2011年12月11日日曜日

*Is the funaral party the result of the man?

●はやし浩司 2011-12-11

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鳥の餌を庭にまく。
犬のハナが、それを遠巻きにしてながめる。
いつもの光景。
見慣れた光景。
私が居間に戻ると、ハナがそれを食べ始める。
それを見て、ワイフが、こう叫ぶ。
「ハナ! ハナ!」と。
ハナは、一瞬、食べるのをためらうが、また食べ始める。
今度は私が窓を開け、「ハナ! それは鳥の食べ物だ!」と。
ハナはいそいそと、自分の犬小屋に戻っていく。
のどかな冬の日。
空には雲ひとつない。
まっすぐ伸びた白い光線が、木々の葉の上で照り返す。

……居間に入ってきて、ワイフがこう、こぼす。
「犬が、鳥の餌を食べるなんて……」と。
いつも同じ言葉を繰り返す。

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●発語障害

 こう書くからといって、どうか誤解しないでほしい。
私は幼児を教えて40年以上になる。
が、子どもの発語障害を、私の側から問題にしたことは、一度もない。
知っていても、知らぬフリ。
知らぬフリをして、指導する。
親から相談があったときだけ、それに応じて、発語障害の話をする。
つまり発語障害などというのは、どうでもよい部類の問題。
私はふだんは、そう考えている。

 で、その発語障害で多いのが、「サ行障害児」。
「サカナ」を、「シャカナ」と発声したりする。
もっともサ行障害児は、数も多い。
4歳児についてみるなら、20~30%に、その傾向がみられる。
私自身も、サ行障害児ではなかったかと思う。
いまだに「サシスセソ」の発音が苦手。

 直りにくいのが、カ行障害児。
「5個」を、「ドット」と発声したりする。

 が、そうした発語障害に当てはまらない若い人たちがふえている。
しかも女性ばかり。
実におかしな話し方をする。
息と音が鼻に抜ける。

 たとえば「メリー・クリスマス」も、「フムムリー・クリスモォース」などと発音したりする。
もしそんな発声する子どもがいたら、私はただちにそれを正そうとするだろう。
が、子どもには、そんな発声するのはいない。
だからどの発語障害児にも、当てはまらない。
つまりそういう発声は、成人になるにつれ、身につくものと考えてよい。
それにしても、聞きづらい。
本人は、それが「都会風」とでも誤解しているのかもしれない。

 ……それにしても、へん。
おかしい。
日本語そのものが壊れ始めている。
ついでに発音そのものまで、壊れ始めている。

●列を作らない若者たち

 ついでにもうひとつ、気になっていることがある。

 先日、ある演奏会のチケットを買いに行ったときのこと。
電話で先に予約したが、チケットはその日、手にすることになっていた。
そこでのこと。

 みなは一列に並んでいた。
が、途中に、5人組の若者たちがいた。
彼らだけは、列に並ぼうともしない。
一度、係の人が、「最後尾」というプラカードをもって、やってきた。
そのとき「まっすぐ並んでください」と注意した。
が、それでも、そのまま。
平気で円陣を作り、話しこんでいた。

 こうした現象は、今、いたるところで起きている。
駅のプラットフォーム、ショッピングセンター、郵便局などなど。
よく話題になる。
「最近の若い人は、列を作って並ばない」と。

 が、それが悪いかというと、そうでもない(?)。
その逆もある。
長く外国の日本人学校で教壇に立っていた、K先生(現在、小学校教諭)が、こう話してくれた。
「日本の子どもたちが2列になり、校舎へ入っていくのを見たとき、ぞっとしました」と。

 子どもたちが機械仕掛けのロボットに見えたというのだ。
が、そのことと、そうしたチケット売り場で、列を作らないというのは、話は別。
欧米人のばあい、学校での様子は知らないが、そういった場所ではきちんと列を作る。

 で、そういう若者が途中にいると、列の秩序、そのものが乱れる。
私自身も、先のプラカードを見るまで、どこか最後尾なのか、わからなかった。

 ……これも社会現象のひとつと考えてよいのではないか。
世の中、私たちが知らないところで、脳レベルの異変が起きつつある。

●EU金融危機

 イタリア政府が、超緊縮政策を発表した(12月10日)。
EU各国は、それを歓迎した。
が、そうでなくても、景気は低迷している。
「緊縮」すれば、景気はますます悪くなる。
ゆいいつ利点があるとすれば、EUからの援助を受けやすくなること。
たとえて言うなら借金漬けの男が、銀行にこう約束した。
「これから支出を抑え、ぜいたくをひかえます」
「だからどうか助けてください」と。

 イタリアも、そこまで追い詰められている。
が、それでイタリアが立ち直るとは、だれも思っていない。
つまり一時しのぎ。
EUの金融危機は、それほどまでに深刻。

●「週刊現代」誌

 今朝の広告によれば、(今週号は、まだ買っていない)、「週刊現代」には、こうある。
「日本は倒産する。国債を買うのはバカだ」(「週刊現代」)と。
事実は、その通りだから、反論のしようがない。
さらに、こんな記事も。
「年金運用、またも大失敗!」「わずか3か月で、約4兆円負けた!!」と。

 興味はあるが、今週号は多分、買わない。
国債は、もっていない。
年金は、もとからアテにしていない。

●「葬式を見ればその人がわかる」(週刊現代)

もうひとつこんな記事も。
「有名も肩書も関係なし。これがあなたの人生の評価だったのです……」(週刊現代)と。
記事は読んでないが、有名であっても、また肩書きがあっても、さみしい死に方をする人はいくらでもいる……というような記事を載せているらしい。

 が、この意見はおかしい。

●評価

 葬式でその人の評価は決まらない。
その人がどんな死に方をしようが、またその葬式がどうであろうが、気にしてはいけない。
日本民族のいやらしさというか、人の価値を裏から見て判断する。
中身ではなく、外見。
表ではなく、裏。
その集約されたものが、葬式。
どこかのカルト教団では、さかんにこう教えている。
「死に顔を見れば、その人の人生がわかる」と。

 どこかイヤーナ、言い方!

 「有名も肩書も関係なし」というのは、当然。
関係があるとすれば、利害関係と地縁関係。
そのことは派手な葬式をみれば、よくわかる。

 何かの組織の「長」の葬式は、派手。
地縁の深い人の葬式は、派手。

 この先、60%の人が孤独死、無縁死を迎えるという。
発見までの平均日数は、6日。
派手な葬式どころか、葬式そのものも期待できない。
だったら、居直るしかない。
葬式不要論、おおいに結構。
さみしい葬式で、何が悪い!

●第14回オムニバスタウン展

 今朝の新聞(12月11日・中日新聞)に、第14回オムニバスタウン展の表彰式の写真が載っていた。
小学生以下の子どもたち、3793点の応募があったという。
その上位入賞者(20名)の中に、森田さん、大野君の名前があった。
うれしかった。
私の教え子たちである。
おめでとう。

●第九演奏会

 これから駅前のアクトタワーで催される、第九演奏会を聴きに行ってくる。
演奏は東京フィル、それに合唱は、地元・浜松のフロイデ合唱団。
それもあって、昨夜は、第九のリハーサルを何度もした。
YOUTUBEの第九(4楽章)に合わせ、何度も歌った。

 準備万端、整った。
さあ、行こう!

●第九演奏会

 よかった!
第3楽章が終わり、第4楽章に入ったところで、いつものように涙がこぼれてきた。
そしてあの歌……。

♪……おお、友よ、これらのような音ではなく、
もっと快い、歓びに満ちた調べを歌おうではないか……!

 冒頭のこの部分は、ベートーヴェン自身が作詞したものと言われている(パンフ)。
が、当のベートーヴェンは、家族の愛にも恵まれず、孤独な死を迎えている。
先の話につなげるなら、「孤独死」。
それに近い形で、死んでいる。
それにベートーヴェンには、友らしい友もいなかった。
そのベートーヴェンが、「♪おお、友よ!」と歌う。

 繰り返す。
「週刊現代」は、「葬式を見ればその人がわかる」と説く。
が、この説は、明らかにまちがっている。
どこかのカルト教団や、ヤクザの世界の人たちの葬式を見れば、それがわかる。
彼らは葬式だけは、やたらと派手にやる。

 第九を聴きながら、別の心でそんなことを考えた。

●私は私

 その人の評価は、葬式を見ればわかる?

 ならば聞くが、だれにわかるのか?
どう、わかるのか?
わかったところで、どうなるというのか?

この前、鎌倉で田丸謙二先生に会ったとき、先生はこう言った。

「私は葬式などしてほしくありません。
病院から火葬場まで、直葬で結構です」と。

 で、私が「先生はそう言っても、まわりの人がそうはさせませんよ」と言うと、先生はさらに強くこう言った。
「娘たちにも、しっかりとそう言ってあります」と。

 偉大な先生というのは、田丸謙二先生のような人物をいう。

 要するに、私は私。
あなたはあなた。
葬式などという結果など気にせず、ただひたすら前だけを見て生きていけばよい。

●12月11日

 今日も、もうすぐ終わる。
時刻は今、午後6時16分。

 そうそう帰りの車の中で、ワイフがこう言った。
「あなたももう一度、第九を歌ってみたら?」と。

 が、私はこう言った。
「時間が、ない。ぼくの寿命も、よくて残り15年。もう回り道をしているヒマはない」と。


Hiroshi Hayashi+++++++Dec.2011++++++はやし浩司・林浩司

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