2012年1月6日金曜日

●The rich vs the poor

【拡大する、貧富の差】

●マグロ1匹、5649万円!

 まず、ブルームバークの記事より。
マグロ1匹が、5649万円で、競(せ)り落とされた、とか!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

1月5日(ブルームバーグ):
東京・築地の中央卸売市場では5日朝の初競りで、青森県大間産の269キログラムのクロマグロが1本5649万円で競り落とされた。
1キログラム換算では21万円となる。
落札した寿司チェーン店「すしざんまい」を経営する喜代村の広報担当、梅原裕史氏が明らかにした。

マグロを競りに出した東都水産や、中央卸売市場ウェブサイト情報によると、記録のある近年の初競りの最高値は昨年の3249万円(北海道戸井産、342キロ)。
喜代村では、今回のマグロ1本をにぎり寿司にした場合、1万貫余りになるだろうとみている。(以上、Bloomberg記事より)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●計算

 どうも計算が合わない。
1匹が、5649万円。
キロ当たり、21万円。
このマグロで、1万貫の寿司が握れるという(Bloomberg)。
ということは、1貫につき、5649円。
わかりやすく言えば、寿司1個が、5649円。
しかもそれが原価。

 記事のまちがいではないのか。

 念のため、今度は、キロ当たりで計算してみる。
1キロで、21万円。
100グラムで、2・1万円。
10グラムで、2100円。
1グラムで、210円。
一円玉の重さのマグロが、210円!

 回転寿司屋で出される、薄い切手のようなマグロでも、5グラムはある。
ということは、1貫で1050円!
仮に1貫が5グラムとすると、269キロのマグロなら、269000(グラム)÷5で、5万3800貫ということになる。
つまり約5万4000貫の寿司が握れる。
が、それを1貫100円で売ったとしても、売り上げは、約540万円。
やはり1貫を1000円前後で売らなければ、採算は合わないということになる。

 ……こうして四方八方から計算してみるが、私にはどうしても理解できない。
計算が合わない。
どうなっているのか。
私の計算によれば、超高級料亭で、1貫、1万円程度で売らなければならない。
しかしそんな寿司を食べる人はいるのだろうか。

●貧富の差

 「不況、不況と言いますがね、1泊1名、10万円という旅館に泊まる人もいますよ」と。
(夫婦2人で、20万円!)

 岐阜県の下呂市(下呂温泉郷)に住む知人が、そう言った。
そういう客なら、1貫1万円のマグロ寿司を口にできるかもしれない。
で、そういう客は、例外的な客かと思ったが、実際には、そうでもないようだ。
「1泊9000円前後の宿に泊まる客と、1泊10万円以上の宿に泊まる客との、2極化が進んでいます」とも。

 これを貧富の差と言わずして、何という?

●バブル経済

 温泉街は、日本経済の縮図。
ときどきそう思う。
見た目には、超高級旅館。
しかし中は、それなりにボロボロ。
ちょうどバブル経済のころのこと。
こうした超高級旅館が、まるで雨後の竹の子のように、あちこちで建築された。

 そういった旅館が、今、大不況のドン底で、あえいでいる。
バブル経済が破たんして、22年※。
「それなりにボロボロ」というのは、どの旅館も、22年程度の月日を感じさせる。

(注※『日本の景気動向指数で見る景気循環における第11循環の拡大期にあたる。指標の取りかたにもよるが、概ね、1986年12月から1991年2月までの4年3か月(51か月)間を指すのが通説である』(ウィキペディア百科事典、「日本のバブル景気について」))。

 そこで今、都会の資本が、こうした倒産寸前のホテルや旅館を、買い占め始めている。
丸ごと買い取るわけだが、その価格は、「驚くほど、安い」とのこと。
で、その結果生まれたのが、1泊8000~9000円前後の格安旅館。

●日本経済の象徴

料理は、バイキング方式。
布団敷きは、セルフ。
昔風のサービスは、ほとんどない。
仲居さんといっても、人材派遣会社から派遣された、言うなればパート。
旅館のことは、何も知らない。

 つまりこれが現代の日本経済を、そのまま象徴している。
わかりやすく復習すると、こうなる。

(1) バブル経済のころ、豪華な旅館がつぎつぎと、建った。
(2) バブル経済が、崩壊した。
(3) 旅館業は大不況の時代へと突入した。
(4) 温泉街は、真冬の時代を迎えた。
(5) 倒産も相次いだ。
(6) 大手資本が、そういった旅館を買いたたいた。
(7) 内装をしなおし、安い旅館として再生した。

 どうであるにせよ、日本は22年前に、時計の針を止めてしまった。
どこの旅館街も、またそこにある旅館も、22年前のまま。

●利得権

 そのはざまにあって、貧富の差は、急拡大している。
それもそのはず。
これだけ市中に現金をばらまけば、こうなるのは、わかりきったこと。
利得権や資格、保護に守られた企業や団体、個人は、こういう不況下にあっても、私が世の春を謳歌している。
公務員もその中に含まれる。
(今朝のニュースによれば、公務員のばあい、父母、孫にまで遺族年金が支払われているという(MSN)。
配偶者に支払われているという話は聞いていたが、父母や孫にまで、という話は知らなかった。
これは余談。)

 こうした貧富の差を測るバロメーターとして、「ジニ指数」というのがある。
「ジニ係数」ともいう。
そのジニ指数について書いた、私の原稿をさがしてみる。
「豊かさとは何か」という原稿が見つかった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【豊かさとは何か】

●相対的貧困層 

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貧困かどうかということは、
相対的な満足度によって決まる。

家と車と家電製品をもっていても、
貧しい人は、貧しい。

その日、その日を生きていくだけで、
精一杯という人も、少なくない。

そこで最近では、国の豊かさを
測る尺度として、「相対的貧困率」
という言葉を使う。

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 生活の豊かさは、「モノ」では決まらない。
いくら家と車と家電製品をもっていても、貧しい人は、貧しい。
その日、その日を生きていくだけで、精一杯という人も少なくない。

 そこで最近では、国の豊かさを測る尺度として、「相対的貧困率」という言葉を使う。
わかりやすく言えば、生活に対する満足度ということになる。

 それによれば、

 メキシコ  ……20・3(満足度が、もっとも低い)
 アメリカ  ……17・1
 トルコ   ……15・9
 アイルランド……15・4
 【日本】  ……15・3
 ポルトガル ……13・7
    ……
    ……
スウェーデン…… 5・3
チェコ   …… 4・3
デンマーク …… 4・3、だ、そうだ。

(OECD24か国平均……10・4)(2005年)

 日本は相対的貧困率でみるかぎり、貧しい国としては、上位5位ということになる。
実際、「ワーキングプア」という言葉があることからもわかるように、この日本には、「働いても、働いても楽になれない」という人たちが、「全体の4分の1、400万世帯もある」(朝日新聞「キーワード」)そうだ。

 これらの人たちは、最低賃金や、生活保護以下の収入しか得られない人たちという。
つまりその分だけ、所得格差が進んでいる。
ジニ係数(ジニ指数ともいう)でみても、日本は、OECD25か国中、第10位ということになっている。
ジニ係数は、所得のかたよりを測る、「かたより指数」と考えてよい。

 たとえば高所得者の4分の1の世帯が、全所得の4分の3を占め、残りの4分の3の人たちが、残った4分の1の所得を分けあう状態で、ジニ係数は、0・5となる。
日本は、0・314(2005年)である。

 ……そういう意味では、この日本は、たしかに住みにくい国になりつつある。
何をするにも、お金がかかる。どこへ行っても、お金がついて回る。
まさに、マネー、マネー、マネーの国。
お金がないと、それこそ、身動きができない。

 そこで知恵をしぼって、たとえば休日でも、できるだけお金を使わないですまそうとする。
お弁当を用意して、無料の公園を散策したり、山歩きをしたりする。
が、それでもお金がかかる。
どういうわけだか、かかる。
そういうしくみが、できあがってしまっている。

 言いかえると、お金を使わないですまそうと思ったら、家の中で、ゴロゴロしているしかない。
しかしそういう生活を、だれも、豊かな生活とは言わない。
つまり今、日本人の多くが感じている貧困感は、そういうところから生まれている(?)。

 では、どうすれば、豊かに生きられるのか? 
「豊か」というより、「心豊か」と言いかえたほうがよい。

 私なりの実践法を並べてみる。

(1)家族が円満であること。
これは心豊かに生きるための、第一条件。
(2)みなが、健康であること。
これも心豊かに生きるための、第一条件。
かりにだれかが病気であっても、それを前向きに受け入れてしまう。
(3)収入の範囲で、ほどほどの生活をする。
できれば、常に最低限の生活を心がける。
(4)価値観を、(お金)から、(心)と(知恵)に移す。心の豊かさ、知恵の豊かさをもって、「豊か」と判断する。
(5)「私は私」という生き方を貫く。
世間体、見栄、体裁は無視。冠婚葬祭を含めて、儀礼を廃する。
つまり自分と他人を比較しない。

 私はとくに(4)が大切だと思う。
心や知恵は、みがけばみがくほど、そうでない人が、そうでなく見えてくる。
他人に対して優越感をもつことは、好ましいことではないが、しかしそのうち、愚かな人たちを相手にしなくなる。
「私は私」という生きざまを貫きやすくなる。

 ……ともかくも、相対的貧困率が高いということは、けっして望ましいことではない。
社会がそれだけ不安定化することになる。
また国の豊かさというのは、いかに弱者にやさしいかで決まる。
弱者にきびしい国というのは、それだけ未熟な国ということになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

ジニ指数は以下のようにして、計算する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

**********以下、日本共産党のHPより***********

《ジニ係数の算出方法》

 ジニ係数の算出方法は、次の手順をふんで計算します。

 (1)対象となる集団に含まれるすべての数値間の差の絶対値を合計して、平均する(これを「平均差」という)。

 (2)全体の平均値を計算する。

 (3)平均差を全体の平均値の2倍で割る(2倍で割るのは、ジニ係数を0と1の間に収めるため)。この結果がジニ係数です。

 たとえば(245万円、362万円、826万円)のジニ係数は次のようになります。
 (1)(|245-362|+|245-826|+|362-245|+|362-826|+|826-245|+|826-362|)/6
=2324/6=387.3(平均差)

 (2)(245+362+826)/3=1433/3=477.7(平均値)

 (3)387.3/(2×477.7)=0.4054

 よって、ジニ係数は、0.4054
 
(注・| |は絶対値記号)

**********以上、日本共産党のHPより***********

●ジニ指数(係数)、0・5

 中国のジニ係数も、0・5を超えているのではないかと言われている。
先にも書いたように、0・5というのは、おおざっぱに言えば、高所得者の4分の1の世帯が、全所得の4分の3を占めることを意味する。
残りの4分の3の人たちは、残った4分の1の所得を分けあうことになる。

 たとえば10世帯の人が、1億円を稼いだとする。
ジニ係数0・5の社会では、2・5人が、7500万円を自分のものにする。
平均所得は、3000万円となる。
残りの2500万円を、7・5人の人が分け合う。
平均所得は、333万円となる。
3000万円と333万円。
その格差は、約10倍となる。

 つまりジニ係数が0・5を超えるほどになると、不公平感が増大し、社会そのものが、不安定化する。
今の日本もあぶないが、中国は、もっとあぶない。
つまりこのジニ係数には、ひとつの盲点がある。

●ジニ係数の盲点

 ウィキペディア百科事典は、こんな例をあげている。
そのまま紹介させてもらう。

『……例えば、ある高級住宅地に年収10億円の人が99人、年収1兆円の大富豪が1人いるとする。
そこでこの高級住宅地に住む100人を対象にジニ係数を計算すると約0.91となり、非常に格差が大きいが、年収10億円でもかなりの高収入であり、この状態が悪いとは一概に言えない』と。

 つまり日本でいう「0・5」と、中国でいう「0・5」には、本質的なちがいがある。
不平等は不平等だが、年収333万円でも、何とかそれなりの生活を維持することができる。
年収3000万円の人を、ときに「うらやましい」と思うことはあるが、「まあ、そんなものかな」と、たいていは黙って見過ごすことができる。

 しかし中国のような発展途上にある国では、そうでない。
1人当たりの国民所得が全体的に低い国では、不平等感は相乗的に大きくなる。
今日の食費もままならない家庭が大半を占める一方で、外国製の大型車を乗り回す家庭が、その隣にある。

 中国政府がもっとも恐れている部分は、実はここにある。
アキレス腱といってもよい。
不公平感が、いつその矛先を中国共産党に向けてくるか。
ハラハラドキドキ!
あの天安門事件にしても、その不公平感が引き金となったことは、よく知られている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
 
●伊勢海老とイカ

 最近、私はこう思う。
この正月に、伊勢海老なるものを食べた。
(それだけでもありがたいことだが……。)
が、おいしいかったかというと、そうは思わなかった。
量も少なかった。
ただ自分にこう言って聞かせて、食べた。
「これは超高級食材だぞ」と。

 ところが、である。
同時に出されたイカ刺身のほうが、ずっとおいしかった。
味に甘味もあった。
で、こう思った。
「蟹や海老より、イカのほうが、本当はおいしいのではないか」と。

 蟹や海老は、稀少食材。
イカは、今のところ、まだふんだんに取れる。
だから値段も安い。
安いから、「おいしくない」という先入観が働いてしまう。

 つまり「貧富の差も、これに似ている」と。

●心の満足度

 だからといって貧富の差を放置しておいてよいというのではない。
深刻な社会問題である。
しかし「豊かさ」というのは、もっと別の尺度で測定されるべきもの。
「心の満足度」となると、さらにそうである。

 伊勢海老を食べたから、リッチということにはならない。
イカを食べたから、プアということにもならない。
おいしいものは、おいしい。
そうでないものは、そうでない。
いくら高級食材であっても、そうでないものは、そうでない。

 1泊10万円の宿に泊まったからといって、それで満足感が得られるというものではない。
(これはたぶんに、私のひがみによるものだが……。)
1泊8000円の旅館でも、楽しみ方によっては、じゅうぶん、楽しめる。
要は、心の持ち方。
それで決まる。

●マグロ

 で、最初の話に戻る。

 1貫1万円の寿司があったとする。
食べられる人は、それを食べればよい。
が、食べられないからといって、どうということはない。
が、1口、1万円というのは、常識で考えても、狂っている。
マグロ1匹が、5000万円というのは、もっと狂っている。
たかが魚1匹が、5000万円だぞ!

 こんなバカげたことのために、世界経済があるなら、世界経済などクソ食らえ!
もてる者が、「さらに……」と欲張るから、こういうバカげたことが起きる。
が、もてる者が、「私はこれくらいでいいです」と遠慮すれば、こういうバカげたことは起きない。

 ……たいへん残念なことに、今、その貧富の差が、この日本で急拡大している。
恐ろしいほどの勢いで、急拡大している。
同時に、庶民のもつ不公平感も、限界に近づきつつある。
そのひとつが、マグロ。
庶民感覚からすれば、ボッタクリもいいところ。

 1匹5000万円と聞いて、腹立たしく思う人がふえている。
1貫1万円の寿司と聞いて、腹立たしく思う人がふえている。
私もその1人だが、それはけっしてそれを口にすることができない者のひがみではない。
またそうとらえてもらっては、困る。

 「狂っている」という意味で、腹立たしく思う。
一貫、1万円のマグロをパクパク、食べている人がいる。
回転寿司で、2貫、100円のマグロを食べている人もいる。
これが日本の、今の現実ということになる。
ブルームバーグのニュースを読んで、そんなことを考えた。

さて、あなたはどう思うだろうか。

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はやし浩司 2010-01-07記


Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2012++++++はやし浩司・林浩司

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