●気負いは、ほどほどに(はやし浩司 2012-01-13)
●5時起き
今朝は、5時起き。
それまで1時間ほど、布団の中でもぞもぞしていた。
が、こういうときは、思い切って起きた方がよい。
時間を無駄にしてはいけない。
●日常
詳しく書いても、意味はない。
それは、どうでもよい。
実は、私は先日、あやうく死にかけた。
九死に一生……というより、それより危なかった。
が、それはそれ。
そのあとのこと。
日常が、いつもと変わらぬ日常であることに驚いた。
と、同時に知った。
「私が死んでも、何も変わらず、世界は動きつづける」と。
●ワイフ
それをワイフに話すと、ワイフは、こう言った。
「私も、父が死んだとき、そう思った」と。
ワイフは、自分の父親が死ぬとは思っていなかったという。
が、その父親が他界した。
そのときのこと。
「父が死んでも、何も変わらなかった。
そのことが、不思議でならなかった」と。
●もうけもの
私が死んでも、またあなたが死んでも、この世界は、何も変わらない。
晴れた日であっても、雨の日であっても、そのまま。
人の流れも、車の流れも、そのまま。
「今」は、いつまでも永遠につづく。
が、ひとつだけ、心境に変化が生じた。
その事件のあと、こんなふうに思うようになった。
そのつど、「もうけもの」と。
それがアワのように、心の中で浮かんでは、はじける。
つまりその日以来、こうして生きていること自体が、「もうけもの」と。
●人生、50年
そう言えば、学生時代のS君も、そう言っていた。
胃ガンで生死の境をさまよい、そのあと、無事生還。
5年たった今も、元気で生きている。
「なあ、林、昔は『人生、50年』と言ったろ。
50歳を過ぎたら、人生は、もうけものなんだよ」と。
もうけもの……つまり、おまけ。
余録。
そう思って生きれば、心に余裕ができる。
損得を乗り越えて、生きることができる。
●64歳
……ということでなくても、最近、よく、こう思う。
私も64歳になった。
江戸時代なら、もうとっくの昔に死んでいてもおかしくない年齢※。
その私が、まだこうして生きている。
しかも生涯、病院のベッドの上で寝たことがない。
入院すら、したことがない。
本当に、ありがたいこと、と。
そう思うと、身近のささいな問題が、どうでもよくなってしまう。
(注※……江戸時代の平均寿命は45歳前後だったと言われている。
ただし当時は、6歳前後までに、約30%の子どもが亡くなったという。
数字は記憶によるものなので、不正確。)
●希望
要するに生きる原点を、どこに置くかということ。
ないものをねだり、持てる人をねたんでも、しかたない。
できなかったことを悔やみ、人生の短いことをはかなんでも、これまたしかたない。
今、ここにいる。
生きている。
青い空が見える。
音が聞こえる。
それを楽しみ、それを喜ぶ。
そこに原点を置けば、生きていること自体が希望。
それに気づく。
言い換えると、生きているかぎり、人にはみな、希望がある。
●おはようございます
さて、こうして、その「もうけものの1日」が、今日も始まった。
何ができるか、何があるか、それはわからない。
ともかくも、今日1日、懸命に生きる。
期待のしすぎは禁物。
気負いも、そこそこに。
ヌカ喜びも、取り越し苦労もしない。
だからといって、時間を無駄にしてはいけない。
そのあとのことは、そのあとのこと。
結果は、かならず、ついてくる!
2012年01月13日(金曜日)、午前6時
みなさん、おはようございます。
(補記)「生きる哲学」
●一貫性
最近、強く感ずるのが、このこと。
つまり「哲学のない人とつきあうのは、むずかしい」。
哲学をもっている人には、それなりの一貫性がある。
が、それがない人には、その一貫性がない。
欲望に溺れるまま、そのつど変化する。
表面(おもてづら)に、騙(だま)されてはいけない。
処世術というか、そういう人にかぎって、身を飾るのがうまい。
言葉や表情、行動で身を飾る。
男だったら、地位や肩書きで、飾る。
が、よくよく観察してみると、一貫性がない。
●ある男
わかりやすく言えば、(つかみどころ)。
たとえば身近に、平気で女性を騙して遊んでいる男がいる。
年齢は30歳くらいか。
下は中学生から、上は、40代のおばちゃんまで。
結婚はしていないが、街で見かけるたびに、ちがった女性と歩いている。
そういう男だが、仕事だけは、ちゃんとこなしている。
それなりの大企業に勤め、それなりの仕事をしている。
実にまじめそうな顔をしている。
「女」のためだったら、正月でも、その家にあがりこんで、掃除の手伝いをしたりしている。
が、どうも一貫性がない。
知人に話を聞くと、給料のほか、生活費の大半を、実家の親に出してもらっているという。
つまりそのお金で、遊びまくっている。
そういう話を聞いているから、どうも信用できない。
……というか、ウソばかり並べる。
口がうまい。
●哲学
そんな男のことを、論じても、意味がない。
愚劣な男は、どこまでも愚劣。
いくら立派な学歴と肩書きをもっていても、愚劣は愚劣。
問題は、なぜ、そういう男が生まれるかといういこと。
その男の親は、会うたびに、「いい大学を出ました」「いいところに就職できました」と喜んでいる。
今は、「いい嫁が早く見つかればいい」と。
端的に言えば、その男には、一本のスジの通った哲学がない。
「私はこうなんだ」という、スジがない。
というか、それ以前の問題として、それを考えない。
水面に浮かぶ浮き草のように、我が身を流れに任せているだけ。
考えてみれば、これも悪しき受験競争に弊害ということになる。
受験勉強が悪いというのではない。
それだけでは、片手落ち。
半人前。
さらに悪いことに、現代の若い人たちは、先人からものを学ぶということをしない。
「老人の言うことには、価値がない」と。
が、これでは浮き草になって、当然。
いつまでたっても、浮き草止まり。
●宗教
私自身はそういう経験を、直接したことがない。
ないが、昔からこう言う。
「欧米では、宗教をもっていない人は、信用されない」と。
たしかにそれはそうで、宗教をもっている人には、それなりの一貫性がある。
その一貫性が、相手、つまり私たちに、ある種の安心感をもたらす。
「この人は、ウソをつかない」と思うだけでも、安心して話を聞くことができる。
が、この私には宗教がない。
いろいろ探してみたが、どれも私には合わない。
仏教もキリスト教も、どうも肌になじまない。
宗教団体となると、さらにそうで、接しただけで、拒絶反応すら覚えてしまう。
だから「哲学」ということになる。
●私のワイフ
その点、私のワイフの生き方は、参考になる。
ガチガチの石頭で、がんこ。
融通はきかないし、冗談もめったに言わない。
クソまじめすぎるほど、クソまじめ。
ときどきワイフのことを、「石部金子」(石部金吉をもじる)と呼んでいる。
まったく面白(おもしろ)みのない女性だが、いつも安心してつきあうことができる。
つまりそれがワイフの、「スジ」ということになる。
その「スジ」に、私は身を寄せることができる。
たがいの信頼関係も、そこから生まれる。
で、今日のテーマ。
「哲学」。
「生きる哲学」。
それを考えながら、今日1日を過ごしてみたい。
2012/01/13記
(補記の補記)
●小沢一郎
本物の詐欺師は、自分で相手を騙しているという意識がないそうだ。
だから平気で、人を騙すことができる。
小沢一郎という人が、どういう人なのか、本当のところは、私も知らない。
しかしあの人は、ものすごい人と思う。
この場に及んでも、まだこう言っている。
「私は天下国家のことしか、考えていない。(金の流れなど、感知しない)」と。
もし本当にそうなら、彼こそ、本物の詐欺師。
天下の詐欺師。
まさに土建政治家。
今朝の新聞(中日新聞)によれば、4億円という大金を金庫から出し、紙で包んだのは、小沢一郎自身だったという。
重さ、40キロ。
にもかかわらず、「(金の流れなど、感知しない)」と。
見苦しいというか、ああいう政治家しか生まれない、日本のこの土壌を情けなく思う。
Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【平均値の学習】(小学1年生&小学2年生)
小学1&2年生に、平均値についての学習を進めてみました。
結果は、ご覧の通りです。
最初に、5分程度遊んであげると、そのあとの学習効率がぐんと高くなります。
子どもたちの脳が、全開状態になるためと、現象的に、私はそう理解しています。
Happy & Active Children learn Best.(楽しく学ぶ子は、よく学ぶ)
ですね!
●小学1年生
(1)
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(3)
(4)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●小学2年生
(1)
(2)
(3)
(4)
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 平均値の学習 平均の勉強 小学1年生 平均を教える はやし浩司 平均の概念を教える)
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2012年1月13日金曜日
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