【三ケ日温泉・リステル浜名湖にて】
●山と海
窓を大きく開けた。
海からのさわやかな風。
やさしく部屋の中に入る。
目をやると、眼下は青い海。
深い緑の木々が、不規則に水平線を飾り、
その上に水色の空。
淡い雲。
波だけはきぜわしそうに、左から右へと、ざわざわと揺れている。
今日は三ケ日温泉・リステル浜名湖に一泊。
ここへは何度か来たことがある。
友人が宿泊したとき。
昼食をとりにきたとき。
今日は、「カニ食べ放題、バイキング」という宣伝につられてやってきた。
長男に「カニを食べに行くか?」と聞いたら、すなおに、「行く!」と。
長男はカニが大好物。
子どものころから、カニを見せると、目の色を変えた。
●部屋
リステル浜名湖は、古いホテルである。
25年以上になるのでは?
補修はしてあるが、あちこち老朽化していた(失礼!)。
塗装ははがれ、壁は汚れていた。
友人がこのホテルに泊まったのも、そのころだった。
会員制のホテルで、オーナーになれば、出資金に応じて、年単位で宿泊券が手に入る。
友人は、その宿泊券をもらったとかで、ここに泊まった。
で、部屋は細長いが、洋間半分、畳の間半分という、少し変わった間取りになっていた。
2人部屋にもなるし、畳の間にふとんを敷けば、3人部屋にもなる。
畳の間の向こうは、そのまま掃きだしの窓。
小さなベランダもある。
時刻は午後3時30分。
夕食は午後6時から。
風呂に入るのも、まだ早い。
ワイフは、部屋のあちこちを動き回っている。
長男は寝転んで、雑誌を読んでいる。
私は……こうしてパソコンを叩いている。
今日は、TOSHIBAのMXをもってきた。
8時間以上、バッテリーがもつというすぐれもの。
「本当かな?」と思いながら、バッテリーのメーターを開くと、「100%充電、
5時間31分」と表示された。
使うソフトによっても、もち時間はちがう。
しかし「?」。
バッテリーも、長く使っていると、性能が劣化する。
それは知っているが、このパソコンは、めったに外出先では使わない。
●星は3つの★★★
まだ料理を見ていないので、評価はできないが、今のところ、星は2つか3つ。
建物が古いので、マイナス1。
簡易ホテルといった感じだが、景色を考慮に入れるなら、プラス1。
これで食事がよければ、星は3つか4つ。
言うまでもなく、星は料金と照らし合わせて決まる。
今日は何と、一泊9000円弱(1名分)。
安い!
この料金で、あれこれ文句を言う人はいない。
建物が新しければ、とてもこの料金では泊まれない。
料理のカニがカスカスでも、文句は言えない。
……たった今、昆布茶を飲んだところ。
塩辛い味がした。
が、おかしなことに、とたんに睡魔が襲ってきた。
ふだんなら昼寝を少しするが、今日はしていない。
早めに温泉に入り、そのあと一休みする。
今、そう決めた。
●鰯雲(いわしぐも)
目の前が鏡台になっている。
大きな鏡である。
私の姿も含めて、部屋中がよく見渡せる。
で、その顔。
つまり私の顔。
私はめったに鏡を見ない。
年齢的には老いぼれた顔ということになるが、それほどジジ臭くない。
自分で、そう思った。
(たった今、温泉から戻る。)
リステル浜名湖は、温泉がよい。
広くはないが、清潔な湯船。
隣接する露天風呂。
目の前は、視線の高さで広い海が広がっている。
ホテルには悪いが、私と長男のほかに、入浴客は1人だけ。
のんびりと入浴。
露天風呂からは、こまかいウロコの鰯雲(いわしぐも)が、見えた。
もう、秋の雲?
そう思いながら目を閉じる。
今ごろの季節は、最高!
10月の中旬。
星をもう1つ追加。
星は4つの、★★★★。
あとは夕食で決まる!
●夫婦
ベランダからワイフがこう言った。
「ここは朝陽が見えるのね」と。
「舘山寺(温泉)からは、夕陽が見えたわ」とも。
それにしても私たちは、不思議な夫婦。
仲がよいのか、悪いのか、それがよくわからない。
そばにいなければ、さみしい。
そばにいれば、楽しい。
それでいて、よく言い争う。
口論するたびに、「離婚」を口にする。
しかしその翌日には、また同じふとんの中で寝る。
他人はそういう私たちを見て、「あなたがたは仲がいいですね」とよく言う。
が、そう言われた私は、「ヘエ~」と思ったまま、口を閉じてしまう。
私の中にも、そしてワイフの中にも、もう1人の「私」がいる。
それが交互に顔を出す。
夫婦というのは、そういうものか。
常にたがいに、何かに耐えている。
それが抑圧という形で、心の中に別室を作る。
別室の中に、不満や不平をためる。
ワイフはよくこう言う。
「もともと、他人なんだから」と。
つまりそうであっても、「仕方ない」と。
大切なことは、適当にそれを発散させること。
私たちのばあいは、それが夫婦喧嘩ということになる。
あるいはこういう旅行かな?
●空腹
それにしても、腹が減った。
こうして温泉に泊まるときは、朝食を簡単にし、昼飯を抜く。
そうでもしないと、あという間に、64キロに逆戻り。
だから今は、ペコペコ。
脳の視床下部が、血糖値をモニターしている。
血糖値がさがると、視床下部の命令を受けて、ドーパミンという
ホルモンを分泌する。
欲望と快楽を司るホルモンである。
それが食欲中枢を刺激する。
空腹感は、その結果、起こる。
このとき胃袋が、収縮するという説もある。
腹がグーグーと鳴るのは、そのため。
(このあたりの話は専門外なので、いいかげん。
それにこの分野は、毎年のように説が変わる。)
●欲望
空腹感に限らず、つまり食欲にかぎらず、もろもろの欲望は一元的に管理されている。
脳みそというのは、一見複雑だが、反応は単純。
たとえば「八つ当たり」。
ひとつのことで不愉快になると、別のことでも不愉快になる。
もちろん強弱は、ある。
そのひとつが、条件反射。
線条体に受容体が作られると、わずかな刺激でも、猛烈な欲望となってそれがその人を
刺激する。
これについては、以前、詳しく書いたので、復習の意味もこめて、あとで原稿を
添付しておく。
条件反射が起こると、欲望をコントロールするのが、とたんにむずかしくなる。
アルコール依存症やニコチン依存症の人を、例にあげるまでもない。
しかしそうでない欲望は、かなりのレベルまでコントロールできる。
たとえば食欲。
腹は減っているが、がまんしようと思えば、できる。
それに空腹感というのは、いいかげんなもの。
いくらでもごまかしがきく。
(たった今、コーラを少し口にしてみた。
これで少し血糖値があがるはず。)
総じてみれば、人間は欲望のかたまり。
生きていること自体が、「欲望」そのもの。
欲望を否定したのでは、生きていかれない。
欲望を「悪」と決めつけてはいけない。
大切なことは、欲望という暴れ馬と、どう向き合っていくかということ。
●ヤブ
再び睡魔。
今、時刻は午後5時。
夕食まで、あと1時間。
ア~ア!
話題を変えよう。
数日前、RMという整形外科医院へ行ってきた。
破傷風の2回目の予防接種を受けてきた。
そこでのこと。
私が「最近、体がよくこわばります」と言ったら、そのままレントゲン室に回された。
看護婦のウムを言わせない態度。
事務的な説明。
言われるままにしていたら、5枚も、頭頚部のレントゲン写真を撮られた。
ヤブ医者め!
私という患者の話をろくに聞いていない。
私は「こわばる」と言っただけ。
あとで、「どうしてレントゲンですか?」と聞いたら、「骨の変形を調べました」と。
バカめ!
そんなもの、あるはずがない。
変形しているかどうかは、触診しただけでもわかるはず。
そしてレントゲン写真を見ながら、「石灰が付着し始めています……年齢相応ですな」と。
で、そのあと、「頭痛はありませんか?」ときた。
「偏頭痛ならときどき、あります」と私が答えると、我が意を得たりというような顔。
「頚から起きることがあります」と。
再び、バカめ!
偏頭痛が頚から起きるなどという話は、聞いたことがない。
頚椎のゆがみが、交感神経、副交感神経を圧迫して、もろもろの症状を引き起こす。
そういうことはよくある。
が、それと偏頭痛は、別。
偏頭痛は血管が拡張し、そのとき周囲の神経を圧迫して起こる。
今どき、そんなことは素人の私でも知っている。
で、こう思った。
「この医者は、勉強不足」と。
前回、年齢を聞くと、67歳と言った。
無駄な検査を重ねて、金を稼ぐ。
あのね、レントゲンで使うX線が、がんを引き起こしたら、どうするの?
看護婦にそれを言うと、看護婦は、こう言った。
「量が少ないから、問題はありません」と。
バカ、バカ、バカめ!
放射線の危険性は量では決まらない。
多量に放射されてもがんにならない人はいる。
が、少量でも、がんになる人はがんになる。
要するに、「運」の問題。
宝くじと同じ。
そんな基本的な常識も知らないで、何が安全だ!
バカヤロー!
……ということで、あの整形外科医院とは、縁を切った。
二度と行かない。
●勉強
「勉強」という言葉が出たので、その勉強について。
こんなしがない私でも、毎日、勉強している。
が、この年齢になると、学んで頭に入る量よりも、脳みその底から外へこぼれ出ていく
量のほうが多くなる。
だから若い人たちより、何倍も努力して、勉強しなければならない。
現状を維持するだけでも、精一杯。
現状を維持できるだけでも、御の字。
が、これもある年齢になると、その努力をしなくなる。
「私は完成された人間」と思い込む人も、少なくない。
が、そういう人にかぎって、がんこ。
融通がきかない。
はっきり言って、バカ。
が、ここからがこわいところ。
脳のCPU(中央演算装置)が鈍ってくるから、バカになりながら、それを自分で
気がつくということがない。
客観的にそれを知る方法も、ない。
さらにこわいことに、バカな人は、賢い人が理解できない。
(反対に賢い人からは、バカな人がよくわかる。)
理解できないから、自分を基準にして、相手を判断する。
先日も、私にこう言った女性(65歳)がいた。
「あの人は、親の三回忌にも顔を出さなかった。人間のクズよ」と。
本当のクズはどちらか?
三回忌に出る、出ないで、クズかどうかは決まらない。
だいたい「クズ」とは何か?
一刀両断に、バサリと相手を切り倒す。
その傲慢さ。
それぞれの家庭には、それぞれの事情がある。
親子といっても、その関係は一様ではない。
それすらも、わからなくなる。
●海人間
リステル浜名湖は、浜名湖のすぐ横に接している。
私が山育ちなら、ワイフは、海育ち。
子どものころは、休みごとに、浜名湖畔にある母の実家で過ごしたという。
そのこともあって、このリステル浜名湖が、たいへん気に入ったよう。
さきほどまでベランダに座り、濃紺色になった海を、静かに見ていた。
「I村みたいだね」と私が言うと、うれしそうにほほえみ返した。
I村というのは、ワイフの母の実家のある村である。
来月、その村の小学校へ、講師として招かれている。
これも何かの縁かもしれない。
一方、私は山育ち。
先週、湯谷温泉の泉山閣ホテルという、ホテルというよりは、老舗の旅館に泊まった。
目の前に川が流れていた。
対岸は深い森に包まれていた。
私はそこでたまらないほどの、懐かしさを覚えた。
が、今度は、ワイフがそれを覚えている。
私には、それがよくわかった。
(これから食事に行く……。)
●バイキング
料理はよかった。
種類は少なかったが、カニが食べ放題。
うなぎも食べ放題。
中国人の旅行者たちも席に並んだ。
その中国人たちは、みな、肉料理を山盛りにして食べていた。
「肉」に対して、特別の思いがあるらしい。
一方、私は、カニ。
「食べたら損(そこ)ねる」と念じながら食べた。
が、結局は、腹いっぱい食べてしまった。
またまた明日から、ダイエット。
どうしてこうまで私は愚かなのだろう。
で、食事をしながら、こんな話を思い出した。
●カニ
私が中学1年生のときのことだった。
何人かの友だちと、岐阜市まで遊びに行った。
みなで、レストランに入った。
そこでのこと。
みなの前に、おしぼりが並べられた。
フワフワしたタオルだった。
が、S君がそれを何かの食べ物と誤解した。
そばにあったソースをそれにかけた。
箸で、それを口に運んだ。
私たちはそれを見て、笑った。
が、メニューなるものを見て、驚いた。
小遣いで買えるようなものは、なかった。
そこで私はコカコーラを頼んだ。
そのとき生まれてはじめて、コカコーラなるものを口にした。
が、そのまずいことと言ったら、なかった。
みなで回し飲みをした。
みなも、「まずい」とか、「ゲーッ」とか、言った。
で、Y君は、「ライス」だけを注文した。
白いライスだけ。
そのライスにソースをかけて、食べた。
今の若い人たちには、想像もつかないような話かもしれない。
しかし当時は、まだそういう時代だった。
年代的には、1959~60年ごろ。
古き良き時代というか、みなが、今よりずっとおおらかな気持ちで生きていた。
ライスだけを注文しても、店の人は何も言わなかった。
ライスだけを食べさせてくれた。
その私が今、腹いっぱい、カニを食べている。
カニだ。
カニだぞ。
子どものころ、カニなど、めったに食べられなかった。
●小沢一郎氏
部屋に帰ると、ちょうど7時だった。
テレビにスイッチを入れると、NHKのニュースが始まっていた。
小沢一郎氏が、検察審議会の決議について、逆告訴した。
「事実誤認がある」と。
だったら、どうしてそれを裁判の席で争わないのか。
……というか、どうしてどこまで往生際が悪いのか。
しかし小沢一郎氏には、小沢一郎氏独特の、一貫性がある。
民主党の幹事長に就任すると同時に、中国へ、350人近い国会議員を中心に、
総勢500人も600人ともいわれる、大名行列をしてみせた。
(今どき、こういうバカなことをする政治家がいること自体、信じられない。
それにノコノコとついていく子分がいることも、信じられない。)
そのときのこと。
K中国首相と並んで、1人ずつ記念撮影までさせたという。
もちろん小沢一郎氏自身も、である。
たいへんな撮影会であったにちがいない。
国会議員1人あたり5~10秒ですんだとしても、20~30分はかかる。
その間、K中国首相は立ったまま。
カメラに向かって、握手の連続。
つまりそういう破廉恥なことを平気でできる。
国辱行為そのもの。
それが小沢一郎氏。
権力に溺れた権力者というのは、そこまでやる。
そういう意味で、小沢一郎氏には、一貫性がある。
●中国人
最近はどこのホテルへ行っても、中国からの観光客がいる。
このリステル浜名湖にも、来ていた。
観光バスに乗って、あちこちを回っているらしい。
エレベーターの中で「チョンゴレンマ(中国人か)?」と声をかけたが、
私の中国語は通じなかった。
英語でその人は、「チャイナ」と言った。
たぶん、北京から来た人ではなく、広東語(マンダリン)を話す人だった。
……と思いながら、自分をなぐさめた。
その中国人。
夜、風呂に入るという習慣がない。
だからいくら中国からの観光客がいても、夕食前後の温泉は、がらがら。
その分、朝に入るかというと、それもない。
彼らはシャワーですます。
が、中には温泉まで入ってくる中国人がいる。
先日は、ワイフの話だが、浴衣(ゆかた)を着たまま、温泉へ入ってきた女性客も
いたそうだ。
きっとあちこちで、珍道中を繰り返しているにちがいない。
●さて就寝
ワイフが2度目の入浴から戻ってきた。
入浴客は、1~3人程度だった、と。
時刻は午後8時過ぎ。
静かな夜だ。
私は今、みやげもの屋で買ってきた菓子をほうばっている。
ワイフは、和室のほうで雑誌を読んでいる。
長男はすでにベッドの上で、横になっている。
そろそろ寝る時刻。
今日もあっという間に終わった。
何かをしたわけでもない。
何もしなかったわけでもない。
こうして1日、1日と終わっていく。
では、みなさん、おやすみなさい。
2010年10月15日、夜。
●翌朝
翌朝は、午前5時ごろ目を覚ました。
朝風呂は、5時半から。
しばらく、こうして原稿を書く。
先ほど窓の外を見たが、ほんの少しだけ空が白くなっていた。
「家に帰ってから寝なおそう」と思った。
やがてワイフが起き、長男が起きた。
私はそのつど、「起こしてごめんな」と声をかけた。
つまりこうして私の10月16日は、始まった。
今日は、ネットで注文しておいた、プロッターが届くはず。
それを使って、看板を作る。
教材を作る。
来週は、幼児に面積の概念を教えてみよう。
おもしろそう。
プラス、楽しみ。
乞う、ご期待!
Hiroshi Hayashi+++++++OCT. 2010++++++はやし浩司・林浩司
●映画「十三人の刺客」&日本の「権威主義」
+++++++++++++++++
先日、映画「十三人の刺客」を観てきた。
星は2つか3つの、★★。
部分的には迫力のある映画だったが、
バラバラ。
連続性がなかった。
日本映画独特の、あの「力み」は少なかったが、
その代わり、格好のつけ過ぎ。
全体として武士道なるものを、映画の背景に
まぶしたかったのだろう。
しかし欧米人には、武士道は理解できない。
同じアジア人にも理解できない。
もとから理解できるようなものでもない。
筋の通った、哲学があるわけではない。
こんな話を、昔、聞いた。
朝鮮半島が日本の植民地だったころのこと。
朝鮮の人たちはよく日本の兵隊にこう聞いたそうだ。
「武士道って何か?」と。
すると決まって日本の兵隊は、こう言って相手を、
怒鳴りつけたという。
「貴様らに、日本の武士道がわかってたまるかア!」と。
が、今日は、ここで武士道について書くつもりはない。
改めて、「十三人の刺客」の映画案内を読んで、驚いた。
そこにはこうあった。
「・・・ベネチア映画祭、コンペティション部、出品作品」と。
その両横を、黄金色のオリーブの葉で飾っていた。
+++++++++++++++++++
●権威主義
「してやられた!」と、私は思った。
よく読んでほしい。
「出品作品」。
つまり出品しただけ。
賞は取っていない。
出品するだけなら、だれにだってできる。
私にもできる。
あなたにもできる。
(あの作品では、賞は無理。)
しかしたしかテレビのモーニングショーでは、どこかの会場で俳優たちが
祭り騒ぎをしていた。
舞台の上で、あたかも賞を取ったように、俳優たちは喜びあっていた(?)。
それで「観る価値がある」と、私は思ってしまった。
が、それでも私は懐疑的でなかったわけではない。
あの映画祭では、私たちの日常的な常識を大きく離れた作品が賞を取る。
ビートT氏の作品が、その一例。
あの映画祭での賞は、あまりアテにならない。
が、まさか・・・?
こういうのを権威主義という。
もしその映画祭でどんな賞でも賞を取っていたら、配給会社(映画会社)は、
大げさな宣伝をしただろう。
何かの賞、つまり肩書きをぶらさげて、相手を煙に巻く。
それを権威主義という。
●教育の世界でも・・・
日本人独特の、お上への隷属意識。
それが転じて、権威主義に発展した。
遠い昔の話ではない。
たった30年前のこと。
私はある出版社で教材の原案を描く仕事をしていた。
そのときのこと。
問題集はもちろんのこと、参考書、育児書、さらには専門書など
にしても、つぎのような手順を踏んで出版されていた。
(1) 出版社が企画を立てる。
(2) その下でうごめく私のようなライター、あるいはプロダクション
に、そのほとんどを制作させる。
(3) 出版社とライター、もしくはプロダクションの間で、やり取りを
かわす。
(4) その段階で、肩書きのある有名人をさがす。
(5) その有名人に、監修者となってもらったり、著者となってもらったり
する。
この世界には、自分の肩書きや地位を切り売りしても、みじんも
はじない博士や教授は、ゴマンといる。
欧米では、そうした行為は、「地位利用」ときびしく禁じられている。
が、この日本では、本の表紙に、肩書きを堂々と載せるのが慣わしになって
いた。
(最近は、そういった手法は少なくなり、出版社名だけで出版されることが
多くなったが・・・。)
●水戸黄門の世界
しかし出版社を責めても意味はない。
日本人全体の意識が、それを下から支えていた。
同じような問題集が2冊並んでいたとする。
そういうとき親は、「飾り」の立派なほうの本を選ぶ。
「~~大学~~教授監修」とあれば、そちらのほうを選ぶ。
「BW教室、はやし浩司」の名前では、本は売れない。
しかし実際には、教授ともあろうお方が、子どもが使うワークブックなど
監修することなど、ありえない。
そんなヒマはない。
私が関係した問題集やワークブックにしても、たいてい電話一本で、
話がついた。
出版社「今度、幼児向けのおけいこブック、ひらがな編を出します。
また先生には、監修をお願いしたいのですが・・・」
どこかの教授「いいですよ」
出版社「ありがとうございます」と。
つまりこれは日本人全体の(意識)の問題。
出版社にしても、またそれを買う親たちにしても、「権威」を意識した。
そこはまさに「水戸黄門」の世界。
三つ葉葵の紋章を見せ、「控えおろう」と一喝すると、みな、頭をさげた。
今の今でも、テレビの「水戸黄門」は、人気番組。
視聴率も20%前後もあるという。
●権威の象徴
武士の世界は、まさにその「権威」で成り立っている。
権威をのぞいたら、何も残らない。
江戸時代は、徳川家がその権威の象徴。
徳川家を否定したら、武士の世界のみならず、江戸時代という時代
そのものが崩壊してしまう。
現在の天皇と官僚制度に、その名残を見る。
なぜ官僚が官僚なのかと言えば、そこに最高権威である「天皇」をいだく
からにほかならない。
日本は今でこそ、民主主義国家を標ぼうしているが、明治、大正、昭和と、
天皇を最高権威者に置くことで、自分たちの地位、立場を正当化した。
ついで政権の大義名分を正当化した。
その結果が、あの戦争である。
●侍
「武士だって、ただの人間だ」と言うのは、簡単。
『十三人の侍』の中にも、「お前ら武士は、いつも威張りくさっている」
というようなセリフが出てくる(記憶)。
その通り。
なぜ威張るか、また威張ることができるか。
それを支えるのが、「権威」ということになる。
その権威を否定する。
いくら江戸末期の日本とはいえ、侍であるなら、それは不可能であった。
将軍の弟(映画の中)を暗殺するなどということは、自己否定そのもの。
一方で侍の権威を笠に着ながら、他方で権威を否定する。
もし否定するなら、侍であることをやめてから……、ということになる。
●由比正雪
以前、由比正雪について書いた原稿がある(中日新聞掲載済み)。
その原稿をさがしてみる。
少し話題がそれるが、許してほしい。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
++++++++++++++++++
前にも取りあげたが、あの信長ですら、
この日本では、英雄(?)になっている。
それについて書いたのが、つぎの原稿。
(中日新聞発表済み)
++++++++++++++++++
●「偉い」を廃語にしよう
●子どもには「尊敬される人になれ」と教えよう
日本語で「偉い人」と言うようなとき、英語では、「尊敬される人」と言う。よく似たよ
うな言葉だが、この二つの言葉の間には。越えがたいほど大きな谷間がある。日本で「偉
い人」と言うときは。地位や肩書きのある人をいう。そうでない人は、あまり偉い人と
は言わない。一方英語では、地位や肩書きというのは、ほとんど問題にしない。
そこである日私は中学生たちに聞いてみた。「信長や秀吉は偉い人か」と。すると皆が、
こう言った。「信長は偉い人だが、秀吉はイメージが悪い」と。で、さらに「どうして?」
と聞くと、「信長は天下を統一したから」と。中学校で使う教科書にもこうある。「信長は
古い体制や社会を打ちこわし、…関所を廃止して、楽市、楽座を出して、自由な商業がで
きるようにしました」(帝国書院版)と。これだけ読むと、信長があたかも自由社会の創始
者であったかのような錯覚すら覚える。しかし……?
実際のところそれから始まる江戸時代は、世界の歴史の中でも類を見ないほどの暗黒か
つ恐怖政治の時代であった。一部の権力者に富と権力が集中する一方、一般庶民(とく
に農民)は極貧の生活を強いられた。
もちろん反対勢力は容赦なく弾圧された。由比正雪らが起こしたとされる「慶安の変」
でも、事件の所在があいまいなまま、その刑は縁者すべてに及んだ。坂本ひさ江氏は、
「(そのため)安部川近くの小川は血で染まり、ききょう川と呼ばれた」(中日新聞コラ
ム)と書いている。家康にしても、その後三〇〇年をかけて徹底的に美化される一方、
彼に都合の悪い事実は、これまた徹底的に消された。私たちがもっている「家康像」は、
あくまでもその結果でしかない。
……と書くと、「封建時代は昔の話だ」と言う人がいる。しかし本当にそうか? そこで
あなた自身に問いかけてみてほしい。あなたはどういう人を偉い人と思っているか、と。
もしあなたが地位や肩書きのある人を偉い人と思っているなら、あなたは封建時代の亡霊
を、いまだに心のどこかで引きずっていることになる。
そこで提言。「偉い」という語を、廃語にしよう。この言葉が残っている限り、偉い人を
めざす出世主義がはびこり、それを支える庶民の隷属意識は消えない。民間でならまだ
しも、政治にそれが利用されると、とんでもないことになる。「私、日本で一番偉い人」
と言った首相すらいた。そういう意識がある間は、日本の民主主義は完成しない。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
ついでに、「水戸黄門」について
書いた原稿を添付します。
(中日新聞発表済み)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●水戸黄門
テレビドラマに「水戸黄門」というのがある。葵三つ葉の紋章を見せて、側近のものが、「控え おろう!」と一喝するシーンは、あまりにも有名である。今でも、視聴率が20~25%もあるというから、驚きである。
で、あの水戸黄門というのは、水戸藩二代藩主の徳川光圀(みつくに)と、家来の中山市正と井上玄洞をモデルとした漫遊記と言われている。隠居した光圀は、水戸の郊外、西山村に移り住み、百姓光右衛門と名乗り、そのとき、先の二人を連れて、関東を漫遊したという。それが芝居、映画、テレビドラマになり、「水戸黄門」が生まれた。(芝居の中では、二人の家来は、佐々木助三郎(通称「助さん」)と、渥美格之進(通称「格さん」)になっている。)
徳川光圀は実在した人物だが、ただ光圀自身は、関東地域からは一歩も出ていない。それはさておき、水戸黄門は、全国各地を漫遊しながら、悪代官をこらしめたり、仇討ちの助けをしたりして、大活躍をする。日本人にはたいへん痛快な物語だが、ではなぜ「痛快」と思うかというところに、大きな問題が隠されている。
以前、オーストラリアの友人が私にこう聞いた。「ヒロシ、もし水戸黄門が悪いことをしたら、日本人はどうするのか」と。そこで私が「水戸黄門は悪いことはしないよ」と言うと、「それはおかしい」と。
考えてみれば、水戸黄門がたまたま善人だったからよいようなものの、もし悪人だったら、その権威と権力を使って、したい放題のことができる。だれか文句を言う人がいたら、それこそ「控えおろう!」と一喝すればすんでしまう。民衆の私たちは、水戸黄門の善行のみをみて、それをたたえるが、権威や権力というのは、ひとつ使われ方がまちがうと、とんでもないことになる。
だいたいにおいて水戸黄門は封建時代の柱である、身分制度という制度をフルに利用している。身分制度を巨悪とするなら、代官の悪行など、かわいいものだ。善行も何も、ない。「頂点にたつ権力者は悪いことをしない」という錯覚は、恐らく日本人だけがもつ幻想ではないのか。
長くつづいた封建制度の中で、日本人は骨のズイまで魂を抜かれてしまった。もっと言えば、あの番組を痛快と思う人は、無意識のうちにも、封建時代を是認し、身分制度を是認し、さらに権威主義を是認していることになるのでは……? あるいは権威や権力に、あこがれをいだいている……?
教育の世界には、まだ権威や権力がはびこっている。こうした権威や権力は、その世界に住んでいる人には居心地のよいものらしいが、その外で、いかに多くの民衆が犠牲になっていることか。
むずかしいことはさておき、あのドラマを見るとき、一度でよいから、水戸黄門の目線ではなく、その前で頭を地面にこすりつける庶民の目線で、あのドラマを見てほしい。あなたもあのドラマを見る目が変わるはずである。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●悪役
『十三人の侍』は、民主主義のために闘ったのでもなければ、封建主義に
反対して闘ったのでもない。
狂った暴君を暗殺するために、闘った。
あえて言うなら、この部分が映画の前提として、弱い。
暴君ぶりを示すシーンはいくつかあったが、暴君独特のあの異常性を演ずるには
やや役不足。
演技力不足。
あれほどまでの暴君なら、たとえば『羊たちの沈黙』に出てくるような悪人に仕立てる。
そこまでしないと、観客は、映画の中に感情移入することができない。
その前で、立ち止まってしまう。
その点、あの『七人の侍』は、わかりやすかった。
目の前で虐げられる農民たちを見、7人の侍が立ち上がった。
殺した相手も、悪党ばかり。
が、『十三人の侍』はちがう。
殺した相手は、言うなればサラリーマン侍。
みながみな、悪人というわけではない。
で、あとは意味のない、殺戮映画。
●出品作品?
きびしい映画批評を書いてしまった。
しかし「ベネチア・コンベンション・出品作品」とは何か?
国内の選考委員会か何かがあって、そこを通過しているのだろうか。
あるいはただの飾り。
ハク付け?
つまり私はこの飾りの中に、日本人独特のあの権威主義を見た。
よい映画だったら、賞はあとからついてくる。
観客も、そのあとからついてくる。
まず賞ありき。
そのための「出品作品」?
とても残念だが、映画としては、星2つ。
さらに一言。
13人の侍(実際には12人の侍)が、命を捨てて、暴君(将軍の
弟)の暗殺を企てる。
しかしそれは同時に、死を覚悟した暗殺劇を意味する。
江戸末期には、ここにも書いたように、武士もサラリーマン化していた。
そういう世の中で、命をかけてまで・・・という侍は、本当にいたのか?
その背景に、よほどの恨みでもないかぎり、そういった行動には出ない。
哲学でもよい。
とくに政治哲学。
封建主義という諸悪の根源と闘うというのなら、まだよい。
将軍の弟ではなく、将軍そのものを暗殺する。
が、それこそ革命。
●権威主義
要するに、自分の主君から、「あいつ(=将軍の弟)は悪人だから、
暗殺せよ」という命令を受けて、その暗殺劇を実行しただけ。
「切って、切って、切りまくった」だけ。
そのシーンが映画としても、長すぎる。
もし私が脚本家なら、もう一本、その間に複線を入れる。
暴君を替え玉にする。
埋蔵金をからませる。
家来の裏切りを挿入する。
あだ討ち劇を並行して進める、などなど。
ストーリーとしては、単純。
ハラハラ、ドキドキするシーンは、なかった。
またまたきびしい批評を書いてしまった。
「もう二度と、この手の宣伝にはだまされないぞ」という思いで、
書いてしまった。
私はあの権威主義というのが、大嫌い。
侍というだけで、みなが頭をさげる。
そんな時代は、2度とごめん。
(補記)
●日本人のオメデタサ
岐阜県の岐阜市へ行くと、『信長祭り』というのがある。
石川県の金沢市へ行くと、『百万石祭り』というのがある。
これは、藩祖前田利家公が天正11年(1583年)金沢城に入城したのを祝った祭りである。
もっとも祭りは祭り。
それほど重い意味はない。
中身は観光。
町おこし。
が、私たちの先祖は、その95%以上が、武士とやらに虐げられた農民であったことを
忘れてはいけない。
血筋をたどっていけば、1人や2人、武家出身の人はいるかもしれないが、基本的には
「混血」はありえなかった。
その子孫である私たちが、どうして「信長祭り」をし、「百万石祭り」をするのか。
オーストラリアで、「提督祭り(イギリス総督府の提督)」など企画しようものなら、
それだけで袋叩きにあうだろう。
韓国で、「植民地祭り」を企画しても、同じ。
が、悲しいかな日本人は一度とて、あの封建時代を清算していない。
明治維新にしても、英語では「王政復古」と翻訳されている。
その結果が今。
過去の暴君を美化し、それを祭りにまで仕上げている。
まずもって私たち日本人は、そのおかしさに、自ら気がつくべきではないのか。
あるいは福沢諭吉らが合流した「明六社」の精神に、一度は、心を通してみるべきでは
ないのか。
ウィキペディア百科事典から、そのまま拾ってみる。
++++++++++以下、ウィキペディア百科事典より+++++++++++
1873年(明治6年)7月にアメリカから帰国した森有礼が、福澤諭吉・加藤弘之・
中村正直・西周(にしあまね)・西村茂樹・津田真道・箕作秋坪・杉亨二・箕作麟祥らとともに同年秋に啓蒙活動を目的として結成。名称の由来は明治六年結成からきている。会合は毎月1日と16日に開かれた。会員には旧幕府官僚で、開成所の関係者と慶應義塾門下生の「官民調和」で構成された。また、学識者のみでなく旧大名、浄土真宗本願寺派や
日本銀行、新聞社、勝海舟ら旧士族が入り乱れる日本の錚々たるメンバーが参加した。
1874年(明治7年)3月から機関誌『明六雑誌』(岩波文庫全3巻)を発行、開化期の啓蒙に指導的役割を果たしたが、1875年(明治8年)、政府の讒謗律・新聞紙条例が施行されたことで機関誌の発行は43号で中絶・廃刊に追い込まれ事実上解散となった。その後、明六社は明六会となり、福澤諭吉を初代会長とする東京学士会院、帝国学士院を経て、
日本学士院へと至る流れの先駆をなした。
++++++++++以上、ウィキペディア百科事典より+++++++++++
明六社にかぎらず、こうした(動き)は、つぎつぎと弾圧、閉鎖されていった。
その結果が、「今」ということになる。
日本人の意識はそのまま。
今でも、「尊敬する人物は織田信長」(小沢一郎氏)と公言してはばからない政治家が、
後を絶たない。
それもそのため。
私たちは一度、あの封建時代を、清算しなければならない。
もちろん歴史は歴史だから、評価すべき点があれば、評価する。
しかしけっして、美化してはいけない。
礼賛してはいけない。
方法は簡単。
おかしいものは、おかしいと、みなが、声をあげればよい。
みなが声をあげれば、そこで歴史が変わる。
Hiroshi Hayashi+++++++OCT. 2010++++++はやし浩司・林浩司
2010年10月16日土曜日
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