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子育て最前線の育児論byはやし浩司 10月 6日号
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
休みます。
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●日本人の危機意識(日本人の繁栄ボケ)
++++++++++++++++
日本は中国に抜かれて、世界第三位の
経済国になった(GDP)。
しかし国民1人当たりの所得では、
すでにシンガポールに抜かれている。
2020年ごろには、韓国にも抜かれる
だろうと言われている。
恐ろしいのは、その予想時期が、徐々に
早まっていること。
日本が中国に抜かれるのは、2015年
ごろと言われていた。
ほんの1、2年前のことである。
それが今年、つまり2010年に抜かれた。
のんきなエッセイストたちは、「生活の
中身が大切」などと言っている。
中国に抜かれても、韓国に抜かれても、
「大切なのは、生活の質」と。
こういうことばかり言っているから、日本は
どんどんと抜かれていく。
抜かれていくだけではない。
やがて食料の輸入もままならなくなるだろう。
20~30年ほど前には、「平和ボケ」という言葉を
よく耳にした。
が、今は、「繁栄ボケ」。
「経済ボケ」でもよい。
日本の学校では、いったい、何を教えているのか?
社会科の授業で、何を教えているのか?
日本人がこの「現代」という世界で生き抜くための、
その知識と経験を教えるのが社会科の授業ではないのか。
どうすればこの先、日本が生き延びていくことができるか、
それを教えるのが社会科の授業ではないのか。
つまり日本の教育では、この部分だけが、スッポリと
抜け落ちてしまっている。
つまり危機意識が、まったくない。
愚にもつかないような「知識」だけを、一生懸命、
子どもの頭の中に、詰め込んでいる!
その結果が、今。
今年は去年以上に、就職難という。
学生たちが就職先を求めて、右往左往している。
が、考えてみれば、こんなバカげた世界は、日本を
おいて、ほかにない。
就職先がなかったら、自分で仕事を作ればよい。
それこそリヤカーでも引いて、自分で稼げばよい。
私は、そうしたぞ!
リヤカーを引いて、ある画家の絵を売り歩いたぞ!
つまりそういうたくましさが、ない。
仕事はもらうものと思っている。
与えられるものと思っている。
加えて、「外国へ行きたくない」という若者が多いのには、
驚いた。
日本人全体が、ものの考え方が内向きになってしまった。
こういうときだからこそ、仕事を求めて、ブラジルや
インド、シンガポールへ飛び出して行けばよい。
中国でも韓国でもよい。
飽食とぜいたく。
それに少子化。
日本の若者たちが、キバを抜かれてしまった。
今では天下国家を論ずる若者は、ほとんどいない。
大学生でもいない。
その理由はといえば、すべて教育にある。
以前書いた原稿の中から、いくつかを拾ってみる。
+++++++++++++++++
今からちょうど10年前、2000年ごろに
書いた原稿です。
この中で、1人の女子学生が、つぎのように
述べていることに注目してほしい。
人間は甘やかすと、ここまで言うようになる。
「卒業しても就職先がないのは、社会の責任だ。
私たちは言われるまま、まじめに勉強してきたのだから」
(中日新聞投稿欄)と。
+++++++++++++++++
●日本の将来を教育に見るとき
●人間は甘やかすと……?
官僚の天下りをどう思うかという質問に対して、ある大蔵官僚は、「私ら、学生時代勉強
で苦労したのだから、当然だ」「国のために仕事ばかりしているから、退職後の仕事をさが
すヒマもない。(だから国が用意してくれるのは、当然だ)」(NHK報道・九九年春)と答
えていた。また別の女子学生は、「卒業しても就職先がないのは、社会の責任だ。私たちは
言われるまま、まじめに勉強してきたのだから」(新聞投稿欄)と書いていた。人間は甘や
かすと、ここまで言うようになる。
●最後はメーター付きのタクシー
私は以前、息子と二人で、ちょうど経済危機に見舞われつつあったタイを旅したことが
ある。息子はともかくも、私はあの国にたまらないほどの懐かしさを覚えた。それはちょ
うど四〇年前の日本にタイムスリップしたかのような懐かしさだった。あの国では誰もが
ギラギラとした脂汗を流し、そして誰もが動きを止めることなく働いていた。若者とて例
外ではない。タクシーの運転手がこんな話をしてくれた。
若者たちは小銭ができると、まずバイクを買う。そしてそれで白タク営業をする。料金は
その場で客と交渉して決める。そこでお金がたまったら、「ツクツク」と呼ばれるオート三
輪を買って、それでお金をためる。さらにお金がたまったら、四輪の自動車を買って、そ
れでまたお金を稼ぐ。最後はメーター付き、エアコン付のタクシーを買う、と。
●日本には活気があった
形こそ多少違うが、私たちが子どものころには、日本中に、こういう活気が満ちあふれ
ていた。子どもたちとて例外ではない。私たちは学校が終わると磁石を持って、よく近く
の小川へ行った。そこでその磁石で金属片を集める。そしてそれを鉄くず屋へ持っていく。
それが結構、小づかい稼ぎになった。父の一日の稼ぎよりも多く、稼いだこともある。が、
今の日本にはそれはない。「生きざま」そのものが変わってきた。先日もある大学生が私の
ところへやってきて、私とこんな会話をした。
学「どこか就職先がありませんか」、私「君は何ができる?」、学「翻訳ぐらいなら、何と
か」、私「じゃあ商工会議所へ行って、掲示板に張り紙でもしてこい。『翻訳します』とか
書いてくれば、仕事が回ってくるかもしれない」、学「カッコ悪いからいやだ」、私「なぜ
カッコ悪い?」、学「恥ずかしい……。恥ずかしいから、そんなこと、できない」
その学生は、働いてお金を稼ぐことを、「カッコ悪い」と言う。「恥ずかしい」と言う。
結局その学生はその年には就職できず、一年間、カナダの大学へ語学留学をすることにな
った。もちろんその費用は親が出した。
●子どもを見れば、未来がわかる
当然のことながら日本の未来は、今の若者たちが決める。言いかえると、今の日本の若
者たちを見れば、日本の未来がわかる。で、その未来。最近の経済指標を見るまでもない。
結論から先に言えば、お先まっ暗。このままでは日本は、このアジアの中だけでも、ごく
ふつうの国になってしまう。いや、おおかたの経済学者は、二〇一五年前後には、日本は
中国の経済圏にのみ込まれてしまうだろうと予想している。
事実、年を追うごとに日本の影はますます薄くなっている。たとえばアメリカでは、今で
は日本の経済ニュースは、シンガポール経由で入っている(NBC)。どこの大学でも日本
語を学ぶ学生は急減し、かわって中国語を学ぶ学生がふえている(ハーバード大学)。私た
ちは飽食とぜいたくの中で、あまりにも子どもたちを甘やかし過ぎた。そのツケを払うの
は、結局は子どもたち自身ということになるが、これもしかたのないことなのか。私たち
が子どものために、よかれと思ってしてきたことが、今、あちこちで裏目にでようとして
いる。
(参考)
●日本の中高生は将来を悲観
「二一世紀は希望に満ちた社会になると思わない」……。日韓米仏四カ国の中高生を対
象にした調査で、日本の子どもたちはこんな悲観的な見方をしていることが明らかになっ
た。現在の自分自身や社会全体への満足度も一番低く、人生目標はダントツで「楽しんで
生きること」。学校生活で重要なことでは、「友達(関係)」を挙げる生徒が多く、「勉強」
としたのは四か国で最低だった。
財団法人日本青少年研究所(千石保理事長)などが二〇〇〇年七月、東京、ソウル、
ニューヨーク、パリの中学二年生と高校二年生、計約三七〇〇人を対象に実施。「二一世紀
は希望に満ちた社会になる」と答えたのは、米国で八五・七%、韓仏でも六割以上に達し
たが、日本は三三・八%と際立って低かった。自分への満足度では、米国では九割近くが
「満足」と答えたが、日本は二三・一%。学校生活、友達関係、社会全体への満足度とも
日本が四カ国中最低だった。
希望する職業は、日本では公務員や看護婦などが上位。米国は医師や政治家、
フランスは弁護士、韓国は医師や先端技術者が多かった。人生の目標では、日本の生徒は
「人生を楽しむ」が六一・五%と最も多く、米国は「地位と名誉」(四〇・六%)、
フランスは「円満な家庭」(三二・四%)だった。
また価値観に関し、「必ず結婚しなければならない」と答えたのは、日本が二〇・二%だ
ったのに対し、米国は七八・八%。「国のために貢献したい」でも、肯定は日本四〇・一%、
米国七六・四%と米国の方が高かった。ただ米国では「発展途上国には関心がない」「人類
全体の利益よりわが国の利益がもっと重要だ」とする割合が突出して高く、国際協調の精
神が希薄なことも浮かんだ。
千石理事長は「日本の子どもはいつの調査でもペシミスティック(悲観的)だ。将来の
夢や希望がなく、今が楽しければよいという現在志向が表れている。一九八〇年代からの
傾向で、豊かになったことに伴ったのだろう」と分析している。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●10年前
10年前(2000年ごろ)に私が書いた原稿を、どうか読み直してみてほしい。
そしてそれから10年。
何が変わったか?
日本が、その結果、どうなったか?
そういう視点で、もう一度、読み直してみてほしい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 日本人の危機意識 社会の責任 繁栄ボケ 経済ボケ 危機感)
2010年9月13日
Hiroshi Hayashi++++++++Sep. 2010+++++++++はやし浩司
●9月14日(火曜日)(日本振興銀行の破綻、A・チャン疑惑)
●日本振興銀行の経営破たん
9月10日、日本振興銀行が経営破たんした。
それはそれとして、その直前、日本振興銀行の社長の、江上剛(えがみ・ごう)氏が、
雑誌「VOICE」10月号に、寄稿している。
経営破たんはその段階で、だれの目にも明らかだった。
創業した木村剛氏は、検査忌避容疑で逮捕。
社長もあわせて逮捕。
そこでそれまで社外取締役をしていた江上剛氏が、「あえて火中の栗を拾う」と、社長に
就任。
「11万人の預金者、3万人の債務者、6000億円以上の預金、4000億円以上の
貸出金、500人以上の従業員、融資先も入れると数万人もの家族を、漂流させるわけ
にはいかない」(同雑誌)と。
かっこうよい言葉が並んだが、結局破綻。
内部では、猛烈な「とばし」がなされていたという。
つまり破綻を予想して、旧経営陣はやりたい放題。
で、私は江上剛氏がどんなことを書いているか、興味をもった。
●「火中のクリを拾う男」
内容はありきたりの意味のないものだった。
(1) 本来ならみな逃げるはずの、社外取締役は、だれひとり逃げることもなく、経営
再建にあたっている。
(2) がんばっているので、ぜひ応援してほしい。
(3) 私は週3回、マラソンクラブに参加している。この困難を乗り切ったとき、それを
支えてくれたのは、マラソンクラブだったと言うことができる、と。
が、結果として、「数万人もの家族が、漂流することになってしまった」。
●とばし(飛ばし)
簡単に言えば簿外債務を、「とばし」という。
しかし実際には、もっと複雑。
不良債権を少なく見せかけるために、たとえば融資の担保に取っていた不動産などを、
実体のないペーパーカンパニーに買い取らせたりする。
が、それではすぐにバレてしまう。
そこで最近では、とばしがさらに巧妙化している。
ペーパーカンパニーを、取り引き先の別会社に作らせたり、融資する現金を、いくつかの
銀行を経由させたりする。
さらにその不動産の管理を、別会社にさせる……。
つまり銀行本体は手を汚さず、クリーンさ(?)を保つ。
が、実態はもっとあくどい。
経営破たんをあらかじめ予定し、どんどんととばしを繰り返す。
最終的には、不良債権として処理して、資金を自分のふところに入れる。
「自分」というのは、旧経営陣ということになる。
日本振興銀行がそれをしていたかどうかは、これからの捜査で明らかになるだろう。
しかし新聞報道によれば、「とばし」という文字が、あちこちに見える。
かなり巧妙なとばしをしていたようだ。
で、江上剛氏だが、社外取締役として、それを知らなかったというのは、おかしい。
「社外取締役は、自分を含めて、1人も逃げなかった」ことを、「すばらしいこと」と
自画自賛している。
が、それは、どうか?
「VOICE」10月号を読んでも、危機感がまったく感じられない。
ないばかりか、ネットで配信されている動画を見ても、まるで他人事。
今回の経営破たん騒動が、何か、やらせのような疑問をもつのは、私だけではないはず。
ひょっとしたら、旧そごうの倒産劇のときのように、他銀行の不良債権をつけかえた
可能性もある。
この世界は、底なしに深く、その下では人間の欲望がドロドロに渦を巻いている。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●A・チャン疑惑
『週刊新潮・今週号』を立ち読みした。
『VOICE』を買ったので、週刊新潮は立ち読みですました(ごめん!)。
その中でA・チャンの霊感商法疑惑について、当の本人、つまりA・
チャンは、「私にはまったく関係ない」という論陣を張っている。
周辺を取り囲むガードたちが、「私たちが勝手にやりました」というようなことを
述べている。
「教育学博士」という立場上、そういう論陣を張らざるをえない気持ちは、ヨ~ク
わかる。
しかしこの手法は、悪徳政治家のそれと同じ。
「秘書が勝手にやったことです。私には関係ありません」と。
ズル賢い人間は、どこまでもズル賢い。
そういう意味では、一貫性がある。
(A・チャンがそうと書いているのではない。誤解のないように!)
しかしよくよく考えてみると、納得できないことは山のようにある。
(1) 日本ユニセフと、国連の「ユニセフ」との関係
これら2つの組織は、「たがいに密接に連絡を取り合っています」(日本ユニセフ)
というが、まったくの別組織。
日本ユニセフのほうは財団法人格を取得しているが、わかりやすく言えば民間組織。
「ユニセフ」という名前を巧みに利用して、善意の人たちから、金を集めている(?)。
そんな疑惑も浮上してきた。
(2) 連続性と一貫性
難民救済運動というのなら、そこに至るまでの連続性があるはず。
わかりやすく言えば、「積み重ね」。
たとえば若いときから、孤児の世話をしてきたとか、ホームレスの人たちの
ために炊き出しをしてきたとか。
さらにそこまで高邁な精神をもっている人なら、清貧を貫くとか、財産を
投げ出しているとか、そういった一貫性もあるはず。
が、そういったものが、A・チャンには、まるでない(?)。
何かしら私たち一般庶民だけが、もてあそばされている感じがする。
ある週刊誌は、「親善大使くらいは、辞退すべき」と書いていた。
(3) 教育学博士
A・チャンは、小学生のころ香港から日本へやってきたという(伝聞)。
その直後から、歌手として活躍。
どこかの学校に籍を置いていたかもしれないが、当時のあの人気度からして、
とても勉強どころではなかったはず。
ただ英語だけはできただろうと思う。
当時の香港では、中学以上は、授業はすべて英語でなされていた。
が、そのA・チャンが、やがて上智大学の国際部を卒業する。
そしてそのあとしばらく日本から離れたあと、今度は「教育学博士」として帰国。
以後、ワンステージ、100~160万円の講演活動をつづけている(同誌)。
日本では各大学の博士課程に籍を置いて、博士号を取得することになっている。
欧米の大学では、論文審査だけで、博士号を発行することは珍しくない。
私も、アメリカの各大学に直接問い合わせてみたが、A・チャンの経歴
に詐称はない。
ただ博士号取得の原因となった論文については、私の立場では入手できなかった。
「日米の子育て比較」に関する論文だったと記憶している。
私にとっても興味ある内容なので、一度精読してみたい。
(4) 霊感商法(+霊芝販売)
今回問題になっているのが、霊感商法。
加えて霊芝販売(?)(記憶によるものなので、不正確)。
週刊新潮によれば、HP上の販売は停止されているということだが、薬局では、
いまだに自由に購入できるとか。
つまりここでA・チャンの一貫性が崩れる。
「教育学博士」という肩書と、「霊感商法」、さらには「霊芝販売」(?)。
チグハグ?
が、これではまずい。
そこでA・チャンは「私にはまったく関係ない」という論陣を張った(?)。
しかし団体名に「神農」という名前を使っているところからみても、「まったく関係
ない」と果たして言えるのか?
神農というのは、中国では薬草の神様。
別名を「炎帝」ともいう。
その炎帝を倒して位についたのが、黄帝(こうてい)と言われている(司馬遷)。
おかしいものは、おかしい。
●一貫性と連続性(補記)
一貫性と連続性については、たびたび書いてきた。
つまり人間というのは、器用なようで、そうでない。
とくに脳みそは、そうだ。
50歳を過ぎればなおさらで、ひとつの場面で善人になり、べつの場面で悪人になると
いうことができなくなる。
それを支える気力そのものが、弱くなる。
つまり個人が本来的にもつ「地」が、そのまま表に出てくる。
が、それでも仮面(ペルソナ)をかぶりつづける人はいるにはいる。
しかしそういう人は、それこそ人間性そのものが、バラバラになってしまう。
本人も、それに耐えられなくなる。
私も50歳前後になったとき、それに気づいた。
いくら表では善人ぶっていても、ふと気を許したところで「地」が出てきてしまう。
私はもともと素性があまりよくない。
そこで私は2つの方法を考えた。
(1) ありのままをさらけ出す。
(2) ウソをつかない。ルールを守る。
この2つを、ひたすら、守りつづけた。
今も守っている。
それで「地」が修正できるとは思わないが、だからといって放置しておくわけにもいか
ない。
で、再び、A・チャン。
彼女には個人的な敵意や反感はまったくない。
ただ偽善者だけは、許せない。
ぜったいに許せない。
悪人以上の悪人。
善意の人たちから金を集めて、貧しい人たちをダシにして生きる。
それは許せない。
A・チャンがそうであると書いているのではない。
ただその疑いは、ある。
だから、ここは注視あるのみ!
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●バイオハザード・IV(FOUR)
++++++++++++++++++
今日は日曜日。
夜になって、ワイフが映画に行こうと言った。
で、観てきたのが、『バイオハザード・IV(Four)』。
星は3つの、★★★。
あるいは3マイナス。
ただのバイオレンス・アクション映画。
それを除いたら、何も残らない。
そんな映画。
『バイオハザード』は、(1)(2)(3)と
観てきた。
今回が完結編と思っていた。
しかし「次回へつづく……」で終わってしまった。
たぶん「バイオハザード・V(Five)」は、
もう観ない。
あきた!
++++++++++++++++++
●書斎大掃除
今度の水曜日に、パソコンが修理されて戻ってくる。
メーカーの話によれば、マザーボードの交換をしたとか。
つまり中身はピカピカの新品。
そんな状態で戻ってくる。
そのこともあって、今日は、書斎の大掃除。
ワイフに手伝ってもらった。
おかげで書斎は、見違えるほど、きれいになった。
仕事もしやすくなった。
映画から帰ってきて、2時間余り、書斎にこもった。
●ホームベーカリー
ところで今、自分でパンを焼いてみたいと思っている。
何と言っても、焼きたてのパンは、おいしい。
そこで早速、電気店へ。
ズラリと、20種類ほど、機種が並んでいた。
今、ホームベーカリーというパン製造機が、人気商品のひとつになっている。
機種によっては、お米でもパンが作れるようになっている。
メーカーはいろいろある。
で、家に帰って調べてみると、いちばん人気は、パナソニック製ということがわかった
(価格COM・人気投票調べ)。
値段はいろいろある。
機能が多いのほど高価だが、食パン程度のものが焼ければそれでよい。
どれにしようか、現在、思案中!
(夜中になって、パナソニック製のホームベーカリーにした。
近くの大型店で、1万6500円のものが、ネットで1万3000円で買うことができた。)
●回転寿司戦争
実名を出して恐縮だが、私の家から半径1キロ前後の中に、現在、3つも回転寿司屋
がある。
東から、「かっぱ寿司」、「くら寿司」、「すしおんど」。
最初に、「すしおんど」ができた。
オープンして、6、7年になる。
が、今年、「くら寿司」がオープン。
つづいて最近、「かっぱ寿司」がオープン。
3店舗も並べば、過当競争(?)と思っていたが、どの店も、いつも満員。
で、いちばん老舗の「すしおんど」は、一時は閑古鳥が鳴いた。
客もまばらだった。
が、それがどっこい!
ここへきて客数が、どんどんとふえ始めている。
理由は、すぐわかった。
3貫一皿の寿司が、品目数で、ふえた。
シャリ(米)の量が、見た目にもよくわかるほど、ふえた。
つまり寿司が大きくなった。
実感として、1・3倍~1・5倍になったのでは?
さらに寿司ネタも倍近く、大きくなった。
一方、一皿90円で勝負する、かっぱ寿司。
自然派で勝負する、くら寿司。
くら寿司のわさびは、天然わさび。
個人的には、私はかっぱ寿司の寿司が好き。
口に合う。
くら寿司の寿司は、ややしょっぱいかな(?)。
が、回数的には、このところ、すしおんどに行くことが多い。
(他の2店舗は、いつも満員ということもあるが……。)
つまり今、ものすごい競争が、私の近辺で起きている!
消費者の私たちとしては、ありがたいことだが、しかしこんなメチャメチャな競争が
いつまでもつづくはずがない。
この先、どうなるのか?
いつも心のどこかでそんな心配をしながら、(私が心配したところで、どうにもならないが)、
口の中に寿司を入れている。
で、こういう店を利用するたびに、(何も寿司屋にかぎらないが)、個人の小売店の
ことが気になる。
おとといには、やはり近くに巨大な靴屋ができた。
その向こうには、やはり巨大なメガネ屋もある。
それ以前からあった旧街道沿いの靴屋やメガネ屋は、とっくの昔に姿を消した。
今はまだ何とか生きながらえている個人の自転車屋だが、つぶれるのも時間の問題。
すでにA店など、全国規模の自転車店が、この不況下、どんどんと店舗数をふやしている。
1店舗で、数100台規模の自転車を並べている。
個人の店には、勝ち目はない。
その悲しさというか、つらさを、私はいやというほど、経験している。
私の家は、その自転車屋だった。
中学生のとき近くにショッピングセンターができ、そこでも自転車を売るようになった。
とたん、客足は、パッタリと止まってしまった。
父は毎日、火鉢に身を丸くして、来るはずもない客を黙ったまま待っていた。
弱肉強食とはいうが、その苛酷さは、経験したものでないと、わからない。
がんばれ、自転車屋!
負けるな、自転車屋!
●反撃
もっとも個人の自転車屋にも、問題がないわけではない。
15年近くも前のことだが、どこの自転車屋にも、こんな張り紙がしてあった(浜松市内)。
「よそで買った自転車は、修理しません」と。
そのころすでにショッピングセンターでは、自転車を売り始めていた。
しかし問題は、修理。
自転車を修理するには、それなりの技術が必要。
消防法の適応もあり、油で汚れた店では、修理が許可されない。
それで苦肉の策。
個人の自転車屋は、先のような張り紙を張って、ショッピングセンターに対抗した。
しかしそこは大型店。
規模がちがう。
やがてショッピングセンターでも技術者を置き、消防法に抵触しないような清潔な店
づくりを始めた。
とたん、個人の自転車屋は再び、窮地に立たされた。
と、同時に、今度は、こんな張り紙をするようになった。
「他店で買った自転車でも、修理します」と。
●イメージダウン
「よそで買った自転車は、修理しません」と書くのも、「他店で買った自転車でも、
修理します」と書くのも、気持ちは理解できるが、自転車店の品格を落とすだけ。
それだけ自転車店が危機感をもったというふうにも解釈できるが、かえって加速度的に
客離れを誘発してしまった。
客の立場で書くなら、そうした張り紙で、敷居が高くなってしまった。
気楽に店へ入れなくなってしまった。
こと自転車店について言うなら、気楽に入れること。
それが客を招く第一条件ということになる。
店へ入ったとたん、店員にぴったりとマークされるようでは、落ち着いて自転車も
選べない。
それに率直に言えば、いくらサービスを売ると言っても、大型店より2~3割も値段が
違うようでは、勝ち目はない。
さらに最近では、ネットでも自転車が買えるになった。
それがまた、びっくりするほど、安い!
となると、「修理はどうするか?」という問題もあるが、1台の自転車に乗る平均年数は、
長くて4~5年前後ということがわかっている。
平均して、3~4年。
そのあたりで、みな新しい自転車に乗り換えている。
つまり修理を繰り返して自転車に乗る人は、少なくない。
パンクにしても、今では、ほとんどパンクしない。
わかりやすく言えば、自転車が「財産」というよりは、「消耗品」になってきた。
客の自転車を見る目そのものが、変わってきた。
もっと言えば、立派な店舗に、自転車を飾って売る時代は終わった。
そのあたりの切り替えがうまくできないと、個人の自転車店には、明日はない。
ちなみに、ごく最近、高級住宅地の大通りに面したところにあった自転車店が店を
閉めた。
間口は、角地ということで、ぐるりと10間はあっただろうか。
繁盛しているときは、二階の陳列室にも、ぎっしりと自転車が並んでいた。
一時は高級自転車店をめざしたようだが、どうやらそれが裏目に出たらしい。
私も何台か自転車を買ったことがあったので、店が閉まったと聞いたときには、
少なからず、ショックを受けた。
私の実家の自転車店と比べたら、御殿のような自転車店だった。
その1週間前まで、店のおやじは景気のよい大声で、あれこれと私に話しかけて
くれていたのだが……。
話を戻すが、小売店の第一は、「黙って静かに仕事をすること」。
「お客様は神様」。
それを忘れては、小売店は成り立たない。
「よそで買った自転車は、修理しません」と書いたとき、勝負はすでについていた。
Hiroshi Hayashi++++++++Sep. 2010+++++++++はやし浩司
(小沢一郎、自転車店一考)2010-9-13
●Education on the front line at home
オーストラリア人のデニス君に、相談した。
「ぼくのHPのタイトルは、『最前線の子育て論byはやし浩司』だが、英語では
どう書けばいいか」と。
現在、私は、『Home Education for Mothers & Fathers in Front-Line』と書いて
いる。
二男の嫁のデニースが、いろいろ知恵を貸してくれた。
それに対して、デニス君は、『Education on the front line at home』がいいのでは
ないかと提案してくれた。
が、これではどこか直訳的。
また前置詞を、inとするか、onとするかで、迷った。
デニス君も迷った。
結果、これからは、
『Home Education on the Front-Line』とすることに決定した。
『by Hiroshi Hayashi』を付け加えるときは、
『Home Education on the Front-Line by Hiroshi Hayashi』とする。
これで決まり!
なおBLOGだけで、毎日数千件のアクセスがある。
内訳を見ると、日本国内からのアクセスが約50%。
外国からのアクセスが約50%。
まちがった英語は使えない。
●小沢一郎(Ichiro Ozawa)
食事をしながらデニス君と、政治の話をする。
その中で、デニス君がこう言った。
「オザワ・イチローは、醜い顔をしている」と。
デニス君は、小沢一郎がよくしてみせる、あの傲慢そうな顔をまねしてみせた。
ふんぞり返ってニヤつく、あの顔である。
「今度、ジュリアがオーストラリアの首相になったけど、ごくふつうの女性だよ」とも。
自分では大物ぶっているつもりなのかもしれない。
収賄問題を問いかけられても、ニヤニヤと笑っている。
しかしどこかへん?
チグハグ?
腐ったような醜悪さだけが、プンプンとにおう。
民主党支持者も、少しは外国人に与える印象も考えて、党首選びをしたらよい。
小沢一郎は、そういう意味では、最悪。
ウソだと思うなら、一度、近くにいる外国人に、彼の印象をたずねてみたらよい。
●自転車店業界
昨日、自転車店業界について書いた。
それに対して、どこかの自転車店の店主と思うが、こんなコメントを書いてくれた。
「大型店の自転車は、中国製で品質が悪い」「輸入自転車は、100%完成品で送って
くるが、調整しないと乗れない」と。
しかしそれは一昔(=10年)も前の話。
それ以後は、日本のメーカーが現地で指導しながら、日本向けの自転車を製造している。
また自転車の調整(ブレーキのきき具合や、車輪のゆがみなど)は、当然のこと。
それをしないで売っている店は、ショッピングセンターでもない。
また個人の自転車店へ行くと、どこの店主も、中国製自転車の悪口を並べる。
言うなればグチのようなもの。
グチを聞かされるほうは、たまったものではない。
それに今、スポークやチューブに至るまで、中国製でないものをさがすほうが、
むずかしい。
つまりこういう発想では、個人の自転車店に勝ち目はない。
では、どうしたらよいか?
ひとつには、問屋からおろされてきた自転車をそのまま並べるのではなく、
2~3台は、オリジナルで組み立てた自転車を並べてみる。
店先へ置いておくだけでも、客との会話がはずむ。
「このペダルは、私のマウンテンシューズに合わせて、特注で作らせたものです」
「このサドルのうしろの反射板は、うちで自作したものです」
「この自転車は、クラウン(TOYOTA車)のパールホワイトと同じ色です。
近くの自動車塗装屋さんに塗装してもらいました」とかなど。
40年前の自転車を、ピカピカに生き返らせ、並べておくのもよい。
そういうプロ意識が、客を安心させる。
わかりやすく言えば、「この店主は自転車が好きなんだな」と客に思わせる。
(まちがっても、「金儲けが好きなんだな」と客に思わせてはいけない。)
それが客に、安心感を与える。
つまり知恵を使う。
「自転車が好き」という気持ちを、外に向かってアピールする。
やりようによっては、方法はいくらでもある。
ひとつのアイデアとして、書いてみた。
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