【山荘より、自宅まで歩く?】(はやし浩司 2012-01-11朝記)
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一度はしてみたい。
いつもそう思っていた。
2年ほど前、夏の暑い夜だった。
そのときも、そうした。
が、あと4~5キロというところで、足がつった。
歩けなくなった。
あえなくギブアップ。
たまたま近くにあった交番で、電話を借りた。
ワイフに迎えに来てもらった。
で、今朝、再び、それを実行することにした。
2012年。
1月。
午前2時20分。
64歳。
初老男の、大チャレンジ。
山荘から、自宅まで、歩く。
距離は30キロ。
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http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/6677209945/
●午前2時
今朝は、午前2時に目が覚めた。
悪夢で、目が覚めた。
内容はよく覚えていない。
ハラハラ、ドキドキの悪夢。
いつもパターンは、決まっている。
どこかの山道を歩いている。
目的とする町へ向かっている。
が、どこかで道をまちがえたらしい。
海の見える道を歩いている。
海の中には、魚が泳いでいる。
それを見ながら、「この道ではない」と自分に言って聞かせる。
どうしてそんな夢で、目が覚めるか……?
今も、そう思う。
思うが、ハラハラ、ドキドキ。
「バスが出る時刻だ」と。
私はその町からバスに乗って、家に帰る。
その時刻が、どんどんと近づいてくる。
が、私は海の魚をぼんやりとながめている。
ハラハラ、ドキドキ……。
●歩いてみよう
寝返りをうつと、ワイフも目を覚ました。
「眠れないの?」と。
私「うん、なあ、ぼくね、今朝、家まで歩いてみようと思う」
ワ「今朝……?」
私「一度は、してみたいと前から思っていた」
ワ「……」
私「今から出かければ、6時半には家に戻れるはず」と。
布団の中でそんな会話をしたあと、飛び起きた。
●出発
正月太りで、タプタプした腹を、ジーパンで押さえる。
さらにそれを、上から分厚い皮ジャンで、押さえる。
ワイフが4000円、渡してくれた。
「歩けなくなったら、コンビニでタクシーに乗ってね」と。
私はお茶を2杯、ぐいと飲み干した。
ペットボトルのお茶を、ポケットにねじこんだ。
時計を見ると、午前2時20分。
いざ、出発!
●下り坂
幸い、満月だった。
それに冬場は、毒蛇もいない。
家を出た瞬間、山の冷気が皮ジャンの下から、スーッと入り込んできた。
が、それもすぐ消えた。
最初の3キロは下り坂。
私は杖をつきながら、ゆっくりと歩いた。
下り坂で、急ぐと、膝(ひざ)の関節を痛める。
……というか、すでに左足の膝の下が、軽く痛んでいた。
●満月
こういうとき満月は、ありがたい。
といっても、月は薄い雲に覆われていた。
ぼんやりとした月だった。
しかしそんな月でも、ありがたい。
山道など、とても歩けない。
夏場は、とくに危険。
毒蛇が道路で、とぐろを巻いて休んでいる。
毒蛇だけではない。
このあたりには、イノシシやサルも出没する。
言い忘れたが山荘を出るとき、いつも使っている懐中電灯の電池が切れていた。
それで今朝は、懐中電灯なし。
●写真
私は歩きながら、ときどき写真を撮った。
最初は、シャッターを使った。
しかしうまく撮れない。
そこでシャッターをOFFにし、高感度で撮った。
が、そうすると、そのつど立ち止まり、カメラを固定しなければならない。
それに時間がかかった。
電車にたとえるなら、各駅停車。
写真を撮りながら、「これでは6時半は無理だな」と。
●昔の人
昔の人……たとえば江戸時代の人は、どこかへ行くときは、朝、出発したにちがいない。
朝といっても、午前3時とか、4時。
深夜に近い、早朝。
冬場は、午後6時には、真っ暗になる。
今のように電気のない時代だから、床に就くのも早かったはず。
午後7時ごろに寝れば、午前2時には、7時間、眠ったことになる。
7時間眠れば、じゅうぶん。
それから支度を整え、出発は、今ごろ。
午前3時。
夏だったら、それくらいの時刻だったかもしれない。
が、そのときも、明かり。
明かりが問題。
ワイフは、いつか、「昔の人は、行燈(あんどん)をもって歩いたのかしら」と言った。
「そんなもの、もっていたら、歩けないよ」と、私は答えた。
杖は、必需品。
足場が悪いときは、杖で、ころぶのを避けることができる。
毒蛇を、叩いて殺すこともできる。
イノシシやサルも、それで追い払うこともできる。
私は歩きながら、こう考えた。
「そのときも、月が重要な役割をはたしていたはず」と。
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●月明かり
私は昔、徳川家康が武田信玄に追われ、この道を歩いたという。
その道を、逆コースで、街に向かって歩いた。
逃げる徳川家康。
それを追う武田信玄。
徳川家康は、この奥にある「万光寺」という寺で、一夜を過ごしたという。
ともに月明かりを助けに、そうした。
そういうことが、夜中に、こうした道を歩いてみるとよくわかる。
もっとも今は、8トン車でも走れるほど、道は整備されている。
その昔は、獣道(けものみち)だったにちがいない。
●30分
ウォーキングマシンでも、30分も運動をすると、全身に汗が流れる。
山の道でも、30分も歩くと、体中が熱くなってくる。
汗こそ出ないが、小便が近くなる。
「脂肪が尿になったのかな……」と、最初の野外放尿。
●せせらぎの音
川沿いの道を歩いているとき、その下のせせらぎが聞こえてきた。
「?」と思ったが、せせらぎだった。
あたりが静かだと、せせらぎが聞こえる……。
今まで車で、何百回となく往復した道だが、せせらぎを聞いたのは、はじめて。
それにこうした夜道では、1~2キロ先の、車の走る音が聞こえる。
江戸時代には桜島(鹿児島県)の爆発音が、江戸(東京)でも聞こえたという。
何かの本で、そんなことを読んだことがある。
昔の人たちは、今より、ぐんと静かな世界で住んでいた。
●撮影
首にカメラの紐(ひも)をかけた。
そのカメラが、歩くたびに揺れる。
揺れて、首をうしろから絞める。
が、しばらく歩いていると、それを重く感ずるようになった。
たかがカメラ……。
500グラムもないはず。
そう思いながら、カメラをポケットにしまう。
30分を過ぎるころから、写真を撮る回数が、ぐんと減った。
疲れたというより、その余裕がなくなった。
歩くだけで、精一杯。
山の下からからは平地になるが、その平地も、結構、山坂になっている。
何度も「足はだいじょうぶかな?」と、自分に問いかける。
●講演の練習
最初、歩きながら、小さな声を出し、明後日の講演の練習をした。
明後日は、2か所で講演をすることになっている。
帰りに、沼津のH会館で一泊。
が、その元気も、30分で途切れた。
時計を見ながら、家に着く時刻を、何度も計算しなおす。
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●30キロ
高校生のとき、年に1度、30キロを歩いた。
「強歩」と呼んでいた。
そのときの自分を思い出す。
……と言っても、汗を流しながら歩いたというわけでない。
散歩感覚。
みなと、遊びながら歩いた。
記録をねらっている学生は別として、大半の私たちは、そうだった。
が、それでもそのあと、(たいていは翌日だったが)、足が痛くなって歩けなかったのを覚えている。
●金指の町
午前3時に、金指の町あたりまで来た。
その午前3時に、町のチャイムが鳴った。
ビッグベンの鐘の音。
かなり大きな音だった。
「午前3時にチャイム?」と。
市内でこんなチャイムを流したら、それこそ猛攻撃を受けるはず。
「うるさい!」と。
時計と見比べながら、そう思った。
(金指の人たちは、それをうるさいと思わないのだろうか?
午前3時のチャイム、だぞ!)
●信号
信号を何か所か通り過ぎた。
が、信号を守る車は、あまりなかった。
たいてい80キロ近いスピードで、信号を通り抜けていった。
最初の2、3つ目くらいまでは、私も、信号を守った。
が、そのうち、それを繰りかえす自分が、バカに見えてきた。
前にも、うしろにも、人影はない。
走る車もない。
そんなところで、信号待ち?
●T山
途中、1回だけ、山荘のあるT山を振り返った。
月明かり……というか、雲全体が、光っていた。
その雲を背景に、ぼんやりと山が見えた。
山がいつもより遠くに見えた。
「もう、こんなに遠くまで来たのか」と。
●老後への抵抗
なぜ歩くか?
そんなことも考えた。
というのも、こうした行動には、内側からの大きな動機が働いているはず。
無意識の世界からの動機。
その動機は何か?
……ひとつには、老いゆく自分への抵抗。
これは私だけではない。
今まで、多くの先輩たちがそうしてきた。
身近にも、そういう人たちがいた。
だいたい60~65歳前後になると、みな、判を押したように、何かの運動を始める。
「健康維持のため」とは言うが、もうひとつその奥には、別の意識がある。
それがここに書いた、「老いゆく自分への抵抗」。
「このまま老いてたまるか!」と。
そんな思いが、原動力となり、自分を動かす。
が、それも長つづきしない。
病気をしたり、けがをする。
それがきっかけとなり、運動から遠ざかる。
とたん、5年単位で、あとは老後へとまっしぐら。
今、私は、そのはかない抵抗を試みている(?)。
そんな思いが、繰り返し、脳の中をかけめぐる。
http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/6677214569/
●痴漢
ゆるい坂を上るところに、看板があった。
「痴漢、注意!」と。
ふと「痴漢にまちがえられないだろうか」と思った。
が、すぐ、こう思った。
「こんな真夜中に、夜道を歩く女性もいないはず」と。
ときどき、車が通り過ぎていった。
運転手の顔をみると、運転手が、みな、私のほうを見ているのがわかった。
「老人の徘徊とまちがえられているのかな?」と、私。
●徘徊
私は徘徊する老人の心理が、よく理解できる。
夜中の散歩にしても、(散歩というより、強歩だが)、足の方が勝手にどんどんと動いていく。
自分の意思というより、足のほうが、勝手に動いていく。
そういうときというのは、何も考えない。
同時に、悲しみも、さみしさも、消える。
あの坂本九が歌った歌に、『上を向いて歩こう』が、ある。
なぜ、あの歌が、ああまでヒットしたか。
その理由のひとつ……歩くことによって、多くの人たちが、救われているから。
私はそう理解している。
●サイトカイン
ただ同じ歩くといっても、心の中は、からっぽにしたほうがよい。
恨みや怒り……ある程度のものは、歩くことで解消される。
が、その限度を超えた恨みや怒りとなると、そうはいかない。
歩けば歩くほど、心が苦しくなる。
というか、歩けなくなる。
脳内にサイトカイン(ストレス性の悪玉脳内ホルモン)が充満する。
それが歩くことによって、増量される。
……実際にはどういうメカニズムが働くのか、私にはわからない。
しかし現象的には、正しい。
いやなことを考えながら運動をしていると、かえって不愉快になる。
私は努めて、何も考えないようにし始めた。
●「いつ死んでもいいや」
おかしな心理状態に襲われたのは、1時間ほどたったときのこと。
「生きたい」という思いがあって、私は強歩に出たはず。
その私が別の心で、「いつ死んでもいいや」と思い始めた。
夜の街道を町に向かって歩く。
それはまさしく私の人生を象徴している。
このまま歩けば、どこかで限界に来るはず。
すでにそのとき、家まで歩く自信はなかった。
時速5キロとしても、30キロを歩くには、6時間かかる。
時速6キロとしても、5時間。
私は最初、速足で歩くことを考えていた。
しかし、速足は、とても無理。
「どうしようか?」という迷いが、何度も心の底からわいてきた。
そのとき、そう思った。
「いつ死んでもいいや」と。
何度か、道路に倒れている自分を想像した。
●二度目の放尿
ちょうど1時間ほど歩いたところで、二度目の野外放尿。
気持ちよかった。
同時に、ペットボトルのお茶を、半分、飲んだ。
冷たいお茶が、のどを下へ落ちていくのが、よくわかった。
気温は、4~5度のはず。
このところ浜松地方を寒波が襲っている。
数日前には、0度近くにまで、下がった。
……出る前に、トイレで1度しているから、1時間のうちに3度、放尿したことになる。
これは運動している人なら、みな知っている。
運動すると、体の新陳代謝が活発になり、尿の量がふえる。
●膝の痛み
三方原(このあたりの人は、「みかたばら」と呼んでいる)の坂に、かかった。
その坂を上りきったところから、平坦な大地になる。
「台地」と書くのが正しいのか。
歩くのは楽。
しかし左足が痛み出した。
膝関節の下が、歩くたびに、ヒヤッ、ヒャッと痛む。
「まずいな」と、何度も思った。
……というか、もう、頭の中はからっぽ。
思考力どころか、考えようとする気力そのものが、消えうせた。
……「マラソン選手もそうかなあ」と。
一度マラソン選手も、携帯の録音機が何かをもち、走ってみるとよい。
どんなことを考えながら、走っているか……。
それを知りたい。
またそんな実況中継もあっても、よいのでは……。
もっとも考えながら走っていたのでは、あれだけの長距離は走れない。
まさに放心状態(?)。
そういう状態でないと、走れない。
私もやや放心状態になり始めていた。
時計を見ると、午前4時を回っていた。
すでに2時間近くが過ぎていた。
●自動販売機
途中、いつもミカンを買う、野外売り場を通り過ぎた。
お金を入れる箱は、そのままそこにあった。
(もちろん夜間は空箱になっているだろうが……。)
また場違いなところに、自動販売機があったのには、驚いた。
昼間は気がつかなかったが、夜は、よくわかる。
こうこうと明るい電気をともしている。
それが人通りのまったくない、藪(やぶ)の中にある。
それを見ながら、「日本は、いい国だなあ」と。
外国だったら、すぐ襲撃されるだろう。
現金があれば、あっという間に、もっていかれる。
●ワイフ
ペタペタと道路を歩く音。
杖でトントンと地面を叩く音。
同時に、歩くたびに、左足が痛む。
歩く速度が落ちてきた。
左足をかばい始めた。
歩き始めて、2時間半。
計算上では、山荘から10~12キロの距離ということになる。
と、そのとき、1台の白い車が、スーッと横に止まった。
見ると、ワイフだった。
ワ「心配だったから、来た」
私「ああ……」と。
私は迷わず、車に乗り込んだ。
ワ「だいじょうぶ?」
私「それがね、あまりだいじょうぶではないんだよ」
ワ「どうしたの?」
私「足が痛み出してね……」と。
こうして私の2度目のチャレンジも、失敗。
何とも言えない挫折感を覚えながら、シートの中に深く身を沈めた。
車の中の表示では、「外気6度」となっていた。
それでも私は、暑く感ずるほどだった。
私「帰ったら、また寝よう」
ワ「そうね」と。
家には、午前5時半ごろ、着いた。
ワイフは、着くとすぐ、布団乾燥機のスイッチを入れた。
布団を暖めるには、布団乾燥機がいちばん、よい。
床に入ったとき、温泉につかったような気分になれる。
まだの人は、一度、試してみるとよい。
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2012年1月11日水曜日
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