2011年8月31日水曜日

●大阪・『シティライフ』誌よりbyはやし浩司

『シティライフ』誌(大阪府・北摂・高槻・茨木・摂津版)

●巻頭特集の記事より

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【シティライフ編集部のみなさんへ】

 記事を掲載してくださり、ありがとうございました。

シティライフ……アクセスは
http://kurasi.citylife-new.com/e12121.html


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

*From Recent News

●もうすぐ64歳(8月30日の夜に)「今日のできごと、あれこれ」

●タレントのS

 タレントのSが、マスコミでボロクソに叩かれている。
同情の余地はない。
もともと・・・というか、見るからにその程度の男。
「国民の宝」と、どこかのバカ知事はもちあげたが、国民の宝?

 「つながりがあった」というより、準構成員そのもの。
が、問題は、マスコミそのもの。
ああいう人間を無批判に、もちあげてきた。
その責任は、どうなるのか。

 が、まだSはよい。
暴力団とのつながりがあったというだけで、社会にそれほど大きな影響を与えたというわけではない。
陰に隠れて、コソコソ、行動していた。

 で、そのタレントSを見ながら、こう思う。
もしSが悪いというなら、あのBTはどうなのか?、と。
ワイフが、昨夜、そう言った。
見るからに、その程度の男。
映画監督もしているが、作るのは暴力映画ばかり。
暴力団そのものを題材にした映画も多い。
その男が、今、タレントの王者として、日本のマスコミの上に君臨している。

 日本人や日本の若者たちに与えた影響となると、計り知れない。
もちろん悪い影響である。
そんな男が、東京都から、「都を代表する文化人」として表彰されている。
フランス政府からは、「日本を代表する文化人」として表彰されている。

 Sというタレントがおかしいのではない。
マスコミ全体が、狂っている。
日本人全体が、狂っている。

●日債銀の破綻処理、4・8兆円!

 最高裁判所は、「シロ」と判断した。
いわく「貸出金が多少でも回収できれば、
支援に合理性が認められるとの判断を示し、
決算に粉飾はなかった」と。

 わかりやすく言えば、日債銀がした
もろもろの融資は、「回収の見込みがなかったとは
評価できない」※と。

実にあやしげな融資だった。
にもかかわらず、「回収の見込みがなかったとは言えない」と。

 が、本当の問題は、そのことではない。
こんな一銀行のために、4・8兆円もの公的資金が使われたということ。

4・8兆円を数字で表してみる。

4800000000000円!

 もし預金者保護ということなら、
預金者だけを保護すればよかった。
その保護だけにとどめ、銀行を解体すればよかった。
何も、銀行がかかえた債務まで、国が負担することはなかった。

 が、日債銀は、事実上、救済された。
日債銀というより、行員たちが救済された。
当時の日債銀の行員は、約2000人。
4・8兆円を2000人で割ると、
1人当たり、24億円。

 つまり国は、行員1人当たり、24億円もの
公的資金(=税金)を投入し、日債銀なるものを
救済した。

以後、日債銀の行員たちは、だれひとり責任を
問われることもなく、満額の退職金(=企業年金)
を受け取り、それぞれ子会社(主に独立系ノンバンク)
へと散った。

 もちろん1人当たり、24億円の現金を手にしたわけではない。
しかしふつうなら、会社の倒産と同じように、行員は全員解雇、
無一文で、野に放り出されてもおかしくなかった。

が、ここからがまたおかしい。

 検察庁は、「乱脈融資に直接かかわったわけでもない、
国税庁長官のK氏のみを訴追」(Yahoo・ニュース)した。
結果、乱脈融資そのものを、うやむやにしてしまった。

が、もう一度、4・8兆円という数字をよく見てほしい。
日本人の人口を、1億2000万人とすると、国民1人当たり、4万円!
それだけのお金が、闇から闇へと消えたことになる。
つまりだれかが、その一方で、儲けた!

 百貨店のそごう倒産劇のときも、債務(=借金)の付け替えが、
頻繁に行われていた。
日債銀の経営破綻劇の裏でも、同じことが行われていた。

それが無罪!
シロ!

 こんなバカなことが、この日本では堂々と行われている。
捜査といっても、「国策捜査」(同・ニュース)。
はじめから結果は、わかっていた。
つまり茶番劇。

 日本が民主主義国家と思っているのは、そこらのオジチャン、オバチャンたちだけ。
日本は奈良時代の昔から、官僚主義国家。
世界に名だたる官僚主義国家。
その官僚たちが、政治、経済、さらには裁判まで、自分たちの
思い通りに動かしている。

今度の判決を見て、私はそう感じた。

(注※)
 数学の問題でも、解答のある問題を解くのは簡単。
しかし「この問題は解けません」ということを証明するのは、むずかしい。
同じように、回収の見込みについて、なかったことを証明するのは、むずかしい。
要するに、詐欺であったかどうかということ。
が、「回収の見込みがなかったとは評価できない」ということで、詐欺ではないということになった。
回りくどい言い方だが、こんな論法がまかり通るなら、どんな詐欺でも、無罪になって
しまう。
今、問題になっている「○X牧場」の和牛預託商法にしても、そうだ。
「(資金の)回収の見込みがなかったとは評価できない。よって無罪」と。

●どこかの川で……

 どこかの川で、28歳の男性が、橋から川に飛び込んで、死んだ。
私はその川も、橋も、よく知っている。
私はその川のほとりで、生まれ育った。

 死因はまだ報道されていないが、心臓麻痺か何かではなかったか。
あの川の恐ろしいところは、(どこの川でもそうだが)、山の清水が、いたるところで川の中でわき出ていること。
川に沿って泳いでいると、それがよくわかる。
ときどき、氷のように冷たい清水を、帯のように感ずる。
そういう清水の中に入ると、かなり泳ぎ慣れた人でも、キーンと心臓が縮むのがわかる。

 今は、温暖化も進んだ。
しかし私が子どものころは、8月15日の盆を過ぎたら、あの川には入らなかった。
寒くて、入れなかった。
そんな川に、8月末の今ごろ、橋から飛び込むなどというのは、正気の沙汰ではない。

 28歳といえば、若い。
残念な事件である。

●生き埋め

 もうひとつの事件は、若い夫婦が生き埋めになったというもの。
どういういきさつでそうなったかは知らないが、運が悪かっただけではすまされない。
何か、やりきれない。

 どこかの若い妻が、夫を驚かそうと、砂浜に穴を掘った。
落とし穴を作った。
「誕生日を祝うためだった」というから、さらに「?」。
そに落とし穴に、夫婦ともども落ちて、2人とも窒息して死んだ。

 穴の深さも、常識をはずれている。
2・5メートル!
ほんの少しでも思考力があれば、こんな危険な遊びはしなかったはず。

 が、私の年齢になると、どうしても親の心のほうを先に考えてしまう。
「さぞかし、やりきれないだろうな」と。

 川に飛び込んで死んだ若者にも、砂浜で窒息して死んだ若者にも、親がいるはず。
そういう息子や娘をもった親は、どうか。
悲しいというより、やりきれない思いでいっぱいだろう。
無念というか、何というか……。

 人というのは、他人のことなら、「許して忘れる」ことができる。
しかし自分のこととなると、それができない。
それが親の気持ちということになる。

 だから今は、こう思う。

 若者たちよ、無謀なことをするのは、君たちの勝手。
しかしときには、親の気持ちも少しは考えて行動せよ。
君たちの命はもちろん、幸福にせよ、結婚にせよ、それは君たちだけのものではない。
君たちの背中には、君たちを、苦労に苦労を重ねて育ててきた、父親がいる。
母親がいる。
ときには、回れ右をし、背中の側にいる人間を見てほしい。

●民主党

 野田首相が生まれた。
その話をしながら、昨夜も参観に来ていた父親と、こんな話をした。
「どうして管さん(=管直人首相)では、だめなんですかねエ?」と。
するとすかさずその父親も、こう言った。
「私も、そう思います」と。

 わかりやすく言えば、みなが寄ってたかって、管直人前首相の足を引っ張った。
官僚、ゼネコン、そして同族の一派。

この日本では、行政改革(=脱官僚政治)を訴えただけで、その政治家は干される。
ゼネコン(=原発建設業者)を叩いただけで、経済界からはじき飛ばされる。
民主党といっても、中身は、派閥政治。
「数」がものをいう、派閥政治。
野党時代は、あれほど自民党の派閥政治を批判していたにもかかわらず、政権与党になったとたん、この体たらく。

 もちろんその原点は、忠臣蔵。
私たちが若いころは、毎年12月になるたびに、忠臣蔵がテレビで放映されていた。
恒例番組にもなっていた。
それがそのまま日本人の精神的バックボーンになっている。
政治の世界でも、そうだ。

 ・・・というのは、考えすぎかもしれない。
しかし今の民主党、とくに小沢一派の議員の動きを見ていると、忠臣蔵そのもの。
称して「平成の忠臣蔵」。
権力を背負っているだけに、暴力団より始末が悪い。
日本人は、あの封建時代の遺物を、いまだに色濃く引きずっている。

●武士道

 ・・・もし江戸時代の武士道なるものが、どういうものかを知りたかったら、現在の「ヤクザ(暴力団ではない)の世界」を見ればよい。
皮肉なことに、ヤクザの世界は、封建時代における武士の世界そのものといってよい。
忠実に過去を踏襲している。

いまだにその武士道なるものを礼賛する人は多い。
「武士道こそ、日本が世界に誇るべき精神的バックボーン」と説く学者もいる。
しかし封建時代がもつ「負の遺産」に目を当てることもなく、一方的に礼賛するのもどうか?

 5%にも満たない武士が日本の社会を牛耳り、95%の日本人が、その暴政に苦しんだ。
江戸時代という時代にしても、世界に類を見ないほど、暗黒かつ恐怖政治の時代だった。
が、何よりも忘れていけないことは、私たちの先祖は、その95%の農民であったということ。
(工人、商人は、数がぐんと少なかった。)

 もしあのまま今でも封建時代がつづいていたら、私たちはまちがいなく、農民だった。
その農民が、武士のまねごとを説いて、どうなる?
どうする?

●迷ったら・・・

 先ほど、ワイフがこう言った。
「明日は、どうする?」と。

 水曜日は、温泉に行くことにしている。
回数券で買うと、1回分800円で入浴できる。
それに映画も観たい。
が、あまりよいのがない。
見るとすれば、『ピラニア』。
昔の『ジョーズ』に似た映画と思う。
サメが、ピラニアに変わった。

 もうひとつは、温水器のパイプに穴があいた。
その修理。
「明日は、どうする?」と再びワイフが聞いたので、私はこう答えた。
「ぜんぶ、する」と。

 このところ「迷ったら、すべてする」が、私のモットーになっている。

●スピリチュアル(霊感商法)

 数日前、「?」はチラシが新聞に入っていた。
「スピリチュアル講演会」という。
見ると、もろもろの悩みを解消します、とある。
ついでにもろもろの予知、予言もします、とある。

 当日券は3500円とか。(前売り券は3000円。)

 気になったのは、小中学生の入場料金も書いてあったこと。
もしそれがカルト教団なら、(カルト教団と断言してよいが)、これは見過ごせない。
フランスでもベルギーでも、未成年者への勧誘は、法律によりきびしく禁止されている。
甘いのは、この日本だけ。
政治活動も野放し。(アメリカでは禁止。)
営利活動も野放し。(世界的に禁止。)
もちろん子どもの勧誘も、野放し。

 憲法で保障されている「信仰の自由」が、カルト教団のよいように拡大解釈されている。
その結果が、今。
だいたいにおいて、「スピリチュアル」とは何か。
訳せば「霊」ということになる。

 あのホーキング博士は、「天国などというものは、死を恐れる人のおとぎ話」と言い切った。
が、人間は、それほど強くない。
ウソでもよいから、天国を信じたい人もいる。
そういう人たちの思いは思いとして、そっとしておいてやる。
「あなたはまちがっている!」と言って、ハシゴをはずすのは簡単なこと。
はずすならはずすで、かわりのハシゴを用意してやる。
それができないなら、そっとしておいてやる。

 が、あえてウソを広めてはいけない。
お金を取り、人を集め、インチキ説法まではしていけない。
その先にあるのが、霊感商法。
こういうのを野放しにするから、被害者が後を絶たない。

 もし、ここに私が書いたことがまちがっているというのなら、ヤ~イ、インチキ教団の連中どもよ、今すぐ、私にバチを当ててみろ。
そのスピリチュアル何とかというパワーを使って、私にバチを当ててみろ!

 大地震が予言できるくらいなら、はやし浩司1人くらい、つぶすのは、わけないはず。

●勇気

 今年は平成23年だから、ちょうど23年前。
私はあるカルト教団を攻撃した本を、5冊、書いた。
それがあって、私のところへ、毎週のように、10~20人の信者たちが押しかけてきた。
みな、口々に、こう言った。
「今に、お前は地獄へ落ちる」「5年後に結果が出る」「楽しみにしている」と。

 が、5年たっても、10年たっても、20年たっても、私は地獄へ落ちなかった。
今の今も、そこそこに元気で暮らしている。

 愚かな連中だ。
「信じたものだけが救われる」とか、「悪口を書いたら、地獄へ落ちる」とか言う。
私が神や仏なら、いちいちそんなことは気にしない。
神や仏に甘えるわけではないが、心が無料無辺に広いから、神といい、仏という。

 が、正直に告白するが、当初は怖かった。
仲のよい友人でさえも、「殺されないように注意してください」と忠告してくれた。
そう言えば、こんなことを言った信者もいた。
「夜道を歩くときは、注意したほうがいいですよ」と。

 が、今は、反対に、こわいものがなくなった。
小心で臆病だった私が、平気でものを書けるようになった。
あの一連の事件を通して、私は「勇気」を手に入れた。
今にして思うと、それがよくわかる。

●もうすぐ64歳

 もうすぐ64歳。
平均余命から逆算すると、運がよくても、私の
寿命は、残り15年。
15年。
たったの15年。

 で、反対にこんな計算をしてみる。
現在の年齢から15年を引いてみると、49歳。
49歳から64歳。・・・15年
64歳から79歳。・・・15年
49歳のときから、現在までの年数がたつと、
私もあの世行き。

 そこで考える。
49歳のとき、私は何をしていたか、と。
よく覚えているのは、中日新聞で、連載が始まったこと。
『子どもの世界、こんな問題』というコラムだった。
それから15年。
あっという間の15年。
同じように、これからの15年も、あっという間に過ぎていく。
あるいは、もっと早いかもしれない。

 が、それとて、先に書いたように、「運がよければ」の話。
平均余命から10年を引いた年齢を、健康年齢という。
晩年の10年は、病魔との闘い。
徐々に病魔に侵されながら、人は、やがて死を迎える。
その健康年齢まで、あと4年。
たったの4年。

 長生きはしたいが、私のような国民年金族(=無年金族)は、
長生きをすればするほど、みなに、迷惑をかける。
迷惑をかけてまで、長生きはしたくない。
また長生きしたところで、どういう意味があるのか。
できれば、ピンコロ。
無縁死でも孤独死でもよい。
できれば、ピンコロ。

 ・・・かなり悲観的な考え方だが、私が書きたいのは、その逆。
それだけに、このところ、生きていることに、いとおしさを覚える。

美しい空。
白い雲。
深い緑の木々。
死ねば、この世もろとも、私は消える。
その切なさ。
そのなごり惜しさ。

 今夜もワイフとドライブをしながら、そんなことを考えた。
暗い夜空だったが、淡い雲が幾重にも重なって見えた。
その下に、黒いシルエットとなった山々。
そして明かりを灯す、民家。
その切なさ。
そのなごり惜しさ。

 今や一瞬一秒が、砂時計の砂のように、過ぎていく。
無駄にできる「命」は、もうない。
回り道をしている時間もない。
迷っている暇もない。
結果がどうであれ、その結果を気にしている余裕もない。

 ただ前に進むこと。
ただひたすら前に向かって生きていくこと。
正しくても、またまちがっていても、これが私の人生。
私の選んだ人生。
今さら過去を悔やんだところで、どうにもならない。
軌道修正することもできない。
だから前に進む。

 世の中に、私のようなバカが1人くらい、いてもよい。
言うなれば、バカの実験台。
もし私の生き方がまちがっていると思うなら、それはそれで結構。
あとにつづく人たちは、別の道を進めばよい。
もし私の生き方にも、価値があると思うなら、それはそれで結構。
あとにつづく人たちは、私を乗り越えて進めばよい。

 今夜の私は、ワイフの深い愛を感ずる。
息子の深い愛を感ずる。
それ以上、私は何を望むというのか。
仮に今、ピンコロということになっても、今の私なら、今を信ずる。
信じて、そのまま静かに死ぬことができる。
やすらかに。
穏やかに。

今夜の私は、いつもになく、満ち足りている。
人を憎まず。
人を恨まず。
平和な心で、満たされている。

 ・・・このまま静かに眠ろう。
すでにワイフは、奥の寝室で寝息をたてている。
先ほどまで横で話していた息子も、寝室へ入った。

では、みなさん、おやすみ。
日付は変わって、2011年8月31日。

引佐町・山荘にて。

Hiroshi Hayashi++++++++Aug 2011+++++++++はやし浩司

【楽しく学ぶ子は、よく学ぶ】

●1年生に、センチとミリを教える

(1)


(2)



Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

2011年8月30日火曜日

*Children who act impulsively

●子ども、あれこれ(突発的に衝動的な行動を繰り返す子ども)

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 親の過干渉が日常化すると、子どもは、
自分で考えるということができなくなる。
とくに善悪の判断に疎くなる。
いろいろなケースがある。

++++++++++++++++++++

(N君、小2男児)

 私の教室には、いくつかの模型飛行機が飾ってある。
ダイキャスト製の、大きさが15センチ前後の飛行機である。
その飛行機の、プロペラや脚が折られるという事件がつづいた。
模型のアンテナが折られたのもある。

が、だれが折るのか、当初はわからなかった。
私も、それほど注意していたわけではない。
気がついたときには、模型飛行機のほとんどが、壊されていた。

 が、ある日、レッスンが終わり参観にやってきた母親と話しているとき、ふとそちらのほうを見ると、N君(小2男児)がその前に立っていた。
模型飛行機をじっと見ているといったふうだった。
が、つぎの瞬間、N君は、さっと手を伸ばすと、指先でプロペラを折った。
ものすごい早業(はやわざ)だった。
それが終わると、再びN君は、こちらの様子を警戒するといったふうでもなく、じっと模型飛行機に見入っていた。

 ほかにコンセントに粘土を詰めていた子ども(幼稚園男児)や、色水を溶かして、2階のベランダから、下の子どもに向かって、それをかけていた子ども(幼稚園男児)などがいた。

●特徴

 こうした子どもの話をすると、頭の良し悪しと結びつけて考える人は多い。
しかし頭の良し悪しとは、関係ない。
先にあげたN君にしても、学校のクラスでも、1、2を争うほど、算数が得意だった。
つまり頭が良い子どもでも、善悪の判断に疎い子どもは、いくらでもいる。
他方、頭が悪いからといって、善悪の判断が疎いということにもならない。

 それはちょうど、男子だから、料理や洗濯がへたとか、反対に女子だから、料理や洗濯がじょうずと決めつけて考えるようなもの。
料理や洗濯のじょうず、へたに、男子も女子も、ない。
同じように、「頭が悪いから、善悪の判断に疎い」と考えてはいけない。
(もちろん、頭の悪い子どもで、善悪の判断に疎い子どももいるが……。)

 前提として、善悪の判断能力と、頭の良し悪しは、関係ない。

●突発性

 このタイプの子どもの特徴としては、突発性があげられる。
日ごろから、行動が突発的で、静かな落ち着きに欠ける。
その瞬間に、「とんでもない行動」を引き起こす。
少し前も、私のうしろから、私の後頭部を、いきなり発泡スチロールの棒で叩いてきた子ども(小6男児)がいた。

 発泡スチロールとはいえ、6年生の腕力である。
しかも水平に、右耳をめがけて叩いてきた。
幸いにも、ほんの少しだけ位置がずれていたからよかった。
もしまともに右耳に当たっていたら、私の鼓膜は吹き飛んでいたはず。
(それでも、そのあと4、5日間、耳がポーンとしたままだったが……。)

 この子どもも、頭の良い子どもだった。
が、時として発作的に、衝動的行動に走る。
で、叱ると、その場ではシュンとうなだれ、いかにも反省していますといった様子をしてみせる。

●原因

 年齢的には、満4・5歳前までの幼児期前期における、子育ての失敗とみる。
この時期を「自律期」と呼ぶ(エリクソン)。
この時期を通して、子どもは、善悪の感覚を身につける。
先生や親の指導を忠実に守ろうとする。

 たとえば母親が、幼稚園の先生の指導と違ったことをしたりすると、すかさず、「幼稚園の先生がねえ……」と言い返し、母親をたしなめたりする。

 あるいは部屋の様子がいつもとちがっていただけでも、敏感にそれを発見する。
元に戻そうとする。
たとえば花瓶の位置がずれていただけでも、元通りにする、など。

 この時期までに、子どもの基本的な習慣づけが決まると断言してよい。
が、反対に、この時期を、「だらしなく」過ごすと、子どもは、「だらしない子ども」になる。
生活態度がだらしなくなり、ものを散らかすなど。
服装や、身だしなみに無頓着になることもある。

原因は言うまでもなく、親の溺愛(甘やかし)、過干渉(親がガミガミ、コマゴマと言う)など。
それが日常化すると、子どもは自分で考え、自分で行動するということができなくなる。

 しかしそれがすべてよいというわけではない。
反対にそれが度を越したりすると、子どもは、いわゆる融通の利かない、頭の固い子どもになる。
たとえばユーモア、冗談が通じなくなる、など。
たとえばアスペルガー児のばあい、相手の言葉を忠実にとらえすぎるあまり、柔軟な行動がとれないことがよく知られている。

 満4・5歳を過ぎたら、「融通性(ユーモア)の指導」も、家庭教育におけるひとつのテーマと考えてよい。
 
●善悪判断

 言い換えると、年長児(5~6歳児)をていねいに観察すると、善悪の判断能力(=常識的な判断能力)が、正しく身についているかどうかが、わかる。
善悪の判断能力が正しく身についている子どもは、的確にそれを判断することができる。
衝動的、突発的な行動は、見られない。

 一方、そうでない子どもは、そうでない。
ひどくなると、「何をしでかすか、予想が立たない子ども」になる。
ほんの少し目を離したすきに、「とんでもないこと」をする。
しかも本人には、悪いことをしているという意識は、ほとんどない。
笑いながら、あるいはおもしろ半分に、それをする。

 私の目に、シャープペンシルを突き刺した子ども(中3・男子)、同じようにシャープペンシルの先で、私の目を突き刺そうとした子ども(小4・男児)などがいた※。
ともに頭のキレる子どもで、とくに数学においては、並外れた才能を光らせていた。

(注※)この子どもは、私が振り向くのを待ち、シャーペンシルを手で握り、私に声をかけた。
「先生、先生」と。
私はそのとき反対の方向を向いていたが、そのまま顔を、その子どものほうに向けていたら、シャーペンシルの先は、確実に私の目を突き刺していた。
たまたまその直前、別の子どもが、「先生!」と声をかけてくれたから、私は難を逃れることができた。

●どうするか

 先にも書いたように、年長児(6歳、幼児期後期)になると、その子どもの方向性が決まってくる。
親は、こうした症状を子どもの中に見つけると、はげしく叱ったりする。
が、これが悪循環となり、子どもはますます「常識外れな行動」を繰り返すようになる。

 「子どもは家族の代表」と考え、原因は家庭環境、とくに母親の育児姿勢にあると考え、猛省する。
静かな語りかけ、話し合いが、重要。
しかし実際には、親自身が情緒的な不安定さ、精神的な欠陥をかかえているケースが多く、指導はむずかしい。

●過干渉児

 よく誤解されるが、口うるさいのは、過干渉ではない。
過干渉が過干渉になるためには、親側の情緒的な不安定があるばあいである。
親の機嫌、あるいはそのときの気分によって、子どもへの接し方が大きく変化する。
ギャーと興奮して子どもを叱ったり、反対に、妙に穏やかに接したりするなど。
つまり子どもの側から見て、とらえどころのない親の「心」が原因となり、子どもは、いわゆる過干渉児になる。

 私の経験では、小学3~4年生以後、こうした行動が見られるようになったら、指導による改善はほぼ不可能とみる。
言うべきことは言いながらも、本人の現実を検証する能力と、自己を管理する能力が育つのを待つしかない。
言い換えると、おとなでも、こうした衝動的、かつ突発的な、「非常識な行動」を繰り返す人は少なくない。
どういう人がそういう人であるかは、あなたの周辺にも、1人や2人はいるはず。
観察してみるとよい。
出現率としては、子ども(小学高学年児)のばあい、7~8人に1人とみる(はやし浩司)。

●AD・HD児とのちがい

 それなりの集中力と、その場に応じた静かさ(たとえばテスト中などは、静かに学習できる)があるという点で、AD・HD児とは区別される。

●過剰行動児とのちがい

 行動に目的性があるという点で、突発的に錯乱状態になる過剰行動児とは区別される。

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Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【幼稚園児に「形」を教えてみる】

●新入会のMG君がいましたので、ガイダンス的に、「形」の学習をしてみました。
「楽しく学ぶ子は、よく学ぶ」ですね。

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(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 年中児の知育教育 知能教育 BW教室 BW子どもクラブ BWbyはやし浩司 形の学習 形の勉強 刺激教育 才能教育)


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●行動の予想の立たない子ども(突発性のある子ども)

●子ども、あれこれ(突発的に衝動的な行動を繰り返す子ども)

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 親の過干渉が日常化すると、子どもは、
自分で考えるということができなくなる。
とくに善悪の判断に疎くなる。
いろいろなケースがある。

++++++++++++++++++++

(N君、小2男児)

 私の教室には、いくつかの模型飛行機が飾ってある。
ダイキャスト製の、大きさが15センチ前後の飛行機である。
その飛行機の、プロペラや脚が折られるという事件がつづいた。
模型のアンテナが折られたのもある。

が、だれが折るのか、当初はわからなかった。
私も、それほど注意していたわけではない。
気がついたときには、模型飛行機のほとんどが、壊されていた。

 が、ある日、レッスンが終わり参観にやってきた母親と話しているとき、ふとそちらのほうを見ると、N君(小2男児)がその前に立っていた。
模型飛行機をじっと見ているといったふうだった。
が、つぎの瞬間、N君は、さっと手を伸ばすと、指先でプロペラを折った。
ものすごい早業(はやわざ)だった。
それが終わると、再びN君は、こちらの様子を警戒するといったふうでもなく、じっと模型飛行機に見入っていた。

 ほかにコンセントに粘土を詰めていた子ども(幼稚園男児)や、色水を溶かして、2階のベランダから、下の子どもに向かって、それをかけていた子ども(幼稚園男児)などがいた。

●特徴

 こうした子どもの話をすると、頭の良し悪しと結びつけて考える人は多い。
しかし頭の良し悪しとは、関係ない。
先にあげたN君にしても、学校のクラスでも、1、2を争うほど、算数が得意だった。
つまり頭が良い子どもでも、善悪の判断に疎い子どもは、いくらでもいる。
他方、頭が悪いからといって、善悪の判断が疎いということにもならない。

 それはちょうど、男子だから、料理や洗濯がへたとか、反対に女子だから、料理や洗濯がじょうずと決めつけて考えるようなもの。
料理や洗濯のじょうず、へたに、男子も女子も、ない。
同じように、「頭が悪いから、善悪の判断に疎い」と考えてはいけない。
(もちろん、頭の悪い子どもで、善悪の判断に疎い子どももいるが……。)

 前提として、善悪の判断能力と、頭の良し悪しは、関係ない。

●突発性

 このタイプの子どもの特徴としては、突発性があげられる。
日ごろから、行動が突発的で、静かな落ち着きに欠ける。
その瞬間に、「とんでもない行動」を引き起こす。
少し前も、私のうしろから、私の後頭部を、いきなり発泡スチロールの棒で叩いてきた子ども(小6男児)がいた。

 発泡スチロールとはいえ、6年生の腕力である。
しかも水平に、右耳をめがけて叩いてきた。
幸いにも、ほんの少しだけ位置がずれていたからよかった。
もしまともに右耳に当たっていたら、私の鼓膜は吹き飛んでいたはず。
(それでも、そのあと4、5日間、耳がポーンとしたままだったが……。)

 この子どもも、頭の良い子どもだった。
が、時として発作的に、衝動的行動に走る。
で、叱ると、その場ではシュンとうなだれ、いかにも反省していますといった様子をしてみせる。

●原因

 年齢的には、満4・5歳前までの幼児期前期における、子育ての失敗とみる。
この時期を「自律期」と呼ぶ(エリクソン)。
この時期を通して、子どもは、善悪の感覚を身につける。
先生や親の指導を忠実に守ろうとする。

 たとえば母親が、幼稚園の先生の指導と違ったことをしたりすると、すかさず、「幼稚園の先生がねえ……」と言い返し、母親をたしなめたりする。

 あるいは部屋の様子がいつもとちがっていただけでも、敏感にそれを発見する。
元に戻そうとする。
たとえば花瓶の位置がずれていただけでも、元通りにする、など。

 この時期までに、子どもの基本的な習慣づけが決まると断言してよい。
が、反対に、この時期を、「だらしなく」過ごすと、子どもは、「だらしない子ども」になる。
生活態度がだらしなくなり、ものを散らかすなど。
服装や、身だしなみに無頓着になることもある。

原因は言うまでもなく、親の溺愛(甘やかし)、過干渉(親がガミガミ、コマゴマと言う)など。
それが日常化すると、子どもは自分で考え、自分で行動するということができなくなる。

 しかしそれがすべてよいというわけではない。
反対にそれが度を越したりすると、子どもは、いわゆる融通の利かない、頭の固い子どもになる。
たとえばユーモア、冗談が通じなくなる、など。
たとえばアスペルガー児のばあい、相手の言葉を忠実にとらえすぎるあまり、柔軟な行動がとれないことがよく知られている。

 満4・5歳を過ぎたら、「融通性(ユーモア)の指導」も、家庭教育におけるひとつのテーマと考えてよい。
 
●善悪判断

 言い換えると、年長児(5~6歳児)をていねいに観察すると、善悪の判断能力(=常識的な判断能力)が、正しく身についているかどうかが、わかる。
善悪の判断能力が正しく身についている子どもは、的確にそれを判断することができる。
衝動的、突発的な行動は、見られない。

 一方、そうでない子どもは、そうでない。
ひどくなると、「何をしでかすか、予想が立たない子ども」になる。
ほんの少し目を離したすきに、「とんでもないこと」をする。
しかも本人には、悪いことをしているという意識は、ほとんどない。
笑いながら、あるいはおもしろ半分に、それをする。

 私の目に、シャープペンシルを突き刺した子ども(中3・男子)、同じようにシャープペンシルの先で、私の目を突き刺そうとした子ども(小4・男児)などがいた※。
ともに頭のキレる子どもで、とくに数学においては、並外れた才能を光らせていた。

(注※)この子どもは、私が振り向くのを待ち、シャーペンシルを手で握り、私に声をかけた。
「先生、先生」と。
私はそのとき反対の方向を向いていたが、そのまま顔を、その子どものほうに向けていたら、シャーペンシルの先は、確実に私の目を突き刺していた。
たまたまその直前、別の子どもが、「先生!」と声をかけてくれたから、私は難を逃れることができた。

●どうするか

 先にも書いたように、年長児(6歳、幼児期後期)になると、その子どもの方向性が決まってくる。
親は、こうした症状を子どもの中に見つけると、はげしく叱ったりする。
が、これが悪循環となり、子どもはますます「常識外れな行動」を繰り返すようになる。

 「子どもは家族の代表」と考え、原因は家庭環境、とくに母親の育児姿勢にあると考え、猛省する。
静かな語りかけ、話し合いが、重要。
しかし実際には、親自身が情緒的な不安定さ、精神的な欠陥をかかえているケースが多く、指導はむずかしい。

●過干渉児

 よく誤解されるが、口うるさいのは、過干渉ではない。
過干渉が過干渉になるためには、親側の情緒的な不安定があるばあいである。
親の機嫌、あるいはそのときの気分によって、子どもへの接し方が大きく変化する。
ギャーと興奮して子どもを叱ったり、反対に、妙に穏やかに接したりするなど。
つまり子どもの側から見て、とらえどころのない親の「心」が原因となり、子どもは、いわゆる過干渉児になる。

 私の経験では、小学3~4年生以後、こうした行動が見られるようになったら、指導による改善はほぼ不可能とみる。
言うべきことは言いながらも、本人の現実を検証する能力と、自己を管理する能力が育つのを待つしかない。
言い換えると、おとなでも、こうした衝動的、かつ突発的な、「非常識な行動」を繰り返す人は少なくない。
どういう人がそういう人であるかは、あなたの周辺にも、1人や2人はいるはず。
観察してみるとよい。
出現率としては、子ども(小学高学年児)のばあい、7~8人に1人とみる(はやし浩司)。

●AD・HD児とのちがい

 それなりの集中力と、その場に応じた静かさ(たとえばテスト中などは、静かに学習できる)があるという点で、AD・HD児とは区別される。

●過剰行動児とのちがい

 行動に目的性があるという点で、突発的に錯乱状態になる過剰行動児とは区別される。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 突飛もない行動を繰り返す子ども 何をしでかすか、わからない子ども 衝動的 子どもの衝動性 子どもの突飛性)


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【幼稚園児に「形」を教えてみる】

●新入会のMG君がいましたので、ガイダンス的に、「形」の学習をしてみました。
「楽しく学ぶ子は、よく学ぶ」ですね。

(1)


(2)


(3)


(4)


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 年中児の知育教育 知能教育 BW教室 BW子どもクラブ BWbyはやし浩司 形の学習 形の勉強 刺激教育 才能教育)


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

2011年8月29日月曜日

*The Tree of Life





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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司     8月 29日号
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選ばれました!
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●映画『ツリー・オブ・ライフ』(The Tree of the Life)

●夏休み(8月12日)

 私も明日から、夏休み。
10日間の夏休み。
自由、気ままな夏休み。

 ……と、子どもの書くような文を書く。
何歳になっても、休みは、うれしいもの。
ワイフも、今朝、こう言った。
「思う存分、遊びましょう」と。

 やりたいことがあったら、その場で決定。
迷わない。
行きたいところがあったら、その場で決定。
すぐ行く。

 が、明日まで待てない。
今夜は、仕事が終わったら、深夜劇場へ。
今日から公開の、「ツリー・オブ・ライフ」。
それを観る。
チケットは、すでに購入済み。

 明日は、ビスタ・パソコンのアップグレード。
夕方は、Mさん家族と会食。
山荘へ招待する。
明後日は……。

 こういうことはあまり詳しく書かないほうがよい。
空き巣に、おいでくださいと言っているようなもの。
以前、そういう忠告を、ある人から受けた。
「家を空けるという話は書かない方がいい」と。
以来、HPでもBLOGでも、予定については、書かないようにしている。

●浜松で35度!

 昨日は暑かった。
しかし今日は、もっと暑い。
昼寝をしていたが、ドカッとした熱気で目が覚めた。
起きて居間へ行くと、ワイフが、「34度よ」と。
家の中で、34度!

 が、私は自転車に乗って、教室へ向かった。
運動は欠かせない。
が、それにしても暑かった。
途中、飲み水としてもってきた水を、頭からかける。
地面から、乾いた熱気が、容赦なく伝わってくる。
白い日差しが、まぶしい。

 ……おかげで軽い熱中症に。
吐き気と頭痛。
クーラーの前に立ち、扇風機をかける。
頭を水で冷やす。

 今日のレッスンは、年長児。
「形」の学習。



(つづきは、http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/のほうで……。please!)

●したいこと

 新しいパソコン。
高性能であればあるほど、よい。
まず、それがほしい。

 つぎにそのパソコンをもって、どこかへ行きたい。
温泉がよい。
静かで、人がいないところがよい。
そこで一日中、本を読んだり、キーボードを叩いて過ごしたい。

 ……というか、今夜から、思う存分、徹夜ができる。
眠くなって、どうしようもなくなったら、床に就く。
それまでパソコンに向かって、文を書く。
それが私の休みの過ごし方。

●麦わら帽子

 夏休みと言えば、麦わら帽子。
そんなイメージが脳に焼き付いている。
ワイフと私は、そんな季節に出会った。
1972年の夏。

 その直後、知り合った直後、私は弁天島にあった友人の別荘を借り、パーティを開いた。
7~8人が集まってくれた。
その中に、「とべ・ひろし」(漢字名は忘れた)というフォークシンガーもいた。
そのとべ君が、吉田拓郎の『♪夏休み』を歌ってくれた。

 そう言えば、仲間に「なぎら・けんいち」というフォークシンガーもいた。
が、その夜は、どこかのビアガーデンで弾き語りをするということで、来なかった。
当時は「なぎら健一」と書いていたと記憶している。
今は「なぎら健壱」と書く。

 「♪……あんたがた死ねねえだろう。葬式費用もないからね……」というような歌を歌
っていた。

 遠い遠い昔の話。
あのころのワイフは、美しかった。
今でも、「♪麦わら帽子は、もう消えた……」と口ずさむたびに、それを歌ってくれた、と
べ君を思い出す。
ワイフを思い出す。
親友だった、今井修さんを思い出す。

 今井修さんは、今の市立図書館の前あたりで、小さなデザイン事務所を開いていた。
イベント事業も手がけていた。
その関係で、とべ君やなぎら健壱を、紹介してくれた。
もちろんそのパーティに、今井修さんも来ていた。
ワイフも、その夜のことを、よく覚えている。
ワイフと私は、パーティが終わると、海のそばの堤防に座り、夜遅くまであれこれ話した。

 夏休み……私にとっては、麦わら帽子の夏休み。

(映画を観て、夜、12時ごろ帰宅)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●映画『ツリー・オブ・ライフ(The Tree of the Life)』

 映画、『ツリー・オブ・ライフ(生命の樹)』を観てきた。
美しい画像と美しい音楽。
そのものすごさに、圧倒された。
ストーリーの運び方にも、独創性があった。
よかった。
よかったが、そこまで。
何か、釈然としない。

 冒頭のところで、こう言う。

「キリスト教を信ずる者は、愛に包まれ、時間を長く生きる。
そうでない人は、利得に毒され、つまらない人生を生きる」(記憶)と。

 つまりこの映画は、最初から最後まで、キリスト教のプロパガンダ映画。
キリスト教の信者の人(=大多数のアメリカ人)が観れば、涙を流して感激するだろう。
しかし残念ながら、私はその信者ではない。

 つまり最初の段階で、「そうかなあ?」という疑問をもってしまった。
その疑問が、最後の最後までつづいた。

 で、なぜ「ツリー(木)」なのか?

 映画の中では、大宇宙と、地球の歴史を交互にからませ、やがて人間世界に、「神の意志」
を投影させていく。
二男を19歳で失った父親と母親の悲しみを、その上に料理のトッピングのように載せて
いく……。
「生命というのは、人間の悲しみや苦しみを超えたところで、大宇宙や地球の歴史と、大
きな木のようになってつながっている」と。

しかし、それが大げさ。
深い(?)宗教哲学を織り込んだのはよいが、かえってそれが映画自体をわかりにくいも
のにしている。
「これがキリスト教だ」と言わんばかりの、高慢な製作姿勢。
観ていて、私は疲れた。
肩が凝った。
少なくとも、娯楽映画ではない。
辛らつな言い方をすれば、キリスト教の洗脳映画を見せつけられたような感じ。

 2000円(シルバー料金、2人分)も出して観に行ったのだから、もう少し楽しませ
てほしかった。

 映画館を出たあと、私はワイフに、こんな会話をした。
「日本では、大震災で、2万5000人もの人たちが、亡くなった。
1人ひとりについてみれば、それも神の意志だったのだろうか」と。

 なおブラッド・ピットが演ずる父親について一言。

 アメリカにも、ああいう権威主義で、代償的過保護(子どもを自分の支配下において、
自分の思い通りにしたいと思う、身勝手な過保護)な親はいる。……いたと思う。
1910年代~は、そうだっただろう。
その親が、映画の中では、一方的に、「悪人」に仕立てられていた。
その反動として(?)、母親はマリア様のように仕立てられていた。

 たしかに子ども側(=3人の息子)の視点から捕えれば、そうだろう。
しかし同時に、父親には、「家族を支えていかねばならない」という重圧感もある。
ものすごい重圧感である。
最近の若い人たちは、その重圧感の経験もないまま、「そんなのは親の義務」と、簡単に片
づけてしまう。
私はむしろそちらのほうに反発を覚える。
もちろんブラッド・ピットが演ずる父親には、問題がないわけではない。
が、しかし映画を観ているうちに、私はむしろ父親のほうに同情してしまった。
「偉そうなことを言うなら、自分で家族をもち、自分で支えてみなさい」と。

 さらに付け加えるなら、私の知る範囲でも、映画に出てくるブラッド・ピット以上に、
年がら年中、ガミガミ言っている母親だっているぞ!

 星は、もし私がキリスト教信者であれば、文句なしの5つの、★★★★★。
が、私は信者ではないから、かえって疎外感を覚えてしまった。
2度目は観たくないという意味で、星は2つの、★★。

 キリスト教国のアメリカでは、当然、アカデミー賞を受賞するだろう。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●映画『ツリー・オブ・ライフ』(The Tree of the Life)(補足的意見)

(注:この原稿は、今朝書いた原稿の補足部分です。)2011/08/13

●善と悪、進化論

++++++++++++++++++++++++

映画『ツリー・オブ・ライフ』の中で、
善と悪について、あれこれ述べている。
キリスト教信者は、絶対的な善人であり、
そうでない人は、善人にはなりえない(記憶)と。
この映画の主題と言ってもよい。

これについて日ごろの私の考えを記録しておきたい。

++++++++++++++++++++++++

●進化論の否定

 アメリカには、いまだに進化論を信じていない人が、70~80%前後もいるという。
熱心なキリスト教信者ほど、そうらしい。
が、もし私が、「善と悪」も、進化論の過程で生まれたと言ったら、どうだろう。
キリスト教の信者の人たちは、顔を真っ赤にして、怒るにちがいない。
「善と悪」を、進化論にからめて考えること自体、神への冒涜ということになる。
が、怒る前に、私の意見に、ほんの少しだけ、耳を傾けてほしい。

●仮定

 よくこんな仮定が、話題になる。
「もし蚊が、ハチの大きさだったら……」という仮定である。
もし蚊がハチの大きさだったが、蚊そのものが、絶滅していたはず。

蚊のもつ毒は、きわめて強力。
もし蚊がハチほどの大きさだったとすると、蚊の一刺しで、人間はもちろん、かなり大き
な動物(牛や馬)も、ショック状態になる。

ハチ(スズメバチ)は、約40ミリ。
蚊は、約5ミリ。
体積比でみると、8の3乗。
つまりハチは、蚊の512倍。
毒の量も512倍。

 毒の量が2倍になれば、抗原抗体反応は、4倍~10倍になる。
500倍ともなれば、一刺しで、人間だったら、体中が真っ赤に膨れ上がり、死んでしま
うかもしれない。
そんな蚊が人間を襲う。
集団で襲う。
ばあいによっては、人間は、絶滅。
(ハチも襲うが、それは自衛のため。)

 が、ここで蚊にとっても、深刻な問題が起きる。
もし刺す相手が絶滅し、いなくなってしまえば、自分も死ぬことになる。
血を吸う、相手がいなくなる。
そこで自然界では、絶妙なバランスが働く。

 蚊はほどよい大きさを保ち、刺した相手が絶滅するまでの毒は注射しない。
つまり同じことが、善と悪についても言える。

●絶妙なバランス

 もし人間がその進化の始まりで、絶対的な善人だったとする。
20万年前でもよいし、10万年前でもよい。
人類の歴史は、20万年と言われている。

 もしそうなら、人間は、とっくの昔に絶滅していたことになる。
たとえば自分の妻や子どもたちが、別の動物に襲われたとする。
が、絶対的な善人である人間は、やり返すということをしない。
つまり無抵抗のまま、つぎに我が身を差し出す。
「どうか、私も食べてください」と。

 一方、人間が、絶対的な悪人だったとする。
それこそ腹が減れば、平気で自分の妻や子どもですらも、肉にして食べてしまう。
それを見ても、周りの人間も何も言わない。
スキさえあれば、今度は、自分たちも、そうする。
このばあいも、人間は、とっくの昔に絶滅していたことになる。

 つまりここで善と悪の間に、絶妙なバランス感覚が生まれる。
絶対的な善人であっても、また絶対的な悪人であっても、人間は、とっくの昔に絶滅して
いたことになる。
だから人間は、適当に善人であり、適当に悪人であるということになる。

 自分の妻や子どもが襲われれば、反撃もする。
ばあいによっては、復讐もする。
相手を襲う。

 人間だけではない。
この地球上に住む、ありとあらゆる生物が、その絶妙なバランスの上で、成り立っている。
生きている。
長い進化の過程で、そういうバランスが生まれ、定着した。

●善と悪

 先にあげた例は、話をわかりやすくするため、極端な内容にした。
しかしこのことは、実生活の中で考えてみれば、よくわかる。
私たちは常に、善人と悪人の間を、行ったりきたりしながら、生きている。

 商売にしてもそうだ。
より大型店を作れば、小さな商店は閉店に追い込まれる。
大型店で、ものを安く売れば、貧しい人たちは、助かる。
この時点では、大型店を作った人は、善人ということになる。
しかし小さな商店の経営者にとっては、そうでない。
悪人ということになる。

 こんな話を、商売を経験したことのない人に話しても、無駄かもしれない。
ジワジワと斜陽の道をたどり、やがて閉店に追い込まれる商店主の気持ちは、理解できな
いだろう。
が、私は経験している。

私が中学生ののころ、近くに大きなショッピングセンターができた。
そこで自転車を安売りを始めたとき、心底、そのショッピングセンターを恨んだ。
この恨んだ部分が、「悪」ということになる。

 で、つぎに私がこう考えたとする。
「ようし、私はさらに大きな店を作り、あのショッピングセンターを叩きつぶしてやる」
と。
つまり、仕返しということになる。
これも「悪」ということになる。

 が、こうした心の作用を「悪」と決めつけてはいけない。
それがあるからこそ、人間は、今までこうして生き延びることができた。
今の、あなたにしてもそうだ。
今まで、こうして生き延びることができた。
「お人好しだけでは、生きていかれない」(映画の中のセリフ)。

●進化論

 善と悪は、絶妙なバランスの上で成り立っている。
つまり絶対的な善というのは、存在しない。
絶対的な悪というのも、存在しない。

 同じように、絶対的な善人というのも存在しない。
絶対的な悪人というのも存在しない。
どちらであるにせよ、もしそうなら、人類はとっくの昔に絶滅していたということになる。
逆に言うと、今、ここに存在するということは、私たちはそのバランスの上で生きてきた
ということになる。

 もちろん善人、悪人といっても、程度の問題もある。
割合の問題といったほうが、よいかもしれない。
善と悪の割合が、70:30の人もいれば、反対に30:70の人もいる。
人は努力によって、善の割合をふやすことはできる。
しかし100%……というわけにはいかない。
100%になったとたん、その人は、社会から、はじき飛ばされてしまう。

 で、もしそれが本来の人間の姿であるとするなら、善と悪を峻別し、たとえば善を「神」
と結びつけ、悪を「悪魔」と結びつけることは、あまりにも短絡的な考え方ということに
なる。

●私たちの心

 私は若いころ、『4割の善と4割の悪』という第で、エッセーを書いたことがある。
中日新聞にも発表させてもらった。
それをそのまま、ここに掲載する。
少しちがった視点から書いたエッセーである。
そこは許してほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●4割の善と、4割の悪(中日新聞掲載済み)

 社会に4割の善があり、4割の悪があるなら、子どもの世界にも、4割の善があり、4
割の悪がある。
子どもの世界は、まさにおとなの世界の縮図。
おとなの世界をなおさないで、子どもの世界だけをよくしようとしても、無理。
子どもがはじめて読んだカタカナが、「ホテル」であったり、「ソープ」であったりする
(「クレヨンしんちゃん」V1)。
つまり子どもの世界をよくしたいと思ったら、社会そのものと闘う。

 ただし一言。
悪があることが悪いと言っているのではない。
人間の世界が、ほかの動物たちのように、特別によい人もいないが、特別に悪い人もいな
いというような世界になってしまったら、何とつまらないことか。
言いかえると、この善悪のハバこそが、人間の世界を豊かでおもしろいものにしている。
無数のドラマも、そこから生まれる。旧約聖書についても、こんな説話が残っている。

 ノアが、「どうして人間のような(不完全な)生き物をつくったのか。(洪水で滅ぼすく
らいなら、最初から、完全な生き物にすればよかったはずだ)」と、神に聞いたときのこと。
神はこう答えている。
「希望を与えるため」と。
もし人間がすべて天使のようになってしまったら、人間はよりよい人間になるという希望
をなくしてしまう。
つまり人間は悪いこともするが、努力によってよい人間にもなれる。神のような人間にな
ることもできる。
旧約聖書の中の神は、「それが希望だ」と。

 子どもの世界に何か問題を見つけたら、それは子どもの世界だけの問題ではない。
それがわかるかわからないかは、その人の問題意識の深さにもよるが、少なくとも子ども
の世界だけをどうこうしようとしても意味がない。
たとえば少し前、援助交際が話題になったが、それが問題ではない。
問題は、そういう環境を見て見ぬふりをしているあなた自身にある。
そうでないというのなら、あなたの仲間や、近隣の人が、そういうところで遊んでいるこ
とについて、あなたはどれほどそれと闘っているだろうか。

私の知人の中には50歳にもなるというのに、テレクラ通いをしている男がいる。高校生
の娘もいる。
そこで私はある日、その男にこう聞いた。「君の娘が中年の男と援助交際をしていたら、君
は許せるか」と。
するとその男は笑いながら、こう言った。
「うちの娘は、そういうことはしないよ。
うちの娘はまともだからね」と。
私は「相手の男を許せるか」という意味で聞いたのに、その知人は、「援助交際をする女性
が悪い」と。
こういうおめでたさが積もり積もって、社会をゆがめる。
子どもの世界をゆがめる。それが問題なのだ。

 よいことをするから善人になるのではない。悪いことをしないから、善人というわけで
もない。悪と戦ってはじめて、人は善人になる。そういう視点をもったとき、あなたの社
会を見る目は、大きく変わる。
子どもの世界も変わる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●悪の否定

 要するに、悪は悪として存在する。
それを否定しても、意味はない。
大切なことは、悪と戦うのではない。
悪とどうやってうまく、つきあっていくかということ。

 相手が人間でも、そうである。
悪人は、いつの世界にも存在する。
どこにでもいる。
大切なことは、そういう悪人と戦うことではない。
悪人とどうやってうまく、つきあっていくかということ。

 もちろん反社会的な行為を繰り返すような悪人は、別。
しかし今、この文章を読んでいるあなたにしても、「私は善人」と言い切ることができる人
は、いったい、どれだけいるだろうか。

 私にしてもそうだ。
私は、自分を善人と思ったことは、一度もない。
ものの考え方は、たしかにゆがんでいる。
嫉妬深く、いつも心の底流では、恨みや、つらみが渦を巻いている。
それに自己中心的。
だからもしだれかに、「あなたは善人か」と聞かれたら、私はこう答える。
「ハハハ、ありえない」と。

 が、こうした善と悪のハバが、人間社会を、おもしろく豊かなものにしている。
もし人間がすべて天使になってしまったら、この世の中、ほんとうにつまらなくなる。
……というか、そのほうが、不気味。

私たちがなぜ、今、ここに生きているかといえば、そこにドラマを残すため。
そのドラマに生きる価値がある。
そのドラマの中に、生きる意味がある。

●神とは

 映画『ツリー・オブ・ライフ』の中では、得体の知れない、何やらモヤモヤしたものが、
「神」として描かれていた。
日本のどこかのカルト教団も、同じようなことを言っている。

 私はもちろん、神がどんなものであるか、知らない。
しかし今、昨夜見た映画を思い出してみると、どう考えても、あの映画は、どこかのキリ
スト教団体の、プロパガンダ(情宣)映画にしか思えない。
つまり洗脳映画。
(映画『ベン・ハー』を、洗脳に利用しているカルト教団もあるぞ!
勧誘してやってきた人たちに、まずあの映画を見せているそうだ。)

 あの映画の中で述べていることを本気でとらえてしまうと、そのままキリスト教に入信
してしまうかもしれない。
随所で、「入信してよかった」「新しい世界が開けた」と述べるセリフもあった(記憶)。

 その点、私たち日本人は、一歩退いたところからあの映画を観ることができる。
形だけかもしれないが、一応、仏教徒。
しかし油断は禁物。
そんな警戒心をもっても、おかしくない映画ということになる。

 最後に、試しにアメリカ人にこう聞いてみるとよい。
「あなたがたの国は、キリスト教国か?」と。
ほとんどのアメリカ人は、きっぱりとこう言う。
「No!」と。

 ドル札すべての裏に、「We trust in God(私たちは神の存在を信ずる)」と刷り込んでい
ても、「No!」という。
そのおかしさ。
映画『ツリ-・オブ・ライフ』は、そういう国の、そういう人たちによって作られた映画
である。

 インパクトが強烈な映画だけに、要注意!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 ツリーオブライフ 
ツリー・オブ・ライフ The Tree of the Life 善と悪の進化論)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●8月13日

 明けて今朝は、8月13日。
土曜日。
昨日のサイクリングがたたって、今でも筋肉痛がひどい。
が、負けてはいけない。
今朝は、起きるとすぐ、30分のウォーキング。
全身に、ビッショリと汗をかいた。

 が、痛さは、そのまま。
水を1リットルほど飲んで、そのまま書斎へ。
今が、そのとき。

 これから近くのショッピングセンターへ行き、買い物。
友人を、山荘に招待している。
その食材さがし。

 また午後イチバンに、WINDOW7のUPGRADEソフトが届くはず。
サブで使っている、ビスタマシンを、それを使ってUPGRADEしなければならない。
簡単な作業のように見えるが、時間はかかる。

 ……今日も猛暑日という。
パソコンがそれに耐えられるだろうか。
少し心配になってきた。

 では、これから買い物。
みなさん、おはようございます。

はやし浩司 2011-08-13


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●子育て相談(2件)2011/08/14

【掲示板より】

こんにちは。そして初めまして。子育てについて色々検索していた所、はやし浩司さんの
HPに辿り着きました。どうかよろしくお願いします。

 小3の娘が、近所の小2の女の子と娘と同じクラスの女の子(その二人はとても仲良し)
に意地悪をされます。娘は本当は気が強いと思うのですが、外では割と大人しくお友達と
軽いおしゃべりが出来るタイプではありません。そのせいか馬鹿にされやすいようで、ま
だヒドイいじめまではなっていませんが、コソコソばかにしたり、走って逃げたり嫌な顔
で娘を見たり・・・。 本人も私もとても辛い気持ちでいます。

 そこで、ある方に相談したところ、「娘さんを守る為にその子達の母親に話した方が良
い!」とおっしゃるのですが、娘と同じく臆病な私はでもな~・・・と悩んでおります。
やはりここは私が勇気を出してちゃんと話した方が良いのでしょうか?
もし他に良い方法があったら教えて頂けないでしょうか?
どうかどうか宜しくお願いします。

【はやし浩司よりクック様へ】

●YOUTUBEのほうで、私の考えを述べておきます。
 下をクリックしてみてください。

 なおYOUTUBEを、ご覧いただけないかたは、(はやし浩司のメインサイト)→(子育
てQ&A)へとお進みください。



Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●学校の先生の指導の仕方に問題があるが……

 直接、相談いただきました。
私の考えを、YOUTUBEのほうで、述べさせていただきます。



2011/08/14
Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●宇宙とトカゲ(人間は、どちらに近いか?)

+++++++++++++++++

このところ毎晩眠る前に、床の中で、
1冊の小冊子を読んでいる。
「ニュートン」(雑誌)の付録についてきた小冊子である。
その冊子を読んでいると、宇宙の広大さに、
ときとして気が遠くなる。

私たちが住んでいるこの宇宙は、広い。
どう広いかは、改めて、ここに書くまでもない。

が、その一方で、こんな話もある。
私の家に住む、トカゲの話。

+++++++++++++++++

●小便用の穴

 私の家の居間の前には、70~80坪前後の広さの庭がある。
庭といっても、「ガーデン」ではない。
英語でいう、「バック・ヤード」。
その一角に、10坪ほどの畑があり、その手前に、アロエなどが植えてある。
ほかにも数種類の木が立っている。
そのアロエの横に、小さな穴が掘ってある。
驚かないでほしい。
つまり私の小便用の穴。
その「穴」の話。

●穴

 深さは、50センチほど。
下のほうに砂を敷き、上は、庭木を切ったときに出た太い枝をかぶせてある。
が、数年もすると、枝は腐る。
腐って、穴につまる。
そこで数年ごとに、小便用の穴を掘りかえす。
太い枝で、その上をかぶせる。

 こんな話を書けば、みなこう思うにちがいない。
「行儀の悪い話だ」と。

たしかに行儀が悪い。
庭で立ち小便!
私も何度か、それをやめようと思った。

●水気

 夏場はまだよい。
畑も近くにあって、水気がある。
しかし冬場になると、庭の草も枯れ果てる。
もちろん畑も、枯れ果てる。
庭の前に、小さな森があり、それが日陰を作る。
畑は、その日陰にかかってしまう。

 ところが、である。
10年ほど前だったか、夏の暑い日のこと。
ふと見ると、小さなトカゲの子どもがいるではないか。
穴にかぶせた、半ば腐った枝の間から、チョロッと顔を出して、サッと身を隠す。
大きさは、1~2センチほど。
ときどき大きなトカゲを見かけることもある。
それは親のトカゲということになる。

●トカゲの世界

 つまりトカゲの親子は、その穴を自分たちの世界として、生きていた。
冬場だと、ほかに水気のあるところはない。
春先や秋の終わりにもない。
そこで私は努めて、そこで立ち小便をするようになった。
もし私がそこでそれをするのをやめたら、トカゲの親子は、そのまま飢え死にしてしまう。
深い穴だから、適度な湿気もあるのだろう。
私は、そう考えた。

 以来、小便用の穴は、そこに残った。
小便が足りないと感じたときは、そこに水をまいた。

●誤差の範囲

 トカゲは、小さな穴の中に住んでいる。
庭といっても、まわりは2段のブロック塀で囲まれている。
外に出ることはできないはず。
親のトカゲは別としても、小さな子どものトカゲには、それを乗り越えることはできない。
つまり彼らの住む世界は、この、せいぜい70~80坪の庭だけ。

 その向こうに広大な陸地が広がっていることなど、知るよしもない。
いわんや海があり、地球が丸いなどということも、知るよしもない。
(知ったところで、どうしようもないが……。)
しかも彼らは、私という人間が排出する小便で生き延びている!
もし私がほんの少しでも自分に恥じ、立ち小便をすることをやめてしまったら、どうなる
か?
もちろんトカゲたちは、そんな私の迷いなど、知らない。
知ったら、不安で、とてもそんなところには、暮らせないだろう。
しかしそんなトカゲたちを、私たちは、笑うことはできない。

●小さな世界

 私たちだって、その小さな世界に住んでいる。
どうしようもないほど、小さな世界である。
もしあなたが人間は大きな世界に住み、トカゲは小さな世界に住んでいると思っているな
ら、それこそ、傲慢というもの。

 冒頭にあげた宇宙の大きさから見れば、人間の住む世界も、トカゲの住む世界も、誤差
の範囲。
子どもたちに向かって、「紙の表と裏とでは、どちらが東京に近いか?」と聞くようなもの。
子どもたちは「紙の表のほうが、東京に近い」と答えるかもしれない。
表が東京側にあれば、そう答える。
しかしどちらも、同じ。

●ダークマター&ダークエネルギー

 この宇宙には、ダークマターと呼ばれる、目に見えない「マター(物質?)」が、ぎっし
りと詰まっているという。
まだ発見されるには至ってはいないが、「ある」のは、確実だそうだ。

 同じように、「ダークエネルギー」というのもの、あるそうだ。
宇宙は膨張しているが、いわゆる等速運動ではない。
加速度的に膨張している。
その「加速」させている力が、また発見されていない「エネルギー」ということになる。
考えれば考えるほど、不思議な世界だが、仮にそれが発見されたとしても、さらにその向
こうには未知の世界が、広大に広がっている。

●私の空想

 私は子どものころ、こう考えた。

 宇宙が無限ということはありえない。
いつか大きな壁にぶつかるはず。
しかしその壁に穴をあけ、さらに先に進んだら、どうなるか。
壁にもハバ(厚さ)があるはず。
その壁を突き抜けたら、どうなるか。
さらにその向こうには、別の世界があるのか、と。

 が、その宇宙が、今の今も、膨張しつづけているという。
しかもそれが137億年も前から!

 となると、またあの子どものころの疑問が、わいてくる。
反対に137億年前でもよい。
一説によると、ビッグバンによって現在の大宇宙が始まる前には、この宇宙の大きさは、
1立方メートルほどだったという。
1立法メートルなら、1立方メートルでよい。
問題は、その外はどうなっていたかということ。

 が、科学者たちは、みな、こう言う。
「無の世界だった」と。
「ヒモのような世界だった」と説く科学者もいる。
理屈づめで考えていくと、そうなるのだそうだ。

●人間とトカゲ

 私はトカゲを見ながら、いつもこう思う。
人間とトカゲ。
大きくちがうようで、どこもちがわない、と。
知恵や知識にしても、そうだ。
人間は利口で、トカゲは、そうでないと考えたいが、これも宇宙的規模で考えるなら、誤
差の範囲。
トカゲとチョウ、どちらが利口かと聞くのと同じくらい、ナンセンス。

 最近になって、つまりごく最近になって、月は地球の衛星ということがわかった。
しかしそれ以前はというと、私たち人間ですら、月は見るだけのものだった。
星々にしても、そうだ。
が、そんな程度のことなら、トカゲだってしているかもしれない。

●人間だけが特別ではない

 もちろんだからといって、私は科学を否定する者ではない。
科学は科学。
が、こう考えることは、とても重要なこと。
つまりいかなるばあいも、人間だけが特別な存在と考えてはいけない。
たとえばトカゲは小さな世界に住み、人間は広い世界に住んでいる。
トカゲには知恵や知識はないが、人間には、それがある、と。
人間も動物の一種であるし、その範囲では、上下関係はない。

●宇宙を知る

 飛躍した結論に聞こえるかもしれないが、宇宙を知るということは、そういうことでは
ないか。
解釈の仕方は、それぞれの人によって、ちがうだろう。
ダークマターにしても、ダークエネルギーにしても、「はい、それがあります」で終わって
しまったら、宇宙学も、何とつまらないものになることだろう。
宇宙学によって、反対に遠い宇宙から、私たち人間を見る。
それが宇宙学では、ないか。

 ニュートンの付録を読みながら、このところ毎晩、同じことを考える。


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●「The Australians」に載った、日本非難の記事(偏見と事実誤認)

+++++++++++++++++++++++++++

要旨:南米(ブラジル)からの出稼ぎ労働者に対して、日本政府は
「3年以内の再入国禁止」政策を打ち出している。
このため恋人や家族と別れ離れになってしまった人たちも多い。
新聞は、「Yuriさん」のケースをあげ、日本を非難している。
これはきわめて非人道的な政策である、と。

オーストラリアの代表的新聞である「ジ・オーストラリアン」は、
いくつかの例をあげて、日本を批判している。
が、大きな誤解が2つある。

ひとつは、この制度は、浜松市全体が不況に見舞われた、数年前からある。
3・11大地震(2011)とは、直接には関係ない。
それに自費でブラジルへ帰国した人については、「3年間、入国禁止」の措置は
とられていない。

当初、この制度は、「仕事先で解雇されたが、帰国費用がない」と訴える
人たちを救済するために設けられた制度である。
もし「3年」という期限を設けなければ、それを利用して、自由に行ったり
来たりする人が出てくる。
帰国費用があっても、その制度を利用し、無料で帰国する人も多い。

ゆっくりと原文を読みたい人は、一度、自分で読んでみるとよい。
いかにいいかげんな記事であるかは、「出稼ぎ」を「degasegi(デガセギ)」と
誤読しているところからもわかる。

+++++++++++++++++++++++++++

THE huge Japanese earthquake and the contrasting fortunes of the Japanese and
Brazilian economies have sent many BrazilianーJapanese back to Brazil.


But Japanese with roots in Latin America are finding that despite the economic boom in
Brazil, wealth and jobs are yet to trickle down to the poor.
And the unpleasant existence they endured in Japan ー discriminated against and
ostracised ーis often no better in Brazil.
日本へやってきた(日系)移民たちにとって、日本はブラジルより、よい国ではなかった。

Academic and documentaryーmaker Kimihiro Tsumura has made a film on these
people,
trapped between two radically different societies.

As Japan's economy sinks while Latin America's rises, such people are questioning
where their future lies.
日本の経済が沈下し、ブラジルの経済が上昇したとき、これらの人々は、どちらに自分た
ちの未来があるかを問うた。
The Japanese government has offered to pay for their tickets out of the country ー
provided they don't return.
日本政府は、もし彼らが戻らないなら、旅費を出すと申し出た。

For Professor Tsumura, this policy is unfair. "Morally, it's against human rights," he
said. "For the families who choose to take the grant, they can't come back to Japan for
three years, if at all. It's just so opportunistic."
ツムラ氏は、(こうした施策を)人間性に反すると言った。
その申し出を受け入れると、3年間、日本には戻れないからである。

The degasegi, as they are known, are usually employed on threeーmonth contracts and
are the first fired whenthere's a downturn. The children are allowed ー and in the case
of some families, expected ー to work in factories from the age of 15.
こうした労働者は、ふつう3か月契約で働く。
子どもたちは15歳から、工場で働くことができる。

Several hundred thousand people in Japan have roots in Latin America. They come
from a 2.5 millionーstrong Japanese diaspora based mainly in Brazil. Their life can be
a dispiriting process of bouncing between two worlds as the economic circumstances
and immigration laws change.
ラテンアメリカには数十万人の日系人がいる。

The March 11 earthquake and tsunami, coming after the 2008 economic crisis, has
meant more Latin American Japanese workers thrown out of work in the auto and
electronics plants. Families are torn apart as different generations choose different
paths.
2008年の経済危機と3・11震災のあと、これらの労働者は、職場を追われた。
家族はばらばらになった。

The Japanese diaspora in South America was established in the first half of last century
by impoverished farm workers who fled overcrowding and economic hardship for a
better life abroad.
日系人たちは貧しい農夫として働いた。

Fast forward to the 1980s, and Japan, at the height of its a bubble economy and
desperate for workers, began encouraging these Latin American Japanese back to work
in the factories.
1980年代、バブル経済のとき、日本政府は、これらの人々を日本の工場で働くよう奨
励した。

Professor Tsumura, who teaches English at Hamamatsu Gakuin University, noticed the
alienation of degasegi youth when he was posted to the industrial city south of Tokyo
as Japan's economy began its decline in the 1990s.
しかし1990年に入ると、日本経済は下降した。

The parents were less visible ー either working in the factories or tucked up in bed. But
he noticed the kids out on the street letting off steam in a way that often jarred with
the conformity of Japanese life.
両親たちは、子どもたちがどんな世界にいるかを知らなかった。

Often the way these youths carry themselves stamps them as foreigners, although
they might be ethnically Japanese. Many of the young men have tattoos or wear
chunky chains and rings, and rap or hipーhop style clothing.
子どもたちは、自らを「外国人」と位置づけた。
多くの若者はイレズミを入れ、ホップスタイルの衣服を身につけた。

Janete da Silva Oliveira, a Brazilian friend of Professor Tsumura's who helped with the
documentary, called Lonely Swallows, said many degasegi felt caught between two
worlds. "Here they are foreigners and don't know quite how to act, and they can't get
proper jobs," she said. "In Brazil they're foreigners too."
外国人であるという相互の意識のため、適切な仕事に就くことができなかった。

In Hamamatsu's degasegi community, which comprises about 15,000 of the town's
800,000 people, the divorce rate is high and family breakdown common. The local
government is sympathetic and runs programs to help them survive and plan a future.

Still, many have been lured back to South America in the belief their savings will help
them buy a business.
人口80万人の浜松市に1万5000人のブラジル人がいたが、高い離婚率、家庭崩壊を
多くが経験している。

Others have been tempted by Brazil's economic miracle. But those who know Brazil
beyond the economic statistics say ordinary Brazilians are still battling violence,
unemployment and corruption.
ブラジルの高い経済成長は魅力的だが、ふつうのブラジル人にとっては、ブラジルという
のは、闘争と失業、それに崩壊の国である。

In the Tsumura film, the problems of staying and going are illustrated through the story
of Yuri, 19, a former gang leader who finds Brazil no pushover, and Paula, a young girl
fighting to build a life.
Yuri says he has been abandoned by his parents and girlfriend after he was busted for
stealing a car navigation system.
ユリ(19歳)は、ギャングのリーダーだった。
彼はカーナビを盗んだとき、彼の両親とガールフレンドに見捨てられた。

His parents return to Brazil, leaving him alone in Japan with a changing group of
friends who drift from town to town picking up factory work. Yuri moves to Brazil to
reconcile with his father but can't get work.
両親はブラジルへ帰り、ユリは、ひとり、日本に残された。

When his girlfriend falls pregnant, they go back to Japan. Paula, 15, is forced to bid her
boyfriend goodbye when her parents decide to leave for Brazil.
彼のガールフレンドは妊娠したが、両親がブラジルへ帰るとき、ユリに別れを告げなけれ
ばならなかった。

"He sometimes cries, saying 'You're going back'," she says. "I want to stay here, but my
parents have decided and once I go to Brazil, I can't come back here."
ユリは、「もどってきてほしい」と泣く。
が、ガールフレンドはこう言う。
一度、ブラジルに戻ったら、ここへは来ることはできない、と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●3年再入国禁止措置

 私もこの政策が打ち出されたとき、当初は、「3年再入国禁止措置」に、反対した。
しかしそのあと実情を調べるにつれ、「仕方ない」という方向に、徐々に傾いていった。
もしそういう措置をとらなければ、日本政府は、往復費用の半分を負担することになる。
(このため、たいていの先進国では、帰国用の飛行機のチケットがないばあいには、入国
を認めないという措置をとっている。)
入国前、入国時についても、日本政府はかなりの優遇策を講じている。

 つまり南米からのほとんどの労働者たちは、片道切符だけで、日本に入国している。
が、ここにそもそもの問題点が隠されていた。
もともと貧しい日系人、日系人の子孫である。
そういう人たちであるということがわかっていたから、なおさら、南米からの労働者に甘
かったということもある。
そして一時は、この浜松市にも、3万人近い、南米からの労働者があふれるようになった。

●問題

 いちばん大きな問題は、教育の問題である。
日本とブラジルとでは、教育制度が大きくちがう。
「教育」に対する考え方もちがう。

 だから当時は、つまり南米からの労働者がピークを迎えたころには、どこの学校も、学
級崩壊に苦しんだ。
教育そのものが、成り立たなくなってしまった学校も多い。
近くの菊川市では、小学校の児童の、5人に1人が、日本語のまったく話せない南米から
の労働者の子どもたちになってしまったこともある。
しかしそういう子どもたちのための、専門の講師もいなければ、カリキュラムもなかった。
もちろん特別な予算もなかった(K小学校校長談)。
しかたないので、どこでも、そういった子どもたちを、普通学級へと編入させていった。

 が、こうなると、授業そのものが、成り立たない。
それが学級崩壊へとつながっていった。
もちろんこれは彼らの責任ではない。
先のことをよく考えないまま、無分別にブラジルからの労働者を受け入れた国の責任であ
る。
彼らもまた人間である。
単なる「労働力」としか考えなかったところに、失敗の原因がある。

●The Australiansへの反論

 私は、即、The Australiansへ反論を送った。
以下、その反論。

「This article is wrong in some points and misleads your readers.
この原稿は、いくつかの点でまちがっている。読者に誤解を与えている。

Hamamatsu Government pays the fares by planes back to Brazil . (Whole
fare back to Brazil from Hamamatsu)
浜松市は、ブラジルへの航空運賃を支払っている。(浜松からの全額航空運賃である。)

Because Many Brazilians complain that they have no money to go back to Brazil after
they have lost their jobs. And they try to stay in Japan as illegal immigrants.
なぜなら、仕事を失ったとき、彼らは、帰国の費用がないと不満をもらし、不法移民のま
ま日本に滞在しようとしたからである。
In this case they can not come back to Japan for three years.
この場合は、彼らは3年間、日本へ戻ってくることはできない。
This is true.
これは事実である。
Otherwise they can go and come back between Japan and Brazil free of
charge anytime.
そうでなければ、彼らは日本とブラジルの間を、航空運賃が無料のまま行き来できること
になる。
As a matter of fact there are also many cunning Brazilians to utilize this systm.
事実、この施策を利用する多くのずるいブラジル人もいる。
Some are very too poor to pay the fare but some are very rich of course.
もちろん中には、運賃も払えないような貧しいブラジル人もいる。
が、金持ちのブラジル人もいる。
They can pay the fare but they pretends to be poor.
運賃を払えるにもかかわらず、貧しいフリをする。
They receive the fare from Hamamatsu-city government an go back free of charge.
But no one can check it.)
彼らは浜松市から料金を受け取り、無料で帰る。
しかしだれもそれをチェックできない。
But when they go back to Brazil by temselves , paying the fare by themselves,
it is no problem to re-enter Japan anytime as they like even next week or next month.
しかしもし自費でブラジルへ帰国すれば、日本への再入国には、問題はない。
来週でも、来月でも、入国できる。
The writer of this article does not know such these facts or did not investigate the fact
deep enough.
この原稿を書いた記者は、これらの事実を知らないか、じゅうぶん深く調査をしていない。
It is also true, however, that the citizens of Hamamatsu did not try to welcome these
people from Brazil warm-enough, or rather we looked at the just foreigners than
use-to-be Japanese one two or three generations ago.
しかし浜松市民が、これらの人々を、じゅうぶん温かく迎えなかったのは事実であり、私
たちは彼らを日系人というよりは、外国人として見た。
I am sure that for them Japan was such a contry too fifferent from their own cultures.
私は彼らにしてみれば、自分たちのもつ文化とはあまりにも違った国であったということ
は確信している。
On reflection we cannot say that we have been kind enough for these people.
反省してみると、私たちはかれらにじゅうぶん親切だったとは言えない。

Hiroshi Hayashi, Hamamatsu, Japan
浜松・はやし浩司
 


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*My Child should be the No. 1!

●8月28日夜

+++++++++++++++++++++++++

夕食後、ビスタ・パソコンのOSを、WINDOW7に交換した。
サブ・マシンで使っているパソコンである。

(近く、ビスタのUPDATEサービスが終了する。
現在、ビスタ・マシンを使っている人は、早めにWINDOW7
に乗り換えたほうがよい。)

今、時刻は7時40分だから、2時間あまりもかかった
ことになる。

が、まだ作業が終わったわけではない。
いろいろなUPDATEがつづく。
またOSを変更すると、パソコン全体がリセット(リカバリー)
された状態になる。
プログラムのインストールをはじめ、すべてイチから始めなければ
ならない。

で、このビスタ・マシン、購入してから4年になる。
2・40GHzというから、今ではごくふつうのパソコン。
ノートパソコンでも、10万円台のものなら、みな、
2・40GHz程度のOSを積んでいる。

最新のパソコン(デスクトップ)になると、3・33GHz
程度の速度を誇る。
3・46GHzというのもある。(すごいね!)

目下更新プログラムをDOWNLOAD中。
その間、別画面で、こうして文章を書いている。
この作業が終わったら、ワイフと散歩に行くつもり。

+++++++++++++++++++++++++++

●草刈り

 今日は午前中は、山荘の雑木を切り倒した。
家に帰り、午後は庭の草刈りをした。
が、そこでダウン!
2時間あまりの昼寝。
乾いた風が、気持ちよかった。

 起きたのが、夕方。
ネットに目を通す。
いろいろなコメントが、書き込まれていた。

その中のひとつ。
「子どもの自慰」について、YOUTUBEに、こんなのがあった。

「スケベじじい」と。

 神経症のひとつとしての自慰を、述べたものである。
たぶんその視聴者は、別の何かを期待して、そのYOUTUBEを開いたのだろう。
が、期待したものとはちがった?
そこで腹いせに、「スケベじじい」と書いた。
が、どちらがスケベなのか?

 もうひとつは、「幼児の知能テスト」についてのもの。
今週は、BW教室(=私の教室)では、「知能テスト」をテーマにした。
テストそのものをしたわけではなく、テストの仕方を学習した。
それにはこうあった。
「筋力テスト、腕力テストもしたら?」と。

 イヤミとはわかっていたが、「機会があれば、いたします」という返事を書いておいた。
つまりこういう連中は、軽くあしらってすます。
本気で相手にしてはいけない。
本気で相手にしなければならないような相手でもない。
言うなれば、(つぶやき)のようなもの。
いちいち反応していたら、神経が燃え尽きてしまう。

●何でもイチバン

 母親の中には、自分の息子や娘が、何でもイチバンにできないと気が済まない人がいる。
2番ではいけない。
イチバン!

 勝気な性格の親ということになるが、どうもそれだけではないようだ。
プライドだけは、異常に高い。
高学歴とはかぎらない。
とくに目立ちたがり屋というわけでもない。
が、自分の子どもがイチバンでないと、気が済まない。
そのため自分の子どもに、何か問題を見つけたりすると、子どもを叱る。
「どうしてあんな問題ができなかったの!」と。
同じクラスに自分の子どもよりできのよい子どもがいたりすると、その子どもを徹底的に嫌ったりする。

 過干渉。
プラス過関心。
それに加えて、代償的過保護。
自分の子どもを自分の支配下におき、自分のよいように子どもを操る。
自分のかなわなかった夢や希望を、子どもに託す。
それ自体は、悪いことではない。
が、それを強要する。
それが高じて、代償的過保護となる。

 過保護は過保護だが、過保護特有の温かい愛情が感じられない。
だから過保護もどきの過保護……という意味で、代償的過保護という。

 もちろん子どもに弊害が表れる。
さらにはげしい情緒不安があると、子どもは委縮する。
ナヨナヨし、ハキがなくなる。
いつも親の目を気にし、よい子ぶる。
ときにそれが痛々しいほどになる。

 これが悪循環となり、代償的過保護は、さらにはげしくなる。
が、結果は、……。

 子どもを伸びやかにするためには、「2番でいい」という余裕が大切。
教える側にしても、そうだ。
「何でもイチバン」と構えている親は、話していても、本当に疲れる。
心に余裕がないから、息が詰まる。
レッスン中も、その親の視線が、スターウォーズの中に出てくる光線銃のように、私の神経を貫く。
教えにくい。
やりにくい。

 幼児教室には、そんな問題もある。
あるから、ほとんどの幼児教室では、親の参観を断っている。


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

2011年8月28日日曜日

*Article written by Dennis Kishere

●8月27日(土曜日)(はやし浩司 2011-08ー27)

++++++++++++++++++

旅の疲れが出たのか?
それとも運動のせいか?
今日も、2時間も昼寝をした。
それなりにぐっすりと眠った。
目覚めも悪くなかった。

が、寝起きに夢を見た。
しばらく、ぼんやりしていた。
その夢について、あれこれと考えていた。
しかし夢は夢。
頭から振り切ると、そのまま起きあがった。
足下がフラフラした。
台所へ行くと、
ワイフが、そこにいた。

「2時間も眠ったみたい」と声をかけると、
「よく寝たわね」と。

++++++++++++++++++

●運動

 昨日は、(今朝も)、朝起きると、ウォーキングマシンの上で、30分、歩いた。
マシンでは、30分が、MAX(=限度)になっている。
が、30分程度がよい。
20分を過ぎるころから呼吸が激しくなり、さわやかな汗が全身を流れ始める。

 ほかに昨日の午後は、サイクリングを2単位。
1単位は、30~40分前後。
ほどよい疲れが、心地よかった。

●Kさん

 40年来の友人に、Kさんという人がいる。
私と同じ、昭和22年(1947)生まれ。

役所を退職したあと、3反(900坪)の畑を買い求め、今は「百姓」(Kさん弁)をしている。
そのKさんは、無農薬農業を心がけている。
「無農薬農業」といっても、実際には、不可能。
数年もかけて、ミカンの木を栽培したが、カミキリムシが入り、全滅。
海水をくんできて、それで消毒していたが、あまり効果はなかったという。
今は、野菜作りに専念している。

 そのKさんに、ニンニクを分けてもらえないかと、昨夜電話をかけた。
東北産も中国産も、安心できない。
そこでKさんに助けを求めた。
が、この暑さ。
できは、よくないとのこと。
そしてこうも言った。

「あと何年かすると、この日本では野菜作りもできなくなるかもしれないね」と。
気候が温暖化すると、野菜もできなくなるという。

 言い忘れたが、Kさんは東京農大を出た、エリート中のエリート。
役所でも、その道、一筋に生きてきた人である。
そのKさんが、そう言った。

●総入れ歯

K「林さん(=私)、私ね、総入れ歯になりましたよ」
私「総入れ歯?」
K「昔から虫歯だらけでね。それで歯周炎に苦しみました。で、歯がみんな抜けてしまって……」
私「……!」
K「明日、その入れ歯を入れてもらうことになっています。話していても、フニャフニャします。聞きづらいでしょう?」と。

 その話を聞いて、ツンとしたさみしさが、私の心を包んだ。
Kさんだけではない。
こうして私たちは、老いていく。
老い方は、人それぞれだが、みな、例外なく老いていく。

私「私も、しばらく同じ姿勢をつづけていると、体が固まって、動けなくなくなります」
K「あら、それはいけないな」
私「正座なんか、もう私にはできません。10分もしただけで、歩けなくなります」
K「ハハ、ぼくもね、腰が弱くて、映画館で映画を観ることができませんよ」
私「どうして?」
K「映画館で映画を観ていると、腰が痛くなります。太りすぎです」
私「それも、いけないですね」と。

 ニンニクの話をするつもりだったが、健康の話になってしまった。
私の年代の人たちは、みな、そうなる。
最後には、結局は健康の話になる。

●夏のレッスン

 今日は土曜日だったが、レッスンをひとつこなしてきた。
「夏期講座」と呼んでいる。
このレッスンを通して、子どもたちに自信をつけさせる。
それを第一のテーマにしている。

 何かを教えるのではなく、自信をもたせる。
そんな目的を、このビデオを通して、理解してもらえれば、うれしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【Summer Lesson @ BW Children's Club Hamamatsu Japan Aug. 27th 2011】

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Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●残暑

 残暑もきびしいが、朝夕は、めっきり涼しくなった。
ときに寒いほど。
このところ風邪をひく人が多くなった。
そんな話をよく耳にする。
 
 実は私も、あぶなかった。
寝る前はそれなりに暑い。
が、夜中に、急に気温がさがる。
それで風邪をひく。
今朝もそうだった。
それに気がつき、ワイフにしがみついていった。
 
●職業観

 1970年のころのこと。
今は、どうか、知らない。
当時のオーストラリアでは、大卒の資格がないと、ユンボやブルドーザーを操作できなかった。
それだけその仕事は、技術職として重要視されていた。

 一方、私たち、団塊の世代にとっては、商社マン、証券マンというのは、それなりの職業だった。
私たちが大学を卒業するころ、日本は高度成長の波に乗った。
すべてがマネー、マネーという時代だった。
が、その時代は、あの山一証券の倒産劇で、終わった。
つまり「それなりの職業」という幻想が、つぶれた。
ほかの世代の人たちには、それがわからないかもしれない。
しかし社長が、テレビカメラに向かって、「私が悪いんです。みんな私が悪いんです」と泣きじゃくって見せたとき、その幻想は、つぶれた。
私たち団塊の世代に与えた衝撃は、大きかった。

 が、一方、オーストラリアでは、日本の商社マンは、「軽蔑」されていた。
軽蔑ということは、軽蔑。
どう軽蔑されていたかについては、すでに何度も書いた。

 つまり私たちがもっている「職業観」というのは、国によってちがう。
たとえば「軍事国家」「独裁国家」と呼ばれている国々では、軍人がエリートということになっている。
現在のフィリッピンがそう。
北朝鮮もそう。
戦時中の日本も、そうだった。
弁護士にしても、アメリカでは、資格をもちながら、失業している人はゴマンといる。
さらに言えば、パイロット。

 日本航空のばあい、ほんの4、5年前までは、機長といえば、年収2400万円以上。
しかしアメリカでは、国際線の機長ですら、月収12万円前後(「超大恐慌の時代」)で飛んでいる。
しかも雇用契約は、一年ごとの更新制。

多くの国では、空軍のパイロットが転職し、民間機のパイロットになるケースが多い。
が、ここにきて、全裸の機長が、女性の下着を盗みに入り、逮捕されるという事件が起きた(2011年8月)。
日本航空の現役の機長だったというから、驚きである。
つまりそういう頭のおかしな人が、飛行機の中で、操縦かんを握っていた!
想像するだけで、ゾッとする。

 地に落ちた・・・というか、こうして私たちがもっている幻想は、つぶれていく。
というか、職業に上下はない。
あるはずもない。
が、日本には、江戸時代の身分制度が、いまだに残っている。
身分制度そのものは崩れたが、その「意識」が残っている。
その意識でもって、職業の上下を判断する。
それが今、音をたてて崩れ始めている。

●学歴制度の崩壊

 もう7、8年前の話だから、現在の実情とは違っているかもしれない。
しかしこんな話を、ある中学校の校長(浜北区H中学校)の校長から聞いた。

「今では、60%の中学生は、受験勉強などしていません。部活でがんばって、推薦で高校へ入ると考えています」と。
それから7、8年。
60%より多くなったのか。
それとも少なくなったのか。
が、一度緩んだバネは、もとには戻らない。

 中学生ですら、意識が変わった。
高校生も、変わった。
大学生も、変わった。

 変わらないのは、40代以上の古い世代。
中には、60歳になっても、70歳になっても、過去の学歴を頭に載せて歩いている人さえいる。
それはそれとして、こうした変化も時代の流れ(?)。
が、これは同時に深刻な問題でもある。
学問の軽視は、そのまま学力の低下につながる。

 先日もこんなことがあった。
事務機器屋の男に、背の高い本箱を据え付けてもらった。
そのとき私が、「地震のとき倒れるから心配だ」と言ったら、その男(40歳くらい)は、こう言った。
「この本箱(スチール製)は、重いから、倒れませんよ」と。
私がいう「学力」というのは、それをいう。
学力のない人は、平気で、そう言ったりする。
こんな国が、これから先、どうやって外国と戦っていくというのか。

●学ぶ力

 繰り返し書く。

(もの知り)と(思考)は、まったく別のもの。

ものをよく知っている=情報量が多いからといって、賢い人ということにはならない。
利口な人かもしれないが、賢い人ではない。
たとえば幼稚園児でも、掛け算の九九を暗記している子どもがいる。
だからといって、そういう子どもをさして、「賢い子ども」とは、言わない。

 昔、宮沢俊義という憲法学者がいた。
私が法学生のころには、神様のような存在だった。
その宮沢俊義が、あるとき、ある小学校で憲法についての講演をした。
その直後のこと。
1人の子どもが手をあげて、宮沢俊義にこう質問した。
「憲法は、いくつ(何条)まであるのですか?」と。

 この質問に宮沢俊義は、即答できなかった。
宮沢俊義は、側近の者に六法全書をもってこさせ、憲法の条文の数を調べて答えたという。
「宮沢先生ともあろう方が・・・」とだれしも思う。
しかしこれは法科の学生ならみな知っている、有名な逸話である。

 つまり情報というのは、そういうもの。
思考というのは、そういうもの。

 このところ学校教育の内容が変わってきた。
(もの知り)から、(賢い子ども)へ。
「遅すぎた」という感はゆがめないが、今後の日本の教育に期待したい。

●身分制度

 若い人たちは、江戸時代と聞くと、遠い昔のことのように思うかもしれない。
しかし人は、加齢とともに、過去に近づいていく。
たとえば20歳の人には、130年前というと、自分の年齢の6倍以上も昔の話ということになる。
しかし65歳の人には、たったの2倍。
(たったの2倍!)
私の祖父母にしても、明治生まれとはいえ、江戸時代をそのまま引きずっていた。

 若いころはそうは思わなかった。
しかしこの年齢になってみると、江戸時代がすぐそこにあるのがわかる。
遠い昔ではない。
そこにある。
だから今、「江戸時代がそのまま残っている」と、だれかに言われても、驚かない。
私自身も、往々にして、それを感ずる。
先に書いた、身分制度もそのひとつ。
私たち日本人は、いまだにその身分制度を、色濃くひきずっている。

●追跡

 いつとは書けないが、最近、こんなことがあった。

 あるビデオショップへ行ったときのこと。
駐車場が空いていなくて、そこに車を止めていると、一台の車がサーッと横を通り過ぎていった。
そのまま見ていると、その車は、身体障害者の人用の駐車場に、迷わず停止した。
見ると、中から、60歳前後の男女が出てきた。
シャキシャキと歩いている。
とても障害のある人には、見えなかった。

 ワイフはその男性の名前を知っていた。
以前、町内会の仕事をいっしょにしたことがあるという。
私はその男性にたいへん興味をもった。

 ・・・というより、以前からもっていた。
「そういうことが平気でできる人というのは、どういう人なのだろう」と。

●電話帳 

 電話帳から、その人の住所はすぐわかった。
私は車のナビに、その人の住所を入力した。
ビデオショップからに帰り道、その人の家を訪ねてみることにした。

 ビデオショップから、5分ほどのところだった。
細い路地を入った、一軒家。
庭先に、4畳ほどの小さな家があり、「xxピアノ教室」と書いてあった。
「娘さんかだれかが、ピアノの先生をしているのか」と、私は思った。
が、先生をしているのは、その妻のほうだった。
たまたま通りがかった女性から、それを聞いた。
また年齢も60歳くらいと思ったが、ともに、50歳前後という。
もちろん身体障害者ではない。

 その家を離れるとき、私はこう思った。
「そういうものかなあ?」と。

●速度制限

 「日本人は交通ルールを守らない」と、オーストラリアの友人は、言った。
そこで私は、「君はどういうところを見て、そう言うのか」と聞くと、こう話してくれた。
「(四つ角などで)、停止線のところできちんと止まらない」と。

 以来、よく車を観察するようになった。
ナルホド!
停止線のところできちんと止まっている車は、ほとんど、ない。
停止線を飛び出す、あるいは反対に数メートル手前で止まる。
日本人には、何でもない光景だが、オーストラリア人には、「信じられない」となる。

 そこで今回(2011年4月)、同じオーストラリア人と、ハイウェイを走ってみた。
そこでのこと。
驚いたことに、友人だけではなく、どの車も、速度表示に従い、ぴったりとその速度で走っている。
これには驚いた!

 たとえば80キロの標識・・・どの車も時速80キロで走る。
60キロの標識・・・速度を、がくんと落とす。(やがて道路わきの木々を切り倒す作業車とすれちがう)。
100キロの標識・・・とたん車は速度をあげ、100キロまで加速!

 ハイウェイを走るとき、みな、このルールを守る。
「まるで列車ゲームのよう」と、私は感じた。
列車ゲームでは、表示された速度を忠実に守らないと、即、減点になる。
実際の列車の運行でも、そうなっているらしいが・・・。

 で、そのときはじめて私は、以前、友人の言った言葉の意味がわかった。
「日本人は交通ルールを守らない」と。

●民主党の党首選挙

 民主党の党首選挙が始まった。
(実際には、まだ始まったわけではないが・・・。)

 しかしそれを見ながら、こう考えた。
もちろん政策論争などというのは、そっちのけ。
「数」。
数だけの勝負。

 それを見ながら、私は「関ヶ原の戦いと同じ」と思った。
関ヶ原の戦い(1600年)でも、「数」だけが、ものを言った。
それを同じことを、400年以上たった、今も、している。

 関ヶ原の戦いでは、西軍の小早川秀秋の裏切りにより、東軍が大勝し、徳川家康が政権の座につく。
今度の選挙でも、同じようなことが起こるかもしれない。
しかし本当の問題は、このことではない。
どうしてこういう愚かなことが繰り返されるかということ。

 政治が「数」で動く。
中身ではなく、「数」。
が、これではいつになっても、日本の民主主義は、完成しない。
つまりは、私たち有権者自身が賢くならないと、民主主義は完成しない。
地方選挙のレベルから、オジチャン、オバチャンたちによる談合選挙。
その頂点に国政選挙があり、党首選挙がある。

 民主主義とはいうものの、「賢さ」をはぶいたら、ただの祭り。
まわりくどい書き方をしたが、今朝の私は、そんなことを考えた。

2011年8月28日


Hiroshi Hayashi++++++++Aug  2011+++++++++はやし浩司

●オーストラリアの友人の論文(モナーシュ大学図書館)

 オーストラリアの友人(モナーシュ大学Librarian)が、論文を送ってくれた。
キャンベラ大学での講演に使ったという。
それを読んで、先週、「これを日本語に翻訳して、日本で紹介していいか」と聞くと、「感謝する」という返事が届いた。

 今日は、土曜日。
このあとワイフと山荘に行くことになっている。
昼寝もした。
今夜は、その翻訳に挑戦してみたい。

オーストラリアにおける中国人の動きがわかって、興味深い。

Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

EAST ASIAN LIBRARY RESOURCES GROUP OF AUSTRALIA
オーストラリアにおける東洋学図書館の資料
Newsletter No. 58 (July 2011)
2011年7月号(No.58)

Special Materials Relating to Chinese Studies at Monash University Library
モナーシュ大学における、中国研究に関する特別資料
Dennis Kishere
デニス・キシア
Chinese Studies Librarian
Monash University
中国研究・ライブラリアン
モナーシュ大学
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A painting of Dinghai 定海 by William Alexander in his Costume of China. London, 1805
中国服を着た、W.アレクサンダーによる定海の絵(1805)
This article is based on my presentation at the Library Panel during the Chinese Studies Association of Australia conference on 15 July 2011.
この原稿は、2011年7月15日に、オーストラリア・中国研究会の図書パネルの席での講演に基づいている。
In the presentation I used Powerpoint slides to highlight a selection of less common and sometimes unique materials which are held in closed areas of the library at Monash University and which are of interest to researchers in Chinese Studies.
この講演会で、私はパワーポイントによるスライドを用い、モナーシュ大学内部という限られた世界における、あまり世に知られていないか、ユニークなものを紹介した。

I have included some of those images in this article.
この原稿の中で、それらの中のいくつかを紹介する。

At the Asian Studies Research Collection we acquire mainstream books, journals and audiovisual materials as well as databases relating to Chinese Studies in a similar manner to other libraries with Asian language collections.
アジア研究の蒐集物においては、他のアジア研究図書館と同じように、中国研究に関するデータベースのほか、主要出版物、刊行物および音声・映像などを手に入れている。

However, what makes our collection unique, and indeed what makes other library collections unique, is the extent to which we are able to collect important and unusual materials which are not available via the usual acquisition streams.
しかしながら、私たちの蒐集物、並びに大学図書館の蒐集物をユニークなものにしているのは、それだけではなく、通常な流れの中で手に入れることができないような、重要かつふつうでない(unusual)な資料も含まれているということである。

These materials include rare books, pamphlets, films and ephemera.
これらの資料の中には、希少価値のある本、パンフレット、映像、価値が乏しいと思われる資料(ephemera)も含まれる。
Most academic libraries have some unique, rare or special materials which can be usefully described and drawn to the attention of students and researchers.
ほとんどの学術性を重んじる図書館では、学生や研究者の注意をひくような、つまり研究にそのまま役立つような、ユニークで、希少価値があるような、特別な資料を集めている。

Since such materials are not kept on the open shelves they cannot be browsed and they are not always easily discoverable from the catalogue.
これらの資料は、公開されていないため、参照したり、また簡単には目録などから、いつも知りうるものではない。

I do not want such valuable materials to be overlooked by researchers.
私はこうした価値のある資料が、研究者によって、見過ごされるのを望む者ではない。
These special materials are mainly kept in the locked areas of the Asian Studies Research Collection.
これらの特別資料は、研究資料として、アジア研究の分野に、主に、ロックされた状態で保管されている。
These collections include Special Materials Collection, the Australia Tibet Council Collection, Norodom Sihanouk Collection, Indonesian Historical Collection and Southeast Asian Pamphlets. これらの蒐集物の中には、特別資料も含まれている。
たとえば、オーストラリアーチベット会議資料、N.シアヌーク資料、インドネシア歴史コレクション、そして東南アジアパンフレット類など。

Other relevant materials are kept in the library’s Rare Books Collection.
他の関連資料は、当図書館の稀少本コレクションの中に保管されている。
Newspapers(新聞)
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The Chinese Melbourne Daily 墨爾本日報.
(中国語版・メルボルン・デイリィ紙)
The newspaper’s office is in Wellington Street, Collingwood.
当新聞社の事務所は、コリングウッドのウェリングトン通りにある。
Our holdings start from 2004.
2004年から、保管を始めた。
The newspaper is periodically donated to our library by the newspaper’s proprietor.
当新聞は、新聞社の所有者から、図書館に定期的に寄付されている。
The Chinese Melbourne Daily features general news about Australia and news about Chinese communities in Australia as well as news about mainland China, Hong Kong, Taiwan and other overseas Chinese communities.
「チャニニーズ・メルボルン・デイリー」は、中国本土、香港、台湾、それに海外同胞のニュースのみならず、オーストラリア、オーストラリア内の中国人共同体のニュースなどを報道している。

The advertisements in the newspaper are an interesting reflection of ethnic Chinese life in Australia and include such categories of services as feng shui consultants.
新聞の載っている広告は、たとえば、“フェン・シュイ”コンサルタントなどのサービスを含むなど、オーストラリアにおける中国人の民族性を反映していて興味深い。

Community announcements reflect the lifestyle and observances of Chinese people and commercial advertisements record ethnic Chinese business activity in Australia.
告知板にしても、海外在住の中国人のライフスタイルを反映しているし、広告宣伝にしても、オーストラリアにおける中国人のビジネス活動を記録している。

Unlike some other papers, The Chinese Melbourne Daily is prepared to feature “sensitive” topics about China, such as Ai Weiwei’s detention and citizen protests.
ほかの新聞と異なり、“チャニーズ・メルボルン・デイリー”は、アイ・ウェイウェイの拘束やそれに対する市民の抗議など、中国における敏感な問題をも記事として提供している。

School Texts
学校のテキスト

In my presentation I described the Chinese school textbooks which we collect and which have been sought after by researchers.
今回の講演では、私たちや研究者たちによって求められた、中国で使われている教科書について説明した。

Apart from purchasing contemporary textbooks, we have been able to acquire older textbooks such as 1980s high school textbooks from Taiwan for the study of Chinese literature.
現在の教科書を購入することとは別に、中国文学の研究のため、台湾から手に入れた1980年代の高校の教科書も手に入れることができた。

They contain excerpts from classical authors with explanatory notes.
それらの中には、説明文についた古典からの抜粋文も含まれている。

They have prefatory pieces by Chiang Kaishek, Sun Yatsen, and Chiang Chingkuo.
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We also have school textbooks for studying Chinese literature published in 1930.
また1930年に出版された、中国文学を研究するための学校の教科書も所有している。


Astrological Almanacs.
占星・暦

There are various names in Chinese for this genre of publication including :
tong shu 通書 and min li 民曆.
中国の出版物のジャンルには、多様なものがある。
たとえば通書、民暦など。

These almanacs are an important source of traditional Chinese beliefs regarding annual events.
これらの暦を通して、年間の行事に関して、中国人の伝統的な信仰の重要な源泉を知ることができる。

It was originally an agricultural almanac but it also includes advice on geomancy (feng shui風水, kan yu 堪輿), physiognomy (xiang shu相術), auspicious naming (mingming 命名) and similar topics.
もともとは農業暦であったものだが、それらは、風水、堪輿、相術、姓名判断および類似の話題を含む。

The booklets also contain auspicious and invocatory paper strips for affixing to walls.
小冊子は、吉凶を占ったり、壁に貼り付ける紙の記念書なども含む。

In recent years the content of these almanacs have become adapted to the requirements of urban lifestyles.
近年になって、これらの暦は、都市生活のライフスタイルにも、採用されるようになってきている。

They are an important guide to how traditionally minded Chinese people lead their daily life.
それによって、伝統的なものの考え方をする中国人は日々の生活をどのように過ごすかを決める。

It is a widely purchased book and yet one not systematically collected and retained by libraries.
これらの冊子は広く購入できるものであり、図書館によって、組織的に収集されたり保持されているものではない。

Traditionally, superseded copies of the almanac are burned in temple ritual incinerators.
伝統的に、古い暦は、寺の儀式として、燃やされ、埋められる。

Almanacs can be purchased but they are also quite often published and distributed for free.
暦は、購入することもできるが、それらはしばしば、無料で印刷され、配布される。

Community Publications
共同体・出版

We hold issues of the magazine produced by a local Melbourne Taiwanese community association.
私たちはメルボルンの台湾共同体協会に発刊されている雑誌も保有している。

The magazine is a record of Taiwanese community activities in Melbourne:
その雑誌は、メルボルンにおける台湾人の活動を記録している。

Moerben Taiwan Tong Xiang Hui Hui Xun 墨爾本臺灣同鄉會會訊.


The Suetsugu Collection
「スエツグ」コレクション
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This copy of the Guo Yu 國語 was published in Osaka in 1854 and is part of the library’s Suetsugu Collection.
このコピーは、1854年に、大阪で出版された「国語」であり、当図書館のスエツグ・コレクションの一部である。

The Guo Yu consisted of historical records of states between the Western Zhou and 453 BC.
この「国語」には、西洋「Zhou」と紀元前453年の間の歴史的記録も含まれている。

This copy has Japanese annotations and punctuation which preserve a traditional interpretation and analysis of Chinese classics which would be otherwise lost.
この冊子には、日本語の注釈や句読点が付けられていて、それによって、中国の古典の伝統的な翻訳や分析を保全している。もしそうでなければ、失われていたであろう。

This and other texts are from the personal library of Mr Susumu Suetsugu of Matsue in Western Japan who donated the books to his friend Captain Shepherd of the Australian Army in the late 1970s.
この冊子および他のテキストは、西日本の松江にいたスエツグ・ススムの個人的な蔵書からのもので、1970年代の後半に、彼の友達であるオーストラリア人のシェファード大佐に寄贈されたものである。

Shepherd later donated them to Monash University Library.
後になって、シェファードは、モナーシュ大学に、これらの蔵書を寄贈した。

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A copy of the Cai Zi Gu Wen 才子古, 文also from the Suetsugu Collection.
これはスエツグ・コレクションの一部と、その文である。

This copy was published in China in 1684.
これは1684年に、中国で出版されたものである。

At some stage it found its way to Japan .
初期の段階では、日本へも伝わった。

The Cai Zi Gu Wen was a collection of essays published during the Qing dynasty.
才子古は、Qing王朝の時代に、出版された、随筆集である。

South East Asian Pamphlets and Serials Collection
東南アジアのパフレットおよび連載物コレクション

Monash University Library acquired this large collection of nineteenth and twentieth century Indonesian and Dutch language pamphlets partly by purchases by the Asian Studies Librarian on her visits to the Netherlands in the 1960s and 1970s and partly from donations by Monash scholars who collected the publications during field trips to Southeast Asia.
モナーシュ大学は、19世紀および20世紀のインドネシアおよびオランダの膨大なコレクションを蔵しているが、一部は、アジア研究のライブラリアンにより、1960年代および1970年代に、オランダを訪問した折、購入されたものであり、また別の一部は、東南アジアを旅行した折、モナーシュの学者たちによって集められたものを、寄贈されたものである。

Most of these pamphlets are in Indonesian, Dutch, or regional languages.
これらのパンフレットのほとんどは、インドネシア語かオランダ語、もしくは地方の言語によるものである。

At present the collection is only partially catalogued.
現在、このコレクションは、部分的に、カタログ化されているにすぎない。

Many of them are unique as library materials.
それらの多くは、図書館の資料としては、ユニークなものである。

Some of them bear the names of the scholars who collected them.
それらのいくつかには、それを蒐集した学者の名前が記されている。

The collection includes publications about the Indonesian Chinese communities.
このコレクションには、インドネシアン中国人社会の出版物も含む。

There are also publications of various Chinese community organizations and studies of ethnic Chinese in Indonesia from the eighteenth to twentieth centuries.
そのほかにも、18世紀から20世紀にかけてのインドネシアにおける中国民族の共同体組織や研究に関する多様な出版物もある。

The library has other publications relating to Indonesian Chinese, including the Dutch language weekly news periodical Sin Po .
また当図書館は、週刊刊行物であるオランダ語の「Sin Po」を含む、インドネシアン中国人に関する出版物も蔵している。

This weekly was published by Indonesian Chinese and featured articles by Chinese on various topics including Chinese community affairs.
このインドネシアン中国人によって発行されている週刊刊行物は、中国人社会の事件など、広い分野の話題に関して、中国人によって記事が書かれている。

It also contains photographs of local events.
その地域のできごとの写真もまた載せられている。

Other materials in this collection relevant to Chinese Sudies inlucde Nanyang Post, a pro-Communist newspaper containing articles mainly in Indonesian but also in Chinese.
中国研究に関する、私たちが所蔵している資料には、Nanyang Post、つまりインドネシアのみならず、中国で発行された、親共産主義新聞も含まれている。

I also highlighted these pamphlets during my talk:
私は今回の講演で、このパンフレットについても、焦点をあてて述べた。

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Chinesche Aanteekeningen omtrent Nederlandsch Indie. ‘sGravenhage, 1858.
(書名)
This book contains information on Chinese activities and customs around the Dutch East Indies.
この本は、オランダ領東インド周辺の中国人の活動と習慣に関する情報を含む。

It also contains Chinese language linguistic information pertaining to Indonesia.
この本はまた、中国言語のインドネシアへの浸透についての情報も含む。

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Chung Hua Tsing Nien Hui. Djakarta : 1946 – 9 Juni 1951. This booklet was produced on the fifth anniversary of the establishment of the Zhonghua Qing Nian Hui 中華青年會.
(書名)
この小冊子は、第5回、中華青年会の創立祭に際して発行されたものである。

It contains articles, advertisements and photographs of the ethnic Chinese community in Jakarta.
この本は、ジャカルタにおける中国民族の原稿ならびに、宣伝と写真を含む。

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Buku Peringatan Ulang Tahun ke X, Thian Lie Hwee.[Tenth Birthday Commemorative Book of the Thian Lie Hwee]. Djakarta. 1957.
(書名)

This book in Indonesian records the activities of another community organisation, the Thian Lie Hwee.
この本は、インドネシアにおける、もうひとつの共同社会である「Thian Lie Hwee」における活動を記録している。

Indonesian Historical Collection
インドネシア・歴史的コレクション

The Indonesian Historical Collection consists of early twentieth century and pre-twentieth century books mainly in the Dutch language.

Amongst the books are many which have detailed information on the life of ethnic Chinese in the Netherlands East Indies.

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I showed images of a selection of such books in my talk.

These included the Chineesch-Hollandsch Woordenboek van het Emoi-Dialekt / J Francken. Batavia. 1882.

This is a dictionary of the Xiamen 夏門 variety of Minnanyu 閩南語.

The dictionary includes non-standard characters which are peculiar to Minnanyu.

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Beschrijving van den Koan Iem Tempel “Tiao-Kak-Sie” te Cheribon / J. Ezerman. Batavia, 1919.

This book desribes a Guanyin 觀 音 temple in Ceribon in north Java.

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In en om de Chineesche Kamp / J. Moerman. Weltevreden, 1929.

This book was published in Weltevreden which was a new city centre for Batavia (Jakarta) built in the nineteenth century.

This book is concerned with the Chinese quarter of the city and the diagram here is of the layout of a typical Chinese house.

One needs to be able to interpret the Dutch romanisation of Minnanyu words, for example “Thian Tjiang” is the Mandarin tianjing 天井 .

Australia Tibet Council Collection

Several years ago the Australia Tibet Council donated some of their older materials to our library.

This collection contains 200 magazine titles and various videos.

Some of the videos feature Jiang Zemin’s visit to Australia in 1999 and the big pro-Tibet protest rallies.

Democracy activist Wei Jingsheng took part in the protests.


Rare Books Collection

China Illustrata by Anathasius Kircher. Amsterdam,1667.

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The library’s Rare Books Collection holds a wide selection of books and other materials relating to Chinese Studies.

The book in this slide China Illustrata was written by Athanasius Kircher, a seventeenth century German Jesuit scholar who was interested in Oriental Studies.

It includes a transcription of the Nestorian Stele at Chang’an (Xi’an) of 781 in Chinese and Syriac with a Latin translation by Kircher.

This is considered to be the first publication of the text of the stele in Europe.

The text discusses the Nestorian Christian clergy in China.

The book also contains a romanised list of the Chinese characters in an older type of Mandarin pronunciation.

Athanasius Kircher drew on the works of Jesuits working in China for his writings.

The full title is of the book:

Athanasii Kircheri e Soc. Jesu China monumentis quà sacris quà profanis, nec non variis naturae & artis spectaculis, aliarumque rerum memorabilium argumentis illustrata, auspiciis Leopoldi Prime, roman. imper Amstelodami, apud Joannem Janssonium a Waesberge & Elizeum Weyerstraet ,1667.

Original editions of this book sell for several thousand dollars from internet booksellers
Another important book in our Rare Books collection is the official account of the 1793 British mission to the court of the Qianlong emperor:

An abridged account of the embassy to the emperor of China, undertaken by order of the king of Great Britain : from the papers of Earl Macartney / as compiled by Sir George Staunton. London, 1797

We also have a copy of the French translation published a couple of years later: This indicates something of the wider European impact of the book:

Voyage dans l'intérieur de la Chine, et en Tartarie, fair dans les années 1792, 1793 et 1794 / par Lord Macartney ... redigés sur Les papiers de Lord Macartney sur ceux de Sir Erasme Gower ; par Sir Georges Staunton ; traduit de l'anglais ; avec des notes, par J. Castéra. Paris, 1799.

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This is an illustration of the Great Wall of China in the French translation of the Macartney book.

The Macartney led to the publication of other interesting books.

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This is a painting of Dinghai 定海 (now part of Zhoushan City) by William Alexander in his Costume of China. London, 1805.

Alexander was a draughtsman on the Macartney mission.

This book contains numerous illustrations by Alexander of daily life in China. See the front of this handout for the image.

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Illustration title : ”Examination of a culprit before a Mandarin”
This is also from the Costume of China.

The caption reads:
“The subject represents a female charged with prostitution.

Such an offender is generally punished publicly with a pan-tsee or bamboo. “

Missionary Books
We have a range of books by and about Christian missionaries in China.

Many of these books came from the personal library of Monash academic, the later Pete Clarke.
One of the earlier ones is:

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Mrs Henrietta Shuck : the First American Female Missionary to China / by J.B. Jeter.

This biography of Henrietta Shuck (1817-1844) includes information and perceptions of China and Southeast Asia by the author based on Shuck’s personal papers.

The genre of missionary books is interesting not only for the illustrations and photographs but also for the observations of missionaries who were often close to the common people:

Childrens’ Publications

We have collected a number of Chinese childrens’ publications from the period of the Great Proletarian Cultural Revolution (1966-1976).

This genre of publication, xiao ren shu 小人书 , seems not to be something which is published anymore.

Kang Ri Xiao Ying Xiong 抗日小英雄. This is an example of the sort of materials which both reflect and contribute to anti-Japanese feelings in China.

They can be viewed alongside contemporary (and ephemeral?) Chinese web site postings which have called for boycotts and demonstrations as part of the ongoing anti-Japanese narrative in China.

The other booklets feature the theme of anti-Confucianism and the Criticise Confucius and Lin Biao campaign of the early 1970s.

These are a contrast to the position Confucius now enjoys in China.

Norodom Sihanouk Film Collection.

This is a collection of videos copied from 16mm films made by Chinese film studios of various official visits by Norodom Sihanouk to China and visits by Chinese leaders to Cambodia.

The video copies of the films, which were made by Xinhua News Agency for the King, were donated to Monash University Library by the King-Father of Cambodia Norodom Sihanouk.

The library has had many of the videos converted to DVD and the collection is being documented and inventoried for the library by Norodom Sihanouk’s official biographer and ambassador Mr Julio Jeldres who is a researcher at Monash Asia Institute.


In my presentation I selected some clips from films of the King’s visits to China dating from 1956.

Liu Shaoqi is prominent in the films (he was later purged in 1969).

The last clip is from a video cassette marked 1970.

It is not clear exactly which month in 1970.

Neither Mao nor Lin Biao is in this film but I have not viewed all the other relevant films yet.
Other films feature later visits to China by Norodom Sihanouk and visits to Cambodia by Prime Minister Zhou Enlai in 1960 and President Liu Shaoqi in 1963.


The films are an important record of the political strength of various leaders at the time of the King’s several visits and also the level of development and cityscapes of Beijing and other parts of China from the 1950s to the 1980s.


In this article I have just featured a small selection of the interesting material relating to Chinese Studies which can be found in our library.


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 2011+++++++++はやし浩司・林浩司

2011年8月27日土曜日

*A country of liars

●豊かさは、金(マネー)、仕事、家族、健康?(豊かさについてbyはやし浩司)

 インターネット専業証券会社のインヴァスト証券が、たいへん興味深い調査結果を公表した(産経新聞・2011年8月25日、配信)
それをそのまま紹介させてもらう。

+++++++++++++以下、産経新聞より++++++++++++++++

●「家族」?「お金」?世代、男女間で意識に大きな差 
 インターネット専業証券会社のインヴァスト証券が25日発表した「豊かさとお金に関する意識調査」によると、現在の生活について「とても豊かに暮らしている」と「まあ豊かに暮らしている」が合わせて全体の50・8%と半数を超えた。

一方で「まったく豊かに暮らしていない」が10・2%など、豊かに暮らしていないと回答した人も49・2%となり、二極分化している状況が浮き彫りとなった。

 世代や男女間で見ると、「豊かに暮らしている」と回答したのは30代女性が7割、60代男性が62%と高い一方、30代男性は34%、60代女性は42%と低めで、世代によっては男女間で大きな差が出た。

 「豊かさを考える際に思い浮かべたもの」については、全体のトップは「家族」で27%。
以下「お金」(22・6%)、「時間」(10・6%)、「健康」(10・4%)、「趣味・教養」(7・2%)が続いた。

 30代に限ると、女性は半数が「家族」と回答し、「お金」はわずか6%。
これに対し、男性は「お金」が40%で最も多く、「家族」は18%にとどまり、男女間で大きく異なる結果となった。

 「生活を豊かにするために足りないと感じているもの」については、男女とも「お金」が4割超でトップだった。
世代別では20~40代は「お金」が最多だったが、50、60代は「健康」がそれぞれ38%、41%で最も高かった。

 調査は今月3~5日に、インターネットで全国の20~60代男女計500人(各世代100人)に実施した。

+++++++++++++以下、産経新聞より++++++++++++++++

●調査結果のまとめ

 この結果をもとに、鈴木さん(架空の人物)家族を考えてみる。

 鈴木氏は、現在、35歳。
妻も35歳。
子どもは2人。
上が5歳、下が2歳。

奥さんは現在の生活に満足し、「自分は幸福」と実感している。
が、鈴木氏自身は、やや不満。
自分の力に見合った収入を得ていないと考えている。
子どもたちと楽しそうに生活している自分の妻を見ながら、軽い疎外感を覚えている。
小遣いも少ない。
妻や子どもたちは、自分がしている苦労を、理解してくれていないと感じている。

●択一の問題?

 ただこの調査結果をみて、誤解していけないことがある。
たとえば「家族」。
「家族さえしっかりしていれば、時間や健康がなくてもいい」ということにはならない。
欲張りな人であれば、「家族も大切」「お金も大切」「健康であればさらによい」と考えるだろう。
ここに出てきた数字は、あくまでも比率ということになる。
「どれかひとつ」という択一的に考えてはいけない。

 たとえば私はもうすぐ64歳になる。
そういう私にしていれば、健康が第一と考える。
老後の不安もある。
「幸福」についても、幸福と感ずるときもあれば、そうでないときもある。
さらに言えば、「お金」。

 仕事をしている男性にとっては、「お金」というのは、「仕事」をいう。
とくに戦後生まれの、団塊の世代にとっては、そうであろう。
私たちは、何かにつけ、ひもじかった。
(そう言えば、先日、私が子ども時代の写真を見たが、太っている人は、ひとりもいなかった!)

専業主婦には、この感覚は薄い?
だから私のワイフも、ときどきこう言う。
「あなたは、仕事のことばかり考えている」と。
が、私は、「仕事をするから、収入を得られる」と考える。

 この調査結果を見て、いろいろと考えさせられた。
しかし「心」ろいうのは、ここに表されるほど、単純ではない。
そんなことも、別の心で考えた。

 私のばあい、健康で仕事ができること。
生きがいを感ずることができること。
それができれば、私は幸福。
そうでなければ、そうでない。

 何よりも恐いのが、孤独。
だから目標は、ピンコロ。
死ぬのは恐いが、その瞬間は、何でもない。
死を感じたら、さっさと死にたい。

 これは余談だが……。
ついでに一言。

 「とても豊かに暮らしている」と「まあ豊かに暮らしている」が合わせて全体の50・8%と半数を超えたというが、本当か?
私の周囲の人たちを見るにつけ、私には、とてもそうは思えない。


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●Mというタレント(2011/08/27)

++++++++++++++++++

Mというタレントが、暴力団とのつながりが
バレ、自ら引退を宣言した。
少し前、公の場で、「関係ありません」
「写真などあるわけありません」と断言していた。
が、それはウソだった。
つまり今度の引退宣言も、ウソと考えてよい。

一事が万事。
万事が一事。

タレントという職業の人がみな、そうであると
いうのではない。
しかしあの職業ほど、仮面をかぶった職業はない。
また仮面をかぶらないと、できない。

が、仮面を仮面と意識している間は、まだよい。
そのうち、その仮面が仮面とわからなくなる。

私も、今度の引退会見の様子をテレビで見ていた。
ときどきうっすらと涙をこぼしていた。
M氏ほどのタレントになると、あの程度の演技など、
朝飯前。
平気。
そんな涙を見て、「Mは反省している」などと、
思ってはいけない。

真相はまだヤブの中だが、Mはもっと大きなウソを、
隠している。
私はそう感じた。

やがてほとぼりが冷め、その時期が来たら、
Mは、再びタレントの世界に復帰するはず。
その場、その場で、適当なウソをついて、
その場を逃げる。
復帰するときも、そうだろう。

Mが悪いというのではない。
Mを見る、国民の側に、その一貫性がない。
つまり日本人は、「ウソ」に甘い。
だからウソを見抜くことすら、できない。

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●権力闘争

 管直人首相が辞職したからといって、民主党は、何も変わらない。
日本の政治は何も変わらない。
もともと政策そっちのけの、権力闘争。
「数」だけがものをいう、権力闘争。
政治の場を、「国盗り物語」の舞台のように考えている輩(やから)は多い。
またそう考えて、みじんも恥じない。

 悲しいことに、日本人は、あの江戸時代という封建時代を、一度も精算していない。
今に、それを引きずっている。
この静岡県では、徳川家康を悪く言うだけで、袋叩きにあう。
豊臣秀吉や織田信長を信奉している人も多い。
その結果が今。

 日本人は日本人独特の「権力志向」をもっている。
いまだに「出世」という言葉が、ハバをきかせている。
「偉い」という言葉も、残っている。

 もう20年ほど前になるだろうか。
M首相(自民党)という人がいた。
その首相がある幼稚園を訪れ、園児の前で、堂々とこう言い放った。

「私、日本でいちばん偉い人。……わかるかな? 日本でいちばん偉い人だよ」と。

 こういうのを、本物のバカという。
が、当の本人には、それがわからない。

 だれが時期首相になっても、なったとたん、再び権力闘争。
日本の政治は、その繰り返し。
しかし政治家が悪いのではない。
それを支える、私たちが悪い。
私たちが、意識を変えないかぎり、こうした政治家はつぎつぎと現れる。

 またまたその茶番劇が始まった!


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

2011年8月26日金曜日

+Grade 1(Age 6&7) cm & mm @ BW Childrern's Club Hamamatsu Japan Aug 2011

●夏休みも終わり、仕事再開!

今回は、センチとミリを教えました。
後半はプリント学習に移りましたので、ビデオ収録部分は
いつもの半分程度になりました。

仕事、再開!
やや調子の悪いレッスンになりましたが、がんばりました。

なお同じテキストを使いましたが、リズム、テンポは、2つのクラスで
変えました。
教室のみなさんは、どうか、復習に役立ててください。

2011/08/26

+++++++++++以下、小1++++++++++++++++








+++++++++++以下、小1&小2++++++++++++++++








Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

2011年8月24日水曜日

*Aug 23rd-4th 2011

● 8月23日(水曜日)

+++++++++++++++++++++++++

明日(24日)の朝、山荘のガス検針があるという。
検針には立ち会わなければならない。
そこで午後8時過ぎ、山荘へ出かけようとしていた矢先、
T氏(40歳、友人)から電話。
「久しぶりだから、会いたい」と。

そこでそのままT氏を、山荘へ案内した。
T氏の車が、私たちの車のあとをついてきた。
ゆっくり走った。
途中でガソリンを給油した。
コンビニで、食べ物を調達した。
で、山荘へ着いたのが、9時半ごろ。

+++++++++++++++++++++++++

●8月24日朝

 ということで、昨夜は、午前1時ごろまで、T氏と話した。
好奇心の旺盛な人で、私が話すことに、熱心に耳を傾けてくれた。
そのときのこと。
今まで経験したことのない、「綿密な慎重さ」を私は感じた。
平たく言えば、「いいかげんなことは言えない」とい慎重さ。
気楽には、話せなかった。

 相手は40歳の男性である。
人生の折り返し点に立っている。
この先、T氏は、自分で自分の真・善・美を追求していく。
言うなれば、人生のドアウェイ(入り口)に立った。
そんな人に、一言たりとも、まちがったことを伝えたくない。
私が言っていることが、ひょっとしたらこれからのT氏の方向性を決める。
ずっとあとになって、「あの林(=私)の言ったことは、すべて本当だった」と思ってくれればよい。
またそう思ってくれるときが、やってくるはず。

 私は言葉を慎重に選びながら、科学的に証明されたことだけをていねいに、話した。
「綿密な慎重さ」というのは、それをいう。
つまりまず頭の中で、話すべきことを選び、その中から、「正しい」と断言できることだけを話した。
ずっとそれだけを考えながら、話した。

●人生の岐路

 ただし他人の意見の受け売りでは、意味がない。
「林が言っていたことは、すでに別の人が言っていた」では、許されない。
私は私が発見したこと。
私が自分で知り得たこと。
世界でも、私しか知らないことだけを話した。
「あの本に書いてあった」「テレビで言っていた」などという話をするのは、私のプライドが許さない。

 T氏がこの先、どのような人生を歩むかは、知らない。
しかし大きな岐路に立たされているのは、事実。
もし私の言ったことに触発され、真・善・美の追求を始めれば、それはそれでよし。
そうでなければ、そうでない。
日常の俗世間に埋もれ、「ただの人(das Mann)」(ハイデッガー)になっていく。
40歳という年齢は、そういう年齢である。

私は私で、T氏が、真・善・美の追求を始めてくれることを、心底願った。
私はT氏を、小さな子どものときからよく知っている。

●言論の自由

 話題は多岐に渡った。
UFOの話から、東洋医学、心理学、宗教論など。
宗教論について話しているとき、T氏は、こう言った。
「よく殺されませんでしたね」と。
つまり「相手の宗教団体に、よく殺されないですみましたね」と。

 きわめて危険な状況に置かれたのは事実。
その団体から派遣された6人の男たちは、私の身辺を3か月に渡って、調査していった。
そのことを、日本共産党の宗門部から連絡を受けた。
「今、あなたの周辺で、X宗教団体の連中が動き回っていますから、注意してください」と。

 6人のうち、2人については、すぐわかった。
東京(1人は川口市、もう1人は大和市)からやってきていた。
私の味方と称して、いろいろな情報を提供してくれた。

 同じころ、別の知人から、写真の提供も受けた。
その中に、川口市から来ている男の顔もあった。

で、その電話のあと、ある夜、その中の1人を問い詰めた。
たまたまその男は、京都市内で、京都大学のある教授の周辺を調査していた。
その教授は、その宗教団体の「長」が、国際的な賞を受け取るのを、先頭に立って反対していた。
その教授は、その賞の国内推薦委員の1人だった。

 電話は1時間半もつづいた。
繰り返し押し問答がつづいた。
が、1時間半ほどたったところで、相手が根負けをした。
「実は、そうです」「あなたには負けました」と。
そしてこうも言った。

 「あなたの周辺を調べましたが、女性問題も、金線問題も出てきませんでした」と。
そのとき、3人の別働隊がいることを話してくれた。
そしてその夜を境に、私の調査から手を引くと約束してくれた。

 「日本に言論の自由があるというのは、ウソですよ」と。
私はそんな話をT氏にした。

●30代、40代

 夜1時ごろ、T氏は帰っていった。
生活は楽ではないらしい。
T氏は、こう言った。
「現在の30代、40代が、悲惨です」と。
「今、恵まれた生活を楽しんでいるのは、公務員と年金族だけですよ」とも。

 30代、40代は、給料はそのままで勤務時間が長くなっている。
あるいは給料が減額されている。
が、それでもクビがつながっているほうは、まだよいほう。
リストラ、解雇の嵐が、吹き荒れている。
「ぼくに、10人ほどの仲間がいます。
高校時代からの仲間です。
その中で、公務員になったのは別として、残り8人は今、全員、リストラされたりし、派遣社員をしています」と。

 30代、40代の人については、私はほとんど知らなかった。
それほどまでにひどい状況になっているとは、夢にも思っていなかった。

●仕事開始

 たった今、ガス検針の男が帰っていった。
「問題はありません」「ありがとうございました」と。
額に汗をかいていた。
年齢は60歳くらいだった。
あの男性も、退職し、委託で仕事をしているのかもしれない。

 森の中では、ツクツクボウシが鳴いている。
この山の中では、午前10時というのに、肌寒さを覚える。
1日いたいが、そういうわけにはいかない。
午後から、仕事開始!
仕事があるというだけでも、感謝、感謝、感謝!

 今は、そういう時代。
ただこの1週間で、体重がまたまた1・5キロもふえてしまった。
今日から、またダイエット。
プラス、運動。

 ……今、ワイフが横で私の首をマッサージしてくれている。
昨夜、遅くまで話し込んだのが、よくなかった。
首の付け根が、重い。
幸い、頭痛はないが……。

私「この1週間、楽しかったね」
ワ「そうね」と。

 あわただしい夏休みだった。
3連続の旅行は、私の人生においても、はじめての経験。

ワ「今度、仰韶(ヤンシャオ)へ行こうか?」
私「うん、行こう」と。

 ヤンシャオには、宇宙人最大の謎が隠されている。
謎を解く鍵が隠されている。

私「よく調べてからね。どこにどういう博物館があるか……」
ワ「メソポタミアは……?」
私「イラクは無理だね。破壊されつくされている」と。

 メソポタミア文明について調べるなら、むしろ大英博物館のほうがよい。
しかしすでに無数の研究者たちが、調べつくしている。
私たちのような素人が、ノコノコと出かけていって、何か新しいことを発見できるような状況ではない。
しかしヤンシャオはちがう。
ヤンシャオには、何かが隠されている。
うまくいけば、東洋医学(科学)の原点をさぐることができるかもしれない。

 そう、つぎの目標は、ヤンシャオ!

●新しいモニター

 家へ帰る途中、パソコンショップで、27インチの新しいモニターを購入した。
韓国のS社製。
2万1000円+消費税。

 横にMITUBISHI製やIO製もあった。
価格は、5000~6000円も高かった。
それにデザイン面で、ぐんと見劣りがした。
本気度が感じられなかった。
いかにも事務機器といった、感じ。
が、これでは売れない。

 韓国製を購入しながら、こう思った。
「日本も、もうだめだな」と。
私が韓国製を買うようになったら、おしまい。

 8月24日(水曜日)朝記。


Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

2011年8月23日火曜日

●石川県羽咋市 UFO会館(コスモアイル)旅行記ぶはやし浩司 2011-8-23

【金沢から、羽咋(はくい)へ】

2011-8-22石川県羽咋市.jpg

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休暇も残り、2日。
昨日になって、ワイフが、突然、UFOを見たいと言った。
UFO?

能登半島に羽咋市(はくいし)という町がある。
そこに「UFO会館」(正式名称は「宇宙科学博物館」)がある。
「羽咋へ行こうか?」と声をかけると、「うん」と。
そこで今日は、名古屋発、金沢行きのバスに乗り込んだ。

午前8時30分発。
昔は「名金線」と言った。
学生時代、よく利用させてもらった。
途中、いくつかの観光地を、そのまま通る。……通った。
料金も安かった。
当時は、名古屋から金沢まで、8~9時間もかかった。
今は、4時間!
往復2人分で、料金は今も、1万1000円。
(片道、1名、2750円!)
JRの約半額。

++++++++++++++++++++

●UFO

 UFO会館といっても、あまり期待していない。
期待していないが、期待している?
一応、羽咋市はUFOの出没地ということになっているらしい。
昔からそういう伝説が残っている。
アダムスキー型UFOを思わせる鐘も、そのひとつ。
鐘は鐘だが、つまり音の出る鐘だが、アダムスキー型UFOにそっくり。

楽しみ……が、やはり過剰期待は禁物。
この種の博物館は、いつもたいてい期待はずれ。
わかっているが、要するに、道中を楽しめばよい。
あとは、食事。

 ホテルは確保したが、夕食はなし。
どこかで何かを食べよう。
できれば蟹料理。
少しぜいたくかな?

●一貫性

 UFOは超常現象ではない。
心霊現象とは一線を画す。
「科学」である。
またそういうレベルで論じられるべき。

 ……これについてはもう、何度も書いてきた。
その理由の第一。
論理的な一貫性がある。
デタラメなインチキ報告は別として、UFO問題を掘り下げて検討していくと、そこに一貫性が見えてくる。
つまり論理性に矛盾がない。

 ワイフと私は、一度、巨大なUFOを目撃している。
そういう経験も下地になっている。

●ジジ臭い

 「死ぬまでに……」という言い方は、それ自体、ジジ臭い。
よくわかっている。
しかしこのところ、何かにつけ、そう考えることが、多くなった。
羽咋のUFO会館も、そのひとつ。
ならば、日本を飛び出したら……という意見もある。
たとえばアメリカのロズウェル。
1947年、アメリカのロズウェルに、UFOが墜落している。
そのロズウェル。

が、私は大の飛行機嫌い。
29歳のとき飛行機事故に遭遇してから、そうなってしまった。
それまでは、毎週のように飛行機に乗っていたが……。

 特別な理由でもないかぎり、飛行機には乗らない。
その点、UFOは、やや力不足。
ロズウェルへ行ったからといって、UFOを必ず見られるというわけではない。
アメリカ政府が、痕跡の「コ」の字も残らないほど、証拠類をすでに始末してしまったという。

 ともかくも、私たちは、あの夜見たものが何であるか、それを死ぬまでに知りたい。
そのためにも羽咋へ行くことにした。
 
●アクセス数

 昨日、夕方近く、BLOGをUPした。
で、今朝、アクセス数を見たら、いつも倍以上もあった。
夕方にUPしたことを考えるなら、いつもの4倍以上ということになる。
件数でいえば、合計で、5000~6000件!
驚いた。
昨日、『ボロボロの日本の教育』というテーマで原稿を書いた。
まさにボロボロ。
日本の教育は、落ちるところまで落ちた。
それについて書いた。
つまりそれだけ多くの人たちが、日本の教育に、危機感をもっている人が多いことを示す。

 たしかに「?」。
それだけではない。
本末が転倒している。
平等なら、まだ納得できる。
が、今は、祖父母や親が、孫や子どもに向かって、「ごめん」「ごめん」と謝る時代。
祖父母や親が、「ごめん」「ごめん」と謝りながら、孫や子どもを育てている。

 そう、昔は親が、子どもを勘当した。
親にも、まだ力があった。
それが逆転した。
今は、息子や娘のほうが、親に向かって縁を切る。
「2、30年たったら、お前を許してやる!」と。
(この先、2、30年も生きている親はいない!)

●経済

 もう少ししたら、ネットで経済ニュースを拾うことができる。
今週(8月22日・月曜日)は、どうなるか。
世界不況は、深刻度を増している。
この日本についても、異常な円高がつづいている。

 先週末の流れを引き継ぐとすれば、今週も、大波乱。
よい材料は、何もない。
このつづきは、もう少しあとに書く。

●JR東海バス

 ワイフは目を閉じ、眠り始めた。
景色と言っても、見えるのは高速道路の壁だけ。
快適にはなったが、何か、もの足りない。

 バスのシートカバーには、「JR東海バス」と書いてある。
最後尾には、トイレもある。
座席の幅も広い。
左右に10列。
定員は、40名。
乗っている客は、私たち夫婦も含めて、19人。
「空いている席は、ご自由にお使いください」と、
発車する前、運転手がそう言った。

●夏休み

 この夏休みには、3度、旅行したことになる。

(1) 越前大野、
(2) 城之崎温泉、
(3) そして今回の石川県・羽咋。

 オーストラリアとか上海も考えたが、飛行機嫌いを乗り越えるだけのパワーを感じなかった。
来年3月には、友人の娘が結婚することになっているので、オーストラリアへ行くことになっている。
小さいときから、私を慕ってくれた。
ずば抜けて美しい女性で、それに理知的。
現在は、メルボルン市内のペンギンブックスで、編集長をしている。
世界中を飛び回っている。

 今のところ、飛行機に乗る予定は、それだけ。

●ルート

 目の前に高い山が迫ってきた。
犬山から多治見のほうへ抜けるらしい。
この時期、森の木々は濃さをぐんとます。
緑というよりは黒に近い。
濃緑色。
そこに雲間から漏れる日差しが、美しいまだら模様を作る。

 雲が、さらに一段、低くなってきた。
流れる雲だけを見ていると、まるで飛行機の窓から外を見ているよう。
それをながめながら、しばし、時のたつのを忘れる。

 ……いや、ちがう。
ルートがちがう。
私は、昔の名金線のように、本州を縦に縦断して金沢へ向かうものとばかり思っていた。
が、実際には、名古屋→米原→敦賀→福井→金沢と、列車路線と同じルートをたどっている。

 知らなかった!

●経済2

 先ほどネットで、いくつかのニュースをたどってみた。
そのひとつ、北海道でも地震があったとか。
つぎは浜松と思っていたが、北海道。

 それと金(ゴールド)とプラチナが、さらに高騰中。
プラチナがグラム5000円、金が4891円。
株価は様子見。
行き場を失った大量の資金が、右往左往している。
私には、そう見える。

●自由

 バスは福井県に入った……らしい。
快適。
地元バス会社の主宰するB・ツアーより、はるかに快適。
おしゃべりなオバちゃんたちもいない。
うるさいガイドもいない。
席は、ガラガラ。

 ワイフは先ほどまで、何かの本を読んでいた。
私は1時間ほど、眠った。
旅にも、いろいろな仕方がある。
が、こういう方法が、私たち夫婦には、いちばん合っている。

 わざとシーズンをはずし、バスか電車で移動する。
宿は、ネットで選ぶ。
目的地は、1つでじゅうぶん。
それでも料金は、B・ツアーの半額程度。
 
 が、本当のところ、料金が問題ではない。
自分で旅をしているという、その満足感が楽しい。
まさに学生気分!

●片山津

 またまた眠くなってきた。
バスのエンジン音が、静かに床の下から響いてくる。
時折座席が、小刻みにゴトゴトと揺れる。
うしろのほうで咳をする人以外、客の気配すらない。

 ……バスは、もうすぐ「尼御前」に到着するという。
たった今、そんなアナウンスが流れた。
「尼御前(あまごぜん)」。
何とも風流な地名ではないか。

 ……ということで、目下、思考力はゼロ。
そこに何か書きたいことがあるはずなのに、それが脳みその中に湧いてこない
あえて言うなら、今度買う、新型パソコン。
10月の誕生日には、手に入れたい。
CPUは、3・40GHz以上。
3・60GHzというのも、ある。

 ……ワイフが「あっ、海だ!」と言った。
見ると左手に海が広がっていた。
日本海。
その横に、「片山津」という書いた標識が見えた。

●F15

 左手から、見慣れないジェット戦闘機が舞い上がってきた。
F15、トムキャットである。
浜松上空を飛び交う、あの練習機とは迫力がちがう。
ゴーというすさまじい轟音が、バスの中まで聞こえてきた。

 ここは日本の防衛、最前線。
その少しあと、バスは、「北陸小牧」というところで、停まった。
客は、だれも乗らなかった。

●出かける勇気

 外に出る。
人に会う。
旅先で、それまで知らなかった世界を見る。

 脳みその活性化、つまりボケ防止のためには、たいへん重要である。
家でゴロゴロしていたいという気持ちもないわけではない。
が、それではいけない。
そこで「出かける勇気」。
少し前、旅先で出会った人が、そんな言葉を教えてくれた。

 それに似ているが、最近、私は、よくこんなことを考える。

 たとえば朝、ふとんの中で目を覚ます。
起き上がるには、まだ少し早い。
が、それでも起き上がる。
「そのまま横になっているのも、30分。
しかしウォーキングマシンの上で、歩くのも、30分」と。

 そのとき心のどこかで、ふと、「起き上がる勇気」という言葉を考える。
勇気を出して、起き上がる。
ほかにもいろいろある。

 書店へ行く。
そのときも、その本を買うかどうかで、迷う。
が、こう言って自分に言い聞かせる。
「買う勇気」と。

●叩きつぶす

 つまり人間は、基本的には、怠け者。
恐らく人間は猿の時代だったころから、そうではなかったか。
木の上で、餌を食べるだけの人生。
あとは終日、ひたすら昼寝。
だから人間になった今も、楽をすることしか、考えない。
「極楽」の「楽」が、それを表している。

 だから「出かける勇気」というのは、そういう怠け心と闘う勇気ということになる。
とくに私のような、どこか対人恐怖症ぽく、かつ回避性障害ぽい人間にとっては、そうだ。
思い切って旅に出る。
そういう怠け心を叩きつぶす。

むずかしい話はさておき、そのつど、怠け心と闘う。
それが勇気。

●片町(金沢)

 あっという間の4時間だった。
「次は片町」と表示された。
金沢市イチの繁華街。
学生時代は、よく遊んだ。
が、風景は一変した。
学生時代の面影は、どこにもない。
近代的なビルにしゃれた店。

 が、感動がないわけではない。
ほんの少しだが、心が躍るのを感じた。
この町には4年間の思い出がしみこんでいる。
バスは、もうすぐ、犀川を渡るはず。
それを身をやや硬くして待つ。

 ハロー、金沢。
犀川だけは、学生時代のままだった。

●金沢

 金沢は、その昔は、学生の町だった。
どこへ行っても、学生がいた。
目だった。
私もその金沢の金沢大学の学生だった。
あの金沢城址にあった学舎で、4年間を過ごした。
が、今は、金沢大学もそこを追い出され、角間というところに移転した。
どこにでもある新制大学のひとつになってしまった。
当然のことながら、レベルも落ちた(失礼!)。

 私たちは、それを天下の愚策という。

 当時、たまたまNHKの大河ドラマで、前田利家がテーマになった。
それだけではないが、金沢城址を、金沢市は観光地にしようとした。
そのために金沢大学を、金沢城址から追い出した。
が、これは世界の常識ではない。

 世界の大都市は、市の中心部に最高学府を置く。
「知」の府を置く。
私が学んだ、メルボルン大学を例にあげるまでもない。
それがその市の誇りでもあり、シンボルにもなっている。
その学府が、町全体の知的文化を引き上げる。

札束も印刷物なら、書本も印刷物。
金沢市は、札束を選び、書本を捨てた。
その結果が、今。

 金沢市は、観光都市として、「知」を捨て、俗化した。

……私が浜松市に移り住んだとき、私はその文化性のなさに驚いた。
浜松市は、工業都市。
20年ほど前から、「音楽の町」として売り出しているが、もともとは「楽器の町」。
「音楽」と「楽器」とでは、「文学」と「印刷機」ほどのちがいがある。

 その浜松に住んで、40年。
今度は金沢に来てみると、その浜松とそれほど違わないのに、驚く。
逆の立場で驚く。
あれほど強く感じた「差」は、もうない。
浜松が文化都市になったとは思えない。
つまりその分だけ、金沢は、俗化した。

 で、肝心の観光収入は、ふえたのか?
答えは、「NO!」。
同窓生の中には、金沢市役所に勤めたのもいる。
石川県庁に入ったのもいる。
みな、今になってこう言っている。

 「まったくの失敗だった」と。

●サンダーバード13号(金沢、13:03発)

 金沢からはサンダーバード13号(特急)で、羽咋まで。
「サンダーバード」という名前がよい。
なつかしい。
が、どう考えても、北陸を走る列車らしくない。
「犀星13号」とか「犀川13号」とか。
そういう名前のほうが風情があって、よい。
どうでもよいことだが……。

 羽咋までは、40分。
学生時代には、法律相談所の所員として、毎月のように通った。
「所員」というと大げさに聞こえるかもしれないが、要するにインターンのようなもの。
大学の教授といっしょに通った。
行けば何かを思い出すだろうが、写真が何枚か、残っているだけ。
会場となったのは、どこかの神社の事務所。
その2階。
残っている写真は、その神社の前で撮ったもの。

 羽咋出身の友人もいたはず。
SH君という名前ではなかったか。

●学生時代

 金沢での学生時代は、そのあとのメルボルン大学での学生時代の陰に隠れて、記憶の中ではかすんでしまっている。
メルボルン大学での学生生活が、それほどまでに強烈だったということか。
が、こうも考える。

 もしあのまま、まじめに(?)、金沢大学を卒業し、商社マンになっていたら、私はどうなっていただろうか、と。
2年ほど前、同窓会に出たとき、「伊藤忠商事を定年まで勤めまして……」と言った友人がいた。
いっしょに入社試験に行ったことのある仲間だった。
その仲間を見ながら、私はこう思った。
「私も、ああなっていただろうな」と。

一社懸命の企業戦士。
バリバリ働いて、定年退職。
が、いくら想像力を働かせても、それ以上のことが頭に浮かんでこない。

●私は、ただのバカだった

 「今」が、つねに「結果」であるとするなら、では、金沢での4年間は、何だったのかということになる。
それはちょうどボケた老人を見るときの自分に似ている。
そんな人にも、それぞれ、自分の過去があったはず。
が、ボケると、そういう過去が、どこかへ吹き飛んでしまう。
積み重ねてきたはずの、人生の年輪が消えてしまう。

 今の私にしても、そうだ。
学生時代の私は、たしかにバカだった。
しかも、ただのバカ。
が、今の私が、そのバカから抜け出たかというと、それはない。
むしろさらにバカになったのかもしれない。
ボケ老人、一歩手前。

 となると、「金沢での4年間は、何だったのか」ということになる。
就職のための、一里塚?
そう考えることはさみしいことだが、私にかぎらず、当時の学生はみな、そう考えていた。
私たちはいつも、何かに追い立てられて生きていた。
あの4年間にしても、そうだ。
「大学へ入るのは、その先の就職のため」と。
そういう私が、「私」をつかんだのは、ほかならない、メルボルンでのことだった。

●「もう、いやだ!」

 私はあのメルボルンという町で、生まれてはじめて「自由」というものを知った。
本物の、自由だ。
だからこそ、三井物産という会社を、迷うこともなく、やめることができた。
「もう、いやだ!」と。

 あの会社では、純利益が半年ごとに、成績表のように発表される。
それでその社員の「力」が評価される。
それを知ったとき、私は、「もう、いやだ!」と。

 が、もしあのままメルボルンを知らないで、日本の会社に入っていたとしたら……。
その仲間には悪いが、心底、ゾーッとする。
私はその意識もないまま、一度しかない人生を、棒に振っていた。

●宝達(ほうだつ) 

 列車は、すれちがい列車を待つため、宝達(ほうだつ)という駅に停まった。
5分の停車という。
さびれた田舎町(失礼!)。
少し心配になってきた。
「羽咋市はだいじょうぶだろうか?」と。
この40年間で、それなりに発展していることを願うばかり……。

 レストランもないような田舎町だったら、どうしよう?
先ほどワイフに、「和倉温泉にすればよかった」と言った。
和倉温泉へは、何度か泊まったことがある。
やはり法律相談所の所員として、その町へ行ったときのことだった。
ほかに、能登、珠洲(すず)、富来(とぎ)などなど。
能登半島で、行かなかったところはない。
夏休みになるたびに、巡回相談というので、各地に一泊ずつしながら、能登を一周した。

 ……が、言うなれば、六法全書がすべての、血も涙もない、冷酷な相談員。
事務的に相談を受け、事務的に相談に答えていた。
今から思うと、そんな感じがする。

●書生さん

 しかし能登はよい。
ほかの地方にはない、独特の風情がある。
その昔は、人も通わない、陸のへき地。
孤島。
金沢から富山方面へ行く人はいたかもしれない。
しかし能登まで回る人はいなかった。

 だから私のようなしがない学生でも、、能登を旅すると、土地の人たちは、学生のことを、畏敬の念をこめて、「書生さん」と呼んでくれた。
そんなぬくもりが、この能登には残っている。

●コスモアイル羽咋(UFO会館)

 羽咋へ着くと、すぐ、「コスモアイル羽咋」(UFO会館)へ。
「コスモアイル?」。
「Cosmo Isle(宇宙の島)」のこと?
ネーミングが悪い。
これでは記憶に残らない。
観光客も集められない。
やはりズバリ、「UFO会館」のほうが、よいのでは?

 が、中は、かなり見ごたえがあった。
宇宙船の展示物も立派。
すばらしい。
本気度を随所に感じた。
が、肝心のUFO影が、薄い?

また3階では、プラネタリウム風の簡単な映画を見せてくれたが、こちらはガッカリ。
つまらないギリシャ神話と、ハップル望遠鏡の紹介だけ。
が、全体としては、もしあなたがUFOファンなら、一度は訪れてみる価値はある。
(日本には、ここ以外に、それらしい場所ないこともあるが……。
あの矢追純一氏が、名誉館長にもなっている。)

 で、今日の宿泊ホテルは、「渚ガーデンホテル」。
昨夜急に予約を入れた。
それもあって、食事の用意はできないとのこと。

 で、駅前のタクシー運転手に聞くと、「ぼうぼう」という店を勧めてくれた。
「ぼうぼう」というのは、「魚」のこと。
「このあたりでは、魚一般のことを、ぼうぼうと言います」と、店の女将が教えてくれた。

 その「ぼうぼう」で、夕食。
サシミの盛り合わせ、天ぷらの盛り合わせ、それと「のど黒」という魚の焼き物。
鯛の頭の入った味噌汁、ごはん、生ビール……。
しめて4300円。
安い!
プラス、おいしかった。
「さすが本場!」と、ワイフも大満足。

 ありがとう、「ぼうぼう様」。

●矢追純一氏

 矢追純一氏のような有名人にもなると、「私もつきあったことがある」と、名乗り出る人は、多い。
私もその1人かもしれない。
もちろん矢追氏のほうは、私のことなど忘れてしまっているだろう。
しかしこう書けば、思い出してもらえるかもしれない。

 浜松で、針麻酔をしていたG先生のところで何度か会った。
東京のホテル・ニューオオタニでも、何度か会った。
UFOを目撃したと電話で伝えたとき、写真を20~30枚送ってくれた。
オーストラリア製の紙巻タバコを送ると、お返しにと、日本テレビのロゴの入ったガスライターを送ってくれた、などなど。

 ほかに覚えているのは、ある事件に巻き込まれ、矢追氏がニューヨークへ逃げていったときのこと。
電話で、「ものすごい人を見つけた」と、ニューヨークから連絡をくれた。
その「ものすごい人」というのが、あのユリ・ゲラーだった。
当時はUFOディレクターというよりは、超能力ディレクターだった(「11PM」)。

 一度会いたいと思っているが、私のことなど、忘れてしまっているだろう。
当時は、私も矢追氏も、若かった!
あの長いトレンチコートが、どういうわけか強く印象に残っている。
あの矢追氏が、この世界で、これほどまでの人になるとは、私は夢にも思っていなかった。

●三日月型

 ところで「UFO」と言われる乗り物(?)のもつ多様性には驚く。
まさに、何でもござれ。
形も、さまざま。
人間の乗り物と言えば、自動車。
飛行機。
最大公約数的に、その「形」をまとめることができる。
が、UFOについていえば、それができない。

 館内でもらったパンフによれば、「UFOの基本的な形は、大きく分けると12種類に分けられるそうです」とある。
ワイフと私が目撃したのは、その中でも、「三日月型」ということになる。
つまりブーメラン型。
飛行パターンも紹介されているが、同じパンフによれば、18種類もあるとか。
要するに飛び方もメチャメチャということ。

 では、その正体は、何か?
やはり同じパンフによれば、

(1) 軍事兵器説
(2) 自然現象説(プラズマ説)
(3) エイリアン・クラフト説(宇宙人の乗り物説)
(4) 未知の生物説の、4つがあるという。

 興味は尽きない。

●渚ガーデンホテル(羽咋市)

 千里浜(ちりはま)をドライブしたあと、ホテルに入った。
朝食のみで、9600円(2人分)。
どこかレトロ調の、静かで落ち着いたホテル。

 ワイフは、しばらく何やらしていたが、今は、ベッドの上で眠っている。
まだ外は薄明るい。
たそがれ時。

 あとで近くの温泉に行くことになっているが、多分、行かないだろう。
私は本を読んだり、パソコンを叩いたりしているほうが楽しい。
こうして自分の「時」を過ごす。

●事故

 話がバラバラになり、まとまらない。
テーマというか、焦点が定まらない。
ときどきメールをのぞいたり、ネットであちこちのサイトを読んだりしている。
が、どれもどれ。
それについて書きたいときには、ビリビリと電気ショックのようなものを感ずる。
が、今は、それがない。

穏やか。
平和。
満腹状態。

軽い睡魔を感ずるが、同時に軽い頭痛もある。
今日は、昼寝をしていない。
そのせい?
で、ここ千里浜(ちりはま)には、こんな思い出がある。

 下宿の先輩とドライブをしていて、事故に遭った。
車ごと横転した。
記憶の中では、3転ほどしたと思う。
空中で自分の体がクルクルと回っているのを覚えている。

 そのことを先ほどタクシーの運転手に話すと、こう説明してくれた。
「波が、ときどき段差を作ってね。その段差にタイヤが取られると、横転することもあるよ」と。
私が大学2年生のときのこと。
先輩は、3年生だった。
先輩は、それで背骨を折った。
私は不思議なことに、まったくの無傷だった。

●旅行

 今回の夏休みでは、1日おきに、3つの旅行をした。
3泊4日の旅行を、3つに分けたということになる。
それぞれの旅行には、それぞれの性格がある。

 福井県の越前大野へ行ったときには、「私は一人ぼっち」ということを、強く思い知らされた。
兵庫県の城之崎へ行ったときには、昔の自分に会えたような懐かしさを覚えた。
また今回、この羽咋へ来たときには、「来た」というよりは、「古巣へ戻ってきた」という感覚にとらわれた。

タクシーに乗っているとき、たまたま「富来行き」というバスとすれちがった。
私が何気なく、「ここから富来(とぎ)へも行けるのですか?」と聞くと、タクシーの運転手は、驚いてこう言った。
「富来(とぎ)という読み方を知っていたお客さんは、はじめてです」と。

 能登半島という半島は、私にとっては、そういう半島である。

●仕事

 明後日から、仕事が始まる。
「がんばろう」という気持ちと、「だいじょうぶかな」という気持ち。
この2つの気持ちが、複雑に交錯する。

体力的には何とかなる。
しかしこの大不況。
そのうちジワジワと、その影響も出てくるはず。
今年度(2012年の3月まで)は、何とかなるだろう。
しかしその先が読めない。

 で、ワイフは、ああいうのんきな性格だから、いつもこう言っている。
「つぶれたら、オーストラリアへでも行きましょうよ」と。

 どこか私の教室がつぶれるのを、楽しみにしている様子(?)。
こう言うときもある。
「今まで、一度もつまずくこともなく、ここまでやってきたのだから、感謝しなくちゃあ」と。
つまり「もうじゅうぶん仕事をしてきた。いつやめてもいい」と。
あるいは「あなたも定年退職したら?」と。

 が、今の私には、仕事が生きがいになっている。
その生きがいを、自ら捨てるわけにはいかない。
私としては、死ぬ直前まで、仕事をしていたい。
できればピンコロという死に方をしたい。
オーストラリアへも行きたいが、「行って何をする?」と考えたとたん、意欲が、スーッと萎えていく。

 ともかくも、こうして私の夏休みは、終わる。
が、まだあきらめたわけではない。
「明日の夜も、どこかの温泉へ行こうか」と声をかけると、ワイフは、「明日も~?」と。
気の進まない返事が、返ってきた。

 ……こうして旅行ができるのも、今のうち。
よくて、ここ数年。
今は、あきるほど、あちこちを旅行しておきたい。

●8月23日

 朝、6時、起床。
昨夜はほかにすることもなく、午後10時に就寝。
8時間、眠ったことになる。
一度、トイレに起きたが、それだけ。

 ……ということで、今朝は、気分、爽快。
脳みその働きも、まあまあ。
こうしてパソコンのキーボードを叩く指も、軽やか。
よかった!
やっと調子が戻ってきた。

●小雨

 羽咋の朝は、小雨で始まった。
食事は8時から。
10時ごろの電車に乗り、金沢へ。
金沢からバスで名古屋へ。
ほぼノンストップ。
所要時間は、4時間。
新幹線と特急を乗り継ぐよりは、時間はかかる。
しかし料金は、半額。
急ぐ旅でなければ、高速バスのほうが、楽。

 「ホテルから羽咋駅までは、タクシーだな」と、今、ふと、そんなことを考えた。

●窓の外

 ホテルといっても、ビジネスホテル?
高級なビジネスホテルといった感じ。
(フロントで聞いたら、ゴルフクラブのクラブハウスだったとのこと。)
畑の中に、ポツンと建っている。
目の下には荒れた土地。
その向こうには、畑がつづいている。
一軒だけ家があるが、ごくふつうの民家。

 右の方角に千里浜があるはずだが、ここからは見えない。
昨日は遠くに低い山々が見えたが、今朝は、白い雲に覆われ、それも見えない。
窓をいっぱいに開けた。
夏というのに、涼しい風が、サーッと吹き込んできた。
午後からは、また猛暑に逆戻りするという。
書き忘れたが、昨日は、全国的に、10月下旬の季節だったという。
それを聞いて、「10月って、こうなんだ」と。

 そこで私とワイフの結論。

(1) シーズンオフを選ぶ
(2) 客の少ない旅館(ホテル)を選ぶ
(3) ほどほどの距離のところにある名所を選ぶ

 秋になれば、旅行シーズン。
楽しみが待っている。

●羽咋から金沢へ

 ホテルから駅までは歩いた。
途中、郵便局で金沢の友人にハガキを出す。
涼しい小雨。
ワイフが傘をさした。
私も傘をさした。
ちょうど40分ほどで、JR羽咋駅に。

 9時26分発の金沢行き。
鈍行列車。
席はすいていた。

 パソコンを開くと、まずメールを読む。
つづいてニュース。
このところまず気になるのが、浜松。
「浜松はだいじょうぶか?」と。
地震が近い。
それが気になる。

●失われた20年

 こういう地方へ来てみると、「失われた20年」の意味が、よくわかる。
この40年を2つに分ける。
最初の20年、この日本は、怒涛のごとく変化した。
しかしつぎの20年、この日本は、そこで時間を止めたまま。

 この鈍行列車にしても、あちこちがサビだらけ。
窓ガラスは汚れたまま、白く曇っている。
が、何よりも動きを止めたのが、「人」。

 今も、通路をはさんだ反対側の席に、2人の女性が何やら大声で話しこんでいる。
片足は座席にあげたまま。
一方はスカートを、大きくめくりあげている。

1人は、50歳前。
もう1人は、60歳前後。
まさに「女」を忘れたオバちゃんたち。
品格も風格もない。
日本人というよりは、土着原住民。
能登の土着原住民。

 どうして女性は、ああなるのか?
ああいう人たちにも、若くて美しいときがあったはず。
しかし長い年月をかけて、ああなる。
どうして?

 ……日本がかつて懸命に追い求めた「繁栄」とは何だったのか。
あるいは物欲の追求にすぎなかったのか。
その結果、つまりそれが終わったとき、残ったのは、物欲だけ。
この20年で、その物欲だけが、皮をはがれて表に出てきた。
こういうオバちゃんたちの横姿を見ていると、そんな感じがする。

●石川県

 電車はのどかな田園地帯を走る。
ひとつちがうのは、墓が目立つこと。
一駅ごとに、墓地があり、線路沿いに墓が見え隠れする。
あとは雑然とした街並みと、雑草。
道路沿いも、線路沿いも、雑草だらけ。
ちょっとした空き地でも、夏草が生い茂り、荒れ放題になっている。
数年前、石川県庁に勤める友人が、こう言った。
「石川県は、貧しいがや」と。

 その貧しさが、ここ10年で、いっそうひどくなった?
そんな印象をもった。
(まちがっていたら、ごめん!) 

●総括

 ……ということで、昨日は、ここ石川県羽咋市までやってきた。
ことUFOについて言えば、新しい発見は、なかった。
古代史とUFOの関係、古代文明とUFOの関係、さらには、彼らはいつから、何の目的をもって、この地球へやってきたのか……。
たとえばシュメール文明、仰韶(ヤンシャオ)文明との関係など。
そういうところまで、踏み込んで展示すると、奥行きも倍加するのでは?

 宇宙船(UFOではない)の展示物が8~9割。
UFOに関していえば、2、3の展示物と、あとはパネル写真だけ。
このあたりが、私たちがもっている常識の割合と考えてよい。
UFOオンリーとなると、カルト化(=狂信化)する危険性がある。
やはりUFOについては、ほどほどのところで、ほどほどのロマンを楽しむのがよい。
深入りは禁物。

その点、矢追純一氏は、頭がよい。
団体や組織とは、一線を引いている。

 今回の旅行を総括すると、そういうことになる。

●もうすぐ豊橋

 名古屋からは、名鉄電車に乗り換えた。
特急、豊橋行き。
疲れを感じない、楽しい旅だった。
書いた原稿は、23ページ(40字x36行)。
まあまあの成果。

 パナソニック社製のレッツ・ノートがほしい!
TOSHIBAのMXでは、やや力不足。
バッテリーチェックを見ると、「21%で、1時間39分」と表示された。
つまりバッテリーの残量は、21%。
残り、1時間39分。
実際には、あと30分もすると、警告表示が現れる。

 ……私の脳みそについて言うなら、「20%、7年」かな?
あと7、8年もしたら、使い物にならなくなる?
そんな感じがする。

(はやし浩司 羽咋 宇宙科学博物館 コスモアイル 矢追純一 UFO 能登への旅 はやし浩司 石川県 羽咋市 渚ガーデンホテル 羽咋市 割烹 ぼうぼう はやし浩司 ぼうぼう 羽咋 魚料理 ぼうぼう)


Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司