●11月30日(水曜日)
風もない。
のどかな小春日和(びより)。
一匹の蛾が、半分枯れた畑の周りを飛んでいる。
左から右へと。
パラパラ、パラパラ……。
せわしない飛び方だ。
が、それを除けば、動くものはない。
葉先を照らす白い光も、今は動きを止めている。
●般若(ハンニャー)
よく耳にしているものの、意味がよくわからないまま使っている言葉というのは、多い。
「般若(ハンニャー)」も、そのひとつ。
ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。
「般若(はんにゃ)、サンスクリット語:prajñā プラジュニャー、パーリ語:パンニャー、音写:斑若、鉢若、般羅若、鉢羅枳嬢など)は、一般には智慧といい、仏教におけるいろいろの修行の結果として得られた「さとり」の智慧をいう」と。
私は子どものころ、「はんにゃ」と聞いたとき、即、能面のひとつの、あの恐ろしい顔を連想した。
「どうしてそんな恐ろしい話が、お経にあるのか」と。
「般若」が「智慧」を意味することを知ったのは、ずっとあとのことだった。
「いろいろの修行の結果として得られた悟りの智慧」を「ハンニャー」というらしい。
が、ここまで詳しくは知らなかった。
ウィキペディア百科事典によれば、「はんにゃ」は、パーリ語の「パンニャー」に由来するという。
「般若」は、中国語(漢語)の当て字。
だから「般」とは何かとか、「若」とは何かとか、漢字からその意味をさぐっても、文字通り、意味はない。
同じように、よく話題になるが、「南無」もそうだ。
「南無」も、サンスクリット語の「ナム」の当て字。
インド大使館の中の領事部に電話で意味を確かめたことがある。
学術部というところがある。
意味は、「Hello(こんにちは)」に相当する言葉だそうだ。
もともとは「帰依します」という言葉だったとか。
が、今は、そんなむずかしい意味で使っている人はいない。
インドでは、「ナマ(=ナム)・ステ(あなたに帰依します)」というように言い、あいさつ言葉として使っている。
で、その「般若」。
『般若心経(ハンニャーシンギョウ)』は、あまりにも有名である。
正式には『摩訶般若波羅蜜多心経』というのだそうだ。
ここでいう「心」は、「心臓」。
これは当て字ではなく、漢語の「心」を置いた。
「心臓のように重要な」という意味でそうしたらしい。
「経」はもちろん、あとで中国人が勝手につけ足した。
●中国語
多くの経典は、「仏説……」で始まる。
「仏が以下のように、……と言った」という意味である。
が、それにつづく経文は、ほとんどが当て字。
今ではYOUTUBEを使って、チベット僧たちの読経を直接聞くこともできる。
発音が、日本で聞く経典と、たいへんよく似ているのがわかる。
つまり中国人たちは、経典を、日本でいうなら英語をカタカナで書くように、自分たちの漢字を使って、「音」を表した。
だから今、中国人に、仏教の経典を見せ、意味をたずねても、わかるはずもない。
私も若いころ、何度かそういうことをした経験がある。
つまり経典の意味をたずねたことがある。
が、みなこう言った。
「まったく、プーミンバイ(わからない)」と。
●般若心経
どうしてここで「般若」を取り上げたか?
理由がある。
先日、恩師の1周忌に行ってきた。
その席で、みなが般若心経を僧侶の声に合わせて、読経していた。
が、私はひとり、静かに座っていた。
読経できなかったのは、私だけだった。
軽い屈辱感を覚えた。
以来、……まだ数日だが、ずっと般若心経について考えている。
何度か訳本のようなものは、読んだことがある。
しかしいつも、そのあたりで、思考が停止してしまう。
これにも理由がある。
というのも、般若心経の教えは、一言で表せば、生き様が後ろ向きで、暗い。
何もかも、空しい。
何をしても、空しい。
形あるものは、すべて無、と。
が、60歳を過ぎた今は、考え方がかなり変わってきた。
「空」の意味も、「無」の意味も、おぼろげながら、わかるようになってきた。
●モノ論
たとえばモノ。
このところモノに対する執着心が、どんどんと消えていくのを感ずる。
というか、ほとんど興味がない。
衣服にしても、家具にしても、どうでもよくなってしまった。
置き物や装飾品にしては、さらにそうで、今では世話になった人に、どんどんと分け与えている。
例外と言えば、パソコン関連。
パソコンも、モノはモノだが、少し感覚がちがう。
ひとつには、パソコンはモノだが、パソコンというのは、言うなれば別の宇宙への「窓(WINDOW)」。
それにいくら高価なパソコンであっても、5年もすればただの箱。
今では2~3年ごとに、どんどんと変化していく。
骨董品のように、あとで価値が出てくるということはない。
簡単に言えば、ただの消耗品。
●「家」意識
が、昔の人は、「家」を意識した。
だから財産としてのモノに、大きく執着した。
先祖から自分、自分から子孫へ、と。
私の母がそうだった。
(父はその反面、モノには、まったくといいほど、関心がなかった。)
そういう価値観をもっている人にしてみれば、私のような生き様は理解できないだろう。
モノが、その家の価値を、裏付ける。
「家」意識の残る昔は、そうだった。
が、私も、今から思うと、母の影響を強く受けていた。
だから若いころは、よく骨董品屋を回った。
絵画も買い集めた。
価値のあるモノは、財産だった。
しかし今は、変わった。
●時代の変化
たとえば切手にしても、古銭にしても、今では、ほとんど価値を失った。
切手などは、額面料金でしか、買ってもらえない。
江戸時代の古銭にしても、一枚いくらではなく、目方でいくらというような売買の仕方をする。
骨董品にいたっては、売ることすらむずかしい。
実際には、買ってもらえない。
実際、モノというのは、そういうものかもしれない。
私たちが「価値あるもの」と信じているものは、幻想のようなもの。
このことを即、『般若心経』に結びつけて考えることはできない。
しかしおぼろげながら、あくまでもおぼろげながら、「無」の意味がわかるようになった。
●人間電子レンジ
話題を変えよう。
数日前、あるところのある通りを歩いた。
一角がビルになっていて、その一室に、老人たち、20~25人が椅子に並んでいるのが見えた。
何かの健康器具の販売会のようだった。
1人の女性(45歳くらい)が、ツボマッサージ器のような器具をもち、順に何かを説明していた。
……というような回りくどい言い方はやめよう。
例の「人間電子レンジ」である。
(私は原理的な構造からみて、そう呼んでいる。)
椅子型の人間電子レンジ。
原理的には、電子レンジと同じ。
それに座っていると、体中が、ポカポカと温かくなってくる。
そうした効果が、もろもろの病気に効く……というわけである。
窓ガラスには、「慢性的な頭痛で苦しんでいませんか」「慢性的な腰痛で苦しんでいませんか」というような張り紙が、ぎっしりとしてあった。
「治る」という言葉は、薬事法に抵触するため、使えない。
だからそういう表現にしたのだろう。
もちろん人間電子レンジといっても、家庭で使うような強力な電子レンジではない。
20~30分もすると、何となく温まってきたかな……という程度のもの。
たとえて言うなら、温泉にでもつかったような暖かさを感ずる。
しかも人体の外部からではなく、内部から、その暖かさを感ずる。
●電磁波
が、問題は、それが発する電磁波。
ここに書いた健康器具がそうというわけではない。(誤解のないように!)
たとえば欧米では、電磁波に発ガン性があるということで、高圧線の近くは、学校の建設すら規制されている(アメリカなど)。
一方、この日本では、電磁波を規制する法律すらない。
健康への影響についても、ほとんど問題になっていない。
もしそれが大きな問題になると、電力会社にとっては、まことにもって都合が悪い。
この日本では、電線がそれこそまさに野放しになっている。
日本の空という空を、それこそ蜘蛛の巣のように張りめぐされている。
家屋から数メートルしか離れていないところに、巨大なトランス(変圧器)が設置されているところもある。
電磁波は、基本的には、危険なものである。
DNAレベルにまで、影響を与えると言われている。
脳腫瘍や小児白血病の原因になると言われている。
が、どの程度危険か……ということになると、それがはっきりしていない。
(参考:くわしくは、ウィキペディア百科事典
……http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E7%A3%81%E6%B3%A2)
仮にその住宅に住む人がガンになったとしても、高圧線との因果関係を特定することは、たいへんむずかしい。
……ということで、野放し。
(この話は、日本の原子力発電所の話とどこか似ている?
電力会社のやることは、どうも信用できない。)
これ以上のことは、私にもわからない。
が、これだけは言える。
人間電子レンジは、健康によいというよりも、(その根拠もないが)、長く使用すれば、それなりの弊害が現れるのではないのか。
その心配はないのか?
ウィキペディア百科事典によれば、いろいろな学者が、安全性や危険性についての論文を書いている。
鍼灸院や接骨院では、常設しているところもあるという。
ここではあくまでも、「?」としておく。
●浜北区での講演会
夜、浜北区での講演会で講師を務めた。
できは、最悪!
「3つのキーワード」というテーマで話すつもりだったが、当初の予定より、時間が20分、短縮された。
それもあって、急きょ、3つのテーマを2つにしぼる。
順番を入れ替える。
段階を追いながら……という当初の予定が、崩れる。
演壇にあがるまで、頭の中が混乱する。
……ということで、出だしから、話の内容がめちゃめちゃ。
で、なんとか、2つの話をし終えたところで時計を見ると、残り10分!
10分しかない!
(10分もある!)
さあ、どうしようかと頭の中、さらに混乱する。
10分で、3つ目のテーマについて話すのは無理。
しかし早く終わるわけにはいかない。
……ということで、3つ目のテーマを話し始める。
早口になる。
ハラハラ、ドキドキ……。
が、やはり途中で、時間切れ!
最後は、「3つ目の話は忘れてください」と。
今までに、そんなドジな言い方で、講演を締めくくったことはない。
最後のあいさつがすんだとたん、居場所がなくなってしまった。
落ち着かなかった。
そのまま演壇から消えたかった。
……早く消えたかった。
●帰宅
控え室に入ると、ワイフがつづいて入ってきた。
いつもなら、「どうだった?」と聞くが、その勇気もなかった。
出されたお茶を飲んで、そのまま外へ。
気分が重かった。
ワ「暖かいわね……」
私「……」
ワ「いつもなら、もっと寒いのに……」
私「……」と。
家に戻る途中、レストランで、遅い夕食を食べた。
ときどきワイフが慰めてくれた。
が、家に帰ると、生徒の母親からメールが届いていた。
恐る恐る開くと、こうあった。
「……お世話になります、SGです。
講演会は少し遠かったので迷いましたが、久々に先生のお話が聞けて思い切って行って本当によかったです。
すばらしいお話をありがとうございました。
また機会がありましたら是非お願い致します。
父の実家が浜北文化センターのすぐそばで、私も3歳までその大家族で育ち、文化センターが建った昔神社の敷地だった所は、遊び場でした。懐かしい場所です。
先生には長男のTRが小学校1年生の時からですから、もう10年以上もお世話になっております。
先生のような方が浜松にいらして、息子達が教えていただけたことは本当に奇跡のような有り難い事だと思い感謝しております」と。
「……そんなはずはない……」と思いながら、何度も読み返す。
胸が熱くなる。
「1人でもそういう人がいてくれただけでも、うれしい」と、自分に言って聞かす。
で、それを読んだあと、今回、講演会の主宰してくれた、担当のIK先生にメールを書く。
詫びのメールである。
「できは最悪で、申し訳ありませんでした」と。
●潮時
10年ほど前だったら、浜北区(旧浜北市)で講演すれば、いつも会場は、120%の入りだった。
が、今回は、ガラガラ。
自分の力なさ……というか、限界を感じた。
「そろそろぼくも、潮時だね」と、寝る前にワイフにこぼす。
50代のころのような元気は、もうない。
早口になったとき、言葉がもつれることがある。
気力も弱くなった。
私「50代のころだったら、10分も早く終わるなどというドジなことはしなかった……」
ワ「そんなことないわよ」と。
そのつどワイフは何度も、「そんなことないわよ」と慰めてくれた。
●礼のメール
翌日、IK先生からメールが届いた。
それには、こうあった。
『はやし先生
昨日は、素晴らしいご講演をいただき、本当にありがとうございました。
事務局が不慣れなため、失礼な面が多々あったと思いますが、さわやかに接していただき、ありがとうございます。
昨日いただいた本は、職員みんなで読ませていただきます。
アンケート結果は、9割の方が「とてもよかった」1割の方が「よかった」と回答していました。「子育てを見直す機会となった」「早速実践していきたい」「分かりやすかった」などの意見とともに、「3つめのキーワードのお話についても、もっと聞きたかった」という意見もかなりありました。
今朝の職員室でも、「昨日の講演、よかったね」の声が多数聞かれました。
はやし先生にお願いして、本当によかったと思います。
先生のお話は、もっと多くの方に聞いていただきたいので、機会がありましたら、またお願いしたいと思います。
昨日は、本当にありがとうございました。
メールにて失礼かとも思いましたが、取り急ぎお礼をさせていただきました』と。
???????????????
コピーしてそれをワイフに渡す。
それを読んでワイフがこう言った。
「ほらね、何もあなたは失敗なんかしてないのよ」と。
私は、ただ、「本当かなあ?」を繰り返すのみ。
ふつうなら喜んでよいはずのメールである。
が、今回は、どうしてもそんな気分になれない。
●失敗感
おかしなもので、年を重ねるごとに、講演するのが恐くなってきた。
若いころは、無鉄砲というか、恐いもの知らずというか、平気だった。
が、60歳を過ぎるころから、恐くなってきた。
今は、もっと恐い。
ひとつには、「失敗感」が強くなったことがある。
講演を終えるたびに、ガクリとくる。
「今日も失敗だった」と。
落ち込みがはげしくなった。
とくにこの数年、自分で納得できる講演をしたことがない。
どれもボロボロ。
一応筋書きを書くのだが、その筋書き通りに話したことは、一度もない。
話の途中で、めちゃめちゃになってしまう。
だからいつもこう思う。
「今度こそ……!」と。
しかしそのつど、また失敗する。
その繰り返し。
来週は、三島市での講演がある。
だから今、こう誓う。
「今度こそ、失敗しないぞ!」と。
Hiroshi Hayashi++++++Dec. 2011++++++はやし浩司・林浩司
【小学1年生と2年生に、四捨五入(およその数)を教える】
●小学1年生と2年生に、四捨五入(およその数)を教えてみました。
もちろん「四捨五入」という言葉そのものは、使いませんでした。
あくまでも「およその数(Rounding Off)」の概念についての指導です。
いつか子どもたちが四捨五入を学校で学ぶようになったとき、サッと理解できるようにする。
それが今回のレッスンの目的です。
結果は、1年生には、やや無理かな……という印象をもちました。
2年生は、ほぼねらい通り、理解してくれました。
大切なのは、こうして新しいことを教えたとき、子どもたちが前向きに食いついてくることですね。
私はそういう子どもたちの姿勢を大切にしています。
わかりやすく言えば、子どもたちを算数好きにする。
子どもたちのもつ、そういった迫力を、このビデオの中から感じ取ってくだされば、うれしいです。
【小学1年生クラス】
(1)
(2)
(3)
【小学2年生クラス】(同じ教材を使いました)
(1)
(2)
(3)
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 四捨五入 およその数 実験教室 BW子どもクラブ)
2011年12月2日金曜日
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