2011年12月10日土曜日

*"Real Steel" *Right and evil

●はやし浩司 2011-12-10夜記(映画・リアル・スティール、ほか)

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今夜は、映画『Real Steel(リアル・スティール)』を観てきた。
土曜日ということで、劇場内は、かなり混んでいた。
内容は、ロボットどうしの闘い。
結構、おもしろかった。
どこか『ロッキー・ザ・ファイナル』を思い起こさせるような映画だった。
最後のシーンでは、かなり涙が出た。
星は4つの、★★★★。
(最近は、映画の採点が甘くなったような記がする。
イコール、何かにつけ、涙もろくなった。)

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●クリスマス・プレゼント

 アメリカに住む孫たちに、クリスマス・プレゼントを送った。
合計で、5個になった。
最初の2個は、孫たちがほしがりそうなもの。
つづく3個は、使わなくなったパソコンとか、ゲーム機、それにカメラなど。

 2年ほど前に買ってやったゲーム機を、まだ大切に使っている様子。
それを聞いて、ジー様の私としては、胸にジンときた。
それで今年は、5個も送った。
あとはクリスマス前に届くことを、願うばかり。


Hiroshi Hayashi+++++++Dec.2011++++++はやし浩司・林浩司

●善と悪

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「この世の中には、4割の善と4割の悪がある」。
すべてが善ではない。
すべてが悪でもない。
が、悪もある。
その割合は、それぞれが4割前後ではないか?
……ということで、私は以前、「4割の善と4割の悪」という
エッセーを書いた。
中日新聞に載せてもらった。

が、この「4割」という数字は、けっして出任せではない。
こんな話を聞いた。

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●300円

 よく道路沿いで、野菜や果物などを売っている。
無人の販売所で、それを買う人は、100円とか200円を貯金箱のような箱に入れて買う。
 私もよく利用させてもらう。
このあたりだと、秋になると、ミカンを売るところが多い。
そういう販売所を出している人に、Kさんという人がいた。
昨年亡くなったが、山荘の造成では、たいへん世話になった。
自宅の周辺に、ミカン園ももっていた。
そんなKさんに、ある日、こう聞いた。
もう20年前近くも、前のことである。

「たとえば1000円分の果物を並べておくと、実際にはいくら、みな払っていきますか」と。
するとそのKさんは、すかさずこう言った。
「700円くらいだよ」と。
つまり料金をごまかしていく人が、(300円分)いる、と。
私が驚いていると、「車の通りの少ないところでは、600円くらいかな」とも。

 それで私は「4割」という数字をはじき出した。
30~40%が、料金をごまかしていく!

●善悪論

 もっとも何を善といい、何を悪というか。
その判断は、むずかしい。
きわめて観念的な概念で、定義づけることは、不可能。
あえて言うなら、みなが常識と思っていることの中に、善はある。
みなが非常識と思っていることの中に、悪がある。
が、だからといって、その常識が正しいとはかぎらない。
非常識がまちがっているとはかぎらない。

 12年ほど前に書いた原稿を探してみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【四割の善と、四割の悪】

子どもに善と悪を教えるとき

●四割の善と四割の悪 

社会に四割の善があり、四割の悪があるなら、子どもの世界にも、四割の善があり、四割の悪がある。子どもの世界は、まさにおとなの世界の縮図。おとなの世界をなおさないで、子どもの世界だけをよくしようとしても、無理。子どもがはじめて読んだカタカナが、「ホテル」であったり、「ソープ」であったりする(「クレヨンしんちゃん」V1)。

つまり子どもの世界をよくしたいと思ったら、社会そのものと闘う。時として教育をする者は、子どもにはきびしく、社会には甘くなりやすい。あるいはそういうワナにハマりやすい。ある中学校の教師は、部活の試合で自分の生徒が負けたりすると、冬でもその生徒を、プールの中に放り投げていた。

 その教師はその教師の信念をもってそうしていたのだろうが、では自分自身に対してはどうなのか。自分に対しては、そこまできびしいのか。社会に対しては、そこまできびしいのか。親だってそうだ。子どもに「勉強しろ」と言う親は多い。しかし自分で勉強している親は、少ない。

●善悪のハバから生まれる人間のドラマ

 話がそれたが、悪があることが悪いと言っているのではない。人間の世界が、ほかの動物たちのように、特別によい人もいないが、特別に悪い人もいないというような世界になってしまったら、何とつまらないことか。言いかえると、この善悪のハバこそが、人間の世界を豊かでおもしろいものにしている。無数のドラマも、そこから生まれる。旧約聖書についても、こんな説話が残っている。

 ノアが、「どうして人間のような(不完全な)生き物をつくったのか。(洪水で滅ぼすくらいなら、最初から、完全な生き物にすればよかったはずだ)」と、神に聞いたときのこと。神はこう答えている。「希望を与えるため」と。もし人間がすべて天使のようになってしまったら、人間はよりよい人間になるという希望をなくしてしまう。つまり人間は悪いこともするが、努力によってよい人間にもなれる。神のような人間になることもできる。旧約聖書の中の神は、「それが希望だ」と。

●子どもの世界だけの問題ではない

 子どもの世界に何か問題を見つけたら、それは子どもの世界だけの問題ではない。それがわかるかわからないかは、その人の問題意識の深さにもよるが、少なくとも子どもの世界だけをどうこうしようとしても意味がない。たとえば少し前、援助交際が話題になったが、それが問題ではない。

 問題は、そういう環境を見て見ぬふりをしているあなた自身にある。そうでないというのなら、あなたの仲間や、近隣の人が、そういうところで遊んでいることについて、あなたはどれほどそれと闘っているだろうか。

 私の知人の中には50歳にもなるというのに、テレクラ通いをしている男がいる。高校生の娘もいる。そこで私はある日、その男にこう聞いた。「君の娘が中年の男と援助交際をしていたら、君は許せるか」と。するとその男は笑いながら、こう言った。

 「うちの娘は、そういうことはしないよ。うちの娘はまともだからね」と。私は「相手の男を許せるか」という意味で聞いたのに、その知人は、「援助交際をする女性が悪い」と。こういうおめでたさが積もり積もって、社会をゆがめる。子どもの世界をゆがめる。それが問題なのだ。

●悪と戦って、はじめて善人

 よいことをするから善人になるのではない。悪いことをしないから、善人というわけでもない。悪と戦ってはじめて、人は善人になる。そういう視点をもったとき、あなたの社会を見る目は、大きく変わる。子どもの世界も変わる。

(参考)

 子どもたちへ

 魚は陸にあがらないよね。
 鳥は水の中に入らないよね。
 そんなことをすれば死んでしまうこと、
 みんな、知っているからね。
 そういうのを常識って言うんだよね。

 みんなもね、自分の心に
 静かに耳を傾けてみてごらん。
 きっとその常識の声が聞こえてくるよ。
 してはいけないこと、
 しなければならないこと、
 それを教えてくれるよ。

 ほかの人へのやさしさや思いやりは、
 ここちよい響きがするだろ。
 ほかの人を裏切ったり、
 いじめたりすることは、
 いやな響きがするだろ。
 みんなの心は、もうそれを知っているんだよ。
 
 あとはその常識に従えばいい。
 だってね、人間はね、
 その常識のおかげで、
 何一〇万年もの間、生きてきたんだもの。
 これからもその常識に従えばね、
 みんな仲よく、生きられるよ。
 わかったかな。
 そういう自分自身の常識を、
 もっともっとみがいて、
 そしてそれを、大切にしようね。

(詩集「子どもたちへ」より)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●善と悪

 要するに、善と悪と、2つに区別することのほうが、まちがっている。
とくに善人と悪人を区別することのほうが、まちがっている。
善も悪も、紙一重。
善人も悪人も、紙一重。
同じ善(善人)でも、見る人がちがえば、悪(悪人)に見えることがある。
同じ悪(悪人)でも、見る人がちがえば、善(善人)に見えることがある。

 だから私たちはそのつど常識をみがき、その常識に従って生きていくしかない。
それを決定づけるのが、(思考)(思索)ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 善と悪 善悪論)


Hiroshi Hayashi+++++Dec.2011+++++はやし浩司

【今週から、数の勉強】(年長児)「1~100までの数」








Hiroshi Hayashi+++++Dec.2011+++++はやし浩司

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