2012年8月23日木曜日

Aliens' Point of View

【異星人的視点・ホテル葵(あおい)にて】(はやし浩司 2012-08-22)


(古代文明・謎の点と線・はやし浩司 2012ー08-23版)


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Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

すでに夏休みも後半。
残り4日。
西浦温泉(愛知県)の葵に一泊することにした。
電車で約1時間30分。
豊橋で一度乗り換え、蒲郡(がまごおり)で、もう一度乗り換える。
そこで電話すれば、西浦(名鉄)の駅まで迎えに来てくれる。
今日も、露天風呂付きの特別室。
部屋も広い。
前回(2012年1月3日)に宿泊したとき、印象がよかった。
それで今日は、その2回目。

が、このところ、旅行記は書いていない。
とくにこの3週間は、異星人論に、明け暮れた。
おもしろかった。
楽しかった。
夢中で動画を作り、それをYOUTUBEにUPした。

が、それはそれ。
異星人論というより、ここでは異星人的視点について、考えてみたい。
一度、自分を異星人の脳みその中に置いてみる。
その状態で、ものを見、ものを考える。
称して「異星人的視点」。

ときには、この地球を離れ、異星人の目を通し、地球や、そこに住む人間について考える。
けっして悪いことではない。
視野がその分、広くなる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●謎の点と線

 今回グーグル・アースの上で、点と線をつないでみた。
きっかけは、DVD『ピラミッド』。
「ギザとナスカ、それにイースター島は、一直線でつながっている」と。
この一言に、私は電撃的なショックを受けた。

 で、たしかめてみると、まさに一直線。
ただの一直線ではない……ということで、「真・一直線」という言葉を、私は考えた。
「一分(いちぶ)の狂いもなく」という意味である。

●人工的

 が、それで止まらなかった。
私の好奇心が爆発した。
無理にこじつける必要はなかった。
あちこちの点を線でつないでみると、あたかもジグソーパズルのチップ。
線と線が、おもしろいようにつながった。

 で、最終的には、オーストラリアにあるエアーズロック。
あの岩につながった。
(「最終的」というのは、昨日までの段階で、という意味。
この世界は、底なしの深い謎に包まれている。)

 「エアーズロックは、人工的に(?)、そこに置かれた岩」ということを確信した。
ギザやテオティワカンのピラミッドが、人工的であるのと同じように、人工的。
が、私たち人間のことではない。
ここでいう「人工的」というのは、異星人という「人」をいう。
このはやし浩司説を疑う人は、冒頭のビデオを観てほしい。

●異星人

 宇宙人でも異星人でもよい。
しかし今では、人間も宇宙へ飛び出す時代になった。
だから私たち人間とはちがう……という意味で、私は「異星人」という。
そのほうが、ニュアンス的に、私の心情に一致する。

 で、その異星人。
結構、ユーモアのセンスがある。
あのイースター島にしても、ギザのピラミッド、そっくり。
が、完ぺきというよりは、どこか、ちゃらんぽらん。
つまりいいかげん。

●イースター島

 イースター島は、線でつないでみると、その位置になければならない島である。
「偶然」という言葉もあるが、そんな言葉は、ことイースター島には通用しない。
「1+1=2」というくらい、はっきりしている。
1+1が、偶然「2」になったわけではない。
(古代文明史の研究家は、ぜったいそれを認めないだろうが……。)
「こうだろうな……」と思って線でつないでみると、その通りになっていった。
そのひとつに、イースター島があった。

 で、そのイースター島。
どうみても、UFOの形をしている。
左右対称。
……だけではない。
きれいな二等辺三角形になっている。
しかもその形は、ギザのピラミッドを、45度の角度から見たのと同じ。

 それが私に拍車をかけた。
私は、謎解きの世界に没頭した。

●疑問

 疑問がなかったわけではない。
「異星人ともあろう人が……」と、そのつど迷った。

 たとえばあちこちに(道しるべ)らしきものがある。
たいていは巨石を利用したもの。
それを知るたびに、「ナビゲーターのような機器はなかったのか」と。
現代の人間は、車で移動するときは、ナビゲーターを使う。
住所を打ち込めば、あとはそのナビゲーターが、目的地まで誘導してくれる。

 宇宙を自由に航行するような異星人に、ナビゲーターがなかった?

●宇宙からやってきた

 そこで異星人的視点。

 あなたは今、宇宙を航行する異星人である。
そこは上下左右のない世界。
見えるものは、漆黒の宇宙と、無数の星々。
そのあなたが、地球へやってきた。

 第一に、あなたはそのまぶしさに、驚くだろう。
地上へ降り立てば、なおさら。
何も見えないほど、そこは光に包まれた世界。

 あなたはサングラスを取り出す。
「遮光器」でもよい。
それで目をおおう。

 が、何よりもめんどうなのは、(重力)。
地球の重力は、相当なもの。
地球に住んでいる私でさえ、立っているより寝ていた方が楽。
もしあなたが異星人なら、なおさら。
地面に置いた魚のように、あなたの体は、地面にそのまま張りついてしまう。

●目印

 その地上へ、あなたは何とか、降り立った。
歩行補助器具を取りつけた。
顔をサングラスで覆った。
が、ここで最初の問題に突き当たる。
方向がわからない。

 そこに星々が見えれば、自分の位置を知ることができる。
が、地球の上では、それもできない。
そこで、標識ということになる。
が、正確なものでなくてもよい。
(目印)程度でじゅうぶん。

 その目印が示す方向に向かって、一気に加速、上昇すればよい。
30~40キロも上昇すれば、大気圏外に出る。
漆黒の空に、星々が姿を現す。

 ……あとは地上を見ながら、目的地へ向かえばよい。
この方法は、パイロットたちも、日常的に使っている。

●すぐれた土木技術

 つぎに「なぜピラミッドなのか」と考える人も多いだろう。
しかし目印には、ピラミッドしかない。
消去法的に考えると、そうなる。

(1) 長持ちする
(2) 密林でおおわれても、その上に頭を出す。
(3) 地球上にある材料。

 ここで私は、こう気がついた。
いろいろな技術を持っている人たちだが、とくに土木工事には、たけた人たちだ、と。

 どんな技術をもっていたかについては、想像するほかにないが、こういうことらしい。

(1) 強力なレザー光線のようなもので、岩石を、思い通りに切ることができる。
「切る」というよりは、分子レベルで粉々に破壊する。
(2) 岩山であろうが、岩石であろうが、軽々と運ぶ技術をもっている。

 この2つのことができれば、100トン近い岩石であっても運べる。
その岩石をすべすべに加工することもできる。
(あのモアイにしても、太陽の門にしても、100トン近くもあるそうだ!)

●奴隷

 では、人間は、何だったのかということなる。
今でいう遺伝子操作を使ったことは、当然。
異星人たちは、サル同然の人間をつかまえた。
人間を、それなりの知的動物に仕上げた。
聖書風に言うなら、自分たちに似せて作った。
遺伝子を操作した。

 が、同等の生物ではない。
「奴隷」である。
奴隷としての人間。

 こまかい作業は、その人間にさせた。

 ……というように、空想は限りなく膨(ふく)らんでいく。

●共通点

 私たちが「古代文明」と呼んでいるものには、それぞれ共通点がある。
が、何をさておいて最大の共通点といえば、その時代。
紀元前3500年ごろを境にし、3つの文明が同時に栄えた。
中学校で使う教科書風に言えば、(1)エジプト文明、(2)黄河文明、それに(3)メソポタミア文明。

 インダス文明は、それよりもやや遅れて発達した……と、学んだ。
が、こうした考古学的な知識は、ほとんど意味がない。
参考にはなるが、ウソだらけ。

 今回も、イースター島にあるモアイについて、こんなことがわかった。
「墓だった」と。
しかしどこのバカが、あんな巨大な墓など、作るものか!
大きいものになると、高さが8メートルもあるという。
重さは、100トン以上。
ギザのピラミッドにしても、そうだ。

 墓という根拠は、その下に多数の人骨が見つかったからという。
しかし発想が逆。
それはあとからやってきた人間が、墓として利用しただけ。
モアイは、それ以前から、そこにあった。

 あのギザのピラミッドにしてもそうだ。
エジプト人には悪いが、今も、昔も、エジプト人には、あんなものを作る能力はない。
アメリカ人にも、日本人にもない。
ものごとは、常識で考えたらよい。

 つまり古代文明が、ほぼ同時期に、この地球上で生まれた。
「偶然」というには、あまりにも、偶然。
偶然すぎる。

●西浦温泉・葵(あおい)

 先ほど、西浦温泉の葵に到着した。
前回泊まった部屋と同じ、256号室。
広々とした部屋が、気持ちよい。
露天風呂へは、夜、暗くなってから入るつもり。
前回は冬で、寒かった。
今回は、夏。
夜が楽しみ。

●友好的

 話を戻す。

 古代文明を指導した異星人たちは、それなりに友好的だったらしい。
人間に、いろいろなことを教えようとした。
おおざっぱに言えば、シュメール人たちには、数学と哲学を。
黄河流域の人たちには、科学を。
それぞれ教えようとした。

 黄河流域の人たちというのは、ヤンシャオ人だった。
……という話は、私がもつ常識をひとまとめにしたもの。
私ももうすぐ65歳。
その程度の知識はある。

 が、非友好的な異星人もいた。
オーストラリアで核実験を重ねていた異星人も、それ。
これはあくまでも俗説だが、あのモヘンジョダロは、核攻撃で滅びたという。
同じ核兵器だったかもしれない。
爆発するのではなく、強力な熱線だけを放射する。
それで焼き尽くした。

 ……オーストラリアのエアーズロック(Ululu)から西に30キロ。
Mt.オルガス(Kata Tjuta)と呼ばれる山がある。
地下でこの2つの山はつながっているというが、様相はまるでちがう。
Mt.オルガスのほうは、熱で溶けたアイスクリームのようになっている。
 
●約束

 ここにも書いたように、異星人は、一種類ではなかった。
それに何度も地球を訪れている。
そしてそのつど、人間と約束をかわしている。
「旧約聖書」「新約聖書」と、「約」という言葉を使うのは、それをいう。
つまり「神との約束」。
正確には、「神々」。
キリスト教の聖書の中でも、神は、「we(我々)」と語っている。

●モヘンジョダロ

 中には友好的な異星人もいた。
中には、そうでない異星人もいた。
理由が何であれ、モヘンジョダロに伝わる話が本当だとすると、油断してはいけない。
だから私はいつもこう言っている。
「UFOを見ても、近づいてはいけない。逃げろ!」と。

 中には、異星人に出会いたいと願っている人もいるかもしれない。
何か知識や技術をもらいたい、と。
しかし異星人は、そんなに甘くない。
もし会って、あなたと接触すれば、「約束」を破ることになる。
「新約聖書」は、その時点で死文化する。
と、同時に、世界は大混乱。

 あなたは「会いたい」と思うかもしれない。
しかし異星人だって、相手を選ぶ。
残念ながら、あなたごときを(失礼!)、相手には選ばない。

●200回!

 で、この前テレビを見ていたら、こんな男性がいた。
「もうUFOには、200回近く、乗っています」と。
しかしそんなことは、ありえない。
ありえないことは、ここまで私の文章を読んでくれた人には、わかるはず。

 それに異星人といわず、UFOにしても、超常現象と位置づけている人は多い。
霊的(スピリチュアル)な存在と同一視している。
が、異星人にしても、UFOにしても、超常現象ではない。
ギザにピラミッドがあるように、ナスカに地上絵があるように、「現実」である。
「超常」ではなく、「現実」である。

●遊び

 補足的意見。

 点と線をつなぐと、そこに形が現れる。
しかしその形には、ある程度の(遊び)がある。
車のハンドルと同じ。

 それもそのはず。
相手は動き回る人間。
小さな点の中に閉じ込めておくことは、できない。
だから直線といっても、ときには30~100キロ程度の幅をもつことがある。
が、それを誤差と言ってはいけない。

 たとえばギザのピラミッドと、エルサレムと、バビロニアを線でつないでみる。
するとそこに細長い三角形ができる。
ここが旧約聖書と新約聖書の世界である。
広い世界に思う人も多いかと思う。
が、グーグル・アース上で、200キロも上昇すると、一本の線に重なってしまう。
300キロも上昇すると、もう区別さえできない。
そのとき、あなたはこう思う。
「キリストも、この直線の上で生まれた」と。

 キリストが生まれ育ったベツレヘムにしても、エルサレムから10キロも離れていない。
(たったの10キロだぞ!)

●釈迦

 で、今、私は釈迦の謎に挑戦している。
釈迦である。
が、それについて、「釈迦は別だろ」と思う人がいるかもしれない。
しかしこの謎も、異星人的視点の中で考えると、簡単に解ける。

 釈迦によって仏教は開かれたが、それを広めたのは釈迦ではない。
別の人たちである。
で、私は、そこにもうひとつの隠された意図を感ずる。
「だれかが、仏教を後押しした」と。
「そこに謎が隠されている」と。

 キリスト教にしてもそうだ。
もしキリスト教が、ローマで国教とならなかったら、今のキリスト教はなかっただろう。
同じように仏教にしても、そうだ。
アショーカ王に認められなかったら、ここまで広くは伝わらなかっただろう。
(アショーカ王は、釈迦滅後、100~200年後の人とされる※。)

●2段階

 言い換えると、こうした宗教の流布は、2段階になっている。
まず(教えを作り、基礎を作る)。
これが第一段階。
つぎに(それを広める)。
これが第二段階。

 私はこのことを、敦煌(とんこう・中国)を調べていて、知った。
いろいろな遺跡が残っているが、現在に伝わる宗教の石像が残っているのは、敦煌だけ。
その敦煌は、一連の(謎の点と線)の中に、しっかりと組み込まれている。
敦煌は、ギザと隠居を結ぶ直線の下にある。
プレアー・ビヒア→敦煌→モヘンジョダロを結ぶ直線は、しっかりと直角になっている。

 その敦煌に仏像がある。

●試行錯誤

 つまり異星人たちは、それぞれの場所で、いろいろな神を作った。
人間の指導は、人間に任せろ、と。
が、どれも失敗した。
そこで、先に書いた「2段階目」が実行に移される。
それを広めるには、そのときの最高権力者と結託するのが、よい。
仏教は、一時的であるにせよ、インド大陸の国教となった。
キリスト教は、ローマの国教となった。
そのあと、これら両者は、一気に世界に広がった。

 つまりどこか試行錯誤的。
この試行錯誤性の中に、異星人の限界というか、いいかげんさを、私は感ずる。
つまり彼らは、けっして完ぺきではない。
少なくとも、私たちが想像しているほど、完ぺきではない。

●貸し切り風呂

 もうすぐ夕食。
先ほど大浴場で、風呂に入った。
経営者の方には申し訳ないが、大浴場でさえ、貸し切り風呂。
のんびりと、静かな時間を過ごすことができた。

 先週は、舘山寺温泉街(浜松市)にある、Wという温泉に泊まった。
しかし夏休みも、真っ最中。
廊下も食堂も、そして風呂も、子ども連れの客で、身動きも、ままならほどだった。
日をまちがえると、そうなる。

●もし……

 ところでこんな命題。

 もしあなたのところに、日本アルプス全体を支配する一匹のボス猿がやってきたとする。
そしてあなたにこう頼んだとする。
「私たちのところに来て、私たちの王になってくれ」と。

 そのとき、あなたはどう答えるだろうか。
当時の、つまり異星人たちが地球へやってきたときのこと。
異星人には、みな、私たち人間は、猿のような動物に見えたにちがいない。
そんな猿が、あなたを見て、「神」と思ったとしよう。
(思うのは、彼らの勝手だが……。)
それに対して、あなたは、どう反応するだろうか。

 ……想像するだけで楽しい話だが、しかし人間の立場ではどうか。

●失敗作

 猿の王となり、猿の世界に君臨する。
その虚しさ。
その無意味さ。

 おそらく異星人たちも、人間を指導しながら、そう感じたにちがいない。
とくに人間は、ことさら貪欲で、喧嘩ばかりしている。
戦争も絶えない。
まさに欲望のかたまり。
会えば、Sxxの話ばかり。
その欲望を、「愛」と誤解する。

 神ならずとも、「失敗作」と位置づけるかもしれない。
「焼いて殺せ!」と。
……とまあ、そんな過激な話も、どこかであったかもしれない。

●謎解き

 で、それから1000年?
5000年?
1万年?

 先にも書いたが、異星人たちは、何度もこの地球を訪れている。
今も訪れている。
「我々」というのは、複数形。
1人ではない。
1種類でもないかもしれない。

 で、謎解きは今、始まったばかり。
もしこれらの謎の点と線がうまくつながれば、世界の歴史は変わる。
(すでにうまくつながっているが……。)
学校で使う教科書も、こう変わるだろう。

 「紀元前、xxxx年、○○星人たちが、まず、エジプトにやってきた。
ピラミッドを建設した。
その位置がよくわかるように、太平洋上に小さな島を造った。
イースター島と呼ばれている島がそれである。
以後、○○星人たちは、このイースター島とギザをつなぐ線を基準線とした。
数々の文明を、地球上にもたらした」と。

●人間論

 が、悲観的な考え方もしなければならない。
というのも、異星人たちの人間を見る目は、温かいものとは限らない。
冷たい。
全体として見ると、冷たい。
「人間など、相手にしたくない」とさえ思っているかもしれない。
さらに進んで、「人間は、悪質」と考えているかもしれない。

 もしそうでないというのなら、異星人たちは、とっくの昔に姿を現しているはず。
「旧約」であるにせよ、「新約」であるにせよ、約束をしなければならなかった。
人間というのは、異星人にしてみれば、そういう存在にすぎない。

 理由は簡単。
人間のような生物が、これ以上、高度な知識や能力をもったら、この宇宙はどうなるか。
それこそ異星人自身の存在が危ぶまれるようになる。
つまり危険な存在になる。
現に今、核兵器は、容赦なく世界中に拡散しつつある。
宇宙開発と言いながら、中身は、そのほとんどが軍事目的。
私が異星人なら、人間とは接触しない。
へたに弱点を教えれば、自分たちが攻撃されるかもしれない。

●宗教の崩壊

 「自分たちが姿を現せば、人間社会は混乱するだろう」というのは、事実。
その時点で、キリスト教も、イスラム教も、仏教も、崩壊する。
しかしそれが理由で姿を現さないと考えるのは、あまりにも、オメデタイ。
つまりそこまで深く、異星人たちは、人間のことを心配していない。
本音は、逆。
むしろ人間には絶滅してほしいとさえ、願っているかもしれない。

 たいへん悲観的な考え方だが、このことも異星人的視点でものを考えてみるとわかる。

●否定論者

 さて、今回の謎解きは、今、始まったばかり。
昨日は、オーストラリアにある、あのエアーズロックの謎を解いた。
それまでのジグソーとちがい、コマが、ピタリとそこに収まった。
ピタリ、とだ。

 あのエアーズロックは、人工的に置かれた岩だった。
実際には、そこから25キロ前後離れたところにある、Mt.オルガスが「主」だった。
そんなことまでわかった。

 もしそれでも「偶然」という言葉を使うなら、すべてが偶然になる。
「1+1=2」も、偶然ということになる。
詳しくは、どうか私のビデオを見てほしい。

●正体を知りたいだけ

 「私たちは、どこで生まれたか」
「私たちは死んだら、どうなるか」
今回の謎解きは、最終的にはそこまで行く。
また行かないと、私は満足しない。

 ……私は今、あの亀ヶ岡で、遮光器土偶を作った人たちの気持ちがよくわかる。
彼らは、それを見た。
見たという事実が、それを作らせた。
空想の産物であれば、ああまで熱意はつづかない。
また空想では、あそこまで自由に発想を働かすことはできない。
作る過程で、形もさまざまに変化しただろう。

 この私にしても、そうだ。
ワイフと私は、巨大なUFOを目撃している。
最近になって、それとたいへんよく似たUFOが、世界で目撃されている。
「見たものは、見た」。
たったそれだけのことですら、この日本では言いにくい。
が、見たものは、見た。
その事実がこうした一連の謎解きの原動力になっている。

 多くの人には、荒唐無稽な話に聞こえるかもしれない。
しかし私には、まさに「現実」。

 各地で目撃された同じ形のUFOの写真を、ここに載せる。

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このUFOは、アメリカで目撃されたもの。
先日、九州の日田市で会った、F氏が目撃したUFOと色、形がそっくり。
F氏は、私が訪れると、模型まで作って待っていてくれた。
なおF氏は、それまではUFOの否定論者だった。
完全という言葉をつけてもよいほどの、完全・否定論者だった。
娘さんは子どものころUFOを見ている。
それについても、「人に言うな」と、強く叱っていた。
が、見てからは、一転。
ものの考え方が180度、変わったという。

 私はただ、あの夜、ワイフと2人で見たものの、正体を知りたい。
平たく言えば、それだけのこと。
このUFOは、オーストラリアのエアーズ・ロックで、観光客が撮ったもの。



(注※)アショーカ王……在位:紀元前268年頃 - 紀元前232年頃)は、マウリヤ朝の第3代の王。
インド亜大陸をほぼ統一した。釈尊滅後およそ100年(または200年)に現れたという伝説もある。
アショーカ王は、古代インドにあって仏教を守護した大王として知られる。
アショカとも表記される。
(以上、ウィキペディア百科事典より)


Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【今週のBW教室・年長児クラス】

●夏休みということで、今回は2作のみ、送ります。





(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 幼児教室 Kata Tjuta Mt. Olgas Ayers Rock 謎のエアーズロック はやし浩司 Ayers Rock)


Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2012++++++はやし浩司・林浩司

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 8月 24日
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【よい朝】(はやし浩司 2012-06-18 月曜日)

●扇風機

 昨夜、寝る前に扇風機をつけた。
それがよくなかった。
ずっと夢ばかり見ていたような気がする。
で、今朝は、午前3時起き。
……というか、台所でお茶を飲んだ後、もう一回、ひと眠りするつもりでいた。
が、鳥かごの中を見ると、Pippi(ぼたんインコ)が、かごの中で目を覚ましていた。
眠そうな顔をしていた。
そっと手を差し出すと、私の手の中に入った。

 私は眠るのをやめ、そのまま書斎へ。
どこか蒸し暑い。
台風が近づいているという。
ギリシャの選挙結果も、気になった。

 Pippiは、そのまま私のパジャマの中へ。
今は、そのパジャマの中で眠っている。
静かな朝。
6月18日。
月曜日。
メールを開くと、アメリカに住む息子から、父の日の祝いのメールが届いていた。

Good Moroning!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ギリシャのやりなおし選挙

 昨日(日本時間では、今ごろ)、ギリシャでは、やりなおし選挙が行われた。
結果は、もうすぐ出てくるはず。
ロイターなどの出口調査によれば、「緊縮派」の政党が、僅差で「反緊縮派」をリードしているという。
ホ~ッと安堵(あんど)。
嵐の第一波は、何とか、食い止めた。

●Pippi

 ぼたんインコのPippiが、我が家へやってきてから、我が家のリズムが一変した。
Pippiは、鳥というよりは、人間に近い。
感情も、人間そのもの。

 鳥かごの中に入れると、「出してくれ」といった様子で、せわしなく動き回る。
鳴く。
で、その間に、ワイフは料理をし、私たちは急いで食事をすませる。
(料理中は、火を使うので、鳥かごに入れるようにしている。)
が、そのあと鳥かごから出してやると、グワーッ、グワーッと鳴く(=泣く)。
Pippiが、悲しいときに出す声である。
その声が、人間の赤ん坊の、オギャーッ、オギャーッにそっくり。

 「よしよし……」と言ってなだめると、やがて静かになる。
が、今度は、シャックリ。
そのシャックリの仕方も、人間の子ども、そっくり。

 ……今、そのPippiは、私のパジャマの袖あたりのところで眠っている。
じゃまにならないよう、できるだけ静かにキーボードを叩いている。
気を遣(つか)う。
同時に、「これはたいへんなことになった」と思う。
鳥を飼うというよりは、今は、人間の子どもを預かったような心境。

 忠告……中には、「私もぼたんインコを飼ってみよう」と考える人もいるかもしれない。
しかしぼたんインコだけは、安易な気持ちで飼ってはいけない。
利口な分だけ、育て方もむずかしい。

●AD・HD児

 そのPippiの行動を見ていると、そのまま人間のAD・HDの子どもが、Pippiに重なる。
動きが速い。
瞬時に判断し、間断なく、つぎの行動に移っていく。
静かな落ち着きがない。
「ぼたんインコはみな、そうなのかなあ」と思ってみたり、「Pippiは、AD・HD児なのかなあ」と思ってみたりする。

 そこで昨日、近くのショッピングセンターへ行き、ほかのぼたんインコの様子を観察させてもらった。
そこでは、10羽ほど、それぞれが別の鳥かごに入れられ、飼われている。
1~2羽、動きのはげしいのもいたが、大半は、止まり木の上でおとなしく座っていた。
で、それを見た私の感想は、Pippiは、AD・HDかもしれない?

 が、インコも今は、行動期(?)。
好奇心が旺盛で、私が何か新しいことをするたびに、近くへやってくる。
じゃまをする。
昨日もたまたまパソコンのプリンターを少し手前に移動した。
とたん、プリンターに興味を示すようになった。
排紙口の中をのぞいたり、周囲をくちばしでつついたりしていた。

 「生後3か月目になると、こうなのかなあ」と思ったりする。
が、今さら、どうこう言っても仕方ない。
PippiはPippi。
ぼたんインコは、そういうものと割り切って、いっしょに暮らすしかない。

 ……そう言えば、おとといの朝は、私の手の中で眠ってしまった。
しばらく片手でキーボードを叩いていたが、それもやがてできなくなった。
仕事は、中断。
で、Pippiの寝顔を見ていたら、私まで眠くなってしまった。
書斎の椅子に座ったまま、私も眠ってしまった。
このところ、毎日、そんなことがつづく。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●速報

 たった今、 Bloombergの速報が入った。
午前4:00。
どうやらギリシャのやりなおし選挙では、「緊縮派=EU残留派」が、過半数を確保したもよう。
Bloombergは、つぎのように伝える。

『……サマラス氏が率いる新民主主義党(ND)が、再選挙で勝利したもよう。
NDの得票率は29.5%、獲得議席128議席救済合意の放棄を主張する急進左派連合(SYRIZA)は27.1%、72議席、全ギリシャ社会主義運動(PASOK)は12.3%、33議席NDとPASOK合わせて161議席、連立が可能となる過半数を制する』(以上、Bloomberg)と。

 が、その一方で、フランスでは左派政権が誕生。
ロイターはつぎのように伝える。

『……オランド大統領率いる社会党が連携する左派政党と合わせて、国民議会の絶対過半数を獲得し、共産党や緑の党に頼らなくても法案を通せる見通しとなった。
調査会社CSAが出口調査を基に集計、社会党中心の左派陣営は、320議席、過半数獲得には289議席が必要。
サルコジ前大統領のUMPは221議席』(以上、ロイター)と。

 こうした選挙結果を、どう判断したらよいのか。
ギリシャはそれでよいとしても、EU全体ではどうなのか。
総合的にはどうなのか。

 それは5時間後に始まる、東京証券取引所の株価の動向を見れば、わかる。
金価格の動向を見れば、わかる。
ひとまず株価の暴落は避けられた。
金価格の暴落も避けられた。

が、だからといって、株価が上昇するかどうかというと、それはわからない。
金価格については、一時的な下げはあるものの、一時的で終わるはず。
相変わらず買い需要は強い。

 ……ということで、今ごろ、銀行や証券会社では、徹夜で臨戦態勢を取っているはず。
ぼうだいな情報が、世界中をかけめぐっているはず。
その結果は、5時間後に出る。

 株価が上昇すれば、「吉」。
下降すれば、「凶」。
4:27記

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●1ドル=500円

 アメリカの経済学者が、どこかでこんな原稿を書いていた(某経済BLOG)。
「明日かもしれない。しかし3~5年後には、日本の経済は確実に破綻する」と。
「今回消費税をあげても、焼け石に水」とも。

 で、そのとき、1ドルは、500円になる、とか。
といっても、私は驚かない。
1970年ごろ、1ドルは、360円だった。
それが商社で働いているとき、305円になり、そのあと変動相場制に移行した。

 つまり日本は、42年前に逆戻り。
日本→シドニー間の往復航空運賃が、42~3万円。
当時の大卒の初任給が、5万円前後。
手取りが4万5000円前後。
往復の航空運賃だけで、初任給の8か月分。
つまり、そうなる。

 が、心配なのが、食料。
食料価格の暴騰は、もう止めようがない。
全体に現在より、10倍以上になるとみてよい。
価格が10倍というのではない。
当然、給料も名目、上昇するだろうが、実感として、10倍以上になる。
それがどういうものか知りたければ、今日にでもスーパーへ行き、頭の中でそれを想像してみればよい。

 菓子パン1個……1000円。
カップ麺1個……2500円。
ジュース1本……1200円。
お弁当1個……8000円、と。

 が、それよりも心配なのは、工業技術力。
42年前には、その工業技術力で、その後、日本は高度成長を遂げることができた。
が、今は、それがない。
工場そのものが、姿を消した。

 ある学者いわく、「農家の人が、ベンツやBMWを乗り回すようになるでしょうね」と。

 で、何よりも重要なのは、「希望」。
希望を失ったら、日本は、本当にそのまま破滅してしまう。
経済の破綻は、まだ何とかなる。
しかし希望を失ったら、日本というより、日本人の心そのものが、崩壊してしまう。
その希望まで失ってはいけない。

 アテネ大学のセオドシス・ペレグリニス教授は、こう述べている。
「絶望感が背景にある。未来に希望を持てなければ、何もかも壊したくなる」(ロイター)と。

 破壊主義の先にあるのは、社会の混乱、犯罪、無秩序……。
日本は日本で、そうならないよう、何としてもここでその崩壊を食い止めなければならない。

+++++++++++以下、ロイターより転載++++++++++++++

白と黄色に彩られた貨幣博物館の壁には、黒字で「投票所に火を点けろ」という落書きが踊り、「議会を燃やせ」という文字も見える。
また、無政府主義運動のシンボルである円で囲んだAというマークも、町の至る所で見られる。
警察はより深刻な犯罪の増加に追われ、そうした落書きの多くは見て見ぬふりをしている。
しかし過激な落書きは、ギリシャ社会が破綻に向かい始めている象徴にも映る。
落書きがツタのように「増殖」した場所では、野良犬がたむろし、麻薬常習者が大っぴらに薬物を使っている。

洗練された落書きも一部にはあるが、ほとんどは口汚く下品な言葉だ。
そして、観光客にとっては残念なことだが、歴史的建築物も例外ではない。
オーストラリアからアテネを訪れたデビッド・グローブさんは、「どこもかしこも落書きだらけだ」と嘆く。
目抜き通りに立つ教会を写真に収めながら、「不愉快だ。悪意に満ちた心ない破壊行為に過ぎない」と語った。
多くのギリシャ人も落書きには嫌悪感を示すが、同時に、現在国が抱える苦痛を映し出しているという意見も少なくない。
ホテル受付係のカタリナ・アダムさんは「私たちが生きているのは攻撃的な時代だ。
アートは人生を表すというのなら、落書きが攻撃的になるのも無理はない」と理解を示す。
アテネにあふれる落書きに1つの共通したテーマがあるとすれば、それは絶望だ。

市の中心部にある市役所庁舎の外には、ギリシャ神話で知恵を象徴する女神で、アテネの守護神でもあるアテナの像が立っている。
この像の目の部分がペンキで黒く塗り潰されているのが、現在のアテネ市民の心境を象徴しているのかもしれない。

+++++++++++以上、ロイターより転載++++++++++++++
2012/06/18朝記

●アメリカ

 改めて、一言。

 それにしても、アメリカはすごい。
さすが資本主義経済の大本山。

 昨日、自分で調べてみたが、2000年以後、ノーベル経済学賞の受賞者は、23人。
うち21人が、アメリカ人!
(ほとんどが、アメリカ人だぞ!)
残りの2人は、ノルウェー人とイギリス人。
そういうアメリカを相手に、日本など、もとから戦えるわけがない。
底力というか、裾野の広さがちがう。

 将棋にたとえるなら、そこらの中学生が、プロの将棋士と対局するようなもの。
アメリカは、いつも5~6手先まで読んでいる。

 日本の、あの財務大臣を見ていると、不安になるのは、果たして私だけだろうか。


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【親を尊敬しない子どもたち】(BW公開教室)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

年長児のクラスでは、「地図」について学習しました。
その様子をご覧ください。


もう1本は、「娘に「死ね」と言われた母親」からの相談です。
近ごろになく、この相談には、ドキッとしました。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●低俗化する日本文化(MSN&産経新聞の記事を読む)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

「低俗」とは何か?
それは山登りに似ている。
どんな低い山でも、登ってみると意外と高い。
視野が広がる。
たとえば浜名湖の奥に、大草山(標高113メートル)という山がある。
山というよりは丘。
そんな低い山だが、頂上からは、遠く浜松市内まで一望できる。
そのときこう思う。
「山というのは登ってみなければ、わからない」と。

つまり低俗であるかないかは、その人自身が登っている「山」によって決まる。
その高さは、「山」に登ってみなければわからない。
相対的なもの。
低地に住んでいる人には、低地に住んでいる人なりに、そこにひとつの基準がある。
一方、高地に住んでいる人には、高地に住んでいる人なりに、そこにひとつの基準がある。
さらに言えば、高地には際限がない。
上には上がある。
高地に住んでいると思っていても、その向こうには、さらに高い山がある。
そういう高い山に住んでいる人から見れば、それより低い山に住んでいる人は、「低俗」に見える。

人がもつ高邁性(こうまいせい)や、低俗性は、こうして決まる。

Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●2つの記事

 昨日(6月16日)と、今日(6月17日)、2つの記事が目にとまった。
ひとつは、MSNのもの。
もうひとつは、産経新聞のもの。
ともに、それぞれの新聞社が配信しているサイトに、紹介された記事である。

 記事の内容は、重要ではない。
その記事を書いている「視点(=山の高さ)」が、気になった。

(1) 小沢一郎の妻の手記

 MSNは、小沢一郎の妻の手記について、書いている。
離婚した小沢一郎の妻が、ある週刊誌に、手記を載せた。
読むに堪えない醜聞である。
(だからといって、小沢一郎を擁護しているというのではない。誤解のないように!)
小沢一郎という人は、もとからその程度の人物。
今でも、見るからに、その程度の人物。
あの人物にして、あの妻。
泥仕合。
私は週刊誌に載ったその記事を読んで、何も驚かなかった。

 で、それについてMSNは、つぎのように結んでいる。

 『……放射能の件といい、人間性を疑うような言動で、小沢一郎という政治家はこれで完全に終わった。
 それにしても小沢氏、いい齢をして(恥ずかしながら同じ齢だ。金正日も)、なぜそこまで放射能を怖がるのかがわからない。
ここまで生きてりゃ、もういつ死んでもいいくらいの覚悟もないのか。(『WiLL』編集長)』と。

(2) 御用ラッパ手
 
 もうひとつの記事は、北朝鮮と産経新聞の泥仕合。
内容はともかくも、産経新聞のほうは、記事を、やはりつぎのように結んでいる。

 『……先軍政治とやらで人民にはいまだ約束の「白いご飯と肉のスープ」を提供できないまま、ミサイルや核開発に血眼という自分の方の「軍国主義」は棚に上げてよくいう。他人の非難ばかりで済む人民抑圧独裁体制の「御用ラッパ手」は実に気楽でいらっしゃる。(KK)』と。

●一線

 先の記事では、「ここまで生きてりゃ、もういつ死んでもいいくらいの覚悟もないのか」という部分。
つぎの記事では、「いまだ約束の(白いご飯と肉のスープ)を提供できないまま」という部分と、「他人の非難ばかりで済む人民抑圧独裁体制の(御用ラッパ手)は実に気楽でいらっしゃる」という部分。

 ともに書いてはいけないことを、書いている。
つまりいくら相手が相手でも、言ってよいことと悪いことがある。
書いてよいことと、悪いことがある。
その一線を越えたとき、私たちは、それを「低俗」という。

●「ここまで生きてりゃ、もういつ死んでもいいくらいの覚悟もないのか」

 権力の座に、綿々としがみついている。
その世界は、まさに金(マネー)まみれ。
いくら近代的な高層ビルに住んでいても、そこはボットン便所のように薄汚く、臭い。
が、そのことと、「年齢」は、関係ない。
その年齢を計算しながら、「もういつ死んでもいいくらいの覚悟もないのか」は、ない。
百歩譲っても、今回の泥試合と、年齢は関係ない。
私はこの一文を読んだとき、即、自分の年齢をその上に重ね合わせてみた。

 小沢一郎……1942年5月生まれ
 はやし浩司……1947年10月生まれ

 年齢的には、ほとんど差がない。
同年代。
いくら相手を攻撃するとしても、年齢を理由に、「いつ死んでもいいくらいの覚悟もないのか」は、ない。
要するに、言わんとしていることは、「年齢も年齢なのだから、早く死ね」と。
(このばあいは、政治的な死を意味するが……。)

「権力の座に綿々としている」ここと、年齢は関係ない。
若い政治家でも、同じようなタイプの人間はいくらでもいる。
小沢一郎にしてもそうだろう。
政治家としての魂が、一分でも残っているなら、そうは簡単には捨てられない。
「死ね」という言葉は、「すべてをあきらめろ」という意味である。
(だからといって小沢一郎を擁護しているのではない。誤解のないように!)

●視野の狭さ

 いくら相手が相手でも、言ってよいことと悪いことがある。
相手が貧者で弱者なら、なおさら。
それが「白いご飯と肉のスープ」。

産経新聞は、「貧乏人が何をぬかすか」「偉そうなことを言える立場のあるのか」と書いているのに等しい。
(何も北朝鮮を擁護しているのではない。誤解のないように!)
北朝鮮とて、何も好き好んで、そういった状況にあるわけではない。
そのことは、個人というレベルで考えてみれば、だれにだってわかるはず。

 成功者も失敗者も紙一重。
富者も貧者も紙一重。
大きくちがうようで、どこもちがわない。
この原稿を書いたK氏にしても、明日のことはわからない。
この日本のことだって、わからない。
現に戦時中の日本、戦後の日本がそうだった。
日本中が、一億、総「御用ラッパ手」だった。
貧困のどん底で、あえいだ。
たまたま今がそうであるからといって、相手をそのようにののしってはいけない。
……その日本人といえば、「人民抑圧独裁体制」であったあの戦時中の日本を、(江戸時代でもよいが)、美化することはあっても、何ひとつ反省していない。

 つまり視野があまりにも低い。
その視野の低さが、読む人を、息苦しくする。

 先日も、こう書いている評論家がいた。
著名な評論家である。
いわく「あの男(=評論家、私のことではない)は、マスコミの世界からは完全に干されている」(つまり何を書いても、意味がない)と。

 それを読んだとき、私は、「では、この私はどうなのか?」と思った。
私は今も、昔も、マスコミの世界から、完全に干されている。

 マスコミの世界に乗るか乗らないかは、運(チャンス)と、政治力で決まる。
たまたま(流れ)に乗ったからといって、そうでない人を、こきおろしてはいけない。
……これは余談。

●では、どうするか

 低俗性を感じたら、相手にしない。
低俗な人も、相手にしない。
低俗には、恐ろしい魔力がある。
固い心をそのまま溶かしてしまうかのような魔力である。
しばらくそれに染まっていると、染まっていること自体、わからなくなる。

 たとえばAKB48。
まだ幼さの残る少女を商品化し、それを金儲けにつなげている連中がいる。
一方、それを見て、薄汚い商業主義に操られている若者たちがいる。

歌や踊りにしても、聞くに堪えない、見るに堪えないものばかり。
ほとんどが美容整形をほどこしているという。
だったら人形のお面でもかぶって、歌ったり、踊ったりすればよい。
私には、彼女たちの顔の区別すら、できない。
いわんや化粧を落としたら、まったく別人の顔になってしまうだろう。

 だからある賢者はこう言った。
「AKB48の観客のほうが多いからといって、モーツアルトの演奏会よりすばらしいと思ってはいけない」と。

 が、低俗な人には、それがわからない。
(だからといって、私が高邁というわけではない。誤解のないように!)
商業主義が何であるかさえもわからない。
金儲けの道具に利用されながら、それにすら気づかない。

 低俗文化というのは、それを相手にすればするほど、時間の無駄。
無駄になるばかりか、かえって、遠回りをすることになってしまう。
一度低俗性が身につくと、それから抜け出すのに、何倍もの時間がかかる。
さらに無駄な時間を浪費することになる。

●比較

 MSNは、小沢一郎の妻の手記をもとに、小沢一郎に「死ね(=政界から退け)」と迫った。
産経新聞は「貧乏のドン底にいるなら、偉そうなことを言うな」と反論した。

 ふつうの人がそう書くのなら、まだ理解できる。
しかしともに日本を代表する、言論機関。
その言論機関にして、このレベル。
私はここに、この日本の文化の低俗性をみる。

 念のため、誤解があるといけないので、全文をここに掲載させてもらう。
みなさん自身で、私がここに書いたことと、これらの記事を読み比べてみてほしい。

++++++++++++++以下、MSNより++++++++++++++++
2012年0616日 (MSNより)

●「妻からの『離縁状』」で政治家・小沢一郎は「終わった」

週刊誌の歴史に残る大スクープだ。
今週の他誌は顔色なし。
読む気が起こらない(読んでますがね)。

 『週刊文春』(6月21日号)の「小沢一郎 妻からの『離縁状』全文公開」、サブタイトルが「『愛人』『隠し子』も綴(つづ)られた便箋11枚の衝撃」。

 手紙は昨年11月、和子夫人が地元岩手の支援者10人近くに送ったもので、松田賢弥さん(ジャーナリスト)がそのコピーを入手した。

 まず、長年の支援に感謝しつつ、離婚の直接のキッカケを。

 〈実は小沢は放射能が怖くて秘書と一緒に逃げだしました。
岩手で長年お世話になった方々が一番苦しい時に見捨てて逃げだした小沢を見て、岩手や日本の為になる人間ではないとわかり離婚いたしました〉〈為になるどころか害になることがはっきりわかりました〉

 具体的には「東京の水道は汚染されているので料理は買った水でやれ」「食料の備蓄はあるから、塩を買い占めろ」などと言って鍵をかけて家に閉じこもり、ついには〈旅行カバンを持ってどこかへ逃げだしました〉。

 和子夫人は〈国民の生命を守る筈(はず)の国会議員が国民を見捨てて放射能怖さに逃げるというのです〉と呆(あき)れている。

 離婚の原因は既に『文春』が報じた「隠し子」。8年前に発覚した時、小沢氏は夫人にこう言ったという。

〈私との結婚前からつき合っていた●●●●という女性に一生毎月金銭を払う約束で養子にさせた〉〈この●●●●という人と結婚するつもりだったが水商売の女は選挙に向かないと反対され、誰でもいいから金のある女と結婚することにした。
(中略)「どうせ、お前も地位が欲しかっただけだろう」
(中略)「いつでも離婚してやる」〉

 放射能の件といい、人間性を疑うような言動で、小沢一郎という政治家はこれで完全に終わった。

 それにしても小沢氏、いい齢をして(恥ずかしながら同じ齢だ。金正日も)、なぜそこまで放射能を怖がるのかがわからない。ここまで生きてりゃ、もういつ死んでもいいくらいの覚悟もないのか。
(『W』編集長)

++++++++++++++以上、MSNより++++++++++++++++
2012年0616日 (MSNより)

++++++++++++++以下、産経新聞より++++++++++++++++

【外信コラム】ソウルからヨボセヨ 

 北朝鮮の「労働新聞」が12日付で久しぶりに筆者を名指しで非難している。
過去にも何回かあったが金正恩体制になってからは初めてだ。
いわゆる慰安婦問題に関する日本非難の論評の中で、ソウルの日本大使館前に建てられた慰安婦記念像に関し「産経新聞のクロダが妄言記事を書いた」というのだ。

 韓国では慰安婦(問題)は“聖域化”し政府をはじめ誰もブレーキをかけられなくなっているという筆者の記事を読んだらしい。
外国公館へのあんな非礼は前代未聞で「韓国の品格にかかわるのでは」というのが記事の趣旨だったが。

 「労働新聞」は朝鮮労働党機関紙で国を代表するメディアだから、しばしば引用や名指しで議論していただくのは“光栄”このうえない。
ただ「いくらかの金に命を懸け軍国主義勢力の御用ラッパ手」をしていると非難しているが、自分たちが金(経済)に困っているせいか人を非難するときはきまって「金をもらって…」というから面白い。

 先軍政治とやらで人民にはいまだ約束の「白いご飯と肉のスープ」を提供できないまま、ミサイルや核開発に血眼という自分の方の「軍国主義」は棚に上げてよくいう。
他人の非難ばかりで済む人民抑圧独裁体制の「御用ラッパ手」は実に気楽でいらっしゃる。(KK)

++++++++++++++以上、産経新聞より++++++++++++++++

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 低俗性 高邁性 低俗文化 はやし浩司 産経新聞 小沢一郎)


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●嵐の前の静けさ(EUの経済危機)「生き残り合戦」

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

現在(2012/06/17午後)、ギリシャでは、やりなおし選挙が行われている。
結果次第では、世界中の経済が大混乱すると言われている。
が、ギリシャがEUに残るにせよ、EUから去るにせよ、それ自体は大きな問題にはならない。
すでに世界各国は、それを予定し、それなりの準備をしている。
むしろ怖いのは、波及的効果。
スペイン、ポルトガル、イタリアが、そのあとに構えている。
昨今のニュースによれば、キプロスもあぶない。
ギリシャで燃え始めた小さな炎が、EU全体に広がってしまうかもしれない。

そこで、アメリカ(USA)、EU、日本の株価の動向を調べてみた。

(1)USA
USA market

(2)EU
EU Market

(3)日本
Japan Market

このグラフを見てもわかるように、この4月(2012年の4月)(最高値)前後から、日本とEUは、株価を、17%前後、さげている。
一方、アメリカだけは、たったの3・7%!

EUの金融危機問題と日本がいかに連動しているか、このグラフを見ただけでもわかる。
と、同時に、アメリカだけが、ひとり勝ち。
そのこともこのグラフを見ただけでもわかる。
(私もこの3つのグラフを並べてみて、驚いた!)

ここにアメリカのしたたかさというか、アメリカの国家的な経済戦略が見え隠れする。
アメリカにしてみれば、ユーロの台頭は、同時にアメリカ・ドルの弱体化を意味する。
言い換えると、ここでユーロを叩いておけば、その分だけ、アメリカ・ドルは安泰。
もちろんアメリカとて、無傷ですむわけではない。
そこでアメリカが取った戦略は、肉を切らせて、相手の骨を切る。

で、心配なのが、この日本。
おバカ、日本。
本来なら蚊帳(かや)の外であるはずの日本が、EUの株価とほぼ同じような動き方をしている。
ともに17%の下落率(2012年4月~現在)というのも、そのひとつ。
どうしてか?

平たく言えば、日本とEUは、一蓮托生?
「EUの経済危機問題は、遠い海の向こうの話」などと思っていると、とんでもないことになる。
少なくとも、世界は、そう見ている。
「EUのつぎは、日本!」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●借金合戦

 デフレになったら、お金をバラまけばよい……と、私たちは中学生のときに、社会科の授業で、そう習った。
簡単な理屈である。
そこで世界中の国々が、借金に借金を重ね(=国債を発行し)、中央銀行の印刷機を回した。
アメリカなどは、昨年(2011年)だけでも、その前年度(2010年)の3倍ものドル札を印刷した。

 言うなれば、印刷合戦。
借金合戦。
それに負けじと、新興国も、あとにつづいた。

 が、アメリカドルは、強い。
いくら印刷しても、それをほしがる国がある以上、一向に困らない。
EUのユーロがあぶない、日本の円があぶないと危惧されればされるほど、アメリカにとては、有利。
今が、そうだ。
そのことは、冒頭にあげた、株価の動向を見ればわかる。
アメリカだけは、たったの3・7%の下落率で抑えている。

 EUや日本がこければ、そのあと、アメリカのドルは、さらに強くなる。
つまりそれがアメリカの経済戦略。
長期戦略。

(アメリカという国は、本当にすごい!
2000年以後、ノーベル経済学賞の受賞者は、23人。
うち21人が、アメリカ人!
残りの2人は、ノルウェー人とイギリス人。)
そういうアメリカを相手に、日本など、もとから戦えるわけがない。)

 で、この日本は、あまりにも優等生過ぎる。
アメリカの言いなりになり、IMFに5兆円も拠出している(2012年)。
(これに対して、アメリカはゼロ回答。)
どうせ最後にババを引くのは、この日本。
それがわかっていて、5兆円!
どうして日本は、もっと泥臭く、行動できないのか?

……というか、すでに日本は、EU経済にあまりにも深入りし過ぎてしまった。
今さら、手を引くに引けない……そういう状況になってしまった。
つまり一蓮托生。

●嵐

 ギリシャのやりなおし選挙で、どういう結果が出るにせよ、この嵐を収めることは、もうだれにもできない。
日本もそうだが、今さら、印刷しまくった現金を回収するなどということは、不可能。
その(ひずみ)は、産業構造力の弱い国に集中する。
ギリシャやポルトガルは、その一例にすぎない。

 新興国にしてもそうだ。
たとえばここにブラジルのレアル札があったとする。
が、だれもそんなもの、ほしがらない。
(だからレアルは、昨年は1円=55レアルだったが、現在38レアルまで下落。)
インドのルピーにしても、そうだ。

 もちろんこの日本もあぶない。
が、先日、オーストラリアの友人は、こう書いてきた。
「日本はだいじょうぶだろう」と。
オーストラリアの国防省で、アジア分析を専門にしてきた友人である。
「日本には技術力があるから」とも。

 ワインやオリーブでは、この世界で生き残ることはできない。
しかし技術力があれば、生き残ることができる。
友人は、それを言った。

 で、明日から世界は、未曾有(みぞう)の嵐に巻き込まれる。
巨大な台風を何個も集めたような嵐である。
が、日本はふんばる。
こういうときは、最後までふんばった国が勝ち。
お人好しは禁物。
食うか、食われるか。
壮絶な生き残り合戦。
その緊張感だけは、失ってはいけない。

 さあ、がんばろう。
どうであれ、明日はかならずやってくる。
2012/06/17夕方記

追記:先のオーストラリアの友人は、こうも書いてきた。
「韓国には気をつけろ。これ以上、日本は技術を奪われてはいけない」と。

●世界のノーベル経済学賞受賞者(参考)
http://www.ylw.mmtr.or.jp/~gifu-cea/data/nobel/economics.htm

【親を尊敬しない子どもたち】(BW公開教室)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

年長児のクラスでは、「地図」について学習しました。
その様子をご覧ください。


もう1本は、「娘に「死ね」と言われた母親」からの相談です。
近ごろになく、この相談には、ドキッとしました。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【思春期という反抗期】

●ああ、父親たるものは……!

 平成10年度の『青少年白書』によれば、中高校生を対象にした調査で、「父親を尊敬していない」の問に、「はい」と答えたのは54・9%、「母親を尊敬していない」の問に、
「はい」と答えたのは、51・5%。

 また「父親のようになりたくない」は、78・8%、「母親のようになりたくない」は、71・5%であった。

 この調査で注意しなければならないことは、「父親を尊敬していない」と答えた55%の子どもの中には、「父親を軽蔑している」という子どもも含まれているということ。
また、では残りの約45%の子どもが、「父親を尊敬している」ということにもならない。

 この中には、「父親を何とも思っていない」という子どもも含まれている。
白書の性質上、まさか「父親を軽蔑していますか」という質問項目をつくれなかったのだろう。
それでこうした、どこか遠回しな質問項目になったものと思われる。

 ……という話しは、すでに何度も書いてきた。

●それから13年

 先の調査から、13年が過ぎた。
で、先ほどまで最近はどうなったか、それを調べてみた。
便利になったものだ。
ネットで検索をかければ、即座に情報を手に入れることができる。
それに内閣府(旧総理府)は、数年ごとに同じような調査を繰り返している。
そのため青少年の意識のちがいや変化を、数字として知ることができる。

 が、私が調べた範囲では、平成10年以後、同じような調査がなされた形跡がない。
だからこの調査結果を基に考えるしかない。

●繰り返される親子関係

 『子育ては本能ではなく、学習である』。
そういう視点で類推するなら、こうした意識は、つぎの世代へと連鎖していく。
つまり戦後の流れからすると、現在は、平成10年当時の調査結果より、悪化していると考えられる。
(それを「悪化」と言ってよいかどうかという問題もあるが……。
しかし家族というのは、たがいに尊敬しあっているほうがよい。
そういう点で、「悪化」という言葉を使った。)

●尾崎豊

 私の印象では、尾崎豊が『卒業』を歌ったのを節目に、日本の青少年の意識は大きく変わった。
青少年が、自分たちより上の世代に反旗を翻した。

「親に何か言われると、ムシャクシャする」
「親にあれこれ指図されたくない」
「親の言うことは、イチイチ、うるさい」と。

直接的には、親に対し、「アンタには、関係ない」と突っぱねる。
それが「親のようになりたくない」(約80%)という答えとなって、はね返ってくる。

 そこでそうした青少年が、今度は自分が親になる。
そしてこう覚悟する。
「私は私の親とはちがう」
「私はすばらしい家族を築く」
「よい親子関係を作る」と。

 が、現実は甘くない。
結局は、自分がしたこと(=思ったこと)と同じことを、その子どもたちが繰り返す。
子ども、つまり先の親から見れば孫たちが、こう言い出す。
「父親のようになりたくない」
「母親のようになりたくない」と。

 それを世代連鎖という。
だからこう言う。
『子育ては本能ではなく、学習』と。

●変わる青少年の世界

 ネットで検索していたら、こんな情報にヒットした。
たまたま先ほど、市内の地下街を歩いていたら、携帯電話を片手にサーッと通り抜けていった若者(高校生くらい)がいた。
それで気になってあたりを見回すと、そこにいた若者たち、全員が片手に携帯電話をもっているのを知った。
10人はいただろうか。
年齢的には、10代後半から20代。
全員、である。

 それを青少年白書は、こう調査している。

『内閣府がまとめた「平成20年版青少年白書」によると、携帯電話を使ったインターネットの利用率は、小学生27%、中学生56・3%、高校生は95・5%となっています。
もはや中高生にとっては携帯電話の通話機能よりも、インターネットやメールを使っての……』と。

 携帯電話ではなかった。
携帯端末だった。
青少年白書は、「携帯電話ではなく携帯端末」と。
知らなかった!

 そこでたまたま近くにいた中3の女子(生徒)に聞いてみた。
「携帯電話なら、使わなければ利用料金も少なくてすむけど、携帯端末だと、そういうわけにはいかないよね」と。
するとその女子は、こう教えてくれた。
「定額料金にすれば、6000円くらい。学割があるけどね。でもね定額料金にしていない人なんか、月に1万円くらい使っているよ」と。

 話が脱線した。
子どもたちの世界は、日々に変化している。
話しを戻す。

●中学生たちと

 で、この話しを、中学生のクラスでしてみた。
「父親のようになりたくないが、78・8%、母親のようになりたくないが、71・5%ということだけど、君たちはどうかな?」と。

 すると5人いた中学生のうち、4人が、こう言った。
「いろいろなときがあるからね。そう思うときもあるし、そうでないときもある」と。

ナルホド!

 これは、「YES/NO」で答えられるような問題ではないということか。

私「じゃあ、君たちは、お父さんを尊敬しているか?」
子「……ウ~ン、尊敬できる面もあるし、尊敬できない面もあるよね」
子「そうだよね。好きなところもあるし、嫌いなところもある……」
私「お父さんは、うるさくないのか?」
子「うるさいから、そういうときは、『アンタには、関係ないでしょ!』と突っぱねることにしている」と。

 となると、総理府(現在の内閣府)のした調査は何かということになってしまう。
「78・8%」という数字は、どこから出てきたのか。
もしこの数字に信頼性がおけないというのなら、それを基礎に議論を進めること自体、無意味になってしまう。

 それに私のばあいもそうだったが、年齢とともに、親に対する考え方は変わる。
思春期における印象が、すべてというわけではない。
あるいは思春期というのは、そういうものなのか。
直接的には、親に反抗することによって、自立を目指す。

●親の立場から

 どうであれ、子どもは10歳前後(小学3年生前後)から、親離れを始める。
この時期、(家庭)という束縛から自分を解き放ち、友人との(社会)に、自分の世界を移し始める。

 が、ほとんどの親はそれに気づかない。
ほとんどの親は、「私はすばらしい親だ」「私は子どもたちに慕われ、尊敬されている」と思い込んでいる。
が、これが思い込みであることは、数値の信頼性はさておき、先の「78・8%」という数字を見てもわかる。
言い換えると、それが「ふつう」ということ。
つまり、子どもに尊敬されようと思わないこと。
思っても意味はない。

 親は親で、自分の道を行く。
中には家族主義(たいていは行きすぎた家族主義)を信奉し、「家族こそすべて」と考える人も、いる。
「親子の太い絆こそ、何よりも大切」と。

 しかし親子というのは、皮肉なもの。
親のこうした気負いが強ければ強いほど、子どものほうはそれを負担に思う。
その負担感が、かえって、親子の間に溝を作る。
だから親は親で、自分の道を行く。
「子どものため」という義務感、犠牲心は、もたないほうがよい。
もっても、意味はない。
やるべきことはやるが、期待しない。
またそのほうが、結果的に、親子の絆は太くなる。
子どもも親を尊敬するようになる。
だからあのバートランド・ラッセルは、こう言った。

『子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要な訓練は施すけれども、
けっして程度を越えないことを知っている両親たちのみが家族の真の喜びを与えられる』と。

 繰り返し取りあげてきた言葉だが、この言葉の中に、子育ての神髄が凝縮されている。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 父親のようになりたくない はやし浩司 バートランド・ラッセル)


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司


昔、オーストラリアの友人がいつもこう言っていた。親には3つの役目がある。
1つ目は親は子どもの前を歩く。子どものガイドとして。2つ目は子どものうしろを歩く。子どもの保護者(プロテクター)として。そして3つ目は、子どもの横を歩く。子どもの友として。

 日本人は、子どもの前やうしろを歩くのは得意だが、横を歩くのが苦手。
その理由の一つが、日本ではおとなと子どもを分けて考える傾向が強い。
おとなはおとなだが、子どもを半人前の、未熟で、未経験な人間と位置づける。もともと対等ではないという前提で、子どもをみる。

たとえば先日もロープウェイに乗ったときのこと、背中合わせにすわった女性(60歳くらい)が、5歳くらいの孫に向かってこう話していた。「楽チイネ、楽チイネ、おばあチャンと、イッチョ、楽チイネ」と。

5歳といえば、人格の形成期に入る。
その時期に、こうまで子どもを子ども扱いしてよいものか。
子どもをかわいがるということは、子どもによい思いをさせることではない。同じように子どもを大切にするということは、子どもを子ども扱いすることではない。
子どもを大切にするということは、子どもを一人の人格者として尊敬することである。子どもの年齢には関係ない。子どもがたとえ赤ん坊でも、また成人していても、子どもを一人の人間として認める。子育ての基本はここにあり、すべての子育ては、ここを原点として始まる。

 日本には親意識という言葉がある。
この親意識には、2つの意味がある。
1つは「親としての自覚」を意味する親意識。これは重要な親意識である。
もう1つは、「私は親だ」式に、子どもに向かって親の権威を押しつける親意識。

この親意識が強ければ強いほど、親は、子どもの横に立つことができなくなる。
というのも、もともと親意識の根底にあるのは、上下意識。男が上、女が下。夫が上、妻が下。
そして親が上、子が下と。
日本人は長い間の、極東の島国という特異な環境で、独特の上下意識を育てた。たとえば英語には、「先輩、後輩」にあたる単語すらない。

あえて言えば、ジュニア、シニアだが、それとて日本で使う意味とはまったく違う。
言うまでもなく、この日本ではたった1年でも先輩は先輩、後輩は後輩という考え方をし、そこに徹底した支配、従属関係を築く。

 が、今、幸か不幸か、(幸なのだろうが……)、この権威主義が急速に崩れつつある。
その一例が、尾崎豊が歌った「卒業」である。
あの歌は、CDのジングル版だけでも200万枚(CBSソニー広報部)も売れたそうだ。「アルバム版、カセット版も含めると、300万枚以上」ということだそうだ。

あの歌の中で尾崎は、「しくまれた自由」からの「卒業」を訴えた。
私たち団塊の世代(戦後生まれ)にとっては、青春時代は、まさに反権力闘争一色だったが、尾崎の世代(今の父親、母親の世代)には、反世代闘争へとそれが変化していった。

Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【補記】2002年ごろに書いた原稿より

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●子どもの携帯電話を考える

 携帯電話をもつ子どもがふえている。調査のたびに、ぐんぐんとうなぎ昇りにふえているので、調査そのものがあまり意味がない。が、それと同時に弊害も表面化してきた。それらを並べると……

(1)マジックミラー症候群……膨大な情報量の中で、知りたい相手の情報は見ても、自分の情報は流さない。一方的に相手を観察するだけで、自分の正体は明かさない。あるいは他人の意見を知り、それを攻撃することはできても、自分の意見は述べない。情報が一方通行化する。

(2)リセット症候群……一度、嫌いになると、ちょうどスイッチを切るかのように、相手を自分の世界から抹殺してしまう。その後その相手からメールが入っても、それを受けつけないか、無視する。

(3)オセロ症候群……白黒はっきりした人間関係をつくろうとする。敵の敵は味方という考え方をしながら、その色分けをはっきりする。中間色的なつきあいができなくなる。

(4)マトリックス症候群……バーチャルな人間関係を結ぼうとする。相手は無臭、無味、体温の感じない状態のほうが、つきあいやすい。自分の側の臭いや味、感情も文の上でコントロールしようとする。一方、現実の世界の人間とは、心を結べなくなる。

(5)字幕症候群……相手からの文字に、自分の心をのせて相手の文を読む。たとえば相手が「バカだなあ」と書いたとする。相手は冗談のつもりで書いたとしても、その「冗談」の部分はわからない。わからないから、こちらの感情でその文を読んで、ときには憤慨したり、怒ったりする。

(6)携帯電話依存症候群……携帯電話がないと落ち着かない。気分がすぐれない。携帯電話に固執する。

(7)カプセル症候群……メール用語、メールの世界だけしか通用しない用語だけで会話をしようとする。またそれを知らない人を、よそ者的に排斥しようとする。

(8)ワイアレス症候群……膨大な情報の中に埋もれてしまい、自分がわからなくなる。無能化、愚鈍化が進む。一日の行動が決められず、電話の運勢占いにすべてをかける。
(9)グラフィック症候群……音声の会話ができなくなる。メールでは何でも話せるのに、いざその人と直接対面すると、何も話せない。

(10)ボーダーレス現象……性情報が氾濫し、それが見境なく低年齢層に浸透している。

(11)情報のフェザー現象……情報の価値が限りなく軽くなり、その分、思考回路も軽くなる。会話能力の低下、思考能力の低下をきたす。

(12)親指人間、会話能力欠如、言葉の短文化、感情化、短絡化、文字のマンガ化、ムダ話がなくなった分だけ、黙々と携帯に文字を打ち込んでいる。

 ついでに言葉の使い方そのものが、大きく影響を受け始めている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●壊れる日本語

 今日、ある店で、たいやきを2枚買った。
1枚は、あずき。
これは私用。
もう1枚は、カスタード。
これはワイフ用。
そのときのこと、店の若い女性が、袋の詰めながら、こう言った。
「シタアンです」と。

 私は2度も聞き返した。
「シタアン?」
「どういう意味ですか?」と。
瞬間、ポルトガル語かとも思った。

 つまり「2枚重なっているが、下のたいやきが、あずきです」と。
私はそれを知ったとき、日本語そのものが、携端末機化していると感じた。
もちろん文章になっていない。
そればかりか、省略につづく省略。
つまりメチャメチャ。

 しかしこれも時の流れか?
携帯端末機世代がつぎの日本を背負うようになると、私がここに書いているような
文章は、消えてなくなるかもしれない。
たとえば、こうなる。

「・・・夕食まだ。おかず焼きそば。腹へった。油少し願う。ワイフ同意。私待つ」と。

 「それでいいのかなあ・・・?」と、かなり強い疑問を感じながら、たいやきを食べた。
2010年記


Hiroshi Hayashi++++++++Feb.2010+++++++++はやし浩司
Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

(資料そのまま)

●幼児期の虐待と心の傷

 幼いときに受けた育児放棄、いわゆるネグレクトが脳の成長に悪影響を及ぼし、その結果、感覚機能が低下するとの研究結果を横浜市立大学が発表しました。

 横浜市立大学の研究チームによりますと、幼児期に一定の期間、社会的に隔離されたラットは、脳の中の情報伝達で重要な役割を果たす「AMPA受容体」が正常に働かなくなることがわかりました。その結果、脳の中でストレスホルモンが増加して「痛み」や「触覚」を支配する部分の機能が低下し、痛みに鈍いなど神経の障害が出たということです。

 これまでも育児放棄、いわゆるネグレクトなどの異常な環境が脳の成長に悪影響を及ぼし精神疾患を引き起こす可能性が指摘されていて、研究チームは「精神疾患を治療する新たな糸口になるのではないか」としています。(19日07:54)tbs-i 2012

Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

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