2012年8月3日金曜日
謎のテオティワカンのピラミッド(太陽のピラミッドは、イースター島を向いていた!)byはやし浩司
【テオティワカンの月のピラミッド】
●底なしにつづく謎。
しかしその謎も、点と点で結ばれている。
(テオティワカンの月のピラミッド→テオティワカンの長い参道から伸びる延長線は、イースター島の西まで、やってくる。しかしドンピシャではない! やや西側にずれている。)
(3本の赤い線に注目。左から、(1)月のピラミッド→参道を通って南へ抜ける直線、(2)イースター島とテオティワカンの月のピラミッドを結ぶ直線、(3)太陽のピラミッドの側面の頂点を結んだ直線を延長した直線。(3)の直線は、ドンピシャ、イースター島につながっている。)
●テオティワカンのピラミッド
テオティワカンのピラミッドも、アンコール・ワットのピラミッドも、真南を向いているわけではない。
東西南北を示す線からはわずかにずれている。
(機首方位、194・91度前後。)
テオティワカンの月のピラミッドの前面には、長い参道がある。
(1)その参道上に、正確に一本の直線を引き、それがどこに向かっているかを調べた。
結果、イースター島のやや西よりの海を示しているのが、わかった。
が、この「やや」の解釈をどうするか?
(2)そこで今度は、イースター島のテレバカ山山頂とテオティワカンの月のピラミッドの頂点を直線で結んでみた。
テオティワカン参道の延長線は、その線から、やや西よりにずれているのが、わかった。
(3)あれほどのピラミッドを建設した人たちが、どうしてこんな単純なミスを犯したのか。
ここにも書いたように、テオティワカンのピラミッドから参道を抜けてつながる直線は、真南を示していない。
イースター島からも、はずれている。
(4)そこで参道を無視する。
というのも、参道は、後の人たちが、たいした測量もせず、(またその能力もなかっただろうが)、おおよその見当で建設した。
その可能性は残る。
(5)そこで今度は、太陽のピラミッドの側面に注目した。
月のピラミッドは、グーグルアース上では、日陰になった部分が多く、四角形の頂点がわかりづらかった。
太陽のピラミッドは、太陽の陽光を浴び、角(頂点)が、とりやすかった。
そこで北側の頂点と南側の頂点を結んでみた。
結果!
太陽のピラミッドの西側の両頂点を結んだ直線は、真一直線に、イースター島につながった。
「真一直線」というのは、「まったく狂いもなく」という意味である。
テオティワカンのピラミッドは、真一直線に、イースター島の方向を向いている。
これを疑う人は、自分で調べてみたらよい。
つまりテオティワカンのピラミッドは、真南を向いているのではなく、やや西より、つまりイースター島に向かって、向いている。
【アンコール・ワットのピラミッド】
では、アンコール・ワットのピラミッドはどうか。
同じくアンコール・ワットのピラミッドも、真南を向いていない。
ほかの遺跡が、西向きに建設されていることから、西向きと考えても、真西を向いていない。
アンコール・ワットのピラミッドの方位を正確に調べてみた。
結果はつぎの通り。
179・53度(73・18M)西側面
90・34度?(77・35M)北側面
89・96度?(76・37M)南側面
179・77度(73・23M)東側面
(注:グーグルアース上では、日陰になった部分もあり、正確には測定できない。)
(アンコール・ワットは、ドンピシャではないが、ほぼ真西に向かって建てられている。)
その証拠に、アンコール・ワットの西側には、恐らく衛星写真でしか判別できないような参道が残っている。
その参道の上に赤線を引いてみた。
機首方位(角)、270・26度。
測定の誤差も加味するなら、これはドンピシャの西向きということになる。
この写真で注意してほしいのは、ピラミッドの南側には、参道らしきものは、ない。
東側には、多くの遺跡が建てられている。
が、こうした遺跡は、古代文明の謎を解くためには、害になることはあっても、参考にはならない。
つづく為政者たちが、古代からあった遺跡を、自分たちの権威づけのために利用するというケースは多い。
イースター島では、モアイは「墓」ということになっている。
モアイの下から多数の人骨が発見されたからである。
しかし逆に考えると、イースター島の住人たちは、それ以前からあったモアイを「墓」として利用しただけかもしれない。
さらに言えば、エジプトの三大ピラミッドにしてもそうだ。
あの三大ピラミッドは、歴代の王たちが建造したことになっている。
しかし今も昔も、エジプトには、それだけの建築技術はない。
(まんごとをし、自分たちのピラミッドを作ろうとはしたが、崩れたり、壊れたりし、建設に失敗はしているが……。)
あれほどまでの天文学があったのなら、どうして今に残っていないのか。
あれほどまでの建築学があったのなら、どうして今に残っていないのか。
古ぼけた車で、観光客を乗せ、案内することぐらいなら、だれにでもできるが……。
つまり歴代の王たちは、それ以前からあったピラミッドを、自分たちの「墓」として利用しただけ。
……ということは断言できないにしても、謎は、原点から解く。
言うまでもなく、「原点」とは、「ナスカの地上絵、大十字架(Grand Cross)である。
あの十字架を北に進めば、テオティワカンのピラミッド。
南に進めば、アンコール・ワットのピラミッド。
真一直線でつながっている。
そして改めて検証するまでもなく、テオティワカンの月のピラミッドと、アンコール・ワットのピラミッドは、一卵性双生児のように、よく似ている。
もう一度、確認してみよう。
●テオティワカンの月のピラミッドvsアンコール・ワットのピラミッド
テオティワカンの月のピラミッドvsアンコール・ワットのピラミッド。
形、段数が同じということは、別にし、私は、格段ごとの比率に着目してみる。
……というような重箱の隅をほじくりかえすようなことはやめる。
まさに百聞は一見に如かず。
あとは自分で調べてみてほしい。
ほかにも調べたいことが、山のようにある。
●結論
(1)ナスカの大十字架の北方向には、テオティワカンのピラミッドがある。
(2)テオティワカンの太陽のピラミッドの側面を延長すると、(つまり真南)には、イースター島がある。
(3)イースター島のテラバカ山の山頂と、ナウ・ナウ・モアイを結ぶと、その先にナスカの大十字架がある。
(イースター島と、ナスカを結んだ真直線先に、エジプトのギザのピラミッドがある※。)
(4)ナスカの大十字架の東と南には、アンコール・ワットのピラミッドがある。
(5)アンコール・ワットのピラミッドは、正確に西向きに建てられている。
補足だが、(6)アンコールワットの東北190キロの地点(ここはナスカの大十字架の正極点=ナスカの真反対側)と、ナスカの大十字架の交点を結んだ真直線下に、オーストラリアのエアーズ・ロック(ウルル)がある。
さらにマイナーな補足だが、(つまりあまり意味がないが)、アンコール・ワットと、ナスカの十字架を結んだ途中に、亀ヶ岡遺跡(青森県)があり、そこでは遮光器土偶が発見されている。
日本人の私たちに無視できない事実である。
(以上、※部をのぞいて、私、はやし浩司が発見した。
これを疑う人は、自分で調べてみたらよい。
2012/08/03記。)
なおさらに補足的意見を付け加えるなら、これらの古代文明を宇宙的な視点で指揮した人は、方位、方角には、異常なまでに最新の注意を払っている。
が、距離には、うとい。
言い換えると、距離をあまり気にしなくてもよいような乗り物に乗っていた?
たとえば、エジプトのギザから、ナスカの十字架までは、約1万2000キロ。
同じくエジプトのギザから、テオティワカンのピラミッドまでも、同じく約1万2000キロ。
ほぼ同距離だが、「偶然の一致」と言われると、それ以上の反論は、できない。
以上、テオティワカンとアンコール・ワットの謎について、書いてみた。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 テオティワカン アンコール・ワット)2012/08/03
Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2012++++++はやし浩司・林浩司
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