●追記(田丸謙二先生からの返信)「クリエイティブな教育」について
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田丸謙二先生の名前を原稿の中で使った
ときは、その原稿をかならず田丸謙二
先生に送ることにしている。
これは私のような物書きが守らなければ
ならない最低限のマナーである。
で、前回の原稿を田丸謙二先生に送ったら、
3通の返事が届いていた。
きびしい意見だが、私にはありがたい。
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【1】
林様:independent に考える内容が問題です。creative education 日本に乏しい教育です。
殊に教師が。世界はコンピュータの時代に適応して激しく近代化する変化をリードする教
育をしていますが、日本は立ち遅ればかり。「ゆとり教育」がダメで今度は「探究」をと学
習指導要領に掲げながら碌に出来ない。日本だけ置いてきぼりです。残念ながら。
田丸謙二
論文添付※
【2】
林様:教育の本質的重要性は何か、教育する時間がどうの、待遇がどうの、教員の資格が
どうの、というよりも、もっともっと重要なことがあるのではないでしょうか。現実の問
題にとらわれ過ぎるよりも、です。
田丸謙二。
【3】
林様:膨大なアクセスがあればある程その内容は重要ではないでしょうか。現実問題を知
り過ぎている感じです。「本当の教育」がなんであるかを外にして。孔子が「論語」で言い
ました三楽の一つは本当の弟子を育てることであると、と。頑張って下さい。田丸謙二
+++++++++以下、田丸謙二先生の論文(※)より+++++++++++
●クリエイティブな教育を
森嶋教授の言葉:初めにロンドン大学の名誉教授だ
った森嶋通夫先生の文章を引用する。「現在の(日
本の)教育制度は単数教育〈平等教育〉で、子供の
自主性を養う教育ではない。人生で一番大切な人
物のキャラクターと思想を形成するハイテイ―ンエ
イジを高校入試、大学入試のための勉強に使い果
たす教育は人間を創る教育ではない。今の日本の
教育に一番欠けているのは議論から学ぶ教育であ
る。日本の教育は世界で一番教え過ぎの教育であ
る。自分で考え、自分で判断する訓練が最も欠如し
ている 自分で考え、横並びでない自己判断の出来
る人間を育てなければ、2050年の日本は本当に駄
目になる。(こうとうけん、16、(1998) p.17)
立花隆氏の言葉:次に最近出た立花隆の「天皇と東
大」(文芸春秋)の中の一節を引用する。『東大型の
秀才(いわゆる学校秀才)の頭の特徴は、人から教
えられることを丸暗記的に覚えこみ、それをその通
りに繰り返すことは得意とするが、自分の頭で独自
にものを考える、クリエイティブな思考は苦手と言う
ことである。日本の学校教育のシステムは、このタ
イプの秀才がよい成績をあげるように出来ている。
上級学校の入試(東大入試もふくめて)も、このタイ
プの秀才が受かるようにできているから、東大には
このタイプの秀才がごろごろいる。東大を卒業した
あとに、そのような秀才が各界にエリートとしてふり
まかれていくから、日本では、エリート層全体のクリ
エイティビティが低い』、つまり「試験に強い」のとクリ
エイティブとは別であるというのである」。
安藤教授の言葉:今年の「化学と工業」誌6月号に建
築家の安藤忠雄東大名誉教授の巻頭言が載ってお
り、その結論的な部分を書き出してみる。「新しい時
代を切り拓き、未来を創っていくために、私たちはも
っと力ある個人を育てていかねばならない。そのた
めに必要なのが知識の詰め込みでなく、能力を引き
出すための基礎学習だ。大切なのは子供たちの自
由な発想を促し、常に疑問を持ち、興味のあるもの
を探究していく姿勢を植えつけることだ。自ら成長し
ようとする力を伸ばしていくのが教育の根本である
はずだ。教育制度の改革は急務である」。
私の孫の例:身近なその例を挙げてみる。アメリカ
で小学校二年まで教育を受けて日本に帰ってきた
私の孫は、日本育ちと著しく違っていた。例えば、コ
ップに水を入れその中に自分の腕時計を入れてい
る。「何をしているのよ!」というと。「これ防水と書
いてある」。実験なのである。(「ゆとり教育を始めた
有朗朗人先生はこの話を知って言われていた。日本
にもコップの水の中に腕時計を入れるような子が出
るといいのだが、と。科学の元は「好奇心」から生ま
れるからである。その意味で「すべての子供は自然
科学者」なのである)。その孫はさらに言う、救急車
がこちらに来る時は高い音なのに、向うに行くときは
低くなるのは何故?」、「台風のメはどうなっているの
?」、「雷の電圧は高い針金を使って測れないかし
ら」などなど、すべて自分で考えて質問をしていた。
自然が面白くてしょうがないのである。孫の担任の先
生も「自分は長年教師をしているがこんな利口な子供
は見たことがない」と言っていた。しかし、しかしであ
る。日本で「思考とは無関係な、お粗末な教科書」を
詰め込まれて、暗記させられ、試験に備える教育を
受ける間に見る見るうちに自分で考えなくなってしま
った。「利口な子供を利口でない子にする日本の教育
の素晴らしさ?」は本当に驚くほどはっきりしていた。
正に余りにもはっきりと示されたからである。安藤先
生の言われるお言葉の実にいい例がそのまま見られ
たのである。私の孫に限らず、日本では一般の子供
たちも生来「利口な素質」を持っていても、生来のそ
の優れた才能を引き出し(educeし)、育てる本当の
educationがない。エデュケイションとはそれぞれの子
供のいい点を自由に「引き出す(educeする)」ことであ
るのに、むしろそれを殺して育てているのが日本であ
る。本当の教育は「知識を詰め込む」ことだけではな
い。日本の教育関係者で本当にそのことを認識して
いる人は何人いるであろうか。「物を知らなければ、
自分で考えることが出来ない」「詰め込み教育」が本
当にあるべき教育と信じて子供たちの才能を殺して
いる罪深い教育者が満ち満ちているのでいるが、
そのような「罪深いこと」をしながら、彼ら自身はその
罪深さを微塵も意識していない。「考える力」を育てる
には全ての子供たちが生れながらに保有する自然科
学者としてのcuriosity を引き出し育てることである。
それを育てこそすれ、殺すことをしては絶対にいけな
いのである。子供の才能をつぶす罪深いことをしなが
ら、教育功労者として叙勲に預かっているのが日本の
教育者たちである。
川上先生の言葉:長岡技術科学大学の学長をしてお
られた川上正光先生の厳しい言葉を引用する。 「も
のを覚える能力と自ら考え出す独創力とは本質的に
別物である。「独創力ある人材」を作り出す点ではわ
が国の教育学も教育者も全く無力である。幼稚園か
ら大学院まで主として考える力を増強すべきであり、
各段階の入学試験もものしりの度合いを測ることを
やめて、考える力を測るべく大改革をなすべきであ
る」 福井謙一先生は言っておられた。「今の大学入
試は若い人の芽を摘んでいるんですよ」と。 例えば
化学者でも、もう一生見ることのないような化合物の
色を質問してみたりして、化学を悪くしているのは案
外化学者自身であることが少なくない。
アメリカの教育改革:既に15年以上前のことである。
アメリカではアカデミーを中心に、それまでは理科で
鯨の種類などを覚えさせていたのを止めて、science
inquiry、つまり何故そうなのか探究的に考える理科
に変え、しかも理科だけでなく社会や歴史も含めて、
全体的に記憶する知識は基本的なことに絞り、探究
的に「考える教育」に改革したのである。そのために
は、全国で150回も公開討論会を開き、教育関係者
とも密接に連携し、最後には4万冊の原本を作って新
しい教育を根付かせるという大変な努力をした。
丁度同じ頃は日本では上意下達で、高校の化学か
ら「平衡」という言葉を除いて「考えない化学」にした
時代であった。「平衡」は最も基本的な考える概念の
一つである。その頃は「考える化学」など全く考えられ
ない「教育専門家」たちが日本の教育を牛耳っていた
のである。(現在では手直しされているからよいよう
なものではあるが、日本と米国との教育関係者たち
の見識のレベルが如何に異なるか、残念ながらこれ
ほど大きかったのである)。(二、三十年先の時代が求
める教育の近代化改革は教育のベテランに頼っては
出来ません。日本の教育が時代遅れになるのは文部
科学省が教育のベテランを集めて決めるから世界から
遅れてしまうのです。「ゆとり教育」が失敗だったことで
も解りますが、世界中がもっと「考えるeducationを」と
言って改革しているのに、日本では記憶させる項目を
減らしただけでした。本当に智恵のある連中に頼って
教育の近代化が初めて出来ることです。)
アメリカの考える新しい理科教育はその後欧州
にも拡がり、日本にも「ゆとり教育」として入ってき
た。然し、日本では衆知のようにうまく行かない。
「知識三割削減、探究的に考える」と言っても、「考
える教育」など教師も含めて昔から乏しかったから
である。結果的には「学力低下」など言われ、現場は
混乱したままである。今度の学習指導要領ではそれ
を取り戻すべく「探究」を重視するというが、「ゆとり
教育」の二の前になる恐れ充分である。(2010年9月)
「詰め込み教育」で「考えない教育」をしている
ということは教師は自分では分からない。誰でも自分
は十分に考えていると思っているものである。然し考
える力を養うにはそれなりの風土と大変に厳しい訓
練が要求される。私が前に本誌、化学と工業」(52巻)
に娘の大山秀子と書いた「アメリカの孫と日本の孫」
にあるが、アメリカの小学校の校長さんは教育の目
標に「independent thinker」を養うこととして授業中も
常に君はどう考えるか、このような場合はどうすれば
いいと思うか、各自の考える能力を引き出す(educe)
訓練をしているという。日本の小学校の先生で
「independent thinker」を養うなど考える先生がいる
だろうか。教育改革に忙しい世界の中でわが国だけ
が取り残される。
これからの教育:コンピュータの時代になり、科学技
術はいうまでもなく、国際化、情報化は加速度的に
進み、変化の激しい時代になってきた。今の若い人
たちが社会を支える二、三十年先の時代はさらに激
しく変化をするダイナミックな時代になるであろう。携
帯用のパソコンも出てくるだろう。その時代に備える
彼らヘの「現在の教育」はその将来の時代に適応し、
時代をリードできる「智慧」を育てることでなくてはな
らない。欧米式にindependent thinkerに育て、時代
を先取りして、思考力をしっかりと身につけ、クリエイ
ティブに考える教育をすることである。「ものしり」創り
ではない。
わが国には「学ぶ」が「マネブ」(真似をする)か
ら由来したように,文化輸入国であったし、新しいこと
を探究する教育の伝統もなかった。「ゆとり教育」が
うまく行かないのも「自立して考える風土」がないか
らである。今まで考える教育など受けたこともない
教師に「考える教育を」と言っても容易でない。生徒
は授業中に自立して新しいことを考えることもなく、
debateすることもない。その上、世界的にも極めて
見劣りする今の日本の「教科書」を使って「考える力」
を育てるのはとても容易ではない。文部科学省の責
任である。欧米に見習って教科書の検定は辞めるべ
きである。
入試改革:教育を変えるには試験制度も変えること
になる。欧米式にクリエイティビティを基にするので
ある。私はある新設大学で、高校の教科書持参で
試験をし、記述式に答えさせた。(筆記試験と並行し
て面接で基礎項目を尋ねる試験を設けた。)知識を
尋ねるのではなく、こういう場合はどうすればいいか、
これは何故なのか、専ら考える問題を出して記述式
に答えを書かせると、受験生の考える力は手に取る
ように分かる。○×式などの比ではない。(教科書持
参でなくても「考える問題」を出せばよい) ケンブリッ
ジ大学では入試に知識の量は問わない、専ら面接を
主にして自立して考え、本当にやる気のある将来の
リーダーを選ぶという。今の日本のように、○×式
で一点でも違えばそこで線を引くのを最も公平とす
る「手抜きの試験」だけでクリエイティブな教育が育
つはずがない。若い人たちの芽を摘んでいながら、
大学の教師たちはその罪を微塵も意識していない。
クリエイティブな試験をするにはクリエイティブな出
題者が不可欠である。
私はこれまで繰り返しクリエイティブな教育の重
要性を説いてきた。それに対する教育関係者は殆ど
全て賛意を評してくれている。しかし本当のところそ
れが何を意味するのか殆ど解かってくれない、反対
する理由がないだけである。日本の教育の根本的
改革が如何に難しいかがよく解かる。今は世界的に
教育改革の大きな波が広がっている。日本では現在
教育問題が話題になっているが、この機会にわが国
でも全ての教師たちがダイナミックに激動する時代を
リードするよう、「考える智慧」を育てる「クリエイテイ
ブに考える教育」を目指さないと本当に日本は駄目
になる。「ゆとり教育」がもたらした現在の混乱した状
態から一日も早く正しい方向へと立ち直るためには、
化学会の化学教育協議会の努力も不可欠であるし、
「化学と教育」誌でも、どうしたら生徒が自立してクリ
エイティブに考えるような授業が出来るか、これまで
なかったタイプの教育なだけに、是非前向きに示して
欲しいものである。
終わりに:要するに森嶋通夫教授の「自分で考え、横
並びでない自己判断のできる人間を育てなければ日
本は本当に駄目になる」という言葉も、安藤教授の強
い個人を作れと言われるのも、そのまま私の孫の例
でも解かることであるし、また立花隆氏の指摘する
「日本のエリートはクリエイティビティが乏しい」という
のも、更には「ゆとり教育」が教育界に混乱をもたらし
ただけなのも、理由は全て共通の基盤から来る話で
ある。日本の教育には「詰め込み教育」はあっても「考
える力の育成」が乏しいのである。
日本の教育と欧米のエデュケイションとの違い」
日本的教育 欧米のエデュケイション
志向型 知識の蓄積 創造力開発
教師の立場操作 Teaching 教育 Education 啓能
目的 教える 才能をひき出す
学生の立場 Learning 学習 Study 考究
目的 覚える 掘り下げて考える
特徴
(1) 既成の枠内にいる 枠出て自由に考える
(2) 物知りで模倣が上手 独創力が養える
(3) 問題の解き屋に終わる 発明・発見をする
2,007年6月22日
「化学と教育」誌’57巻3号(2009年)に日本化学会会
長の中西宏幸さんがお書きになっています。「イノベー
ションを推進するためにはこれを担う人材の育成が急
務であるが、残念ながら、わが国の人材育成は多くの
問題を抱え危機的な状況にあるといわざるをえない。
コミユニケーション能力の不足、専門以外の基礎学力
の不足、自分で考える力あるいは意欲の低下といった
問題が感じられるのは私だけではないと思う」 2009年
9月26日
「ゆとり教育」が「学力不足」をもたらしたということで教育
改革をしようという。「記憶させる項目」を増やしただけでは
本当の教育改革にはならない。しかし一部の教育関係者
の中にはゆとり教育の反省もあって矢張りもっと考えさせ
る教育を定着させなければの声も出てきた。欧米の教科
書を見ても皆日本の何倍もの厚さで、ものの考え方から
興味ある話題など、読んでいて学問の面白さが身に着く
ようになっている。日本の薄い最低の教科書とは雲泥の
違いである。(教科書は学校の備品として備えて、それを
5年間使えば毎年の必要経費は五分の一になる。厚い教
科書の全部を教えなくても、好きな子はどんどん先を学ん
で伸びて行く。)最も大事なことは矢張り教師の再教育で
ある。
(2010年5月6日)
アメリカの先端的企業のIBM の社訓は「thnk (考えろ)」と
いうことで、各自の机の上に「think」と書いた文鎮が置かれ
ているという。或る卒業生がIBM に関係していてその話を
したら、彼はポケットからボールペンをとり出してそれに小
さい字で「think IBM」と刻んであった。誰でも自分は充分に
考えていると思っている。然し外から「もっと考えろ」と言わ
れてもう一考えをするだけcreativeになるものである。正に
田丸研の「家訓」が「もっと考えろ、考えに考えて新しいアイ
ディアを得る体験」を求めていますがその人なりに「深く考
えに考えるる習慣」を身につけることはは一生の宝になる
からである。
(2010年10月11日)
Hiroshi Hayashi+++++++March. 2011++++++はやし浩司・林浩司
2011年3月9日水曜日
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