【職業意識】(はやし浩司 2012-01-11)
+++++++++++++はやし浩司
『職業は人を作る』と言う。
それはその通りで、ひとつの職業を長くつづけていると、
その職業がもつ、独特の雰囲気を身つけるようになる。
それだけではない。
独特のものの考え方、生き様まで、身につけるようになる。
私がそれをはじめて知ったのは、ある幼稚園でバスの運転手と
話していたときのことだった。
その運転手は、こう言った。
「わしら、毎日、~~をしろと、きちんと言ってもらわないと、仕事ができない。
あんたは、よくやるねエ」と。
私が、時間に決められた仕事をしていると話をしたときのことだった。
で、ちょうど同じころ。
今度は、ガソリンスタンドを経営している友人が、こう言った。
「林さんは、~~時から~~時までというような仕事をしているが、ぼくには、
とてもまねできないよ」と。
印象的に残ったのは、つぎのように言ったこと。
「もし時間で仕事を区切られたら、ぼくなら、気が狂ってしまうよ」と。
「気が狂ってしまうよ」という言い方が、強く印象に残った。
バスの運転手は、だれかにきちんと指示してもらわないと仕事はできないと言う。
ガソリンスタンドを経営している友人は、時間で決められた仕事はできないという。
この問題だけは、「私は私」「人それぞれ」というだけでは、簡単には片づけられない。
その人の個性というよりは、仕事によって、その人は、(作られていく)。
職業というものは、そういうもの。
またそういう視点で見ないと、その人を理解することができない。
+++++++++++++はやし浩司
●読者からのメール
Y市に住む読者から、こんなメールが届いた。
『……私の高校はK県では、一番の進学校で170名ぐらいの同期の4分の1は東大へ進学します。
理系文系半々です。
東大法学部に行った仲間の何人かは、国家公務員になりました。
私の高校はミッション系で、(私は信者になりませんでしたが)、神を中心とした教育をされていましたので、社会にでても周りの環境にあまり影響を受けませんでした。
しかし官僚になった仲間だけは別です。
同期会でXX局長になったり、高級官僚になったりした仲間がいます。
そういう連中とはすぐ喧嘩になります。
大企業の社長になった仲間や裁判官や弁護士になった仲間もいますが、同期会では昔のままの感じで話をします。
が、官僚になった仲間だけはちがいます。
上から目線で話をするのです。
それを指摘して喧嘩になるのです。
本人は自分が偉そうに話していることに気が付いていません。
明治以来の官僚を作るための帝国大学、入省してからの環境が自分を見失わせるようです。
本当に勘違いも甚だしい優越感をもった人たちです』と。
●優越感
メールには、『明治以来の官僚を作るための帝国大学、入省してからの環境が自分を見失わせるようです』とある。
こうした優越感は、私も、そのつど、強く感ずる。
みながみな、そうではない。
が、そういう(感じの人)が、多いのも事実。
侍意識というか、「日本を指導しているのは、オレたち」という意識である。
称して『オレたち意識』。
昔、アメリカのニューズウィーク誌は、『オレオレ意識』と表現した。
H市のある役人(部長職、当時)は、こう言った。
私が、「どうしてH市は、XXパークとか、YYパークとか、そんなものばかりを作っているのですか」と聞いたときのこと。
「いいですか、林さん、H市は工員の町ですよ。
工員には金をもたせてはいかんのですよ。
働かなくなりますからね。
だから金(マネー)を使うようにしむける。
そのための施設ですよ」と。
こういうことを平気で、堂々と口にするところが、恐ろしい。
●職業意識
それぞれの人が、それぞれの職場で、どのような職業意識をもとうが、それはそれぞれの人の勝手。
私にもあるし、あなたにもある。
どれが正しくて、どれがまちがっているか、そんなことを論じても、意味はない。
ただこういうことは言える。
私たちが常識としてもっている職業意識ほど、アテにならないものはないということ。
私がそうだからといって、相手もそうだと思ってはいけない。
……と書いたが、この問題は、すでにいつか論じたような気がする。
原稿をさがしてみる。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
「スケジュール」について。
書いた日付はわからないが、1999年ごろと思われる。
一部、内容がダブル点については、許していただきたい。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●スケジュール
自分が時間でしばられるのは、いやなくせに、その一方で、そのスケジュールをたてないと、行動できない。いったい、この矛盾を、どう考えたらよいのか。
「今日は、11時に風呂に入って、12時ごろ、銀行に行くから」と、今朝も、起きて、ワイフに、そう言った。
つまりそういうふうに、自分の行動に区切りを入れないと、ダラダラと時間だけが流れてしまう。
緊張感も生まれない。
人間というのはおかしなもので、「さあ、時間はたっぷりあるぞ。何か原稿を書け」と言われると、とたん、ものが書けなくなってしまう。
しかし、「あと2時間しかないぞ。さあ、どうする」と言われると、とたんに、文章がスラスラと頭の中から出てくる。
しかしこれは、私だけの現象か?
昔、幼稚園バスの運転手がこう言った。
「私らは、きちんとスケジュールを決めてもらわないと、仕事ができない」と。
同じころ、ガソリンスタンドを経営している男は、こう言った。
「時間単位のスケジュールを決められたら、息苦しくて、気が狂ってしまう」と。
人は、人それぞれで、生活の中で、その人につくられていく。
私も、そうで、今の私も、結局は、自分の仕事の中で、つくられた「私」にすぎない。
そしてこのこと、つまりこうした私がかかえる矛盾は、人生という、大きな流れの中にも、ある。
人生の中では、「時間」が、「年齢」になる。
「~~歳までには、こうしよう」「~~歳になったら、こうしよう」と考える。
本当のそうするかどうかは別にして、たとえば「65歳になったら、老人ホームへ入ろう」とか、「70歳になったら、世界を一周しよう」とか、そういうふうに、考える。
もっとも、それは、順調にいったらの話で、その前に、いろいろあるかもしれない。
交通事故、重い病気などなど。
もともと自由というのは、そういうふうにして自分の体をしばっている、ヒモやクサリを解き放つことをいう。
が、しかしそういうヒモやクサリが、向こうから、勝手にからんでくることがある。
そういうふうに考えていくと、本当のところ、人生のスケジュールを決めるのは、「年齢」ではない、「健康」だ。
「頭の能力」だ。……ということがわかってくる。
私の身のまわりにも、頭がボケてしまって、使いものにならなくなってしまった人が、たくさんいる。
それなりに、平和に暮らしてはいるが、私からみれば、死んだも同然。
人間は、考えるから、人間。
私も、もうすぐその(死んだも同然)の人間になるかもしれない。
それまでの勝負。
私は、どこまで生きられるか。
どこまで深く、生きられるか。
この緊張感があるから、今日も、こうして原稿を書く。……書ける。
それにしても、最近私が書く原稿は、どれも駄作ばかり。
鋭さが、どんどんと消えていくのが気になる。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●本題
12年ぶりに、同じような原稿を書いているのを知る。
むしろ12年前の私の方が、鋭い(?)。
生き様を、人生論という、長いスパンで考えている。
言い換えると、ではこの12年間、私は何をしていたのかということになる。
進歩、ゼロ!
それはともかくも、さて、本題。
●「私」とは?
こうして考えてみると、「私」と言われる部分についても、そのほとんどが、環境の中で作られていくものということが、よくわかる。
私は私のように作られてきた。
あなたはあなたのように作られてきた。
が、大切なことは、それぞれがそれぞれを認めあうこと。
……と書きたいが、官僚がもっている、あの独特の優越感だけは、認めがたい。
どうしてああまで威張れるのかと思えるほど、威張っている。
と書くと、話がバラバラになってしまう。
生き様論を書けばよいのか。
役人論を書けばよいのか。
最初は、役人論を書くつもりだった。
しかし今は、人生論を書きたい。
あるいはその共通性は、何なのか。
●裸で生きる
要するに、人間は裸で生きる。
あるがままで生きる。
それが基本。
その基本を忘れるから、職業によって、その人が作られてしまう。
もちろん役人がみな、役人風を吹かすわけではない。
私の友人の中にも、その役人(官僚)になったのが、何人かいる。
が、どの男も、会って話すと、庶民的で、威張ったところはない。
独特の言い方はするが・・・。
もっともこれについては、役人のもつ2面性の問題が絡んでいる。
●侍の世界
学校の教師もそうだが、内部では、結構、仲が悪い。
たがいに、いがみあっている。
足の引っ張りあい、いじめは、日常茶飯事。
が、こと外部に対しては、団結する。
総じてみれば、役人の世界も、同じ。
つまり外から見て「威張っている」からといって、内部でもそうだと考えてはいけない。
ある友人は、こう言った。
「役所というところは、おもしろい世界でね。
組織と人事だけで成り立っている世界だよ」(K県・県庁勤務)と。
外から見ると、情報だけで成り立っている世界に見える。
どうであれ、組織、つまり上下関係だけで成り立っている。
彼がいう「人事」とは、「身分」をいう。
そこはまさに、「侍の世界」。
●上下意識
が、このことは、私たち自身にも言えること。
男たちだけの話ではない。
浜松には、都市銀行の家族寮がいくつかある。
その家族寮。
夫の役所に応じて、妻たちの上下関係も決まるのだそうだ。
会合があっても、夫の地位の順に、妻たちが並ぶ。
通路を歩いているときも、夫の地位の低い方の妻が、道を空ける、など。
妻の年齢とか、キャリアは問題外。
(ただしこの話を聞いたのは、2000年ごろ。
それから12年。
今は、変わったかもしれない。)
「組織」というのは、そういうもの。
●生き様の中で
生き様の中ではどうか。
私自身は、時間に決められた生活をしながら、人生においては、それに抵抗している。
あるいは日常的な生活感覚で、人生をながめる。
少し前までは、こう考えていた。
「60歳になったら、~~しよう」
「65歳になったら、~~しよう」と。
この考え方は、「10時になったら、~~しよう」
「2時になったら、~~しよう」という生活感覚と、どこもちがわない。
が、実際、この年齢になると、こんなことに気がつく。
「年齢というのは、ただの数字」と。
時計で示される時刻とは、まったく異質のものである。
もっとはっきり言えば、年齢など、無視すればよい。
仕事ができる間は、仕事をする。
仕事がある間は、仕事をする。
●相手にされない
こうして考えていくと、結論は、こうなる。
「威張りたい奴には、威張らせておけばいい」と。
そういう人たちにかぎって、やがてその落差に苦しむときがやってくる。
というのも、地位や役職にしがみついて生きてきた人ほど、それを手放すことができない。
退職してからも、それを引きずる。
私の知人の中には、そういう人が多い。
70歳になっても、75歳になっても、現役時代の肩書を引きずっている。
中には、半世紀も前の学歴を引きずっている人もいる。
が、そういう人ほど、世間に相手にされない。
嫌われる。
●色眼鏡(いろメガネ)
言い換えると、現役であるにせよ、退職後であるにせよ、裸で生きる。
その基本だけは、忘れてはいけない。
つねに自分のありのままの姿を見据える。
それが基本。
もっとも私たち団塊の世代は、地位や肩書にあこがれた。
『末は博士か大臣か』と。
当時は、今よりずっと、江戸時代の身分制度が色濃く残っていた。
結果として、企業戦士になり、一社懸命でがんばった。
戦時中の愛国心が、戦後は愛社心に姿を変えた。
それが今に見る、日本の繁栄の基礎を作った。
が、それはそれ。
私たちは同時に、そういう色眼鏡をはずさねばならない。
つまり私たちは相手を見るとき、無意識のうちにも、相手を地位や肩書で判断する。
そういう色眼鏡をはずさねばならない。
●1匹のネズミ
私はあるとき、「ぼくだけは、たった1人で生きてみよう」と思った。
そのきっかけを作ったのは、ネズミだった。
その話は、『世にも不思議な物語』の中で書いた。
それをそのまま紹介する。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●たった一匹のネズミを求めて【26】
●牧場を襲った無数のネズミ
私は休暇になると、決まって、アデレ-ド市の近くにある友人の牧場へ行って、そこでいつも一、二週間を過ごした。
「近く」といっても、数百キロは、離れている。広大な牧場で、彼の牧場だけでも浜松市の市街地より広い。
その牧場でのこと。
ある朝起きてみると、牧場全体が、さざ波を打つように、波うっていた!
見ると、おびただしい数のネズミ、またネズミ。
……と言っても、畳一枚ぐらいの広さに、一匹いるかいないかという程度。
しかも、それぞれのネズミに個性があった。
農機具の間で遊んでいるのもいたし、干し草の間を出入りしているのもいた。
あのパイドパイパ-の物語に出てくるネズミは、一列に並んで、皆、一方向を向いているが、そういうことはなかった。
が、友人も彼の両親も、平然としたもの。
私が「農薬で駆除したら」と提案すると、「そんなことをすれば、自然のライフサイクルをこわすことになるから……」と。
農薬は羊の健康にも悪い影響を与える。
こういうときのために、オーストラリアでは州による手厚い保障制度が発達している。
そこで私たちはネズミ退治をすることにした。
方法は、こうだ。
まずドラム缶の中に水を入れ、その上に板切れを渡す。
次に中央に腐ったチーズを置いておく。
こうすると両側から無数のネズミがやってきて、中央でぶつかり、そのままポトンポトンと、水の中に落ちたる。
が、何と言っても数が多い。
私と友人は、そのネズミの死骸をスコップで、それこそ絶え間なく、すくい出さねばならなかった。
が、三日目の朝。
起きてみると、今度は、ネズミたちはすっかり姿を消していた。
友人に理由を聞くと、「土の中で眠っている間に伝染病で死んだか、あるいは集団で海へ向かったかのどちらかだ」と。
伝染病で死んだというのはわかるが、集団で移動したという話は、即座には信じられなかった。
移動したといっても、いつ誰が、そう命令したのか。
ネズミには、どれも個性があった。
そこで私はスコップを取り出し、穴という穴を、次々と掘り返してみた。
が、ネズミはおろか、その死骸もなかった。
一匹ぐらい、いてもよさそうなものだと、あちこちをさがしたが、一匹もいなかった。
ネズミたちは、ある「力」によって、集団で移動していった。
●人間にも脳の同調作用?
私の研究テ-マの一つは、『戦前の日本人の法意識』。
なぜに日本人は一億一丸となって、戦争に向かったか。
また向かってしまったのかというテ-マだった。
が、たまたまその研究がデッドロックに乗りあげていた時期でもあった。
あの全体主義は、心理学や社会学では説明できなかった。
そんな中、このネズミの事件は、私に大きな衝撃を与えた。
そこで私は、人間にも、ネズミに作用したような「力」が作用するのではないかと考えるようになった。
わかりやすく言えば、脳の同調作用のようなものだ。
最近でもクロ-ン技術で生まれた二頭の牛が、壁で隔てられた別々の部屋で、同じような行動をすることが知られている。
そういう「力」があると考えると、戦前の日本人の、あの集団性が理解できる。
……できた。
この研究論文をまとめたとき、私の頭にもう一つの、考えが浮かんだ。
それは私自身のことだが、「一匹のネズミになってやろう」という考えだった。
「一匹ぐらい、まったくちがった生き方をする人間がいてもよいではないか。
皆が集団移動をしても、私だけ別の方角に歩いてみる。
私は、あえて、それになってやろう」と。
日本ではちょうどそのころ、三島由紀夫が割腹自殺をしていた。
(注:もっと読んでくださる方は……http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page195.html)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●生き様
私は「たった一匹のネズミ」になった。
が、これはけっして負け惜しみではない。
この40年間においても、「教授職」をオッファーされたことは、2度ある。
幼稚園の園長職については、そのつど何度か、ある。
しかし私は、あえて背を向けた。
そういうネズミの立場で一言。
この日本は、江戸時代をそのまま背負った、まさに後進国。
文化的後進国。
悲しいかな、日本自身が、その後進性そのものに気づいていない。
すでに42年前には、オーストラリアの大学では、教授も学生も、ファーストネームで呼びあっていた。
会社にしても、一歩、会社の外に出れば、そこは友人同士の世界。
今でこそ、世界中どこへ行っても見られるようになったが、オーストラリアには名刺をもっている人はいなかった。
職業意識そのものが、ちがった。
●社会のしくみ
日本では、「何をしていますか?」と聞かれると、「S自動車に勤めています」などと答える。
ほとんどが、会社名を口にする。
オーストラリアでは、「何をしていますか?」と聞かれると、「機械設計士をしています」などと答える。
自分のプロフェッショナル(専門職)を口にする。
社会のしくみそのものが、ちがう。
欧米では、ユニオンといって、同業種の職業の人たちが集まって、組合をつくる。
日本では……、今さらここに書くまでもない。
●肩書や地位
ともあれ、退職後の友人たちを比較してみると、(どちらが正しいとか、正しくないとか、そういうことではなく)、日本人とオーストラリア人は、まったくちがう。
日本人は日本人だが、オーストラリア人は、その点、さっぱりしている。
過去の肩書や地位で、自分を飾っている友人は、ゼロ。
まったくいない。
どんな立派な肩書をもっていた男にしても、ヨレヨレのジーパンで、日本へやってきたりする。
……というか、現役時代も、地位や肩書の話など、まったくしなかった。
私も聞いたことがないし、彼らもまた話さなかった。
●自己否定
こうしたちがいを、いくら日本の友人たちに説明しても、理解すらできない。
……理解しようともしない。
思考回路がちがうというよりは、もしその(ちがい)を認めると、自己否定の世界に陥ってしまう。
それを恐れる(?)。
「ぼくはいったい、何をしてきたのだ」と。
が、今、日本は急速に変わりつつある。
また変えなければならない。
一匹のネズミの目で見ると、強く、そう思う。
●結論として……
職業意識をもつのは仕方のないこと。
しかしそこに封建意識を混在させてはいけない。
あくまでも裸で生きる。
わかりやすく言えば、人間が生の人間を見て、その人間を判断する。
またそういうのを、「自由」という。
でないと、今に見るような、不公平ばかりが、先に立つようになる。
……役人の話と、生き様の話。
途中で話がバラバラになりそうだったが、これでひとつにまとまった。
ホ~~~ッ!
……ということで、役人と生き様について、考えてみた。
(補記)
どんな職業にあっても、気高く、誇り高く生きる。
……といっても、この日本では、そんなに簡単なことではない。
そのことは、私が、いちばんよく知っている。
この日本には、「まともな仕事論」というのがある。
(まともな仕事?)と(まともでない仕事?)がある。
60代、70代以上の人たちが、よく使う。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
「はやし浩司 まともな仕事」で検索をかけてみたら、
5310件もヒットした(ヤフー検索)。
2つほど、原稿を選んでみる。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●自己否定
仕事がなくなるという恐怖は、相当なもの。
とくに、「男は仕事だけしていれば、一人前」とか、「オレは家族を食わせてやっている」と、日ごろ言っている男性にとっては、そうである。
「仕事」が、その人のステータスになっている。
だからその仕事を失うということは、その人の価値が否定されることに等しい。
が、こういう時代である。
私のような中高年への、世間の風当たりは、きびしい。数年前だが、大学の同窓会に出てみた。
が、公務員や自営業をのぞいて、民間企業に就職した仲間たちは、ほぼ全員が、リストラされ、別の会社に就職していた。
そういう時代である。
もちろん公務員や自営業とて、例外ではない。
定年退職や、それに病気がある。事故もある。
そういうとき、同じように、「自己否定」という恐怖を味わう。
それはすさまじいほどの衝撃である。
若いときなら、やりなおしがきく。
しかし50歳もすぎると、そうはいかない。
やりなおすという発想そのものが、消える。
が、それだけではない。
プラス、生活の不安が、どっと襲ってくる。
とくに自営業のばあいは、失業イコール、無収入となる。
だから……。
仕事は、大切なものだが、同時に、その仕事がなくなったときの自分を考えておくことも、重要なことである。
別の仕事を用意するということではない。
仕事がなくなったときの心構えというか、そういうものを、考えておく。
あるいは、老後の生きがいというものを、積極的に用意しておく。
それは、老後の貯金のようなものかもしれない。
……と書くのは、実は、自分のため。
自分に言って聞かせるため。
と、同時に、実は、私は過去において、何度も、その自己否定の恐怖を味わっている。
毎日が、その連続といってもよい。
私がしているような仕事のばあいは、一度に、その恐怖がやってくるということはない。
そのかわり、その恐怖が、分散してやってくる。
が、だからといって、恐怖感が小さいということはない。
ときには、その分散した恐怖が、波のように集まって、襲ってくることもある。
いつということは、書けないが、毎日、床の上で、天井を見あげながら、どうしようかと、思案に暮れたこともある。
息子の寝顔を横で見ながら、涙をこぼしたこともある。
しかし今、私には、かろうじてだが、仕事がある。
毎朝、起きると、やることが決まっている。
生きがいも、ある。
健康も、まあまあ。
で、ふと、こう思う。
「できるだけ、こういう状態を、大切に、長くつづけよう」と。
それは、薄い氷の上を、恐る恐る歩くようなもの。
決して、おおげさな言い方ではない。
そうした実感は、年々、強くなっている。
で、今は、もう、大きな目標は、ない。
目的も、ない。現状維持ができれば、御(おん)の字。
健康でいられるだけでも、感謝しなければならない。
そういう立場である。
その私のこと。
もしいつか、自己否定するようなことがあれば、私はもう生きていないだろうと思う。
自己否定イコール、死と考えている。
多分というより、まちがいなく、私は自己否定の恐怖感には、耐えられないだろうと思う。
【補記】
こうした困苦は、だれにでも起こりうるものだが、だれかがそうなったら、静かな、そ
して暖かい無視が、一番、よい。
いらぬお節介は、タブー。
いわんや興味本位、個人的な好奇心で、その人の不幸を、のぞいてはいけない。
が、世の中には、無神経な人が多いのも、事実。
ある日、いきなり電話がかかってきて、「林君、今のような仕事は、やめて、もう少し、まともな仕事をしてはどうかね?
今の仕事じゃあ、老後が心配だろう」などと言ってくる。
(この話はホントだ!)
もちろんその人から、相談があれば、別。
そのときは、親身になって、相談にのってあげる。
が、おかしなもので、自分が苦労しているときほど、その人の真価がわかる。
私も何度か、そういう波を越えて、(つきあう人)と、(つきあってもムダな人)を、よりわけてきた。
言うまでもなく、ムダな人と、ムダなつきあいをするのは、それ自体が、時間のムダ
である。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●不幸をのぞく人
先の原稿の中で、2人の人について、書いた。
「他人の不幸をのぞいてくる人」と、「まともな仕事をしたらどうかね言っていた人」。
実はこの2人は、同一人物である。
若いころから年長風を吹かし、あれこれと言ってくる。
用もないのに、電話をかけてきて、私の家の事情を聞きだそうとする。
あるときは、こう言った。
「浩司君、今朝、君の夢を見たから……」と。
聞きだす方は興味本位かもしれない。
が、聞かれる方は、つらい。
そのつらさは、経験のある人でないと理解できないだろう。
ともかくも、つらい。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
もう1作、「まともな仕事」について
書いた原稿を載せる。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●男は仕事、女は家庭?(Men work outside and Women work inside?)
++++++++++++++++++++
このほど読売新聞社(8月27日)が公表した
意識調査によると、
女性は結婚しなくても幸せな人生を送ることができる……55%
そうは思わない ……39%
この数字を、1978年(30年前)と比較してみると、
「女性は結婚しなくても幸せな人生を送ることができる」と答えた人は、26%
だった。
つまりこの30年間で、26%から、55%にふえたことになる。
(以上、読売新聞社、年間連続調査「日本人」より)
+++++++++++++はやし浩司
こうした変化は、私も、ここ10年ほどの間、肌で感じていた。
旧来型の「男は仕事、女は家庭」という結婚観が、今、急速に崩壊しつつある。
そのことを裏づけるかのように、今回も、こんな調査結果が出ている。
+++++++++++++はやし浩司
結婚したら男性は仕事、女性は家庭のことに専念するのが望ましい……30%
そうは思わない ……68%
この数字を、1978年と比べてみると、
「男性は仕事を追い求め、女性は家庭と家族の面倒をみる方が互いに幸福だ」については、
賛成……71%
反対……22%だった(同調査)。
つまり30年前には、「男は仕事、女は家庭」という考え方に賛成する人が、71%だったのに対して、今回は、30%にまで激減したということ。
日本人の意識は、とくにこの10年、大きく変化しつつある。
まさに「サイレント革命」と呼ぶにふさわしい。
ただし「結婚」については、肯定的に考える人がふえている。
読売新聞は、つぎのように伝える。
++++++++++以下、読売新聞より+++++++++++
ただ、「人は結婚した方がよい」と思う人は65%で、「必ずしも結婚する必要はない」の33%を大きく上回り、結婚そのものは肯定的に受け止められていた。
「結婚した方がよい」は、5年前の03年の54%から11ポイント増え、結婚は望ましいと考える人が急増した。
++++++++++以上、読売新聞より+++++++++++
これらの数字をまとめると、こうなる。
「結婚したほうがよい」と考える人がふえる一方で、旧来型の「男は仕事、女は家庭」という結婚観をもっている人は、約3割にすぎないということ。
3割だぞ!
問題はこうした変化もさることながら、こうした変化についていけない人も、多いということ。
あるいはこうした意識変化が起きつつあることにすら、気がついていない。
とくに世代間の(ちがい)が、大きい。
「男は仕事、女は家庭」と、旧来型の固定観念にしばられる旧世代。
「今どき、そんなバカなことを言っていると相手にされない」と反発する新世代。
先日も兄の葬儀でのこと。
裏方で、お茶や食事の用意をしていたのは、すべて女性。
広間で、でんと座って、それを待っていたのは、すべて男性(プラス、一部の女性)。
私が裏方で、味噌汁を作っていたら、逆に、私のほうが追い出されてしまった!
こういうバカげた段村社会が残っている国は、そうはない。
またそういう男女観をもっている人ほど、今回の読売新聞社の公表した意識調査結果を、
一度、真剣に読んでみる必要がある。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 男は仕事 女は家庭 男女観 結婚観 サイレント革命 はやし浩司 男尊女卑)
+++++++++++++
さらに7年前に書いた原稿が
つぎのもの。
+++++++++++++はやし浩司
●親が子どもを叱るとき
●「出て行け」は、ほうび
日本では親は、子どもにバツを与えるとき、「(家から)出て行け」と言う。
しかしアメリカでは、「部屋から出るな」と言う。
もしアメリカの子どもが、「出て行け」と言われたら、彼らは喜んで家から出て行く。
「出て行け」は、彼らにしてみれば、バツではなく、ほうびなのだ。
一方、こんな話もある。
私がブラジルのサンパウロで聞いた話だ。
日本からの移民は、仲間どうしが集まり、集団で行動する。
その傾向がたいへん強い。
リトル東京(日本人街)が、そのよい例だ。
この日本人とは対照的に、ドイツからの移民は、単独で行動する。
人里離れたへき地でも、平気で暮らす、と。
●皆で渡ればこわくない
この二つの話、つまり子どもに与えるバツと日本人の集団性は、その水面下で互いにつながっている。
日本人は、集団からはずれることを嫌う。
だから「出て行け」は、バツとなる。
一方、欧米人は、束縛からの解放を自由ととらえる。
自由を奪われることが、彼らにしてみればバツなのだ。
集団性についても、あのマーク・トウェーン(「トム・ソーヤの冒険」の著者)はこう書いている。
『皆と同じことをしていると感じたら、そのときは自分が変わるべきとき』と。
つまり「皆と違ったことをするのが、自由」と。
●変わる日本人
一方、日本では昔から、『長いものには巻かれろ』と言う。
『皆で渡ればこわくない』とも言う。
そのためか子どもが不登校を起こしただけで、親は半狂乱になる。
集団からはずれるというのは、日本人にとっては、恐怖以外の何ものでもない。
この違いは、日本の歴史に深く根ざしている。
日本人はその身分制度の中で、画一性を強要された。
農民は農民らしく、町民は町民らしく、と。
それだけではない。
日本独特の家制度が、個人の自由な活動を制限した。
戸籍から追い出された者は、無宿者となり、社会からも排斥された。
要するにこの日本では、個人が一人で生きるのを許さないし、そういう仕組みもない。
しかし今、それが大きく変わろうとしている。
若者たちが、「組織」にそれほど魅力を感じなくなってきている。
イタリア人の友人が、こんなメールを送ってくれた。
「ローマへ来る日本人は、今、二つに分けることができる。
一つは、旗を立てて集団で来る日本人。
年配者が多い。
もう一つは、単独で行動する若者たち。茶パツが多い」と。
●ふえるフリーターたち
たとえばそういう変化は、フリーター志望の若者がふえているというところにも表れている。
日本労働研究機構の調査(二〇〇〇年)によれば、高校三年生のうちフリーター志望が、12%もいるという(ほかに就職が34%、大学、専門学校が40%)。
職業意識も変わってきた。
「いろいろな仕事をしたい」「自分に合わない仕事はしない」「有名になりたい」など。
30年前のように、「都会で大企業に就職したい」と答えた子どもは、ほとんどいない(※)。
これはまさに「サイレント革命」と言うにふさわしい。
フランス革命のような派手な革命ではないが、日本人そのものが、今、着実に変わろうとしている。
さて今、あなたの子どもに「出て行け」と言ったら、あなたの子どもはそれを喜ぶだろうか。
それとも一昔前の子どものように、「入れてくれ!」と、玄関の前で泣きじゃくるだろうか。
ほんの少しだけ、頭の中で想像してみてほしい。
※ ……首都圏の高校生を対象にした日本労働研究機構の調査(2000年)によると、
卒業後の進路をフリーターとした高校生……12%
就職 ……34%
専門学校 ……28%
大学・短大 ……22%
また将来の進路については、「将来、フリーターになるかもしれない」と思っている生徒は、全体の二三%。
約四人に一人がフリーター志向をもっているのがわかった。
その理由としては、
就職、進学断念型 ……33%
目的追求型 ……23%
自由志向型
……15%、だそうだ。
●フリーター撲滅論まで……
こうしたフリーター志望の若者がふえたことについて、「フリーターは社会的に不利である」ことを理由に、フリーター反対論者も多い。
「フリーター撲滅論」を展開している高校の校長すらいる。
しかし不利か不利でないかは、社会体制の不備によるものであって、個人の責任ではない。
実情に合わせて、社会のあり方そのものを変えていく必要があるのではないだろうか。
いつまでも「まともな仕事論」にこだわっている限り、日本の社会は変わらない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist フリーター撲滅論 まともな仕事論)
先にあげた男の基準からすれば、たとえば銀行のような企業に勤めることは、「まとも」ということになる。
私がしているような仕事は、「まともでない」ということになる。
が、これこそまさに、江戸時代の身分制度の亡霊。
その亡霊が、いまだにこの日本で、のさばっている!
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●まとめ
以上、「職業と意識」について考えてみた。
役人論は、その一部ということになる。
どうであれ、つぎの瞬間には、私も人生を終える。
10年後?
20年後?
それが何年であれ、瞬時。
つぎの瞬間には、私はこの宇宙もろとも、消えてなくなる。
ただ、つぎの世代には、よりよい時代を残したい。
そのためにも、変えるべきものは変えていきたい。
その方向性は示しておきたい。
こと職業に関していえば、そこには(意識)の問題が絡む。
変えるといっても、それこそ10年、20年単位の時間が必要。
あせってもいけないし、さりとて放置しておいてもいけない。
私は一匹のネズミとして生きたが、昔からこう言う。
『一寸の虫にも、五分の魂』と。
その「魂」の部分を、つぎの世代に残していきたい。
Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2012++++++はやし浩司・林浩司
2012年1月14日土曜日
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