【姉妹の嫉妬】(はやし浩司 2012-01-09・雑感)
●気力
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貧乏性。
貧乏性と、昔は言った。
「何かをしていないと、落ち着かない」。
それを貧乏性と言った。
休みが1週間もつづくと、そうなる。
最初の2、3日は、あれこれと忙しい。
しかしそれを過ぎると、とたんに、貧乏性になる。
そこで何かをし始める。
ゴソゴソ……
ゴソゴソ……、と。
(コソコソではない。念のため!)
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●モニター
4、5年前、27インチのモニターを買った。
解像度は、1920x1200(これをAとする)。
が、しばらくすると、ワイド画面が主流になった。
解像度は、1920x1080(これをBとする)。
そこでワイド画面のモニターに買い換えた(これをCとする)。
27・5インチ。
が、どうもの足りない。
もっと大きいのが、ほしくなった。
そこで液晶テレビをモニターに使ってみることにした。
テレビ用のモニターを購入。
32インチ。
画面がぐんと大きくなった。
「これはいい」と思ったのも、束の間。
字が粗くて使い物にならなかった。
それに明るすぎた。
で、しばらく(B)を使っていたが、これにも問題があった。
上下幅が狭いため、サイトによっては、そのつどスクロールをしなければならない。
そこで今朝、再び(A)に、戻した。
で、今は、その(A)を使いながら、この文章を叩いている。
で、一言。
パソコンのモニターは、明るすぎるのはよくない。
目が疲れる。
やや薄暗いかな……という程度のものがよい。
何時間もつづけて使うときには、とくにそうだ。
その点、パソコン専用のモニターは、かなり薄暗くすることができる。
テレビ用のモニターでは、それができない。
しばらくこのモニターを使ってみる。
●露天風呂
自家製の露天風呂が欲しくなった。
それに湯を張り、星空をながめていたい。
……ということで、あれこれ計画を練っている。
まず、小さなベランダを作る。
その上に、木製の浴槽を置く。
湯や水は、ホースで引けばよい。
その気になれば、半日仕事。
友人のTさんは、自分の山荘では、浴槽に、本物のドラム缶を使っている。
それを川沿いの空地に置き、露天風呂にしている。
Tさんは、何をするにも、本格的。
「浴槽はドラム缶がいちばんいい」と。
太陽熱温水器を使い、湯を入れる。
熱さが足りないときは、下から薪(まき)で温める。
風呂へは、下駄を履いて、入る。
ただし川のそばだから、使えるのは、春と秋だけ。
夏は虫が多く、使い物にならない。
昼間は、アブの襲撃を受ける。
冬は、寒い。
風呂から出た後が、つらい。
●オーストラリア
ワイフがオーストラリアへ行こうと言っている。
それをオーストラリアの友人に話すと、毎日のように資料を送ってくれる。
「縁」というのは、それをいう。
人というのは、自分を望んでくれる人のそばに行きたい。
1人でも、そういう人がいると、そこへ行きたい。
そこで計画。
が、オーストラリアの物価は、高い。
メルボルン市内でも、ちょっとよいホテルになると、1泊1名で、4~5万円。
最低でも2万円前後。
もちろん素泊まり料金。
「料金が高い」というより、為替レートがおかしい。
現在、オーストラリアドルは、1ドル=80円前後で取り引きされている。
が、実際には、1ドル=40~50円くらい(?)。
それくらいだと、日本の物価水準と同じくらいになる。
(食品価格をのぞいて……。)
どうしようか?
●のぞき
年賀状を見てわかったが、みな、私のHPを見ている。
「いつもHPを見ています」という人が、何人かいた。
しかし私的には、それを喜んでいいのか、悪いのか……?
本音を言えば、あまり見てほしくない。
そういう人がいると、書きにくい。
あれこれと、気を使わねばならない。
というのも、私は、プライベートなことを書くときは、その人とわからないように書く。
たとえば身内の話を、近所の人の話にしたり、親類や知人、友人の話にしたりする。
「私の親戚に……」と書いたからといって、親戚の話とはかぎらない。
そうでないことのほうが多い。
もちろんその逆もある。
さらに、2人~3人の話を1つにまとめることもある。
もちろんその逆もある。
ウソを書いているのではない。
これは私のようなもの書きにとっては、最低限守らなければならないマナーである。
その人の名誉を傷つけると、たいへんなことになる。
が、読む人が読むと、それがだれかわかってしまう。
「これはあのXさんのことだ」と。
それがこわい。
とくに不愉快ななのは、「のぞき」。
HPをのぞいては、私の家の事情を探ろうとする。
数年前だが、こう言った男がいた。
「浩司君、君のHPだけど、この1年くらい、見てないかなア~」と。
が、これはウソ。
今ではフリーのサービスや、フリーのソフトを使うと、どこのだれが何回くらいアクセスしてきたかが、1日単位でわかる。
(もちろん相手のIP番号を登録しておく必要があるが……。)
その男は、毎晩、11時前後に、私のHPをのぞいていた。
で、私はその男にこう言ってやった。
「あなたのサーバーは、Axxxxネットでしたね」と。
その男は、一瞬ギクリとしたあと、そのまま黙ってしまった。
私のHPは、それを必要とする人に見てほしい。
のぞき目的で見るのは、厳禁!
あとはみなさんの良識に任せる。
●露天風呂(2)
このところ、物価が上昇している。
それが実感として、よくわかる。
先ほども、浴槽のHPをあちこちのぞいてみた。
露天風呂に使えそうな浴槽を探してみた。
が、価格を見て、驚いた。
ヒノキで作った丸形浴槽ともなると、いちばん小型のサイズでも、40万円前後。
その上のサイズとなると、50~70万円前後。
(露天風呂付きの温泉でも、50万円もあれば、食事付きで、40回は入浴できる。)
「高いなア~」と思ったところで、思考停止。
こうなったら、自分で作るしかない。
木材を買ってきて、自分で作る。
箱形のものであれば、まさに「箱」を作ればよい。
今日にでも近くのDIYショップへ行ってみる。
あれこれ、自分で考え、自分で作っているときが、いちばん楽しい。
●モニター(2)
やはりワイド型(16:9)のモニターのほうが、使いやすい。
……ということで、結局は、もとのモニターに戻すことにした。
ゴソゴソ……と。
ちょうどそこへワイフがお茶を届けてくれた。
「(テレビの)モニターはどうするの?」と。
私「不要だから、あげるよ」
ワ「じゃあ、もらとくわ」と。
意外と簡単に、もらい手が決まった。
が、階下の居間までもっていくと、そこから息子にバトンタッチ。
息子がそのままそのモニターをもって、自分の部屋に消えた。
●相談
……とまあ、つまらない話ばかり書いていてはいけない。
読者のみなさんに、申し訳ない。
……。
おととい、ある女性から、こんな相談を受けた。
電話での相談だった。
(ただし最初に書いておきますが、どなたかの紹介がないかぎり、電話での相談はお断りしています。
おとといの相談は、昨年世話になった、ある学校の校長の紹介の方からのものでした。)
いわく、「姉妹が、仲が悪くて、悩んでいます」と。
おおざっぱに言えば、こういう内容である。
(1)2人の姉妹(娘)が、いる。
(2)年齢は、上が28歳、下が26歳。
(3)上の娘は、ケチでためこみ屋。家業を継がせたくない。
(4)下の娘は、負けん気でやり手。家業を継がせたい。
(5)いつも喧嘩ばかりしている。
(6)一方に家を出るように言っているが、姉のほうは、一歩も譲らない。
(7)妹にボーイフレンドができた。
(8)そのボーイフレンドに、姉のほうが横恋慕。姉との結婚話まで進んでいる。
(9)現在、そのボーイフレンドを取り合って、家の中が大騒動。
で、どうしたらいいか、と。
●姉妹
『年齢の近い姉妹は、憎しみ相手』と。
昔からそう言う。
乳幼児期からの(わだかまり)があるから、その分だけ、根が深い。
姉妹がうまくいっているケースとなると、10に1つもない。
が、話を聞くと、さらに深刻。
姉が、ボーイフレンドと妹の仲を裂こうと、あれこれと告げ口をしているというのだ。
そのひとつが、妹に、中絶経験があること。
それを、姉は、ボーイフレンドに話してしまった。
それが大騒動の原因にもなった。
相談してきた女性(母親)は、こう言った。
「明日にでも事件になりそうで、恐ろしくてなりません」と。
●現在の状況
姉は妹に向かって、「私が長女だから、家を出て行け」と。
妹は、「私が店を手伝っているから、あんたこそ、出て行け」と。
家は江戸時代からある、みやげもの屋。
その町の門前町の中でも、中心的な存在である。
敷地も広い。
現在の状況は、つぎのようらしい。
(1)たがいに口もきかない。
(2)ささいなことで、突発的に大げんかになる。
(3)夫(父親)は、「店を継いだものに、財産を譲る」と言っている。
(4)ボーイフレンド、つまり彼氏は、最近は、姉の方とデートしている。
●嫉妬
こういう話を聞くと、乳幼児期の子育てがいかに重要かがわかってもらえると思う。
この時期の兄弟・姉妹関係が、そのままおとなになっても、尾を引く。
嫉妬がからんでいるだけに、それこそ相手を、殺す、もしくはその寸前のところまで発展する。
(実際、そういう例は少なくない。)
原稿を探してみる。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
嫉妬について書いた原稿です。
中日新聞発表済み。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●子どもの嫉妬
嫉妬はたいへん原始的な、つまり本能に根ざす感情であるだけに、扱い方をまちがえると、その子どもの人間性そのものにまで影響を与える。
「原始的」というのは、犬やネコをみればわかる。
犬やネコは、一方だけをかわいがると、他方ははげしく嫉妬する。
また「人間性」というのは、情緒面のみならず、精神面にも大きな影響を与えるということ。
そしてそれは多くのばあい、行動となって表れる。
嫉妬が「内」にこもると、子どもはぐずったり、いじけたりする。
ひがみが強くなったり、がんこになったりする。
幼児のばあい、原因不明の身体の不調(発熱、下痢、嘔吐)を訴えることもある。
「外」に出ると、いじめや動物への虐待となることが多い。嫉妬がからんでいるばあいには、それが相手に向けられたときには、「殺す」というところまでする。残虐かつ陰湿になるのが特徴で、容赦しないのが特徴。
弟に向かって自転車で突進したケースや、弟を逆さづりにして頭から落としたケース、さらに妹の人形をバラバラにしてしまったケースや、妹をトイレに閉じ込めてしまったケースなどがある。
一人、妹にお菓子と偽り、チョークを口の中に入れた女の子(小2)もいた。
また動物への虐待では、飼っていたハトの背中に花火をくくりつけ、ハトを殺してしまったケース、つかまえてきたカエルを地面にたたきつけて殺してしまったケースなどがある。
ふつう子どもが理由もなく(また原因がはっきりしないまま)、ぐずったり、ふさいだりするときは、愛情問題を疑ってみる。
そういうときは抱いてみるとわかる。
最初は抵抗する様子を見せるかもしれないが、強引に抱き込んだりすると、そのまま静かに落ち着く。
乳幼児期は、静かで穏やかな生活を大切にし、嫉妬と闘争心の二つはいじらないようにする。
中に、わざと子どもを嫉妬させながら、親への依存心をもたせる人がいる。
一昔前の親がよく使った方法だが、依存心をもたせるという意味で、好ましくないことは言うまでもない。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●いろいろなケース
「嫉妬がからんでいるだけに、ことはたいへんやっかいです」と、私は答えた。
それに財産問題も、からんでいる。
(財産)イコール、(欲望の追求)と考えてよい。
こうなると、さらに、やっかい。
一筋縄では行かない。
私は今までに知ったケースをいくつか、話してやった。
(1)財産(土地)をきちんと2等分したのだが、今度は南側の土地、北側の土地で、けんかになってしまった姉妹。
(2)娘の夫たち(夫には相続権はない)まで加わってきて、玄関先で毎週のように、大げんかした兄弟・姉妹。
(3)古い例では、『ブーリン家の姉妹』がある。
映画にもなっている。
●『ブーリン家の姉妹』
映画『ブーリン家の姉妹』の映画案内には、つぎのようにある。
『……16世紀のイングランド。
新興貴族のトーマス・ブーリン卿は一族繁栄のために才気あふれる美しい娘アンを国王ヘンリー8世の愛人に差し出すことを目論む。
ところが、王の心を捉えたのはアンの妹で凡庸だが気立ての良いメアリーだった。
一家は宮中に移り住み……』と。
イギリス王室にも、そんな暗い歴史がある。
で、一度こうした確執ができると、それを解きほぐすのは、ほぼ不可能と考えてよい。
姉妹でも、他人以上の他人になる。
ではどうするか?
●「流れ」
この種の問題は、(流れ)に任すしかない。
『時は心の癒し人』(はやし浩司)だが、その「時」にも、手に負えないときがある。
で、そういうときは、(流れ)に任す。
流れに任せておくと、やがて水がより下を求めて流れていくように、自然な形で解決する。
親が介入すると、かえって火に油を注ぐようなことになりかねない。
姉妹関係は壊れたまま。
姉とボーイフレンドが結婚するようなことにでもなれば、さらに壊れる。
そうなればなったで、もうどうしようもない。
この先もずっとそうと、あきらめる。
『あきらめは悟りの境地』(はやし浩司)ともいう。
コツは双方の聞き役に回り、親が意見を言ったり、結論を出してはいけない。
成り行きに任せれば、姉妹双方で、何らかの結論を出す。
あとは、それに従う、と。
運命というのは、そういうもの。
無数の糸が、複雑にからみあいながら、その人の人生を決める。
「家」にしても、そうだ。
家の運命も、それで決まる。
……ということで、今朝はここまで。
昨夜、ワイフが食パン製造器をセットした。
そのにおいが、この2階にある書斎まで入ってきた。
「8時30分にセットしたはず」と。
今、時計を見るとその8時半。
台所のほうで、カチャカチャと器具を外す音がする。
では今朝はここまで。
2012/01/09朝記
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
『時は心の癒し人』『あきらめは悟りの境地』について書いた
原稿を探してみます。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●『時は心の癒し人』(2003年07月15日記)
●子育て随筆byはやし浩司(978)
A市にお住まいの、Bさんからのメール
先日、A市での講演会に行かせていただきました。HPも見させていただき、色々思う事がありました。
私の兄は公務員で一人暮らし、二年ほど前に神経症になりました。
ある日、兄から電話があり、「お父さんが俺の仕事場の上司に俺の話をしているみたいだか
ら、上司に電話したりするのはやめるように言ってくれ……」ということでした。
私は実家に帰ったときに早速その話をしました。
父は「おかしいな。そんな話したことないのに……」と言い、その返事も兄に伝えました。
それからも何度かそんな内容の電話が兄からかかってきましたが、父の返事は変わりませんでした。
そんな電話から三か月くらいあとだったでしょうか、四国に旅行中の両親から電話があり「KK(兄)が調子悪くなって家に帰っているみたいだから、様子見てきて!」という事だったので実家に行ってみたところ、生気のない兄が母達が留守だった為、雨戸も開けずに暗い家の中にいました。
話しを聞けば病院で神経症と診断され、仕事を二週間休んできたという事でしたが、私にはとても二週間で復帰できるような状態でないことがわかりました。旅行中の両親も旅行をとりやめ帰宅。
その後は、もう大変でした、毎日のように母が泣いて電話をしてきたり、逃げるようにして父が私の家に来たり……。
兄は乱暴ではなく、とにかく元気がない状態。目の感じが違っていました。
仕事を休み始めた当初は私を呼びだし「俺、ホントに頭がおかしくなるかもしれないから、後は頼むな……。」
と言われた事もあります。「それだけ分かってるなら、頭おかしくないよ! 頭おかしい人はそんな事言わない」と返事しましたが、その返事も、それで良かったのか悪かったのか……。
どんな治療をしたかは、私は詳しく聞きませんでしたが「病院かえた方がいいかな?」とか、「この薬は普通こういう病気では処方されないらしい……」とか、とにかく、何もかもに神経質になっているのがわかりました。
あの時のおかしな電話の事もこれだったんだ……と後からわかりました。被害妄想のようなものだったようです。
「役所でみんなが俺の話をしてる。」とか「噂されてる。」とか色々言っていました。
結果、仕事場に行くとパニック症状が起きてしまい、どうにもならなくなり自分から病院に行ったようでした。
HPに、チックの事や神経症の事が書いてあるのを見て思い出したのですが、兄は小学校の頃チック症状で、目をぱちぱちさせていました。
それを母がとても気にしていました。
兄は昔からすくお腹が痛くなったり、頭が痛くなったりしていました。誰かが病気になると自分も調子が悪くなったような気がする……とか、とにかく変わった人でした。そして、神経症と診断されてから一年後、軽い鬱病だった……という診断にかわり(?)ましたが、とりあえず仕事に復帰出来る状態にまで回復し、今は部所を変えていただき、実家からなんとか仕事に通っています。
チックに始まり、三四歳で神経症。同じ家庭環境に育った私は何事もなく過ごしています。
今、私には、年中児の息子と五年生の息子、中三の息子がいますが、子育てにおいてあれこれ真剣に考えることもなく過ごして来たような気がします。
でも兄をみて、HPをみて、小さい頃のささいな事と思えたものが、その後大きな問題に発展してしまう恐怖を感じました。
長男はたまに寝言を言うし、一年前までおねしょ(年に一回くらい)しました。
実は、それも何かのサインだったのかと思うとドキドキします。
数日前、私の親類の子供が、脳炎を起こしました。結果、大脳がほとんどやられてしまっていて、治療の方法がない……と言うことでした。お見舞いに行きましたが、いとこは泣いていました。
かける言葉も見つからない状態です。
そんなこともあって、「おまえは生きているだけでいい……」という言葉が耳から離れません。
+++++++++++++++++++
【はやし浩司より、Bさんへ】
講演をしていて、一番、気をつかうのは、聞きにきてくれた人に、不安感を与えないということです。もし私の講演が、Bさんを不安にしてしまったようでしたら、どうかお許しください。
率直に言って、一つの講演の中でも、私は無数の話を織りまぜます。
で、そういう話のひとつずつに、それぞれの人が、まったく別の反応を示します。
ときに、私がまったく予期しないところで、まったく考えもおよばなかった反応を示す人もいます。
実のところ、Bさんがそうで、私は、申し訳ない気持ちで、いっぱいです。できれば楽しく、ハハハと笑っていただければよかったのですが……。
しかし私の話は、いつも暗いですね。申しわけありませんでした。
が、私がここで答えられる部分は、「長男はたまに寝言を言うし、一年前までおねしょ(年に一回くらい)しました。
実は、それも何かのサインだったのかと思うとドキドキします」という部分だ
けです。
これについては、寝言にしても、「たまに」ということですし、おねしょも、終わっているという点で、もう心配する必要はないと思います。
それに寝言にせよ、おねしょにせよ、ほとんどの子どもが経験することで、大きな問題ではありません。
ただ子どもを包む環境が、神経質になっていないかは、反省してみてください。
コツは、子ども自身が安心して休めるような、時と場所を、家庭の中に用意することです。
子どもを、温かく包むように、無視する。
子どもの側から見て、親の視線を感じさせないようにします。
こういうケースでは、Bさん自身が、問題そのものに気づいておられますので、少し時間はかかりますが、それで問題は解決します。
どうか自分を信じてみてください。
で、話を戻します。
お兄さんの件ですが、どの家庭も、外から見ると、うまくいっているように見えますが、それぞれ似たような問題をかかえています。
ほとんどが、そうではないかと思います。
みんなある意味で、懸命に、そして必死に、そうした問題と戦っています。
ですから、決して「自分だけが……」と思ってはいけません。
思う必要も、ありません。
心だって、たまには病気になるのです。
ただふつうの、つまり風邪や肺炎のような体の病気と違うところは、心の病気は、外から見えにくいということ。
それにたいてい長期にわたるということです。
こじらせれば、一生つづくということも、珍しくありません。
だから心が病気になったからといって、深刻になること自体、おかしいのです。
しかもこの種の「心の病気」は、まじめな人ほど、なります。
もっとわかりやすく言えば、そうなったとしても、基本的には、その人を取り巻く、社会や環境のほうが、おかしいのです。
脳に機質的な問題があれば、話は違いますが、機能的問題であれば、今、ほとんどの病気は治るという時代です。
かく言う私も、過去において、何度か、人生そのものに絶望したことが、あります。
人前では、いつも明るく振る舞っている私ですが、実のところ、心はボロボロ。
私ほど、心の病気のデパートのような人間は、少ないと思います。
よく私は、「あらゆる精神病を、広く浅くもっている」と冗談ぽく言いますが、それはまちがっていません。
また生まれながらにして(?)、家庭問題のいざこざには、常に悩まされました。
実のところ、今も悩まされています。
しかし私のばあいは、どれも長期で、もうなれたというか、あきらめたというか、そういう状態になっています。
またそういう私を悪く言う人もいますが、「勝手にどうぞ」という心境です。
Bさんについても、今さら過去をほじくりかえしても、意味はありませんし、今の問題がどうかなることもありません。
しかたないのです。
みんな、懸命に生きていても、どこかで穴があき、そこから水が漏れることだってあるのです。懸命に生きていても、どうにもならない問題が、起きるときには、起きるのです。
ここで大切なことは、仮にそういう問題が起きたとしても、それは私やあなたの問題ではないということです。
それが人間が、人間であるがゆえに、つまりは生きることにまつわる限界のようなものです。
そんなわけで、つぎに大切なことは、そういう問題が起きたとしても、それはそのまま、受け入れるということです。
まさに「なるようになれ!」と自分に言ってきかせることです。
この言い方は、一見、無責任な言い方に見えるかもしれませんが、あのジョン・レノンも、『レット・イット・ビー』の中で、そう歌っています。
「♪レット・イット・ビー(あるがままにせよ)」と。
実のところ、私もずっと、そうしてきました。ものごとというのは、なるときには、放っておいても、なる。
しかしならないときは、がんばっても、ムダ……ですね。
とくに心の病気について言えば、そうではないでしょうか。
ただお母さんの態度は、あまりほめられたものではありません。
娘のあなたに、「その後は、もう大変でした、毎日のように母が泣いて電話をしてきたり、逃げるようにして父が私の家に来たり……」とは?
「逃げるようにして……」というのは、お父さんが、お母さんから、「逃げる」という意味でしょうか。
こういうケースでは、一番、自分を律しなければならないのが、お母さんなのですが……。
少し残念ですね。
お母さん自身が、あなたのお兄さんを、まったく受け入れていないばかりか、そうした態度が、お兄さんのみならず、あなたをも苦しめていることに気づいていない?
またあなたのメールだけで、こう結論づけるのは、危険なことかもしれませんが、お兄さんが子どものころ見せた、いろいろな神経症による症状(チックなど)の原因も、お母さんにあったのではないかということです。
こういうケースでは、母親の態度というか、姿勢が、一番、重要なカギを握ります。
そのお母さんが、こうまで動揺してはいけません。
……と、ほとんど回答になっていない返事で、ごめんなさい。ただ言えることは、ことあなたについて言うなら、『時は、心の癒し人』ということです。
時間が解決してくれます。時間がたつと、あなた自身が、周囲を受け入れ、そして心穏やかになります。こういうときは、あせって、あれこれしないほうがよいです。
じっとがまんします。(もちろんそれでお兄さんが、よくなるとかということではありませんが……。あくまでも、あなた自身の問題が、です。)
最後に、お兄さんがそうだったからといって、あなたのお子さんが、そうなるということは絶対にありません。
どうか過剰に不安になったり、心配したりしてはいけません。
一つだけ心配される点について、書いておきます。
あなたのお母さんとあなたのお兄さんの関係においてですが、あなたのお母さんは、お兄さんを、全幅には受け入れてはいなかった?
それが今いる、「お兄さん」をつくったと考えられます。
いろいろ事情があったのでしょう。
だからあなたのお母さんを責めても意味はありません。
ただそういう関係、つまりあなたのお母さんのもつ、子育て観が、今のあなたの影響を与えている可能性はあります。
これを心理学では、世代伝播とか連鎖とか言います。つまり子育ては繰りかえすということです。
そこでこれはあなたにとって、たいへんつらいことかもしれませんが、「母親である」という虚像というか、偶像を排除して、一度、あなたのお母さんを、一人の人間として、冷静に判断してみてください。
そしてあなたのお母さんのもつ、人間的な欠陥というか、精神的な未完成部分というか、はたまた情緒的な未熟性というか、そういうものを、冷静に判断してみてください。
そしてそれに気づいたら、あなた自身は、それを繰りかえさないようにします。あなたの子どもに対して、です。
そこだけを注意すれば、もう心配はありません。ほとんどの人は、それに気づかないまま、同じことを繰りかえします。
どうかご注意ください。
繰りかえしますが、だからといって、あなたのお母さんを責めても意味はありません。
多分、もうかなりの年齢の方だと思います。
人間も、満四五歳前後を境に、あとは、急速に、人間的な進歩をやめます。
ばあいによっては、そのころを境に、退化します。
年配だから、人間的にもすぐれているだろうと考えるのは、幻想以外の何ものでもないということです。
では、今日は、これで失礼します。また何かあれば、ご連絡ください。なおあなたからのメールは、このような形で、マガジンに転載させていただきますが、よろしくご了解ください。勝手なお願いですみません。よろしくお願いします。
(030715)
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Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●あきらめは悟りの境地(中日新聞にて発表済み)
子育てをしていて、あきらめることを恐れてはいけない。
子育てはまさに、あきらめの連続。
またあきらめることにより、その先に道が開ける。もともと子育てというのはそういうもの。
一方、「そんなはずはない」「まだ何とかなる」とがんばればがんばるほど、子育ては袋小路に入る。
そしてやがてにっちもさっちもいかなくなる。
要はどの段階で、親があきらめるかだが、その時期は早ければ早いほどよい。
……と言っても、これは簡単なことではない。
どの親も、自分で失敗(失敗という言葉を使うのは適切でないかもしれないが)してみるまで、自分が失敗するとは思っていない。
「うちの子にかぎって」「私はだいじょうぶ」という思いの中で、行きつくところまで行く。
また行きつくところまで行かないと気がつかない。
要は子どもの限界をどこで知るかということ。
それがわかれば親も納得し、その段階であきらめる。
そこで一つの方法だが、子どもに何か問題が生じたら、「自分ならどうか」「自分ならできるか」「自分ならどうするか」という視点で考える。
あるいは「自分が子どものときはどうだったか」と考えるのもよい。
子どもの中に自分を置いて、その問題を考える。
たとえば子どもに向かって、「勉強しなさい」と言ったら、すかさず、「自分ならできるか」「自分ならできたか」と考える。
それでもわからなければ、こういうふうに考えてみる。
もしあなたが妻として、つぎのように評価されたら、あなたはそれに耐えられるだろうか。
「あなたの料理のし方、76点。
接客態度、54点。
家計簿のつけ方、80点。主婦としての偏差値48点。
あなたにふさわしい夫は、○○大学卒業程度の、収入○○万円程度の男」と。
またそういうあなたを見て、あなたの夫が、「もっと勉強しろ」「何だ、この点数は!」とあなたを叱ったら、あなたはそれに一体どう答えるだろうか。
子どもが置かれた立場というのは、それに近い。
親というのは身勝手なものだ。
子どもに向かって「本を読め」という親は多くても、自分で本を読んでいる親は少ない。
子どもに向かって「勉強しろ」という親は多くても、自分で勉強する親は少ない。
そういう身勝手さを感じたら、あきらめる。
そしてここが子育ての不思議なところだが、親があきらめたとたん、子どもに笑顔がもどる。
親子のきずながその時点からまた太くなり始める。
もし今、あなたの子育てが袋小路に入っているなら、一度、勇気を出して、あきらめてみてほしい。
それで道は開ける。
(以上、2012/01/09記)
Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2012++++++はやし浩司・林浩司
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