2011年2月23日水曜日

*To Mr. R

●2月23日

●30年前の私

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昨日、BW教室の説明会を開いた。
5~6人ずつに分けてしている。
その会でのこと。
こんなことがあった。
私は会が終わるとき、母親の許可を得、
その女の子(年中児)を抱き上げた。
女の子を抱き上げるのは、数年ぶりのこと。

名前をSさんといった。
知るも知らぬもない。
教え子のR君の、(いつも私は、そう呼んでいた)、
娘だった。
R君は、11年近く教えた。
R君の弟も、11年近く、教えた。
R君の妹も、11年近く、教えた。

そういう思いが、どっとその瞬間、私を襲った。
母親が、「Rの妻です」と言ったときの
ことだった。

私「えっ、あのR君?」
母「そうです……」と。

うれしかったというより、心の底から
なつかしさがこみあげてきた。
涙がこぼれそうだった。
そこで言葉が止まってしまった。

私は女の子を抱き上げながら、
「あのR君の子どもかあ!」と。
とたん、30年前にタイムスリップ。
あのころの私がそのまま戻ってきた。
一世代という時の流れが、凝縮して、
目の前を通り過ぎた。

私がもっとも輝いていたころのこと。
R君の母親も、もっとも輝いていた。
私を助けてくれた。
恩もある。

女の子の顔には、R君の母親の面影が色濃く
残っていた。
「お母さん、そっくりだ」と。
そのとき私は、子どものようだった。
自分でも、それがよくわかった。
年甲斐もなく……。
ただただ、なつかしかった。
ただただ、うれしかった。

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●タイムスリップ

 ときどきこんなことを考える。
私はタイムスリップする。
50年前の過去にもどる。
50年前の過去にもどって、50年前の自分に会う。
父に会う。
母に会う。
祖父や祖母に会う。

 が、相手は私だと気づかないだろう。
当時は、タイムスリップという言葉すらなかった。
私はあの町を歩き、自分の実家に行く。
小さな自転車店である。
そこで私は、店に並んだ自転車をすべて買う。
1台3万円としても、50万円もあれば、すべて買える。
当時の自転車は、それくらいの値段だった。
そう、あのころの私は学校から帰ってくると、いつも
母にこう聞いていたという。

「今日、自転車、売れた?」と。

 で、当時の「私」に会ったら、私は何と言うか。

●小学6年生の私

 私は小学6年生か中学1年生。
小学6年生ということにしておこう。
つまりここで私は、2人の自分を想像する。

 小学6年生の私と現在の私。
現在の私が、こう語りかける。
「私は、君の50年後の私だよ」と。
そのとき小学6年生の私は、どう反応するだろうか。
今度は自分の過去をさぐる。
あのころの私は毎日、外で遊んでばかりいた。
腕白だった。
だからたぶん、こう返事するだろう。
「おじさん、あんた、頭がおかしいんじゃない?」と。

 現在の私にそう言われても、それを理解するだけの知識もない。
冷静に考える能力もない。

あなた自身のこととして考えてみたらよい。
ある日、どこか顔は似ているが、しかし見知らぬ老人がやってきた。
やってきて、「私はあなたの未来に私だよ」と。
あなたはどう思うだろうか。
そのときのあなたを想像してみればよい。
たぶんあなたも、そう言うだろう。

「あんた、頭がおかしいんじゃない?」と。

●過去の未来

 が、現在の私だって、それで引き下がらない。
私は小学6年生の私に、こう言う。

「君は少し前まで、ゼロ戦のパイロットにあこがれていただろ?」
「君が好きな人は、あのAMさんだろ?」
「君はバイオリンを習っていたけど、いやだっただろ?」
「それに君は、小学3年生のとき、大阪のオバサンが作ってくれた人形を
抱いて寝ていただろ?」と。

 小学6年生の私は、それを聞いて仰天するにちがいない。
私しか知らない秘密ばかり……。
しかし私がいちばん伝えたいのは、そのことではない。
つまり私が、未来から来た「私」ということではない。
ものの考え方、その道筋を伝えたい。
過去の「私」に、その未来を伝えたい。

「いいか、世の中にはまだ君の知らないことが山のようにある。
君が高校生になるころには、電子計算機というのが世に出てくる。
その電子計算機には、注目した方がいい。
遺伝子工学とか、光合成とか、それに触媒という言葉も出てくる。
やがてすぐ、人間はロケットで月まで行くだろう」と。

 しかしあのころの私なら、きっとこう答えるだろう。
「おじさん、ぼく、そんなことなら、みんな知っているよ」と。
生意気な子どもだった。
自分でも、それがよくわかっている。

●R君の娘

 私はR君の娘を床におろし、「よろしくね」と言ったとき、そこに30年前の
「私」がいることを知った。
そう、あれから30年。
今の仕事を通して、いろいろなことを学んだ。
現在の「私」は、30年前の「私」ではない。
が、そこにいるのは、まぎれもなく、あのR君の娘だ。
顔は、R君の妹、そっくり。
R君の母親、そっくり。

 私は何度も、「あなたのお父さんのことをよく知っているよ」と言いかけた。
しかしそれは言わなかった。
これからゆっくりと、機会を見つけて、それを言えばよい。
時間はたっぷりある。
が、ふと、こうも思った。
「この子が最後だろうな」と。

 R君は、娘の指導を、私に任せてくれた。
しかしその娘がおとなになり、結婚し、子どもをもつころには、「私」は、もう
この世にはいない。
いても、使い物にならない。
そのとき私は92歳。
生きているはずがない。
つんとしたさみしさが、心を貫いた。

 「君のお父さんとはね、このビルの屋上で、石蹴りをして遊んだんだよ。
それに君のおじさんや、おばさんとも、ね」と。

 別れるとき、そう言った。
「またおいでよ!」と声をかけると、うれしそうに笑った。
私の心の中で、ポーッと何かが燃えた。

●時の流れ

 私は過去の「私」に出会った。
過去の「私」に話しかけた。
が、そんなことは、その女の子には、わからない。
わかるはずもない。
まだ4歳か5歳。
何という、はがゆさ。
が、そのはがゆさは、現在の「私」が、12歳の「私」に会ったときに
感ずるはがゆさかもしれない。

 時の流れは、世代を繰り返す。
しかしつぎの世代は、まったく白紙。
いくら「君のお父さんのことは、よく知っているよ」と叫んでも、女の子には、
通じない。
その女の子は女の子で、今、自分の人生を始めたばかり。
私のことなど、まったく知らない。
何という、はがゆさ。
何という、切なさ。

 かわいいというより、すでにその向こうに、あの気品と美しさをたたえていた。
入会書を受け取りながら、母親にこう言った。

「R君のお母さんは、美しい方でした。
今も美しいですが、若いころのお母さんは、息をのむほど美しい方でしたよ」と。
どういうわけか、矢印型の金とプラチナが交互に並んだ、あのネックレスが印象に
残っている。

 私がタイムスリップしたのは、30年前ではなく、ひょっとしたら60年前だった
かもしれない。

R君、元気ですか。
長いつきあいになりますが、よろしく!

はやし浩司記


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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