういう人たちを指す。

が、私たちのような旧世代の者にとっては、ここに書いたように、理解するのさえ、
難しい。
それこそ心臓を2つに裂くような苦しみを経験しなければならない。
「どうでもなれ!」という思いと、「しかしそれでも親子は親子」という思いの中で、
悶絶する。
が、これもやがて一巡する。
決別する。

 で、パサパサ家族で生まれ育って子どもは、さらにパサパサ家族を作っていく。
そういう意識もないまま、またそれがどういうものであるかさえわからないまま、
パサパサ家族を作っていく。
が、こうなるともう私の知ったことではない。
「あとは野となれ、山となれ!」。

 つまりそこまで割り切らないと、若い人たちを私たちの世代から切り離すことは
できない。
自分の老後さえ、見つめることができない。
私たちがいくらネチネチ家族を望んだとしても、若い人たちは、それを「干渉?」と
捕える。
自分ひとりで母親の産道をくぐりぬけ、社会人になったつもりでいる。
オメデタイというか、バカげている。
自分で自分のクビを絞めるようなことを、平気でしている。

●ネバネバ社会の復活

 名古屋に住む友人夫妻は、近隣の人たちと旅行会を結成している。
毎月会合を開き、定期的にあちこちを旅行している。
すばらしい会である。

 で、私もそれに触発されて、近隣の人たちに話しかけてみた。
みな、好意的に反応してくれた。
近く、第1回目の会合をもつことになっている。
会の内容については未定だが、それはこれからの話し合いを通して決める。
つまり「ネバネバ社会の復活」である。

といっても、それですべての問題が解決するわけではない。
しかしこのままでよいとは、だれも思っていない。
このままでは、日本の社会そのものまでパサパサになってしまう。
現に今、「老人はゴミ」と考える若い人たちが、ふえている。
ウソだと思うなら、たまには2チャンネルで、若い人たちがどんな会話を交わしているか、
それを読んでみたらよい。

 恐らくこの傾向はさらに強くなることはあっても、弱くなることはないだろう。
介護問題にしても、医療問題にしても、私たちの老後のあり方に直結している。
ならば私たちは私たちで、ネバネバ社会を自ら守るしかない。
私たちは私たちの豊かな老後を、自ら守るしかない。
それがここに書いた、「会」ということになる。

 その結果はまた近く報告できると思う。

********************************

【月末会のお知らせ】

 先日、話させていただきましたように、私たちの近隣でも、何かの「会」を
もちたいと思います。
称して「月末会」(仮称)。
月末に一番近い金曜日の夜を、とりあえずその日にどうかと思っています。
最初は、みなでお茶を飲む程度(あるいは自己紹介程度)でよいのではないかと
思っています。
時間帯は、午後8時~9時ごろで、いかがでしょうか。
つごうの悪い方は、またお知らせください。
みなで、話し合って決めたいと願っています。

 で、会のメンバーについてですが、名古屋に住む友人夫妻のばあい、5組(10人)
で運営しているそうです。
一度、機会があれば、浜松の方へ招待して、会の内容を話してもらうつもりでいます。
すでに10年ほど、つづけているそうです。

メンバーについては、それぞれのメンバーが、とくに親しい人を呼んでくるという
方法がよいかと思います。
そのほうが居心地もよいですし、メンバーに上下関係を作らなくてもすみます。

 いろいろ考えていますが、「継続することが大切」とか。
いかがでしょうか。

 第一回目の会合は、1月xx日(金曜日)、午後8時~9時でいかがでしょうか。
私の自宅へおいでくだされば、うれしく思います。
会合場所は、持ち回り制がよいのではないかと思います。

 いかがでしょうか?
ぜひ、おいでください。

                        林 浩司
                          晃子

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【2011年1月9日】

●ファーザーコンプレックス

2、3日前、ファザコン(ファーザーコンプレックス)について書いた。
それについて、相談フォームのほうにメールが寄せられた。
「うちの上さん(=妻)がそうで・・・」と。
「父親(=義父)とのよからぬ関係を疑っています」とも。
(転載不許可ということなので、以下、要約。)

 その男性は、結婚して3年目になるという。
子どもも1人(男児)がいる。
で、その男性の妻のファザコンを疑い始めたのは、分娩のときだった。
それまでは何かにつけ、よく気がつく父親程度としか思っていなかった。
引越しの手伝いに来てくれたり、日曜日には、車を洗いに来てくれたりなど。
しかし出産当日、分娩室に入ってくると言って、きかなかったという。

 で、異変を感じたのは、家族旅行のとき。
宿泊先の温泉で、父親が家族風呂を頼んでくれた。
その男性は、自分たちへの気遣いと感謝した。
が、驚いたことに、夫婦と子どもの3人で風呂へ入ろうとしていると、
何と、父親まで入ってきたという。
妻の様子を見ても、とくにいやがるふうでもない。
その男性は不快だったので、父親には遠慮してもらいたかった。
が、そのときすでに遅し。
妻と父親は並んで湯船の中に!

 その夜妻がその男性にこう言ったという。
まったく悪びれた様子もなく、シャーシャーと、
「あなたと結婚する前まで、いつも父と入浴していたのよ」と。

 ガクン!(男性の言葉)

 母親が息子を溺愛する。
その結果、マザコン男性が生まれる。
その反対に、父親が娘を溺愛する。
その結果、ファザコン女性が生まれる。
症状、タイプはちがうが、基本的には、中身は同じ。

 どこかゆがんだ家族関係だが、今どき、マザコンにせよ、ファザコンにせよ、
珍しくない。

●火星のUFO

 昨日は、土星の輪(環)について書いた。
書いたが、専門家たちは、すでにはるか遠くまで調べている。
私の出番はない。
そう感じたので、筆を汚しただけで書くのをやめた。

 が、同時に火星上空に浮かぶUFOの写真を発見した。
そのUFOだが、私とワイフが、35年前に見たUFOとまったく同じ
形をしていた。
「ハア~~」と言ったきり、息が止まった。

私とワイフが見たUFOは、イラストにした。
そしてそれからほぼ20年後。
その夜のことは、そのまま中日新聞にコラムとして書かせてもらった。
イラストもそのまま載せた。

 私が火星上空のUFOをまねてイラストを描いたのではない。
火星上空のUFOを、NASAが捕らえたのは、そのずっと後。

 私は(ワイフも)、あの夜見たものが何であったのか、ずっと考えてきた。
新聞にコラムを発表すると、「私も同じものを見た」という人も、何人か現れた。
しかし「見ただけ」。
何ともつかみどころのない話である。
またそれ以上、進展のしようが、ない。
話の進めようが、ない。
ただ、見ただけ!

 しかし火星上空を浮遊する(?)UFOは、たしかに私が見たUFOと
形が似ている。
似ているというより、同じ。
細部の角の形まで、同じ。
驚いたというより、やっと巡りあえたという喜びのほうが強かった。

(今まで、目の錯覚だったとか、飛行機だったとか言った、みなさんへ)

 私はウソをつかないぞ!
ウソまで書いて、自分のコラムを汚(けが)したくない。
私を疑うなら、NASAが公表した、火星上空を浮遊する(?)UFO
の写真を見ろ!
それが何であるか説明した上で、私の書いた記事を否定しろ!

 もう一度、2枚の写真と絵を並べてここに掲載しておく。
上が火星上空を浮遊する(?)UFO。
下が、私たちが見たUFO。

(注)火星上空を浮遊するUFOについて、「これはレンズ上のゴミ」と思う人も
いるかもしれない。
私のワイフもそう言った。
しかしそれについては、そばにいた長男が、即座に反論した。
「NASAの火星探査機のカメラに、ゴミなど、つかないよ!」と。
それにレンズ上のゴミなら、焦点距離がまったくちがう。
黒くぼやけるはず。
一度、自分のもっているデジカメで確かめてみるとよい。

width="480" height="640" alt="●火星上のUFO.jpg">

width="907" height="1215" alt="img126.jpg">

●オーストラリア

 近く、オーストラリアへワイフと行ってくる。
それについて、私はJ・ライン(航空機)を利用するつもりでいた。
私とて、日本人。
日本の飛行機に乗りたい。
が、昨日、J社の労働組合機関誌を読んで、やめた。
ネットサーフィンをしているとき、それを見つけた。
J社は目下、経営再建中。
労使問題で、社内はゴチャゴチャ。

 その新聞には、こうあった。

「……不具合があっても、要領よく見なかったことにすること
も可能ですが、出発遅れや欠航の可能性があっても、見つけた
不具合は直す整備士としての良心がなければ安全運航は守れません」
(「W」より抜粋)と。

 念のため、もう一度、しっかりと読みなおしてみてほしい。
その上で、つぎに進んでほしい。

 私はこの文を読んでゾッとした。
中学生程度の読解力があるなら、理由はわかるはず。
裏を返して言うと、こうなる。
「へたに(整備員を)整理解雇したら、手抜きをするぞ。
適当に整備をすませて、それですますぞ」と。

 こういうのを「恫喝(どうかつ)」という。
まさに恫喝。
だからJ社・ラインの飛行機を利用するのは、やめた。
やはりカンタス航空にする。
カンタス航空は、戦後一度も、航空機事故を起こしていない。
(=事故による死者を出していない。)

 J社の社員の気持ちも、よくわかる。
解雇がいかにつらいものかも、よくわかる。
しかしこんなことを社内機関誌に書くようでは、おしまい。
読み方によっては、「手を抜こう」「適当にやろう」と、仲間に
呼びかけているともとれる。
まことにもって、常識ハズレ!

機関誌の終わりには、こうある。
『それは社員の中に浸透していきます』と。

ここでいう(それは)とは、何か?
中学生でも、こう書くだろう。
「手抜き整備」と。
恐ろしい!
だからJ社の飛行機を利用するのは、やめた!

 労働新聞の一部を、そのままここに転載する。

『……私たち日本航空ユニオンは、整備職が中心の組合です
が、この秋以降の管財人・支援機構の不誠実な発言に大き
な不安と、危機感を持ちます。

航空機の整備の仕事は、絶対にウソをつかず、誠実で
なければ成り立ちません。不具合があっても、要領よく
見なかったことにすることも可能ですが、出発遅れや欠
航の可能性があっても、見つけた不具合は直す整備士と
しての良心がなければ安全運航は守れません。

その航空会社の経営者(管財人・支援機構)が、その
場その場を取り繕う形だけの行動を取り、目的(人員削
減)のためには心にも無い発言を平気ですれば、それは
社員の中に浸透していきます』(J社機関誌「W」
10-12-09日号)より。

詳しくは、以下に。

http://www.bekkoame.ne.jp/~jcau/wing229.pdf


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