【金沢から、羽咋(はくい)へ】
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休暇も残り、2日。
昨日になって、ワイフが、突然、UFOを見たいと言った。
UFO?
能登半島に羽咋市(はくいし)という町がある。
そこに「UFO会館」(正式名称は「宇宙科学博物館」)がある。
「羽咋へ行こうか?」と声をかけると、「うん」と。
そこで今日は、名古屋発、金沢行きのバスに乗り込んだ。
午前8時30分発。
昔は「名金線」と言った。
学生時代、よく利用させてもらった。
途中、いくつかの観光地を、そのまま通る。……通った。
料金も安かった。
当時は、名古屋から金沢まで、8~9時間もかかった。
今は、4時間!
往復2人分で、料金は今も、1万1000円。
(片道、1名、2750円!)
JRの約半額。
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●UFO
UFO会館といっても、あまり期待していない。
期待していないが、期待している?
一応、羽咋市はUFOの出没地ということになっているらしい。
昔からそういう伝説が残っている。
アダムスキー型UFOを思わせる鐘も、そのひとつ。
鐘は鐘だが、つまり音の出る鐘だが、アダムスキー型UFOにそっくり。
楽しみ……が、やはり過剰期待は禁物。
この種の博物館は、いつもたいてい期待はずれ。
わかっているが、要するに、道中を楽しめばよい。
あとは、食事。
ホテルは確保したが、夕食はなし。
どこかで何かを食べよう。
できれば蟹料理。
少しぜいたくかな?
●一貫性
UFOは超常現象ではない。
心霊現象とは一線を画す。
「科学」である。
またそういうレベルで論じられるべき。
……これについてはもう、何度も書いてきた。
その理由の第一。
論理的な一貫性がある。
デタラメなインチキ報告は別として、UFO問題を掘り下げて検討していくと、そこに一貫性が見えてくる。
つまり論理性に矛盾がない。
ワイフと私は、一度、巨大なUFOを目撃している。
そういう経験も下地になっている。
●ジジ臭い
「死ぬまでに……」という言い方は、それ自体、ジジ臭い。
よくわかっている。
しかしこのところ、何かにつけ、そう考えることが、多くなった。
羽咋のUFO会館も、そのひとつ。
ならば、日本を飛び出したら……という意見もある。
たとえばアメリカのロズウェル。
1947年、アメリカのロズウェルに、UFOが墜落している。
そのロズウェル。
が、私は大の飛行機嫌い。
29歳のとき飛行機事故に遭遇してから、そうなってしまった。
それまでは、毎週のように飛行機に乗っていたが……。
特別な理由でもないかぎり、飛行機には乗らない。
その点、UFOは、やや力不足。
ロズウェルへ行ったからといって、UFOを必ず見られるというわけではない。
アメリカ政府が、痕跡の「コ」の字も残らないほど、証拠類をすでに始末してしまったという。
ともかくも、私たちは、あの夜見たものが何であるか、それを死ぬまでに知りたい。
そのためにも羽咋へ行くことにした。
●アクセス数
昨日、夕方近く、BLOGをUPした。
で、今朝、アクセス数を見たら、いつも倍以上もあった。
夕方にUPしたことを考えるなら、いつもの4倍以上ということになる。
件数でいえば、合計で、5000~6000件!
驚いた。
昨日、『ボロボロの日本の教育』というテーマで原稿を書いた。
まさにボロボロ。
日本の教育は、落ちるところまで落ちた。
それについて書いた。
つまりそれだけ多くの人たちが、日本の教育に、危機感をもっている人が多いことを示す。
たしかに「?」。
それだけではない。
本末が転倒している。
平等なら、まだ納得できる。
が、今は、祖父母や親が、孫や子どもに向かって、「ごめん」「ごめん」と謝る時代。
祖父母や親が、「ごめん」「ごめん」と謝りながら、孫や子どもを育てている。
そう、昔は親が、子どもを勘当した。
親にも、まだ力があった。
それが逆転した。
今は、息子や娘のほうが、親に向かって縁を切る。
「2、30年たったら、お前を許してやる!」と。
(この先、2、30年も生きている親はいない!)
●経済
もう少ししたら、ネットで経済ニュースを拾うことができる。
今週(8月22日・月曜日)は、どうなるか。
世界不況は、深刻度を増している。
この日本についても、異常な円高がつづいている。
先週末の流れを引き継ぐとすれば、今週も、大波乱。
よい材料は、何もない。
このつづきは、もう少しあとに書く。
●JR東海バス
ワイフは目を閉じ、眠り始めた。
景色と言っても、見えるのは高速道路の壁だけ。
快適にはなったが、何か、もの足りない。
バスのシートカバーには、「JR東海バス」と書いてある。
最後尾には、トイレもある。
座席の幅も広い。
左右に10列。
定員は、40名。
乗っている客は、私たち夫婦も含めて、19人。
「空いている席は、ご自由にお使いください」と、
発車する前、運転手がそう言った。
●夏休み
この夏休みには、3度、旅行したことになる。
(1) 越前大野、
(2) 城之崎温泉、
(3) そして今回の石川県・羽咋。
オーストラリアとか上海も考えたが、飛行機嫌いを乗り越えるだけのパワーを感じなかった。
来年3月には、友人の娘が結婚することになっているので、オーストラリアへ行くことになっている。
小さいときから、私を慕ってくれた。
ずば抜けて美しい女性で、それに理知的。
現在は、メルボルン市内のペンギンブックスで、編集長をしている。
世界中を飛び回っている。
今のところ、飛行機に乗る予定は、それだけ。
●ルート
目の前に高い山が迫ってきた。
犬山から多治見のほうへ抜けるらしい。
この時期、森の木々は濃さをぐんとます。
緑というよりは黒に近い。
濃緑色。
そこに雲間から漏れる日差しが、美しいまだら模様を作る。
雲が、さらに一段、低くなってきた。
流れる雲だけを見ていると、まるで飛行機の窓から外を見ているよう。
それをながめながら、しばし、時のたつのを忘れる。
……いや、ちがう。
ルートがちがう。
私は、昔の名金線のように、本州を縦に縦断して金沢へ向かうものとばかり思っていた。
が、実際には、名古屋→米原→敦賀→福井→金沢と、列車路線と同じルートをたどっている。
知らなかった!
●経済2
先ほどネットで、いくつかのニュースをたどってみた。
そのひとつ、北海道でも地震があったとか。
つぎは浜松と思っていたが、北海道。
それと金(ゴールド)とプラチナが、さらに高騰中。
プラチナがグラム5000円、金が4891円。
株価は様子見。
行き場を失った大量の資金が、右往左往している。
私には、そう見える。
●自由
バスは福井県に入った……らしい。
快適。
地元バス会社の主宰するB・ツアーより、はるかに快適。
おしゃべりなオバちゃんたちもいない。
うるさいガイドもいない。
席は、ガラガラ。
ワイフは先ほどまで、何かの本を読んでいた。
私は1時間ほど、眠った。
旅にも、いろいろな仕方がある。
が、こういう方法が、私たち夫婦には、いちばん合っている。
わざとシーズンをはずし、バスか電車で移動する。
宿は、ネットで選ぶ。
目的地は、1つでじゅうぶん。
それでも料金は、B・ツアーの半額程度。
が、本当のところ、料金が問題ではない。
自分で旅をしているという、その満足感が楽しい。
まさに学生気分!
●片山津
またまた眠くなってきた。
バスのエンジン音が、静かに床の下から響いてくる。
時折座席が、小刻みにゴトゴトと揺れる。
うしろのほうで咳をする人以外、客の気配すらない。
……バスは、もうすぐ「尼御前」に到着するという。
たった今、そんなアナウンスが流れた。
「尼御前(あまごぜん)」。
何とも風流な地名ではないか。
……ということで、目下、思考力はゼロ。
そこに何か書きたいことがあるはずなのに、それが脳みその中に湧いてこない
あえて言うなら、今度買う、新型パソコン。
10月の誕生日には、手に入れたい。
CPUは、3・40GHz以上。
3・60GHzというのも、ある。
……ワイフが「あっ、海だ!」と言った。
見ると左手に海が広がっていた。
日本海。
その横に、「片山津」という書いた標識が見えた。
●F15
左手から、見慣れないジェット戦闘機が舞い上がってきた。
F15、トムキャットである。
浜松上空を飛び交う、あの練習機とは迫力がちがう。
ゴーというすさまじい轟音が、バスの中まで聞こえてきた。
ここは日本の防衛、最前線。
その少しあと、バスは、「北陸小牧」というところで、停まった。
客は、だれも乗らなかった。
●出かける勇気
外に出る。
人に会う。
旅先で、それまで知らなかった世界を見る。
脳みその活性化、つまりボケ防止のためには、たいへん重要である。
家でゴロゴロしていたいという気持ちもないわけではない。
が、それではいけない。
そこで「出かける勇気」。
少し前、旅先で出会った人が、そんな言葉を教えてくれた。
それに似ているが、最近、私は、よくこんなことを考える。
たとえば朝、ふとんの中で目を覚ます。
起き上がるには、まだ少し早い。
が、それでも起き上がる。
「そのまま横になっているのも、30分。
しかしウォーキングマシンの上で、歩くのも、30分」と。
そのとき心のどこかで、ふと、「起き上がる勇気」という言葉を考える。
勇気を出して、起き上がる。
ほかにもいろいろある。
書店へ行く。
そのときも、その本を買うかどうかで、迷う。
が、こう言って自分に言い聞かせる。
「買う勇気」と。
●叩きつぶす
つまり人間は、基本的には、怠け者。
恐らく人間は猿の時代だったころから、そうではなかったか。
木の上で、餌を食べるだけの人生。
あとは終日、ひたすら昼寝。
だから人間になった今も、楽をすることしか、考えない。
「極楽」の「楽」が、それを表している。
だから「出かける勇気」というのは、そういう怠け心と闘う勇気ということになる。
とくに私のような、どこか対人恐怖症ぽく、かつ回避性障害ぽい人間にとっては、そうだ。
思い切って旅に出る。
そういう怠け心を叩きつぶす。
むずかしい話はさておき、そのつど、怠け心と闘う。
それが勇気。
●片町(金沢)
あっという間の4時間だった。
「次は片町」と表示された。
金沢市イチの繁華街。
学生時代は、よく遊んだ。
が、風景は一変した。
学生時代の面影は、どこにもない。
近代的なビルにしゃれた店。
が、感動がないわけではない。
ほんの少しだが、心が躍るのを感じた。
この町には4年間の思い出がしみこんでいる。
バスは、もうすぐ、犀川を渡るはず。
それを身をやや硬くして待つ。
ハロー、金沢。
犀川だけは、学生時代のままだった。
●金沢
金沢は、その昔は、学生の町だった。
どこへ行っても、学生がいた。
目だった。
私もその金沢の金沢大学の学生だった。
あの金沢城址にあった学舎で、4年間を過ごした。
が、今は、金沢大学もそこを追い出され、角間というところに移転した。
どこにでもある新制大学のひとつになってしまった。
当然のことながら、レベルも落ちた(失礼!)。
私たちは、それを天下の愚策という。
当時、たまたまNHKの大河ドラマで、前田利家がテーマになった。
それだけではないが、金沢城址を、金沢市は観光地にしようとした。
そのために金沢大学を、金沢城址から追い出した。
が、これは世界の常識ではない。
世界の大都市は、市の中心部に最高学府を置く。
「知」の府を置く。
私が学んだ、メルボルン大学を例にあげるまでもない。
それがその市の誇りでもあり、シンボルにもなっている。
その学府が、町全体の知的文化を引き上げる。
札束も印刷物なら、書本も印刷物。
金沢市は、札束を選び、書本を捨てた。
その結果が、今。
金沢市は、観光都市として、「知」を捨て、俗化した。
……私が浜松市に移り住んだとき、私はその文化性のなさに驚いた。
浜松市は、工業都市。
20年ほど前から、「音楽の町」として売り出しているが、もともとは「楽器の町」。
「音楽」と「楽器」とでは、「文学」と「印刷機」ほどのちがいがある。
その浜松に住んで、40年。
今度は金沢に来てみると、その浜松とそれほど違わないのに、驚く。
逆の立場で驚く。
あれほど強く感じた「差」は、もうない。
浜松が文化都市になったとは思えない。
つまりその分だけ、金沢は、俗化した。
で、肝心の観光収入は、ふえたのか?
答えは、「NO!」。
同窓生の中には、金沢市役所に勤めたのもいる。
石川県庁に入ったのもいる。
みな、今になってこう言っている。
「まったくの失敗だった」と。
●サンダーバード13号(金沢、13:03発)
金沢からはサンダーバード13号(特急)で、羽咋まで。
「サンダーバード」という名前がよい。
なつかしい。
が、どう考えても、北陸を走る列車らしくない。
「犀星13号」とか「犀川13号」とか。
そういう名前のほうが風情があって、よい。
どうでもよいことだが……。
羽咋までは、40分。
学生時代には、法律相談所の所員として、毎月のように通った。
「所員」というと大げさに聞こえるかもしれないが、要するにインターンのようなもの。
大学の教授といっしょに通った。
行けば何かを思い出すだろうが、写真が何枚か、残っているだけ。
会場となったのは、どこかの神社の事務所。
その2階。
残っている写真は、その神社の前で撮ったもの。
羽咋出身の友人もいたはず。
SH君という名前ではなかったか。
●学生時代
金沢での学生時代は、そのあとのメルボルン大学での学生時代の陰に隠れて、記憶の中ではかすんでしまっている。
メルボルン大学での学生生活が、それほどまでに強烈だったということか。
が、こうも考える。
もしあのまま、まじめに(?)、金沢大学を卒業し、商社マンになっていたら、私はどうなっていただろうか、と。
2年ほど前、同窓会に出たとき、「伊藤忠商事を定年まで勤めまして……」と言った友人がいた。
いっしょに入社試験に行ったことのある仲間だった。
その仲間を見ながら、私はこう思った。
「私も、ああなっていただろうな」と。
一社懸命の企業戦士。
バリバリ働いて、定年退職。
が、いくら想像力を働かせても、それ以上のことが頭に浮かんでこない。
●私は、ただのバカだった
「今」が、つねに「結果」であるとするなら、では、金沢での4年間は、何だったのかということになる。
それはちょうどボケた老人を見るときの自分に似ている。
そんな人にも、それぞれ、自分の過去があったはず。
が、ボケると、そういう過去が、どこかへ吹き飛んでしまう。
積み重ねてきたはずの、人生の年輪が消えてしまう。
今の私にしても、そうだ。
学生時代の私は、たしかにバカだった。
しかも、ただのバカ。
が、今の私が、そのバカから抜け出たかというと、それはない。
むしろさらにバカになったのかもしれない。
ボケ老人、一歩手前。
となると、「金沢での4年間は、何だったのか」ということになる。
就職のための、一里塚?
そう考えることはさみしいことだが、私にかぎらず、当時の学生はみな、そう考えていた。
私たちはいつも、何かに追い立てられて生きていた。
あの4年間にしても、そうだ。
「大学へ入るのは、その先の就職のため」と。
そういう私が、「私」をつかんだのは、ほかならない、メルボルンでのことだった。
●「もう、いやだ!」
私はあのメルボルンという町で、生まれてはじめて「自由」というものを知った。
本物の、自由だ。
だからこそ、三井物産という会社を、迷うこともなく、やめることができた。
「もう、いやだ!」と。
あの会社では、純利益が半年ごとに、成績表のように発表される。
それでその社員の「力」が評価される。
それを知ったとき、私は、「もう、いやだ!」と。
が、もしあのままメルボルンを知らないで、日本の会社に入っていたとしたら……。
その仲間には悪いが、心底、ゾーッとする。
私はその意識もないまま、一度しかない人生を、棒に振っていた。
●宝達(ほうだつ)
列車は、すれちがい列車を待つため、宝達(ほうだつ)という駅に停まった。
5分の停車という。
さびれた田舎町(失礼!)。
少し心配になってきた。
「羽咋市はだいじょうぶだろうか?」と。
この40年間で、それなりに発展していることを願うばかり……。
レストランもないような田舎町だったら、どうしよう?
先ほどワイフに、「和倉温泉にすればよかった」と言った。
和倉温泉へは、何度か泊まったことがある。
やはり法律相談所の所員として、その町へ行ったときのことだった。
ほかに、能登、珠洲(すず)、富来(とぎ)などなど。
能登半島で、行かなかったところはない。
夏休みになるたびに、巡回相談というので、各地に一泊ずつしながら、能登を一周した。
……が、言うなれば、六法全書がすべての、血も涙もない、冷酷な相談員。
事務的に相談を受け、事務的に相談に答えていた。
今から思うと、そんな感じがする。
●書生さん
しかし能登はよい。
ほかの地方にはない、独特の風情がある。
その昔は、人も通わない、陸のへき地。
孤島。
金沢から富山方面へ行く人はいたかもしれない。
しかし能登まで回る人はいなかった。
だから私のようなしがない学生でも、、能登を旅すると、土地の人たちは、学生のことを、畏敬の念をこめて、「書生さん」と呼んでくれた。
そんなぬくもりが、この能登には残っている。
●コスモアイル羽咋(UFO会館)
羽咋へ着くと、すぐ、「コスモアイル羽咋」(UFO会館)へ。
「コスモアイル?」。
「Cosmo Isle(宇宙の島)」のこと?
ネーミングが悪い。
これでは記憶に残らない。
観光客も集められない。
やはりズバリ、「UFO会館」のほうが、よいのでは?
が、中は、かなり見ごたえがあった。
宇宙船の展示物も立派。
すばらしい。
本気度を随所に感じた。
が、肝心のUFO影が、薄い?
また3階では、プラネタリウム風の簡単な映画を見せてくれたが、こちらはガッカリ。
つまらないギリシャ神話と、ハップル望遠鏡の紹介だけ。
が、全体としては、もしあなたがUFOファンなら、一度は訪れてみる価値はある。
(日本には、ここ以外に、それらしい場所ないこともあるが……。
あの矢追純一氏が、名誉館長にもなっている。)
で、今日の宿泊ホテルは、「渚ガーデンホテル」。
昨夜急に予約を入れた。
それもあって、食事の用意はできないとのこと。
で、駅前のタクシー運転手に聞くと、「ぼうぼう」という店を勧めてくれた。
「ぼうぼう」というのは、「魚」のこと。
「このあたりでは、魚一般のことを、ぼうぼうと言います」と、店の女将が教えてくれた。
その「ぼうぼう」で、夕食。
サシミの盛り合わせ、天ぷらの盛り合わせ、それと「のど黒」という魚の焼き物。
鯛の頭の入った味噌汁、ごはん、生ビール……。
しめて4300円。
安い!
プラス、おいしかった。
「さすが本場!」と、ワイフも大満足。
ありがとう、「ぼうぼう様」。
●矢追純一氏
矢追純一氏のような有名人にもなると、「私もつきあったことがある」と、名乗り出る人は、多い。
私もその1人かもしれない。
もちろん矢追氏のほうは、私のことなど忘れてしまっているだろう。
しかしこう書けば、思い出してもらえるかもしれない。
浜松で、針麻酔をしていたG先生のところで何度か会った。
東京のホテル・ニューオオタニでも、何度か会った。
UFOを目撃したと電話で伝えたとき、写真を20~30枚送ってくれた。
オーストラリア製の紙巻タバコを送ると、お返しにと、日本テレビのロゴの入ったガスライターを送ってくれた、などなど。
ほかに覚えているのは、ある事件に巻き込まれ、矢追氏がニューヨークへ逃げていったときのこと。
電話で、「ものすごい人を見つけた」と、ニューヨークから連絡をくれた。
その「ものすごい人」というのが、あのユリ・ゲラーだった。
当時はUFOディレクターというよりは、超能力ディレクターだった(「11PM」)。
一度会いたいと思っているが、私のことなど、忘れてしまっているだろう。
当時は、私も矢追氏も、若かった!
あの長いトレンチコートが、どういうわけか強く印象に残っている。
あの矢追氏が、この世界で、これほどまでの人になるとは、私は夢にも思っていなかった。
●三日月型
ところで「UFO」と言われる乗り物(?)のもつ多様性には驚く。
まさに、何でもござれ。
形も、さまざま。
人間の乗り物と言えば、自動車。
飛行機。
最大公約数的に、その「形」をまとめることができる。
が、UFOについていえば、それができない。
館内でもらったパンフによれば、「UFOの基本的な形は、大きく分けると12種類に分けられるそうです」とある。
ワイフと私が目撃したのは、その中でも、「三日月型」ということになる。
つまりブーメラン型。
飛行パターンも紹介されているが、同じパンフによれば、18種類もあるとか。
要するに飛び方もメチャメチャということ。
では、その正体は、何か?
やはり同じパンフによれば、
(1) 軍事兵器説
(2) 自然現象説(プラズマ説)
(3) エイリアン・クラフト説(宇宙人の乗り物説)
(4) 未知の生物説の、4つがあるという。
興味は尽きない。
●渚ガーデンホテル(羽咋市)
千里浜(ちりはま)をドライブしたあと、ホテルに入った。
朝食のみで、9600円(2人分)。
どこかレトロ調の、静かで落ち着いたホテル。
ワイフは、しばらく何やらしていたが、今は、ベッドの上で眠っている。
まだ外は薄明るい。
たそがれ時。
あとで近くの温泉に行くことになっているが、多分、行かないだろう。
私は本を読んだり、パソコンを叩いたりしているほうが楽しい。
こうして自分の「時」を過ごす。
●事故
話がバラバラになり、まとまらない。
テーマというか、焦点が定まらない。
ときどきメールをのぞいたり、ネットであちこちのサイトを読んだりしている。
が、どれもどれ。
それについて書きたいときには、ビリビリと電気ショックのようなものを感ずる。
が、今は、それがない。
穏やか。
平和。
満腹状態。
軽い睡魔を感ずるが、同時に軽い頭痛もある。
今日は、昼寝をしていない。
そのせい?
で、ここ千里浜(ちりはま)には、こんな思い出がある。
下宿の先輩とドライブをしていて、事故に遭った。
車ごと横転した。
記憶の中では、3転ほどしたと思う。
空中で自分の体がクルクルと回っているのを覚えている。
そのことを先ほどタクシーの運転手に話すと、こう説明してくれた。
「波が、ときどき段差を作ってね。その段差にタイヤが取られると、横転することもあるよ」と。
私が大学2年生のときのこと。
先輩は、3年生だった。
先輩は、それで背骨を折った。
私は不思議なことに、まったくの無傷だった。
●旅行
今回の夏休みでは、1日おきに、3つの旅行をした。
3泊4日の旅行を、3つに分けたということになる。
それぞれの旅行には、それぞれの性格がある。
福井県の越前大野へ行ったときには、「私は一人ぼっち」ということを、強く思い知らされた。
兵庫県の城之崎へ行ったときには、昔の自分に会えたような懐かしさを覚えた。
また今回、この羽咋へ来たときには、「来た」というよりは、「古巣へ戻ってきた」という感覚にとらわれた。
タクシーに乗っているとき、たまたま「富来行き」というバスとすれちがった。
私が何気なく、「ここから富来(とぎ)へも行けるのですか?」と聞くと、タクシーの運転手は、驚いてこう言った。
「富来(とぎ)という読み方を知っていたお客さんは、はじめてです」と。
能登半島という半島は、私にとっては、そういう半島である。
●仕事
明後日から、仕事が始まる。
「がんばろう」という気持ちと、「だいじょうぶかな」という気持ち。
この2つの気持ちが、複雑に交錯する。
体力的には何とかなる。
しかしこの大不況。
そのうちジワジワと、その影響も出てくるはず。
今年度(2012年の3月まで)は、何とかなるだろう。
しかしその先が読めない。
で、ワイフは、ああいうのんきな性格だから、いつもこう言っている。
「つぶれたら、オーストラリアへでも行きましょうよ」と。
どこか私の教室がつぶれるのを、楽しみにしている様子(?)。
こう言うときもある。
「今まで、一度もつまずくこともなく、ここまでやってきたのだから、感謝しなくちゃあ」と。
つまり「もうじゅうぶん仕事をしてきた。いつやめてもいい」と。
あるいは「あなたも定年退職したら?」と。
が、今の私には、仕事が生きがいになっている。
その生きがいを、自ら捨てるわけにはいかない。
私としては、死ぬ直前まで、仕事をしていたい。
できればピンコロという死に方をしたい。
オーストラリアへも行きたいが、「行って何をする?」と考えたとたん、意欲が、スーッと萎えていく。
ともかくも、こうして私の夏休みは、終わる。
が、まだあきらめたわけではない。
「明日の夜も、どこかの温泉へ行こうか」と声をかけると、ワイフは、「明日も~?」と。
気の進まない返事が、返ってきた。
……こうして旅行ができるのも、今のうち。
よくて、ここ数年。
今は、あきるほど、あちこちを旅行しておきたい。
●8月23日
朝、6時、起床。
昨夜はほかにすることもなく、午後10時に就寝。
8時間、眠ったことになる。
一度、トイレに起きたが、それだけ。
……ということで、今朝は、気分、爽快。
脳みその働きも、まあまあ。
こうしてパソコンのキーボードを叩く指も、軽やか。
よかった!
やっと調子が戻ってきた。
●小雨
羽咋の朝は、小雨で始まった。
食事は8時から。
10時ごろの電車に乗り、金沢へ。
金沢からバスで名古屋へ。
ほぼノンストップ。
所要時間は、4時間。
新幹線と特急を乗り継ぐよりは、時間はかかる。
しかし料金は、半額。
急ぐ旅でなければ、高速バスのほうが、楽。
「ホテルから羽咋駅までは、タクシーだな」と、今、ふと、そんなことを考えた。
●窓の外
ホテルといっても、ビジネスホテル?
高級なビジネスホテルといった感じ。
(フロントで聞いたら、ゴルフクラブのクラブハウスだったとのこと。)
畑の中に、ポツンと建っている。
目の下には荒れた土地。
その向こうには、畑がつづいている。
一軒だけ家があるが、ごくふつうの民家。
右の方角に千里浜があるはずだが、ここからは見えない。
昨日は遠くに低い山々が見えたが、今朝は、白い雲に覆われ、それも見えない。
窓をいっぱいに開けた。
夏というのに、涼しい風が、サーッと吹き込んできた。
午後からは、また猛暑に逆戻りするという。
書き忘れたが、昨日は、全国的に、10月下旬の季節だったという。
それを聞いて、「10月って、こうなんだ」と。
そこで私とワイフの結論。
(1) シーズンオフを選ぶ
(2) 客の少ない旅館(ホテル)を選ぶ
(3) ほどほどの距離のところにある名所を選ぶ
秋になれば、旅行シーズン。
楽しみが待っている。
●羽咋から金沢へ
ホテルから駅までは歩いた。
途中、郵便局で金沢の友人にハガキを出す。
涼しい小雨。
ワイフが傘をさした。
私も傘をさした。
ちょうど40分ほどで、JR羽咋駅に。
9時26分発の金沢行き。
鈍行列車。
席はすいていた。
パソコンを開くと、まずメールを読む。
つづいてニュース。
このところまず気になるのが、浜松。
「浜松はだいじょうぶか?」と。
地震が近い。
それが気になる。
●失われた20年
こういう地方へ来てみると、「失われた20年」の意味が、よくわかる。
この40年を2つに分ける。
最初の20年、この日本は、怒涛のごとく変化した。
しかしつぎの20年、この日本は、そこで時間を止めたまま。
この鈍行列車にしても、あちこちがサビだらけ。
窓ガラスは汚れたまま、白く曇っている。
が、何よりも動きを止めたのが、「人」。
今も、通路をはさんだ反対側の席に、2人の女性が何やら大声で話しこんでいる。
片足は座席にあげたまま。
一方はスカートを、大きくめくりあげている。
1人は、50歳前。
もう1人は、60歳前後。
まさに「女」を忘れたオバちゃんたち。
品格も風格もない。
日本人というよりは、土着原住民。
能登の土着原住民。
どうして女性は、ああなるのか?
ああいう人たちにも、若くて美しいときがあったはず。
しかし長い年月をかけて、ああなる。
どうして?
……日本がかつて懸命に追い求めた「繁栄」とは何だったのか。
あるいは物欲の追求にすぎなかったのか。
その結果、つまりそれが終わったとき、残ったのは、物欲だけ。
この20年で、その物欲だけが、皮をはがれて表に出てきた。
こういうオバちゃんたちの横姿を見ていると、そんな感じがする。
●石川県
電車はのどかな田園地帯を走る。
ひとつちがうのは、墓が目立つこと。
一駅ごとに、墓地があり、線路沿いに墓が見え隠れする。
あとは雑然とした街並みと、雑草。
道路沿いも、線路沿いも、雑草だらけ。
ちょっとした空き地でも、夏草が生い茂り、荒れ放題になっている。
数年前、石川県庁に勤める友人が、こう言った。
「石川県は、貧しいがや」と。
その貧しさが、ここ10年で、いっそうひどくなった?
そんな印象をもった。
(まちがっていたら、ごめん!)
●総括
……ということで、昨日は、ここ石川県羽咋市までやってきた。
ことUFOについて言えば、新しい発見は、なかった。
古代史とUFOの関係、古代文明とUFOの関係、さらには、彼らはいつから、何の目的をもって、この地球へやってきたのか……。
たとえばシュメール文明、仰韶(ヤンシャオ)文明との関係など。
そういうところまで、踏み込んで展示すると、奥行きも倍加するのでは?
宇宙船(UFOではない)の展示物が8~9割。
UFOに関していえば、2、3の展示物と、あとはパネル写真だけ。
このあたりが、私たちがもっている常識の割合と考えてよい。
UFOオンリーとなると、カルト化(=狂信化)する危険性がある。
やはりUFOについては、ほどほどのところで、ほどほどのロマンを楽しむのがよい。
深入りは禁物。
その点、矢追純一氏は、頭がよい。
団体や組織とは、一線を引いている。
今回の旅行を総括すると、そういうことになる。
●もうすぐ豊橋
名古屋からは、名鉄電車に乗り換えた。
特急、豊橋行き。
疲れを感じない、楽しい旅だった。
書いた原稿は、23ページ(40字x36行)。
まあまあの成果。
パナソニック社製のレッツ・ノートがほしい!
TOSHIBAのMXでは、やや力不足。
バッテリーチェックを見ると、「21%で、1時間39分」と表示された。
つまりバッテリーの残量は、21%。
残り、1時間39分。
実際には、あと30分もすると、警告表示が現れる。
……私の脳みそについて言うなら、「20%、7年」かな?
あと7、8年もしたら、使い物にならなくなる?
そんな感じがする。
(はやし浩司 羽咋 宇宙科学博物館 コスモアイル 矢追純一 UFO 能登への旅 はやし浩司 石川県 羽咋市 渚ガーデンホテル 羽咋市 割烹 ぼうぼう はやし浩司 ぼうぼう 羽咋 魚料理 ぼうぼう)
Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司
2011年8月23日火曜日
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