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子育て最前線の育児論byはやし浩司 10月 13日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●心が温かい子どもvs冷たい子ども
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その子どもの心が温かいか冷たいかは、
ほかの子どもたちと比較してみてわかる。
それもしばらくつきあってみて、わかる。
温かい子どもは、温かい。
冷たい子どもは、冷たい。
ぞっとするほど、冷たい。
++++++++++++++++++
●心の温かさ
親のゆったりとした愛情に包まれ、穏やかな環境で育てられた子どもは、
心が温かくなる。
他人にやさしく、話していてもほっとするような親しみを覚える。
相手が3、4歳の幼児でも、それがわかる。
一方、そうでない子どもは、そうでない。
中には、ぞっとするほど、心の冷たい子どもがいる。
功利的で打算的。
自分勝手でわがまま。
心に余裕がなく、いつもピリピリしている。
「心」そのものが破壊されている。
ただ心の温かい子どもとちがって、幼児期にはそれはわからない。
「?」と思うことはあっても、確信はもてない。
が、小学校の3、4年生ごろになると、それがかなりはっきりしてくる。
で、原因は親にある。
そう断言してよい。
親自身も、冷たい。
その冷たさが、子どもにそっくりそのまま伝わっている。
だからこの問題だけは、親に話しても、無駄。
親自身が、それで「ふつう」と思っている。
またそれで「よし」としてしまっている。
●自覚?
受験期に子どもの心は大きく変化する。
それはよく知られた現象で、これは私の憶測でも何でもない。
が、その現象が、最近では小学校の高学年でも見られるようになった(静岡県地域)。
中高一貫校の入試が定着すると同時に、それが顕著に見られるようになった。
それ以前(2000年以前)には、めったに見られなかった。
つまり受験競争の低年齢化とともに、変化の時期も早まった。
早い子どもで、小学3~4年生。
どこかの進学塾の夏休みの特訓教室に通っただけで、そうなる子どももいる。
目つきそのものが鋭くなる。
そうした変化をとらえて、親は、「やっと自覚ができました」と喜ぶ。
しかし……?
●食い散らし
これから思春期、あるいは思春期の入り口にも入っていない子どもが、こうした
変化を見せることは、悲劇的ですらある。
人間性の完成期というよりは、その方向性が、そこで決まってしまう。
仮にここでX君を考えてみる。
小学4年生。
架空の小学生である。
親からかなりきびしい勉強を強いられている。
そのため勉強は、好きではない。
「いやいや」というほどではないが、「何となく……」という程度には勉強している。
この時期の子どもは、まだ親に従順で、自分でその方向性を決定することができない。
つまり反抗するだけの「力」が、まだ育っていない。
だから進学塾にしても、親が決めたところへ通う。
現在、かけもちで3つの進学塾と学習塾に通っている。
日によっては、それが重なることもある。
が、こうなると(食い散らし症状)が現われてくる。
高額な月謝を払いながら、ものを食い散らすように、いいかげんな学習態度になる。
●バリバリの受験生
こうしたX君の親には、独特の教育観がある。
「うちの子は、やればできすはず」という価値観である。
あるいは「やらせれば、できるはず」でもよい。
そのため子どもの意思は無視。
人格も無視。
親が先導して、子どもの日常的な行動を決めてしまう。
先にも書いたように、この手法は小学3~4年生くらいまでなら、まだ通用する。
しかし中学生には通用しない。
もしそれが通用するというのであれば、子どもの発育程度に、かなりの問題があると
みてよい。
ふつうの子どもなら、(「ふつう」という言葉は、慎重に使いたいが……)、それに
抵抗する。
親子の関係は断絶し、子どもは非行に……というケースも少なくない。
が、それでも何とか親の期待通りの子どもに育っていくケースもある。
つまりこうしてバリバリの受験生が育っていく。
●韓国の異常性
頭の中は点数だらけ。
勉強のことしか、頭にない。
やることは、勉強だけ。
できることは、勉強だけ。
点数で他人を判断し、点数で自分を判断する。
何かにつけて、(数字)が優先する。
こうした異常性は、その中に住んでいる人にはわからない。
たとえば隣の韓国。
国自体が、受験国家。
毎日の新聞(朝鮮N報、東亜N報)をみても、「順位」が並ばない日はない。
たまたま今朝(9月18日)も、朝鮮N報のトップ記事は、「先進化31位」。
『……まず、ソウル大学国際大学院の文輝昌(ムン・ヒチャン)教授が、「2010国家先進化
指数の研究結果」について発表した。これは、経済開発機構(OECD)加盟30カ国を含む
世界の主要40カ国・地域を対象に国家先進化指数を調べたもので、韓国は総合31位と中
下位圏にとどまった。アジアでは中国(39位)を上回ったが、香港(18位)や日本(21
位)、シンガポール(22位)、台湾(39位)に比べ低かった。韓国は2008年の同調査で30
位、09年には29位だった』(記事より一部、転載)と。
つい先日は、『現代車が、アメリカでの評価順位で、ホンダを抜いた』とか何とか。
順位が気になって仕方ないらしい。
「国」といっても、「民」が作る。
現在のエリートたちは、これまたはげしい受験競争をくぐり抜けてきた世代。
そうした結果が、こうした(異常性)となって、現われている。
(もちろん韓国のエリートたちは、自分が異常とは、思っていないだろうが……。)
●脳のCPU
「心」というのは、一度壊れると、修復がたいへんむずかしい。
一生、不可能とさえ、断言してもよい。
温かい人が何かのきっかけで冷たくなるということは、ある。
しかし冷たい人が、そのあと、温かくなるということは、まず、ない。
そのことは、ほんの少しだけ、あなたの周辺の人たちを観察してみればわかるはず。
つまりあなたの周囲にもいろいろな人がいる。
が、概して、受験競争とは無縁だった人ほど、心が温かい。
人間的な温もりを残している。
が、はげしい受験競争を通り抜けた人ほど、心が冷たい。
ただしこの問題だけは、脳のCPU(中央演算装置)がからんでいるため、
本人がそれに気づくことは、まずない。
価値観、人間観、プラス心そものが、ずれている。
世渡りがうまく、要領もよい。
ずる賢く、ささいな理由を見つけては、自分を正当化する。
むしろ「私は義理堅い、人情味あふれる人間」と思っているケースが多い。
●孤独
心が冷たい人間に与えられる「罰」は、「孤独」という罰である。
この孤独感が、いつもついて回る。
つまり(心の冷たさ)と(孤独)は、紙の表と裏ということになる。
……とまで断言するのは危険なことだが、(というのも「孤独論」は、それ
自体、別の次元のテーマであるので)、心の冷たい人は、いつも孤独と葛藤する。
心の隙間を埋めることができない。
名声とか、地位とか、経済力にだまされてはいけない。
人が周囲にたくさん集まっていたとしても、それがその人の人格によるものとは
かぎらない。
むしろ社会で「成功者」と呼ばれている人ほど、心は冷たい。
また冷たくないと、この世界では成功者になりにくい。
「なぜ、私は孤独なのか?」と悩んでいる人は、一度、自分の心の中をのぞいて
みるとよい。
原因は、あなた自身の、あなた自身が気がつかない心の奥深くにある。
あなたを知る人は、あなたの冷たさを知り、そして去っていく。
●子どもたちへ(親たちへ)
子どもを受験競争に追い立てるとしても、心までつぶしてしまってはいけない。
そんなことをすれば、一抹の「成功」(?)を手に入れることはできるかもしれないが、
それ以上にたいせつなものを、失う。
先にあげたX君。
どこの学校の、どのクラスにも、2~3人はいる。
実際には学年を追うごとに、もっと多くなる。
皮肉なことに、有名進学校と呼ばれる高校や中学ほど、多い。
その結果、どうなるか。
先日、「ファミリス」(静岡県教育委員会発行雑誌)にこんな記事を書かせてもらった。
それをこの稿の結論としたい。
++++++++++++++
「ファミリス・Q&Aより」
++++++++++++++
相談:中学3年生の父から
いよいよ長男が受験の年ということで、夫婦共々肩に力が入ってしまうのか、さ細なこ
とも受験に結びつけてしまい、あれこれと口を出してしまいます。
自分が中3のときにどうだったか考えれば、そっと見守るのがいちばんだとはわかって
いるのですが……。受験期の親はどうあるべきか? アドバイスをください。
A:ある父親は事業に失敗。そこで高校生になった娘に、「大学進学はあきらめてくれ」と。
が、この言葉に娘は猛反発。「ちゃんと親としての責任を取れ!」と。
そこで私が割って入ると、その娘はこう言いました。「私は子どものときから勉強しろ、
勉強しろと、そんなことばかり言われてきた。それを今になって、あきらめてくれと、
どうしてそんなことが言えるの!」と。
内閣府(平成21年)の調査によれば、「将来、どんなことをしてでも親のめんどうをみ
る」と考えている日本の青年は、たったの28%(イギリス66%、アメリカ64%)。
そこで本題。子育てが終わると同時にやってくるのが、老後。今のあなたは「下」ばか
り見ているから、自分の老後がわからない。長男の受験の心配より、自分の老後の心配を
しなさい。へたに「勉強しろ!」「塾へ行け」などと言おうものなら、あとあと責任を取ら
されますよ。
しかも一度大学生として都会へ出すと、まず地元には戻ってこない。中には「親のために
大学へ行ってやる」と豪語する高校生すらいます。感謝の「カ」の字もない。
あとは(独居老人)→(孤独死)。今のままでは、あなたもそうなります。そこで教訓。
長男が、「大学(高校)へ行かせてください」と3度頭をさげるまで、学費など出さない
こと。口も出さないこと。…というのは無理かもしれませんが、そうしたき然とした姿
勢が、かえって親子の絆を太くします。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 心の暖かい子供 心の温かい子供 冷たい子供 冷たい子ども)
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【資料】毎日JP(2010年9月18日)より
******************(資料として保存させていただきます。)
●日本の教育費と対外比較
教育への公費、貧弱さ浮き彫り OECD国際比較…平均並みハードル高く
経済協力開発機構(OECD)が「図表でみる教育10年版」を公表した。国際比較で
改めて浮き彫りになったのは、日本の教育環境の貧弱さだ。民主党はOECD平均並みに
教育への支出を増やす目標を掲げるが、ハードルは高い。
◆家計頼みの高等教育
民主党は、国内総生産(GDP)に占める学校など教育機関への公的支出割合を、OE
CD平均以上に引き上げる目標を掲げている。公表されたデータによると、07年のOE
CD平均は4・8%。これに対し、日本のGDP比は3・3%で、比較可能な28カ国の
中では最下位だった。
07年の日本の名目GDPは約515兆円。OECD平均との差の1・5%を埋めるに
は、新たに8兆円近い支出が必要になる計算だ。今回のデータは自民党政権時代のものだ
が、政権交代後に始まった高校無償化にしても事業費は3933億円。「OECD平均」の
達成は容易ではない。
各国との格差がとりわけ大きいのが、大学などの高等教育段階だ。私費を含めた高等教
育機関に対する全支出に占める公費の割合はOECD平均が69・1%だったのに対し、
日本は32・5%にすぎない。授業料など家計からの支出が51・1%、大学への寄付な
ど企業や個人の支出が16・5%で、計67・5%が私費からの支出だ。08年の日本の
高等教育への進学率はOECD平均(72%)を上回る77%。アメリカのように公費が
少なくても企業からの寄付金や奨学金が充実している国と違い、日本や韓国などは、家計
負担に頼ることで高い進学率を可能にしている。
文部科学省は来年度予算の概算要求に、04年度以降毎年削減してきた国立大学法人運
営費交付金の増額を盛り込み、国立大の授業料免除対象者を今年度(約3万7000人)
より約1万1000人増やすことを目指す。また、大学生らへの奨学金の貸与人数を無利
子、有利子合わせて12万4000人増やすための予算増も要求。このほか、低所得世帯
の高校生約66万人に対する返済不要の給付型奨学金新設に122億円を要求した。
◇まだ多い1学級の児童生徒数 編成基準引き下げで改善見込み
日本は少人数教育の面においても、他のOECD諸国との差が歴然としている。08年
の1クラス当たりの児童生徒数は、小学校が28人で27カ国中3番目に多く、OECD
平均(21・6人)と6人以上、最少のルクセンブルク(15・6人)とは12人以上の
開きがある。中学校も33人と23カ国中2番目に多く、OECD平均(23・7人)と
9人以上、最少のスイス(18・9人)とは14人差だ。
また、教員1人当たりの児童生徒数は、小学校が18・8人(OECD平均16・4人)、
中学校が14・7人(同13・7人)。いずれもOECD平均より多く、その分、子どもた
ち一人一人に目が行き届きにくいのが現状だ。
ただ、この差は今後縮まる可能性が高い。文科省は来年度、学級編成基準を現行の上限
40人から30年ぶりに引き下げる計画を発表。18年度まで8年間かけて教員を徐々に
増やし、最終的に小学1、2年生は30人に、小学3年から中学までは35人とする考え
だ。計画通りならば、教員数は現在よりも約2万人増えることになる。一方で少子化も進
むことから、18年度段階の教員1人当たりの児童生徒数は小学校16・1人、中学校1
2・7人と、現在のOECD水準並みに改善する見込みとしている。
◇学校選択制 積極導入国、半数超える
学校選択制についても、日本とOECD諸国との間に違いが見られた。学校選択制が一
般化しているのは、初等教育(小学校)ではイギリス、フィンランド、ドイツ、イタリア、
アメリカなど30カ国中17カ国。前期中等教育(中学校)では18カ国。日本は韓国や
ノルウェーなどと共に一般化していない国に分類された。
OECDによると、積極的に導入している国は、(1)学校同士で競争し切磋琢磨(せっ
さたくま)する(2)(成育環境や学力が近い児童生徒が集まることで)幅広い生徒に対応
する必要がなくなり、教育サービスを効率的に行える(3)独創的・個性的な学校が生ま
れやすくなる--などを理由に挙げている。
日本でも97年の規制緩和で学校選択制を導入できるようになったが、文科省の06年
調査では、小学校で導入した市町村が14・2%、中学が13・9%。導入した自治体で
も、市町村内の学校を自由に選べる形態は少なく、従来の通学区を残して特定の地域に住
む児童生徒だけを対象にした形態が多い。近年は「地域との関係が希薄になる」「学校間の
序列や格差が生じる」「入学者数に偏りが出る」といったデメリットを指摘する声も多く、
前橋市が学校選択制を廃止するなど、見直しの動きも相次いでいる。
==============
【公的支出の対GDP比】
(1)アイスランド 7.0
(2)デンマーク 6.6
(3)スウェーデン 6.1
(26)チリ 3.7
(27)スロバキア 3.4
(28)日本 3.3
(単位は%。OECD平均は4.8%)
(注意)以上「毎日JP」より、資料として転載***************
Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2010++++++はやし浩司
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●仮面夫婦(60代の夫婦)
+++++++++++++++++++
夫婦の形に定型はない。
千差万別。
みな、ちがう。
幸福そうに見える夫婦でも、中身は問題だらけ。
不幸そうに見える夫婦でも、心は通い合っている。
「私たち夫婦がこうだから……」という『ダカラ論』ほど、
アテにならないものはない。
私は私、あなたはあなた。
私たち夫婦は、私たち。
あたなたち夫婦は、あなたたち。
もともとは他人。
生まれも生い立ちもちがう。
性質や性格もちがう。
ものの考え方もちがう。
だから……というわけでもないが、みな、仮面をかぶっている。
仮面をかぶっていない夫婦などいない。
つまり「夫婦という仮面」。
みな、かぶっている。
+++++++++++++++++++
●抑圧
私たち夫婦も、この40年間を総括してみると、こうなる。
「つまり、よく今まで夫婦でいられたなア……」と。
いつ離婚してもおかしくない状態だった。
そんな状態のまま、40年。
もしふつうの夫婦(?)だったら、何10回も離婚していただろう。
ワイフはそれを否定するが、ワイフは、深層心理の奥深くでは、私を嫌っている。
「毛嫌い」というか、生理的な嫌悪感?
何でもないようなときに、ふと肩などに触れたとすると、無意識のまま私の手を
払いのける。
パン、と。
が、本人には、その意識はない。
「今、お前は、ぼくの手を払いのけたよ」と言っても、「私は覚えていない」と。
が、ふだんは、よいワイフ。
思いやりもあって、やさしい。
しかし私は私が感ずるさみしさを、どうすることもできない。
こればかりは、ワイフの心の奥の、そのまた奥の問題。
ワイフの力でも、どうにもならないだろう。
心理学の世界では、「抑圧」という言葉を使って説明する。
慢性的な不満や怒りがつづくと、人は心の別室を作り、それをそこに閉じこめる。
そういうふうにして、自分の心を防衛する。
これを「防衛機制」という。
「機制」というと大げさな感じがするが、「メカニズム」の邦訳。
抑圧された心は、そのつど、折りにつけ顔を出す。
それがパンと手で払うという行為になって現われる(?)。
●抑圧
だからときどき申し訳なく思う。
「別れてあげようか?」と聞くこともある。
ワイフは、「このままでいい」と言うが、しかし私が感じているさみしさまでは理解
できない。
ワイフの心は、その奥の奥で、閉ざされたまま。
そう、ワイフは子どものころから、だれにも心を開かなかったという。
ワイフをよく知る義姉たちは、みな、こう言う。
「がまん強い子だった」と。
つまりがまんすることで、自分の心を抑圧した。
それが思考回路となって、今でも残っている。
私との間でいやなことがあっても、めったにワイフはそれを口にしない。
不平や不満を口にしない。
そのまま心の奥にため込んでしまう。
で、おかしなもので、その一方で、私にはそれができない。
何でもその場で、パッパッと発散してしまう。
またそれをしないと、気が済まない。
心の奥にためこむということができない。
だから子どものころは、喧嘩早かった。
ときには相手の家の奥まで追い詰めて、その相手を殴り飛ばしたこともある。
だから近所の子どもたちは、みな、こう言った。
「林の浩ちゃん(=私)と喧嘩すると、逃げ場がない」と。
私は親分肌だったが、同時に仲間の間では、こわい存在だった。
●空の巣症候群
しかしその私ももうすぐ63歳。
ワイフは60歳。
子育てが終わって、……とくに三男が養子のような形で相手の女性の家にあがりこんで
しまったときには、夫婦の絆が切れてしまったように感じた。
「空の巣症候群」とは、少しちがう。
無力感というか、絶望感。
それに近い。
で、よく『子はかすがい』と言う。
その(かすがい)が消えてしまった。
と、同時に、そこにいるのは、私のワイフという、1人の女性。
それまでは2人で、よく夢を見た。
「息子の操縦する飛行機で、オーストラリアへ行こう」など、と。
しかしこの9か月、空を見あげることもなくなった。
飛行機の話さえ、しない。
おかしなもので、息子がいつなんどき飛行機事故で死んでもよいように、心の
準備だけは、いつも整えている。
またそうでもしないと、ときどき報道される飛行機事故のニュースに耐えられない。
そのつど、ハラハラするのは、つらい。
だから飛行機のことは、考えない。
息子の職業のことは、考えない。
が、ワイフは平気。
ふつうの職業と考えている。
が、私はちがう。
29歳のときに、飛行機事故に遭遇している。
間一髪のところで、命拾いをした。
そういうトラウマがあるから、飛行機に対しては別の感じ方をする。
●あきらめ
そういう形で、息子たちが去ったとき、残っているものは、何か?
とても残念なことに、私とワイフの間に、乾いたすきま風が吹き始めた。
(かすがい)が消えたあと、穴があいた。
が、私たちは懸命に自分を立て直そうしている。
どうであれ、人生は短い。
健康年齢ということを考えるなら、すでに健康年齢は終わりつつある。
「これから何かを……」という年齢ではない。
言うなれば、落ち穂拾い。
ミレーの描いた、あの絵画のような「落ち穂拾い」。
目の前にあるのは、そんな世界。
100%、絆の太い夫婦など、いない。
みな、ボロボロ。
穴だらけ。
穴の大きさにちがいはあるだろう。
しかし懸命に支え合って生きていく。
あきらめと、さみしさ。
それを心のどこかで交互に感じながら、生きていく。
それしかない。
●さみしい話
ところでこんなさみしい話がある。
1週間ほど前、東京のT区に住んでいる女性から、講演に来てもらえないかという
メールを受け取った。
よほどのことがないかぎり、私は講演を断ったことはない。
で、条件は、「旅費込みで、2万5000円」。
集まる人は、10人~前後。
それでも私はその女性の好意がうれしかった。
「必要としてもらっている」という思いを、メールを通して感ずることができた。
だから即座に引き受けた。
が、返ってきた返事は、意外なものだった。
「これから会のほうで、先生(=私)にするかどうか検討して、また返事します」と。
これから検討する……?
私はそれを読んでがく然とした。
新幹線で往復するだけでも、1万7000円弱。
残りは8000円。
私の中で、迷いが生じた。
その迷いは、つづくメールでさらに大きくなった。
その女性から、こんなメールが届いた。
「本当にこの料金で講演をしてもらえるかどうか、確かめてほしいということになり、
確かめさせてください」と。
率直に言おう。
8000円で講演をする人はいない。
東京へ行くということは、それだけでも1日仕事。
私の年齢では、重労働。
食事をしたら、ほとんど何も残らない。
一方、この浜松では、「東京から来た」というだけで、何でもかんでもありがたがる。
悲しき田舎根性。
少し名の通った講師だと、30~50万円が相場。
あのA・チャン(女性)のばあい、100~160万円(週刊誌)とか。
「東京で有名になって、地方で稼げ」が、タレントたちの合い言葉になっている。
その女性の好意が、一転、非常識に思えてきた。
先日も郷里の僧侶に、供養のため浜松へ来てもらったが、法要料が5万円、プラス
交通費が3万円だった。
とたんやる気が失せた。
つづくメールでは、断った。
「申し訳ありませんが、今回はお引き受けできません」と。
が、どういうわけか私はさみしかった。
怒りはまったく、なかった。
「私の時代は終わった」というさみしさ。
「私の力もこんなものか」というさみしさ。
それがジンと胸の中で響いた。
つまりそのとき感じた(さみしさ)が、今、ワイフとの間で感じている(さみしさ)に
似ている。
●私たちの年代
こうして私たちは、ひとり、ひとりと順に(この世)という舞台から消えていく。
……とういうか、追い出されていく。
夫婦にしてもそうだ。
そこに見えるのは、先細りの人生。
夢や希望など、とうの昔にあきらめた。
目標といっても、吹けば飛ぶような小さなもの。
今も、こうして自分のことを書いているが、だれに頼まれたわけでもない。
頼まれているわけでもない。
私が勝手に「目標」としているだけ。
今夜にでも書くのをやめてしまえば、それでおしまい。
が、私はそれにしがみつくしかない。
もしここで今の目標を手放したら、それこそ、私は生きる屍(しかばね)。
夫婦にしてもそうだ。
「離婚しましょう」「離婚しよう」と互いに合意すれば、それでおしまい。
が、私はワイフにしがみつくしかない。
俗な言い方をすれば、いくらシワクチャなバーさんになっても、私にとって女性は
ワイフしかいない。
それにもしここで今、ワイフと別れてしまえば、あとに何が残る。
どこかで新しい女性と……というロマンなど、ありえない。
まあ、あえて言うなら、私が先に死ぬなら、最期のめんどうだけはみてほしい。
ワイフが先に死ぬなら、最期のめんどうだけはみてやろう。
それまでいくら乾いた風がたがいの間を吹き抜けようとも、それはそれ。
あとは仮面をかぶって、その場をごまかす。
ニコニコと笑って、その場をやり過ごす。
だって……。
みんなそうだ。
私たちだけが例外というわけではない。
それぞれがみな、それぞれの問題をかかえて、懸命に生きている。
支え合っている。
それが私たちの年代の夫婦ということになる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 50代の夫婦論 夫婦とは 夫婦について はやし浩司 子はかすが
い 乾いたすきま風)
(補記)
暗い話ばかりつづいた。
今日は日曜日というのに、気分が晴れない。
先ほど、ホームベーカリーのセットをした。
午後9時ごろ、パンができあがるはず。
楽しみ。
ところでホームベーカリーの使い勝手だが、たいへんよい。
簡単にホカホカの食パンができる。
しかし正直に負けを認めるが、パン屋のパンのほうがおいしい。
自分で作ったパンを見ながら、どうすればもっとパン屋のパンのようなパンが
焼けるのかと考える。
キメも荒い。
味も雑。
ゆいいつの勝ち点は、予定した時刻にパンが焼き上がること。
そのころまでにスープを作り、ジャムを並べる。
できたてのパンのにおいは、何とも言えないほど、香ばしい。
(においだけだが……。)
それに値段も、パン屋のパンと、それほどちがわないのではないか?
1斤、約300~400円のコストがかかる。
パン屋でもそれくらい。
しかし自分で作るから楽しい。
そう言って自分をなぐさめる。
明日もまた、パンづくりに挑戦してみる。
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●怒り、そして無力感
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教育というのは、20年後、30年後の
日本を見据えて、する。
今、教育していることは、20年後、
30年後に、その結果となって現われてくる。
++++++++++++++++++
●40年前
今から40年以上も前のこと。
「40年」といっても、けっして古い話ではない。
「今」の話である。
私は当時、オーストラリアの大学にいた。
そのときのこと。
アジア各国から来た留学生たちと、こんな会話をした。
今とちがって、その国でもエリート中のエリートたちである。
日本は貧しかった。
アジアの国々は、もっと貧しかった。
が、みな、こう言った。
「日本へは留学しない」
「日本へ留学しても、むだ」と。
理由は私もよく知っていた。
日本でいくら資格を取っても、そうした資格は日本以外の国では通用しない。
たとえば日本で医師免許を取っても、日本以外の国では通用しない。
当時の日本は、(今でもそうだが)、こと教育に関しては、鎖国主義を
貫いていた。
「外国の医師免許を認めない」と。
だから相互主義として、外国も日本の医師免許を認めない。
私も一時期、オーストラリアでの就職を考えたことがある。
で、いくつかの会社をあたってみたが、私はオーストラリアでは、
「高卒扱い」だった。
「週給は、550ドル」と。
で、私がいくら、「私は日本の大学で学位を取っている」と主張しても、
受け入れられなかった。
●教育の鎖国主義
医師免許だけではない。
ありとあらゆる免許、資格が、そうだった。
「日本はアジアでもナンバーワンの教育立国」という自負心が、かえって
災いした。
建築士、弁護士、看護士などなど。
日本は、外国のあらゆる免許を認めなかった。
今も認めていない。
ゆいいつの例外は、自動車免許。
しかしその免許も、1年ごとの更新制をとっていた。
一方、オーストラリアの大学で学位を取ると、その学位は、ほぼ全世界
で通用した。
旧大英帝国圏はもちろん、アジア各国でも通用した。
学位どころか、単位の交換(単位の共通化)も進んでいた。
メルボルン大学で2年過ごしたあと、北京大学で1年を過ごす。
その北京大学で得た単位は、そのままオーストラリアでは、取得単位
として認められた。
しかも欧米を中心に、大学の移籍は自由。
入学後の学部変更も自由。
学生たちは、自由に大学間を、渡り歩いていた。
では、日本はどうだったか?
今さら、説明するまでもない。
その結果が今。
いまだに東南アジアからの看護士ですら、日本では自由に仕事ができない。
「言葉の問題」があるとか?
●シンガポール
こうした日本の硬直性を横目で見ながら、たとえばシンガポールは、
教育と制度を開放した。
たとえばアメリカで医師免許を取った医師でも、シンガポールでは自由に
開業できる。
医療ですらそうなのだから、あとは推して量るべし。
その結果、日本に駐在員をおいていた各国の大企業は、そのほとんどが、
シンガポールへ移った。
今でも日本がアジアの中心と思っている人は、よほどのバカか、世間知らず。
アジアの経済ニュースは、一度すべてシンガポールに集められる。
そこから世界中に発信される。
●崩れた電子立国
もう20年前になる。
近くの小学校で、実験的だが、コンピューター授業をしようとしたところ
がある。
時の通産省が音頭を取った。
が、それに「待った!」をかけたのが、ほかならぬ時の文部省だった。
「教員免許のない教師を、教壇に立たせるわけにはいかない」と。
免許にこだわった。
カリキュラムにこだわった。
しかしコンピューター(電子工学)の教員免許を認めるまでには、
何年かかる?
まず教育学部内に講座を用意する。
その前に教授を育てなければならない。
そんなことをしていたら、20年はかかる!
だったら、工学部を卒業した学生を教壇に立たせればよい。
(中学、高校では、専門学部の学生でも、教育原論などの単位を取れば
教師になることはできた。)
だれしもそう考える。
しかしそれを認めたら、日本の官僚社会そのものが、総崩れになる。
●資格、許可
もう10年も前の話。
私の山荘のあるI村の下を、単線の電車が走っている。
その電車に乗ると、季節の行楽シーズンには、女性のガイドが同乗して
くれた。
(最近は、その姿が消えたが・・・。)
そのガイドが、こんな話をしてくれた。
「こういう仕事にも、資格が必要なんです」と。
バカげている、と私は思った。
田舎の小さなローカル線。
どうしてそんなところで、ガイドとして働く人にも、資格が必要なのか。
つまりこれも官僚主義制度の弊害のひとつと考えてよい。
ありとあらゆることを、許認可制にする。
免許、資格制にする。
そしてそのひとつずつに役所を置き、役人を置く。
その多くは、役人たちの天下り先として、そのまま利用できる。
が、この制度は、ミスを減らすかわりに、社会のダイナミズムを奪う。
今の日本を見れば、それがわかる。
●職業観
日本というより、日本人は、ダイナミズムを失ってしまった。
こじんまりしているというか、おとなしい。
たとえば就職にしても、「就職」しか考えない。
どこかの組織に入ることだけが、就職と思い込んでいる。
が、「仕事」は、自分で作るもの。
原点は、そこにある。
その原点を見失ってしまった。
たとえば私が浜松に住むようになったときのこと。
1971年の秋ごろだった。
商工会議所へ行くと、翻訳の仕事をすぐ回してくれた。
通訳の仕事も回してくれた。
当時はまだ登録制で、浜松には私を含めて、そうした仕事をしている人は、
私を含めて2人しかいなかった。
また仕事は、工場通りの電柱に張り紙をして、取ってきた。
縦20センチ、横10センチほどの張り紙で、それに「翻訳します」と
書いた。
電話番号をその横に添えた。
それだけで翌日には、2つや3つの仕事が飛び込んできた。
日本全体がまだ不完全というか、おおらかな時代だった。
私はそうした隙間を巧みに生き抜くことができた。
が、やがて通訳も翻訳も、資格制になった。
そのための試験も始まった。
今では、そんな簡単な仕事ですら、一度は役所を通らないとできない。
つまりその分だけ、息苦しくなった。
●鎖国主義
鎖国主義は、現在も進行中。
あの鳩山前総理大臣がアジアの何かの会議へ出かけていって、大学間の単位の交換を
しようと呼びかけた。
が、どこの国も反応しなかった。
それもそのはず。
そんなことは、すでに世界の常識。
それ以上に、日本はすでにアジアのリーダー国としての地位を失っていた。
今ではすでに逆転しているかもしれない。
日本人が、アジアの他の国々で、より高度な勉強する時代になりつつある。
「今はまだいい」と思っている人は多い。
私もその1人。
だが、やがて追い抜かれる。
すでに追い抜かれつつある。
前にも書いたように、教育というのは、20年とか30年先を見ながら
組み立てる。
言い換えると、日本は20年前、30年前にしておくべきことをしなかった。
・・・しておかなかった。
その結果は、やがて出てくる。
たとえば英語教育にしても、20年は遅かった。
コンピューター教育にしてもそうだ。
あの韓国は、2011年の春から、教科書を電子ブック(iPad方式)に
切り替えるという。
紙製の教科書ではなく、電子教科書だ。
本来なら日本が、そういう改革を率先して進めてよいはず。
が、その日本がほかの国々の尻を追いかけている。
●武士道
話は変わるが、いまだに「武士道だなんだ」と言っている人が多いのには、
驚かされる。
武士道などというものは、日本でしか通用しない。
私が韓国へ交換学生で行っていたときのこと。
こんな話を聞いた。
植民地時代、日本の兵隊たちはことあるごとに武士道なるものを口に
したという。
そこで韓国人が、「武士道とは何か」と、よく聞いたそうだ。
それにたいして、日本の兵隊たちは問答無用式に、こう言って韓国人たちを
殴り飛ばしたという。
「貴様らに、日本の武士道がわかってたまるかア!」と。
日本の力が残っている間は、まだよい。
日本が、力がある間は、まだよい。
しかしこの先、日本がやがてアジアの国々の中に埋没するようになったとき、
そのときでもはたして日本は、日本人は、武士道なるものを口にすることが
できるだろうか。
かえって奇異な目で見られるだけ。
あの封建時代においてでさえ、武士階級はほんの5%前後(家族を含む)。
たいはんはその武士階級に虐げられた庶民ではなかったのか。
その虐げられた側にいた私たち庶民が、今になって武士道をたたえてどうする?
どうなる?
どうして武士道が、日本人の精神のバックボーンなのか?
●繁栄ボケ
さて、20年後、30年後の日本は、どうなっているか。
それを考えると、そら恐ろしい思いすらする。
今の子どもたちは、平和ボケしている。
繁栄ボケしている。
「現実」を論ずることすらしない。
生き方そのものが、内向き。
ダイナミズムそのものもない。
学生たちの就職先人気ナンバーワンが、公務員となって、もう10年
以上になる。
その公務員だけが、今の今も数がふえつづけ、勢力を拡大しつつある。
公務員の人件費だけで、総額38兆円(日本の国家税収は40兆円前後)。
今では、旅館の温泉に入るだけでも、入浴税なるものが徴収される。
市の出先機関で、各種書類をプリントアウトしてもらうだけで、一枚(一通)、
500円。
紙一枚が、500円だぞ!
こんな商売が、ほかのどこにある?
そのほとんどを人件費に使っているから、こうバカげたことが起こる。
●教育の自由化
「Independent Thinker(自分で考えられる子ども)」「Active Learner
(積極的な子ども)」……言葉は何でもよい。
大切なのは、ダイナミズム。
自由なるダイナミズム。
そのためには、隙間を多くする。
たった10年前だが、私はアメリカで、こんな経験をした。
++++++++++++++
そのとき書いた原稿より
++++++++++++++
●日本は超管理型社会
最近の中学生たちは、尾崎豊をもうすでに知らない。そこで私はこの歌を説明したあと、
中学生たちに「夢」を語ってもらった。私が「君たちの夢は何か」と聞くと、まず一人の
中学生(中二女子)がこう言った。「ない」と。「おとなになってからしたいことはないの
か」と聞くと、「それもない」と。「どうして?」と聞くと、「どうせ実現しないから」と。
もう一人の中学生(中二男子)は、「それよりもお金がほしい」と言った。そこで私が、「で
は、今ここに一億円があったとする。それが君のお金になったらどうする?」と聞くと、
こう言った。「毎日、机の上に置いてながめている」と。ほかに五人の中学生がいたが、皆、
ほぼ同じ意見だった。今の子どもたちは、自分の将来について、明るい展望をもてなくな
っているとみてよい。このことは内閣府の「青少年の生活と意識に関する基本調査」(二〇
〇一年)でもわかる。
一五~一七歳の若者でみたとき、「日本の将来の見とおしが、よくなっている」と答えた
のが、四一・八%、「悪くなっている」と答えたのが、四六・六%だそうだ。
●超の上に「超」がつく管理社会
日本の社会は、アメリカと比べても、超の上に「超」がつく超管理社会。アメリカのリ
トルロック(アーカンソー州の州都)という町の近くでタクシーに乗ったときのこと(二
〇〇一年四月)。タクシーにはメーターはついていなかった。料金は乗る前に、運転手と話
しあって決める。しかも運転してくれたのは、いつも運転手をしている女性の夫だった。「今
日は妻は、ほかの予約で来られないから……」と。
社会は管理されればされるほど、それを管理する側にとっては便利な世界かもしれない
が、一方ですき間をつぶす。そのすき間がなくなった分だけ、息苦しい社会になる。息苦
しいだけならまだしも、社会から生きる活力そのものを奪う。尾崎豊の「卒業」は、そう
いう超管理社会に対する、若者の抗議の歌と考えてよい。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●ではどうすればよいか……
規制緩和は当然のこと。
構造改革(=官僚主義制度の打破)は当然のこと。
少なくとも外国並みに、緩和する。
またそうでないと、日本は世界の荒くれ男たちとは、戦えない。
たとえばアメリカでは、学校の設立がほぼ自由化されている。
カナダでは、もっと自由化されている。
学校で使う言語すら自由!
……こう書くからといって、何も「学校教育」を否定しているわけではない。
方法はいくらでもある。
たとえばドイツ、フランス、イタリアのように、クラブ制の充実など。
子どもたち(たとえば中学生)は、午前中で学校での授業をすませ、午後はみな、
それぞれクラブへ通って、好き勝手なことをしている。
水泳が好きな子どもは、毎日水泳クラブに通っている。
その費用は、チャイルドマネー(クーポン券、バウチャー券)として、国から
支給されている。
が、この日本では、あえてそれに逆行するようなことばかりしている。
「学校教育をより充実させる?」という理由のもと、さらに教師を3万人もふやすとか
(2010年以後)。
しかしいくら教師をふやしても、授業中に居眠りする子どもは減らない。
そういう基本的なことが、まったくわかっていない!
(教育の自由化については、たびたび書いてきたので、ここでは省略する。
正直言って、疲れた!)
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 子どもたちによる平和宣言 子供による平和宣言 教育改革 ダイナ
ミズム 教育のダイナミズム 日本の将来)
Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2010++++++はやし浩司
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はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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2010年10月13日水曜日
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