2011年12月22日木曜日

*Emotional Disturbance of a Child

●12月21日(TSUTAYAにて)

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今夜は久しぶりに、TSUTAYAにやってきた。
車で自宅から、5分ほどの距離。
奥の、左の一角に読書コーナーがある。
400円前後で、コーヒーやココアを飲むこともできる。
そこへ読みたい本を持ち込み、つまり「立ち読み」ならぬ、「座り読み」が、できる。

書籍(雑誌、週刊誌を含む)というのは、そういう商品。
書店は売れなければ、そのまま返本(=返品)できる。
汚れても、折り曲がっても、どうということはない。
出版社へ返本すればよい。
書店にしてみれば、痛くもかゆくもない。
だからこういうサービスができる。

客の私たちにとっては、ありがたいサービス。
新刊書でも何でも、読み放題。
が、その分だけ、心のどこかで何かしらの罪悪感を覚える。
週刊誌2冊で、350+400=750円。
だからこうして、飲みたくもないミルクやコーヒーを買う。

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●二日酔い

 とりあえず……ということでもってきたのが、週刊誌4冊。
(あとで知ったが、「持ち込みは2冊まで」だ、そうだ。

「週刊文春」と「週刊ポスト」を、おおかた読み終える。
あちこちで、カチンときたが、今夜は、あまりそれについては書きたくない。
今日は朝から二日酔い。
昨夜寝る前に、チューハイ(発泡酒)を一杯飲んだのが、悪かった。
アルコールを飲めない私が、酒を飲む……。
このところ、そんなバカなことばかりしている。
そのツケが、今朝、どっと出た。

 今は、できるだけ、精神を安定させたい。

●正面の男

 私とワイフは、喫茶コーナーの一番奥に陣取った。
右横は、黄土色の壁。
背中側は、茶色の壁。
左横に、どこかのネームカードをぶらさげた女性が2人、座っている。
学生なのか、たがいに何やら教えあっている。
左前にも、似たような女性が2人、座っている。
ノートを見ると、大腸の絵が、ミミズのように描いてあった。
看護学校の学生か、何かのだろう。

 得体のわらからないのが、正面、つまりワイフの背中側に座っている男。
作業帽子を深くかぶり、深いえりのついたジャンパーを着ている。
えりは鼻の下まで届き、顔はほとんど見えない。
芸能雑誌を熱心に読んでいる……というより、ときどき、周囲の動きに目を配っている。

 腕時計をしている。
ジーパン。
ジャンパーは、農作業の人が着るような、作業服。
服装とは不似合な、明らかに安物とわかる派手な靴を書いている。
白地に薄い水色の線が、3本。

 「何をしている男だろう……?」と。

 テーブルの上に、i-podを、これみよがしに置いている。
年齢は、……今、顔をあげたが、30歳くらい。
40歳くらいに見えたが、30歳くらい。

●正面の男(2)

 いや、もう1人、いた。
左奥に、小さく体を丸めて、1人の女性がノートに何かを懸命に書き込んでいる。
左前の2人の女性の陰に隠れて、今まで気がつかなかった。
その女性は、本当に勉強しているといったふう。
ただひたすら、ノートに何かを書き込んでいる。

 あとの女性は、勉強というより、おしゃべり。
小声だが、それでも雀がさえずるように、ペチャペチャ、クチャクチャ……。
加えてBGMは、すっかりクリスマス・ムード。
ジャス風のクリスマス・ソングが、ずっと流れている。

 前の男が席を立った。
うしろ姿を見た。
首から頭にかけ、すっかり禿げあがっているのがわかった。
帽子を深くかぶっている理由が、それでわかった。
手にした雑誌を見ると、それには『flick』と書いてあった。

『flick』?
私の知らない雑誌である。
男は、私の住んでいる世界とは、別の世界に住んでいる。
そう思った。

●DVD

 2階が、DVDショップになっている。

私「何か、新しいのを借りたの?」
ワ「メリル・ストリープのと、それに新作を1本、ね」
私「フ~~ン」と。

 ……その男を見ながら、30年前に亡くなった、今井 修氏(実名)のことを思い出した。
そのとき32、3歳だった。
焼酎とタバコを片手に、いつも原稿を書いていた。

 最後に会ったのは、ショッピングセンターの中だった。
一角に小さな椅子が置いてあり、今井 修氏はそこに座っていた。
話しかけても、何も言わなかった。
うつろなまなざしで、宙をぼんやりとながめていた。

 あとでわかったことだが、そのとき、今井 修氏は、ホスピスにいた。
そこを抜け出し、そのショッピングセンターへ来ていた。
今井 修氏が食道がんで亡くなったと知ったのは、それから1か月もたたないときのことだった。
私は、今井 修氏ががんだったということも、またホスピスにいたということも知らなかった。
だからそのときは、今井 修氏の態度に少なからず、ショックを受けた。
冷ややかな態度だった。
「どうして怒っているのだろう?」と。

●死に行く人

 今までに死に行く人を、何人か見かけてきた。
数年前に亡くなった、大学の同窓生のIK君も、そうだった。
亡くなる、ちょうど2か月前ほどに、街中で偶然、会った。
話しかけたが、やはり私を避けた。
やや強引に、私は近くの時計店に誘ったが、迷惑そうだった。

 そのときワイフも横にいた。
ワイフも同じように感じたらしい。
「IKさん、おかしいわね」と。

 IK君は、そのあとしばらくして、病院で亡くなった。
直接の死因は肺炎ということだったが、あとで聞くとそのとき、前立腺がんが大腸に転移していたという。

 前の席に座った男が、どうこうのと書いているのではない。
その男のもつ、どこか暗い雰囲気が、気になった。

●8時半

 ワイフが、こう言った。
「8時半よ……」と。

私「山(=山荘)へ行く?」
ワ「そうね……。頭(=頭痛)治ったの?」
私「うん、まあね……。山でビデオを観るの?」
ワ「時間があればね……」と。

●資料

 週刊ポスト誌(2011年12月23日号・P46)には、こうある。
「職業別官民格差」として、一覧表が載っている。
(かっこ)内は、民間平均。

バス運転手 ……526万円(344万円)
自動車運転手……541万円(234万円)
清掃職員  ……604万円(210万円)
守衛    ……548万円(293万円)
福祉施設職員……574万円(289万円)
幼稚園教諭 ……598万円(330万円)
看護師   ……521万円(427万円)
用務員   ……534万円(274万円)

定年退職金……2452万円(2075万円)

(以上、筆者のほうで、1000の位で四捨五入。)

(注:公務員は「地方公務員給与実態調査結果」(総務省・平成22年)、
民間は、「賃金構造基本統計調査」(厚生労働省・平成22年)による。
「自動車運転手は、公務員は公用車、民間はタクシー。
民間の「清掃職員」は、ビル清掃員をいう。)
 
 週刊ポスト誌は、こう伝える。
「役人という肩書をもつだけで、2倍近い給料を受け取っている」(P47)と。

 ほかにも驚くべき事実が、官僚の発言として紹介されていた。

「……知的水準の低い一般国民から、保険料をまきあげる……」
「官僚の出世の条件は……国民からカネを巻き上げて、省益を拡大させること」(以上、ポスト誌、覆面座談会の席で)と。

 公務員の給料が民間の2倍近くもあるのは、「優秀な人材の確保のため」だそうだ。
また国家公務員と地方公務員の給与格差がほとんどないのは、地方公務員の不満を抑制するためだそうだ(ポスト誌)。
先にあげた官民格差表でいう「公務員」は、地方公務員の給与をいう。

 ……こんな日本が、どうして北朝鮮の悪政を笑うことができるだろうか。

●相談

 たった今、メールを開くと、こんな相談が届いていた。

【韓国在住のKUさん(母親)より、はやし浩司へ】(一部、文字化け)

【 お子さんの年齢(現在の満年齢) 】:満4歳
【 お子さんの性別(男・女) 】:男
【 家族構成・具体的に…… 】:
父母、姉(10歳。精神遅滞)、祖父、祖母

【 お問い合せ内容】

韓国在住の来月満4歳になる男の子の母子分離不安について相談します。

母子分離不安について検索していると、はやしさんのサイトに行き着き、母子分離不安についての解答を拝見させていただきました。
家の事情もあり、もう少し具体的どうしたらいいか知りたく、メールしています。
上の子は10歳ですが、重度の精神遅滞があり、まだ一人で歩けず、話せません。
1歳前後の状態で、オムツをしています。
激しく泣いたり、物をなめたりかんだり、泣いてもなぜ泣いているのかわからなかったり、一緒にいてほしかったり、眠いのに眠れなくて、ないていたり、手がかかります。

下の子が生まれてからも、上のこの障害児保育園(家から遠い)や物理治療などに通うのに私が連れて行って、その間下の子はおじいちゃんかおばあちゃんと一緒にいました。
下の子が2歳になった時、上の子が小学校に就学させたのですが、(韓国では親の判断で入学を遅らせることができる)、小学校の送り迎えや、お昼の食事介助などで手がかかるので、下の子を保育園に入れました。

送るのはおじいちゃんおばあちゃんがしてくれたのですが、あまりにも泣いくので3日ほどで泣くのが耐えられないとやめさせてしまいました。
次の年、満3歳になった時再び送ったのですが、やはりおじいちゃんとおばあちゃんがやめさせてしまいました。
それでも、私があまりにも大変なので、その5月から再び送りました。

今度は時間をやりくりして、私が送りました。
相変わらず泣いていくのですが、保育園の先生の言うとおりがんばって送りました。
2週間ぐらいはお昼ぐらいに帰ってきていました。
しかし、私が顔面神経麻痺にかかってしまい、その後5時まで送っていました。
朝は相変わらず激しく泣いて行き、帰ってくると元気がない、1ヶ月ほど様子を見ていたのですが、「このこまでおかしくなったらどうする?
嫌がる子を保育園に送っていって、後で精神科に通っている子もいっぱいいる」など、周りに言われ心配になり、やめさせました。

先生いわく、おじいちゃんおばあちゃんにとってもかわいがられ、甘やかされて育っているので忍耐力がまだない、とのこと。
園でも「たいくつだ」と先生に言ってばかりで、友達が寄ってきても遊ぼうとしない、お昼寝もしない、そうです。

姉の事もあって、お母さんをお姉ちゃんに取られるという心配もあるのかも、とも。
3ヶ月まえから・u梛:・・ぢ回の美術の習い事を始めたのですが(美術というより友達を作るため)、本来部屋で子供2,3人と先生とでするのですが、子供が離れようとせず、私が部屋の中の隅で座ってみていないといけません(先生の提案で)。
少しずつ、しばらくしたら部屋の外に出て行けるようにはなったのですが、「窓からずっとみていて」とか途中で「お母さんどこ?」と出てきたりします。
友達と遊びたい気持ちがあって、同じ教室の女の子のお世話?をしたり、ゆずってあげたり。
お母さんが一緒で子供と遊ぶ機会があればいいのですが。

最近の韓国は、1歳過ぎから保育園に通う子が多く、公園にいっても遊ぶ子がいなく、習い事なども夕方の時間しかなく(昼間は子もがいないので)、このまま保育園にいかずうちで過ごすのもどうなのか悩んでいます。

月数の少ない48ヶ月までの文化センターなどのクラス(お母さんと一緒にする)はある事はあるので、同い年ではない、小さい子達と混ざってでも、したらいいのかなぁとも考えています(来年は保育園に送らないで)。

家では、「遊ぼう、遊ぼう」と人形遊びやブロックなど私とやりたがります。
一人ではほとんど遊べません。
私もずっととなると疲れて、いやになります。
休日など公園に行っても、別の人がいると遊ばず、「いなくなるまで待ってる」とただ見ています。

うちに来る私の友達などは割りと問題なくいられるのですが、外で会う知らない人やたまにあう人には警戒心丸出しで、「嫌いだ、いやだ、あっち行け」などと言います。
美術の先生にも、です。

朝は上の子を学校に送りに行く時はおじいちゃんかおばあちゃんに見てもらうのですが、おじいちゃんがいるとき(一日おきの仕事をしている)は「お母さん、いってらっしゃい」と送ってくw)€「譴襪里任垢・△、个△舛磴鵑了・蓮◆岼貊錣帽圓・繊廚筏磴い特紊い突茲泙后・發β腓④・覆辰燭里念貊錣僕茲討發いい里任垢・△、个△舛磴鵑・蹐覆い・蕕醗貊錣帽圓・擦泙擦鵝・・w)現状をだらだら書いてしまいましたが、サイトに書いてあるように、対人恐怖症というのもあると思います。

又、スキンシップも「抱っこ、抱っこ」とせがむ時はしてあげているし、十分にしていると思っているのですが、思っている以上に足りないのでしょうか?
上の子も家ではけっこう泣くので、この子もみんながストレスを抱えているようです。
八方塞のように感じて、アドバイスいただけるとうれしいです。
(以上、相談より。)

【はやし浩司より、韓国のKUさんへ】

KU様へ

こんばんは!

現在、出先なので、
あとでゆっくりと返事を書きます。

大切なことは、(現実)と闘うことではなく、(現実)を受け入れることです。
「私は私」と居直ることです。
こと子育てについて言えば、闘っても意味はありません。
居直れば、おのずと、道が前に見えてきます。

あとは静かに、その道(流れ)に身を任せてください。
温かい愛情と、生きていく勇気を見失わずに、ね。

あなたの子どもは、今、あなたに何か尊いことを教えるために、そこにいます。
子どもに教えを乞うてください。

あなたはすばらしい人になれますよ。
どうか、自信をもって、前に進んでください。

またあとで返事を書きます。

はやし浩司

●幼稚園教諭 ……598万円(330万円)

 さきほどあげた「官民格差」で気になったのが、幼稚園教諭の給料。
公立幼稚園の教諭が、598万円。
私立幼稚園の教諭が、330万円。

 本当かな?、と思った。
公立幼稚園の教諭についてではない。
私立幼稚園の教諭についてである。

私が知る範囲では、私立幼稚園の教諭は、330万円も、もらっていない。
月額に換算すると、(12か月で割ると)、27~8万円。
退職金にしても、定年退職時まで勤める教諭は、ほとんどいない。
だから2000万円以上の退職金など、こと私立幼稚園の教諭に関して言えば、ありえない。

 どこの幼稚園(私立)でも、人件費は、削るだけ削っている。
まず未婚の若い教諭を、インターン(見習い)の形で雇う。
結婚と同時に退職……というのが、暗黙の了解事項になっている。

相場では、そういう若いインターンは、月額10数万円程度。
(手取りで、月額14~5万円と聞いている。)
ボーナスを入れても、330万円ということは、ありえない。
どこからこんな数字が出てきたのだろう?

 公立幼稚園のばあい、ありとあらゆる労働者の権利が認められている。
産休で3年間休職したとしても、職場を失うことはない。
さらにたいていの教諭は、最終的には園長に昇格したあと、退職する。

 「幼稚園の先生になるなら、公立の幼稚園」というのは、この世界では常識。
役人の言葉を借りるなら、「知的水準の高い教諭は、公立幼稚園。知的水準の低い教諭は、私立幼稚園」(「週刊ポスト」誌)ということか。

 ……グググーッと怒りがわいてきたが、今夜はここまで。
もちろん一人一人の役人に責任があるわけではない。
責任を感じてほしいと書いているのでもない。
が、このままでは、日本は本当に沈没してしまう。
怒りというより、私は強い危機感を覚える。

●知的水準?

 知的水準とは何か?
あの片山さつき氏は、私の地元で国会議員に当選したあと、東京に戻り、こう言ったという。
「(浜松の)田舎者は、私が土下座すれば、イチコロよ」(雑誌「諸君」)と。

 が、こうした差別意識は、何も片山さつき氏だけのものではない。
ある男は、私にこう言った。
某大銀行の部長職をしていた。
「退職したら、君の故郷のM市にでも行き、市長でもしようかな」と。

 なぜ、人は、こんな愚かなことを言うようになるのか。
そのルーツをずっとたどっていくと、そこにあの「受験競争」が、見え隠れする。
そういう意味では、意識というのは、恐ろしい。
中学生でも、高校生でも、受験競争に勝った(?)とたん、おかしなエリート意識をもち始める。
「勉強ができる人ほど、優秀」と。
返す刀で、「勉強ができないヤツは、劣等」と。

が、それは待ってほしい。
私はこの40年間、受験生と言われる子どもを指導し、側面から観察してきた。
もちろん中には「優秀な子ども」もいる。
しかしそういう子どもほど、最後の最後まで謙虚さを失わない。
推薦で、一流大学の一流学部へと進学していく。
(学校の先生にも、それがわかるから、推薦される。)

 が、すでに小学生のときから、鼻持ちならぬエリート意識をもつ子どもも少なくない。
勉強ができることを鼻にかける。
どうしようもないほどのドラ息子、ドラ娘。
で、ある日私はそんな1人の母親に、こう告げた。
「あのオ~……」と。
すかさずその母親は、私にこう言った。

「あんたは、黙って息子の勉強だけをみてくれればいい。(余計なこと、言うな!)」と。

 これは本当にあった話である。
親は、浜松市内でいくつかのパチンコ店を経営していた。

 そういうことを経験しているから、「知的水準」という言葉を聞くと、バチバチと頭の中で火花が飛び散る。
いろいろ書きたいことは、山のようにある。
あるが、今夜はここまで。
要は、人も謙虚さを見失ったら、おしまい。……ということ。

●もう1人の男

 TSUTAYAで、もう1人、気になった男がいた。
60歳くらいの男だった。
私とワイフがTSUTAYAへ入ったときも、そこにいた。
雑誌を取りに行ったときも、そこにいた。
そのあたりを、ブラブラしていた。
今も、そのあたりにいる。

 本を読む気配もなかった。
手に取って読む雰囲気もなかった。
が、私にはすぐわかった。
その男は、ホームレスの男だった。

 最近、このタイプの大型店で、このタイプのホームレスの男を、よく見かけるようになった。
今日のように、寒い夜は、さらにそうだ。

●KUさんへ(母子分離不安)

 KUさんの子どもを考える。

 KUさんは、母子分離不安を心配している。
症状としては、母子分離不安そのもの。
母親がそばにいないと、極度の不安状態になる。
このとき子どもは、2つのタイプに分かれる。

 ワーッと攻撃的に泣き叫んで、母親の後を追うタイプ。
オドオドとしてしまい、混乱状態になるタイプ。
症状から私は、前者を「プラス型」、後者を「マイナス型」と呼んでいる。

 どちらであるにせよ、子どもの側からみて、「捨てられるのでは?」という恐怖心が、母子分離不安による症状へと結びついていく。
理性ではなく、本能的な部分からの恐怖心であるため、叱ったり説教したりしても意味はない。

 子どもの心というのは、環境の変化に対しては、たいへんタフ。
しかし愛情の変化には、たいへんもろい。
母親が数日、入院しただけで、母子分離不安になってしまったケースがある。
遊園地で一度、迷子になっただけで、母子分離不安になってしまったケースがある。
KUさんのように、……というか、通常のケースとは逆なのだが、下の子が生まれたことによって、上の子が母子分離不安になるケースもある。

 が、KUさんのケースは、もう少し根が深いように考える。

●ユングのシャドウ(影)論

 ユングのシャドウ(影)論をもちだすまでもない。
子どもというのは、親の心をそのまま引き継いでしまう。
たとえば親が、Aさんを内心で嫌っていたりすると、その子どももAさんを嫌うようになる。
Bさんを内心でよい人と思っていたりすると、その子どももBさんのことをよい人と思うようになる。

 こんなことがあった。
もう10年近くも前に書いた原稿に、こんなのがある。
親の心を、そっくりそのまま再現してしまう子どもの話である。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

2000年ごろ、中日新聞出に発表させてもらった原稿である。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●親の心は子どもの心

 一人の母親がきて、私にこう言った。「うちの娘(年長児)が、私が思っていることを、そのまま口にします。こわくてなりません」と。
話を聞くと、こうだ。

お母さんが内心で、同居している義母のことを、「汚い」と思ったとする。
するとその娘が、義母に向かって、「汚いから、あっちへ行っていてよ」と言う。

またお母さんが内心で、突然やってきた客を、「迷惑だ」と思ったとする。
するとその娘が、客に向かって、「こんなとき来るなんて、迷惑でしょ」と言う、など。

 昔から日本でも以心伝心という。心でもって心を伝えるという意味だが、濃密な親子関係にあるときは、それを望むと望まざるとにかかわらず、心は子どもに伝わってしまう。
子どもは子どもで、親の思いや考えを、そっくりそのまま受け継いでしまう。
こんな簡単なテスト法がある。

まず二枚の紙と鉛筆を用意する。そして親子が、別々の場所で、「山、川、家」を描いてみる。そしてそれが終わったら、親子の絵を見比べてみる。
できれば他人の絵とも見比べてみるとよい。
濃密な関係にある親子ほど、実によく似た絵を描く。
二〇~三〇組に一組は、まったく同じ絵を描く。親子というのは、そういうものだ。

 こういう例はほかにもある。
たとえば父親が、「女なんて、奴隷のようなものだ」と思っていたとする。するといつしか息子も、そう思うようになる。
あるいは母親が、「この世の中で一番大切なものは、お金だ」と思っていたとする。
すると、子どももそう思うようになる。
つまり子どもの「心」を作るのは親だ、ということ。親の責任は大きい。

 かく言う私も、岐阜県の田舎町で育ったためか、人一倍、男尊女卑思想が強い。
……強かった。
「女より風呂はあとに入るな」「女は男の仕事に口出しするな」などなど。
いつも「男は……」「女は……」というものの考え方をしていた。
その後、岐阜を離れ、金沢で学生生活を送り、外国へ出て……、という経験の中で、自分を変えることはできたが、自分の中に根づいた「心」を変えるのは、容易なことではなかった。
今でも心のどこかにその亡霊のようなものが残っていて、私を苦しめる。
油断していると、つい口に出てしまう。

 かたい話になってしまったが、こんなこともあった。

先日、新幹線に乗っていたときのこと。
うしろに座った母と娘がこんな会話を始めた。

「Aさんはいいけど、あの人は三〇歳でドクターになった人よ」
「そうね、Bさんは私大卒だから、出世は見込めないわ」
「やっぱりCさんがいいわ。あの人はK大の医学部で講師をしていた人だから」と。

どうやらどこかの大病院の院長を夫にもつ妻とその娘が、結婚相手を物色していたようだが、話の内容はともかくも、私は「いい親子だなあ」と思ってしまった。
呼吸がピタリと合っている。

 だから冒頭の母親に対しても、私はこう言った。
「あなたと娘さんは、すばらしい親子関係にありますね。
せっかくそういう関係にあるのですから、あなたはそれを利用して、娘さんの心づくりを考えたらいい。
あなたのもつ道徳心や、やさしさ、善良さもすべて、あなたの娘さんに、そっくりそのまま伝えることができますよ」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●親の不安

 KUさんのケースでは、KUさんが日常的に感じている不安感が、そっくりそのまま子どもに伝わってしまっている。
私はKUさんからのメールを読んだとき、それを最初に感じた。
同時に、もしKUさんの近くに、祖父母がいなかったら、KUさんの子育ては壊れてしまっていたかもしれない。
KUさんの必死さを感ずるが故に、近くに祖父母がいて、KUさんの子育てを支援していることを、私は「よかった」と思った。

 もちろんKUさんは、そうしているだろうが、こうしたケースでは、けっして祖父母と対立してはいけない。
逆に言うと、祖父母と対立するのではなく、協力しあいながら、KUさんが日常的に感じているであろう不安感、心配、孤立感と闘う。
子どもと闘うのではない。
自分と闘う。

 ……と書くのは簡単なこと。
私はKUさんからのメールを読んだとき、私自身も、ズシンと心が重くなってしまった。
「顔面神経麻痺」「八方ふさがり」という言葉が、今のKUさんの心情を、そのまま象徴している。

●許して忘れる
  
 昨夜、ワイフは、DVDを観ていた。
メル・ギブソン主演の『復讐捜査線』というタイトルのDVDだった。

 娘が暗殺された。
刑事役のメル・ギブソンが、その犯人を追いつめていくというストーリーの映画だった。
その中で、こんなことをだれかが言う。

 「子どもがいる悲しみと、子どもがいないさみしさ。あなたはどちらを選ぶか」と。
それに答えて、メル・ギブソンがこう答える。
「子どもがいる悲しみ」と。
記憶によるものなので、まちがっているかもしれない。
が、それには条件がある。
「良好な親子関係」という条件である。

 それがなければ、……というより、多くの親たちは、子どもをもったことを後悔する。
「子どもなんか、産まなければよかった」と。
というのも、親というのは、良好な親子関係がある間は、子どもを「許して忘れる」ことができる。
そうでなければ、そうでない。
親ばかである自分を恥じ、自分を責める。
子どもを「許して忘れる」ことはできる。
しかし自分を「許して忘れる」ことはできない。

 親子関係、つまり子育ての結論は、この一点に集中する。
「良好な親子関係」と。

 メル・ギブソンと娘は、良好な親子関係で結ばれていた。
だからこう答えた。
「子どもがいる悲しみのほうがいい」と。

●親ばか

 「親ばか」という言葉を使った。
親というのは、子どもを許すことはできても、自分を許すことはできない。
親ばかだった自分を恥じる。
責める。
ついでに口を閉じる。

 子どものでき・ふできが問題ではない。
人間性の問題。
世の中には、子どもをだます親は、いくらでもいる。
同時に、親をだます子どもも、また同じほど、いる。
男性や女性をだますのと同じくらい、平気で親をだます。
自分の欲望の追求のために、親を利用する。

 そういう子どもをもった親は、子どもを責める前に、自分を責める。

●明日は、かならずやってくる。

 KUさんのケースでいえば、八方ふさがりでも、何でもない。
袋小路には入ってはいるが、八方ふさがりではない。
大切なことは、自分の子どもだけを見つめ、その「流れ」の中に身を置くこと。
身を置けば、おのずとその先に、道が見えてくる。
いや、見えてこなくても、今日、そして今、この瞬間できることだけを、懸命にする。
明日は、今日の結果として、かならずやってくる。

 世の中、けっして悪い人たちばかりではない。
KUさんが明るく、さわやかに生きていけば、みなもそれに勇気づけられる。
その勇気が希望を生む。
生きる希望を共有することができる。
けっして卑屈になってはいけない。
取り越し苦労や、ヌカ喜びを繰り返してはいけない。
KUさんはKUさんで、ただひたすら前だけを見て、生きていく。
その心が伝わったとき、子どもの心の中からも、不安症状が消える。

●子どもから学ぶ

 どんな家庭も、外から見ると、平和で幸福に見える。
が、問題のない子どもはいない。
問題のない家庭も、これまた、ない。
それぞれがみな、重い十字架を背負い、あえぎながら生きている。

 KUさんがそうというわけではない。
しかし子どもに何か問題が起きると、みな親はこう思う。
「どうして私だけが……」とか、「どうしてうちの子だけが……」と。

 そこで発想を転換してみる。
「子育てというのは、そういうもの」と。
苦労や悲しみは、つきもの。
あって、当たり前。
とたん、気が晴れる。

 大切なことは、子どもから学ぶという姿勢。
子どもが泣いているときも、そうだ。
泣くのを「悪」と決めつけてはいけない。
子どもには子どもなりの理由がある。
「あなたも悲しいのね。お母さんも悲しいのよ」と。
すなおに負けを認め、子どもの立場で、いっしょにものを考える。

●帰る

 TSUTAYAを出た。
車にエンジンをかけると、猛烈な勢いで、窓ガラスから温風が吹き上げてきた。
自動的にフロントガラスの曇りを消す装置が、働いた。
外気は、9度と表示されている。
寒いというより、冷たい。
 
 私たちは一度、家に戻った。
そのまま山荘へ向かう準備を始めた。

●山荘へ

私「KUさんのこと、どう思う?」
ワ「近くに、祖父母がいて、よかったわね」
私「うん、ぼくもそう思う。KUさんひとりでは、たいへんだ」
ワ「夫は、どうしているのかしら?」
私「ぼくも気になっている。でも、夫については、何も書いてない」
ワ「韓国の人かしら?」
私「たぶんね。韓国では、夫婦別称が、当たり前だし……」と。

「KU」というのは、日本名である。

●コンビニ

 途中、コンビニで、遅い夕食を買った。
私は、菓子パン。
ワイフは、日本ソバ。
あと、せんべいなどの菓子類。

 ……それと近く、修善寺(静岡県伊豆半島の温泉地)で、講演をすることになっている。
その講演が終わったら、修善寺温泉に一泊する。
その宿探しを、雑誌でした。
20冊近い、旅行雑誌が出口のところに並んでいた。

 コンビニを出るとき、店員にこう聞いた。

「だめだと思いますが、このページをそこのコピー機で、コピーしてもいいですか」と。
すると店員は、半ばあきれ顔で、「だめです」と。

私「ハハハ、そう言われるとわかっていました。わかっていましたから、聞いてみただけです。ハハハ」と。

 だめに決まっている。
しかしその雑誌だって、売れなければ、返本するだけ。

●母子分離不安

 KUさんが今、いちばん先にすべきことは、(すでにしているかもしれないが)、同じ障害をもつ親同士のネットワークに参加すること。
けっして孤立しないこと。
けっして「私だけが……」と思わないこと。

 どういった障害なのかは、メールだけでは、よくわからない。
が、そういった専門のネットワークもあるはず。
今ではネットを使えば、簡単に検索できる。
韓国のことは知らないが、この日本では、そうした子どもへのケアも、かなり充実してきている。
子どもが進むべき道は、けっして一本ではない。
幸福になる道も、けっして一本ではない。

 あとは前だけを見て、先にも書いたように、明るく、さわやかに生きていく。
結果として、母子分離不安の問題など、吹き飛んでしまう。

 子どもが泣きながら後を追いかけてきたら、KUさんは、やさしく抱いてあげればよい。
あれこれ考えないで、子どもの心になって、子どもと悲しさやさみしさを共有してあげればよい。
それと「甘やかす」ということとは、別。
つまりそうしてあげたからといって、甘やかしたことにはならない。

 「甘やかす」というのは、規律のない生活の中で、欲望に溺れさせることをいう。
甘やかしたから、母子分離不安になるというわけではない。
きびしくしたからといって、母子分離不安が治るわけでもない。

●寝支度

 昼寝をしたこともある。
時計を見ると、時刻は、午前0時を越えていた。
ワイフは寝支度を始めた。

 外はかなり寒いはず。
「明日は、凍っていないだろうか……」と。
水が氷れば、山荘は使い物にならなくなる。

 最後に、KUさんへの返事を書くことにした。

【はやし浩司より、KUさんへ】

 お気づきのように、これは母子分離不安の問題ではありません。
またそんな問題は、何でもありません。
10人の子どものうち、2~3人が経験する、ありふれた問題です。
だからあまり深刻に考えないこと。
自然体で、子どもに接したらよいでしょう。

 それよりも重要なことは、あなたが今、もっているであろう閉塞感、それに基づく、不安や心配を、どうするかということです。
お子さんたちは、それをそっくりそのまま受け継いでいまっています。
『子どもの心は、親の心の鏡』と考えてください。

 ……と、こんなことを書くと、KUさんは、自分で自分を追い込んでしまうかもしれませんね。
そこでこう考えてみてください。
親になることは、子どもをもつことで、だれでもなれます。
しかし「真の親」となると、そうはいかない。
何度も何度も、絶望のどん底へ叩き落とされながら、親はやがて「真の親」へとなっていきます。
私たち夫婦にしても、そうです。
何度も何度も、子育てで行き詰まり、そのつど近くの山に車を走らせ、そこで泣きました。
今でもときどき、泣きます。

 運命がどうのこうのと考える前に、人生も残り少なくなってきました。
だったら、もう運命を受け入れるしかない。
最近は、そう考えるようになりました。
「なるようになれ」というよりは、ありのままをさらけ出して、生きる。
どうもがいたところで、これが私の人生。
完璧な人生、完璧な人間関係、完璧な親子関係など、もとから望むべくもない。
孤独死、無縁死、何でも結構。
人に嫌われようが、悪く思われようが、それも構わない。
生まれが生まれですから……。

 あとは勇気をもち、足を前に一歩、踏み出す、です。
そこにある問題から逃げるのではなく、2人のすばらしいお子さんといっしょに、前を向き、いっしょに歩く。

 なおどうしても母子分離不安が気になるようでしたら、こうします。

(1) 求めてきたときが与えどき……子どもが何かのアクションを求めてきたら、「与えどき」と思い、すかさず、(すかさず、です。1~2秒も間をおかない)、抱いてあげます。
力いっぱい抱くのがコツです。
たいてい数秒~10秒前後で、子どもは安心し、満足します。

(2) 温かい無視
愛情だけは忘れず、そっと距離を置くようにします。
あなたとあなたのお子さんだけのことを考えます。
他人がどうこう言っても気にしないこと。
先にも書きましたが、そうしたところで、「甘やかす」ということにはなりません。
お子さんは、心底、つらいから泣くのです。
わがままとか、そういうふうに考えてはいけません。
「さみしかったのね?」とお子さんをねぎらいながら、愛情を表現してあげてください。
添い寝、抱っこ、いっしょの入浴など、濃密にしてあげてください。
その年齢がくれば、自然と収まってきます。
少なくとも児童期へ入るころには、症状は消えます。

●就寝
 
 山荘ではいつも、枕元で、香を焚くことにしている。
お気に入りは、「オウピアム」。
名前が恐ろしい。
日本語で、「大麻」!

 市販の香で、どこの店でも売っている。
どうか、どうか、誤解のないように。
が、気にはなった。
そこで一度、近くの交番にもっていったことがある。
「こんなのが市販されていますが、だいじょうぶですか?」と。
が、交番の警官は、オウピアムの意味すら、知らなかった。
「調べておきます」と言ったきり、そのままになっている。
それから2年近くになる。
 
 ……どうして「オウピアム」という名前がついているのだろう。
本物の大麻のにおいなど、知る由もない。
常識的に考えれば、においだけ似せて作った、偽物ということになる。
だからときどき「大麻って、こんなにおいなのかなあ」と思う。
(本物だったら、事件になるぞ!)
 
 そうそう、その反対のこともある。
欧米人がみな、驚く。
「日本では、覚せい剤を堂々と売っている!」と。

 英語で「アシド・ミルク(乳酸飲料)」と言えば、「覚せい剤」を意味する。
車の側面などに、「Acid Milk(乳酸飲料)」と書いてある。
それをみて、欧米人は、みな驚く。
 
(枕元でオウピアムの香を焚いているからといって、どうか誤解しないでほしい。)

 では、今夜は、これでおやすみ。
韓国のKUさん、おやすみなさい。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 母子分離不安 よく泣く子ども)


Hiroshi Hayashi+++++++Dec.2011++++++はやし浩司・林浩司

 



 

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