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子育て最前線の育児論byはやし浩司 2011年 7月 30日
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●形と立体図形の学習をしました。
(1)まず元気な子どもにする。
(2)角を削っていくのは、そのあと、ですね。
そんな元気な5歳児の声をお楽しみください。
【おまけ・ぼたんインコのPippi】
●ボタンインコの頭のよさには、本当に驚かされます。
高校時代から、ずっと文鳥を飼っていましたが、ぼたんインコがこれほどまでに利口とは知りませんでした。
2012/05/30
Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【思春期vs発情期】(子どもの心を知るために)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
英語で「思春期」は、「adolescence」という。
「adolescnence」は、もともとは、「若々しさ」「発展期」という意味。
一方、日本語の「思春期」は、「ものを思う春」という意味。
が、私は最近、この「思春期」という言い方に、疑問を持ち始めている。
たしかにそういう部分がないわけではない。
多情多感。
感情の動きもはげしく、反応も速い。
好奇心も旺盛で、同時に自分の人生を見つめ始める。
そのつど悩み、苦しみ、そして「ものを思う」。
しかしその実態は、「発情」。
発情期。
発情し、本能と理性のはざまで、葛藤する。
人間は、他の動物のように、本能のまま考え、行動することができない。
いつも目の前に、大きな壁が立ちはだかる。
それが思春期ということになる。
つまり「ものを思う」というのは、あくまでも副次的なこと。
「本能」があり、それが「発情し」、理性とのはざまで、「思い悩む」。
そう解釈すると、あの思春期を、より正確に理解できる。
子どもたちの心理を、より性格に理解できる。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●記憶喪失
近く、こんな映画が、公開される。
予告編だけしか見ていないので、内容は正確ではない。
題名は忘れた。
(題名は重要ではない。)
2人の若い男女が恋愛関係にある。
(婚約もしくは、すでに結婚していたかもしれない。)
女性は結婚指輪をしていた。
が、女性のほうが何かの事故にあい、記憶喪失状態になる。
同時に、男への愛を失う。
男の方は女の愛を取り戻そうと、懸命に努力する。
女のほうも、努力する。
「たがいに奇跡を信じて……」と。
実話をベースにしているらしい。
またこの種の話は、ときどき耳にする。
人は記憶喪失によって、記憶のみならず、ここに書いたように、相手への「愛」を失うこともある。
●絶対的な愛?
ここで最初の疑問にぶつかる。
よく若い人たちは、(もちろん私たちも若いころは、そうだったが)、たがいに好きになると、永遠の愛を誓ったりする。
「愛している」と。
が、この愛は、キリスト教で説く「愛」とは、まったく異質のもの。
あえて言えば、「性的欲望」をカモフラージュするためのものでしかない。
あるいは性的欲望の代名詞と考えてよい。
その一例が、先に書いた、記憶喪失とともに、相手への愛を失った女性である。
もし、愛が絶対的なものであれば、つまり永遠の愛を誓うにふさわしいものであれば、消えるということは、ないはず。
仮に消えても、再び顔を合わせれば、同じ思考回路を経て、脳内で同じような愛が生まれてくるはず。
……少しわかりにくくなってきたので、もう少しわかりやすく説明する。
●ワイフの疑問
結論から先に言えば、男と女が感ずる「愛」ほど、いいかげんなものはないということ。
たとえばワイフは、こんなことを言う。
ワイフは市内の女子高校(当時)の出身である。
1クラス50名ほどいたという。
その友だちを見ながら、ワイフは高校時代にこう思ったという。
「本当にこの人たちは、みな、それぞれがそれぞれの相手を見つけ、結婚するのだろうか」と。
で、それから十年……。
それぞれの人は、それぞれの人を見つけ、結婚していった。
ワイフは、「それが不思議でならない」と。
性格も悪い。
容姿も悪い。
そんな友だちでも、ちゃんと相手を見つけ、結婚し、子どもをもうけた、と。
●愛の柔軟性
となると、「愛」というのは、絶対的なものではないということになる。
もし絶対的なものなら、10人の男と10人の女がいれば、そのうち結婚できるのは、1組か2組、あるいはせいぜい、3、4組?
が、現実には、(もちろん独身を求める人もいるが)、10組のカップルが生まれる。
つまり(相手を求めて選ぶのではなく)、(身近にいる人の中から、1人を選び、自分をその人に合わせていく)。
その過程で、「愛」という言葉が使われる。
わかりやすく言えば、手の届かない高嶺の花よりも、身近にいる道ばたの花(失礼!)。
その花に自分を合わせていく。
もっとわかりやすく言えば、「だれでもいい。近くにいれば」と。
そういう意味では、ここでいう「愛」は、柔軟性に富んでいる。
●絶対?
こう考えていくと、「絶対的な愛」など、もとから存在しない。
身近な人の中から、男も女も、最大限、自分にふさわしい相手を選んでいく。
結婚していく。
「その人が絶対!」というのは、その場かぎり。
そのときはそう思う。
しかし「絶対!」というのは、ありえない。
たまたまもっと(いい人?)が現われ、自分の手の届くところに入ってきたら、今度はその人と恋愛関係に陥るかもしれない。
(現実に、そういう人がいる。
私の身近にいる知人の男性である。
自分の結婚式にやってきた別の女性に、一目惚れ。
結婚式をその場で、ドタキャンし、その人は、その一目惚れした人と、結婚した。
これは本当の話だぞ。)
「絶対」と思うのは、あくまでもその人は知る人の範囲で、という意味である。
このことは、たとえば同窓会などに出てみると、よくわかる。
あるいは若いころ、交際していた人と出会うと、よくわかる。
ときどきこう思う。
「私は、この人(女性)を、一時は死ぬほど好きだったはずなのだが、どうしてこんな人を好きになったのだろう?」と。
●恋愛の賞味期限
だからというわけでもないが、記憶喪失とともに、相手への愛を失ってしまう人がういても、何も不思議なことではない。
先にも書いたように、ここでいう「愛」には、それなりの柔軟性がある。
「Aさんがだめなら、Bさんで。Bさんもだめなら、Cさんで……」と。
大切なのは、入り口ではなく、そのあと、2人で、どういう人生を組みたてていくかということ。
前にもどこかで書いたように、恋愛感情などというものは、脳内ホルモンの作用によって、生まれる。
どこかでフィーリングが一致すると、フェニルエチルアミンというホルモンが、脳内に充満する。
これを「フェニルエチルアミン効果」という。
その人は、空を飛ぶような甘い陶酔感に襲われる。
が、その脳内ホルモンにも、賞味期限がある。
長くて2年~数年と言われている。
恋愛を何度も経験した人なら、その期間は、もっと短くなるかもしれない。
そのときほとんどの男女は、結婚へとゴールインするが、もちろん「ゴール」ではない。
「スタートライン」。
そのときから2人で、無数のドラマを経験し、夫婦としての愛を深めていく。
そういう意味では、「愛」というのは、静かなもの。
音もなく、静かに流れていく。
が、それについても、すでに何度も書いてきたので、ここでは、もう一度、原点に立ち返って「愛」とは何か、考えてみたい。
●恋話(こいばな)
今まで私たちは、「思春期」という言葉に、だまされてきた。
「思春期の最大のテーマは、自我の同一性(エリクソン)の問題です」などと、講演などで話してきた。
しかし今どき、静かに自分の人生を考えている中学生や高校生など、ほとんどいない。
享楽的で刹那的。
場当たり的な人間関係の中で、右往左往している。
で、中身といえば、「発情期」。
またそう考えたほうが、わかりやすい。
そのことは、ファーストフード店にたむろする、若い男女を観察してみれば、よくわかる。
(思い)を語りあっている若い男女は、まずいない。
人生論を語りあっている男女は、さらにいない。
100%と言ってよいほど、中身は、「恋話(こいばな)」。
そういった話が、つぎからつぎへと出てくる。
が、若い人を笑ってはいけない。
●入り口を入ったら出口
60歳を過ぎた同窓会(中学&高校)でも、結局はその類の話に、花が咲く。
60歳を過ぎても、同窓生に会った瞬間から、中学時代、高校時代へと、心がタイムスリップする。
その間に、40年以上もの時間的空間があるはずなのに、それがつながってしまう。
入り口と出口がつながってしまう。
入り口を入ったら、そのまま出口。
で、話すことといえば、「恋話」。
昔のままの「恋話」。
……同窓会には、大学も含めると、もう30~40回は出ているかもしれない。
しかし、ゆっくり話しあう時間がないこともあるが、いまだかって、人生論をしみじみと語りあったことがない。
本来ならそういう話をしたいのだが、またそういう話になっておかしくないのだが、そういう話にはならない。
バカ話とバカ笑い。
(それが悪いと書いているのではない。誤解のないように!)
それで終わってしまう。
●結論
要するに「思春期」と構えるから、話がむずかしくなる。
しかし「発情期」とすれば、わかりやすい。
子どもたちの心理も、ぐんと理解しやすくなる。
ごちゃごちゃと書いてきたが、私は、これからはそうする。
思春期前夜は、発情期前夜。
思春期は、発情期。
それでよい。
●ぼたんインコの発情期
たまたまぼたんインコを飼い始めて1か月になる。
まだ幼鳥に近いが、この先、発情期が来ると、何かと飼いにくくなるという。
「ぼたんインコの飼い方」という本には、そう書いてある。
問題点も書いてある。
たとえば背中をさすってはいけない……発情を誘発する。
巣箱は用意しないほうがよい……発情を誘発する。
発情期になったら、放鳥に注意する……逃げていってしまう、などなど。
だったら人間の子どもについても、同じように考えればよい。
「発情期になったら……」と。
刺激のある写真やDVDは、近くに置いてはおけない……発情を誘発する。
お金で欲望を満足させることを教えてはいけない……発情を誘発する。
発情期になったら、外出、外泊、家出に注意する……妊娠の危険性が高くなる。
が、どういうわけか、そういう発想で、子どもの思春期を説いた本に、出会ったことがない。
どうしてだろう?
たとえば私のことだが、高校2年生のとき、岐阜市にある県立図書館で、女体の解剖図を見ただけで、興奮してしまったことがある。
外人相手の観光ガイドをしていたときのこと。
その娘を見ただけで、道を歩けなくなってしまったことがある。
その娘は、高校生だったが、今で言うタンクトップなる服を着ていた。
胸元が大きく開いていた。
当時の日本人で、そんな服を着ている女の子は、いなかった。
こうした現象は、個人によってみなちがう。
が、その底流は、同じ。
「発情」。
「愛」などという言葉などは、それをカモフラージュするための、方便にすぎない。
つまり、「愛」とは、ただの言葉の飾り。
「ぼくは君を愛している」などと、回りくどいことは言わず、「ぼくは君と性KOUしたい」と言えばよい。(KOUは、「交」のこと。BLOG禁止用語に抵触するので、こう書く。)
そのほうが、ずっとわかりやすい。
それが結論。
今度ヒマがあったら、「発情期の子どもの心理」というテーマで、ものを書いてみたい。
そのほうが、繰り返しになるが、ずっとわかりやすい。
さて、みなさんの子どもは、どうか?
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 発情期 思春期 発情期前夜 発情期の子どもの心理 はやし浩司 愛の絶対性 柔軟性)
2012/05/30
Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【日本企業は、留学経験者を避ける】はやし浩司 2012ー05-31
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
韓国の朝鮮日報は、こんな記事を紹介している。
「日本企業は、留学経験者を嫌う」と。
アメリカのニューヨーク・タイムズ紙をベースにした記事である。
鋭いというか、アメリカ人でも、日本をここまで正確に分析している!
2012/05/31
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●休息を求めて疲れる
たいへん興味深い内容である。
というのも、私自身が、それを経験している。
日本企業が求める社員と、留学経験者との間には、大きな壁がある。
朝鮮日報はそれを指摘し、「このままでは、日本は国際競争で立ち遅れてしまう」と結んでいる。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
++++++++++以下、朝鮮日報紙の記事+++++++++++
●留学経験者の採用を避ける日本企業
米国の大学に在学している韓国人留学生は昨年基準で7万3350人、日本人留学生は2万1290人だった。
日本は韓国の2.5倍の人口を抱えているが、米国の留学生数は3分の1に満たない。
日本では外国の大学出身者の就職が難しく、学生たちが留学したがらないためだ。
米紙ニューヨーク・タイムズは29日付で、日本の企業は依然として留学経験者の採用を避けている、と報じた。
日本の企業には、組織に忠実で、組織から浮かない人材が適しており、外国の大学の出身者は合わないという考え方が根付いていることが、その理由だという。
グローバルな人材を採用しない傾向は、グローバルマインドが求められる金融・文化・サービスなどの業界で、日本が苦戦している状況と無関係ではない、と同紙は伝えている。
同紙によると、日本企業は「外国の大学の卒業生は他人に勝とうという気持ちが強すぎ、同僚たちとうまく付き合えず、離職率が高い」と信じ込んでいるという。
東京三菱銀行の人事部関係者は「私たちが求める新入社員は、会社に長く尽くし、一貫性を持って働ける人。
短期的な利益ばかりを求める人は望まない」と語った。
同行が1年間に採用する社員1200人のうち、外国の大学の卒業生は20人にも満たない。
日本企業の人事担当者1000人を対象にしたアンケートでも、外国の大学の卒業生を採用する意向があると答えた担当者は25%以下だった。
日本企業はまた、留学経験者が上下関係の厳しい日本の組織文化にそぐわないという偏見も持っている。
英国のオックスフォード大学を卒業したある留学生は、日本企業の面接にはきはきした態度で臨んだところ、面接官から「どうしてそんなにはきはきしているのか」ととがめられた。
また、米エール大学出身の留学生は、日本企業でインターンシップをしていたとき、上司の前で腕組みをしたとの理由で注意された。
留学生たちは「日本がグローバル人材を受け入れる準備ができているのか、疑わしい」と口をそろえる。
こうした状況のため、就職活動中の大学生の中には、留学や語学研修経験をアピールすべきかどうか悩む人もいる。
米国で1年間語学研修を受けたある学生は「英語力を自慢すれば、面接官にうぬぼれていると思われるため、つらい外国生活をどう乗り切ったのかに焦点を当てて紹介した」と話した。
日本のある教育委員会の委員は、日本が留学生を「家を出た子ども」のように見なしているとし、「このままでは、日本は国際競争で立ち遅れてしまう」と危機感を募らせた。
++++++++++以上、朝鮮日報紙の記事+++++++++++
●企業型人間
この記事を裏から読むと、こうなる。
日本企業が求める社員像というのは……
(1)他人に勝とうという気持ちが弱い人。
(2)同僚たちとうまく付きあえる人。
(3)会社に長く尽くし、一貫性を持って働ける人。
(4)短期的な利益ばかりを求めない人。
(5)はきはきせず、あいまいな返事をする人。
(6)腕組みをしたりして話さない人。
(7)英語が話せるなどと、うぬぼれた様子を見せない人。
●ポケット
若いころ、某テレビ局の某番組に出たことがある。
そこで本番直前、ディレクターから、いきなりこう注意された。
「ポケットから手を出せ」と。
私は片手を、ズボンのポケットに手を入れていた。
無意識下の行為である。
が、当時も今も、欧米人の多くは、ポケットに手を入れて話す。
大学の教授でも、ポケットに手を入れて話す。
何でもない行為である。
が、「それはまずい!」と。
ここに書いた、(6)「腕組みをしたりして話さない人」というのは、それをいう。
マナーの問題というより、バカげている。
つまりそんなことを問題にすること自体、バカげている。
が、この日本では、問題?
●和をもって、貴しとなす
要するに集団の中で、静かに、おとなしく、『和をもって、貴(とうとし)しとなす』式に仕事をする人のほうが、好ましい、と。
そういうこと。
が、これは日本の基準であって、世界の基準ではない。
つまりこれだけグローバル化が叫ばれながら、しかも戦後65年にもなろうとしているのに、日本の社会は、ほとんど変わっていない。
私はこの記事を読んだとき、「1970代の話か」と思った。
1970年代には、たしかにそうだった。
言い換えると、私たち日本人の体質には、骨のズイまで、封建主義思想が刷り込まれている。
「私はちがう」と思っている人にしても、そうだ。
そう思っているのは、あなただけ。
We are Japanese!
●変わった男
こうして日本人は日本人に作られ、企業戦士となり、企業で一生を終える。
それがどういう人間かは、その人にはわからないだろう。
少し前、大学の同窓会に出たときのこと。
あとでYOUTUBEを再生してみて気がついたが、だれか※が私にこう言った。
「林(=私)は、昔から変わった男だと思っていたが、今でも変わらんな」と。
興味のある人は、つぎのYOUTUBEを見てほしい。
前半部(2分57秒部)に、その声が入っている。
http://youtu.be/1iAyFSKXeqI
しかし本当に変わっているのは、どちらなのか?
……といっても、日本的な基準から見れば、私はたしかに変わっている。
自分でもそれはよくわかっている。
その友人は、それを指摘した。
●名刺
今でもそうだ。
この日本では、どこかの組織に属していないと、とかく生きにくい。
相手も安心しない。
こちらも居心地が悪い。
私が名刺を渡すと、みな、かならずと言ってよいほど、裏まで見る。
表には、「はやし浩司」と住所しか書いてない。
裏は、もちろん白紙。
つづいて、みな、一瞬、けげんそうな表情を浮かべる。
これが日本。
私たちの国、日本。
しかし「このままでは、日本は国際競争で立ち遅れてしまう」。
(すでに、そうなりつつあるが……。)
●その結果
皮肉なことに、その結果が、60代になると、はっきりとわかるようになる。
退職後も、退職前の会社を大切にしている人は多い。
退職前の肩書きや地位を引きずっている人も多い。
が、この(こだわり)こそが、問題。
……と私は思うが、そうでない人には、そうでない。
意識というのはそういうもの。
相対的なもの。
私のほうが、問題ということになる。
が、私は率直にこう思う。
「みんな、会社という組織のために、犠牲になった人たちだな」と。
一度しかない人生を、会社という組織を守るために、棒に振ってしまった。
……というのは、書き過ぎかもしれないが、事実は事実。
「自分のために、自分で生きる」という原点そのものが、最初から、ない。
気がついてみたら、自分の人生は終わっていた(?)。
……昔書いた、『休息を求めて疲れる』という原稿を思い出した。
それを探してみる。
休息を求め、私たちは働きつづけてきたが、やっと休息を手に入れたと思ったとたん、人生は終わっていた……。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
休息を求めて疲れる
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●「休息を求めて疲れる」。
イギリスの格言である。愚かな生き方の代名詞にもなっている格言でもある。
「いつか楽になろう、なろうと思っているうちに、歳をとってしまい、結局は何もできなくなる」という意味である。
「やっと楽になったと思ったら、人生も終わっていた」と。
ところでこんな人がいる。
もうすぐ定年退職なのだが、退職をしたらひとりで、四国八八か所を巡礼をしてみたい、と。
そういう話を聞くと、私はすぐこう思う。
「ならば、なぜ今、しないのか?」と。
私はこの世界に入ってからずっと、したいことはすぐしたし、したくないことはしなかった。
名誉や地位、それに肩書きとは無縁の世界だったが、そんなものにどれほどの意味があるというのか。
私たちは生きるために稼ぐ。稼ぐために働く。
これが原点だ。
だから○○部長の名前で稼いだ100万円も、幼稚園の講師で稼いだ100万円も、100万円は100万円。
問題は、そのお金でどう生きるか、だ。
サラリーマンの人には悪いが、どうしてそうまで会社という組織に、義理立てをしなければならないのか。
未来のためにいつも「今」を犠牲にする。
そういう生き方をしていると、いつまでたっても自分の時間をつかめない。
たとえばそれは子どもの世界を見ればわかる。
幼稚園は小学校の入学のため、小学校は中学校や高校への進学のため、またその先の大学は就職のため……と。社会へ出てからも、そうだ。
子どものときからそういう生活のパターンになっているから、それを途中で変えることはできない。
いつまでたっても「今」をつかめない。つかめないまま、人生を終わる。
あえて言えば、私にもこんな経験がある。
学生時代、テスト週間になるとよくこう思った。「試験が終わったら、ひとりで映画を見に行こう」と。
しかし実際そのテストが終わると、その気力も消えてしまった。
どこか抑圧された緊張感の中では、「あれをしたい、これをしたい」という願望が生まれるものだが、それから解放されたとたん、その願望も消える。
先の「四国八八か所を巡礼してみたい」と言った人には悪いが、退職後本当にそれをしたら、その人はよほど意思の強い人とみてよい。
私の経験では、多分、その人は四国八八か所めぐりはしないと思う。
退職したとたん、その気力は消えうせる……?
大切なことは、「今」をどう生きるか、だ。
「今」というときをいかに充実させるか、だ。
明日という結果は明日になればやってくる。
そのためにも、「休息を求めて疲れる」ような生き方だけはしてはいけない。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●
だからといって、どちらが正しいとか、そうでないとか、そういうことを書いているのではない。
人、それぞれ。
企業戦士になりながらも、自分をしっかりともっている人もいる。
私のようにフリーになっても、失敗に失敗を重ね、貧乏のどん底を這っている人もいる。
が、どうであれ、日本も変わらなければならない。
変わって、世界の標準に自らを合わせなければならない。
が、その前に一度、あの封建時代を、精算しなければならない。
それをしないかぎり、つまりいつまでもNHKの大河ドラマばかり見ていたのでは、日本には明日はない。
このニュース記事を読んだとき、そう感じた。
(注※)「だれか」……大手I商社で、定年まで勤めた友人
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 NHK 大河ドラマ はやし浩司 休息を求めて疲れる 日本人像 日本企業が求める日本人像)
Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【ローソクの残り火】はやし浩司 2012-06-01
(年中4歳児に、形と図形を教える)(はやし浩司 2012ー05-31)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
昼間は見えない。
明るい日差しのもと。
ローソクの灯も、小さな炎。
が、夜になると、その炎が、薄闇の中で、やさしく燃える。
ゆらゆらと、あたりを照らし、ついで、私の過去を照らす。
ローソクの残り火。
人生の残り火。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●孤独
死ぬことは、恐怖でも何でもない。
一瞬の眠りが、そのまま永遠の眠りになる。
すでに何度か、模擬体験をしている。
が、そこに至る孤独が怖い。
徐々に蝕(むしば)まれていく、肉体と心。
その先は、暗闇に包まれた袋小路。
じっと耐える。
闇の中で、静かに目を閉じ、孤独に耐える。
けっして癒されることのない、底なしの孤独。
●モノ
先日、オーストラリアの友人が、私の家に来てくれた。
銀製の飾り物をくれた。
が、私にはモノへの執着心が、すでにほとんどない。
うれしいというより、どうしたらいいか。
それを先に考えてしまう。
事実、私の家からは、モノがどんどんと消えている。
縁のあった人や、子ども(生徒)たちに、分け与えている。
旅行先で買ったみやげものや、記念品。
昔から実家にあった、骨董品や壺。
コレクションで集めた飛行機や、船の模型、などなど。
ビーズで作ったネックレスも、一時は、何十個もあった。
が、今は、1~2個を残すのみ。
置物や掛け軸は、たいはんが、消えた。
古い切手は、ほとんどを使ってしまった。
古銭も、今では、ただの賞品。
がんばった子どもに、賞品として、与えている。
だから当然のことながら、ここ4~5年、モノは買っていない。
必要なモノ以外は、買っていない。
で、ワイフがときどき聞く。
「あなたは何がほしいの?」と。
私はすかさず、こう答える。
「思い出かな……」と。
が、これでは答にならない。
そのあと、「健康」「仕事」……と、答える。
●どう死ぬか
どう生きるか。
が、もっと考えるのは、どう死ぬか。
生きるのもたいへん。
死ぬのもたいへん。
宇宙から見れば、点にもならない小さな空間。
そこで私は生きてきた。
生きている。
が、つぎの瞬間には、煙のように消える。
が、ただの煙にはなりたくない。
この世に「はやし浩司」が生きたという証(あかし)を残したい。
その証が、つぎの世代の人たちの、1歩とまではいかないにしても、半歩でも役にたてばよい。
が、それとてぜいたくな話。
で、考える。
どう死ぬか。
●愚かな人vs賢い人
が、
ないものねだりほど、老後をみじめにするものはない。
……ということが、おぼろげながら、わかり始めた。
大切なことは、そこにあるものに、感謝する。
これは私のワイフが教えてくれた。
が、その感謝がむずかしい。
愚かな人は、それを失って、その価値を知る。
賢い人は、それを失う前に、その価値を知る。
が、問題は、どうすれば、その賢い人になれるか。
それが「感謝」ということになる。
これについても、たびたび書いてきた。
原稿をさがしてみる。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
【老齢期の統合性】
●生きる価値
賢い人は、失う前に、その価値を知り、愚かな人は、失ってから、あわてて、その価値を知る。
わかりやすい例では、健康がある。
健康のときは、健康の価値というのがなかなかわからない。
病気になったり、けがをしたりしたときに、その価値がわかる。
同じように、仕事がある。
仕事をしているときは、仕事をしていることに価値というのが、なかなかわからない。
「早く休みになればいい」とか、「できるだけ楽をしたい」とか、考える。
しかしその仕事がなくなると、とたんに心の中に、ポッカリと穴があいたような状態になる。
それがわからなければ、その反対の状態を想像してみればよい。
もしあなたがこう言われたとしたら、あなたは、どう思うだろうか。
「あなたはもう、何もしなくていい。
あなたの役目は終わった。あなたには用はない」と。
あなたはそれを喜ぶことができるだろうか。
「長い休暇を手にした」と、喜ぶことができるだろうか。
答は、NO!、のはず。
人間の価値は、他者とのかかわりの中で、決まる。
同時に、生きる価値も、他者とのかかわりの中で、決まる。
いわんや、死を待つだけの人生に、いくら健康であっても、あなたは、それに耐えることができるだろうか。
私の知人にこんな老人がいる。
55歳で定年退職してからというもの、優雅な(?)年金生活。一日とて、働いたことがない。
間に、数年ほど、地区の補導委員のようなことはしたことがある。
が、それだけ。
近所のゴミ拾いすら、したことがない。
家の裏に70~80坪ほどの畑をもっているが、まさに庭いじり三昧(ざんまい)。
健康なときは、朝から夕まで、その庭で遊んでいた。
が、このところ健康が、思わしくなくなってきた。
年齢は85歳を超えているのではないか。肥満も重なった。歩くのもままならない。
ときどき、妻に支えられて、庭の中を行ったり来たりしている。
つまりその老人は、定年退職と同時に、死んだも同然という状態になった。
一見、うらやましいような老後生活に見えるが、しかしそんな生活を、だれも、理想的とは思わない。
その老人は、30年という年月を、1年、あるいは1か月にして過ごしているだけ。
(少し、言いすぎかな?)
私も、ある時期、教材づくりに没頭したことがある。
それなりに楽しかった。
お金にもなった。
しかし今、振り返ってみると、そこに何もないことを知る。
反対に、だれかに利用されただけという思いだけが、今になって、後悔の念ばかりが、胸をふさぐ。
つまり仕事といっても、中身の問題もある。
そういうことはあるが、「時間を無駄にした」という思いは、年齢とともに、ボディブロウのように、ジワジワと体に響く。
●我ら、ヤング・オールド・マン!
さあ、私は心に決めた。
もうすぐ満60歳になるが、その日を、私の満30歳の誕生日とする。
その日を境に、私はもう一度、がむしゃらに働く。その日からではない。
今日、今のこの瞬間から、がむしゃらに働く。
どうしてこの私が、老人臭く生きなければならないのか。
老人臭くならなければならないのか。老人らしく生きなければならないのか。
私は自分がすべきことをやる。
(とりあえずは、書きたいことを書く。)
だれのためでもない。
私のためだ。私自身の命のためだ。
「統合性」という言葉がある。
私のエッセーでも、たびたび取りあげてきた。
その統合性というのは、(自分のすべきこと)と、(自分のしていること)を一致させることをいう。(自分のすべきこと)というのは、ほとんどのばあい、(自分のしたいこと)ではない。
それはたとえて言うなら、寒い夜に、ジョギングにでかけるようなもの。
だれだって、コタツの中にうずくまっていたい。
楽をしたい。しかしそれでは、自分の健康を維持することはできない。
統合性についても、同じ。
「したくないから、しない」というのでは、もとから統合性など、望むべくもない。
そうの統合性の確立させる。
それが老後を心豊かに生きる、秘訣ということになる。
ただしそれには条件がある。
統合性を確立するためには、無私無欲でなければならないということ。
打算や功利が混ざり込んだとたん、統合性は、そのまま霧散する。
(結果として、それが利益につがったとしても、それはあくまでも、結果。目的であってはいけない。)
それにこの統合性は、一朝一夕に確立できるようなものではない。
「人生の正午」と呼ばれる、満40歳前後から、その準備に入らなければならない。
「定年退職をした。さあ、統合性を確立しよう!」と考えても、遅いということ。
よい例がボランティア活動。その基礎づくりは、40歳でも遅すぎる。
30歳でも遅すぎる。10代、20代のころからはじめて、その人の基礎になる。
【統合性、チェック・テスト】
(1) 毎朝、起きると、すぐ、すべきことが、あるか?
(2) 毎朝、起きると、すぐ、何かをし始めるか?
(3) 毎日、したいこと、すべきことが、はっきりとしているか?
(4) 毎晩、眠る前に、その日の充実感を覚えるか?
(5) 毎晩、眠る前に、明日の計画が、思い浮かぶか?
これらのテストで、5項目とも当てはまれば、統合性の確立した人ということになる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 統合性 老齢期の統合性 老齢期の生きがい 統合性 チェックテスト チェック・テスト はやし浩司 賢い人 愚かな人 感謝)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●感謝
こうして元気なことに感謝する。
ものが見える。
ものが聞こえる。
ものを考えられる。
それに感謝する。
すべてはここから始まる。
命がないことを嘆くのではない。
今まで生きてきたことに感謝する。
そう言えば、釈迦も同じことを教えている。
それが今朝の結論ということになる。
過去に書いた原稿を2作、添付します。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●ふつうこそ最善
ふつうであることにはすばらしい価値が隠されている。
賢明な人はその価値をなくす前に気づき、そうでない人はそれをなくしてはじめて気づく。
健康しかり、家族しかり、そして子どものよさもまたしかり。
私は三人の息子のうち、二人をあやうく海でなくしかけたことがある。
とくに二男が助かったのは奇跡中の奇跡。
そういうことがあったためか、それ以後、二男の育て方がほかの二人とは変わってしまった。
二男に何か問題が起きるたびに、私は「ああ、こいつは生きているだけでいい」と思いなおすようになった。
たとえば二男はひどい花粉症で、毎年その時期になると、不登校を繰り返した。
中学二年生のときには、受験勉強そのものを放棄してしまった。
しかしそのつど、「生きているだけでいい」と思いなおすことで、私は乗り越えることができた。
子どもに何か問題が起きたら、子どもは下から見る。
「下(欠点など)を見ろ」というのではない。
「生きている」という原点から見る。が、そういう視点で見ると、あらゆる問題が解決するから不思議である。
またそれで解決しない問題はない。
……と書いて余談だが、最近読んだ雑誌の中に、こんな印象に残った話があった。
その男性(五〇歳)は長い間、腎不全と闘っていたが、腎臓移植手術を受け、ふつうの人と同じように小便をすることができるようになった。
そのときのこと。その人は自分の小便が太陽の光を受け、黄金色に輝いているのを見て、思わずその小便を手で受けとめたいうのだ。
私は幸運にも、生まれてこのかたただの一度も病院のベッドで寝たことがない。
ないが、その人のそのときの気持ちがよく理解できる。
いや、最近になってこんなふうに考えることがある。
私はこの三〇年間、往復約一時間の道のりを、自転車通勤をしている。
ひどい雨の日以外は、どんなに風が強くても、またどんなに寒くても、それを欠かしたことがない。
しかし三〇年もしていると、運動をしていない人とは大きな差となって表れる。
たとえば今、同年齢の多くの友人たちは何らかの成人病をかかえ、四苦八苦している。
しかし私はそうした成人病とは無縁だ。
そういう無縁さが、ある種の喜びとなってかえってくる。
「ああ、運動をつづけてよかった」と。
その喜びは、小便を手で受けとめた人と、どこか共通したものではないか。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●それ以上、何を望むか
法句経(ほっくぎょう)にこんな説話がある。
あるとき一人の男が釈迦のところへ来て、こう言う。
「釈迦よ、私は死ぬのがこわい。
どうしたらこの恐怖から逃れることができるか」と。
それに答えて釈迦はこう言う。
「明日のないことを嘆くな。
今日まで生きてきたことを喜べ、感謝せよ」と。
これまで多くの親たちが、こう言った。
「私は子育てで失敗しました。どうしたらいいか」と。
そういう親に出会うたびに、私は心の中でこう思う。
「今まで子育てをじゅうぶん楽しんだではないか。
それ以上、何を望むのか」と。
子育てはたいへんだ。こんな報告もある。
東京都精神医学総合研究所の妹尾栄一氏に調査によると、自分の子どもを「気が合わない」と感じている母親は、七%。
そしてその大半が何らかの形で虐待しているという。
「愛情面で自分の母親とのきずなが弱かった母親ほど、虐待に走る傾向があり、虐待の世代連鎖もうかがえる」とも。
七%という数字が大きいか小さいか、評価の分かれるところだが、しかし子育てというのは、それ自体大きな苦労をともなうものであることには違いない。
言いかえると楽な子育てというのは、そもそもない。
またそういう前提で考えるほうが正しい。
いや、中には子どものできがよく、「子育てがこんなに楽でいいものか」と思っている人もいる。しかしそういう人は、きわめて稀だ。
……と書きながら、一方で、私はこう思う。
もし私に子どもがいなければ、私の人生は何とつまらないものであったか、と。
人生はドラマであり、そのドラマに価値があるとするなら、子どもは私という親に、まさにそのドラマを提供してくれた。
たとえば子どものほしそうなものを手に入れたとき、私は子どもたちの喜ぶ顔が早く見たくて、家路を急いだことが何度かある。
もちろん悲しいことも苦しいこともあったが、それはそれとして、子どもたちは私に生きる目標を与えてくれた。
もし私の家族が私と女房だけだったら、私はこうまでがんばらなかっただろう。
その証拠に、息子たちがほとんど巣立ってしまった今、人生そのものが終わってしまったかのような感じがする。
あるいはそれまで考えたこともなかった「老後」が、どんとやってくる。
今でもいろいろ問題はあるが、しかしさらに別の心で、子どもたちに感謝しているのも事実だ。
「お前たちのおかげで、私の人生は楽しかったよ」と。
……だから、子育てに失敗などない。絶対にない。
今まで楽しかったことだけを考えて、前に進めばよい。
Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【東海北陸自動車道・4車線化への疑問】
諮問委員会とは何か?
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
私は昨年の秋、福井県の大野から電車に乗り、九頭竜川ダムまで。
そこからタクシーで、岐阜県の白鳥町まで、行った。
グーグルアース上で、直線距離にして、約22キロ。
以前は、バスも走っていたというが、採算が合わず、廃止。
さらにその前は、越美北線(旧国鉄)の建設が予定されていたが、これも中止。
で、その高速道路になった。
豪華の上に「豪華」を、3~4つつけてもよいほど、立派な道路。
白鳥町へ下りるあたりでは、ループ式のトンネルになっていた。
が、料金は、ただ。
無料。
交通量が少なく、料金所に立つ職員の人件費も出ない。
それで、ただ。
無料。
秋の行楽シーズンだったが、すれちがった車は、ほんの数台。
……というか、数えていなかったが、記憶に残らないほど、少なかった。
タクシーの運転手ですら、あきれるほどの、無駄遣い。
料金は、4000円だった。
今、日本全国で、こうした道路を数えたら、キリがない。
無駄というより、今後の維持費を計算したら、ゾッとする。
が、無駄使いは、止まらない。
今度は同じく白鳥町から、飛騨清見までの4車線化。
あのあたりを車で走ったことがある人なら、みな、知っている。
町という町は、ほとんどない。
白鳥町にしても、小さな田舎町。
車で市内を走ったら、3~4分でつき抜けてしまう。
そんな町から、飛騨清見まで、4車線化?
距離は約41キロ※。
地元の土建業者たちは、パーティまで開いて大喜び。
そこへ自民党議員も民主党議員も列席。
費用は、???億円!
費用はもちろん、すべて借金。
さらに借金の上に、借金を積み重ねての、借金。
すでにその額、31兆円以上!
バカげているというより、同じ日本人として、情けない。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●有識者というウソ
官僚たちは、「諮問委員会」という委員会をたちあげる。
どういう経緯で、どういう委員を選ぶか、それすら明確ではない。
たいていは「YESマン」のみ。
それを称して、「有識者会議」という。
2002年9月(10年前)に、こんな原稿を書いた。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●諮問機関という、ごまかし
官僚が世間を動かすとき、きまって使われる手法が、「諮問(しもん)委員会」の設立である。
懇談会、研究会、検討会、審議会などという名称を使うこともある。
(名称は決まっていない。
教育の世界には、中央教育審議会などがある。)
まずもっておかしいのは、委員を選ぶときの、その人選のし方。
不明確、不明瞭。
どういう基準で、だれが選んでいるかが、まったくわからない。
委員ですら、どうして自分が選ばれたのか、わからないときがある。
関係機関に問い合わせても、「お答えできません」と言われるのみ。
もちろん委員に選ばれるのは、「イエス・マン」だけ。この世界には、こうした諮問機関をつぎからつぎへと渡り歩いている「有識者?」がいくらでもいる。
そうして委員会は始まるが、(そうした会議はテレビでもよく紹介されるから、みなさんもご覧になったことがあると思う)、会議での討論内容のほとんどは、あらかじめ官僚によって作成される。
そして座長と呼ばれる人が、それを順に読みあげ、「いかがですか?」「ご意見は?」という調子で、会議が進んでいく。
時間は委員一人あたり、約五~一〇分程度。
一方的に意見を述べるだけ。
討論に発展することは、まずない。
大きな諮問委員会でも、回数は五~六回程度。
最後に座長が、官僚の意向にそった結論をまとめて、文書にして、答申する。
それでおしまい。
あとはいわゆる「お墨付き」を得た官僚は、その答申をもとに、したい放題。
大きな国家プロジェクトの大半は、こうして決まる。
空港も、高速道路も、港も、はたまた博覧会も。
日本が官僚主義国家だと言われるゆえんは、こんなところにある。
さて今夜も、あちこちの諮問委員会の模様が、テレビで報道されることだろう。
一度、ここに書いたような知識を頭に置きながら、ああいった委員会をながめてみたらよい。
あなたも諮問委員会のもつおかしさに、気づくはず。
(02-10-17)※
●さらにおかしいのは……
さらにおかしいのは、こうした諮問機関に対して、反対(異議)を唱える機関が存在しないこと。
たいていは、それなりの人物(著名人や学識経験者)を並べる。
まさにそこは水戸黄門の世界。
葵の紋章をかかげ、「控えおろう!」と。
反対運動など、この日本では、起きるはずもない。
国民自体が、キバを抜かれてしまっている。
おとなしく、ハキがない。
で、またまた借金。
●消費税UPと行政改革
今の日本の放漫財政を見れば、消費税UPは、不可避。
やるならできるだけ早いほうがよい。
しかし10%程度の消費税では、焼け石に水。
25%でも、きびしい。
モタモタしていると、世界が日本の国家運営に疑問符をつける。
とたん、日本国債は奈落の底に。
「日本政府に危機管理能力、なし!」と。
が、その前にやるべきことがある。
無駄遣いの是正。
つまりは徹底した行政改革。
公務員の削減と、人件費の削減。
その上で、消費税をUPしないと、国民が納得しない。
公務員だけが我が世の春を謳歌しながら、消費税UPは、ない。
あるとすれば、「国もろとも、奈落の底へ」。
●不気味な静けさ
しかしこの静けさは、いったい、何なのか。
日本人は、あたかも何ごともないかのように、また何ごとも起きないかのように、のんびりと暮らしている。
国の借金など、どこ吹く風。
少し前、新東名(第2東名)が一部開通した。
それについても、マスコミは、祭騒ぎ。
ただの祭騒ぎ。
またそれを伝えるのが、マスコミの使命と思い込んでいる。
「これで東名(旧東名)の渋滞は解消されます」と。
マスコミ自体が、政府の広報機関になりさがってしまっている。
批判精神ゼロ。
追及精神ゼロ。
問題精神ゼロ。
ウソは書かないが(=報道しないが)、本当のことも書かない(=報道しない)。
しかしこの静けさこそ、不気味。
私たちが知らないところで、国政が大きくゆがめられていく。
どうしてあんな田舎に、高速道路が必要なのか?
超の上に超がつく、超豪華高速道路。
道路にもいろいろな建設の仕方があるのだろうが、あまりにも豪華すぎる。
少しでも外国の道路を走ったことがある人なら、だれにだってわかること。
もうこういうバカげた土木建設は、やめよう。
2012/06/01記
(注※)
『NEXCO中日本は、東海北陸自動車道(白鳥IC~飛騨清見IC)4車線化事業、東京外かく環状道路[中央JCT(仮称)~東名JCT(仮称)]、名古屋環状2号線[名古屋西JCT~飛島JCT(仮称)]及びスマートIC(6箇所)について、道路整備特別措置法第3条に基づき、2012年4月20日に国土交通大臣の事業許可を受けましたのでお知らせします。
記
◇事業許可を受けた事業
(1)東海北陸自動車道 [白鳥(しろとり)IC~飛騨清見(ひだきよみ)IC]4車線化 延長:約41km』
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
2010年に書いた原稿です。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●道路の落ち葉(没落する日本、いいのか、このままで!)
+++++++++++++++++++++
このあたりでも、道路の落ち葉を、「ゴミ」と
考える人が増えてきた。
落ち葉といっても、街路樹からの落ち葉。
そのたびに、市の担当課に電話が入る。
「ゴミを何とかしてほしい」と。
が、落ち葉はゴミではない。
自然の循環物。
それが気になるなら、自分で掃除すればよい。
つまりそれをしないから、役人の数ばかり増える。
外郭団体の数ばかり増える。
つまりその分だけ、税金が高くなる。
今、日本の求められている最大の課題は、行政改革。
公務員の削減。
簡単に言えば、公務員の人件費の削減。
本来なら自分たちですべき仕事まで、役所に
させてしまう。
頼んでしまう。
それをよいことに、役所は役所で、どんどんと
権限を拡大し、天下り先としての外郭団体を
増やしていく。
その結果が、今。
日本の法人税の表面税率は、40%(40・7%)を
超えている。
世界でも、最高額!
「日本の論点」(文藝春秋)は、キャノンを例に
あげている。
キャノンの法人税率は、38%。
韓国のLG電子が、19・2%。
アメリカのインテル社が、27・6%(「同書」)。
しかしこれでは勝ち目はない。
はっきり言えば、日本の民間企業は、役人を
食べさせるために金(マネー)を稼いでいるようなもの。
が、これだけではない。
一事が万事。
「日本の論点」は、ほかに、港湾のコンテナ
取り扱い料金、空港の着陸料などの例もあげている。
すべて高額。
ついでに食料品も高額。
他国のそれと比較するまでもない。
さらに悲しむべきことに、東証一部の外国企業は、
とうとう10社になってしまった(2010年9月現在、同書)。
ニューヨーク、ロンドン、シンガポールの
証券取引所には、それぞれ数百社以上もの外国企業が
上場しているというのに、10社以下(同書)。
理由は、翻訳料の負担。
……しかし日本の現状が、ここまで悲惨なものとは、
私も思っていなかった。
想像以上。
あまりにもひどい!
+++++++++++++++++++++
●公務員の給料
いまだに闇に包まれているのが、公務員の給料。
給料というより人件費。
諸手当を含む、総人件費。
が、いったいいくら使われているのか、使われていないのか、それすらわからない。
さらに驚くべきことに、公務員の給料をあれこれ書いただけで、批判の嵐にさらされる。
が、何も私は無理なことを書いているのではない。
「公表したらいい」と書いているだけ。
またそれですべての問題が解決する。
どうしてそんな、当然とも言えるべきようなことが、この日本ではできないのか。
●立派なのは……
もう20年ほど前になるだろうか。
飛騨高山線で高山から名古屋に向かっているときのこと。
断続的に、ひなびた町や農村がつづいた。
農村というより、寒村。
そんな町や村の中に、ときどき場違いなほど立派なビルがあるのを知った。
それが私にはちょうど、虫歯だらけの口の中にある、金歯のように見えた。
おかしな例(たと)えに思う人もいるかもしれないが、私には、そう見えた。
で、つぎの駅から、私は目を凝らして、そういう建物が何であるかを見た。
結果……。
もうここに書くまでもない。
公共施設の建物である。
どうしてこの日本では、公共施設ばかりが立派なのか。
豪華というより、札束を敷き詰めて建てたようなものばかり。
会館にはじまって、図書館、公民館、道路などなど。
最近開港した静岡空港にしても、そうだ。
わずかな利用客のために、静岡県は目の玉が飛び出るようなビルや関連施設を建てた。
オーストラリアにも地方空港はあるが、どこも小さなビルだけ。
雑草の中に滑走路が走っているだけという空港も、少なくない。
●おかしな完ぺき主義
少し前、シドニーでオリンピックが開催された。
そのときのこと。
私はマラソンコースを、テレビで見ていて、唖然とした。
日本ではまず、見かけられない道路である。
スタートやゴール付近の道ですら、でこぼこというか、つぎはぎだらけ。
私の住む団地内の道路でも、それよりもはるかに立派。
土木技術の差というよりは、金(マネー)のかけかたのちがいということになる。
掘っては埋め、掘っては埋め、それを毎年のように繰り返している。
この状況は、あなたが住んでいる市町村でも同じのはず。
そして意味のない道路標識が、角によっては、5~7本ずつ、立っている。
あの道路標識にしても、1本が120万円前後とか(20年ほど前に聞いた話、伝聞)。
粗悪なものよりは、良質なもののほうがよいに決まっている。
しかしそれにも限度がある。
「公共」という呼び名がつくと、それが「超豪華」なものに変身する。
これ称して、「おかしな完ぺき主義」。
やらなくてよいようなところまで、完ぺきに仕上げる。
が、これではいくらお金があっても、足りない。
その結果が、今。
●原点
一方、私は浜松市内と、郊外の山荘での、二重生活をしている。
距離にして20キロ足らず。
車で35~40分の距離。
しかし生活姿勢は、まったくちがう。
山荘の周辺では、道路工事ですら村の人たちが出て、自分たちでする。
道路沿いの草刈りですら、自分たちでする。
落ち葉など、気にする人はいない。
あっても、自分たちで、清掃する。
それがその村の人たちの基本的な生活姿勢。
が、どちらが原点かと言えば、当然、こちらのほう。
つまり自分たちの生活環境は、自分たちで守る。
●質素革命
日本の政府は、お金をかけるべきところを、完全に見誤った。
かけなくてもよいようなところに、無駄なお金をかけ、かけるべきところにかけない。
その結果が、今。
もう一度、ここを読んでほしい。
「……さらに悲しむべきことに、東証一部の外国企業は、
とうとう10社になってしまった(2010年9月現在、同書)。
ニューヨーク、ロンドン、シンガポールの
証券取引所には、それぞれ数百社以上もの外国企業が
上場しているというのに、10社以下(同書)。
理由は、翻訳料の負担」。
時事通信社は、「日本語による経営情報の開示など企業側の負担が大きく、
コストに見合う上場メリットが見いだせないことも外資の撤退に拍車を
かけている」と報道している(2008年)。
いいのか、このままで!
……と叫んで、この話は、おしまい。
既得権益者、つまり公務員の壁を破るのは、容易なことではない。
Hiroshi Hayashi++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司
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