●映画『ツリー・オブ・ライフ』(The Tree of the Life)
●夏休み(8月12日)
私も明日から、夏休み。
10日間の夏休み。
自由、気ままな夏休み。
……と、子どもの書くような文を書く。
何歳になっても、休みは、うれしいもの。
ワイフも、今朝、こう言った。
「思う存分、遊びましょう」と。
やりたいことがあったら、その場で決定。
迷わない。
行きたいところがあったら、その場で決定。
すぐ行く。
が、明日まで待てない。
今夜は、仕事が終わったら、深夜劇場へ。
今日から公開の、「ツリー・オブ・ライフ」。
それを観る。
チケットは、すでに購入済み。
明日は、ビスタ・パソコンのアップグレード。
夕方は、Mさん家族と会食。
山荘へ招待する。
明後日は……。
こういうことはあまり詳しく書かないほうがよい。
空き巣に、おいでくださいと言っているようなもの。
以前、そういう忠告を、ある人から受けた。
「家を空けるという話は書かない方がいい」と。
以来、HPでもBLOGでも、予定については、書かないようにしている。
●浜松で35度!
昨日は暑かった。
しかし今日は、もっと暑い。
昼寝をしていたが、ドカッとした熱気で目が覚めた。
起きて居間へ行くと、ワイフが、「34度よ」と。
家の中で、34度!
が、私は自転車に乗って、教室へ向かった。
運動は欠かせない。
が、それにしても暑かった。
途中、飲み水としてもってきた水を、頭からかける。
地面から、乾いた熱気が、容赦なく伝わってくる。
白い日差しが、まぶしい。
……おかげで軽い熱中症に。
吐き気と頭痛。
クーラーの前に立ち、扇風機をかける。
頭を水で冷やす。
今日のレッスンは、年長児。
「形」の学習。
(つづきは、http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/のほうで……。please!)
●したいこと
新しいパソコン。
高性能であればあるほど、よい。
まず、それがほしい。
つぎにそのパソコンをもって、どこかへ行きたい。
温泉がよい。
静かで、人がいないところがよい。
そこで一日中、本を読んだり、キーボードを叩いて過ごしたい。
……というか、今夜から、思う存分、徹夜ができる。
眠くなって、どうしようもなくなったら、床に就く。
それまでパソコンに向かって、文を書く。
それが私の休みの過ごし方。
●麦わら帽子
夏休みと言えば、麦わら帽子。
そんなイメージが脳に焼き付いている。
ワイフと私は、そんな季節に出会った。
1972年の夏。
その直後、知り合った直後、私は弁天島にあった友人の別荘を借り、パーティを開いた。
7~8人が集まってくれた。
その中に、「とべ・ひろし」(漢字名は忘れた)というフォークシンガーもいた。
そのとべ君が、吉田拓郎の『♪夏休み』を歌ってくれた。
そう言えば、仲間に「なぎら・けんいち」というフォークシンガーもいた。
が、その夜は、どこかのビアガーデンで弾き語りをするということで、来なかった。
当時は「なぎら健一」と書いていたと記憶している。
今は「なぎら健壱」と書く。
「♪……あんたがた死ねねえだろう。葬式費用もないからね……」というような歌を歌っていた。
遠い遠い昔の話。
あのころのワイフは、美しかった。
今でも、「♪麦わら帽子は、もう消えた……」と口ずさむたびに、それを歌ってくれた、とべ君を思い出す。
ワイフを思い出す。
親友だった、今井修さんを思い出す。
今井修さんは、今の市立図書館の前あたりで、小さなデザイン事務所を開いていた。
イベント事業も手がけていた。
その関係で、とべ君やなぎら健壱を、紹介してくれた。
もちろんそのパーティに、今井修さんも来ていた。
ワイフも、その夜のことを、よく覚えている。
ワイフと私は、パーティが終わると、海のそばの堤防に座り、夜遅くまであれこれ話した。
夏休み……私にとっては、麦わら帽子の夏休み。
(映画を観て、夜、12時ごろ帰宅)
●映画『ツリー・オブ・ライフ(The Tree of the Life)』
映画、『ツリー・オブ・ライフ(生命の樹)』を観てきた。
美しい画像と美しい音楽。
そのものすごさに、圧倒された。
ストーリーの運び方にも、独創性があった。
よかった。
よかったが、そこまで。
何か、釈然としない。
冒頭のところで、こう言う。
「キリスト教を信ずる者は、愛に包まれ、時間を長く生きる。
そうでない人は、利得に毒され、つまらない人生を生きる」(記憶)と。
つまりこの映画は、最初から最後まで、キリスト教のプロパガンダ映画。
キリスト教の信者の人(=大多数のアメリカ人)が観れば、涙を流して感激するだろう。
しかし残念ながら、私はその信者ではない。
つまり最初の段階で、「そうかなあ?」という疑問をもってしまった。
その疑問が、最後の最後までつづいた。
で、なぜ「ツリー(木)」なのか?
映画の中では、大宇宙と、地球の歴史を交互にからませ、やがて人間世界に、「神の意志」を投影させていく。
二男を19歳で失った父親と母親の悲しみを、その上に料理のトッピングのように載せていく……。
「生命というのは、人間の悲しみや苦しみを超えたところで、大きな木のようになってつながっている」と。
しかし、それが大げさ。
深い(?)宗教哲学を織り込んだのはよいが、かえってそれが映画自体をわかりにくいものにしている。
「これがキリスト教だ」と言わんばかりの、高邁な製作姿勢。
観ていて、私は疲れた。
肩が凝った。
少なくとも、娯楽映画ではない。
辛らつな言い方をすれば、キリスト教の洗脳映画を見せつけられたような感じ。
2000円(シルバー料金、2人分)も出して観に行ったのだから、もう少し楽しませてほしかった。
映画館を出たあと、私はワイフに、こんな会話をした。
「日本では、大震災で、2万5000人もの人たちが、亡くなった。
1人ひとりについてみれば、それも神の意志だったのだろうか」と。
なおブラッド・ピットが演ずる父親について一言。
アメリカにも、ああいう権威主義で、代償的過保護(子どもを自分の支配下において、自分の思い通りにしたいと思う、身勝手な過保護)な親はいる。……いたと思う。
1910年代~は、そうだっただろう。
その親が、映画の中では、一方的に、「悪人」に仕立てられていた。
その反動として(?)、母親はマリア様のように仕立てられていた。
たしかに子ども側(=3人の息子)の視点から捕えれば、そうだろう。
しかし同時に、父親には、「家族を支えていかねばならない」という重圧感もある。
ものすごい重圧感である。
最近の若い人たちは、その重圧感の経験もないまま、「そんなのは親の義務」と、簡単に片づけてしまう。
私はむしろそちらのほうに反発を覚える。
もちろんブラッド・ピットが演ずる父親には、問題がないわけではない。
が、しかし映画を観ているうちに、私はむしろ父親のほうに同情してしまった。
「偉そうなことを言うなら、自分で家族をもち、自分で支えてみなさい」と。
さらに付け加えるなら、私の知る範囲でも、映画に出てくるブラッド・ピット以上に、年がら年中、ガミガミ言っている母親だっているぞ!
星は、もし私がキリスト教信者であれば、文句なしの5つの、★★★★★。
が、私は信者ではないから、かえって疎外感を覚えてしまった。
2度目は観たくないという意味で、星は2つの、★★。
キリスト教国のアメリカでは、当然、アカデミー賞を受賞するだろう。
●8月13日
明けて今朝は、8月13日。
土曜日。
昨日のサイクリングがたたって、今でも筋肉痛がひどい。
が、負けてはいけない。
今朝は、起きるとすぐ、30分のウォーキング。
全身に、ビッショリと汗をかいた。
が、痛さは、そのまま。
水を1リットルほど飲んで、そのまま書斎へ。
今が、そのとき。
これから近くのショッピングセンターへ行き、買い物。
友人を、山荘に招待している。
その食材さがし。
また午後イチバンに、WINDOW7のUPGRADEソフトが届くはず。
サブで使っている、ビスタマシンを、それを使ってUPGRADEしなければならない。
簡単な作業のように見えるが、時間はかかる。
……今日も猛暑日という。
パソコンがそれに耐えられるだろうか。
少し心配になってきた。
では、これから買い物。
みなさん、おはようございます。
はやし浩司 2011-08-13
Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司
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